平安時代の京ことばをめぐる長短さまざまの雑考を五つほど並べます。まずは目録と、それぞれについての簡単な御紹介とから。(2024.6.4)
ご意見・ご感想は modus@nifty.com へ。(うまく飛びません。コピペを。高梨俊)
第一部 「『源氏物語』を成立当時の発音・アクセントで読むための知識をまとめてみる」について
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「平安時代のアクセント入門」(平安時代のアクセントへの入門)と題されてもよい文章です。平安時代の京ことばの発音・アクセントに関する予備知識なしでお読みいただけると思います。平安時代の京ことばの発音やアクセントなど、録音機がなかった以上ろくに分かるはずがないとお思いの向きも多いでしょうけれど、事実はそうではありません。例えば源氏物語の冒頭(「いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむことなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ、ありけり」)は、成立当時、ということは西暦千年ごろ、太字は高く発音されるところとして、おおよそ、
いンどぅれの おふぉムときにかあ、にようンごお、かういい、あまた しゃンぶらふぃ たまふぃける なかに、いと やむことなきい きふぁにふぁ あらぬンが しゅンぐれて ときめき たまふ ありけり。
といった発音・アクセントで言われたと考えてよいことを、往時の諸文献が教えてくれます。「いンどぅれ」の「ン」、「おふぉムとき」の「ム」の発音のしかたや、「やむごとなき」としなかった理由などなどは、本文で申します。「によう」は「にょう」ではなく「に・よ・う」、「たまふ」は「たもー」ではなく「た・ま・ふ」です。『源氏』の冒頭の発音のしかたが古文献に書き残されているといったことはないのですけれども、平安時代から鎌倉時代にかけての京ことばの発音・アクセントに関しては、おおかたの現代人が漠然と想像するだろうよりもはるかに多くの記録が現存していて、それらにもとづいた諸家による研究もなされていますから、学問的に意味のある水準において、多くのことを申すことができます。
京都では、――京都に限らず広く京阪式アクセントの地域ではおおむね同様でしょうけれど、大阪、神戸そのほかの地域の方がたにはお赦しを願い、代表として京都を選ばせてもらいます――京都では、「飴」はこの千年以上も「あめ」。「歌」はこの千年以上も「うた」。「海豚」はこの千年以上も「いるか」。「辛子(からし)」はこの千年以上も「からし」。昔の京ことばと今のそれとで発音・アクセントを同じくするものもたくさんありますが、平安時代の京ことばは例えば上のようなものだったのであってみれば、全体として趣はずいぶん異なると申すべきでしょう。
『源氏』を成立当時の発音・アクセントで読むことは作品のよりよい理解に資する、とは申せません。俺は古典作品を成立当時の発音・アクセントで読めると言って脂(やに)さがるのは、申すまでもなく愚かなことです。ただ、『源氏』の原文に関してただその意味をしか求めない姿勢は、望ましいものではないでしょう。それならば、それは成立した頃いかなる響きのものとしてあったかは、どうでもよいことではないはずです。『源氏』のような古代の作物(さくぶつ)は現代東京や現代京都のアクセントで読まれてはならない、とはまったく思いません。思いませんが、しかし、可能ならばそれは成立当時の発音・アクセントと推定されるもので音読されるのが望ましいでしょう。そして実際、あやふやとは言われないだろう水準において推定が可能なのです。
繰りかえせばそれはそれは例えば、「いンどぅれのおふぉムときにかあ、にようンご、かういい、あまたしゃンぶらふぃたまふぃけるなかに」というような響きのものだったと考えられます。大方の現代人にはこれはたいそうへんてこりんなものに感じられるでしょうけれども、それは、私たちが「いずれのおおんときにか、にょうご、こうい、あまたさぶらいたまいけるなかに」といった言い方なり、「いずれのおおんときにか、にょうご、こうい、あまた(ないし、あまた)さぶらいたまいけるなかに」といった言い方なりに慣れているからです。しかし、それらは自然で、「いンどぅれのおふぉムときにかあ、にようンご、かうい、あまたしゃンぶらふぃたまふぃけるなかに」のような言い方は奇妙だと感じられるとしたら、それは明らかにあべこべです。例えば英文を音読する時、「アット・ザ・コート・オブ・アン・エンペラー(ヒー・リブド・イット・マターズ・ノット・ホエン)…」といった日本語式発音は許されないということはありませんけれども――それしかできないならしようがありませんけれども――、ただ、そうした発音・アクセントでおっしゃるかたは自分の言い方がどういう性格のものかは知っているほうがよいでしょう。『源氏』の原文を現代東京や現代京都の発音・アクセントで音読し、「平安時代の京ことばの響きはかように雅なものだった」と思い、人にもそう説くとしたら、それは無知のそしりをまぬかれません。「いずれのおおんときにか」云々も、「いずれのおおんときにか」云々も、平安時代の都びとの耳には十分グロテスクなものに響くはずだという事実は、事実として受け止められなくてはなりません。
小論には平安時代から鎌倉時代初期にかけての和歌三百数十首の古い発音やアクセントなども記されています。三百数十首の三分の二くらいは古今集の歌々ですけれども、小倉百人一首の百首なども入っています。ある程度まとまった長さの散文も。ゆくゆくは音声データなど埋め込みたいと思いますが、何よりもご自分で発音なさってみるのが面白いのではないでしょうか。古人が発音したように発音してみることは、古人を偲ぶ一つの仕方だとも思います。そういえば、イギリスでは沙翁の劇を当時の発音で上演することが行われるようになっているそうで、興味を惹かれます。
なお、「発音について」の付論として、「蓮華王院宝蔵本における表記の改悪について――貫之自筆の『土左日記』を想像する――」という文章を添えました。『土左日記』(古写本の表記は『土佐日記』ではなくこちら)のことを多少ともご存じの方は、この題名を目にされただけでご飯を噴出なさりそうです。しかしそう変でもないつもりです。
(2020.11.5。2022.10.29改訂) [本文へ][トップに戻る]
第二部
定説はつねに正しいとは限らず、また碩学も千慮の一失はあるものです。名歌(「心あてに」「月やあらぬ」「夕暮はいづれの雲のなごりとて」など)に対する通説的な解釈、権威ある方がたによる解釈に発見された誤読を、分をわきまえず指摘させていただきました。(2020.11.14。2022.7.3改訂)[本文へ][トップに戻る]
ⅱ.「『源氏物語』の現代語訳の文体について
――敬語の観点から――」について
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親ゆずりの無鉄砲で、子供の時から損ばかりしています。かりに「坊っちゃん」がこんなふうに語りはじめる人だったとしたら、『坊っちゃん』という小説の与える印象は大きく変わるでしょう。語りが敬体(「です・ます」体)に拠るかそうでないかは、小さな問題ではありません。
『源氏物語』の地の文は、かつて谷崎潤一郎がそうしたように敬体で訳されなくてはなりません。これに対しては、原文の地(じ)の文に現代語の「です・ます」に当たる「はべり」や「さぶらふ」がない以上その行き方は不当だという批判がありますが、しかしこれは、平安時代の京ことばの敬語法に関する理解不足がしからしめるのだと思われます。
(2020.11.20。2022.6.03改訂)[本文へ][トップに戻る]
ⅲ.「委託法、および、状態命題」について
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古代末期の中央語に広く認められる、ある一連の言語事実。現代語ではごく限定的にしか観察されないことが災いして、平安時代の京ことばにおけるその存在が見落とされてきたらしい一連の言語事実。「委託法」や「状態命題」といった言葉で記述できる一連の言語事実。その素描です。平安時代の京ことばとして「うらうらとあり」が「うららかである」を意味でき、「かくかしこき仰せごと」が「このような恐れ多いお言葉」を意味でき、「陸奥(みちのく)に名ある所々」が「陸奥の名所の数々」を意味できるのは、その一連の言語事実の一端です。
(2020.11.21。2022.6.6改訂)[本文へ][トップに戻る]
ⅳ.「現代文語を批判する」について
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日本語では「私は本を持っている」という言い方をするから〈I am having book.〉は「私は本を持っている」を意味する正しい英文だ、ということは無論言えないわけですけれども、〈I
am having book.〉は「私は本を持っている」を意味するある種の特異な言語表現としては正しい、とすることは十分可能です。ある一つの言語表現を英語に関する初歩的な知識を使って日本語に直訳したところのものをその言語表現の意味だと決めるならば、〈I
am having book.〉はそういうものとして「私は本を持っている」を意味する正しい言語表現です。そうした特異な言語表現としての〈I am
having book.〉を英語としておかしいとするのは、的を射ていません。
いわゆる文語表現は、この〈I am having book.〉式の言い方に似ています。あれこれの文語表現を古典文法に照らして誤りとする指摘を時に見かけますが、そうした指摘はお門(かど)ちがいだと思われます。
ただ、「私は本を持っている」を意味するものとしての〈I am having book.〉が特異な言語表現であることは否定できません。この〈I
am having book.〉に例えば〈I have a book.〉を対置できるように、いわゆる文語表現に擬古的な言い方を対置することができます。ここで「擬古的な」というのは、平安時代中期の日本語(中央語)の文法や語法に倣(なら)う、という意味です。では擬古的に詠むことと文語体で詠むこととはどう違うでしょう。旧題「文語を論じて古語への愛に及ぶ」。(2020.11.17。2022.6.12改訂)[本文へ][トップに戻る]
[付録]
「上声点(じょうしょうてん)の解釈学」について
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平安時代の都の紳士淑女たちはどんなアクセントで話していたのでしょうか。今となっては分かるはずもないと考える向きが多いでしょうが、事実は大いに異なります。当時の人士は、一つの文字の周辺のしかるべき所に「声点(しょうてん)」と呼ばれる点を「差す」(=書き込む)ことでアクセントを示す、という方法を持っていまして、助詞・助動詞も含めた多くの言葉のアクセントをその方法によって記した書物が、今に残っています。古今集の歌うたに部分的にですが声点を差したものなども多数残っていて、その総体は、秋永一枝(かずえ)先生――私はたんに私淑しただけに終わってしまいました――の掛け値なしの大著にして名著
『古今和歌集声点本の研究』全四巻にまとめられていますけれども、それを秋永先生の分析に導かれつつ検討することによって、古今集の歌うたの一つひとつだけでなく、王朝和歌の一つひとつについて、平安時代、特に院政期、それらがどんなアクセントで音読されたかは、かなりの程度正確に推定できます。
さてその声点です。字の左下に差された声点が低平調を、その少し上に差された声点が下降調を、右上に差された声点が上昇調を意味したことは諸先覚の見るとおりでしょうが、左上に差された声点は高平調を意味するとする通説には、疑義があります。小論は、まずそのことを申してから、平安時代の中央語に「柔らかい拍」と呼びうる拍の存在したことを示します。そのような拍の存在を認めない限り、古い時代の京ことばのアクセントの基礎的な記述は十全たりえないと思われます。遺憾ながら、あらかじめ多少専門的な知識をお持ちの方でないと読み進めにくいような内容になってしまいました。