「平安時代のアクセント入門」(平安時代のアクセントへの入門)と題されてもよい文章です。平安時代の京ことばの発音・アクセントに関する予備知識なしでお読みいただけると思います。平安時代の京ことばの発音やアクセントなど、録音機がなかった以上ろくに分かるはずがないとお思いの向きも多いでしょうけれど、事実はそうではありません。例えば源氏物語の冒頭(「いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむことなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふ、ありけり」)は、成立当時、ということは西暦千年ごろ、太字は高く発音されるところとして、おおよそ、
いンどぅれの おふぉムときにかあ、にようンごお、かういい、あまた しゃンぶらふぃ たまふぃける なかに、いと やむことなきい きふぁにふぁ あらぬンが しゅンぐれて ときめき たまふ ありけり。
といった発音・アクセントで言われたと考えてよいことを、往時の諸文献が教えてくれます。「いンどぅれ」の「ン」、「おふぉムとき」の「ム」の発音のしかたや、「やむごとなき」としなかった理由などなどは、本文で申します。「によう」は「にょう」ではなく「に・よ・う」、「たまふ」は「たもー」ではなく「た・ま・ふ」です。『源氏』の冒頭の発音のしかたが古文献に書き残されているといったことはないのですけれども、平安時代から鎌倉時代にかけての京ことばの発音・アクセントに関しては、現代人が漠然と想像するだろうよりもはるかに多くの記録が現存していて、それらにもとづいた諸家による研究もなされていますから、学問的に意味のある水準において、多くのことを申すことができます。
京都では、――京都に限らず広く京阪式アクセントの地域ではおおむね同様でしょうけれど、大阪、神戸そのほかの地域の方がたにはお赦しを願い、代表として京都を選ばせてもらいます――京都では、「飴」はこの千年以上も「あめ」。「歌」はこの千年以上も「うた」。「海豚」はこの千年以上も「いるか」。「辛子(からし)」はこの千年以上も「からし」。昔の京ことばと今のそれとで発音・アクセントを同じくするものもたくさんありますが、平安時代の京ことばは例えば上のようなものだったのであってみれば、全体として趣はずいぶん異なると申すべきでしょう。
『源氏』を成立当時の発音・アクセントで読むことは作品のよりよい理解に資する、とは申せません。俺は古典作品を成立当時の発音・アクセントで読めると言って脂(やに)さがるのは、申すまでもなく愚かなことです。ただ、『源氏』の原文に関してただその意味をしか求めない姿勢は、望ましいものではないでしょう。それならば、それは成立した頃いかなる響きのものとしてあったかは、どうでもよいことではないはずです。『源氏』のような古代の作物(さくぶつ)は現代東京や現代京都のアクセントで読まれてはならない、とはまったく思いません。思いませんが、しかし、可能ならばそれは成立当時の発音・アクセントと推定されるもので音読されるのが望ましいでしょう。そして実際、あやふやとは言われないだろう水準において推定が可能なのです。
繰りかえせばそれはそれは例えば、「いンどぅれのおふぉムときにかあ、にようンご、かうい、あまたしゃンぶらふぃたまふぃけるなかに」というような響きのものだったと考えられます。大方の現代人にはこれはたいそうへんてこりんなものに感じられるでしょうけれども、それは、私たちが「いずれのおおんときにか、にょうご、こうい、あまたさぶらいたまいけるなかに」といった言い方なり、「いずれのおおんときにか、にょうご、こうい、あまた(ないし、あまた)さぶらいたまいけるなかに」といった言い方なりに慣れているからです。しかし、それらは自然で、「いンどぅれのおふぉムときにかあ、にようンご、かうい、あまたしゃンぶらふぃたまふぃけるなかに」のような言い方は奇妙だと感じられるとしたら、それは明らかにあべこべです。例えば英文を音読する時、「アット・ザ・コート・オブ・アン・エンペラー(ヒー・リブド・イット・マターズ・ノット・ホエン)…」といった日本語式発音は許されないということはありませんけれども(それしかできないならしようがありませんけれども)、ただ、そうした発音・アクセントでおっしゃるかたは自分の言い方がどういう性格のものかは知っているほうがよいでしょう。『源氏』の原文を現代東京や現代京都の発音・アクセントで音読し、「平安時代の京ことばの響きはかように雅なものだった」と思い、人にもそう説くとしたら、それは無知のそしりをまぬかれません。「いずれのおおんときにか」云々も、「いずれのおおんときにか」云々も、平安時代の都びとの耳には十分グロテスクなものに響くはずだという事実は、事実として受け止められなくてはなりません。
小論には平安時代から鎌倉時代初期にかけての和歌三百数十首の古い発音やアクセントなども記されています。三百数十首の三分の二くらいは古今集の歌々ですけれども、小倉百人一首の百首なども入っています。ある程度まとまった長さの散文も。ゆくゆくは音声データなど埋め込みたいと思いますが、何よりもご自分で発音なさってみるのが面白いのではないでしょうか。古人が発音したように発音してみることは、古人を偲ぶ一つの仕方だとも思います。そういえば、イギリスでは沙翁の劇を当時の発音で上演することが行われるようになっているそうで、興味を惹かれます。
なお、「発音について」の付論として、「蓮華王院宝蔵本における表記の改悪について――貫之自筆の『土左日記』を想像する――」という文章を添えました。『土左日記』(古写本の表記は『土佐日記』ではなくこちら)のことを多少ともご存じの方は、この題名を目にされただけでご飯を噴出なさりそうです。しかしそう変でもないつもりです。(初出2020.11.05)
1 はじめに
2 発音について
付論 蓮華王院宝蔵本における表記の改悪について
――貫之自筆の『土左日記』を想像する―
3 古典的なアクセント
4 理論的考察(I)
5 用言のアクセント
6 動詞のアクセント(Ⅰ)
7 形容詞のアクセント(I)
8 理論的考察(Ⅱ)
9 動詞のアクセント(Ⅱ)
10 形容詞のアクセント(Ⅱ)
11 助動詞のアクセント
12 助詞のアクセント
13 単位を定義する
14 まとめに代えて
目次[大目次へ] [タイトルへ]
1 はじめに
2 発音について
a 要点
i 清音
ⅱ 濁音
ⅲ 撥音
ⅳ 促音
v 長音
ⅵ 拗音
ⅶ 東京語を話す方々に
ⅷ まとめ
b 解説(はじめに)
c 解説(ワ行転呼、ヤ行転呼)
d 解説(お、を、いろは歌)
e 解説(ハ行転呼)
f 解説(サンスクリット)
g 解説(過剰修正)
付論 蓮華王院宝蔵本における表記の改悪について――貫之自筆の『土左日記』を想像する――
a それらは自筆本ではないと見られる
b 二番目の男
c それならば初拍は
3 古典的なアクセント
4 理論的考察(I)
a 下降拍の長短
b 下降拍の短縮化
c 図書寮本『名義抄』の差声方式について
5 用言のアクセント
a 序論
b ひそやかなつながり・動詞における
c ひそやかなつながり・形容詞における
d 東京語のアクセント
6 動詞のアクセント(Ⅰ)
a 昔の東京のアクセントが参考になる動詞
i 高起動詞
ⅱ 低起動詞
b 昔の東京のアクセントも参考にならない動詞
i 高起動詞
ⅱ 低起動詞
c 連用形が一拍になる動詞
d 東京アクセントが参考になる動詞
i 高起二拍の四段動詞
ⅱ 低起二拍の四段動詞
ⅲ 高起二拍の上二段動詞
ⅳ 低起二拍の上二段動詞
v 高起二拍の下二段動詞
ⅵ 低起二拍の下二段動詞
ⅶ 高起三拍の四段動詞
ⅷ 多数派の低起三拍四段動詞
ⅸ 三拍の上二段動詞
x 高起三拍の下二段動詞
ⅺ 多数派の低起三拍下二段動詞
e 四拍動詞
i 東京アクセントが参考になるもの
ⅱ 東京アクセントが参考にならないもの
7 形容詞のアクセント(I)
a 低起二拍形容詞
b 東京アクセントが参考になる高起形容詞
c 昔の東京のアクセントが参考になる高起形容詞
d 昔の東京のアクセントも参考にならない高起形容詞
e 低起三拍形容詞
8 理論的考察(Ⅱ)
a 低下力
b 「連用形一般(ロ)」
c 完了の「ぬ」の教えること
d 駄目を押す
e 柔らかい拍
9 動詞のアクセント(Ⅱ)
a 単純動詞についてのまとめ
b 上声点の解釈学
c 複合動詞
d ナ変のこと
e 少数派低起三拍動詞のこと
10 形容詞のアクセント(Ⅱ)
11 助動詞のアクセント
a 助動詞に特殊形なし
b 助動詞のアクセントの実際
i 完了の「ぬ」
ⅱ 完了・近接過去の「つ」
ⅲ 過去の「き」の終止形
ⅳ 過去の「し」「しか」
v む・じ
ⅵ まし
ⅶ らむ
ⅷ けむ
ⅸ らし
ⅹ ず・ぬ・ね
ⅺ けり
ⅻ 「めり」、伝聞推定の「なり」
xⅲ 断定の「なり」「たり」
xⅳ 存続の「たり」
xv 存続の「り」
12 助詞のアクセント
a 柔らかくない一拍の助詞
i に・を・が・は・て
ⅱ ば・ど・で
ⅲ 二種(ふたくさ)の「と」
ⅳ の
v つ
b 柔らかい拍を含まない二拍の助詞
i さへ
ⅱ つつ
ⅲ から
ⅳ だに
v まで
vi こそ
c 三拍の助詞
i ばかり
ⅱ がてら
ⅲ ながら
d 柔らかい一拍の助詞
i も
ⅱ し
ⅲ ぞ
ⅳ 禁止の「な」、詠嘆の「な」
v や
ⅵ か
ⅶ よ
ⅷ へ
ⅸ (な…)そ
e 柔らかい拍を含む二拍の助詞
i より
ⅱ のみ
ⅲ もが
ⅳ しか
v 終助詞の「なむ」、係助詞の「なむ」
13 単位を定義する
14 まとめに代えて
1 はじめに [目次に戻る]
紫式部日記によれば、寛弘5年(1008)十一月にはすでに『源氏』の「若紫」(おそらく、わかむらしゃき。紹介文において申したとおり太字は高く言われることを意味します)の巻が成っていたようで、また治安元年(1021)にはすでに『源氏』の全体の成立していたらしいことが更級日記から知られます。また紫式部は970年代に生まれたと考えられています。
つまり『源氏』の成立した頃の京ことばの発音・アクセントとは、狭く申せば十世紀末から十一世紀はじめにかけての京ことば、西暦千年ごろの京ことばの発音・アクセントということです。平安時代のはじめの百年――ほぼ九世紀全体と重なる――を初期、その後の二百年弱――白河院政のはじまる1086年まで――を中期、残りのちょうど百年くらい――つまり院政期――を末期とするという一般的な区分法に従えば、西暦千年ごろとはつまり、平安時代中期の中ごろです。『源氏』をその頃の京ことばの発音・アクセントで読むために必要な知識をまとめようというのがこの文章の趣旨ですけれども、ただ例えば『源氏』には「芥」(あくた)という言葉はあらわれないのですが(『源氏物語大成』や『源氏物語索引』〔岩波〕に拠ってもそう)、だからそんな言葉のことは考えないという姿勢をとるのではありません。知る人も多かろうとおり伊勢物語に「芥川」(あくたンがふぁ、ないし、あくたンがふぁ)という川の出てくる段がありますし(後に引きます)、古今和歌集(以下『古今』)にも「芥」があらわれますから(やはり後に引きます)、これは無視できない言葉です。「芥」は「あくた」と言われました。
例えば「蛙(かへる)」は平安時代の京ことばでは「かふぇる」と発音され(「かはづ」は「かふぁンどぅ」)、「帰る」の連体形は「かふぇる」と発音されました。「かえる」と「かふぇる」とでは発音が異なり、「かふぇる」と「かふぇる」とではアクセントが異なります。平安時代の京ことばの発音は、日本語史の概説書を見るだけでも、あるいはインターネットを慎重に活用するだけでも、かなりの程度わかります。平安時代の京ことばにおける名詞や副詞、動詞や形容詞の終止形などのアクセントは、『日本語アクセント史総合資料索引篇』(以下『総合索引』と略しますが、煩わしいのでかぎかっこは付しません)に集約されています。この文章も、近世の京都におけるアクセント、および近世の資料からうかがわれる中世の京都におけるアクセントの記述は、すべて総合索引に負います。ただ、同書もまた無謬の書物ではありません。そのほかの資料はおいおい紹介します。
西暦千年ごろの京ことばの、あるいはもっと広く言って平安時代の京ことばの発音とアクセントとでは、アクセントのほうがずっと記述しにくく、また身につけにくい。まずは当時の京ことばの発音のことから申します。
[「はじめに」冒頭に戻る]
2 発音について [目次に戻る]
a 要点 [目次に戻る]
西暦千年ごろの京ことばの発音に関しては、諸家による研究の積み重ねによって、その全体像はかなりはっきりしていると申せます。遺憾ながら推測にとどめざるを得ないところはありますけれど、それも含めてまず、詳細後述で要点を記してしまいます。以下しばらくのあいだ、あまりわずらわしいので「詳細後述」という注釈は付けません。
i 清音 [目次に戻る]
清音に関しては、さしあたり次の表の下線部分に注意すれば十分です。
あ い う いぇ お
しゃ し しゅ しぇ しょ
た てぃ とぅ て と
ふぁ ふぃ ふ ふぇ ふぉ
や い ゆ いぇ よ
わ うぃ う うぇ うぉ
説明の容易なところから申しますと、まず現代では「た・て・と」は ta・te・to、「ち」は chi、「つ」は tsu と書けますけれども、つまりタ行の各音は現代語ではすっかり同じ子音を共有してはいませんけれども、平安時代の京ことばではこれらは五つともtに始まりました。「道」は「みてぃ」。「月」は高いところのない「とぅき」。
次に語頭のハ行音。「花」は高いところのない「ふぁな」。「一つ」は「ふぃととぅ」。「二つ」は「ふたとぅ」。「屁」は高いところのない「ふぇえ」(一拍語は二拍分〔ひらがな二文字分〕の長さに引いて〔=伸ばして〕発音されました。字面を考えて「ふぇー」としませんけれども、同じこととお考え下さい)。「ほのか」は「ふぉのか」。
次にサ行音。これは少し悩ましい。十六世紀末から十七世紀はじめにかけてのいわゆるキリシタン文献から、当時、都そのほかでは「せ」が「しぇ」と発音されたこと――今でも九州各地で「しぇんしぇい(先生)」という発音が聞かれるようです――、「せ」(se)は関東人などが方言として使うだけだったことが知られていますから、サ行音は昔からすっかり今のとおりだったとは言えないことははっきりしているのですけれども、西暦千年ごろいかなるありようだったかについて、研究者の見解は必ずしも一致していません。ここではサ行は言わばシャ行であったと、例えば「ささやか」は「しゃしゃやか」、「鮨」は「しゅし」(高いところなし。「酸(す)し」は「しゅしい」)、「汗」は「あしぇえ」、「そなた」は「しょなた」だったと見ておきます。これは、馬淵和夫(『日本韻学史の研究』)、秋永一枝(『日本語音韻史・アクセント史論』〔大修館『日本語講座』第6巻にも〕)、沖森卓也(『日本語全史』)といった諸氏の見方に倣うのです。「さ」は「つぁ」ないし「ちゃ」、「し」は「つぃ」ないし「ち」(…)と発音されたと見る向きもあるようです。つぁつぁやか。ちゃちゃやか。つつぃうぉくふう。ちゅちうぉくふう。あつぇえ。あちぇえ。つぉなた。ちょなた。子供に向かって言う「ちょうでちゅねえ」式の発音のことを思えば、それらは想像を絶する奇妙な言い方ではないと申すべきでしょうが、そうではあっても、サ行をシャ行と見るのが穏やかだということは言えるでしょう。
さて、残りの注意点について申すに先立って、「正式の発音」と「くだけた発音」という区別を導入したいと思います。これはあるいは独自の見解なのかもしれませんけれど(とは申せありふれていることは喜んで認めます)、この区別なしでは平安時代の京ことばのアクセントのありようをクリアに了解できないと思います(そう考える根拠は追い追い申します)。正式の発音とくだけた発音とでは、正式の発音のほうが表記との関係が明快ですし、私たち部外者が目指すべきはこちらでなくてはなりませんから、まずこちらを見ます。と申してむつかしいことはなくて、律儀に上の表のとおり発音すればよいのです。
まず、「え」はア行のそれもヤ行のそれも「いぇ」(ye)。例えば「榎(え)」は「いぇえ」と、「越えて」は「こいぇて」と発音するのが正式でした。
次に、語中語尾のハ行音。例えば「川」は「かふぁ」。学校では「かは」と書いてあってもカワと読むと教えられますけれども(「ハ行転呼」)、少し先で申すとおり、西暦千年ごろはいわゆる歴史的かなづかいどおりに言うのが正式だったと考えられます。同様に名詞の「思ひ」はひらがなどおりの「おもふぃ」(高いところなし)、「洗ふ」の終止形は(アローではなく)「あらふ」、「家」は高いところのない「いふぇ」、「顔」は「かふぉ」です。ちなみに「鉢」「光」「節(ふし)」「縁(へり)」「骨」はすべて高い所のない「ふぁてぃ」「ふぃかり」「ふし」「ふぇり」「ふぉね」です。
最後に、ワ行の「ゐ」「ゑ」「を」は、それぞれ正式の発音としては「うぃ(wi)」「うぇ(we)」「うぉ(wo)」と言われたと考えられます。例えば「田舎(ゐなか)」は「うぃなか」、「故(ゆゑ)」は「ゆうぇ」、「少女(をとめ)」は「うぉとめ」(ちょっと魚屋さんの「魚留」(うおとめ)みたい)。
ⅱ 濁音 [目次に戻る]
くだけた発音のことはあとまわしにして、濁音、撥音、促音、長音、拗音のことなどを申してしまいます。一般に言われるところをなぞるだけです。
濁音についてはまず、現代語と異なる、
じゃ じ じゅ じぇ じょ
だ でぃ どぅ で ど
の下線部に注意する必要がありますけれども、加えて「が」「ぎ」以下のすべての濁音が、母音のあとに位置する場合、「入(い)り渡り鼻音(びおん)」と呼ばれるものを先立てることに留意しなくてはなりません。
最近は東北地方でも「まんずまんず」という言い方を聞くことは少なくなったそうですが、「先ず先ず」(旧かなでは「先づ先づ」)の変化したこの「まんずまんず」にあらわれる二つの「ん」のようなものが入り渡り鼻音です。濁音のあまたにある子音を「濁子音」と言うそうで、「まんずまんず」のような発音は、mazuにおける濁子音zは母音を先立てるのでそれとの間に入り渡り鼻音を挟んで言われるのだ、と説明できます。
入り渡り鼻音は、「まんずまんず」に限らず、東北地方や、四国は徳島県、高知県などでしばらく前までさかんに聞かれたというもので、そうであれば当然に、というべきか(「方言周圏論」)、平安時代の京ことばにも存在したようです。入り渡り鼻音は一拍をなしません。例えば平安時代の京ことばでは「風」は「かンじぇ」と発音されました。これは二拍で言われるのであって、「か・ん・じぇ」と三拍で言われるのではありません(「ン」はこのことを視覚化するための表記なのでした)。ちなみに「先づ」は平安中期には「まあンどぅ」と言われたようです。初拍の「ま」は「まあ」という実質二拍のものとして言ってかまわないと思われます。
ここで文節のことを。「風」(かンじぇ)の末拍「ぜ」(じぇ)は母音aのあとにあり、「萩が花」(ふぁンぎンがふぁな〔高いところなし〕)の第二拍「ぎ」、第三拍「が」はそれぞれ母音a、母音iのあとにあるので、いずれも入り渡り鼻音を先立てますけれど、「おのが従者(ずさ)」(おのンが じゅうしゃあ)における「ず」は入り渡り鼻音を先立てません(「従者(ずさ)」の二つの拍のようなそれぞれひらがな一文字で書かれる漢字は、古くは一拍語と同じく二拍に引かれたと考えられます)。つまりこの「ず」は母音aのあとに来るとはしません。「おのが従者(ずさ)」では「おのが」が一つの文節、「従者」が一つの文節をなすので、文節のあたまにある「従者」の初拍は母音のあとにあるとはしないのです。
今でも中学生は文節という概念を習うようですけれども、この文節という概念はドグマを含むので(特に補助動詞に関して)、必修とすべきものとは思われません。しかし十分有用なものであり、はなから否定すべきものでもないでしょう。文節は意味的なまとまりに対して与えられる名ですが、一つの文節は多くの場合アクセントの観点から見ても一つのまとまりをなします。入り渡り鼻音は、文節中ないし文節末にある濁音が先立てるところのもので、文節の先頭にある濁音は入り渡り鼻音を先立てません。
入り渡り鼻音は時にnではなくmで発音されますけれども、現代日本語を母語とする人は特に注意するには及びません。例えば四段動詞「候(さぶら)ふ」の終止形は「しゃンぶらふ」ですが、ここにあらわれる入り渡り鼻音は、自然に、例えば現代語「しんぶん(新聞)」のはじめの「ん」と同じ音で、つまりmで言われるでしょう。
なお、「おのが」(おのンが)の「が」、「姿」(しゅンがた)の「が」のようなものは、鼻濁音にしてもしなくてもよいと思います。入り渡り鼻音を先立てる「が」は平安時代には鼻濁音だったともそうでなかったとも言われるようですし、どちらかに決めたところで、鼻濁音なり非鼻濁音なりをそういうものとして聞き分ける人は少ないでしょう。聞き分けられるから偉いということもありません。
ⅲ 撥音 [目次に戻る]
現代語では撥音(はつおん)とは要するに「ん」と書かれる音のことですけれど、同じ「ん」でも例えば「しんぶん(新聞)」の二つの「ん」は音声学的には異なります。平安時代の京ことばではさしあたり三種(みくさ)の撥音が区別されます。現代語に例を取れば、「案内(あんない)」の「ん」、「新聞(しんぶん)」のはじめの「ん」、「文学(ぶんがく)」の「ん」、この三種です。
撥音はすべて鼻音で、呼気(体外に出る空気)は鼻からだけ出て、口からは出ません。鼻をつまんでnやmといった子音だけを発声しつづけようとしてみると(鼻をつままなければそれは可能です)、目的は達成できないまま苦しくなり、目頭(めがしら)近くから空気が漏れそうになります(と申すより、実際すこし出るようです)。このことが鼻音の性格をよく教えてくれます。
「案内」の「ん」は、nです。発音する際、舌先と歯ぐきとで口から呼気の出るのを妨げるので、この音を舌内(ぜつない)撥音と言います。例えば「な」における舌内撥音は母音aとともに一拍をなしますが、「あんない」の「ん」はそれだけで一拍をなします。古くは「ん」は、それだけで立派に一拍を構成しながら、表記されないことも多かったようです。例えば「案内」は「事情」「事情を尋ねること」「取り次ぎを頼むこと」といった意味で『源氏』などにも登場しますけれども(アクセントは「あんない」。高いところなし)、西暦千年ごろにはこの言葉はもっぱら「あない」と表記されました。これは撥音を表記しない形であって、読むときは自分で「ん」を補うのです。「あない」は四拍の言葉であり、時代劇などで聞かれる「むすめ、アナイを致せ」といった言い方は古い言い方ではありません。
舌内撥音はまた「に」とも表記されました。藤原清輔の『奥義抄』に、さる歌にあらわれる「えに」について「『えに』とは『縁』といふなり」と説明し、「なにごとも真名(まな)には撥(は)ねたる文字、仮名には『に』と書くなり」(なにンごとも まなにふぁ ふぁねたる もンじ、かなにふぁ「にい」と かくなりい。「真名」の末拍のアクセントは推定)と続けます。「に」とも何とも書かないこともあったのですから、「仮名には『に』と書くなり」は言いすぎとも申せますけれど、それはともかく、この「仮名には『に』と書くなり」は、「に」と書くが「に」とは読まず「撥ねたる」音、撥音として読むと言っています。築島裕さんの『平安時代語新論』も、和名抄の「木蘭」の訓みとしての「もくらに」や、「匜」(=半挿)に対する訓みとしての「はにさふ」における「に」を舌内撥音尾(-n)が「に」と「表記」された例としますから、「縁」を「えに」と表記する場合でも「いぇに」とではなく「いぇん」と発音すべきなのだと思われます(「『いぇに』とふぁ『いぇん』といふなりい」)。「銭」(じぇに)などは早くから和語化していたのかもしれませんけれども、これとて案外ある時期までは「じぇん」など言われていたのかもしれません。さしあたりこちらで読んでおくと、『土左』の一月九日の記事において「舵取り」(かンでいとり)らの歌う「舟歌」(ふなうた。後半二拍推定)の一節「よむべのうなゐもがな。ぜにこはむ。そらことして、おぎのりわざをして、ぜにももてこず、おのれだにこず」(ゆうべのうない髪の女の子がいないかな。いたら代金をもらおう。後で払うと言って、持って来ない。姿も見せない)は、「よムべの うなうぃもンがなあ。じぇん こふぁムう。しょらこと しいて、おンぎのりわンじゃ しいて、じぇんも もて こおンじゅ、おのれンだに こおンじゅ」と言われたと考えられます。
次に「新聞」のはじめの「ん」は、申したとおりmで言われます。発音する際、上下の唇で口から呼気が出ないようにするところから、この音を唇内撥音と言います。唇内撥音mもこれだけで一拍をなしえます。この撥音は、無表記のこともありましたけれど、「む」と表記されることが多かったようです。例えば『源氏』冒頭の「いづれの御時にか」の「御時」は、ひらがなでは「おほむとき」と書かれたと考えられていますが、この「む」も唇内撥音です。「お・ふぉ・mu・と・き」ではなく「お・ふぉ・m・と・き」。m だけで一拍です。体裁を考慮して以下この mを「ム」と表記することにすると、「御(おほむ)とき」は「おふぉムとき」など言われたと(=などと言われたと。アルカイスムです)書けます。総合索引によれば「御(おほむ)とき」のアクセントを記した文献はありませんけれども、もともと「御(おほむ)」は「御(み)」が「大(おほ)」を先立てた言い方の変化したものであり、「御(み)なになに」はその「なになに」単独のアクセントにかかわらず高平連続調をとることが多いようです。例えば「山」「魂(たま)」は高いところのない「やま」「たま」ですが、「御山(みやま)」は「みやま」、「御魂(みたま)」は「みたま」。「法(のり)」は「のり」ですが、「御法(みのり)」は「みのり」です。また高いところのない「とき(時)」とアクセントを同じくする「こと(事)」が「御(おほむ)」を冠した「御(おほむ)こと」は総合索引によれば「おふぉムこと」と言われ得たようです。「御(おほむ)とき」も「おふぉムとき」と発音された公算が大きいと考えられます。
また例えば、現代語には「進みて」の変化した「進んで」という言い方がありますけれども(「撥音便」)、古くは「進みて」(しゅしゅみて)の撥音便形は「進むで」と書かれ「しゅしゅムで」など発音されました。
助動詞「む」「らむ」「けむ」の「む」も母音なしで言われ、また、例えば「金」の音読みは古くは「こん(kon)」や「きん(kin)」ではなく「こム(kom)」や「きム(kim)」であり、実際に「こむ」「きむ」と書かれました。私たちはたくさんの金(キム)さんを知っていますが、このキムも現地読みとしてはkimuではなくkimのようです。
三つ目の撥音は喉内撥音と呼ばれます。漢字音にしかあらわれない音です。これはあとまわし。
ⅳ 促音 [目次に戻る]
次に促音について。手っ取りばやく申せば促音とは小さな「つ」で示されるもののことですが、正確にはそれは「もの」ではなく、また「促音」という名に反して「音」でもありません。例えば現代語の「これを持て」と「これを持って」との差は、「持(も)」と「て」との間に一拍分の間(ま)を開けるかどうかの差です。「促音」とはこの一拍分の間(ま)のことです。例えば「盛って」と言う時、「っ」のところでは、たいてい舌が「て」(の子音t)を発音する準備をしていて、その準備状態、待機状態は、例えば「もっぱら」と言う時のそれとは異なりますけれども、そうした状態を促音と言うわけではありません。「もっぱら」と言おうとして「もっ」のところまで進めてから「ぱ」ではなく「て」を言った場合でも、はじめから「盛って」と言うのと同じ音声が得られます。「さっさと」などでは、たいてい「っ」のところですでにsが響きますが、そうしなくても「さっさと」と発音できます。
西暦千年ごろには促音は表記されませんでした。例えば、「持ちて」(もてぃて)の促音便「持って」(もって、ないし、もって。二つはもちろん同じ発音を示します)は、当時は単に「持て」と表記されました。
厄介なことに、促音が表記されないのではなく、促音の落ちた言い方というものもあります。例えば和歌にあらわれる「心もて」(自分の心から)などはそれで、この「もて」は「もって」に由来しますが、二拍で言われます(「こころもて」)。
促音無表記形なのか、促音脱落形なのかは、一つ一つ検討しなくてはなりません。例えば平安仮名文にあらわれる「にき」(日記)は前者であって、「にっきい」(高いところのない「にっきい」)と発音されたようです。知識人、ないし自分を知識人に見せたい人はあるいはnitki(にとぅきい)のように言ったかもしれませんけれど、日常的には「にっきい」と言われたでしょう。『土左日記』は、高いところのない、そして「の」をともなう「としゃのにっきい」という発音・アクセントで言われたと考えられます。ただ現代語とは異なり、平安時代の京ことばにはもともと促音は多くなく、促音脱落形も少数にとどまります。
v 長音 [目次に戻る]
今度は長音について。今でも京都では例えば「蚊」のような一拍名詞は「かあ」のように長く引かれる――単に「引かれる」と言ってもよく、「実質二拍で言われる」など言ってもよい――のが一般的ですが(改めて申せば字面を考えて「か-」とは書かないことにします)、これは古代でも同じことです。加えて平安時代の京ことばでは、例えば「声(こゑ)」(こうぇえ)がそうであるように、多拍名詞の末拍も引かれ得ます。一拍動詞なども引かれます。
名詞や動詞だけではありません。楳垣實(うめがきみのる)さんは『京言葉』(昭和21年)のなかで、一拍名詞に助詞のついた場合、京言葉では「『カーガー 蚊が』『ナーノー 名の』『キーオー 木を』のやうに、助詞まで長く引く傾向が強い。京言葉の悠長で柔らかい所以である」とおっしゃっています(表記を一部変更しました)。中井幸比古さんの「京都方言の形態・文法・音韻(1) -会話録音を資料として(1)-」(web)によれば、近年では年配の話し手も「カーガー」式の言い方はしない模様ですけれど、以下では、それ以外の言い方はなかったろうとは申しませんが、平安時代の都の紳士淑女も「蚊の」(かあのお)、「名の」(なあのお)、「木を」(きいうぉお)のような言い方をしたと見ておきます。
平安中期には長音は、そうした、ひらがな一文字が引かれる場合にのみあらわれたようです。現代語では、例えば「更衣(こうい)」のはじめのところに長音があらわれますけれども(「こうい」と書いて「こーい」と読むわけです)、西暦千年ごろの都ではそうした長音は聞かれなかったでしょう。平曲や謡曲の世界では、例えば「かう」を「こー」のような長音でではなく「か・う」と分けて発音することを「割る」というのだそうです。西暦千年ごろには、「更衣」は「かうい」、アクセントも記せば「かうい」と割って読まれました。ちなみに、現代でも、伝統的な土佐弁――古い日本語のさまざまな特徴が残っていると言われる――の話し手などは、こうした割って言う言い方をなさると聞いたことがあります。学校でおそわる「歴史的仮名づかいの読み方」に従って「かうい」を「こーい」と読むと、かえって元のありようから離れます。「歴史的仮名づかいの読み方」は、それを習わないと例えば「けふのぶたふくわいはきつとせいきやうでこざいませう」という現代文を適切に読めないといった意味では有用ですけれど、例えば『源氏』の本文を「歴史的仮名づかいの読み方」に従って読むことはわざわざ平安時代における読み方から一層離れた読み方を採用することだという意味では、無用のものです。
ⅵ 拗音 [目次に戻る]
次に拗音。現代語の拗音は、「きゃ」「きゅ」「きょ」「しゃ」「しゅ」「しょ」(…)のような、小さな「や」「よ」を伴う音だけですが、古くは、「くゎ(kwa)」「ぐゎ(gwa)」「くゑ(kwe)」「ぐゑ(gwe)」という音もあったので、こちらは合拗音(ごうようおん)、「きゃ」「きゅ」「きょ」以下は開拗音(かいようおん)と呼ばれます。さてじつは、西暦千年ごろには、開拗音も合拗音も存在しなかったと見られています。現代では「今日(きょう)」は「きょー」と発音されますが(「拗長音」と呼ばれる音です)、鎌倉時代くらいにはそれは「きょ・う」と割って言われたようです。つまりその頃には開拗音がありました。しかし西暦千年ごろには、まだ、仮名づかいどおりの「けふ」(けふ)、あるいはそのハ行転呼した「けう」(けう)という言い方がなされたと考えられています。
漢字音も拗音を含まなかったようです。もともと拗音というものはやまとことばにはなく、日本には漢字音として入ってきたのでしたが、西暦千年ごろにも、今も「ファン」を「フアン」と発音する人がいるのに似て、例えば「女御」のような漢語は一般には「におうンご」ないし「にようンご」と発音されたようです。すでに申したとおり、当時は一般に、例えば「子(し)」のような、今ならば一拍で言われる漢字は二拍の長さで言われるというように、漢字音は現代語におけるよりもずっと長く言われたと見られ、「女(によ)」ならば一拍の「にょ」ではなく二拍の「にお」ないし「によ」と、「女(によう)」ならば二拍の「にょう」ではなく少なくとも三拍の「におう」ないし「によう」といった言い方で発音されたようです。「ぐわん」のようなものも、合拗音としてgwanのような一拍の言い方をする〝バタくさい〟人は少なくて、一般的には、「ぐわん」という純粋な三拍の言い方で言われたのではないかと思われます。
ⅶ 東京語を話す方々に [目次に戻る]
最後に、ウ段音の発音のことと、母音の無声化のことを申します。
「非円唇後舌狭母音」を、音声学の研究者の方がたは「ひえんしんあとじたせまぼいん」など読むのだそうですが、ひきつづき現代東京と現代京都とで対比させますと、現代東京の「う」はこの「非円唇後舌狭母音」というものに近い音のようで(そのものではないらしい)、他方現代京都の「う」は、「非」のとれた「円唇後舌狭母音」そのもの、IPA(国際音声記号)では[u]と表記されるところの音なのだそうです。ちなみに英仏独語もこの[u]を持ちますから、現代京都の「う」は、申さば「う」の王道を行くものなのでしょう。なお「非円唇後舌狭母音」は、[ɯ]という、深い意味はないのでしょうが
m をひっくり返した記号で示されます。
呼び名の示すとおり、現代京都の「う」や英仏独語の[u]は唇を丸めて発音されますが、東京のそれを言う時には、唇はあまり丸まりません。じっさい、例えば関西のかたが「ちがいますう」とおっしゃる時、「すう」のところで口をとがらすことにお気づきの向きも少なくないと思います(本場の例えば book も vous〔ヴー〕も Buch〔ブッフ〕も、同じように口をとがらせて言われます)。日本の東西における「う」の円唇性の差は、おそらく多くの東京人が思っているであろう以上に大きいと言えるでしょう。
さて現代京都の「う」は円唇性が強いのですが、どうやら伝統的な土佐弁などにおける「う」の円唇性は、さらに強い模様です。こうしたことを踏まえてでしょう、識者の方がたは、平安時代の京ことばにおける「う」は強い円唇性を帯びていたとお考えのようです。西暦千年ごろの京ことばにおける「う」は現代東京のそれとはずいぶん異なることを、東京語の話し手は肝に銘ずべきなのでしょう。
つぎに、東京語の話し手は、例えば「君が好きだ」と言う時の「好き」をsukiではなくskiのように発音する傾向があります。sukiでは母音uが二つの無声子音sとkとに挟まれているので、落ちやすいのです。sukiに限らず、東京語では、iやuのような母音は、特定の環境に置かれた場合、すっかり、ないしほとんど、発音されずに終わります。「母音の無声化」と呼ばれるこうした現象は、東京語では常に起こりますけれども、伝統的な京ことばや土佐弁では、ほとんど起こらないようです。平安時代の京ことばでも母音は一つ一つ丁寧に発音されたと考えられています。
ⅷ まとめ [目次に戻る]
現代人の耳にどう響くかなど気にせず、いわゆる歴史的仮名づかいの本文をそのま表音的に読む。これだけでも西暦千年ごろの発音に少し近づきますけれども、加えて、「え」は「いぇ」、サ行はシャ行、ザ行はジャ行、ハ行はファ行、「ち」は「てぃ」、「つ」は「とぅ」、「ゐ」「ゑ」「を」は「うぃ」「うぇ」「うぉ」、「ぢ」は「でぃ」、「づ」は「どぅ」と発音し、文節中・文節末の濁音は入り渡り鼻音を先立て、しかるべき「む」は子音のみで発音するようにすれば、西暦千年ごろの京ことばの発音だといって通るのではないかと思います。
ただ、当時の京ことばではそうした発音にいかなるアクセントがつけられたのかは、例えば「なんでやねん」は東京風に「なんでやねん」と発音しても同じだといった立場をとるのでない限り、どうでもよいことではありません。
発音の仕方については申し終わったので、さきをお急ぎの方はここで次節をスキップして「古典的なアクセント」にお飛びいただけますけれども [目次に戻る]、次節では、以上申し述べたことに関する補説や、正式の発音に対するくだけた発音のこと、また申したとおり『土左』に関する珍説などを披露する心算ですので、可能ならばお目どおしを願いたく存じます。
b 解説(はじめに) [目次に戻る]
改めて申せば、西暦千年ごろには、ア行の「え」もヤ行の「え」も正式の発音としては「いぇ」と言われ、ワ行の「ゐ」「ゑ」「を」は正式の発音としては「うぃ」「うぇ」「うぉ」と言われ、ハ行音は、語のはじめでも途中でも最後でも、正式の発音としては言わばファ行音で言われたが、こうした発音とは別に、くだけた発音というものも行われたと考えます。『枕草子』の「ふと心おとりとか(幻滅トイッタコトヲ)するものは…」(188〔角川文庫本の段数。以下同じ〕ふと こころおとりとかあ しゅる ものふぁ。「ふと」の初拍のアクセントは無根拠な推定。「心おとり」のアクセントは根拠のある推定)の段に、「ひとつ車に」(ふぃととぅくるまに。同じ車で)を「ひてつ車に」と言った人がいた、「求む」(もとむう)などはみんなが「みとむ」と言うようだとあります。昔は正式でない言い方は記録に残りにくかったでしょうけれども、しかし、正式な言い方とは異なるさまざまな言い方はどの時代にもなされたと考えるのが自然ですし、げんに平安時代もそうだったらしいことは、たまたま残された例えばこの『枕』の一節のようなものからうかがわれます。
平安時代の京ことばにおける正式ではない発音について以下に申すのですけれども、それに先立って、ハ行転呼の時期、ア行の「え」のヤ行の「江」への合流の時期、ア行の「お」のワ行の「を」への合流の時期、この三つについての諸家の見方や一般的な見方を紹介し、愚見との差を確認したいと思います。
まず、平安時代におけるハ行転呼は、語中・語尾において「ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ」と発音されるところのものが「わ(=うぁ)・うぃ・う・うぇ・うぉ」と発音されるというタイプのそれでした。平安時代のある時期この意味でのハ行転呼が一般化したとするのが通説ですけれども、その時期については諸家により見方にかなりの相違があります。日本語史の概説書などではハ行転呼は西暦千年ごろ起こったとするものが少なくありませんけれども、『広辞苑』第六版はハ行転呼を「10世紀以降に顕著となる現象」とし(第七版では「11世紀頃から」となっています)、『大辞林』(2006。web)もその「顕著になるのは一〇世紀以降のこと」します。他方、『新論』において築島さんはハ行転呼に関し「平安後期にすでに完了したとは、確言し得ないと考へられる」となさいます。「凡例」によればここにいう「平安後期」は1001~1086年のことです。同書にはちょうど西暦千年ごろのありようについて、当時「少なくともこれらの語
[助詞「は」「へ」「を」]は、未だファ、フェ、ウォのやうに発音されてゐたのではないかと思はれる」(表記を一部変更しました)ともあります。秋永一枝さんもハ行転呼についてその「体系的な変化がほぼ完了したのは十二世紀までかかるようだ」となさり(大修館『日本語講座』第6巻「発音の移り変り」)、木田章義さんも「大体11世紀頃から始まり、鎌倉時代前に終わる」となさいます(「国語音韻史上の未解決の問題」〔web〕)。
十一世紀の八十年代から九十年代にかけて藤原為房(1049~1115)とその妻(源頼光〔948~1021〕――酒呑童子を退治したという武将――の孫)の書いた書状の現物が今に残っていて、金子彰さんがその表記を精査なさっていますけれども(「世代差と表記差――院政後期・鎌倉初期書写の仮名書状のハ行音を視点として――」〔web〕)、金子さんもまた、当時ハ行転呼は「それほど進行していなかったただろう」とお考えです。この論文からの孫引きですが、山内育男さんも、「十一世紀後半から十二世紀前半にかけての年代は、文節中にハ行語音を保有する世代とせぬ世代との交替期に相当したと見るのが事実に近いのではあるまいか」(「かなづかいの歴史」〔大修館『講座国語史2
音韻史・文字史』〕)となさいます。
さて小論の見るところでは、ハ行転呼音は、くだけた発音としては西暦千年ごろよりもはるか前、平安初期などにも広く聞かれたものなのであって、それが次第に正式な発音という地位を獲得していったのです。『広辞苑』第六版や『大辞林』が十世紀以前にもハ行転呼はないではなかったと見ているようであるのは、小論に引き付けて申せばこのことを言っています。そして小論の見るところ、西暦千年ごろにおいて、ハ行転呼音はまだ正式の発音という地位を獲得していません。
次に、ア行の「え」のヤ行の「え」への合流について。十世紀の前半、ア行は〈a・i・u・e・o〉、ヤ行は〈ya・i・yu・ye・yo〉(二番目だけア行と同じ)であって、現代人が例えば「あ」と「や」とを別の音ゆえ別のひらがなで書きあらわすように、ア行の「え」とヤ行の「江」(をくずしたものですが「江」で代用します)とは別の音ゆえ別のひらがなとして書き分けられていましたけれども、一般に言われるところによれば、十世紀なかばになって、ア行の「え」も「いぇ」と発音されるようになりました。論者のなかには、その際、語頭において一旦逆の合流があったと見る向きもありますけれど――古くは変体仮名において語頭には「志(し)」、非語頭には「之(し)」といった使い分けをすることがあったのですが、十世紀なかばにおける「衣(え)」と「江(え)」との使い分けをそれとは異なるものと見るならば、確かにそういうことになりそうです――、その場合でも十世紀末に語頭・非語頭の別を問わない合流がなされたと見られます。
小論はこれに大きく異を唱えるものではありません。十世紀なかば頃(ないし遅くとも末。以下このこと略)には、ア行の「え」は、正式の発音としてはヤ行の「江」と同じく「いぇ」(ye)と言われるようになったと思います。古くは「いぇ」という音を示そうとしてア行の「え」を書いたとしたら、それは例えば「や」と書くべきところを「あ」と書くのと同じく書き誤りということになったでしょうけれども、十世紀のなかばにはア行の「え」も正式の発音としては「いぇ」と言われるようになり、例えば「し」と「志」(をくずしたもの)とが同じ音をあらわし、「こ」と「古」(をくずしたもの)とが同じ音をあらわすように――今でも「志る古」など書きます――、「え」と「江」とは「いぇ」という同じ音をあらわす文字になりましたから、例えば「枝(えだ)」(いぇンだ。万葉集では初拍にヤ行の「江」が用いられます)の初拍は「江」と書いても「え」と書いても同じことであり問題はないということになったと考えられます。ただ小論の見るところでは、くだけた発音としてはヤ行の「江」も古くからeで言われることがあっただろうし、合流後も「え」「江」ともにくだけた発音としてはeで言われることがあっただろうと思います。
最後に、「お」の「を」への合流について。西暦千年ごろア行の「お」はワ行の「を」に合流したとされることが多いようです。しかし、合流があったのはその通りでしょうけれど、その時期は西暦千年ごろよりもかなり後(のち)のことだったと考えられますし(注)、またその合流も正式の発音においてのことだったと思われます。合流後は、例えばそれまでは「おい」(高いところなし)と言われてきた「老い」が、正式の発音としては「うぉい」(アクセントは同じ)と言われるようになったでしょうが、それまでもくだけた発音としては「を」が「お」と言われることはあったろうし、合流後も「を」が「お」と言われることはくだけた発音としてはあったろうというのが、小論の見立てです。「を」も「お」も近世にはつねにoと言われるようになって現在に至るということのようですけれども、これは絶滅したoの復活ではないと見るわけです。
注 詳細は後述としますけれども、一点だけ。しばしば、承保二年(1075)成立の『悉曇要集記』(しったんようじゅうき)の奥文というものに見えている音図が、当時この合流は既に起こっていると見るべき根拠とされますけれども、これはいささか早計ではないでしょうか。『資料日本語史』(おうふう)から、この音図の、建長元年(1249)ないし文暦二年(1235)に書写されたものを引きます。
アカサタハマヤラワ 一韻
イキシチニヒミリヰ 一韻
ウクスツヌフムユル 一韻
オコソトノホモヨロ 一韻
エケセテネヘメレヱ 一韻
「一韻」は「同一韻」という意味です。一行目に「ナ」のないのは単に抜けているのでしょうけれども、四行目の最後に「ヲ」のないのは、一般に当時「オ」と「ヲ」とは同音だったからだとされます。しかしこれは原本の写しがそうだという以上を出ません。原本は発見されていないようで、『資料日本語史』によれば、写本も、今申し及んだものや、「東寺三密蔵」(承安四年〔1174〕)のそれのような、時代くだってからのものしかないようです。原本にすでに「ヲ」がなかった可能性もありますけれど、原本には「ヲ」があってそれが書写時に「オ」と同音なればということで省かれた可能性も否定できません。原本に「ヲ」がなかったとしても、この音図における「ナ」同様たんに抜けたとも考え得ます。
c 解説(ワ行転呼、ヤ行転呼) [目次に戻る]
「唇音退化」および「子音の弱化(子音弱化)」のことから申します。えもいはで恋のみまさる我が身かないつとやいはに生(お)ふる松の枝(え) (いぇええもお いふぁンで こふぃのみ ましゃる わあンがあ みいかなあ いとぅとやあ いふぁに おふる まとぅの いぇえ。告白できずにただ逢いたいと思う気持ちのつのる我が身だよ。いついっか逢ってあげるという言葉を待つうちに、長い時間が経ってしまった。「いは」は「岩」と「言は」とを兼ねます。「いはにおふる」〔岩に生える〕は「松」〔待つ〕を起こす序)
「あめつちのことば」(あめえとぅてぃのことンば)と呼ばれる、いろは歌と同趣の、同じ音を含まない四十八文字の言葉の列があります。
あめ(天) つち(土) ほし(星) そら(空) やま(山) かは(川) みね(峰) たに(谷) くも(雲) きり(霧) むろ(室) こけ(苔) ひと(人) いぬ(犬) うへ(上) すゑ(末) ゆわ(硫黄) さる(猿) おふせよ(負ふせよ〔=おほせよ〕) えの江を(榎の枝を) なれゐて(馴れ居て)
あめえ とぅてぃ ふぉし しょら やま かふぁ みね たに くも きり むろ こけ ふぃと いぬ うふぇ しゅうぇ ゆわあ しゃるう おふしぇよ(おふぉしぇよ) ええのお いぇえうぉお なれえ うぃいて
「え」と「江」とが見られるので、これは十世紀なかばよりも前の成立と考えられますけれども、したンがふはこの「あめつちのことば」の各文字をはじめと終わりとに持つ四十八の歌――例えば一首目は「あ」にはじまり「あ」に終わる――を詠んでいて、上はその四十一番目の歌です。たしかに「え」ではじまり「え」で終わっていますけれども、はじめの文字はア行下二段動詞「う(得)」(ううう)の連用形「え(得)」(いぇええ)に由来する副詞ですからア行の「え」、終わりの文字は「枝」(いぇンだ)という意味の「枝(え)」ですから古くはヤ行の「江」であって、「え」が「江」に合流しない前にはこの歌は、はじめと終わりとが異なる歌でしたけれども、ここでは同じものとされています。腕の見せ所なのですから、学者でもあった順がくだけた発音でならば二つが同音になる歌を詠んだとは考えにくいと思います。合流は983年にはすでに終わっていたでしょうが、この「あめつちの歌四十八首」は、特に晩年の作と見るには及ばないでしょう。やはり十世紀なかばにはア行の「え」は正式の発音としてはヤ行の「江」に合流していて、西暦千年に近い頃には、「え」と「江」とは、例えば「志」と「之」とが同じものであるように同じものだったと考えられます。
話柄をもどして、大坪併治さんの『改訂 訓点語の研究』などによれば、石山寺本『大般涅槃経』治安四年(1024)点というものに、「渇」を「水ニウエタル」と訓むところがあるそうです。ここでは「水に飢ゑたる」(みンどぅに ううぇたる)における「ゑ」の頭子音が落ちています。
前(さき)に紹介した為房の奥さんのものした仮名書状群の総索引が金子彰さん達によってweb上に公開されていますけれども(「藤原為房妻仮名書状 語彙総索引稿」)、そこには、「まゐる」(まうぃる)の第二拍を「い」とする「まいりはべらねば」(まいり ふぁンべらねンば)、「まいりはべりにければこそ」(まいり ふぁンべりにけれンばこしょ)といった言い方、ワ行転呼した言い方が三十ほどもあります。いわゆる歴史的仮名づかいどおりの言い方は見られません。
「総索引稿」によれば、為房の奥さんは二ところで「折櫃」を「をりひつ」(うぉりンびとぅ〔推定〕。高いところなし)と書いていますが、いま一ところでは「おりひつ」と書き、こちらは見せけちにしているようです。なまけて原文に就くことをしていないので詳細を知りませんけれども、一度うっかり発音どおりに書いてしまったのだと思います。とすればこれは、次に引く三例と同趣ということになります。
すなわち『沿革史料』によれば、『法華経義疏』長保四年(1002)点に、「御」「治」に対する「オサム」、「収」に対する「オサメ」という訓みが見えているそうです。今の「おさめる」に当たるのはワ行下二段動詞「をさむ」(うぉしゃむう)ですから、これらはワ行転呼した言い方であり、くだけた発音を表音的に記したものなのだと思います。築島さんの『新論』によれば『義疏』長保点はいま一か所で「欣」を「オシム」と訓んでいるそうですけれども――「惜(を)しむ」ではなく「愛(を)しむ」を思い出せばこの漢字の使われようは了解されます――、これも子音の弱化した言い方でしょう。
d 解説(お、を、いろは歌) [目次に戻る]
今しがた引いた『義疏』長保点の、「御」「治」に対する「オサム」、「収」に対する「オサメ」といった訓みは、一般には、西暦千年ごろ、ア行の「お」のワ行の「を」への合流が本格的になった証(あかし)とされます。いろはにほへと (いろふぁ にふぉふぇンど)
ちりぬるを (てぃりぬるうぉ)
わかよたれそ (わあンがあ よお たれンじょ)
つねならむ (とぅねえならム。ちなみに「たれぞ常ならむ」は「常ならむ、たれぞ」〔常住なのは誰だ〕の倒置であり、「誰が常住であろうか」を意味する修辞疑問と見るのは語法上無理です〔それにあたるのは「誰かは常ならむ」「誰か常ならむ」といった言い方です〕)
うゐのおくやま (うううぃいの おくやま)
けふこえて (けふ こいぇて)
あさきゆめみし (あしゃきい ゆめ みいしい。「見じ」ならば「みいンじい」。「夢見(をす)」という言い方はありえたかもしれませんけれども、「浅き夢見」「夢見、浅し」といった言い方はしなかったと思います)
ゑひもせす (うぇふぃも しぇえンじゅう)
「わが世たれぞ/つねならむ」のところは元来、ア行下二段動詞「得(う)」(ううう)起源の副詞「え」(えええ。のち、いぇええ)を持った「わが世たれぞえ/つねならむ」だったろうと亀井孝さんなどはお考えだったようで――この「え」は古くは必ずしも否定表現と呼応させる必要がありませんでした――、その場合いろは歌はア行の「え」とヤ行の「江」(「越ゆ」〔こゆ〕の連用形「越江」〔こいぇ〕の「江」)との区別されていた十世紀なかば以前に成立したことになりますけれど、十一世紀後半において知られていたいろは歌は、すでに「え」と「江」とは区別せず、「お」と「を」とは区別するものでした。すなわち、いろは歌の文献にあらわれるはじめは「承暦三年(1079)己未四月十六日抄了」――「抄了」は「書写を終えた」という意味でしょう――の奥書を持つ『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)』だそうですが、それは私たちの知っているいろは歌そのものです。つまり、このいろは歌は、十世紀なかば、「え」が正式の発音として「江」に合流した後(のち)のものです。もしいろは歌がそれ以前からあったとすればその合流に伴って例えば「わがよたれぞえ」の「え」が落ちたのであり、もともとその合流後に考案されたのだとすれば、いろは歌にははじめから「え」はなかったのです。
仮にいろは歌の成立が例えば十世紀なかば以前だったとしても、すでに指摘のあるとおり、いろは歌が広く知られるようになるのはこの世紀の70年代よりあとでしょう。『口遊(くちずさみ)』(くてぃンじゅしゃみ)がいろは歌に、言い及ぶべくして言い及ばないからです。天禄元年末と言いますから、970年を越えて971年はじめ、源為憲(みなもとのためのり。1011年没)という人が、さる貴族の子弟に一般教養を身に着けさすべく、『口遊』という書物を編みました。この書物には「あめつちのことば」「たゐにの歌」(やはり音韻を重複させないで作られた47文字の歌。現在知られているものを下に掲げておきます)への言及がありますけれども(前者がもてはやされるが後者がまさっているというのです)、いろは歌のことは見えません。まだ成立していなかったか、すでに成立していたがネットの片隅に埋れていたのか、それは分かりませんけれども、とにかく広まってはいなかったのでしょう。広まったのは早くても970年代以降であり、当時すでに「え」は「江」に合流していたでしょうから、その広まったいろは歌は、私たちの知っているいろは歌だったと考えられます。
たゐにいて (たうぃに いンでえ)
なつむわれをそ (なあ とぅむ われうぉンじょ)
きみめすと (きみ めしゅうと)
あさりおひゆく (あしゃりい おふぃ ゆく)
やましろの (やましろの)
うちゑへるこら (うてぃい うぇふぇる こおらあ)
もはほせよ (もおふぁあ ふぉしぇよ)
えふねかけぬ (いぇええ ふね かけぬ)
(田居に出で菜摘む我をぞ、「君、召す」と漁り追ひ行く。山城のうち酔へる子等、藻葉干せよ え舟繋けぬ。意味の解釈については、小倉肇さんの「〈大為仁歌〉再考 ――〈阿女都千〉から〈大為仁〉へ――」〔web〕がよい参考になります)。
さて沖森さんの『全史』には、いろは歌は「十一世紀前半ごろに作成されたものかと考えられている」とあります。もしその通りだとすると、西暦千年ごろには「お」と「を」とは音として区別されていたのであり、「お」はo、「を」はwoと発音されていたのです。
では、私たちの知っているいろは歌が西暦千年ごろすでにあったとしましょう。それはただちに当時「お」と「を」とが区別されていたことを示すでしょうか? そうではありません。仮に四十七文字のいろは歌が権威化していたら、「お」と「を」とは同じ音だが、だからといって例えば「うゐのおくやまけふこえて」ではなく「ゐのやまうくけふこえて」(井の山、憂く、けふ越えて。うぃいのお
やま ううく けふ こいぇて)などするのは不遜の極みだということになったでしょう。ちなみに、「うゐのおくやまけふこえて」になじんだ耳には「ゐのやまうくけふこえて」はさだめし奇天烈なものに響くでしょうけれど、文字が一つ減って六五調ですからリズムの悪いのは致し方ありません。しかしそれを言うならば「わがよたれぞ/つねならむ」も同趣ですし、平安時代の京ことばでは一拍語は引かれ、また「憂く」も実質三拍で言われましたから(後述)、「ゐのやまうく」も「わがよたれぞ」も、現代語の感覚で考えるよりは七拍の言い方に近いと申せます。「泉の湧く山を悲しいことにも今日越えて」という言い方は、「〝さまざまの因縁によって生じた現象、また、その存在〟(広辞苑)の奥山を今日越えて」よりは分かりやすい言い方でしょう。
実際、知られているとおり、十二世紀にはいろは歌は権威化し、ために「お」は「を」に合流していたにもかかわらず、いろは歌は同音の「お」「を」を含む形で生きながらえたのでした。しかし西暦千年ごろ、いろは歌が権威化していたふしはありません。権威化していないいろは歌の身上は、申したとおり同じ音を含まないことです。こうして、西暦千年ごろいろは歌がすでにあったとしても、まだなかったとしても、当時「お」と「を」とは音として区別されていたと考えられます。
e 解説(ハ行転呼) [目次に戻る]
ハ行転呼した言い方も、すでに当然ながら、くだけた言い方としてはずいぶん古くからあったと考えられます。これは形容詞「うるはし」(うるふぁしい)のことを申すのではありません。周知のとおり「うるはし」は、上代には「うるはし」と書かれたものの、やはり築島さんの『新論』によれば、平安初期の資料ではほとんどが「うるわし」とするようです。『土左』の二月四日の記事にも「うるわしき貝」(うるわしきい かふぃ)とあります。
f 解説(サンスクリット) [目次に戻る]
西暦千年ごろハ行転呼が起こったとする根拠として、いま二つほどの事実があると指摘する向きもありますけれど、誤解に基づくと思われます。呬キコカケク 四シソセサス 知チトタテツ 已イヨヤエユ
味ミモマメム 比ヒホハヘフヰヲワヱウ 利リロラレル
肥爪周二「悉曇学とワ行」(『国語と国文学』70-2、'93)は、現存最古の音図でありハ行転呼音の古徴とされてきた醍醐寺蔵『孔雀経音義』付戴の音図について「比ヒホハヘフヰヲワヱウ」というハ行とワ行の併記が日本悉曇学における梵字vaの転字の発音に際して、ワ行に読める音写漢字を梵文に従ってバ行に読んだという字音上の交渉に原因を求めようとする。
私には難解な文章ですが、それはともかく、釘貫さんによれば肥爪さんはこれを「一つの解釈可能性の選択肢」として提示なさっているそうです。そして肥爪さんは、より確実に言えることとして、『孔雀経音義』の音図が漢字音の反切(一つの漢字の子音と母音とをそれぞれ基本的な漢字二つを利用して示すこと)に利用されたとすれば本経の音読には「ハ行転呼音の表示は不要であるという点は動かない」とお書きだそうで、釘貫さんの言葉を引けば、肥爪論文は「本経音義の音図の記述がハ行転呼音という日本語の現象を反映するものとして扱うことは望ましくないと結論」しています。
もともと「呬キコカケク」に始まるこの書きつけは、五十音図(の一部)としては奇妙なところがあります。なぜ「比」のところだけ二行なのか、という言い方もできますが、なぜワ行が独立していないのか、という言い方もできます。「言葉遊びと誦文の系譜 3」(web)において勝山幸人さんのおっしゃるとおり、ワ行の文字はハ行音の転呼したものとしてしか使われないわけではないのにもかかわらず、例えば「比ヒホハヘフ 為ヰヲワヱウ」とせず、ワ行音が「比」のところに繰り込まれているのは、五十音図としていかにも奇妙なことです。
これについては、「ハ行」(ふぁ・ふぃ・ふ・ふぇ・ふぉ)と「ワ行」(わ〔=うぁ〕・うぃ・う・うぇ・うぉ)とを無声音・有声音の対比、清音・濁音の対比と見る見方がありますけれども、私にはよく分かりません。
五十音図として奇妙だ、というよりも、五十音図(の一部)と見るから奇妙なので、問題の書きつけは五十音図(の一部)ではないというべきでしょう。現代人にとっての五十音図、現代語としての五十音図は、日本語の音韻を整理して並べたものであり、日本語を学ぶ人がまず取り組むべきところのものと言ってよいでしょうが、元来五十音図はサンスクリットと関係の深いことが知られているわけでて、「比ヒホハヘフヰヲワヱウ」を含む問題の書きつけは、日本語のありようを示したものというよりも、サンスクリットのありよう、ただし、中国の、ひいては日本のお坊さんたちが受け止めた限りでのサンスクリットのありようを示したものだと見られます。その意味でこれは、日本語のありようを表にまとめたものという意味での五十音図ではありません。
肥爪さんの論文は拝見するに至っていないので、以下は素人考えです。「呬キコカケク 四シソセサス 知チトタテツ 已イヨヤエユ 味ミモマメム 比ヒホハヘフヰヲワヱウ 利リロラレル」の各部をサンスクリットの子音(頭子音)に対応させる場合、「比」の頭子音は p、ph、b、bh、v に対応します。円仁(794~864)――最澄のお弟子さんの一人――の『在唐記』から、pa
や pha には「波」のような漢字を、ba やbha や va には「婆」のような漢字を当てたことが分かります。では問題の書きつけでpi、phi、bi、bhi、vi
に対応するのはどれか。候補は「比」しかありません。ではこの「比」にはどんな仮名が対応するでしょう。「ひ」が対応することは明らかですけれども、沼本克明さんの「日本漢音」や「漢語字音資料としての日本訓点資料」(いずれもweb)によれば、慶祚(955-1019)というお坊さんが、醍醐寺本「法華経陀羅尼」というもののはじめの方にある「賖履多瑋」(śa-mi-ta-vi)に「賖(シヤ)履(ヒ)多瑋(ヰ)」という読み仮名を付しているそうです。そういえば、般若心経の最後の「ぼーじーそわか」は「菩提娑婆訶」をこう読むのでしたが、この「菩提娑婆訶」は
bodhi svāhā の音訳だそうですから、「賖履多瑋」の「瑋」や「菩提娑婆訶」の「婆」では、サンスクリットのヴァ行音にワ行音が当てられているのです。明治時代、ヴァ行音をワ行の文字に濁点を付けて示したことが想起されますけれども(「秋の日の/ヸオロンの/…」)、それはともかく、こうして、サンスクリットの、日本語風に言えばパ行音、バ行音、ヴァ行音に対応するのは、漢字では「比」のようなものであり、日本語ではハ行音およびワ行音です。『孔雀経音義』末尾の書きつけに見られる「比ヒホハヘフヰヲワヱウ」は、このことを示したものだと思います。つまりそれはハ行転呼を示したものとは思われません。
ついでながら、仮にこれが痛ましい誤解だったとしても、問題の書きつけは、次のような訳合によって、ハ行転呼が十一世紀はじめに本格化したことを意味するものではありません。
この書きつけを発見したのもまた大矢透で、その経緯はデジタルコレクションの『音図及手習詞歌考』(1918)に記されています。そこに、この音図の「書写年代、詳らかならざれども、書体および仮名の字体により、又はハ行の音と、ワ行の音と、相通ずるさまに記せるなどより推せば、蓋し寛弘より万寿までのものにして、仮名の五十音図中、最古のものと断ぜざるべからず[判断シナクテハナラナイ・判断スルコトガデキル]」(附録p.6。表記を一部変更しました)とあります。「ハ行の音と、ワ行の音と、相通ずるさまに記せる」とはハ行転呼のことで、大矢は、この音図の書かれた時ハ行転呼は既に起こっている、さすればそれは「蓋し」寛弘(1004~1013)~万寿(1024~1028)年間の成立なるべし、と推定しているのです。ハ行転呼の時期だけが推定の根拠になっているのではないとは申せ、大矢の判断にはハ行転呼は十一世紀初頭にはじまるという見方が大きく与(あずか)っていると見られる以上――書体や仮名の字体(確かに時代・時期により時に少なからぬ変化があります)からはそこまでは絞れないようです――、「この音図にはハ行転呼の既に起こっていることが読み取れる、しかるにこの音図は寛弘~万寿年間に成立した、ゆえにハ行転呼は十一世紀初頭にはじまっているらしい」という推論は当を得ません。
g 解説(過剰修正) [目次に戻る]
『聖語蔵(しょうごぞう)菩薩善戒経』古点(九世紀。前半か後半かに関しては諸説あり。『菩薩戒経』とは異なるようです)というものに「駈」(=駆)を「ヲヒ」と訓む例のあることが知られています(『新論』など)。「駆り立てる」ことと「追う」こととの近さを考えれば明らかなとおり、これはア行四段の「追ふ」(おふ)の連用形「追ひ」(おふぃ)に「をひ」という読み仮名をつけたのと同じことです。a [と]きはなるやまにはあきもこ江す[そありける](うつろふをいとふと思ひて常盤なる山には秋も越えずぞありける。うとぅろふうぉ
いとふうと おもふぃて
ときふぁなる
やまにふぁ
あきいもお こいぇンじゅンじょお ありける)
b むすへともなほ[あわにとくらむ](春くれば滝の白糸いかなればむすべどもなほ泡に解くらむ。ふぁるう くれンば たきの
しらいと いかなれンば むしゅンべンどもお なふぉお あわに とくらム
。「しらいと」の四拍目は推定)
c ひとのいへに(「むめの花咲くとも知らず…」の詞書か。ふぃとの いふぇに)
の影印を並べ(『古典の批判的…』第三部p.160)、bおよびcの「へ」を「『へ』の『江』にまぎれやすい例」とし、それらがaの「江」と似ていることを観察するよう求めるのですけれども、bの「へ」とcの「へ」とは酷似するものの、この二つとaの「江」とは、まぎれやすくは見えません。
以上、西暦千年ごろの京ことばの発音について書きつらねました。そこでは正式の発音と、子音の弱化したくだけた発音とが区別されると考えられました。この区別と、過剰修正による書き間違いとを考えに入れることで、この時期の京ことばの発音のありようは見通しよく了解されるのではないかと思います。いよいよアクセントのことを考える段ですけれども、その前に、平安時代の京ことばの発音についてあれこれと考えてみたその副産物として『土左』に関する珍説を得たので、次に書きつけておきます。
[「発音について」冒頭に戻る]
付論 蓮華王院宝蔵本における表記の改悪について
――貫之自筆の『土左日記』を想像する――
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a それらは貫之自筆本でないと見られる [目次に戻る]
『貫之集』(紀貫之の私家集)の自筆本の一部とされ「自家集切(じかしゅうぎれ)」と呼びならわされてきたところのものが東京国立博物館に収蔵されているそうですけれども、同博物館はこれを「貫之集断簡(自家集切)」(伝紀貫之筆 平安時代・10世紀)とし、「古くより、貫之自筆と伝えられたため『自家集切』の名で呼ばれるが、その確証はない」と解説しています(2022/4/6現在、JAPAN SEARCH経由で行きつけますけれども、ただそこからColBaseに入ると、九州国立博物館所蔵の、寄贈者の異なる「貫之集断簡 自家集切」にのみ行きつきます。解説によればこちらも「紀貫之が自らの歌集を自筆で書写したと伝えられることから、『自家集切』と呼ばれる」ところの「伝貫之筆」のものです)。一つの手蹟を千百年以上前に生まれた人の手になるものと断定するためには、自筆であることの確実なものが別に存在しているか、確実に信頼できる証言ないし証言の連鎖が存在しているかしなくてはなりませんが、「自家集切」に関してはいずれの条件も満たされないようですから、博物館の見解はもっともだと思います。貫之自筆の可能性などまったくないとは申せないものの、かなり低そうです。よるいそきおりさせたまへりし事をそててもほいはへりてとかへす/\思てはへめる
(夜、急ぎ下りさせたまへりしことをぞ、父も「本意はべりて」とかへすかへす思ひて〔ないし、おもうて、ないし、おもて〕はべめる。よる、いしょンぎい おりしゃしぇえ たまふぇりし ことうぉンじょ、てても「ふぉんいい ふぁンべりて」と かふぇしゅう かふぇしゅう おもふぃて(おもうて、おもて) ふぁンべんめる。「ほい」は「ほんい」の撥音無表記形。「連声(れんじょう)」〔リエゾン!〕を起こしているとすれば「ふぉんにい」ですけれども、この現象がさかんになるのはもう少しあとかもしれません。また築島さんの『新論』には、連声に関して、「この種の字音表記は訓点資料には見えず、和名抄にも多く「俗云」と冠してゐることから見ると、俗間に流布してゐた通用音の類であつたかもしれない」とあります〔p.419〕。アクセントは、呉音と見るとLL〔一漢字一記号による表記〕と推定されます)
女性の手になるものとして、「本意」のような漢語は仮名書きにすることも多い一方、「事」「思ふ」などは漢字で書かれています。やはり自然なのはこういう表情の文章でしょう。金子さんたちの手になる前掲の「総索引稿」によれば、彼女は「人」も「心」もたいてい漢字で書きます。いずれも少しひらがな書きがまざりますけれども、こういう不統一な行き方こそむしろ自然だと思います。
日記の書き手が画数の多い漢字をたくさん知っているにもかかわらず、「人」は(ほとんど)ひらがなで書き、「心」「思」は例外なくひらがなで書くのはきわめて不自然ですが、ではどうだったならば不自然ではないでしょう。
原文は、為房の奥さんがそうしたように、やまとことばにも適宜漢字を使うものだったのでしょうか。しかしそうだったとすると、誰かが、転写の過程で、「日記」「願」「講師」「白散」「相應寺」などは漢字のままにして、残りの漢字はひらがなにしたことになります。これは考えにくい。適宜漢字のあるほうが読みやすいのは確かなのですから、誰かがわざわざそれを(ほとんどすべて)ひらがなに開いたと考えるのは不自然です。
『土左日記』の本文は、もともとはすべて、ないしほとんどすべて、ひらがなで書かれていたのではないでしょうか。「廿二日」のような日付の表示――『仮名文の原理』で小松英雄さんのおっしゃるとおり見出しの機能も持つ部分です――は漢字だったかもしれませんけれど、本文は元来、すべて、あるいはほとんどすべて、ひらがなで書かれていたのではないでしょうか。この日記は漢字をほとんど書けない人の手になるものとして書かれたと見るべきだと思います。
「をとこもすなるにきといふものをヽむなもしてみむとてするなり」「こヽにさうおうしのほとりにしはしふねをとヽめて」といったひらがなの列に誰かが手を加えるとすれば、はじめに目の行くのは漢語でしょう。例えば、テクストの流布する過程で、まず「にき」「さうおうし」といったひらがな書きの漢語の右側に「日記」「相應寺」と記すものがあらわれても不思議ではありませんし、それがのちに本文に取り入れられても不思議ではありません。あるいは、はじめから、本文にあらわれる「にき」や「さうおうし」といったひらがな書きの漢語を漢字に直したテクストが作られたのかもしれません。いずれかの経緯によって成立したのが蓮華王院宝蔵本なのだと思います。
その際、どの漢語を漢字にし、どの漢語をひらがなのままにするかに関して、特に原則はなかったのではないでしょうか。申したとおり「白散」「願」のような拗音を含むものは漢字にするという原則はあったと見られますけれど、それ以外については漢字化は網羅的ではなく、例えば「にき」「かうし」「さうおうし」は漢字にする一方、「けゆ」(解由(げゆ)。発端)、「とうそ」(屠蘇。12/29)、「かいそく」(海賊。1/21)などはひらがなのままになっています。このことについて深い理由はないと思います。例えば冒頭すぐの「にき」は「日記」としないと読者に読解上、負担を強いる、と見る向きもありますが、諸家の見るとおりもともとこの作品に『土左日記』という外題があったとすれば、「にき」で十分です。他方、やはり冒頭近くの「あかたのよとせいつとせはててれいのことともしをへてけゆなととりて」の「けゆ」は、「あかたのよとせいつとせはてて」(県の四年五年果てて)という文脈があるから平仮名でも容易に「解由(げゆ)」と理解されるだろうとする向きもありますけれど、文脈があっても、「れいのことともしをへてけゆなととりて」の「けゆ」は、分かりやすいものではないでしょう。ちなみに、漢字にすると漢字を読めない人に分かってもらえないということはありますけれど、そうした人のためには、「日記」「願」「講師」「白散」「相應寺」も漢字でない方がよいわけです。
蓮華王院宝蔵本では、もともとの『土左』の含むひらがな書きの漢語の一部が漢字に改められているのだと思われます。自筆本との差はそれだけでないと思いますけれど、少なくとも一部の漢語が漢字に改められていると思われます。ちなみに、書写者がもう一段(ひときざみ)踏み込めば、今度はやまとことばに適宜漢字を当てるでしょう。定家本や、少しさきで紹介する三条西実隆本はそうした版です。この方向を推し進めたのが現行の大方の『土左』のテクストです。古写本に多少とも目が慣れてからそれらを見ると、句読点だらけ、漢字だらけで、とてもではありませんが、古写本と同じ作品を目にしているという気になりませんけれども、それはともかく、もし貫之が、漢字はほとんどまったく書けない人の手になるものとしてこの日記を構想したのだとすれば、それをたっぷりと漢字を使った文章に書き換えてしまうのは、無茶苦茶なことをすることです。「ぼくはかんじがかけません」という文を「僕は漢字が書けません」と書き直してしまうのに近いことをすることです。
b 二番目の男 [目次に戻る]
多くの字数を費やしてわずかのことを申す節です。
c それならば初拍は [目次に戻る]
貫之自筆の『土左』は、「日記」「願」「講師」「白散」「相應寺」のような漢語はさらなり、大和ことばもほとんどすべてひらがなで書かれた、そして「とうか」「むくゐ」のような、さらには「みへさなるを」や同趣の十三例のような、くだけた発音を表音的に書き記した言い方や、くだけた発音をすることに由来する書きあやまりをもっと多く含むものだったと想像します。そこにあらわれる漢語の一部を漢字に直し、また仮名づかいの一部を正式の発音を表音的に表記した書き方、現代人からすれば歴史的仮名づかいと一致する書き方に直した版が、蓮華王院宝蔵本なのだと思います。「みへさなるを」式の言い方などなどは、例えば「けゆ」が「解由」に直されずに残ったのと同じで、この手直しが網羅的ではなかったことを示すのだと思います。
3 古典的なアクセント [目次に戻る]
平安時代の京ことばのアクセントなどせいぜい概略しか分かるまい、と私なども以前は思っていたのですけれども、これは大きな考え違いでした。事実は、『日本書紀』の写本、中でも「古写本」と呼ばれるものに属する三つの写本や、すでに申し及んだ図書寮本『類聚名義抄』と呼ばれる字書(じしょ)(一種の漢字辞典)、「古今集声点本(しょうてんぼん)」と総称される一群の書物などをはじめとしたさまざまな原資料があり、研究も積み重ねられていますから、それらを踏まえることで、往時の中央語のアクセントのありようはかなり詳しく知ることができると申せます。特に、秋永一枝さんの大著にして名著である『古今和歌集声点本の研究』――以下『研究』と略します――は決定的に重要でして、平安時代の京ことばのアクセントについて考えようとするならば、何よりも『研究』に就かなくてはなりません。以下、この小論で申すことの半分くらいは、『研究』の内容をこちらの責任において我流に砕(くだ)いたものだと申せるかもしれません。
その我流に砕いたものの一端ということになりますけれども、まず、平安時代の京ことばにおける、「古典的」と呼べるタイプのアクセントとそうでないタイプのアクセントとの区別、ということを申します。例として、古今集に収められた、「何をして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむことぞやさしき」(歌番号1063)をとりましょう。何をしているうちにこう無駄に年をとってしまったのだろう。年がどう思うだろうかと考えると、恥ずかしい。身につまされる歌です。
古今集の成立した十世紀はじめ、この歌は、
なにうぉ しいて みいのお いたンどぅらに おいぬらム としの おもふぁム ことンじょお やしゃしきい
とも、
なにうぉ しいて みいのお いたンどぅらに おいぬらム としの おもふぁム ことンじょお やしゃしきい
とも発音されたと考えられます。具体的に何をどう考えればこのようだったと言えるのかは、以下の論述の中に分散的に述べられるでしょう。二つは以下のところで異なります。
しいて、しいて
おいぬらム、おいぬらム
詳細は後述としますけれども、「しいて」「おいぬらム」では助詞「て」、助動詞「らむ」は先行するサ変動詞「す」の連用形や動詞が助動詞を従えた「老いぬ」からアクセント上独立しているのに対し、「しいて」「おいぬらム」では、助詞「て」、助動詞「らむ」はそれらにアクセント上従属しています。「しいて」と「しいて」との差、「おいぬらム」と「おいぬらム」との差は、付属語(助詞・助動詞)が先行部分(動詞や名詞のような自立語や、自立語がほかの付属語を従えたもの)に従属するか否かの差です。
一般には、古くは付属語はそれが先立てる自立語からアクセント上独立していたが後(のち)に従属した、例えば古今集の成立した十世紀などにはもっぱら「しいて」「おいぬらム」のような言い方がなされたが後に「しいて」「おいぬらム」のような言い方がなされるようになった、と理解されているようですけれども、しかし、付属語が先行部分にアクセント上従属する言い方は古くからあったこと、そしてその反対に付属語が先行部分からアクセント上独立した言い方ははるか後(のち)にもあったこと、この二つを立証するのはむつかしくありません。古くは「しいて」「おいぬらム」のような言い方が多かったが、次第に「しいて」「おいぬらム」のような言い方が好まれるようになった、「しいて」「おいぬらム」のような言い方はおそらくは古風なものになっていった、ということはいえます。しかし古くから両様の言い方ができ、後にも、鎌倉時代にさえ、両様の言い方ができました。
「しいて」「おいぬらム」のような言い方は、「しいて」「おいぬらム」のような言い方から変化したものとして理解できるので、その限りにおいて「しいて」「おいぬらム」のような言い方を原型的なものとすることができますけれども、以下では、この「しいて」「おいぬらム」のような言い方を「古典的なアクセント」と呼ぶことにします。ここにいう「古典的なアクセント」は、平安時代の初期における一つのタイプのアクセントであり、同時代やそれ以降における別のタイプのアクセントがそれからの変形として理解できるところのものです。「原型的なアクセント」という言い方はしませんが、これは、のちに申すとおり、さらに一段(ひときざみ)古いタイプのアクセントなども想定できるからです。無アクセントも一つのアクセントなのであってみれば、アクセントの発生は言語の発生と同時でしょう。
平安時代の初期にも「しいて」「おいぬらム」のような古典的でない言い方で言われることがあり、平安時代の後期やさらには鎌倉時代にも「しいて」「おいぬらム」のような古典的な言い方で言われることがあった。変化はあったけれども、それは時代のくだるとともに古典的でない言い方が好まれるようになったという変化以上のものでない。こう考えられるのですが、では平安中期はどうだったか。平安中期のちょうどなかごろである西暦千年ごろはどうだったか。古典的な言い方と、そうでない言い方と、どちらが好まれたのか。まことに遺憾ながら、じつはよく分かりません。しかし、どちらも聞かれたと見られる以上、まずなじむべきは古典的なアクセントであること、これははっきりしています。これまでもこれからも、参考として記すアクセントは、特におことわりをしない場合、古典的なそれです。
京ことばのアクセントの体系は、少し触れましたが南北朝時代、低起式と呼ばれる言葉の過半に劇的な変化の起こるまでの数百年間、大きくは変わらなかったと考えられています。千年以上「飴」は「あめ」、「歌」は「うた」、「海豚」は「いるか」、「辛子(からし)」は「からし」と言われるのだったことを思えば、数百年間大きくは変わらなかったという事態は奇異なことではありませんけれども、その南北朝時代までの数百年間にも小さな変化はあって、その中で最大の変化は、古典的なアクセントが次第に好まれなくなったことだと思います。ただこの間(かん)には、もう少しささやかな、しかし重要な変化も起こったようです。下降拍の短縮化です。こちらから見ることにします。
[「古典的な…」冒頭に戻る]
4 理論的考察(I) [目次に戻る]
a 下降拍の長短 [目次に戻る]
平安時代の京ことばのアクセントに関する基礎知識をさらうことから始めます。現代の東京語では例えば「春(はる)」は「はる」と発音されます。この「は」のアクセントは高平調、「る」のアクセントは低平調と呼ばれます。一般に東京語は、この「はる」がそうであるように、高さを保つ拍(高平拍、高く平らな拍)と低さを保つ拍(低平拍、低く平らな拍)とからなりますけれども、現代の京ことばは、この二つのほかに、拍内下降する拍、「下降拍」とも「くだり拍」とも呼ばれるものを持っています。例えば現代京都では、すでに多くの話し手が「春」を「はる」と発音なさるでしょうが、年配のかたなどは、「春。」と言い切る時などには、「はるぅ」とおっしゃると思います。例えば「春は」のように助詞をつける時はその限りでなく、「春は」ならば「はるは」とおっしゃるかもしれませんけれども、これも伝統的な現代京ことばでは「はるぅは」と言われたようです。
この「はるぅ」の第二拍は純粋の一拍より少し長いでしょうが、二拍には、ということは全体で実質三拍の「は・る・う」という言い方にはならないようです。「るぅ」と表記したのは、二拍の「るう」(字面を考えて「るー」としませんけれども同じことです)とは異なること、それよりも短く言われることを示すためで、紹介済みの楳垣實さんの『京言葉』(昭和21年)がすでにこの表記法を採っていました。現代京都における下降拍は、実質二拍のものではなく、一拍よりやや長くてよいが二拍ほど長くはない長さの言い方です。
現代の京ことばはまた、拍内上昇する拍、上昇拍、のぼり拍など呼ばれるものを持っています。例えば「目」は、「目。」のように言い切る時には「めえ」と発音されます。ちなみに言い切らない時は、「目に」(めえに)、「目、痛い」(めえ、いたい)のように低く平らに言われます。
さて平安時代の京ことばも高平拍、低平拍、下降拍、上昇拍を持っていて、これは現代京都と同じですけれども、ただし下降拍や上昇拍のありようには、今昔で差があるようです。例えば現代京都では上昇拍は「目」のような一拍語にしかあらわれませんが、平安時代には二拍語などにも現れました。例えば「百合(ゆり)」は「ゆうり」と言われました。
下降拍のありようにも、今昔で差があります。すなわち、そう考える根拠は追い追い申しますけれども、平安時代には、二拍以上の言葉に含まれる下降拍において、長いそれと短いそれとがあったと考えられます。現代京都では例えば「歯」は、英語のher(ただしrの響かないいわゆる英国式のそれ〔注〕)に似て「はあ」と言われます。大阪でも奈良でもそうで、例えばかの明石家さんまさんが「はあ」と発音なさるのを、多くの人が耳にとどめていらっしゃるでしょう。一拍語は昔も一般に引かれたので、下降調をとる一拍語も当然に引かれて言われたでしょうけれども、二拍以上の言葉に含まれる下降調は、現代京都では二拍分の長さは持ちません。しかし平安中期には例えば「春(はる)」(ふぁるう)における下降拍は二拍分の長さで言われ得たと考えられます。また例えば「見る」の終止形「見る」は、全体で実質三拍の「みるう」のようにも、全体で実質二拍ほどの「みるぅ」のようにも言われたと考えられます。
注 しばしばアメリカ英語はrが響き(rhotic)、イギリス英語は響かない(non-rhotic)とされますがこれは不正確で、例えばシェークスピアの時代の英語(初期近代英語)はrhoticだったそうです。
平安時代の都びとは、文字のまわりに「声点」(しょうてん)と呼ばれる小さな点を差す(=記す・注記する)ことでアクセントを示すという方法(「差声方式」)を持っていました。ちなみに、アクセントのことを往時は「声」を音読みして「しょう」〔高いところなしの「しやう」。呉音〕と言ったそうです。声点は中国において漢字音のアクセントを記すために考案されたもののようで、日本でもそれを用いて漢字や和語のアクセントを記述することがなされましたが、その記述のしかたに二つの流儀がありました。ある拍が下降調であることを示すのに「平声(ひょうしょう)の軽点(かるてん)」ないし「東点(とうてん)」と呼ばれるものを用いる流儀(一般には「六声体系」など言われます)と、用いない流儀(一般には「四声体系」など言われます)と、この二つです。この文章では「六声体系」「四声体系」という言い方を踏襲しませんけれども、これはそうした言い方はあまり適切でないと思われるからです。
二つ目の流儀のことから申します。この流儀は基本的に二元的です。それは基本的には文字の左下に点を差すことでその文字が低平拍であることを示し(そうした点を「平声点(ひょうしょうてん)」と言います。「平声の軽点」と対比させるために「平声の重(おも)点」とも言われるそうです)、文字の左上に点を差すことで(そうした点を「上声点(じょうしょうてん)」と言います)その文字が低平拍以外の拍であること、ということは高平拍か下降拍か上昇拍であることを示す流儀です。ただこの流儀では、時に文字の右上に点を差すことでその文字が上昇拍であることを示すことがありますけれども(そうした点を「去声点(きょしょうてん)」と言います)、上声点によって上昇拍であることを示すことのほうが多いようです。二つ目の流儀と申したところのものは、こうしたものです。こうした差声方式が「四声体系」など呼ばれるのは、平声点、上声点、去声点のほか、いま一つ、文字の右下に差される「入声点(にっしょうてん)」と呼ばれるもの(詳細後述)を勘定に入れるからですけれども、これは有名無実といったもので、実際には使われません。「四声体系」という名は体をよくあらわしていません。
ちなみに、すでに中国において、平声とそれ以外とを区別することがなされていました。すなわち、今でも「平仄(ひょうそく)が合わない」と言いますけれども、この「平仄」は元来「平字(ひょうじ)」と「仄字(そくじ)」との総称で、「平字」は平声の漢字、「仄字」は上声・去声・入声の漢字をまとめてそう呼んだのでした。
二つ目の流儀が基本的に平声点と上声点とだけを使うものだったのに対して、一つ目の流儀は、基本的には、今申した平声点、上声点、去声点に加えて平声の軽点(東点)の都合四つを使います。ですからむしろこちらこそ「四声体系」と呼ばれてよいものですが、それでは混乱を来たします。それで「東点を用いる流儀」「東点を用いない流儀」という言い方をするのです。
平声軽点(東点)とは、文字の左下よりも少し上に、ということは平声点の位置より少し上に差される点のことで、この点はそれを付した文字が下降拍であることを示します。ちなみにこの流儀が「六声体系」など呼ばれるのは、入声点と、その位置よりも少し上に差される、「入声(にっしょう)の軽点(かるてん)」とも「徳点(とくてん)」とも呼ばれるものとを勘定に入れるからですけれども、実際には入声点は使われず、入声の軽点も、詳細は後述として、ほとんどまったく使われません。こうして「六声体系」という名もまた体をよくあらわしていません。
さて一般には、六声体系と呼ばれるこの東点を用いる流儀では上声点は高平調を、高平調のみを意味するとされます。しかしこの流儀における上声点は高平調だけを意味したとは思われません。この流儀における上声点は、高平調を意味するだけでなく、時に下降調を意味したと考えられます。少しさきで示すとおり、これはすでに『総合索引』(改めて申せば『日本語アクセント史総合資料索引篇』)のような基本文献がとるところの見方です。
図書寮本(ずしょりょうぼん)『類聚名義抄(るいじゅうみょうぎしょう)』という字書のあることも、すでに申しました。以下「図名」と略しますが、この書物は十一世紀の末ないし十二世紀のはじめくらいに成立したと見られ、原本は失われているようですけれども、同時代に書写されたとされるものが現存します。漢字が並んでいて、その音(おん)や訓そのほかが示されているのですが、その訓の、つまりその漢字に対応するやまとことばの中には声点の差されたものもあって、そのやまとことばのアクセントが分かります。
図名は、ある書き手が自分のアクセントを記すことで成ったのではなく、複数の資料――無記名のものもあるものの、多くは略号によって資料名が分かるようになっています――に記された先人たちの手になる声点を一人もしくは複数の編集者がまとめることで成ったらしく、書名に「類聚」とあるのはそれを示唆していると見られます。「平声軽点の消滅過程について
―六声体系から四声体系への移行―」(web。『日本書紀声点本の研究』にも)において鈴木豊さんはこのことをきちんと述べていらっしゃいます。編集者自身による注記もあるのかもしれませんが、詳細は不明のようです。
図名に見られる声点の大半は、東点を用いる流儀によるものです。一般には図名の声点はすべてこの流儀によるとされますけれども、鈴木さんもそうお考えのように、東点を用いない流儀によるものも混ざっているようです。とはいえ私見ではごく一部の資料がそのような流儀をとるだけです。サ変動詞「す」への注記のありようからそう見積もられます。詳細は次次節「図書寮本『名義抄』における差声方式について」に記します。
図名の声点は、まず望月郁子さんの『類聚名義抄四種声点付和訓集成』――以下『集成』と略します――が最近webで読めるようになりました(古本屋さんで高額のものを買わなくてもよくなったのです)。『集成』は、図名の声点と、後世の、図名に大幅な増補を加えて出来た、いくつかある改編本の『類聚名義抄』――以下「改名」と略します――の声点そのほかとを集成したものです。改名なども参考になりますが、信頼性は図名に劣ります。もっとも図名も無謬ではありません。webではまた、酒井憲二さんの「類聚名義抄仮名索引」がデジタルコレクションに入っています。
さて、例えば図名は、上二段動詞「悔(く)ゆ」に〈平上〉を差します。つまり「悔ゆ」は〈平上〉と読まれるとします。「平」「上」はそれぞれ平声点、上声点のことです。そしてこの動詞の項で総合索引は、図名がこの言葉のアクセントを記していることを特記した上で、この動詞はLFというアクセントを持つとします。Lは「低拍(=低平拍)」、Fは「下降拍」を意味します。なお高平拍(「高拍」)はH、上昇拍はRによって示されます。それぞれ low、falling、high、rising に由来する略号です。「悔ゆ」は上二段動詞ですから、「悔ゆ」はその終止形だけが持つ語形です。つまり総合索引は、図名が〈平上〉を差す上二段動詞「悔ゆ」の終止形はLFというアクセントをとると言っています。
この動詞に限りません。「悔ゆ」〈平上〉は低平調に始まるので低起式の動詞、低起動詞と呼ばれます。低起動詞は高起式の動詞、高起動詞に対する称で、例えば下二段動詞「消ゆ」は高起動詞の終止形であり、図名はそれに〈上平〉を差します。つまりそれは「きゆ HL」と言われます。「悔ゆ」の連体形「悔ゆる」などは三拍ですが(「くゆるLLH」)、終止形は二拍ですから、その意味で「悔ゆ」は低起二拍動詞です。それから、例えば「おもふ」は低起三拍動詞ですけれども(その終止形のアクセントは〈平平上〉と表記されます〔おもふう LLF〕)、低起三拍動詞の中には終止形が〈平上平〉と表記されLHLのアクセントを持つ「選(えら)ぶ」(いぇらンぶ)のような少数派のもの――『研究』研究篇下が「Ⅲ型」と呼ぶところのもの――もあるので、「おもふ」のようなものはそれらと区別して多数派低起三拍動詞と呼べます。さて図名には、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞が全部で百数十ありますが(大きな数えまちがいはないでしょう)、図名はそのことごとくに〈平上〉〈平平上〉という注記を与えます。そして総合索引はそれらを正当にもLF、LLFと解釈します。「正当にも」と申すのは、それは金田一春彦、小松英雄といった諸先覚がきちんとした根拠にもとづいて結論したところのものだからです。
図名の例えば高起動詞「消ゆ」に差された〈上平〉における上声点は高平調を意味し、「悔ゆ」に差された〈平上〉における上声点は下降調を意味します。また図名は名詞「こゑ(声)」に〈平東〉を差しますが、この東点はむろん下降調を意味します(こうぇえ LF)。すると図名では上声点が時に高平調、時に下降調を意味し、また図名では下降調は時に東点、時に上声点によって示されるのです。
奇妙なこと、ありそうもないことでしょうか。しかし、東点によって示される下降調と、時に上声点によって示される下降調とが異なるものだとすれば、それを書き分けたとしても不思議なことはないでしょう。
例えば小松さんの『日本声調史論考』や望月さんの『集成』によれば、図名は二(ふた)ところで「おほきなり」に〈平平東平上〉を差しています。酒井さんの『名義』では二つとも〈平平平平上〉に見えますが、仮にそのほうが事実に近いとしても、図名の原本、ないし図名の原本の拠った資料には〈平平東平上〉とあったと見なくてはなりません。のちに確認するとおり、断定の助動詞と呼ばれる「なり」や形容動詞の活用語尾と呼ばれる「なり」の初拍が低い場合、その前の拍は低くあることはできないからです。「おほきなり」は「おほきにあり」の単純な縮約形なので、「おほきなり」〈平平東平上〉では、事実上、ラ変動詞「あり」――疑いなく低起二拍動詞です――の終止形の末拍に上声点が差されていると言えます。すると「おほきなり」の「き」も「り」も下降調だが異なる声点が差されている、ということになります。
「おほきなり」の「き」も「り」もまったく同一の下降調だが、表記上の習慣によって書き分けられている? これは考えにくいでしょう。表音的でない発音記号があったらおかしいのと一般です。「おほきなり」の「き」に或る下降を聞き取ったさる古人は「り」には別のアクセントを聞き取ったので二つに異なる注記が与えられたのだと思います。そしてその「り」もまた下降調をとると見られたのでした。
ありようがこうしたものなのであってみれば、図名の「おほきなり」〈平平東平上〉において、東点は長い下降調を、上声点は短い下降調を意味したとしか考えられないと思います。例えば、のちにも確認するとおり、一拍動詞であるサ変動詞「す」(の終止形「す」)に図名が十九回、東点を差すことを考えても、その逆である可能性はありません。この例に限りません。図名における東点は引かれた下降調、〈上平〉と等価の長い下降調、ゆるやかな下降調、完全に下降する下降調を示し、上声点は、下降調を意味する時は、特には引かれない下降調、短い下降調、急激な下降調、完全に下降するとは限らない下降調、伝統的な現代京ことばの例えば「春」の末拍に聞かれた下降調を示したと考えられます。
図名に「沼(ぬ)」〈去〉と「沼(ぬう)」〈平上〉という二つの注記が見られます。ぬう。一拍語ですから引かれるのは当然ですけれども、引かれた事実がはっきり分かるという点で注目に値します。引かれた上昇調、〈平上〉と等価な長い上昇調は、東点の示す長い下降調の反転形、ないし、音楽用語を借りれば、反行形(例えばドレミに対するドシラやラソファ)です。
図名では高平拍と短い下降拍とがおなじ記号で示されるということになりますけれども、これも、奇妙なこと、ありそうにないこととは思われません。のちに確認されるであろうとおり、下降拍は、動詞や形容詞の特定の活用形の末拍や、日常頻繁に使われる助詞や助動詞(の末拍)にあらわれることが多いので、高平拍と短い下降拍とが同じ記号で示されても混乱する恐れは少なかったでしょう。
ところで、図名において上声点は両義的だったと考えられますけれども、しかしいかなる意味において両義的なのでしょう。
東京アクセントが例えば「かう」(飼う)と「かう」(買う)とを区別するように、平安時代の都びとは、「名(な)」(なあ HL。図名は「諱(ないふ)」〔名言ふ〕の項で「な」に東点を差しています)、と「汝(な)」(なあ LH、ないし、なあ HH〔『研究』研究篇上p.28〕)とを、「音(ね)」(ねえ HL)と「根」(ねえ LL)とを、「日」(ふぃい HL)と「檜(ひ)」(ふぃい LH)とを区別したでしょう。のちに図名の編集者が引用することになる資料に声(しょう)を差した人びとには、長い下降調を長い下降調として聞き取りそれに東点を差すことは容易だったでしょう。
では短い下降調についてはどうだったか。古人は高平調と短い下降調とを区別するような耳を持たなかったと見る向きもあります。実際、例えば現代の京ことばの話し手が、いわゆる連用中止法で使われた「書き」(かきぃ LF)――例えば「手紙を書きぃ、投函した」の「書き」――と、連用形による命令「書き」(かき LH)――例えば「ほな、手紙(を)書き」のような言い方に見られるところの、命令形「書け」(かけぇ LF)よりも柔らかな言い方――とをげんにきちんと発音しわけていながら、しかし二つの差に気づかない、といった事態がありえます。アクセントというものにさしたる興味をおぼえない大方の話し手においては、そういうことが多いかもしれません。
平安時代にも同趣のことがあった可能性はあります。先覚の説くとおり、また後にも申すとおり、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連体形の末拍は、終止形のそれ(下降調)とは異なり高平調をとったと見られます。例えば平安時代中期、「思ふ」の終止形は文節末において「おもふう」(三拍目は長い下降調)ないし「おもふぅ(三拍目は短い下降調)と発音され、「思ふ」の連体形は「おもふ」と発音されました。当時の都びとは、文節末の終止形の「思ふ」と、係り結びの結びとしての文節末の連体形の「思ふ」とを、きちんと発音しわけました。しかし、「思」に「オモフ」という和訓を記しそれに〈平平上〉を差し、「悔」に「クユ」という和訓を記しそれに〈平上〉を差した古人は、もしかしたらそれらの末拍が下降することを内省した上でそれに上声点を差したのではなかったのかもしれません。
しかしながら、長い下降調を長い下降調として把握しそれに東点を差した人びとはみな例外なく高平調と短い下降調との差を知覚できなかった、と断ずるのは不当でしょう。古人は例えば、それを知覚しつつも、東点は長い下降調を示す記号であり、短い下降調を示すには上声点の方がまだしもよいと考えたのかもしれません。長い下降拍と短いそれとを同じ記号で示すよりは、高平拍と短い下降拍とを同じ記号で示す方が適切である、と考えたのかもしれません。これは十分ありうることで、古今集声点本における東点――古今集声点本でも漢字音には東点が差されます――がそれを示唆しますけれども、これは今申す暇(いとま)がありません。
古人は高平調と短い下降調とを区別できなかったと断ずべきではないでしょうけれども、しかし、仮に例えば「思ふ」の終止形に〈平平上〉を、「悔ゆ」に〈平上〉を差した古人がそれらの末拍における下降を意識していなかったとしても、その人は現に文節末の「思ふ」の終止形や「悔ゆ」の末拍を短い下降調で言ったと考えられます。重要なのはむしろこの一事です。げんにどう発音されたかに注目するならば、上声点が多義的であること、従って解釈を要することは疑いありません。
図名よりも古い資料に見られる注記はいずれも東点を用いる流儀のものですけれど、それらにおいても上声点は時に短い下降調を意味すると考えられます。図名の注記の大半は東点を用いる流儀によるもので、そこでも上声点は時に短い下降調を意味すると考えられます。図名には東点を用いない流儀の注記もほんの少しあると見られますが、この流儀における上声点は当然に下降調を意味できます。古今集声点本も東点を用いない流儀で注記しますが、そこにおける上声点も同様です。こうして、上声点は常に多義的でした。
節の最後に濁声点のことを申しておきます。例えば図名の「崇 アカム」に対するアクセント注記は、「ア」の左下に点を一つ差し、「カ」の左下に点を二つ横に並べて差し、「ム」の左上に点を一つ差すというものです。点が二つ差されているのはその文字が濁音であることを意味するので、図名はこの記述によって「アカム」のアクセントだけでなく、第二拍が濁音であることも示しています。これが、この「が」の右上にもある濁点の起源です。もともとは双点によってアクセントと濁音であることとを一挙に示していたのが、室町時代ごろ、アクセントにかかわらず右上に双点を差すことでその文字が濁音であることだけを示すようになった、ということのようです。なお、図名などでは濁音に双点ではなく単点を差すことはごく少ないようですけれども、後世の資料では特に濁音であることを示す時には双点を差すという行き方がとられたので、濁音には原則として双点が差されるというようには言えなくなります。
b 下降拍の短縮化 [目次に戻る]
図名が「声(こゑ)」に〈平東〉を差すことから、その古くは「こうぇえ LF」と言われたことが分かりますけれども、伝統的な現代京ことばでは「声(こえ)」の第二拍は、下降調をとるものの長くは引かれませんから、その第二拍における下降調は時とともに短縮化したことが明らかです。他方、図名は「諱(ないふ)」(名言ふ)の項で「名(な)」に東点を差しましたが、伝統的な現代京ことばでもこの一拍名詞は実質二拍分で言われるのですから(注)、千年以上「なあ F」が続いてきたのです。下降拍は全般的に時とともに短縮化する傾向にありますけれども、その短縮化の進みぐあいは、品詞や拍数、さらには活用形によって異なるようです。
注 「伝統的な京ことば」と申したのは、中井幸比古さんの『京阪系アクセント辞典』(データCD-ROM付き。以下『京ア』と略します)によれば、近年は「なあ」と高平調で言う人が多くなりつつあるようだからです。以下、個々の現代京ことばのアクセントについてはあらかたこの大労作に拠ります。たいていの場合特に注しませんけれども、「現代京都では」と書きつけるたびに心中感謝していることを申し添えます。
低起二拍、多数派低起三拍動詞の終止形の末尾では、早くから短縮化が起こったようです。図名と、それよりも成立の古い『日本書紀』の三つの古写本などとを比べると、そう考えられます。
その昔、「日本紀講筵(にほんぎこうえん)」ないし「日本紀講書(こうしょ)」と呼ばれるものがあったそうです。「主として平安時代前期に、数回にわたり宮廷で公式の行事として行われた『日本書紀』の講読・研究の会」(世界大百科事典。表記を一部変更しました)を言いますが、鈴木さんの「日本紀講書とアクセント ―『日本書紀』声点本の成立に関する考察―」(web。『日本書紀声点本の研究』にも収められています〔以下、webで読める場合には「web」とのみ記します〕)によれば、この数度の「講筵」のうち、弘仁三~四年(812~813)と承和十~十一年(843~844)とに行われたものでは『書紀』の歌謡などに声点が差され、その声点付きの『書紀』が写本によって後世に伝わり、その一部が現存します。そのなかで、以下に紹介する三つの古写本が特に重要です。
一つ目は岩崎本『日本書紀』です(以下「岩紀」と略します)。三菱財閥の岩崎家が所蔵していたという『書紀』の古い写本で、活字化したものが出版されています。鈴木さんの「岩崎本『日本書紀』声点の認定をめぐる問題点」(web)によれば「平安時代中期末(西暦1000年頃)」どなたかが書写したもので、国立文化財機構のサイト(「e国宝」!)にも(今は京都国立博物館にあるとか)、「筆跡・紙質などから判定して10世紀から11世紀にかけて書写されたものと推定される」とあります。
二つ目は前田家本の『書紀』、三つ目は図書寮本(ないし「〔宮内庁〕書陵部本」)の『書紀』です(後者には相異なる二つがあります。いま申すのは古いほう)。前田家本の『書紀』――「前紀」と略します――は、岩紀よりもすこし後(のち)、十一世紀に書写されたものだそうで、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」(web)で見られます。図書寮本『書紀』の古い方――「図紀」と略します――は、さらに少し遅れて十二世紀に書写されたものだそうで、こちらは「デジタルコレクション」で見られます。歌謡への注記に限れば前紀は岩紀の四倍くらい、図紀は岩紀と重複する部分を除けば岩紀の三倍くらいの分量があって、いずれも頼もしいのですが、ただ、前紀も図紀も、平声点や上声点の何たるかは知っているものの東点というものの存在を知らない人の手になる書写であることが知られています。加えて誤写と見られるものも多い。
そういう人が原本を忠実に写そうとする場合、原本の東点をもともとの位置よりも低く、ということは平声点として記してしまう可能性があるわけですけれども、じっさい前紀や図紀の平声点の中には、明らかに原本は東点だったろうと思われるものが多く含まれています。そして、さらに厄介なことに、原本では東点だったと考えられるところのものに時に誤って上声点が差されてしまいます(注)。前紀や図紀は、こうした事実を考慮して見なくてはなりませんが、それさえ注意すれば、これらもたいへん役に立つ資料です。
注 例えば岩紀が〈東平平〉を差す「日向(ひむか)」(ふぃいむか FLL。「ひゅうが」のもともとの言い方)に図紀は〈上平平〉を差しますけれども、これはその例かも知れません。FLLはありえないアクセントではないようです。もっとも、正しいのは図紀の言い方で、岩紀は「日向」の初拍に不用意に一拍語としてのアクセントを差してしまったという可能性もないではありません。岩紀は無謬ではありません。例えば「大君の」に岩紀102は〈平平上上平〉を差しますけれども、同103は〈平平上上上〉を差し(こちらが正しい)、前紀・図紀76そのほかも「おほきみの」に正しい注記を与えます。
その前紀や図紀に、
奈良を過ぎ〈上平上平平〉(前紀54〔数字は歌謡番号〕。ならうぉ しゅンぎい HLHLF〔論点を先取りした解釈です。以下同じ。さしあたり無視していただいてもかまいません〕)
倭(やまと)を過ぎ〈平平上上平平〉(同上。やまとうぉ しゅンぎい LLHHLF)
小曾根(をそね)を過ぎ〈上上上上平平〉(図紀85。うぉしょねうぉ しゅンぎい HHHHLF)
蜻蛉(あきづ)はや齧(く)ひ〈平平平平平平平〉(前紀75。あきンどぅ ふぁやあ くふぃい LLLLFLF)
のような例があります。これらの末尾に差された平声点は、諸先覚の見るとおり、原本に差されていた東点を移しあやまったものと見られます。すなわち原本では「過ぎ」「齧(く)ひ」に〈平東〉が差されていたと考えられます(最後の引用の副詞「はや」の末拍も、「はやう」〔ふぁやう LHL〕の短縮でありLFと言われたと見ておきます)。詳細は後述しますけれども、一つの動詞の終止形と連用形とは、さらに申せば命令形とは、拍数が同じ場合基本的にアクセントを同じくするので――例えば「思ふ」の終止形が〈平平上〉であることからその連用形「思ひ」も命令形「思へ」も〈平平上〉を差されるだろうと推定してよいので――、「過ぎ」「齧(く)ひ」への〈平東〉という注記は、終止形「過ぐ」「齧(く)ふ」に〈平東〉を差すのと同じことです(しゅンぐう LF、くふう LF)。ここには図名の「悔ゆ」〈平上〉などとは異なるアクセントが認められます。野(ぬ)つ鳥 雉(きぎし)は動(とよ)む〈平平上上 上上上上平平上〉(前紀・図紀96。「動(とよ)む」〈平平上〉は終止形のようです。ぬうとぅう とり きンぎしふぁ とよむぅ LLHH・HHHHLLF)
における「動(とよ)む」〈平平上〉のような、文節末に位置する低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形や連用形の末拍に上声点を差した言い方のほうが、それらに東点を差した言い方よりも多かったようですけれども、東点を差した言い方も少ないわけではありません。図名には〈平上〉〈平平上〉式の言い方しか見られなかったのですから、〈平東〉〈平平東〉式の言い方のほうが古いと考えられます。古典的な言い方は〈平東〉〈平平東〉式だが、そこにおける下降拍の短縮化した〈平上〉〈平平上〉式の言い方もできた、そして時とともに古典的な言い方は廃れて、十一二世紀の交(こう)あたりに成立した図名にはすでにその痕跡は残されていない、ということだったと思います。
岩紀からも、やや遠回りにならば、このことを示せます。すなわちまず、岩紀107に「通(とほ)らせ」〈平平平東〉(とふぉらしぇえ LLLF)という注記があります。これは、低起四段動詞「通る」(とふぉるう LLF)が一般に尊敬・親愛の助動詞などされる四段活用の「す」の命令形を従えた言い方ですけれども、この「す」は、例えば岩波古語辞典の見るとおり、また後(のち)にも示すとおり、助動詞というよりもむしろ動詞を作る接辞と見るべきものであり、従って「通らせ」〈平平平東〉では、詳細は後述しますが、実質的には低起四拍動詞の命令形の末拍に東点が差されていると見なせます。
次に、岩紀にも、文節末に位置する低起二拍動詞の連用形の末拍に上声点の差される例が見出されます。
出(い)で立たす〈平上平平上〉(岩紀102)
打ち鞫(きた)ますも〈平上平平平平東〉(岩紀112)
やすみしし我が大君(おほきみ)の隠(かく)ります天(あま)の八十蔭(やそかげ)出(い)で立たすみ空をみれば(…)〈平平平上上・平上平平上上平[ママ]・平上平平上・平平平上上上上・平上平平上・上上上上平上平〉(やしゅみしし わあンがあ おふぉきみの かくりましゅ あまの やしょかンげ いンでぇ たたしゅ みしょらうぉ みれンば LLLHH・LHLLHHL・LHLLH・LLLHHHH・LFLLH・HHHHLHL)
「やすみしし」は「大君」を起こす枕詞。岩紀は〈平平平上上〉としますが、図紀は〈平平平上平〉で(やしゅみしし LLLHL)、この「しし」を諸家の見るとおり「知らし」(しらし HHL)と同義の言い方と見ると、図紀のアクセントのほうがよいことになります。岩紀は総体として前紀や図紀よりも正確ではあるものの、申したとおり無謬ではないのでした。引用は、帝が奥深くお住いの壮麗な宮殿(「天の八十蔭」)を出て、臣下たる我等の前にお立ちになる、その上にひろがる空を、臣下たる我々が見ると云々、といった意味に解せます。「出で立つ」は「出立(しゅったつ)する」という意味の複合動詞としても使われますが、上の引用では、文脈から推して二つの単純動詞が並んでいると見るべきでしょう。するとこの「出で」は完全に文節末に位置するのであり、その末拍は下降調をとります。太秦(うづまさ)(=秦河勝。太秦はもともと河勝の賜った姓です)は神とも神と聞こえ来る常世の神を打ち鞫(きた)ますも〈上上上上上・平平平東平平平・上上平平上・上上上上平平上・平上平平平平東〉(うンどぅましゃふぁ かみともお かみと きこいぇ くる とこよの かみうぉ うてぃぃ きたましゅもお HHHHH・LLLFLLL・HHLLH・HHHHLLH・LFLLLLF)
という歌を作った、という文脈にそれは現れます。「鞫(きた)ます」(きたましゅう LLLF)は、「罰する」を意味する「鞫(きた)む」(きたむう LLF)が尊敬・親愛の「す」を従えたもので、「きたますも」には〈平平平上東〉ないし〈平平平上平〉が期待されますけれども、しばらく原文のとおりにしておきます。この「打ち」は掛け値なしの低起二拍動詞の連用形で、それが文節末に位置しているのですから、その末拍はやはり下降調をとります。こうして岩紀は図名の「悔ゆ」(くゆぅ LF)以下の言い方と同趣の言い方も持っていると申せます。
岩紀や前紀や図紀には、動詞のいくつかの活用形の末尾における下降調を引いて言う言い方と特に引かずに言う言い方とが見られます。平安時代初期の京ことばのアクセントとして、古典的なアクセントと呼べるものと、その変化したものとを区別したのでしたが、岩紀や前紀や図紀からはその平安時代初期のアクセントをうかがえるわけです。動詞末尾の下降調に関しては、引いて言う言い方を古典的、特に引かずに言う言い方をその変化したものとすることができるでしょう。古典的なアクセントでは動詞末尾の下降調は引かれたけれども、図名は、院政初期頃、すでに動詞末尾の下降調の短縮化が進み、動詞末尾の下降調を引かない言い方、非古典的な言い方が好まれるようになっていたことを示す、ということだと思います。
次に、形容詞の終止形にも下降拍があらわれますけれども、ここでも、『書紀』の古写本と図名とで、ありようが少し異なるようです。
つとに指摘のあるとおり、図名ではちょうど百くらいの形容詞の終止形に声(しょう)が差されていて、その末尾には、ほぼ半分に、例えば「あやし」〈平平上〉(あやしぃ LLF)に見られるような上声点が、そしてほぼ半分に、例えば「あぢきなし」〈平平平平東〉(あンでぃきなしい)に見られるような東点が差されます。「あやし」〈平平上〉の第三拍の上声点は、のちにも見ますが、諸先覚の説くとおり下降拍を意味するとしか考えられません。さて『書紀』の古写本ではと言うと、
惜(を)しけくもなし〈平平上平東平東〉(前紀79。うぉしけくもお なしい LLHLFLF。二か所を東点としましたが、これは現にその位置に点が差されているのです。書写した人は平声点のつもりだったかも知れませんけれども、原本は東点だったと見られます。次の例の東点も同様です)
なみだぐましも〈平平上平平東平〉(前紀55。第三拍はおそらく正しくは〈平〉でしょう〔なみンだンぐましいも LLLLLFL〕。書写した人はうっかり名詞「涙」〔なみンだ LLH〕のアクセントを記したのだと思います)
といった例があるばかりのようです。二つが末尾に東点を持つというだけでは、「なし」〈平上〉式の言い方はなかったと結論することはできませんけれども、どちらかと言えば「なし」〈平上〉式の言い方よりも「なし」〈平東〉式の言い方が好まれたようだとは言えるでしょう。形容詞の終止形の末尾は古典的には長い下降調で言われたが、図名の成立した頃にはすでに短縮化が進行しつつあり、古典的でない言い方もなされた、ということだと思います。
二拍五類名詞の末拍についても、形容詞の終止形と似たことが申せそうです。二拍の名詞は、平安時代におけるアクセントがHHならば一類、HLならば二類、LLならば三類、LHならば四類、LFならば五類と呼ばれます。三類以外の二拍名詞のアクセントは今昔で変わらないことが多いのですが――もっとも例えば二類の「下」(した)は現代京都では「した」と言われるというようなこともあります――、二拍三類名詞の多くは、例えば平安時代には「かみ LL」だった「髪」がそうであるように、今はHLで言われます(南北朝時代に大変化があったのでした)。もっともやはり例外も少なくなく、同じ三類名詞でも「後(のち)」(のてぃ)などは今は「のち」、「皮(かは)」(かふぁ)などは今は「かわ」、「鮭(さけ)」(しゃけ)などは伝統的な現代京ことばでは「さけぇ」というアクセントで言われます。それはともかく、「春」のような名詞は二拍五類で、古典的には「ふぁるう」と言われたのでしたけれども、伝統的な京ことばでもLFと言われるので、千年以上五類はそのアクセントを保ってきたと言えます(それが昨今、静かに消滅しかかっているのでした)。ただ、その拍内下降のありようは今昔でちがっていて、図名はこの二拍五類名詞に〈平東〉を差したり〈平上〉を差したりします。
すなわち図名には一方において、
かこ(水夫)〈平東〉(かこお LF)
こゑ(声)〈平東〉(こうぇえ LF)
つひに(遂)〈平東上〉(とぅふぃいに LFH。「つひのわかれ」〔とぅふぃいのわかれ LFLLLL〕なども言えますから、「つひ」は名詞と言えます。「つひに」は一語の副詞とも名詞が助詞を従えたものとも見うる言い方です。素因数分解ではないのですから、一意的でなくてかまいません)
なべ(鍋)〈平東〉(なンべえ LF)
のような注記が見られます。これらは小松さんや望月さんや総合索引の読みで、酒井さんによる転記を見るとこれらにおける東点は平声点ですが(酒井さんによれば「つひに」は〈上平上〉ですが本来こうだったとは考えられません)、仮に実際に平声点が記されているのだとしても、原本には東点が差されていたと見られます。なお図名は、「たヽ」(ただ)のような二拍五類語にも注記していますが、それは小さな「ヽ」へのもので、濁双点が平声点を意味するのか東点を意味するのかは到底分かりません。
他方図名には、
あせ(汗)〈平上〉(あしぇぇ LF) 和名抄
かげ(陰)〈平上〉(かンげぇ LF) 出典無表記
のような注記も見られます。後に申す理由によって、これらは恐らく東点を用いる流儀による注記であり、その流儀において末拍に上声点が差されているのです。総合索引もそう見ているとおり、それらは下降調と考えられます。
ちなみに図名には次のような注記もあります。
くたらこと 百済琴〈平平平平上〉
しらきこと 新羅琴〈平平平平上〉
やまとこと 大和琴〈平平上平上〉
「琴」は五類名詞であり(「ことお LF」)、上の三つにおける「琴」もこのアクセントで言われたと考えられます。例えば東京では「松虫」は「まつむし」と言われますがこれは「松」(まつ)と「虫」(むし)との単純和(「まつむし」)ではなく、また往時の都では「松虫」は「まとぅむし」と言われましたがこれは「松」(まとぅ)と「虫」(むし)との単純和ではないというように、複合名詞のアクセントは一般に各成素のアクセントを単に合わせたものではありませんけれども、例えば東京では「きつねそば」でも「たぬきそば」でも「にしんそば」でも「そば」はもともとのアクセントを保っています(「きつねそば」では「きつね」ももとのアクセントを保っています。「晩ごはん」も「いちごミルク」も同趣です)。詳しく申す暇(いとま)がありませんが、「くたらこと」以下の三つにおける「こと」のアクセントも同趣と見られます。いずれも複合名詞にはちがいないでしょうけれども、どの「こ」にも濁双点が差されていないので恐らく連濁しておらず、そのぶん複合の度合(というもののあることが知られています)が低いので、それぞれの第二成素がLFで言われただろうことがいよいよ明らかです。三つはそれぞれ「くたらこと」(くたらことぉ LLLLF)、「しらきこと」(しらきことぉ LLLLF)、「やまとこと」(やまとことぉ LLHLF)と言われたと考えられます。これらに対する図名の注記は単純名詞「琴」に〈平上〉を差したも同然で、やはり二拍五類名詞の末拍を短い下降調で言う言い方もあったことを示すと思われます。
文節末で下降調をとる助詞においても、『書紀』の古写本と図名とで差が認められるようです。助詞のことも詳細は後述ということになりますけれど、『書紀』の古写本では、
生(な)りけめや〈平上平平上〉(岩紀104。なりけめやぁ LHLLF)
君はや無き〈上上上上平東〉(岩紀104。きみふぁやぁ なきい HHHFLF。下降調を示すと見られる上声点と東点とがともどもあらわれています)
いかにふことぞ〈上平上上平平上〉(前紀99 いかにふ ことンじょぉ HLHHLLF。「いかに言ふことぞ」〈上平上上上平平上〉に同じ)
におけるように、そうした助詞に上声点を差す言い方もあるものの、
裂手(さきで)そもや〈平平平上平東〉(岩紀108。しゃきンでしょもやあ LLLHLF)
真蘇我よ〈上上上東〉(岩紀103。ましょンがよお HHHF。推古天皇の呼びかけの言葉で、「真(ま)」は美称だそうです)
米(こめ)だにも〈平平上平東〉(岩紀107〔二つあるうちの一つ。いま一つは〈平平上平平〉〕。こめンだにもお LLHLF)
言(こと)そ聞こゆる〈平平東上上上上〉(岩紀109。ことしょお きこゆる LLFHHHH。「ぞ」は古くは清(す)みました)
人そとよもす〈上平東平平平上〉(岩紀110。ふぃとしょお とよもしゅ HLFLLLH)
面(おもて)も知らず〈平平平東上上平〉(岩紀111。おもてもお しらンじゅ LLLFHHL)
家も知らずも〈平平東上上平東〉(岩紀111。いふぇもお しらンじゅもお LLFHHLF。岩紀111のもう一つの注記〈平平平上上平上〉の第三拍は誤点でしょう)
のように、東点の差される例が多数派を占めます。他方図名では、
おもふかな〈平平上平上〉(おもふかなぁ LLHLF)
思うつや〈平平上上上〉(おもうとぅやぁ LLHHF。「おもひつや」の音便形)
やすからむや〈平上平平上上〉(やしゅからムやぁ)
のような言い方が多数派で(これらにおける末尾の上声点はいずれも下降調を意味すると考えられます)、「さぞ」〈平東〉(しゃンじょお)のような言い方は少数派に属します。古典的には、文節末で下降調をとる一拍の付属語も、下降調をとる一拍の自立語同様さかんに引かれました。それが図名では、すでに引かれないことが多くなっています。
下降拍は古典的には引かれたが、すでに平安時代初期から、品詞によっては非古典的な引かれない言い方でも言われ、院政初期頃には一層広範にそうした言い方がなされるようになっていた、と見られます。すると西暦千年ごろはどうだったか。図名が古典的な長い下降調をとるとするものは、西暦千年ごろもその言い方で言われたと考えてよいでしょう。図名が長短両様の下降調をとるとするものは、西暦千年ごろ長い下降調で言われ得たと見てよいでしょう。少し悩ましいのは、図名が短い下降調をとるとするもの、つまり低起二拍、多数派低起三拍の動詞の終止形の末拍などです。『書紀』の古写本から、すでに平安時代初期、それが短い下降調でも言われ得たことが知られますから、西暦千年ごろには短縮化はもっと進んでいたでしょうけれども、長い下降調は当時すでに絶えていたのか、そうでないのか。いずれにしても短い下降調で言った方が安全、とも申せますが、長い下降調で言うと奇妙に響く、といったことはなかったろうと思われます。平安時代の初期における一つのタイプのアクセント、同時代やそれ以降における別のタイプのアクセントがそれからの変形として理解できるところのアクセントを「古典的なアクセント」と呼んだのでしたが、西暦千年ごろの京ことばのアクセントについても、この古典的なアクセントと、その変化したものとして理解できるアクセントとが二つながら行なわれた、と見てよいと思われます。以下では、見やすさや入力のしやすさといったこともあり、「みるぅ」「おもふぅ」のような表記はせず、「みるう」「おもふう」のように書きます。
節の最後に、主として初期の古今集声点本における注記をによって上昇拍の短縮化ということを申しておきます。図名の「沼(ぬ)」〈去〉などならば、「沼(ぬう)」〈平上〉の存在を参照せずとも一拍語ゆえ引かれたと考えることができますけれども、図名の「疾(と)く」〈去平〉、前紀49の「宜(よ)く」(=良く)〈去平〉、初期古今集声点本に属する『顕天平』(略号については後述)の「よく」〈上平〉などにおける初拍については、同じことは言えません。
平安時代の京ことばにおいて上昇調で言われた拍は、その時期は不明ながら最終的には高平化して現在に至りました。しかし高平化に先立って、短縮化、同じことですが一拍化が起こったと考えられます。長い上昇調は高平調に移行する理由が見当たりません。例えば「松」「笠」のような二拍四類語は今にいたるまでアクセントを変えていません。他方、短い上昇調と高平調とは聞き耳が近いので、ある時期に前者が後者に移行したとしても不思議はありません。
この短縮化はいつ起こったのでしょうか。図名の「沼(ぬう)」〈平上〉は一拍語への注記なので、全般的には短縮化していてもその例外をなしたでしょうから、参考になりません。古今集声点本の中には真名序に去声点を差すものがあって、『研究』によれば例えば『顕府』〔9〕は「詠(えい)」に〈去〉(えい LH)を差し、『伏片』『毘』〔54〕は「神異」に〈平去〉(しんにい LLLH)を差しますけれども、二拍の「詠」はもとより一拍の「異」も漢字一文字の常として当時は引かれて言われたと見られるので、やはり参考になりません。
申せるのは、院政末期には上昇調は短縮化していたかもしれないということです。と申すのも、例えば俊成のアクセントを記したと考えられる『問答』は「憂く」に〈去平〉を差す一方、「あなうう LLR」と言われただろう「あな憂(う)」には〈平平上〉を差します。『問答』は上昇調を常に去声点によって示したのではありませんでした。また、顕昭本は真名序における漢字への注記には「詠」〈去〉がそうだったように去声点を用いますけれども、その一方において、顕昭本の一つである『顕天平』485注(万葉257)には「飼飯(けひ)の海の庭よくあらし」の「よくあらし」に対する〈上平上平平〉という注記が見えています。「よく」は〈去平〉とも差せる言い方であり、「あらし」も、これは「あるらし」――〈平上平平〉(あるらし LHLL)と発音されたと考えられます(詳細後述)――のつづまった言い方ですから、その初拍は式を保存すべく上昇調で言われたと思います。すなわちこの「あらし」〈上平平〉は、RLLと、ということは「あるらし」ないし「あっらし」など書けるでしょう(イタリアの作曲家Corelliが「コレッリ」とも、「コレルリ」とも、時に「コレリ」とも書かれることが思い出されます)。最適な記述方法が一つあればもっぱらそれが採用されただろう、と考えると、初期古今集声点本に見られる上昇調注記におけるこうした揺れは、当時すでに上昇調が短縮化していたことを示すのかもしれません。
c 図書寮本『名義抄』の差声方式について [目次に戻る]
図名の差声方式には、申したとおり、下降拍に東点を用いる流儀と用いない流儀とがありますけれども、後者の流儀をとるのはごく一部の限られた資料だけであるということをくだくだしく申す節です。図名がサ変「す」(の終止形「す」)に確実に上声点を差すのは、おそらく複数ある『論語』のうちの一本においてだけだと見られることから、そう結論されます。
図名にはサ変動詞「す」(の終止形「す」)に注記したものが二十四か二十五あります。小松さんの『日本声調史論考』は、図名では二十三あるサ変動詞「す」(の終止形「す」)に東点が差される一方、「にくみす」〈平上平上〉においてのみその「す」に上声点が差されるとしますけれども(都合二十四)、望月さんの転記なさった図名の注記を見るかぎりでは二十四のうち三つ、酒井さんの転記なさったそれでは二十五のうち四つないし五つに上声点が差されています。諸家により見解の異なるところを表にまとめ、一つ一つ見ることにします。
小松 望月 酒井
1 にくみす 論語 上 上 上
2 なつかしむず 論語 東 上 上
3 なだらかす(1) 論語 東 上 上
4 なだらかす(2) 無表記 - - (上)
5 とす 文選 東 東 上(東?)
6 うとむず 論語 東 東 平
7 うつくしむず 遊仙窟 東 平 平
1 にくみす 〈平上平上〉(にくみしゅう LHLF。この末拍は引かれたと考えられます) 論語。 例えば形容詞「重し」(おもしい HHF)から「重みす」(おもみしゅう HHLF)という言い方ができます。この「み」は形容詞の語幹に付く接辞で(語幹は連用形から「く」を取り去ることで、アクセントも含めてしかるべき語形が得られます〔詳細後述〕)、その撥音便形「おもんず」(おもムじゅう HHLF)が変化して現代語の「重んずる」「重んじる」という言い方ができました。「にくみす」も同じことで、これは形容詞「にくし」(にくしい LLF)から派生した、結局のところ「にくむ」(にくむう LLF)と同義の言い方です。小松さんはこの「にくみす」の第四拍の「す」を上声点と認定なさっていて、望月さんや酒井さんによる転記を見てもこの「す」は上声点と読めます。一拍の動詞が下降調をとるとき、それは引かれたと見るのが自然です。するとそれに差された上声点は、東点を用いない流儀によって長い下降調を示したものと考えられます。
2 なつかしむず 論語。形容詞「なつかし」(なとぅかしい LLLF)――有名な古今異義語――から派生した「なつかしみす」(なとぅかしみしゅう LLLHLF)の撥音便形です。望月さんの転記によれば四拍目に東点と上声点とが差されています。つまり〈平平平東平上〉と〈平平平上平上〉と、二つ注記されていますが、これははじめにうっかり形容詞「なつかし」(なとぅかしい LLLF)のアクセントとして〈平平平東〉を記してから、「なつかしむず」(なとぅかしムじゅう LLLHLF)のアクセントとして〈平平平上平上〉を記したのでしょう。この「なつかしむず」のアクセントを〈平平平東平東〉と見る向きもありますが、見まちがいと思われます。酒井さんによる転記でもやはり末拍は上声点です。「にくみす」〈平上平上〉の末拍と同じく、ここでも東点を用いない流儀によって長い下降調が示されているのだと思います。
3 なだらかす (二三二4。数字は図名の頁数および行数。同じものへの注記が複数あるので区別するために記します) 論語。「なだらかにす」(なンだらかにしゅう)の撥音便形「なだらかんす」(なンだらかンしゅう)の撥音無表記形です。となればこれはさだめて、「糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず」(公冶長第五)の「杇(ぬ)る」の別の訓み方でしょう。ぼろぼろの土で出来た塀は上塗りをしてなだらかに(なめらかに)することはできない。「なたらかんす」(なンだらかンしゅう、なンだらかンしゅう)は東点を使う流儀では〈平平上平上東〉〈平平上平平東〉、使わない流儀では〈平平上平上上〉〈平平上平平上〉と注記される言い方ですから、これを「なたらかす」と表記するならば〈平平上去東〉〈平平上平東〉ないし〈平平上去上〉〈平平上平上〉になります。望月さんの転記によればここの「なだらかす」には〈平平上去上〉と〈平平上平上〉とが記されていますけれども、後者を誤って「なだらか」のアクセントを記したと見なくてもよいわけです。いずれにしても末拍は上声点のようで、小松さんは末拍を東点となさいますが、おそらく原本では点が東点と見るには上過ぎるところに差されているのだと思います。酒井さんのも〈平平上平上〉と読めます。
4 酒井さんは「一四7」の「なだらかす」に〈平平上上上〉という注記がなされていると御覧です。これを勘定に入れると図名には二十五、サ変「す」への注記があることになりますけれども、この〈平平上上上〉の第四拍は明らかに誤点であり、小松さんも望月さんも「す」への注記はないと御覧です。一般に「声点か否か」の認定が時にむつかしいことは、『研究』研究篇下p.244以下からよくうかがわれます。こちらの「なだらかす」は出典無表記ですけれども、おそらく『論語』の上と同じ個所への注記でしょう。するとこれは『論語』の別の声点本における注記ということになります。
5 とす 文選(もんぜん)。再読文字「将」(まさに…むとす)に対する訓みの一部です。酒井さんによる転記では上声点と読めますが、ただ上声点としてはやや下にあります。小松さんと望月さんとはこの「す」を東点とお考えです。
図名においてサ変「す」に上声点が差されていると見うるのは最大この五つですが、4の「す」は無注記かもしれず、5の「す」は上声点ではないのかもしれません。つまり確実なのははじめの三つですけれども、この三つはいずれも『論語』を出典とするものなのでした。
図名がサ変「す」に注記するもののうち『論語』からという出典表示のあるものはいま二つあって、そのうちの一つは次のものです。いま一つはのちほど。
6 うとむず 〈上上平東〉(うとムじゅう HHLF)ないし〈上上平平〉(うとムじゅう HHLL) 論語。形容詞「うとし」(うとしい HHF)からの派生語「うとみす」(うとみしゅう HHLF)の撥音便形で、現代語「うとんじる」のもとの言い方です。小松さんも望月さんも末拍を東点となさいますが、酒井さんによる転記では平声点と見るよりほかにありません。この言い方における「ず」は下降調で言われても低平調で言われてもおかしくありませんから(サ変「す」が付属語化して先行部分にアクセント上従属するということがありうるのです。詳細後述)、東点を写し間違って平声点にしたと見なくてはならないわけではありません。いずれにしても上声点には読めませんから、「にくみす」〈平上平上〉以下の注記をする『論語』とは別のものと考えられます。
7 うつくしむず 平平平上平平(うとぅくしムじゅう LLLHLL) かの遊仙窟。小松さんは東点と御覧ですけれども、望月さんや酒井さんによる転記では平声点と読めます。形容詞「うつくし」(うとぅくしい LLLF)からの派生語「うつくしみす」は古典的には「うとぅくしみしゅう LLLHLF」と言われますが、「うとむず」におけると同じくサ変「す」が付属語化して「うとぅくしみしゅう LLLHLL」のように末拍を低めることもでき、このことは撥音便形でも同じですから、「うつくしむず」に〈平平平上平平〉が差されてもおかしくありません。
諸家そろってサ変「す」に東点を差す十八例も引きましょう。出典は『文選』『論語』『季綱切韻』『白氏文集』『礼記』『史記』『遊仙窟』『書経』『詩経』と硬軟とりまぜ多種多様です。
8 おほきにす 豊 〈平平東上東〉(おふぉきいにしゅう LLFHF) 文選。大きくする、豊かにする、という意味でしょう。
9 かたむず 訒 〈上上平東〉(かたムじゅう HHLF) 論語。図名が『論語』からとする注記で上に引かなかったのはこれです。「かたむず」は「かたみす」(かたみしゅう HHLF)の撥音便形です。『論考』は「訊」としますが、望月さんや酒井さんがそうなさるように「訒」――「かたし(難し)」と訓むと辞書にあります――のようで、顔淵第十二の「仁者は其の言や訒(じん)」(仁者は口が重い)の「訒」を「かたむず」と訓んでいるのでしょう。諸氏が〈上上平東〉となさるので、やはり「にくみす」〈平上平上〉以下の注記をする『論語』とは別のものと考えられます。
10 くみす 組〈平平東〉(くみしゅう LLF) 出典無表記。
11 くみす 紕〈平平東〉(くみしゅう LLF) 季綱切韻。
12 しづかにす 譚〈平上平上東〉(しンどぅかにしゅう LHLHF) 季綱切韻。
13 つみす 坐〈平上東〉(とぅみしゅう LHF) 出典無表記。「坐」は「連坐」のそれ。つまり「罪す」と同じこと。
14 ひぢりこにす 泥〈○平○平上東〉(ふぃンでぃりこにしゅう LLLLHF。〇は注記なしという意味) 出典無表記。「ひぢりこ」(ふぃンでぃりこ LLLL。フェリーニ…)は「ひぢ」(ふぃンでぃ LL)と同じく「泥(どろ)」を意味します。
15 ふしづけす 縋〈上上上上東〉(ふしンどぅけしゅう HHHHF) 白氏文集。「柴漬」には「しばづけ」のほかに「ふしづけ」という読み方もあって、それぞれ指すものが異なります。
16 ふところにす 懐〈上上上上上東〉(ふところにしゅう HHHHHF) 礼記。『論考』には〈上上上上〇東〉とありますが、望月、酒井両氏は上のようにお読みです。
17 ふところにす 懐〈上上上上上東〉 白氏文集。
18 ほむるまねす 誉〈平平上上上東〉(ふぉむるまねしゅう LLHHHF) 史記。
19 みづくろひす 法用〈上上上平平東〉(みンどぅくろふぃしゅう HHHLLF) 遊仙窟
20 もだす 陰(=黙)〈上平東〉(もンだしゅう HLF) 書経
21 もとほしす 縁〈上上上上東〉(もとふぉししゅう HHHHF) 出典無表記
22 やすむす 慰〈平上平東〉(やしゅムしゅう LHLF、ないし、やしゅムじゅう LHLF) 詩経(形容詞「やすし」〔やしゅしい LLF〕から)
23 ゆたかにす 豊〈平上平上東〉(ゆたかにしゅう LHLHF) 出典無表記。
24 ようす 能〈去平東〉(よおうしゅう RLF) 出典無表記。この「よう」は形容詞「よし」(よしい LF)の連用形「よく」(よおく RL)の音便形です。
25 よくす 繕〈平平東〉 詩経。上と同じものでしょうから、はじめの平声点はラフな言い方か誤りだと思われます。
こうして、図名がサ変「す」(の終止形「す」)に確実に上声点を差すのは、図名が注記を類聚したさまざまな資料のなかで、おそらく複数ある『論語』のうちの一本においてだけです。図名では限られた一部の資料だけが東点を用いない流儀をとります。このかたよりは、図名の用いた諸資料に注記した古人の大半が東点を用いる流儀によっただろうことを教えます。その人びとは、改めて申せば、サ変「す」(の終止形「す」)には東点を、低起二拍や多数派低起三拍の動詞の終止形の末拍には上声点を差したのでした。サ変動詞「す」の終止形は一拍ゆえ引かれたと考えられますから、図名においてそれに差される東点は長い下降調を意味すると見るべきで、すると、低起二拍や多数派低起三拍の動詞の終止形の末拍に差される上声点は短い下降調を意味すると見られます。
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5 用言のアクセント [目次に戻る]
a 序論 [目次に戻る]
まずは動詞。参照すべきは、何と言っても『研究』、改めて書名を省略せずに申せば『古今集声点本の研究』です。動詞の終止形ならばさしあたり総合索引を参照すればよいのですけれども、各活用形のアクセントについては『研究』に就かなくてはなりません。
古今集声点本は、古今集の仮名序・真名序や、千ばかりある歌々の要所要所に、そのアクセントを示すべく声点を差した書物の総称で、院政期の終わりごろ以降から鎌倉時代の終わり頃にかけて数多く作られ(それ以降も作られましたが、以下それらは数に入れません)、その総体が『研究』の「資料篇」および「索引篇」にまとめられています。
『研究』では個々の古今集声点本が略号によって示されていて、小論もそれを踏襲します。例えば「顕天平614」といったように、略称めいた漢字にアラビア数字の添えられたものは、その略称によって示された古今集声点本と『古今』の歌番号とご承知ください。『梅』のように二重かぎかっこに入れる時と、そうしない時とがあるでしょう。以下がその一覧です。各声点本のはじめの数字は『研究』研究篇下第三部において割り振られているもので、おおむね原本の成立順ですけれども、大きい番号のもののなかにも時に古態を存しているものがあります。ところどころ数字の抜けているのは、引かなかった声点本は省いたのです。
a 初期古今集声点本(図名との連続性が特に顕著な俊成本、顕昭本を、この小論ではこう呼ぶことにします)
1 問答 古今問答。かの俊成(1114~1204)の付けていたアクセントがうかがえます。注記数は多くありません。
2 顕天平 平仮名本顕昭古今集注。2から7までは、顕昭(1130頃~1210頃)による注記を主体とするもののようです。顕昭による差声が初期古今集声点本の中心をなします。
3 顕天片 片仮名本顕昭古今集注①。
4 顕大 片仮名本顕昭古今集注②。
5 顕府 顕昭古今集序注。
6 伏片 伏見宮家本古今和歌集。これも重要なもの。秋永さんは「顕昭自身が声を差した声点本から、伝授を受けた二人のうちの一名が丁寧に移声したと思われる」とお書きです。
7 家 家隆本古今和歌集。こうは呼ばれているものの、実際には「伝」を冠すべきもののようで、そのアクセント注記について秋永さんは、6の『伏』と共通の「おそらくは顕昭差声本」のそれを移したものとお考えです。
9 天片 片仮名本古今和歌集。『伏』に近いとか。
b 中期古今集声点本
10 伊 伊達家本古今和歌集。10から14までは、定家による注記を主体とするようです。
11 高嘉 高松宮家嘉禄本古今和歌集。
12 京中 中院本古今和歌集。
14 陽 陽明本古今和歌集。
15 寂 寂恵(じゃくえ)本古今和歌集加注。重要。安倍晴明の末裔にして、為家やその子・為氏に師事したというお坊さんによる、諸本に見られる注記をまとめたり自身のアクセントを記したりしたもの。
16 永 永治二年(1142)本古今和歌集。現在、宮本家蔵本として知られるもの。便宜上「中期」としましたけれども、1142年に藤原清輔が写したものを1201年
、源家長が写し、それをさらに誰かが写したもの。後世の注記も加えられているものの、原本のものと見られる注記もあるそうです。
17 梅 梅沢家本古今和歌集。原本は貞応二年(1223)の定家の奥書のあるものだそうです。
20 毘 毘沙門堂本古今和歌集註。『研究』によれば、次の『高貞』と同じく、今は失われた或る片仮名本の注記を写したもの。信頼度はやや劣るものの、毘や高貞によるしかない注記もたくさんあります。
21 高貞 高松宮家貞応本古今和歌集。『研究』の記述からうかがうに、総じて『毘』と異なる注記を与える場合、『高貞』よりも『毘』に就くべきだと思われます。
c 後期古今集声点本
22 京秘 古今秘註抄。
26 訓 古今訓点抄。鎌倉末期か南北朝初期に成立したもので、これによるしかない注記もたくさんあります。
はじめに、高起動詞、低起動詞の代表として四段活用の「咲く」と「成る」とを取り上げます。次の一覧――わずらわしいので活用形の名は記しません。慣習通りの順です。ときに助動詞や句読点や名詞を添えます――によって、二拍動詞のほぼ全部、そして三拍動詞の大半のアクセントのありようが把握できますけれども、ただし、連用形、終止形、已然形、命令形については、さしあたり文節末でのアクセントとお考え下さい。文節中におけるそれらのアクセントについては、はるかさき、「低下力」以下で考え始めます。
「咲く」
咲かず。(しゃかンじゅ HHL)
咲き、 (しゃき HL)
咲く。 (しゃく HL)
咲くこと(しゃく こと HHLL)
咲け。 (しゃけ HL。「こそ」の結び。以下このことは注しません)
咲け。 (しゃけ HL)
「成る」
成らず。(ならンじゅ LHL)
成り、 (なりい LF)
成る。 (なるう LF)
成ること(なる こと LHLL)
成れ。 (なれえ LF)
成れ。 (なれえ LF)
ラ変「あり」のアクセントも示しておきます。「成る」のそれと同じです。
あらば (あらンば LHL)
あり、 (ありい LF)
あり。 (ありい LF)
あること(ある こと LHLL)
あれ。 (あれえ LF)
あれ。 (あれえ LF)
未然形は必ず「ず」「ば」といった何かしらの付属語とともにあらわれるので、ここでは一例として「ず」「ば」を従えた言い方を記しました。じつは未然形のアクセントには別のパタンもあって、例えば「成らず」は「ならンじゅ LHL」、「成らば」は「ならンば LHL」ですが、「成らぬ」は「ならぬ LHL」ではなく「ならぬ LLH」です。他方「咲かず」「咲かば」は「しゃかンじゅ HHL」「しゃかンば HHL」、「咲かぬ」は「しゃかぬ HHH」で、動詞のアクセントは同じ。さまざまに面倒ですけれども、詳細は後述として、さしあたり未然形は「ず」「ば」の付く場合の言い方を記します。連体形の次には名詞が来るとは限りませんが、来ても来なくてもアクセントは同じ。
ほかの活用の種類の動詞、例えば二段動詞のアクセントなども、ほぼ上と同じです。例えば下二段動詞「告ぐ」、上二段動詞「起く」は次のとおり。
「告ぐ」
告げず。(とぅンげンじゅ HHL)
告げ、 (とぅンげ HL)
告ぐ。 (とぅンぐ HL)
告ぐる時(とぅンぐる とき HHHLL)
告ぐれ。(とぅンぐれ HHL)
告げよ。(とぅンげよお HLF。これは古典的なアクセントで、早くから「とぅンげよ HLL」とも言われたと考えられます。詳細はのちほど)
「起く」(起キル)
起きず。(おきンじゅ LHL)
起き、 (おきい LF)
起く。 (おくう LF)
起くる時(おくる とき LLHLL)
起くれ。(おくれえ LLF)
起きよ。(おきよ LHL)
三拍の動詞では次のとおりです。といっても低起三拍動詞には多数派と少数派とがあったのでしたが、今は多数派のほうのアクセントだけを掲げます。
「探す」
探さず。(しゃンがしゃンじゅ HHHL)
探し、 (しゃンがし HHL)
探す。 (しゃンがしゅ HHL)
探す人 (しゃンがしゅ ふぃと HHHHL)
探せ。 (しゃンがしぇ HHL)
探せ。 (しゃンがしぇ HHL)
「思ふ」
思はず。(おもふぁンじゅ LLHL)
思ひ、 (おもふぃい LLF)
思ふ。 (おもふう LLF)
思ふ人 (おもふ ふぃと LLHHL)
思へ。 (おもふぇえ LLF)
思へ。 (おもふぇえ LLF)
「おびゆ」
おびえず (おンびいぇンじゅ HHHL)
おびえ、 (おンびいぇ HHL)
おびゆ。 (おンびゆ HHL)
おびゆる人(おンびゆる ふぃと HHHHHL)
おびゆれ。(おンびゆれ HHHL)
おびえよ。(おンびいぇよお HHLF)
「数(かぞ)ふ」
数へず。 (かンじょふぇンじゅ LLHL)
数へ、 (かンじょふぇえ LLF)
数ふ。 (かンじょふう LLF)
数ふること(かンじょふる こと LLLHLL)
数ふれ。 (かンじょふれえ LLLF)
数へよ。 (かンじょふぇよ LLHL)
高起動詞、低起動詞ごとにまとめるとこうなります。連用形と終止形とはアクセントが同じなのでまとめます。
未然 用・終 連体 已然 命令
咲く HH HL HH HL HL
探す HHH HHL HHH HHL HHL
告ぐ HH HL HHH HHL HLF
怯ゆ HHH HHL HHHH HHHL HHLF
未然 用・終 連体 已然 命令
成る LH LF LH LF LF
思ふ LLH LLF LLH LLF LLF
起く LH LF LLH LLF LHL
数ふ LLH LLF LLLH LLLF LLHL
終止形が四拍以上になる動詞にも、高起・低起の別があります。高起式のものは二拍・三拍動詞の延長で考えることができて、例えば高起四段動詞、高起下二段動詞の代表としてそれぞれ「うしなふ」「こしらふ」をとりますと(「こしらふ」〔語形としては「こしらえる」の古い形〕は古今異義で、「機嫌をとる」「なだめる」といった意味でした)、
うしなはず。(うしなふぁンじゅ HHHHL)
うしなひ、 (うしなふぃ HHHL)
うしなふ。 (うしなふ HHHL)
うしなふこと(うしなふ こと HHHHLL)
うしなへ。 (うしなふぇ HHHL)
うしなへ。 (うしなふぇ HHHL)
こしらへず。(こしらふぇンじゅ HHHHL)
こしらへ、 (こしらふぇ HHHL)
こしらふ。 (こしらふ HHHL)
こしらふる時(こしらふる とき HHHHHLL)
こしらふれ。(こしらふれ HHHHL)
こしらへよ。(こしらふぇよお HHHLF)
となりますけれども、低起式のものについては、二拍低起動詞や多数派低起三拍動詞の延長ではないところがあります。低起二拍動詞の終止形「成る」はLF、多数派低起三拍動詞の終止形「思ふ」はLLFというアクセントでしたが、低起四拍動詞、例えば「あつまる」の終止形はLLLFではなくLLHL(あとぅまる)というアクセントで言われます。これが低起四拍動詞の終止形の基本形です。
あつまらず。(あとぅまらンじゅ LLLHL)
あつまり、 (あとぅまり LLHL)
あつまる。 (あとぅまる LLHL)
あつまること(あとぅまる こと LLLHLL)
あつまれ。 (あとぅまれ LLHL)
あつまれ。 (あとぅまれ LLHL)
同様に下二段動詞「あらはる」は、
あらはれず。(あらふぁれンじゅ LLLHL)
あらはれ、 (あらふぁれ LLHL)
あらはる。 (あらふぁる LLHL)
あらはるる時(あらふぁるる とき LLLLHLL)
あらはるれ。(あらふぁるれ LLLHL)
あらはれよ。(あらふぁれよ LLLHL)
のようなアクセントで言われます。これが下二段動詞の基本形です。「成る」の連体形はLH、已然形はLF、「思ふ」の連体形はLLH、已然形はLLFでした。「あつまる」「あきらむ」の連体形はそれぞれLLLH、LLLLHですけれども、それらの已然形はそれぞれLLHL、LLLHLであって、最後の一拍ではなく二拍のアクセントが連体形のそれとは異なり、かえって、拍数こそ違え、連用形や終止形と同趣のアクセントで言われます。
同様に例えば低起五拍の四段動詞「改まる」の終止形はLLLHLで、低起四拍の「あつまる」LLHLとの差は、はじめの低い部分の長さだけです。
一つの確認。例えば「先立つ」は平安時代の京ことばでは「しゃきンだつ HHHL」と言われましたが、「立つ」は単独では、tatooと同じ「たとぅう LF」です。つまり「しゃきンだつ HHHL」において「立つ」の式は保たれていないわけですけれども、多拍動詞ではこういうことはしょっちゅう起こります。
まとめると、終止形が四拍以上になる動詞のアクセントは、次のような単純な、そして美しいものです。
未然 用・終 連体 已然 命令
H…HH H…HL H…HH H…HL H…HL(F)
L…LH L…HL L…LH L…HL L…HL
b ひそやかなつながり・動詞における [目次に戻る]
手元の資料をもとにきわめてラフな集計をしてみますと、平安時代の京ことばには千数百の単純動詞(「咲く」「成る」の類。複合動詞〔「咲き出(い)づ」「成りまさる」の類〕に対する称)があって、そのうち二拍動詞、高起三拍動詞、多数派低起三拍動詞は千くらいあります。高起低起の別さえ分かれば、それらの動詞のアクセントのありようは容易に分かるわけですけれども、その式の高低も、じつは私たちはかなりの程度知っている、ということができます。
例えば、現代の京ことばの話し手は、二拍動詞については苦労はないでしょう。げんにふだん「咲く」「告げる」「成る」「起きる」とおっしゃっているでしょうから、「咲く」「告ぐ」が高起式、「成る」「起く」が低起式であることは自明、ということになります。ちなみに「咲く」と「成る」とは、昔の京ことばにおける連体形のアクセントそのものですが、これは周知のとおり、鎌倉時代ごろ連体形が終止形の地位を奪い、みずからが両方を兼ねたことによります。「告げる」「起きる」も、古い連体形「告ぐる」「起くる」の変化したものです。これらの、古くは終止形が二拍だった動詞については、今昔の京ことばは基本的には式を同じくします。
しかし、現代の京ことばでは、「探す」も「思ふ」もHHH(探す、思う)、「怯える」も「数える」もHHHHのアクセントをとるようです(怯える、数える)。これは、もともとは終止形が三拍だった動詞は、高起のものはもとより、低起のものも、現代の京ことばでは基本的には高起式で言われるからです。
ところが、中井さんの『京ア』によれば、京都から見た「周辺部」に、「思う」を「おもう HLL」と言う地域があります。南北朝時代、都ではアクセントに劇的な変化が生じたと前(さき)に申しました。それは具体的には、それまでのLLはHLに、それまでのLLLはHHLに、それまでのLLLLはHHHLになり、同様に例えばそれまでのLLHはHLLに、それまでのLLLHはHHLLに、それまでのLLLLHはHHHLLになるという変化、要するに、低平拍が語頭からn個続く場合、はじめの(n-1)個が高平化し、その次から低平化するという変化で、この変化は全面的・包括的でした。以下、この変化を受けるという意味で「正規変化する」という言い方をすることにしますと、京都からみた周辺部における「おもう」は、古い連体形「おもふ」(おもふ LLH)のハ行転呼形が正規変化して成立した発音そのものです。つまり「おもう」と発音なさる方がたは、このアクセントから古くは「おもふ」は低起式だったろう、と推測することができます。ちなみに近世前期には京都でも「おもう」だったのが、後期に変化したのだそうです(「京言葉」〔旧「現代京都言葉」〕〔web〕。これは優れたサイトです)。
同様に、京都から見た周辺部において「数える」を「かぞえる HHLL」と発音なさる人は、古くは「かぞふ」は低起式だったろうと推測できます。「かぞえる」は「かぞふる」(かンじょふる LLLH)が鎌倉時代頃「かぞへる」(かンじょいぇる LLLH)に変わり、それがさらに正規変化して成立した形です。
じつは、東京語の話し手も、この種の推測をすることができます。
例えば、さきほど見た八つの動詞の終止形は、東京では一般に、「さく」「さがす」「つげる」「おびえる」「なる」「おもう」「おきる」「かぞえる」というアクセントをとるわけですけれども、これらのうち、はじめの四つは高く終わり、残りの四つは低く終わります(指摘されるまで気づかないものではないでしょうか。私などはそうでした)。また、はじめの四つでは「さかない」「さがさない」「つげない」「おびえない」のように「ない」が高く付き(=「ない」の「な」が高く言われ)、残りの四つでは「ならない」「おもわない」「おきない」「かぞえない」のように「ない」が低く付きます(=「ない」の「な」が低く言われます)。また、はじめの四つでは「さいて」「さがして」「つげて」「おびえて」のように「て」が高く付き、残りの四つでは「なって」「おもって」「おきて」「かぞえて」のように「て」が低く付きます。
これは偶然ではないので、例えば「さく」「さかない」「さいて」において活用語尾「く」や付属語「ない」「て」が高平調をとるのは、「咲く」(しゃく HL)が昔の都では高起式だったことを教え、「なる」「ならない」「なって」において活用語尾「る」や付属語「ない」「て」が低平調をとるのは「なる」(なるう LF)が昔の都では低起式だったことを教えます。千くらいあると申した昔の京ことばにおける二拍動詞、高起三拍動詞、多数派低起三拍動詞のなかには、今昔で意味の異なるものもたくさんありますけれど、そうしたものも含めて、多くは今もある言葉です。動詞のアクセントについて今しがた申したことは、それらの多くについて言えます。例えば東京では「あそぶ」はLHHで、これは昔の京ことばでは「あそぶ」が高起式だったことを教えます(「あしょンぶ HHL」)。ちなみに現代京都では「遊ぶ」は低起式で言われるようです(「あそぶ」)。
千年前の都と現代東京とのあいだに実はあった、秘かなつながり。以前今しがた申し及んだ「現代京都言葉」(現「京言葉」)に赴いてそういってよいもののあることを知り、私は衝撃を受けましたが、この秘かなつながりは動詞においてあるだけではないのでした。
c ひそやかなつながり・形容詞における [目次に戻る]
東京では例えば「あまいチョコ」はLHHHL、「にがいチョコ」はLHLHLと言われます。平安時代の京ことばでは「あまし」は「あましい HHF」、「にがし」は「にンがしい LLF」など言われました。いわゆる文語体の「あまし」ないし「あまし」、「にがし」というきっぱりとしたアクセント、〝文語らしい〟アクセントは、平安時代の京ことばのアクセントではないのであり、このことは謂うところの「文語の格調」というものが一種の虚構としてあることを意味すると思いますけれども、今はそれはともかく、古くは形容詞にも高起・低起の別があって、例えば「あまし」(あましい HHF)は高起形容詞、「にがし」(にンがしい LLF)は低起形容詞です。この式の高低は、東京アクセントにおける「あまい LHH」「にがい LHL」の末拍の高さと一致していて、これは偶然ではありません。
「甘し」(高起ク活用)
連用形 あまく あまく HHL
終止形 あまし あましい HHF
連体形 あまき あまきい HHF
已然形 あまけれ あまけれ HHHL
「にがし」(低起ク活用)
連用形 にがく にンがく LHL
終止形 にがし にンがしい LLF
連体形 にがき にンがきい LLF
已然形 にがけれ にンがけれ LLHL
「悲し」(高起シク活用)
連用形 かなしく かなしく HHHL
終止形 かなし かなしい HHF
連体形 かなしき かなしきい HHHF
已然形 かなしけれ かなしけれ HHHHL
「うれし」(低起シク活用)
連用形 うれしく うれしく LLHL
終止形 うれし うれしい LLF
連体形 うれしき うれしきい LLLF
已然形 うれしけれ うれしけれ LLLHL
少し集約すれば、次のようです。連用形や終止形が二拍のもののことは先で申します。
ク活用
高起式 低起式
連用形 H(…)HL L(…)HL
終止形 H(…)HF L(…)LF
連体形 H(…)HF L(…)LF
已然形 H(…)HHL L(…)LHL
シク活用
高起式 低起式
連用形 H(…)HHL L(…)LHL
終止形 H(…)HF L(…)LF
連体形 H(…)HHF L(…)LLF
已然形 H(…)HHHL L(…)LLHL
こんな特色があります。
i 連用形末尾の「く」は常に低く、その前は常に高い(「あまく」〔あまく HHL〕、「にがく」〔にンがく LHL〕)。したがってシク活用の連用形の末尾「しく」は常にHLと発音される(かなしく〔かなしく HHHL〕、うれしく〔うれしく LLHL〕)。
ⅱ 終止形末尾の「し」、および連体形末尾の「き」は常に下降調。院政期にはそれらは高平化していたと見る向きもありますけれど、顕天片・顕大1070が「楽しきを」に〈平平平上平〉を差し(たのしきいうぉ LLLFL)、また、寂・毘・高貞・寂(墨点)1024が「恋しきが」の「が」に〈平〉を差し(こふぃしきいンが LLLFL)、さらには御巫本(みかなぎぼん)日本紀(にほんぎ)私記(『研究』研究篇下p.131)が「無きが」の「が」にやはり〈平〉を差しているようで(なきいンが LFL)、これらにおいて助詞の低いのは形容詞の末拍が拍内下降するからでしょう(詳細後述)。また、「べし」に終わる言い方が形容詞相当になることはつとに知られていますが(やはり詳細後述)、その「べし」の連体形が「切るべきに」〈平平平上平〉(毘421)において助詞「に」を低く付けているのは、やはり末拍が拍内下降するからでしょう(「きるンべきいに LLLFL」)。
ⅲ 已然形末尾の「けれ」は常にHLと発音される(「あまけれ HHHL」「うれしけれ LLLHL」)。
形容詞のことでは、まだいわゆる「カリ活用」のことと、語幹のことを申さなくてはなりません。
学校文法は例えば「あまからむ」(あまからムう HHLLF)を形容詞の連用形「あまから」と助動詞「む」とからなるとしますけれども、つとに諸先覚の説くとおり、これはほとんど理不尽です。「あまからむ」は、「あまく」と「あらむ」との縮約した言い方であって、実質的に動詞に終わる「あまから」(=あまくあら)のような言い方を形容詞(の「カリ活用」)の一部分とするのには無理があります(「委託法、および、状態命題」3の一節をご覧ください)。じっさい、例えば「あまからむ」には「あまくやあらむ」(あまくやあ あらム HHLFLLH。甘いだろうか。甘いかもしれない)のように容易に助詞が介入しますし、アクセントを見ても、「あまからむ」は「あまからムう HHLLF」という、「あまく」(あまく HHL)と「あらむ」(あらムう LLF)との単純な縮約形であることは明らかです。
「おほかり」について一言。平安仮名文において現代語「多い」に当たるのは、「多く」(おふぉく LHL)と「あり」(ありい)とのつづまった「多かり」(おふぉかりい LHLF)であることはよく知られています。「多し」(おふぉしい LLF)という形容詞もありましたけれど、もっぱら漢文脈で使われました。もっとも、連用形「多く」は元来「多し」のそれだとも言えます。なお現代東京で「多い」が例えば「にがく」と同じように「おおく」と言われるのではなく「おおく」と言われるのは、第二拍が特殊拍(後述)なので変化したのです。
多からず おふぉからンじゅ LHLHL
多く おふぉく LHL
多かり おふぉかりい LHLF
多かる おふぉかる LHLH
多かれ おふぉかれえ LHLF
多かれ おふぉかれえ LHLF
次に語幹について。「にくみす」(にくみしゅう LHLF)のことなどを考えた時に申したとおり、形容詞の語幹は、連用形から「く」を取り去ることで、アクセントも含めてしかるべきものが得られるのでした。以下に見るとおり、終止形から「し」を取り去ることでも語幹を得られるのは高起・ク活用の場合だけです。
高起・ク活用
終止形 あまし (あましい HHF)
連用形 あまく (あまく HHL)
語幹 あま(あま HH)
低起・ク活用
終止形 にがし (にンがしい LLF)
連用形 にがく (にンがく LHL)
語幹 にが(にンが LH)
高起・シク活用
終止形 かなし (かなしい HHF)
連用形 かなしく (かなしく HHHL)
語幹 かなし(かなし HHH)
低起・シク活用
終止形 うれし (うれしい LLF)
連用形 うれしく (うれしく LLHL)
語幹 うれし(うれし LLH)
学校文法ではシク活用の形容詞の語幹に末尾の「し」を含めませんが、識者の指摘なさるとおり、これは端的に悪弊でしょう。「かなし」「うれし」の語幹を「かな」「うれ」とする学校文法は、いわゆる「語幹の用法」について、「ただしシク活用では語幹ではなく終止形の用法」とするわけですが、アクセントも含めて考えるならば終止形と語幹とは異なります。
形容詞の語幹は、現代語と同じく接辞「さ」(しゃ H)を従えて「あまさ」(あましゃ HHH)、「にがさ」(にンがしゃ LHH)、「かなしさ」(かなししゃ HHHH)、「うれしさ」(うれししゃ LLHH)のような名詞を作りますけれども、古くはまた接辞「み」(み L)も従えました。「あまみ」(あまみ HHL)、「にがみ」(にンがみ LHL)、「かなしみ」(かなしみ HHHL)、「うれしみ」(うれしみ LLHL)のような言い方は、(i)連用形に近い意味を持ったり――例えば「明日香の古き都は山高み川とほしろし」(万葉324。あしゅかの ふるきい みやこふぁ やま たかみ かふぁ
とふぉしろしい LLHL・LLFHHHH・LLLHL・HLHHHHF)は、「山が高く、川が雄大だ」というのです――、(ⅱ)原因・理由を示したりしますが――もっとも例えば「あまみ」はことさら「甘いので」としなくても単に「甘く」「甘くて」とすればその意味を示せるのですから、(i)に含めることもできます――、(ⅲ)サ変「す」とともに「何々だと思う」を意味する言い方を作ることもできます。前(さき)に申し及んだ「なつかしむず」(なとぅかしムじゅう LLLHLF)のような言い方は、こうしてできた「なつかしみす」(なとぅかしみしゅう LLLHLF)の撥音便形でした。同じ意味で「なつかしみ思ふ」(なとぅかしみ おもふう LLLHLLLF)という言い方をすることもでき、これらと「なつかしく思ふ」(なとぅかしく おもふう)とは同義であることを思うと、いよいよこの「…み」と形容詞の連用形との近さがはっきりします。
山里は冬ぞわびしさまさりける人目も草も枯れぬと思へば 古今・冬315。諸本「さびしさ」とするところを伏片は「わびしさ」とし〈上上上上〉を差します。やまンじゃとふぁ ふゆンじょお わンびししゃ ましゃりける ふぃとめも くしゃもお かれぬうと おもふぇンば LLLHH・HLFHHHH・HHLHL・HHHLLLF・HLFLLLHL。
数々に思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる 古今・恋四705。第三句に梅・寂が〈上上上上平〉を差しています。かンじゅかンじゅに おもふぃい おもふぁンじゅ とふぃンがたみ みいうぉお しる あめえふぁ ふりンじょ ましゃれる LHLHH・LLFLLHL・HHHHL・HHHHLFH・LHLHHLH。思ってくれているのかそうでないのか聞くことがむつかしく、だから今の私のありようを知っている雨(つまり涙)がますます強く降っています。
この「み」と区別しなくてはならない「み」があるようです。例えば図名に「烏賊の黒み」〈上上上平平平〉(いかの くろみ HHHLLL。烏賊の墨のこと)という注記がありますけれども、アクセントから見て、これなどは動詞「黒む」(くろむう LLF)から派生した名詞と見るべきでしょう(派生名詞のことは詳細後述)。梅・訓618も次の歌の「浅み」に〈上上上〉(あしゃみ HHH)を差しています。浅みこそ袖は浸(ひ)つらめ涙川身さへ流ると聞かばたのまむ 古今・恋三618、伊勢物語107
この「浅み」は「(気持ちが)浅いから」といった意味に解せらるべきでしょうけれども(あしゃみこしょ しょンでふぁ ふぃとぅらめえ なみンだンがふぁ みいしゃふぇ なンがるうと きかンば たのまムう HHLHL・HHHLHLF・LLHHL・HHHLLFL・HHLLLLF)、梅や訓は「浅みこそ」を「浅みにこそ」(=浅イ所デ)と同義の言い方と解しているようです(副助詞や係助詞の前の格助詞は省略可能です)。浅い所で袖は濡れているのでしょう。涙川にからだまで流れていると聞いたら、あなたの言葉を信じましょう。「浅い所」を意味する「浅み」(あしゃみ HHH)という名詞は確かにあって――そういえば現代語でも「高い所」という意味で「高み」と言います――、これは動詞「浅む」(あしゃむ HHL)の派生語にほかなりません。
形容詞の語幹は「あな」(あな LL。現代語「あら」の古形。築島さんの『新論』によると、院政期、さるお坊さんが「愚人」は「あな」ではなく「あら」を使うと書いているそうです)を先立てて「ああ何々だ」を意味します。
秋の野になまめき立てる女郎花あなかしかまし花も一時(ひととき) 古今・誹諧歌(はいかいか)(「誹」は広辞苑によれば呉音も漢音も「ひ」ですけれども寂は「はい」と読み、全体に〈平平平平上〉〔ふぁいかいかあ。「歌」は漢音ではF〕を与えます)1016。『梅』が「あなかしかまし」に〈平平平平平平上〉を差しています。現代語では「かしがましい」と言いますが、古くは「かしかまし」(かしかましい LLLLF)。改名はこの形容詞を高起式としますが、梅によっておきます。あきいの のおにい なまめき たてる うぉみなふぇし あな かしかまし ふぁなもお ふぃととき LFLLH・LLHLLHL・HHHHL・LLLLLLH・LLFLLHH。乙女たちがおしゃべりをしているかのごときオミナエシの群生。ああやかましい。しかしこれもひと時のこと。「一時」(ふぃととき LLHH)の後半二拍は推定。例えば「一本」は「ふぃともと LLHH」です(「もと」も「とき」もLL)。
d 東京語のアクセント [目次に戻る]
次節以降、しばらく、平安時代の京ことばにおける個々の動詞や形容詞のアクセントを、東京アクセントとの関連において、徹底的に具体的に考えます。理論的なことがらに興味をお持ちの方は、また、参考としてひきつづきひらがなで記すアクセントの信憑性をお疑いの向きは、はるか先、「低下力」のところにお進みいただいたほうがよいかもしれません。
次節以降においては近現代の東京アクセントを記した数種のアクセント辞典を大量に引きます。その際、五つについては略号を用いるので、以下に示します。
『26』。山田美妙(1868~1910)の『日本大辞書』(1893年=明治26年)(デジタルコレクション)のことです。きちんとしたアクセント辞典でもある国語辞典です。十九世紀の末にこれだけのものがあったとは。そして手軽に利用できるとは。
『43』。日本放送協会『日本語アクセント辭典』(1943)のことです。ここからは略号は西暦によります。wikisourceで見られます。
『58』。三省堂『明解日本語アクセント辞典』(昭和三十三年六月二十五日発行)です。金田一春彦監修、秋永一枝編修。
『89』。語義説明や例文のユニークさによって名高い『新明解国語辞典』第四版(1989)です。
『98』。『NHK発音アクセント辞典』(1998年版)です。
さて東京語のアクセントは一つの数字で示すことができます。以下では、『89』に倣いこの数字を○で囲み、⓪、①、②(…)と表示します。『26』や『43』や『58』や『98』は別の表記法を用いますけれども、この数字による表記法に直します。
念のため、以下、現代の東京語のアクセントを数字ひとつで記述できることを確認します。それなら先刻承知と言われてしまうかもしれませんけれども、例えば「花」と「鼻」とはそれ自体で、ということは「が」「を」のような助詞を付けなくても区別できると聞いて驚かれるかたや、東京アクセントでは初拍と第二拍とは常に高さを異にするわけではないと聞いて驚かれるかたにはご覧いただきたいと思います。もっとも、諸家の受け売りを申すだけです。
東京語のアクセントには、はじめの拍が低いならば次の拍は高く、はじめの拍が高いならば次の拍は低いという〝基本定理〟があります。申したとおり例外があるものの、大抵そうだという意味で比喩的にはそういう定理があると申せます。この定理は昔から成立していたようで、十五世紀末、金春禅鳳(こんぱるぜんぽう)という人、名前から予想されるとおり能役者のかたですけれども、この方が、例えば「京声」では「犬」をHLと発音し(平安時代の京声は「いぬ LL」。HLはその正規変化したもの)、「坂東筑紫なまり」ではLHと発音する、という意味のことを言っているそうです。西国筑紫でも、そして坂東でも、ということは東海道では足柄峠、中山道では碓氷峠より東でも、古くから「犬」は「いぬ」と言われたようです。東京語という「坂東なまり」では、例えば「か」が低くはじまったら次は例えば高い「う」なり「き」なり「ぎ」なり「ぜ」が来るのであり(「買う」「柿」「鍵」「風」)、「か」が高くはじまったら次は例えば低い「い」なり「う」なり「き」なりが来ます(「貝」「飼う」「牡蠣」)。
なお、今申しているのは、正確を期するならば、「音調句」など呼ばれるところの、アクセント上の、時には複数文節からなるまとまりの初拍と第二拍との関係でして、例えば「この柿」は通例「この かき」ではなく「この かき」と言われますけれども、これは二文節の「この柿」が一つの音調句をなし、そこにおいて「柿」は音調句の第三四拍であるゆえ「基本定理」が適用されないからです(「この かき」の「この」では基本定理が成り立っています)。「柿」LHにおける初拍の低まりは「柿」という単語に属するのではない、ということになりますが、しかし、だからといって「柿」の固有のアクセントはHHだとするのはミスリーディングです。単語のアクセントは通例音調句のはじめに置かれる時のアクセントで代表させる、という一般的な了解があるとしてよいのではないでしょうか。「基本定理」は確かに正確を期するならば音調句について言えるわけですけれど、「現代東京では『柿』は「かき」と言われるという言い方は不正確だ」 というのもまた不当だと思います。そもそも、「この柿」をゆっくりと、かんで含めるように言う時などは、「柿」の初拍もはっきりと低まり得ます。「この柿」は「この かき」と言うべきだ、というようなルールがあるわけではありません。
ともあれ、こういうわけで東京語のアクセントは一つの数字によって示せます。例えば「貝」も「飼う」も「牡蠣」も①で示せます。第一拍の終わりに――「第一拍に」ではなく「第一拍の終わりに」――下がり目(「アクセントの核」とも言います)があるから①。初拍を発音し終えてから下がるということは初拍は高いということで、確かに数字①によって「貝」「飼う」「牡蠣」のHLというアクセントを示せます。
他方、例えば「花」や「鍵」は②です。第二拍の終わりで下がるからです。ここで下がるというのは助詞が低く付くということで、例えば「柿が」「柿を」では高く言われる「が」「を」が、「花が」「鍵を」ではいずれも低く言われます。さて第二拍の終わりで下がるということは第二拍は高いということで、すると基本定理から初拍は低いので、確かに数字②によって「花」「鍵」のアクセントを記述できます。同じように例えば「北陸新幹線」のアクセントは⑦で示せます。第七拍の終わりで下がるということは第七拍は高いということですが、それ以前に低まるところがあるならばそれを指定する数字がなくてはなりません。ないならば低まらない。つまり高い。ただし、二拍目以降が高いならば基本定理によって初拍は低い。そこで⑦によって「ほくりくしんかんせん」というアクセントが示されます。
「柿」や「風」や「反射式天体望遠鏡」は、「が」「を」のような助詞が高く付くので、⓪です。「買う」も、「見るとよい」などでは低く付く「と」が「買うとよい」では高く付く(ないし高く付きうる)ので、⓪です。⓪は、ゼロ拍目の終わりで下がる(=はじめから下がる)、という意味ではなく、下がり目がないという意味です。もし初拍が高いならば、基本定理によってその終わりが下がり目です。つまり①です。①でないということは、初拍は低く、次の拍以降は高いということで、どこにも下がり目がないならば、最後まで高く、「が」「を」のような助詞も高く付くということです。この⓪で示されるアクセントを「平板型」と言います。
節の最後に、東京語のアクセントに関する基本定理を精緻化しておきます。要点は、初拍が高く、第二拍が長音や撥音や二重母音の後半である場合、その第二拍は必ずしも下がらない、というところにあります。例えば「あーちしき(アーチ式)」や「あんしん(安心)」や「あいかぎ(合鍵)」のアクセントは⓪と記述されますけれども、これらの言葉は通例「あーちしき」「あんしん」「あいかぎ」と言われます。ゆっくり区切って言う場合は「あ・あ・ち・し・き」「あ・ん・し・ん」「あ・い・か・ぎ」とも言えますけれど、普通こうは言われず、「あーちしき」「あんしん」「あいかぎ」と言われます。しかし基本定理によれば初拍と第二拍とは高さが異ならなくてはなりません。
もともと、これも申したとおり、「花」と「鼻」とは、いずれもLHと書けるとは言え、同じではありません。大いに誤解なさっている向きも少なくないようですけれども、実際に発音してみれば明らかなとおり、「鼻」における初拍と第二拍との音程の差は、通例「花」におけるそれよりもかなり少ないはずです(私はどなただったかのお書きになったものにそうあるのを読むまで気づきませんでした)。ただ、だからといって「鼻が」は東京では「はなが」と言われるとはいえません。これは例えば「あかじが(赤字が)」を「あかじが LHHH」ではなく「あかじが HHHH」、「あきばしょが(秋場所が)」を「あきばしょが LHHHH」ではなく「あきばしょが HHHHH」、「あくたがわが(芥川が)」を「あくたがわが LHHLLL」ではなく「あくたがわが HHHLLL」、「あずまおとこが(東男が)」を「あずまおとこが LHHHLLL」ではなく「あずまおとこが HHHHLLL」と言うとあずま人には関西語風に聞こえることを、ということは東京アクセントに
聞こえないことを確認して耳を慣らせば、了解されるでしょう。「鼻が」も「はなが」と発音すると関西語に聞こえます(「はなが いたい」)。つまり東京アクセントでは「鼻が」はHHHだということはできません。それはやはりLHHです。「花が」のはじめの二拍とすっかり同じではありませんけれど、「鼻が」でも初拍は低く、第二拍は高いのです。なお、「鼻が」は実際に関西語のアクセントですけれども、例えば京ことばでは概略、「あかじが」はLLLH、「あきばしょが」はLLLLH、「あくたがわが」はLLHLLL、「あずまおとこが」はLLLHLLLと言われます。しかしあずま人には「あかじが」以下が関西語風に聞こえるのは事実です。
ところが、「あーちしき」「あんしん」「あいかぎ」は関西語風に聞こえません。関西語でもこうでしょうが、東京語でもこう言われます。つまりこれらにおいては基本定理が成り立っていません。
撥音や、長音の後半や、二重母音の後半は「特殊拍」と呼ばれます。東京アクセントでは特殊拍は、その名のとおり特殊な性格を持っています。「かんさつりょく(観察力)」「こーげきりょく(攻撃力)」などが④であるのに、「えんしんりょく(遠心力)」「えーきょーりょく(影響力)」「けーざい(ai)りょく(経済力)」が③なのは、東京語では特殊拍の終わりは下がり目にならないからです。特殊拍でないならばそこが下がり目であるという場合も、そこが特殊拍ならば下がり目はその拍の前に来ます。京ことばなどでは特殊拍は特殊でなく、例えば「えんしんりょく(遠心力)」「えーきょーりょく(影響力)」「けーざいりょく(経済力)」と言われますけれども、ただし、近年は東京に毒されて「えんしんりょく(遠心力)」「えーきょーりょく(影響力)」「けーざいりょく(経済力)」と言われることも(ないし、ことが)多いようです。
なお、基本定理における例外は特殊拍全般にかかわるとすることはできません。促音も特殊拍だからです。例えば「あっか(悪化)」は⓪ですけれども、「あっかする」はあずま人には関西語のアクセントに聞こえます(聞こえるだけでしょう。京都では「あっか」のようです)。東京では「悪化」はHHHではなくLHHの気持ちで言われます。実際にはLLHのつもりで言っても同じであること、前(さき)に申したとおりですけれども、いずれにしても初拍は低く言われるはずです。
基本定理は、「東京語のアクセントでは、初拍が低いならば次の拍は高く、初拍が高いならば次の拍はそれが特殊拍(ただし促音を除く)でない限り低い」とすべきものなのでしょう。促音は例外の例外をなします。初拍が高く次の拍が促音以外の特殊拍である場合、その特殊拍は高くも低くも言われ得ます(あいかぎ〔合鍵〕、あいか〔哀歌〕)。この場合でも⓪①というアクセント表記は有効ですけれども、ただ、①は本則どおりとして、⓪は、ゆっくり言う時には本則どおりの発音も可能だが(あいかぎが)、ふつう以上のテンポでは初拍から高く、かつ下がり目のない言い方であることを意味します(あいかぎが)。初拍が高く次の拍が促音である場合、本則どおりに次の拍以降は低くあることしかできません(あっか〔悪貨〕、アッサム〔インドの州名〕)。
旧都の用言のアクセントと新都のそれとの間の秘かなつながりの一端は、基本定理を用いて容易に説明できます。現代語の動詞の終止形は古い連体形に由来するのでした。例えば「探す」「失ふ」の連体形は「しゃンがしゅ HHH」「うしなふ HHHH」ですけれども、これらの二拍目は「促音以外の特殊拍」ではないので、初拍と次の拍とはあずま言葉では高さが異ならなくてはなりません。するとこれらに近いのはLHH、LHHHしかありません。高く始めたら次は低くするしかなく、HLL、HLLLはもとの言い方と似ても似つきません。
ちなみにこのことはほかの品詞についても言えて、例えば東京では「蚊(が)」「子(が)」はL(H)、「姉(が)」「牛(が)」はLH(H)、「霰(あられ)(が)」「器(うつは)(が)」はLHH(H)、「暁(あかつき)(が)」「泡沫(うたかた)(が)」はLHHH(H)、「桜色(が)」「政(まつりごと)(が)」はLHHHH(H)と発音されますけれども、これらのアクセントは、平安時代に「蚊」「子」「姉」「牛」「霰」「器」「暁」「泡沫」「桜色」「まつりごと」が「かあ H」「こお H」「あね HH」「うし HH」「あられ HHH」「うとぅふぁ HHH」「あかとぅき HHHH」「うたかた HHHH」「しゃくらいろ HHHHH」「まとぅりンごと HHHHH」と発音された名残だと申せます(事情は京都でもほぼ同じですけれども、ただ例えば「霰」は今は単独では「あられ」だというようことはあります)。ただしこの種の推定は万能だというようなことはあいにく全然なくて、例えば
東京では「日(に)」はL(H)と発音されますけれども古典的には「ふぃいに FH」と言われましたし、東京では「北(に)」はLH(H)と発音されますけれども
古典的には「きたに HLH」と言われましたし、「菖蒲(あやめ)(に)」は
東京ではLHH(H)と発音されますけれども、平安時代の京ことばでは東京と同じく「あやめに LHHH」と言われましたし、「紫陽花(あぢさゐ)(に)」は東京ではLHHH(H)と発音されますけれども、平安時代の京ことばでは「あンでぃしゃうぃに LLHHH」と言われました。東京で平板だから昔の京都でもそうだったろうと断ずることはできません。そうだった可能性は高い、ないし低くない、といった程度のことが言えるに過ぎません。
ただそのなかで、二拍名詞については、東京で⓪ならば平安時代の京ことばではHHだったろうと考えてほとんど誤らないようで、「北」などは例外ということになりますけれども、実は「北」は東京ではもともとは平板アクセントではありませんでした。すわなち、『26』『43』『58』は「北」を②とします。『89』は⓪②。平板化したのは割合と最近のことで、それまで東京ではもっぱら「きたへ かえる」など言っていたのでした。
この「北」と同趣のことが「沖」と「鹿」とについて申せます。すなわち、「沖」は平安時代の京ことばでは「おき LL」でしたけれども、現代東京では⓪、『43』『58』も⓪。このアクセントからは往時の京ことばにおけるそれをしのべません。しかし『26』はこの名詞を①とします(「おきに でる」)。これならば、「朝」も「雲」も平安時代にはLLだったが(あしゃ LL、くも LL)現代東京では『26』以来①で言われるので、少数ながら仲間はいると申せます。
次に「鹿」は平安時代には「しか LL」と言われましたけれども、現代東京では⓪で言われます。やはりこのアクセントからは往時の京ことばにおけるそれをしのべませんけれども、昔の東京では「ならで しかを みた」など言ったようです。すなわち、『26』『43』は「鹿」を②とし、『58』はこの二拍語を②とした上で「新は⓪」(表記は変更しました)とします。『89』はただ②とするものの、大辞林(2006)は⓪②。OJAD(web)は⓪。ちなみに、平安時代の京ことばにおいてLLで言われた名詞の多くは現代東京では②で言われます(「垢」は「あか LL」、「足」は「あし LL」〔「葦」は「あし」〕、「明日」は「あしゅ LL」、「綾」は「あや LL」、「泡」は「あわ LL」〔「粟(あは)」は「あふぁ」〕…)。
平安時代の京ことばでは高平連続調だった動詞や名詞の多くが東京では平板アクセントで言われますけれども、高平連続でなかったものも東京では時に平板アクセントで言われます。そして、旧都では高平連続でなかったものが新都でどう言われるようになったかは、簡単には記述できません。こうして、旧都におけるアクセントと新都におけるそれとの関係は十分複雑です。ただ、経緯は私などにははっきりしないながら、旧都の例えば「思ふ」の低起性と、現代東京で「思う」が②で言われることとは無縁どころでないこと、これははっきりしています。そういうことについて、これから縷々申します。
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6 動詞のアクセント(Ⅰ) [目次に戻る]
a 昔の東京のアクセントが参考になる動詞 [目次に戻る]
i 高起動詞 [目次に戻る]
例えば平安時代の京ことばでは「問ふ」(「訪問する」という意味では「訪ふ」)は高起式で、終止形は「とふ HL」と言われましたけれども、現代東京では「問う HL」と言われます。旧都と新都とで同じアクセントですが――といっても連体形は彼は「とふ HH」、此(これ)は「とう」と異なります――、平安時代に「とふ HL」だったのですから、「咲く」(しゃく HL)と言われたところのものが現代東京では「さく LH」と言われるのと同じように、現代東京では「とう HL」ではなく「とう LH」であってほしいわけです。しかし実際にはそうでない。新都と旧都とのあいだにあると分かった秘かなつながりに例外があると知って、私は軽くない失望を味わったものでした。
しのぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで 拾遺・恋一622。しのンぶれンど いろに いンでにけり わあンがあ こふぃふぁ ものやあ おもふと ふぃとの とふまンで HHHLL・LLHLHHHL・LHLLH・LLFLLHL・HLLHHLH。「まで」はおのれに先立つ活用語に連体形を要求します。なお、ここの「思ふ」は「や」の結びなのでやはり連体形。以下係り結びのことには原則として言い及びません。
しかし「問ふ」は、じつは例外ではないのでした。現代東京ではこの動詞は「とう」と言われますけれども、明治二十年代にも、昭和二十年代にも、そして昭和三十年代にも「とう」と言われたからです。すなわち『26』も『43』も「問ふ」を⓪とし、『58』は「問う」を⓪①とします(以下では仮名づかいの差は問題にしません)、『89』は①②、『98』は①⓪、『大辞林』(2006)は⓪①、OJADは①。明治二十年代にも、第二次世界大戦中も、東京では「問う」「問わない」「問え」など言われてきたが、昭和三十年代には「問う」「問わない」「問え」などいう言い方が台頭してきて、目下ふるい「問う」は退潮傾向にある、ということのようです。秘かなつながりは、ないわけではなかったのです。
そういえば、「問う」から派生した名詞「問い」は今も⓪で言われますが(例えば「問いが成り立つ〕」)、これは現代語「問う」が⓪で言われたことを示唆します。東京語では、例えば「開(あ
)く」「押す」「あそぶ」「あがる」のような⓪型の動詞から派生した名詞は「開(あ)き(が)」「押し(が)」「あそび(が)」
「あがり(が)」がそうであるように平板型になり、「勝つ」「読む」「あゆむ」「おもう」「さばく」のような非平板型の動詞から派生した名詞は「勝ち(が)」「読み(が)」「あゆみ(が)」「おもい(が)」「さばき(が)」のように⓪ではないアクセントになります。現在、名詞「問い」が⓪なのは、昔の東京で「問う」が⓪だった名残でしょう。
もともと平安時代の京ことばでは、原則としては、高起動詞から派生した名詞は高平連続調、低起動詞から派生した名詞は低平連続調で、例えば「あそぶ」(あしょンぶ HHL)から派生した「あそび」は「あしょンび HHH」と発音されます。名詞「遊び」は動詞「遊ぶ」の名詞形だとも言えますが、動詞の連用形に由来する名詞は常にその動詞の名詞形だとは言えません。例えば挟んで切るから「鋏(はさみ)」で、これは平安時代には「ふぁしゃみ LLL」と言われましたけれども、この名詞と、動詞「ふぁしゃむう LLF」からの派生語の、「挟むこと」を意味する「ふぁしゃみ」(おそらくLLL)とは、アクセントが同じだとしても同一視できません。
話柄を戻しますと、現在の東京アクセント「問う」からは平安時代の京ことばにおけるアクセントを推測できないものの、昔の東京のアクセント「問う」からはそれができます。現代京都は「問う」ですから、昔の連体形そのものです。さすがです。
以下、現代東京のアクセントからは平安時代の京ことばのそれを推測できないが、昔の東京のアクセントからはそれができる高起動詞を並べてみます。
まず、次の四つの四段動詞。
つく【吐】(とぅく HL) 「吐(は)く」を意味する古語ですけれども(こちらは「ふぁくう LF」)、現代語で「嘘を言う」という意味で「嘘をつく」という時の「つく」はこの「吐(つ)く」にほかなりません。「突く」と同根とされますが、「突く」は今は東京では①の「つく」より⓪の「つく」のほうが優勢らしい一方、「吐(つ)く」はもっぱら①で言われますから、起源は起源として、今は別ものと見られていると言えます。さてこの「吐(つ)く」を、『26』は⓪とします。『43』はこの項なし。『58』と『89』とはいずれも「②、①」とします。明治の東京(とうきょう・とうけい)では「うそをつくと(顔が赤くなる)」など言ったということのようです。ちなみに、今の伝統的な京ことばでも「つく」と言うようですけれども、若い世代では「つく」と発音されるようですから、古い時代の連体形のアクセントに戻った格好です。ともあれ、平安時代の京ことばでは、「突く」も(「杖(つゑ)を突く」 〔とぅうぇうぉ とぅく LHHHL〕、「面杖(つらづゑ)を突く」 〔とぅらンどぅうぇうぉ とぅく LLLHHHL。「つらづゑ」は「ほおづえ」。「面(つら)」は「とぅら LL」〕)、「撞(つ)く」も(「鐘を撞く」〔かねうぉ とぅく HHHHL〕)、「築(つ)く」も(「山を築く」〔やまうぉ とぅく LLHHL〕)、「漬(つ)く」も(「袖、漬く」〔しょンで とぅく HHHL。袖が濡れる〕)、「吐(つ)く」もHLで言われ、それゆえ明治時代の東京では「つく」と言われたと言えます。「くっつく」という意味の「付く」「就く」「着く」は「とぅくう LF」です。
ゆふ【結】(ゆふ HL) 『89』は①②⓪としますけれども(仮名づかいのことは考えに入れないのでした)、『26』も『43』も『58』も⓪とだけ記しています。東京では以前は例えば「髪を結って」は「かみをゆって」など言ったようです。平安時代にはと申せば、「髪を結ひて」は古典的には「かみうぉ ゆふぃて LLHHLH」)」と言われました。
次の二つはここに置くべきか迷う例です。
おる【織】(おる HL) 今の東京では「おる」と言い、『26』にも『43』にも『89』にもこの①のアクセントしか記されていませんが、『58』には「①、(⓪も許容)」とあります。もし古くから東京アクセントとしてマイナーながら⓪もあったということならば堂々とここに置いてよいわけですけれども、『26』は名詞「織り」も②です。ともあれここに置いておきます。「織物」は「おりもの」です。
さる【去】(しゃる HL) カナカナ英語のshallと同じアクセント。「世を去る」(よおうぉお しゃる HHHL)など言う時の「去る」は古今同義ですが、「春されば」(ふぁるう しゃれンば LFHLL)などいう時の「さる」は「来る」という意味なのですから、この「されば」は「去れば」と書くべきではないのでしょう。平安時代この動詞が高起式だったことははっきりしていますけれども、東京ではと言うと、『26』は①としますし、現代東京でも①で言います。ただ『43』は、誤植があるようですが多分①と⓪とを併記していて、その次の項、「去る一日(ついたち)」などいう時の「去る」の項では、〝連体詞〟ゆえ別あつかいということなのでしょう、①とだけ記しています。『58』は、①と⓪とをこの順で並べていますが、凡例によればこれは、どちらも言うが「標準アクセントとして望ましいと思われる」のは①の「さる」だという意味です。東京ではかつてマイナーな言い方として⓪もあって、そちらは昔の京ことばの直系だ、ということかもしれません。ちなみに京都では、近世でも(近世のことは申したとおりすべて総合索引によるのでした)昔の連体形そのままに「さる」と言われたようです。しかし今は低起式の「さる」です。京都でも、近世のある時点においてか、近代に入ってかは分かりませんが、アクセントが変化したようです。
次は上二段動詞です。一語だけです。
つく【尽】(とぅく HL) 『26』は上二段動詞「尽く」の「近体」(=口語体)である「尽きる」を⓪とします(「つきる」)。『43』は②(「つきる」)、『58』は⓪②、『89』は②。東京で以前「尽きる」と言えたことは確かです。現代京都では「尽きる」のようですが、近世京都でも平安以来の「尽くる」という発音だったようなので、低平化はそれ以降のことと思われます。ちなみに「尽きない」という意味で「尽きず」(とぅきンじゅ HHL)ということは可能で、例えば歌人の伊勢が、
更級のをばすて山の有明のつきずももののおもほゆるかな 伊勢集。しゃらしなの うぉンばしゅてやまの ありあけの とぅきンじゅもお ものの おもふぉゆるかなあ LLLHL・HHHHHLL・LHHHH・HHLFLLL・LLLLHLF。上の句は「つき」(月・尽き)を起こす序。平安末期の歌学書の言い方を使えば、「『月』と言はむとて『更級のをばすて山の有明の』とは置けり」(「とぅき」と いふぁムうとて 「しゃらしなの うぉンばしゅてやまの ありあけの」とふぁ おけりい 「LL」LHHFLH「LLLHL・HHHHHLL・LHHHH」LH・HLF)というようなことになります。
と詠んでいますけれども、なぜか散文ではもっぱら「尽きせず」(おそらく「とぅきしぇえンじゅう HHHL」)という言い方をするようです。
次は下二段動詞です。二語。
あす【浅・褪】(あしゅ HL) 形容詞「浅し」は「あしゃしい HHF」と言われましたから(現代東京の「あさい」はその名残)、同根の下二段動詞「あす」はこれと式を同じくするわけです。『26』はこの「あす」を②としますけれども、『43』は「あせる」を⓪、『58』は②⓪とするので(『89』は②)、「あせる」は昔の東京で言った言い方なのだと考えておきます。現代京都では「あせる」のようなので、ある時期に低平化したと見られます。ちなみに「明日(あす)」は「あしゅ LL」、「あすあすべし」は「あしゅ あしゅンべしい LLHHHF」です。
うす【失】(うしゅ HL) 「失せる」は『26』では⓪。『43』は②とするものの、『58』が②⓪とするので、「うせる」は割合こちらまで言った言い方のようです。昔の東京では「とくとくと うせろ」といった言い方が聞かれたと考えられます(『26』には「とっとと」は立項されていません。そのもとの言い方「とくとくと」はあって、①と記されています)。京都でも、近世の資料に「うする」HHHという言い方が見えている一方、今は「うせる」と言いますから、ある時期に低平化したようです。ちなみに「臼」は「うしゅ LH」。
高起三拍動詞にも同趣のものがあります。例えば「怒(いか)る」です。平安時代にはこの動詞は「いかる HHL」、名詞「怒(いか)り」は「いかり HHH」と言われました。さて『26』は、本義の「怒(いか)る」は②、「肩がいかる」などいう時の比喩的な意味での「いかる」は⓪または②で言われるとします。しかし転義で⓪でも言うのならば本義でも⓪で言うのではないでしょうか。じっさい『43』は「怒(いか)る」を⓪とし、『58』も「②、(古は⓪)」とします。この『58』の「古は⓪」は、「比較的老人の間でのみ多く使われている古いアクセント」(凡例)は⓪であるという意味です。『89』は②。名詞「怒り」も、『26』『43』は⓪としますけれども、『58』『89』は③⓪。東京では、昭和の終わりごろには、それまで長く続いた「いからない」や「いかりが おさまらない」が「いからない」や「いかりが おさまらない」に席を譲っていたのでした。なお「碇(いかり)」も「いかり HHH」ですけれども、「怒(いか)り」とは特に関係がないようです。『枕草子』の「名おそろしきもの」(148。なあ おしょろしきい もの FLLLLFLL)の段に、「いかり、名よりも見るはおそろし」(いかり、なあよりもお みるふぁ おしょろしい HHH、FHLF・LHH・LLLF)とあります。
以下の十あまりの動詞は、この「怒(いか)る」と同じく、昔の京ことばでは高起式で言われ、現代東京では②で言われるものの、古くは東京において⓪で言われたことの明らかな動詞です。
いさむ【勇】(いしゃむ HHL) 『26』も『43』も⓪、『58』は「⓪、新②」、『89』は②としますから、⓪は確実に退潮しています。なお下二の「諫(いさ)む」は「いしゃむう LLF」です。
いたす【致】(いたしゅ HHL) 『26』『43』⓪、『58』⓪②、『89』②。やはり⓪の退潮が明らかです。昔の東京の人は「そういたすしょぞんです」と言いました(「所存」は①でした)。ちなみに副詞の「いと」HLはこの動詞と同根ですから、どちらも高起式であるのは高いのは当然ということになります。ただ、形容詞「甚(いた)し」(いたしい LLF)やその連用形「いたく」と副詞「いと」とは無縁とは思われませんけれど、この形容詞は低起式です。「致す」は元来自動詞「至る」(次項)に対する他動詞で、「至らせる」「行き着かせる」を意味しました。「心の限りを尽くして」「懸命に」といった意味で「心を致して」(こころうぉ いたして)なども言いました。平安時代には「致す」は敬語としては用いられません。
いたる【至】(いたる HHL) 前項「致す」に対する自動詞。『26』⓪。『43』『58』⓪②。『89』②。名詞「至り」は「いたり HHH」でしょう。この名詞には申さば「到達度」といった意味があって、「いたり深し」(いたり ふかしい HHHLLF)、「いたり少なし」(いたり しゅくなしい HHHLLLF)など言います。
かこつ【託】(かことぅ HHL) 名詞「かこと」(かこと HHH。「かごと」とも。言い訳。口実。恨み言。ぐち)からの派生語とも、その逆とも言います。今と同じ意味のほかに「かこつける」といった意味でも使います。『26』『43』は⓪。『58』『89』は②。「かこつける」は、というよりもその古い言い方「かこつく」は、「かこと」や「かこつ」から出来た言葉でしょうが、詳細は不明です。「かことがまし」(ぐちっぽい。うらみがましい)は「かことンがましい HHHHHF」、「かことばかり」(申し訳程度に)は「かことンばかり HHHHHL」でしょう。
嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな 千載・恋五929・西行(おそらく「しゃいンぎやう LHLLL」。呉音です)。なンげけえとて とぅきやふぁ ものうぉ おもふぁしゅる かこてぃンがふぉなる わあンがあ なみンだかなあ LLFLH・LLHHLLH・LLLLH・HHHLLHL・LHLLHLF。「かこち顔」のアクセントは推定。「顔」は「かふぉ HH」なので、同趣の複合名詞をあれこれ参照すると(詳細略)、上のようであるか、「かこてぃンがふぉなる HHHHHLH」であるか、いずれかだ、ないし二つのどちらでもよい、と考えられます。一方が一般的だとしても他方もそう奇妙でない言い方だ、と申せるかもしれません。例えば現代東京において「焼きそばパン」を⓪で言うか④で言うかに近いことかもしれないのです。「焼きそばパン」は、①や②や③や⑤で言わなければよいのです。複合名詞全般に関して、この種の可能性を考慮する必要があります。
きばむ【黄】(きンばむ HHL) 『26』『43』⓪、『58』⓪②、『89』②③。名詞「きばみ」は今も⓪が一般的でしょう。「黄なり」(黄色い)は「きいなりい HLF」ないし「きいなり FHL」いかなればこの泉(いづみ)は黄ばみたるにかあらむと思ひてよくみれば、この泉、早(はや)う水にはあらずして、酒の湧きいづるなりけり。今昔31-13 いかなれンば こおのお いンどぅみふぁ きンばみたるにかあ あらムと おもふぃて よおく みれンば、こおのお いンどぅみ、ふぁやう みンどぅにふぁ あらンじゅ しいて、しゃけの わき いンどぅるなりけり。HLHLL・HHLLLH・HHLLHHFLLHL・LLHH・RLLHL、HHLLL、LHL・HHHHLHLFH、HHHHLLLHLHHL。
したふ【慕】(したふ HHL) 『26』『43』は⓪ですが、『58』は⓪②、『89』は③②です。現代語の「慕う」は主として心のありようを言いますけれども、平安時代の京ことばではこの動詞は、「誰かを、あるいは何かを慕ってそのあとを追う」という、気持ちではなく行為を示すことが多かったようです。
おくれじと空ゆく月を慕ふかなつひにすむべきこの世ならねば 源氏・総角(あンげまき HHHH)。おくれンじいと しょら ゆく とぅきうぉ したふかなあ とぅふぃいに しゅむンべきい こおのお よおならねンば HHHFL・LHHHLLH・HHHLF・LFHLLLF・HHHLLHL。薫(かをる)(かうぉる HHH〔連体形ゆえ〕)がついに結ばれることのなかった亡き大君(おほいきみ)(おふぉいいきみ)の逝去を悼む歌です。
しのぶ【忍・偲】(しのンぶ HHL) 『26』『43』は⓪、『58』は「⓪、(新は②)」、『89』は②③。昔の東京では「むかしをしのんでいます」など言ったのでした。古語としては上二段活用もあります(今も「見るに忍びず」など言います)。
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき 後撰・恋一578。あしゃンでぃふの うぉのの しのふぁら しのンぶれンど あまりて なンどかあ ふぃとの こふぃしきい LLHLL・HHHLLLH・HHHLL・LLHHRLF・HLLLLLF。第一二句は「しのぶ」と言おうとして置かれています。「篠原」は顕天平が〈平平平上〉を差すのによりましたが、『袖中抄』(顕昭の手になった歌学書)は〈平平上平〉を差します。どちらもあったのかもしれません。「なぜ」に当たる副詞「など」は「何と」(なにと LHL)のつづまったものですから、論なく「なンど RL」と言えたでしょう。毘・高貞549が「などか」に〈上平平〉を差すのは、〈去平平〉とも書ける「なンどか RLL」の略表記だと思います(これは「なンどかあ RLF」からの変化です)。ただ申したとおり撥音便形における撥音が高い場合それは低まり得たでしょうから、副詞「など」は古くから「なンど LLL」とも言われたと思います。
ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 続後撰・雑下(ざふげ)(じゃふ げえ LL・L〔いずれも呉音〕)1202・順徳院。ももしきやあ ふるきい のきンばの しのンぶにも なふぉお あまり ある むかしなりけり LLLHF・LLFHHHH・LHLHL・LFLLLLH・HHHLHHL。「軒」は「のき HH」。「端(は)」は総合索引によれば「ふぁあ F」。「軒端」の末拍のアクセントは推定です。例えば「四つ」は「よとぅ HL」、「葉」は「ふぁあ F」、「四つ葉」は「よとぅンば HHH」で(毘(22)が「よつばに」に〈上上上上〉を差しています)、このパタンでは後部成素がもとのアクセントを保たないのはむしろ当然のことです。「しのぶ」(しのンぶ LHL)は植物のシノブのアクセントで、ここではこれと動詞の「忍ぶ」(しのンぶ HHH)とが重ねられています。
おおきについでながら、「しのびやか」という言葉がありますけれども、これなどは、動詞とは式の異なる「しのンびやか」という言い方で言われました。これはそう不思議なことではありません。と申すのは、少し長くなりますけれども、「らか」「やか」などに終わる四拍の、
あからか(あからか。「赤し」「明(あか)し」は「あかしい HHF」)、あきらか(あきらか)、あざらか(あンじゃらか。新鮮デアル)、さはらか(しゃふぁらか。サッパリシテイル)、たからか(たからか)、たひらか(たふぃらか)、なだらか(なンだらか)、ほがらか(ふぉンがらか)、なめらか(なめらか)、まろらか(まろらか。「丸(まろ)」は「まろ HH」)、めづらか(めンどぅらか)、やすらか(やしゅらか)、やはらか(やふぁらか)
あざやか(あンじゃやか)、あをやか(あうぉやか)、きはやか(きふぁやか)、けざやか(けンじゃやか)、こまやか(こまやか)、ささやか(しゃしゃやか)、さはやか(しゃふぁやか)、しなやか(しなやか)、しめやか(しめやか。「しめる【湿】」は「しめる HHL」)、すみやか(しゅみやか)、そびやか(しょンびやか。スラリトシテイル。「そびゆ【聳】」は「しょンびゆ HHL」)、たをやか(たうぉやか)、にこやか(にこやか)、ひややか(ふぃややか)、まめやか(まめやか)、はなやか(ふぁなやか)、ほそやか(ふぉしょやか)
おろそか(おろしょか)
あたたか(あたたか)、したたか(したたか。古今異義です)
あさはか(あしゃふぁか。「浅し」は「あしゃしい HHF」でした)
みやびか(みやンびか。「宮」〔みや HH〕に由来します。平安時代には「みやびやか」とは言いませんでした)
すくよか(しゅくよか。多義語)、ふくよか(ふくよか)
はやりか(ふぁやりか)、ほこりか(ふぉこりか。得意ソウデアル。「誇る」は何と高起式〔後述〕)、ゆくりか(ゆくりか。唐突デアル)
といった言い方は、由来となった言葉の式にかかわらず、LLHLで言われたようだからです。ついでに申せば、
かすか(かしゅか)、こまか(こまか)、しづか(しンどぅか)、さだか(しゃンだか)、さやか(しゃやか)、たしか(たしか)、にはか(にふぁか)、のどか(のンどか)、はつか(ふぁとぅか。ワズカデアル)、はるか(ふぁるか)、ひそか(ふぃしょか)、ほのか(ふぉのか)、まどか(まンどか)、みそか(みしょか)、ゆたか(ゆたか)、わづか(わンどぅか)
といった一連の言い方は、LHLというアクセントで言われます。例外はあって、例えば「いい加減だ」といった意味で使われることの多い「おろか」はなぜか「おろか HHL」だったようです。「おろそか」は上に記したとおり「おろしょか LLHL」でした。
脱線ついでに申せば、LLHLというアクセントは、すでに申したとおり低起四拍動詞の連用形や終止形などの基本のアクセントでもあったのでしたけれども、低起四拍名詞でもこのアクセントのものはかなりの多数派に属します。以下はその一部。
あさぢふ【浅茅生】(あしゃンでぃふ)、いなづま【稲妻】(いなンどぅま)、うぐひす【鶯】(うンぐふぃしゅ)、うぢやま【宇治山】(うンでぃやま)、かはほり【蝙蝠】(かふぁふぉり)、かみがき【神垣】(かみンがき)、きさらぎ【如月】(きしゃらンぎ)、なかがき【中垣】(なかンがき)、なかごろ【中頃】(なかンごろ)、ながつき【長月】(なンがとぅき)、はまゆふ【浜木綿】(ふぁまゆふ)、ひたぶる【一向】(ふぃたンぶる)、ひとたび【一度】(ふぃとたンび)、ふること【古言・古事】(ふること。寂997に〈○○上平〉とあり、前半二拍が〈平平〉であることは確実です)、ふるとし【旧年】(ふるとし)、まつむし【松虫】(まとぅむし。スズムシ)、まつやま【松山】(まとぅやま)、やまどり【山鳥】(やまンどり)、やまぶき【山吹】(やまンぶき)、わかくさ【若草】(わかくしゃ)
東京語では初拍が低ければ次の拍は高いので、LLHLというアクセントはありえません。「はっきり」「やっぱり」などは気持ちの上ではLHHLでしょうけれども、促音は高さを持たないのでLLHLのつもりで言っても同じ結果が得られます。鹿児島方言の話し手にとって、「かまぼこ(蒲鉾)」「せんたく(洗濯)」といったアクセントは、「あさがお(朝顔)」「はなかご(花籠)」といったアクセントとともにごく親しいもののはずです(いわゆる二型(にけい)アクセント。例は『日本語アクセント入門』〔三省堂〕のもの)。ただ、同書によればこれらのアクセントは平安時代の京ことば直伝のものではないようです。ちなみに英語では、母音で終わる単語の場合、一般に終わりから二番目の音節(penult)にアクセントが置かれ(例えばtomato[təméitou]、banana[bənǽnə])、4音節の単語でも、Colorado [kɑlərádou]、Takahashi [tɑkɑháʃi]のようなLLHL式のアクセントは珍しくないのでした。
つがふ【番】(とぅンがふ HHL) 『26』は⓪。名詞「つがひ」も⓪とします(旧都でも「とぅンがふぃ」だったでしょう)。『43』はこの項を欠きますが、名詞「つがい」を⓪としますから、動詞「つがう」にも⓪が記されたでしょう。『58』は⓪。『89』は②③。「継ぎ合ふ」(とぅンぎ あふう HLLF)のつづまったものと言いますから、「つがふ」が古く高起式だったのは当然ということになります。
つくす【尽】(とぅくしゅ HHL) 上二段の「つく【尽】」と式を同じくします。『26』⓪。『43』『58』『89』②。
難波江の葦の刈根の一節(ひとよ)ゆゑ身をつくしてや恋ひわたるべき 千載・恋三807。なにふぁいぇの あしの かりねの ふぃとよゆうぇ みいうぉお とぅくしてやあ こふぃい わたるンべきい LHHHH・HHHHHHH・LLLHL・HHHHLHF・LFHHHHF。「刈根」は「浮木(うきき)」や「引手(ひきて)」と同じく高起二拍動詞由来のものとと低起一拍名詞とからなり、あとの二つは「うきき HHH」「ふぃきて HHH」です。「かりね」は「仮寝」でもあり、こちらも「かりね HHH」と見られます。例えば「旅寝」は「たンびね HHH」です(「旅」は「たンび HL」)。「ひとよ」は「一夜」(こちらも「ふぃとよ LLL」と言えました)、「みをつくし」は「澪標」(こちらも「みをとぅくし HHHHL」)を兼ねています。
つもる【積】(とぅもる HHL) 他動詞「積む」(とぅむ HL)が高起式なので(現代東京で「積む」はLH)、それに対する自動詞「積もる」が高起式なのは当然です。東京ではというと、『26』『43』『58』は⓪、『89』は②③とします。以前は東京ではもっぱら「ゆきがつもる」と言われたようです。ちなみに何々した「つもり」など言う時の「つもり」(とぅもり HHH)はこの動詞から派生した名詞で、これは現代東京でも⓪で言われます。この名詞が古くは「つもりつもった結果」といった意味で使われたことをご存じの向きも多いでしょう。『源氏』冒頭近くに「恨みを負ふつもりにやありけむ」――恨みを背負い込むことが積もり積もった結果だったのでしょうか。『源氏』の地の文がデス・マス体によって現代語訳せらるべき文法的な理由については、「源氏物語の現代語訳について」をご覧ください――とあるのは、古典的には「うらみうぉ おふ とぅもりにやあ ありけム LLLH・LHHHHHF・LHLH」と言われたでしょう。低起動詞「負ふ」(おふう LF)のことは後(のち)に見ます。
筑波嶺(つくはね)の峰より落つる男女川(みなのがは)恋ぞつもりて淵となりぬる 後撰・恋三777。とぅくふぁねの みねより おとぅる みなのンがふぁ こふぃンじょお とぅもりて ふてぃと なりぬる HHHHH・HHLLLLH・HHHHL・LLFHHLH・LHLLHHH。「男女川」は「水無川」なども書くそうで、この字面ならば都では高起式で言われたと考えられます。仮にそうしておきますが、その場合でも、のちに「立田川」に関して申すとおり、「みなのンがふぁ HHHHL」とも「みなのンがふぁ HHHHH」とも言われた可能性があります。「焼きそばパン」も二通りで言い得たのでした。
なのる【名告・名宣】 「名(な)」が「なあ F」だったので、動詞「名のる」が高起式だったのは当然です。この動詞は「名を告(の)る(宣る)」といっているのですから(cf.本居宣長)、古くは「なあ・のる」と言われたかもしれません。しかし平安中期のこととして言えば、当時は「告(の)る」を単独で使うことはなかったようなので――「告りたまふ」(のり たまふう HLLLF)のつづまった言い方である「のたまふ」のことは後に申します――、「なのる HHL」と言われたのかもしれません。総合索引もこちらの見解です。『26』⓪、『43』⓪②、『58』②⓪、『89』②。東京アクセントにおける⓪から②への移行があざやかです(古くは例えば「なのって ください」だったようです)。
ちなみに「なのり」は「なのり HHH」でしょう。源氏・東屋(あづまや)(あンどぅまや LLLL)において、匂ふ宮(にふぉふ みや LLHHH。この「にほふ」は純然たる動詞なので送り仮名は省かないことにします。現代語としても「におうみや」と言われるのがよいと思います)が浮舟(うきふね HHHL)に「誰(たれ)ぞ。名のりこそゆかしけれ」(たれンじょ。なのりこしょ ゆかしけれ HHL。HHHHL・HHHHL)というところがあります。どなたです。お名前を知りたい。極めてきわどい場面です。
まとふ・まつふ【纏】(まとふ・まとぅふ HHL) 「まとふ」とも「まつふ」とも言います。語形としては現代語で何かを「身にまとう」などいう時の「まとう」やその変化した言い方で、『26』はこの「まとふ」を⓪、『43』は(印刷不鮮明ながら)②⓪ないしその逆、『58』は②⓪、『89』は②とします。⓪から②への移行がたどれます。古くは「まとふ」「まつふ」は、「まといつく」「まとわりつく・まつわりつく」「からみつく」といった意味でも使われました。これらの現代語は「まといつかれる」「まとわりつかれる・まつわりつかれる」「からみつかれる」という、「妻にしなれる」などに見られるのと同じ「迷惑の受け身」の言い方で使われることも多いわけですけれども、古語「まとふ」「まつふ」もそうで、何々に「まとはる」(まとふぁる HHHL)、何々に「まつはる」(まとぅふぁる HHHL)はしばしば目にされる言い方です。現代語には「まつわりつく」にもあらわれていた「まつわる」という五段動詞(四段動詞の後身)があって、「何々にまつわるエピソード」など言いますけれども(『26』はこの五段動詞を⓪で言われるとします。今は③)、古語辞典は平安時代には「まつはる」(まとぅふぁる HHHL)という、四段ではなく下二段の動詞があったとします。岩波古語はこの下二段の「まつはる」を四段「まつふ」の受け身形からの 転義ではないかとしますが、実際そうだったと思います。と申すより、例えば源氏・真木柱(おそらく「まきンばしら HHHHL」)に「ただ涙にまつはれておはす」(たンだあ なみンだに まとぅふぁれて おふぁしゅ LF・LLHH・HHHLHLHL)とあるのや、同・帚木(おそらく、ふぁふぁきンぎ LLLL)に「歌詠むと思へる人のやがて歌にまつはれ」(うた よむうと おもふぇる ふぃとの やンがて〔ないし、やンがて〕うたに まとぅふぁれ HLLFL・LLHLHLL・HHH〔ないしHHL〕・HLHHHHL)云々とあるのなどに見られる「まつはる」は、四段動詞「まつふ」が迷惑の受け身を従えたものでしょう。涙にぬれたさまを hyperbolic に「涙にまとわりつかれて」と言い、自分は和歌がうまいと思っているらしい人がさながら「和歌にからみつかれて」(和歌和歌で暮らすようになって)云々と言っているのだと思います。
みのる【実】(みのる HHL) 『26』『43』⓪、『58』⓪②、『89』②。「実(み)」は「みい H」なので、「みのる」が古くは「みのる」と言われたのは当然ですけれども、その流れを汲んで、東京ではかつて例えば「うめがみのった」というような言い方がなされたのでした。
ゐざる(うぃンじゃる HHL) 『26』は⓪、『58』は②⓪、『89』は②。膝行(しっこう)すること。平安時代の貴族の女性にとって日常動作の一つだったようです。辞書に「居(ゐ)さる」に由来するとあり、実際その通りでしょうけれども、この「さる」は前(さき)に申した、「去る」と書きにくい「さる」(しゃる HL)だろうものの、「居(ゐ)」は動詞「居(ゐ)る」(うぃる HL。後述)の連用形そのものではなく、そこから派生した名詞でしょう。意味から見てそのほうが自然ですし、また複合動詞だとすると「さ」の濁るのは奇妙です。今も例えば「言いかける」とは言っても「言いがける」とは言わないわけで、昔も一般に複合動詞は連濁しませんでした。
をかす【犯】(うぉかしゅ HHL) 『26』は②としますが、『43』は⓪②、『58』は②⓪。もしかしたら⓪こそ古いのかもしれません。名詞「をかし」は「うぉかし HHH」です。
次の三つの上二段動詞も、昔の京ことばでは高起式でした。
あらぶ【荒】(あらンぶ HHL) 『26』が⓪とするのでここに置きます。現代東京では「あらぶる神」は「あらぶる かみ LHHL・HL」と発音されるでしょうけれども、明治の東京では「あらぶる かみ LHHH・LH」と発音されました(「神」も今とは異なり②で言われました)。「あらぶる神」は古事記にも見えている言い方で、当時は「あらンぶる かみ HHHH・LL」と言われたので、『26』の言い方は動詞に関しては当時の名残をとどめたものです。現代語「荒い」が⓪なのは旧都で「荒し」が「あらしい HHF」だった名残であり、「荒ぶ」の高起性はこれに由来します。
ところで現在「あらぶる かみ」と言われる時の「あらぶる」は、「あらぶらない」「あらぶって」など使う五段動詞の「あらぶる」の連体形と言うべきもののようです。古事記の「あらぶる神」の「あらぶる」は上二段の「あらぶ」の連体形であり(つまりいわゆる口語としては〝あらびる〟に当たる言い方であり)、「あらぶらない」「あらぶって」など使う五段動詞の「あらぶる」はその後身とは申せません。例えば現代語「ほろびる時」は昔「ほろぶる時」(ふぉろンぶる とき HHHH・LL)と言ったその後身ですけれども、この「ほろぶる時」という言い方をもとに「ほろぶらない」「ほろぶって」など言うことはなされません。「あらぶる」ではそういうことが起こったのです。誤用にはちがいありませんけれども、やがては国語辞典に、誤用の定着したものとして五段動詞「あらぶる」が登録されるようになるかもしれません。
ほろぶ【滅】(ふぉろンぶ HHL) 『26』の「ほろびる」の項にはただ③とありますが、『43』も『58』も「ほろびる」を⓪③、『98』は③⓪とします。昔の東京では、ビルの名めいた「ほろびる」はさかんに聞かれる言い方だったようです。
むくゆ【報】(むくゆ HHL) 『26』は「むくゆ」を⓪とし、『43』も『58』も「むくいる」を⓪③とします。『89』は③。名詞「むくい」は平安時代「むくい HHH」だったでしょう。『26』はこの名詞を⓪、『43』と『58』とは⓪②、『89』は②⓪③としますから、⓪の退潮が明らかです。西行の『聞書集』に「地獄絵を見て」(「でぃンごくうぇうぉ みいて LLLLH・RH」でいいと思います)と題された連作があって、その中に、「黒き焔(ほむら)の中に男、女、燃えけるところを」(くろきい ふぉむらの なかに うぉとこ、うぉムな、もいぇける ところうぉ LLFLLLL・LHH・LLL、HHL、HLHLHHHH)という詞書に続いてこうあります。
なべてなき黒き焔(ほむら )の苦しみは夜の思ひのむくいなるべし (なンべてなきい くろきい ふぉむらの くるしみふぁ よるの おもふぃの むくいなるンべしい LHHLF・LLFLLLL・LLLLH・LHLLLLL・HHHLLLF。この「思ひ」に抒情的なところはありません)
以下の九つの下二段動詞も古くは高起式であり、昔の東京では⓪で言われました。あかむ【赤】(あかむ HHL) 「あかめる」を、『26』は⓪、『58』は③⓪で、『89』は③で言われるとします(『43』にはこの項なし)。形容詞「あかし」(あかしい)と式を同じくするのは当然です。
かすむ【掠】(かしゅむ HHL) 「人のものをかすめとる」「矢が頭上をかすめる」など言う時の「かすめる」です。この「かすめる」を『26』『43』は⓪、『58』は⓪③、『89』は③④で言われたとします。昔の京ことばとしての「かすむ」には、現代語の「かすめる」にはない、「ほのめかす」「におわせる」といった意味がありましたけれども、考えてみればこの語義は「矢が頭上をかすめる」の「かすめる」に意外と近いと申せます。
さづく【授】(しゃンどぅく HHL) 「さづける」を『26』は⓪としますが、『43』『58』は③とします。すでに戦前に変化したようです。なお「さづかる」という動詞は室町時代ごろ使われるようになったもののようです。
すぐる【優】(しゅンぐる HHL) 「すぐれる」を『26』が⓪、『43』『58』が③とします。明治時代後半、東京では「すぐれた音楽である」は「すぐれたおんがくである」ないし「すぐれたおんがくである」と言われたようです。「音楽」は『26』が「①または⓪」、『43』が「⓪、①」、『58』が「①、⓪」とする言葉です。平安時代はと申せば「音楽」は「おムがく」と言われたと推定されます。呉音です。
そそく(しょしょく HHL) 髪がほつれて乱れることを意味する「そそける」という現代語が(かろうじて)ありますけれども、この動詞は『26』では⓪、『58』では③、『89』では④③で言われます。
そびゆ【聳】 (しょンびゆ HHL) 『26』は「そびゆ」を⓪とし、『43』『58』は「そびえる」を③とします。からだつきがほっそりしている様を言う「そびやかなり」という言い方がありましたけれども、「そびやか」は申したとおり「しょンびやか」で、「そびやかなり」は「しょンびやかなり LLHLHL」と発音されました。「そびえたり」(しょンびいぇたりい HHLLF)と言っても同じような意味を出せます。
つかふ【仕】(とぅかふ HHL) 「仕へる」を『26』『43』は⓪、『58』は「⓪、(新は③②)」、『89』は③④とします。昔の東京では「仕える」と「使える」とは同じアクセントだったようです。
つひゆ【費】(とぅふぃゆ HHL) 「つひゆ」を『26』が⓪と、「ついえる」を『43』が⓪、『58』が⓪③、『89』が③とします。変遷が明らかです。名詞「つひえ」はおそらく「とぅふぃいぇ HHH」でしょう。
つらぬ【連】(とぅらぬ HHL) 「つらねる」を『26』が⓪、『43』『58』が③とします。「列」や「同類」を意味する「連(つら)」(とぅら HH)からの派生語です。
よそふ【比・寄】(よしょふ HHL) 岩波国語や『89』のような現代語の辞典が「よそえる」を立てます。『89』は④としますけれども、『26』は⓪、『58』は⓪④。もともと「寄る」(よる HL)や「寄す」(よしゅ HL)に尾ひれがついた動詞なので東京で元来⓪なのはその名残と申せます。
かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると 和泉式部日記。かうぉる かあにい よしょふるよりふぁ ふぉととンぎしゅ きかンばやあ おなンじ こうぇえやあ しいたると HHHHH・HHHHLLH・LLLHL・HHLFLLH・LFFFLHL。交際していたさる貴公子(為尊(ためたか)親王)がなくなって十か月ほど経った或る日、和泉式部のもとに、その弟(敦道(あつみち)親王)から橘の花が届けられます。これは当時としては当然に、名高い「五月(さつき)まつ花たちばな」の歌(後に引きます)を踏まえてのことであり、あなたはさぞかし兄のことを思っておいででしょうといった意味のメッセージでした。歌はそれへの返答で、あのお方はこの橘の花の香りのようだった、など思って故人をしのぶよりも、ほととぎすを聞いて去年と同じ声をしているか確かめたいと存じます、と言っています。つまり遠回しに、あなたのお声を聞かせてくださいと言っています。
ちなみに、平安時代には「よそふ」はしばしば、人を人ならぬものになぞらえること、たとえることを意味します。源氏・桐壺にも、なき更衣の容姿の「なつかしうらうたげなりしをおぼしいづるに、はな、とりの色にも音(ね)にもよそふべきかたぞなき」(なとぅかしう らうたンげなりしうぉ おンぼしい いンどぅるに ふぁな、とりの いろにも ねえにも よしょふンべきい かたンじょお なきい。LLLHL・HHHHLLHH・LLFLLHH、LL、HHH・LLHL・FHL・HHHHFHLFLF)とあります。次にも同趣の「よそふ」があらわれます。
梅花に添へて大弐の三位(紫式部の娘)につかはしける
見ぬ人によそへて見つる梅のはな散りなむのちのなぐさめぞなき 新古今・春上48。ばいくわ(呉音。中古音からの推定)に しょふぇて だいにいの しゃムうぃい(推定。「大弐」は漢音。「三位」は近世LHL。「さむみ」としない〔連声させない〕理由は前(さき)に申しました)に とぅかふぁしける LLHLH・HLH・LLLL・LHLH・HHHLHL / みいぬう ふぃとに よしょふぇて みいとぅる ムめの ふぁな てぃりなム のてぃの なンぐしゃめじょ なきい LHHLH・HHLHRLH・HHHLL・HLHHLLL・HHHHLLF。ご覧であろう梅の花は、さきほどまで私が、まだ見ぬあなたはこの梅の花のようだろうと思って見ていたものの一部です。こういうものが散ってしまったら私をなぐさめてくれるものはありません。
ⅱ 低起動詞 [目次に戻る]
平安時代の京ことばでは低起動詞だったもののなかにも、昔の東京のアクセントからは平安時代の京ことばのアクセントをうかがえるものがあります。とは申せ、気づいたのは四つだけです。
あさる【漁】(あしゃるう LLF) 今は⓪で言うことが多いでしょうけれども、『26』『43』は②、『58』は⓪②です。なお今「漁」を当てましたけれども、平安時代の京ことばでは「あさる」は食料を探しまわるといった意味であり、山野でもあさることができました。
おほふ【覆】(おふぉふう LLF) 『26』『43』②、『58』②⓪。名詞「おほひ」は「おふぉふぃ LLL」でしたが、この名詞を『26』も『43』も②、『58』は②⓪③、『89』は⓪③とします。戦後しばらくまで、「ものにおおいをすることをものをおおうという」といった言い方をしたようです。
さてこの動詞は古今異義です。
頭(かしら)はあまそぎなる児(ちご)の、目に髪のおほへるをかきはやらでうちかたぶきてものなど見る、いとうつくし。枕・うつくしきもの(146。うとぅくしきい もの LLLLFLL。かわいらしいもの)。かしらふぁ あましょンぎなる てぃンごの、めえにい かみの おふぉふぇるうぉ かきふぁ やらンで うてぃい かたンぶきて もの なンど みる、いと うとぅくしい LLLH・LLLLHL・LLL、LH・LLL・LLHLH・LHHHHL・LFLLHLH・LLRLLH、HLLLLF。髪を肩までのばしている幼い女の子が、目に髪の毛のかぶさるのを払いのけずに、うつむいて何か見ているさまは、何ともかわいらしい。「もの なンど」と分かち書きにしたのは、この「など」――一般には助詞とされます――は「何と」(なにと)に由来するイディオムであり一文節をなすものとしてあるからです)
引用では「髪(髪ガ)、目におほふ」と言っています。髪が目を覆う、髪が目に覆いをする、髪が目にかぶさる、と言っていて、この「おほふ」は「覆う」「覆いをする」「かぶさる」という意味の自動詞です。他方、例えば伊勢物語の第八十七段の一節にこうあります。
その海松(みる)を高杯(たかつき)に盛りて、柏をおほひて出(いだ)したる、柏に書けり。しょおのお みるううぉ たかとぅきに もりて、かしふぁうぉ おふぉふぃて いンだしたる、かしふぁに かけり HHLFH・LLLHH・HLH・HHLH・LLHH・LLHLH・HHLH・LHL。その海松(海藻)を高杯に盛って柏で覆って差し出した、その柏に(次の歌が)書いてあります。
ここでは業平を接待した人が「海松に柏をおほふ」と言っています。海松を柏で覆う、海松に柏で覆いをする、と言っていて、ここでは「AにBをおほふ」によって「AをBで覆う」「AにBで覆いをする」「BをAの覆いにする」を意味させる語法が使われています。すると次はどうでしょう。
おほぞらにおほふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ 後撰・春中64。おふぉンじょらに おふぉふンばかりの(ないし、おふぉふンばかりの)しょンでもンがな ふぁるう しゃく ふぁなうぉ かンじぇに まかしぇンじい LLLHH・LLLLHLL(ないしLLHHHLL)・HHLHL・LFHHLLH・HHHLLLF。大空を覆うくらいの着物(「袖」はしばしばメトニミックに〔換喩的に〕「着物」を意味します)があったらなあ。そうしたら桜の花を風の好きにはさせないぞ。「袖(袖ガ)、大空におほふ」とも、「大空に袖をおほふ」とも言えるので、「大空におほふ袖」の「おほふ」は自動詞とも他動詞ともとれます。では次は。
おほけなく憂き世の民におほふかな我がたつ杣にすみぞめの袖 千載・雑中1137・慈円。おふぉけなあく(身ノ程知ラズニモ) うきい よおのお たみに おふぉふかなあ わあンがあ たとぅ しょまに しゅみンじょめの しょンで LLLRL・LFHHLLH・LLHLF・LHLHHHH・LLLHLHH。まず現代語「おっかない」の起源であるらしい形容詞「おほけなし」について。アクセントを注記したものを知りませんが、この「おほ」はやはり「大(おほ)」(おふぉ LL)でしょうから、「おふぉけなしい LLLLF」と言われたと考えられます。美妙斎は『26』で「負ふ気無し」の転じたものとしますけれども、岩波古語によれば古くは「おふけなし」という本文はないそうです。小学館の古語大辞典によれば「おほけなし」には確かに「大気甚(な)し」説があるそうです。「負ふ」は「おふう LF」ですから、仮にこれによっても「おほけなし」は低起式です。その場合その連用形「おほけなく」は「おふぉけなあく LLLRL」「おふぉけなく LLLHL」いずれで言われたかという問題がありますが、後に申す理由によって古典的には前者で言われたと考えられます。
さて平安時代の京ことばとして「袖(袖ガ)、民におほふ」(袖が民を覆って守る)とも、「我、民に袖をおほふ」(私は民を袖で覆って守る)」とも言えますが、この歌においておおけないのは袖ではなく詠み手でなくてはなりませんから、この歌では「おほふ」は後者の意味で使われていると見られます。
しかし、「おほふ」の語法がこういうものだとすると、源氏・空蝉(おそらく、うとぅしぇみ LLLL)や同・真木柱(おそらく、まきンばしら HHHHL)の巻(まき HL)に「口おほひて」という言い方の出て来るのは「口を覆いにする」「口で覆いをする」「口を何かの覆いにする」いう意味になってしまいます(一般に「に」格の連用修飾語においてその格助詞「に」は省けません)。しかし文脈からそれらは明らかに、女性が袖や扇などで口を覆うという意味です。
思うに、二つとも「口おほひして」の誤写ではないでしょうか。じっさい『源氏物語大成』によれば「真木柱」の「口おほひて」は別本の一つ(伝冷泉為相筆 長谷場純敬氏蔵)が「口おほひして」とします。
「口おほひす」という言い方は、『蜻蛉の日記』(原題はこう。「の」が入ります。かンげろふの にっき LLHLLLLL)の天禄二年十月の記事にも、また源氏・末摘む花(しゅうぇ とぅむ ふぁな HHHHLL。先端を摘む花。ここでも送り仮名をはしょらないことにします)、同・もみぢの賀(もみンでぃのがあ LLLLL)にも、『今昔物語集』(27-13、31-8)にも『宇治拾遺』(106、166)にも出てきて、「口におほふこと」(くてぃに おふぉふ こと)を意味するものとして「口おほひ」と言えることに疑いはありません。ちなみに、一般に「AにBする」における「に」は省けないと申しましたけれども、「口おほひ」のような言い方を「口におほふ」と関連づけて解してよいことは明らかで、例えば「鞍おほひ」(くらおふぉふぃ HHHHL)という名詞があって、これは鞍(くら HL)を覆うものですから、「鞍におほふもの」(くらに おふぉふ もの)を「鞍おほひ」と言っているわけです。また、「ものにおづる」(ものに おんどぅる)ことを「ものおぢ」(ものおンでぃ LLLL、あるいはもしかしたら、ものおンでぃ LLLH)と言います。寺社に参詣することを平安時代には「ものにまうづ」(ものに まうンどぅ LLHLHL)とも、「ものまうです」(ものまうンでしゅう LLLHLF。詳細後述)とも言いました。今でも、誰かに似ることを「だれだれ似」、東京に行くことを「東京行き」というように、「AにBする」からの派生名詞(転成名詞)は一般に「ABし」になります。「だれだれ似」「東京行き」において「似」「行き」はすでに用言ではなく、「だれだれ」「東京」はすでに連用修飾語ではありません。
「口」は「くてぃ」、「おほふ」は「おふぉふう」なので、文献に注記はないものの、「口おほひ」は「くてぃおふぉふぃ」だろうと考えてかまいません。高起二拍名詞が三拍動詞の連用形を従えた形の複合動詞は、「うたうたひ【歌謡】」(うた HL、うたふ HHL)、「みちくらべ【道競】」(みてぃ HH、くらンぶ HHL)のように動詞が高起式の場合も、「くびおほひ【頸被】」(くンび HH)、「さきばらひ【先払・前駆】」(しゃき HH、ふぁらふう LLF)のように動詞が低起式の場合も、一般にHHHHLというアクセントをとることが知られているからです(うたうたふぃ、みてぃくらンべ、くンびおふぉふぃ、しゃきンばらふぃ)。
ちなみに、同様に、「ものまうで」のアクセントも諸書に記述がないものの、「ものまうンで LLLHL」でよいと考えられます。「ものまうで」のような、低起二拍名詞が三拍動詞の連用形を従えた複合名詞はたいていLLLHLというアクセントで言われたからで、例えば、「朝ぎよめ」(朝、掃除をすること。あしゃ LL、きよむう LLF)、「かみあそび【神遊】」(「神楽(かぐら)」のこと。かみ LL、あしょンぶ HHL)、「ものがたり」(もの LL、かたる HHL)、「むぎすくひ【麦抄】(調理用の笊(ざる)。むンぎ LH、しゅくふ HHL)、「くさあはせ【草合】」(くしゃ LL、あふぁしゅう LLF)、「とのづくり【殿作】」(御殿を造ること。との LL、とぅくるう LLF)などはいずれもこのアクセントです(あしゃンぎよめ、かみあしょンび、ものンがたり、むンぎしゅくふぃ、くしゃあふぁしぇ、とのンどぅくり)。のちに登場するだろう「山おろし」はこれらと成素のアクセントを同じくするので「やまおろし LLLHL」と言われたでしょう。
つづる【綴】(とぅンどぅるう LLF) 『26』『43』②。『58』⓪②。『89』③②。『98』⓪②。②は退潮傾向にあります。この動詞は蔓(つる)植物の総称を意味する「葛(つづら)」(とぅンどぅら LLH)と同根だそうで、じっさい元来「糸や糸状のもので縫い合わせる」ことを意味したようです。「つづる」ことで出来た粗末な着物が「つづり」(とぅンどぅり LLL)。文章をつづる、という言い方はすでに『源氏』にも出てきますが(「行幸」〔みゆき HHH〕)、この言い方は転義なのでした。
ひたす【浸】(ふぃたしゅう LLF) 『26』『43』②。『58』②⓪。『89』③⓪②。『98』⓪②。今は「濡れる」という意味で「ひちる」とは(少なくとも共通語では)言いませんが、昔は、他動詞の「ひたす」に対する自動詞として「浸(ひ)つ」(ふぃとぅう LF)という上二段動詞がありました。
上二段 四段
朽つ(>朽ちる) 朽たす(=朽ちさせる)
懲る(>懲りる) 懲らす(=懲りさせる)
ひつ ひたす
これら六つの動詞はいずれも低起式で(たまたまです)、古典的にはいずれもLF、LLFの「くとぅう」「くたしゅう 」「こるう」「こらしゅう」「ふぃとぅう」「ふぃたしゅう」と言われます。すると「ひちる」という現代語があってもいい道理です。
袖ひちてむすびし水のこほれるを春たつ今日(けふ)の風やとくらむ 古今・春上2。しょンで ふぃてぃて むしゅンびし みンどぅの こふぉれるうぉ ふぁるう たとぅ けふの かンじぇやあ とくらむ HHLHH・HHHHHHH・HHLHH・LFLHLHL・HHFLHLH。袖のぬれるのもかまわず掬(すく)った水が冬になって凍っているのを、立春の今日の風が解かしているのではないだろうか。
b 昔の東京のアクセントも参考にならない動詞 [目次に戻る]
i 高起動詞 [目次に戻る]
昔の東京のアクセントからは平安時代の京ことばのアクセントをうかがえる、という例を並べましたけれども、東京では昔も今と同じアクセントで、昔の東京アクセントにも平安時代の京ことばのアクセントの面影は認められないという例も少なくありません。早い段階で京都でのアクセントが変わったと見られるものもありますけれど、詳しいことはよく分かりません。
まず二拍の高起四段動詞。
こる【凝】(こる HL) 「固まる」というような意味。「凝固」は連文(同義の漢字を並べた熟語)なのでした。「肩が凝る」の「凝る」もこれで、近世にはこの言い方があったようです(漱石が言い始めたのではないわけです)。『26』も『43』も『58』も今と同じく①で、このアクセントから旧都におけるそれを考えようとすると間違います。ちなみに現代京都でも昔の連体形起源の「こる」ではなく「こる」のようです。平安時代の京ことばで高起式だったことは図名そのほかが保証してくれます。終止形に関しては旧都と新都とがアクセントを同じくするのです。
とむ【富】(とむ HL) 『26』も『43』も『58』も①、現代京都でも「とむ」のようですけれども、改名が名詞「偆(とみ)」「稌(とみ)」に〈上上〉を差していて(とみ HH)、これは動詞「富む」の連用形から派生した名詞「富み」と同じもののようですから、動詞「富む」も高起式と推定できます。源氏・行幸の最後のところで、笑われ役だがどこか憎めない近江の君(あふみの きみ LLHLHH)が「夢に富みしたる心地しはべりてなむ、胸に手置きたるやうにはべる」(ゆめに とみ しいたる ここてぃ しい ふぁンべりてなムう、むねに てえ おきたる やうに ふぁンべる LLH・HHFLHLLL・FRLHHLF、HLH・LHLLH・LLHRLH)と言っています。夢の中でお金持ちになった 気持ちがいたしまして、胸に手を置いたようでございます。「胸に手(を)置く」は古今異義であること、文脈から明らかですけれど、用例とぼしく、名だたる源氏読みが解釈を放棄しています。この「富み」は財、財の総和といった意味の「富」(wealth)ではなく「富むこと」を意味します。「とみす」(とみ しゅう HHF)で「お金持ちになる」。改名のふたつの「とみ」も、さしあたり同断だろうとしておきます。「心地」の三拍目のアクセントは推定です。
ゑむ【笑】(うぇむ HL) 『26』も『43』も①。現代京都でも、「えむ」です。名詞「ゑみ」は「うぇみ HH」でしょう。
次に二拍の高起上二段動詞。
おづ【怖】(おンどぅ HL) 「おどす」ことは「おじさせる」(おぢさせる)ことだというわけで(新かなではつながりが分かりにくいですね)、高起四段動詞「おどす」(おンどしゅ HHL)と高起上二段動詞「おづ」(今の「おじる」)は他動詞、自動詞の関係にあります。今の東京では、そして『26』も『58』でも「おじる」は②で言われますけれども(現代京都でも「おじる」が多数派のようです)、この「おどす」が東京では「おどす」だから「おづ」も高起と思えばよいわけです。
こぶ【媚】(こンぶ HL) 昆布! 昆布に媚んぶ! 『26』以来東京では②の「こびる」LHLというアクセントで言われますけれども、往時の京都では高起式でした。現代京都でも「こびる LLH」のようです。石田穣二さんが『長恨歌』の「平安時代に行われていた古い訓(よ)み方の再現」を試みられた中に(新潮古典集成の『源氏』の第一巻)、「眸(ひとみ)を廻(めぐ)らして一たび笑むときに百の媚(こび)生(な)る」とあるのなどは、「ふぃとみうぉ めンぐらして ふぃとたンび うぇむ ときに ふぁくの こンび なるう HHHH・HHHLH・LLHL・HHLLH・HHHHHLF」と言われたと思います。「百(はく)」は漢音で(漢詩なので漢音で訓むのでしょう)、「全清入声」ゆえ高平調です。
次は二拍の高起下二段動詞。
くぶ【焼】(くンぶ HL) 「くべる」を 『58』『98』は②⓪としますが(『89』は②③)、『26』も『43』も②としますから、「くべる」は古い言い方ではないのかもしれません。ともあれ平安時代には高起式でした。京都では今も「くべる」です。
さびしさにけぶりをだにも絶たじとて柴折りくぶる冬の山里 後拾遺・冬390・和泉式部。しゃンびししゃに けンぶりうぉンだにもお たたンじいとて しンば うぉりい くンぶる ふゆの やまンじゃと LLHHH・HHHHHLF・LLFLH・LLLFHHH・HLLLLLH。
さく【離・放・避】(しゃく HL) すでに『26』が「避ける」を②とします。多義な言葉で、後に見る名高い阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば」の歌の「さけ」もこれです。源氏・帚木で「人々避けず」(ふぃとンびと しゃけンじゅ HHLLHHL)と言っているのは「女房たちを遠ざけず」という意味のようで、現代語の「避けず」とは異なります。現代語の「避ける」に意味の上で近いのは低起上二段の「よく」(よくう LF)でしょう。次の歌の「さくる」は現代語の「裂(さ)く」(こちらは低起式。しゃくう LF)に近いと申せます。
あまのはら踏みとどろかし鳴るかみも思ふ仲をばさくるものかは 古今・恋四701。あまの ふぁら ふみ とンどろかし なる かみもお おもふ なかうぉンば しゃくる ものかふぁ LLLLH・HLHHHHL・HHLLF・LLHLHHH・HHHLLHH
すぶ【統・総】(しゅンぶ HL) 「統一する」といった意味の「すべる」は現在では文章語ですけれども、現在でも日常語である「すべて」――昔は「総じて」「要するに」といった意味でよく使われました――は、もとはと言えばこの動詞が助詞「て」を従えた言い方です。『26』でも『43』でも『58』でも②の「すべる」ですが、「すぶ」は「しゅンぶ HL」、「すべて」は古典的には「しゅンべて」と言われました。平安時代にはこの言い方から変化した「しゅンべて」という言い方もなされましたけれども、近世京都でも「すべて」はHLLと言われたようです。中井さんの『京ア』によれば、現代京都では「統(す)べる」はLLHともLHLとも言われ、「すべて」はLHLと言われることが多いようですが、近世以来のHLLも残っているようです。「幕末から明治10年代に大阪に生育した落語家が吹き込んだ」というSPレコードでも、この「すべて」が聞かれるそうです)。東京でも『26』以来「すべて」なのは面白いことです。これで知っていることは全部です。
すべて、男も女も、わろものはわづかに知れる方のことをのこりなく見せつくさむと思へるこそいとほしけれ。源氏・帚木。しゅンべて、うぉとこもお うぉムなもお、わろものふぁ わンどぅかに しれる かたの ことうぉ のこり なあく みしぇえ とぅくしゃムうと おもふぇるこしょ いとふぉしけれ HLH、LLLFHHLF、LLLLH・LHLH・HLHHLLLLH・LLLRL・LFHHHFL・LLHLHL・LLLLHL。この「いとほし」も、いつぞやの『御堂関白記』の一節においてそうだったのと同じく、「困ったものだ」「嘆かわしい」といった意味で使われています。自分が「わろもの」であるさらなる証明のようになりますけれども、ここの「思へるこそ」は、「思っているのが」ではなく「思っている様子なのが」といった意味であって、平安仮名文では「思へり」はだいたいこの意味になるようです。
むる【群】(むる HL) 元来高起式でしたが、『26』も『43』も『58』も「むれる」を②とし、現代京都も「むれる」ですから、かなり古くに低平化したのかもしれません。ちなみに、「群(むれ)」という名詞は平安時代の文献には見えないようです。あったのは「群」「村」といった字を当てる「むら」で、これは「むら HL」と言われました。「むらさめ」(むらしゃめ HHHH)――「群になって降る雨」というところからの命名で、「村雨」は当て字――のような複合名詞にこの「むら」があらわれます。
村雨の露もまだ干(ひ)ぬ槙の葉に霧たちのぼる秋のゆふぐれ 新古今・秋下491・寂蓮。むらしゃめの とぅゆうもお まンだあ ふぃいぬう まきの ふぁあに きり たてぃい のンぼる あきいの ゆふンぐれ HHHHH・LFFLFLH・HHHFH・HHLFHHH・LFLHHHH。十三世紀の最初の年に詠まれた歌。すでに「露も」は「とぅゆぅも LFL」と言われることが多かったかもしれませんけれど、のちに詳述するとおり、上のようにも言われ得たでしょう。
今度は高起三拍動詞。まず、平安時代には高起式だった四段動詞のうち、『26』が②とし、今も②で言われるものを並べます。
あふぐ【仰】(あふンぐ HHL) のちに見るとおり、「扇(あふ)ぐ」は「あふンぐう LLF」です。
あへく【喘】(あふぇく HHL) 古くは第三拍は清音でした。
いだく【抱】(いンだく HHL) 「茨(むばら)」(ムばら HHL。「いばら」「うばら」とも)の初拍の落ちたものが「ばら(薔薇)」であるのと同じように、この「いだく」の初拍の落ちたものが「抱(だ)く」です。この「だく」の方は『26』以来ずっと⓪で、これを古い「いだく」の高起性の名残と思っても実害はありません。
うとむ【疎】(うとむ HHL) 現代語には「うとめる」という動詞はありませんけれども、古くは下二段の「うとむ」もあって、これは「うとむようにさせる」を意味しました。四段の「うとむ」の「他動詞形」とする向きもありますけれども、これでは「うとむ」が自動詞であるかのようです。四段の「うとむ」と下二段の「うとむ」との関係は後述の「たのむ」と下二段の「たのむ」とのそれと同じで、下二段のほうは、「うとませる」「たのませる」とは異なるものの、一種の使役形です。
かける【駆・翔】(かける HHL) 四段の、「空を飛ぶ」「飛ぶように走る」といった意味の「かける」、「あまかける」(あまかける LLLHL。「あまがける」〔あまンがける LLLHL〕とも)の「かける」であり、「誰かが駆け寄った」などいう時の「かける」、「かけくらべ」「かけっこ」に含まれる「かける」(この成立は鎌倉時代のようです)ではありません。「かけず」(かけンじゅ HHL)でなく「かけらず」(かけらンじゅ HHHL)。
くねる (くねる HHL) 「ひねくれる」といった意味の動詞です。現代語「曲がりくねる」に残っています。
こぞる【挙】(こンじょる HHL) 「去年(こぞ)」は「こンじょ LH」。
さけぶ【叫】(しゃけンぶ HHL) 源氏・若菜(わかな LLL)下に――ちなみに「若菜下」は英語では "New Herbs,Part Two" と言います――、さる貴婦人の怨念の凝った「もののくゑ(物の怪)」(もののくうぇ LLLLL。「怪」を二拍に読んでおきます)が紫の上(むらしゃきの うふぇ LHHLLHL)にとりつき、
わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり(わあンがあ みいこしょ あらぬ しゃまなれえ しょれなンがら しょらおンぼれ しゅる きみふぁ きみなりい LHHHL・LLHHHLF・HHHHH・LLLHLHH・HHHHHLF。現代京都ではこういう「さま」は「さま」でしょうけれども、古くは「しゃま」でした。「そらおぼれ」〔ソラトボケ〕は、「そら」が「しょら」なので、「おほふ」〔おふぉふう LLF〕のところで見た考え方によって「しょらおンぼれ LLLHL」と見られます)
と詠み、「つらし。つらし」(とぅらしい。とぅらしい HHF。HHF。ここでは古今同義)と「泣き叫ぶものから、さすがにもの恥ぢしたるけはひ(昔ト)変はらず、なかなか(カエッテ)いとうとましく心憂ければ、もの言はせじとおぼす」(なき しゃけンぶ ものから、しゃしゅンがに ものふぁンでぃ しいたる けふぁふぃ かふぁらンじゅ、なかなか いと うとましく こころ うけれンば、もの いふぁしぇンじいと おンぼしゅう HLHHHLLHL、LHHH・LLLLFLH・LLL・HHHL、LHLH・HLHHHHL・LLHLHLL、LLLLLFLLLF。「ものから」のことは後述)とあります。
そしる【謗】(しょしる HHL) 名詞「そしり」はおそらく「しょしり HHH」でしょう。
人のそしりをもえはばからせたまはず、世のためし(スキャンダル)にもなりぬべき御もてなしなり(オ振舞デス)。源氏・桐壺(きりとぅンぼ HHHL)。ふぃとの しょしりうぉも いぇええ ふぁンばからしぇ たまふぁンじゅ、よおのお ためしにも なりぬンべきい おふぉムもてなしなりい HLLHHHHL・ℓf(後述)HHHHLLLHL・HHLLLHL・LHHHF・LLHHHHHLF。
そねむ【嫉】(しょねむ HHL)
はじめより我はと思ひあがりたまへる御かたがた、めざましきものにおとしめそねみたまふ。同上。ふぁンじめより われふぁと おもふぃい あンがり たまふぇる おふぉムかたンがた、めンじゃましきい ものに おとしめ しょねみ たまふう HHHLL・LHHL・LLFHHLLLHL・LLHHHHH・LLLLFLLH・LLHLHHLLLF。
そほつ【濡】(しょふぉとぅ HHL) 現代語で「濡れそぼつ」など言うその「そぼつ」の古い言い方で、古今集声点本における多数派は「そほづ」。上代には全拍清んだそうで、仮にこれを採っておきます。四段、上二段、いずれの活用もあります。
たもつ【保】(たもとぅ HHL) 「手持つ」が語源とする辞書もありますが、「手」はLで、「たもつ」は高起式です。動詞や形容詞などに付いて語調を整える接頭辞「た」というものがあると諸辞典が教えてくれます。「たばかる」「たふとし」「たやすし」などに現れる「た」ですが、これらが「たンばかる HHHL」「たふとしい HHHF」「たやしゅしい HHHF」と発音されることを思うと(「はかる」「ふとし」「やすし」はいずれも低起式〔ふぁかるう、ふとしい、やしゅしい〕)、「たもつ」の「た」もそれだと見ておいてよいのでしょう。
ちぎる【契】(てぃンぎる HHL) 男女が愛の永遠を誓いつつ云々という意味でも使われたものの、元来、約束すること全般を意味しました。次の歌における「ちぎる」も、詳細は省きますけれど、この一般的な意味でのそれです。
ちぎりおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり 千載・雑上1026。てぃンぎり おきし しゃしぇもンが とぅゆううぉ いのてぃにて あふぁれえ ことしの あきいもお いぬめり HHLHHH・LHHHLFH・LLHHH・LLFHHHH・LFFHHHL。「させも」は「させもぐさ」のことで、「させもぐさ」は「さしもぐさ」が少し訛ったもののようです。のちに見るとおり「さしもぐさ」は「しゃしもンぐしゃ LHHHL」と言われたと考えられます。
とつぐ【娶】(ととぅンぐ HHL) この「と」は「戸」「門(と)」で(「とお H」)、「出入口」といった意味、「つぐ」は「ふさぐ」といった意味の高起動詞で(「とぅンぐ HL」)、「とつぐ」はもともとは即物的な行為そのものを意味する動詞でした。「おとうさん。おかさあん。私は今日、とつぎます」は、古語になじんでいる人には聞きよい言い方ではないでしょう。おいおいそんなことわざわざ言わなくていいよ。
のろふ【呪】(のろふ HHL) 「宣(の)る」(のる HL。「告る」とも書く)に由来するので高起式、ということのようですけれども、『26』も『58』も『89』も②です(『43』は⓪、『98』は②⓪)。『26』は今とは違って名詞「呪(のろ)い」も②の「のろひ」とします(『43』⓪、『58』②⓪)。明治の東京では「のろいをかける」と言ったようです。伊勢物語の第九十六段に
人ののろひごとは負ふものにやあらむ。負はぬものにやあらむ。
とあります。ふぃとの のろふぃンごとふぁ おふ ものにやあ あらム。おふぁぬ ものにやあ あらム HLLHHHHHH・LHLLHFLLH。LLHLLHFLLH。呪いというものに効力はあるのかないのかと自問しているのですから、古人はそういうものを素朴に信じていたといった言い方はおざなりに過ぎることが明らかです。「たはぶれごと」が「たふぁンぶれンごと HHHHHH」、「寝言」が「ねンごと HHH」なので、「のろひごと」も高平連続調でしょう。
はぶく【省】(ふぁンぶく HHL) 生活の仕方や行事のとりおこない方について、「節約する」「質素にする」「簡素にする」といった意味で使うことも多くありました。この語義が復活したら面白いと思います。私たちは今、さまざまなものを省かなくてはなりません。
ひしぐ【拉】(ふぃしンぐ HHL)
ほこる【誇】(ふぉこる HHL) 改名が「矜」――「矜恃(きょうじ )」(誇り)の「矜」――に「ホコリ」という訓みをつけ、〈上上平〉を差します。のちにいくつか例を見るとおり、動詞の連用形に由来する名詞は例外的に高平ないし低平連続調ではないアクセントをとりますけれども、改名の「ふぉこり」はそれではなく動詞の連用形への注記かもしれません。なお「ほこりかなり」(「得意そうである」といった意味でした)は、式の異なる「ふぉこりかなり LLHLHL」のように言われたと考えられます。
ほだす【絆】(ふぉンだしゅ HHL) 『26』『58』が②とするのでここに置きますけれども、ただ、『43』が「ほだされる」を⓪としていて、これは「ほだす」も⓪であることを意味しますし、名詞「ほだし」は平安時代に「ふぉンだし HHH」と言われたことが確実ですが(似た名前の和風だしがありますね)、『58』『89』がその「ほだし」をいずれも⓪③とします(『26』は③)。「情にほだされて」という現代語の言い方からうかがわれるように、動詞「ほだす」は物理的にあるいは心理的に束縛すること、名詞「ほだし」は物理的にあるいは心理的に束縛するものを意味しますが、この名詞は特に、何かをしようとする人にとってその遂行を妨げるものを指すことが多く、例えば源氏・葵(あふふぃ HHH)において光る源氏――「る」を送るほうが「光り輝く」という意味をはっきりさせるのにはよいでしょう。現代語ならば④でではなく「ひかるげんじ」と言わるべきです――が、
かかるほだしだに添はざらましかば、願はしきさまにもなりなまし (かかる ふぉンだしンだに しょふぁンじゃらましかンば、ねンがふぁしきい しゃまにも なりなましい HLHHHHHL・HHLLHHLL・LLLLFHHHL・LHHHF)
と思うのは、こういう「ほだし」さえ加わらなかったらいっそ出家してしまおうか、というので、この「ほだし」は、生まれたばかりの我が子・夕霧(ゆふンぎり)のことです。
まさる【勝・増】(ましゃる HHL) 「増す」(ましゅ HL)に由来します。『26』『43』②、『58』②⓪、『89』⓪②。⓪は古い言い方の直系とは言えないと見ておきます。
つれづれのながめにまさる涙川袖のみひちて逢ふよしもなし 古今・恋三617。伊勢物語107。とぅれンどぅれの なンがめに ましゃる なみンだンがふぁ しょンでのみい ふぃてぃて あふ よしも なしい HHLLL・LLLHHHH・LLHHL・HHLFLHH・LHHHLLF。「つれづれ」のアクセントは推定。詳細後述。前(さき)に引いた「浅みこそ袖はひつらめ」(あしゃみこしょ しょンでふぁ ふぃとぅらめえ HHLHL・HHHLHLF)の歌は、これに対する返歌として詠まれました。長雨と「ながめ」(物思い)とで涙の川は水かさが増し、袖がぬれるばかりで、あなたにお逢いできません。
むつぶ【睦】(むとぅンぶ HHL) 現代語「むつまじい」の古形「むつまし」は「むつむ」からの派生語ですけれども、平安時代にはもっぱら「むつむ」ではなく「むつぶ」と言ったようです。『26』も『43』も『58』も「むつぶ」はもちろん「むつむ」も立項しません。『89』は⓪③②(『43』は名詞「むつび」を⓪とします)。大辞林(2006)は②。⓪は旧都の古いアクセントに由来するとは確言できないのでここに置いておきます。
ゆらぐ【揺】(ゆらンぐ HHL) 辞書に上代は第三拍は清(す)んだとあります。次の「ゆるぐ」の末拍がそうであるように平安時代には濁っていたと見ておきます。「ゆらぐ」は『26』『43』②、『58』⓪②。『89』②③⓪。「ゆらめく」(ゆらめく HHHL)も、それから「揺れる」を意味する四段動詞「ゆる」(ゆる HL)も式を同じくすると見られます。次の万葉歌(4493)は平安時代にもよく知られていたようで、のちに新古今(賀708)にも入ります。
初春(はつはる)の初音(はつね)の今日(けふ)の玉ばはき手にとるからにゆらぐ玉の緒 (ふぁとぅふぁるの ふぁとぅねの けふの たまンばふぁき てえにい とるからに ゆらンぐ たまのうぉ HHHLL・HHLLLHL・LLLHL・LHLHHLH・HHHLLLH。「緒(を)」は単独では「うぉお H」ですけれども(「尾(を)」は「うぉお L」)、後に見るとおり「たまのを」を一語として言う言い方ができたようで、その場合引かれません。
ゆるぐ【揺】(ゆるンぐ HHL) 『26』『43』②、『58』②⓪、『89』②。「小動」を当てる相模国の歌枕(「うたまくら HHHHL」でしょう)「こゆるぎ」(こゆるンぎ LLHH。「こよろぎ」〔こよろンぎ LLHH〕とも)の末拍を伏片・寂874や顕天片・顕大・寂1094(のちに引きます)が濁らしているので、「ゆるぐ」のそれも濁ると見ておきます。
よきる【過】(よきる HHL) 今は「よぎる」と言いますけれども、古くは第二拍は清みました。源氏・若紫に出てきます。紫の上(「むらしゃきのうふぇ LHHLLHL」でした)のおばあさんのお兄さんの言葉に出てくる、かしこまった固い言い方です。
近きほどに(アナタ様ガ)よきりおはしましける由、ただ今なむ人申すに、おどろきながら(サッソク)さぶらふべきを(…) てぃかきい ふぉんンどに よきり おふぁしましける よし、たンだあ いまなムう ふぃと まうしゅに、おンどろきなンがら しゃムぶらふンべきいうぉ LLFHLH・HHLLHLLHHLHH、LFLHLF・HLLLHH、LLLLHHH・HHHHHFH
をめく(うぉめく HHL) 『枕』の「正月(しやうぐわち)十(じふ)余日のほど」(しやうンぐわてぃ じふ よおふぃいの ふぉンど LLLLLL・LLRFLHL)の段に(「正月」は音読みすべきもののようです。やまとことばでは「むとぅき HHH」)、石田さんの校訂によれば(角川文庫)、「空いと黒う、雲も厚く見えながら、さすがに日はけざやかにさし出でたる」(しょら いと くらう、くももお あとぅく みいぇなンがら、しゃしゅンがに ふぃいふぁあ けンじゃやかに しゃしい いンでたる
LHHLLHL、LLFHHLLLHHH、LHHH・FHLLHLH・LFLHLH)という日、「いとほそやかなる童の、狩衣(かりぎぬ)はかけ破(や)りなどして、髪うるはしき」(いと ふぉしょやかなる わらふぁの、かりンぎぬふぁ かけえ やりい なンど しいて、かみ うるふぁしきい HLLLHLHL・LLHL、LLLHH・LFLFRLFH、LLLLLLF)が桃の木の小枝の多いのに登っていると、ほかの子供たちが寄ってきて、私のために枝を切ってほしい、と、てんでに要求するので、樹上の子は切ってあげるが、今ひとり子供がやって来てやはり枝を切ってくれと言うのに対して「待て」(まてえ LF)と言ってすぐには切らないので、そう言われた子が「木のもとをひきゆるがすに」(きいのお もとうぉ ふぃき ゆるンがしゅに LLLLH・HLHHHHH)、樹上の子は、「あやふがりて、猿のやうにかいつきて、をめくもをかし」(あやふンがりて、しゃるうの やうに かいい とぅきて、うぉめくも うぉかしい HHHHLH、LFLLLH・LFLHH・HHHLLLF)とあります。
「をめく」は「わめく」のもとの言い方、と辞書にあって、これは間違いではないのでしょうけれど、「をめく」は「大声で『うぉお』と言う」ということだ、と言ったほうがいいようです。「あめく」という動詞もあって、これは「大声で『ああ』と言う」こと、今でも言う「うめく」は元来「低く『うう』と言う」こと、「かかめく」は「(猿などが)『かか』と言う」こと、「きしめく」(清濁不詳)は「(例えば木材と木材とがこすれて)『きしきし』ないし『ぎしぎし』といった音をたてる」こと、「こほめく」(やはり清濁不詳)は「『こほこほ』『ごぼごぼ』といった音をたてる」こと、「はらめく」(これまた清濁不詳)は「『はらはら』『ぱらぱら』『ばらばら』といった音を立てる」こと、「ふためく」は「『ふたふた』(『ぱたぱた』に近いか)という音を立てる」ことです。なお、感動詞「あ」は「ああ
LL」ですから「あめく」は「あめくう LLF」、「うめく」は『26』以来東京で②ですから往時の都では「うめくう LLF」だった可能性が高く、「こほめく」は辞書が「こほめく」「ごほめく」などしますけれども『色葉字類抄』は「こンぼめく HHHL」とします。そのほかはあいにく考える手掛かりがありません。
高起上二段動詞にも、『26』などからも昔をしのべないものがあります。「ひなびた宿」など言う時の「ひなびる」の古形である上二段の「ひなぶ」は、古くは高起式でしたが(「ふぃなンぶ HHL」)、『26』は「ひなぶ」を②とし、『58』『89』は「ひなびる」を③とします。「田舎」といった意味の名詞「鄙(ひな)」は「ふぃな HL」と言われることが多かったようで、「ひなぶ」の高起性はここに由来します。ちなみに反対語は「宮」(みや HH)から派生した「雅ぶ」(みやンぶ HHL)です。
あまさかる(三拍目、清んだようです)鄙に五年(いつとせ)住まひつつ都のてぶり忘らえにけり 万葉880・憶良。あましゃかる ふぃなに いとぅとしぇ しゅまふぃとぅとぅ みやこの てンぶり わしゅらいぇにけり LLHHH・HLHLLLH・LLHHH・HHHHLLL・HHHLHHL。「忘らえにけり」は同義の「忘られにけり」(わしゅられにけり)と同じアクセントでしょう。この「忘らる」(わしゅらる HHHL)は四段の「忘る」(わしゅる HHL)が「自然発生」の「る」(いわゆる「自発」の「る」ですけれども、この「自発」という言い方は「自然発生」の省略だとでも言いなさないかぎり不適切です)を従えたもので、平安時代の京ことばでは、なぜか、下二段の「忘る」(わしゅる HHL)が「らる」を従えた「忘れらる」(わしゅれらる HHHHL)の使われそうなところで、たいていこの「忘らる」が使われます。
次の九つほどの高起下二段動詞も、平安時代、高起式でしたけれども、東京アクセントにはその面影がないようです。
あぶる【溢】(あンぶる HHL) 現代語では「仕事にあぶれる」とは言っても「湯舟から湯があぶれる」とは言いませんけれども、平安時代には水は「あぶるる」(あンぶるる HHHH)ものでした。当時はこのほか「落ちぶれる」という意味でも「あぶる」を使いましたが、この現代語「落ちぶれる」はほかならぬ「落ちあぶれる」のつづまったものらしく、平安時代すでに、「落つ」(おとぅう LF)と「あぶる」(あンぶる HHL)とを重ねてつづめた下二段動詞の「おちぶる」(おてぃンぶる LLHL)という動詞があって、「落ちぶれる」はその後身です。『26』は「あふる」を②、「あふれる」「あぶれる」を③とします。
さかゆ【栄】(しゃかゆ HHL) 「咲く」(しゃく HL)に由来します。「栄える」は『26』『43』が③、『58』は②③。ただ『26』は名詞「さかえ」を⓪とします。
つづむ【約】(とぅンどぅむ HHL) 現代東京では「つづめる(と)」など言いますけれども(じっさい大辞林〔2006〕が⓪③とします)、『26』『43』『58』は「つづめる」を③としますから(『89』は③④⓪)、ここに置いておきます。自動詞「つづまる」は「とぅンどぅまる HHHL」。ちなみに「つづむ」に近い意味の「しじむ」、「つづまる」に近い意味の「しじまる」という動詞があって、図名がそれぞれに〈平平上〉〈平平上平〉を差しています(「しンじむう LLF」「しンじまる LLHL」)。他方現代語とは異なり「ちぢむ」「ちぢまる」という動詞は平安時代には少なくとも広くは使われませんでした。「ちぢめる」「ちぢまる」は『26』以来⓪です。ということはこれらは「しじめる」「しじまる」ではなく「つづめる」「つづまる」の変化したものなのかもしれません。
とどむ【留・止】(とンどむ HHL) 「とどまる」も高起式で「とンどまる HHHL」。「とどめる」は『26』『58』『89』が③とします。ただ『43』は⓪とします。『43』は「とどまる」も⓪としますから、誤植とは考えにくい。こういう言い方もあったのかもしれません。いずれにしても新都における「とまる」や「とめる」は旧都における四段の「とまる HHL」や下二段の「とむ HL」の高起性の名残なので、これらと同趣と思えばよいわけです。
となふ【唱】(となふう HHL) すでに『26』が「唱(とな)ふ」を②としています。
なづく【名付】(なンどぅく HHL) 「なづける」を『26』も『43』も『58』も③とします。「名をつく」(なあうぉお とぅくう FHLF)と同じ意味で「名つく」(なあ とぅくう FLF)とも言えるわけですけれども、万葉集にすでに連濁していると見られる言い方があり、改名にも「なづく」が複数あらわれるので、「なンどぅく」HHLと発音される動詞があると見てよいのでしょう。ただ平安仮名文では「名づける」「呼ぶ」という意味で単に「つく」(とぅくう LF)と言うことが多くて(この「呼ぶ」は明らかに call のような西洋語の直訳でしょう)、例えば『竹取』に「『なよたけのかぐや姫』とつけつ」とあります(「なよたけの かンぐやふぃめと とぅけとぅう HHLLL・HHHHLL・LHF)。「かぐや姫」はおそらく「かンぐやふぃめ HHHHL」、でなければ「かンぐやふぃめ HHHHH」です。「姫」は「ふぃめ HL」。
ひかふ【控】(ふぃかふ HHL) 「ひかへる」は『26』『43』③、『58』③②、『89』③。「引く」(ふぃく HL)に由来します。「袖をひかふ」(しょンでうぉ ふぃかふ HHHHHL」という言い方があって、これは「行かせまいとして袖をとらえる」ことですけれども、「袖を引く」「袖を引っ張る」に近いと言えば近いわけです。
まみる【塗】(まみる HHL) 『26』は「まみる」を②とします。「まみれる」を『43』『58』が③とします。大和物語の第百四十七段に「血にまみれたる男」(てぃいにい まみれたる うぉとこ HH・HHLLH・LLL)という言い方が出てきます。
もだゆ【悶】(もンだゆ HHL) 『26』は「もだゆ」を②とします。「もだえる」は『43』③、『58』③②。
ⅱ 低起動詞 [目次に戻る]
平安時代には低起式だった動詞のなかにも、東京のアクセントにはその名残のないものがあります。十(とお
)くらいあります。
例えば「負(お)ふ」です。旧都ではこの動詞の終止形は「おふう LF」と言われましたけれども、現代東京では「おう(と)」と言われ、『26』も『43』も『58』も⓪です。現代京都では、「背中に負う」など言う時は「おう」というアクセントがとられるものの、「責任を負う」など言う時は「おう」「おう」両様で言われるようです。ちなみに、回国の僧などが背中に負う箱、申さば木製のリュックサックを「笈(おひ)」と言いますが、これは動詞「負ふ」から派生したもので、「おふぃ LL」と言われたと見られます。この名詞が後世の京都においてHLで発音されたらしいこと、そして『26』が②とすること(『43』『58』が①とすることについては先の「老ゆ」のところで)も、この推測の正しいだろうことを裏付けてくれます。
次に「駆る」「狩る」。いずれも古典的には「かるう LF」と言われました。この二つは漢字を使い分けているだけで、やまとことばとしては一つことのようです。例えば「いちごを狩る」よりも「いちご狩りをする」が好まれるという具合に、「狩る」は今は単独ではそんなには使わず、また、平安時代には「追い立てる」といった意味で使われた「駆る」も、今は多く「駆り立てる」のような複合動詞や、「衝動に駆られる」「余勢を駆る」といったイディオムで使うようです。そのせいかいずれもアクセントは不安定で、『26』は二つとも⓪ですけれども、『43』『58』は二つとも⓪①、『89』は「駆る」を①②⓪、「狩る」を①②とします。ともかく平安時代の京ことばでは低起式でした。なお「狩る」と「刈る」とは同根ではないのであって、「刈る」は平安時代、「かる HL」と言われました。くしゃうぉ かる LLHHL。
派生名詞「狩(かり)」は平安時代には「かり LH」と言われることが多かったようで、『26』が「かり」とするのはその名残のようですが、たまたまのことかもしれません。
次に、現代語の「浴(あ)びる」に当たる上二段動詞「浴ぶ」(あンぶう LF)。今は湯は「あみる」ものではなく「あびる」ものである一方、「湯あみ」とは言っても「湯あび」という人は少ないでしょうけれど、昔は「浴む」(あむう LF)とも「浴ぶ」(あンぶう LF)とも言いました。今でも京都では「あびる」のほか「あみる」とも言うようで、さすがです。そういえば、今は「かなしむ」とは言っても「かなしぶ」とは言いませんが、平安時代には大抵「かなしぶ」(かなしンぶ HHHL)と言いました。「けむり」も「けぶり」(けンぶり HHH)。『26』も『43』も『58』も「あびる」を⓪としますが、旧都では低起式でした。
下二段動詞「触(ふ)る」も平安時代には低起式でしたけれども(ふるう LF)、東京では『26』がすでに⓪とします。伝統的な現代京ことばでも「ふれる」の由です。
最後に、やはり下二段動詞の「萌(も)ゆ」は旧都では「もゆう LF」と言われました。「燃ゆ」とは同根でないようで、こちらは「もゆ HL」です。『26』は「萌える」を「燃える」と同じく⓪としますけれども、現代京都でも二つとも「もえる」だそうですから、東西いずれの地でも早くから混同があったのでしょう。ちなみに、「萌ゆ」が古くは低起式だった名残は、『26』や『43』が③とする豆などの「もやし」に残っています。がんらい「萌ゆ」(もゆう LF)は「芽が出ること」であり、それに対応する他動詞である四段の「萌やす」(もやしゅう LLF)は「芽を出させる」ことです。萌やすからもやし(ついでに申せば「生(は)やす」から「林(はやし)」です)。そのアクセントは古くはLLLで(「林」〔ふぁやし〕もこれ。「生やす」は「ふぁやしゅう LLF」)、多数派低起三拍動詞の連用形から派生した名詞は、東京では③で言われることが最も多いのでした。もっともこの「もやし」は、『58』も『89』も大辞林(2006)も③⓪としますから、近年平板化の動きが認められます。
今度は多数派三拍低起動詞だったもの。まず次の三つは四段活用です。
かざす【挿頭】(かムじゃしゅう LLF) 『26』『58』は⓪ですけれど、「東京語アクセント資料」(web)によれば「手をかざす」の「かざす」のアクセントとして②もあるようなのは、あるいは昔の名残かもしれません。ともかく旧都では低起式でした。辞書に「髪挿す」の転じたものとありますが、「かみさす」「かむざす」といった言葉があるわけでもないようです。実際、例えば「花を挿頭(かざ)す」(ふぁなうぉ かンじゃしゅう LLHLLF)とは「髪に花を挿す」(かみに ふぁなうぉ しゃしゅう LLHLLHLF)ということなので、「髪に挿す」をつづめて「かみざす」「かむざす」と言ったかどうか分からない、と申すより言わなかったのではないかと思います。
先に「かざし(髪挿)」という名詞があったのではないでしょうか。平安時代、禄としてたまわる巻絹を腰の脇に挿して(腰に刺したら痛い)退出するしきたりがあったそうで、その巻絹を「こしざし(腰挿)」「わきざし(脇差)」と言ったそうです。腰に挿すから「こしざし」(こしンじゃし HHHHか。もしくは、こしンじゃし HHHL。「腰」は「こし HH」)。脇に差すから「わきざし」(おそらく、わきンじゃし LLLL。「脇」は「わき LL」)。髪に挿すから「かみざし」、つづまって「かざし」(かンムじゃし
LLL)。さて「なげく」(なンげくう LLF)は「ながいき(長息)」がつづまって出来た名詞「なげき」(なンげき LLL)を動詞化したものと言われていますけれども(実際その逆ではなかったのでしょう)、それならば名詞「かざし」(かンじゃし
LLL)から動詞「かざす」(かンじゃしゅう LLF)が派生しても何ら不思議でありません。ちなみに現代語「かんざし(簪)」に当たる名詞「かむざし」も当然に髪に刺すからこの名があります。総合索引によるとこちらは〈平平平平〉〈平平平上〉〈平平上平〉〈平平上上〉という注記が見られるそうです。それから、「翳(かざ)す」とこの「挿頭(かざ)す」とを別語と見るか、後者から前者が別れたと見るか、両説ありますけれども、いずれにしてもアクセントは同じようです。同根と見てよいのではないでしょうか。
しかる【叱】(しかるう LLF) 『26』『43』『58』が⓪とします。
のぞく【除】(のンじょくう LLF) 『26』『43』『58』が⓪とします。
次の二つは下二段動詞。
くはふ【加】(くふぁふう LLF) 「くはへる」を『26』『43』が⓪、『58』が⓪③、『89』が④⓪とします。現代京都では昔の式どおりの「くわえる」。
しをる【萎】(しうぉるう LLF) 「しをれる」を『26』『43』『58』は⓪とします。現代京都でも高起化していて、「しおれる」と言わるようです。書物にはさんで使う「しおり」は、経緯ははしょりますが、この下二段の「しをる」に対応する四段の他動詞「しをる」に由来します。名詞「しおり」も『26』は⓪としますけれど、この四段の「しをる」も「しうぉるう LLF」だったのでしょう。
東京のアクセントからは旧都のそれを偲べない動詞の検討は、これで一旦終わりにします。
c 連用形が一拍になる動詞 [目次に戻る]
ここで、連用形が一拍になる動詞では事情はどうなっているか、考えます。「します」「来ます」「見ます」といった言い方から分かるとおり、「する」「来る」「見る」などは連用形が一拍になる動詞ですが、それらの多くでも、東京のアクセントから往時の京ことばのアクセントをたどれます。 連用形が一拍になる動詞の終止形は一拍ないし二拍です。すなわち、現代東京では、サ変の「する」、下一段の「寝る」、上一段の「着る」「似る」「煮る」「居(い)る」はLHというアクセントで言われますけれども、これに対応して、平安時代の京ことばにおけるそれらの連体形はHHです。つまりサ変の「する」は「しゅる HH」、下二段の「寝(ぬ)る」は「ぬる HH」、上一段の「着る」「似る」「煮る」「居(ゐ)る」はHHの「きる」「にる」「にる」「うぃる」というアクセントで言われました。
他方、東京ではカ変の「来る」、上一段の「見る」「干(ひ)る」(「干上がる」「潮干狩り」などにあらわれる「干(ひ)」です)、下一段の「得(え)る」「経(へ)る」はHLというアクセントで言われますけれども、これは例えば現在東京で「なる」と言われる「成る」の連体形が旧都では「なる」だったのと同趣で、平安時代の京ことばにおけるそれらの連体形はLHと言われました。つまり、カ変「来る」は「くる LH」、上一段「見る」「干(ひ)る」はそれぞれ「みる LH」「ふぃる LH」、下二段「得(う)る」「経(ふ)る」はそれぞれ「うる LH」「ふる LH」と言われました。
すると、文節末におけるこれらの動詞の終止形はどのようでしょう。サ変の「す」、下二段の「寝(ぬ)」はそれぞれ「しゅう F」「ぬう F」、上一段の「着る」「似る」「煮る」「居(ゐ)る」はそれぞれ「きる HL」「にる HL」「にる HL」「うぃる HL」と言われ、上一段の「見る」「干(ひ)る」はそれぞれ「みるう LF」「ふぃるう LF」と言われました。
ここまでは先覚の説くところをなぞったのですけれども、低起動詞のなかの、終止形が一拍になる動詞については異説を立てます。
カ変の「来(く)」、下二段の「得(う)」「経(ふ)」の終止形は、低くはじまり、文節末では拍内下降するアクセント、ということはLHLを二拍くらいにつづめたアクセント、「上昇下降調」と呼んでよいアクセント――以下ℓfによって示すことにします――で言われたと考えます(ℓはℓowのℓ。rℓないしrfとしてもよいのであり、これらではなくℓfを選んだことに積極的な理由はありません。飽くまでLHLをつづめたものとお考えください)。ポイントは二つで、一つは式の保存ということ、いま一つは連用形や終止形の終わり方です。
東京アクセントでは、意外にもというべきか、例えば動詞「起きる」の連用形「起き」は「起きた」ではHL、「起きます」ではLHというように、同じ一つの動詞の同じ活用形でもしばしば式が変わりますけれども、平安時代の京ことばでは、こと新しく申すことになりますが、一般に一つの動詞の各活用形は式を同じくします。すると低起動詞「来(く)」「得(う)」「経(ふ)」の終止形は、というよりも低起動詞の一拍からなる活用形(「来(く)」の未然形や連用形そのほかが含まれます)はいずれも、上昇調にはじまったと考うべきでしょう。実際、例えば図紀85は「来(く)らしも」に〈去平平平〉(くうらしも RLLL)を、同91は「寄り来(こ)ば」に〈上平去平〉(より こおンば HLRL)を、同92は「来居(ゐ)る」に〈去上平〉(きいい うぃる ℓfHL。論点を先取りしています)を、『問答』422は「干(ひ)ず」(ふぃいンじゅ RL)に〈去平〉を差します。
現代京都では例えば「来る」は「くる」ですが、「来ず」は「こず」です。「来ず」の初拍は、過去のある時期、上昇調から高平調に変化したのですけれども、これについて『研究』研究篇下(p.50)は、「鎌倉の初期までは」式は保たれただろうと見ています。去声点が差されなくなることをもってただちに上昇調の消滅を結論するのは性急で、たとえば伏片・梅239は「来て」に〈上上〉を差しますけれども、この初拍の上声点は上昇調を意味すると解すべきでしょう(「きいて RH」)。
このことに関して、次の歌を見ておきます。
梅のはな見にこそ来つれうぐひすのひとくひとくと厭(いと)ひしも居(を)る 古今・誹諧1011。ムめの ふぁな みいにこしょ きいとぅれえ うンぐふぃしゅの ふぃと くうう ふぃと くううと いとふぃしもお うぉる HHHLL・RHHLRLF・LLHLL・HLℓfHLℓfL・LLHLFHL。梅の花を見に来たが、うぐいすが「フィート クウウ、フィート クウウ」と鳴いて嫌がっている。鶯の鳴き声が「人、来(く)」(=誰か来る)に聞こえるというのです。「カーカドゥードゥル ドゥー」と「コケコッコー」とは、ニワトリの実際の鳴き声の音写として実はそう異なっていないように、「フィート クウウ」と「ホーホケキョ」とは、ウグイスの実際の鳴き声の音写としてそう異なっていません。じつは「うぐひす」(うンぐふしゅ LLHL)そのものを鶯の 鳴き声と見る見方もあるそうで――語の成立した当初は「ちゅんぢゅめ LHH」に近かったという「すずめ」(しゅンじゅめ LHH)のことを思えば十分ありうることです――、実際、「ホーホケキョ」と「フィートクウウ」と「ウーングフィシュ」とは、鶯の鳴き声の音写として同趣だと申せます。「ホーホケキョ」は近世に成立した言い方のようですけれども、確かに「うンぐふしゅ LLHL」が正規変化して「うぐいす」になってしまえば、これを音写と感じることはできません。
次に、一拍からなる低起動詞の終わり方です。連用形が一拍でないどの動詞の終止形も、高平調に終わることはありません。平安時代の京ことばでは、動詞の終止形は、文節末において、「咲く」HLや「探す」HHLにおけるような二拍からなる下降調か、そうでなければ「成る」LFや「思ふ」LLFにおけるような一拍からなる下降調に終わると見られます。「来(く)」「得(う)」「経(ふ)」といった一拍からなる低起動詞の終止形などだけは文節末において高平調をとる、とは考えにくいと思います。 サ変「す」
せず。(しぇえンじゅう HL。改めて申せば、動詞部分は一拍ゆえ引かれたと見られます〔後に詳述します〕。これに伴って、一拍からなる付属語も長く言われたでしょぅ)
し、 (しい F)
す。 (しゅう F)
する (しゅる HH)
すれ。(しゅれ HL)
せよ。(しぇえよお FF。この「よ」のことは後に考えます)
下二「寝(ぬ)」
ねず。(ねえンじゅう HL)
ね、 (ねえ F)
ぬ。 (ぬう F)
ぬる (ぬる HH)
ぬれ。(ぬれ HL)
ねよ。(ねぇえよお FF)
上一「着る」
きず。(きいンじゅう HL)
き、 (きい F)
きる。(きる HL)
きる (きる HH)
きれ。(きれ HL)
きよ。(きいよお FF)
カ変「来(く)」
こず。(こおンじゅう RL)
き、 (きいい ℓf)
く。 (くうう ℓf)
くる (くる LH)
くれ。(くれえ LF)
こ。 (こおお ℓf。「来(こ)よ」のことは後述)
下二段「得(う)」
えず。(いぇえンじゅう RL)
え、 (いぇええ ℓf)
う。 (ううう ℓf)
うる (うる LH)
うれ。(うれえ LF)
えよ。(いぇえよ RL。ℓfFと見ないことは後述)
「経(ふ)」(ふうう ℓf)も同趣と見られます。
「干(ひ)る」(ふぃるう LF)も同趣と見られます。
東京アクセントから推測できない動詞もあります。まず上一段の「射(い)る」(いる HL)です。平安時代にはこれは「着る」(きる HL)と同じく高起式の動詞ですが、東京では『26』以来、「着る」とは異なり①で発音されました。
同じく上一段の、「鋳造する」という意味の「鋳(い)る」(「鋳物(いもの)」の「鋳」はその連用形に由来します)、同根の、「注(そそ)ぐ」といった意味の「沃(い)る」、それから、「くしゃみをする」を意味する「嚏(ひ)る」、「率いる」を意味する「率(ゐ)る」といった言葉たちは今は日常語ではありませんが、発音するとすれば①でしょう。『26』も、「沃(い)る」を②とする以外、いずれも①とします(「鋳る」と「沃る」とは申したとおり同根でしょうけれども、『26』においてはかれこれ異なります)。しかしこれらの上一段動詞は、平安時代の京ことばではみな高起式でした。「鋳る」「沃る」は「いる HL」、「嚏る」は「ふぃる HL」(注)、「率る」は「うぃる HL」(カタカナ英語のwillに近い)です。
注 「ベルリン嚏る」なんちて。「くしゃみ」のことを昔は「くさめ」と言ったというのは間違いではありませんけれども、その「昔」に平安時代は入りません。しばしば話題になるとおり、「くさめ」は元来くしゃみをした時に唱える呪文で、精選版『日本国語大辞典』によればその初出は13世紀後半です。平安時代にはこの生理現象は、「鼻を嚏(ひ)ること」(ふぁなうぉ ふぃること HHHHHLL)という意味で「鼻嚏(はなひ)」(「ふぁなふぃ HHH」でしょう)といったようです。なお、呪文としての「くさめ」は、一説には「糞(くそ)、食(は)め」(くしょ、ふぁめぇ LLLF)のつづまったものともされ――今でもくしゃみをしたあと「ちくしょう!」と言う人がいます。おおきに余談ながら「ちくしょう!」はフランス語で《メルドゥ!》、これは「糞」という意味――、一説には「休息万病(くそくまんびやう)」のつづまったものともされます。アクセントの観点からいずれの説が妥当か決着をつけられたら愉快なのですが…。鎌倉時代における「くさめ」のアクセントは分かりません。ただ現代京都で「くしゃみ」、ないし「より普通」には「くっしゃみ」と言われることを『京ア』が教えてくれます。「糞、食(は)め」(くしょ、ふぁめぇ)がつづまって「くさめ」となったとしたらそれは「くしゃめぇ LLF」と言われたでしょう。それが正規変化してHLFとなったり、さらに変化してHLLとなったりすることは十分考えられます。他方、「休息万病(くそくまんびやう)」はすべて呉音で、一字一記号で示せばRLLL、RLRL、HLLL、HLHLなどですから、つづまってHLLとなっても不思議ではありません。
最後に、下一段動詞「蹴る」のことを。『書紀』の古写本、例えば乾元(けんげん)本が「蹴散」を「くゑはららかす」と訓み(表記は変更しました)、これに〈平上上上上上平〉を差しています(鈴木豊編『日本書紀神代巻諸本 声点付語彙索引』)。「蹴」に〈平上〉が差されているのです。この「くゑ」を下二段動詞「蹴(くう)」の連用形と見る向きもありますけれども、それが妥当だとしても下一段の「蹴る」を考える際の参考になります。乾元本の注記はいわゆる四声体系で、例えばサ変「す」の連用形にも上声点を差します。この「くゑ」は文節末に位置するものであり、それに差された〈平上〉の末拍は下降調と見るのが自然です(複合動詞のことは後述します)。実際『日本紀私記 甲本』は「クヱ」に〈去平〉を差すそうです(総合索引)。乾元本の「くゑ」〈平上〉はLFを意味するのであり、「蹴る」の連用形は上昇下降調をとったと見るのが自然だと思います。長めに言えばLHL、短めに言えばℓf。以下は仮に後者で記します。終止形、連体形、已然形の初拍なども、仮にLとしましたが、はっきり二拍で言われたのかもしれません。
下一段「蹴(くゑ)る」
くゑず。(くうぇンじゅう RL)
くゑえ、(くうぇえ ℓf)
くゑる。(くうぇるう LF)
くゑる (くうぇる LH)
くゑれ。(くうぇれえ LF)
くゑよ。(くうぇよ RL)
まとめるとこうなります。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
す H F F HH HL FF
寝 H F F HH HL FF
着る H F HL HH HL FF
来 R ℓf ℓf LH LF ℓf
得 R ℓf ℓf LH LF RL
見る R ℓf LF LH LF RL
[「動詞の…」冒頭に戻る]
d 東京アクセントが参考になる動詞 [目次に戻る]
現代東京では「咲く」は「さく」なので平安時代の京ことばにおける「咲く」は高起式でその終止形は「しゃく HL」、現代東京では「成る」は「なる」なので平安時代の京ことばにおける「成る」は低起式でその終止形は古典的には「なるう」。旧都のことばと新都のことばとのあいだにこうした秘かなつながりがあると申してから、その例外になる二拍動詞、三拍動詞を九十くらい並べ、連用形が一拍になる動詞のなかにも同趣のものの多いことを見ました。
以下は、現代の東京アクセントから古い京ことばにおける式を正しく推測できる二拍以上の動詞です。たいへんたくさんありますけれども、それでもまったく網羅的ではありません。
i 高起二拍の四段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHというアクセントで言われる次の四段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、HLと発音されます。関西語の話し手には式は自明でしょうけれども、終止形をうっかりHHとしてしまうおそれがありそうです。
あく【開・空・明】(あく HL)
いふ【言】(いふ HL) 『栄花』(えいンぐわ LLHL、といったところでしょう。漢音です)の「後悔(のちく)いの大将」(おそらく「のてぃくいの たいしやう LLLLL・LHLLL」)の巻に、「言ひのままに」する、という言い方が出てきます。「言うとおりに」するといった意味のもので、「いふぃのままに HHHHHH」というアクセントで言われたと考えられます。改めて確認すれば、高起二拍動詞の連用形から派生した名詞は、基本的にHHというアクセントで言われ、東京では一般にそれは⓪で言われます。この「言ひ」――「哲学とは何の謂いぞや」などいう時の「謂い」もこれ――も、『26』は⓪とします。ただ『89』は①⓪としています。なお「謂(いは)れ」(いふぁれ HHH)は「言ふ」の受け身形「言はる」(いふぁる HHL)の名詞形です。西行の歌に、
花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける 山家集・春 ふぁな みれンば しょおのお いふぁれとふぁ なけれンどもお こころの うてぃンじょお くるしかりける LLLHL・HHHHHLH・LHLLF・LLHLHLF・LLHLHHL。西行(1118~1190)と顕昭(1130頃~1210頃)とは同時代人で、上のアクセントは古典的なものですけれども、平安末期にもまだ十分一般的なものだったと考えられます。ただ西行は「いわれとわ」と発音したでしょう。
いる【入・要】(いる HL) 現代語では「入(い)る」は「入(はい)る」に圧されていますけれど、「気にいる」とは言っても「気にはいる」とは言いません。「気に入らない」は「きに いらない」ではなく「きにいらない」と言われるでしょうが、「気には入らないが」は「きには いらないが」で、現代語として「入(い)る」が単体では「いる」であることは明らかです。それから、「入る」と「要る」とは同根だそうで、「要る」は東京ではLHです。
うく【浮】(うく HL) 古くは「浮きたり」(うきたりい HLLF)は「不安定だ」「拠り所がない」といった意味を持ち得ました。紫式部日記において式部は、
水鳥を水の上とやよそに見む我もうきたる世をすぐしつつ (みンどぅとりうぉ みンどぅの うふぇとやあ よしょに みいムう われも うきたる よおうぉお しゅンぐしとぅとぅ HHLLH・HHHHLLF・HLHLH・LHLHLLH・HHLLHHH)
と詠み、「かれもさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど身はいと苦しかりなむ、とおもひよそへらる」(かれもお しゃあこしょ こころうぉ やりて あしょンぶと みゆれンど みいふぁあ いと くるしかりなムう、と おもふぃい よしょふぇらる HLF・LHL・LLHHHLHHHLL・LHLL・HH・HLLLHLHHF、L・LLFHHHHL)と付け加えています。「よそに」は「自分と関係のないこととして」。「かれ」は「あれ」。「さこそ」は「あんなふうに」。「さ」が「そう」のほかに「ああ」を意味できるのは「かく」が「こう」のほかに「そう」も意味できるのに対応することで、こういうことになるのは、現代語では「こ/そ/あ」で示すところを往時は「かく/さ」でまかなったからです。「心をやりて」は「気ままに」。「思ひよそへらる」は「自分と似ていると思ってしまう」。
下二段の「浮く」(うく HL)について少し申します。今は「浮ける」とは言いませんけれども、昔は「浮く」は下二段にも活用しました。下二段の「浮く」は「浮かせる」という意味だといえますから、下二段の「浮く」は四段の「浮く」に対してその使役形であると位置づけることができます。「涙を浮けて」(なみンだうぉ うけて LLHHHLH)など使います。下二段の「浮かぶ」もありましたが(後述)、『源氏』ではもっぱら涙は「浮くる」(うくる)ものです。なお名詞「浮け」(うけ HH)は「浮かべるもの」、すなわち今は「浮子(うき)」といわれるところのものを意味します。
伊勢の海に釣りする海士(あま)のうけなれや心ひとつをさだめかねつる 古今・恋一509。いしぇの うみに とぅりしゅる あまの うけなれやあ こころ ふぃととぅうぉ しゃンだめえ かねとぅる HHH〔ないしHLL〕)LHH・HHHHLLL・HHLHF・LLHLHLH・LLFHLLH。私は浮子なのか? そうではないはずだが落ち着かない、と言っています。こうした「かぬ」は高起式と見られるのでした。なお「尼」は「あま LH」です。
うむ【産】(うむ HL) 「膿(う)む」「倦(う)む」は「うむう LF」です。
うる【売】(うる HL) 「得(う)る」は「うる LH」でした。
おく【置・措】(おく HL) 「何々に於いて」の「於いて」は「置きて」の音便形といってよいものですけれども、面白いことに現在東京ではこの「於いて」はもっぱら「おいて」ではなく「おいて」と言われます。ただし新都でも「おいて」はいう言い方だったので、『26』には「⓪、又①」と、『58』には「①、⓪」とあります(『89』は①③)。すでに『58』巻末の「アクセント習得法則」67で秋永さんが指摘なさっていますが、例えば「練習をはじめてから三年になる」では「はじめて」は④ですが(「はじめて〔から〕)、「三年後、はじめて分かった」では「はじめて」は②です。「おいて/おいて」はこれの二拍動詞版ですけれど、何々に「おいて」とも言ったという事実にも興味を惹かれます。さて平安時代の京ことばでも音便形「於いて」は言う言い方で、古典的には「おいて HLH」だとは申せ、「おいて HLL」とも言われ得ました。なお上一段の「起く」は「おくう LF」です。
君をおきてあだしごころをわがもたば末の松山波も越えなむ 古今・東歌(あンどぅまうた LLLHL)1093。きみうぉ おきて あンだしンごころうぉ(あンだしンごころうぉ、かもしれません。遺憾ながら式が定まりません。詳細後述)わあンがあ もたンば しゅうぇの まとぅやま なみもお こいぇなムう HHHHLH・LLLLLHH〔HHHHHLH〕・LHLHL・HHHLLHL・LLFHLHF。もし私があなたをさしおいてほかの人を思うなんということをしたら驚天動地のことが起きるでしょう、と言って、そんなことはしないと思いこませようとしています。
おす【押】(おしゅ HL)
おふ【追】(おふ HL) offの日本語的発音と同じです。現代語の「生(お)い立ち」「生い茂る」「相生(あいおい)」といった言葉に含まれている「生い」は、「成長する」という意味の上二段動詞「生(お)ふ」の連用形で、この「生(お)ふ」は「おふう LF」と言われました。
かく【欠】(かく HL) 「書く」は「かくう LF」です。
かぐ【嗅】(かンぐ HL) 現代京都では「かぐ」ではなく「かぐ」と発音するかたが多いようですけれども、普通はこの動詞ではなく「におぐ」を使うのだとか。
五月まつ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする 古今・夏139。しゃとぅき まとぅ ふぁなたてぃンばなの かあうぉお かンげンば むかしの ふぃとの しょンでの かあンじょお しゅる HHHLH・LLLHHLL・HHHLL・HHHHHLL・HHHHLHH。「昔の人」は元カレ、元カノ。なおこの歌は「詠み人しらず」ですけれども、この七拍に寂・毘3は〈平平平上上上平〉(よみンびと しらンじゅ LLLHHHL)を差します。これは「詠み人、知らず。」という文のアクセントです。訓3は〈平平平平平上平〉(よみンびとしらンじゅ LLLLLHL)を差しますが、これは七拍名詞としてのアクセントでしょう。元来は文として発音されたと思います。
かす【貸】(かしゅ HL) 現代東京や現代京都における「歌手」と同じ。かふ【買】(かふ HL) 「替える」「取り替える」「交換する」を意味する下二段動詞「替(か)ふ」(かふ HL)とこの動詞とは友達の関係にあるようです。商品を買うとは、それをある額のお金と交換することです。
かむ【擤】(かむ HL) come。「鼻を擤む」は「ふぁなうぉ かむ HHHHL」、「鼻を噛む」は「ふぁなうぉ かむう HHHLF」と言われました。
恋ひわびて泣く音(ね)にまがふ浦波は思ふかたより風や吹くらむ、と(光ル源氏ガ)歌ひたまへるに、人々おどろきて(目ヲ覚マシテ)、めでたうおぼゆるに、しのばれで(コラエキレズ)、あいなう(ドウナルワケデモナイノデスガ)起きゐつつ、鼻をしのびやかにかみわたす。源氏・須磨(しゅま HL)。「こふぃい わンびて なく ねえに まンがふ うらなみふぁ おもふ かたより かンじぇやあ ふくらム LFHLH・HHFHLLH・LLLLH・LLHHLHL・HHFLHLH」とうたふぃ たまふぇるに、ふぃとンびと〔推定〕 おンどろきて、めンでたう おンぼゆるに、しのンばれンで、あいなあう〔これも推定。後述〕 おきい うぃいとぅとぅ、ふぁなうぉ しのンびやかに かみ わたしゅ L・HHLLLHLH、HHLLLLHLH、LLHLLLLHH・HHHLH、LLRLLFFHH、HHH・LLLHLH・HLHHL。岩波の新大系によれば、『源氏』で登場人物が自作の歌を「歌う」のはここだけだそうです。その光る源氏の歌う歌の内容ですけれども、「浦波は」は「浦波には」ということでしょう。副助詞や係助詞の前の格助詞は省略可能なのでした。ここにいる人間たちは都を恋いわびて泣いているわけだが、須磨の浦波もそうしているように聞こえる。その浦波には、都から風が吹いているのだろうか。つまり、音信があるのだろうか。ここにいる人間たちには、このところ都から音信がない。こういうことだと思います。
かる【借】(かる HL) 現代東京では上一段の「借りる」を使いますが、この「借りる」からも古い四段の「借る」(かる HL)のアクセントがしのばれます。ちなみに現代京都でも昔ながらの五段〔昔の四段〕の「借る」。東京の「借りない」は、かの地では「からへん」でしょう。「かりへん」と言うと、そして「からへん」と言っても、京ことばがお上手ですねと褒められてしまいそうです。「刈る」も「かる HL」、他方「狩る」「駆る」は「かるう LF」でした。
きく【聞・利】(きく HL) 「菊」は「きく LL」です。さて「聞く」には「耳を澄ます」という意味がありました(ちなみに英語のlistenもこの意味で使えます)。例えば「聞こえるかなと思って聞いたが、聞こえなかった」は現代語として奇妙な言い方ですけれども、次の引用に二度出て来るとおり、平安時代の京ことばではこういう時に「聞く」を使えました。これは別の言い方をすれば、現代語とは異なり古代語では「聞く」は「聞こうとする」を意味できたということです。耳を澄ますことは何かを聞こうとすることにほかなりません。詳細は「名歌新釈」をご覧いただきたいのですけれども、要するに現代語とは異なり古くは今ならば「…しようとする」という言い方をするところで単に「…する」と言うことができました。つまり動詞は「試行」を示せました。
うぐひすは、詩(ふみ)(漢詩)などにもめでたきものに作り、声よりはじめて(声ヲハジメトシテ)、さま、かたちもさばかり(アレホド)貴(あて)にうつくしきほどよりは(カワイラシイ割ニハ)、九重(ここのへ)(宮中)の内に鳴かぬぞいとわろき。人の「さなむある」と言ひしを「さしもあらじ」と思ひしに、十年(ととせ)ばかりさぶらひて聞きしに、げにさらに音せざりき。さるは(ソノ実)、(宮中ニアル)竹ちかき(竹ノ近クニアル)紅梅もいとよく通ひぬべきたより(通ッテクルノニウッテツケノ場所)なりかし。(宮中ヲ)まかでて聞けば、あやしき(ミスボラシイ)家の見どころもなき梅の木などには、かしかましきまでぞ鳴く。枕・鳥は(38。とりふぁ HHH)。うンぐふぃしゅふぁ、ふみ なンどにも めンでたきい ものに とぅくりい、こうぇえより ふぁンじめて、しゃま、かたてぃも しゃあンばかり あてに うとぅくしきい ふぉンどよりふぁ、ここのふぇ(末拍推定)の うてぃに なかぬンじょ いと わろきい LLHLH、HLRLHL・LLLFLLHLLF・LFHLHHLH、HH、HHHL・LLHL・HHH・LLLLFHLHLH、LLHLLHLH・HHHL・HLLLF。ふぃとの「しゃあなム ある」といふぃしうぉ、「しゃあしも あらンじい」と おもふぃしに、ととしぇンばかり しゃンぶらふぃて ききしに、げえにい しゃらあに おと しぇえンじゃりきい HLL「LHLLH」LHHHH、「LHLLLF」L・LLLHH・HHHHHL・HHHLH・HHHH、LHLFH・HLHLHF。しゃるふぁ、たけ てぃかきい かうンばいもお いと よおく かよふぃぬンべきい たよりなりかし。まかンでて きけンば、あやしきい いふぇの みンどころ(三拍目推定)もお なきい ムめの きい なンどにふぁ、かしかましきいまンでンじょ なく LHH、HHLLFLLLLF・HLRL・HHLHHF・LHLHLHL。LHLHHLL、LLLFLLL・LLHLFLF・HHHLRLHH・HHHHHFLHL・HH。
くむ【汲・酌】(くむ HL) 「組む」は「くむう LF」です。「酌量(しゃくりょう)」をくだいたらしい「酌(く)み量(はか)る」(くみ ふぁかるう HLLLF)という言い方が源氏・鈴虫(しゅンじゅむし)に見えています。
けつ【消】(けとぅ HL) 平安時代にも「消す」という言い方はあったようですけれど、平安仮名文や王朝和歌では「けとぅ HL」を使います。「きゆ HL」に対する自動詞。
こす【越】(こしゅ HL) 現代東京の「古酒」と同じ。「越ゆ」も当然ながら「こゆ HL」です。
さく【咲】(しゃく HL)
しく【敷】(しく HL)
秋は来ぬもみぢは宿に降り敷きぬ道ふみ分けて訪ふ人はなし 古今・秋下287。あきいふぁ きいぬう もみンでぃふぁ やンどに ふりい しきぬう みち ふみ わけて とふ ふぃとふぁ なしい LFFRF・LLLHLHH・LFHLF・HHHLLHH・HHHLHLF
しく【如・及】(しく HL) 「何々に如(し)くもの無し」の「如(し)く」は現代語として①でも⓪でも言われるようです。後者が優勢と見てここに置きます。『26』も『58』も⓪とします。
照りもせず曇りも果てぬ春の夜のおぼろ月夜に如くものぞなき 新古今・春上55。てりも しぇえンじゅう くもりも ふぁてぬ ふぁるうの よおのお おンぼろンどぅきよに しく ものンじょお なきい LHLHL・LLHLLLH・LFLLL・HHHHHLH・HHLLFLF。「おぼろ月夜」のアクセントは推定ですけれども、「おぼろ」単体が「おンぼろ」であることは推測でなく、また、高起三拍名詞が三拍名詞を従えるパタンの複合名詞は、基本的に、
かにはざくら【樺桜】 かにふぁンじゃくら (「樺(かば)」のもともとの言い方「かには【樺】」は「かにふぁ HHL」、「桜」は「しゃくら HHH」)
えびすぐすり【芍薬=夷薬】 いぇンびしゅンぐしゅり (「えびす」は「いぇンびしゅ HHL」、「薬」は「くしゅり LHL」)
かつをいろり【鰹煎汁】 かとぅうぉいろり (「鰹」は「かとぅうぉ HHH」〔<堅魚(かたいを・かたうを)、かたいうぉ・かたううぉ HHHH」、「堅し」は「かたしい HHF」、「魚」は「いうぉ HH」ないし「ううぉ HH」〕、「煎汁(いろり)」は「いろり LLL」〔「囲炉裏」は「ゐろり」〕)
かはらよもぎ【河原艾】 かふぁらよもンぎ (「河原」は「かふぁら HHH」、「よもぎ」は「よもンぎ LHH」)
というようにHHHHHLというアクセントをとるようなので、「おンぼろンどぅきよ HHHHHL」だったと見てよいと思います。現代日本語の話し手の耳には美しく響きそうにありませんけれども、『源氏』の「花の宴」(ふぁなの いぇん LLLLL)で、この歌の「おぼろ月夜に似るものぞなき」(おンぼろンどぅきよに にる ものンじょお なきい HHHHHLH・HHLLFLF)というヴァリアントを「うち誦じて」(うてぃい じゅうンじいて LFLFH)やってくる佳人もまた、「おンぼろンどぅきよ HHHHHL」と呼ばれることになるのでした。
しむ【染・沁・浸】(しむ HL) 今は多く「しみる」と言いますが、古くは四段活用で、「染まず」(しまンじゅ HHL)、「染みて」(しみて HLH)など言いました。下二段の「染(し)む」もあって、これは「しみさせる」「しみこませる」という意味ですから、四段の「しむ」と下二段の「しむ」との関係は例えば四段の「浮く」と下二段の「浮く」との関係と同じなのです。現代語では下二段の「染(し)む」の後身「染(し)める」は「焚き染(し)める」――香を焚いて衣服に染み込ませこと――に残っています。「焚き染(し)む」(たき しむ HLHL)の用例は後に見ます。
しる【知・領】(しる HL) 「汁(しる)」は「しる LH」。
明けぬれば暮るるものとは知りながらなほうらめしきあさぼらけかな 後拾遺・恋二672。あけぬれンば くるる ものとふぁ しりなンがら なふぉお うらめしきい あしゃンぼらけかなあ HLLHL・HHHLLLH・HHHHH・LFLLLLF・LLLHLLF。第五句は「あしゃンぼらけかな LLLHLHL」などもできる、といったことに関しては「低下力」以下で縷説します。
もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし 金葉・雑上512。もろともに あふぁれえと おもふぇえ やまンじゃくら ふぁなより ふぉかに しる ふぃともお なしい HHHHH・LLFLLLF・LLLHL・LLHLLHH・HHHLFLF
すく【透・空・漉・鋤・梳】(しゅく HL) 「好(す)く」は「しゅくう LF」です。
すふ【吸】(しゅふ HL) 現代東京や現代京都の「主婦」と同じ。
そふ【添】(しょふ HL) 『26』も『43』も『58』も⓪としますが、『89』は②⓪①。『98』は⓪①。他勢力の台頭はあっても⓪が主流と見ておきます。
そむ【染】(しょむ HL) 現代東京の「庶務」と同じ。下二段の他動詞「しょむ HL」に対する自動詞で、「染まる」「染められる」「染みる」といった意味です。現代語に「意に染(そ)まない」という言い方があります。次に引くのは『紫式部日記』のはじめのほうにあらわれる一節です。
渡殿(わたどの)の戸口の局に(局デ)見いだせば(外ヲ眺メマスト)、ほのうち霧りたる朝(あした)の露もまだ落ちぬに、殿(道長ノコト)、歩(あり)かせたまひて(オ歩キニナッテイテ)、御随身召して遣水(やりみづ )はらはせたまふ(遣水ノ手入レヲオ命ジニナリマス)。橋の南なる女郎花のいみじう盛りなるを一枝折らせたまひて、几帳の上(かみ)よりさしのぞかせたまへる御さまのいと恥づかしげなるに(立派ナノデ)我が朝顔(寝起キ顔)の思ひ知らるれば、「これ(コノ女郎花ニ寄セタ歌)、おそくてはわろからむ」とのたまはするにことつけて(カコツケテ)硯のもとに寄りぬ。
女郎花さかりの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ(露ニ分ケ隔テヲサレタ我ガ身ノアリヨウガ分カリマス)
「あな疾(と)(コレハハヤイ)」とほほゑみて、硯召しいづ。
白露は分きても置かじ女郎花心からにや色の染(そ)むらむ(露ハドコニモ降リマスヨ。女郎花ハ自分ノ気持チカラ色ガ綺麗ニ染マッテイルノデショウ)
わたンどのの(ないし、わたンどのの) とンぐてぃの とぅンぼねに みいい いンだしぇンば、ふぉのうてぃい きりたる あしたの とぅゆうもお まンだあ おてぃぬに、との、ありかしぇえ たまふぃて、みンじゅいンじん めして やりみンどぅ ふぁらふぁしぇえ たまふう。HHHHH(ないし、HHLLL)・HHLL・HHLH・ℓfLLHL、LHLFHLLH・LLLLLFF・LF・LLHH、LL、LLLFLLHH、HHHHHLHH・HHLL・LLLFLLF。ふぁしの みなみなる うぉみなふぇしの いみンじう しゃかりなるうぉ ふぃといぇンだ(ないし、ふぃといぇンだ) うぉらしぇえ たまふぃて、きいてぃやうの かみより しゃしい のンじょかしぇ たまふぇる おふぉムかふぉの いみンじう ふぁンどぅかしンげなるに わあンがあ あしゃンがふぉの おもふぃい しらるれンば、「これ、おしょくてふぁ わろからムう」と のたまふぁしゅるに こととぅけて しゅンじゅりの もとおに よりぬう。HLLHHHLH・HHHHLL・LLHL・HHHLHH・LLHL(ないし、LLHH)・LLFLLHH、LLHHH・LHLL・LFHHHLLLHL・LLHHHH・LLHL・LLLLLHLH・LHLLHLL・LLFHHHLL、「HH、HHLHH・LHLLF」L・HLLLLHH・LLHLH・LLLLLFH・HLF。
うぉみなふぇし しゃかりの いろうぉ みるからに とぅゆうの わきける みいこしょ しらるれ/「あな とお」と ふぉふぉうぇみて、しゅンずり めしい いンどぅう。/しらとぅゆうふぁ わきても おかンじい うぉみなふぇし こころからにやあ いろの しょむらム。HHHHL・HHHHLLH・LHHLH・LFLLHHL・HHLHHHL/「LLR」L・LLHLH、LLL・LFLF。/LLLFH・LHHLHHF・HHHHL・LLHHLHF・LLLHLLH。
「随身」は単独では「じゅいンじん LHHH」のようですけれども、「御随身」は「みンじゅいンじん HHHHH」。接辞「御(み)」は、くりかえせば自身高平調であり、また後続の名詞の式が何であれそれを高平化することが多いようです。例えば「陰」は「かンげえ LF」、「御蔭(みかげ)」は「みかンげ」です。「遣水」を「やりみンどぅ HHLL」としたのは、「御溝水(みかはみづ)」が「みかふぁみンどぅ HHHLL」であるのなどに倣ったからで、高起式の前部成素を先立てる場合、単独ではHHとなる後部成素はしばしばLLをとります。
「硯のもとに」の「もと」は「本」(もと LL)ではなく「許」のほうを当てる言葉で(今でも「親許」など言います)、この「もと」をLHとする向きもありますけれど、寂292が「木のもとは」に〈(平平)平上平〉を差すことを、つまり助詞「は」の低く付いていることを重く見ると、詳細は後述として、LFだと考えられます。つまりそれは「こおのお もとおふぁ LLLFH」から変化したものとしての「こおのお もとおふぁ LLLFL」を意味するでしょう。
最後に、「白露」を「しらとぅゆう LLLF」としたのは推定で、低起形容詞の語幹と「露」(とぅゆう LF)のような二拍五類名詞とからなる複合名詞は、同趣の「ふるこゑ【古声】」(毘137がこれに〈平平平上〉を差すのは「ふるこうぇ LLLF」と解されます)や「ながあめ」(なンがあめえ LLLF。このつづまった「ながめ【長雨】」に梅617などが〈平平上〉を差すのは「なンがめえ LLF」と解されます)などがそうであるように、いつぞや見た「くたらこと【百済琴】」(くたらことお LLLLF)などと同じようなパタンのアクセントをとると考えられます。伝統的な現代京ことばの話し手の中には「しらつゆ」というアクセントでおっしゃるかたもいられるようで、これはLLLFからの正規変化と見なせます。
たく【焚・薫】(たく HL)。
みかきもり衛士(ゑじ)の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ 詞花・恋上224。みかきもり うぇえンじいの たく ふぃいのお よるふぁ もいぇ ふぃるふぁ きいぇとぅとぅ ものうぉこしょ おもふぇえ HHHHL・LLLHHLL・LHHHL・HLHHLHH・LLHHLLLF
「薪(たきぎ)」はすなわち「焚き木」で、「たきンぎ HHH」と発音されました。仏典にもとづく「薪尽(つ)く」という言い方があって、これは世を去ることを意味します。
惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪尽きなむことの悲しさ 源氏・御法(みのり HHH)。うぉしからぬ こおのお みいなンがらも かンぎりとて たきンぎ とぅきなム ことの かなししゃ LHLLH・HHHHHHL・LLLLH・HHHHLHH・LLLHHHH。紫の上が明石の御方に贈った歌です。
たる【足】(たる HL) 現代では「足りる」ということが多いとは言え、「十分たりずで着く」とは言いません。「十年(ととせ)あまり」(ととしぇあまり HHHLLL)といった言い方はしても(源氏・橋姫〔ふぁしふぃめ HHHL〕に出てきます)、「十年足らず」などは平安時代は言わなかったようです。「年も六十にすこし足らぬほどなれど」(源氏・橋姫。としもお むしょてぃに しゅこし たらぬ ふぉンどなれンど LLF・HLLH・LHL・HHHHLLHL)のような言い方は見られます。この引用で「むそち【六十】」の三拍目を清ましたのは、顕昭の『後拾遺抄注』が「みそち【三十】」(みしょてぃ HLL)、「ももちあまりいそち【百五十】」(ももてぃあまり いしょてぃ LLHLLLHLL)において三つの「ち」をそうしているからです。
ちる【散】(てぃる HL) 「塵(ちり)」は平安時代「てぃり HH」と言われましたが、「散る」から「塵」だということのようです。てぃれンばてぃりなりい。
つぐ【継・次】(とぅンぐ HL) 「あとつぎ」そのほかを意味する名詞「継ぎ」は「とぅンぎ HL」ないし「とぅンぎ HH」、二番目という意味の「次」は「とぅンぎ HL」と言われたようです。派生名詞が低平連続調、高平連続調をとらないこともままあるのでした。
つむ【積】(とぅむ HL) 現代語では一般に他動詞としてしか使いませんけれども、古くは自動詞として、今ならば「積もる」を使うところでも使いました。
春日野は雪のみ積むと見しかども生(お)ひづるものは若菜なりけり 後拾遺・春上35・和泉式部。かしゅンがのふぁ ゆうきのみ とぅむと みいしかンどもお おふぃンどぅる ものふぁ わかななりけり LHHHH・RLHLHLL・LHLLF・LHLHLLH・LLLHLHL。「生ひづる」(おふぃンどぅる)は「生ひいづる」(おふぃい いどぅる)のつづまった言い方。一文節と見ておきます(詳細後述)。和泉式部集は第二句を「雪降り積むと」(ゆうき ふりい とぅむと)とします。雪については現代語と同じく「積もる」(とぅもる HHL)も使われました。
つむ【摘】(とぅむ HL) 「爪(つめ)」(とぅめ HH)を活用させた言葉だそうです。確かに例えば花や草や芽を摘む時は普通、指先を使います。
君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ 古今・春上21。きみンが ため ふぁるうの のおにい いンでて わかな とぅむ わあンがあ ころもンでに ゆうきふぁ ふりとぅとぅ HHHHL・LFLLHLHH・LLLHH・LHHHHHH・RLHLHHH。「若菜」には伏片116が〈平平平〉(わかな LLL)を差しています。「くろき【黒木】」(くろき LLL)、「ちかめ【近目】」(てぃかめ LLL)、「ながい【長寝】」(なンがい LLL)、「ながよ【長夜】」(なンがよ LLL)、「わかぎ【若木】」(わかンぎ LLL)などと同趣ということになりますが、厄介なことに、同じ構成の、ということは終止形が三拍になるク活用の低起形容詞の語幹(といってもアクセントは保存されません)と一拍の低い名詞とからなる複合名詞の中にはLHHというアクセントを持つもの――語幹のアクセントが保存されるもの――もあります。例えば「くさぎ【臭木】」(くしゃンぎ LHH)、「たかほ【高穂】」(たかふぉ LHH)、「ながて【長手】」(なンがて LHH)、「にがな【苦菜】」(にンがな LHH)などで、「たかな【高菜】」にも〈平平平〉(たかな LLL)、〈平上上〉(たかな LHH)、二とおりの注記が見られます。
『源氏』の登場人物の一人の呼び名にもなった「末摘む花」(しゅうぇ とぅむ ふぁな HHHHLL)は、ベニバナのことで、染料の紅をつくるために先端の花を摘むのでした。ちなみに「つまむ」も「爪」に由来しますけれども、平安時代には「つまむ」とは言わず、「つむ」と言いました。「つむ」はまた「つねる」も意味できます。「つねる」という動詞も平安時代にはなかったようです。「身を摘む」(みいうぉお とぅむ HHHL)という言い方があって、これは、諸書とは言い方が少し異なりますけれども、「自分の痛切な経験をもとに想像する」といった意味で使われます。
出羽(いでは)の弁が親におくれてはべりけるを聞きて、「身をつめばいとあはれなること」など言ひつかはすとて詠みはべりける
思ふらむ別れし人の悲しさは今日(けふ)まで経(ふ)べきここちやはせし 後拾遺・哀傷556・隆国。いンでふぁあの べんが おやに おくれて ふぁンべりけるうぉ ききて、「みいうぉお とぅめンば いと あふぁれえなる こと」なンど いふぃ とぅかふぁしゅとて LLFLLLH・LLH・HHLHRLHHLH・HLH、「HHHLL・HLLLFHLLL」RL・HLHHHLLH/ おもふらムう わかれし ふぃとの かなししゃふぁ けふまンで ふンべきい ここてぃやふぁ しぇえしい LLHLF・LLLHHLL・HHHHH・LHLHLLF・LLLHHHH。親に先だたれた女流歌人に、源隆国――高明(たかあきら)の孫、俊賢(としかた)の子――が、自分の経験に照らして何ともお気の毒な、という言葉を伝えた折に詠まれた歌で、さぞかしお悲しみでしょう、私も親の不幸に際しては今からのち長く生きるだろうとは思いませんでした(それが、長く生きて今日に至りました)、と言っています。
つる【釣・吊】(とぅる HL) 「釣り」は「とぅり HH」。
とぶ【飛】(とンぶ HL) 現在「とび」とも「とんび」とも言われる「鳶(とび)」は古くは「とンび HH」と言われました。飛ぶから「とンび」なのでしょうけれど、ただそうなると、『26』以来東京では「と(ん)び」であるのが、また現代京都では「とんび」と言うことが多いらしいのが、少し不思議です。
なく【泣・鳴】(なく HL)
奥山にもみぢ踏み分けなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき 古今・秋上215。おくやまに もみンでぃ ふみ わけえ なく しかの こうぇえ きく ときンじょお あきいふぁ かなしきい LLHLH・LLLHLLF・HHLLL・LFHHLLF・LFHHHHF 。「奥山」には毘282が〈○○上平〉を差します。この前半は、構成を同じくする「松山」(まとぅやま LLHL)や「中襞」(なかふぃンだ LLHL)を持ちだすまでもなく、〈平平〉と見るのが妥当です。
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞなくなる 千載・雑中1151・俊成。よおのお なかよ みてぃこしょ なけれ おもふぃい いる やまの おくにも しかンじょお なくなる HHLHL・HHHLLHL・LLFHH・LLLLHHL・LLFHLHL。「世の中」のアクセントのことは後述します。
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む 新古今・秋下518。きりンぎりしゅ なくやあ しもよの しゃむしろに ころも かたしき ふぃとりかもお ねえムう HHHHL・HHFLLLL・HHHLH・HHHLLHL・LHLLFHH。「きりぎりす」は京秘・毘196、毘244、毘385が〈平上上上平〉を差しますけれども、京秘196は「相伝のよみ」としてこの〈上上上上平〉を示す一方、〈平上上上平〉も示して「是(これ)は顕輔の流のよみ也」とします。奥書によれば京秘は俊成の流れを汲むので、「相伝のよみ」とは御子左家(みこひだりけ)の読み、「顕輔の流のよみ」とは六条家の読みということになります。平安末期から鎌倉にかけての二家の争いは周知で、『研究』研究篇下によればほかならぬ「やまとうた」をいかなるアクセントで言うかに関しても二家は流儀を異にしたようですけれども(御子左家は「やまとうた LLHLL」、六条家は「やまとうた LLLHL」)、アクセントということではこれらは要するに、いつぞやも申した「焼きそばパン」は⓪でも④でも言えるだろうことと同趣だと思います。
「かたしく【片敷】」へは訓689が〈○平上平〉を差し、「かたぶく【傾=片向】」(かたンぶく LLHL)」や「かたこひ【片恋】」(かたこふぃ LLLL)などなどからその初拍の低いことは明らかです。
なる【鳴】(なる HL) 「成る・生る」は「なるう LF」。
ぬく【抜・貫】(ぬく HL)
ぬる【塗】(ぬる HL) 「塗るとき」「寝(ぬ)るとき」はいずれも「ぬるとき HHLL」。
のく【退】(のく HL) 現代語「どく」――東京では「どく」――はこの変化したものです。
のる【乗・賭】(のる HL) 「賭ける」という意味の「賭(の)る」(のる HL)は「乗る」と同根のようです。「告(の)る」も「のる HL」でした。
はく【履・佩】(ふぁく HL) 「吐(は)く」は「ふぁくう LF」でした。ちなみに「沓(くつ)」は「くとぅ LL」。「太刀を佩(は)く」は「たてぃうぉ ふぁく LLHHL」。太刀を佩くことや、太刀を佩いて皇太子を護衛した人を意味する「たちはき【帯刀】」(後世「たてわき」)は「たてぃふぁき LLLL」です。
はる【張・貼】(ふぁる HL) 「春」は「ふぁるう LF」でした。
ひく【引・弾・挽】(ふぃく HL) 現代語で「我が国のため、ひいては世界のためになる」など言う時の「ひいては」は、漢字を当てるなら「延」を用いる言い方ですけれども、動詞「引く」に由来することは明らかで、これが「ひいては」ではなく「ひいては」と発音されるのは、語源的には「置いて」とも表記しうる「於いて」が「おいて」ではなく「おいて」と発音されるのと一般です。『58』はこの「ひいて」のアクセントを「⓪、①」とします。『89』は①。
ふく【拭・葺】(ふく HL) 「吹く」は「ふくう LF」です。
ふむ【踏】(ふむ HL) 現代人が「フムフム」など言う時の「フム」と同じ。
和泉式部、保昌に具して丹後の国にはべりけるころ、都に歌あはせのありけるに小式部の内侍、歌よみにとられてはべりけるを、中納言定頼、つぼねの方にまうできて、「歌はいかがせさせたまふ。丹後へ人は(誰カ)つかはしてけむや。使ひ、まうでこずや。いかにこころもとなく(待チ遠シク)おぼすらむ」などたはぶれて立ちけるを、ひきとどめてよめる
大江山生野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 金葉・雑上586・小式部の内侍
いンどぅみしきンぶ、やしゅましゃに ぐうしいて たんごの くにに ふぁンべりける ころ、みやこに うたあふぁしぇの ありけるに こしきンぶの ないし、うたよみに とられて ふぁンべりけるうぉ LLLLHL、LLHLH・LFH・LHLLHHH・RLHHLHL、HHHH・HHHHLL・LHHLH・HHHLLLLL、HHHHH・LLHH・RLHHLH、てぃうなあンごん しゃンだより、とぅンぼねの かたに まうンで きいて、「うたふぁ いかンがあ しぇしゃしぇたまふ。たんごふぇえ ふぃとふぁ とぅかふぁしてけムやあ。とぅかふぃ、まうンで こおンじゅやあ。いかにこころもとなあく おンぼしゅらム」なンど、たふぁンぶれて たてぃけるうぉ、ふぃき とンどめて よめる LHLHH・LLLH、HHHHHLH・LHLRH、「HLH・HRF・HHLLLH。LHLF・HLH・HHHLHLHF。HHH、LHLRLF。HLH・LLLLLRL・LLHLH」RL・HHHLH・LHHLH、HLHHLH・LHL/おふぉいぇやま いくのの みてぃの とふぉけれンば まンだあ ふみもお みいンじゅ あまの ふぁしたて LLHHL・LHLLHHH・HHHLL・LFHLFRL・LLLHHHH。和泉式部の娘の歌才を示す周知のエピソードとして読み流されてしまうかもしれませんけれども、流火先生(安東次男)はそうしなかったようで、『百首通見』には「機知即妙なだけの歌でもなさそうである」とあります。この時小式部の内侍はまだ十代半ばだったそうで(定頼は数歳年上だったようです)、また、小式部の内侍があと十年くらいしか生きないだろうことを私たちは知っています。固有名のアクセントはいずれも推定ですけれど、そう恣意的とは言われないでしょう。例えば「泉」「和泉」は「いンどぅみ
LLL」であり、「式部」は、呉音ということからは「しきンぶ LLL」、近世の資料からは「しきンぶ LHL」と見られますけれども、すると、諸例を参照すれば、「式部」がいずれのアクセントでも「和泉式部」は「いンどぅみしきンぶ LLLLHL」と言われたと考えてよいことが知られます。「保昌」「定頼」の後半二拍のアクセントはいずれも推定。毘14が「大江千里」に〈平上上○平上上〉を差しますけれども、「おほかぜ【大風】」(おほかンじぇ LLLL)、「おほきみ【大君】」(おほきみ LLHH)、「おほぞら【大空】」(おほンじょら LLLH)、「おほち【大路】」(おふぉてぃ LLL)というように、「おほ~」は諸例LLです。「おふぉいぇの てぃしゃと LLHLLHH」と見ておきます。すると、後にも見ますがLLHを前部成素とする複合名詞では一般にこのLLHが保持されやすいので――例えば「涙川」は「なみンだンがふぁ LLHHL」でした――、「大江山」は「おふぉいぇやま LLHHL」といったアクセントで言われたと考えられます。四段動詞「生く」は低起式で(「いくう LF」)、「生きる野原」は旧都では(「生くる野」ではなく)「生く野」(いく のお LH)と言われたでしょうが、地名「生野」はほぼそのとおり「いくの LHL」と言われた可能性が高いようです。現代京都ではそうで、すると、LHL型の名詞は、「あじろ【網代】」(あンじろ)、「あはひ【間】」(あふぁふぃ)、「いちご【苺】」(いてぃンご)、「かひこ【蚕=飼ひ子】」(かふぃこ)、「かぶと【兜】」(かンぶと)、「からし【辛子】」(からし)、「くすり【薬】」(くしゅり)、「くぢら【鯨】」(くンでぃら)、「たより【便】」(たより)、「たらひ【盥】」(たらふぃ)、「つばき【椿】」(とぅンばき)、「なまり【鉛】」(なまり)、「はかり【秤】」(ふぁかり)、「はたけ【畑】」(ふぁたけ)、「むさし【武蔵】」(むしゃし)、「やまひ【病】」(やまふぃ)などがそうであるように、今昔で同形のものが多いことからそう考えられます。例外もあって、例えば現代京都ではLHLの「あけび」は平安時代には「あけンび HLL」だったようですし、古くはLHLと言われた「大人」(おとな)は現代京都ではLLHのようです(京都からみた周辺部にはLHLと発音される地域が点在しているそうです)。「生野」の第一二拍は「行く」(いく HH。連体形)を兼ね(アクセントは異なってよい)、「ふみ」は「文」と「踏み」(こちらはいずれも「ふみ HL」)とを兼ねます。「梯立」の三拍目を「ふぁしたて」と清ましたのは『日本紀私記 丙本』(総合資料)によりました。
ふる【振】(ふる HL) 「降(ふ)る」は「ふるう LF」です。
まく【巻】(まく HL) 『源氏』の何々の巻などいう「巻」は「まき HL」のようです。それから、アクセントも勘案すると「巻く」と同根らしい、「婚」の字を当てなどする「まく」も、「まく HL」です。この「まく」は上代語とされることも多いようですけれど、『宇治拾遺』(鎌倉初期ごろ)にも見えています(109。「クウスケが…」。好説話です)。改名にも「メマク」とあって(この「メ」は「妻」でアクセントは「めえ R)、辞書は後世「まぐ」となるとしますが、鎌倉初期ごろはまだ「まく」でした。「婚(ま)く」を「枕」と関連付ける向きもありますけれども、「枕」は「まくら LLH」です。下二段の「負く」も「まく HL」。しかし四段の「撒(ま)く」は「まくう LF」。
ます【増】(ましゅ HL) 「於いて(=置いて)」や「延いては(=引いては)」に見られたのと同じことが「況(ま)して」にも見られます。これは「増して」にほかなりませんけれども、現代語では「まして」ではなく「まして」と言われます。「まして こどもには むりだ」という発音のほうが、感じが出ると思うのですが、すでに『26』も①とします。「況して」は平安時代の京ことばでは、古典的には「まして」、ないしその音便形「まいて」、あるいはそれからの変化として「まして」、ないし「まいて」と言われました。
おなじほど、それより下(げ)らふの更衣たちはましてやすからず。源氏・桐壺(きりとぅンぼ HHHL)。おなンじ ふぉンど、しょれより げらふの かういたてぃふぁ まして やしゅからンじゅ。LLLHL、HHLL・LLLL・LHLLLH・HLH・LHLHL。
それから、平安時代の京ことばには、「ますことなし」という、「これ以上のことはない」「これにまさるものはない」という意味のイディオマティックな言い方があります。なお「まさる」(ましゃる HHL)は「増す」と同族です。 それはしもあるまじきことになむ(ソレダケハゴ容赦クダサイ)。さて(ソウシテアナタガ)かけ離れたまひなむ世に残りては、何(なに)のかひかあらむ。ただかく何(なに)となくて過ぐる年月なれど、あけくれのへだてなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ。源氏・若菜下(ニュー・ハーブズ・パート・トゥー)。
しょれふぁしもお あるまンじきい ことになムう。しゃあてえ かけえ ふぁなれえ たまふぃなム よおにい のこりてふぁ、なにの かふぃかあ あらム。たンだあ かく なにと なあくて しゅンぐる としとぅきなれンど、あれくれの ふぇンだて なきい うれししゃのみこしょ ましゅ こと なあく おンぼゆれ。HHHLF・LLLLFLLHLF。LH・LFLLFLLHHH・HH・LLHHH、LHLHHFLLH。LF・HL・LHLRLHLLH・LLLLHLL、HHHHH・LLLLF・LLHHLHHL・HHLLRL・LLHL。「のみ」のアクセントのことは後に詳しく申します。出家の希望を再度表明した紫の上に、光る源氏はこう答えています。当時、既婚者が出家することは婚姻関係を解消することを意味しました。
まふ【舞】(まふ HL) 東京では最近は①や②でも言われることがあるようですけれども、今も主流は⓪のようです。名詞「舞」は「まふぃ HH」で、アクセントは今も昔も変わりません。
むく【向】(むく HL)
もむ【揉】(もむ HL)
もる【盛】(もる HL) 化学でいう「モル」と同じです。「森」は元来「盛り」なのだとする向きもあります。「森」が「もり HH」なのは事実です。
やく【焼】(やく HL) ヤク(ウシ科目の動物)うぉ やく。
やむ【止】(やむ HL) 「病(や)む」は「やむう LHL」です。
(中将ト呼バレル若者ハ自分ガ見カケタ謎ノ美女ノコトヲ)こまかに問へど、(問ワレタ尼ハ)そのままにも(問ワレルガママニモ)言はず、「おのづから(ソノウチ)聞こしめしてむ」とのみ言へば、うちつけに問ひたづねむもさまあしき(ミットモナイ)心地して、(供人ノ)「雨もやみぬ。日も暮れぬべし」といふにそそのかされて(セカサレテ)出でたまふ。源氏・手ならひ(てならふぃ LLHL)
こまかに とふぇンど、しぉおのお ままにも いふぁンじゅ、「おのンどぅから きこし めしてムう」とのみ いふぇンば、うてぃとぅけに とふぃ たンどぅねムも しゃま あしきい ここてぃ しいて、「あめえもお やみぬう。ふぃいもお くれぬンべしい」と いふに しょしょのかしゃれて(「そそのかす」は式すら分かりません。仮に低起式としておきます)いンでえ たまふう LHLHHLL、HHHHHLHHL、「HHHHH・HHLLHHF」LHLHLL、LHHHH・HLLLLHL・HHLLFLLLFH、「LFFHLF。FFHLHHF」L・HHH・LLLLLHH・LFLLF。
高起四段の「止(や)む」には、そうは見ない辞書が多いようですけれども、「やめる」「やめにする」「終わりにする」「或る状態であるままにする・或る状態にとどめる」といった他動詞としての意味があると思われます。例えば源氏・末摘む花(しゅうぇ とぅむ ふぁな HHHHLL)に「負けてはやまじ」(まけてふぁ やまンじい HLHHHHF)とあるのは、光る源氏が「負けたまま(=上首尾に行かないまま)終わりにする(負けたままにする)つもりはないぞ」と思っているのでしょう。『枕』の「清涼殿の丑寅のすみの」(しぇいりやうでんの うしとらの しゅみの HHHHHLLL・HHHHHLHL)の段(20)の、寵愛する女御が古今集の歌々をおぼえているか村上天皇がテストしたというエピソードを定子が語るところに、帝が「いかでなほ少しひがこと見つけてをやまむ」(いかンで なふぉお しゅこし ふぃンがこと みいい とぅけてうぉ やまム HRH・LF・LHL・LLLL・ℓfLHHH・HHH)と思ううちに半分まで来てしまった、とあるのもそうで、帝は、女御が間違えずに言い続けるので、是が非でもちょっとした言い誤りでも見つけてから終わりにしよう、と思ってテストをつづけるうちに、全千百首くらいの歌集の半分くらいのところまで来た、というのです。
「いかで」は「いかにて」(いかにて HLHH)のつづまったものとして「いかンで HRH」と言われたとも、「いかにて HLLH」のつづまったものとして「いかンで HLH」と言われたとも解し得ます。図名は「いかでか」に〈上平上平〉を差していますけれども、その図名は「なだらかす」に〈平平上去上〉(なンだらかンしゅぅ LLHRF)と〈平平上平上〉(なンだらかンしゅぅ LLHLF)とを差していました。どうやら撥音便形における撥音は必ずしももとの言い方とアクセントを同じくするとは限らず、もとの言い方では高くても低まり得たようです。図名は「いかでか」に〈上去上平〉(いかンでか HRHL)も差しえたでしょう。のちに見るとおり「はべり」は「ふぁンべりい RLF」と言われたようで、これは撥音便ではないとしても、何と申したらよいか、平安時代の京ことばはこうした〝音形〟を持っていました。
なお、「いかで」が疑問詞としてではなく「何とかして」「是非とも」といった意味で使われる場合でも、文末の「む」は連体形をとると見ておきます。例えば「どうしたら行けるだろう」と「何とかして行こう」とが意味的に近いことを考えれば二つが別ものでないことは明らかで、実際例えば「いかで行かむ」(いかンで ゆかム HRHHHH)はいずれも意味できます。ちなみに「行かむ」が「行くだろう」も「行けるだろう」も意味できることについては「名歌新釈」1をご覧いただきたいと思いますけれども、要するに古くは動詞だけで「…できる」を意味できました。つまり今とは異なり動詞は「可能態」を意味できました。
やる【遣】(やる HL) 「派遣」「遣唐使」などに見られる「遣」を当てることが示すとおり、この「やる」は人をどこかに行かせたり、物を進ませたりすることを言います。例えば「思ひやる」は古今異義で、「想像する」という意味もありますけれども(現代語の「思いやる」は「想像する」こと一般の一部分をなすでしょう)、「思いをどこかに行かせる」(どこかに追いはらう)」「思いを晴らす」という意味もあります。
わが恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行くかたもなし 古今・恋一488。わあンがあ こふぃふぁ むなしきい しょらに みてぃぬらし おもふぃい やれンどもお ゆく かたもお なしい LHLLH・HHHFLHH・LHHHL・LLFHLLF・HHHLFLF。現代語とは異なり古代語では「試行」を示せる、ということは改めて申せば、今ならば「…しようとする」という意味で単に「…する」と言うことができました。そこで歌は、あの人に恋焦がれる私の気持ちは大空いっぱいに広がってしまった、つらい思いをどこかに追い払おうとしても、どこの方向へも追い払えない、といっていることになります。
「…やらず」が「なかなか…しない」「すらすらと…しない」を意味する言い方として好んで使われたことも周知です。
夜もすがらもの思ふ頃は明けやらぬ閨(ねや)のひまさへつれなかりけり 千載・恋二766。よおもお しゅンがら もの おもふ ころふぁ あけ やらぬ ねやの ふぃましゃふぇ とぅれ なあかりけり LFLLH・LLLLHHLH・HLHHH・HHHHHHH・HHRLHHL
ゆく【行】(ゆく HL) 「いく」とも言われましたけれども、「ゆく」が好まれました。詳細後述。
よぶ【呼】(よンぶ HL) ヨブを呼ぶ。
よる【寄・依・拠・頼】(よる HL) 「縒る・撚る」は「よるう LF」。「夜(よる)」は「よる LH」。
わく【沸・湧】(わく HL) 下二段の「分く」は「わくう LF」です。
みかの原湧きて流るる泉川いつ見きとてか恋しかるらむ 新古今・恋一996。みかの ふぁら わきて なンがるる いンどぅみンがふぁ いとぅ みいきいとてかあ こふぃしかるらム HHHLH・HLHLLLH・LLLHL・LHRFLHF・LLHLHLH。「わきて」を「湧きて」と「分きて」(わきて LHH)とを兼ねた言い方と見る向きもありますけれど、「分きて」は「区別して」といった意味であり、「(みかの原を二つに)分けて」という意味にはならないのではないかと思います。
わる【割】(わる HL) 「悪人」を当てたりもしそうな「ワル」の現代東京におけるアクセントと同じ。わるうぉ わる。「わるし」(わるしい LLF)は「わろし」(わろしい LLF)の転じたもので、平安中期にはまだ「わろし」ということが多かったようです。「わろもの」は「わろもの LLLL」と発音されました。
ⅱ 低起二拍の四段動詞 [目次に戻る]
現代東京において終止形がHLというアクセントで言われる次の四段動詞は平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLFと発音されました。なおラ変「あり」も古くはLFと発音されたのでした。
あく【飽】(あくう LF) 現代語では上一段の「飽きる」が一般的ですけれど、昔は四段活用で(「あかンじゅ LHL」)、今でも「飽きるまで」とは言わず「飽くまで」と言うのなどにこの四段の言い方が残っています。活用の種類は異なっても、現代東京の「飽きる」というアクセントは「飽く」が古くは低起式だったことを教えます。東京では名詞「飽き」は『26』の昔から②ですが、これは低起二拍動詞から派生した名詞の基本のアクセントです。
その「飽くまで」(あくまンで)について少々。例えば『古今』の仮名序に見えている、
山桜あくまで色を見つるかな花ちるべくも風ふかぬ世に やまンじゃくら あくまンで いろうぉ みいとぅるかなあ ふぁな てぃるンべくもお かンじぇ ふかぬ よおにい LLLHL・LHLHLLH・RLHLF・LLHHHLF・HHLLHHH
は、山桜、その色を私は心ゆくまで見たよ云々と言うので、この「飽くまで」(あくまンで LHLH)は現代語の「飽くまで」とはずいぶん異なりますけれども、『源氏』に八つほど見えている「あくまで」は、現代語のそれとも、そして「心ゆくまで」といった意味のそれとも異なり、「もう十分だというくらいに」といった意味で、ないし、端的に言って「十二分に」「この上なく」といったほどの意味で使われているようです(諸書の言い方とは少し異なります)。例えば葵の巻の次の一節。語り手が六条の御息所(ろくンでうの みやしゅムどころ LLLHL・HHHHHHL)の暮らしぶりや、それに対する光る源氏の所感を語ります。
さるは(トハイエ実ハ、心中苦悩ヲ抱エツツモ御息所ハ)、おほかたの世につけて(世間一般ニ)心にくくよしあるきこえ(魅力的ナ趣味人ダトイウ評判)ありて、昔より名たかくものしたまへば、野の宮の御うつろひのほどにも(野ノ宮ニ移ッテイラレタ間モ)、をかしう今めきたること(華ヤカナ催シヲ)多くしなして、殿上人どもの好ましき(風流ヲ好ム殿上人達)などはあさゆふの露わけありくをその頃の役(自分ニ課シタ任務)になむする、など聞きたまひても、大将の君は、「ことわりぞかし。ゆゑはあくまでつきたまへるものを(品格ハモウ十分トイウクライ身ニ付ケテイラッシャルノニナ)。もし世の中に飽き果てて(伊勢ニ)くだりたまひなば、さうざうしくもあるべきかな(寂シク思ウニチガイナイナ)」とさすがにおぼされけり。
しゃるふぁ、おふぉかたの よおにい とぅけて こころ にくく よし ある きこいぇ ありて、むかしより なあ たかく ものしい たまふぇンば、のおのお みやの おふぉムうとぅろふぃの ふぉンどにも、うぉかしう いまめきたる こと おふぉく しい なして、てんじやうンびとンどもの このましきい なンどふぁ あしゃ ゆふの とぅゆう わけえ ありくうぉ しょおのお ころの やくになムう しゅる なンど きき たまふぃても LHH、LLHLLHHLHH・LLHLHL・HHLH・HHH・LHH、HHHLL・FLHL・LLFLLHL、LLHHH・LLHHHHHHHLHL、LLHL・LLHLLHLL・LHLFLHH、LHHHHHHHLL・LLLLFRLH・LLHHHLF・LFLHHH・HHHLL・LLHLFHHRL・HLLLHHL、だいしやうの きみふぁ、「ことわりンじょかしい。ゆうぇふぁ あくまンで とぅきい たまふぇる ものうぉ。もおし よおのお なかに あきい ふぁてて くンだり たまふぃなンば、しゃうンじゃうしくもお あるンべきいかなあ」と しゃしゅンがに おンぼしゃれけり LHLLLLHHH、「LLLLHLF。HLH・LHLH・LFLLHLLLH。RL・HHLHH・LFLHHHHLLLHHL、HHHHHLF・LLLFLF」L・LHHH・LLLHHL。ちなみに、辞書は「ゆゑづく」という動詞があるとします。あるとすればそれは「ゆうぇンどぅく HHHL」と言われたでしょう。上の「ゆゑはあくまでつきたまへるものを」はこの「ゆゑづく」に「あくまで」が挟み込まれた格好の言い方で、ここでは、例えば現代語「色づく」は一語の動詞だが「色がまったくつかない」とも言うのなどと同じことが起こっています。ただ、「色づく」は平安時代にもあって「いろンどぅく LLHL」と言われましたけれど、「ゆゑづく」という一語の動詞があった確証はないようで、あったのはもしかしたら飽くまで二語の「ゆうぇ とぅくう HLLF」だったかもしれません。
あふ【合・会・逢・遭】(あふう LF)
逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 拾遺・恋二710。あふぃい みいての のてぃの こころに くらンぶれンば むかしふぁ ものうぉ おもふぁンじゃりけり LFRHH・LLLLLHH・HHHLL・HHHHLLH・LLHLHHL
心地例ならずはべりける頃、人のもとにつかはしける
あらざらむこの世のほかの思ひ出でに今ひとたびの逢ふこともがな 後拾遺・恋三763・和泉式部
ここてぃ れいいならンじゅ ふぁンべりける ころ、ふぃとの もとおに とぅかふぁしける / あらンじゃらム こおのお よおのお ふぉかの おもふぃいンでに いま ふぃとたンびの あふ こともンがなあ LLL・LHLHL・RLHHLHL、HLLLFH・HHHLHL / LHLLH・HHHHLHL・LLHHHH・LHLLHLL・LHLLHLF。「あらざらむ。」と一旦初句で切れるとする向きもありますけれども、例えば「などかあらざらむ」(なンどかあ あらンじゃらム RLF・LHLLH。どうしてないであろか)といった係り結びの結びになるというようなことがないならば一般に「あらざらむ」とは言わず、「あらじ」(あらンじい LLF)と言いました(「などかあらじ」とは言いません)。「この世のほかの」は「この世のほかでの」ということで、現代語では「夢での出来事」「故郷からの手紙」「未来への希望」といった言い方ができるのに対して、古くは「…にての」「…よりの」「…への」といった言い方はせず、そうした意味合いをたんに「…の」で示しました(「…ての」とはいえることは今しがた見たとおりです)。私がいないであろう現世(げんせ)、その現世以外の場所で現世を思い出す、その思い出として、もう一度お逢いしとうございます、と情熱の人が言っています。重い。「心地あしき頃」、それこそ熱もあるのであろう頃、逢って何をするのでしょう。
なお、「逢うこと」という意味で「逢い」ということは現代語にはありませんけれども(とはいえそれを発音するとすれば②でしょう)、万葉集の歌(741)に「夢の中であなたと逢うこと」といった意味の「夢(いめ)の逢ひ」という言い方が出てきます。
夢(いめ)の逢ひは苦しくありけりおどろきてかきさぐれども手にも触れねば いめの あふぃふぁ くるしく ありけり おンどろきて かきい しゃンぐれンどもお てえにも ふれねンば LLLLLH・LLHLLHHL・LLHLH・LFHHLLF・LHLLLHL
今の今まで楽しかったのだからよいではないかとも思いますけれど、それはともかく、余談がてら申せば、「夢」は平安時代にはすでに「ゆめ」(ゆめ LL)ですが、元来は「いめ」でした。「眠ることを眠る」に近い言い方の「寝(い)を寝(ぬ)」(いいうぉお ぬう LHF)という言い方があって、例えば「やすきいをぬ」(やしゅきい いいうぉお ぬう LLFLHF)など sleep a peaceful sleep といった言い方とそっくりですけれども、「夢(いめ)」はこの「寝ること」いった意味の「い」と「目」(めえ L)とからなります。
あむ【編】(あむう LF) 「網(あみ)」は「編む」から「網」なのでした。平安時代の京ことばでは「網」は「あみ LL」(あめンばあみなり)、現代東京では原則どおり②で言われます。
いく【生】(いくう LF) 「飽く」と同じく「生く」(いくう LF)も四段動詞でした。今でも「生ける(=生きた)何々」という言い方をしますけれども、この「る」(存続の「り」〔後述〕の連体形)は四段動詞かサ変動詞にしか付かないわけで、ここには四段動詞「生く」が化石的に残っていると申せます。名詞「息(いき)」は「いき LH」ですが、この言葉は「生きること」という意味ではないにしても、動詞「生(い)く」(いくう LF)と大いに関係のあること、絮説するに及ばないでしょう。
いむ【忌・斎】(いむう LF) 名詞「忌(いみ)」はおそらく「いみ LL」でしょう。「いまいましい」(いまいましい LLLLF)はこの動詞に由来するところの、「縁起が悪い」「不吉だ」「慎むべきである」といった意味の、名高い古今異義語です。
いる【煎】(いるう LF)
うつ【打・討】(うとぅう LF) 『枕』の「上にさぶらふ御猫は」(うふぇに しゃンぶらふ おふぉムねこふぁ HLHHHHH・LLHHHH)の段(6)に「御厠人(みかはやびと)」(みかふぁやンびと HHHHHH――「をちかた人」(うぉてぃかたンびと HHHHHH)などに倣った推定です――が「あないみじ(大変デス)。犬を蔵人(くらうど)ふたりして打ちたまふ」(あな いみンじ。いぬうぉ くらムど ふたり しいて うてぃい たまふう LLLLH。LLH・LLLH・LHLFH・LFLLF)云々というところがあります(「蔵人」〔くらびと・くらうど〕は「あきびと・あきうど【商人】」〔あきンびと、あきムど LLLH〕、「よみびと【詠人】」〔よみンびと LLLH〕に倣っておきます。近世の資料のHHLLもこれを支持してくれます。「蔵」は「くら LL」、「人」は「ふぃと HL」)。「打ちたまふ」は今ならば「ぶっています」「たたいています」というところで、こういうとき存続の「たり」「り」のようなものを使わないことも注意されますけれど、それはともかく、現代語では「ぶつ」とか「たたく」という言葉を使うところで「打つ」が選ばれています(「ぶつ」は「打つ」の変化したもので成立は中世のようです)。
絹につやを出すため木槌で打つ、その木槌を「砧」(きぬた LLL)と言います。「きぬいた」のつづまったものと言われます。「絹」は「きぬ LH」、「板」は「いた LH」。次の歌の「打つ」(「擣つ」とも書きます)はこの意味のそれです。
み吉野の山の秋風小夜(さよ)ふけてふるさと寒くころも打つなり 新古今・秋下483・雅経。みよしのの やまの あきかンじぇ しゃよ ふけて ふるしゃと しゃむく ころも うとぅなり HHHHH・LLLLLLH・HHLHH・LLHHLHL・HHHLHHL。「秋風」のアクセントは推定ですけれど、「春」も「秋」も五類で、毘85が「春風」に〈平平平上〉(ふぁるかンじぇ LLLH)を差すので、まあそうなのでしょう。
うむ【膿】(うむう LF) 「産(う)む」は「うむ HL」です。それから、「熟す」「成熟する」を意味する、「膿む」と同根という「熟む」(うむう LF)という動詞がかつてはあって――「膿む」のは困るが「熟む」のはいいという差はあるものの、たしかに現象として二つには近いところがあります――、「熟柿(じゅくし)」という意味の「熟(う )み柿」という名詞もあります。例えば次の歌。
柿の木の枝の細きに実のなりたりけるに風のいたく吹きて落ちぬばかりにゆるぎけるを見てよめる
心してこのみもをらむ夕さればよをうみがきにあらし吹くなり 散木奇歌集(源俊頼〔広辞苑に「1055?~1129?」とあります〕の家集)
かきの きいのお いぇンだの ふぉしょきいに みいのお なりたりけるに かンじぇの いたく ふきて おてぃぬンばかりに ゆるンぎけるうぉ みいて よめる HHHLL・HHHLLFH・HH・LHLHHLH・HHH・LHLLHH・LHHHHLH・HHLHLH・RHLHL / こころしいて こおのお みいもお うぉらムう ゆふ しゃれンば よおうぉお うみンがきに あらし ふくなり LLHFH・HHHLHLF・HHHLL・HHLLLHH・LLLLHHL。「熟み柿」の後半のアクセントは「練り柿」(ねりンがき LLLH)、「山柿」(やまンがき LLLH)に倣ったのです(「練る」は「ねるう LF」、「山」は「やま LL」)。「練り柿」は「小練り柿」とも言い、「木になったままで甘くなった柿の実」(やはり広辞苑)のことだそうです。「小練り柿」は「こねりンがき」といったところでしょう。高起式であることは確かで、例えば「小萩」は「こふぁンぎ HHH」(「萩」は「ふぁンぎ LL)、「小指(こおよび)」は「こおよンび HHHL」(「指(および)」は「およンび LLL)です。
「心して」の歌にもどって、「このみ」は「木の実」(こおのお みい LLH)と「この身」(こおのお みい HHH)とを兼ねています。どうも柿も木の実のようです。現代語では木の実はもっぱらナッツ類などの乾果(という言葉があるようです)を指すわけですけれども、木になる果実が木の実なのですから、胡桃(くるみ HHH)などばかりでなく、栗(くり LL)も桃(もも HH)も柿(かき HH)も、ということは乾果ばかりでなく液果(という言葉もあるようです)もそう呼ばれてよい道理です。この歌ではほかに、「をらむ」が「折らむ」(うぉらムう LF)と「居らむ」(うぉらムう HLF)とを兼ね、また「うみ柿」の「う」が「(世を)憂(う)」の「う」を兼ねています。最後に、詞書に「見て」とありますけれども、「吹くなり」の「なり」はいわゆる聴覚推定の「なり」としか解せません。しかしここにそういう「なり」があるのも変です。元来「あらし吹くめり」(あらし
ふくめり LLLLHHL)だったのかもしれません。辞書の説くとおり和歌には「めり」は多くはあらわれないようですけれど、あらわれないのではありません。例えば次の歌。
立田川もみぢ乱れて流るめり渡らば錦なかや絶えなむ 古今・秋下283。たとぅたンがふぁ もみンでぃ みンだれて なンがるめり わたらンば にしき なかやあ たいぇなム LHHHH・LLLLLHH・LLHHL・HHHLLLH・LHFLHHH。「立田川」は伏片283が〈平上上上上〉、寂283が〈○○○上上〉を差す名詞で(訓284は〈平上上上平〉でこれでもおかしくない)、「立つ」は「たとぅう LF」、「龍」は「たとぅ HH」ですから、元来は「龍田川」ではなく「立田川」だったのでしょう。
うむ【倦】(うむう LF)
える【選】(いぇるう LF) 現代語「えりごのみ」などに残っています。「よりどりみどり」の「よる」はこの「える」の転じたもの。
かく【懸・掻・舁・書】(かくう LF) 西洋古典語に於けると同じく、「書く」とは元来、「先のとがったもので物の面をひっかく」(広辞苑)ことだったようです。水を「掻いて」(かいて LHH)舟を進める道具を「櫂(かい)」(かい LH)と言いますが、この名詞は動詞からの派生語なのでした。
かつ【勝】(かとぅう LF) 「かつ消えかつ結びて」(かとぅう きいぇ かとぅう むしゅンびて LFHL・LFHHLH) などにあらわれる副詞「且(か)つ」も「かとぅう LF」です。現代語で「かつは」という意味で「かつうは」とも言うのに「かとぅう LF」の名残が聞かれます。
かふ【飼】(かふう LF) 平安時代には、例えば「馬に水を飼ふ」(ムまに みンどぅうぉ かふう LLH・HHH・LF〔「馬」はmumaではなくmma〕)、「瓜に土をかふ」(うりに とぅてぃうぉ かふう LHH・LLH・LF)など使うことが多かったようです。この動詞には「動植物にそれが生存するために必要なものを与える」という意味があるからです。「培(つちか)う」(とぅてぃかふ LLHL)という動詞がありますが、これはもともとは「土を飼ふ」こと、植物を育てるために土を与えることでした。
かふ【交ふ】(かふう LF、かふ HL) 「ゆきかふ」などに現れる動詞です。古今・賀349の歌の「散りかひくもれ」の「かひ」に『伏片』『毘』『訓』は〈平上〉を差す一方、『梅』は〈上平〉を差し(てぃり かふぃい くもれえ HLLFLLF/てぃり かふぃ くもれえ HLHLLLF。のちに歌全体を引きます)、また古今・春下119の「散りかふ花」に『毘』が〈上平上上(平平)〉を差します(てぃり かふ ふぁな HLHHLL。括弧内はこちらで補ったもの。以下同じ)、また動詞「交はす」は、近世京都も現代京都もHHH、現代東京も『26』以来⓪で、これは平安時代に「かふぁしゅ HHL」という言い方があった名残かもしれません。「買ふ」(かふ HL)のところで申したとおり、「交換する」を意味する下二段動詞「替(か)ふ」(かふ HL)も高起式です。折衷的に、動詞「交ふ」は「かふう LF」とも「かふ HL」とも言われたと見ておきます。
かむ【噛】(かむう LF) 「擤む」は「かむ HL」でした。
きる【切】(きるう LF) 「着る」は「きる HL」でした。「衣(きぬ)を着る」は「きぬうぉ きる LHHHL」。「衣を切る」は「きぬうぉ きるう LHHLF」。工具の「錐(きり)」は「きり LH」で、これを「切る」と同根とする向きもありますけれど、擬音の「きりきり」と結びつけるのがよいのではないでしょうか。とすればこの擬音は「きりきり LLLL」か「きりきり LHLH」など言われたろうということになります。
くふ【食】(くふう LF)
くむ【組】(くむう LF) 「汲(く)む」「酌(く)む」は「くむ HL」でした。「糸・紐を組んで作ったもの」を「組」というそうで(広辞苑)、すると、「組」(くみ LL)と「綬」(くみ LL)とを区別する向きもありすけれども、それには及ばないようです。
くる【繰】(くるう LF)
名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 後撰・恋三700。なあにし おふぁンば あふしゃかやまの(「や」は低いかもしれません) しゃねかンどぅら ふぃとに しられンで くる よしもンがな FHLLHL・LLLLHLL・HHHHL・HLHHHHL・LHHHLHL。「くる」は「来る」(comeなどと同じく相手のところに行くことも意味できます。ここもそう)と「繰る」とを兼ねています。
こく【扱】(こくう LF)
見わたせば柳さくらをこきまぜて都ぞ春の錦なりける 古今・春上・素性(しょおしぇい HL。寂6が〈上平〉を差すのによっておきます)56。みいい わたしぇンば やなンぎ しゃくらうぉ こきい まンじぇて みやこンじょ ふぁるうの にしきなりける ℓfHHLL・HHHHHHH・LFLHH・HHHLLFL・LLHLHHL。こう見わたしてみると、都というものが、柳や桜をとりまぜていて、春の錦だったのだ。主語を先立てる「ぞ」は何々「が」に当たること、周知のとおりです。
こく【放】(こくう LF) 現代語で「屁を放(こ)く」と言いますが、昔もこの言い方はできたようです(「ふぇえうぉお こくう LHLF」)。改名は「霍乱(くわくらん)」――激しい下痢・嘔吐を伴う病気――を「尻より口より放く病」(しりより くてぃより こく やまふぃ LLHLHHLLLHLHL)と訓んでいます。何を「放(こ)く」のかは自明なので省かれているのでしょう。それにしても「しりよりくてぃよりこくやまふぃ」は口調のよい十三文字です。上に「永き日を」とでも置きましょうか。
こぐ【漕】(こンぐう LF)
みちのくはいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手(つなで)かなしも 古今・東歌(あンどぅまうた LLLHL)1088。みてぃのくふぁ いどぅくふぁ あれンど しふぉンがまの うら こンぐ ふねの とぅなンで かなしいもお HHLHH・LHHHLHL・LLLHL・LLLHLHL・LLLHHFF。この「みちのく」には顕天片や顕大が〈上上平上〉を差していて、これは「道の奥」(みてぃの おく HHHLH)のつづまった言い方にほかなりません。毘・高貞628などが〈上上平平〉を差すのはこの言い方からの変化です。第二句は宣長がそう見ているように「ドコニモカシコニモ面白イ所ハ多クアレドモ」といった意味でしょう(『古今集遠鏡(とおかがみ)』) 。「かなし」は「心にしみる」ということ。次でもそうう。
世の中は常にもがもな(永遠デアッテホシイ)渚こぐ海人の小舟(をぶね)の綱手かなしも 新勅撰・羇旅525・実朝。よおのお なかふぁ とぅねえにもンがもなあ なンぎしゃ こンぐ あまの うぉンぶねの とぅなンで かなしいもお HHLHH・LFHLHLF・LLLLH・LLLHHHH・LLLHHFF。二句目や五句目につけたアクセントは当時として古風なものだったでしょうけれども、言わなかった言い方とは思われません。詳細後述。
「小舟(をぶね)」は和名抄と袖中抄の一本とが〈上上上〉(うぉンぶね HHH)を、袖中抄の別の一本が〈上上平〉(うぉンぶね HHL)を与えます(「舟」は「ふね LH」)。接辞「小(を)」を冠する三拍までの言葉は、「をの【小野】」(うぉの HH〔「野」は「のお L」〕)、「をぐら【小倉】」(うぉンぐら HHH〔「倉」は「くら LL」〕)、「をさか【小坂】」(うぉしゃか HHH〔「坂」は「しゃか LL」〕)、「をざさ【小笹】」(うぉンじゃしゃ HHH〔「笹」は「しゃしゃ HH」〕)、「をしほ【小塩】」(うぉしふぉ HHH〔毘・高貞871。「塩」は「しふぉ LL」〕)のように高平連続調をとることが多く、「をと【小戸】」(「戸」は「とお H」)、「をばま【小浜】」(「浜」は「ふぁま LL」)のように高平連続調と最後だけ低くする言い方とを持つものは見られても(うぉと HH、うぉと HL、うぉンばま HHH、うぉンばま HHL)、「をだ【小田】」のように〈上平〉(顕昭 散木集注)しかもたないものは少ないようです(うぉンだ HL。これも「うぉンだ HH」と言えるかもしれません)。「をばやし【小林】」は「うぉンばやし HHHL」(「林」は「ふぁやし LLL」)であるというように四拍以上の言葉の場合はこの限りではありません。
こふ【請・乞】(こふう LF) 上二段の「恋(こ)ふ」も「こふう LF」で、連用形および終止形は同じ音になります。
こむ【混・込】(こむう LF)
こる【樵】(こるう LF) 「木を樵(こ)る」は現在よく耳にする言い方ではありませんけれど、「樵(きこり)」という名詞はあるわけで、私たちは「きこりとはきをこるひとのことだ」と難なく言えてしまいます。旧都の言い方では「きこりとふぁ きいうぉお こる ふぃとなり LLLLH・LHLHHLHL」ということになります。「…とは…なり」は物を定義する時の言い方の一つで(「のこと」は添えません)、例えば『能因歌枕』に「山伏とは山におこなひする僧なり」(やまンぶしとふぁ やまに おこなふぃ しゅる しょうなりい LLLLLH・LLH・HHHHHH・LHLF。「草臥(くさぶし)」が「くしゃンぶし LLLL」なので「山伏」も低平連続でしょう)、「しづくとは雨降りたるに木の葉より垂る水なり」(しンどぅくとふぁ あめ え ふりたるに こおのお ふぁあより たる みンどぅなりい LLLLH・LFLHLHH・LLFHL・LHHHLF)、「天の川(かふぁ)とは空に白くて渡りたるなり」(あまの かぁふぁとふぁ しょらに しろくて わたりたるなりい LLLHLLH・LHH・LHLH・HHLLHLF。昔はわざわざ「渡りたるところのものなり」など言わなくてもよかったのです) などあります。
さく【裂・割】(しゃくう LF)
さす【差・射・指・刺・鎖・点・注】(しゃしゅう LF) 実に多義な言葉です。「…しかける」「途中まで…する」という意味の「さす」――「読みさしの本」といった言い方はすでに古風な現代語なのでしょう――も、「しゃしゅう LF」だと見ておきます(岩波古語は「鎖す」に由来すると見ています)。例えば源氏・手ならひに「などかくあたら夜を御覧じさしつる」(なンど かく あたら よおうぉお ごらムじい しゃしとぅる。RLHL・HHHHH・LLLFLHLH)とあります。ちなみに「御覧じさす」は「見さす」(みいい しゃしゅう ℓfLF)の主格敬語形の一つです。昔は例えば、「思ひ出でたまふ」(おもふぃい いンでえ たまふう LLFLFLLF)よりも同義の「おぼし出づ」(おンぼしい いンどぅう LLFLF)の方が、「思ひ出でさせたまふ」(おもふぃい いンでしゃせえ たまふう LLFLLLFLLF)よりも同義の「おぼしめし出づ」(おンぼしい めしい いンどぅう LLFLFLF)の方が、好まれたようです。現代語では例えば「お思いになり出す」は「思い出す」の主格敬語たりえません。
すく【好】(しゅくう LF) 『58』も『89』も大辞林(2006)も「好(す)く」を①②とします。「(僕はあなたを)好(す)いています」などは今はまず言いませんけれども、言うとすれば「すいています」が多数派のはずで、これは「書いています」「差しています」などと同じ言い方であり、「言っています」「押しています」とはちがった言い方ですから、現代語「好(す)く」は確かに基本的には「書く」「差す」など同じく①でしょう。じつは『26』『43』は②としますから(⓪ではない)、昔の東京では「あなたをすいています」など言ったと考えられます。さて現代語の「好く」は他動詞ですけれども、平安時代には自動詞としての用法しかなかったようです。すなわち、「趣味人」というような意味、および「好色な人」というような意味をもつ「好きもの」(しゅきもの LLLL)という言葉がありましたけれども、これと同じ意味で「好きたる人」(しゅきたる ふぃと LHLHHL)ということができました。名詞「好き」(美的な対象を好むこと・色を好むこと)は平安時代、おそらく「しゅき LL」と言われたでしょう。現代語には「好きだ」という言い方がありますが、平安びとはこの意味で「好きなり」とは言いませんでした。
すむ【澄・清】(しゅむう LF) 「済む」は「澄む」「清む」から分かれたものだそうです。たしかに、返済が終わることは清算が終わることであり(これが元来の「済む」)、気が済むことは気が清々することです。もっとも平安時代にはまだ「済む」は生れていないようです。
すむ【住】(しゅむう LF)
いかならむ巌(いはほ)のなかに住まばかは世の憂きことの聞こえこざらむ 古今・雑下952 いかならム いふぁふぉの なかに しゅまンばかふぁ よおのお うきい ことの きこいぇ こおンじゃらム HLHLH・HHHHLHH・LHLHH・HHLFLLL・HHLRLLH
する【磨・擦・刷・摺】(しゅるう LF) 『枕草子』は「硯に髪の入りてすられたる」(しゅンじゅりに かみの いりて しゅられたる LLLH・LLL・HLH・LLHLH)を「にくきもの」(にくきい もの LLFLL。頭にくるもの。ムカツクもの)の一つとしています。
せく【堰】(しぇくう LF) 「関(せき)」(しぇき LL)は、人の通行を「堰く」(=せきとめる)ところにほかなりません。江戸ではこの名詞は②だったかもしれませんけれど、すでに『26』が①とします(⓪でないのですから似たようなものだとも申せます)。現代京都では「関」は⓪①両様のようです。
そぐ【削】(しょンぐう LF) 現代語には「興(きょう)をそがれる」といった言い方がありますけれども、平安時代の京ことばにはこれに類した言い方はなかったようで、見られるのは、一つには「髪をそぐ」(かみうぉ しょンぐう LLHLF。髪の裾を切ること)といった言い方――源氏・若紫で光る源氏は「君(=かぞえで十(とお)の〔のちの〕紫の上)の御髪(みぐし)は我そがむ」(きみの みンぐしふぁ われ しょンがムう)と言います――、一つには「略式にする」「華美にしない」といった意味のものとして使う言い方です。
これ(明石ノ君〔あかしのきみ〕ノ住ム屋敷)は、川づらにえもいはぬ松かげに何(なに)のいたはり(趣向)もなく建てたる寝殿の(寝殿デスケレドモ)、ことそぎたる(簡素ナ)さまもおのづから山里のあはれを見せたり。
これふぁ、かふぁンどぅらに いぇええもお いふぁぬ まとぅかンげえに なにの いたふぁりもお なあく たてたる しムでんの、こと しょぎたる しゃまも、おのンどぅから やまンじゃとの あふぁれえうぉ みしぇたりい HHH、HHHL(後半二拍推定)H・ℓfFHHH・LLLFH・LHLLLLLF・RL・LHLH・LLLLL、LLLHLHHHL・HHHHH・LLLHLLLFH・LHLF。「え…ず」の「え」は動詞「得(え)」の連用形に由来するので、ℓfと見るのがよいと思います。次に、当時「寝」は「しん」ではなく「しム」(shim)と発音されたようで、こうしたことは例えば例えば佐藤正彦さんの「漢字音表-字音仮名遣い」(web)などを参照することで知られます。それから、この「寝殿の」の「の」は「逆接の『の』」であり、早く源氏・桐壺の一節、「国の親となりて帝王(ていわう)の上(かみ)なきくらゐにのぼるべき相(さう)おはします人の、そなたにて見れば、乱れうれふることやあらむ」(くにの おやと なりて ていわうの かみ なきい くらうぃに のンぼるンべきい しゃう おふぁし ましゅ ふぃとの、しょなたにて みれンば、みンだれえ うれふる ことやあ あらム。HHHLLL・LHH・LHLLL・LHLFHHHH・HHHHF・LL・LHLLHHLL、HHLHHLHL・LLFLLLH・LLF・LLH)に同趣の「の」の見えているにも関わらず、名だたる源氏読みのかたがたが誤訳なさっているようであるところのものです。
そる【剃】(しょるう LF)。
そる【反・逸】(しょるう LF) 現代語では「反らない板」など言う時の「反(そ)る」と、「正しい道から逸れないようにする」など言う時の「逸(そ)れる」とは別の言葉ですが、後者の「逸れる」はもともとは四段活用で、二つは同じ言葉だったようです。
たつ【立・建】(たとぅう LF) tatoo。名詞「館(たち)」(たてぃ LH)は「建つ」の連用形「建ち」に由来するのだそうです。たてンばたてぃなりい。これも派生名詞が高さを保たない例の一つです。
恋すてふ我が名はまだき(モウ)立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか(思イハジメタノダケレド) 拾遺・恋一621。こふぃ しゅうてふ わあンがあ なあふぁ まンだきい たてぃにけり ふぃとしれンじゅこしょ おもふぃい しょめしか LLFLH・LHFHLLF・LHHHL・HHHHLHL・LLFHHHL。「AてふB」は無論「AといふB」のつづまったもので、この「と」は常に低く、「いふ」は連体形「いふ HH」ですから、「てふ」は「てふ LH」が自然かと予想されます。例えば伏片・毘381が「別れてふこと」に〈平平平平上(平平)〉(わかれてふ こと LLLLHLL)を差します。毘・高貞・訓1003が「ありきてふ」(アッタトイウ)に〈平上平平平〉を差しなどするのは「ありきいてふ LHFLH」からの変化であり、「てふ」が付属語化していて先立つ部分の低下力に負けたのだと思います。次に、「まだき」は『研究』研究篇上の見るとおり、LLHかLLFだろうというところまでははっきりしています。さしあたり後者と見ておきますけれども、これについては、「まだ」も、それから「かつ」「ただ」「なほ」といった副詞もLFのようだからだ、といった強力でない理由しかありません(かとぅう、まンだあ、たンだあ、なふぉお)。
たつ【断・絶・裁】(たとぅう LF) こちらもtatoo。「太刀(たち)」(たてぃ LL)もまた、「断つ」ものだからそう呼ばれるのでした。名詞「太刀」を『26』は②とします。『43』も『58』も①ですから、大正時代前後にアクセントの下がり目が前にずれたのでしょう。名詞「関」は『26』の昔から①で言われるがもっと古くは②だったかもしれないと五つ前で申したのは、この「太刀」のような例があるからです。
つく【付・憑・着】(とぅくう LF)
てる【照】(てるう LF)
我が心なぐさめかねつ更級やをばすて山に照る月を見て 古今・雑上878。わあンがあ こころ なンぐしゃめ かねとぅう しゃらしなやあ うぉンばしゅてやまに てる とぅきうぉ みいてえ LHLLH・HHHLHLF・LLLHF・HHHHHLH・LHLLHRH。こういう「かぬ」は高起式と見られます(後述)。
とく【解・説】(とくう LF) 下二段の自動詞「解く」(とくう LF)に対する他動詞。今でも「むすばっている紐を解く(=固まっていない状態にする)」などは言いますけれども、「氷を解く」とは言いません。古くは「解かす」という動詞はなく、そうした意味合いは四段の「解く」で示しました。「袖ひちてむすびし水」(しょンで ふぃてぃて むしゅンびし みンどぅ HHLHH・HHHH・HH)の歌に、この「解く」が登場していました。とぐ【研】(とンぐう LF)
とる【取・採】(とるう LF)
今は昔、竹取の翁といふものありけり。野、山にまじりて竹をとりつつ、よろづのことに使ひけり。名をば「讃岐のみやつこ」となむいひける。その(ソノ翁ノ)竹の中にもとひかる竹なむひとすぢありける。あやしがりて寄りて見るに、筒のなかひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり(カワイラシイ様子デ座ッテイマス)。竹取物語・冒頭。
いまふぁ むかし、たけとりの おきなと いふ もの ありけり。のお、やまに まンじりて たけうぉ とりとぅとぅ、よろンどぅの ことに とぅかふぃけり。なあうぉンば しゃぬきの みやとぅことなム いふぃける。しょおのお たけの なかに もと ふぃかる たけなムう ふぃとしゅンでぃ ありける。あやしンがりて よりて みるに、とぅとぅの なか ふぃかりたりい。しょれうぉ みれンば、しゃムじゅんばかりなる ふぃと、いと うとぅくしうて うぃいたりい。LHH・HHH、HHHLL・LHHL・HHLL・LHHL。L、LLH・LLHH・HHHLHHH、LLHLLLH・HHLHL。FHH・HHLL・HHHHLHL・HLHL。HHHHHLHH・LLLLHHHLF・LLLH・LHHL。LLLHLH・HLHLHH、HHHLH・LLHLF。HHHLHL、LHLLLHLHLHL・HLLLLHLH・FLF。「竹取」は「たけとり HHHL」でしょう。図名が「魚(いを)とり」を「いうぉとり HHHL」としていて、「魚(いを)」(注)も「竹」もHHです。「讃岐」は毘1055に〈上上平〉とあるのに拠ります。
注 精選版日本国語大辞典の説くとおり、平安時代には散文では「いを」(いうぉ HH)、和歌では「うを」(ううぉ HH)という使い分けが認められるようです。『源氏』には三つの「いを」が見つかる一方、「うを」は見つかりません。
なす【為・成】(なしゅう LF) 「茄子」は平安時代の京ことばでは「なすび」(なしゅンび LLH)と言いました。次に引くのは千載・雑上963、964の贈答です。
きさらぎばかり、月あかき夜、二条の院にて人びとあまた居明かしてものがたり(雑談)などしはべりけるに、内侍周防、寄り臥して、「枕をがな(枕ガナイカシラ)」としのびやかに言ふを聞きて、大納言忠家、「これを枕に」とて腕(かひな)を御簾のしたよりさし入れてはべりければ、詠みはべりける
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそをしけれ
と言ひいだし(御簾ノ外ニ向カッテ言イ)はべりければ、返しに詠める
ちぎりありて春の夜ふかき手枕をいかがかひなき夢になすべき
きしゃらンぎンばかり、とぅき あかきい よお、にいンでふの うぃんにて ふぃとンびと あまた うぃい あかして ものンがたり なンど しい ふぁンべりけるに、ないし しゅうふぁう、より ふして、「まくらうぉンがなあ」と しのンびやかに いふうぉ ききて、だいなあンごん たンだいふぇ、「これうぉ まくらに」とて かふぃなうぉ みしゅの したより しゃしい いれて ふぁンべりけれンば、よみい ふぁンべりける LLHLLHL、LLHHFL、LLHLLLHH・HHLL・LLH・FHHLH・LLLHLRL・FRLHHLH、LLL・HHLL、HLLHH、「LLHHLF」L・LLLHLH・HHH・HLH、LLLHH・LLHL、「HHHLLHH」LH・LLHH・HHHHLHL・LFHLH・RLHHLL・LFRLHHL
/ ふぁるうの よおのお ゆめンばかりなる たまくらに かふぃ なあく たたム なあこしょ うぉしけれ LFLLL・LLLHLHL・LLLHH・HHRLLLH・FHLLLHL/といふぃ いンだしい ふぁンべりけれンば、かふぇしに よめる L・HLLLFRLHHLL、LLLHLHL/てぃンぎり ありて ふぁるうの よお ふかきい たまくらうぉ いかンがあ かふぃ なきい ゆめに なしゅンべきい HHHLHH・LFLLLLF・LLLHH・HRFHHLF・LLHLLLF。周防の内侍が「かひな」を詠みこみつつ、私は根も葉もないうわさの立つことは厭いませんけれど、それはその甲斐のある殿方となら、ということでして、あなたとは噂になりとうございません、と詠んだのに対して、忠家が、いやこれは運命的な出来事なのであって、見る甲斐のない夢にすべきではありません、と返しています。「内侍」「周防」「大納言」は漢字音などからの推定です。例えば、
大 呉音「だい LL」、漢音「たい LH」
納 呉音「なふ LL」、漢音「たふ LL」
言 呉音「ごん LH」乃至「ごん HH」、漢音「げん LL」
といったもののようですから、呉音「だいなふごん」に由来するものとして「だいなごん」は「だい・なあ・ごん LL・L・LH」「だい・なあ・ごん LL・L・HH」といったアクセントで言われたと考えられます。他方近世の資料が「大納言」をHHLHHやHHLLLとしていて、これはLLLHHのようなアクセントの正規変化したものと考え得ます。それから、「忠家」は『研究』研究篇上を踏まえると多分「たンだいふぇ LLHL」(さもなくは「たンだいふぇ LLHH」)だと見られます。
なる【成・生】(なるう LF) 現代語で「そのなりは何だ」など言う時の「なり」はこの動詞から派生した名詞で、LLと言われました。
その山(富士の山〔ふンじのやま LLLLL〕)は、ここにたとへば(譬エルナラバ)比叡(ひえ)の山をはたちばかり重ねあげたらむほど[に]して、なりは塩尻のやうになむありける。伊勢物語9。しょおのお やまふぁ ここに たとふぇンば ふぃいぇ(推定)の やまうぉ ふぁたてぃンばかり かしゃねたらム ふぉンどにしいて、なりふぁ しふぉンじり(後半推定。「塩」も「尻」もLL)の やうになムう ありける。HHLLH、LHHLLHL・LLLLLH・HLLLHL・HHLLLH・HLHFH、LLH・LLLLLLLHLF・LHHL。
ぬぐ【脱】(ぬンぐう LF)
ぬふ【縫】(ぬふう LF)
ねる【練】(ねるう LF)
のむ【飲】(のむう LF) 「蚤(のみ)」は「のみ LL」。
はく【掃】(ふぁくう LF) 「履く」「佩く」は「ふぁく HL」でした。
はく【吐】(ふぁくう LF) 同義語「吐(つ)く」は「とぅく HL」でした。唾(つばき)のことを単に「つ」(とぅう L)とも言いましたが、「つをはくこと」(とぅううぉお ふぁく こと LHLHLL)という意味の「つはき」(とぅふぁき LLL)は時に唾液そのものも意味したようで(のちに例を引きます)、現代語「つばき」はその転じたものです。「椿」は「とぅンばき」。
はぐ【剥】(ふぁンぐう LF) 山中などにあらわれる追剥(おいはぎ)のことを昔は「ひはぎ」と言いました。「引き剥ぎ」(引っ張って剥ぐ者)のつづまったもので、「ひきはぎ」は「ゆきあひ【行き合ひ】」(ゆきあふぃ)、「ぬりごめ【塗籠】」(ぬりンごめ)などと同じくHHHHで言われたでしょうから(高起動詞を前部成素とする場合、後部成素の式にかかわらず全体が高平連続になります)、「ひはぎ」は「ふぃふぁンぎ」と発音されたと思われます。
はふ【這】(ふぁふう LF)
はむ【食】(ふぁむう LF)
ひる【放】(ふぃるう LF) またしても尾籠な話で恐縮ですが、前田本『和名抄』(「倭名類聚(十巻本系諸本)の語彙と声点上」〔web〕)や改名に、「へひる」〈平平上〉(ふぇえ ふぃるう LLF)という注記があります。「屁をひる昼」は「ふぇえうぉお ふぃる ふぃる LHLHHL」です。「くしゃみをする」の「ひる」は「べるりんふぃる」なのでした。
ふく【吹】(ふくう LF)
夏と秋とゆきかふ空のかよひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ 古今・夏168。なとぅと あきいと ゆきかふ(ないし、ゆきかふ) しょらの かよふぃンでぃふぁ かたふぇ しゅンじゅしきい かンじぇやあ ふくらム HLHLFH・HLLH(ないしHLHH)LHL・HHHLH・LHHLLLF・HHFLHLH。「夏と秋と」の「と」は「並列の『と』」と呼べるもので、知られているとおり、また後に実例を示すとおり、「何々と言ふ」「何々と思ふ」の「と」(「引用の『と』」と呼べます)が常に低いのに対して、基本的に高さを保ちます。
有馬山猪名の笹原風ふけばいでそよ人を忘れやはする 後拾遺・恋二709。ありまやま うぃなの しゃしゃふぁら かンじぇ ふけンば いンで しょおよお ふぃとうぉ わしゅれやふぁ しゅる LLLHL・HHHHHHL・HHLHL・HLHLHLH・HHLHHHH。「好(す)き者」が「しゅきもの LLLL」、「掃墨(はいずみ)」(<掃き墨)が「ふぁいンじゅみ LLLL」であるように(「好く」「掃く」は「有り」と同じくLF、「者」「墨」は「馬」と同じくLL)、「ありうま」はLLLLでしょうから、地名の「有馬」はおそらく「ありま LLL」、すると例えば「笠取山」に毘263が〈○○平平上平〉(三拍目濁る)、寂263が〈○○平平○○〉(三拍目清む)を差すのを併せると「かしゃとりやま LLLLHL」(ただし伏片は〈平平平上○○〉〔三拍目濁る〕です)であるのに倣って(「笠」は「かしゃ LH」、「笠取」は低平連続ならん)、「有馬山」は「ありまやま LLLHL」だろうと考えられます。「猪名」には袖中抄が〈上上〉を差しています。「猪(ゐ)」は「うぃい」、「笹」は「しゃしゃ」です。
嵐ふく三室の山のもみぢ葉は立田の川の錦なりけり 後拾遺・秋下366・能因。あらし ふく みむろの やまの もみでぃンばあふぁ たとぅたの かふぁの にしきなりけり LLLLH・HHHHLLL・LLLFH・LHLLHLL・LLHLHHL。「立田川」には伏片283が〈平上上上上〉を、訓284が〈平上上上平〉を差すのでしたが、三拍+二拍の複合名詞では前部成素のはじめの二拍はもとのアクセントを保つことが多いので、三拍名詞「立田」のはじめの二拍はLHと考えられ、そうであるならばその三拍目は、複合の度合が高いならば高平調、そうでないならばもとの「たあ L」のアクセントを保つでしょう。現代京都では後者ですから、前(さき)に申した理由により往時も後者だったと見ておきます。
ふす【伏】(ふしゅう LF)
夏の夜の伏すかとすればほととぎす鳴くひとこゑに明くるしののめ 古今・夏156。なとぅの よおのお ふしゅかあと しゅれンば ふぉととンぎしゅ なく ふぃとこうぇえに あくる しののめ HLLLL・LHFLHLL・LLLHL・HHLLLFH・HHHLLLH。ハイパーボリ(誇張法)。
ふる【降】(ふるう LF)
田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 新古今・冬675。たンごの うらに うてぃい いンでて みれンば しろたふぇの ふンじの たかねに ゆうきふぁ ふりとぅとぅLLLLLH・LFLHHLHL・LLHHH・LLLLHLH・RLHLHHH。「田子」のアクセントは、「駿河なるたごの浦波立たぬ日はあれども君を恋ひぬ日はなし」(古今・恋一489。しゅるンがなる たンごの うらなみ たたぬ ふぃいふぁ あれンどもお きみうぉ こふぃぬ ふぃいふぁ なしい HHHLH・LLLLLLL・LLHFH・LHLFHHH・LLHFHLF)の「たご」に寂が〈平平〉を差しているのに拠っておきます。顕天平・毘・高貞489は〈上平〉を差しているのが気になりますけれども、「田」は「たあ L」です。「富士の高嶺」には袖中抄が〈平平平平上平〉を差しています。
花は散りその色となくながむれば(特ニコノ色ヲ求メテ、トイウコトナクタダボンヤリ眺メルト)虚しき空に(何モナイ――花ビラナドモナイ――空ニ)春雨ぞ降る 新古今・春下149・式子内親王(1149~1201)。ふぁなふぁ てぃり しぉおのお いろと なあく なンがむれンば むなしきい しょらに ふぁるしゃめえンじょお ふる LLHHL・HHLLLRL・LLLHL・HHHFLHH・LLLFFLH。古典的にはこんなふうなアクセントで言われたと考えられます。平安末から鎌倉にかけては、「ふぁるしゃめえンじょ」が好まれたかもしれないとは申せ、のちに見るとおり「ふぁるしゃめえンじょお」とも言われ得たと考えられますし、反対に平安初期や中期にも「ふぁるしゃめえンじょ」は言われうる言い方でした。なお漢語「虚空」をやまとことばにくずしたもので、第一義的にはものを蔵さない空、要するに大空のことです。
へぐ【削】(ふぇンぐう LF)
ほく【惚・耄・呆】(ふぉくう LF) 現代語「ぼける」の初拍は古くは清音で、また現代語では下一段活用ですけれども、古くは下二段にも四段にも活用しました。つまり「ほけて」(ふぉけて LHH)とも「ほきて」(ふぉきて LHH)とも言いましたが、さらに「ほうけて」(ふぉうけて LLHH)とも言いました。つまり「ほうく」(ふぉうくう LLF)という下二段動詞もありました。現代語「遊びほうける」の「ほうける」はこの後身です。
ほす【干】(ふぉしゅう LF) 「干(ひ)る」は「ふぃるう LF」でした。式が一致しています。何かを干せばそれが干(ひ)るわけで、他動詞「干(ほ)す」(ふぉしゅう LF)に対する自動詞が「干(ひ)る」(ふぃるう LF)です。
ほる【掘・彫】(ふぉるう LF) 名詞「堀」は「ふぉり LL」です。
まく【蒔・撒】(まくう LF) 「蒔絵(まきゑ)」は「まきうぇ LLL」のようです。「絵(ゑ)」は「うぇえ L」。やまと言葉のようですけれども呉音です。
まつ【待】(まとぅう LF) 「松」は「まとぅ LH」。
来ぬ人を待つゆふぐれの秋風はいかに吹けばかわびしかるらむ 古今・恋五777。こおぬう ふぃとうぉ まとぅ ゆふンぐれの あきかンじぇふぁ いかに ふけンばかあ わンびしかるらム LHHLH・LHHHHHH・LLLHH・HLHLHLF・HHHLHLH。
みつ【満】(みとぅう LF) 現在では、「定員に満たない」などは言っても、「満月にならない」という意味で「月が満たない」とは言いません。平安時代には常に四段活用でした。なお「三(みっ)つ」は当時は二拍の「みつ」で、「みとぅ HL」と言われたようです。
むす【蒸】(むしゅう LF) 「苔のむすまで」の「むす」は「蒸」ではなく「生」を当てる別の動詞です。岩波古語はこの「生(む)す」を「ウム(生・産)スの約」とします。これはつまり「生みす(産みす)」のつづまったものということでしょうか。それならば、「生む(産む)」は「うむ HL」ですから、「生(む)す」は「蒸す」とは異なり「むす HL 」だということになります。「産霊」の字を当てる「むすひ」(古くは末拍は清んだそうです。「結び」とは無関係とか)が「むしゅふぃ HHL」であることを併せ考えて、岩波古語の見立ては正しいのだと思います。近世の資料は「生(む)す」の連体形をLHとするらしいのですけれども(総合索引)、総合索引は備考欄でこのアクセントに文字どおり疑問符を添えています。
我が君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで 古今・賀343。わあンがあ きみふぁ てぃよおに やてぃよおに しゃンじゃれいしの いふぁふぉと なりて こけの むしゅまンで LHHHH・LFHHLFH・HHHHLL・HHHLLHH・LLLHHLH
めす【召】(めしゅう LF)
もぐ【捥】(もンぐう LF)
もつ【持】(もとぅう LF) 平安仮名文では「持ちたり」(もてぃたりい LHLF)というよりも、そのつづまった「もたり」という言い方をすることが多かったようです。この「もたり」を「持ちあり」の変化したものと断ずる辞書もありますれど、それならば「持てり」――もてり LHL。『今昔』などに見えています――になりそうなもので(存続の「り」のことは後述)、あるいは「持ちたり」(もてぃたりい LHLF)の変化したものかもしれません。ただ仮にそうだとしても「もたり」は促音便形「もったり」の促音無表記形ではないと考えられます。複数の歌が「もたり」(の各活用形)を三拍とするからで、次もそうです。
神人の手にとりもたるさかき葉に木綿(ゆふ)かけそふる深き夜の霜 源氏・若菜(わかな LLL)下。かみンびとの てえにい とりい もたる しゃかきンばあに ゆふ かけえ しょふる ふかきい よおのお しも LLLHL・LHLFLHL・LLLFH・HHLFHHH・LLFLLLL。「木綿かけそふる」は隠喩で、神主たちが手に持っている榊の葉に、夜更け、真っ白な霜の降りるのを、あたかも木綿(ゆう)がかけ加えられているかのようだと言っているようです。
もる【守】(もるう LF) 「まもる」「見まもる」といった意味のほか、「気にかける」といった意味もあって、例えば「人目をもる」(ふぃとめうぉを もるう HHHHLF)といった言い方をします。
もる【漏・洩】(もるう LF) 現代語では、「これでもう雨がもらない/もれない」では前者が、「これでは木(こ)の間(ま)から光がもらない/もれない」では後者が一般的でしょう。古くはいずれの場合も低起四段動詞の「もる」を使いました。名高い「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月の影のさやけさ」(新古今・秋上413)の言い方は新しい言い方、というよりもむしろ不審な言い方です(『百人秀歌』では「り」のようです)。「もりいづる」として引けば、次のようです。
秋風にたなびく雲の絶えまよりもり出づる月の影のさやけさ あきかンじぇに たなンびく(ないし、たなンびく)くもの たいぇまより もりい いンどぅる とぅきの かンげえの しゃやけしゃ LLLHH・HHHH(ないし、LLLH)LLL・LHLHL・LFLLHLLL・LFLLLHH
やむ【病】(やむう LF) 「病(やまひ)」は「しりより くてぃより」のところで申したとおり「やまふぃ LHL」ですが、これは動詞「病む」が接辞「ふ」を従えた「やまふ」から派生した名詞と見られます。接辞「ふ」のことは後述。
よく【避】(よくう LF) 現代語では「よけない」とは言っても「よかない」「よきない」などは言いませんけれども、古くは四段活用ないし上二段活用でした。しかし現代東京の「よける」というアクセントには往時の都におけるアクセントの名残が認められます。
春風は花のあたりをよきて吹け心づからやうつろふと見む 古今・春下85。ふぁるかンじぇふぁ ふぁなの あたりうぉ よきて ふけえ こころンどぅからやあ うとぅろふと みいムう LLLHH・LLLHHLH・LHHLF・LLHHHHF・LLLHLLH
よむ【読・詠】(よむう LF)
よる【縒】(よるう LF) 「寄る」「拠る」などは「よる HL」、「夜(よる)」は「よる LH」です。
ゑふ【酔】(うぇふう LF) 名詞「酔ひ」は「うぇふぃ LL」でしょう。『紫式部日記』や『源氏』の「藤の裏葉」(ふンでぃの うらンばあ HHHLLF)、「椎がもと」(しふぃンが もと LLLLL)、「総角」(あンげまき HHHH)に「酔ひのまぎれ(に)」(よふぃのまンぎれ〔に〕)という言い方が出てきます。『58』が「②、新は①」とします。最近は⓪でも言われるようです。
をる【折】(うぉるう LF) 「時節・機会」の意味の「折(をり)」はいかなる意味でも「折ること」ではないでしょうけれども、事実として昔も「折」と書き、『研究』研究篇上も説くとおり、平安時代には「うぉり LH」と言われたようです(伝統的な現代京ことばでも「おり」だそうです)。同書は他方「折ること」の意味では「をり」は「うぉり LL」と言われただろうとします。
心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 古今・秋下277。こころあてに うぉらンばやあ うぉらム ふぁとぅしもの おき まンどふぁしぇる しらきくの ふぁな LLLLLH・LHLFLLH・HHLLL・HLLLHLH・LLLHLLL。この「心あてに」には梅が〈○○○平平上〉を差しています。このはじめの三拍は「心」単体のアクセント〈平平上〉ではなく〈平平平〉だと考えられます。何よりも図名が「心まどひ」に〈平平平平上平〉(こころまンどふぃ LLLLHL)を差していますし、毘・訓540も「心替(が)へ」に〈平平平平平〉(こころンがふぇ LLLLL)を差し、また和名抄三本(前田本、伊勢十巻本、伊勢二十巻本)が「刷毛」に対する訓「あぶらひき」のはじめの三拍に(「あぶら」は単体では「あンぶら LLH」なれど)〈平平平〉を差します(伊勢二十巻本は「あぶらひき」に〈平平平平平〉を差します)。「当つ」(あとぅ HL)も「替(か)ふ」(かふ HL)も「引く」(ふぃく HL)も高起式ですから、「心あて」への〈平平平平平〉と「心がへ」への〈平平平平平〉と「あぶらひき」への〈平平平平平〉とはまったくの同形です。実は顕天平540や永540が「心がへ」に〈平平平上平〉を差し、改名の二本が「あぶらひき・あぶらびき」に〈平平平上平〉を差すので、「こころあてに LLLHLH」も言える言い方でしょうけれど、より古いのは低平連続調のほうだと思われます。図名の「心まどひ」〈平平平平上平〉は六拍語で、五拍語と同断ではありません。拍数が多くなるにつれて急速に低平連続調はとりにくくなるようです。
霜中の白菊はあてずっぽうでやってみるのでないかぎり折れそうにない。歌がこんな意味に解されることについては、「名歌新釈」のはじめをご覧ください。
ⅲ 高起二拍の上二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では「黴(か)びる」「詫びる」と言いますけれども、これらの言い方は、平安時代の京ことばにおいて上二段動詞「かぶ【黴】」「わぶ【詫】(=わびしく思う・困る)」が「かンぶ HL」「わンぶ HL」と発音された名残です。現代語から類推できることに気づいたのはのはこの二つくらいです。
わびぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ 後撰・恋五960。わンびぬれンば いま ふぁあた おなンじい なにふぁなる みいうぉお とぅくしても あふぁムうとじょお おもふ HLLHL・LHRHLLF・LHHLH・HHHHLHL・LLFLFLLH。「身を尽くしても」は「澪標」(こちらも「みうぉとぅくし HHHHL」)を兼ね、これを言おうとして「難波なる」(=難波にある〔なにふぁに ある LHHHLH〕)と置いています。
ⅳ 低起二拍の上二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHLというアクセントで言われる次の上二段動詞は平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLFと発音されます。
おく【起】(おくう LF) 「置く」は「おく HL」でした。
おつ【落】(おとぅう LF)
おふ【生】(おふう LF) 現代語では「成長する」という意味で「生(お)いる」とは言いませんけれど、「生(お)い立ち」「生い茂る」「相生(あいおい)」などは言って、これらに含まれている「生い」は元来「成長する」という意味の上二段動詞「生(お)ふ」の連用形です。「生(お)いる」は発音するとすれば「おいる」だろう…とも言いきれませんが、ともかくここに置いておきます。ちなみに今は「生い立ち」という名詞は使っても「生い立つ」という動詞はまず使いません。昔は違いました。
生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむ空なき 源氏・若紫。おふぃい たたム ありかもお しらぬ わかくしゃうぉ おくらしゅ とぅゆうンじょお きいぇム しょら なきい LFLLH・LLLFHHH・LLHLH・HHHHLFF・HHHLHLF。孫がどこでどう生い立つのかも分からないまま先立つことになりそうであることを嘆く、紫の上の祖母のアレゴリカルな歌です。ここで言う「アレゴリー」は、「猿も木から落ちる」などもそうであるような、隠喩の連鎖、ないし連鎖的な隠喩、というほどの意味です。
ちなみに名詞「生ひたち」の初出を近世とする辞書もありますけれど、『浜松中納言物語』(11世紀ごろ)の第二巻の一節に次のようにあります。(旧)古典大系によりますが、句読点などは適宜変えました。区切りのよいところを探すうちに長くなりました。
(私〔中納言〕ガ)かの国(中国)にありしほど、思ひよるまじき(思イヲ寄セテハナラナイ)あたりにかかる人の出できたりしを[唐ノ后ト間ニ一子ヲ設ケタコトヲ言ッテイル]、見捨てむもいとあはれにて、母なりし人は引きはなちにくうぞ思ひたりしかども、ここ(九州ハ筑紫)まで率(ゐ)て来たるを、生ひたちの、ゆくすゑおのづからかくれなかるべきことなれど(コノ若君ノ生イ立チは、将来、ドノミチ知ラレテシマウデショウケレドモ)、ほかの世に(外国ニ)生まれたるとはしばし人に知らせじと思ふに、あらあらしきをとこの中にのみあらせて(イサセタラ)このことしばしのかくろへもあるべきならねば、ここにてこれ(コノ若君ヲアナタニ)あづけたてまつりてむとて、迎へきこえてしなり。
かあの くにに ありし ふぉンど、おもふぃい よるまンじきい あたりに かかる ふぃとの いンでえ きいたりしうぉ、みいい しゅてムも いと あふぁれえにて、ふぁふぁなりし ふぃとふぁ ひぃきふぁなてぃにくうンじょお おもふぃたりしかンどもお、ここまンで うぃいて きいたるうぉ FLHHHLLHHL、LLFHHHHF・HHLH・HLHHLL・LFRLLHH、ℓfHHHL・HLLLFHH、LHLLHHLH・HHHHHHHLF・LLHLLHLLF、LHLH・FHRLLH、LHHHH、HHHH・HHHHH・LLLRLLLFLLHLL、おふぃたてぃの ゆくしゅうぇ おのンどぅから かくれ なあかるべきい ことなれンど、ふぉかの よおにい ムまれたるとふぁ しンばし ふぃとに しらしぇンじいと おもふに、あらあらしきい うぉとこの なかにのみい あらしぇて こおのお こと しンばしの かくろふぇもお あるンべきいならねンば、ここにて これ あンどぅけえ たてえ まとぅりてムうとて、むかふぇ きこいぇてしなりい。LHLHH・HHLLHLH・LHL・HLHHHHFLLLHH、HHHHHFLLLL・LHHLF・LLHH・HHLL・LHLLLLLLF・LLLFHLHL、LHHH・HH・LLF・LFHHLHFLH、HHLHHLHHLF。後述する事実から、「生ひたち」が「おふぃたてぃ LHHH」と発音されたことは明らかです。
おぶ【帯】(おンぶう LF) 名詞「帯(おび)」はこの動詞からの派生語ですが、低平連続調でない「おンび LH」というアクセントで発音されます。現代東京では名詞「帯」は①の「おび HL」で、低起二拍動詞からの派生名詞における原則通りの②ではありません(例えば名詞「落ち」は東京では②です)。ただ、調べてみるもので、『26』は名詞「帯」を②とします。『43』『58』は①ですから、大正時代前後に変化があったようです。ふたたびただ、低起二拍の上二段動詞の連用形からの派生名詞のなかには、以下に見るとおり東京では①で言われるものも少なくありません。下二段動詞からの派生とはありようの異なるのは、二拍目の母音の性質の違いなのでしょう。
おゆ【老】(おゆう LF) 名詞「老い」は原則通り「おい LL」です。この名詞を、『26』は①、『43』⓪①、『58』⓪①、『89』は②⓪①、『98』は⓪②①としていて、①の退潮が明らかです。東京で「老い(oi)」が(もともとは)②でなく①なのは、第二拍の「い」が特殊拍なので下がり目が前にずれたのでしょう。近年の②は一種の本卦がえりと見られます。明治の東京では「老いをなげく」と言ったのでしたけれども、この「老いを嘆く」は旧都でも言われた言い方でした。ちなみに「負ふ」(おふう LF)から派生した「笈」(おふぃ LL)は『26』が②とし『43』『58』が①とするのでした。
いつとても身の憂きことは変はらねど昔は老いを嘆きやはせし 千載・雑中1080。いとぅとても みいのお うきい ことふぁ かふぁらねンど むかしふぁ おいうぉ なンげきやふぁ しぇしい LHLHL・HHLFLLH・HHHHL・HHHHLLH・LLHHHHH
ここでふたたび「成長する」を意味する「生ふ」(おふう LF)のことを。例えば「老いて」と「生(お)ひて」とは、もともとは発音が異なりましたけれども(おいて、おふぃて)、後者は時代とともに最終的には「うぉいて」に、そして「老いて」も「うぉいて」になります。こうなれば、「老い立つ」などは言わないので別として、「老いて」も「生ひて」もともども言うということはなくなってゆく道理でしょう。「老い」は生き残り、「生ひ」が淘汰されました。
おる【降】(おるう LF) 「織る」は「おる HL」でした。
くつ【朽】(くとぅう LF) この自動詞「朽(く)つ」に対して、「朽ちさせる」「腐らせる」という意味の「朽(く)たす」「腐(くた)す」(くたしゅう LLF)という四段の他動詞があります。
うらみわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 後拾遺・恋四815。うらみい わンび ふぉしゃぬ しょンでンだに ある ものうぉ こふぃに くてぃなム なあこしょ うぉしけれ LLFHL・LLHHHHL・LHLLH・LLHLHHH・FHLLLHL。この「だにある」はイディオムと見る向きが多いようですけれども(「だにあり」のことは「委託法、および、状態命題」5をご覧ください)、実際にはここは、涙にぬれているのを干さない袖すら朽ちずにちゃんとあるのに、この恋のために名が(評判が)朽ちてしまいそうで、それが残念だ、と言っているのだと思います。
くゆ【悔】(くゆう LF) 名詞「悔い」は原則通り「くい LL」。『26』『43』『58』『89』はこの名詞「悔い」を①としますが、『98』は①②とします。「老い」と同趣のようです。
こふ【恋】(こふう LF) 「恋(こ)いない」も「恋(こ)いた」も「恋(こ)いる」も言わない言い方ですけれども、「恋い慕う」などは言うわけで、その限りにおいて「恋(こ)いる」という現代語はあると言えます。名詞「恋」は平安時代の京ことばでは原則通り「こふぃ LL」ですが、東京では『26』が①としますから、古くから「こい HL」でした。今のところ、「恋がしたい」を東京の人が「こいがしたい」と言い始める兆候はないようですから、事情は「老い」や「悔い」の場合とは異なるわけです。しかし、くりかえせば東京で「老い(oi)」「悔い(kui)」「恋(koi)」が(もともとは)②でなく①なのは、第二拍の「い」が特殊拍で、下がり目が前にずれたのだと考えられます。
ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな 古今・恋一469。ふぉととンぎしゅ なくやあ しゃとぅきの あやめンぐしゃ あやめもお しらぬ こふぃもお しゅるかなあ LLLHL・HHFHHHH・LHHHL・LLLFHHH・LLFHHLF。「あやめ LLL」は「文目」のアクセントで、植物の方は「あやめ LHH」です。
こる【懲】(こるう LF) 前(さき)に申したとおり、上二段の自動詞「ひつ」(ふぃとぅう LF)と四段の他動詞「ひたす」(ふぃたしゅう LLF)――『26』では「ひたす」でした――との関係と、上二段の自動詞「懲る」(こるう LF)と四段の他動詞「懲らす」(こらしゅう)とのそれとは平行します。現代語には「懲らしめる」という言い方がありますけれども、これは上二段の「懲る」が使役の「しむ」を従えた「懲りしむ」(こりしむう LLLF)の変化したものと思われます。「懲らしむ」は平安時代の作物には見えないようで、見えているのは四段の「懲らす」(こらしゅう LLF)で、「懲らしめる」や「懲りさせる」をこの四段動詞の訳語とすることができます。今は「少し懲らしてやりましょう」などは言いませんが、アルカイックにはそう言ってかまわないわけです。
さぶ【錆・荒】(しゃンぶう LF) 名詞「錆(さび)」は原則通り「しゃンび LL」です。
しふ【強・誣】(しふう LF) 「強いて」は「無性に」「ひどく」といった意味でも使われました。
吹く風のさそふものとは知りながら散りぬる花のしひて恋しき 後撰・春下91。ふく かンじぇの しゃしょふ ものとふぁ しりなンがら てぃりぬる ふぁなの しふぃて こふぃしきい LHHHH・HHHLLLH・HHHHH・HLLHLLL・LHHLLLF
すぐ【過】(しゅンぐう LF)
春すぎて夏来にけらし白妙のころも干すてふ天の香具山 新古今・夏175。ふぁるう しゅンぎて なとぅ きいにけらし しろたふぇの ころも ふぉしゅう てふ あまの かンぐやま LFLHH・HLRHHLL・LLHHH・HHHLFLH・LLLHHHH
とづ【閉】(とンどぅう LF)
あまつ風雲のかよひぢ吹きとぢよ少女(をとめ)の姿しばしとどめむ 古今・雑上872。あまとぅかンじぇ くもの かよふぃンでぃ ふきい とンでぃよ うぉとめの しゅンがた しばし とンどめムう LLLHH・LLLHHHL・LFLHL・LHHHLLH・LHLHHHF
なぐ【和・凪】(なンぐう LF) 四段にも活用するとか。「凪(なぎ)」はおそらくLLでしょう。名詞「凪」は『26』が②としますから、東京では古くから「なぎ(が)」なのでしょう。
雲もなくなぎたる朝の我なれやいとはれてのみ世をば経ぬらむ 古今・恋五753。くももお なあく なンぎたる あしゃの われなれやあ いとふぁれてのみい よおうぉンば ふぇえぬらム LLFRL・LHLHLLL・LHLHF・LLLHHLF・HHHRHLH。私は雲もなく凪いだ朝なので、あの人に「いとはれて」(厭はれて/いと晴れて)過ごしているのだろうか。なぞかけのような歌ではあります。どちらもイトハレテゐるでせう。毘・高貞・寂・訓が「いとはれて」に〈平平平上上〉を差していて、これは「厭はれて」のアクセント。「いと晴れて」は「いと ふぁれて HLLHH」です。
のぶ【伸・延・述】(のンぶう LF)
はづ【恥】(ふぁンどぅう LF) 名詞「恥(はぢ)」は原則通り「ふぁンでぃ LL」で、東京でも『26』以来②で言われます。「恥づかし」(ふぁンどぅかしい LLLF)は有名な古今異義語です。
恥づかしき人の、歌のもとすゑ問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。枕・うれしきもの(261。うれしきい もの LLLFLL)。ふぁンどぅかしきい ふぃとの、うたの もと しゅうぇ とふぃたるに、ふと〔これは推定です〕 おンぼいぇたる、われなンがら うれしい。LLLLFHLL、HLLLLHH・HLLHH、LLLLHLH、LHHHHLLF。この人の前では恥はかけないぞと思う人がこの歌の上の句や下の句は何と質問した時、すぐ思い出せたりすると、我ながらうれしい。
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v 高起二拍の下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHHというアクセントで言われる次の下二段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、終止形はHLと発音されます。この中にはそのまま四段動詞の終止形にもなるものがあります。例えば現代語の「開(あ)く」も「開(あ)ける」も、古くは終止形として同じ「開(あ)く」(あく HL)を持つわけで、こういうとき四段の「あく」と下二段の「あく」とが式を異にすることはありません。
あく【開・空・明】(あく HL)
明けばまた秋のなかばも過ぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは 新勅撰・秋上261・定家。あけンば また あきいの なかンばも しゅンぎぬンべしい かたンぶく とぅきの うぉしきいのみかふぁ。HHLHL・LFLLLHL・LHHHF・LLLHLLL・LLFHLHH。夜が明けたら、今年もまた秋が半分過ぎてしまう。西の山に入ろうとする月が惜しいばかりではない。上は古典的な言い方で、鎌倉時代には第五句は「うぉしきぃのみかわ」など言われることが多かったでしょう。
あぐ【上・挙】(あンぐ HL)
あつ【当】(あとぅ HL)
ある【荒】(ある HL) 文字で書かれた「あるべし」は「有るべし・在るべし」とも「荒るべし」とも解せるわけですけれども、前者は「あるンべしい LLLF」、後者は「あるンべしい HHHF」で、アクセントは異なります。同様に、平安仮名文や王朝の和歌に見られる「あるまじ」「あるらむ」「あるらし」のなかには、本当は「荒るまじ」(あるまンじい HHHF)、「荒るらむ」(あるらムう HLLF」、「荒るらし」(あるらし HLHL)であるにもかかわらず、うっかり(「有」で代表させれば)「有るまじ」(あるまンじい LLLF)、「有るらむ」(あるらムう LHLF)、「有るらし」(あるらし LHHL)に解されているものがあるかもしれません。
いる【入】(いる HL)
惟喬の親王(みこ)の狩しける供にまかりて、やどりにかへりて、夜ひとよ、酒を飲み、ものがたり(雑談)をしけるに、十一日(じふいちにち)の月もかくれなむとしけるをりに、親王、ゑひて、うちへ入りなむとしければ詠みはべりける
あかなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れずもあらなむ 古今・雑上884・業平(毘が「仲平」を〈平平上平〉〔なかふぃら LLHL〕とするところなどから「なりふぃら LLHL」と推定されます)
これたかの みこの かり しいける ともに まかりて、やンどりに かふぇりて、よお ふぃとよ、しゃけうぉ のみい、ものンがたりを
しいけるに、じふいてぃにてぃの とぅきもお かくれなムうと しいける うぉりに、みこ、うぇふぃて、うてぃふぇえ いりなムうと しいけれンば よみい ふぁンべりける HHHHHHHH・LHFHLHLH・LHLH、LLLHLLHH、LLLL、HHHLF、LLLHLH・FHLH、LLLLLLL・LLF・LHLHFL・FHLLHH、HH、LHH、HLF・HLHFL・FHLL、LFRLHHL / あかなくに まンだきいもお とぅきの かくるるかあ やまのふぁあ にンげて いれンじゅもお あらなム LLHHH・LLFFLLL・LHHHF・LLLFLHH・HHLFLLHL
うう【植】(うう HL)
今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり 古今・秋上242。いまよりふぁ ううぇてンだに みいンじい ふぁなしゅしゅき ふぉおにい いンどぅる あきいふぁ わンびしかりけり LHLLH・HLHHLLF・LLLHL・LHLLHLFH・HHHLHHL。この「だに」は「せめて…」のほうの意味でしょう。「植えて見ることさえすまい、まして野辺のすすきは見まい」と取る向きもありますけれど、すすきは昔は、いたるところで見かけられたでしょう。宣長すら…、と書こうとして『遠鏡』を見たところ、こうありました(表記は適宜変更します)。「スヽキハドコニモタクサンニアル物ヂヤガ、ソレヤドウモセウコトガナイヂヤガ、今カラセメテハコチノ庭ニナリトモ植ヱテハ見ヌヤウニセウゾ。アノヤウニ薄ノ穂ガデテ、秋ノケシキガ見エレバ、キツウ物ガナシウテナンギナワイ」
うく【浮】(うく HL) 今は「浮ける」とは言いませんけれども、昔は下二段の「浮く」がありました。今の「浮かべる」に当たる言葉で、例えば「涙を浮けて」(なみンだうぉ うけて LLHH・HLH)など使います。下二段の「浮かぶ」もありましたが(後述)、『源氏』ではもっぱら涙は「浮くる」(うくる)ものです。なお名詞「浮け」(うけ HH)は「浮かべるもの」、すなわち今は「浮子(うき)」といわれるところのものを意味します。
伊勢の海に釣りする海士(あま)のうけなれや心ひとつをさだめかねつる 古今・恋一509。いしぇの うみに とぅりしゅる あまの うけなれやあ こころ ふぃととぅうぉ しゃンだめえ かねとぅる HLLLHH・HHHHLLL・HHLHF・LLHLHLH・LLFHLLH。私は浮子なのか? そうではないはずだが落ち着かない、と言っています。こうした「かぬ」のことは後述。なお「尼」は「あま LH」です。
かく【欠】(かく HL) 四段の「書く」は「かくう LF」でした。道長(「みてぃなンが HHHH」だったと考えてよいようです)が詠んだという次の歌はよく知られています。
この世をば我が世とぞ思ふ望月の虧(か)けたることもなしと思へば こおのお よおうぉンば わあンがあ よおとンじょお おもふ もてぃンどぅきの かけたる こともお なしいと おもふぇンば HHHHH・LHHLFLLH・LLLHL・HLLHLLF・LFLLLHL
かふ【替・代・変】(かふ HL)
いのちやは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに 古今・恋二615。いのてぃやふぁ なにンじょふぁ とぅゆうの あンだものうぉ あふにし かふぇンば うぉしからなくに LLHHH・LHHH・LFLHHHHH・LHHLHHL・LHLLHHH。命が何だ。思う人と逢えたらそんなもの惜しくない。
かる【枯・涸】(かる HL)
きす【着】(きしゅ HL) 「着る」(きる HL)に対する他動詞です。現代語でも「着せる」と「着させる」とは異なるように(子供に服を着せる/子供に服を着させる)、「着す」(きしゅ HL)と「着さす」(きしゃしゅ HHL)とは異なるのでしょう。
きゆ【消】(きゆ HL) 四段の「消(け)つ」(けとぅ HL)に対する自動詞です。
宮より、露おきたる唐ぎぬ参らせよ、経の表紙にせむ、と召したるに結びつけたる
置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人を何にたとへむ 新古今・哀傷775・和泉式部。みやより とぅゆう おきたる からンぎぬ まうぃらしぇよお、きやうの ふぇうしい(推定。呉音と見ておきます。現代京都HLL)に しぇえムうと めしたるに むしゅンび とぅけたる HHLL・LFHLLHLLLH・LHHLF、LHHH・LLLHHFL・LHLHH・HHLLHLH / おくと みいしい とぅゆうもお ありけり ふぁかなあくて きいぇにし ふぃとうぉ なにに たとふぇム HLLLH・LFFLHHL・LLRLH・HLHHHLH・LHHLLLH。娘・小式部の内侍を失ってまもない和泉式部のもとに、主君・中宮彰子から、追善供養の写経の表紙にするので内侍の着ていた露の模様の着物を送るようにという依頼があったので送ったとき添えたという歌。はかなさの象徴である露すら消えずにあるのであってみれば、娘を何にたとえたらよいのかと言っています。この「ありけり」の「あり」は、前(さき)の「干さぬ袖だにあるものを」の「ある」とよく似ています。
くる【暮・暗】(くる HL) 「暗(くら)し」は「くらしい HHF」。天動説で生きていた人々にとって「暮れる」とは世界が「暗く」(くらく)なることだったでしょう。「目の前が暗くなる」という意味の「目くる」(めえ くる LHL)という言い方があって、例えば『栄花』の「浦々の別れ」(うらうらの わかれ LLLLLLLL)の巻にも「目もくれ、心もまどひて」(めえもお くれ 、こころも まンどふぃて LFHL、LLHLLLHH)とあります。名詞「暮れ」は「くれ HH」。なお「黒(くろ)し」は、東京の「くろい」から推察されるとおり旧都では「くろしい LLF」で、「暮る」などとは式が異なります。
紀友則がみまかりにける時よめる
あす知らぬ我が身と思へど暮れぬまのけふは人こそ悲しかりけれ 古今・哀傷838・貫之。きいのお とものりンが みい まかりし とき よめる LLHHHLH・HLHHHLL・LHL / あしゅ しらぬ わあンがあ みいとお おもふぇンど くれぬ まあのお けふふぁ ふぃとこしょ かなしかりけれ LLHHH・LHHLLLHL・HHHHH・LHHHLHL・HHHLHHL。なお、「みまかる」はもともと「身」がかの世に「罷(まか)る」(後述)ことであり、近世の資料に拠らずとも、毘412詞書が「みまかりにければ」に〈上平上平(上上平平)〉(みい まかりにけれンば)を差していることから、ありようは明らかです。すなわちそれは一語の動詞として熟していないようです。「誰々(ガ)、身(ガ)まかる」という言い方は奇妙なようですけれども、現代語でも例えば「何が鼻が長い?」に対して「象が鼻が長い」など答えたりします。次に引くのはこの「あす知らぬ」歌を踏まえて詠まれたらしい、紫式部(おそらく、「むらしゃきしきンぶ LHHHHHL」。「紫」は「むらしゃき LHHL」でした)の歌。
うせにける(ナクナッタ)人の文の(書状ガ)もののなかなるを(何カノ中ニアルノヲ)を見いでて、そのゆかりなる人のもとにつかはしける
暮れぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき 新古今・哀傷856。うしぇにける ふぃとの ふみの ものの なかなるうぉ みいい いンでて、しょおのお ゆかり(推定。近世これとか)なるふぃとの もとおに とぅかふぁしける HLHHLHLLHLL・LLLLHLHH・ℓfLHH・HHHHLHLHLL・LFH・HHHLHL / くれぬ まあのお みいうぉンば おもふぁンで ふぃとの よおのお あふぁれえうぉ しるンじょかとぅうふぁ ふぁかなきい HHHHH・HHHLLHL・HLLHH・LLFHHHL・LFHLLLF
くる【呉】(くる HL) 『土左』(としゃ LL)や『宇津保』(うとぅふぉ HHH)に見えています。
こゆ【越】(こゆ HL) 「越す」は「こしゅ HL」でした。「肥ゆ」は「こゆう LF」。
すう【据】(しゅう HL) ワ行下二段であり(「ウーウースー」〔ウウ(植)・ウウウ(飢)・シュウ〕の三番目)、例えば「据ゑて」は「しゅうぇて HLH」と言われました。『源氏』は次のように終わるのでした。
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰りきたれば、すさましく、なかなかなりとおぼすことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらむと、わが御心(みこころ)の、おもひよらぬくまなく落としおきたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。源氏・夢の浮橋(ゆめの うきふぁし LLLHHHH)
いとぅしかあと まてぃい おふぁしゅるに、かく たンどたンどしくて かふぇりい きいたれンば、しゅしゃましく、なかなかなりいと おンぼしゅ こと しゃまンじゃまにて、ふぃとの かくし しゅうぇたるにやあ あらムと、わあンがあ みこころの、おもふぃい よらぬ くま なあく おとしい おき たまふぇりし ならふぃに、とンじょお ふぉんに ふぁンべんめる。LHLFL・LFLHHHH、HL・LLLLHLH・LLFRLHL・LLLHL・LHLHLFL・LLHLL・HHHHHH、HLL・LHLHLLHHHLLHL・LHHHHHH、LLFHHH・HHRL・LLFHLLLHLH・LLLH、LF・LLH・RLHHL。言いさしているのは構わないとして、ずいぶん通りの悪い文とすべきでしょう。誤写の類を考うべきだと思います。「なかなか」のような畳語のことは後にまとめて考えなくてはなりません。今はさしあたり『研究』研究篇上(p.405)に、「恐らく畳語が発生した初めの時期はそうした[「つらつら
HLHL」のような〔表記は変更しました〕]二語連続のアクセントであったろう」とあるのを引いておきます。「御心」を「みこころ」と読んだのは、『源氏』の「賢木」(しゃかき
LLL)、「夕霧」(ゆふンぎり)、「東屋」(あンどぅまや LLLL)、「浮舟」(うきふね HHHL)に、新大系本が「み心」とするところがあるのに拠りました。
すぐ【挿】(しゅンぐ HL)
すつ【捨】(しゅとぅ HL)
世を捨てて山に入る人やまにてもなほ憂きときはいづちゆくらむ 古今・雑下956。よおうぉお しゅてて やまに いる ふぃと やまにても なふぉお うきい ときふぁ いンどぅてぃ ゆくらム HHHLH・LLHHHHL・LLHHL・LFLFLLH・LHLHLLH。「いづち」は「どちらの方に」を意味する副詞です。語形としては現代語「こっち」「そっち」のもとの言い方である「こち」「そち」についても同じことが申せて、平安中期の京ことばでは「に」のような助詞を従えません。この二語のアクセントは、「いづち」のそれから、「こてぃ HL」「しょてぃ HL」だろうと考えられます。「いづこ」は「いンどぅこ LHH」、「ここ」は「ここ LH」、「そこ」は「しょこ LH」で、これらは古文献にその旨の注記があります。
そふ【添】(しょふ HL)
人におくれて(先立タレテ)なげきける人につかはしける
なきあとの面影をのみ身にそへてさこそは(サゾカシ)人の恋しかるらめ 新古今・哀傷837・西行(聞書集にも)。
ふぃとに おくれて なンげきける ふぃとに とぅかふぁしける HLHHHLH・LLHHLHLH・HHHLHL / なきい あとの おもかンげえうぉのみい みいにい しょふぇて しゃあこしょふぁ ふぃとの こふぃしかるらめえ LFLHL・LLLFHLF・HHHLH・LHLHHLL・LLHLHLF
そむ【染・初】(しょむ HL) 庶務。「見初(そ)める」など言う時の「初(そ)める」は現代語として普通単独では使わないので、下二の「初(そ)む」のアクセントを現代語から推定することはできません。しかし同じ下二段の「染(そ)む」と「初(そ)む」とは同根とも言われ(十分ありうることでしょう)、じっさい毘・高貞471、553、毘453が「初(そ)む」を高起式とします。
こころざし深く染めてし折りければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ 古今・春上7。こころンじゃし ふかく しょめてし うぉりけれンば きいぇあふぇぬ ゆうきの ふぁなと みゆらム LLLLL・LHLHLHL・LHHLL・HLLLHRLL・LLLLHLH。この「む」は、主格の「の」に終わる「雪の」に対応する述部をしめくくるものなので、連体形です。
吉野川岩波たかくゆく水のはやくぞ人を思ひそめてし 古今・恋一471。『毘』が「そめてし」を「そめてじ」とした上で〈上平平平〉を差します。以下は古典的なアクセントです。よしのンがふぁ いふぁなみ たかく ゆく みンどぅの ふぁやくンじょお ふぃとうぉ おもふぃい しょめてし LLHHH・HHHHLHL・HHHHH・LHLFHLH・LLFHLHH。「岩波」の後半二拍は推定。低くも言われ得たと見られます(「焼きそばパン」)。「岩」は「いふぁ HL」、「波」は「なみ LL」、「藤波」を――「藤」は「ふンでぃ HH」――袖中抄が「ふンでぃなみ HHHH」とし、伏片699が「ふンでぃなみ HHLL」とします。二拍名詞を前部成素とする複合名詞のアクセントを考える際、その二拍名詞の末拍のアクセントは基本的に非関与的です。
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 古今・恋二553。うたたねに こふぃしきい ふぃとうぉ みいてしより ゆめてふ ものふぁ たのみい しょめてきい HHHHH・LLLFHLH・RHHLL・LLLHLLH・LLFHLHF。毘・高貞が第五句を「たのみそめてぎ」とした上で〈平平上上平上平〉を差しています。これが「たのみい しょめてきい LLFHLHF」からの変化であることは、後の論述から明らかでしょう。
みちのくのしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 伊勢物語初段。みてぃのくの しのンぶ もンでぃンじゅり たれゆうぇに みンだれえ しょめにし われならなくに HHLHL・LHLLLLL・HHHLH・LLFHLHH・LHLLHHH。古今・恋四724は第四句を「乱れむと思ふ」(みンだれムうと おもふ LLLFL・LLH)とします。毘・高貞・訓724が「しのぶ」に〈平上平〉を差すのは植物の「忍(しのぶ)」への注記です。「忍草」も「しのンぶンぐしゃ LHHHL」ですけれども、動詞「忍ぶ」は高起式で「しのンぶ HHL」と言われましたから、シノブに「忍」を当てるのはまさに当て字ではないでしょうか。
たむ【溜】(たむ HL)
つぐ【告】(とぅンぐ HL)
隠岐の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて京なる人のもとにつかはしける
わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよあまのつりぶね 古今・羇旅407・小野篁(うぉのの たかむら HHHHHHH)。おきの くにに なンがしゃれける ときに、ふねに のりて いンでえ たとぅうとて きやうなる ふぃとの もとおに とぅかふぁしける LLLHHH・LLLHHLLLH・LHHHLH・LFLFLH・LLLHL・HLLLFH・HHHLHL / わたの ふぁら やしょしま かけて こンぎい いンでぬうと ふぃとにふぁ とぅンげよお あまの とぅりンぶね HLLLH・HHHHLHH・LFLHFL・HLHHHLF・LLLHHHL。「京」のアクセントは推定。「きやうなる LLHLH」かもしれません。
「やそしま」(やしょしま HHHH)は袖中抄や浄弁本拾遺が〈上上上上〉を差すのによりましたけれども、毘が〈上平平平〉(やしょしま HLLL)、訓が〈上上平平〉(やしょしま HHLL)を差します。「八十」は単独では「やしょ HL」で、「島」は「しま LL」。こういうばあい複合名詞はHHHHで言われることが多くて、例えば「あだもの【徒物】」(あンだもの)、「いはむろ【岩室】」(いふぁむろ)、「くらぼね【鞍骨】」(くらンぼね)、「したくさ【下草】」(したくしゃ)、「なつやま【夏山】」(なとぅやま)、「ならさか【奈良坂】」(ならしゃか)、「ならやま【奈良山】」(ならやま)、「はたほこ【幡鉾】」(ふぁたふぉこ)、「はたもの【機物】」(ふぁたもの)、「ひとくさ【人草】(ふぃとくしゃ)、「ひとごと【人言・人事】(ふぃとンごと)」、「ひらさか【平坂】」(ふぃらしゃか)、「みつまた【三叉】」(みとぅまた)、「むらきく【叢菊】」(むらきく)、「むらくも【叢雲】」(むらくも)がそのいうアクセントをとります。しかし当然ながら必ずそうなるということはなくて、例えば「ふゆくさ【冬草】」には毘338と訓1005とが〈上上上平〉(ふゆくしゃ HHHL)を差していますし、「したぐつ【下沓】」の変化した「したうづ」に図名が〈上上平平〉(したうンどぅ HHLL)を差しています(図名は「之太久豆」〔四拍目濁音〕とするのですが、この「久」は「う」の誤写ではないでしょうか。そう見てはじめて四拍目の濁っていることが理解できます。すなわち「ちうじ【乳牛】」〔てぃうンじ
LLL〕、「あめうじ【黄牛】」〔あめうンじ LLLL〕において末拍が濁っているのと同じことが起こっているのだと思います。ちなみに「牛」は「うし HH」)。訓の〈上上平平〉(やしょしま HHLL)はこの「したうづ」などと同趣ということになります。それから毘の〈上平平平〉(やしょしま HLLL)も、数詞を先立てる言い方では複合が弱いことがあるのは周知であり、何ら奇異なものではありません。実際「みそもじ【三十文字】には、
梅(9) 上上上平(みしょもンじ HHHL)
毘(9) 上上平平(みしょもンじ HHLL)
訓(9) 上平上平(みしょもンじ HLRL)
寂(9) 上平平平(みしょもンじ HHHL)
顕府(9) ○平平平(寂と同じでしょう)
という注記が見られるのですが(「みそ」は「みしょ HL」、「文字」は「もンじ RL」)、梅は「ふゆくさ」と、毘は「したうづ」と同趣のアクセントを与える一方、訓は複合しない言い方を、寂と顕府はその変化した言い方をしているようです。
内容について少しだけ。まあ、自分で漕いだとは考えられないわけですけれども、それはともかくとして、詠み手はここで釣り船に乗っている海人に呼びかけるのではなく、海人の乗っている釣り船に呼びかけています(hypallactic
apostrophe〔代換法的頓呼法〕)。人は日常そういうことをしません。その意味でこの歌は一つの非日常的な言語表現、ないし一つの詩的表現として解され味わわれること求めています。
月夜よし夜よしと人に告げやらば来(こ)てふに似たり待たずしもあらず 古今・恋四692 「月夜」は毘・高貞が〈○○上〉を差すのによります。「てふ」は前(さき)にそうしたように「てふ LH」としておきます。じっさい梅が〈上平上上〉としています。とぅきよ よしい よお よしいと ふぃとに とぅンげ やらンば こおお てふに にいたりい またンじゅしも あらンじゅ LLHLF・LLFLHLH・HLHHL・ℓfLHHFLF・LHLHLLHL
つる【連】(とぅる HL) 現代語では「誰々を連れてゆく」というような他動詞の用法しかありませんけれども、平安時代には「連(つら)なる」「連れだつ」といった意味の自動詞の用法しかなかったようで(「ひきつる」〔ふぃき とぅる HLHL〕のような複合動詞はこの限りでありません)、源氏・松風(おそらく、まとぅかンじぇ LLLH)に「殿上人、四五人ばかり連れて参れり」(てんじやうンびと、しい ごおにんばかり とぅれて まうぃれりい LHHHHHL、LLLHHHL・HLH・LHLF)とあるのも、誰かが殿上人を四五人連れて参上しましたというのではなく(そう見る古語辞典もあります)、殿上人が四五人つれだって参上しました、と言っていると見られます。
とむ【止・泊】(とむ HL) Tom。四段の「富む」も「とむ HL」で(東京アクセントHLは罠なのでした)、終止形は同じ。定家の名高い、
駒とめて袖うちはらふ蔭もなし佐野のわたりの雪の夕暮 新古今・冬671
は、古典的には「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらふ かンげえもお なしい しゃのの わたりの ゆうきの ゆふンぐれ HHHLH・HHLFLLH・LFFLF・HHHHHHH・RLLHHHH」のように言われたでしょう。「佐野」は「しゃの HH」としましたが、「しゃの HL」かもしれません。「狭野」とも書かれた地名のようで、すると「狭(さ)し」という形容詞があってこれは高起式で「しゃしい HF」と言われましたから、「佐野」は高起式でしょう(「野」は「のお L」)。ちなみに「紫野」は「むらゃしゃきの LHHHH」(「紫」は「むらしゃき LHHL」)、「飛火野」は「とンぶふぃの HHHH」(「飛ぶ」は「とぶ HL」、「火」は「ふぃい L」)ですけれども、「交野」は伏片・家462が〈上上平〉、毘・寂462が〈平上平〉とします(かたの HHL、かたの LHL)。
ちなみにこの歌は、鎌倉時代には、「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらう かンげえも なしい しゃのの わたりの ゆきの ゆうンぐれ HHHLL・HHLFLLH・LFLLF・HHHHHHH・HLLHHHH」など言われることが多かったでしょう。するとさきほどのアクセントで言うことはアナクロニックな、おかしなことなのでしょうか? しかし、改めて確認すれば、後に申すとおり、古典的なアクセントは定家の時代にも行われ得たと見られます。他方、発音は、特にハ行音を転呼させないで言う言い方は、古風なものとして聞きなされたかもしれず、あるいはまた、聞き慣れないものとして受け止められたかもしれません。しかし後者の場合でも、例えば二百年前はそのようだったと知ったら、忌避するのではなく、反対に珍重されたのではないでしょうか。ともあれかくもあれ、新古今時代の歌人たちが「こま とめて そで うちはらう かげも なし」式の発音をすることは、近現代の東京にあらわれて現代日本語(近代の日本語も「現代日本語」とされることが多いようです)を学びでもしないかぎりありえませんけれど、例えば二百年前には「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらふ かンげえもお なしい」など言われたということを知ることは彼ら彼女らには原理的には可能でした。それにしても、例えば仮名づかいのことを考えれば、定家よりも現代人のほうが、平安中期の京ことばのありようについて相対的に詳しく知っているところがある、といえるわけです。思えば不思議です。
にす【似】(にしゅ HL) 「似る」(にる HL)に対する他動詞です。
ぬく【抜】(ぬく HL) 現代語では「抜けている」はいい意味になりませんけれども、平安時代の京ことばに「人に抜けたり」(ふぃとに ぬけたりい HLHHLLF)という言い方があって、これはほかの人よりも優れている、抜きんでている、といった意味です。「ずばぬける」はこれを強めた言い方なのでしょう。
ぬる【濡】(ぬる HL)
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ 金葉・恋下469。おとに きく たかしの ふぁまの あンだなみふぁ かけンじやあ しょンでの ぬれもこしょ しゅれ HLHHH・LHHHLLL・HHHHH・LLHFHHH・HLHHLHL。泣くことになるかもしれないので、名うての浮気者とはお付き合いいたしません、ということをアレゴリカルに言っています。伏片・家・梅・毘・京秘915が「高師」に〈平上上〉を差しています。「あだ花」は「あンだンばな HHHH」と言われたようで、また「藤波」に袖中抄が〈上上上上〉を、伏片699が〈○○平平〉を差しています。「藤」は「ふンでぃ HH」、「藤波」は「ふンでぃなみ HHHH」とも「ふンでぃなみ HHLL」とも言われたと見られます。「あだ波」も「あンだなみ HHHH」「あンだンばな HHLL」両様で言われたかもしれません。なお、「もこそ」が多く「…したら困る」といった意味になることはよく知られていますけれども、必ずそういう意味になるわけでもないので、例えば拾遺集(恋一646)に、「いかにしてしばし忘れむ命だにあらば逢ふよのありもこそすれ」(いかに しいて しンばし わしゅれム いのてぃンだに あらンば あふ よおのお ありもこしょ しゅれ HLHFH・LHLHHHH・LLHHL・LHLLHHH・LHLHLHL)という歌があります。何とかしてしばらくのあいだあの人のことを忘れたい。そうでないとしんでしまう。命さえあればまた逢える世が、そして夜が、あるかもしれないのだ。「命さえあったら逢う世が(夜が)あったら困る」は、奇妙な日本語であり、そもそも誤訳です。後に見るとおり、「もぞ」についても同じことが申せます。
のく【退】(のく HL) 四段の「退(の)く」に対する他動詞です。
のす【乗】(のしゅ HL) 「乗る」(のる HL)に対する他動詞です。
はむ【嵌】(ふぁむ HL) 平安時代には「嵌(はま)る」という自動詞はなかったようです。大いにちなみますと、そうした意味は例えば「おちいる」(おてぃい いる LFHL)で出せたでしょう。「陥る」はすなわち「落ち入る」です。例えば今昔物語集の或る説話(25-6)に、胸を射られた狐(きとぅね LHH)が「かしらを立てて、さかさまに池に落ち入りぬ」(かしらうぉ たてて、しゃかしゃまに いけに おてぃい いりぬう LLLHLHH、HHHHH・LLH・LFHLF)とあります。こういう文脈では今は「おちいる」とはまず言わないのですから(言ってもいいのですが)、「おちいる」も古今異義ということになります。
はる【腫】(ふぁる HL) 平安時代には「腫らす」という他動詞はなかったようです。
ほる【惚】(ふぉる HL) 「ぼんやりする」といった意味。「誰々に惚れる」という使い方は平安時代にはありませんでした。
まく【負】(まく HL)
まぐ【曲】(まンぐ HL)
むく【向】(むく HL)
むす【咽】(むしゅ HL) 「むせぶ【咽】」(むしぇンぶ HHL)と式を同じくします。
もゆ【燃】(もゆ HL)
かくとだにえやは伊吹のさしもぐささしも知らじな燃ゆる思ひを 後拾遺・恋一612。かくとだに いぇええやふぁ いンぶきの しゃしもンぐしゃ しゃあしも しらンじいなあ もゆる おもふぃうぉ HLLHL・ℓfHHLLLL・LHHHL・LHLHHFF・HHHLLLH。「いふき(伊吹)」の「いふ」は「言ふ」(連体形なので「いふ」)を兼ねています。「さしもぐさ」には袖中抄の京都大学図書館蔵平松家旧蔵本が〈平上上○○〉を差し、高松宮本の室町期書写部分が〈平上○○○〉を差しています。「さしもぐさ」はお灸に使う「もぐさ」(もンぐしゃ HHH。「燃え草」〔もいぇくしゃ HHHH〕からなのだとか。「よもぎ」〔よもンぎ LHH〕といっても同じ)のことです。広辞苑によれば「灸を点(さ)す」という言い方があるそうで、すると「さしもぐさ」はお灸として点(さ)すモグサということでしょう。「差す」とも書ける「点(さ)す」は低起式です(「しゃしゅう LF」)。それから派生した「差し」が「狩り」などと同様LHで言われたとすれば、「さしもぐさ」が「しゃしもンぐしゃ LHHHL」と言われてもまったくおかしくありません(HHLという終わり方のことは後述)。低起四段動詞「生く」(いくう LF)に由来する成素を冠する、ベンケイソウの異称という「いきくさ【活草】」が「いきくしゃ LHLL」と言われたことも思いあわされます(「草」は「くしゃ LL」)。
やく【焼】(やく HL)
やす【痩】(やしゅ HL)
やむ【止】(やむ HL) 今の「やめる」とは異なり、「やめさせる」「やむようにする」を意味します。四段の「やむ」(やむ HL)は「やめる」を意味しうるのでしたから、一つずつずれる格好です。源氏・帚木の「雨夜の品さだめ」(あまよの〔ないし、あまよの 〕しなしゃンだめ LHLL〔ないしLLLL〕HHHHL。「品」は「しな HH」)において、交際中の女性の嫉妬深さを不快に思う馬の頭(ムまの かみ LLLLH)が、
かうあながちに従ひおぢたる人なめり。いかで懲るばかりのわざしておどして、この方もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ。
かう あなンがてぃに したンがふぃ おンでぃたる ふぃとなんめり。いかンで こるンばかりの わンじゃ しいて おンどして、こおのお かたもお しゅこし よろしくもお なりい、しゃンがなあしゃも やめム。HL・HHLLH・HHHL・HLLH・HLHLHL。HRH・LLLHLL・HLFH・HHLH、HHHLF・LHLHHHLFLF・LLRHLHHH。
と思って、ということは要するに、そういう態度を改めないと別れるぞと言っておどかしてやきもちやきをやめさせようと思って実行してみたところが、案に相違して…という話を、光る源氏たちに向かってしています。後にも実朝が、
時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ
と詠むでしょう。ときに より しゅンぐれンば たみの なンげきなり ふぁてぃンだいりうわう(ないし、りうわう LHHH。当時は「りゆう」としなかったようです) あめえ やめ たまふぇえ LLHHL・LLHLLLL・LLLHL・LLLLLHLL・LFHLLLF。
よす【寄】(よしゅ HL) 「寄るHL」の他動詞形でもありますけれども、自動詞としても使い、例えば現代語でも「波が寄る」と同じ意味で「波が寄せる」というのと同じく、「波、寄す」(なみ、よしゅ LLHL)という言い方をすることができました。波が何を寄せるのかと問うべきではないわけです。
よするなみうちもよせなむわがこふるひとわすれがひおりてひろはむ 土左・二月四日。よしゅる なみ うてぃも よしぇなムう わあンがあ こふる ふぃと わしゅれンがふぃ(ないし、わしゅれンがふぃ) おりて ふぃろふぁムう HHHLL・LHLHHLF・LHLLH・HLHHHHL(ないしHHHHH)・LHHHHHF。波がうち寄せてくれないかな。そうすれば、拾うと人を恋うる苦しさを忘れられるという貝を拾えるだろう。
わる【割】(わる HL) 崇徳院の「瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ」(詞花・恋上229)は、古典的には、「しぇえうぉお ふぁやみ いふぁに しぇかるる たきンがふぁの われても しゅうぇに あふぁムうとンじょお おもふ HHLHL・HLHLLLH・HHHHH・HLHLHHH・LLFLFLLH」のように言われたでしょう。古くは「滝」(たき HH)は、水の垂直に落ちる滝のほかに、急流も指しました。「たぎつ」(たンぎとぅ HHL)という、現代語「煮えたぎる」の「たぎる」に近い言葉があって、「滝」はこれに由来する言葉と言います。すると清濁が問題になりますけれども、詳細は未詳のようです。とまれ院の歌における「滝川」(たきンがふぁ HHHH)は急流のことでしょう。「滝川」の末拍は「冬川」(ふゆンがふぁ)などに倣った推定です。
をふ【終】(うぉふ HL) 須磨にいる光る源氏の夢に今は亡き父帝があらわれてさまざまなことをいう中に、次のような一節があります。巻はすでに「明石」(あかし HLL)です。
我は位にありし時あやまつことなかりしかど、おのづから犯(をか)しありければ、その罪ををふるほど、暇(いとま)なくて、この世をかへりみざりつれど、(アナタガ)いみじきうれへに沈むを見るにたへがたくて、海に入り、なぎさにのぼり、いたく困じにたれど(困憊シテシマッテイルガ)、かかるついで(機会)に内裏(だいり)に奏すべきことのあるによりなむ、いそぎ上りぬる。
われふぁ くらうぃに ありし とき あやまとぅ こと なあかりしかンど、おのンどぅから うぉかし ありけれンば、しょおのお とぅみうぉ うぉふる ふぉンど、いとま なあくて、こおのお よおうぉお かふぇりい みいンじゃりとぅれンど、いみンじきい うれふぇに しンどぅむうぉ みるに たふぇンがたくて、うみに いり、なンぎしゃに のンぼり、いたく こんじいにたれンど、かかる とぅいンでに だいりに しょうしゅンべきい ことの あるに よりなム、いしょンぎい のンぼりぬる。LHH・HHHH・LLHLL・LLLHLL・RLLHLL、HHHHH・HHH・LHHLL、HHLHH・HHHHL、LLLRLH、HHHH・LLFRLHLHL、LLLFLLLH・HHHHLHH・LLLHLH、LHHHL、LLLHHHL、LHL・LFHLHL、HLHHHHH・LLHH・RHHFLLL・LHHHLHL・LLFHHLLH。サ変「困ず」は呉音と見て「こんじゅう LF」としましたけれども、漢音かもしれなくて、その場合は「こんじゅう RF」です。
ⅵ 低起二拍の下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHLというアクセントで言われる次の下二段動詞は平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLFと発音されます。
あふ【敢】(あふう LF) 現在、「あえて何々しない」など言ったり、「とりあえず」など言ったりするのに含まれている、現代語で言えば「あえる」は、もともとは下二段の「敢(あ)ふ」という動詞です。東京で「あえて」と言わず「あえて」と言うのは、平安時代の京ことばではこの動詞が低起式だった名残です。
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)もみぢのにしき神のまにまに 古今・羇旅420。こおのお たンびふぁ ぬしゃもお とりい あふぇンじゅ たむけやま もみンでぃの にしき かみの まにまに HHHLH・LLFLFLHL・LLLHL・LLLLLLH・LLLHHLH。この「とりあへず」は「用意できていません」といった意味。「まにまに」(まにまに HHLH)は寂・毘129が〈上上平平〉を差すのを古い〈上上平上〉からの変化と見ました。「手向け山」の最後の二拍は推定。「たむけやま LLLLL」などかもしれません。「手向け」単体は「たむけ LLL」という低平連続の言い方で言われますから、「山」がついてもそのアクセントは変わりようがありません。三拍名詞に「山」が付くものへの注記としては、顕府(27)の「つくはやま(筑波山)」〈上上上上平〉(とぅくふぁやま HHHHL)、寂(27)、訓(61)の「つくばやま(筑波山)」〈上上上上平〉(とぅくンばやま HHHHL)があるくらいのようです。なお、しばしば言われるとおり「たうげ(峠)」は「たむけ」の変化したもので、室町時代までは峠のことも「たむけ」と言っていたようです。「手向け」は神仏などにものを供えることで、峠では手向けをする習いだったところから手向けをする場所もメトニミックに「たむけ」と言われるようになりました。「たむけ」はまず「たムげ」に変化して、それが「たうげ」になったのではないでしょうか。三拍目が濁っているのは二拍目がもとは鼻音だったからだと思います。
あふ【和・韲】(あふう LF) 「今は昔」(いまふぁ むかし LHHHHH。もう昔のこと)、物売りの女が、商売の途中でしたが、またひどく酔っている最中でもあって、売り物を入れた桶の傍らで眠りこけていました。しばらくしてその女ははっと目をさまし、間、髪を容れず売り物を入れた桶に首を突っ込んで、食べたものを吐き入れてしまいます。その一部始終をある男が見ていて、「あな汚(きたな)」(あなきたな LLLLH。何と汚い)と思って近寄って桶のなかを見てみますと、売り物は鮨鮎(すしあゆ)(しゅしあゆう LLLF) でした。鮎(あゆう LF)の馴鮨(なれずし)、鮎と飯とを乳酸発酵させた、強烈なにおいのするものです(飯は食さず捨てるのが普通だったのだそうです)。男がなおも見ていると、
ひさき女(め)、「あやまちしつ」(ヘマヲシタ)と思ひて、いそぎて手を以てその吐(つ)きたるものを鮨鮎にこそ和(あ)へたりけれ。これを思ふに(コノコトヲ考エテミルト)、すしあゆ、もとよりさやうだちたるものなれば(アアイウモノナノデ)、何とも見えじ(何ガカカッテイルカ分カラナイダロウ)。さだめて(サダメシ)その鮨鮎売りけむに人食はぬやうあらじ。
ふぃしゃきめ、あやまてぃ しいとぅうと おもふぃて、いしょンぎて てえうぉお もて しょおのお とぅきたる ものうぉ しゅしあゆうにこしょ あふぇたりけれ。これうぉ おもふに、しゅしあゆう、もとより しゃやうンだてぃたるものなれンば、なにともお みいぇンじい。しゃンだめて しょおのお しゅしあゆう うりけムに、ふぃと くふぁぬ やう あらンじい HHHH・LLLLFFL・LLHH・LLHH・LHLH・HHHLLHLLH・LLLFHHL・LHLHHL・HHHLLHH・LLLF・LLHL・LLLLHLHLLHLL・LHLFLLF・LLHH・HHLLLF・HLLHH・HLLLHLL・LLF。
人の胃から出た酸っぱいものが振りかけられていても食する人はそのことに気づかないだろう、というところに、馴れずしというもののすごさがよく出ています。語り手によれば、男は恐怖に駆られて逃げ去り、そののち人にも「な食ひそ」(なあ くふぃしょ HLHL。食べてはいけない)と言い、みずからなどは、「鮨鮎を見てはものくるはしきまで唾(つはき)を吐(は)きてなむ、立ちて逃げける」(しゅしあゆううぉ みいてふぁ、ものくるふぁしきいまンで とぅふぁきうぉ ふぁきてなムう、たてぃて にンげける LLLFH・RHH・LLLLLLFLH・LLLHLHHLF・LHHLHHL)というありさまだったそうです。『今昔』(31-32)に見えているお話でした。
いく【生】(いくう LF) 現代語で「花を生ける」などいう、その「生ける」の古い言い方です。自動詞「生きる」の古い言い方である四段の「生く」に対する他動詞形であり、「生きさせる」「生かす」を意味します。現代語では「生けて捕る」と言いませんが「生け捕りにする」とは言います。これは無論「生けて」(いけて。生かして)捕ることです。この「生く」には「しんだものを生き返らせる」という意味があるとし、その例として、源氏・浮舟(うきふね HHHL)の、横川の僧都の妹さんが浮舟を「生け果てて見まほしう」(いけえ ふぁてて みいまふぉしう LFLHH・LLLHL)思うところを引く辞書もありますけれど、これは誤解で、ここで僧都の妹さんは正体不明の若い人を生き延びさせてみたく思っているのに過ぎません。
いゆ【癒】(いゆう LF) 漢文脈で使う固い言い方のようで、和文では、のちに申すとおり「おこたる」(おこたる HHHL)、「おこたり果つ」(おこたり ふぁとぅう HHHLLF)といった言い方をしたようです。
いづ【出】(いンどぅう LF) 英語 undo に倣って言えばindo ですが、こんな英語はありません。
うく【受】(うくう LF)
恋せじと御手洗川にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな 伊勢物語65。こふぃ しぇンじいと みたらしンがふぁに しぇえしい みしょンぎ かみふぁ うけンじゅもお なりにけるかなあ LLHFL・HHHHHLH・HHHHL・LLHLHLF・LHHHLLF。第五句は「なりにけるかな LHHHLHL」ともできます(詳細後述)。「御手洗川」のアクセントは推測ですけれども、「紙屋川」は「かみやンがふぁ HHHHL」、「最上川」は「もンがみンがふぁ HHHHL」、接辞「御(み)」にはじまる言葉は高起式なので、これら二つと同趣と考えてよいと思います。古今集(恋一501)には「うけずもなりにけらしも」「うけずぞなりにけらしも」として収めますけれども、後者は文法的に問題があるかもしれません(「ぞ」の結びの連体形が「も」を従えることは一般的でないようです)。前者における「も」の重複は特に奇妙なものでありません。昔は神さまに何かをお願いする時にもみそぎということをしたようで、ここでは、「恋せじ」というお願いをするためにそうしたのを、神さまは受け入れてくれなかったようだよ、と言っています。「恋せじ」は「もう誰かを好きになんかならない」という悲しい決意ではなく、すでに関係の生じている天皇ご寵愛のお后への恋心がどうかなくなりますように、露見したら身の破滅ですから、というお願いです。
うう【飢】(ううう LF) ワ行下二段であり、例えば「飢ゑず」は「ううぇンじゅ LHL」のように言われました。こちらは低起、「植う」は高起(うう HL)。
かく【掛・懸】(かくう LF)
かぬ【兼】(かぬう LF) canoe[kənúː] に近いようです。
新しき年のはじめにかくしこそ(コンナフウニ)千歳をかねて(千年先マデモ祝シテ)楽しきを積め 古今・大歌所(おふぉうたンどころ LLLLHHH)の御歌1069。毘が「かねて」に〈平上上〉を差しています。あたらしきい としの ふぁンじめに かくしこしょ てぃとしぇうぉ かねて たのしきいうぉ とぅめ LLLLF・LLLHHHH・HLHHL・LLLHLHH・LLLFHHL。「楽しき」の「き」は「木」(きい L)を兼ねていて、「御薪」とも「御竈木」とも書く「みかまぎ」と呼ばれるたきぎを積もう、積み上げよう、と言っているのだそうです。
ただ同じ下二段の「かぬ」でも、「何々しかねる」など言う時の「かねる」に当たる「かぬ」は高起式(かぬ HL)だったと思います。『梅』が次の歌の「寝(い)ぞ寝(ね)かねつる」に〈(平上)上上平(平上)〉を差しています。
石上(いそのかみ)古(ふ)りにし恋の神(かみ)さびてたたるに我は寝(い)ぞ寝かねつる 古今・誹諧1022。いしょの かみ ふりにし こふぃの かみしゃンびて たたるに われふぁ いいンじょお ねえ かねとぅる HLLLH・LHHHLLL・LLHLH・LLHHLHH・LFFHLLH。恋が付喪神(つくもがみ)めいたものになって祟るので寝られないと言っています。
こむ【籠・込】(こむう LF)
花の色はかすみにこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山かぜ 古今・春下91。ふぁなの いろふぁ かしゅみに こめて みしぇンじゅともお かあうぉンだに ぬしゅめえ ふぁるうの やまかンじぇ LLLLLH・HHHHLHH・LHLLF・HHHLLLF・LFLLLLH。
こゆ【肥】(こゆう LF) 「越える」に当たる「越ゆ」は「こゆ HL」でした。
さく【裂】(しゃくう LF) 名詞「裂け」は「しゃけ LL」でしょう。「鮭」も「しゃけ LL」。平安びとは「サケ」と「シャケ」とを区別しなかったわけです。ちなみに伝統的な現代京ことばでは「鮭」は「さけぇ」のようです。「鮭」と「裂け」と。『宇治拾遺』の第十五話が思い出されます。
さぐ【下】(しゃンぐう LF)
さゆ【冴】(しゃゆう LF) 「凍(こほ)る」(こふぉる HHL)の同義語です。
天の原空さへ冴えやわたるらむ氷と見ゆる冬の夜の月 拾遺・冬242・恵慶。あまの ふぁら しょらしゃふぇ しゃいぇやあ わたるらム こふぉりと みゆる ふゆの よおのお とぅき LLLLH・LHHHLHF・HHLLH・HHHLLLH・HLLLLLL
空はなほかすみもやらず風さえて雪げにくもる春の夜の月 新古今・春上23・良経。しょらふぁ なふぉお かしゅみもお やらンじゅ かンじぇ しゃいぇて ゆきンげに くもる ふぁるうの よおのお とぅき LHHLF・HHLFHHL・HHLHH・LLLHLLH・LFLLLLL。「雪げ」は「雪気」で、雪の降りそうな様子。「雪」は古典的には「ゆうき RL」、後に「ゆき HH」でした。「気(け)」は「けえ L」(呉音)。「雪気」のアクセントは推定です。
さむ【覚・冷】(しゃむう LF)
子におくれてはべりける頃、夢に見てよみはべりける
うたたねのこの世の夢のはかなきに覚めぬやがての命ともがな 後拾遺・哀傷564・実方(しゃねかた LLHL。「実(さね)」は「しゃね LL」、人名「元方」は「もとかた LLHL」(「元(もと)」は「もと LL」)などから、こう推定されます)。こおにい おくれて ふぁンべりける ころ、ゆめに みいて よみい ふぁンべりける HH・HHLH・RLHHLHL・LLHRH・LFRLHHL / うたたねの こおのお よおのお ゆめの ふぁかなきいに しゃめぬ やンがての(あるいは、やンがての)いのてぃともンがなあ HHHHH・HHHHLLL・LLLFH・LLHHHHH(あるいは、HHLL)・LLHLHLF。「この」は「此の」と「子の」とを兼ねます(アクセントも同じ)。「やがて」(ソノママ)の末拍のアクセントは不明。亡児の夢を見てはかなく(=あっけなく)覚め、この世のはかなさを思うにつけ、覚めずにそのまま生きられたらよいと思う、といったことでしょう。新大系の『平安私家集』に収める『実方集』には「さめぬやがてのうつつともがな」とあります。「うつつ」のアクセントは、「いのち」と同じくLLHです(「うとぅとぅ LLH」)。
ここで「寝さむ」のことを。現代語で「寝ざめる」というから古くは一語の「ねンじゃむ HHL」という動詞があったろうと予想してもおかしくはないわけですけれども、実際にはあったのは二語の「寝さむ」(ねえ しゃむう FLF)だったと思います。と申すのは寂1002が「ねさめて」に〈上平○○〉を差しているからです。第二拍が清んでいるうえに
〈上上平○〉のような注記ではないのです。「寝て覚める」といった意味で「ねえ しゃむう FLF」と言えたことは無論ですけれども、寂1002(長歌)の「寝さめて」は「小夜ふけて山ほととぎす鳴くごとに誰(たれ)も寝さめて」(しゃよ ふけて やまふぉととンぎしゅ
なくンごとおに たれも ねえしゃめて HHLHH・ LLLLLHL・HHLFH・HHLHLHH)という文脈にあらわれるもので、これは申すまでもなく夜が更けて不如帰が鳴くたびに寝て覚めたと言っているのではありません。こういう「寝さむ」は逐語的には「寝ることが覚める」「眠りが覚める」といった意味であり、それは「ねえ しゃむう HLF」と発音せらるべきものだと思われます(「寝」はさしあたり引いておきます)。ちなみに一語の名詞「寝覚」は連濁した「ねンじゃめ HHH」でよいかもしれません。「蚕(こ)」(こお H)と「飼ふ」(かふう LF)とからなる「蚕飼(こがひ)」(こンがふぃ HHH)という名詞があります。
次の歌にもこの「寝さむ」があらわれます。
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねさめぬ須磨の関守 金葉・冬288 あふぁンでぃしま かよふ てぃンどりの なく こうぇえに いくよ ねえ しゃめぬう しゅまの しぇきもり LHHHH・HHHLHLL・HHLFH・LHLHLHF・HLLLLLH。「淡路島」は伏片や寂そのほかの古今集声点本が高起式としますけれども、書紀の乾元本が「淡路」に〈平上平〉(あふぁンでぃ LHL」を差しています。形容詞「淡し」は低起式です(「あふぁしい LLF」)。式のちがいからただちに誤点とすることはできませんが、低起形容詞の二拍の語幹と一拍名詞とからなる言い方には、「くろき【黒木】」(くろき
LLL)、多数派は「わかぎ【若木】」(わかンぎ LLL)のような言い方だとはいえ、「くさぎ【臭木】」(くしゃンぎ LHH。「木」は「きい L」)、「たかな【高菜】」(たかな LHH。「菜」のアクセントは諸説あり)、「たかね【高嶺】」(たかね LHL。「嶺は「ねえ H」)、「ながえ【長江】」(なンがいぇえ LHF。「江」は「いぇえ F」)、「ながて【長手】」(なンがて LHH。「手」は「てえ L」)、「にがな【苦菜】」(にンがな LHH)、「ふるえ【古枝】」(ふるいぇえ LHF。「江」は「いぇえ F)のようなものもあることを踏まえ、「あふぁンでぃ LHL」をヨリ古い言い方と見ておきます。その場合でも「淡路島」は、「あやめぐさ」(あやめンぐしゃ LHHHL」(単独では「あやめ LHH」「くしゃ LL」)などと同じく「あふぁンでぃしま LHHHL」と言われたとも、「たつたがは」(たとぅたンがふぁ LHHHH」(単独では「たとぅた LHL」「かふぁ HL」)と同じく「あふぁンでぃしま LHHHH」と言われたとも考えられます。
「幾夜(いくよ)」のはじめの二拍は、「いくそばく」〈平上上平平〉(いくしょンばく LHHLL。梅・毘・訓464)、「いくばく」〈平上平平〉(いくンばく LHLL。梅1013)、「幾世」〈平上上(いくよ LHH。梅934)から明らかですが、これに「夜(よ)」(よお L)はどう付いたでしょう。「臭木」(くしゃンぎ LHH)のように付いたかも知れず、「藁火(わらび)」(わらンび LHL。「藁」は「わら LH」、「火」は「ふぃい L」)のように付いたかも知れません。
さて、あるいは少数派に属する解なのかもしれませんけれど、この歌において「須磨の関守」は呼びかけととるのが自然です。須磨の関守よ、淡路島通いの千鳥の鳴く(泣く)声に幾夜も幾夜も寝覚めたか。例えば、
夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水幾むすびしつ 金葉・夏154。「水に対して月を待つ」(みンどぅに たいしいて とぅきうぉ まとぅう)という題で詠まれたもの。なとぅの よおのお とぅき まとぅ ふぉンどの てしゅしゃンびに いふぁ もる しみンどぅ いくむしゅンび しいとぅう HLLLL・LLLHHLL・LLHLH・HLLHLHH・LHHHHFF。
は、私は幾たびも幾たびもも掬(すく)ったといっていて、これは数を特定したいと思って発した疑問文ではありませんし、
いくとせの春に心を尽くしきぬあはれと思へ(私ヲイトオシンデクレ)みよしのの花 新古今・春下100・俊成。いくとしぇの ふぁるうに こころうぉ とぅくし きいぬう あふぁれえと おもふぇえ みよしのの ふぁな LHLLL・LFHLLHH・HHLRF・LLFLLLF・HHHHHLL。「心を尽くす」は古今異義で「物思いの限りを尽くす」というのです。「心づくしの愛妻弁当」なども古今で大いに意味が異なります。
も、私は来る年も来る年も一つことを繰り返してきたというのですが、次の歌ではそうではなくて、「淡路島かよふ千鳥」の歌はこれなどと同趣の言い方をしていると見られます。
年へたる宇治の橋守こととはむ幾世になりぬ水の水上(みなかみ) 新古今・賀743。とし ふぇえたるうンでぃいの ふぁしもり こと とふぁムう いくよに なりぬう みンどぅの みなかみ LLRLH・LFLHHHL・LLHHF・LHHHLHF・HHHHHHH。「橋守」(ふぁしもり HHHL。「橋」は「ふぁし HL」)は「門守」(かンどもり HHHL。「門(かど)」は「かンど HL」)、「防人=崎守」(しゃきもり HHHL。「崎」は「しゃき HH」)そのほかに倣った推定です。
なお、「淡路島かよふ千鳥」の歌に関して、疑問詞を伴う言い方であるにもかかわらず「ねさめぬ」の「ぬ」(完了の「ぬ」)が終止形であるのをとがめる向きもありますけれど、「幾(いく)なになに」という言い方ではむしろこうあるべきことは今引いた三つの歌を見ても明らかです。ついでながら、「らむ」のような言葉が省かれていると見るのは恣意的に過ぎます。
長くなりついでに、この最後の歌の本歌も引いておきましょう。
ちはやふる宇治の橋守汝(なれ)をしぞあはれとは思ふ(知リ合ッテカラ)年のへぬれば 古今・雑上904。てぃふぁや ふる うンでぃいの ふぁしもり なれうぉしンじょお あふぁれえとふぁ おもふ としの ふぇえぬれンば HHHLH・LFLHHHL・LHHLF・LLFLHLLH・LLLRHLL
しむ【占】(しむう LF) 現代語「占める」は占有することを意味しますけれども、もともとは、占有しているという標(しるし)を付けることで、そこから「占有する」という意味でも使うようになったのだそうです。占有しているという標(しるし)を「しめ」(しめ LL)と言います。「標縄(しめなは)」――おそらく「しめなは LLLL」――の「しめ」はこれですが、「しめ」は「標縄」に限られません。
しむ【締】(しむう LF)
すゆ【饐】(しゅゆう LF) 今でも飲食物が腐って酸っぱくなるという意味て「すえる」と言います(「すえた匂い」)。すなわち「すゆ」の「す」は「酢」で、「酢」は確かに昔の都では「しゅう L」と言われました。「酸っぱい」を意味する「酸(す)し」(しゅしい LF)という形容詞があり――今でも「酸いも甘いも噛みわけた」など言います――、この形容詞がそのまま名詞になったのが「鮨(すし)」です。この名詞は平安時代には「しゅし LL」と発音されたようです。
せむ【攻・責】(しぇむう LF) 名詞「せめ」(しぇめ LL)は「攻」ではなく「責」を当てた方がよいようで、「非難すること」「催促すること」などを意味したようです。
たく【闌・長】(たくう LF) 現代語では「この人は何々に長けている」といった言い方は時に聞く一方「日が闌ける」「年が闌ける」などはあまり聞きませんけれども、元来「高くなる」(たかく なる LHLLH)ことですから、「日、闌く」(ふぃい たくう F・LF)「年、闌く」(とし たくう LL・LF)のような言い方がもともとのものであり、「高し」(たかしい LLF)と式を同じくするのは当然ということになります。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山 新古今・羇旅987・西行(『西行法師歌集』にも)。とし たけて また こゆンべしいとおもふぃきやあ いのてぃなりけり しゃやの(ないし、しゃやの)なかやま LLLHH・HLHHHFL・LLHHF・LLHLHHL・LHL(ないしHHH)LLLL。
たつ【立・建】(たとぅう LF) 「横」(よこ HH)と対になる「縦」(たてえ LF)も、「矛・鉾」(ふぉこ LL)と対になる「盾」(たてえ LF)も、この低起動詞に由来するようです。
たぶ(たンぶう LF) 「たまふ」(たまふう LLF)のつづまったもの。語形から申せば現代語「食べる」の前身ですけれども――アクセントもこの現代語が参考になります――、「たぶ」は、現代語の「いただく」と同じく、「食ふ」(くふう LF)や「飲む」(のむう LF)のかしこまりへりくだった言い方ですから、「食べる」と同一視はできません。
たむ【矯】(たむう LF)
たふ【堪・耐】(たふう LF)
思ひわびさても(ソレデモ)命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり 千載・恋三818。おもふぃい わンび しゃても いのてぃふぁ ある ものうぉ うきいに たふぇぬふぁ なみンだなりけり LLFHL・LHLLLHH・LHLLH・LFHLLHH・LLHLHHL
たゆ【絶】(たゆう LF) 現代語「絶える」には「何々が絶える」という自動詞の用法しかありません。平安時代の京ことばの「絶ゆ」も一般に同断とされるようですけれども、こちらには「絶やす」「絶えるにまかせる」といった意味が、ということは他動詞としての用法があるようです。ちなみに平安時代には「絶やす」という動詞はなかったと見られます。
文屋康秀が三河の掾(じよう)になりて「あがた見には(田舎ヲ見ニハ)え出でたたじや」と言ひやれりける返りことに詠める
わびぬれば身をうきくさの根を絶えてさそふ水あらば往なむとぞおもふ 古今・雑下938・小野小町(うぉのの こまてぃ HHHHHL、ないし、うぉのの こまてぃ HHHHHH)。
ふムやの やしゅふぃンでンが みかふぁの じやうに なりて「あンがた みいにふぁ いぇええ いンでえ たたンじやあ」と いふぃ やれりける かふぇりことに よめる HHHHLLHHH・HHHH・LHHHLHH・「LLLRHH・ℓfLFLLHF」L・HLHLHHL・LLLLLH・LHL / わンびぬれンば みいうぉお うきくしゃの ねえうぉお たいぇえて しゃしょふ みンどぅ あらンば いなムうとンじょお おもふ HLLHL・HHHHHLL・LHLHH・HHHHHLHL・HHFLFLLH。私は浮草。ここ都で途方に暮れていますから、もしどこかに誘う水があったならば、根を絶やして行ってしまおうと思います。しかしあなたは「誘う水」ではありません。事実上誘っているのに「あらば」と言うのですから、本気かどうかは別として「おことわりします」と言っていると見るべきでしょう。「うきくしゃ HHHL」としたのは、「いはくさ【岩草】」(いふぁくしゃ)、「うしくさ【牛草】」(うしくしゃ)、「ふゆくさ【冬草】」(ふゆくしゃ)がそのアクセントであることからの推定です(「草」は「くしゃ LL」。「岩」は「いふぁ HL」、「牛」は「うし HH」「冬」は「ふゆ HL」)。
友達の久しくまうで来ざりけるもとに詠みてつかはしける
水の面(おも)に生(お)ふる五月の浮草の憂きことあれや根をたえて来ぬ 古今・雑下976。
ともンだてぃの ふぃしゃしく まうンで こおンじゃりける もとおに よみて とぅかふぁしける HHHHH・LLHL・LHLRLHHL・LFH・LHHHHHLHL / みンどぅの おもに おふる しゃとぅきの うきくしゃの うきい こと あれやあ ねえうぉお たいぇて こおぬう HHHLLH・LLHHHHH・HHHLL・LFLLLHF・LHLHHLH。上の句は「憂き」と言おうとして置いたもの。何かがいやになってしまったかして全然来てくれないのですか。「絶えて」は「(根を)絶やして」という意味の「絶えて」と「全然」というほどの意味のイディオム「絶えて」とを兼ねています。
人の国にも、事うつり世の中さだまらぬ折はふかき山に跡を絶えたる人だにも、をさまれる世には白髪(しろかみ)をも恥ぢず出でつかふるたぐひをこそ、まことの聖(ひじり)(聖賢)にはしけれ。源氏・澪標。ふぃとの くににも、こと うとぅりい よおのお なか しゃンだまらぬ うぉりにふぁ ふかきい やまに あとうぉ たいぇたる ふぃとンだにもお、うぉしゃまれる よおにふぁ しろかみ(後半二拍推定) うぉも ふぁンでぃンじゅ いンでえ とぅかふる たンぐふぃこしょ、まことの ふぃンじりにふぁ しいけれ。HLLHHHL、LLLLF・HHLH・ LLLLH・LHH・LLFLLH・LHHLHLH・HLHLF・LLHLHHHH・LLLLHLLHL・LF・HHHHLLLHL・HHHH・LHLHH・FHL。も
こういうことであってみれば、次の歌における「絶え」もまた他動詞でしょう。
由良の門(と)を渡る船びと楫緒(かぢを)絶えゆくへも知らぬ恋の道かも 新古今・恋一1071。ゆらの とおうぉお わたる ふなンびと かンでぃうぉ たいぇえ ゆくふぇもお しらぬ こふぃの みてぃかもお HHHHH・HHHLLLH・HHHLF・HHLFHHH・LLLHHLF。「由良」は現代京都でHHなのを、旧都以来のものと見ておきます。小倉百人一首では第五句「恋の道かな」(こふぃの みてぃかなあ LLLHHLF)。「ふなびと(舟人)」を「ふなンびと」としたのは、「あきびと【商人】」「あまびと【海人】」「かちびと【徒人】」「よみびと【詠み人】」がLLLHだと見られること(あきンびと、あまンびと、かてぃンびと〔図名がこの変化した「かちむど」に〈平平平上〉を差しています〕、よみンびと)などからの推定です(「海人(あま)」は「あま LL」、「徒(かち)」は「かてぃ LH」)。
その上で、この歌の「かぢを」は「楫を」ではなく「楫緒」でしょう。この「楫」は、私は長いあいだ誤解していましたけれども、船の方向を変えるためのものではなく(それは「舵(かじ)」。この成立は室町時代か)、船を進ませるのに必要な櫂(かい。オール)や櫓のことを言います。さて舟とオールとが綱でつながっていなくても舟は行方も知らぬ状態にはならないでしょうけれど、舟と櫓とをつなぐ綱、広く申せば「楫緒」ですが特定すれば「早緒(はやを)」と呼ばれるものは、そのおかげで少ない力でも舟を進ませられるところのものであり、それがないと櫓というものがすこぶる操作しにくくなる、そのようなもののようです(この「早」は「手っ取り早い」「能率的な」といった意味なのでしょう)。昔の舟にもこの「早緒」のあったことが次の引用から知られます。
おもへば、舟に乗りてありく(動キ回ル)人ばかりあさましうゆゆしき(恐ルベキ)者こそなけれ。よろしき(マアマアノ)深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて漕ぎ出づべきものにもあらぬや。まして底ひも知らず、千尋(ちひろ)などもあらむに物をいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下衆(げす)(庶民)どものいささかおそろしとも思ひたらで(思ワナイ様子デ)走りありき、つゆあしうもせば(下手ヲシタラ)沈みやせむと思ふに、おほきなる松の木などの二三尺ばかりにてまろなる、五つ六つほうほうと投げ入れなどするこそいみじけれ。
やかたといふものの方(かた)にて(船屋形(ふなやかた)ノアル後方デ櫓ヲ)押す。されど(何ダカンダ言ッテモ)奥なるはいささか頼もし(安心シテ見テイラレル)。端(はた)に立てる者こそ(見テイルコッチガ)目くるる心地すれ。「早緒」と付けて櫓とかにすげたるものの弱げさよ。かれ(アレ)が絶えなば何にかはならむ。ふと落ち入りなむを、それだに太くなどもあらず。枕・うちとくまじきもの(290。うてぃい とくまンじきい もの LFLLLLFLL)
おもふぇンば、ふねに のりて ありく ふぃとンばかり あさましう ゆゆしきい ものこしょ なけれ。よろしきい ふかしゃ なンどにてンだに しゃる ふぁかなきい ものに のりて こンぎい いンどぅンべきい ものにも あらぬやあ LLHL、LHHHLH・LHH・HLLHL・HHHHL・LLLFLLHL・LHL。HHHF・LHHRLHHHL、LH・LLLFLLH・HLH・LFLLLFLLHL・LLHF。まして しょこふぃも しらンじゅ、てぃふぃろ なンどもお あらムに ものうぉ いと おふぉく とぅみ いれたれンば、みンどぅンぎふぁふぁ たンだあ いっしゃくンばかりンだに なきいに HLH・HHHLHHL、HHHRLF・LLHH・LLHHLLHL・HLHLLHL、HHHHH・LF・LLLLLHLHL・LFH、げしゅンどもの いしゃしゃか おしょろしいともお おもふぃたらンで ふぁしりい ありき、とぅゆう あしうもお しぇンば、しンどぅみやあ しぇえムうと おもふに、おふぉきいなる まとぅの きい なンどの にいしゃむじゃくンばかりにて まろなる、いとぅとぅ むとぅ ぽんぽんと(多くの言語がp音を持つようなので、平安時代の京ことばも持ったのではないかと考えます。アクセントは適当です)なンげえ いれ なンど しゅるこしょ、いみンじけれ。LHHLL・LLHL・LLLFLF・LLHLHL・LLFLHL、LF・LHLFHL・HHLFHHL・LLHH、LLFHL・LHLLRLL・LLLLLLHLHH・HHLH、LLL・HL・HLHLL・LFHLRLHHHL・LLLHL。
やかたと いふ ものの かたにて おしゅ。しゃれンど おくなるふぁ いしゃしゃか たのもしい。ふぁたに たてる ものこしょ めえ くるる ここてぃ しゅれ。「ふぁやうぉ」と とぅけて ろおとかあに しゅンげたる ものの よわンげしゃよ。かれンが たいぇなンば、なににかふぁ ならム。ふと(推定) おてぃい いりなムうぉ、しょれンだに ふとく なンどもお あらンじゅ LLHL・HHLLLHLHH・HL。LHL・LHLHH・LLHLLLLF。HHHLHLLLHL・LHHHLLLHL。「LLL」LLHH、HLFH・HLLHLLL・LLLHL。HLHLHHL・LHHHH・LLH。LL・LFHLHHH、HHHL・LHLRLFLHL。「はやを」を「ふぁやうぉ
LLL」としたのは、同趣のパタンの複合名詞では低平連続調が多数派を占めるようだからです。例えば「早し」「黒し」「長し」「若し」はLLF(ふぁやしい、くろしい、なンがしい、わかしい)、「緒」「戸」「柄」「血」はH(うぉお、とお、いぇえ、てぃい)、「くろど(黒戸)」「ながえ(轅=長柄)」「ながち(長血)」「わかご・わくご(若子)」はいずれもLLL(くろンど 、なンがいぇ 、なンがてぃ 、わかンご・わくンご )と発音されます。なお「『早緒』と付けて」は「『早緒』と付けたる(呼バレテイル)」ということだと思います。「委託法」に関する小論をご覧ください。
たる【垂】(たるう LF) 「よだれを垂れる」という言い方は現代語としておかしい、「よだれが垂れる」か「よだれを垂らす」だ、とお思いの向きもあるでしょうけれども、現代語として「よだれを垂れる」は、「よだれを垂らす」と同じ意味の、言う言い方です。ただ一般的ではないかもしれません。さて平安時代の京ことばでは下二段の「垂る」は他動詞でもあって、「よだれを垂れる」を直訳したのに近い「よたりを垂る」(よたりを たるう HHHH・LF)は言う言い方でした。当時は「垂らす」という言い方はなく、この下二段の「垂る」を使いました。注意すべきことに、下二段の「垂る」には、現代語「垂れる」とは異なり自動詞の用法はありませんでした。「何々が垂れる」という時の「垂れる」に当たるのは四段の「垂る」で、例えば水が垂直に落ちる「滝」を意味する「たるみ【垂水】」の「たる」はこれです。たる みンどぅなれンば、たるみなり(LHHHLHL、LLLHL)。「たるみ」が低平連続なのは熟しているからです。伊豆(いンどぅ HH)の名所「河津七滝」(かわづななだる)において「滝」が「たる」と読まれる理由はすでに明らかです。
いま一例。「よだれが垂れない」に当たるのは「よたり、垂らず」(よたり、たらンじゅ HHH、LHL)です。「よたり」の「たり」は、もとはと申せば四段の「垂る」の連用形で、すると「よたり、たる」(よたり、たるう HHH、LF)は元来は畳語なのでしょう。さて現代語に「よよと泣く」という言い方がありますけれど、この言い方は平安時代にもありました。「さくりもよよと泣く」とも言いました(「さくり」はさしあたり「しゃくり
LLL」ですけれども、擬音でしょうから、促音無表記と見て現代語と同じく「しゃっくり」と発音すべきかもしれません。「さくりもよよと」における「さくり」の性格はよく分かりません)。さて古語辞典は、この「よよと」がよだれや水のしたたるさま、酒などをしたたらせながら飲むさまなども言うことを教えます。すると「よだり」の「よ」はこの擬音「よよと」に由来するのではないでしょうか。例えばよだれのことを「だらだら」と呼ぶ地域があってもおかしくないわけです(英語でも何と〔saliva、slaverのほかに〕droolと言うそうです)。よよと垂れるので、よだり。こう決めてしまうと、「よよと」のアクセントは文献に注記がありませんけれども、「よたり」が「よたり HHH」なのだから「よよと HLL」だろうと考えてよいだろうと思えてきます。高起一拍語の反復は、「瀬々」(しぇンじぇ HL)や「世々」(よよ HL)から一般にHLではないかと見られるからです。次の引用は『蜻蛉の日記』の天禄元年のある日の記事。夫婦生活の思わしくない道綱の母が十六歳の息子に話しかけます。
「いかがはせむ(モウドウシヨウモナイワ)。形をかへて(出家シテ)世をおもひ離るやとこころみむ」と(息子ニ)かたらへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは世にもまじらはむ」とていみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさに(オオゴトニナッタノデ)、たはぶれに言ひなさむとて「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる」と言ひたれば、やをら(オモムロニ)立ちはしりて、しすゑたる鷹を握りはなちつ。
「いかンがふぁ しぇえムう。かたてぃうぉ かふぇて よおうぉお おもふぃい ふぁなるやあと こころみムう」と かたらふぇンば、まンだあ ふかくもお あらぬなれンど、いみンじう しゃくりもお よよと なきて、「しゃあ なりい たまふぁンば、まろも ふぉふしいに なりてこしょ あらめえ。なに しぇえムにかふぁ よおにも まンじらふぁム」とて いみンじく よよと なけンば、われも いぇええ しぇきい あふぇねンど、いみンじしゃに、たふぁンぶれに いふぃ なしゃムうとて、「しゃあてえ たか かふぁンでふぁ いかンがあ しい たまふぁムうじゅる」と いふぃたれンば、やうぉら たてぃい ふぁしりて、しいしゅうぇたる たかうぉ にンぎり ふぁなてぃとぅう 「HRHHHH。HHHHHLH・HH・LLFLLHFL・LLLLF」L・HHHLL、LFLHLFLLHLHL・LLHL・LLLFHLLHLH、「LLFLLHL、LHLLLHH・LHHHLLLF。LHHHHHH・HHLLLLLH」LH・LLHLHLLHLL・LHLℓfLFLLHL・LLHHH・HHHHHHLLLFLH、「LHHHLHLH・HLFFLLLFHH」LHLLHL、HHHLFLLHH・FHLLHHHH・HHLLLHF。「したまはむずる」は「したまはむとする〔しい たまふぁムうと しゅる FLLLFLHH〕のつづまったものです)
つく【付】(とぅくう LF) 『源氏』には、桐壺の巻(きりとぅンぼの まき HHHLLHL)の「それにつけても世のそしりのみおほかれど」(しょれに とぅけても よおのお しょしりのみい おふぉかれンど HHHLHHL・HHHHHLF・LHLHL)以下、六(む)ところに、「それにつけても」という言い方があらわれます。何となく現代語っぽいような気がしますけれども、事実は古くからあるのでした。
つむ【詰】(とぅむう LF)
とく【解・溶】(とくう LF)
思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結ふ手もたゆく解くる下紐 古今・恋一507。おもふともお こふともお あふぁム ものなれやあ ゆふ てえもお たゆく とくる したふぃも LLHLF・LHLFLLH・LLHLF・HHLFLHL・LLHHHLL。「下紐」――古くは「したびも」だったとも言いますけれど、毘・高貞・寂では第三拍は清みます。「下(した)」は「した HL」、「紐(ひも)」は「ふぃも HH」――は要するに下着の紐で、これが自然に解けると逢える、という俗信があったそうです。「思ふとも…」は、そういう俗信があり、我が下紐が自然に何度も何度も解けて結ぶのに手の疲れるくらいであり、かつあの人を思い恋しがっているのにもかかわらず、まったく逢えない、と嘆く歌です。
とぐ【遂】(とンぐう LF)
なぐ【投】(なンぐう LF)
なづ【撫】(なンどぅう LF)
あな恋し今も見てしかやまがつのかきほに咲けるやまとなでしこ 古今・恋四695。あな こふぃし いまも みいてしかあ やまンがとぅの かきふぉに しゃける やまとなンでしこ LLLLH・LHLRHLF・LLLLL・HHHHHLH・LLHHHLL。「今も」は「今この時も」ということではなく「すぐにでも」ということでしょう。現代語の感覚から推すと「…にても」と言いそうなところをたんに「…も」ということは、平安時代のものにはいくらも見られます。詠み手の眼前にはやまとなでしこがあって、それによって「撫でし子」(なンでし こお LLHH。恋の歌なれば含意は明らか)に逢いたいという気持ちが呼びさまされた趣です。「やまがつ」のアクセントはLLLL、LLLF、LLLH、LLHL、LLHHのどれかだろうということしか分かりません。かりにLLLLとしておきます。
「大和(やまと)」は「やまと LLH」、花の「撫子(なでしこ)」は「なンでしこ LHLL」で、ここから、「やまとなでしこ」は「やまとなンでしこ LLHHHLL」と言えばよいのではないかという推測が成り立ちます。LLHというアクセントの三拍名詞を前部成素とする複合名詞は、例外も少なくないのですが、
やまと歌 やまとうた LLHLL(「うた HL」〔御子左家の読みでした〕)
あぶら綿 あンぶらわた LLHHL(「あンぶら LLH」、「わた LL」)
なみだ川 なみンだンがふぁ LLHHL(「なみンだ LLH」、「かふぁ HL」)
飛鳥川 あしゅかンがふぁ LLHHHH(「あしゅか LLH」)
吉野川 よしのンがふぁ LLHHH(「よしの LLH」)
のようにLLHというアクセントを保つことが多く、また、複合名詞の後部成素が四拍の場合、その式によらず、
湯かたびら ゆかたンびら LLHLL(「ゆ L」、「かたンびら LLLL」
片孤(かたみなしご)(父母のいずれかをなくした子) かたみなしンご LLLHLL(「片恋(かたこひ)」〔かたこふぃ LLLL。片思いのこと〕、「片端(かたはし)」〔かたふぁし LLLL〕などに見られるとおり、複合名詞の先頭の「片」は「かた LL」、「みなしご」は「みなしンご HHHL」)
妹姑(いもしうとめ)(妻の姉妹) いもしうとめ LLLHLL(「いも LH」、「しうとめ HHHH」)
女友達(をむなともだち) うぉムなともンだてぃ HHHHHLL(「うぉムな HHL」、「ともンだてぃ HHHH」)
女はらから(をむなはらから) うぉムなふぁらから HHHHHLL(「ふぁらから LLLL」)
のように最後の二拍だけを低く言うことが多いからです。
いま少し。古くは山椒(さんしょう)――「さんしょ」はそのつづまった言い方――を「はじかみ」(ふぁンじかみ HHHH)と言いました。「山椒魚」が「はじかみいを」(ふぁンじかみいうぉ HHHHHL」であることも文献から知られますけれど、中国から生姜(しょうが)が伝来すると、この生姜を「呉(くれ)のはじかみ」(くれのふぁンじかみ HHHHHHH)とか、「あなはじかみ」(あなふぁンじかみ LLLHLL)など言い、山椒を特に「草はじかみ」(くしゃふぁンじかみLLLHLL)、「房はじかみ」(ふしゃふぁンじかみ LLLHLL)など言うようになったそうです。「あなはじかみ」の「あな」は「穴」(あな LL)しか考えられず、「草」は「くしゃ LL」、「房」は「ふしゃ LL」です。
なむ【舐・嘗】(なむう LF)
なる【慣・馴】(なるう LF)
なゆ【萎】(なゆう LF) 対応する他動詞に「なやす」(なやしゅう LLF)があって、『蜻蛉の日記』(かンげろふのにっき LLHLLLLL)の安和元年(968)の記事に、同じ着物を何日も着てクタクタになったさまを言うらしい「着なやす」(きいなやしゅうFLLF)という言い方が見えています。旅先で、自分の着物を、牛車のすだれも下すだれもすべて開け放ち外光のもとで見るという、当時の貴族の女性としては珍しかっただろうことをしてみると、「着なやしたるものの色もあらぬやうに(別ノモノノヨウニ)見ゆ」(きい なやしたる ものの いろもお あらぬやうに みゆう FLLHLH・LLLLLF・LLHLLHLF)というのです。なお、金属を鍛錬してなえさせること、「粘りやしなやかさを出す」(岩波古語)ことなども言うそうです。
にぐ【逃】(にンぐう LF) 「逃がす」は「にンがしゅう LLF)です。
のぶ【伸・延・述】(のンぶう LF) 上二段の「のぶ」(今の「のびる」)に対する他動詞としては今は「のばす」が好まれますが、平安時代には下二段の「のぶ」が使われました。今は「のべる」は、「金の延べ棒」「日延べ」「救いの手を差し伸べる」など、特定の言い方で使われることが多いでしょう。「述べる」は「延べる」や「伸べる」と同根ですが、「のばす」という意味合いは薄く、すでに別語というべきかもしれません。
はぐ【剥・禿】(ふぁンぐう LF) 「剥ぐ」の例としては、『落窪物語』の巻一に、あるうるし塗りの箱(うるしぬりの ふぁこ HHHHHHHH)についてそのうるしが「ところどころ剥げたる」(ところンどころ ふぁンげたる HHHHHLLHLH)という言い方をしている一節があります。「ところどころ」は、しばしば誤訳されてしまうのですが、現代語の「ところどころ」ではなく「あちこち」に当たる言い方です。アクセントは、高起六拍名詞のたいへん好んでとる言い方がここでもとられる、と見ての推定です。『京ア』によれば今でも京都からみた周辺部の複数地域ではこのアクセントだそうです。
次に、「禿ぐ」の早い例としては、鎌倉時代初期の成立と言われる『宇治拾遺物語』に四つほど出て来るのを挙げることができます。その一つ目は「頂(いただき)禿げたる大童子(だいどうじ)」(第15話。いたンだき ふぁンげたる だいンどうンじ HHHHLHLH・LLLHL。「大童子」は呉音と見て、中古音から推定しておきます)というもので、頭頂部が禿げているという今と同じ言い方をしていますけれども、残りの三つは少し異なります。すなわち、一つは「髪もはげて」(かみもお ふぁンげて LLFLHH。第136話)という言い方、いま一つは「鬢(びん)はげたる男(をのこ)」(第77話。びん ふぁンげたる うぉのこ LHLHLHHHL。「鬢」のアクセントは推定。近世においてこれであり、二拍四類のアクセントは平安時代から基本的には変わりません)という言い方、三つ目は「ゆゆしく大(おほ)きなるむささびの年ふり毛なども禿げ、しぶとげなる」(第159話。ゆゆしく おふぉきいなる むしゃしゃンびの とし ふりい けええ なんどもお ふぁンげえ、しンぶとンげなる LLHLLLFHL・HHLLL・LLLF・ℓfLHLF・LF、LLLLHL。「しンぶとンげ」はHHHLかもしれません)という言い方です。つまり、髪の毛やひげや体毛が禿げるのです。それらが薄くなって地肌が見えるのです。現代語ではあたまが禿げるのであって、「私、御覧のとおり髪がだいぶんはげました」とはまず言わないでしょう。しかし現代語でも「(表面の)ペンキが剥げる」という言い方をするのでしたから、「髪が禿げる」は言える言い方ではあるのでしょう。。
最後に、平安時代のものには髪のはげた人を「はげ」と言う例はないようです。現代東京ではこの意味での「はげ」は①で言われますが、『26』には「主ニ第一上(=①)」とあるので、明治時代には②の言い方、「はげが」「はげを」といった言い方もできたと想像されます。
ばく【化】(ばくう LF) 「ばけ」(ばけ LL)という名詞があって「術」という漢字を当てます。あなたは「必ず良き術(ばけ)あらむ」(かならンじゅ よきい ばけ あらムう HHHL・LFLL・LLF)、それを用いて私の命を「救ひたまへ」(しゅくふぃ たまふぇえ HHLLLF)という台詞が『書紀』にあるそうです(「かならず」は「仮ならず」〔かりならンじゅ HHLHL〕のつづまったものです)。識者の見るところ、この「術(じゅつ)」といった意味の「術(ばけ)」が転じて「化けること」を意味する「化(ば)け」という言い方が生まれ(「妖術」のような言葉を想起してよいのでしょう)、それを動詞にしたものが下二段の「化(ば)く」(ばくう LF)なのだそうです。つまり動詞から名詞が派生したのではなく、その逆ということのようです。四段の「化かす」(ばかしゅう LLF)は鎌倉初期より古いものには見えないようですけれど、古くからあったと見ていけないこともないのでしょう。
はす【馳】(ふぁしゅう LF)
はつ【果】(ふぁとぅう LF) 名詞「果て」は「ふぁて LL」です。
あづま路(ぢ)の道のはてよりもなほ奥つ方に生(お)ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあなるをいかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに、姉、ままははなどやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままにそらにいかでかおぼえ語らむ。更級日記・発端
あンどぅまンでぃいの みてぃの ふぁてよりもお なふぉお おくとぅかたに おふぃい いンでたる ふぃと、いかンばかりかふぁ あやしかりけムうぉ、いかに おもふぃい ふぁンじめける ことにかあ、よおのお なかに ものンがたりと いふ ものの あんなるうぉ いかンで みいンばやあと おもふぃとぅとぅ LLLFL・HHHLLHLF・LFLLLHLH・LFLHLHHL、HLLHLHH・LLHLHLHH、HLH・LLFHHLLHLLHF、HHLHH・LLLHLL・HHLLL・LHHLH・HRHRLFL・LLHHH、とぅれンどぅれなる ふぃるま、よふぃうぃ なンどに、あね、ままふぁふぁ なンど やうの ふぃとンびとの、しょおのお ものンがたり、かあのお ものンがたり、ふぃかる ぐうぇんじいのお あるやう なンど、ところンどころ かたるうぉ
きくに、いとンど ゆかししゃ ましゃれンど、わあンがあ おもふ ままに
しょらに いかンでかあ おンぼいぇえ かたらム HHLLHL・HHH・HHHRLH、HH、HHHHRLLLL・HHLLL、HHLLLHL、FLLLLHL、LLHLLLHH・LHLLRL、HHHHHL・HHHHHHH、HHH・HHHHHHLL、LHLLHHHH・LHH・HLHFLLFHHHH。「つれづれ」(とぅれンどぅれ HHLL)は、図名の「しなじな」(しなンじな HHLL)や「ますます」(ましゅましゅ HHLL)を参考にした推定です。「品(しな)」は「しな HH」。「増す」は「ます HL」。「つれづれ」が高起式であることは後述します。「ぐゑんじ【源氏】」(漢音)のアクセントも推定で、近世も現代京都も高平連続調ですけれども、「漢字音資料庫」によると中古音は、一漢字一記号としてLFないしLR。仮に「ぐうぇんじい LLLH」と見ておきます。「いとど」(マスマス)はもとはと申せば「いといと」(いと いと HLHL)のつづまったもので、『梅』や『伏片』のような古今集声点本が〈上上上〉を差します。
はゆ【生・映・栄】(ふぁゆう LF) 名詞「はえ」は「ふぁいぇ LL」です。「はやす」は「ふぁやしゅう LLF」。
はる【晴】(ふぁるう LF) 芽が膨らむことを「張る」と言ったので、「春」の語源は「張る」だとする向きもありますけれど、「春」は「ふぁるう LF」、「張る」は「ふぁる HL」です。「春」の語源を「晴(は)る」(ふぁるう LF) と結びつける方が、冬も晴れるとはいえ、まだ自然です。なお「腫(は)る」は「ふぁる HL」でした。なお当時は「晴らす」という動詞は使わなかったようです。「恨みを晴らす」など言うときの「晴らす」は「やる HL」で示せました。
ひゆ【冷】(ふぃゆう LF) 「冷やす」は「ふぃやしゅう LLF」です。
ふく【更】(ふくう LF) 「日が闌(た)ける」とは日が高くなることだったように、「夜が更(ふ)ける」(夜、更(ふ)く〔よお、ふくう LLF〕)とは夜が深くなることです。「深し」は「ふかしい LLF」と言われました。ちなみに「夜更け」という名詞は当時はなかったようです。
ふす【伏・臥】(ふしゅう LF)
ほく【惚・耄・呆】(ふぉくう LF) 今の「ぼける」です。
ほゆ【吠】(ふぉゆう LF) かなりなまった "for you"。『枕』の「すさましきもの」(しゅしゃましきい もの LLLLFLL。興ざめなもの)の段に、「昼ほゆる犬。春のあじろ」(ふぃる ふぉゆる いぬ。ふぁるうの あンじろ)などあります。
ほむ【誉】(ふぉむう LF) 語形上はむろん現代語の「誉める」に当たりますけれども、例えば「生徒が教師を誉める」には立場が逆転したかのようなニュアンスがあるのではないでしょうか。平安時代の京ことばにおける「誉(ほ)む」(ふぉむう LF)では事情はちがっていて、これは「そしる」(しょしる HHL)といった言葉の反対語であり――「誉めたりそしったりする」という意味で「誉めそしる」という言い方をするところが『枕』の「説教の講師は」の段(30)に見えています――、「誉める」のほか、「賞賛する」「(高く)評価する」「すごいと言う」といった意味で使える言葉だったようです。ちなみに「誉(ほまれ)」(ふぉまれ LLL)はこの動詞の受け身形「誉めらる」(ふぉめらるう LLLF)」の名詞化した「誉められ」(ふぉめられ LLLL)のつづまったもののようです。「言ふ」(いふ HL)と「謂(いは)れ」(いふぁれ HHH)との関係と同趣です。
まず【混・交】(まンじゅう LF) 東京アクセントの「饅頭」(③)に少しだけ似ています。
みす【見】(みしゅう LF)
君ならで誰(たれ)にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 古今・春上38。きみならンで たれにかあ みしぇム ムめの ふぁな いろうぉも かあうぉも しる ふぃとンじょお しる HHLHL・HHHFLLH・HHHLL・LLHLHHL・HHHLFHH。現代語で「知る人ぞ知る名店」など言うのはもとをたどればこの歌に由来するのでしょうけれども、「ぞ」とあって「知る」と結ぶので、この「知る」が連体修飾語として体言を修飾することは、きちんとした平安時代の京ことばの語法としてはあり得ません。
みゆ【見】(みゆう LF) 「見栄を張る」の「見栄」はこの動詞の連用形から派生した言い方ですけれども、平安時代にはまだ成立していないようです。
秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどかれぬる 古今・秋上169。あきい きいぬうと めえにふぁ しゃやかに みいぇねンどもお かンじぇの おとにンじょ おンどろかれぬる LFRFL・LHHLHLH・LLHLF・HHHHLHL・LLLLHHH
めづ【愛】(めンどぅう LF)
昔、男ありけり。いと若きにはあらぬこれかれ友達ども集まりて、月を見で[脱文アルカ]、それが中に一人、
おほかたは月をもめでじこれぞこの(コレガアノ)積もれば人の老いとなるもの (伊勢物語88。むかし、うぉとこ ありけり。いと わかきいにふぁ あらぬ これ かれ ともンだてぃンども あとぅまりて、とぅきうぉ みいンで(…)、しょれンが なかに ふぃとり HHH・LLLLHHL。HLLLFHHLLH・HHHL・HHHHHL・LLHLH・LLHRL(…)、HHHLHH・LHL、/ おふぉかたふぁ とぅきうぉも めンでンじい これじょ こおのお とぅもれンば ふぃとの おいと なる もの LLHLH・LLHLLLF・HHLHH・HHLLHLL・LLLLHLL。「おほかた」のアクセントは推定。「大(おほ)~」の「おほ」は「おふぉ LL」であり、それに続く「~」はもともとのアクセントを保つことも多く、例えば総合索引によれば「大石」は「おふぉいし LLHL」のようです(「石(いし)」も「方(かた)」もHL)。大方は「月を見て」とするところを、ここでは「月を見で」だろうと考えてました。あまり若くはない男どもが集まって、まあお酒でも飲んでいて、みなさん月はめでない。それで業平が、大方の人は月なんでめでないでしょうねえ、これが積もり積もって人は老いる、そういうものですからね、と、めでない理由を正当化してみせつつ、無風流を皮肉っている趣と見るのです。
ゆづ【茹】(ゆンどぅう LF)
わく【分】(わくう LF) 「区別する」「わきまえる」「見分ける」といった意味の四段の「分く」も低起式で、この「わきまえる」の「わき」は元来その連用形に由来する名詞「わき」(わき LL)なのでしょう。似た語構成の動詞に「数まふ」(かンじゅまふ LLHL)があります。「数」は「かンじゅ LH」。
早(はや)うよりわらは友だちなりし人に年頃へてゆきあひたるが(偶然出会ッタガ、ソノ人ガ)、ほのかにて、七月十日のほどに月にきほひて(沈ム月ト競ウヨウニ)帰りにければ
めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間にくもがくれにし夜半の月かな 紫式部集
ふぁやうより わらふぁともンだてぃなりし ふぃとに としンごろ ふぇえて ゆき あふぃたるンが、ふぉのかにて ふンどぅき とうぉかの ふぉンどに とぅきに きふぉふぃて かふぇりにけれンば LHLHL・LLHHHLLHLH・HLH・LLLLRH・HLLHLHH、LHLHH、HHHHHHH・HLH・LLHLLHH・LLHHHLL/ めンぐり あふぃて みいしいやあ しょれともお わかぬ まあにい くもンがくれにし よふぁあの とぅきかなあ HHLLHH・LHFHHLF・LLHHH・LLLHLHH・LFLLLLF。新潮古典集成によります。新古今・雑上1499や小倉百人一首は「夜半の月影」(よふぁあの とぅきかンげえ LFLLLLF)。「わらはともだち(童友達)」を「わらふぁともだてぃ LLHHHLL」としたのは推定です。「わらは」は「わらふぁ LLH」で、後に申すとおり「わらはともだち」の前部成素「わらは」はこのアクセントを保つと考えられます。後部成素のアクセントについては「女友達」(うぉムなともンだてぃ HHHHHLL)が参考になります。「女」は「うぉムな HHL」、「友達」は「ともンだてぃ HHHH」。「年ごろ」も、「月ごろ」(とぅきンごろ LLLL。「年」も「月」もLL。「頃」は「ころ HL」。近世資料HHHL)などを参考にした推定。再会したと思ったらあわただしく帰ってしまったおさな友達に後日贈った歌なのでしょう。この歌で直接歌われているのは月ですけれども、平安時代の京ことばでは「それ」(しょれ HH)はごく普通に「その人」(しょおのお ふぃと HHHL)も意味し得たので、その分、見たのは確かに「それ」なのかが分からないうちに「それ」が見えなくなってしまった、という
意味を持たせやすいと申せます。ちなみに、現代語には「誰なのか分からない」といった言い方がありますけれども、古くは「誰なるか知らず」「誰か知らず」などは言いません。そういう意味のことは「誰とも知らず」(たれともお しらンじゅ HHLFHHL)とか、「その人とも知らず」(しょおのおふぃとともお しらンじゅ HHHLLFHHL)とか、「それとも知らず」(しょれともお しらンじゅ HHLFHHL)など言いました。
ⅶ 高起三拍の四段動詞 [目次に戻る]
三拍動詞の中には、例えば下二段の自動詞「明く」(あく HL)に対する四段の他動詞「明かす」(あかしゅ HHL)がそうであるように、他動詞化形式素 aʃ ――例えば下二段「明く」の語幹(不変化部分)は厳密にはak、四段「明かす」の語幹は厳密には akaʃ です――を含むものや、下二段の自動詞「上(あ)ぐ」(あンぐ HL)に対する四段の他動詞「上がる」(あンがる HHL)がそうであるように自動詞化形式素 ar を含むもの、さらには、「流る」(なンがるう LLF。流れる)と「流す」(なンがしゅう)とがそうであるように、同じ語幹が r に終わるものは自動詞、s に終わるものは他動詞というタイプのものなどもあって、特にはじめの他動詞化形式素 aʃ を含むものは数多(あまた LLH)あります。
現代東京では終止形がLHHというアクセントで言われる次の一連の四段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、終止形はHHLと発音されます。
あかす【明】(あかしゅ HHL) 「あかるい」という言葉は平安時代にはなく、そうした意味は当時は「あかし」(あかしい HHL)で示しました。その「あかし」などとも式を同じくします。
あがる【上】(あンがる HHL) 「思いあがる」は現代語ではよい意味では使いませんけれども、平安時代の京ことばでは「プライドを持つ」といった意味の、善悪の評価を伴わないものとして使いました。と申せば次を想起する方も多いでしょう。
我はと思ひあがりたまへる御方がた、(更衣ヲ)めざましきものにおとしめそねみたまふ 源氏・桐壺。われふぁと おもふぃい あンがれる おふぉムかたンがた、めンじゃましきい ものに おとしめ しょねみ たまふう LHHL・LLFHHLH・LLHHHHH、LLLLFLLH・LLHLHHLLLF。
あくぶ【欠・欠伸】(あくンぶ HHL) 今は「あくばない」「あくびった」などは言いませんけれど(言ってもよいのです)、古くは四段の「あくンぶ HHL」という動詞がありました。名詞「あくび」(あくンび HHH)も昔からあって、この名詞が現代東京において⓪で言われるのは動詞「あくぶ」の高起性の名残と申せます。名詞「あくび」は動詞「あくぶ」の連用形から派生したとも、その逆であるとも考えられること、例えば「かこつ」(かことぅ HHL)と同趣です。なお、「けんしん」と読む「欠伸」という熟語があるそうで(「あくび及び背のび」という意味)、改名はこちらの「欠伸」に「あくびのびす」(あくンび のンびしゅう HHLLLF)という訓みを与えます。「あくび」をするという意味の「欠(けん)」はもともとこの字体であるのに対して、「欠く」「欠ける」という意味の「欠(けつ)」は旧字では「缺」、かれとこれとは(かれと これとふぁ HLHHHHH)もともとは別なのでした。
あそぶ【遊】(あしょンぶ HHL) 名詞「あそび」は「あしょンび HHH」なのでした。
あそびをせむとやむまれけむ
たはぶれせむとやむまれけむ
あそぶこどものこゑきけば
わがみさへこそゆるがるれ
梁塵秘抄。あしょンびうぉ しぇムうとやあ ムまれけム / たふぁンぶれ しぇムうとやあ ムまれけム / あしょンぶ こンどもの こうぇえ きけンば わあンがあ みいしゃふぇこしょ ゆるンがるれ HHHHHFLF・HHLLH・HHHHHFLF・HHLLH・HHHHHHH・LFHLL・LHHHHHL・HHHHL。古典的なアクセント、非古典的なアクセントの差は、下降拍の長短(二つの「や」、および「声」の末拍)を考えに入れなければ、特にないと思われます。発音はと申せば、「たふぁンぶれ」「こうぇえ」「しゃふぇ」は平安末には「たわンぶれ」「こいぇぇ」「しゃいぇ」と言われることが多かったかもしれません。
あたる【当】(あたる HHL) 「付近」を意味する名詞「辺(あた)り」を、顕天平そのほか複数の資料が「あたり HHL」と言われるとします。この「辺り」はむろん「当たること」ではありませんが、一般に動詞「当たる」と同根と見られています。現代京都では、「当たること」は「あたり HHH」ですが、「辺り」は「あたり HLL」です。この「あたり HLL」は「あたり HHL」からの変化(核のさかのぼり)として理解できます。
あらす【荒】(あらしゅ HHL) 名詞「嵐」が「あらし LLL」だったことは、図名そのほかから確かなようです。動詞「荒らす」はHHL、形容詞「荒し」はHHFでした。木々を荒らすからあらしなのだとすれば、例外的に式が一致しないということなのかもしれません。「吹くからに」(ふくからに LHHLH)の歌は後に引きます。
あらふ【洗】(あらふ HHL)
いだく【抱】(いンだく HHL) 現代語では例えば希望は「いだく」もので、「だく」ものではないわけですが、平安時代にはどちらも「いだく」でまかなっていました。東京では『26』の昔から「いだく」は②で言われてきていますけれども、「だく」は⓪です。アクセントに関して言えば、つづまった「だく」の方に昔の京ことばの名残が認められると申せます。
うかぶ【浮】(うかンぶ HHL) 自動詞として四段の「浮く」(うく HL)、同じく四段の「浮かぶ」(うかンぶ HHL) の二つがあり、これらに対する他動詞として下二段の「浮く」(うく HL)、下二段の「浮かぶ」(うかンぶ HHL) の二つがありました。四段の「浮かす」の成立は遅れるようですけれども、これは下二の「浮く」の没落と関係があるのかもしれません。「浮かびたり」(うかンびたりい HHLLF)は「不安定だ」「うわついている」「不確かだ」といった意味でも使われました。
世の中といふもの、さのみこそ今も昔もさだまりたることはべらね。中についても(就中、特ニ)女の宿世は浮かびたるなむあはれにはべりける。源氏・帚木。
よおのお なかと いふ もの、しゃあのみこしょ いまも むかしも、しゃンだまりたる こと
ふぁンべらねえ。なかに とぅいても うぉムなの しゅくしぇえふぁ うかンびたるなムう あふぁれえに ふぁンべりけ
る HHLHLHHLL、LHLHL、LHL・HHHL・LLHLLHLL・RLLF。LHHLHHL・HHLLLLLH・HHLLHLF・LLFHRLHHL。「宿世(すくせ)」は呉音で、中古音から、一漢字一記号としてLLと推定されます。
うたふ【歌】(うたふ HHL) 名詞「歌」は「うた HL」です。
うづむ【埋】(うンどぅむ HHL) 「うずめる」「うめる」を意味する四段活用の他動詞です。現代語では「うずめない」「うずめて」というところを旧都では「うづめず」「うづめて」ではなく「うづまず」(うンどぅまンじゅ HHHL)、「うづみて」(うンどぅみて HHLH)と言いました。とは申せ現代語「うずめる」が⓪で言われるのは、昔の四段動詞「うづむ」がHHLだった名残です。
おくる【送・贈】(おくる HHL) 名詞「送り」(おそらくHHHでしょう)には「見送り」という意味のほかに(はるか先の方で例を引きます)、「葬送」という意味などもありました。もっとも「野辺の送り」という言い方は平安時代の文献にはあらわれないようです。「野辺」はあって、「のンべえ LF」と言われました。「呑兵衛(のんべえ)」は現代東京では「ノンべー」ですが、中井さんの辞典によれば現代京都では、「ノンベー」なのだそうです。野辺の呑兵衛。
おごる【驕】(おンごる HHL) 「おごれる人も久しからず」は、古典的には「おンごれる ふぃともお ふぃしゃしからンじゅ HHLHHLF・LLHLHL」、鎌倉時代には「うぉンごれる ふぃとも ふぃしゃしからンじゅ HHLLHLL・LLHLHL」と言われることが多かったでしょう。人にごちそうするという意味で「おごる」というようになったのは江戸時代だそうです。
おそふ【襲】(おしょふ HHL) 「押す」(おしゅ HL)に由来するそうです。
おどす【脅】(おンどしゅ HHL) 自動詞「怖(お)づ」(おンどぅ HL)に対する他動詞で(他動詞化形式素 oʃ が介入しています)、「怖がらせる」「驚かす」くらいの、特に犯罪的でない行為を言うことが多かったようです。
およぶ【及】(およンぶ HHL) 元来「及び腰になる」を意味したようで、そこから現代語と同じ意味でも使うようになりました。
やむことなき人の、碁打つとて、(着物ノ)紐うち解き、ないがしろなるけしきに拾ひ置くに、おとりたる人の、ゐずまひもかしこまりたるけしきにて、碁盤よりは少し遠くて、及びて、袖の下はいま片手してひかへなどして打ちゐたるもをかし。(三巻本などでは「碁をやむことなき人の打つとて」の段〔141〕。前田家本が「やむことなき人の、碁打つとて」とするのを採りますけれども、以下は三巻本に拠ります)。
やむ こと なきい ふぃとの、ごお うとぅうとて、ふぃも うてぃい ときい、ないいンが しろなる けしきに ふぃろふぃ おくに、おとりたる ふぃとの、うぃンじゅまふぃも かしこまりたる けしきにて、ごおンばんよりふぁ しゅこし とふぉくて、およンびて、しょンでの したふぁ いま かたて しいて ふぃかふぇ なンど しいて うてぃい うぃいたるも うぉか
しい HHLLLFHLL・R・LFLH・HHLFLF・LFHHHLHLLLH・HHLHHH・LLHLHHLL・HHHHL・LLLHLLHLLLHH、RHHLLH・LHL・HHLH・HHLH・HHHHLH・LHLLLFH・HHLRLFH・LFFLHL・LLF。「拾ひ置く」は、相手の石をとったり(相手の石を囲むとその石を取って盤から除(の)けます)、自分の石を置いたりする、というのではないでしょうか。順序が逆のようにも見えますけれど、平安時代の京ことばでは「立ち居る」(たてぃい うぃる LFHL)と言ったり「居立つ」(うぃい たとぅう FLF)と言ったりしますし、「よしあし」(善悪)とも「あしよし」(悪善)とも言います(後者は『蜻蛉の日記』の天禄二年〔971〕四月の記事や、時代はくだりますが定家の『近代秀歌』に見えています)。「男女(めを)」は「めうぉ LL」でしたし、のちにも申しますが「優劣」のことを昔は「おとりまさり」(おとり ましゃり LLLHHH)と言いました。引用は、身分の高い人がラフな格好で碁を打つそのお相手を、身分の劣る人が、きちんとした身なりをして、かしこまって、碁盤から離れたところにいて務める時、その人が打とうとして中腰になり、例えば右手を伸ばし、右の袖が盤を乱さないよう左手で押さえたりして打つ、そのさまが面白い、と言っています。情景が目に見えるようです。
わざと負けて、「強うもおはしますかな」〔とぅようもお おふぁしましゅかなあ LHLF・LHLLHLF。お強くていらっしゃいますなあ〕なんて言ったかもしれません。そういう言い方ができたことは、次の一節から明らかです。
「苦しきまでもながめさせたまふかな。御碁を打たせたまへ」と言ふ。「いとあやしうこそはありしか」とはのたまへど、打たむとおぼしたれば、盤とりにやりて、我は、と思ひて先せさせたてまつりたるに、いとこよなければ、手直してまた打つ。「尼上、疾うかへらせたまはなむ。この御碁、見せたてまつらむ。かの御碁ぞいと強かりし。僧都の君、はやうよりいみじう好みたまひて、けしうはあらずとおぼしたりしを、『いと碁聖大徳(きせいだいとこ)になりてさしいでてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし』とのたまひしに、つひに僧都なむ、ふたつ負けたまひし。碁聖が碁にはまさらせたまふべきなめり。あないみじ」と興ずれば、さだ過ぎたる尼びたひの見つかぬがものごのみするに、むつかしきこともしそめてけるかな、と思ひ、心地あしとて臥したまひぬ。源氏・手ならひ
「くるしきいまンでも なンがめしゃしぇえ たまふかなあ。おふぉムごうぉ うたしぇえ たまふぇえ」と いふ。「いと あやしうこしょふぁ ありしか」とふぁ のたまふぇンど、うたムうと
おンぼしたれンば、ばん とりに やりて、われふぁと おもふぃて しぇん(二拍ともほぼでたらめ) しぇしゃしぇ たてえ まとぅり
たるに、いと こよなけれンば、てぇえ なふぉして また うとぅう。「LLLFLHL・LLLLF・LLHLF。LLHHH・LLFLLF」L・HL。「HL・LLHLHLH・LLHL」LH・HLLHL、LLFLLLHLHL、LH・LHHHLH、LHH、L・LLHH・LH・HHLLFHHLLHH、HL・HHHHLL、L・LLHH・HLLF。「あまうふぇ(後半推定)、とおう かふぇらしぇえ たまふぁなム。こおのお おふぉムご、みしぇえ たてえ まとぅらムう。かあの おふぉムごンじょ、いと とぅよかりし。LLLL、RL・LLLFLLLHL。HH・LLHH、LFLFHHHF。FL・LLHHL、HL・LHLLH。しょうンどぅうの きみ、ふぁやうより いみンじう このましぇえ たまふぃて、けしうふぁ あらンじゅと おンぼしたりしうぉ、『いと きいしぇい だいとこに なりて しゃしい いンでてこしょ うたンじゃらめえ、おふぉムごにふぁ まけンじかしい』と のたまふぃしに、とぅふぃいに しょうンどぅうなムう、ふたとぅ まけ たまふぃし。LHHHHH、LHLHL・LLHL・LLLFLLHH、LHLHLHLL・LHLLLHH、『HL・LLHLLLLHLHH・LFLHHHL・LHLLF、LLHHHH・HHHLF』L・HLLLHH、LFH・LHHLF、HHL・HLLLLH。きいしぇいンが ごおにふぁ ましゃらしぇ たまふンべきいなんめり。あな いみンじ」と きやうンじゅれンば、しゃンだ しゅンぎたる あまンびたふぃの み
いも とぅかぬンが ものンごのみ しゅるに、むとぅかしきい こともお しい しょめてけるかなあ、と おもふぃい、ここてぃ あしいとて ふしい たまふぃぬう。「LLHHRHH・HHHLLLLLFHLHL。LLLLH」L・LHHHLL、HHLHLH・LLLHLL・RLLLHH・LLLHLHHH、HHHHFLLF・FHLHHLLF、L・LLF、LLLLFLH・LFLLHF。浮舟があんまり沈んでいるのを見かねて、お世話役である少将の尼が碁でも打ちましょうと言い、浮舟が、下手でしたと返答するものの、打ってもよいという様子なので打つことにして、自分のほうが強いだろうと思い先手を譲ったところ、何と浮舟のほうがずっと強いので、今度は自分が先手で打ちます。やっぱり負けたようです。少将の尼は、尼上がお帰りにならないかしら、この盤面を御覧に入れましょう、私は尼上にも大負けしました、僧都(尼上の兄・横川の僧都)も碁がお好きで、碁聖大徳(伝説的名人)を気取ってでしゃばって打つのはよくなかろうが、あなたには負けませんとおっしゃったものの、三番勝負で二番お負けになりました、あなたは僧都にはお勝ちになるでしょう、まあすばらしい、とはしゃぐので、浮舟は、軽い気持ちではじめてしまったけれど、いろいろと厄介なことになりそうだ、と思い、気分が悪いといって横になってしまったのでした。二十歳前後の女性がかなりに囲碁が強く、反対に内親王のもののけ調伏を依頼されたりもする六十余歳の高徳の僧が囲碁に関してはどうやら年季の入った下手の横好きらしい、という設定が面白いと思いますけれども、しかしせっかく強いのに、それが浮舟の心を多少とも明るくするのに役立たないどころか、かえって暗くしてしまう、というように書き手は作ってゆきます。こういう文章と比べると、下位者の下位者ぶりを描写しておもしろがる清女のそれが浅く見えてしまいますけれども、しかし、自分を紫女の側に置き、そこから清女の文の浅さを言いつのって喜ぶとしたら、それは、清女がそこにおいてしたのと似たようなことをすることかもしれません。
かこふ【囲】(かこふ HHL) 名詞「かこひ」(「かこふぃ HHH」でしょう) もあるにはあったようです。
かこむ【囲】(かこむ HHL)
かざる【飾】(かンじゃる HHL) 名詞「飾り」は「かンじゃり HHH」です。
かすむ【霞】(かしゅむ HHL) 名詞「霞」は「かしゅみ HHH」です。
春立つといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝は見ゆらむ 拾遺・春1・壬生忠岑(みンぶの たンだみね HHH・LLHH)。ふぁるう たとぅうと いふンばかりにやあ みよしのの やまもお かしゅみて けしゃふぁ みゆらム LFLFL・HHHHLHF・HHHHH・LLFHHLH・LHHLHLH
かたる【語】(かたる HHL)
いかにしてかく思ふてふ事をだに人づてならで君にかたらむ 後撰・恋五961・敦忠。いかに しいて かく おもふ てふ ことうぉンだに ふぃとンどぅてならンで きみに かたらム HLHFH・HLLLHLH・LLHHL・HHHHLHL・HHHHHHH(最後の「む」は「いかにして」の〝結び〟として連体形です)
すると「かたらふ」は「かたらふ HHHL」であり、「ほのかたらふ【仄語】」は「ふぉのかたらふ LHHHHL」でしょう。清濁のことから申せば、色葉字類抄が「風聞」を「ほのぎく」〈平上上平〉と訓むのですが、これは「ほの聞く」のことにちがいないので、「ほのかたらふ」も「ほのがたらふ」かもしれませんけれど、紫式部日記に「ほのうち霧りたる」(ふぉの うてぃい きりたる LHLFHLLH)とあったくらいで、接辞「ほの」は本体に密着するわけではないと見て、「ほのかたらふ」とも言った、「ほの聞く」こそ「ふぉのきく LHHL」とも言えた、というように考えておきます。「ほのぐらし【仄暗】」も「ふぉのンぐらしい LHHHF」でよいのでしょう。いずれにしても接辞「ほの」を冠する場合、「ほのか」(ふぉのか LHL)のアクセントが生かされるのです。 をちかへりえぞしのばれぬほととぎすほのかたらひし宿の垣根に 源氏・花散る里(ふぁな てぃる しゃと LLHHHH)。うぉてぃかふぇり いぇええンじょお しのンばれぬ ふぉととンぎしゅ ふぉのかたらふぃし やンどの かきねに LLLHL・ℓfFHHHHH・LLLHL・LHHHHHH・LHLHHHH。「をちかへる【復返・変若返】」(若返る)は諸家が「をち」を「をとこ」(うぉとこ
LLL)や「をとめ」(うぉとめ LHH)と同根と見るのに倣って低起式と見るべきでしょう。顕昭が袖中抄や散木集注で高起動詞としますけれど、散木集注における注から彼が語義を誤解していることが明らかなので(「お(ママ)ちかへりとハ百千かへりなり」)採れません。低起式と見る場合でも「をち」を動詞の連用形と見るかそれから派生した名詞と見るかの選択を迫られますが、後者と見て、LFではなくLLと発音されたと考えます。
斎(いつき)の昔を思ひいでて
ほととぎすそのかみ山の旅まくらほのかたらひし空ぞ忘れぬ 新古今・雑上1486・式子内親王。いとぅきのむかしうぉ おもふぃいいンでて/ふぉととンぎしゅ しょおのお かみやまの たンびまくら ふぉのかたらふぃし しょらンじょ わしゅれぬ LHLL・HHHH・LLFLHH/LLLHL・HHLLLLL・HHHHL・LHHHHHH・LHLHHHH。参考歌として次を引いておきます。
聞かばやなそのかみ山のほととぎすありし昔の(=昔ト)同じ声かと 後拾遺・夏183。きかンばやな しょおのお かみやまの ふぉととンぎしゅ ありし むかしの おなンじ こうぇえかあと HHLHL・HHLLLLL・LLLHL・LLHHHHH・LLHLFFL。顕昭の『後拾遺抄注』が「そのかみやま」に〈上上平平平平〉を差しています。一般名詞「そのかみ」(図名が「しょのかみ HHHH」とします。このアクセントは「その上(かみ)」〔しょおのお かみ HHLH〕が一語化したことを語るのでしょう)と歌枕「神山」(かみやま LLLL)とが重ねられています。
かはす【交】(かふぁしゅ HHL、かふぁしゅう LLF) 「交ふ」のところで申したとおり、高起式と低起式とがあったと見ておきます。
かはる【代・変】(かふぁる HHL) 名詞「代はり」はおそらく「かふぁり HHH」でしょう。上の「かはす」とこの「かはる」とは、形式的には他動詞と自動詞との関係で、自動詞には「る」(「何々がかわる」)、他動詞には「す」(「何々をかわす」)がついていますが、例えば「流る」(なンがるう LLF。流れる)と「流す」(なンがしゅう)とがそうであるような単純な関係(何かを流せばその何かが流れる)ではありません。
かよふ【通】(かよふ HHL) 名詞「通ひ」はおそらく「かよふぃ HHH」でしょう。
「あはれ、いと寒しや」「今年こそ、なりはひにも頼むところ少なく、田舎のかよひ(田舎ヘノ行商)も思ひかけねば(期待デキナイノデ)、いと心ぼそけれ」「北殿こそ(北隣サン)、聞きたまふや(聞コエテイマスカ)」 源氏・夕顔(「朝顔」は「あしゃンがふぉ LLHL」なので、「ゆふンがふぉ HHHL」と見ておきます)。光る源氏が夕顔と一緒に近くの家における庶民のやりとりを聞いています。仮に三つに割りました。あふぁれえ、いと しゃむしいやあ。ことしこしょ、なりふぁふぃにも たのむ ところ しゅくなく、うぃなかの かよふぃも おもふぃい かけねンば、いと こころンぼしょけれ。きたンどのこしょ、きき たまふやあ LLF、HLLLFF。HHHHL、LLLLHL・LLHHHHLLHL、HHHHHHHL・LLFLLHL、HLLLLLLHL・HHHLHL・HLLLHF。「きたどの」の後半二拍は推定。「北」は「きた HL」、「殿」は「との LL」。
からす【枯】(からしゅ HHL) 「烏」は「からしゅ LHH」です。
かをる【香】(かうぉる HHL) 名詞「香り」は「かうぉり HHH」。
橘のかをりし袖によそふればかはれる身ともおもほえぬかな 源氏・胡蝶。たてぃンばなの かうぉりし しょンでに よしょふれンば かふぁれる みいともお おもふぇいぇぬかなあ LHHLL・HHHHHHH・HHHLL・HHLHHLF・LLLLHLF。光る源氏が、夕顔の娘・玉鬘(たまかンどぅら LLLLH)に対して、例の「五月まつ花たちばな」の歌を踏まえつつ詠んだ歌。橘の薫った袖は二重のメトニミーで、袖をその一部とする衣を、そしてさらにその衣を着ていた人(夕顔)を意味します。つまり「もと」(もと LL。上の句)は、あなたをあなたのおかあさんによく似ていると思うと、というのですけれども、すると、「すゑ」(しゅうぇ HH)は、諸注の見るところとは異なり、あなたをあなたのおかあさんと別人とは思えない、という意味だとは思えません。それでは歌のもとと末とで意味が(訳し方で多少ごまかせるとはいえ結局)似通いすぎます。そもそも「身」は「あなた」を意味できないでしょう。光る君は、あなたをあなたのおかあさんとよく似ていると思うと、私も自分自身が変わったとは思えません、と言っているのだと思います。あなたはあなたのおかあさんと変わらず、今の私は昔の私と変わらないと言えば、玉鬘は母と源氏とのあいだに何があったか知っているので、光る源氏が何を言いたいかは明らかです。
きざす【兆】(きンじゃしゅ HHL)
きざむ【刻】(きンじゃむ HHL) この動詞から派生した名詞「きざみ」(きンじゃみ HHHでしょう)は、「等級」「機会」といった、現代語にはない意味でよく使われました。
きらふ【嫌】(きらふ HHL) 「人見知り」といった意味らしい「面(おも)ぎらひ」という言葉が『蜻蛉の日記』(天延二年〔975〕四月)に見えています。「面(おも)」は袖中抄が〈平平〉(おも LL)を、毘・高貞が〈平上〉(LHないしLF)差す言葉で、初拍が低い以上、「ものがたり」(ものンがたり LLLHL)などがそうだったのと同じく、「おもぎらひ」は「おもンぎらふぃ」と言われたと考えられます。
くくる【括】(くくる HHL) 「くくり染め」(=しぼり染め)にするという意味もあると申せば、次の歌を思い出される方も少なくないでしょう。
ちはやふる神代(かみよ)も聞かず立田川からくれなゐに水くくるとは 古今・秋下294、伊勢物語106。てぃふぁや ふる かみよも きかンじゅ たとぅたンがふぁ からくれなうぃに みンどぅ くくるとふぁ HHHLH・LLHLHHL・LHHHH・LLLHLLH・HHHHLLH。「かみよ」には顕府(8)と伏片294とが〈平平上〉を差します。「LL+H→LLH」は例外もあるとはいえ基本の型と言ってよいものであり、「あさと【朝戸】」(あしゃと LLH)、「あすか【明日香】」(あしゅか LLH)、「かひこ・かひご【卵=卵(かひ)子】(かふぃこ・かふぃンご LLH。「蚕」は「かふぃこ LHL」)、「くしげ【櫛笥】」(くしンげ LLH)、「せきど【関戸】」(しぇきンど LLH)などがこのアクセントで言われます。ちなみに同様に「LL+F→LLF」も基本の型と言えることが、例えば「あさひ【朝日】」(あしゃふぃい LLF)、「くさば【草葉】」(くしゃンばあ LLF)、「たまな【玉名】」(たまなあ LLF)、「たまも【玉藻】」などから知られます。『研究』研究篇上に、「体言二拍+体言二拍」の複合名詞のアクセントに関して「前部成素が低起式、後部成素が台頭型LH・LFのものはその高さを保ってLLLH・LLLF型になる傾向が強い」とあるのですが(p.157。表記は変更しました)、この傾向はほかの拍数の名詞についても広く認められます。
「からくれなゐ」のアクセントは推定ですけれども、「唐(から)」は「から LH」、「呉の藍(あゐ)」(くれの あうぃい HHHLF)のつづまったものである「くれなゐ」は(とはいえHHLFではなく)「くれなうぃ HHLL」、低起二拍名詞と高起四拍名詞との複合は多くの場合LLLHLLというアクセントをとるのでした。「巾着(きんちゃく)」の口は紐でキュッとしまるようになっていますけれど、指貫(さしぬき)の裾などをそのようにしてある、その紐のことを「くくり」と言ったのだそうです。おそらくこの「くくり」はHHHと言われたでしょう。布の一部を同じように紐でくくってそこ以外が染まるようにするのがくくり染めです。
くだす【下】(くンだしゅ HHL)
くだる【下】(くンだる HHL)
くらす【暮・暗】(くらしゅ HHL) 世界が「あかく」(あかく HHL)なるまで時をおくることが「明かす」(あかしゅ HHH)ことであるように、世界が「くらく」(くらく HHL)なるまで時をおくることが「暮らす」ことです。すると「明かし暮らす」(あかしくらしゅ HHLHHL)が「生活する」「日々を生きる」ことを意味するとしても不思議ではありません。例えば源氏・薄雲(「うすゅンぐも」か。後半推定。「あまぐも【雨雲】」は「あまンぐも LLLL」)の冒頭に、「冬になりゆくままに川づらのすまひ(生活ハ)いとど心細さまさりて、(明石ノ君ハ)うはのそらなる心地のみしつつあかしくらすを」などあります。ふゆに なりい ゆく ままに かふぁンどぅらの しゅまふぃ いとンど こころンぼしょしゃ ましゃりて、うふぁの しょらなる ここてぃのみ しいとぅとぅ あかし くらしゅうぉ HLH・LFHHHHH・HHHLLLLL、HHH・LLLLHH・HHLH、HLLLHLH・LLLHLFHH・HHLHHHH」などあります(「かはづら」には有力なヴァリアントとして「かつら【桂】」〔かとぅら〕があって、秋山さんの全集本などはこちらを採っています)。生活することを現代語で「暮らす」というのは、(「ピアノフォルテ」の「フォルテ」がとれたように)「明かし暮らす」の「明かし」のとれた言い方なのでしょう。なお「くらす」には「暗くする」という意味もあって、「心をくらす」(こころうぉ くらしゅ LLHHHHL)など使います。
かきくもり日かげ(日ノ光)も見えぬ奥山に心をくらすころにもあるかな 源氏・総角(あンげまき HHHH)。かきい くもりい ふぃかンげも みいぇぬ おくやまに こころうぉ くらしゅ ころにも あるかなあ LFLLF・HHHLLLH・LLHLH・LLHHHHH・HLHLLHLF
くらふ【食】(くらふ HHL) 「食」を当てることが多いわけですけれども、『土左』(12/27)に、今も使う「酒をくらふ」(しゃけうぉ くらふ HHHHHL)という言い方がでてきます。
かぢとり、もののあはれもしらで、おのれしさけをくらひつればはやくいなんとて、「しほみちぬ。かぜもふきぬべし」とさわげは、(一行ハ)ふねにのりなむとす。
かンでぃとり、ものの あふぁれえもお しらンで、おのれし しゃけうぉ くらふぃとぅれンばふぁやく いなムうとて、「しふぉ みてぃぬう。かンじぇも ふきぬンべしい」と しゃわげンば、ふねに のりなムうと しゅう HHHL、LLLLLFFHHL、HHHL・HHHHHLLHL・LHLHHFLH、「LLLHF。HHL・LHHHF」L・LLHL、LHH・HLHFLF。
けづる【削】(けンどぅる HHL) 源氏・若紫に、幼い紫の上のおばあさんが孫の「髪をかきなでつつ」(かみうぉ かきい なンでとぅとぅ LLH・LFLHHH)、「けづることをうるさがりたまへど、をかしの御髪(みぐし)や」(けンどぅる ことうぉ うるしゃンがり たまふぇンど、うぉかしの みンぐしやあ HHHLLH・LLLHLLLHL・LLHLHHHF)と思うところがあります。
けぶる【煙】(けンぶる HHL) 「けむる」の古形。アクセントを注記したものを知りませんけれども、名詞「けぶり」は確かに「けぶり HHH」です。いま引いた「若紫」の巻の一節の少し前に、若紫を描写して、「まゆのわたりうちけぶり」(まゆの わたり うてぃい けンぶり)というところがあります。秋山さんの頭注には「眉墨でかいた引き眉ではなく、生えたままの眉のさまを言ったもの。眉の輪郭がうぶ毛と区別できず初々しい感じ。」とあります。なるほど。やはりもっと長く引いておきましょう。長いので小分けにします。意味は注しません。
清げなる大人二人ばかり、さては童女(わらはべ)ぞ、出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなれたる着て、はしり来たる女子(をむなご)、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌(かたち)なり。髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。
きよンげなる おとな ふたりンばかり、しゃてふぁ わらふぁンべンじょ、いンでえ いり あしょンぶ。なかに、とうぉンばかりにやあ あらムと みいぇて、しろきい きぬ、やまンぶき なンどの なれたる きいて、ふぁしりい きいたる うぉムなンご、あまた みいぇとぅる こおンどもに にるンべうもお あらンじゅ、いみじう おふぃしゃき みいぇて、うとぅくしンげなる かたてぃなりい。かみふぁ あふンぎうぉ ふぃろンげたる
やうに ゆらゆらと しいて、かふぉふぁ いと
あかく しゅりい なして たてり。LLLHL・LHLHHLLHL、LHH、LLHHL、LFHLHHL。LHH、HLLHLHFLLHL・LHH、LLFLH、LLHLRLL・LHLH・FH、LLFRLH・HHHL、LLHLHLH・HHLH・HHHLFLHL、LLHL・LLLLLHH、LLLLLHL・HHHLF。LLH・LLLH・HHLLHLLH・HLHLLFH、HHH・HLHHLLFLHH・LHL。
「何ごとぞや。童女と腹だちたまへるか」とて、尼君の見あげたるに、すこしおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。
「なにンごとンじょやあ。わらふぁんべと ふぁらンだてぃ たまふぇるかあ」とて、あまンぎみ(後半推定)の みいい あンげたるに しゅこし おンぼいぇたる ところ あれンば、こおなんめりと みいい たまふう。
「LHHHLF。LLHHH・LLHLLLHLF」LH・LLLLL・ℓfHLLHH、LHL・LLHLHHHH・LHL、HLHHLLℓfLLF。「おひさき」を低平連続としたのは、低起二拍動詞の連用形が二拍一類を従える「ありさま」「いけにへ」「ほしいを【干魚】」「ほしとり【干鳥】」がLLLLで(ありしゃま、いけにふぇ、ふぉしいうぉ、ふぉしとり)、これが多数派の行き方だからです。
「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」とて、いとくちをしと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしのかかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづかたへかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とぞ人言ふめる[原文「めるは」]。この子の後見(うしろみ)なるべし。
「しゅンじゅめの こおうぉお いぬき(末拍推定)ンが にンがしとぅる。ふしぇンごの うてぃに こめたりとぅる ものうぉ」とて、いと くてぃうぉしいと おもふぇり。こおのお うぃいたる おとな、「れいの、こころ なし(推定)の、かかる わンじゃうぉ
しいて しゃいなまるるこしょ、いと こころンどぅき なけれ。いンどぅかたふぇかあ まかりぬる。いと うぉかしう やうやう なりとぅる ものうぉ。からしゅ なンど
もこしょ みいい とぅくれえ」とて たてぃて ゆく。「LHHHHH・LLLH・LLHLH。LLLL・HLH・LHLHLHLLH」LH、HL・LLLFL・LLHL。HH・FLH・LHL、「LHL、LLHLHL・HLHHLHFH・LLLLLHHL、HL・LLLLL
LHL。LHHLHF・LHLLH。HL・LLHL・LHLL・LHLHLLH。LHHRLHHL・ℓfLLF」LH、LHHHL。
かみ ゆるるかに いと なンがく、めやしゅきい ふぃとなんめり。しぇうなあごんの めのととンじょお ふぃと いふめる。こおのお こおのお うしろみなるンべしい
LL・LLHLH・HLLHL、LLLFHLLHHL。LLLHHH・HHHLF・HL・HLHL。HHHH・LLLLHLLF。
尼君、「いで、あなをさなや。言ふかひなうものしたまふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば何ともおぼしたらで、すずめ慕ひたまふほどよ。罪うることぞ、と常に聞こゆるを、心うく」とて、「こちや」と言へば、ついゐたり。
あまンぎみ、「いンで、あな うぉしゃなやあ。いふ かふぃ なあう ものしい たまふかなあ。おのンが かく けふ あしゅに おンぼゆる いのてぃうぉンば なにともお おンぼしたらンで、しゅじゅめ したふぃ たまふ ふぉンどよお。とぅみ うる ことンじょお、と とぅねえに きこゆるうぉ、こころ ううく」とて、「こてぃやあ」と いふぇンば、とぅいい うぃいたりい
LLLL、「HL、LLLLHF。HHHHRL・LLFLLHLF。HHH・HL・LHLLH・LLLH・LLHHH・
LHLF・LLHLHL、LHH・HHLLLHHLF。LHLHLLF、L・LFH・HHHHH、LLHRL」LH、「HLF」LHLL、LFFLF。
つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪(かむ)ざし、いみじううつくし。「ねびゆかむさまゆかしき人かな」と、目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人にいとよう似たてまつれるがまもらるるなりけり、と思ふにも、涙ぞおつる。
とぅらとぅき いと らうたンげにて、まゆの わたり うてぃい けンぶり、いふぁけ(推定) なあく かいい やりたる ふぃたふぃとぅき、かムじゃし(後半推定)、いみンじう うとぅくしい。「ねンびい(推定) ゆかム しゃま ゆかしきい ふぃとかなあ」と、めえ とまり たまふう。しゃるふぁ、かンぎり なあう こころうぉ とぅくし きこゆる ふぃとに いと よおう にい たてえ まとぅれるンが まもらるるなりけり、と おもふにも、なみンだンじょ おとぅる LLHL・HL・HHHHHH、LHLHHL・LFHHL、LLLRL・LFHLLH・HHHHL、LLLL、LLHL・LLLF。「LFHHHHH・HHHF・HLLF」L、LHHLLLF。LHH、LLLRL・LLHH・HHLHHHH・HLH・HLRL・FLFHHLHH・LLLLHLHHL、L・LLHHL、LLHL・LLH。
こほる【凍】(こふぉる HHL) 名詞「氷」は「こふぉり HHH」と言われました。
おほぞらの月の光し清ければ影見し水ぞまづこほりける 古今・冬316。おふぉンじょらの とぅきの ふぃかりしい きよけれンば かンげえ みいしい みンどぅンじょ まあンどぅ こふぉりける LLLHL・LLLLLLF・LLHLL・LFLHHHL・RLHHLHL。昨晩あたり水面(みなも)に月が映じていたけれど、その清らかな月の光が、まず水を凍らせたよ。物理的にはありえない因果関係を主張することで、月光の清冽さを強調する趣です。
ころす【殺】(ころしゅ HHL) 少しだけ「厚労省」みたいです。さがす【探】(しゃンがしゅ HHL)
さぐる【探】(しゃンぐる HHL)
さそふ【誘】(しゃしょふ HHL)
花の香を風のたよりにたぐへてぞうぐひすさそふしるべにはやる 古今・春上13。ふぁなの かあうぉお かンじぇの たよりに たンぐふぇてンじょ うンぐふぃしゅ しゃしょふ しるンべにふぁ やる LLLHH・HHHLHLH・LLHHL・LLHLHHH・HHLHHHH。いい風が吹く。これを利用しない手はない。この風に花の香りを伴わせて、うぐいすのいるところに届け、これが案内しますからどうぞ、ということにする。
花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり 新勅撰・雑一1054。ふぁな しゃしょふ あらしの にふぁの ゆうきならンで ふりい ゆく ものふぁ わあンがあ みいなりけり LLHHH・LLLLHHH・RLHLL・LFHHLLH・LHHLHHL
さとす【諭】(しゃとしゅ HHL) 神仏が何かを告げるという意味で使ったようで、現代語の「こんこんと諭す」「説諭する」というニュアンスはないようです。名詞「さとし」(神仏の告げ)は「しゃとし HHH」。
さとる【悟】(しゃとる HHL) 仏教にかかわらない文脈において「理解する」「詳しく知る」といった意味で使うことも多い言葉です。形式上は、前項の「さとす」とこの「さとる」との関係は、例えば「見す」(みしゅう LF)と「見る」(みるう LF)との関係とパラレルです。名詞「悟り」も、広く「理解」「理解力」「詳しい知識」といった意味で使えます。この名詞もおそらく高平連続で言われたでしょう。
さはる【障】(しゃふぁる HHL) 現代語の「触(さわ)る」に当たるのは「触(ふ)る」(ふるう LF)です。「雨にさはりて」(あめえに しゃふぁりて LFHHHLH。雨に邪魔されて)などいうことも多く、また、「さしつかえ」といった意味の、「さはること」(しゃふぁる こと HHHLL)という言い方もさかんに使われました。この「さはること」と名詞「障(さは)り」(しゃふぁり HHH)とは同義です。同根の動詞に下二段の「障(さ)ふ」(しゃふ HL)があります。
さらす【晒・曝】(しゃらしゅ HHL) こういう他動詞があるということは、下二段の「晒(さ)る」(しゃる HL)という自動詞があるということではないか? じっさい「晒(さ)る」(しゃる HL)という自動詞があって、他動詞「晒す」の受け身形「晒される」をもってその訳語とすることができます。「されこうべ」「しゃれこうべ」――室町時代頃に出来た言葉のようです――は、風雨にさらされた頭部にほかなりません。
多摩川にさらす手(た)づくりさらさらになにそこの子のここだ愛(かな)しき 万葉集3390。たまンがふぁに しゃらしゅ たンどぅくり しゃらあしゃらあに なにそ こおのお こおのお ここンだ かなしきい LLLHH・HHHLLHL・LFLFH・LHLHHHH・LHLHHHF。「手(た)づくり」は手作りの布で、それがさらさらしているように「さらさらに」(改めて改めて。何度見ても)この娘(こ)がこんなにもいとしいのはなぜなのか、といぶかっています。
しづむ【沈】(しンどぅむ HHL)
御簾(みす)まきあげて、(光ル源氏ガ紫ノ上ヲ)端にいざなひきこえたまへば、女君、泣きしづみたまへるためらひて(泣キ沈ンデイラッシャルノデスガソレヲ落チ着カセテ)ゐざり出でたまへる、月かげにいみじうをかしげにて(オ美シイタタズマイデ)ゐたまへり。源氏・須磨。みしゅ まき あンげて、ふぁしに いンじゃなふぃ きこいぇ たまふぇンば、うぉムなンぎみ、なき しンどぅみ たまふぇる ためらふぃて うぃンじゃり いンでえ たまふぇる、とぅきかンげえに いみンじう うぉかしンげにて うぃい たまふぇり。HHHLHLH・HHH・ LLHLHHLLLHL・HHHHH・HLHHLLLHL・LLHLH・HHLLFLLHL・LLLFH・LLHL・LLLLHH・FLLHL。須磨へと出立する時刻の迫った光る君が――当時の習慣として出発は未明です――、都に残る紫の上の、昇って間もない月の光に照らされた容姿をとくと見つめて、目に焼き付けようとしています。まあ、自分が浮気したせいで都にいられなくなったわけですけれど。
しぼむ【萎】(しンぼむ HHL)
在原業平はその心あまりてことば足らず。しぼめる花の色なくてにほひ残れるがごとし。古今・仮名序。ありふぁらの なりふぃらふぁ しょおのお こころ あまりて ことンば たらンじゅ。しンぼめる ふぁなの いろ なあくて にふぉふぃ のこれるンが ごとしい。LLLHL・LLHLH・HHLLH・LLHH・LLLHHL・HHLHLLL・LLRLH・LLL・LLHLHHLF。「在原」のアクセントは「菅原」(しゅンがふぁら LLLH)からの推定です。「すげ・すが【菅】」は「しゅンげ・しゅンが LL」。
しめる【湿】(しめる HHL)
うちしめりあやめぞかをるほととぎす鳴くや五月の雨の夕暮 新古今・夏220・良経。うてぃい しめり あやめンじょ かうぉる ふぉととンぎしゅ なくやあ しゃとぅきの あめえの ゆふンぐれ LFHHL・LHHLHHH・LLLHL・HHFHHHH・LFLHHHH。すでに引いた「ほととぎす鳴くや五月」の歌を本歌として取っています。
しるす【記・印・験】(しるしゅ HHL) 名詞「しるし」は「しるし HHH」。この名詞には「効果」「効験(こうけん、こうげん)」という意味もあります。
すかす【透】(しゅかしゅ HHL) 「透く」は「しゅく HL」でした。
すかす【賺】(しゅかしゅ HHL) 「おだてる」「だます」「機嫌を取る」といった意味。『89』は③としますけれども、『26』『58』『98』が⓪とするのでここに置きます。現代語で「なだめすかす」「なだめたりすかしたりする」などいう時の「すかす」で、「気取る」といった意味の「すかす」とは異なります。なお、現代語「なだめすかす」はLHHHHLと発音されることが多いかもしれませんが、これは複合動詞としての発音で、ここから「すかす」を単独で言う時の発音を導くことはできません。分けてLHLLHHと言うこともできます。
すがる【縋】(しゅンがる HHL) 「山深み杖にすがりて入る人の心の奥のはづかしきかな(やま ふかみ とぅうぇに しゅンがりて いる ふぃとの こころの おくの ふぁンどぅかしきいかなあ LLLHL・LHHHHLH・HHHLL・LLHLLHL・LLLLFLF)と西行が詠んでいます(山家集)。「老人述懐」というお題で詠まれたもので、山の奥から心の奥に思いが向かった趣です。山に入るのは想像上の自分であり、この「はづかし」は今も使う意味で使われているのだと思います。考えさせる歌です。
話題は変わりますけれども、ジガバチ(似我蜂)という蜂がいるそうで、「すがる」――「蜾蠃」というおそろしげな漢字を当てるそうです――という別名を持ちます。こちらは「しゅンがる HHH」。それから、例の「酸(す)し」(しゅしい LF)から派生した動詞に「すっぱがる」を意味する「酸(す)がる」があります。「しゅンがるう LLF」と言われたのでしょう。少数派低起三拍動詞のことは後に見ますけれども、「酸がる」は特に少数派に属すると見るべき理由がありません。
すがるなく秋のはぎはら朝たちて旅ゆく人をいつとか待たむ 古今・離別366。しゅンがる なく あきいの ふぁンぎふぁら あしゃ たてぃて たンび ゆく ふぃとうぉ いとぅとかあ またム HHHHH・LFLLLLH・LLLHH・HLHHHLH・LHLFLLH。寂に「スカルハ鹿ノ別名也」とあるそうで(『研究』資料篇)、万葉歌に見えている「すがる」は蜾蠃だとしても、古今のこの歌の「すがる」などについては両説あるようです。「朝たちて」は毘・訓が「あさだちて」と濁らし、〈平平上平上〉を差しますけれども、これは「いろづく」(いろンどぅく LLHL)などと同趣の「あさだつ」という一語の動詞の連用形と解するからで、ここはそう見なくてはならないわけではありません。ただ「あさだつ」(あしゃンだとぅ LLHL)は確かにその存在を確認できる四拍動詞です。ついでに申せば「ゆふだつ」(ゆふンだとぅ HHHL)という動詞もあります。こちらは「夕方出発する」という意味ではなく、「夕方、波・風・雨などがにわかに起こり立つ」(岩波古語)という意味です。
すくふ【掬・救】(しゅくふ HHL) 「救ふ」は「掬ふ」から生まれた語義でしょう。
すくむ【竦】(しゅくむ HHL)
すさぶ・すさむ【荒】(しゅしゃンぶ HHL、しゅしゃンぶう LLF) いろいろと厄介な言葉です。「すさむ」とも言いましたけれども、元来は「すさぶ」だったようです。この動詞は例えば何かを「気ままにおこなう」といった意味で使われました。現代語で「生活がすさむ」などいう「すさむ」が⓪で言われるのはこの動詞が往時の都では高起式でも言えた名残ですが、この語義は新しいものです。高起式でも低起式でも言われたようです。同根である下二段の「すさむ」への注記かもしれないものも併せて示せば、改名の複数の注記、前田本『色葉字類抄』、『永治二年本古今和歌集』(清輔本なのでした)、『顕昭 散木集注』(顕昭は清輔の父親顕輔の猶子)がこの動詞を高起式としますけれども、梅や訓が、そして顕昭の『袖中抄』も、この動詞を低起式とします。なお改名は派生語である名高い古今異義語「すさまし(すさまじ)」は低起式とします。この形容詞の末拍も清濁両様あるようですけれども、古くは清んだと見ておきます(しゅしゃましい LLLF)。
すすぐ【濯】(しゅしゅンぐ HHL)
すすむ【進】(しゅしゅむ HHL)
すする【啜】(しゅしゅる HHL)
そそく【注】(しょしょく HHL) 図名の記述から三拍目の清んだことは明らかです。「そそく/そそぐ」「むつまし(むとぅましい HHHF)/むつまじい」など、今昔で清濁の異なる言葉はたくさんありますけれども、今昔で清濁の異ならない言葉のほうがずっと多いことも確かですから、むやみに疑う必要はありません。
たかる【集】(たかる HHL) 『土左』ももうすぐ終わるというあたりに、「こ、たかりてののしる」(こ、たかりて ののしる H、HHLH・HHHL〔子供が集まって騒いでいる〕)とあります。
たたむ【畳】(たたむ HHL) 名詞「畳」は「たたみ HHH」です。平安時代には敷き詰めなかったようです。
たまる【溜】(たまる HHL)
たわむ【撓】(たわむ HHL)
ちかふ【誓】(てぃかふ HHL) 名詞「ちかひ」はおそらく「てぃかふぃ HHH」でしょう。
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな 拾遺・恋四870。わしゅらるる みいうぉンば おもふぁンじゅ てぃかふぃてし ふぃとの いのてぃの うぉしくもお あるかなあ HHHHH・HHHLLHL・HHLHH・HLLLLHL・LHLFLHLF。永遠の愛を誓ったにもかかわらずその誓いを破った男に対して、あなた天罰でおなくなりになるでしょう、ご愁傷様、と言っています。
ちがふ【違】(てぃンがふ HHL) 平安時代には「交差する」というような意味だったようで、この意味は現代語「すれちがう」などに残っています。何と言っても『枕草子』冒頭近くの「夏は夜。(…)蛍のおほく(=たくさん)飛びちがひたる」(なとぅふぁ よる。(…)ふぉたるの おふぉく とンび てぃンがふぃたる HLHLH。(…)LLHL・LHL・HLHHLLH)にこの意味の「ちがふ」が見られます。改めて申せば、これを「ちごー」と発音することで古文にふさわしい発音ができたと考えるとしたら、それは錯誤です。
ちらす【散】(てぃらしゅ HHL) 「散る」は「てぃる HL」でした。
つかふ【使】(とぅかふ HHL) 下二段の「仕(つか)ふ」も終止形は同じアクセントです。名詞「使ひ」は「とぅかふぃ HHH」でしょう。
つづく【続】(とぅンどぅく HHL) 名詞「続き」は「とぅンどぅき HHH」でしょう。
つなぐ【繋】(とぅなンぐ HHL) 一つのミステリー。図名そのほかが「つなぐ」を高起式としますけれども、その図名は「綱(つな)」を「とぅな LL」とします。こういうこともあります。ただ、「つな」は低起式なのだから「つなぐ」をLLFと発音してもよいだろうし、実際そう発音する人もいただろう、と考えてよいのではないでしょうか。少なくとも「とぅなンぐう LLF」は「とぅなぐう LHF」や「とぅなンぐ HLL」が奇妙であるようには奇妙でないでしょう。
とばす【飛】(とンばしゅ HHL) 「飛ぶ」は「とンぶ HL」でした。
とまる【止・泊】(とまる HHL) 「止まる」と「泊まる」とは、やまとことばとして分けるには及ばないでしょう。名詞「とまり」は「とまり HHH」です。この名詞には「終着点」「最終的に落ち着く所」「(最終的に落ち着く所としての)本妻」といった意味もあります。
年ごとにもみぢ葉ながす龍田川みなとや秋のとまりなるらむ 古今・秋下311・貫之。としンごとおに もみンでぃンばあ なンがしゅ たとぅたンがふぁ みなとやあ あきいのンとまりなるらム LLLFH・LLLFLLH・LHHHH・HHHHLFL・HHHLHLH
花は根に鳥は古巣に帰るなり(鳴キ声デソレトシラレルノデス)春のとまりを知る人ぞなき 千載・春下122・崇徳院。ふぁなふぁ ねえにい とりふぁ ふるしゅに かふぇるなり ふぁるうの とまりうぉ しる ふぃとンじょお なきい LLHLH・HHHLLLH・LLHHLLLHHL・LFLHHHH・HHHLFLF
ならす【鳴】(ならしゅ HHL) 「鳴る」は「なる HL」でした。
ならぶ【並】(ならンぶ HHL) 「ならびなし」(ならンび なしい HHHLF) のような言い方もよく目にされます。
にぎる【握】(にンぎる HHL) 「にぎり」という名詞の誕生は後世のことのようです。
ぬらす【濡】(ぬらしゅ HHL) 下二段「濡(ぬ)る」は「ぬる HL」でした。
ねぶる【眠】(ねンぶる HHL) 「ねむる」は後代の言い方です。名詞「ねぶり」は「ねンぶり HHH」です。なお「舐(ねぶ)る」は「ねンぶるう LLF」。『今昔』や『宇治拾遺』に見えています。
のぞく【覗】(のンじょく HHL) 「除(のぞ)く」は、東京では「のぞく」だが「のンじょくう LLF」なのでした。「覗く」は今と同じ意味でも使われましたけれども、それとは別に「どこそこにのぞく」という言い方があって、これは「どこそこに面する」というような意味です。この意味の「のぞく」には「臨」の字が当てられるそうです。
人々、渡殿(渡リ廊下)より出でたる泉に臨きゐて(座ッテ)、酒飲む。源氏・椎がもと(しふぃンが もと LLLLL)。ふぃとンびと、わたンどのより いンでたる いンどぅみに のンじょき うぃいて、しゃけ のむう。HHLL、HHHLHL・LHLH・LLLH・HHLFH、HHLF。「渡殿」を「わたンどの HHHL」としたのは推定で、結局のところ、HHLL、HHHHの可能性も高く、これらのうちのどれか一つだったのか、複数だったのかも分かりません。「わたどの」は「わたりどの」のつづまったもので、「渡る」は「わたる HHL」、「殿」は「との LL」ですから、上の三つ以外には考えられないということは申せます。大きな原則から申せば、前部成素が動詞の連用形に由来するものは複合名詞全体が 前部成素の式に応じて高平連続、低平連続になることがさしあたり多いのですけれども(『研究』研究篇上。例えば「おりどの【織殿】」〔おりとの HHHH〕、「くらべむま【競馬】」〔くらンべムま HHHHH〕)、しかし「高起三拍+LL」のものは、「ひつじぐさ【未草】」(ふぃとぅンじンぐしゃ HHHHL。「羊・未」は「ふぃとぅンじ HHH」、「草」は「くしゃ LL」)のようなアクセントも有力だからで、前部成素が動詞の連用形に由来する場合でも、例えば図名が「わたりもり【渡守】」や「わたしもり【渡守】」に〈上上上上平〉を差します(わたりもり、わたしもり HHHHL。「渡る」は「わたる HHL」、「守」は「もり LL」)。後部成素に「殿」を持つものでは、「産殿」に〈上上平平〉(うンぶどの HHLL)、「細殿」に〈上上上上〉「ふぉしぉンどの」(「細し」は「ふぉしょしい LLF」なので式保存の例外ということになります)、「八尋殿」に〈上上上上〉(やふぃろンどの HHHHH)と〈上上上平平〉(やふぃろンどの HHHLL)とが差されます。「織殿」は「おりとの HHHH」だったことも含めて、「渡殿」のアクセントを推測することの困難さがはっきりしてきます。
のぞむ【望・臨】(のンじょむ HHL) 名詞「のぞみ」は「のンじょみ HHH」で、東京でも『26』以来⓪が主流です。
のぼる【登・昇】(のンぼる HHL)
はこぶ【運】(ふぁこンぶ HHL)
はづす【外】(ふぁンどぅしゅ HHL) 「ハズス」と「ファんドゥシュ」と。「聞き耳(聞イタ感ジ)、異なるもの」の上位に入りそうです。
はふる・はぶる【放】(ふぁふる・ ふぁンぶる HHL) 現代語「放(ほう)る」の前身です。第二拍は清濁両様あったと見ておきます。現代語に「ほうる」に近い意味の「ほっぽる」や「ほっぽらかす」があるのに似て、平安時代の京ことばにも「はふらかす・はぶらかす」(ふぁふらかしゅ・ふぁンぶらかしゅ HHHHL)、「はふらす・はぶらす」(ふぁふらしゅ・ふぁンぶらしゅ HHHL)といった動詞がありました。これらを高起動詞とするのは、寂・訓1064が「はぶらさじ」に〈上上上上上〉(ふぁンぶらしゃンじい HHHHF)を、梅が「はふらさじ」に〈上上上上上〉(ふぁふらしゃンじい HHHHF)を差しなどしているからで、じつは総合索引によれば書紀に「放」を当てる「はふる」を「ふぁふるう LLF」と訓むところがあるのだそうですけれども、これは誤点と見られます。なお、「葬」を当てる「はふる・はぶる」を「放」を当てる「はふる・はぶる」に由来すると見る向きが多いのですけれども、前者の変化した「はうぶる」――現代語「葬(ほうむ)る」の古い言い方――に図名が〈平平上平〉を差しなどするので、少なくとも平安時代には二つは異なる式で言われていたと見られます。「葬」の方の「はふる・はぶる」のことは後にも申します。
ひろふ【拾】(ふぃろふ HHL)
ふたぐ【塞】(ふたンぐ HHL) 「蓋(ふた)」(ふた HH)から。名詞「綱」は「とぅな LL」だが動詞「つなぐ」は「とぅなンぐ HHL」でした。こういう厄介な事情は「ふた」と「ふたぐ」とにはないようです。
ふるふ【振・振・奮】(ふるふ HHL)
まがる【曲】(まンがる HHL)
まつる【祭・奉】(まとぅる HHL) 名詞「祭」は「まとぅり HHH」のようです。「賀茂の祭」は「かもおの まとぅり LFLHHH」で、「葵祭」という言い方の初出は近世初期だそうです(「葵」は「あふふぃ HHH」でした)。ちなみに鳥の「鴨」は「かも LL」。伝統的な現代京ことばでは「鴨」は「賀茂」と同じく「かもぉ」と言われたり、LLからの正規変化として「かも HL」と言われたりするようです。
まなぶ【学】(まなンぶ HHL) 平安時代には、幸いまだ連用形を名詞として使うことはなかったようです(あの名詞、大嫌い)。
まねぶ【学】(まねンぶ HHL) 現代語でも言う「真似」(まね HH)に由来する動詞です。「学」という漢字を掲げたのは「なまぶ」という意味で「まねぶ」ということもあるからで、この漢字には「真似をする」という意味はないようです。平安時代の京ことばでは「…するふりをする」という意味で「…するまね(を)す」という言い方をしました。
例の(例ニヨッテ)、内裏(うち)に日かず経たまふころ、さるべき方の忌み待ちいでたまひて(要スルニ方違(かたたがえ)エヲウマク利用シテ)、にはかに(左大臣ノ屋敷ニ)まかでたまふまねして、道のほどより(途中カラ空蝉ノイル紀伊ノ守ノ屋敷ニ)おはしましたり。源氏・帚木。
れいの、うてぃに ふぃかンじゅ ふぇええ たまふ ころ、しゃるンべきい かたの いみ まてぃい いンでえ たまふぃて、にふぁかに まかンで たまふ まね しいて、みてぃの ふぉンどより おふぁし ましたりい。LHL、HLH・HHHℓfLLHHL、LLLFHLLLL・LFLFLLHH、LHLHLHLLLH・HHFH、HHHHLHL・LHLLHLF。
まはす【回】(まふぁしゅ HHL) 「めぐらす」(めンぐらしゅ HHHL)が好まれるとは言え「まふぁしゅ HHL」とも言いました。
まはる【回】(まふぁる HHL) 「めぐる」(めンぐる HHL)が好まれるとは言え「まふぁる HHL」とも言いました。
みがく【磨】(みンがく HHL)
むせぶ【咽】(むしぇンぶ HHL) 下二段の「むす咽】」(むしゅ HL)と式を同じくします。
むかふ【向】(むかふ HHL)
むしる【毟】(むしる HHL)
むすぶ【結・掬】(むしゅンぶ HHL) 名高い「結ぶ」と申せば、時代は下りますが、『方丈記』の「よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」でしょう。古典的にはこれは、「よンどみに うかンぶ うたかたふぁ かとぅう(一方デハ) きいぇ かとぅう むしゅンびて(形ヅクラレテ) ふぃしゃしく とンどまりたる ためし なしい LLLHHHH・HHHHH・LFHL・LFHHLH・LLHLHHHLLH・LLLLF」と言われました。平安時代にも「結ぶ」にはこうした意味がありました。そう申せば「結露」の「結」なども「形づくられる」という意味です。
「結ぶ」はまた、両の手のひらを結び合わせることや――「おむすび」はこの意味で「結びて」作るからこういうのでした――、そうすることで水を掬(すく)うことを意味します(こちらは「掬(むす)ぶ」とも書きます)。
志賀の山越え(トイウ峠道)にて、山の井に女の、手あらひて水をむすびて飲むを見て、よみてやる
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも君に別れぬるかな 貫之集
古今・離別404にも収められていますけれども、こちらでは「離別」の部にあって、その詞書も「女」を避け「人」とした、より穏やかなものです(撰者の一人である貫之の意向だったのでしょう)。拾遺・雑恋1228にも見えていて、こちらの詞書は私家集のそれと同内容ですが、ただ『古今』も『拾遺』も「あかでも人に」とします(直接性が減ります)。しンがの やまンごいぇにて やまの うぃいにい うぉムなの てえ あらふぃて みンどぅうぉ むしゅンびて のむうぉ みいて、よみて やる LHLLLLLHH・LLLLH・HHLL・LHHLH・HHHHHLHLHHRH・LHHHH / むしゅンぶ てえのお しンどぅくに にンごる やまの うぃいのお あかンでもお きみに わかれぬるかなあ HHHLL・LLLHLLH・LLLLL・LHLFHHH・LLHHHLF
ゆがむ【歪】(ゆンがむ HHL)
ゆする【揺】(ゆしゅる HHL) 現代語「ゆする」は他動詞であり、木や人をゆすったりするわけですけれども、平安時代にはこの動詞には、今と同じ他動詞としての用法のほか(と言っても「強請(ゆす)る」という意味はありません)、自動詞として、「世、ゆする」(よお、ゆしゅる H・HHL)なども言います。世の中がゆれるくらい人々が騒ぐという意味のようです。
ゆづる【譲】(ゆンどぅる HHL) 現代語では「ゆずり」という名詞は、「親ゆずり」のような複合語にはよくあられるものの、単独ではあまり使いませんけれど、平安仮名文には、「移譲」「譲渡」「譲位」といった意味の名詞「譲り」(ゆンどぅり HHHでしょう)がしばしばあらわれます。
わかす【沸】(わかしゅ HHL) 「沸く」は「わく HL」でした。
わたす【渡】(わたしゅ HHL) 名詞「渡し」(わたし HHH)は「渡すこと」のほかに「(船を対岸に)渡す場所」なども意味しました。「渡し守」は「わたりもり HHHHL」でした。
かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける 新古今・冬620・家持。かしゃしゃンぎの わたしぇる ふぁしに おく しもの しろきいうぉ みれンば よおンじょお ふけにける LHLLL・HHLHHLH・HHLLL・LLFHLHL・LFLHHHL。ちなみに「かささぎ」と同じようにLHLLというアクセントで言われた四拍の和語はごく少なく、「いくばく」「しばらく」「そこばく」(「幾らか」というより「たくさん」「あれこれ」という意味)、「つはもの」(①武器。②兵士)、「なでしこ」、「ねむごろ」(「ねもころ」の変化したもの)、「はしたか」(鷂。現代語「はいたか」はこれの転じたもの)、「やうやく」(次第に)、その転じた「やうやう」くらいで主なものは全部です(いくンばく、しンばらく、しょこンばく、とぅふぁもの、なンでしこ、ねムごろ、ねもころ、ふぁしたか、やうやく、やうやう)。
わたる【渡】(わたる HHL) 名詞「渡り」(渡ること)は「わたり HHH」ですけれども、「辺(あた)り」(あたり HHL)と近い関係にある「辺(わた)り」はHHLだったかもしれません。
わらふ【笑】(わらふ HHL) 「童(わらは)、藁を笑ふ」は「わらふぁ わらうぉ わらふ LLH・LHH・HHL」。「笑(わら)ひ」という名詞は平安時代のものには登場しないようで、例えば広辞苑はその例文として太平記の例を挙げます。源氏・帚木の「さすがに忍びて笑ひなどするけはひ」(しゃしゅンがに しのンびて わらふぃ なンど しゅる けふぁふぃ LHHH・HHLH・HHLRLHH・LLL。「けはひ」は推定。低起式であることはほぼ確実です)を挙げる辞書もありますけれど、これはケアレス・ミスでしょう。「…したりする」を意味する「…しなどす」の「…し」のところに来るのは動詞の連用形であって、この「帚木」の一節から名詞「わらひ」を取り出すことはできません。「忍び歩(あり)」(しのンびありき HHHHHL)という名詞などはありましたから、「忍びわらひす」(しのンびわらふぃしゅう HHHHHLF) という言い方ならば当時としてもできたかもしれません。ちなみに上の「帚木」の引用は大島本の本文で、『源氏物語大成』によれば、「河内本」「別本」は「さすがに忍びて物うち言ひ笑ひなどするけはひ」であり、青表紙本の中にも「さすがに忍びて物いひゑ笑ひなどするけはひ」とするものや、この「ゑ」を見せ消(け)ちにしたものがあります。「ゑわらふ」には改名の一本が〈上上上(平)〉を差しますから、「うぇえ わらふ HHHL」と言われたと見られます。この「ゑわらふ」は「いを寝(ぬ)」(いいうぉお ぬう LHF)と同趣の言い方と見られます。
ついでに「笑はす」(わらふぁしゅ HHHL)のことを少々。現代語「笑う」には自動詞としての用法と他動詞としての用法とがあるので(「彼女は笑った」/「彼女は私を笑った」)、それに対応して「笑わせる」は二通りの用法を持ちます。例えば「彼は面白いことを言って彼女を笑わせる」という時は彼女が笑うわけで、この文には「彼女が笑う」が埋め込まれています。こうした言い方は昔もあって、例えば『今昔』(28-43)に「ものをかしく言ひて人笑はするさぶらひ」(もの
うぉかしく いふぃて ふぃと わらふぁしゅる しゃンぶらふぃ LL・LLHLHLH・HL・HHHHH・HHHH)という言い方が見えています。他方、例えば「人に歌を歌わせる」は「『人が歌を歌う』という状態を作り出す」という意味ですから、同じように「人に彼女を笑わせる」は「『人が彼女を笑う』という状態を作り出す」「彼女が人から笑われるようにする」「彼女が人の笑いものになるようにする」という意味になりますけれども――この場合、笑うのは「人」であり「彼女」ではありません――、この「人に彼女を笑わせる」というような言い方は現代語ではあまり見かけません。しかし平安時代の京ことばでは事情が異なっていて、実際次のような例があります。
まろを人に言ひ笑はせたまふなよ。栄花・初花(ふぁとぅふぁな HHLL)。まろうぉ ふぃとに いふぃ わらふぁしぇ たまふなよお LHH・HLH・HL・HHHL・LLHLF。「人、まろを言ひ笑ふ」(ふぃと まろうぉ いふぃ わらふ HL・LHH・HLHHL。人が私のことを話題にして笑う)ということにならないようお願いしますよ、と言っています。
人に笑はせたまふな 源氏・浮舟。ふぃとに わらふぁしぇ たまふな。HLH・HHHLLLHL。文脈は紹介しませんけれども、薫の浮舟宛の文(ふみ)の最後にある文句で、「まろを」「我を」といった言葉が省かれています。私が人に笑われる種を作りたもうな。命令文(禁止文を含む)の主語は二人称ですから、ここでは「あなたは人に私を笑わせる」という文が埋め込まれていて、現代語ではこういう内容は「あなたのせいで(アイロニカルには、〝おかげで〟)私は人から笑われる」といった言い方で示します
かの人々笑はせよ。落窪・巻二。かあの ふぃとンびと わらふぁしぇよお。FLHHLL・HHHLF。あの人々(ヒロインをいじめる継母たちの一行)がほかの人々に笑われるようにせよ。あの人々をみんなの笑いものにしたてよ。ヒーロー道頼が側近に言う台詞で、「人々に」といった言い方が省かれています。「かの人々」に面白いことを言えというのではありません。ちなみに「笑はす」の同義語として「笑はかす」(わらふぁかしゅ HHHHL)があって、『宇治拾遺』に見えています。現代口語に「笑(わら)かす」という言い方がありますけれども、これは「笑わかす」のつづまったものです。
をどる【踊】(うぉンどる HHL) ピョンと跳ねることを言います。つまり「舞ふ」(まふ HL)とは異なる動作を指します。
うつくしき(カワイラシイ)もの 瓜に描(か)きたる児(ちご)の顔。すずめの子の、(コチラガ)ねず鳴きするに(鼠ノ鳴キマネヲスルト)をどり来る。二つ三つばかりなる児の、いそぎて這ひくる道に(途中ニ)いとちひさき塵などのありけるをめざとに(目ザトク)見つけて、いとをかしげなる指(および)にとらへて大人などに見せたる、いとうつくし。枕・うつくしきもの(146)。
うとぅくしきい もの うりに かきたる てぃンごの かふぉ。しゅンじゅめの こおのお ねンじゅなき(ないし、ねンじゅなき) しゅるに うぉンどり くる。ふたとぅ みとぅンばかりなる てぃンごの、いしょンぎて ふぁふぃい くる みてぃに いと てぃふぃしゃきい てぃりの
ありけるうぉ めンじゃとに みいい とぅけて、いと うぉかしンげなる およンび
に とらふぇて おとな なあンどに みしぇたる、いと うとぅくしい。LLLLFLL LHH・LHLH・LLLHH。LHHHHH、LLHL(ないし、LLLL)HHH・HHLLH。HHLHLLHLHL・LLL、LLHH・LFLHHHH・HLLLLF・HHH・LHHLH・LHLH・ℓfLHH・HLLLLLHL・LLLH・LHHH、LHLRLH・LHLH、HLLLLF。「ねず鳴き」は「ねずみ鳴き」のつづまったもので、「ねずみ」は「ねンじゅみ LHH」、「鳴く」は「なく HL」、「ねずみ鳴き」は、「ねンじゅみなき LLLHL」あるいは「ねンじゅみなき LLLLL」でしょう。「こころがへ」(心を別のと取りかえること)に毘・訓540が〈平平平平平〉(こころンがふぇ LLLLL)を、顕天片540が〈○○○上平〉(こころンがふぇ)を差しています。この顕天片の〈○○○上平〉は「こころ LLH」のアクセントを保持した〈平平上上平〉ではなく毘・訓と同じ〈平平平上平〉を意味するでしょう。改名に「刷毛」を「あぶらひき」「あぶらびき」と訓み、〈平平平上平〉を差すところがあります。「あぶら」は「こころ」と同じくLLH(あンぶら)と言われました。他方、図名が「こころざし【志=心差】」に〈平平平平平〉(こころンじゃし LLLLL)を差しています。次に、「めざと」の二三拍目のアクセントも推定です。LLL、LLHなどかもしれません。「目」は「め
L」、「さとし」は「しゃとしい HHF」。改名や色葉字類抄が「実白の稲」に〈上上平平平上〉(みンじろの いね HHLLLH)を差していて、ここには「白し」(しろしい LLF)のアクセントは反映されていません。「あしたかの蜘蛛」〈平平平平平平上〉(改名。あしたかの くもう LLLLLLF)では、もとのアクセントのままですけれども、これは前(さき)に申した現代東京の「きつねそば」と同じく、そのままで複合名詞としてのアクセントとして奇妙でないものになるからです。
ちなみに、「すずめ」「ねずみ」は平安時代の京ことばと現代東京とでアクセントを同じくしますけれども、動物や植物を意味する次の三拍語はこれらと同趣です。
うさぎ【兎】(うしゃンぎ)、きつね【狐】(きとぅね)、かもめ【鷗】(かもめ)、つぐみ【鶫】(とぅンぐみ)、ひばり【雲雀】(ふぃンばり)、さそり【蠍】(しゃしょり)、しらみ【虱】(しらみ)、みみず【蚯蚓】(みみンじゅ)、かへる【蛙】(かふぇる)、むなぎ【鰻】(ムなンぎ)
あやめ【菖蒲】(あやめ)、かへで【楓】(<かへるで【蛙手】。かふぇンで)、くわゐ【慈姑】(くわうぃ)、ささげ【大角豆】(しゃしゃンげ)、さしぶ【南燭】(=シャシャンボ! しゃしンぶ)、すすき【芒】(しゅしゅき)、すみれ【菫】(しゅみれ)、すもも【李】(しゅもも)、なづな【薺】(なンどぅな)、ぬかご【零余子】(ぬかンご)、ひさこ【瓢】(>ひさご。ふぃしゃこ)、よもぎ【蓬】(よもンぎ)
ただし、「烏」は、また「尾花」は、平安時代の京ことばでは「からしゅ LHH」、「うぉンばな LHH」でしたけれども、現代東京ではいずれも『26』以来①で言われます。
をはる【終】(うぉふぁる HHL) 連体形「をはる」(うぉふぁる HHH)はちょっと「魚春(うおはる)」みたいです(深い意味はありません)。名詞「終はり」は「うぉふぁり HHH」、「尾張」は「うぉふぁり LLL」です。
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ⅷ 多数派の低起三拍四段動詞 [目次に戻る]
例えば「思ふ」(おもふう LLF)は多数派低起三拍動詞であり、東京においてそれが「おもう」ではなく「おもう」LHLと言われるのはその名残だと申せます。ただ例えば「とふぉしゅう LLF」「とふぉるう LLF」と言われた「通す」「通る」は、東京では、やはり低く終わるにしても、「とおす」「とおる」ではなく「とおす」「とおる」です。これは第二拍に特殊拍(長音)を持つために下がり目が初拍に来るのです。まずそうした動詞から見てしまいます。と申しても、もうほんの少ししかありません。
まうす【申】(まうしゅう LLF) 古くは「まをす」(まうぉしゅう LLF)でしたけれども、平安時代にはすでに「まうす」だったようです。
かへす【帰・返・反】(かふぇしゅう LLF) 名詞「かへし」は「かふぇし LLL」です。東京の「かえす」の二拍目は二重母音の後半ということになるのでしょう。次も同じ。かへる【返・帰・孵】(かふぇるう LLF)
そこでこう申せます。以下のたくさんの、現代東京において終止形がLHLというアクセントで言われる四段動詞は、平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLLFと発音される。
あふぐ【扇】(あふンぐう LLF) 名詞「扇(あふぎ)」は「あふンぎ LLL」。「あおぐ」と「おおぎ」とは無関係に見えますけれども、「あふぐ」と「あふぎ」との関係は明らかです。東京では名詞「扇」は、近年は⓪が多いかもしれませんが(「オーギガ」)、『26』以来長らく③で言われてきました(「オーギガ」)。多数派低起三拍動詞の連用形から派生した名詞は③で言われることが最も多いようで、「あふぎ」(おおぎ)ももともとはそうでした。以下、派生名詞がこのタイプである場合、特に注しません。
ちなみに、現代語では「扇(あふぎ)」(あふンぎ LLL)は畳(たた)めるもの、「団扇(うちは)」(うてぃふぁ LLL)は畳めないものとして区別されますけれども、畳める「扇」というものは平安前期にこの日本で発明されたものだそうで(のちに中国経由でヨーロッパに伝わります)、奈良時代などには「扇」は「団扇」を意味しました。「団扇」は元来「打ち羽」なのだそうで、確かに式は合います(「羽」は「葉」と同じく「ふぁあ F」)。なお「仰ぐ」は「あふンぐ HHL」でした。
あます【余】(あましゅう LLF)
あまる【余】(あまるう LLF) 名詞「余り」は「あまり LLL」です。
あゆむ【歩】(あゆむう LLF) 名詞「歩み」はおそらく「あゆみ LLL」です。仏典に由来する「羊の歩み」(ふぃとぅンじの あゆみ HHHHLLL)という成句があります。屠所(としょ)に引かれて行く羊の歩みということで、死の近づいてくることの譬えです。現代東京では「歩み」は③であり(『43』も『58』も③)、⓪で「あゆみが」というと女性の名になってしまいますけれども、『26』ではなぜか⓪ですから(動詞「あゆむ」は②)、何らかのミスでなければ、人でも抽象名詞でも「あゆみをとめてはならない」など言われたのです。
あをむ【青】(あうぉむう LLF) 「青(あを)し」は「あうぉしい LLF」です。
いそぐ【急】(いしょンぐう LLF) 「準備」を意味する「いそぎ」はおそらく「いしょンぎ LLL」でしょう。「いそがし」は「いしょンがしい LLLF」。
いだす【出】(いンだしゅう LLF) 自動詞「出(い)づ」(いンどぅう LF)に対する他動詞。
いたむ【痛・傷・悼】(いたむう LLF)
いとふ【厭】(いとふう LLF)
いどむ【挑】(いンどむう LLF) 「張り合う」といった意味や、「言い寄る」といった意味もあります。名詞「いどみ」はおそらく「いンどみ LLL」でしょう。
いのる【祈】(いのるう LLF) 名詞「祈り」は「いのり LLL」。今の京都では「いのり HHH」と言われるようですけれども、近世の資料には「いのり HHL」と「いのり HLL」とがあって、前者は「いのり LLL」からの正規変化、後者はその正規変化した言い方からの下がり目の前へのずれ、現代京都の言い方は近世に成立した「いのる」からの派生と解せます。
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを 千載・恋二708・俊頼。ううかりける ふぃとうぉ ふぁとぅしぇの やまおろしよお ふぁンげしかれえとふぁ いのらぬ ものうぉ RLHHL・HLHHHHH・LLLHLF・LLHLFLH・LLLHLLH。「祈れども逢はざる恋」(いのれンどもお あふぁンじゃる こふぃ LLHLF・LHLHLL。いくら祈っても成就しない恋)という題で詠まれた歌。こんなに冷たいとは思わなかったあの人のことについて私が祈ったのは、初瀬の山おろしよ、こんなにきびしくあってほしいということではありませんでした。奈良県は初瀬にある長谷寺の観音さまと初瀬に吹くという激しい山おろしの風とが重ね合わされています。「憂かりける」の「ける」は文末に位置しないせいで現代語に直訳しにくい種類のもの。無論、あの人はつくづく冷たい人だなあと思うその気持ちを言っています。次に、格助詞「を」には、「…について」「…に関して」「…において」といった意味があります。例えば源氏・桐壺に「この(更衣ノ)御ことにふれたることをば(帝ハ)道理をも失はせたまひ」(こおのお おふぉ ムことに ふれたる ことうぉンば だうりうぉも うしなふぁしぇ たまふぃい HHLLHHHH・LHLH・LLHH・LLLHL・HHHHLLLF)とあり、同・帚木に「宮ばらの中将は、中に(特ニ)親しくなれきこえたまひて、あそび、たはぶれをも人よりは(他ノ人ヨリモ)心やすくなれなれしくふるまひたり」(みやンばら 〔後半二拍推定〕の てぃうンじやうふぁ、なかに したしく なれえ きこいぇ たまふぃて、あしょンび たふぁンぶれうぉも ふぃとよりふぁ こころ やしゅう なれなれしく ふるまふぃたりい。HHHHH・LLHHHH、LHH・LLHL・LFHHLLLHH、HHHHHHHHL・HLHLH・LLHLHL・LLLLHL・HHHLLF)とあるのから知られます。いずれの「…を」も、動詞が「を」格を要求するのに応じて置かれているのではないところがポイントです。最後に、平安時代の京ことばでは、今ならば「…したことがない」など言うところを、たんに「…ず」と言いました。例えば『竹取』で暴風や雷に見舞われた大伴御行(おふぉともの みゆき LLHHHHHH)が「まだかかるわびしき目見ず」(まンだあ かかる わンびしきい めえ みいンじゅ LF・HLH・HHHFLRL)と言いますし、源氏・須磨でも、やはり暴風雨に遭遇した源氏の家来たちが「かかる目は見ずもあるかな」(かかる めえふぁあ みいンじゅもお あるかなあ HLHLH・RLFLHLF)と言っています。ちなみにこの意味で「…せし事なし」などは言いませんでした。「…せし事なし」は、以前何々したという事実は今は存在しない、といった意味の oxymoronic な言い方で、こういう奇妙な言い方が自然であるような文脈は普通はないでしょう。
いはふ【祝・斎】(いふぁふう LLF) 名詞「いはひ」はおそらく「いふぁふぃ LLL」でょう。名詞「祝ひ」は『89』が②⓪③としますが、『26』も『43』も『58』も②とします。③でないのは、第三拍が特殊拍なので下がり目が一つ前に来たのです。
いやす【癒】(いやしゅう LLF) 自動詞「癒(い)ゆ」(いゆう LF)に対する他動詞。
うがつ【穿】(うンがとぅう LLF)
うごく【動】(うンごくう LLF)
うつす【移】(うとぅしゅう LLF) 名詞「うつし」は「うとぅし LLL」。
うつる【移・映】(うとぅるう LLF) 名詞「うつり」はおそらく「うとぅり LLL」でしょう。引っ越しのことを「家(いへ)うつり」と言いましたけれども、これは「いふぇうとぅり LLLHL」と言われたと考えられます(「家」は単体でも「いふぇ LL」)。
うばふ・むばふ【奪】(うんばふう・ムばふう LLF) 最近の東京は「うばう」も聞かれるようですけれど(実際大辞林も〔2006〕②⓪とします)、(大辞林がそうするとおりまだ)主流は②かもしれません。
おこす【起】(おこしゅう LLF) 「起こす」は二つの自動詞「起く」(おくう LF。起きる)と「起こる」(おこるう LLF)とに対する他動詞です。例えば「道心を起こす」(だうしム〔daushim〕うぉ おこしゅう LLLHH・LLF)など言います。なお下二段の「遣(お)こす」(おこしゅ HHL)という動詞があって、「来させる」「送ってくる」を意味します。現代語の「よこす」に似たところもあるものの、東京の「よこす LHL」(『26』もこれ)からは昔の都でのアクセントをたどれませんし、こちらは五段動詞です。「送る」が「おくる HHL」であることと結びつけても実害はありません。
おこる【起】(おこるう LLF) 「盛んになる」「大挙する」「ぶりかえす」など、さまざまな意味で使われましたけれども、ただ「怒(いか)る」(いかる HHL)、「腹立つ」(ふぁらンだとぅ LLHL)は意味しません。名詞「おこり」は低平連続調と見ておきます。
もろこしにもかかることのおこりにこそ世もみだれあしかりけれと、やうやうあめの下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて 源氏・桐壺 もろこしにも かかる ことの おこりにこしょ よおもお みンだれえ あしかりけれと やうやう あめえの したにも あンでぃきなあう ふぃとの もてなやみンぐしゃに なりて LLLLHL・HLHLLLLLLHHL・HHLLF・LHLHHLL・LHLL・LFLHLHL・LLLRL・HLL・LLLLLHLH・LHH。
おとす【落】(おとしゅう LLF) 自動詞「落つ」(おとぅう LF)に対する他動詞です。「言い忘れる」といった意味の現代語「言い落す」は古今異義であって、平安時代の京ことばでは「言ひ落とす」(いふぃ おとしゅう HLLLF)は「けなす」といった意味で使われました。
おとる【劣】(おとるう LLF) これも「落つ」(おとぅう LF)に由来する言葉のようです。名詞「劣り」はおそらく「おとり LLL」でしょう。いつぞやも申したとおり、これと反対語「まさり」(まさり HHH)とをこの順で並べた「おとりまさり」(おとりましゃり LLLHHH)という言い方があります。「優劣」を意味し、「おとりまさりあり」「おとりまさりなし」など言います。「優劣」とは並び方が逆で、「まさりおとり」とは言わないようです。
おもふ【思】(おもふう LLF) 名詞「思ひ」は「おもふぃ LLL」。この名詞には「喪(も)に服すること」「喪に服する期間」といった意味もあります。名詞「思い」が現代東京において②で言われるのは(『26』がすでにそうです)、「祝い」におけると同じく末拍が特殊拍だからです。
およく【泳】(およくう LLF) 図名によれば末拍は清みます。改名では末拍は濁っていますから、変化は十二世紀に起こった可能性が高いでしょう。
おろす【下】(おろしゅう LLF) 名詞「おろし」は「おろし LLL」。この名詞には「おさがり」といった意味もあり、神仏への供物を人間が「おろし」としていただいたり、貴人の飲食物や衣服を家来が「おろし」としていただいたりしました。
かかる【懸・掛・罹】(かかるう LLF) 他動詞「懸く」(かくう LF)に対する自動詞です。
かぎる【限】(かンぎるう LLF) 名詞「限り」は「かンぎり LLL」です。例えば「ある限り」(ある かンぎり LHLLL)で「そこにいる人全員」といった意味になりなどします。
かなふ【叶】(かなふう LLF)
かわく【乾】(かわくう LLF) 「かはく」(かふぁく)ではありません。大和の国から都に瓜を運ぶ人らが宇治(うンでぃい LF)の北にある「成らぬ柿の木」(ならぬ かきの きい LLHHHHL)と呼ばれる木のもとで休んでいると、「年いみじう老いたる翁」(とし いみンじう おいたる おきな LL・LLHL・LHLH・LHH)があらわれて、「その瓜、一つ我に食はせたまへ。のど乾きて術(ずち)なし(ドウシヨウモアリマセン)」(しぉおのお うり、ふぃととぅ われに くふぁしぇえ たまふぇえ。のムど かわきて じゅてぃなしい HHLH、LHL・LHH・LLFLLF。LH・LLHH・LLLF)と言うが、人びとは与えない。すると…という説話が『今昔』に見えています(「外術(げじゅつ)を以て瓜を盗み食はれたる語(こと)」〔28-40〕)。
我が袖は潮干(しほひ)に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわくまもなし 千載・恋二760。わあンがあ しょンでふぁ しふぉふぃに みいぇぬ おきの いしの ふぃとこしょ しらねえ かわく まあもお なしい LHHHH・LLLHLLH・LLLHLL・HLHLHHF・LLHHLLF
きしむ【軋】(きしむう LLF) 擬音「きしきし」に由来する動詞ですが、この擬音のアクセントが「きしきし LHLH」なのか「きしきし LLLL」なのかは分かりません。「きしむ」は低起式なので、どちらかではあるのでしょう。しばらく前者とすれば、『枕』の「にくきもの」(にくきい もの LLFLL。頭にくるもの)の段(25)の一節「墨の中に石のこもりて(入ッテイテ)きしきしときしみたる」は、「しゅみの なかに いしの こもりて きしきしと きしみたる LLLLHH・HLLLLHH・LHLHLLLHLH」といったアクセントで言われたと考えられます。
きほふ【競】(きふぉふう LLF) 「きおう」という現代語はありませんが、「競(きそ)う」はあって②で言われます。平安時代にも「競(きそ)ふ」はあって「きしょふう LLF」と言われましたが、同じ意味で聞き耳も近い「競(きほ)ふ」(きふぉふう LLF)が好んで使われたようです。
くくむ【含】(くくむう LLF) 「くくむ」はほとんど現代語とは言えないでしょうけれども、「含む」や「くるむ」に近い言葉のようなので、ここに置いておきます。のちにも見ますが「はぐくむ」は「くくむ」を含んでいます。
くぐる【潜】(くンぐるう LLF) 上代には「くくる」だったそうすけれども、図名はすでに「くぐる」とします。「括(くく)る」は「くくる」(くくる HHL)です。
くさる【腐】(くしゃるう LLF) 「臭(くさ)し」(くしゃしい LLF)や、尾籠ながら「糞(くそ)」(くしょ LL)と同根だそうです。これらの「く」などを、東京人は無声化させやすいのでした。
くじる【抉】(くンじるう LLF)
くだく【砕】(くンだくう LLF)
風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けてものを思ふ頃かな 詞花・恋上210。かンじぇうぉ いたみ いふぁ うとぅ なみの おのれのみい くンだけて ものうぉ おもふ ころかなあ HHHLHL・HLLHLLL・HHHLF・LLHHLLH・LLHHLLF。第二句までは「おのれのみ砕けて」と言おうとして置かれています。
くづす【崩】(くンどぅしゅう LLF) 下二段の「くづる」(くンどぅるう LLF)と対をなします。
くばる【配】(くンばるう LLF) 「目をくばる」という、「耳を貸す」や「手を貸す」と同じく、考えようによってはグロテスクな言い方が現代語にありますけれども、「目をくばる」は昔も言った言い方で、例えば『落窪』巻三や『枕草子』の「病は」(183。やまふぃふぁ LHLH)の段などにも見えています。それは古今異義であって、平安時代の京ことばでは「目をくばる」(めえうぉ くンばるう LHLLF)は「一人一人、ないし一つ一つに目を止める」といった意味の言い方でした。すなわち『落窪』の用例では「色なる」(いろなる)男が居並ぶ女性たちに「目を配る」のであり、『枕』の用例でも、男のお坊さんが、女性たちに「目を配りつつ[オ経ヲ]読みゐたるこそ、罪や得(う)らむとおぼゆれ」(伝能因本。めえうぉお くンばりとぅとぅ よみい うぃいたるこしょ、とぅみやあ ううらムと おンぼゆれえ LHLLHHH・LFFLHHL・LHFRLHL・LLLF)というのです。
くもる【曇】(くもるう LLF) 「雲」は「くも LL」です。
くゆる【燻】(くゆるう LLF) 青空文庫全文検索によっても、現代語の辞典がこの動詞を立項しないのは問題であるように思いますけれども、それはともかく、現代語の辞典も「くゆらす」は立項します。「葉巻をくゆらして」と「葉巻をくゆらせて」とでは後者がちゃんとした言い方だと思う向きもあるでしょうけれども、国語辞典は五段の「くゆらす」(③)を主とし、下一段の「くゆらせる」(④)は従とします。とまれそれらのアクセントからは「くゆる」が平安時代の京ことばで低起式だったことをしのべます。ちなみに往時の都でも「くゆらす」(くゆらしゅ LLHL)は、四段、下二段、いずれにも活用したようです。ただし用例はごく少ししかないようですし、『源氏』にはこれらと同義の「くゆらかす」(くゆらかしゅ LLLHL)が、「初音」(ふぁとぅね HHH)の巻にあらわれます。「くゆらす」と「くゆらかす」とが同義なのは、現代語「笑わせる」と「笑わかす」とが同義なのと一般です。
くるふ【狂】(くるふう LLF)
くろむ【黒】(くろむう LLF) 「黒し」は「くろしい LLF」。
こがす【焦】(こンがしゅう LLF) 平安時代の京ことばにこういう動詞があり、現代語に「焦げる」があるのですから、昔から下二段の自動詞「焦ぐ」はあったのかもしれませんが、文献に見えはじめるのは14世紀のようです。下二段動詞「焦がる」(こンがるう LLF)は『源氏』などに見えていて、これは今の「焦がれる」とは異なり「焦げる」も意味できたようですから――今は「恋い焦がれる」とは言っても「ハンバーグが焦がれる」とは言いません――、下二段の「焦ぐ」は下二段の「焦がる」におされてあまり使われなかったのでしょう。このむ【好】(このむう LLF) 名詞「好(この)み」はおそらく「このみ LLL」でしょう。『26』『43』『58』は名詞「好み」を③としますけれども、『89』は①③。最近は①が多いでしょうから、流れは明らかです。
こぼす【零・溢】(こンぼしゅう LLF) 下二段の「こぼる」(こンぼるう LLF)と対をなします。
こほつ【毀】(こふぉとぅう LLF) 「こわす」のもともとの形だから低起式、と思っていいのでしょう。室町時代ごろ「こぼつ」に変わり、そしてその頃「こはす」も使われるようになったようです。下二段の「こほる」(こふぉるう LLF)と対をなします。
こもる【籠】(こもるう LLF)
さがる【下】(しゃンがるう LLF) 「あがる」(あンがる HHL)とは式が異なります。
さくる【噦】(しゃくるう LLF) 下二段の「垂る」(たるう LF)のところで名詞「噦(さくり)」に申し及び、「しゃっくり LLLL」と言われた可能性を考えました。『26』はこの名詞「さくり」および「しゃっくり」を①とします。上の「好み」は伝統的な東京アクセントでは③で、近年①が多くなったのでしたけれども、これは明治時代にすでに①です(江戸時代には③だったのかもしれません)。以下にもこのタイプのものがあらわれます。
さます【覚】(しゃましゅう LLF) 「覚む」は「しゃむう LF」でした。
さやぐ(しゃやンぐう LLF) 「そよぐ」(しょよンぐう LLF。そよそよと音をたてる)の母音交替形です。
笹の葉は深山もさやにさやげども我は妹(いも)思ふ別れ来ぬれば 万葉133・柿本人麻呂(かきのもとの ふぃとまろ HHHLLL・HHHH)。国司を務めていた岩見の国(島根県西部)から妻を残して京にもどる時の作で、以下は平安中期の発音です。しゃしゃの ふぁあふぁ みやまも しゃやあに しゃやンげンどもお われふぁ いも おもふう わかれえ きいぬれンば HHHFH・HHHLLFH・LLHLF・LHHLHLLF・LLFRHLL。「かきのもと」には毘135が〈平平平平平〉を差しますけれども、「柿」は「かき HH」ですから、解せません。二条家嫡流相伝という室町時代のさる古今集声点本が〈上上上上上平〉を差しますが、低平連続調からの正規変化に過ぎないと見て、語源的なアクセントをとっておきます。「ひとまろ」は顕府(31)に注記があります。『古今』の1097番目の歌の「さやにも」に寂・訓が〈平上平平〉を差すので(袖中抄は〈平上上平〉)、その第二拍は下降調と見るのが穏当です(詳細後述)。人麻呂の歌における「さやに」は掛詞ではないでしょうか。「深山もさやに」は「深山もくっきりと(見え)」ということであり、「さやにさやぐ」は「さやぐ」を強調した言い方です。
さわぐ【騒】(しゃわンぐう LLF) 名詞「騒ぎ」は「さわぎ LLL」。この名詞もすでに『26』が①とします。
しげる【茂】(しンげるう LLF)
八重葎しげれる宿の(我ガ家ノ)さびしきに人こそ見えね秋は来にけり 拾遺・秋140。やふぇむンぐら しンげれる やンどの しゃンびしきいに ふぃとこしょ みいぇねえ あきいふぁ きいにけり HHHHL・LLHLLHL・LLLFH・HLHLLLF・LFHRHHL
しだる【垂】(しンだるう LLF) 現代語には「しだれる」という下一段動詞がありますけれども、平安時代の京ことばにあったのは四段の「しだる」(しンだるう LLF)です。「しだれやなぎ」も旧都では「しだりやなぎ」で、これは「しンだりやなンぎ LLLLHL」と言われました。すると「しだりざくら」――俊頼らの歌に見えています――も「しンだりンじゃくら LLLLHL」と言われたでしょう。「柳」(やなンぎ HHH)と「桜」(しゃくら HHH)とはアクセントを同じくするのでした。
あしひきの山鳥の緒のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 拾遺・恋三778・人麻呂 あしふぃきの やまンどりの うぉおのお しンだりうぉの なンがなンがし よおうぉお ふぃとりかも ねえムう HHHHH・LLHLLLL・LLLLL・LLLLHLH・LHLHLHH。「あしひきの」については『研究』研究篇上(pp.187-189)に論があります。平安時代には「あしひきの」は「足引きの」(「足」は「あし
LL」)ではなく「葦引きの」(「葦」は「あし HH)と観念せられていたようで、ここでは図紀69が〈上上上上上〉を差すのに拠っておきます。「しだり尾」のアクセントは、例えば「作り田」が「とぅくりンだ LLLL」であるのに倣った推定です(「作る」〔とぅくるう LLF〕は「しだる」と同じ多数派低起三拍、「田」も「尾」と同じく低平調)。「ながながし」は語幹とみられ、すると末拍は拍内下降しません。
あすも来むしだり桜の枝ほそみ柳の糸にむすぼほれけり 散木奇歌集 あしゅもお こおムう しンだりやなンぎの いぇンだ ふぉしょみ やなンぎの いとに むしゅンぼふぉれけり LLFLF・LLLLHLL・HHLHL・HHHHLHH・HHHHLHL
しなふ【撓】(しなふう LLF) 「しなう」は現代語とは言えないかもしれませんが、「竹刀(しない)」は立派な現代語でしょう。「撓(しな)う」はシナルことであり、「撓い竹」というもので作るから「しない」なのだそうです。この「竹刀」は現代東京では①、『89』も①としますけれど、『58』は①②、『43』は②、『26』も②ですから、明治以来②だったものが、戦後①に座を譲っていったようです。この「しなる」は、「しなう」の転じたものらしく(『89』は「東北方言」とします)、例えば岩波国語辞典第五版(1994)はまだ「しなる」を立項していません。竹は元来「しなう」ものだったのでしょう。
平安時代には「竹刀」はなかったようですが、藤の花(ふんでぃの ふぁな HHHLL)が長く垂れるさまを「しなひながし」(しなふぃ なンがしい LLLLLF)と言ったりしました。『枕』の「木の花は」(きいのお ふぁなふぁ LLLLH)の段に、「藤の花、しなひ長く色よく咲きたる、いとめでたし」(ふンでぃの ふぁな、しなふぃ なンがく いろ よおく しゃきたる、いと めンでたしい HHHLL、LLLLHL・LLRL・HLLH、HLLLLF)とあります。それから、「しなやか」という言葉は今も昔もありますけれど(旧都では「しなやか LLHL」)、この言葉は「しなふ」と同根だそうです。なるほど。
しのぐ【凌】(しのンぐう LLF)
しばる【縛】(しンばるう LLF) 「後手(しりへで)に縛(しば)らる」(しりふぇンでに しンばらるぅ LLLLH・LLLF)という言い方が図名に見えています。どうも穏やかでありません。
しぶる【渋】(しンぶるう LLF) 例えば『大鏡』(おそらく「おふぉかンがみ LLLHL」でしょう)の道長伝に「入道殿(にふだうどの)の世をしらせたまはむことを、帝(みかど)いみじくしぶらせたまひけり」(にふンだうンどのの〔「どの」のアクセントはあてずっぽうです〕よおうぉお しらしぇ たまふぁム ことうぉ、みかンど いみンじく しンぶらしぇえ たまふぃけり LLLLHLL・HH・HHLLLLHLLH・HHH・LLHL・LLLFLLHHL)とあります。
しぼる【絞】(しンぼるう LLF)
ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは 後拾遺・恋四770。てぃンぎりきな かたみに しょンでうぉ しンぼりとぅとぅ しゅうぇの まとぅやま なみ こしゃンじいとふぁ HHLHL・LLHHHHH・LLHHH・HHHLLHL・LLHHFLH。いつぞや引いた「君をおきてあだし心を」の歌を踏まえて、お互い相手を裏切らないと約束しましたよねえ、と語気鋭く迫るおもむきです。「かたみに」の三拍目は推定。「お互いに」を意味するこのイディオムは「片身に」に由来するようで、すると、「片枝(かたえ)」に寂・訓1099が〈平上上〉を差し、「片辺(かたへ)」に梅・問答・毘・訓168が〈平上上〉を、京秘168が〈平上平〉を差すので(二拍目が高いところがポイント)、「かたみに」は「かたみに LHHH」か「かたみに LHLH」です。「身」は「みい H」、「枝(え)」は「いぇえ H」か「いぇえ F」、「辺(へ)」は「ふぇえ H」か「ふぇえ F」。「片枝」「片辺」がLHH、LHF、いずれなのかは分かりません。三拍目が低いかもしれないのは、例えば「舟」は「ふね LH」、「子」は「こお H」、「舟子(ふなこ)」は「ふなこ LHL」、というような例もあるからです。
しらむ【白】(しらむう LLF) 「白し」は「しろしい LLF」です。
すぐす【過】(しゅンぐしゅう LLF) 「すごす」(しゅンごしゅう LLF)とも。「過ぐ」は「しゅンぐう LF」でした。
難波潟みじかき葦(あし)のふしのまも逢はでこの世をすぐしてよとや 新古今・恋一1049・伊勢。なにふぁンがた みンじかきい あしの ふしの まあもお あふぁンで こおのお よおうぉお しゅンぐしてよとやあ LHHHL・LLLFHHH・LLLHL・LHLHHHH・LLHHLLF。繰り返しになりますが「葦」は「あし HH」です。近世京都でもそうであるようで(総合資料)、現代京都の「あし 」や『26』以来の東京の「あし HL」からは旧都のアクセントを偲べません。
すぐる【選】(しゅンぐるう LLF) 現代語で「よりすぐる」「えりすぐる」というその「すぐる」です。
すずむ【涼】(しゅンじゅむう LLF)
すだく【集】(しゅンだくう LLF)
すべる【滑】(しゅンべるう LLF)
すます【澄・清】(しゅましゅう LLF) 「澄む(清む)」(しゅむう LF)と同式です。四段動詞であり、例えば「邪念を払う」といった意味の「心(ヲ)澄ます」(こころ しゅましゅう LLHLLF)という言い方で申せば、「心澄ませて」ではなく「心澄まして」(こころ しゅまして LLHLLHH)というのでなくてはなりません。
心を澄ませば心が澄みます。源氏・幻(まンぼろし LLLH。後半二拍推定)で、紫の上に先だたれたことですべてを失った心地のしている光る源氏は、子息・夕霧を相手に、
ひとり住みは殊に変はることなけれど(以前ト特ニ変ワラナイケレド)、あやしうさうざうしくこそありけれ(妙ニサビシイモノダネ)。(出家シテ)深き山住みせむにも、かくて身をならはしたらむは、こよなう心澄みぬべきわざなりけり。
ふぃとりンじゅみふぁ、ことおに かふぁる こと なけれンど、あやしう しゃうンじゃうしくこしょ ありけれ。ふかきい やまンじゅみ しぇえムにも、かくて みいうぉお ならふぁしたらムふぁ、こよなう
こころ しゅみぬンべきい わンじゃなりけり。LLLLLH・LFH・HHHLLLHLL・LLHL・HHHHHLHL・LHHL・LLF・LLLLHHHL・HLH・HH・LLHLLLHH・LLHL・LLH・LHHHF・HLLHHL。
と言うのですけれども、そう言いながらも父親がぼんやりと空ばかり眺めるのを見て、息子は、
かくのみおぼしまぎれずは(オ気持ガマギレナイヨウダッタラ)、(出家者トシテノ)御おこなひにも心澄ましたまはむことかたくや(ムツカシイノデハナイカ)。
かくのみ おンぼしい まンぎれンじゅふぁ、おふぉムおこなふぃにも こころ しゅましい たまふぁム こと かたくやあ。HLHL・LLFLLHLH・LLHHHHHHL・LLH・LLFLLLHLL・HHLF。
と思っています。こころ、しゅむう。こころ、しゅましゅう。魅力的な言い方です。
すまふ【住】(しゅまふう LLF) 「住む」も低起式の「しゅむう LF」でした。平安仮名文では「住まふ」は現代語の「暮らす」「生活する」に近いことが多く、名詞「住まひ」(しゅまふぃ LLL)も現代語の「住まい」(「住居」「家」)よりも「暮らし」「生活」に近いようです。現代東京ではというと、この名詞「住まい」を『26』は②①、『43』は②、『58』は②①、『89』は①とします。「竹刀」におけると同じく、②が退潮し①の天下になったようです。ちなみに「相撲」は元来「すまひ」(しゅまふぃ HHH)です。「争」や「拒」を当てる四段動詞「すまふ」(しゅまふ HHL)の連用形を起源とする名詞です。「すもう」が⓪なのは、動詞「すまふ」の高起性の名残にほかなりません。
せまる【迫】(しぇまるう LLF)
そそく【噪】(しょしょくう LLF) 「せかせかと動く」といった意味の動詞で、近世に成立したらしい「そそくさ」と関連のある言葉のようです。これからの派生語に「そそかし」という形容詞があります。現代語の「そそっかしい」とは同一視できないようで、例えば源氏・横笛(よこンぶいぇ HHLL)に、
うち笑ひて、何とも思ひたらず、いとそそかしう這ひ下(お)り騒ぎたまふ。
うてぃい わらふぃて なにともお おもふぃたらンじゅ いと しょしょかしう ふぁふぃい おりい しゃわンぎい たまふう。LFHHLH・LHLF・LLHLHL・HLLLLHL・LFLFLLFLLF。
とあるのは、満一歳と一か月ほどの薫のことを言っています。この歳の子供がそそっかしいということはないわけで、「そそかしう」は「ちょこちょこと」といったほどの意味と見られます。ちなみに「思ひたらず」は「思っている様子がなく」といった意味なのでした。
そよぐ【戦】(しょよンぐう LLF)
きのふこそ早苗とりしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く 古今・秋上172。きのふこしょ しゃなふぇ とりしか いとぅの まあにい いなンば しょよンぎて あきかンじぇの ふく HHLHL・HHHLLHL・LHLHH・LHLLLHH・LLLHLLH。「いつの」を「いとぅの LHH」としないことについては後述。「吹く」は主格の「の」付きの語句の修飾先なので連体形です。「稲葉」には伏片307が〈平上平〉を差し、同・172が〈平上上〉を差します。
風そよぐ楢の小川のゆふぐれは禊ぞ夏のしるしなりける 新勅撰・夏192・家隆。かンじぇ しょよンぐ ならの うぉンがふぁの ゆふンぐれふぁ みしょンぎンじょお なとぅの しるしなりける HHLLH・LLLHHHH・HHHHH・HHLFHLL・HHHLHHL 。「小川」への注記を知りませんが、接辞「小(を)」にはじまる三拍語であり、現代京都でもHHH、現代東京でも⓪ですから、すべて高いと見てよいと思います。
そろふ【揃】(しょろふう LLF)
たがふ【違】(たンがふう LLF) 「寸分たがわぬ何々」のような言い方は今でもするので、ここに置きます。「ちがふ」は「てぃンがふ HHL」で、式が異なります。
たぐふ【類】(たンぐふう LLF) 現代語には「たぐわない」「たぐいます」など使う動詞はありませんけれども、名詞「類(たぐい)」があります。この名詞のアクセントは、『26』『43』が①とし、『58』は①②③、『89』は⓪③②とします。⓪以外は古い京ことばで動詞「たぐふ」が低起式だった名残と申せます。ちなみに古語としての名詞「類(たぐひ)」(たンぐふぃ LLL)には「仲間」という意味があります。例えば源氏・若紫で光る源氏が「『たぐひになさせたまへ』といと聞こえまほしきを」(たンぐふぃに なしゃしぇえ たまふぇえと いと きこいぇまふぉしきいうぉ LLLH・LLFLLFL・HL・HHHHHHFH。お仲間にならせてくださいと是非申し上げたいので)と言っています。これに対応して、「仲間としてよりそう」「仲間になる」「お似合いである」「つりあいがとれる」といった意味が動詞「たぐふ」にはありますけれど、加えてこの動詞は「何々にたぐふ」というように使われることもあって、例えば源氏・夕顔で、お仕えしてきたご主人さまに先だたれた女房は、「(火葬ノ)煙にたぐひて(御主人様ノモトニ)慕ひ参りなむ」(けンぶりに たンぐふぃて したふぃ まうぃりなムう HHHH・LLHH・HHL・LHHHF)と言いますけれども、これは煙と一緒になって後(あと)を追いたいというのです。なお、現代語では「たぐえる」と言いませんが、古くは下二段の「たぐふ」(たンぐふう LLF)もあって、「仲間としてよりそわせる」「仲間にする」といった意味で使われました。
たくむ【巧】(たくむう LLF) この動詞は平安仮名文にはあまりあらわれませんが、名詞「匠(たくみ)」は『源氏』の「雨夜の品さだめ」(おそらく、あまよの しなしゃンだめ LHLL・HHHHL。「品」は「くしな HH」、「さだむ」は多数派低起)などにも出てきます。東京の「たくむ」というアクセントは旧都の「たくむ」(たくむう LLH)の名残であり、名詞「匠」も「たくみ LLL」でした。昔の京ことばでは、大工さんに限らず、手先の巧みさ・器用さを生かして物を作る人はみな「匠」で、例えば「金工(かなだくみ)」(かなンだくみ HHHHL)は金(きん)や鉄などの細工をする人です。「絵だくみ・画工」(おそらく「うぇンだくみ LLHL」でしょう)という言葉もありました。名詞「たくみ」は現代東京では⓪で言われますけれども、『26』『43』は何と①です。たくみ。『58』は①⓪、『89』は⓪で、戦後平板化したことが分かりますとします。現代京都は「たくみ」。
たたく【叩】(たたくう LLF)
ただす【正】(たンだしゅう LLF) 「正(ただ)し」は「たンだしい LLF」です。
たたる【祟】(たたるう LLF) この動詞は「立つ」――「立ちあらわれる」といった意味の「立つ」――に由来する言葉で、「立つ」はLFですから低起式なのは当然だと申せます。名詞「祟り」はおそらく「たたり LLL」でしょう。祟りなどいうものはないでしょうが、ただお酒は祟ります。東京では動詞「たたる」は、『26』『43』『58』が②としますが、『89』は③②、『大辞林』(2006)は⓪②なので、近年変化のきざしがあるということかもしれません。名詞「祟り」は『26』の昔から①で言われてきているようです。
たどる【辿】(たンどるう LLF) 平安時代の京ことばではこの動詞は多義で、今と同じような意味でも使いましたけれど、ここでこうするとこうなる、するとああなる、すると…、というように考えを進めることも、また、五里霧中の状態であることも、「たどる」と言いました。この名詞形「たどり」(おそらく「たンどり LLL」でしょう)にも、「思慮」といった、現代語にはない意味があって、「たどりふかし」(たンどり ふかしい LLLLLF)、「たどり うすし」(たンどり うしゅしい LLLHHF)など言いました。
たのむ【頼】(たのむう LLF) 古今異義語として名高いものの一つで、「頼る」「信用する」「期待する」といった意味で使うこと、周知のとおりです。名詞「頼み」は「たのみ LLL」で、「頼りになるものやこと」といった意味。「たのめない」「たのめて」など使う現代語「たのめる」は「頼むことができる」を意味しますけれども、平安時代の京ことばでは「たのめず」(たのめンじゅ LLHL)、「たのめて」(たのめて LLHH)など使う下二段の「たのむ」は、申さば〝たのませる〟ことで、多くは交際相手の女性に対して男性が「裏切らないと約束する」「必ず訪問すると約束する」といった意味で使います。下二段の「たのむ」を四段のそれの「他動詞形」とする向きもありますけれど、「うとむ」について申したのと同じく、それでは四段の「たのむ」が自動詞であるかのようです。なお「たのもし」は「たのもしい LLLF」。
たふす【倒】(たふしゅう LLF) 『日葡辞書』(1603)にはtauosu(=tawosu)とあるそうですから、ハ行転呼が完了したあと、さらに「う」が「うぉ」になったようです。
たまふ【給】(たまふう LLF) 下二段の「たまふ」も多数派低起動詞です。例えば「さなむ思ひたまふる」(しゃあなム おもふぃい たまふる LHL・LLFLLLH)は、学校文法がどう言おうと、「さなむ思ひはべる」(しゃあなム おもふぃい ふぁンべる LHL・LLFRLH)と同義の、「そう存じます」というような改まりかしこまった言い方であり、「さなむ思ひたまへはべる」(しゃあなム おもふぃい たまふぇえ ふぁンべる LHL・LLFLLFRLH)はその改まりかしこまる度合いのさらに高い言い方です。詳細は「『源氏物語』の現代語訳について――敬語の観点から――」を御覧ください。
たゆむ【弛】(たゆむう LLF)
たをる【手折】(たうぉるう LLF) 「手」は「てえ L」なのでここに置きますけれども、じつは毘・訓54がこの動詞を高起式とします。「綱(つな)」は「とぅな LL」であるにもかかわらず「繋(つな)ぐ」は高起式の「とぅなンぐ HHL」だったのと同趣なのかもしれませんけれど、「つなぐ」は図名が〈上上平〉とするのに対して、「たをる」を高起式とするのは結局のところ鎌倉期の資料です。強引かもしれませんけれども、低起式でも言えたと考えてここに置いておきます。
つかむ【摑】(とぅかむう LLF)
つくる【作】(とぅくるう LLF)
つつむ【包・慎】(とぅとぅむう LLF) 今も言う「包む」と、「遠慮する」「はばかる」「用心する」「控える」といった意味の、「慎」を当てる「つつむ」とは同根です。後者の「つつむ」には、「もののきこえをつつみて」(ものの きこいぇうぉ とぅとぅみて LLLHHHH・LLHH。源氏・須磨〔しゅま HL〕)、「院をつつみきこえたまひて」(うぃんうぉ とぅとぅみい きこいぇ たまふぃて LLH・LLFHHLLLHH。院〔朱雀院〕に対して遠慮をいたしなさって)のように「を」格をとる言い方のほかに、「人目につつむ」(ふぃとめに とぅとぅむう HHHHLLF。源氏・宿木〔やンどりき LLLH〕など)なども言います。これは「人目があるので用心する」といった意味ですから、こうした「つつむ」は自動詞です。「人目をつつむ」も言う言い方で(『俊頼髄脳』に見えています)、「人目つつみ」(ふぃとめとぅとぅみ HHHHHL)という名詞もあり、歌で「堤」(とぅとぅみ LLH)とかけて使われます。派生語「つつまし」(とぅとぅましい LLLF)も、「気おくれする」「はばかられる」といった意味の名高い古今異義語です。
思へども人目つつみの高ければかはと見ながらえこそ渡らね 古今・恋三659。おもふぇンどもお ふぃとめとぅとぅみの たかけれンば かあふぁと みいなンがら いぇええこしょ わたらねえ LLHLF・HHHHHLL・LLHLL・FHLLHHH・ℓfHLHHHF。愛してはいるものの、人目をはばからなくてはならないので、あのかたの姿を目にしながら、突き進めない。堤が高くて川を目の前にして渡れない、という意味が重なっています。
つどふ【集】(とぅンどふう LLF)
ともす【点・灯】(ともしゅう LLF) 古くは「灯(とも)る」とは言わなかったようです。名詞「ともし」は「ともし LLL」で、「ともしび」(ともしンび LLLL)と同じ意味で使ったり、かがり火(かンがりンび HHHH)などを使って鹿(しか LL)を狩ることを意味したりしました。
ながす【流】(なンがしゅう LLF)
なげく【嘆】(なンげくう LLF) いつぞや申したとおり、名詞「なげき」(なンげき LLL)は「長息」(ながいき)の変化したものと言いますから(「長し」は「なンがしい LLF」、「息」は「いき LH」)、もともとは「ため息をつく」を意味したらしい動詞「なげく」は、名詞から作られた動詞という意味で、「ダブる」「トラブる」「ググる」などと同趣と申せます。『蜻蛉の日記』の天暦九年冬の次の記事はよく知られています。
これより、夕さりつかた、「内裏(うち)に。のがるまじかりけり」とて出づるに、心得で人をつけて見すれば、「町の小路なるそこそこになむとまりたまひぬる」とて来たり。さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二三日ばかりありて、あかつきがたに門(かど)をたたく時あり。さなめりと思ふに憂くて開(あ)けさせねば、例の家とおぼしきところにものしたり。つとめて、なほもあらじと思ひて、
なげきつつひとり寝る夜の明くるまはいかに久しきものとかは知る
と例よりはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。かへりこと、「あくるまでもこころみむとしつれど、頓(とみ)なる召使の来あひたりつればなむ。いとことわりなりつるは。
げにやげに冬の夜ならぬまきの戸もおそくあくるはわびしかりけり」
これより、ゆふしゃりとぅかた、「うてぃに。のンがるまンじかりけり」とて いンどぅるに、こころ いぇえンで ふぃとうぉ とぅけて みしゅれンば、「まてぃの こうンでぃなる しょこしょこになムう、とまり たまふぃぬる」とて きいたりい。しゃれンばよおと、いみンじう こころ うしいと おもふぇンどもお、いふぁム やうもお しらンで ある ふぉンどに、HHLL、HHHHHHL、「HLH。LHHHHLHHL」LH・LLHH、LLHRL・HLHLHH・LLHL、「HLLHLLHL・LHLHHLF・ HHLLLHHH」LHRLF。LHLFL、LLHLLLHLFL・LLHLF・HHHLLF・HHLLHHLH、ふとぅか みかンばかり ありて、あかとぅきンがたに かンどうぉ たたく とき ありい。しゃあなんめりと おもふに ううくて あけしゃしぇねンば、れいいの いふぇと おンぼしきい ところに ものしいたりい。とぅとめて(後半二拍推測)、なふぉおもお あらンじいと おもふぃて、HHH・HHHHLLHH、HHHHHLH・HLH・LLHLLLF。LHLHLL・LLHH・RLH・HHHHHL、LHHLLL・LLLFHHHH・LLFLF。LLLL、LFFLLFL・LLHH、/ なンげきとぅとぅ ふぃとり ぬる よおのお あくる まあふぁあ いかに ふぃしゃしきい ものとかふぁ しる LLHHH・LHLHHLL・HHHHH・HLHLLLF・LLLHHHH / と、れいいよりふぁ ふぃき とぅくろふぃて かきて、うとぅろふぃたる きくに しゃしたりい。かふぇりこと、「あくるまンでも こころみムうと しいとぅれンど、とみなる めしとぅかふぃの きいい あふぃたりとぅれンばなム。いと ことわりなりとぅるふぁ。/ げえにいやあ げえにい ふゆの よおならぬ まきの とおもお おしょく あくるふぁ わンびしかりけり L・LHLLH・HLLLHLH・LHH、LLHLLH・LLH・LHLF。LLLLL、「HHHLHL・LLLLFL・FLHL、LLHL・LHHHHH・ℓfLHLHLHLHL。HL・LLLLHLLHH。/ LHFLH・HLLLLLH・HHHHL・HHLHHHH・HHHLHHL。夕方、夫(兼家)が、どうしても参内しなくてはならないのだったと言って出かけるが、どうもあやしいと思い尾行させると、実際目的地は町の小路というところだったので、道綱の母は、やっぱりだ、女だ、と思うものの、ただ様子を見るだけにしておくと、二三日して、まだ暗い時分、夫とおぼしき人が来て門をたたきます。開けさせないでいると、町の小路に向かったようです。夜が明けてから、このままにはしないぞと思って、一人で寝ると夜明けまでが長いことなどあなたはご存じありますまいという歌を、わざと他人行儀なふうに書き、菊の花の色の変わったのを添えて、自分への愛情のおとろえを訴えると、夫は、白々しい言い訳をしてから、確かにあなたは夜明けが長かったでしょうけれども、戸がなかなか開かないのものつらいものだ、と返事をしたのでした。「小路(こうぢ)」は「こみち(小道・小路)」(こみてぃ HLL)の変化したもののようですから、「こうンでぃ」、ないしもっと踏み込めば「こムでぃ」だったでしょう。なお、ここの「つとめて」を「翌朝」と訳すのは問題ではないでしょうか。
なつく【懐】(なとぅくう LLF) 派生語「なつかし」(なとぅかしい LLLF)は「親しみやすい」といった意味の名高い古今異義語です。
猫はまだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、ものに引きかけまつはれにけるを(マツワリツイテイタ、ソレヲ)、逃げむとひこしろふ(ヒッパル)ほどに、御簾(みす)のそば(ハシガ)、いとあらはに引きあけられたるを、とみにひき直す人もなし。源氏・若菜下
ねこおふぁ まンだあ よおく ふぃとにも なとぅかぬにやあ、とぅな いと なンがく とぅきたりけるうぉ、ものに ふぃき かけえ まつふぁれにけるうぉ、にンげムうと ふぃこしろふ ふぉンどに、みしゅの しょンば、いと あらふぁに ふぃき あけられたるうぉ、とみに ふぃき なふぉしゅ ふぃともお なしい。LFHLF・RLHLHL・LLLHHF・LLHLLHL・LHLHHLH、LLHHLLF・HHHLHHLH、LLFLHHHHHHLH・HHHLL・HLLHLH・HLHHHLLHH・LLHHLLLH・HLFLF。「猫」はLFだと思います。『倶舎論音義』が〈平上〉を差すので(総合索引)、LHかLFということになりますけれども、武田佳子さんの「大阪方言アクセントにおける二拍5類語の現在 : 三世代話者の読み上げデータからのケーススタディ」(2009、web)によれば、現在の大阪では「猫」はHLで言われるがかつてはLFで言われたそうです。現代京都もHLですが、中井さんの『京ア』の「猫」の項に「奥村氏内省報告L2、地域差か」とあります。二拍五類語は昔からアクセントを変えないものの多いことを考えても、古くは「ねこお LF」だったと見るのが自然でしょう。
なづむ【泥・煩】(なンどぅむう LLF) 「なかなか暮れない」といった意味の現代語「暮れなずむ」の「なずむ」は「なづむ」の子孫ですけれども、古今同義ではありません。もっとも、この動詞には「思いどおりにゆかないので苦しむ」「難渋する」といった意味があって、「行きなづむ」(ゆき なンどぅムう HLLLF)といった言い方もありますから、「日、入りなづむ」(ふぃい、いり なンどぅむう F・HLLLF)といった言い方ならば平安時代の京ことばとして可能かもしれません
でしょう。
きときてはかはのぼりぢのみづをあさみふねもわがみもなづむけふかな 土左日記・二月七日。きいいと きいてふぁ かふぁのンぼりンでぃの みンどぅうぉ あしゃみ ふねも わあンがあ みいもお なンどぅむ けふかなあ ℓfLRHH・HHHHHLL・HHHHHL・LHLLHHL・LLHLHLF。「川」は「かふぁ HL」ですから「川のぼり路」の五拍目までは高いと見られ、末拍は、伏片465(後に引きます)が「かよひ路」に〈上上上平〉(かよふぃンでぃ HHHL)を差しなどしているので、低いと見られます。
いはけなき鶴(たづ)の一声聞きしより蘆間になづむ舟ぞえならぬ 源氏・若紫。いふぁけなきい たンどぅの ふぃとこうぇえ ききしより あしまに なンどぅむ ふねンじょ いぇええ ならぬ LLLLF・LHLLLLF・HHHLL・HHHHLLH・LHLℓfLLH。「いはけなし」のアクセントは推定です。「葦」は「あし HH」、「間」は「まあ HH」なので、「あしま HHH」のアクセントは現代語の「きつねそば」などと同趣と申せます。なおこの歌では副詞「え」に「江」(いぇえ F)が響きます。改めて申せば掛詞はアクセントの一致を求めません。あなた(幼い紫の上)の声をお聞きしてから私(葦間でとどこおる舟)は複雑な気持ちです。
なびく【靡】(なンびくう LLF) 男の誘惑に負けやすい女性を形容することの多い言葉に「なびきやすなり」(なびきやすい)という言い方があります。これは「なンびきやしゅなり LLLLLHL」と言われたでしょう。例えば「ひたひびろ【額広】」は「ふぃたふいンびろ HHHHL」(「ひたひ」は「ふぃたふぃ HHH」、「ひろし」は「ふぃろしい LLF」)、「みじろのいね【実白稲】」は「みンじろの いね HHLLLH」(「実」は「みい H、「しろし」は「しろしい LLF」、「あしたかのくも【足高蜘蛛】は「あしたかの くもお LLLLLLF」(「あし」は「あし LL」、「たかし」は「たかしい LLF」)と発音されましたけれども、これらは名詞と形容詞の語幹とが一つの複合名詞を作り、そういうものとして発音されることを示しています。三番目の例は「なびきやす」も低平連続であることを示すでしょう。なお、平安時代の京ことばでは「なびきやすし」という言い方はしません。ちなみに申せば、「あたたかし」「やはらかし」という形容詞もありません。あったのは「あたたかなり」(あたたかなり LLHLHL)、「やはらかなり」(やふぁらかなり LLHLHL)という言い方です。これらを形容動詞と呼ばないこと、副詞と「あり」とのつづまったものと見ることは、のちの話題です。
なほす【直】(なふぉしゅう)
なほる【直】(なふぉるう LLF)
なやむ【悩】(なやむう LLF)
こほりとぢ石間(いしま)の水はゆきなやみそら澄む月の影ぞながるる 源氏・朝顔(あしゃンがふぉ)。こふぉり とンでぃい いしまの みンどぅふぁ ゆき なやみい しょら しゅむ とぅきの かンげえンじょお なンがるる HHHLF・HHHHHHH・HLLLF・LHLHLLL・LFFLLLH。女たらしを夫に持つ私は悲しいという意味の、アレゴリカルな歌。石間の水(つまり私)は行きわずらい(生きわずらい)、空行く月(つまり光る源氏)は流れてゆきます。「流るる」(なンがるる LLLH)に「泣かるる」(なかるる HHHH)が響きます。掛詞は清濁の差を問わず、またアクセントの一致を求めないのでした。
ならす【馴・均】(ならしゅう LLF) 「鳴らす」は「ならしゅ HHL」でした。
ならふ【習・倣】(ならふう LLF) 名詞「ならひ」は「ならふぃ LLL」。現代東京でこの名詞が②で言われるのもセオリーどおりです。同根の動詞に「ならはす」(ならふぁしゅ LLHL)や、その名詞形「ならはし」(ならふぁし LLLL)があります。
にがす【逃】(にンがしゅう LLF) 「逃ぐ」は「にンぐう LF」でした。
にがむ【苦】(にンがむう LLF) 形容詞「苦(にが)し」は「にンがしい LLF」です。
にくむ【憎】(にくむう LLF) 現代語では「憎む」は通例かなり強い感情を意味しますけれども、平安時代の京ことばではこの動詞は、「不快感をあらわにする」「いやな顔をする」というほどの意味でも、ということは一つの感情ではなくそれに発す行為を示す時にも使われました。
「異人(ことひと)の言はむやうに。心えずおほせらる」と中将にくむ。源氏・帚木。ことふぃとの いふぁム やうに。こころ いぇえンじゅ おふぉしぇらるう」と てぃうンじやう にくむう 「LLLHL・HHHLLH。LLHRL・LLLLH」L・LLHHH・LLF。頭の中将が光る源氏に、あなたのお言葉とは思えません、合点のゆかないことをおっしゃいます、といって顔をしかめる、といった場面です。「異人(ことひと)」のアクセントは「商人(あきびと)」(あきンびと LLLH)のそれに倣いました。
にごる【濁】(にンごるう LLF) 名詞「濁り」は「にンごり LLL」。
はちす葉(ば)の濁りに染(し)まぬ心もて何かは露を珠(たま)とあざむく 古今・夏165。ふぁてぃしゅンばの にンごりに しまぬ こころ もて なにかふぁ とぅゆううぉ たまと あンじゃむく HHHLL・LLLHHHH・LLHLH・LHHHLFH・LLLHHHH。心きよらかなはずの蓮が、何ゆえ、その葉の上に置く露は宝石かと誤解させるようなことをするのか、といきどおって見せています。「蓮(はちす)」(ふぁてぃしゅ HHH)は当時から「極楽」(ごくらく LLLL)に咲く花とされ、また当時は、仏教語「濁世」(ぢよじょくせ)(でぃよくしぇえ。LLLL)などを背景に、今ならば「けがれる」という動詞を使うような場面で「にごる」を使いました「澄む」(しゅむう LF)と「濁る」とが反意語の関係にあることも思い出されます。
になふ【担】(になふう LLF) 「荷(に)」は「に L」です。
にほふ【匂】(にふぉふう LLF)
初瀬(はつせ)に(ツマリ長谷寺ニ)まうづるごとにやどりける人の家(民家)に久しくやどらで、ほど経てのちにいたれりければ、かの家のあるじ、「かくさだかになむやどり(オ泊メスル場所)はある」と言ひいだしてはべりければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 古今・春上42・貫之。
ふぁとぅしぇに まうンどぅるンごとおに やンどりける ふぃとの いふぇに ふぃしゃしく やンどらンで、ふぉンど ふぇえて のてぃに いたれりけれンば、かあの いふぇの あるンじ、「かく しゃンだかになムう やンどりふぁ ある」と いふぃ いンだして ふぁンべりけれンば、しょこに たてりける ムめの ふぁなうぉ うぉりて よめる HHHH・LHLHLFH・LLHHLHLLLLH・LLHL・LLHL、HLRHLLH・HHLHHLL・FLLLLLLH、「HLLHLHLF・LLLHLH」L・HLLLHH・RLHHLL、LHHLHLHL・HHHLLH・LHHLHL/
ふぃとふぁ いしゃあ こころも しらンじゅ ふるしゃとふぁ ふぁなンじょお むかしの かあにい にふぉふぃける HLHLF・LLHLHHL・LLHHH・LLFHHHH・HHLLHHL。さあ、あなたの心が昔と同じかどうか分かりませんけれど、梅の香りは昔と同じですね。時に指摘されるとおり、「言ひいだして」(家の中から詠みかけてきて)とあるからには「あるじ」は女性でしょう。あるじが貫之の不実を責めてみせたのに対して、貫之もあるじの誠実を疑ってみせています。流火先生の『百首通見』には、「おまえの色香もまだ抜けていない、と女あるじを適当にからかっている」とあります。
さて「ふるさと」――周知のとおり生まれ育った土地に限らず、ということは「故郷(こきょう)」とは限らず、かつて住んだなじみの土地も指しました(この歌でもそう)――を「ふるしゃと LLHH」としたのは推定で、これは低起形容詞「古し」(ふるしい LLF)の語幹と二拍一類名詞「里」(しゃと HH)とからなる複合名詞ですけれども、そのアクセントを記した文献のないらしいことは遺憾です。「やまざと(山里)」は「やまンじゃと LLLH」ですけれども(「山」は「やま LL」)、前部成素の性格が違うので、これを参照すればよいと申せません。「ふるさと」と同趣の組成を持つ「くろがき【黒柿】」「くろがね【鉄】」「くろとり【黒鳥】」「ながぶえ【長笛】」がいずれもLLLLで言われること(くろンがき、くろンがね、くろとり、なンがンぶいぇ)は無視できませんけれども、これらのうち「くろとり」を除く三つは連濁しているのに対して、「ふるさと」は連濁していません。「ふるざと」ではないのです。その点では同組成のかつ連濁しない「くろこま(黒駒)」「しろかね(白金=銀)」「しろたへ(白妙)」「むまさけ(美酒)」がLLHHであること(くろこま、しろかね、しろたふぇ、ムましゃけ)こそ注目されて、「ふるさと」は「ふるしゃと」であり、「くろとり」もまた「くろとり」と言えた、と見ておくことにします。『研究』研究篇上の「一般に複合の度合が弱いものは全部成素の式、後部成素のアクセント型を生かすが、その際は連濁しない傾向がある」という指摘(p.197)が適用されると見るわけです。近世の資料には「ふるさと」をHLLLとするものもあり、現代京都でもHLLLで、これらはLLHHからの正規変化と見うるわけで心づよいのですけれども、ただ別の近世の資料にはHHLLとあるそうで、これはLLLHからの変化と解されます。じつは「ふるさと」と同じ組成の「にがたけ(苦竹か。連濁なし)」には梅・寂・毘・訓が〈平平平平〉を差すほか、伏片・家・京秘が〈平平平上〉を差していますし(451の物の名の歌の題)、改名の一本は「ながふえ(長笛)」にやはり〈平平平上〉を差していますから、「ふるしゃと LLLH」はありうる言い方で、悩ましいことです。
春雨ににほへる色もあかなくに香さへなつかし山吹の花 古今・春下122。ふぁるしゃめえに にふぉふぇる いろもお あかなくに かあしゃふぇ なとぅかしい やまンぶきの ふぁな LLLFH・LLHLLLF・LLHHH・HHHLLLF・LLHLLLL。美しい色だけでも見飽きないのに香りまで慕わしい、と言っています。
いにしへの奈良の都の八重ざくらけふここのへににほひぬるかな 詞花・春27。いにしふぇの ならの みやこの やふぇンじゃくら けふ ここのふぇに にふぉふぃぬるかなあ HHHLL・HLLHHHH・HHHHL・LHLLHLH・LLHHHLF。ここでも「にほふ」は視覚的意味で使われています。「やへざくら」への注記を知りませんが、「やへ」は「やふぇ HL」、「さくら」は「しゃくら HHH」で、「やへむぐら」(やふぇむンぐら HHHHL。「むぐら」は「むンぐら LLL」。後述)、「にはざくら」(にふぁンじゃくら HHHHL。「には」は「にふぁ HH」)、「文(ふみ)づくえ」(「ふみンどぅくいぇ HHHHL。「文(ふみ)」は「ふみ HL」、「つくえ」は「とぅくいぇ HHH」)などから「やふぇンじゃくら HHHHL」と見てよいようです。
「ここのへ」を「ここのふぇ LLHL」と見るにことついて。『研究』研究篇上〔五・3〕に準拠しつつ(pp.460)、
ふたつ HHL ふたへ HHL
やつ HL やへ HL
ここのつ LLHL ここのへLLHL
ような対応を見ればそうするのが自然だということになると思います(ふたとぅ、ふたふぇ、やとぅ、やふぇ、ここのとぅ、ここのふぇ)。「ひとつ」は「ふぃととぅ LHL」であるのに対して「ひとへ」は「ふぃとふぇえ LLF」ですが、これは「ひとめ【一目】」は「ふぃとめ LLH」、「ひとたび【一度】」は「ふぃとたンび LLHL」、「ひとよ【一夜】」は「ふぃとよLLL、ないし、ふぃとよ LLH」などなどであるのと同じことです。
さて接尾辞「重(へ)」はもともとは下降調をとり、低い拍の次では「ふぃとふぇえ LLF」に見られたようにそのアクセントを保って本体に連なるが、高い拍の次では「ふたふぇ HHL」以下に見られたように低まるようです。これは例えば「はちす【蓮】」(ふぁてぃしゅ HHH)と「葉」(ふぇあ F)とからなる複合名詞「はちすば」が「ふぁてぃしゅンば HHHL」と言われるのと同じことです。
参考までに数詞を含む言い方を少し並べて置きましょう。推定されるだけのものにはアステリクスを付します。
ひとつ(ふぃととぅ LHL)
ふたつ(ふたとぅ HHL)
みつ(みとぅ HL)
よつ(よとぅ HL)
いつつ(いとぅとぅ LLL、いとぅとぅ LLH)
むつ(むとぅ HL)
ななつ*(ななとぅ LLL、ななとぅ LLH)
やつ(やとぅ HL)
ここのつ(ここのとぅ LLHL)
とを(とうぉ HL)
ひとへ(ふぃとふぇえ LLF)
ふたへ(ふたふぇ HHL)
みへ*(みふぇHL)
よへ*(よふぇ HL)
いつへ*(いとぅふぇえ LLF)
むへ*(むふぇ HL)
ななへ(ななふぇえ LLH)
やへ(やふぇ HL)
ここのへ*(ここのふぇ LLHL)
とへ(とふぇ HL)
ひとり(ふぃとり LHL)
ふたり(ふたり HHL)
みたり(みたり HHL)
よたり(よたり HHL)
いつたり*(いとぅたり LLHL)、
むたり*(むたり HHL)、
ななたり*(ななたり LLHL)、
やたり*(やたり HHL)、
ここのたり*(ここのたり LLHHL)、
とたり*(とたり HHL)
すると、「ひとり」は「ひとたり」(ふぃとたり LLHL)のつづまったものなのでしょう。
にらむ【睨】(にらむう LLF)
ぬすむ【盗】(ぬしゅむう LLF) 『伊勢物語』第六段の次の物語はよく知られています。
昔、男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを年をへてよばひわたりけるをからうして盗みいでて、いと暗きに来けり。あくた川といふ川を率(ゐ)ていきければ、草の上に置きたりける露を、「かれは(アレハ)なにぞ」となむ男に問ひける。ゆくさき多く(遠ク)、夜(よ)もふけにければ、鬼あるところとも知らで、雷(かみ)さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に女をば奥におしいれて、男、弓、やなぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜もあけなむと思ひつつゐたりけるに、鬼、はやひとくちにくひてけり。(女ハ)「あなや」といひけれど、(男)雷なるさわぎにえ聞かざりけり。やうやう夜もあけゆくに見れば、ゐて来(こ)し女もなし。あしずりをして泣けどもかひなし。
しらたまか何ぞと人のとひしとき露とこたへて消えなましものを
むかし、うぉとこ ありけり。うぉムなの いぇええ ううまンじかりけるうぉ、としうぉ ふぇえて よンばふぃ わたりけるうぉ、からうしいて ぬしゅみい いンでて、いと くらきいに きいけり。あくたンがふぁ(ないし、あくたンがふぁ)といふ かふぁうぉ うぃいて いきけれンば、くしゃの うふぇに おきたりける とぅゆううぉ、「かれふぁ なにンじょ」となム うぉとこに とふぃける。HHH、LLLLHHL。HHLL・ℓfLLHLHHLH、LLHRH・HHLHHLHLH、LHLFH・LLFLHH、HLHHFH・RHL。HHHHH(ないし、HHHHL)LHHHLH・FHHLHLL、LLLHLH・HLLHHLLFH、「HLHLHL」LHL・LLLHHLHL。ゆくしゃき おふぉく、よおもお ふけにけれンば、おに ある ところともお しらンで、かみしゃふぇ いみンじう なり、あめえもお いたう ふりけれンば、あンばらなる くらに、うぉムなうぉンば おくに おしいれて、うぉとこ、ゆみ、やなンぐふぃうぉ おふぃて、とンぐてぃにうぉり。ふぁやあ よおもお あけなムうと おもふぃとぅとぅ うぃいたりけるに、おに、ふぁやあ ふぃとくてぃ(後半二拍推定)に くふぃてけり。HHHHLHL、LFLHHHLL、LLLHHHHLFHHL、LLHH・HLLLHLHL、LFF・LHLLHHLL、HHHLHLLH・HHLHH・LHHHLHLH、LLL、LL、HHHLH・LHH、HLLHHL。LF・LFHHLFL・LLHHH・FLHHLH、LL、LFLLLLH・LHHHL。「あなやあ」と いふぃけれンど、かみ なる しゃわンぎに、いぇええ きかンじゃりけり。やうやう よおもお あけ ゆくに みれンば、うぃいて こおしい うぉムなもお なしい。あしンじゅりうぉ しいて なけンどもお、かふぃ なしい。/ しらたま かあ なにンじょと ふぃとの とふぃし とき とぅゆうと こたふぇて きえなましい ものうぉ 「LLF」L・HLHLL、LLHHLLLH・ℓfHHLHHL。LHLL・LFHLHHH・LHL、FHLH・HHLFLF。LLLLHFH・HLLF・HHLF。/ LLHLF・LHLLHLL・HHHLL・LFLLLHH・HLHHFLLH。「消えなましいものを」は可能態でしょう。あれは真珠ですか、何ですか、とあの人が問うた時、露ですよと答えて消えてしまうこともできただろうに、と言っています。鬼は着物も食べてしまってから忽然と姿を消したのでした。
ねたむ【妬】(ねたむう LLF)
ねぶる【舐】(ねンぶるう LLF) 「眠(ねぶ)る」は「ねンぶる HHL」でした。
のこす【残】(のこしゅう LLF)
のごふ【拭】(のンごふう LLF) 「ぬぐう」の古い言い方です。「手拭(てぬぐい)」は古くは「たのごひ」(たのンごふぃ LLHL)と言われました。この「た」は無論「手(て)」(てえ L)で、例えば今でも言う「たなごころ」(たなンごころ LLLLH。手のひら)は「手の心」(てえのおこころ LLLLH)という意味です。
のこる【残】(のこるう LLF) 名詞「残り」は「のこり LLL」。この名詞は現代人が「心残り」というところのものも意味できて(当時は「心残り」とは言いませんでした)、「残り多かり」(のこり
おふぉかりい LLLLHLF) はよく目にされる言い方です。「残りなく」がしばしば「残らず、すっかり」といった意味で使われたことは岩波古語の説くとおりで、例えば源氏・夕顔において惟光(これみつ)(秋永さんが「これみとぅ HHHH」ないし「これみとぅ HHHL」と推定なさっています)は光る源氏に、人の家をのぞき見した結果を報告して、「きのふ、夕日の残りなくさし入りてはべりしに文(ふみ)かくとて居(ゐ)てはべりし人の顔こそ、いとよくはべりしか」(きのふ、ゆふふぃの のこり なあく しゃしい いりて ふぁンべりしに ふみ かくうとて うぃいて ふぁンべりし ふぃとの かふぉこしょ、いと よおく ふぁンべりしか HHL、HHLL・LLLRL・LFHLHRLLHH・HLLFLH・FHRLLH・HLLHHHL・HL・RLRLLHL」と言っています。「夕日」は、「入江」「初音」が「いりいぇ」「ふぁとぅね」であるのに倣って「ゆふふぃ」だったろうとと見ておきます(「HH+F→HHL」)。これは現代京都の「ゆうひ 」をHHLからの変化と見ることですけれども、「あなた」「かなた」「こなた」「しょなた」「あンどぅき」「あふぃンだ」「かンどぅら」「きのふ」「くらま」「むしゅめ」「もンぐしゃ」「うぇくンぼ」「うぉムな(<うぉみな)」と発音された「あなた」「かなた」「こなた」「そなた」「小豆(あづき)」「あひだ」「かづら」「きのふ」「鞍馬(くらま)」「むすめ」「もぐさ」「ゑくぼ」「をむな(<をみな)」が現代京都では①で言われることを思えば、これは不自然なことではありません。
源氏・総角に「この君のかく添ひゐて残りなくなりぬるを」(こおのお きみの かく しょふぃ うぃいて のこり なあく なりぬるうぉ HHHHH・HLHLFH・LLLRL・LHHHH)とあるのでは、「残りなし」は、大君が薫に顔を見られおでこを触られなどして「何もかも知られてしまった」(秋山さんの頭注の言い方)と感じていることを言っています。同・若菜下のおしまいのあたりにある、「大将の君(夕霧)ぞ『あるやうあることなるべし。好(す)き者(柏木)はさだめて我がけしきとりしことには忍ばぬにやありけむ』と思ひよれど、いとかくさだかに『のこりなきさまならむ』とは思ひよりたまはざりけり」(たいしやうの きみンじょ「ある やう ある ことなるンべしい。しゅきものふぁ しゃんだめて わあンがあ けしき とりし ことにふぁ しのンばぬにやあ ありけム」と おもふぃい よれンど、いと かく しゃンだかに「のこり なきい しゃまならムう」とふぁ おもふぃい より たまふぁンじゃりけり。LHLLLLHHL・「LHLL・LHLLHLLF。LLLLH・LLHH・LH・LLLLLHLLHH・HHHHHF・LHLH」L・LLFHLL、HLHL・LHLH・「LLLLF、HHLLF」LH・LLFHLLLHLHHL)における「のこりなきさまならむ」は、岩波の新大系の脚注の言うとおり、柏木と女三宮との関係が「いきつく所までいって」いるだろうということでしょう。夕霧は事情はおそらく自分の思っているとおりなのだろうと思ったものの、そこまで進んでいるとは思っていなかった、というのです。
のばす【延】(のンばしゅう LLF)
ばかす【化】(ばかしゅう LLF) 下二段の「化(ば)く」は「ばくう LF」でした。
はかる【計・謀】(ふぁかるう LLF) 「秤(はかり)」というものは古くからあったようです。この名詞はいつぞや申したとおり「ふぁかり LHL」というアクセントで言われました。
夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀るともよに逢坂の関はゆるさじ 後拾遺・雑二939・清少納言。よおうぉお こめて とりの しょらねふぁ ふぁかるともお よおにい あふしゃかの しぇきふぁ ゆるしゃンじい LHLHH・HHHLHLH・LLHLF・HHLLLLL・LLHLLLF。詳細は省きますけれど、ご存じの向きも多かろうとおり、かなりきわどい言葉づかいをしています。「空音(そらね)」はさしあたり、「稲葉」(「稲」は「いね LH」、「葉」は「ふぁあ F」)が「いなンば LHL」であるのなどに倣って、「しょらね LHL」と見ておきます(「空」は「しょら LH、「音」は「ねえ F)。
はげむ【励】(ふぁンげむう LLF)
はさむ【挟】(ふぁしゃむう LLF) 「鋏(はさみ)」は「はしゃみ LLL」でした。
はじく【弾】(ふぁンじくう LLF) 「つまはじき【爪弾】」は典型的な古今異義語で、古くは、人差し指や中指の爪の先を親指の腹にかけてはじく動作を意味したそうです。不満や嫌悪の情を持つ人がこれをしたとか。「爪」は「とぅめ HH」で、同組成の「とりあはせ【闘鶏=鶏合】」「さきばらひ【先払】」や、近い組成(二拍二類+多数派低起三拍)の「ひとだまひ【人給】」、「ふゆごもり【冬籠】」がいずれもHHHHL(とりあふぁしぇ、しゃきンばらふぃ、ふぃとンだまふぃ、ふゆンごもり)ですから、「つまはじき」も「とぅまふぁンじき」と言われたでしょう。
はしる【走】(ふぁしるう LLF)
はたす【果】(ふぁたしゅう LLF) 「果つ」は「ふぁとう LF」でした。
はなつ【放】(ふぁなとぅう LLF) 「放す」の古い言い方。「消す」も「消つ」(けとぅ HL)でした。
はやす【栄・映・生・囃】(ふぁやしゅう LLF) 何と「生(は)やす」から「林(はやし)」(ふぁやし LLL)なのだそうです。「林」は『26』も『43』も③。『58』は③で「新・姓」は⓪とします。『89』は⓪③。伝統的な東京アクセントは③で、戦後のある時期まで、「向こうに林がある」は「むこおに はやしが ある」ではなく「むこおに はやしが ある」と発音されたのでした(『26』も『43』も『58』も名詞「むかふ」「むこう」を⓪としています)。「林」は③で言わないと、はやしたもの、という気持ちがあまり出ません。
はやる【早・逸・流行】(ふぁやるう LLF) 気持ちがはやる、という時の「はやる」も、流行するという意味の「はやる」も、静かだったものが盛んになるという点で共通するということのようです。「二条河原の落書」(「この頃都にはやるもの 夜討強盗にせ綸旨〔…〕)に見えますけれども、この「この頃都にはやるもの」という言い方はすでに平安末期の『梁塵秘抄』に見えています(こおのお ころ みやこに ふぁやる もの HHHLHHHH・LLHLL)。「はやる」はまた、『源氏』のはじめの文にあらわれる「時めく」(ときめく LLHL)や「栄ゆ」(しゃかゆ HHL)の同義語としても使われたようです。流行という意味で「はやり」という名詞を使うのは、近世になってからのことだとか。
はらむ【孕】(ふぁらむう LLF) 「腹(はら)」は「ふぁら LL」。ちなみに「原」は「ふぁら LH」。現代語では「妊娠する」「懐妊する」に圧されてこの大和ことばはあまり使われませんけれども、平安仮名文にはよくあらわれます。『落窪』『源氏』そのほかに「はらみたまふ」(ふぁらみい たまふう LLFLLF)という言い方が見えています。現代語「おはらみになる」には何か皮肉なニュアンスがこもりそうです。
ひがむ【僻】(ふぃンがむう LLF) 「僻」を当てましたけれども、現代語としての「ひがむ」よりもだいぶ多義で、「ひねくれる」や、岩波古語の言い方を借りれば「正気をなくす」「耄碌する」も意味できます。「ひが耳」は「聞きまちがい」、「ひが目」は「見まちがい」、「ひが心」は「考えちがい」という意味で、これらの「ひが」と「ひがむ」の「ひが」とは異なるものではないでしょう。「馘首(かくしゅ)」は首を切ることですが、「馘」という漢字はまた「みみきる(耳切)」「みみきり」とも訓むようで、改名がその「みみきり」に〈平平平平〉を差しています。すると「ひがみみ」も「ふぃンがみみ LLLL」でよさそうです。「ひがめ」は「ふぃンがめ LLL」、「ひが心」は「ふぃンがこころ LLLHL」と見ておきます。
ひかる【光】(ふぃかるう LLF) 名詞「ひかり」は「ふぃかり LLL」です。
ひさかたの光のどけき春の日にしづごころなく花の散るらむ 古今・春下84・紀友則(きいのお とものり LLHHHL)。ふぃしゃかたの ふぃかり のンどけきい ふぁるうの ふぃいに しンどぅンごころ なあく ふぁなの てぃるらム HHHLL・LLLLLLF・LFLFH・LHHHLRL・LLLHLLH。「なぜ」を補って解釈しなさい、と教えられるわけですけれど、「のどかな春の日に花があわただしく散っている…」とだけ言えば、なぜそうなのだろうという気持ちが自然に伴ってくる、というように解するのがよいと思います。さて「しづごころ」には浄弁本拾遺が〈平上○○○〉を差していて、この注記の信頼度は高いと考えられます。はじめの二拍は明らかに「静か」(しンどぅか LHL)のそれを反映していますけれども、後に見るとおり低起三拍語を前部成素とする複合名詞でははじめの二拍はその前部成素のはじめの二拍を保存するのが一般だからで、「しづごころ」のはじめの二拍はそれに準じて考えられると思います。次に、終わりの三拍はHHLでしょう。前部成素に高起二拍語を持つ五拍語は、一般に後部成素のアクセントのありようにかかわらず、HHHHLというアクセントで言われます。三つだけ引きます。
ふぢごろも【藤衣】(ふンでぃンごろも HHHHL。ふンでぃ HH、ころも HHH)
いしだたみ【石畳】(いしンだたみ HHHHL。いしHL、たたみ HHH)
やへむぐら【八重葎】(やふぇむンぐら HHHHL。やふぇ HL、むンぐら LLL。浄弁本拾遺が〈(上上)上上平〉を差しています。訓は〈上上平平平〉)
前部成素が低起式の場合、
かはごろも【皮衣】(かふぁンごろも LLLHL。かふぁ LL、ころも HHH)
あさがれひ【朝餉】(あしゃンがれふぃ LLLHL。あしゃ LL、かれふぃ LLL〔<かれいひ【乾飯】 LLLL〕
のように大抵LLLHLのアクセントで言われます(それゆえ例えば「山ざくら」は「やまンじゃくら LLLHL」だろうというような推定が安心しておこなえます)。後部成素が「心」(こころ)のような台頭型のアクセントである場合、「かみよ【神代】」(かみよ LLH)などについて言えたように、
たまかづら【玉鬘】(たまかンどぅら LLLLH。たま LL、かンどぅら LLH)
のようなアクセントをとることも多いのですが、それでもやはり、
たまくしげ【玉櫛笥】(たまくしンげ LLLHL。たま LL、くしンげ LLH)
のような言い方も見られます。「しづ心」は「しンどぅンごころ」「しンどぅンごころ」とも言われたのかもしれませんけれど、はじめの二拍を〈平上〉とする注記を重んじて「しンどぅンごころ」を採っておきます。前(さき)に「さしもぐさ」への〈平上上○○〉という注記を〈平上上上平〉と解したのは、こうした訳合いによってのことでした。
ひねる【捻】(ふぃねるう LLF)
ひびく【響】(ふぃンびくう LLF) 名詞「響き」は「ふぃンびき LLL」。源氏・浮舟の最後のところで、浮舟が「鐘の音(おと)の絶ゆる響きに音を添へて我が世つきぬと君に伝へよ」(かねの おとの たゆる ふぃンびきに ねえうぉ しょふぇて わあンがあ よお とぅきぬうと きみに とぅたふぇよお HHHHLL・LLHLLLH・FHHLH・LHHHLFL・HHHHHLF)と詠んでいます。源氏・薄雲には「(藤壺ノ遺骨ヲ墓所ニ)をさめたてまつるにも(ニツケテモ)世の中ひびきて悲しと思はぬ人なし」(うぉしゃめえ たてえ まとぅるにも よおのお なか ふぃンびきて かなしいと おもふぁぬ ふぃと なしい。LLF・LFHHHHL・HHLH・LLHH・HHFL・LLLHHLLF)とあります。
ひやす【冷】(ふぃやしゅう LLF) 「冷ゆ」は「ふぃゆう LF」でした。
ひらく【開】(ふぃらくう LLF) 現代語では「扉が開(ひら)きます」とも「扉を開(ひら)きます」とも言えますけれど、平安時代には、四段の「ひらく」は他動詞としてしか使われなかったようで、何かが自然に開(ひら)く、という時には下二段の「ひらく」(=ヒラケル)や、四段の「開(あ)く」を使ったようです。四段の「ひらく」の自動詞の用例として、源氏・若紫で光る源氏が「(優曇華(ウドンゲ)ノ花ハ)時ありてひとたびひらくなるは、難(かた)かなるものを」(とき ありて ふぃとたンび ふぃらくなるふぁ、かたかんなる ものうぉ LLLHH・LLHL・LLHHLH・HHLHHLLLH。時いたってただ一度開くと申しますけれど、そういうことはまずないようです)と言うのを引く辞書もありますが、この「ひらく」は下二段のそれでしょう。三省堂の『例解古語』もそう見ています。ちなみに、『源氏物語大成』によれば河内本は「ひらくなるは」以下を「ひらくるは、ありがたかなるものを」(ふぃらくるふぁ ありンがたかんなる ものうぉ LLLHH・LLLHLHHLLLH)としていて、こちらのほうがよいよかもしれません。
ふくむ【含】(ふくむう LLF) 同じ「含」を当てる動詞に「くくむ」(くくむう LLF)がありましたけれども、さらに「ふふむ」(ふふむう LLF)もあります。
ふける【耽】(ふけるう LLF) 『新古今』の仮名序に、和歌というものは神代の昔にはじまり「その流れ今に絶ゆることなくして、色にふけり、心を述(の)ぶるなかだちとし、世ををさめ、民をやはらぐる道とせり」(しょおのお なンがれ いまに たゆる こと なあく しいて、いろに ふけりい、こころうぉ のンぶる なかンだてぃと しい、よおうぉお うぉしゃめえ、たみうぉ やふぁらンぐる みてぃと しぇりい HHLLL・LHH・LLHLLRHFH、LLHLLF、LLHHLLH・LLLLLF、HHLLF、LLH・HHHHH・HHLHL)とあります。久保田淳さんはこの「色にふけり」を「恋愛に夢中になって」「恋愛に没頭し」と翻訳なさり、「恋歌を詠むことをいい、非難した表現ではない」と注釈していらっしゃいます(角川文庫)。和歌は一つには「人が恋愛に没頭するなかだち」なのだ、人は和歌を介して恋愛に没頭するのだ、と良経はいうわけですが、この「なかだち」は「手段」というよりも「きっかけ」という意味ではないでしょうか。人は和歌をきっかけとして恋愛に夢中になると言われているのだと思います。『後拾遺』の仮名序において撰者通俊は、白河天皇の命で自詠も入れたことについて、「この集もてやつすなかだちとなむあるべき」(こおのお しいふう もて やとぅしゅ なかンだてぃとなム あるンべきい HHLL・LHLLH・LLLLLHL・LLLF)と言っていて、岩波文庫本はこれを「この撰集をわざとみすぼらしくするきっかけとなるであろう」と翻訳しています。
ふせく【防】(ふしぇくう LLF) 後代「ふせぐ」と言われるようになりました。
あらき風ふせきし蔭の枯れしより小萩がうへぞしづ心なき 源氏・桐壺。あらきい かンじぇ ふしぇきし かンげえの かれしより こふぁンぎンが もとじょお しンどぅンごころ なきい HHFHH・LLLHLFL・HHHLL・HHHHLLF・LLLHLLF。アレゴリーによって、我が娘のなくなった今、我が娘の守っていた我が孫(幼い光る源氏)のことが心配ですと、その孫の父親である桐壺の帝に向かって訴えるという、帝の怒りを買いかねない内容の歌です。
ふとる【太】(ふとるう LLF) 『今昔物語集』に、しばしば、恐怖のあまり「かしらの毛ふとる」(かしらの けええ ふとるう LLLLℓF・LLF)という言い方が出てきます。ふらす【降】(ふらしゅう LLF) 「降る」は「ふるう LF」でした。『大鏡』(「おふぉかンがみ LLLHL」と見ておきます)の兼通伝に、大宅世継(おほやけのよつぎ)――「おふぉやけのよとぅンぎ LLHHH・HHH」でしょう。「世継」のアクセントは推測ですけれども、「日継」が「ふぃとぅンぎ HHH」なのでこれでよいはずです――が、「あはれ、翁らが心にだに、いみじき宝を降らしてあつかはむと言ふ人ありとも年ごろの女どもをうち捨ててまからむはいとほしかりぬべきに」(あふぁれえ、おきならンが こころにンだ に、いみンじきい たからうぉ ふらして あとぅかふぁムうと いふ ふぃと ありともお としンごろの うぉムなンどもうぉ うてぃい しゅてて まからムふぁ いとふぉしかりぬンべきいに LLF、LHHHH・LLHHHL、LLLF・LLLH・LLHH・HHHHFL・HHHL・LHLF・LLLLL・HHLHLH・LFHLH・LHHHH・LLLHLHHHFH)と言うところがあります。財産のある女性をあらたな正妻としたさる貴族、「徳につきたまへる」(とくに とぅきい たまふぇる HHH・LFLLHL)と世人(よひと)(よふぃと HHL)にうわさされたさる貴族について、私ら庶民の感覚で言っても、たとい財宝を雨と降らしてお世話しようという人があらわれたとしてもそれになびいて長年連れ添った妻を捨てるなぞとんでもないという気持ちになりそうなものだのに、というのです。
ふるす【古】(ふるしゅう LLF) 「古し」(ふるしい LLF)と同式です。「着ふるす」「使いふるす」といった言い方で現代語に残っています。
秋といへばよそにぞ聞きしあだびとの我をふるせる名にこそありけれ 古今・恋五824。あきいといふぇンば よしょにンじょ ききし あンだンびとの われうぉ ふるしぇる なあにこしょ ありけれ LFLHLL・HLHLHHH・HHHHH・LHHLLHL・FHHLLHHL。以前は「秋」という言葉なんて私にはよそごとだったけれど、じつはこの言葉は、あの浮気者が私を賞味期限切れとすることを指す名詞だったのだ。
この他動詞に対する自動詞が上二段の「古る」(ふるう LF)で、現代語に「ふり(ない)」「ふり(ました)」「ふりる」など活用する動詞が残っていれば面白いのに、と思います。それから、平安時代の京ことばでは、この「古る」の連用形から派生した名詞「古り」(おそらく「ふり LL」)を使った「古りす」を、「古る」と同じ意味でよく使います。「ふるびる」の古形である上二段の「ふるぶ」もありました。
ほてる【火照る】(ふぉてるう LLF) 『新撰字鏡』(西暦900年ごろの成立でした)に見えているそうです。「火」は「ふぃい L」。「日」は「ふぃい F」。古人は太陽を火の玉と見ていたとは断じられないわけですけれども、太陽のせいで暖かいことは分かっていたと考えられますから、どちらかがいま一つから別れたのでしょう。ちなみに「氷(ひ)」――「氷雨」(「ふぃしゃめえ LLF」と見ておきます)の「氷」――は「火」と同じく「ふぃい L」です。
ほどく【解】(ふぉンどくう LLF)
ほふる【屠】(ふぉふるう LLF)
まがふ【紛】(まンがふう LLF) 現代語に「まごうかたなき何々」といった言い方があります。
わたの原こぎいでて見ればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波 詞花・雑下382。わたの ふぁら こンぎい いンでて みれンば ふぃしゃかたの くもうぃに まンがふ おきとぅ しらなみ HLLLH・LFLHHLHL・HHHLL・LLLHLLH・LLLLLLL。「沖」は現代京都(「おき HH」)とは異なり古くは「おき LL」だったようです(『研究』研究篇上pp.46-47)。「しらなみ」は、『近松浄瑠璃譜本』(総合資料)から知られる近世のHHHLをLLLLからの正規変化と見ておきます(現代京都ではHHHHだそうです)。実際、「波」(なみ LL)と同じアクセントの「かし【樫】」「たま【玉】」に終わる「しらかし」「しらたま」がこのアクセントで言われますし(しらかし LLLL、しらたま LLLL)、構成の似た「あつもの【羹=熱物】」「くろつち【黒土】」「わかづの【若角】」も「あとぅもの LLLL」「くろとぅてぃ LLLL」「わかンどぅの LLLL」と言われます。ただ、成素のアクセントを同じくする「しらきく【白菊】」「しらはぎ【白萩】」は「しらきく LLLH」「しらふぁンぎ LLLH」のようですし、同趣の「ながたち【長太刀】」「ふかぐつ【深沓】」「ふかぜり【深芹】」は「なンがたてぃ LLLH」「ふかンぐとぅ LLLH」「ふかンじぇり LLLH」のようですし、またやはり低起形容詞の語幹と二拍三類名詞とからなる「あをくさ【青草】」「あをやま【青山】」「ながはま【長浜】」「ふること【古言・古事】」「ふるとし【旧年】」「わかくさ【若草】」は「あうぉくしゃ LLHL」「あうぉやま LLHL」「なンがふぁま LLHL」「ふること LLHL」「ふるとし LLHL」「わかくしゃ LLHL」と言われたようです。あなわンどぅらふぁし。
まじる【混・交】(まンじるう LLF)
いざけふは春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは 古今・春下・素性。いンじゃあ けふふぁ ふぁるうの やまンべえに まンじりなムう くれなンば なンげの ふぁなの かンげえかふぁ LFLHH・LFLLLFH・LLHHF・HLHLLLL・LLLLFHH。「なげの」は有力な古今集声点本がすべて「なけの」とし〈平上平〉を差しますけれど、毘・高貞680の「めづらしげ」〈平平平平平〉(めンどぅらしンげ LLLLL)や毘65の「惜しげ」〈(平平)平〉(うぉしンげ
LLL)によっておきます。これらの「け」は無論「気」で(呉音)、単独では「けえ L」のようです。なお袖中抄は「寝よげに」に〈上上上(上)〉(ねよンげに HHHH)を差しますが、これは「気(け)」のアクセントについて多くを語りません。例えば「あや【文】」(あや LL)と「め【目】」(め L)との複合した「あやめ」は「あやめ LLL」ですが、「とり【鳥】」(とり HH)と「目」の複合した「とりめ」は「とりめ HHH」です。
まどふ【惑】(まンどふう LLF) 『問答』が前項の「いざけふは」の歌の三句目を「まどひなむ」とした上で〈平平上○○〉を与えています。「まどはす」は「まンどふぁしゅ LLHL」。
まねく【招】(まねくう LLF)
まもる・まぼる【守】(まもるう・まンぼるう LLF) この「ま」は「目」(めえ L)なので、低起式なのは当然といえます。「守(も)る」は「もるう LF」でした。
まよふ【迷】(まよふう LLF) 源氏・玉鬘(たまかづら)(たまかンどぅら LLLLH)に、たくさんの牛車がてんでんばらばらに動くさまを「まよふ」と言うところがあります。下に引く源氏・総角では大君の髪を形容して「まよふ筋なく」(まよふ しゅンでぃ なあく LLHLHRL)と言っているのは、きれいなストレートだというのです。「筋(すぢ)」(しゅンでぃ LH)は線のこと、線状のもののことで、一本一本の髪の毛も「筋」です。この言葉は今昔でずいぶん印象を異にします。
白き御衣(おほんぞ)に、髪はけづることもしたまはで程へぬれど、まよふ筋(すぢ)なくうちやられて、日頃にすこし青みたまへるしも(青ザメテイラッシャルノデカエッテ)、なまめかしさ(シトヤカナ美シサガ)まさりて、ながめいだしたまへる目見(まみ)、額(ひたひ)つきのほども、見知らむ人に見せまほし。
しろきい おふぉムじょおに、かみふぁ けンどぅる こともお しい たまふぁンで ふぉンど ふぇえぬれンど、まよふ しゅンでぃ なあく うてぃい やられて、ふぃンごろに しゅこし あうぉみい たまふぇるしも なまめかししゃ ましゃりて なンがめえ いンだしい たまふぇる まみ、ふぃたふぃとぅきの ふぉンどもお、みいい しらム ふぃとに みしぇまふぉしい LLF・LLHHH・LLH・HHHLLF・
FLLHL・HLRHLL・LLHLHRL・LFHHLH・HHHH・LHL・LLFLLHLHL・LLLLHH・HHLH・LLFLLFLLHL・LL・HHHHLL・HLF・ℓfHHHHLH・LLLLF。
みだる【乱】(みンだるう LLF) 四段動詞の「みだる」は現代語の「みだす」と同義の他動詞で、現代語とは言えませんけれども、ただ「みだりに何々してはいけない」など言う時の「みだりに」は、この四段動詞に由来します。「みだりに」は平安時代にも今と同じ意味で使った言い方です(みンだりに LLLH)。何かをむやみにすることは秩序をみだすことだという発想から成立したのでしょう。
「みだす」は『三代実録』に見えているそうですが(広辞苑)、仮名文では使わなかったかもしれません。源氏・椎が本(しふぃンが もと LLLLL)の別本の本文、「をのこはいとしも親の心をみだらずやあらむ」(うぉのこふぁ いとしも おやの こころうぉ みンだらンじゅやあ あらム HHLH・HLHL・LLLLLHH・LLHLF・LLH。男の子はあまり親の心を乱さないのだろうか)における「みだらず」を、青表紙本も河内本も「みださず」としますが、青表紙本でも「みだす」はここにしか見えず、ほかの十数か所では四段の「みだる」を使うようです。
もどく【擬】(もンどくう LLF) よく知られているとおり、「真似をする」「似せる」――「雁(がん)もどき」の「もどき」はここからきています――という意味と、そこから転じた「非難する」「批判する」「悪口を言う」といった意味とで使われます。源氏・賢木(しゃかき LLL)に、「なにごとも、人にもどきあつかはれぬ際はやすげなり」(なにンごとも、ふぃとに もンどきい あとぅかふぁれぬ きふぁふぁ やしゅンげなり。LHHHL、HLH・LLFHHHHHH・LLH・LLLHL)という鋭い観察があります。名詞「もどき」はおそらく「もンどき LLL」でしょう。「もどかし」(もンどかしい LLLF)は「非難したい(批判したい、悪口を言いたい)気持ちだ」という意味ですから、やはり古今同義語ではありません。
もどる【戻】(もンどるう LLF) 『源氏』では「宿木」の巻に一度あらわれますけれども、それは東国なまりの、「声うちゆがみたる者」(こうぇえ うてぃい ゆンがみたる もの LF・LFHHLLH・LL)の発話中のものです。都びとは「帰る」(かふぇるう LLF)を好んだのかもしれません。
やすむ【休】(やしゅむう LLF)
やつす【窶】(やとぅしゅう LLF) 現代語として「身をやつす」は、相当みすぼらしい姿をすることを言うでしょうけれども、平安仮名文では、「華やかでない格好をする」という程の意味でも使いました。この動詞が「目立たない姿をさせる」といった意味で使われたことは、記す価値がありそうです。例えば、
御車(みくるま)もいたくやつしたまへり。源氏・夕顔(ゆふンがふぉ HHHL)。みくるまも いたく やとぅしい たまふぇり。HHHHL・LHL・LLFLLHL。
は、「お車(牛車)もたいそう目立たない姿にさせていらっしゃる」というのであり、
さうじみをなほなほしくやつして見むことは、いみじくあたらしう思ひなりぬ。同・東屋(あづまや)(あンどぅまや LLLL)。しゃうンじみうぉ なふぉなふぉしく やとぅして みいムう ことふぁ、いみンじく あたらしう おもふぃい なりぬう LLLHH・LLLLHL・LLHH・LHLLH・LLHL・HHHHL・LLFLHF。「さうじみ」は「正身」。呉音のようですから、LLLHと推定されます。
とあるのは、浮舟(うきふね HHHL)の母が、娘に平凡な、華やかでない姿をさせるのは(=そんな格好しかできないところに娘を嫁がせるのは)勿体ないと思うようになった、というのです。
やとふ【雇】(やとふう LLF)
やどす【宿】(やンどしゅう LLF) 「宿(やど)」は「やンど LH」です。
やどる【宿】(やンどるう LLF)
やぶる【破】(やンぶるう LLF) 四段の「破(や)る」(やるう LF)も近い意味です。「論破する」といった意味でも使ったようで、例えば源氏・常夏(とこなとぅ HHHH)において近江の君(あふみの きみ)が「例の、君の、人の言ふこと破りたまひて。めざまし」(れいの、きみの、ふぃとの いふ こと やンぶりい たまふぃて。めンじゃまいしい LHLHHHHLLHHLLLLFLLHH。LLLF)と言っています。この「破る」には「言ひ破る」(いひ やンぶるう HLLLF)というヴァリアントがあります。この複合動詞は源氏・蜻蛉に見え、同・浮舟にもその主格敬語形「のたまひやぶる」(のたまふぃい やンぶるう HLLFLLF)があらわれます。
ゆるす【許】(ゆるしゅう LLF) 四段の他動詞「さらす」(しゃらしゅ HHL)に対して、「さらされる」を意味する上二段の自動詞「さる」(しゃる HL)があったように、四段の他動詞「ゆるす」(ゆるしゅう LLF)に対して「許される」を意味する上二段の「許(ゆ)る」(ゆるう LF)があります。もっともその初出は平安末期(『長秋詠藻』)のようで、平安中期にはもっぱら「ゆるさる」(ゆるしゃるう LLLF)が使われたのかもしれません。
(美声ノ持チ主ノイルノヲ聞キツケタ光ル源氏ハ)いとうれしくて、(近ヅイテ)ふと袖をとらへたまふ。女、おそろしと思へるけしきにて、「あなむくつけ。こは誰(た)そ」とのたまへど、(源氏ハ)「何かうとましき(コワイコトナンテアリマセン)」とて、
ふかき夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬちぎりとぞおもふ
とて。(抱キ上ゲテ庇(ヒサシ)ノ間(マ)マデ運ビ)やをら(ソット)いだきおろして、戸はおしたてつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、「ここに人」とのたまへど、「まろは(私ハ。『まろは何とかでおじゃる』の『まろ』とは同一視できません)皆人(みなひと)にゆるされたれば、召しよせたりともなでふことかあらむ(何トイウコトモアリマセン)。ただしのびてこそ(ドウカ静カニシテイテクダサイネ)」とのたまふ声に、この君なりけり(アノ御方ダッタノダ)、と聞きさだめて、いささかなぐさみけり。源氏・花の宴(ふぁなの いぇん LLLLL)。
いと うれしくて、ふと(「ふ」のアクセント推定) しょンでうぉ とらふぇ たまふう。うぉムな、いと おしょろしいと おもふぇる けしきにて、「あな むくとぅけ(四拍推定。HHHHかも)。こおふぁあ たあしょお(コーファーターしょー。笑ってはいけません)」と のたまふぇンど、「なにかあ うとましきい」とて HLLLHLH、HL・HHHLHLLLF。HHL、HLLLLFL・LLHLLLLHH、「LLLLLL。HHHL」L・HLLHL、「LHFHHHHF」LH、
ふかきい よおのお あふぁれえうぉ しるも いる とぅきの おンぼろけならぬ てぃンぎりとンじょお おもふ
とて。やうぉら いンだき おろして、とおふぁあ おし たてとぅう。/ LLFLL・LLFHHHL・HHLLL・LLHL(後半二拍推定)HLH・HHHLFLLH / LH。HHH・HHLLLHH、HH・HLLHF。あしゃまししゃに あきれたる しゃま、いと なとぅかしう うぉかしンげなり。わななく わななく、「ここに ふぃと」と のたまふぇンど、「まろふぁ みなふぃとに ゆるしゃれたれンば、めしい よしぇたりともお なんでふ ことかあ あらム。たンだあ しのンびてこしょ」と のたまふ こうぇえに こおのお きみなりけりと きき しゃンだめて いしゃしゃか なンぐしゃみけり。HHHHHH・HHLLHHH、HL・LLLHL・LLLLHL。HHHLHHHL、「LHHHL」L・HLLHL、「LHH・HHHHH・LLLHLHL、LFHLLHLF・LHLHLLF・LLH。LF・HHLHHL」L・HLLHLFH・HHHHLHHLL・HLLLHH・LLHL・HHHLHL。
ゆるふ【緩】(ゆるふう LLF) 現代語「ゆるむ」のもとの言い方「ゆるぶ」は、もともとは「ゆるふ」だったようです。例えば図名は「慢」に「ゆるひて」〈平平上上〉(ゆるふぃて LLHH)という訓みを与えています。
よどむ【淀】(よンどむう LLF) 名詞「よどみ」は「よンどみ LLL」です。
よわる【弱】(よわるう LLF) 「よはる」ではなく「よわる」です。形容詞「よわし」は「よわしい LLF」。
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする 新古今・恋一1034・式子内親王。たまのうぉよ たいぇなンば たいぇねえ なンがらふぇンば しのンぶる ことの よわりもンじょお しゅる LLLHL・LHHLLHF・LLLHL・HHHHLLL・LLHLFHH。このまま生きながらえたら耐え忍ぶ気持ちが弱まるかもしれない、というのです。
わかつ【分】(わかとぅう LLF) 「手をわかちて」という言い方が昔はあって、『竹取』や『落窪』や『栄花』に出てきます。現代語の「手分けをして」に当たる言い方です。現代語として「手を分けて」という言い方をしてもよいはずですけれども、聞きません。
「蔵人の少将の君も、(裁縫ノ上手ナ落窪ノ君ガイナイノデ)御衣(おほむぞ)どもわろし、とて、出づと入ると(妻ノ家ニ出入リスル時)むつかりて着たまはず(オ召シニナリマセン)」などあるときは(トイッタコトガ耳ニ入ルノデ)、(姑トシテ)わびしうて、ものせむ人もがなとて、ここかしこ手をわかちて(縫ッテクレル人ヲ)求めたまふ。落窪・巻二。
「くらんどの しぇうしやう(推定。漢音)の きみも、おふぉムじょおンども わろしい、とて、いンどぅうと いると むとぅかりて きい たまふぁンじゅ」なンど ある ときふぁ、わンびしうて、ものしぇム ふぃともンがなあとて、ここ かしこ てぇえうぉお わかてぃて もとめえ たまふう。「LLLHL・HLLLLL・HHL、LLHHHL・LLF、LH、LFLHLL・HHHLH・FLLHL」RL・LHLLH、HHHLH、LLLHHLHLFLH、LHHLL・LHLLHH・LLFLLF。「商人(あきびと)」は「あきンびと LLLH」ですから、その変化した「あきうど」も(末拍の濁ることも考えると)「あきんど LLLH」と言われたでしょうし、「田人(たうど)」も「たんど LLH」と言われたようなので、「蔵人(くらうど)」は「くらんど LLLH」と
言われたと考えられます。「蔵」は「くら LL」でした。
ゑかく【描】(うぇえ かくう LLF) 便宜上ここに置きます。図名が「繢」という漢字を「ゑかいて」と第二拍清音で訓んでいます(アクセントは〈平平上上〉。うぇえ かいて LLHH)。現代語には「描(えが)く」という一語の動詞があって、それゆえ「何々をえがく」という言い方は、「何々を絵を描く」が変であるのとは異なり変ではありませんけれど(「えがく」はむしろ「絵にかく」ことだと言うべきかもしれません)、平安時代の京ことばにあったのは、複数の辞書の見るとおり、「絵を描(か)く」(うぇえうぉお かくう LHLF)という言い方や、その「を」を言わない「ゑかく」(うぇえ かくう LLF)という言い方だったようです。
をしむ【惜】(うぉしむう LLF) 「惜(を)し」は「うぉしい LF」です。
この節の最後に次の動詞を取り上げておきます。事情が少し厄介です。
よばふ【呼】(よンばふ HHL)
よばふ【夜這】(よンばふう LLF)
「呼ぶ」(よンぶ HL)が反復を意味する接辞「ふ」を従えた、「呼び続ける」といった意味の「呼ばふ」という動詞があり、当然ながら図名が〈上上平〉を差し(「謼」への注記ですが同じことです)、下に引くとおり毘・高貞・寂539にも同趣の注記が見られます。『26』が「呼ばふ」を⓪とするのは尤もです。
うちわびてよばはむ声にやまびこのこたへぬ山はあらじとぞ思ふ 古今・恋一539。「よばはむ」に毘・高貞が〈上上上上〉を、寂が〈○上上○〉を差しています。うてぃい わンびて よンばふぁム こうぇえに やまンびこの こたふぇぬ やまふぁ あらンじいとンじょお おもふ LFHLH・HHHHLFH・LLHLL・LLLHLLH・LLFLFLLH。人が途方にくれて叫びつづけるその叫びに山彦は答えるものだ、というのですが、恋一に収められていることから、私の気持ちに答えてほしいというアレゴリカルな訴えだと解されます。
さて古語辞典はこの「呼ばふ」に「求婚する」「言い寄る」といった意味もあるとします。確かにこちらの語義は高起動詞「呼ばふ」が派生的に持つようになったものですけれども、平安末期や鎌倉時代には、この二番目の意味の「よばふ」は別のアクセントを持っていたようです。すなわち、袖中抄が「婚」の字を当てる「よばひけり」に〈平平上(上平)〉(よンばふぃけり LLHHL)を差し、改名も二か所で「嫁」を「よばふ」と訓んで〈平平上〉を与えます。「求婚する」「言い寄る」を意味する「よばふ」は低起式であり、すでに「呼ばふ」とはアクセントが異なる以上、別の語と見なすべきだと思われます。上の「うちわびて」の歌における「よばふ」は、この二つの異なる「よばふ」を兼ねていると申せます。
このもう一つのほうの意味である低起式の「よばふ」には多かれ少なかれ「夜這ふ」のイメージが重なっていたでしょう。夜、這ってゆくから「よばふ」であり「よばひ」なのだという語源俗解はすでに『竹取』に見えています。
世界の男、あてなるもいやしきも、いかでこのかぐや姫を得てしかな、見てしかな、と音に聞きめでて(ウワサニ聞イテ興奮シテ)、まどふ。そのあたりの垣にも家の外(と)にも、をる人だにたはやすく見るまじきものを、夜はやすきいも寝ず闇の夜に出でても(出ルトイウコトヲシテデモ)穴をくじり、かいまみまどひあへり。さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。
しぇえかいの うぉとこ、あてなるも いやしきいもお、いかンで こおのお かンぐやふぃめうぉ いぇえてしかなあ、みいてしかなあと、おとに きき めンでて まンどふう。しょおのお あたりの かきにも いふぇのとおにも、うぉる ふぃとンだに たふぁやしゅく みるまンじきい ものうぉ、よるふぁ やしゅきい いいもお ねえンじゅう、やみの よおにい いンでても
あなうぉ くンじり、かいまみい まンどふぃい あふぇり。しゃる ときよりなム、「よンばふぃ」とふぁ いふぃける。LLLLLLL、HHLHL・LLLFF、HRH・HHHHHHLH・RHHLF、RHHLFL、HLHHLLHH、LLF。HHHHLL・HLHL、LLLHHL、HLHLHL・LLLHL・LLLLFLLH、LHH・LLFLFHL、LLLLH・LHHL・LLHLLF、HHHF・LLFLHL。LHLLHLHL、「LLL」LH・HLHL。「貴(あて)」は伝統的な現代京ことばではHLのようですけれども往時にはHH、「穴」は現代京ことばでは(単独では)LHのようですけれども往時はLLだったようです。それから、伝統的な現代京ことばでは「夜(よる)」はLFとも、やや少数派ながらLHとも言われたようです。若い京都人はもっぱらLHでしょうから先祖返りしたみたいですけれども、「夜に」は平安時代には「よるに LHH」で、今の若い京都人は「よるに」とおっしゃるでしょう。
平安末期、アクセントの異なる二つの「よばふ」があったと考えられますけれども、ありようは平安中期にも同じだったと思います。ここで「流れ星」を意味する「よばひぼし」のことを考えます。これは当時「よンばふぃンぼし」と言われたでしょう。後世の資料ということになりますが、改名の一つ(高山寺本)が「よはひほし」に〈平平平上○〉を差し、いま一つ(観智院本・仏中)が「よばひほし」に〈平平○○○〉を差しています。ちなみに『26』はこの名詞を⓪とし、『43』は②とします。
よばひぼし、少しをかし。尾だになからましかば、まいて。枕・星は(239。ふぉしふぁ HHH)。よンばふぃンぼし、しゅこし うぉかしい。うぉおンだに なあからましかンば、まいて LLLHL・LHLLLF。HHL・RLLHHLL・HLH。
しっぽさえなかったら「よばひ星」はもっと面白い、と清女(せいじょ)が言うのはなぜなのでしょう。流星はそもそも尾と尾以外とが区別されるものではないようですし(長短さまざまな線分でしかないことが多そうです)、彗星も(彼女はじつは彗星――「ははき星」〔ふぁふぁきンぼし LLLHL。「ははき【箒】」は「ふぁふぁき LLH〕――のことを言っているのだとする向きもあります)尾さえなかったらもっと面白いという感想の出るようなものとは思えません。「よばひ星」によっていずれが想像されていたのであれ、「尾」がなかったら、たんに光点が移動するだけでしょう。彼女は実物を見た感想を書いているのではないのだと思います。では彼女の感想は何にもとづくのか。思うに清女が「よばひ星」の「尾」というとき思いえがいていたのは「夜、這ふ星」(よる、ふぁふ ふぉし LH・LHHH)としての「夜這ひ星」の「尾」であり、彼女はそれを、とかげのしっぽのような、何かニョロニョロとしたものと思っていたのではなかったでしょうか。ああいうものはきらい。ないほうがいい。なかったらもっと面白い。「呼ばひ星」という理解からはこういう見方は出ないでしょう。すると、平安中期、高起式の「呼ばふ」とは異なる低起式の「夜這ふ」があったのです。
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ⅸ 三拍の上二段動詞 [目次に戻る]
ここに置くべき高起上二段動詞は知りません。「荒ぶ」(あらンぶ HHL)、「滅ぶ」(ふぉろンぶ HHL)、「報ゆ」(むくゆ HHL)は現代東京における「あらぶる」「ほろびる」「むくいる」のアクセントからは高起式だったことを推察できないものの、昔の東京アクセントからはそれができるのでした。また「鄙ぶ」(ふぃなンぶ HHL)や、四段としても上二段としても使われる「忍ぶ」(しのンぶ HHL)のアクセントは古い東京アクセントからも推察できませんでした。以下の三語は低起動詞ですけれども、現代語が古語と直結しない部類に属します。
いなぶ【否】(いなンぶう LLF) 「いいえ」に当たる「いな」(いな LH)に由来する動詞であり、現代語「いなむ」の古形です。現代語では「いなまない」と言いますが、平安時代には「いなばず」ではなく「いなびず」(いなンびンじゅ LLHL)と言いました。ちなみに、肯定的な返答「はい」に当たる平安時代の京ことばの言い方は? 例えば、「さあり」(しゃあ ありい LLF)のつづまった「さり」(しゃありい LF)――これが「そうだ」「そうです」を意味できることについては「委託法、および、状態命題」1をご覧ください――や、それに係助詞を介入させ「あり」を改まりかしこまる言い方に代えた「さなむはべる」(しゃあなム ふぁンべる LHLRLH)――これが「そうです」ではなく「そうでございます」に当たる言い方であることについては「『源氏物語』の現代語訳について」をご覧ください――などを使えます。否定的な返事としても、「いな」のほか、「さもあらず」(しゃあもお あらンじゅ LFLHL。そうでもない、ないし、そうでもありません)や、「さもはべらず」(しゃあもお ふぁンべらンじゅ LFRLHL。そうでもございません)を使えます。
うらむ【恨】(うらむう LLF) これも現代では「うらまない」と言いますが、古くは「うらまず」ではなく「うらみず」(うらみンじゅ LLHL)と言いました。「うらめし」は「うらめしい LLLF」です。
逢ふことの絶えてしなくは(ナカッタラ)なかなかに(カエッテ)人をも身をもうらみざらまし 拾遺・恋一678。あふ ことの たいぇてし なあくふぁ なかなかに ふぃとうぉも みいうぉも うらみンじゃらましい LHLLL・LHHLRLH・LHLHH・HLHLHHL・LLHLLHF
もみづ【紅葉】(もみンどぅう LLF) この後身があるとすれば上一段動詞の「もみじる」ですが、冗談に「もみじる」という五段動詞を使う人はいるかもしれないものの――「なぜもみじらない」「よくもみじってる」「早くもみじれ」――、「もみじない」「もみじて」と活用する上一段動詞「もみじる」を使う現代人はいないでしょう。しかし、名詞「もみじ」(旧都では「もみンでぃ LLL」)が現代東京において⓪ではなく①なのは、平安時代の京ことばにおける上二段の「もみづ」(もみンどぅう LLF)が低起式だった名残と申せます。
x 高起三拍の下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHHHというアクセントで言われる次の一連の下二段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、終止形はHHLと発音されます。
あきる【呆】(あきる HHL) 今も昔も、呆然とする、あっけにとられるという意味で使えますけれども、現代語では「あいつはあきれた男だ」なども言います。平安時代の京ことばでは、「あきれたる男かな」などは――まして「あきれし男かな」などは――言いませんでした。
あたふ【与】(あたふ HHL) 漢文脈にあらわれることの多い、固い言い方で、日常的には「取らす」(とらしゅう LLF)、「得さす」(いぇしゃしゅう LLF)といった言い方が使われました。
あばる【荒】(あンばる HHL) 現代語「暴れる」とは異なり「暴力をふるう」という意味では使われませんでしたけれども、それでも現代語「暴れる」が⓪で言われるのは、「荒(あば)る」が高起式だったことを教えます。前(さき)に「あばらなる蔵」(あンばらなる くら HHHLHLL)という言い方を見ましたけれども、平安時代の「荒(あば)る」(あンばる HHL)はこの「あばら」と関係があって、「荒れる」「荒れはてる」といった意味で使われました。「あばらなり」(あンばらなりい HHHLF」と「あばれたり」(あンばれたりい HHLLF」とは同義表現だと言えます。ちなみに昔も「あばらや」という言葉はあって、例えば源氏・澪標(みをつくし)(みうぉとぅくし HHHHL)に出てきます。「あばらや」(あンばらや HHHH)とは「あばらなる屋(や)」(あンばらなる やあ HHHLHR)のことです。
さて世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎(むぐら)の門(かど)に思ひのほかにらうたげならむ人のとぢられたらむこそ、かぎりなくめづらしくはおぼえめ。源氏・帚木。しゃあてえ よおにい ありいと ふぃとに しられンじゅ、しゃンびしく あンばれたらム むンぐらの かンどに おもふぃの ふぉかに らうたンげならム ふぃとの とンでぃられたらムこしょ、かンぎり なあく めンどぅらしくふぁ おンぼいぇめえ。LHHHLFL・HLHHHHL・LLHL・HHLLLH・LLLLHLH・LLLLLHH・HHHHLLH・HLL・LLLHLLHHL、LLLRL・LLLHLH・LLLF)
あまゆ【甘】(あまゆ HHL) 「甘(あま)し」(あましい HHF)と同根で、じっさい今とは異なり「甘い香りをただよわす」という意味もあります。例えば源氏・常夏に「いと甘えたる薫物(たきもの)の香をかへすかへす焚き染(し)めたまへり」(いと あまいぇたる たきものの かあうぉお かふぇしゅう かふぇしゅう たき しめ たまふぇり HLHHLLH・HHHHHHH・LLFLLF・HLHLLLHL)とあります。「甘ゆ」は「甘える」のほか、「調子に乗る」「照れる」といった意味でも使われました。
あわつ【慌・周章】(あわとぅ HHL) 「あはつ」ではありません。
うかぶ【浮】(うかンぶ HHL) 「浮く」は「うく HL」でした。「思い浮かべる」「暗記する」といった意味でも使われました。「『古今』浮かべたまへり」(『こおきム』うかンべ たまふぇり 『HHL』HHLLLHL。「古今」は漢音)と言われているさる女御が本当に『古今』を暗唱しているか村上天皇がテストしたというエピソードのことは、いつぞや申しました。
うかる【浮】(うかる HHL) 「浮く」が自然発生の「る」を従えたものとしてもよい言い方で、平安時代には、「流浪する」といった意味のほか、「(心が)不安定な状態になる」といった意味でも使われました。「(心が)浮き浮きする」という意味は持っていなかったようです。
おくる【遅】(おくる HHL)
おびゆ【怯】(おンびゆ HHL)
かがむ【屈】(かンがむ HHL) 現代語では屈めるのはもっぱら腰でしょう。平安時代のものにも「腰をかがむ」(こしうぉ かンがむ HHHHHL)という言い方が見えていますけれども、源氏・帚木(ははきぎ)の名高い「雨夜の品さだめ」(あまよの しなしゃンだめ LHLL・HHHHL)の中に、「指(および)をかがめて」(およンびうぉ かンがめて LLLH・HHLH。〔妻に噛まれた〕指を折り曲げたまま)という言い方があります。「かがまる」は「かンがまる HHHL」です。
かさぬ【重】(かしゃぬ HHL) 服飾用語の「襲(かさね)」は「かしゃね HHH」です。
かたむ【固】(かたむ HHL) 「固し」は「かたしい HHF」です。
きこゆ【聞】(きこゆ HHL ) 「聞く」は「きく HL」でした。
くらぶ【比】(くらンぶ HHL)
くびる【縊】(くンびる HHL) 何よりも「首」が「くンび HH」であることから式は明らかですけれども、「ウエストが括(くび)れている」などいう時の「くびれる」が『26』以来東京で⓪であることからも(『89』は④ですが)そうだろうと推察できます。諸辞典を見ると、「括」を当てる「くびる」よりも「縊」を当てる「くびる」の方が古いようで(こちらは『書紀』にあり)、すると「このとっくりは非常にくびれているね」といった言い方は元来はどぎついメタファーとして言われたのではないかと思われます。
しづむ【沈】(しンどぅむ HHL)
すすむ【勧・進】(しゅしゅむ HHL)
ただる【爛】(たンだる HHL) 『竹取』の最後のほうに、月に帰らなくてはならなくなったとヒロインの言うのを聞いた竹取の翁のさまを描いて、「このことをなげくに、鬚(ひげ)も白く、腰もかがまり、目もただれにけり」(こおのお ことうぉ なンげくに、ふぃンげも しろく、こしも かンがまり、めえもお たンだれにけり HHLLH・LLHH、HHLLHL、HHLHHHL、LFHHLHHL)とあります。
ちがふ【違】(てぃンがふ HHL)
つたふ【伝】(とぅたふ HHL)
つづく【続】(とぅンどぅく HHL)
つぶる【潰】(とぅンぶる HHL) 「胸がどきどきする」という意味の「胸、つぶる」(むね とぅンぶる HLHHL)という言い方がありました。『枕』の「胸つぶるるもの」(むね とぅンぶるる もの HLHHHHLL)の段で清女は、胸がどきどきするものをたくさん並べてから、「あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ」(あやしく とぅンぶれンがてぃなる ものふぁ、むねこしょ あれえ LLHL・HHHHHLH・LLH、HLHLLF)と書きます。引用はヨリ逐語的に申せば「変につぶれがちなものと言ったら、胸がある」ということで、現代語として一般的な言い方に直すならば「胸というものは変につぶれがちだ」ということになりますけれど、これは原文のニュアンスをうまく移しえていない訳文です。
長くなりますが、「あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ」のような言い方は、平安時代の京ことばにおける、人間に関する一般命題といったものを述べる時の一つの型です。語順を変えた「胸こそあやしくつぶれがちなるものはあれ」(むねこしょ あやしく とぅンぶれンがてぃなる ものふぁ あれえ HLHL・LLHLHHHHHLH・LLH・LF)のような言い方も好んでなされます。これらは「胸はあやしくつぶれがちなるものなり」とは同一視できないのであり、現代語としてぎこちないことは承知のうえで、「胸が、変につぶれがちなものと言ったら、ある」とすべきものだとすら申せます(識者はかねてヘルダーリンのソフォクレス翻訳における逐語性を評価していたのでした)。「あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ」式の言い方としてはほかに、
かしこきものは、乳母(めのと)の夫(をとこ)こそあれ。枕・かしこきものは(182)。かしこきい ものふぁ、めのとの うぉとここしょ あれえ。LLLFLLH、HHHHLLLHLLF。石田さんは「たいしたものといったら、乳母の夫がまさにそうだ」と訳しておられます(角川文庫)。「…は」のニュアンスは時に「…と言ったら」で示されることについては、石田さんのお墨付きがあるのです。引用は「たいしたものといったら、乳母の夫がある」とも訳し得ます。ちなみに現代語では「私には夫がいる」と「私には男がいる」とは異なる意味を持ちますが、旧都では「をとこ」は夫も意味するのでした。
ありがたき心あるものは、男こそあれ。同・ありがたき心あるものは(前田家本269)。ありンがたきい こころ ある ものふぁ、うぉとここしょ あれえ。LLLLF・LLHLHLLH、LLLHLLF。ありえない心理の持ち主といったら、男性諸氏がいる。
世の中になほいと心うきものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。同・世の中になほいと心うきものは。よおのお なかに なふぉお いと こころ うきい ものふぁ、ふぃとに にくまれム ことこしょ あるンべけれ。HHLHH・LFHL・LLHLFLLH、HLH・LLLLHLLHL・LLLHL。世の中にある何と言ってもとてもつらく悲しいことといったら、人に憎まれることがありそうだ。「世の中に」を委託法と見ています。例えば紫式部集の「見し人の…」(みいしい ふぃとの)の詞書に「陸奥(みちのく)に名ある所どころ」(みてぃのくに なあ ある ところンどころ HHLHH・FLH・HHHHHL)とあるのは、「陸奥にある名ある所どころ」ということです。
などがあり、「胸こそあやしくつぶれがちなるものはあれ」式の言い方としては、
男こそ、なほいとありがたくあやしき心地したるものはあれ。枕・男こそ(253)。うぉとここしょ、なふぉお いと ありンがたく あやしきい ここてぃ しいたる ものふぁ あれえ。LLLHL、LF・HLLLLHL・LLLF・LLL・FLHLLHLF。男性諸氏が、何と言っても絶対ありえない変な心理の持ち主といったら、ある。
人の心こそうたてあるものはあれ。源氏・葵。ふぃとの こころこしょ うたて ある ものふぁ あれえ。HLLLLHHL・HHHLHLLHLF。人の心というものが、奇妙なものといったら、ある。「ものにこそあれ」の「に」を省いたものとする向きもありますけれど、一般にそういう「に」が勝手に省かれることはないようです。
女こそ罪ふかうおはするものはあれ。源氏・浮舟。うぉムなこしょ とぅみ ふかう おふぁしゅる ものふぁ あれえ HHLHL・LHLHL・LHHH・LLHLF。
をのこしもなむ、子細なきものははべめる。源氏・帚木。うぉのこしもなム、ししゃい(推定。呉音) なきい ものふぁ ふぁンべんめる。HHLHLHL、LLLLFLLH・RLHHL。我々男というものが、何ともたわいのないものといったら、ございますようです。
ならぶ【並】(ならンぶ HHL) ここで下二段「なぶ」のことを申します。まず「並べる」という意味の「並(な)ぶ」(なンぶ HL)という動詞があります。「並(な)む」(なム HL)とも言います。
駒なめていざ見にゆかむふるさとは雪とのみこそ花は散るらめ 古今・春下111。こま なめて いンじゃあ みいに ゆかムう ふるしゃとふぁ ゆうきとのみこしょ ふぁなふぁ てぃるらめえ HHHLH・LFRHHHF・LLHHH・RLLHLHL・LLHHLLF
しかしこれとは別に「靡(なび)く」(なンびくう LLF)と同根の、「靡かせる」を意味する「靡(な)ぶ」(なンぶう LF)という動詞があって、これは「並(な)ぶ」とは式を異にします。さて昔も「なべて」「おしなべて」といった言い方をしました。多くの辞書がこれらを「並べて」「押し並べて」と表記しますけれど、「なべて」には高貞821や毘1096が〈平上上〉(なンべて LHH)を、毘334が〈平上○〉(同前でしょう)を差し、「なべてや」にも毘873が〈平上上上〉(なンべてやあ LHHF)を差します。伏片334も「なべて」に〈平平○〉を、毘821も「なべて」に〈平平上〉を差し、これら二つにおける第二拍は動詞の活用のありかた一般からみて不審ですが、はじめの四つと同じく動詞「なぶ」を低起式とするわけです。すると岩波古語が動詞「おしなぶ」や副詞「おしなべて」に「押し靡ぶ」「押し靡べて」という表記を当てるのこそ妥当でしょう(おし なンぶう HLLF、おし なンべて HLLHH)。そしてそうであってみれば「なべて」にも「並」ではなく「靡」を当つべきでしょう。
梅の花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば 古今・冬334。ムめの ふぁな しょれともお みいぇンじゅ ふぃしゃかたの あまンぎる ゆうきの なンべて ふれれンば HHHLL・HHLFLHL・HHHLL・LLLHRLL・LHHLHLL
なお、次の歌の「おしなむ」などが「押し靡む」であることは自明です。
今よりはつぎて(絶エズ)降らなむ我が宿のすすきおしなみ降れる白雪 古今・冬318。いまよりふぁ とぅンぎて ふらなム わあンがあ やンどの しゅしゅき おし なみい ふれる しらゆき LHLLH・HLHLLHL・LHLHL・LHHHLLF・LHLLLLH。「白雪」の末拍のアクセントは推定です。「白し」は「しろしい LLF」で、「しらゆき」のはじめの三文字がLLLであることは、複合名詞の一般的なありようから見てほぼ確実です。「雪」は古典的には「ゆうき RL」、後に「ゆき HL」。組成上「白雪」に近いのは「たかがき【高垣】」や「たかはし【高橋】」のような言葉で(「高し」は「たかしい LLF」、「垣」「橋」は「かき HL」「ふぁし HL」)、それらは「たかンがき LLLH」「たかふぁし LLLH」と言われました。現代京都では「白雪」はHHLLとHLLLとが多く(LHLLもあり)、HLLLはHHLLからの変化だと思われます。このHHLLはLLLHからの正規変化と見なせますから、かれこれ考えあわせて「しらゆき LLLH」と見ておきます。
のぼす【上】(のンぼしゅ HHL) 現代語には「風呂に入ったらのぼせた」「女にのぼせる」といった言い方がありますけれども、これらは「逆上せる」と書ける自動詞です。平安時代にあったのは、「のぼらせる」「参上させる」といった意味の下二段の他動詞「のぼす」で、例えば今ならば人を木に「のぼらせて」実を採らせるなどいうところを、人を木に「のぼせて」(のンぼしぇて)云々と言いました。となれば、徒然草――「とぅれンどぅれンぐしゃ HHHHHL」でしょう――の次の段(109)を思い出される向きもあるでしょう(当方、中学校で暗唱せさせられし記憶あり)。
高名の木のぼりといひし(呼バレタ)男(をのこ)、人をおきてて(人ニ命ジテ)高き木にのぼせて梢を切らせしに、いと危く見えしほどはいふこともなくて、降るる時に、軒たけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけはべりしを、(私ガ)「かばかりになりては飛びおるるともおりなむ。いかにかくいふぞ」と申しはべりしかば、「そのことに候ふ(ヨクゾオ聞キ下サッタ)。目、くるめき、枝あやふきほどは、おのれが恐れはべれば申さず。あやまちはやすきところになりて必ずつかまつることに候ふ」といふ。あやしき下臈なれども、聖人(せいじん)のいましめにかなへり。鞠も、かたきところを蹴出だしてのち、やすくおもへば必ず落つとはべるやらむ。
詳細は省きますけれども、兼好は特に擬古的に書こうとはしていませんし、擬古的に書けばよいというものではありません。これを申した上で、平安中期の仮名文を読みなれている人にはこのほうが読みやすいだろうというものを、こころみに、ないし戯れに書きつけておきます。
高名の木のぼりといひし男、人を高き木にのぼせて梢を切らせしに、いと危く見ゆるほどはものも言はで、降るる時に、軒のたけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」と言ひしを、「かばかりになりては飛びおるともおりなむ。いかにかくはいふぞ」と問ひしかば、「そのことにはべり。目、くるめき、枝あやふきほどは、おのれ恐れはべれば申さず。あやまちはやすきところになりて必ずつかうまつるわざになむ」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠も、かたきところを蹴(くゑ)出だしてのち、やすくおもへば必ず落つとか。
かうみやうの きのンぼりと いふぃし うぉのこ、ふぃとうぉ たかきい きいにい のンぼしぇて こンじゅうぇうぉ きらしぇしに、いと あやふく みゆる ふぉンどふぁ ものもお いふぁンで、おるる ときに、のきの たけンばかりに なりて、「あやまてぃ しゅうなあ。こころ しいて おりよ」と いふぃしうぉ LHLLLL・LLHLL・HHHHHL、HLH・LLFLH・HHLH・LLLH・LLLHH、HLHHHL・LLHHLH・LLHHHL、LLHLLH、HHHLLLHLH・LHH、「LLLLFF。LLHFH・LHL」L・HHHH、「かンばかりに なりてふぁ、とンび おるともお
おりなムう。いかに かくふぁ いふンじょ」と とふぃしかンば、「しょおのお ことに ふぁンべりい。めえ、くるめき、いぇンだ あやふきい ふぉンどふぁ おのれ おしょれえ ふぁンべれンば まうしゃンじゅ。あやまてぃふぁ やしゅきい ところに なりて かならンじゅ とぅかう まとぅる わンじゃになムう」と いふ「HHHLHLHHH・HLLHLF・LHHF。HLHHLH・HHL」L・HHHLL、「HHLLH・RLF。L・HHHL、HH・HHHFHLH、HHH・LLFRLHL・LLHL。LLLLH・LLFHHHH・LHH・HHHL・HHLHHH・HLHLF」L・HL。あやしきい げらふなれンどもお、しぇいンじんの いましめに かなふぇり。まりもお、かたきい ところうぉ くうぇえ
いンだして のち、やしゅく おもふぇンば かならンじゅ お
とぅうとかあ LLLF・LLLHLLF、LHLLL・LLLLH・LLHL。LLF、HHFHHHH・ℓfLLHHLL、LHL・LLHL・HHHL・LFLF。
はじむ【始】(ふぁンじむ HHL) 名詞「はじめ」は「ふぁンじめ HHH」です。
はづる【外】(ふぁンどぅる HHL)
ひろぐ【広】(ふぃろンぐ HHL) またもや一つのミステリー? 「繋(つな)ぐ」は高起式だが「綱(つな)」は「とぅな LL」なのでしたけれども、同じように、形容詞「広し」は低起式であり「ふぃろしい LLF」と言われ、また今の「広める」に当たる下二段の「広む」も低起式であり「ふぃろむう LLF」と言われる一方、今の「広げる」に当たる「広ぐ」は高起式であり、その終止形は「ふぃろぐ HHL」と発音され、対応する自動詞「ひろごる」――現代語「ひろがる」の古形――も「ふぃろンごる HHHL」です。しかし考えてみれば、形容詞から派生した動詞が「…ぐ」「…ごる」という語形をとることはまったく一般的でなく、この点、現代語で申せば「赤い>赤める」「清い>清める」、昔の言い方で申せば「あかしい HHF>あかむ HHL」「きよしい LLF>きよむう LLF」のような言い方はたくさんあるのと対照的です。
そこでです。高起式の「ひろぐ」「ひろごる」は、「平(たい)ら」を意味する「ひら」(ふぃら HL)から派生した言葉なのではないでしょうか。例えば「ひらなり」(ふぃらなり HLHL)は「平らである」を意味します。「花びら」(ふぁなンびら LLLL)の「びら」はこの「ひら」の連濁したものであり(複合名詞の後部成素では式は保存されるとはまったく限らない)、昔は紙や葉っぱは「ひとひら」「ふたひら」と数えましたけれども、この「ひら」も今考えている「ひら」です。式の観点からは「ひろぐ」「ひろごる」はこの「ひら」と関連づけるのが自然です。
ふくる【膨】(ふくる HHL) 遺憾ながら「袋(ふくろ)」は「ふくろ LLL」のようです。
むかふ【迎】(むかふ HHL) 名詞「むかへ」は「むかふぇ HHH」です。
むまる【生】(mmaru HHL) 「生(う)まる」とも書きますけれども、発音は同じ。「馬(むま・うま)」(mma LL) や「梅(むめ・うめ)」(mme HH)についても同じことを申せるのでした。
むもる【埋】(mmoru HHL) 「うもる」とも書かれますが、発音は同じ。「引っ込み思案だ」「鬱々とした気持ちだ」といった意味の「むもれいたし」(ムもれいたしい HHHHHF)という形容詞があります。
ゆがむ【歪】(ゆンがむ HHL)
わする【忘】(わしゅる HHL)
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは 古今・雑下970。伊勢物語83。わしゅれてふぁ ゆめかあとンじょお おもふ おもふぃきやあ ゆうき ふみ わけて きみうぉ みいムうとふぁ HHLHH・LLFLFLLH・LLHHF・RLHLLHH・HHHLFLH。出家し比叡山のふもとの小野(うぉの HH)に隠棲した惟喬親王(これたかの みこ HHHHHHH)のもとを訪れた在原業平(ありふぁらの なりふぃら LLLHLLLHL〔推定〕)が後(のち)に贈った歌です。
忘れじのゆくすゑまでは難ければけふを限りの命ともがな 新古今・恋三1149。わしゅれンじいの ゆくしゅうぇまンでふぁ かたけれンば けふうぉ かンぎりの いのてぃともンがなあ HHHFL・HHHHLHH・HHHLL・LHHLLLL・LLHLHLF。「あなたのことは忘れません」(という約束)が将来までは守られそうにないので、いっそ今日、しんでしまいたい。格助詞「の」の接続は、と考え始める必要はないので、この「の」は、「あなたの『うれしい』が聞きたい」などいう時の「が」と同じく、引用文を受けています。引用の「の」は引用の「と」と同じくあらゆるものを先立て得ます。
をしふ【教】(うぉしふ HHL) 名詞「教(をし)へ」は「うぉしふぇ HHH」です。
ⅺ 多数派の低起三拍下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHHLというアクセントで言われる次の下二段動詞は、平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLLFと発音されます。
あがむ【崇】(あンがむう LLF) 「あがる」(あンがる HHL)と同根とする向きもありますけれども、式は異なります。
あづく【預】(あンどぅくう LLF) 「あづかる」(あンどぅかる LLHL)と対をなします。前(さき)に『竹取』の冒頭を引いた続きにこうあります。
翁いふやう、「わが朝ごと、夕ごとに見る竹のなかにおはするにて知りぬ。子になりたまふべき人なめり」とて、手にうち入れて、家へもちて来(き)ぬ。妻(め)のおうなにあづけてやしなはす。うつくしきことかぎりなし。いとをさなければ、籠(こ)に入れてやしなふ。
おきな いふ やう、「わあンがあ あしゃンごとお、ゆふンごとおに みる たけの なかに おふぁしゅるにて しりぬう。こおにい なりい たまふンべきい ふぃとなんめり」とて、てえにい うてぃい いれて いふぇふぇえ もてぃて きいぬう。めえの おうなに あンどぅけて
やしなふぁしゅ。うとぅくしきい こと かンぎり なしい。いと うぉしゃなけれンば、こおにい いれて やしなふ。LHH・HHLL、「LH・LLLF・HHLFH・LH・HHHLHH・
LHHHHH・HLF。HH・LFLLLLF・HLHLHL」LH、LH・LFHLH、LLF・LHHRF。RLLHHH・LLHH・HHHHL。LLLLFLL・LLLLF。HL・LLLHLL・LHHLH・HHHL。
あつむ【集】(あとぅむう LLF) 「あつまる」は「あとぅまる LLHL」。
あはす【合】(あふぁしゅう LLF) 名詞「あはせ」は「あふぁしぇ LLL」。裏地のついた、ということは表と裏とを合わせた着物を意味するほか(この場合は「袷」という字を当てます)、主食に対する副食物、おかずのことも「合はせ」と言いました。現代東京では名詞「あわせ」は、「扇(おおぎ)」以下の多数派低起三拍の四段動詞からの派生語と同じく、③で言われます。
いさむ【諌】(いしゃむう LLF) 名詞「諫(いさ)め」はおそらく「いしゃめ LLL」です。じつは「いさめる」は『26』も『43』も⓪とし、『58』が⓪③とする動詞で、『89』においてようやく③となります。現代の「いさめる」は旧都のアクセントの直系ではありませんが、そうだと思っても実害はありません。
うれふ【憂】(うれふう LLF) 現代語には「うれい」という名詞がありますが、これはもともとの「うれへ」(うれふぇLLL)という言い方の変化したものです。なお、現代東京で名詞「憂え」が③ではなく②で言われるのは「祝い」「思い」などと同じ理由によるでしょう。「うれはし」は「うれふぁしい LLLF」。
おそる【恐】(おしょるう LLF) 「おそろし」は「おしょろしい LLLF」、名詞「おそれ」は「おしょれ LLL」です。『古今』の仮名序に四段の「恐る」(「人の耳に恐り」〔ふぃとの みみに おしょりい HLL・LLH・LLF〕)が、また『土左』(1/23)に名詞「恐り」が見えていますけれども(「このわたり、かいぞくのおそりありといへば」〔こおのお わたり、かいンじょくの おしょり ありいと いふぇンば HHHHL、LLLLLLLL・LFLHLL〕)、西暦千年ごろには動詞は下二段活用であり、名詞は「恐れ」だったようです。
おほす【負・仰・果】(おふぉしゅう LLF) 「負ふ」(おふう LF)に使役の「す」の付いた「負はす」(おふぁしゅ LLF)が変化し一語化したもので、実際、物理的にあるいは比喩的に「背負わせる」という意味でも使われます。すなわち、「命ずる」というような意味の「仰(おほ)す」は、語源的には比喩的に背負わせることにほかなりませんけれども、この動詞はさらに転じて広く「おっしゃる」も意味します。名詞「おほせ」は、改名(詳しく申せば、その一つ「観智院本」の「法・下」)という部分に〈平○上〉注記が見られるとして「おふぉしぇ LLH」とする向きもありますが、「おふぉしぇ LLL」と見るほうがよくはないでしょうか。鈴木さんの論文「声点資料における濁音標示」(web)によれば、この観智院本名義には「最初から二拍だけ声点注記をする例が多く存」するそうです。すると、いま問題にしている注記も〈平平○〉で、第三拍への上声点注記と見えるものは第二拍への平声点注記かもしれません。そう見ると、近世におけるアクセントHHLを容易に説明できます。
なお、終止形に「おほす」(おふぉしゅう LLF) を持つ動詞には、ほかに「生(お)ほす」があります。これは四段動詞で、さきに「追ふ」(おふ HL)のところで申した自動詞「生(お)ふ」(おふう LF。成長する)に対する他動詞です。ここでも他動詞化形式素 oʃ が介入したのでした。
おぼゆ【覚】(おンぼゆう LLF) 「思ふ」(おもふう LLF)が自然発生や受け身を意味する「ゆ」を従えた「おもはゆ」(おもふぁゆう LLLF)の変化した「おもほゆ」(おもふぉゆう LLLF)がさらに変化して、「おぼゆ」(おンぼゆう LLF)となりました。「思われる」「思い出される」「似る」といった意味で使います。AがBに似ている場合Aを見るとBが思い出されるということが起こりうる、という意味で、「思い出される」と「似る」とは近い関係にありますけれども、「に」格をとる「…におぼえたり」(…に おンぼいぇたりい …H・LLHLF)という言い方における「おぼゆ」はすでに「似る」(にる HL)の同義語です。
名詞「おぼえ」は「おンぼいぇ LLL」で、「誰かに愛されること」「誰かの寵愛をうけること」「誰かに好かれること」といった意味もあります。現代語で「社長のおぼえがめでたい」など言う時の「おぼえ」はこれです。ちなみに「おぼえめでたし」は平安時代の京ことばでも言った言い方で、例えば『今昔』(22-4)に、藤原内麻呂のことを語って、「身の才(ざえ)(教養)やむことなくて(並々デナク)、殿上人のほどよりおほやけに(帝ニ)つかうまつりたまひて、そのおぼえ、めでたくなむおはしける」(みいのお じゃいぇ やむ こと なあくて、てんじやうンびとの ふぉンどより おふぉやけに とぅかう まとぅり たまふぃて、しょおのお おンぼいぇ、めンでたくなム
おふぁしける。HHLH・HHLLRLH、LHHHHHLLHLHL・LLHHH・HHLHHLLLHH、HHLLL、LLHLHL・LHLHL) とあります。
この言葉はまた、「そんなことをしたおぼえはない」の「おぼえ」に近いと言えば近い意味でも使われたようで、例えば『和泉式部日記』に、ある夜更け、誰かが家の戸をたたくので、和泉式部が「あなおぼえ無(な)」(あな おンぼいぇ なあ LLLLLR)と思うところがあります。あら、(どなたなのか)心当たりがないわ。
かぞふ【数】(かンじょふう LLF) 「数」は「かンじゅ LH」です。
かなづ【奏】(かなンどぅう LLF) 演奏することではなく、舞うことを意味しました。
かなふ【叶】(かなふう LLF)
かまふ【構】(かまふう LLF) 平安時代には、現代語「構える」のもとの言い方である下二段の「かまふ」はありましたけれども、「構わない」「構います」など使う五段(四段)の「構う」の成立はずっと後れるようです。名詞「かまへ」は古くからありしました。「かまふぇ LLL」と発音されたと見ておきます。この名詞には「装置」という語義があります。『今昔』のある説話(24-2)に、桓武天皇の皇子・高陽親王(かやのみこ)が、さるお寺の所有する田の干上がってしまったことを知り、
これをかまへたまひけるやう(コノコトニ就キ一計ヲ案ジナサッタソノ内容ハ)、丈四尺(しじゃく)ばかりなる童(わらは)の(子供ガ)左右(さう)の手に(手デ)器を捧げて立てる形(かた)を作りて、この田の中に立てて、人そのわらはの持たる器に水を入るれば盛りうけてはすなはち(スグニ)顔に流れかかるかまへを作りたまひたりければ
これうぉ かまふぇえ たまふぃける やう、たけ しンじやくンばかりなる わらふぁの しゃうの てえにい うとぅふぁうぉ しゃしゃンげて たてる かたうぉ とぅくりて こおのお たあのお なかに たてて、ふぃと しょおのお わらふぁの もたる うとぅふぁに みンどぅうぉ いるれンば もり うけて しゅなふぁてぃ かふぉに なンがれえ かかる かまふぇうぉ とぅくりい たまふぃたりけれンば
HHH・LLFLLHHLLL、LL・LLLLLHLHL・LLHL・LLLLH・HHHH・LHLHLHL・HLH・LLHH・HHLLLHH・LHH、HL・HHLLHL・LHL・HHHH・HHHHHLL・HLLHH・LLLL・HHH・LLFLLHLLLH・LLFLLHLHHLL
果たして京中の人がやって来ては、この人形のかかげる器に水を入れたので、田に水が満ちた、とあります。当時はまだ、「からくり」という名詞も「仕掛け」という名詞もなかったようです。
からむ【絡】(からむう LLF) 悪人をからめとる、捕縛するという意味でも使います。
きはむ【極】(きふぁむう LLF) 名詞「際(きは)」(きふぁ LL)と関連する言葉です。「極(きは)まる」は「きふぁまる LLHL」。
きよむ【清】(きよむう LLF) 形容詞「清(きよ)し」は「きよしい LLF」、名詞「清(きよ)め」は「きよめ LLL」です。現代語とまぜこぜにして言えば、例えば庭を掃除し物理的にきれいにするという意味で「庭をきよめる」とか「庭のきよめをする」という言い方ができ(「にふぁうぉ きよむう HHHLLF」、「にふぁの きよめうぉ しゅう HHHLLLHF」)、その結果庭は「きよく」(きよく LHL)なります。いつぞや申したとおり「朝ぎよめ」(あしゃンぎよめ LLLHL)という名詞があったので、「にはぎよめ」という名詞も、なかったと見るよりはあったと見るのが自然であり、あったとすればそれは「にふぁンぎよめ HHHHL」と言われたでしょう。現代語における「清める」に対応する自動詞は「清まる」ですが(「清められる」に圧されているとはいえかろうじて生き残っていると見ておきます)、これは古い「きよまはる」(きよまふぁる LLLHL)の変化した言い方です。
くだく【砕】(くンだくう LLF)
月さゆるこほりの上にあられ降り心くだくる玉川の里 千載・冬443・俊成。 とぅき しゃゆる こふぉりの うふぇに あられ ふりい こころ くンだる たまンがふぁの しゃと LLLLH・HHHHHLH・HHHLF・LLHLLLH・LLLHLHH。凍った小川に月が澄んだ光を投げている情景から、空は曇り霰が降りだす状況への変化があったと思ってよいのでしょう。第五句への注で久保田さんは「やはり野田の玉川か」とおっしゃっています(岩波文庫)。野田の玉川は、宮城県塩釜市に発しすぐお隣の多賀城市で砂押川に注ぐ小川だそうです。
くづる【崩】(くンどぅるう LLF) 「くづれたるところ」(くンどぅれたる ところ LLHLHHHH)を「くづれ」(「くンどぅれ LLL」でしょう)と言ったようです。
密(みそか)なる所なれば、門(かど)よりもえ入(い)らで、わらはべの踏みあけたるついひぢのくづれより通ひけり。伊勢物語5。みしょかなる ところなれンば、かンどよりもお いぇええ いらンで、わらふぁンべの ふみ あけたる ついふぃンでぃの くンどぅれより かよふぃけり LHLHL・HHHLHL・HLHLF・ℓfHHL・LLHHH・HLHLLH・HHHHHLLLHL・HHLHL。「ついひぢ」は築地塀(ついじべい)のことで、「築(つ)き泥(ひぢ)」の音便形。「築(つ)く」(とぅく HL)は土や石を突き固めるところからこう言われます。「ひぢ」(ふぃンでぃ LL)は泥(どろ)のことだそうです。仮名で書けば同じですが、「肘(ひぢ)」は「ふぃンでぃ HL」。
こがる【焦】(こンがるう LLF) 前(さき)に申したとおり他動詞「焦がす」に対する自動詞で、「ハンバーグ、焦がれにけり」(ふぁんばあンぐ、こンがれにけり。HHHHL・LLHHHL)など言えるのでした。
来ぬ人ををまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ 新勅撰・恋三851・定家。こおぬう ふぃとうぉ まとぅふぉの うらの ゆふなンぎに やくやあ もしふぉの みいもお こンがれとぅとぅ LHHLH・LLLLLLL・HHHHH・HHFHHHH・HLLLHHH。地名「松帆」のアクセントは初拍以外は分かりません。「松」は「まとぅ LH」、「帆」は「ふぉお H」。現代東京では「ほをあげる」と①で言いますけれども、『26』も『43』も⓪、『58』は⓪とした上で「新は①」としますから、昔の東京では「ほをあげる」と言ったのでした。平安時代の京ことばでは、「LH+H」のパタンのアクセントは遺憾ながら一定せず、例えば「板戸」は書紀(総合索引)が「いたンど LLL」、毘・高貞690が「いたンど LLH」とし、「ふなこ(舟子)」はいつぞや申したとおり「ふなこ LHL」です(改名)。「夕なぎ」のアクセントも推定ですけれど、「ゆふなンぎ HHHH」か「ゆふなンぎ HHHL」で(「夕」は「ゆふ HH」、「なぐ」は「なンぐう LF」)、これはあるいは例の「焼きそばパン」と同趣かもしれません。
こたふ【答】(こたふう LLF) 名詞「答(こた)へ」は「こたふぇ LLL」です。動詞「こたふ」の同義語「いらふ」も同式で「いらふう LLF」と言われました。名詞「いらへ」は「いらふぇ LLL」でしょう。
こほる【毀】(こふぉるう LLF) 現代語「毀(こぼ)れる」――「刃がこぼれる」など言います――の古形。現代語「こわれる」のもともとの形とも言えます。四段動詞「毀(こほ)つ」(こふぉとぅう LLF)に対応する自動詞です。
こぼる【零】(こンぼるう LLF)
さだむ【定】(しゃンだむう LLF) 例えば源氏・絵合(ゑあはせ)(うぇあふぁしぇ LLHL)に「その日と定めて」(しょおのお ふぃいとお しゃンだめて HHFL・LLHH)とあるのは一回的になされる行事を「何月何日にとりおこなうと決めて」といった意味で、現代語においてはこういう時には「定める」は使いません(「これこれの祝日を何月何日に定める」などはいうわけですけれど)。平安時代の京ことばの「さだむ」は、現代語の「決める」「決定する」も含む、現代語「さだめる」よりずっと広い範囲をカヴァーする動詞でした(「決(き)む」という下二段動詞は当時ありませんでした)。名詞「定(さだ)め」はおそらく「しゃンだめ LLL」。「さだめ無し」(しゃンだめなしい LLLLF」は、いつどうなるか分からない状態である、変転常なきありさまである、といった意味で使われます。「定まる」は「しゃンだまる LLHL」。
ちなみに、古くは名詞「さだめ」には「運命」といった意味はありませんでした。「宿世」(しゅくせ LL。呉音)は「運命」に近い概念でしょう。また、「さるべきにやありけりむ」(しゃるンべきいにやあ ありけム LLLFHF・LHLH)は「そういう運命だったのだろうか」など訳し得ます。
しぐる【時雨】(しンぐるう LLF) 名詞「時雨」は「しンぐれ LLL」です。さっと通り過ぎる雨ということで、動詞「過ぐ」(しゅンぐう LF)と関連があるとされるのは、あるいは俗解なのかもしれませんが、低起式であることを記憶にとどめるのには役立ちます。
かみなづき降りみ降らずみさだめなき時雨ぞ冬のはじめなりける 後撰・冬445 かみなンどぅき ふりみ ふらンじゅみ しゃンだめ なきい しンぐれンじょお ふゆの ふぁンじめなりける LLLHL・LHLLHLL・LLLLF・LLLFHLL・HHHLHHL。「かみなづき」は、撥音便形「かむなづき」が「かムなンどぅき LLLHL」なので(総合資料)、「かみなンどぅき LLLHL」でしょう。「神の月」(かみの とぅき LLLLL)から成立したという「かみなづき」が(「神無月」は当て字のようです)、一つの複合名詞としてLLLHLというアクセントをとるのは、「水の上(かみ)」(みンどぅの かみ HHHLH)に由来する「みなかみ」が「みなかみ HHHH」と言われたのなどと一般です。
ここでほかの月名にも申し及んでおきましょう。「きさらぎ」(きしゃらンぎ LLHL)、「やよひ」(やよふぃ HHH)、「長月」(なンがとぅき LLHL。「長し」は「なンがしい LLF)、「師走(しはす)」(しふぁしゅ LLL)の四つについては、資料のとおりと見て問題ないと見られます。「やよひ」はやはり「弥生(いやおひ)」(いやおふぃ HHHH)のつづまったものでしょう。「生(お)ふ」は「おふう LF」ですが、「弥」(いや HH)と「はかなし」(ふぁかなしい LLLF)の語幹とを含む「いやはかななり」は「いやふぁかななりい HHHHHLF」と発音されたという具合に(訓644など)、「弥(いや)なになに」は複合名詞を作ります。「霜月」への注記を知りませんが、「霜」は「しも LL」ですから、「ながつき」に倣って「しもとぅき LLHL」だったと見てよいと思います。
さて由来は不明ながら古来「文(ふみ」(ふみ HL)の月と書かれる「ふみつき」は、撥音便形「ふんづき」に寂927詞が〈上上上上〉(「ふムどぅき HHHH)を、また「ふむづき」に訓927詞が〈上上上平〉(ふムどぅき HHHL)を差しますから、「ふみとぅき HHHH」ないし「ふみとぅき HHHL」というアクセントで、ないしその両方で言われたと見られます。しばしば「穂含月」を語源とすると言われますが、「穂」は「ふぉお L」、「含(ふく)む」は「ふくむう LLF」、「含(ふふ)む」は「ふふむう LLF」です。
すると「ふづき」は「ふムどぅき HHH」ないし「ふムどぅき HHL」、ないしその両方ということ以上のことは言えないことになりますけれども、これは「むつき」「さつき」「はつき」(「はづき」は後世の言い方のようです)についても言えそうです。「むつき」は袖中抄が〈上上上〉を与え、高起式であることは「むつぶ」(むとぅンぶ HHL)からも知られますが、現代京都では「むつき HLL」で、これは例のHHL→HLLという変化によるものかもしれませんから、古くは「むとぅき HHH」ないし「むとぅき HHL」だったと見たほうが安全です。
次に、「さつき」は「さつきやま」(しゃとぅきやま HHHLL。顕昭の拾遺抄注)から式が明らかで、現代京都は「さつき」ですから、往時において「しゃとぅき HHH」と言えただろうことは明らかですけれど、「ふづき」のことを考えれば「しゃとぅき HHL」とも言われたかもしれません。「葉」(ふぁあ F)に由来する初拍を持つ「はつき」についても、確実なのは「ふぁとぅき HHH」ないし「ふぁとぅき HHL」だったろうという所までです。
次に、「水の月」(みンどぅの とぅき HHHLL」に由来するらしい「みなつき」は「みなとぅき HHHH」ないし「みなとぅき HHHL」だったでしょう。
最後は「卯月(うづき)」。「卯(う)」は「うう L」なので(「うさぎ」は「うしゃンぎ LHH」)、「うづき」が低起式であることは明らかであり、また「月」は「とぅき LL」です。低起一拍名詞と二拍三類名詞(LL)とからなる三拍名詞は、「乳房」(てぃンぶしゃ)や「手斧(てをの)」(てうぉの。チョウナ)がそうであるようなLLLというアクセントか、「木霊(こたま)」(こたま)や「夜殿(よどの)」(よンどの)がそうであるようなLHLというアクセントをとることが多いのですが、ちょうどそれに対応するように、「卯月(うづき)」のアクセントとしては「うンどぅき LLL」と「うンどぅき LHL」とがともども有力です。前者は、現代京都のHLLをLLL→HHL→HLLという変化によるものと見ることができるので、そして後者は、近世資料にLHLとあるらしいこと(総合資料)、および以前も申したとおりLHLは型を変えにくいという事実のあることから、ともどもしりぞけにくいのです。どちらも言ったのかもしれないということも含めて、申せるのはここらまでです。
むとぅきorむとぅき、きしゃらンぎ、やよふぃ、うンどぅきorうンどぅき、しゃとぅきorしゃとぅき、みなとぅきorみなとぅき、ふみとぅきorふみとぅき、ふぁとぅきorふぁとぅき、なンがとぅき、かみなンどぅき、しもとぅき、しふぁしゅ。HHHorHHL、LLHL、HHH、LLLorLHL、HHHorHHL、HHHHorHHHL、HHHHorHHHL、HHHorHHL、LLHL、LLLHL、LLHL、LLL。
しづむ【静・鎮】(しンどぅむう LLF) 「しづまる」は「しンどぅまる LLHL」です。
しらく【白】(しらくう LLF) 現代語では「興がさめる」という意味で「しらける」と言いますけれども、下二段の「白く」にはそうした意味はありませんでした。ただ「しらける」が東京では③で言われることから、古い下二段動詞「しらく」の低起性がただしく推察されます。もっとも、「しらく」は元来白くなることであり、「白し」(しろしい LLF)は低起式なのでした。『土左』(1/21)に、恐怖のあまり「かしらもみなしらけぬ」(かしらもお みな しらけぬう LLLF・HLLLHF)とあります。このハイパーボリは昔もあったのでした。
しらぐ【精】(しらンぐう LLF) これも「白し」に由来します。精米すること、玄米をついて白くすることを現代語では「しらげる」と言います。しょっちゅう耳にする言葉ではありませんけれど、「米を精米する」はおかしいわけで、「米を」と言い始めてしまった時など便利です。「しらげたるよね」(しらンげたる よね LLHLHHH)を「しらげよね」(しらンげよね LLLHL)と言います。
しらぶ【調】(しらンぶう LLF) 名詞「調べ」は「しらンべ LLL」です。今でも例えば「琴の調べ」と言いますが、これは調査することではないわけで、もともと動詞「調(しら)ぶ」は調律することを言ったそうです。それが「演奏する」という意味に転じ(メトニミー)、さらには「調子づいてしゃべりちらす」といった意味でも使うようになりました(メタファー)。調査するという意味は後代になって生じたようです。
そなふ【備・具・供】(しょなふう LLF) 名詞「そなへ」は「しょなふぇ LLL」、動詞「そなはる」は「しょなふぁる LLHL」です。
たがふ【違】(たンがふう LLF) 現代語で「約束をたがえる」など言うので、ここに置きます。四段「たがふ」は自動詞、下二段のそれは他動詞。やはり四段のも下二段のもある「ちがふ」は「てぃンがふ HHL」で、「たがふ」とは式を異にします。
たたふ【湛】(たたふう LLF) 今も「湖は静かに水を湛えていた」など言います。平安時代、この動詞は四段にも活用できて、存続の「り」を従えた「たたへり」(たたふぇり LLHL)という言い方を、下二段のを使った「たたへたり」(たたふぇたりい LLHLF)と同じ意味で使えたようです。
たたふ【称】(たたふう LLF) 上の「湛ふ」とは別の言葉と見ておきます。
たづぬ【尋】(たンどぅぬう LLF) 「探す」という意味で「尋ねる」という動詞を使うことは今では多くありませんが――アニメ化もされたイタリアの小説の題「母を尋ねて三千里」におけるそれは例外ですが、これも戦前の訳語のようです(なにしろ「里」です)――、この意味の「たづぬ」は古いものには多くあらわれます。
たづねゆくまぼろしもがなつてにも魂(たま)のありかをそこを知るべく 源氏・桐壺(きりとぅンぼ HHHL)。たンどぅねえ ゆく まンぼろしもンがな とぅてにても たまの ありかうぉ しょこと しるンべく LLFHH・LLLHLHL・HHHHL・LLLLLLH・LHLHHHL。「まぼろし」の後半二拍は推定。「つて」は「とぅて HL」とする文献もあります。桐壺の更衣(きりとぅンぼの かうい HHHLLLHL)を失った帝(みかンど HHH)の歌。亡き人の魂がどこにいるか人づてにでも知るために、(長恨歌に登場する)幻術士が探しに行ってくれるといいのだが。
たとふ【譬】(たとふう LLF) 名詞「たとへ」は「たとふぇ LLL」ですけれども、現代語ならば「たとえ」を使うようなところで「たとひ」という言い方をすることが多いようで、これは四段の「たとふ」というものがあったらしいその名残かもしれません。現代語で「たとえ何々だとしても」などいうその「たとえ」も、古くは「たとひ」(たとふぃ LLL)でした。なお『源氏』には「世のたとひにて」(よおのお たとふぃにて HHLLLHH))という言い方が複数あらわれます。この「たとひ」は「人々が何かにつけて引き合いに出す話題」といった意味のようで、「たとえ」「たとえ話」とすると少しずれます。
梨の花、世にすさましくあやしきものにして、目に近くもてなしはかなき文つけなどだにせず、愛敬おくれたる人の顔などを見てはたとひにいふも、げにその色よりはじめてあいなく見ゆるを、もろこしにはかぎりなきものにて文にもつくるなるを、さりともあるやうあらむとてせめて見れば、花びらの端にをかしきにほひこそ心もとなくつきためれ。枕・木の花は(34。きいのお
ふぁなふぁ LLLLH)。
なしの ふぁな、よおにい しゅしゃましく あやしきい ものに しいて、めえにい てぃかく もて なしい ふぁかなきい ふみ とぅけえ なンどンだに しぇえンじゅう、あいンぎやう(推定)おくれたる ふぃとの かふぉ なンどうぉ みいてふぁ たとふぃに いふも、げえにい しょおのお いろより
ふぁンじめて あいなあく みゆるうぉ HLLLL、HHLLLHL・LLLFLLHFH、LHLHLLHLF・
LLLFHL・LFRLHLHL、LHLLL・HHLLH・HLLHHRLHRHH・LLLHHHL、LH・HHLLHLHHLH・LLRLLLHH、もろこしにふぁ かンぎりなきい ものにて ふみにも とぅくるなるうぉ、しゃりともお ある やう あらムとて しぇめて みれンば、ふぁなンびらの ふぁしに うぉかしきい にふぉふぃこしょ こころもとなあう とぅきたんめれ LLLLHH・LLLLFLLHH・HLHL・LLHHLH、LHLF・LHLLLLFLH・LHHLHL、LLLLLHHH・LLLFLLLHL・LLLLLRL・LHLHHL。梨の花は、何とも興ざめで妙なものとされ、身近に置いたりちょっとした書状に添えたりなどもせず、器量にめぐまれない人の顔などを見ては引き合いに出すにつけても、たしかにその色からしていやな感じに見えるけれど、中国では最上のものとして漢詩などにも作るそうなので、いくらなんでも何かわけがあってそうなのだろうと思い、じっと観察してみると、花びらの端に、ほのかに美しい色が、かすかについているようだ。
たふる【倒】(たふるう LLF) 「たふる LHL」とも発音されました(詳細後述)。「倒(たふ)す」(たふしゅう LLF) に対する自動詞です。
たむく【手向】(たむくう LLF) 「手」は「て L」でした。名詞「手向(たむけ)」は「たむけ LLL」。峠のことも元来こう言われたらしいことは、「敢ふ」のところで申しました。
つどふ【集】(とぅンどふう LLF) 四段の「つどふ」に対する他動詞です。
つとむ【務・勤】(とぅとむう LLF) 名詞「つとめ」は「とぅとめ LLL」です。
とがむ【咎】(とンがむう LLF) 「とがめる」は立派な現代語ですが、そのもとになった名詞「咎(とが)」はすでに古語だと申すべきでしょう。平安時代のものには名詞「とが」(とンが LH)は頻繁にあらわれます。この名詞は、人がとがめるところのもの、ということは、欠点や過ちや問題的な行動を指します。平安時代の「とがむ」は「見とがめる」「気にかける」程度の意味でも使いますから、現代語の「とがめる」ほど重くないと申せるでしょう。次の歌の「とがむ」もそのようです。
いで我を人なとがめそおほぶねのゆたのたゆたにもの思ふころぞ 古今・恋一508。いンで われうぉ ふぃと なあ とンがめしょ おふぉンぶねの ゆたのたゆたに もの おもふ ころンじょお HLLHH・HLHLLHL・LLLHL・LLLHHLH・LLLLHHLF。どうか皆さん、私にかまわないでください。私は、恋の悩みで大きな舟みたいに心がゆらゆらとゆれる昨今なのです。
さて源氏・帚木の冒頭の文には名詞「とが」があらわれます。
光る源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふとが多かなるに、いとど、かかるすきごとどもを末の世にも聞き伝へてかろびたる名をや流さむ、と、しのびたまひけるかくろへごとをさへ語り伝へけむ人の、ものいひさがなさよ。
ふぃかる
ぐうぇんじい、なあのみ ことこと
しう、いふぃ けたれ たまふ とが おふぉかんなるうぉ、いとンど、かかる しゅきンごとンどもうぉ しゅうぇの よおにも きき とぅたふぇて かろンびたる なあうぉやあ なンがしゃム、と、しのンび たまふぃける かくろふぇンごとうぉしゃふぇ かたり とぅたふぇけム ふぃとの ものいふぃ しゃンがなあしゃよお。LLHLLLH、FHLLLLLHL、HLHHLLLH・LH・LHLHHLH、HHH、HLHLLLLHLH・HHHHHL・HLHHLH・HHLLH・FHF・LLLH、L、HHLLLHHL・LLLLLLHHH・HHLHHLLH・HLL・LLLL・LLRHF。
平安仮名文特有の語法が複数使われていて、そのため直訳すると意味不明な文ができあがります。光る源氏は、呼び名はひどく大仰で、その実、非難されても仕方のない多くの問題的な行動を起こしているという噂ですけれども、それに加えて(「多かなるに」の「に」は、現代語「それに何々だ」の「に」などと同じく添加を意味します)、「ますます、こういう色恋沙汰が後世に聞き伝えられたら(「聞き伝へて」の「て」は仮定を意味します)軽薄男子という評判が残ってしまう」と考えてご当人が秘密にしていた隠し事まで、どこからかかぎつけて語り継いだらしい人々は、何とも口さがないと言うほかありません、と、こういうことが言われているのだと思います。こう語る語り手も口さがないわけで、語り手がそれを棚に上げている趣に作ってあるのが面白いと思います。以下、語法を見ておきます。
まず「のみ」。例えば源氏・少女(うぉとめ LHH)に、かぞえで十二歳の夕霧について、「胸のみふたがりて、ものなども見入れられず」(むねのみ ふたンがりて、もの なンどもお みいい いれられンじゅ HLHL・HHHLH、LLRLF・ℓfHHHHL)とあります。胸以外のものはふさがるけれども、というのではないわけで、「胸のみふたがる」はさしあたり「胸がふさがるばかりだ」と言っていますけれども、これも、ほかの出来事は起こっていないとまでは言っていません。結局のところそれは「ひどく胸がふさがる」という意味の言い方です。現代語でも例えば「お酒ばかり飲む」は水そのほかは飲まないというのではなく、「お酒を飲むことばかりする」、要するに「ひどくお酒を飲む」と言っています。同様に「名のみことことし」(なあのみ ことことしい FHL・LLLLF)は「呼び名がひどく大仰だ」を意味できます。ちなみに今は「ことごとしい」と言いますが、古くは三拍目は清んだ、ないし清みえました。
次に、「言ひ消つ」には確かに「言葉を濁す」といった意味もあって、『源氏』にはこの意味の「言ひ消つ」(いふぃ けとぅ HLHL)や「のたまひ消つ」(のたまふぃい けとぅ HLLFHL)がよくあらわれますけれども、その意味でのみ使われるのではないので、例えば源氏・葵に、六条の御息所の悪口を言う者もいるが光る源氏は「よからぬ者どもの言ひいづることと聞きにくくおぼしてのたまひ消つを」(よおからぬ ものンどもの いふぃ いンどぅる ことと ききにくく おンぼして のたまふぃい けとぅうぉ RLLH・LLHLL・HLLLHLLL・HHHHL・LLHH・HLLF・HHH)とあります。ここでは「言ひ消つ」は「それは事実でないと言う」を意味します。さて色葉字類抄が「誚」に「いひけつ」という訓みを与えていて(小学館・古語大辞典)、「誚」は「せめる」「そしる」「とがめる」「非難する」という意味と言います(角川大字源)。帚木の「言ひ消たれたまふとが」の「言ひ消た」はやはりこの意味でしょう。続く「れたまふ」の「れ」は受け身と見るのが自然で、「たまふ」は主格敬語。「言ひ消たれたまふ」は「誰かが光る源氏を非難申し上げる」を受け身にした、「光る源氏が誰かに非難されなさる」といった意味の言い方と見られます。現代語としてはぎこちない言いようですけれども、平安仮名文ではありふれた言い方です。
次に、例えば八代集には、古今567以下、七つほど、「君こふる涙」(きみ こふる なみンだ HHLLH・LLH)
という言い方があらわれますけれども、これは「あなた(ないし、あの人)を恋しく思って流す涙」ということで、現代語では「あなたを恋しく思う涙」は言葉たらずですけれど、この種の、ということはある体言とそれを修飾する語句とが複雑な関係にある言い方は古くはいくらもなされました。
こうして、もし光る源氏が何らかの問題的な行動によって非難されなさるとしたら、それは「いふぃ けたれ たまふ とが」(それによって非難されなさるところの問題的な行動。非難されなさるその原因となる問題的な行動)です。
参考までに、添加の「に」や仮定の「て」の例を引いておきます。
わが(自分ガ)入らむとする道はいとくらう細きに、つた、かへでは茂り、もの心ほそく、すずろなる目を見ることと思ふに、修行者あひたり(現レマシタ)。伊勢物語9。
わあンがあ いらムうと しゅる みてぃふぁ、いと くらう ふぉしょきいに、とぅた、かふぇンでふぁ しンげりい、もの こころ ふぉしょく、しゅンじゅろなる めえうぉお みる ことと おもふに、しゅうンぎやうンじゃあ あふぃたりい。LH・HHFLHHHHH・HLHHLLLFH、HL、LHHH・LLF、LLLLHLHL、LHHLH・LHLHLLL・LLHH、LHHHHH・LHHL。「修行」は呉音で、「修」は一記号ではRと見られます。このことと、近世の資料で「修行者」が高平連続であるのとを併せて、「しゅうンぎやうンじゃあ LHHHHH」と見ておきます。
いかにせまし。聞こえありて、すきがましきやうなるべきこと。 源氏・若紫。いかに しぇえましい。きこいぇ ありて、しゅきンがましきい やうなるンべきい こと。HLHHHF。HHHLHH、LLLLLF・LLHLLFLL。どうしよう。このことが噂になったら好色めいていると思われそうだ。
こうして引用は、改めて申せば、「光る源氏」という呼び名はひどく大仰で、この人はその実、非難されても仕方のない多くの問題的な行動を起こしているらしいけれども、それに加えて、「ますます、こういう色恋沙汰が後世に聞き伝えられたら軽薄男子という評判が残ってしまう」と考えて当人が秘密にしていた隠し事まで、どこからかかぎつけて語り継いだらしい人々は、何とも口さがない、といった意味に解されますけれども、では、多いと言う「言ひ消たれたまふとが」とは何でしょう。古典集成の頭注において石田さんは、「人からけなされるようなよからぬ行い」と解されています。とすればそれは盗みや放火の類ではないでしょう。色恋沙汰ということになるでしょう。となればそれは、「桐壺」と「帚木」とのあいだにあったとされる「かかやく日の宮」(かかやく ふぃいの みや HHHHFLHH)という巻、藤壺、六条の御息所、朝顔の姫君といった人々と光る源氏とのかかわりが記されていたとされる巻で語られる、まさにそれらのことを言っているのだと考えてよいのだと思います。光る源氏は高貴な上にも高貴な方がたととかくのスキャンダルがあるらしいのに加えて、以下にお話しするようなアヴァンテュール――空蝉や軒端の荻や夕顔とのこと――もあります、といった趣です。
とよむ【響】(とよむう LLF) 平安末期に「どよむ」に変化したされます。現代語としては「どよめく」の方が一般的でしょうけれども、複数の現代語の国語辞典が「どよむ」を立項しています。「どやどや」という擬音は、これらに離れぬものかもしれません。
ながむ【眺】(なンがむう LLF) 物思いにふけって何かを眺める、という意味で使うことの多いことは周知ですけれども、ただ平安時代には単に眺めるという時には使わない、とまでは言えないようで、例えば小学館の古語大辞典は、現代語の「ながめる」と同義の「ながむ」の用例として、『浜松中納言物語』の一節「のどかにながめいでつつ、琴を弾きたまふ」(のンどかに なンがめえ いンでとぅとぅ、ことおうぉ ふぃき たまふう LHLH・LLFLHHH・LFH・HLLLF」を引いています。藤原実定(1139-1191)の名高い歌、
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 千載・夏161。ふぉととンぎしゅ なきとぅる かたうぉ なンがむれンば たンだあ ありあけの とぅきンじょお のこれる LLLHL・HLLHHLH・LLLHL・LFLHHHH・LLFLLHL
における「ながむ」(の已然形)も、諸書、現代語と同じ意味で解しています。
「物思いにふけって何かを眺めること」を意味することの多い「ながめ」は「なンがめ LLL」。まことや(まことやあ HHHF。そうそう)、「長(なが)し」(なンがしい)に由来する、「声を長く引いて詠ずる」という意味の「詠(なが)む」も、「なンがむう LLF」と言われます。
ながる【流】(なンがるう LLF) 名詞「流れ」は「なンがれ LLL」です。次の歌にはきれいな頭韻が聞かれます。
滝の糸は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 拾遺・雑上449。たきの いとふぁ たいぇて ふぃしゃしく なりぬれンど なあこしょ なンがれて なふぉお きこいぇけれ HHHLHH・LHHLLHL・LHHLL・FHLLLHH・LFHHLHL。千載・雑上1035が、そして特に小倉百人一首が「滝の音は」(たきの おとふぁ HHHHLH)とするので「糸」は奇妙に響くという向きもおありでしょうけれど、「糸」と「絶えて」とが縁語の関係になるこちらの言い方でも歌として十分成立します。歌の詠まれた事情(正保元年〔999〕九月十一日、大覚寺)を記した藤原行成の『権記(ごんき)』に「音」とあるのを重視する向きもありますけれど、この日記には「滝の音の」とあるそうですし、行成自筆本が現存するわけでもないようです。
なだむ【宥】(なンだむう LLF) 古今異義であり、平安時代には「寛大に扱う」といった意味で使われました。現代語の「なだめる」のような意味合いは、やはり古今異義語である下二段動詞「こしらふ」(こしらふ HHHL)といった言葉で出せるでしょう。
はつる【解】(ふぁとぅるう LLF) 現代語「ほつれる」のもともとの言い方のようです。
はなる【離】(ふぁなるう LLF) この動詞には「関係がない」という意味もあります。「見当ちがいのこと」を意味する「もてはなれたること」(もて ふぁなれたる こと LHLLHLHLL)という言い方などもよく目にされます。
内なる(奥ニイル)人ひとり、柱に少しゐかくれて、琵琶を前に置きて撥を手まさぐりにしつつゐたるに、雲がくれたりつる月のにはかにいとあかくさしいでたれば、「扇ならで、これしても(コノヨウナ物デデモ)月は招きつべかりけり」とてさしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし。添ひふしたる人は琴の上にかたぶきかかりて、「入る日をかへす撥こそありけれ(アッタノデシタケレド)、さま異(こと)にも思ひおよびたまふ御心かな」とてうちわらひたるけはひ、いま少しおもりかによしつきたり(よしづきたり)。「およばずとも、これも月に離るるものかは(無縁ナモノデハアリマセン)」などはかなきことをうちとけのたまひかはしたるけはひども、さらによそに思ひやりしには似ず(想像シタノトハ違ッテイテ)、いとあはれになつかしうをかし。源氏・橋姫。
うてぃなる ふぃと ふぃとり、ふぁしらに しゅこし うぃい かくれて、びふぁうぉ まふぇえに おきて ばてぃうぉ てましゃンぐりに しいとぅとぅ うぃいたるに、くもンがくれたりとぅる とぅきの にふぁかに いと あかく しゃしい いンでたれンば、「あふンぎならンで、これ しいても とぅきふぁ まねきとぅンべかりけり」とて しゃしい のンじょきたる かふぉ、いみンじう らうたンげに
にふぉふぃやかなるンべしい HLHLHL・LHL、LLHH・ LHL・FLHLH、LLH・LFHHLH・LLH・LLLLLHFHH・FLHH、LLLHLLHLH・LLL・LHLH・HLHHL・LFLHLHL、「LLLHLL、HHFHL・LLH・LLHHHLHHL」LH・LFHHLLH・HH、LLHL・HHHHH・LLLHLHLLF。しょふぃ ふしたる ふぃとふぁ ことおの うふぇに かたンぶき かかりて、「いる ふぃいうぉ かふぇしゅ ばてぃこしょ ありけれ、しゃま ことおにも おもふぃい およンび たまふ みこころか
なあ」とて うてぃい わらふぃたる けふぁふぃ、い
ま しゅこし おもりかに よし とぅきたりい(よしンどぅきたりい)。HLLHLH・HLH・LFLHLH・LLHLLLHH、「HHFH・LLH・LLHL・LHHL、HHLFHL・LLFHHLLLH・HHHHLF」LH・LFHHLLH・LLL、LHLHL・LLHLH・HHLHLF(HHHLLF)。「およンばンじゅともお、これも とぅきに ふぁなるる ものかふぁ」なんど ふぁかなきい ことうぉ うてぃい とけえ のたまふぃ かふぁしたる(かふぁしたる)けふぁふぃンども、よしょに おもふぃい やりしにふぁ にいンじゅう、いと あふぁれえに なとぅかしう うぉかしい。「HHHLLF、HHL・LLH・LLLHLLHH」RL・LLLFLLH・LFLF・HLLFHHLLH(LLHLH)・LLLHL・HLH・LLFHHHHH・HL・HLLLFH・LLLHL・LLF。
近き御厨子(みどぅし)なるいろいろの紙なる文どもを引きいでて、中将わりなくゆかしがれば、(光ル源氏ハ)「さりぬべき(見セラレソウナノヲ)、少しは見せむ。かたはなるべきもこそ」とて(全部ハ)許したまはねば、「そのうちとけてかたはらいたしとおぼされむこそゆかしけれ(オ見セイタダキタイ)。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、(私ナドモ)ほどほどにつけて書きかはしつつも見はべりなむ。おのがじしうらめしきをりをり、待ち顔ならむ夕暮などのこそ、見どころはあらめ」と怨ずれば、(…)二の町の(第二ランクノ)心やすきなるべし、かたはしづつ見せたまふに(原文「見るに」)、「よくさまさまなるものどもこそはべりけれ」とて、心あてに、それか(アノ人カ)、かれか(コノ人カ)など問ふなかに、言ひあつるもあり、もてはなれたることをも思ひよせて疑ふも(トンチンカンナ結ビツケ方ヲシテアラヌ嫌疑ヲカケルノモ)をかしとおぼせど、言ずくなにてとかくまぎらはしつつ、取り隠したまひつ。源氏・帚木。
てぃかきい みンどぅしなる いろいろの かみなる ふみンどもうぉ ふぃき いンでて、てぃうンじやう わり なあく ゆかしンがれンば、「しゃりぬンべきい、しゅこしふぁ みしぇムう。かたふぁあなるンべきいもこしょ」とて ゆるしい たまふぁねぇンば LLF・HHHLH・LLLLL・HLHL・HHHHH・HLLHH、LLHHH・HHRL・HHHHLL、「LHHHF、LHLHLLF。LLFHLLFHHL」LH・LLFLLLHL、「しょおのお うてぃい とけて かたふぁらいたしいと おンぼしゃれムこしょ ゆかしけれ。おしなンべたる おふぉかたのふぁ、かンじゅならねンど、ふぉンど ふぉンどに とぅけて かきい かふぁしとぅとぅも(かふぁしとぅとぅも) みいい ふぁンべりなムう。「HH・LFLHH・LLLLLLFL・LLLLHHL・HHHHL。HLLHLH・LLHLLH、LHLLHL、HLHLHLHH・LFHHLHHL(LLHHHL)・ℓfRLHHF。おのンがンじし うらめしきい うぉり うぉり、まてぃがふぉならム ゆふンぐれ なンどのこしょ、みンどころふぁ あらめえ」と うぇんじゅれンば、(…)にいのお まてぃの こころ やしゅきいなるンべしい、かたふぁしンどぅとぅ みしぇえ たまふに(原文「みるに」) HHHLL・LLLLF・LHLH、LLLLHLH・HHHHRLLHL・LLHLH・LLF」L・LHHLL、(…)LLHLL・LLHLLFHLLF、LLLLHL・LFLLHH(原文「LHH」)、「よおく しゃましゃまなる ものンどもこしょ ふぁンべりけれ」とて、こころあてに、しょれかあ かれかあなンど
とふ なかに、いふぃ あとぅるも ありい、もて ふぁなれたる ことうぉも
おもふぃい よしぇて うたンがふも うぉかしいと おンぼしぇンど、ことンじゅくなにて とお かく まンぎらふぁしとぅとぅ、とりい かくし たまふぃとぅう 「RL・HHHHLH・LLLHHL・RLHHL」LH・LLLLLH、HHF、HLFRL・HHLHH、HLHHHLLF、LHLLHLH・LLHL・LLFHLH・HHHHL・LLFL・LLHL、LLLLLHH・LHL・LLLHLHH、LFLHLLLHF。「ことずくな」(ことンじゅくな
LLLLL)は、四段の「なびく」のところで見た「あしたかのくも【足高の蜘蛛】(あしたかの くもお LLLLLLF)と同趣と見たのです。
『源氏』の二つの引用に複数を示す接尾辞「ども」が都合三つ出てきたので、ここでこの接尾辞についてまとめておきます。次のようだったと考えます。
接尾辞「ども」は固有のアクセントとしてHHを持ち、先立つ名詞とともに一つの複合名詞相当のものを作る。
例えば現代東京では「従弟(いとこ)」は②で言われ(いとこ)、「従弟ども」は「いとこども」「いとこども」のほか、許容度はやや落ちるかもしれませんが「いとこども」とも言います。この最後の言い方は、単独の「従弟」のアクセントを変えているのですから、例えば「従弟思い」(いとこおもい)などと同じく一つの複合名詞としてのアクセントで言われていると言えます。それに対して「いとこども」は単に名詞に接尾辞が添うただけの言い方であり、「いとこども」はそれからの変化として理解できます。現代東京では「あなたたち」は「あなたたち」と言われることが多いでしょうけれども、『58』の巻末の「アクセント習得法則」94Ⅳ(1)で秋永さんは④の「あなたたち」というアクセントを示していらっしゃいます。これは「あなたまかせ」などと同じく複合名詞としてのアクセントです。平安時代の京ことばにおける複数を示す「ども」は「いとこども」における「ども」や「あなたたち」における「たち」のような付き方をすると申せるのであって、改名が「人ども」に〈上上上上〉(ふぃとンども HHHH)を差すのは(「人」は単独では「ふぃと HL」)、また『日本紀私記丙本』(総合資料)が「人ども」に〈上上上上〉(ふぃとンども HHHH)と〈上上上平〉(ふぃとンども HHHL)とを差すのは、また梅974詞が「をのこども」に〈上上上上平〉(うぉのこンども HHHHL)を差すのは(「をのこ」は単独では「うぉのこ HHL」)、例えば「夏」(な)とぅ HL)と「むし」(むし HH)とからなる「夏虫」に複数の資料が〈上上上上〉(なとぅむし HHHH)や〈上上上平〉なとぅむ(し HHHL)を与えるのと同じことだと見られます。顕昭の『袖中抄』が「網子(あこ)ども」に〈平平平上〉(あこンども LLLH)
を差していますけれども(「網(あ)」は「ああ L」〔「網(あみ)」は「あみ LL」〕)、「子」は「こお
H」)、これは例えば「山里」が「やまンじゃと LLLH(やま LL、しゃと HH)、「芋粥(いもがゆ)」が「いもンがゆ LLLH」(いも LL、かゆ HH)と
)と言われるのと同趣です。
『古語拾遺』『袖中抄』そのほかが「子供」に〈上上上〉(こンども)を差しているのなどは接尾辞が単に添うているだけのようですけれど、これは現代東京の「きつねそば」や旧都における「庭鳥」(にはとり HHHH。「庭」は「にふぁ HH)、「鳥」は「とり HH」)
と同趣のことであり、そういうアクセントである以上〝複合名詞性〟はないとすることはできません。
毘854詞が「うたども」に〈○○上上〉を、また毘132詞が「をんなども」に〈○○○上平〉を差しますが、するとそれらは、「うた」は「うた HL」、「をむな」は「うぉムな HHL」だとはいえ、「うたンども HHHH」「うぉムなンども
HHHHL」を意味すると解すべきだということになります。
この見方に対しては、毘170詞が「をのこども」に〈上平平上平〉を差すのや、高貞854詞が「うたども」に〈○○平上〉を差すのが反例になると言えばなりますけれども、前者は「をのこ」のアクセントが変ですし、四拍目の「ど」が双点になっていないので信憑性に欠け、後者は、同一個所に『毘』が〈○○上上〉を差す以上信頼度の落ちること、すでに申したとおりです。
管見に入った限りでは件の接尾辞へのアクセント注記はこれだけです。資料が増えれば、あるいは、「固有のアクセントとしてHLも持ち、単に付加される時もあった」というようにヨリゆるやかな規則を想定しなくてはならないかもしれませんけれども、その場合でも、上のように考えると正しいアクセントが得られないということはないと思われます。
最後に、この接尾辞の起源について少々。「一緒に」を意味する「ともに」を「ともに HHH」と発音しえたことは諸書により明らかです。さて「与」に対する
訓みとしての「ともに」に図名が〈上上上〉と〈上平上〉とを同時に差します。「同時に」と申したのは、二拍目の左上と左下とに声点があるのです。いつぞや申したとおり図名は無謬ではなく――例えば「言ふこころは」〈平上平平上上〉は〈上上平平上上〉(いふ こころふぁ)の誤りでしょう――「ともに」への〈上平上〉も誤点かもしれません。しかし『日本紀私記丙本』(総合資料)も同じ点を差すそうですから、「ともに HLH」とも言ったのかもしれません。ただ、詳細は後述ということになりますけれども、そうだとすると改名などに「ともに」のような注記のないことが不審です(例えば図名が〈平東上〉を差す「つひに」〔とぅふぃいに LFH〕の末拍には改名の多くが〈平〉を差します)。もし「ともに HLH」とも言ったとしても、それは主たる言い方ではなかったと考えられます。「友」は「とも HH」、「供」は「とも HL」で、接尾辞の「ども」はこれらにも離れぬものでしょうけれど、より直接的にはそれは「与に」の「とも」に由来すると思います。
はやむ【早】(ふぁやむう LLF) 形容詞「早し」は「ふぁやしい LLF」です。
ひそむ【潜】(ふぃしょむう LLF) 現代語で「声をひそめる」などいうその「ひそめる」の古い言い方で、やはり現代語にもある「密(ひそ)か」(古くは「ふぃしょか LHL)と同根です。平安仮名文では「ひそか」よりも「みそか」(おそらく「みしょか LHL」)が好まれますけれども、動詞「ひそむ」は、強調ための接辞「かき」の音便形「かい」を先立てた「かいひそむ」(かいい ふぃしょむう LFLLF)という言い方で、『源氏』や『栄花』にたくさんあらわれます。「でしゃばることなく、控えめにふるまう」といった意味のようです。
ひそむ【顰】(ふぃしょむう LLF) 現代語に「眉をひそめる」という言い方がありますけれども、これは平安時代にもあって、精選版『日本国語大辞典』によれば、『将門記(しょうもんき)』の承徳三年(1099)点に「眉をひそめて」(まゆうぉ ふぃしょめて LHHLLHH)という言い方が見えているそうです。この下二段の他動詞「ひそむ」に対して四段の「ひそむ」という自動詞があって、どうやら、例えば「ひそみぬ」(ふぃしょみぬう LLHF)、あるいは特に「うちひそみぬ」(うてぃい ふぃしょみぬう LFLLHF)と言うだけで「眉に皺が寄ってしまう(=泣き顔になってしまう)」「眉に皺が寄ってしまった(=泣き顔になってしまった)」という意味を出せたようです。このほか諸辞典は「口ひそむ」という一語の四段動詞があったとします。例えば源氏・総角にあらわれますけれども、青表紙本にも、河内本にも、別本にもこれを「口ひそめ」とするものがあって、これは「口をひそめ」(くてぃうぉ ふぃしょめえ HHHLLF)と同じことでしょう。四段の「口ひそむ」とされるものも、一語ならば「くてぃ ふぃしょむう HHLLF」と言われたでしょうが、「くてぃ ふぃしょむう HHLLF」と二語からなる言い方として言われたかもしれません。用例少なく、詳細は分かりません。一語と見るか二語と見るかという問題は、形容詞のところでくどくどと考えるつもりです。
ひらく【開】(ふぃらくう LLF) 自動詞としては四段のではなくこちらを使うのでした
ひろむ【広】(ふぃろむう LLF) 「広し」は「ふぃろしい LLF」でした。
ふかむ【深】(ふかむう LLF) 「深し」は「ふかしい LLF」でした。
ふすぶ【燻】(ふしゅンぶう LLF) 「嫉妬する」も意味します。
へだつ【隔】(ふぇンだとぅう LLF) 名詞「へだて」はおそらく「ふぇンだて LLL」です。「隔たる」は「ふぇンだたる LLHL」。
まうく【設・儲】(まうくう LLF) 「準備する」といった意味のほか、「妻(め)をまうく」(めえうぉお まうくう RHLLF。中国語みたい)、「夫(をとこ)をまうく」(うぉとこうぉ まうくう LLLHLLF)、「子をまうく」(こおうぉお まうくう HHLLF)といった使い方もあります。名詞「まうけ」(「まうけ LLL」でしょう)は「準備」といった意味ですけれども、「あるじまうけ」という意味で単に「まうけ」と言うこともあります。この「あるじまうけ」――おそらく「あるンじまうけ LLLLHL」――は、「まうけ」という言葉こそ入りたれ、「饗応の準備」ではなく饗応そのものを意味します(メトニミー)。「あるじ」(あるンじ LLH)は「主人」を意味するほか、「あるじまうけ」という意味でも使われますから、「あるじ」と「まうけ」と「あるじまうけ」とは同じ意味を持ちうることになります。
我はさは(スルト)をとこまうけてけり(夫ヲ持ッタノダ)、この人々の(私ノ世話ヲシテクレテイル女房達ノ)をとことてあるは醜くこそあめれ、我はかくをかしげに若き人をももたりけるかな、と、(幼イ紫ノ上ハ)今ぞ思ほし知りける。さはいへど(何ト言ッテモ)、御年の数添ふしるしなめりかし(新年ニナッテ一ツ大人ニオナリニナッタ証拠ノヨウデスネ。アイロニーです)。源氏・紅葉の賀(もみンでぃの
があ LLLLL)
われふぁ しゃあふぁあ うぉとこ まうけてけり、こおのお ふぃとンびとの うぉとことて あるふぁ みにくくこしょ あんめれ、われふぁ かく うぉかしンげに わかきい ふぃとうぉも もたりけるかなあ、と、いまンじょ おもふぉしい しりける。しゃあふぁあ いふぇンど、おふぉムとしの かンじゅ しょふ しるしなんめりかし。LHHLH・LLLLLHHHL、HHHHLLL・LLLLHLHH、LLHLHLLHHL、LHH・HLLLLLH・LLFHLHL・LHLHLLF、L、LHL・LLLFHLHL。LHHLL・LLHHHHLH・HHHHHLHHLHL。
まかす【任】(まかしゅう LLF)
まぎる【紛】(まンぎるう LLF) 名詞「まぎれ」は「まンぎれ LLL」です。「もののまぎれ」(ものの まンぎれ LLLLLL)という、意味深長な言葉があります。
まじふ【交】(まンじふう LLF)
みだる【乱】(みンだるう LLF) 名詞「乱れ」は「みンだれ LLL」です。
黒髪のみだれも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき 和泉式部集。後拾遺・恋三755 。くろかみの みンだれもお しらンじゅ うてぃい ふしぇンば まあンどぅ かきい やりし ふぃとンじょお こふぃしきい LLLLL・LLLFHHL・LFLHL・RLLFHHH・HLFLLLF。自分の黒髪が乱れているのも気にかけず身を伏せているとこの黒髪をはじめにかきやってくれた人のことが恋しい、だと?。おいおい俺はどうなるんだ。「知る」には「関知する」「関心を持つ」という意味があります。現代語で「もう知らない」とか「どうなっても知らないよ」など言う時の「知る」もこれです。
長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝はものをこそ思へ 千載・恋三802・待賢門院堀河。なンがからム こころも しらンじゅ くろかみの みンだれて けしゃふぁ ものうぉこしょ おもふぇえ LHLLH・LLHLHHL・LLLLL・LLHHLHH・LLHHLLLF。男から、あなたのことを永遠に愛します、といった内容の文(ふみ)が来たのに対する返歌、という趣で詠まれたもののようです。今朝はそういうお言葉にも関心が持てないまま、黒髪乱れるように心乱れて物思いにふけっています。
もとむ【求】(もとむう LLF) 「尋ねる」「尋ね求める」といった意味の、「とむ」(とむう LF)という下二段動詞がありますけれども――「噫(ああ)、われひとゝ(「幸(さいはひ)」を)尋(と)めゆきて」(『海潮音』。平安びとならば「ああ、われ ふぃとと とめえ ゆきて」など読むでしょう)――、これは下二段の「もとむ」の初拍が弱まったものではないでしょうか。
やすむ【休】(やしゅむう LLF)
やつる【窶】(やとぅるう LLF) 四段動詞「やつす」には、「華やかでない姿をする」のほかに「華やかでない姿をさせる」という意味もありました。現代語におけるとは異なり、今ならば使役形によって示すような意味もあったのでしたが、これに対応して、自動詞には違いない下二段の「やつる」(やとぅるう LLF)には、「華やかでない姿になる」のほかに「華やかでない姿をする」という意味もあります。これはすでに小学館の『古語大辞典』がそう説いていますし、源氏・夕顔の「いとわりなくやつれたまひつつ」(いと わり なあく やとぅれえ たまふぃとぅとぅ HLHHRL・LLFLLHHH)を、秋山さんが「ひどく身なりをやつされては」と現代語訳しています。現代語「やつれる」は自然に、あるいは諸事情でそうなるという意味で使われますけれど、古くは自分の意志で「やつるる」(やとぅるる)ことができました。
やぶる【破】(やンぶるう LLF) 下二の「破(や)る」(やるう LF)も近い意味です。
ゆるふ【緩】(ゆるふう LLF) 四段の「ゆるふ」と同じく第三拍は清みます。現代語「ゆるめる」のもとの言い方が「ゆるべる」、そのもとの言い方が「ゆるぶ」、そのもとの言い方が「ゆるふ」です。源氏・葵で、「験者(げむざ)」(おそらく、げムじゃあ LLL)に懲らしめられた「もののけ」(おそらく、もののけえ LLLL)が、「少しゆるへたまへや」(しゅこし ゆるふぇえ たまふぇやあ LHL・LLFLLHF)と懇願しています。形容詞「ゆるし」は「ゆるしい LLF」です。
わかる【別・分】(わかるう LLF) 名詞「わかれ」は「わかれ LLL」です。
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふさかの関 後撰・雑一1089(蝉丸〔しぇみまる HHHH、ないし、しぇみまる HHHL。「蝉」は「しぇみ HL」、「麻呂(まろ、まる)」は「まろ、まる」)。これやあ こおのお ゆくも かふぇるも わかれてふぁ しるも しらぬも あふしゃかの しぇき HHFHH・HHLLLHL・LLHHH・HHLHHHL・LLLLLLL。これがかの、人びとが別れたりさまざまな出会いをしたりする、逢坂の関なのだなあ。ここの「この」は現代語では「かの」「あの」。さて「あふさか」への注記を知りませんが、LLLLでしょう。「逢ふ」のような低起二拍動詞の連用形が「坂」(しゃか
LL)のような二拍三類名詞を従える言い方は、基本的に、「あえもの【肖物】」(あいぇもの)、「あへもの【和物】」(あふぇもの)、「きりみみ【切耳】」(きりみみ)、「さしぐし【刺櫛】」(しゃしンぐし)、「すきもの【好者】」(しゅきもの)、「たちがみ【立髪=鬣】」(たちぃンがみ)、「たまもの【賜物】」(たまもの)、「とりもの【採物】」(とりもの)、「はいずみ【掃墨】」(ふぁいンじゅみ)、「ほしいひ【干飯】」(ふぉしいふぃ)、「ほしじし【干肉】」(ふぉしンじし)
がそうであるように低平連続調で言われました。「かけなは【掛縄】」(かけなふぁ LLLL、かけなふぁ LLHL)、「はねむま【跳馬】」(ふぁねムま LLLL、ふぁねムま LLHL)のようなほかのアクセントでも言われたらしいものや、「おちがみ【落髪】」(おていンがみ LLLH)、「やれかは【破皮】」(やれかふぁ LLLH)のようなほかのアクセントで言われたらしいものもありますけれども、この二語などを低平連続調で言っても特に奇妙には響かなかったと思います。
をさむ【納・治】(うぉしゃむう LLF) 「をさまる」は「うぉしゃまる LLHL」。
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i 東京アクセントが参考になるもの [目次に戻る]
終止形が四拍の動詞のなかにも、東京におけるそのアクセントから往時の京ことばにおける式を推測できるものがあります。例えば東京では「扱う」は「あつかう」、「扱った」は「あつかった」と発音できますけれども、この「あつかう」「あつかった」というアクセントは、旧都において「あつかふ」が高起式だったことをしのばせます(「あとぅかふ HHHL」)。「あつかう」「あつかった」のように③でいう東京人もいるでしょうけれども、ひかえめに言っても「あつかう」「あつかった」と言いうることから、古くは高起式だったろうと推測できます。
実は、四拍動詞におけるこうした推測は、必ず正しいわけではありません。例えば「戦う」は東京では『26』以来⓪で言われますけれども、平安時代の京ことばでは「戦(たたか)ふ」は「たたかふ LLHL」と言われました。「叩(たた)く」(たたくう LLF)に由来するので低起式、と思ってよいようです。四拍動詞においても、東京で高く終わるから旧都では高起式だったろうという推測は必ずしも成り立ちません。しかし記憶の便ということでは、次の十数の四段動詞や下二段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、現代東京ではその流れを汲んでLHHH、LHHHHと発音することができると考えて差支えありません。
いただく【頂・戴】(いたンだく HHHL) 最も高い所が「いただき」(いたンだき HHHH)で、ものをそこに位置させる動作が「いただく」(いたンだく HHHH)ことです。源氏・常夏(とこなとぅ HHHL)で、例の近江の君(あふみの きみ LLHLHH)が、「(オ父サマカラ)御ゆるしだにはべらば、水を汲みいただきても仕うまつりなむ」(おふぉムゆるしンだに ふぁンべらンば、みンどぅうぉ くみ いたンだきても とぅかう まとぅりなムう。LLHHHHHL・RLHL、HHH・HLHHHLHL・HHLHHLHF。お許しさえございましたら、水を汲み、頭に載せてでもお仕えする所存です)と言っています。現代語で「もらう」の敬語として「いただく」と言うのは、ものを拝領する時、そのものを押しいただく(「うやうやしく顔の上にささげる」〔広辞苑〕)ところから来たのでしょう。例えば卒業証書を両手で受け取る時、頭をできるだけ低くすれば、卒業証書は「いただき」に位置することになります。
うかがふ【伺・窺】(うかンがふ HHHL)
うしなふ【失】(うしなふ HHHL)
うたがふ【疑】(うたンがふ HHHL)
おこたる【怠】(おこたる HHHL) 名高い古今異義語。「(病気が)なおる」を意味するとする向きもありますけれども、これは言い過ぎです。「おこたる」には病が快方に向かうという意味があったのであって、「全快する」という意味あいは「おこたり果つ」(おこたり ふぁとぅう HHHLLF)といった言い方で示したようです。
おこなふ【行】(おこなふ HHHL) 仏道の修業をすることも意味できたことは周知です。源氏・薄雲に「終はりのおこなひ」(うぉふぁりの おこなふぃ HHHHHHHHでしょう)という言葉がでてきます。極楽往生を願うための勤行、といった意味のようです。「終はりのおこなひ」を、わが生涯も終わりに近づいたと思う人が自分の後世を願うための勤行、とする向きもありますけれど、「終はり」には「臨終」という意味があるわけで、もしかしたらこの「終はりの」は「臨終のための」、ということは「臨終正念のための」、という意味かもしれません。格助詞「の」は今よりも多様に使われたのでした。
かさなる【重】(かしゃなる HHHL)
したがふ【従】(したンがふ HHHL) 前半は「下」(した HL)に由来するようなので、高いのは当然と申せます。
つまづく【躓】(とぅまンどぅく HHHL) 「爪突く」に由来するそうで、「爪」は「とぅめ HH」です。「突く」は「とぅく HL」でした。
はたらく【働】(ふぁたらく HHHL) 「動く」(うンごくう LLF)の同義語です。例えば気絶している人は「はたらかぬ人」(ふぁたらかぬ ふぃと HHHHHHL)です。
ふたがる【塞】(ふたンがる HHHL) 「ふさがる」の古形。「蓋」(ふた HH)の派生語です。
まさぐる【弄】(ましゃンぐる HHHL)
あくがる(あくンがる HHHL) 「あこがれる」(⓪)の古形ですが、古今異義であり「さまよう」といった意味で使われたことは有名です。和泉式部の次の歌は人口に膾炙しています。
もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞ見る 後拾遺・雑六1162。もの おもふぇンば しゃふぁの ふぉたるも わあンがあ みいより あくンがれ いンどぅる たまかあとンじょお みる LLLLHL・HHHLLHL・LHHLL・HHHLLLH・LLFLFLH
うづもる【埋】(うンどぅもる HHHL) 「うずもれる」の古形です。
冬のいと寒きに、思ふ人とうちかさねてうづもれ臥したれば、鐘の音のただものの底なるやうに聞こゆるこそをかしけれ。枕・冬のいと寒きに(前田家本〔223〕。三巻本の「忍びたる所にありては」〔70〕――しのンびたる ところに ありてふぁ ――の段では「思ふ人と」が抜けていて面白くありません)。 ふゆの いと しゃむきいに、おもふ ふぃとと うてぃい かしゃねて うンどぅもれ ふしたれンば、かねの おとの たンだあ ものの しょこなる やうに きこゆるこしょ うぉかしけれ HLLHLLLFH・LLHHLH・LFHHLH・HHHLLHLHL・HHHHLL・LF・LLLHHLHLLH・HHHHHL・LLLHL。冬、同衾していると、鐘の音のこもって聞こえるのが面白い、というのです。清女はあっけらかんとこういうことを書く人でした。
おぼほる【溺・惚】(おンぼふぉる HHHL) 現代語「おぼれる」の古形「おぼる」(おンぼる HHL)は「おぼほる」(おンぼふぉる HHHL)のつづまったもので、古事記の昔からこの縮約形はあったようですけれども(精選版『日本国語大辞典』)、好まれたのはつづまらない言い方です。通行の『源氏』本文には十の「おぼほる」と一つの「おぼる」とが見えていて、その一つの「おぼる」は源氏・蜻蛉の「(アノ人ハ)いかばかり思ひ立ちてさる水に溺れけむ」(いかンばかり おもふぃい たてぃて しゃる みンどぅに おンぼれけム HLLHL・LLFLHH・LHHHH・HHLLH)という匂う宮の心中思惟ですけれども、青表紙本、河内本、別本にこの最後を「おぼほれけむ」(おンぼふぉれけム HHHLLH)とするものがあります。なおこの動詞は「正常な判断力を失う」という転義を持ちます。前(さき)に見た「そらおぼれ」(おそらく、しょらおンぼれ LLLHL)の「おぼれ」はこの「おぼほれ」のつづまったものです。
こしらふ【誘】(こしらふ HHHL) 現代語の「こしらえる」のもとの形とはいえ意味はまったく異なり「機嫌をとる」「なだめすかす」を意味したこと、申した通りです。
次に、古い東京アクセントが参考になる高起四拍動詞を並べてみます。現代東京では③で言われるものの、『26』では⓪で言われたか、⓪でも言われたかした動詞たちです。
あぢはふ【味】(あンでぃふぁふ HHHL) 平安時代には「味(あぢ)」という名詞はありませんでした。あったのは動詞「あぢはふ」から派生した名詞「あぢはひ」(あンでぃふぁふぃ HHHH)です。動詞「あぢはふ」は、『26』『43』が⓪③、『58』が③⓪、『89』が③としますから、東京では昔は主として、そして近年まで多くは、「あじわった」のように言ったのでした。
いななく【嘶】(いななく HHHL) 『26』は⓪②③、『43』は⓪③としますが、『58』は③⓪とし、『89』は③とします。
うつぶす【俯】(うとぅンぶしゅ HHHL) この「うつ」を「内(うち)」(うてぃ HL)の古形とする辞書があります。確かに式は合います。なお、「うつぶす」の「ぶす」は「伏す」(ふしゅう LF)の連濁したもの。「うつぶす」は『26』『43』が⓪とします。『43』は「うっぷす」も立項していて、こちらは③。『58』は「うつぶす」「うっぷす」をいずれも⓪③、『89』は「うつぶす」を③としていて、⓪から③への移り行きが明らかにたどれます。
さきだつ【先立】(しゃきンだつ HHHL) 「先に立つ」(しゃきに たとぅ HHHLH)こと。『26』は⓪③としますから(『43』も『58』も③)、明治時代には「さきだった」なども言ったのでした。旧都の「さきだつ」は現代語の「さきだつ」と同一視できるわけでもないようで、例えば伊勢物語の第十四段に、
年頃あひ馴れたる妻(め)、やうやう床離(はな)れて、つひに尼になりて姉の先立ちてなりたるところへ行くを
としンごろ あふぃい なれたる めえ、やうやう とこ ふぁなれて、とぅふぃいに あまに なりて あねの しゃきンだてぃて なりたる ところふぇ ゆくうぉ LLLL・LFLHLHR、LHLL・HHLLHH・LFH・LHHLHH・HHH・HHHLH・LHLHHHHL・HHH
とあるのにおける「先立ちて」などは、今ならば「先に」といった言い方をするところでしょう。次の歌の詞書にも同趣の「さきだちて」が見られます。
もの言はむとてまかりたりけれど、さきだちて棟用(むねもち)がはべりければ、「はやかへりね」と言ひいだしてはべりければ
かへるべきかたもおぼえず涙川いづれか渡る浅瀬なるらむ 後撰・恋四888
もの いふぁムうとて まかりたりけれンど、しゃきンだてぃて むねもてぃンが ふぁンべりけれンば、ふぁやあ かふぇりねえと いふぃ いンだして ふぁンべりけれンば LLHHFLH・LHLLHHLL、HHHLH・HHHLH・RLHHLL、「LFLLHF」L・HLLLHHRLHHLL / かふぇるべきい かたもお おンぼいぇンじゅ なみンだンがふぁ いンどぅれかあ わたる あしゃしぇなるらム LLLLF・HLFLLHL・LLHHL・LHHFHHH・HHHLHLH。さる女性とお話しようと出向きましたが、先に棟用(むねもち)が来ていましたので、早く帰れということばが家の中からございましたので詠みました歌。いったいどこに帰ったらよいのか分りません。そもそも我が身の周囲の涙の川のどこの浅瀬を渡るのでしょう。
ちなみに、現代語では例えば「夫にさきだたれる」など言いますけれども、これに当たる平安時代の京ことばの言い方は、「をとこに遅(おく)る」(うぉとこに おくる LLLHHHL)です。ただし、「さきだたる」という言い方はないということではないので、例えば、『蜻蛉』の天禄三年(972)二月の条に「さきだたれにたれば」(しゃきンだたれにたれンば)とあります。先手を打とうとしたら反対に打たれた形になってしまったので、といった意味のようです。
それから、「おくれさきだつ」という言い方は平安時代の歌や散文にしばしばあらわれる言い方です。この言い方を含む「おくれさきだつほど」(おくれ しゃきンだとぅ ふぉンど HHLHHHHHL)も繰り返しあらわれる言い方で、一方がこの世を去り他方がまだこの世にとどまっている、その間の期間を言うようです。
ややもせば消えをあらそふ露の世に遅れさきだつほど経ずもがな 源氏・御法。みのり HHH)。やあやも しぇえンばあ きいぇうぉ あらしょふ とぅゆうの よおにい おくれ しゃきンだとぅ ふぉンど ふぇえンじゅもンがなあ RHLHL・HHHLLLH・LFLHH・HHLHHHH・HLRLHLF。ともすれば争うようにして消えるはかない世に、愛する人にさきだたれ自分がまだこの世にいるこんな期間など、なければよいのに。
岸の上の菊は残れど人の身は遅れさきだつほどだにぞ経ぬ 和泉式部集。きしの うふぇの きくふぁ のこれンど ふぃとの みいふぁあ おくれ しゃきンだとぅ ふぉンどンだにンじょお ふぇえぬう LLLHLL・LLHLLHL・HLLHH・HHLHHHH・HLHLFLH。
そほふる(しょふぉふる HHHL) 現代語「そぼふる」の古形です。「そぼふる」は『26』⓪。『43』『58』③。
つかはす【遣】(とぅかふぁしゅ HHHL) もともとは動詞「使ふ」(つかふ HHL)が尊敬の「す」を従えた言い方だから高起式、と見てよいようです。『26』『43』『58』は⓪。『89』は④③。割合最近に変化したようです。
とばしる【奔】(とンばしる HHHL) 「飛び走る」(とンび ふぁしるう HLLLF)のつづまったものと思っても実害はないでしょう。『26』は⓪。
はばかる【憚】(ふぁンばかる HHHL) 「人目をはばかる」(ふぃとめうぉ ふぁンばかる HHHH・HHHL)も「人目にはばかる」(ふぃとめに ふぁンばかる HHHH・HHHL)も言える言い方で、いずれも『源氏』に見えています(「蛍」〔ふぉたる LLH〕、「藤袴」〔ふンでぃンばかま HHHHL〕)。「人目につつむ」 ふぃとめに とぅとぅむう HHHHLLF) とも「人目をつつむ」(ふぃとめうぉ とぅとぅむう HHHHLLF)とも言えるのでした。「はばかる」は『26』が⓪、『43』『58』が⓪③、『89』が③とします。「つかわす」と同じく割合最近変化したわけです。
ふるまふ(ふるまふ HHHL) 「振る」(ふる HL)と関係のある言葉のようです。これも『26』は⓪としますけれど、すでに『43』『58』が③とします。
ほどこす【施】(ふぉンどこしゅ HHHL) これも『26』は⓪。『43』は⓪③、『58』は③⓪、『89』は③。着実に有核化してきています。
まじなふ【呪】(まンじなふ HHHL) 名詞「まじなひ」はおそらく「まンじなふぃ HHHH」でしょう。『乾元本(けんげんぼん)日本書紀』などを根拠にHHHLと見る向きもありますけれど、これは『書紀』巻第一に見えている「禁厭之法」を「まじなひやむるのり」〈上上上平上上上上平〉と訓むのによったのでしょう。しかし「禁厭」(きんよう、または、きんえん)とは「まじないをして悪事・災難を防ぐこと」(広辞苑。「きんえん」の項)だそうですから、「まじなひやむるのり」〈上上上平上上上上平〉は「おまじないをして悪事・災難が止(や)むようにする方法」を意味するでしょう。すなわちこの「まじなひ」は動詞の連用形と見られれます。なお「まじなふ」は『26』も『43』も⓪とします。『58』は⓪③、『89』は③。昔の東京では「まじなった」と言ったようです。
むつかる(むとぅかる HHHL) 現代語で「子供がむずかる」などいう時の「むずかる」(むづかる)の古形で、大人が気分を害することも言います。形容詞「むずかしい」の古形「むつかし」(むとぅかしい HHHF)はこの動詞と同根で、この形容詞は古くは「困難だ」を意味することはなく(それは「かたし」〔かたしい HHF〕)、「不快だ」と言った生理的な嫌悪感を指しました。『26』『43』は「むづかる」を⓪とし(「むつかる」はなし)、『58』は「むずかる」「むつかる」を⓪とし、『89』は二つを③④⓪とします。
やはらぐ【和】(やふぁらンぐ HHHL) 『26』は⓪とします。「てんきが やわらいだ」だったのですね。
わづらふ【煩・患】(わンどぅらふ HHHL) 『26』も『43』も『58』も⓪とします。『89』は③④。「わづらはし」「わづらはしい」「わづらはしさ」「わづらはす」「わづらはせる」「わづらひ」を、『26』はいずれも⓪とします。割合最近まで「わずらった」など言っていたのです。
今度は同趣の下二段動詞を並べます。
さまたぐ【妨】(しゃまたンぐ HHHL) 「さまたげる」を『26』は⓪(「さまたぐ」は③⓪)、『58』は⓪④、『89』は④とします。
たくはふ【蓄】(たくふぁふ HHHL) 「たくはへる」を『26』は⓪(「たくはふ」は③)、『43』は④、『58』は④③⓪とします。
なぐさむ【慰】(なンぐしゃむ HHHL) 『26』は下二段の「なぐさむ」を⓪とします。「なぐさめる」は立項されていませんけれども、『43』と『58』とが「なぐさめる」を⓪④としますから(『89』は④)、東京ではもともと「なぐさめる」と言ったのでした。それから、「歌によって彼女の気持ちはなぐさんだ」といった言い方は、現代語としてもうほとんど聞かれないのではないでしょうか。つまり五段動詞の「なぐさむ」はすでに現代語と言えないかもしれませんけれど(もっとも「うまく行ったらおなぐさみ」などはかろうじて言うでしょう)、古くは下二段の「なぐさむ」に対する自動詞として四段の「なぐさむ」もよく使われました。これは他動詞「なぐさめる」を受け身にした「慰められる」をもって訳語とすることができます。
『更級日記』の治安元年(1021)の記事に、伝染病が蔓延し(「世の中いみじうさわがしうて」〔よおのお なか いみンじう しゃわンがしうて HHLH・LLHLLLLHLH〕)、世話になった乳母もなくなりなどした時期のこととして、次のようにあります。
(私ガ)かくのみ思ひ屈したるを、心もなぐさめむと心ぐるしがりて、母、ものがたりなどもとめて見せたまふに、げにおのづからなぐさみゆく。紫のゆかり(『源氏』ノ「若紫」ノ巻カトサレマス)を見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず(誰カニ相談スルコトモデキズ)、誰(たれ)も(帰京シタテデ)まだ都なれぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく(ジレッタク)ゆかしく(続キヲ見タク)おぼゆるままに、「この(アノ)源氏(ぐゑんじ)のものがたり、一の巻よりしてみな見せたまへ」と心のうちに祈る。
かくのみ おもふぃい くっしたるうぉ、こころも なンぐしゃめムうと こころンぐるしンがりて、ふぁふぁ、ものンがたり なンど もとめて みしぇえ たまふに、げに おのンどぅから なンぐしゃみ ゆく。HLHL・LLF・HLLLHH、LLHLHHHHFL・LLLLLLHLH・LH、LLLHLRL・LLHH・LFLLHH、LH・HHHHH・HHHLHL。むらしゃきの ゆかりうぉ みいて、とぅンどぅきの みまふぉしく おンぼゆれンど、ふぃとかたらふぃ なンどもお いぇええ しぇえンじゅう、たれも まンだあ みやこ なれぬ ふぉンどにて、いぇええ みいい とぅけンじゅ。いみンじく こころもとなあく ゆかしく おンぼゆるままに、「こおのお ぐうぇんじいの ものンがたり、いてぃの まきより しいて、みな みしぇえ たまふぇえ」と こころの うてぃに いのるう。LHHLL・HHHHRH・HHHH・LLLHLLLHLL・HHHHHHRLF・ℓfHL、HHL・LF・HHHLLHHLHH、ℓfℓfLHL。LLHL・LLLLLRL・HHHL・LLLHHHH、「HH・LLLHH・LLLHL・LLLHLHLFH・HLLFLLF」L・LLHLHLH・LLF。「屈」は呉音も漢音も高平調と推定されます。「屈す」は一般には促音を含む「くっす」という言い方で言われたでしょう。これは「くっしゅ HHL」としても「くっしゅ HLL」としても同じことなのでした。「人かたらひ」は「人をかたらふ」(ふぃとうぉ かたらふ HLHHHHL)を名詞にしたもので、「うひかうぶり」のつづまった「うひかぶり」に袖中抄が〈上上上上上〉(「うふぃかンぶり HHHHH」)と〈上上上上平〉(「うふぃかンぶり HHHHL」)とを差すのに倣うと、「ふぃとかたらふぃ HHHHHH」ないし「ふぃとかたらふぃ HHHHHL」と言われたと考えられます。
まつはる【纏】(まとぅふぁる HHHL) 現代語では五段の「まつわる」を使いますが、古くは、四段活用もあるものの、下二段活用が多いようです。『26』は下二段の「まつはる」を⓪で言われるとします(「まつはれる」は立項せず)。この「まつはる」に対応する他動詞は「まつはす」(まとぅふぁしゅ HHHL)ですが、『26』はこちらは③とします。
やはらぐ(やふぁらンぐ HHHL) これも『26』は⓪とします(「やはらげる」は立項せず)。
よこたふ(よこたふ HHHL) 「横」は「よこ HH」です。『26』は「よこたふ」も「よこたへる」も⓪とし、『43』も「よこたえる」を⓪とします。『58』は④③、『89』は④とします。
さて、平安時代の京ことばでは終止形が四拍になる動詞のなかには、見たとおり、東京では⓪で言われるもの、言われたものもありますけれど、その数は多くありません。昔の四拍動詞の多くは現代の東京語ではLHHLやLHHHLというアクセントで言われるのであり、これらのなかには旧都では高起式だったものも低起式だったものもあるので、東京では低く終わるということは往時のアクセントについて多くを語りません。例えば「あざける」は東京では③のLHHLというアクセントで言われますけれども(『26』もそう)、平安時代の京ことばでは高起式です(「あンじゃける HHHL」)。つまり、「東京で高く終わるならば旧都では高起式」は、「戦ふ」のような例外はあるものの基本的には正しい命題ですが、その裏(reverse)は成り立ちません。
ただ、東京アクセントはもう役立たないということではありません。と申すのは、東京における派生名詞のアクセントから、昔の京ことばのアクセントを推測できる場合があるのです。例えば現代東京では「いつわり」は④で、「いきおい」は③で言われますけれども、このように派生語が⓪以外のアクセントで言われるところから「いつはる」「いきほふ」(こういう動詞がありました)は、古くは低起式だったろうと正しく推測できます(「いとぅふぁる LLHL」「いきふぉふ LLHL」)。
もっとも例外もあります。例えば名詞「訪(おとず)れ」は東京で④で言われうるから旧都では動詞「おとづる」は低起式だったろうとすることはできません。実際にはそれは高起式で、「おとンどぅる HHHL」と発音されました。これは「音」(おと HL)にはじまる動詞だからです。
これに関連して、「訪れ」は東京では⓪でも言えるから古くは高起式だったと推測できる、とすることはできないことを申します。「東京で派生語が⓪以外の場合、旧都では動詞は低起式のことが多い」は確かに言えることですけれど、以下に見るとおり、「東京で派生語が⓪の場合、旧都では動詞は高起式のことが多い」とはまったく言えないからです。
以上を前置きとして、以下に、終止形が四拍になる動詞で、派生語の東京におけるアクセントから古くは低起式だったことが正しく推察されるものを並べます。まず四段動詞。
あきなふ【商】(あきなふ LLHL) 名詞「あきなひ」は「あきなふぃ LLLL」か、「あきなふぃ LLHH」でしょう。低起四拍の派生名詞は、低平連続調が多いとは言え、のちに見るとおり、LLHHもありえます。名詞「あきなひ」には改名が「平平〇〇」、顕昭の『拾遺抄注』が〈〇平平平〉を指しますから、たんに合わせればLLLLですけれども、二つは異なっていて前者はLLHHを意味するとも解せます。なお名詞「あきなひ」を『26』も『43』も③とします。『58』『89』『98』は②③、大辞林(2006)は②。四拍目が特殊拍なので下がり目が一つ前に来るのは自然として、なぜかさらに一つさかのぼりました。以下にも見ますが名詞「うらなひ」は『26』も『43』も『58』も③で、今も「うらない」とは言いません。ちなみに現代京都では「あきない」「うらない」のようです。
あやまつ【誤】(あやまとぅ LLHL) 名詞「あやまち」は「あやまてぃ LLLL」。現代語では例えば女性が「あやまち」をしたというと相当深刻な事態が想像されますが、酸っぱいものを鮨鮎に吐(は)きかけてしまった『今昔』の物売りの女は、「あやまちしつ」(あやまてぃ しいとぅう LLLLFF)と思っていました。それも無論深刻でしたけれど、平安時代には「あやまち」はちょっとした失敗も言ったと考えられます。『26』は動詞「あやまつ」を③、名詞「あやまち」を⓪としますけれども、動詞が低く終わることも、派生名詞が高く終わることも多くを語らないのでした。ただ現代東京で「あやまち」は④で言いうるのですから、昔の東京でも④で言えたかもしれず、それは旧都において「あやまつ」が低起式だった名残かもしれません。
あやまる【誤】(あやまる LLHL) 名詞「あやまり」は「あやまり LLLL」。『26』は動詞を③、名詞を⓪としますけれども、「あやまち」と同じくこれも現代東京では④ないし③で言い得ます。
あらがふ【抗】(あらンがふ LLHL) 名詞「あらがひ」は「あらがひ LLLL」でしょう。『26』は動詞も名詞も③とします。今は「あらがい」とはあまり言わないでしょうけれども、『26』の③は旧都における「あらがふ」の低起性の名残と見ることができます。
あらそふ【争】(あらしょふ LLHL) 名詞「あらそひ」は「あらしょふぃ LLLL」でしょうけれども、この名詞を『26』も『43』も③とします。これは「あらそふ」がかつてLLHLと言われた名残ですが、『58』は③⓪、『89』は⓪③とします。この動詞を形容詞「荒し」(あらしい HHF)と関連付けるのはあまり説得的でありません。
いきほふ【勢】(いきふぉふ LLHL) 名詞「いきほひ」(いきふぉふぃ LLLL)は「活気に満ちる」といった意味の動詞「いきほふ」の派生語です。やはり「息(いき)」(いき LH)と関係があるのでしょう。『26』は動詞も名詞も③。
いつはる【偽】(いとぅふぁる LLHL) 名詞「いつはり」に関して、顕昭本の一つ(顕天平614)に、普通は〈平平平平〉と言うが、我が養父である顕輔卿(1090~1155)は〈平平上上〉と言った、とあります。顕輔の幼少期のころ成立した図名にも、「いつはり」〈平平上上〉という注記が複数見えています。すると遡行して、平安中期には「いとぅふぁり LLHH」と言われたと見られます。「いざなひ」(いンじゃなふぃ LLHH)のような言い方は孤例といったものではないのです。前(さき)に名詞「あきなひ」は「あきなふぃ LLHH」かもしれないと申したのは、こうした例があるからでした。『26』は名詞「いつはり」を④とします。『43』は③④、『58』は④⓪③、『89』は⓪④③。⓪は新しい言い方です。
うらなふ【占】(うらなふ LLHL) 平安時代には「占い」のことはたんに「うら」(うら LH、ないし、うらあ LF)ということが多かったようです。名詞「うらない」は『26』『43』『58』が③、『89』が⓪③です。
さうぞく【装束】(しゃうンじょく LLHL) 名詞「さうぞく」(しゃうンじょく LLLL)を動詞化したもの。ちなみに「彩色(さいしき)」(呉音で、おそらく「しゃいしき LLLL」)を動詞化した「さいしく」(しゃいしく LLHL)も栄花・もとのしづく(もとのしンどぅく LLLLLL)に見えています。「なげく」(なンげくう LLF)や「ダブる」「トラブる」と同タイプの言い方です。
たのしぶ【楽】(たのしンぶ LLHL) 「楽しむ」の古形。名詞「楽しみ」は「たのしみ LLLL」でしょう。『26』は④、『43』は③④、『58』は④③⓪とします。古今集の仮名序の一節にこうあります。
たとひ時うつり、事さり、楽しび、悲しび、行きかふとも、この歌の文字(もんじ)あるをや。
たとふぃ とき うとぅりい、こと しゃり、たのしンび、かなしンび、ゆき かふともお(ないし、ゆきかふともお)、こおのお うたの もんじ あるをやあ。LLL・LLLLF、LLHL、LLLL、HHHH、HLHLLF(ないし、HLLHLF)、HHHLLLHL・LHHF。
にぎはふ【賑】(にンぎふぁふ LLHL) 名詞「にぎはひ」は、あるいは、「いつはり」(いとぅふぁり LLHH)や「いざなひ」(いンじゃなふぃ LLHH)などと同じく「にンぎふぁふぃ LLHH」だったかもしれませんけれども、連用形までこうだったとは考えにくいと思います。連用形までそう見る見方のあるのは、『顕府』が『和漢朗詠集』(十一世紀はじめ)などに見えているところの、
高き屋にのぼりてみればけぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり
を引いて「にぎはひ」に〈平平上上〉を差すからで、「にぎはふ」が後に見る少数派低起三拍動詞に似たアクセントをとるとすればこれはありうることですけれども、同趣の例をほかに見つけることはむつかしいようですから、今は誤点と見ておきます。たかきい やあに のンぼりて みれンば けンぶり たとぅ たみの かまンどふぁ にンぎふぁふぃにけり LLFRH・HHLHLHL・HHHLH・LLLHHHH・LLHLHHL
へつらふ【諂】(ふぇとぅらふ LLHL) 名詞「へつらひ」を『26』が③とします。
よろこぶ【喜】(よろこンぶ LLHL) 名詞「よろこび」(よろこンび LLLL)は、「お礼」や「お祝い」といった意味でも使われました。この名詞を、『26』は④、『43』は③⓪、『58』は④③⓪、『89』は⓪④③としますから、⓪は近年さかんになった言い方のようです。
次に上二段動詞を一つ。
ほころぶ【綻】(ふぉころンぶ LLHL) 名詞「ほころび」を『26』が③とします。
以下は下二段動詞です。
あつらふ【誂】(あとぅらふ LLHL) 広く注文すること一般を言いました。名詞「あつらへ」は「あとぅらふぇ LLLL」でしょう。この名詞を『26』は③とします。
あらはる【現】(あらふぁる LLHL) 「顕」や「露」を当てる「あらは」(あらふぁ LHL)と同根。「発覚する」「露見する」も意味しました。名詞「あらはれ」は『43』③④、『58』が④③、『89』が⓪④とします。
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々のあじろ木 千載・冬420・定頼(公任の子。と申すより、小式部の内侍に意地悪なことを言った、あの中納言です)。あしゃンぼらけ うンでぃいの かふぁンぎり たいぇンだいぇに あらふぁれ わたる しぇンじぇの あンじろンぎ LLLHL・LFLHHHL・LLLLH・LLHLHHH・HLLHHHH。「たえだえに」への注記を知りませんが、顕天片・顕大1078が「しのびしのびに」に〈上上上○○○○〉を差しています。「しのぶ【忍】」は高起式で(「しのンぶ HHL」)、その連用形に由来する「しのび」がHHLでなくHHHで言われているのは、これが派生名詞としてあるからでしょう。すると「しのびしのびに」は「しのンびしのンびに」(HHHHHHH)であり、「たえだえに」は「たいぇンだいぇに LLLLH」でしょう。「しのびしのび(に)」〈上上上○○○〉や高貞902の「かへるがへる(も)」〈平○上○○○〉などについて「六拍語は複合の度合いがゆるいと考えられるのでそれぞれの反復ではなかろうか」と『研究』研究篇上にあるのは(p.413)、その通りだと思います。寂650が「瀬々」に〈上平〉を差しますが(「しぇンじぇ HL」)、複合の度合いが高い場合、こんなふうにもとのアクセントは維持されるとは限りません。
「編む」は確かに「あむう LF」、編んだものとしての「網=編み」は申したとおり「あみ LL」ですけれども、「あみしろ(網代)」の音便形「あむしろ」ないし「あむじろ」はなぜか「あムじろ HHHH」で(総合索引)、そのつづまった「あじろ(網代)」も、『26』以来東京において⓪で言われることも考えると、「あンじろ HHH」と言われたと思われます(語源が忘れられることはままあるでしょう)。するとこれと「木」(きい L)とからなる「あじろ木」は「あンじろンぎ HHHH」でよいと見られます。このタイプの言い方では、例えば「衣手」(ころもンで HHHH)がそうであるように(伏片317が〈上上上上〉を差しています。「衣」は「ころも HHH」、「手」は「てえ L」)、高平連続調になるのが基本だからです。
おとろふ【衰】(おとろふ LLHL) 「劣る」(おとるう LLF)と関係の深い言葉です。名詞「おとろへ」を『26』は「⓪、又は、③」と、『58』が「③、④」とします。
かむかふ・かむがふ・かうがふ【勘】(かむかふ・かむンがふ・かうンがふ LLHL) 現代語「考える」のもとの言い方ですけれども、「先例や文書に照らし合わせて罪の程度を定める」といった意味だったようで、「思考する」といった一般的な意味は持ちません。現代語の「考える」に近いのは、「思ふ」(おもふう LLF)、「思ひたどる」(おもふぃい たンどるう LLFLLF)、「思ひめぐらす」(おもふぃい めンぐらしゅ LLFHHHL)そのほかでしょう。名詞「考へ」は『26』以来東京では③で言われます。
ことつつ【言伝】(こととぅとぅ LLHL) 「ことづて」という名詞は現代語だと言えても(『26』『43』はこれを④とします)、「ことづてる」をそう言うことはむつかしいでしょう。下二段「伝ふ」は「とぅたとふ HHL」で高起式ですけれども、「こととぅとぅ LLHL」の三拍目の式はこのことに由来するのではありません。例えば「色」(いろ LL)と「付く」(とぅくう LF)とからなる「色づく」は「いろンどぅとく LLHL」なのでした。さて次の歌(古今・夏152)における下二段の「ことつつ」(こととぅとぅ LLHL)を諸辞典が「伝言する」という意味とするのは腑に落ちません。
やよや待て山ほととぎすことつてむ我世の中に住みわびぬとよ やよやあ まてえ やまふぉととンぎしゅ こと とぅてムう われ よおのお なかに しゅみい わびぬうとよお HLFLF・LLLLLHL・LLLLF・LHHHLHH・LFHLFLF。ちょっと待ちなさい、山に帰るほととぎすよ。私はこの世の中には住みにくくなってしまったと、あちらの人に伝えておくれ。
この「ことつてむ」は「伝言しよう」ではなく「伝言を頼もう」と解されなくてはならないでしょう。すると「ことつつ」には「伝言を頼む」という意味があるのです。なおこの歌は山ごもりしている友人に伝言を頼んだもの、とする向きもありますけれど、ほととぎすが「死出(しで)の田長(たをさ)」(しンでの たうぉしゃ LLLLHL)の異称を持つ、この世と冥界とを行き来する鳥とされるのであってみれば、ほとんど自殺願望を表明した歌と解することもできます。参考に次を引いておきます。うみたてまつりたりける皇子(みこ)の亡くなりて又の年、ほととぎすを聞きて
しでの山越えて来つらむほととぎす恋しき人の上かたらなむ 拾遺・哀傷1307・伊勢。うみ たてえ まとぅりける みこの なあく なりて またの とし、ふぉととンぎしゅうぉ ききて HLLFHHLHL・HHH・RLLHH・HLLLL・LLLHLH・HLH / しンでのやま こいぇて きいとぅらムう ふぉととンぎしゅ こふぃしきい ふぃとの うふぇ かたらなムう LLLLL・HLHRHLF・LLLHL・LLLFHLL・HLHHHLF。女流歌人が傷んでいるのは、宇多天皇とのあいだに生まれ、五歳でなくなった我が子なのだそうです。第二句の終わりを終止形ととったのは、ほととぎすよ、お前は今しがたこれこれこうして来たのであろう、それならばこれこれこうしてくれまいか、という骨格の言い方と見たからです。
わきまふ【弁】(わきまふ LLHL) 四段の「分く」(わくう LF)と関係のある動詞でした。名詞「わきまへ」を『26』は④とします。
ⅱ 東京アクセントが参考にならないもの [目次に戻る]
まずは、「戦ふ」がそうであったように、東京で動詞が高く終わるから旧都では高起式だったろうと推測すると間違う、という例を並べなくてはなりません。さしあたり少ないと申せます。
くははる【加】(くふぁふぁる LLHL) 下二段の「加ふ」(くふぁふう LLF)も、現代東京における「加える」のアクセントが参考にならないのでした。四段動詞「加はる」は、古今集声点本が下に引く歌に見えている「くははる」に〈平平平上〉を差すことからLLLHとするとする向きもありますけれども、これは連体形のアクセントなのであって、終止形は「くふぁふぁる LLHL」です。
奈良へまかりける時に、荒れたる家に女の琴弾きけるを聞きて、詠みて入れたりける
わびびとの住むべき宿と見るなへになげき加はる琴の音ぞする 古今・雑下985・良岑宗貞(よしみねの むねしゃンだ LLHHH・HHHL。出家して遍昭〔ふぇんじやう LLLHH。呉音〕と名乗った人です。ならふぇえ まかりける ときに、あれたる いふぇに うぉムなの ことお ふぃきけるうぉ ききて よみて いれたりける HLF・LHHHLLLH・HLLHLLH・HHLL・LFHLHLH・HLH・LHH・HLLHHL / わびンびとの しゅむンべきい やンどと みる なふぇに なンげき くふぁふぁる ことおの ねえンじょお しゅる HHHHH・LLLFLHL・LHHLH・LLLLLLH・LFLFFHH。失意の人の住みそうな家だと見る折しも、嘆く気持ちのこもった琴の音が聞こえてきます。
うなだる【項垂】(うなンだる LLHL) 下二段動詞。『26』が⓪とします。「頷(うなづ)く」(うなンどぅく LLHL)と同じく、「うなじ」(うなンじ LLL)と同義という名詞「うな」にはじまります。下二段の「垂る」(たるう LF)は「垂らす」を意味する他動詞でした。
おちぶる【零落】(おてぃンぶる LLHL) これも下二段。『26』が⓪とします。前(さき)に申したとおり、「落つ」(おとぅう LF)と「あぶる」(あンぶる HHL)とを重ねてつづめた言い方でした。
さて、今しがた「さしあたり少ない」と申したのは、こういう事情があるからです。例えば「誘」を当てる「いざなう」は現代東京では③で言われますけれども(『89』『58』『43』とさかのぼっても③)、『26』は⓪とします(名詞「いざなひ」は⓪で今と同じ)。しかし平安時代の京ことばでは「いざなふ」は「いンじゃなふ LLHL」と言われました(ハ行転呼音で言うと in-the-nowみたい)。今でも「いざゆかん」など言いますけれども、この「サア」といった意味の「いざ」――この「いざ」が変化して「サア」になったそうです――は、『研究』研究篇下(p.384)の説くとおり、平安時代の京ことばではおそらくLFと言われました(「いンじゃあ LF」)。「いざなふ」はこの「いざ」に、「商ふ」(あきなふ LLHL)、「音なふ」(おとなふ HHHL)などに見られる接辞「なふ」の添うたものですから、「いざ」と同式なのは当然です。ちなみに名詞「いざなひ」は平安時代の京ことばでは低平連続調ではなく「いンじゃなふぃ LLHH」のようです。改名の一つに〈平平上上〉という注記のあることだけが根拠ですけれども、少しさき、「いつはる」のところで見るとおり、そうしたアクセントだとしてもまったく不思議でありません。長くなりましたけれども、要するに、昔の東京では「いざなふ」は高く終わるのに、旧都ではそれは低起式でした。『26』からの知識がかえって正しい推測を妨げるような趣ですが、じつは同趣の動詞が少なくありません。以下に気づいたものを並べます。十ほどあります。
いさかふ【諍】(いしゃかふ LLHL) 名詞「いさかひ」はおそらく「いしゃかふぃ LLLL」でしょう。『26』は動詞「いさかふ」を(名詞「いさかひ」も)⓪としますけれど、旧都では低起式でした。『58』も『89』も動詞「いさかう」を③としますから(現代語と認定されているわけです)、戦前のある時期に有核化したことが知られます。
ささやく【囁】(しゃしゃやく LLHL) 同じ意味の「ささめく」(しゃしゃめく LLHL)のほうがずっと多く使われますけれども、「ささやく」も少数ながら見られるようです。その「ささやく」を『26』と『43』が⓪または③とし、『58』が③⓪とするので(『89』は③)、「ささやいた」は割合こちらまで聞かれた言い方だということになります。
しがらむ【柵】(しンがらむ LLHL) 現代語において「人間関係のしがらみ」といった比喩的な意味で使われる「しがらみ」は、この動詞の連用形から派生した言葉です。もともとは、「シガラムコト」および「水ヲ塞クトテ杙(クヒ)ヲ打チ横ニ竹木ヲ縛ツタモノ」(『26』。アクセントは⓪)を意味しました。動詞「しがらむ」はやはり『26』によれば「カラミツケルコト」および「竹木ヲカラミツケテしがらみヲ作ル」ことを意味しました(やはりアクセントは⓪)。美妙斎はこの動詞「しがらむ」の語源を「しげ(繁)からむ(絡)ノ義」としていて、確かに動詞「繁る」は「しンげるう LLF」であり、また後にも見ますけれど形容詞「繁し」は「しンげしい LLF」、その連用形「繁く」は「しンげく LHL」です。次の歌の「しがらみ」は動詞「しがらむ」の連用形です。
秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音のさやけさ 古今・秋上217。梅・京秘が「しがらみ」に〈平平上平〉を差しています。あきふぁンぎうぉ しンがらみ ふしぇて なく しかの めえにふぁ みいぇじゅて おとの しゃやけしゃ LLHLH・LLHLLHH・HHLLL・LHHLHLH・HLLLLHH。秋萩をからめつつ倒して鳴く鹿の、目には見えないながら、音のさやかであることよ。
毘・訓はこの「しがらみ」に〈平平平上〉を差しますが、どうやらこれは名詞「しがらみ」のアクセントを記したようです。次の歌における「しがらみ」は名詞で、顕昭の『後拾遺抄注』が〈平平平上〉を差しています。
見渡せば波のしがらみかけてけり卯の花さける玉川の里 後拾遺・夏175・相模。みいい わたしぇンば なみの しンがらみ かけてけり ううのお ふぁな しゃける たまンがふぁの しゃと ℓfHHLL・LLLLLLH・LHHHL・LLLLHLH・LLLHLHH
次の歌の「しがらみ」も名詞です。
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬもみぢなりけり 古今・秋下303 やまンがふぁに かンじぇの かけたる しンがらみふぁ なンがれも あふぇぬ もみンでぃなりけり LLLHH・HHHLHLH・LLLHH・LLHLLLH・LLLHLHL。第四句は「流れあへぬ」(なンがれえ あふぇぬ LLFLLH。流れ切れない)に助詞「も」の介入した言い方ですけれども、助詞を従えることで、文節末にあった「流れ」が文節中に位置するのでその末拍は高平化する、…といったことを後に詳しく申します。
はびこる【蔓延】(ふぁンびこる LLHL) 『26』も『43』も⓪、『58』は③。
ひれふす【平伏】(ふぃれふしゅ LLHL) 『26』は⓪、『43』なし、『58』は③⓪。『89』は③。
まどろむ【微睡】(まンどろむ LLHL) 「目」(め L)がトロンとする、という理解でよいようです。『26』は⓪、『43』『58』は③。
もよほす【催】(もよふぉしゅ LLHL) 「うながす」「せきたてる」といった意味で使われた言葉で、「計画し、実行する」といった意味や、「兆候を見せる」といった意味は後世のものです。『26』『43』は⓪、『58』は⓪③。『89』は③④⓪。
いましむ【戒】(いましむ LLHL) ここからは下二段。「戒む」は元来は「忌む」(いむう LF)に漢文脈で使われる使役の「しむ」の添うた、「謹慎させる」といった意味の言い方だったそうですけれども、図名が〈平平上平〉を差すので、一語の動詞「いましむ」のあることは確実です。と申すのは、図名に「帯びしむ」〈平平平上〉(おンびしむう LLLF)、「かうぶらしむ」〈平平平平平上〉(かうンぶらしむう)のような、使役の「しむ」に終わる言い方が見えているからで、〈平平平上〉ではなく〈平平上平〉と差される「戒(いまし)む」はすでに動詞です。『26』は「いましむ」は③としますけれども、「いましめる」は⓪とし、『43』も『58』も⓪④とします。『89』は④。
しほたる【潮垂】(しふぉたる LLHL) 「潮」は「しふぉ LL」、下二段の「垂る」(たるう LF)は「垂らす」を意味する他動詞でした。図名は三拍目を清ましますけれども、それでも、「潮を垂らす」という言い方をそのまま反映した「しふぉたるう LLLF」というアクセントで言われたのではありませんでした。さて諸辞典が「しほたる」に「しずくが垂れる」「涙で袖が濡れる」といった訳語を与えます。しかし「しずくを垂らす」「涙を落とす」といった言い方と見なくてはなりません。どちらでも同じ、ということはないので、下二段の「垂る」を現代語に引かれて自動詞と見てしまうと、例えば源氏・若菜下の、
式部卿宮も御うまごをおぼして、御鼻のいろづくまでしほたれたまふ。
しきンぶきやうの みやも おふぉムムまンごうぉ おンぼして おふぉムふぁなの いろンどぅくまンで しふぉたれ たまふう。LLLLHHHHHL・LLHHHLH・LLHH・LLHHHH・LLLHLH・LLHLLLF。
の「しほたれたまふ」における主格敬語が涙へのものになってしまいます(二重主語としても「宮が涙がお垂れになる」などは言わないでしょう)。なお、すはだかの人間は原理的にしほたれられないということはないでしょうから、語義に袖をからませるのは変です。
最後に、小学館『古語大辞典』のこの項の語誌において竹岡正夫さんは、「潮垂る」に由来する意識は古くからあったろうが、本当の語源はそこにはなく、「しほしほと泣く」といった言い方で使う「しほしほと」と同源だろうとなさいます。そういえば、現代語「しょぼたれる」は「しょぼしょぼ」に由来するのでしょう。この「しほしほと」は「しふぉしぉと LLLLL」と言われたのかもしれません。『26』は「しほたる」を⓪とし、『43』はなし、『58』は「しほたれる」を⓪とします。『89』は④。
まぬかる【免】(まぬかる LLHL) 「まぬがれる」の古形です。『26』は「まぬかる」を⓪とし、『43』『58』は「まぬかれる」を④とします。
改めて申せば、四拍動詞の場合、東京において動詞が低く終わることも、派生名詞が反対に高く終わることも、旧都におけるアクセントについて多くを語らないのでした。以下に並べるのは、東京では『26』以来③で言われ、派生名詞はほとんどが⓪で言われるか、言うとすれば⓪になるだろうもので、それゆえ東京アクセントが参考にならないものです。基本語からの派生語で、そのアクセントを知れば済むものは、おおむね省きます。
まず、四拍の高起四段動詞から。「あぢはふ」のように、明治時代には『26』は⓪でも言えたがのちに③に変化した動詞も少なくなかったのであってみれば、以下に並べる動詞も江戸時代の江戸では⓪だったのかもしれず、そうだとすればそれは旧都においてそれらが高起式だった名残です。
あざける【嘲】(あンじゃける HHHL)
あざむく【欺】(あンじゃむく HHHL)
あなづる【侮】(あなンどぅる HHHL) 現代語「あなどる」の古形ですけれども、古今同義とは申せないようです。この動詞から派生した形容詞に「あなづらはし」(おそらく「あなンどぅらふぁしい HHHHHF」でしょう)があって、諸辞典がこの形容詞には「あなどって当然だ」といった意味のほかに、「遠慮が要らない」「気が置けない」という意味もあるとします。小学館の古語大辞典には、中古の和文ではこちらの意味の用例が「比較的多い」とあります。確かに、例えば『枕』の「にくきもの」(にくきい もの LLFLL)の段(25)のはじめに、
いそぐことあるをりに来て長言(ながこと)するまらうと。あなづらはしき人ならば「のちに」など言ひてもやりつべけれども、さすがに心恥づかしき人、(ソウモ言エナイノデ)いとにくく、むつかし。
いしょンぐ こと ある うぉりに きいて、なンがこと しゅる まらうと。あなンどぅらふぁしきい ふぃとならンば「のてぃに」とても やりとぅンべけれンど、しゃしゅンがに こころ ふぁンどぅかしきい ふぃと、いと にくく むとぅかしい。LLHLL・LHLHHRH・LLHLHH・HHLL。HHHHHHF・HLHLL「LLH」LHL・HLHHHLL、LHHH・LLHLLLLFHL、HL・LHLHHHF。「長言(ながこと)」は「なンがこと LLHL」と見ておきます。「言」(こと LL)は「年」(とし LL)や「月」(とぅき LL )や「浜」(ふぁま LL)と同じアクセントで、これらが低起形容詞の語幹を先立てる場合、「古年」(ふるとし
LLHL)、「長月」(なンがとぅき LLHL)、「長浜」(なンがふぁま LLHL)のようなアクセントがとられます。
とあるのにおける「あなづらはしき人」は、「心はづかしき人」(要するに、ずっと目上の人や、一目も二目も置くべき人)以外の人であり、ということは、「あなどってよい人」「見さげたい気持ちになる人」「あなどられて当然の人」とは限りません。「重んじなくてよい人」くらいのところではないでしょうか。すると「あなづる」も、現代語の「あなどる」は古今同義とは言えないのであり、必ずしも「低く見る」「侮蔑する」というような心情を含意しなかったと考えられます。『紫式部日記』のはじめの方に、
しめやかなる夕暮に、宰相の君とふたり、ものがたり(雑談ヲ)してゐたるに、殿の三位の君、すだれのつま引きあげてゐたまふ(オ座リニナリマス)。年のほどよりはいとおとなしく(大人ッポク)心にくきさまして、「人はなほ心ばへこそかたきものなめれ」など、世のものがたり(男女関係ニマツワル話ヲ)しめじめとしておはするけはひ、人のをさなしとあなづりきこゆるこそあしけれ(間違イダ)と、恥づかしげに(立派ナ様子ニ)見ゆ。
しめやかなる ゆふンぐれに、しゃいしやうの きみと ふたり、ものンがたり しいて うぃいたるに、とのの しゃムうぃいの きみ、しゅンだれの とぅま ふぃき あンげて うぃいたまふう LLHLHL・HHHHH、HHHHLLHHH・HHL、LLLHLFH・FLHH、LLLLHLLHH、LLHLHL・HLHLH・FLLF。としの
ふぉンどよりふぁ いと おとなしく こころ にくきい しゃま しいて、「ふぃとふぁ なふぉお こころンばふぇこしょ かたきい ものなんめれ」なあンど、よおのお ものンがたり しめンじめと しいて おふぁしゅる けふぁい、ふぃとの うぉしゃなしいと あなンどぅり きこゆるこしょ あしけれと、ふぁンどぅかしンげに みゆう LLLHLHLH・HLLLLHL・LLHLLFHHFH、「HLH・LF・LLLLLHL・HHFLLFHL」RL、HHLLLHL・HHLLLFH・LHHH・LLL、HLL・LLLFL・HHHLHHHHHL・LLHL、L・LLLLLHLF。「おとなし」は周知のとおり「大人」(おとな LHL)に由来する形容詞で、一般の低起形容詞と同じアクセントで言われたと推測しておきます。「しめじめ」も「湿る」(しめる HHL)を参考にした推定です。
とあるのにおける「あなづる」も、「軽んじる」「重んじない」というくらいに見てよいので、当時十七だったという若き日の頼通――『研究』研究編上を参照すると「よりみてぃ HHHH」だった公算が大きいでしょう――を人々が見くびり馬鹿にしていたということではないのでしょう。
あはれぶ (あふぁれンぶ HHHL) 感動詞の「あはれ」に岩紀104が〈平平上〉を差します。これをただちにLLH(あふぁれ LLH)と解してよいかは疑問で、総合資料はLLF(あふぁれえ)とします。じっさい例えば図紀94が「あはれ」に〈平平平〉を差すのを〈平平東〉の誤写と見うるわけで、ここでも「あふぁれえ LLF」と見ておきますけれども、LLFと見てもLLHと見ても、「あふぁれンぶ HHHL」は「例外のない規則はない」の一例ということになります。もっとも、「あはれ」が低起式である以上「あはれぶ」をLLHLと発音する人もいただろうと考えてもよいかもしれません。理性的なものは現実的なのでした。
あやぶむ【危】(あやンぶむ HHHL) 現代語「あやうい」が⓪であることが示唆するとおり「あやふし」は「あやふしい」(HHHF)、よって「あやぶむ」も古くは高起式、と考えてよいパタンです。
うやまふ・ゐやまふ【敬】(うやまふ・うぃやまふ HHHL) 聞き耳が近いのでどちらも言うということでしょう。厄介なことに、「うやうやし・ゐやゐやし」は低起式で、「うやうやしい・うぃやうぃやしい LLLLF」と言われました。
おとなふ【音】(おとなふ HHHL) 名詞「おとない」はもう現代語とは言えないでしょうけれど、言うとすれば⓪でしょう。『26』が③としますけれども、ここに置いておきます。
かかやく【輝】(かかやく HHHL) 「かがやく」の古形です。今と同じ意味のほかに、「顔から火が出る(=赤面する)」も意味できました。『58』が名詞「かがやき」を④③としますけれども、『89』は⓪④③とします。
くつろぐ【寛】(くとぅろンぐ HHHL) 元来「隙間ができる」といった意味だったようです。
くるめく・くるべく(くるめく・くるンべく HHHL) 現代語「目くるめく」は東京ではたいてい一息に「めくるめく」と言われますけれども、「目がくるめく」ということなのですから、「め、くるめく」と言ってよいわけです。「目、くるめく」(めえ、くるめく L・HHHL)という言い方は高名の木のぼりも使っていましたけれども、早く『今昔』や『宇治拾遺』にも見える言い方です。擬音「くるくる」に由来することは明らかで、「くるま」(くるま HHH)もまた、くるくると回るから車です。くるくると回る部分を持つ、糸を縒る道具を「くるべき」(くるンべき HHHH)と呼んだそうです。「くるくると」はさしあたり、元来は「くるくると HLHLL」と言われたと想像されます。
さきはふ【幸】(しゃきふぁふ HHHL) はじめの二拍は「咲く」(しゃく HL)に由来するようです。この四拍動詞自体は平安時代にはあまり使われませんでしたけれども、「幸(さいは)ひ」(しゃいふぁふぃ HHHH)はこの音便形「さいはふ」からの派生語で、この名詞は、現代同様、平安時代にもさかんに使われました。ただ、「幸福」よりもむしろ「好運」に近い意味だったようです。「好運な人」を「さいはひびと」と言いましたが、この名詞はおそらく「しゃいふぁふぃンびと HHHHHL」と言われたでしょう。
さぶらふ【候】(しゃンぶらふ HHHL) 貴人のそばにさぶらって(控えて)仕える人を「さぶらひ」(しゃンぶらふぃ HHHH)と言いました。この言葉が「さむらい」に転じてゆくのは室町時代くらいのようです。
さへづる【囀】(しゃふぇンどぅる HHHL) 人を主語とするメタフォリックな使い方もありました。
ただよふ【漂】(たンだよふ HHHL)
たなびく(たなンびく HHHL) 古今集声点本には、この動詞を高起式とする伏片、家、梅、毘・高貞のようなものと、低起式とする寂や訓のようなものとがあります。後者を誤点とする必要はないのでしょうけれども、高起式で言えることに疑いはありません。初拍の「た」を次の「たばかる」(たンばかる HHHL)の「た」と同じ大きな意味は持たない接辞とする見方に立っても、あるいは「棚」(たな HH)と同根の接辞とする見方に立っても、高起式です。ちなみに「靡く」は多数派低起で、「なンびく」(なンびくう LLF)と言われました。
たばかる(たンばかる HHHL) 今では悪い意図に発する行為について言いますけれども、古くは広く「工夫する」「計画する」といった意味で使いました。この「た」は確かに特に意味のない接辞と申せて、それが証拠に「はかる」(ふぁかるう LLF)だけでも同じような意味が出ます。名詞「たばかり」を『26』は④とします。
たふとぶ【尊】(たふとぶ HHHL) 「とーとぶ」ではなく、「た・ふ・と・ンぶ」と言われました。
たゆたふ (たゆたふ HHHL) 前(さき)に紹介した「ゆたのたゆたに」という言い方の「たゆた」はこの動詞に由来するか、その逆かなのでしょう。『26』は「たゆたふ」を何と①とします。たゆたう! おおきに余談ながら、意外にも①で言われるということでは、「赤とんぼ」が昔の東京では①で言われたとものの本にあったことが思い出されます。実際『58』によれば「赤とんぼ」は、1958年時点で「古くは」①で言われたようです。『43』には「アアカトンボ」(表記は変えました)とありますがこれは誤植で、①ということでしょう。ただ、意外にも『26』では「赤とんぼ」は⓪。はっきり「全平」と記されています。①でも③でもなく⓪。明治の東京では「あかとんぼが たゆたう」と言ったようです。
つぶやく【呟】(とぅンぶやく HHHL) 「粒(つぶ)」と同根とされるのはもっともでしょう。「円(つぶ)ら」が「とぅンぶら HHH」なので「粒(つぶ)」も「とぅンぶ HH」でしょう。
つらぬく【貫】(とぅらぬく HHHL)
白露に風の吹き頻(し)く秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける 後撰・秋中308。しらとぅゆうに かンじぇの ふきい しく あきいの のおふぁあ とぅらぬき とめぬ たまンじょお てぃりける LLLFH・HHHLFHH・LFLLH・HHHLHHH・LLFHLHL。真珠の首飾りを構成する真珠が、糸(古い言い方では「緒(を)」〔うぉお H。カーリングみたい〕。「尾」は「うぉお L」)が切れて散らばる、そのイメージです。ちなみに高起動詞「頻(し)く」(しく HL)と現代語で「雨が降りしきる」など言う時の「しきる」とは同根の動詞です。平安時代の京ことばでは「降りしく」(ふりい しく LFHL)と言い「降りしきる」とは言いませんでしたが、「しきる」(しきる HHL)や「うちしきる」(うてぃい しきる LFHHL)は見られて、例えば源氏・明石に、「その年、おほやけにもののさとししきりて、ものさわがしきことおほかり」(しょおのお とし、おふぉやけ(推定)に ものの しゃとし しきりて 、もの しゃわンがしきい こと おふぉかりい HHLL、LLHHH・LLLHHH・HHLH、LLLLLLFLL・LHLF)とあり、同・桐壺に「まうのぼりたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、うち橋、渡殿のここかしこの道にあやしきわざをしつつ」(まうのンぼり たまふにも、あまり うてぃい しきる うぉり うぉりふぁ、うてぃふぁし、わたンどのの ここ かしこの みてぃに あやしきい わンじゃうぉ しいとぅとぅ LHHHLLLHHL、LLL・LFHHH・LHLHH、LLLH、HHHHH・LHHLLLHHH・LLLFHLH・FHH)とあります。今は「降りしきる」は④で言われることが多いでしょうけれど、『26』は⓪とします(むかしの なンごり)。それから「しきりに」(しきりに HHHH)は昔もよく使われました。
とどろく【轟】(とンどろく HHHL)
五月雨の空もとどろにほととぎす何を憂しとか夜たたなくらむ 古今・秋夏160・貫之。しゃみンだれの しょらも とンどろに ふぉととンぎしゅ なにうぉ うしいとかあ よたた なくらム HHHHH・LHLHHHH・LLLHL・LHHLFLF・LHHHLLH。この「よたた」は問答・伏片が〈平上上〉を差し、家・梅が〈平上平〉を差し、寂が〈○上平〉――前者と同趣でしょう――を差すところの、そして『問答』が「終夜之心也」とするところの、「夜うたた」(よおうたた LHHH)のつづまったらしい言い方です。岩波古語や広辞苑は立項せず、「日国」や小学館古語大辞典などは立項する言い方です。「夜、ただ(タダタダ)」(よお
たンだあ LLF)と解すべきはでないとは思いませんけれど、俊成たちに敬意を表することにします。
おほうみの磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも 金槐集・雑 おふぉうみのいしょも とンどろに よしゅる なみ われて くンだけて しゃけて てぃるかもお LLLHL・HHLHHHH・HHHLL・HLHLLHH・LHHHHLF
とぶらふ【訪】(とンぶらふ HHHL) 「問(と)ふ」(とふ HL)と関連のある言葉だというところから式が知られます。現代語の「とむらう」の古形ですが、意味はこれよりもずっと広くて、病気見舞いや災害に遭った人を見舞うこと、そうした人に見舞状を出すこと、さらには一般に人のもとを訪ねることも意味できました。今は入院中の人に「とむらいに来た」とは言いにくいでしょう。特定の語義で使うことが多くなるとほかの語義では使いにくくなるということが、しばしば起こります。
ともなふ【伴】(ともなふ HHHL) 「供」(とも HL)、「友」(とも HH)に由来します。
ののしる (ののしる HHHL) 今と同じく「罵倒する」という意味で使うこともありましたけれど、ずっと頻繁に、「大声を出す」「羽振りを利かせる」「たいそうな評判を得る」といった、「罵」の字を当てられない意味で使われました。
はぐくむ【育】(ふぁンぐくむ HHHL) 「先(さき)に立つ」(しゃきに たとぅ HHHLH)ことが「先立つ」(しゃきンだとぅ HHHH)ことだったように、語源的には「羽」(ふぁあ F)に「含(くく)む」(くくむ LLH)ことが「はぐくむ」(ふぁンぐくむ HHHH)ことです。ちなみに、「袖にくるんで持っている」という意味の「袖ぐくみに持(も)たり」(しょンでンぐくみに もたり HHHHLH・LHL)という言い方が源氏・末摘む花に見えています。
ほとほる【熱】(ふぉとふぉる HHHL) 現代語「ほとぼりがさめる」の「ほとぼり」は元来この動詞の連用形です。現代語「熱くなる」が「発熱する」という文字通りの意味のほかに「かっとなる」「怒(いか)る」という比喩的な意味を持つのと同じことが「ほとほる」(ふぉとふぉる HHHL)にも言えます。「火照(ほて)る」とのつながりを考えたくなりますけれども、「火」は「ふぃい L」、「ほてる」は「ふぉてるう LLF」で、「ほとほる」とは式が異なります。『26』は「ほとほる」を③としますが、名詞「ほとほり」(発音はホトオリ)と「その転」とする「ほとぼり」とを④とします。ありようは「訪る」(おとンどぅる HHHL)と似ていて、派生名詞が低く終わるから旧都において動詞は低起式だったろうと推測すると間違ってしまいます。ちなみに『43』はこの名詞を⓪、『58』『89』は⓪④とします。明治時代にも名詞「ほとぼり」は⓪で言えたのかもしれませんけれども、その場合でも、派生名詞が高く終わることは旧都の動詞のアクセントについて多くを語らないのでした。いっそ、英語の hot は高起式だから、とおぼえますか。
みちびく【導】(みてぃンびく HHHL) 「道」は「みてぃ HH」、「引く」は「ふぃく HL」。
みなぎる【漲】(みなンぎる HHHL) 「水」は「みンどぅ HH」。
むさぼる【貪】(むしゃンぼる HHHL)
明け方も近うなりにけり。鶏の声などは聞こえで、御嶽精進にやあらむ、ただ(タダタダ)翁びたる声に額(ぬか)づくぞ聞こゆる。立ち居のけはひ、堪へがたげに行なふもいとあはれに、朝(あした)の露に異ならぬ世を、何を貧る身の祈りにか、と聞きたまふ。源氏・夕顔。
あけンがたも てぃかう なりにけり。とりの こうぇえ なンどふぁ きこいぇンで、みたけしやうンじんにやあ あらム、たンだあ おきなンびたる こうぇえに ぬかンどぅくンじょ きこゆる。たてぃうぃの けふぁふぃ たふぇンがたンげに おこなふも いと あふぁれえに、あしたの とぅゆうに ことおならぬ よおにい なにうぉ むしゃンぼる みいのお いのりにかあと きき たまふう。HHHHL・LHL・LHHHL。HHHLFRLH・HHHL、HHHHHHLLHF・LLH、LF・LLHLLHLFH・HHHHL・HHHH。LHHHLLL・LLLLLH・HHHHL・HLLLFH、LLLLLFH・LFHLH・HH・LHHHHHH・HH・LLLHFL・HLLLF。
やしなふ【養】(やしなふ HHHL) 名詞「やしなひ」はおそらく「やしなふぃ HHHH」でしょう。この言葉には「食事」といった意味があります。『今昔』の、芥川の短編「藪の中」の原話となった物語(29-23)に「昼のやしなひせむとて藪の中に入るを」とあるのは、「ふぃるの やしなふぃ しぇえムうとて、やンぶの なかに いるうぉ HLLHHHH・HFLH・HHHLHH・HHH」など言われたでしょう。名詞「やしなひ」は『26』が③、『43』が⓪③、『58』『89』が⓪としていて、変遷が明らかです。
やすらふ(やしゅらふ HHHL) 諸辞典が「休む」や「安(やす)し」との意味的なつながりを指摘しますけれども、「休む」は「やしゅむう LLF」、「安し」は「やしゅしい LLF」で、「やすらふ」とは式が異なります(それゆえ意味的連関はないと申すのではありません)。広く「行動をしない」こと、「行動を控える」ことを指します。次の歌に見られるように「ためらう」も意味しますが、「ためらう」とは、どうしようか迷ってしかるべき行動をしないことです。
やすらはで寝なましものを小夜(さよ)更けてかたぶくまでの月を見しかな 後拾遺・恋二680。やしゅらふぁンで ねえなましい ものうぉ しゃよ ふけて かたンぶくまンでの とぅきうぉ みいしかなあ HHHHL・FHHFLLH・HHLHH・LLLHLHL・LLHLHLF。「小夜(さよ)」は現代京都ではHLのようですけれど、顕天平594注が「さよのなかやま」に〈上上(上平平平平)〉(しゃよ〔の なかやま〕 HH〔H・LLLL〕)を差しています。
わななく【戦慄】(わななく HHHL) おンぼろンどぅきよは「わななくわななく」(わななく わななく HHHLHHH)言葉を発していましたけれども、枕草子にもこの言い方が見えています。
きさらぎ(仮にやまとことばで読んでおきます)つごもりごろに、風いたう吹きて空いみじう黒きに(黒イノニ加エテ)雪すこしうち散りたるほど、黒戸(くろど)(トイウ場所)に主殿司(とのもづかさ)来て、「かうてさぶらふ(ゴメンクダサイ)」といへば寄りたるに、「これ、公任の宰相殿の」とて(何カガ)あるをみれば、ふところ紙に、
すこし春ある心地こそすれ
とあるは、げにけふのけしきにいとようあひたるを、これが本(上ノ句)はいかでか付くべからむ(ドウ付ケタラヨイダロウ)と思ひわづらひぬ。「(殿上ノ間ニハ今)たれたれか(ドウイッタ方ガタガイラッシャイマスカ)」と問へば、「それそれ(アノ方コノ方)」といふ。(ソノ方ガタハ)皆いと恥づかしき(身モスクムヨウナ方ダガ、ソノ)中に宰相の(宰相ヘノ)御いらへをいかでかことなしびに言ひいでむ、と心ひとつに苦しきを、御まへに(中宮ニ)御覧ぜさせむとすれど、上おはしましておほとのごもりたり。主殿司は「とくとく」といふ。げに遅うさへあらむは(ドウセ碌ナモノハデキナイノニ加エテ出来ルノモ遅イデハ)いととりどころなければ、さはれ(エエイ)とて、
空さむみ花にまがへて散る雪に
とわななくわななく書きてとらせて、いかに見たまふらむとわびし、これがことを聞かばや、と思ふに、(ソノ一方デハ)そしられたらば(酷評サレテイルノナラバ)聞かじ、とおぼゆるを、「俊賢の宰相など、『なほ(ヤハリ)内侍に奏してなさむ(帝ニ奏上シテコノ人ヲ内侍ニシヨウ)』となむさだめたまひし」とばかりぞ、左兵衛の督(かみ)の中将にておはせし(当時中将デイラッシャッタ今ノ左兵衛ノ督ガ)、語りたまひし。枕・二月つごもり頃に(102)。原文「見たまふらむ」を「見たまはむ」としました。
きしゃらンぎ とぅンごもりンごろに、かンじぇ いたう ふきて しょら いみンじう くろきいに ゆうき しゅこし うてぃい てぃりたる ふぉンど、くろンどに とのもンどぅかしゃ きいて、「かうて しゃンぶらふ」と いふぇンば よりたるに、「これ、きムたふの しゃいしやうンどのの」とて あるうぉ みれンば LLHL・LLLLHLH、HHLHLLHH・LHLLHLLLFH・RL・LHL・LFHLLHHL、LLLH・LLLLHLRH、「HLHHHHL」LHLL、HLLHH、「HH、HHHLL・HHHHHHHH」LH・LHHLHL、ふところンがみに、/しゅこし ふぁるう ある ここてぃこしょ しゅれ/と あるふぁ、げに けふの けしきに いと よおう あふぃたるうぉ、これンが もとふぁ いかンでかあ とぅくンべからム、と おもふぃい わンどぅらふぃぬう。HHHHHLH、/LHLLFLH・LLLHLHL/L・LHH、LHLHLLLLH・HLRL・LHLHH・HHHLLH・HRHF・LLHLLH、L・LLFHHHLF。「たれ たれかあ」と いふぇンば、「しょれ しょれ」と いふ、みな いと ふぁンどぅかしきい なかに しゃいしやうの おふぉムいらふぇうぉ いかンでかあ ことなしンびに いふぃ いンでム、と こころ ふぃととぅに くるしきいうぉ、おふぉムまふぇに ごらムじぇしゃしぇムうと しゅれンど、うふぇ おふぁし まして おふぉとのンごもりたりい。とのもンどぅかしゃふぁ「とおく とおく」と いふ。「HHHHF」L・HLL・「HHHH」LHH、HLHLLLLLFLHH・HHHHLL・LLHHHHH・HRHF・LLLLLH・HLLLH、L・LLHLHLH・LLLFH、LLHHHH・LLLLLLFLHLL、HLLHLLHH・LLLLLHLLF。LLLLHLH「RLRL」LHL。げに おしょうしゃふぇ あらムふぁ いと とりンどころ なけれンば、しゃあふぁあれえとて、/しょら しゃむみ ふぁなに まンがふぇて てぃる ゆうきに/と わななく わななく かきて とらしぇて、いかに みいい たまふらムと わンびしい、これンが ことうぉ きかンばやあ、と おもふに、しょしられたらンば きかンじい、と おンぼゆるに、LH・HHLHHLLHH・HL・LLLHLLHLL、LFF、LH/LHLHL・LLHLLHH・HHRLH/L・HHHLHHHL・LHHLLHH、HLHℓfLLHLHL・HHF。HHHLLH・HHLF、L・LLHH、HHHLLHL・HHFL・LLLHH、「としかたの しゃいしやう なンど、『なふぉお ないしに しょう しいて なしゃムう』となム しゃンだめえ たまふぃし」とンばかりンじょお、しゃあふぃやううぇえの かみの てぃゆうンじやうにて おふぁしぇし、かたり たまふぃし。「LLHLL・HHHHLRL、『LF・LLLHRFHLLF』LHL・LLFLLLH」LLHLF・RLHHLLLHL・LLHLLLHH・LHHH、HHLLLLH。「公任」(きむたふ)の「公」はもともと「君」と同じく「きみ」(きみ HH)でしょうから、「きん」ではなく「きム」。「たふ」はもともとは「堪ふ」と同じく「たふう LF」。すると、『源氏』の登場人物の「惟光」(これみつ)と語構成が同じですから、『研究』研究篇上で秋永さんがそうなさった通り、はじめの三拍はHHHでしょう。末拍は、詳細を省きますが、確率論的には低いと見るのが穏当です。「宰相」などの漢字音は推定。根拠は省いてしまいます。「さはれ」は「さはあれ」(しゃあふぁあ あれえ LHLF)のつづまったもので、「さもあらばあれ」(しゃあもお あらンば あれえ LFLHLLF)のつづまった「さまらばれ」に図名が〈平東上平東〉(しゃあまあらンばれえ LFHLF)を差すのに倣って、「しゃあふぁあれえ LFF」と発音されてよいと思います。
それにしても清少納言は、今の暦で言えば四月の初旬頃だというのに、「風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪すこしうち散りたる」というありさまのある日、「少し春ある心地こそすれ」という句を贈られたのでした。彼女、「げに今日のけしきにいとよう合ひたるを」と書きつけていますけれど、少し春がある気持ちがするという内容の句は、その日の様子に「いとよう」合っているとは思えません。ではなぜそうあるのでしょう。「名歌新釈」2にも書いたのですけれど、要するにアイロニーです。
次に、四拍の低起四段動詞を並べます。
あづかる【預】(あンどぅかる LLHL)
あまぎる【天霧】(あまンぎる LLHL) 「あめ【雨】」も「あめ【天】」も「あめえ LF」ですけれども、「あま【雨】」も「あま【天】」も「あま LL」のようです。今も使う「霧」は平安時代の京ことばで「きり HH」でしたが、これは動詞「霧る」(きる HL)からの派生語です。いつぞや「梅の花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば」(古今・冬334。ムめのふぁな しょれともお みいぇンじゅ ふぃしゃかたの あまンぎる ゆうきの なンべて ふれれンば HHHLL・HHLFLHL・HHHLL・LLLHRLL・LHHLHLL)を引きました。「あまぎる」の連体形「あまぎる LLLH」ではこの「霧る」の式は保存されません。複合動詞の後部成素ではこういうことは珍しくありません。
あらはす【現】(あらふぁしゅ LLHL) 「あらはなり」は「あらふぁなり LHLHL」です。
いきづく【息吐】(いきンどぅく LLHL) 「息(いき)」は「いき LH」、「吐(つ)く」は「とぅく HL」。現代語では「いきづく」は、何と申しますか、しゃれた表現として好む向きもある言い方ですけれども、平安時代の京ことばではこの動詞は「ぜいぜいと息をする」「ため息をつく」といった意味で使われるばかりです。
いさよふ (いさよふ LLHL) 「十六夜」と書いて「いざよい」と読ませるというその「いざよう」はもともとは「いさよふ」(いしゃよふ LLHL)でしたけれども、平安末期には「いざよふ」(いンじゃよふ LLHL)と言ったようです。西暦千年ごろは「いさよふ」だったと見ておきます。この動詞は、諸書が、現代語で「さあ、わからない」などいう時の「さあ」の古形「いさ」(いしゃあ LF)に由来するとします。そうだと思ってよいのでしょう。さて古今・恋四690に、
君や来む我やゆかむのいさよひに槙の板戸もささず寝にけり きみやあ こおムう われやあ ゆかむの いしゃよふぃに まきの いたンども しゃしゃンじゅ ねえにけり HHFLH・LHFHHHH・LLLLH・HHHLLHL・LHLFHHL
という歌があります。内容から推して女性の歌です。今日は十六夜。あなたがいらっしゃるのだろうか。それともあなたはいらっしゃらなくて、あなたをお慕いする私が夢の中であなたのもとに行くのだろうか。ぐずぐずしていて、結局、戸を差さずに寝てしまいました。『問答』によれば、ある人が俊成に、この歌の「いさよひ」は〈上上上上〉と発音するのか、そもそもどういう意味か、何日目かの夜をいうのか、といった質問をしたところ、俊成は「いざよひ」〈平平平平〉と読むのであり、十六夜をいうのであると答えた、ということです。周知の向きも多いことながら、陰暦十六日の夜の月は前日よりも一時間くらいおそく出るので見る側が「ぐずぐずしている」と思う、というところからその月を「いさよひ」ないし「いざよひ」と言うのだそうです。
いたはる【労】(いたふぁる LLHL) 名詞「いたはり」はおそらく「いたふぁり LLLL」でしょう。諸書を参照すると、この名詞には、「いたわること」といった現代語の言い方では覆いつくせない、「引き立て」「特別な配慮」、さらには「病気」といった語義もあります。形容詞「いたはし」(いたふぁしい LLLF)はこの動詞と同根のようです。
いとなむ【営】(いとなむ LLHL) 何であれせっせと行なうことを意味したようですが、それもそのはずということのようで、「暇(いとま)なし」(いとま なしい LLLLF)と同義の「暇(いと)なし」(いと なしい LLLF)という言い方があり、これから、「ひまがないひまがないという」「ひまながる」といった意味の動詞「いとなむ」が生まれたのたそうです。
いふかる【訝】(いふかる LLHL) 現代語「いぶかる」の古形。上代には「いふかる」、改名では「いふかる」「いぶかる」両様なので、上代に限らず平安時代にも第二拍は清んだ、ないし清みえたと見ておきます。派生語「いふかし」(いふかしい LLLF)の清濁についても同じことが申せます。この形容詞が、今と同じような意味だけでなく、いぶかしい気持ちを晴らすべく何かを見たいとか、聞きたいとか、誰かに逢いたいといった意味を持つことは周知です。
いろどる【彩】(いろンどる LLHL) 動詞「とる」(とるう LF)のアクセントは反映されません。
うそぶく【嘯】(うしょンぶく LLHL) 古くは「豪語する」という意味はありませんでした。「うそ」は「口をすぼめて強くはき出す息」のことで、そうした息をはくことを「うそを吹く」(うしょうぉ ふくう LLHLF)、「うそぶく」(うしょンぶく LLHL)と言ったようです。ちなみに、虚言のことを平安時代には「そらごと」(しょらンごと LLLL)や「いつはり」(いとぅふぁり LLHH)と言いましたが、室町時代頃それらにかわって覇権を握った「うそ」は、「口をすぼめて強くはき出す息」という意味の「うそ」から転じたものだという説得的な見方があります。「嘘」という漢字は「口からふうっと息をはき出す」という意味だそうで、この漢字が「虚言」の「虚」や、「すすり泣き」を意味する「歔欷」の「歔」に通ずることなども思いあわせられます。
うつろふ【移】(うとぅろふ LLHL) 「うつる」(うとぅるう LLF)が反復を意味する「ふ」を従えた「うつらふ」の変化した言い方です。
うながす【促】(うなンがしゅ LLHL)
うなづく【頷】(うなンどぅく LLHL) この「うな」は、「うなじ」(うなンじ LLL)と同じ意味の名詞「うな」なのだそうです。なるほど。
うらやむ【羨】(うらやむ LLHL) この「うら」は、「裏」(うら LL)や「浦」(うら LL)と同根の「心(うら)」(うら LL)で、他人からは見えないものとしての「心」という意味、「やむ」は「病む」(やむう LF)です。やはり「やむ」の式は保存されていません。「うらやましい」は当然に「うらやましい LLLLF」です。
うるほす【潤】(うるふぉしゅ LLHL)
うるほふ【潤】(うるふぉふ LLHL)
おとしむ【貶】(おとしむ LLHL) 「落つ」(おとぅう LF)や「落とす」(おとしゅう LLF)と縁のあることは明らかですから、低起式なのは当然と言えます。
おどろく【驚】(おンどろく LLHL) 「はっと目が覚める」「はっと気づく」といった意味もあるのでした。はっとでなくゆっくり目を覚ます時には「寝覚む」(ねえ しゃむう HLF)など言ったのでしょう。「寝覚む」を一語の動詞を見ないことはすでに申しました。
おぼめく【朧】(おンぼめく LLHL/おンぼめく HHHL) 顕昭の『拾遺抄注』が〈平平上平〉とするのでここに置きますけれども、改名は〈上上〇〇〉とします。「記憶がおぼろだ」など言う時の「おぼろ」は「おンぼろ HHL」のようですから、この言い方と縁のある「おぼめく」は高起式だったと見るほうがよいかもしれません。「まごつく」「首をひねる」「とぼける」といった意味で使われました。
おもむく【赴】(おもむく LLHL) 「面(おも)」は「おも LH」、「向く」は「むく HL」。下二段の「おもむく」という動詞もあって、ある方向に向かわせる、という意味で使いました。
かうぶる【被】(かうンぶる LLHL) 上代の「かがふる」(かンがふる LLHL)の変化したものです。もともとは「頭にかぶる」ことで、この「かぶる」は「かうぶる」の変化したものにほかなりません。東京は「かぶる LHL」だから「かうぶる」は低起式だと思っても実害はないでしょう。この「頭にかぶる」という語義から「上位の存在から何かをいただく」といった意味が生じました。名詞「かうぶり」は「かうンぶり LLLL」で、この変化したものが現代語の「冠(かんむり)」です。
かしづく【傅】(かしどぅく LLHL)
かたぬぐ【肩脱】(かたぬンぐ LLHL) 上衣を半分脱いで下衣の肩を出すことを言うそうです。「肩」は「かた LH」。「脱ぐ」は「ぬンぐう LF」でした。動詞の低起性が維持されていません。
かたぶく【傾・片向】(かたンぶく LLHL) 現代語「かたむく」の古形。対応する他動詞は下二段の「傾く」(かたンぶく LLHL)。ちなみに「片手」は「かたて LLL」、「片時も」は「かたときもお LLLLF」です。
かたよる【片寄】(かたよる LLHL)
きしろふ(きしろふ LLHL) 「うつる」(うとぅるう LLF)から「うつろふ」(うとぅろふ LLHL)が派生するように「軋(きし)る」(きしるう LLF)――東京でLHLと言われる――から派生した動詞で、「人との間に摩擦を起こす」「人としのぎをけずる」を意味します。
ことわる(ことわる LLHL) 「事を割る」(ことうぉ わる LLH・HL)というところから出来た動詞で、現代語の「事を分けて説明する」といった言い方からも連想されるとおり、「説明する」とか、「(これはこう、あれはああと)判断する」といった意味で使います。古くは「拒絶する」という意味はありませんでした。それは例えば「いなぶ」(いなンぶう LLF)。
さいなむ【苛】(しゃいなむ LLHL) 「さきなむ」の音便形なので第二拍は「い」です。平安仮名文ではもっぱらこの音便形が使われたようです。現代語の「さいなむ」よりも〝強い〟動作を示 すことが多かったようで、小学館の古語大辞典は「①叱る。責める。咎める。②詰問する。なじり問う。③責め苦しめる。いじめる。折檻する」とします。もしかして「(からだを)裂く」(しゃくう LF)から来たのではないでしょうか。
さまよふ【彷徨】(しゃまよふ LLHL)
しりぞく【退】(しりンじょく LLHL) 「尻」「後(しり)」は「しり LL」でした。
そこなふ【損】(しょこなふ LLHL) 源氏・若紫に、手ならいをする若紫が「書きそこなひつ」(かきい しょこなふぃとぅう LFLLHLF)というところがあります。書きまちがえてしまった。ないし、書きまちがえてしまいました。今の子供たちは「書きそこなってしまった」「書きそこなってしまいました」とは言いませんね。
たたずむ【佇】(たたじゅむ LLHL) 「立つ」(たとぅう LF)と無縁とは考えられないわけで、その低起性から「たたずむ」のそれも知られます。「たたずまふ」という動詞もあって(たたンじゅまふ LLLHL)、これから派生した「たたずまひ」(たたンじゅまふぃ LLLHL、ないし、たたンじゅまふぃ LLLLL)は平安仮名文によく登場します。
たまはる【賜】(たまふぁる LLHL) 「たうばる」(たうンばる LLHL)、「たばる」(たンばる LHL)はこの変化した形です。
ためらふ(ためらふ LLHL) 知られているとおり平安時代には「躊躇する」という意味はなく(それは「やすらふ」〔やしゅらふ HHHL〕)、「気持ちを落ち着かせる」「病状を落ち着かせる(=療養する)」といった意味で用いられました。
ちかづく【近付】(てぃかンどぅく LLHL) 形容詞「近(ちか)し」は「てぃかしい LLF」。「ちかづく」において「付く」(とぅくう LF)の式は保存されていません。対応する他動詞として下二段の「ちかづく」がありました。
つぐのふ【償】(とぅンぐのふ LLHL) 「つぐなう」の古形です。次は『蜻蛉』の康保三年(966)五月の記事。
「今年は節(せち)きこしめすべし(帝ガ端午ノ節会(セチエ)ヲ催サレル予定ダ)」とていみじう騒ぐ。いかで見む(ドウカシテ見タイ)と思ふに、ところぞなき。「見むと思はば」とあるを(夫ガ言ウラシイノヲ)聞きはさめて(小耳ニハサンデイテ)、(ソノ夫ガヤッテキテ折ヨク)「双六(すぐろく)打たむ」と言へば、「よかなり(It sounds good)。物見(ものみ)つぐのひに(私ガ勝ッタラ見物ニ連レテイッテクダサイ)」とて、目うちぬ(「ケッキョク私ガ勝ッタ」という意味のようです)。
「ことしふぁ しぇてぃ きこし めしゅンべしい」とていみンじう しゃわンぐう。いかンで みいムうと おもふに、ところンじょ なきい。「みいムうと おもふぁンば」と あるうぉ きき ふぁしゃめて、「しゅンぐろく うたムう」と いふぇンば、「よおかんなり。ものみとぅンぐのふぃに」とて、めえ うてぃぬう 「HHHH・HH・HHLLLLF」LHLLHL・LLF。HRH・LHL・LLHH、HHHL・LF。「LFLLLHL」L・LHH・HLLLHH、「HHLLLLF」L・HLL、「RLHHL。LLLLLHLH」LH、LLHF。
つくろふ【繕】(とぅくろふ LLHL) 「作る」「繕ふ」の関係は「移る」「移ろふ」のそれと平行します。
つちかふ【培】(とぅてぃかふ LLHL) 「土を飼ふ」(とぅてぃうぉ かふ)こと、すなわち、(植物を育てるために植物に)土を与えることでした。
つつしむ【慎】(とぅとぅしむ LLHL)
つのぐむ(とぅのンぐむ LLHL) 新芽が角(つの)のように出て来る、という意味。「角(つの)」は「とぅの LL」です。
ときめく(ときめく LLHL) 現代語で「今をときめくスター」など言う時の「ときめく」は「心がときめく」のそれではなく、「時めく」で、「時」は「とき LL」、「めく」は動詞を作る接辞です。『源氏』劈頭の文にもあらわれていました。
他方、「心ときめきす」(おそらく、こころときめき しゅう LLLLLHLF)という言い方があって、すると「心がどきどきする」という意味で「心、ときめく」ということが可能だと考えられますけれども、前者が好まれ好まれるようであるのは、散文では「尽きず」(とぅきンじゅ HHL)は好まれずもっぱら「尽きせず」(とぅきしぇンじゅ HHHL)が使われるようなのと似ています。こちらの「ときめく」が「ときめく HHHL」なのか「ときめく LLHL」なのか分かりませんけれども(どちらかではあるでしょう)、「心ときめき」は、「こころときめき LLLLLHL」の可能性が高いでしょう。低起三拍名詞が動詞から派生した名詞を従えるタイプの複合名詞では、「傀儡師(くぐつまはし)」(くンぐとぅまふぁし LLLLHL。「くぐつ」は「くンぐとぅ LLH」、「まはす」は「まふぁしゅ HHL」)、「こむらがへり」(こむらンがふぇり LLLLHL。「こむら」は「こむら LLH」、「かへる」は「かふぇるう LLF」)、「をとこざかり」(うぉとこンじゃかり LLLLHL。「をとこ」は「うぉとこ LLL」、「さかる」は「しゃかる HHL」)のように、前部成素の二拍目三拍目のありようや動詞の式によらず共通のアクセントをとると考えられるからです。
ちなみに、後半が派生名詞でない場合は、
LH○+○○→LHHHL
LH○+○○○→LHHHHL
LH○○+○○→LHHHHL
LLH○+○○○→LLHHHHL
のような規則に従うことが多いようで、実際、例えば「立田」は「たとぅた LHH」、「姫」は「ふぃめ HL」、「たつたびめ」は「たとぅたンびめ LHHHL」、つまり「LHH+HL→LHHHL」であり、「菖蒲(あやめ)」は「あやめ LHH」、「草」は「くしゃ LL」、「あやめぐさ」は「あやめンぐしゃ LHHHL」、つまり「LHH+LL→LHHHL」であり、「尿(ゆばり)」は「ゆンばり LHH」、「袋」は「ふくろ LLL」、「膀胱(ゆばりぶくろ)」は「ゆンばりンぶくろ LHHHHL」、つまり「LHH+LLL→LHHHHL」、「打ち掛け」は「うてぃかけ LHHH」、「衣(きぬ)」は「きぬ LH」、「うちかけきぬ」は「うてぃかけきぬ LHHHHL」、つまり「LHHH+LH→LHHHHL」であり、「兵(つはもの)」(武器のことです)は「とぅふぁもの」、「庫(くら)」は「くら LL」、「兵庫(つはものぐら)」は「とぅふぁものンぐら LHHHHL」、つまり「LHLL+LL→LHHHHL」であり、「弓弦(ゆみづる)」は「ゆみンどぅる LLHL」、「袋」は「ふくろ LLL」、「ゆみづるぶくろ」は「ゆみンどぅるンぶくろ LLHHHHL」、つまり「LLHL+LLL→LLHHHHL」です。
ふたたびちなみに、すると、もともとは一般名詞だったらしい「枕草子」――枕になるような分量の分厚い紙を綴じたもの、という意味にとっておきます――はどうでしょう。古くは「枕草子」は「まくらさうし」ないし「まくらざうし」と、「の」なしで言われたようです。「枕」は「まくら LLH」、「草子」は「しゃうしい HHH(漢音)」というところまではよいとして、「枕草子」は、「まくらしゃうし LLLLHL」など言われたか「まくらしゃうし LLHHHL」など言われたか、いずれかだろうというところまでしか分かりません。後者も考えうるのは、弓の的を「いくは」(いくふぁ LLH)と言い、それを掛けるために土を盛ったところを「いくはどころ」と言ったらしいのですけれども(「ところ」は「ところ HHH」。ちなみに「いくはどころ」の同義語に「あむつち」【垜・堋・安土】〔あむとぅてぃ HHHH〕ないし「あづち【垜・堋・安土】」〔あンどぅてぃ HHH〕があるそうです)、この「いくはどころ」に図名が〈平平平平上平〉(いくふぁンどころ LLLLHL)を差しているからです。
ととのふ【整】(ととのふ LLHL)
なづさふ(なンどぅしゃふ LLHL) 上代には「水に浮かぶ」といった意味、平安時代には「なつく」「なれ親しむ」といった意味で使われたと言いますけれども、転義なのかどうか、事情がよく分かりません。
にほはす【匂】(にふぉふぁしゅ LLHL) 終止形をLLLFと見る向きもありますけれど、この見方は、
なに人(びと)か来て脱ぎかけし藤袴くる秋ごとに野辺をにほはす 古今・秋上239。なにンびとかあ きいて ぬンぎい かけし ふンでぃンばかま くる あきいンごとおに のンべえうぉ にふぉふぁしゅ LHHHF・RHLFLLH・HHHHL・LHLFLFH・LFHLLLH。誰が来て衣を脱いで掛けた藤袴が、毎秋、野辺を匂わせるのか。
における「にほはす」に『毘』の〈平平平上〉を差すのによったのでしょう。しかしこの「にほはす」は「なにびとか」の結びゆえ連体形です。一首は「なに人(びと)の来て脱ぎかけし藤袴か来る秋ごとに野辺をにほはす」における係助詞「か」が前に出たので、平安時代の京ことばでは係助詞や副助詞はしばしばそういうふるまいをします。例えば『源氏』のはじめの方に出てくる「うたてぞなりぬべき人の御さまなりける」(うたてンじょ なりぬンべきい ふぃとの おふぉムしゃまなりける)は、「うたてなりぬべき人の御さまにぞありける」(うたて なりぬンべきい ふぃとの おふぉムしゃまにンじょ ありける)における「ぞ」が前に出たのです。
ちなみに、この「にほはす」を動詞「にほふ」(にふぉふう LLF)が使役の「す」を従えた言い方と見る見方もあります。たしかに、例えば、
梅が香を桜の花ににほはせて柳が枝に咲かせてしがな 後拾遺・春上82。ムめが かあうぉお しゃくらの ふぁなに にふぉふぁしぇて やなンぎンが いぇンだに しゃかしぇてしかなあ HHHHH・HHHHLLH・LLLHH・HHHHHHH・HHLHLLF。梅の香りを、桜の花のところで匂うようにさせ、その桜の花を柳の木の枝に咲かせてみたいよ。
における「にほはす」などはそうでしょうけれども、「なに人か」の歌の「にほはす」は、
花の香をにほはす宿に尋(と)めゆかば色にめづとや人の咎めむ 源氏・紅梅(こうンばい LLLL。漢音)。ふぁなの かあうぉお にふぉふぁしゅ やンどに とめえ ゆかンば いろに めンどぅうとやあ ふぃとの とンがめム LLLHH・LLLHLHH・LFHHL・LLHLFLF・HLLLLLH。花の香りをただよわせるお家(うち)に尋ねて行ったら、この色好みめと人にとがめられてしまうでしょう。
におけるそれと同じく四段動詞であること、語形から明らかです。
はうぶる【葬】(ふぁうンぶる LLHL) 「ほうむる」の古形です。
はげます【励】(ふぁンげましゅ LLHL) 現代語とは異なり善意に出るものとは限りません。すなわち「たきつける」「あおる」「挑発する」といった意味にもなります。
ひしめく【犇】(ふぃしめく LLHL)
ひらめく【閃】(ふぃらめく LLHL) 「雷(かみ)、鳴り、ひらめく」(かみ、なり、ふぃらめく LL、HL、LLHL。かみなりが起こり、閃光が走る)という言い方が、源氏・須磨(しゅま HL)や同・明石(あかし HLL)、大鏡・時平などに見えています。それから、太刀などもひらめいたようで、『今昔』にそうした「ひらめく」に対応する他動詞「ひらめかす」(ふぃらめかしゅ LLLHL)が見えています。すなわち、前(さき)に伊勢物語の、女人を盗む話を引きましたけれども、『今昔』に読まれるその再話(27-7)の一節にこうあります。
太刀を抜きて、女をばうしろの方におしやりて(自分ハ)起きゐて、ひらめかしけるほどに、かみもやうやう鳴りやみにければ、夜も明けぬ。しかるあひだ、女、声もせざりければ、中将あやしむで見かへりてみるに、女のかしらのかぎりと着たりける衣どもとばかり残りたり。
たてぃうぉ ぬきて、うぉムなうぉンば うしろの かたに おし やりて おきい うぃいて ふぃらめかしける ふぉンどに、かみもお やうやう なり やみにけれンば、よおもお あけぬう。しかる あふぃンだ、うぉムな、こうぇえもお しぇえンじゃりけれンば、てぃゆうンじやう、あやしムで みいい かふぇりて みるに、うぉムなの かしらの かンぎりと きいたりける ころもとンばかり のこりたりい。LLHHLH、HHLHH・LLLLHLH・HLHLH・LFFH・LLLHLHLHLH・LLF・LHLL・HLHLHHLL、LFHLF。LLHHHL、HHL、LFFHLHHLL・LLHLLL・LLHLH・ℓfLLHH・LHH、HHLL・LLLLLLLH・FLHHL・HHHHHHL・LLHLF。「かしらのかぎり」は「頭部だけ」という意味です。
ほのめく(ふぉのめく LLHL) 「ほのか」は「ふぉのか LHL」なのでした。
ほほゑむ【微笑】(ふぉふぉうぇむ LLHL) 「頬(ほほ)」は資料によってLLともLHともされますが、現代京都のHLからはLL説(ふぉふぉ LL)のほうが分がよいと言えます。「笑む」は「うぇむ HL」で、東京アクセントも現代京都アクセントも参考にならないのでした。
まかなふ【賄】(まかなふ LLHL) 「任(まか)す」(まかしゅう LLF)の「まか」と同じなのだそうです。名詞「まかなひ」を『26』が③としています。
またたく【瞬】(またたく LLHL) 「目」(ま L)と「叩く」(たたくう LLF)とから成ります。
今度は四拍の高起下二段動詞を並べます。
あきらむ【明】(あきらむ HHHL) 改名(観智院本・仏中)は〈平平上○〉としますけれども、動詞「明く」(あく HL)や形容詞「あかし」(あかしい HHF)と同式と見て、『倶舎論』(総合索引)が〈上上上平〉を差すのを採ります。「明らかにする」「説明する」といった意味で使われました。「諦める」という語義はありませんでした。「諦める」といった意味で使われたのは、例えば「思ひ絶ゆ」(おもふぃい たゆう LLFLF)や「思ひとぢむ」(おもふぃい とンでぃむう LLFLLF)のような言い方です。
おとづる【訪】(おとンどぅる HHHL) この「おと」は申したとおり元来「音」(おと HL)です。すなわち「おとづる」はもともとは「音」(おと HL)を立てるという意味であり、そこから訪問を知らせるために何かしらの音を立てる、訪問する、便りを送る、というように語義が広がったようです。名詞「おとづれ」を『26』が④、『43』が⓪、『58』『89』は⓪④とします。 夕されば門田の稲葉おとづれて葦の丸屋に秋風ぞ吹く 金葉・秋183。ゆふ しゃれンば かンどたの いなンば おとンどぅれて あしの まろやに あきかンじぇンじょ ふく HHHLL・HHHHLHL・HHHLH・HHHHHHH・LLLHLLH。「門(かど)」は「かンど HL」、「田」は「たあ L」。「門田」への注記を知りませんけれども、「HL+L→HHH」は例外の少ない規則のようで――実際「垣根」「人目」「昼餉(ひるげ)」は「かきね HHH」「ふぃとめ HHH」「ふぃるンげ HHH」と発音されました――、「かンどた HHH」だったと見てよいと思われます。ちなみに「HH+L→HHH」も例外の少ない規則のようで、例えば「あしび【葦火】」「いそな【磯菜】」「たけだ【竹田】(地名)」「とりめ【鳥目】」「ひげこ【髭籠】」「ひらだ【平田】」「もろて【諸手】」は「あしンび HHH」「いしょな HHH」「たけンだ HHH」「とりめ HHH」「ふぃンげこ HHH」「ふぃらンだ HHH」で「もろて HHH」と発音されました。
「HL+R→HHH」も基本的に成り立つようです。例えば「屋」は単独では「やあ R」ですけれども、「いはや【岩屋】」「かはや【厠=川屋】」「つかや【塚屋】」「ひとや【獄=人屋】」といった言い方に差される〈上上上〉は言いにくいHHRではなくHHHでしょうから(総合索引もそう見ています。いふぁや、かふぁや、とぅかや、ふぃとや)、「丸」(まろ HH)を先立てる「まろや」も「まろや HHH」でよいのでしょう。
くはたつ【企】(くふぁたとぅ HHHL) 図名は三拍目を清ましています。元来は「つま先を立てる」という意味だったそうで、平安時代には今と同じ「計画する」という意味で使われましたけれども、この転義の経緯はわかりません。名詞「くはだて」は『26』が④、『43』が⓪④、『58』がう④⓪③、『89』が⓪④です。
さきだつ【先立】(しゃきンだとぅ HHHL) 四段の「さきだつ」に対応する他動詞です。
さすらふ【流離】(しゃしゅらふ HHHL) まれに四段活用でも使われましたけれども、基本的には下二段活用です。今は「さすらえない」はさすらうことができないという意味ですが、古くは「さすらへず」(しゃしゅらふぇンじゅ HHHHL)は第一義的には「流離わない」を意味しました。
たはぶる【戯】(たふぁンぶる HHHL) 「たわむれる」の古形です。『26』は名詞「たはぶれ」および「たはむれ」を④としますけれども、そこから旧都における「たはぶる」の低起性を言うことはできません。東京では名詞「たはむれ」は戦前に平板化がはじまったようで、『43』が⓪④、『58』が④⓪、『89』が⓪④とします。
なずらふ【準・擬】(なンじゅらふ HHHL) 今は「なぞらえる」としか言いませんけれども、古くは、むしろ「なずらふ」が好まれました。あるものを別の何かに準じて考える、あるものを別の何かと見なす、といった意味で使われました。古くは四段にも活用して、「なずらひ」という名詞も使われました。
年月に添へて(帝ハ亡キ)御息所(みやすんどころ)の御ことをおぼし忘るる折(をり)なし。なぐさむやとさるべき人々(ヲ)まゐらせたまへど、なずらひに(桐壺ノ更衣ニ準ズル存在デアルト)おぼさるるだにいと難(かた)き世かなと、うとましうのみよろづにおぼしなりぬるに 源氏・桐壺。
とし とぅきに しょふぇて みやしゅムどころの おふぉムことうぉ おンぼしい わしゅるる うぉり なしい。なンぐしゃむやあと しゃるンべきい ふぃとンびと まうぃらしぇ たまふぇンど、なンじゅらふぃに おンぼしゃるるンだに いと かたきい よおかなあと、うとましうのみ よろンどぅに おンぼしい なりぬるに LLLLH・HLH・HHHHHHLL・LLHHHH・LLFHHHH・LHLF。HHHHFL・LLLF・HHLL・LHHLLLHL、HHHHH・LLLLHHL・HLHHFHLFL、HHHHLHL・LLHH・LLFLHHHH
最後に、四拍の低起下二段動詞を並べます。
あたたむ【暖・温】(あたたむ LLHL) 「あたたか」は「あたたか LLHL」、「暑し」は「あとぅしい LLF」。
あらたむ【改】(あらたむ LLHL)
うらぶる(うらンぶる LLHL) 「うらやむ」(うらやむ LLHL)のところで見た、他人からは見えないものとしての「心」という意味の「うら」と、「あふれる」「落ちぶれる」を意味する下二段の「あぶる」(あンぶる HHL)とからなる「うらあぶる」のつづまった言い方のようです。
くづほる(くンどぅふぉる LLHL) 現代語の「くずおれる」は、気力が尽きて倒れたり座り込んだりすることを意味しますけれど、古くは、体力や気力の衰えることを意味しました。源氏・桐壺に、桐壺の更衣の父親は、生前、妻にこう言っていたとあります。
この人(桐壺ノ更衣)の宮づかへの本意(ほんい)、かならず遂げさせたてまつれ。我なくなりぬとて(シンデシマッタカラトイッテ)、くちをしう思ひくづほるな。
こおのお ふぃとの みやンどぅかふぇの ふぉんい、かならンじゅ とンげしゃしぇえ たてえ まとぅれ。われ なあく なりぬうとて、くてぃうぉしう おもふぃい くンどぅふぉるなあ。HHHLL・HHHHLL・LLL、HHHL・LLLFLFHHL。LH・RLLHFLH、LLLHL・LLFLLHLF。
ことつく【言付】(こととぅく LLHL) 「言(こと)」も「事(こと)」も「こと LL」です。動詞「ことつく」でも「付く」(とぅくう LF)の式は保存されません。この動詞は現代語「ことづける」のもとの言い方であり、古くも「伝言する」という意味で使えましたが、より頻繁には「かこつける」「口実にする」という意味で使いました。
したたむ(したたむ LLHL) 現代語では「手紙を認(したた)める」といった言い方でしか使いませんけれども、この語義は後世のもので、平安時代には「準備する」「後始末をする」そのほかの意味で使われました。
たまはす【給】(たまふぁしゅ LLHL) 四段の「たまふ」よりも一段敬意の強い言い方です。
ととのふ【整】(ととのふ LLHL)
ながらふ【長】(なンがらふ LLHL) 現代語「生きながらえる」などに残っています。形容詞「長(なが)し」(なンがしい LLF)からの派生語です。
例ならずおはしまして位など去らむとおぼしめしけるころ、月のあかかりけるを御覧(ごらむ)じて
心にもあらでこの世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 後拾遺・雑一860。
れいならンじゅ おふぁし まして くらうぃ なンど しゃらムうと おンぼしい めしける ころ、とぅきの あかかりけるうぉ ごらムじいて LHLHL・LHLLHH・HHHRL・HHFL・LLFLHHLHL、LLL・HHLHHLH・LLLFH / こころにも あらンで こおのお よおにい なンがらふぇンば こふぃしかるンべきい よふぁあの とぅきかなあ LLHHL・LHLHHHH・LLLHL・LLHLLLF・LFLLLLF。心ならずも生きながらえたならば、この月のことが懐かしく思われるにちがない。体調がまったくすぐれない上に、ほとんど失明状態だったという
三条天皇の歌で――『大鏡』に「御目を御覧ぜざりしこそいといみじかりしか」(おふぉムめえうぉ ごらムじぇンじゃりしこしょ いと いみンじかりしか LLHHH・LLLHLLHHL・HL・LLHLLHL)とあります――、このさき完全に目を見なくなったら、という思いで詠まれたのでしょうけれども、実際にはこう詠んだ翌年譲位したのに続き、その翌年には薨去したと言います。
ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき 新古今・雑下1843・清輔。なンがらふぇンば また こおのお ころやあ しのンばれム うしいと みいしい よおンじょお いまふぁ こふぃしきい LLLHL・HLHHHLF・HHHHH・LFLLHHL・LHHLLLF
ずいぶん長くなってしまいました。五拍以上の動詞は、割愛します。それらの多くは、
例えば「あげつらふ」(あンげとぅらふ HHHHL)は動詞「挙(あ)ぐ」(あンぐ HL)のそれから、
「よみがへる」(よみンがふぇる LLLHL)は名詞「黄泉(よみ)」(よみい LF)のそれからそのアクセントを推定できるというように、多くは特にそれ自体としてアクセントを考えるに及びません。
[「動詞の…」冒頭に戻る]
7 形容詞のアクセント(I) [目次に戻る]
ずっと以前に申したとおり、高起形容詞は低起形容詞に比べて顕著に少ないので、前者を前者と知ってしまえば式の区別は容易におこなえるのですけれども、低起形容詞の方が多いのですからそのアクセントにも慣れなくてはなりません。まず低起二拍形容詞を見てしまいます。
a 低起二拍形容詞 [目次に戻る]
終止形が二拍になるク活用の形容詞から。「無い」「良い」「濃い」が東京において①で言われるのは、往時の中央語において「無し」「良し」「濃し」が低起式だったからだと申せます。「春」「秋」のような二拍五類名詞が東国では①で言われたのと同じく、LFで言われた連体形「無き」「良き」「濃き」やそのイ音便形が①で受け止められたのだと思います。「濃し」は高起式だったと見る向きもありますけれど、秋永さんは「鎌倉期はLF型と見て差支えないと思う」(『研究』研究篇下。表記一部変更)となさいます。平安期にも、「醴」を当て「濃酒」とも書ける「こさけ」(のち「こざけ」)に和名抄が〈平平平〉(こしゃけ
LLL。「酒」は「さけ HH」でした)を差すそうですし(総合索引)、図名が「こむつ」(漿)のはじめの二拍に〈平平〉を差していますから(三拍目はたいへん平たい「ツ」への注記なので解釈できません)、古くから低起式だったと見られます。「こさけ」は「米と麹(こうじ)と酒とで一夜で醸造する酒」(広辞苑)で、諸書「甘酒の類」とします(「米(こめ)」は「こめ LL」〔「米(よね)」は「よね HH」〕、「麹(かうじ)」は「かうンじ HHH」〔<黴(かび)(かンび HH)〕)。「こむつ」は「濃水(こみづ)」(かりに「こみンどぅ LLL」としておきます)の音便形で、「米を煮た汁。おもゆ」(広辞苑)のことだそうです。
終止形が二拍になるク活用の形容詞の連用形のアクセントは、ほかの活用形のそれとは様子が少し異なりまま。「なし」(なしい LF)のような低起二拍のク活用の形容詞の連用形は古くは式を保存すべく「なあく RL」のようなアクセントで言われました。前紀49が「宜(よ)く」(=良く)に、図名が「疾(と)く」に、『問答』422が「憂く」に〈去平〉を差すのがそれを示します(後世にはHL)。全活用形のアクセントは、「なし」を例にとれば次のようです。
連用形 なく (なあく RL)
終止形 なし (なしい LF)
連体形 なき (なきい LF)
已然形 なけれ (なけれ LHL)
「憂(う)し」、それから、これはすでに申しましたが「酸(す)し」、最後に「疾」「利」「鋭」「敏」といった字を当てる「とし」も低起式です。「とっとと帰れ」の「とっとと」は「疾(と)く疾(と)くと」(早く早くと)の変化したもので、「疾(と)く」(とおく RL)は「疾(と)し」(としい LF)の連用形です。公任の「少し春あるここちこそすれ」をもってきた主殿司が清少納言に「とくとく」とせっついていました。
ちなみに「なく」「よく」「とく」などはウ音便形「なう」「よう」「とう」でも好んで使われますけれども、これらは「ノー」「ヨー」「トー」のようにではなく、「な・あ・う LHL」「よ・お・う LHL」「と・お・う LHL」のように言われたでしょう。
それから、語幹は一拍の上昇調をとったでしょう。例えば「憂し」(うしい LF)の語幹が「あな」を先立てる「あなう」(アアイヤダ)に問答・家・伏片・毘426が〈平平上〉を差しますけれども、これは「あな うう LLR」と言われたでしょう(現代でも「さむっ」「うまっ」など言うわけですが、この意味で「ううっ」とは言いませんね)。
あなうめにつねなるべくも見えぬかな恋しかるべき香ににほひつつ 古今・物の名・梅426。 あなうう めえにい とぅねえなるンべくもお みいぇぬかなあ こふぃしかるンべきい かあにい にふぉふぃとぅとぅ LLRLH・LFHLHLF・LLHLF・LLHLLLF・HHLLHHH。「梅」(ムめ HH)のアクセントは反映されません。ああいやだ。見るかぎりでは不滅にちがいないとは見えないよ。恋しく思うにちがいない香りはしているものの。
次に、終止形が二拍になるシク活用の形容詞。まず二つ並べます。
ほし【欲】(ふぉしい LF)
をし【惜・愛】(うぉしい LF)
現代京都では「ほしい」「おしい」、現代京都や現代東京の文語「欲し」「惜し」は「ほし」「おし」ですけれども、現代東京では「ほしい」「おしい」と発音されるわけで、アクセントについて言えばこの現代東京における言い方こそ平安時代の京ことばの面影を伝えると申せます。
君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな 後拾遺・恋二669。きみンが ため うぉしからンじゃりし いのてぃしゃふぇ なンがくもンがなあと おもふぃぬるかなあ HHHHL・LHLHLLH・LLHHH・LHLHLFL・LLHHHLF。小倉百人一首では第五句「思ひけるかな」(おもふぃけるかなあ LLHHLLF)。
人も愛(を)し人もうらめしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は 続後撰・雑中・1199・後鳥羽院。ふぃともお うぉしい ふぃともお うらめしい あンでぃきなあく よおうぉお おもふ ゆうぇに もの おもふ みいふぁあ HLFLF・HLFLLLF・LLLRL・HHLLHHLH・LLLLHHH
次のいくつかの形容詞も上の二つと同趣です。
あし【悪】(あしい LF) 現代語では「あしい習慣」とは言わない一方「あしき習慣」とは言うのは面白いことです。ただ平安時代の京ことばでは現代東京とは異なり「あしき」ではなく「あしきい LLF」と言われました。
いし【美】(いしい LF) 平安仮名文にはあまり登場しませんけれども、宇津保・吹上(ふきあンげ LHHH)上(おうふうp.251)に「いしき盃など、いとめづらしく、殊なり」(いしきい しゃかンどぅき なンど、いと めンどぅらしく、ことおなり。LLF・HHHLRL、HLLLLHL、LFHL)とあります。「よい」「すぐれている」という意味の言葉で、「おいしい」の「いしい」がこれであることは、しばしば話の種にされます。
くし【奇】(くしい LF) 今でも「奇しくも一致した」とか「奇しき因縁」など言います。平安時代の京ことばでは「奇しくも」は「くしくも」ではなく「くしくもお LHLF」など言われました。
けし【怪】(けしい LF) 現代語「けしからぬ」は「けしくあらぬ」のつづまったものであり、それが「よくない」といった意味を持つのですから、「けし」は「よい」という意味になりそうですけれども、実際には「けし」(けしい LF)は「怪し」とも「異し」とも書く、「異様である」「よくない」といった意味の言葉です。なお、平安時代の京ことばでも「けしからず」(けしからンじゅ LHLHL)は〝けしからない〟を意味しますけれども、不思議なことに「けしうはあらず」(けしうふぁ あらンじゅ LHLHLHL)――くどいようですが「ケシュー」ではなく「け・し・う」です――は「悪くない」「なかなかよい」を意味します。
伊勢物語の第二十一段に「けし」の連用形があらわれます。以下に煩を厭わず全体を引きます。石田さんや渡辺(実)さんの注釈に異を立てることになります。長いので三つに分けます。
昔、男、女、いとかしこく思ひかはして異心(ことこころ)なかりけり。さるを、いかなることかありけむ、いささかなることにつけて世の中を憂しと思ひて、いでて往なむと思ひて、かかる歌をなむ、詠みてものに書きつけける。
いでていなば心かるしと言ひやせむ世のありさまを人は知らねば
とよみおきて、いでていにけり。
むかし、うぉとこ、うぉムな、いと かしこう おもふぃい かふぁして ことおこころ なあかりけり。しゃるうぉ、いかなる ことかあ ありけム、いしゃしゃかなる ことに
とぅけて よおのお なかうぉ うしいと おもふぃて、いンでて いなムうと おもふぃて、かかる うたうぉなムう、よみて ものに かきい とぅけける。/
いンでて いなンば こころ かるしいと いふぃやあ しぇえムう よおのお ありしゃまうぉ ふぃとふぁ しらねンば/と
よみい おきて、いンでて いにけり HHH、LLL、HHL、HL・LLHL・LLFHHLH・LFLLH・RLHHL。LHH、HLHLLLFLHLH、LLHLHLLLHLHH・HHLHH・LFLLLHH、LHHHHFL・
LLHH、HLHHLHLF、LHH・LLHLFLHHL。/ LHHHHL・LLHHHFL・HLFHH・HHLLLLH・HLHHHHL / L・LFHLH、LHHHHHL。
「異心(ことごころ)」のはじめの二拍は「ことお LF」と発音されます。袖中抄が「異氏(ことうぢ)」と「異夫・異妻(ことつま)」とにいずれも〈平上上平〉を差します。「氏(うぢ)」も「夫・妻(つま)」もHLで(うンでぃ、とぅま)、「ことうぢ」「ことつま」がLLHLのようなアクセントにならないのは「異」のアクセントが生かされるからである点、図名が「溟渤(おほきうみ)」(=大海)に〈平平東平上〉(おふぉきいうみ LLFLH)を与えるのと同趣だと申せます(「海」は「うみ LH」)。「異(こと)なになに」は一語の複合名詞をなさないようなのです。袖中抄の〈平上上平〉はLHHLではなくLFHLと解せらるべきでしょう。
昔、さる男女がたいそう仲よく暮らしていましたけれども、何があったのか、些細なことで一方が今のような関係はもういやだ思って、「私が出て行ったら、人びとから浮気性だと言われてしまうだろう。人びとは二人の実際のありようを知らないので」という歌を、例えばバスルームにルージュでそうするように、家のどこかに書きつけて、出て行きました。――さてパートナーに愛想を尽かして出て行ったのは、男でしょうか、女の人でしょうか。何と後者と見るのが多数派のようですけれども、ただ石田さんよれば、『古今六帖』はこの「いでていなば」の歌(ただし「心かろし(こころ かろしンい LLHHHF)」「人はしらずて(ふぃとふぁ しらンじゅて)」)を「業平或本」(業平の歌であると或る本にある、と言うならん)として載せるようです。以下の場面の主語をどう見るかを考えても、出て行ったのは『古今六帖』の注記のとおり業平とおぼしき男だと思います。
この女(をんな)、かく書き置きたるを、けしう心置くべきこともおぼえぬを、何によりてかからむといといたう泣きて、いづ方に求めゆかむと門(かど)にいでて、と見みかう見、見けれど、いづこをはかりともおぼえざりければ、かへり入りて、
思ふかひなき世なりけり年月をあだにちぎりて我や住まひし
といひてながめをり。(女ノ人ハマタコウモ詠ミマシタ。)
人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとど見えつつ
こおのお
うぉムな、かく かきい おきたるうぉ、けしう
こころ おくンべきい こともお おンぼいぇぬうぉ、なにに よりて
かからムと いと いたう なきて、いンどぅかたに(ないし、いンどぅかたに)もと
めえ ゆかムと、かンどに いンでて とお みいい、かう みいい、みいけれンど、いンどぅこうぉ ふぁかりと
もお おンぼいぇンじゃりけれンば、かふぇりい いりて HHHHL、HLLFHLLHH、LHL・LLHHHHFLLF・LLLHH、LHHHLH・HLLHL・HLLHL・HLH、LHHHH(ないしLHHLH)・LLFHHHL・HLHLHH・Lℓf、HLℓf、RHLL、LHHH・LHLLF・LLHLHHLL・LLFHLH、
/おもふ かふぃ なきい よおなりけり とし とぅきうぉ あンだに てぃンぎりて われやあ しゅまふぃし/と いふぃて なンがめえ うぉり。/ふぃとふぁ いしゃあ おもふぃやあ しゅうらム たまかンどぅら おもかンげえにのみい いとンど みいぇとぅとぅ/LLHHH・
LFHLHHL・LLLLH・HLHHHLH・LHFLLLH/L・HLHLLFHL。/HLHLF・LLHFFLH・LLLLH・LLLFHLF・HHHLHHH
女の人は、男がこんなふうに書いておいたので、あの人が私をけしからんと嫌うような出来事も思い出せないのに、どうしてこうなったのだろう、と思ってひどく泣きました(ここの「けしう」は「けしと」と同じこと。「うれしく思ふ」が「うれしと思ふ」を意味するのと同じです)。彼女は、男に出てゆかれてしまった理由について心当たりがありません。しかし男は、自分が出てゆくと自分のせいだと世人に誤解されると言うのですから、悪いのはあっちだと思っているようです。すると例えば、誰かがあなたの妻はよろめいているとでも男に讒言し、男が愚かにも信じたのかも知れません。ともあれ女の人は、どこへ探しに行こうかと、門前でと見こう見しましたけれど、どこを目当てにすればよいのか分からなかったので、家にもどって、報われない愛だったわ、本気の本気でいつまでも一緒だと約束したのに、と詠んでぼんやりしていました。こうも詠みました。あの人はまだ私を思ってくれているのだろうか、だからこうしてまぼろしを見ているのだろうか。
この女、いと久しくありて、念(ねむ)じわびてにやありけむ、言ひおこせたる、
今はとて忘るる草の種をだに人の心に蒔かせずもがな
かへし、
忘れ草植うとだに聞くものならば思ひけりとは知りもしなまし
またまた、ありしよりけに言ひかはして、男、
忘るらむと思ふ心のうたがひにありしよりけにものぞ悲しき
かへし、
なかぞらに立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
とは言ひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。
こおのお うぉムな、いと ふぃしゃしく ありて、ねムじい わンびてにやあ ありけム、いふぃ おこしぇたる、/いまふぁとて、わしゅるる くしゃの たねうぉンだに ふぃとの こころに まかしぇンじゅもンがなあ HHHHL、HLLLHLLHH・LLFHHLHFLHLH、HLHHLLH、/LHHLH・HHHHLLL・LHHHL・HLLLLHH・LLHLHLF/かふぇし、/
わしゅれンぐしゃ ううとンだに きく
ものならンば おもふぃけりとふぁ しりもお
しいなましい/また また、ありしより けえに いふぃ かふぁして、うぉとこ、/わしゅるらムうと おもふ こころの うたンがふぃに
ありしより けえに ものじょお かなしきい
LLL、/HHHHL・HLLHLHH・LLHLL・LLHHLLH・HLFFHHF/HLHL、LLHLLRH・HLHHLH、LLL、/HHLLFL・LLHLLHL・HHHHH・LLHLLRH・LLFHHHF/かふぇし、/なかンじょらに たてぃい うぃる くもの あとも なあく みいのお ふぁか なあくもお なりにけるかなあ/とふぁ いふぃけれンど、おのンが よお よおにい なりにけれンば、うとく なりにけり。/LLL、/LLLHH・LFHHLLL・LHLRL・HHLLRLF・LHHHLLF/LH・HLHLL、HHHHHH・LHHHLL、HHLLHHHL。
この女の人は、ずっと経ってから、言わずにはいられなくなったのか、あなたはもう私とは終わりだといって私のことを忘れようとしているかもしれませんけれども、そんなことはしないでください、忘れ草の種をご自分の心に蒔かないでください、と詠み送ったところ(例えば「私はあなたにそのようなものを食べさせたくない」は「そのようなものを食べないでください」に近いわけです)、男はこう返しました。「私は忘れ草を植えます」とはあなたはおっしゃらないのですね、もしせめてそうおっしゃるなら、(私のことをすでに思っていないならば忘れ草を植えようとはしないでしょうから)私のことをまだ思ってくれているのだと承知するでしょう。「忘れ草を植えます」と言わない以上あなたはもう私のことを思っていないのですね、と男は言っているかのようですけれど、これはわざと意地悪な言い方をしているので(返歌ではこうした意地悪は珍しくないのでした)、相手の気持ちは分かっているわけです。「忘れ草なんて植えません」と宣言してもまだ思っているということを表明することになり、「忘れ草を植えます」と宣言しても同じことを表明することになるのが面白いところです。
残りは簡単に。二人のあいだには、のちには以前よりも頻繁に歌の贈答があって、例えば男が「あなたは私の心を疑って、もう忘れられているだろう、と思っているようですが、そのことで私は以前よりもずっと悲しい」と詠み(「らむ」は飽くまでも現在推量です)、女の人が「忘れられてはいないものの来ていただけないという私の今のありようは空の雲みたいなもので、雲は最後にはどこかに消えてしまいますけれど、私もそんなふうになってしまいました」と返しました。新古今はこの最後の歌の最後を「身のはかなくもなりぬべきかな」(みいのお ふぁかなあくもお なりぬンべきいかなあ HHLLRLF・LHHHFLF)とします。こちらのほうがよさそうです。
終止形が二拍になる形容詞は、ここまでのところすべて低起式でしたけれども、二拍形容詞「狭(さ)し」は例外のようです。色葉字類抄が「狭」に「さし」〈上平〉を、改名の一本が「窄」に「さし」〈上平〉を、改名のいま一本が「狭」に「さじ」〈上平〉を差します。いずれもそのままでは
形容詞のアクセントや語形になりませんけれども、これらにおける平声点は東点の写し間違い、濁音は特異な読み癖と見て、「しゃしい HF」という形容詞があったと考えるのが自然です。総合資料もそう見ています。ちなみに色葉字類抄には「さみす」 〈上平上〉(しゃみしゅう HLF)という注記もあって、これは「重し」(おもしい HHF)から現代語「重んじる」の前身「重みす」(おもみしゅう HHLF)ができたようにこの「狭(さ)し」からできた、「狭いとする」「狭いと思う」という意味の言い方です。
「窮屈だ」そのほかを意味する多義語「所狭(せ)し」の「狭(せ)し」はその変化したものでしょう。するとこの形容詞、ないし名詞と形容詞とからなる連語は「ところしぇしい HHHHF」と言われたのです(「ところ」は「ところ HHH」)。なお「狭(せま)い」の古形「せばし」は「しぇンばしい LLF」で、「狭(さ)し」「狭(せ)し」とは式を異にします。
b 東京アクセントが参考になる高起形容詞 [目次に戻る]
まず、往時の中央語のアクセントの名残の見られる高起形容詞を二十あまり並べます。いずれも終止形が三拍か四拍になるものです。申したとおり、平安時代の京ことばでは高起形容詞は低起形容詞に比べてずっと少なく、その多くは高起動詞や高起名詞から派生したために高起式なのだと申せます。
i 終止形が三拍になるク活用の高起形容詞
あかし【赤・明】(あかしい HHF) 「あかるい」(この形容詞の成立は近世のようです)も意味できることは周知です。下二段の「明く」(あく HL)と関係があるので高起式、と思ってよいのでしょう。現代東京で「あかい」と発音するところに往時の中央語の発音がしのばれます。
あさし【浅】(あしゃしい HHF) 今の「褪せる」に当たる下二段「褪す」(あしゅ HL)と同根ゆえ高起式、ということができるようです。昔の東京では「褪せる」は「あせる」とも言えたようなのでした。
あつし【厚】(あとぅしい HHF) 適当な動詞と結びつけるとしたら四段「当たる」(あたる HHL)、下二段「当つ」(あとぅ HL)くらいしか思いつきませんけれども、これはこじつけにしかならなそうです。「熱し」は「あとぅしい LLF」。
あまし【甘】(あましい HHF) 「飴」(あめ HH)と関係があるようです。甘いので飴なのでしょうか。それとも飴が先にあってその味を甘いというようになったのでしょうか。
あらし【荒・粗】(あらしい HHF) 「荒れる」に当たる「荒る」(ある HL)と関係のあることは明らかです。
秋の田の仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫をあらみ我がころもでは露にぬれつつ 後撰・秋中302・天智天皇。あきいの たあのお かりふぉの いふぉの とまうぉ あらみ わあンがあ ころもンでふぁ とぅゆうに ぬれとぅとぅ LFLLL・HHHHLLL・HHHHHL・LHHHHHH・LFHHLHH。「かりほ」は袖中抄が〈上上上〉を差しています。「かりいほ」のつづまったものでこちらには毘306が〈上上○上〉を与えます。「苫」(とま HH)は『26』も『43』も⓪としますが、『58』で⓪①。今は①が多そうです。「苫屋」も「とまや HHH」でよいのでしょう(HH+R→HHH)。
うすし【薄】(うしゅしい HHF) 「失せる」に当たる「失(う)す」(うしゅ HL)が高起式であるのと結び付けたいような気もします。実際そう見る辞書もあります。
おそし【遅】(おしょしい HHF) 偶然の一致でしょうけれども、「予定されている進行具合よりも実際のそれが遅くなっている」ことを「時間が押している」と言いますね。さて「押す」は高起式で、「おしゅ HL」と言われたのでした。
ちなみに、「遅く…する」は平安仮名文では「なかなか…しない」という意味でよく使われました。例えば『今昔』のある説話(25-4)に次のようにあります。
夜、あけぬれば、介(すけ)、朝(つとめて)おそく起くれば、郎等(らうどう)、粥をくはせむとてその由を告げによりてみれば、血じしにて死にて臥したり。
よお、あけぬれンば、しゅけ、とぅとめて(後半二拍推定) おしょく おくれンば、らうンどう(近世HHHLからの推定)、かゆうぉ くふぁしぇムうとて、しぉおのお よしうぉ とぅンげに よりて みれンば、てぃンじしにて しにて ふしたりい。L、HLLHL、HH、LLLL、HHLLLHL、LLLL、HHHLLLFLH・HHHHH・HLH・HLHLHL、HHHHH・HHH・LHLF。「血」は「てぃい H」、「肉(しし)」は「しし LL」ですから、「血みどろ」を意味するらしい「血肉(ちじし)」(岩波文庫の読み)は「てぃンじし HHH」と言われた可能性が高いでしょう。改名が「赤痢」を「ちぐそ」(血糞)と訓み〈上上上〉(てぃンぐしょ HHH。「糞」は「くしょ LL」でした)を与え、また梅・顕天片・顕大・訓1079が「水草(みくさ)」に〈上上上〉(みくしゃ HHH。「み」は「みづ」〔みンどぅ HH〕に同じ、「草」は「くしゃ LL」)を与えます。現代語では「おそく起きる」は結局は起きる時に言うわけで、上の文脈ではその言い方はできません。
おもし【重】(おもしい HHF)
かたし【難・固】(かたしい HHF) 下二段の「固む」は「かたむ HHL」でした。
かろし【軽】(かろしい HHF) 「かるし」とも言いましたが、「かろし」が好まれました。下二段の「枯る」(かる HL)と結びつける向きもありますけれども、この語源説はほかにそれらしい候補がないという理由によってとられたものに過ぎないかもしれません。なお注意すべきことに、「かろがろし」は低起式のようです(かろンがろしい LLLLF)。
くらし【暗】(くらしい HHF) 下二段「暮る」(くる HL)と関係があるでしょう。
つらし【辛】(とぅらしい HHF) 古今異義語でもあり、今と同じ意味のほかに、「薄情だ」「冷たい」といった意味もあるのでした。四段の「釣る」も、下二段の「連る」も「とぅる HL」ですけれども…。
とほし【遠】(とふぉしい HHF) 動詞と関連付けようとしたら「問ふ」(とふ HL)くらいしかありませんけれど…。
ⅱ 終止形が三拍になるシク活用の高起形容詞
かなし【悲】(かなしい HHF) 「何々しかねる」など言う時の「かねる」に当たる下二段動詞「かぬ」(かぬ HL)は高起式と考えられるのでした。「悲し」とこの動詞とを結びつける向きもあって、確かに式は一致するわけですけれど、ややこじつけめく気もします。
やさし(やしゃしい HHF) 「身が痩せてしまいそうだ」「恥ずかしい」といった意味だったことはよく知られていて、実際「痩せる」に当たる下二段動詞「痩す」は高起式です(やしゅ HL)。「易しい」という意味も、「性格が温和だ」という意味もなかったことも周知のとおり。「優美だ」といった意味はあるのでした。
世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 万葉893・憶良。
よおのお なかうぉ うしいと やしゃしいと おもふぇンどもお とンび たてぃい かねとぅう とりにし あらねンば HHLHH・LFLHHFL・LLHLF・HLLFHLF・HHHLLLHL
ⅲ 終止形が四拍になるク活用の高起形容詞
あやふし【危】(あやふしい HHHF) 「あやぶむ」は「あやぶむ HHHL」でした。血(てぃい HH )や汗(あしぇえ LF)や乳(てぃてぃ LH)などがしたたり落ちることを意味する「零(あ)ゆ」(あゆ HL)という下二段動詞や、それらをしたたらせることを意味する「零(あや)す」(あやしゅ HHL)という四段動詞があって、岩波古語はこれらを同根とします。「肖(あやか)る」を意味する「肖(あ)ゆ」――派生語として「あやかりもの」を意味する「あえもの」(あいぇもの LLLL)を持ちます――は「あゆう LF」で別語。
けぶたし【煙】(けンぶたしい HHHF) 煙が「けぶり HHH」なので高起式です。
たやすし【容易】(たやしゅしい HHHF) 同義語「たはやすし」は当然に「たふぁやしゅしい HHHHF」なのでしょう。「やすし」(やしゅしい LLF)が「たばかる」(たンばかる HHHL)や「たなびく」(たなンびく HHHL)のところで見た接辞を先立てた言い方です。
つめたし【冷】(とぅめたしい HHHF) 「爪」は「とぅめ HH」で、「爪痛し」(とぅめ いたしい HHLLF)という語源説は正しいと思われます。
ねぶたし【眠】(ねンぶたしい HHHF) 「ねむたし」の古形。下二段の「寝」(ぬう F)も、「眠る」の古形「ねぶる」(ねンぶる HHL)も高起式で、「ねぶたし」が「ねぶり 甚(いた)し」(ねンぶり いたしい HHHLLF)に由来するかとされるのは尤もです。
c 昔の東京のアクセントが参考になる高起形容詞 [目次に戻る]
次に、昔の東京のアクセントには往時の中央語のアクセントのおもかげの認められる言葉を数個、並べます。
むなし【虚・空】(むなしい HHF) 「むなしい」は、『26』『43』が⓪、『58』が③⓪、『89』が③とする言葉で、変遷がきれいにたどれます。昔の東京では「むなしい」と言ったのですね。さて「むなし」はやはり、言われているとおり「実(み)無し」の転じたものでしょう。「実(み)」は京都では古来「みい H」で、この言葉には昔も「中身」という意味があります。なお、古くは「むなし」は物理的な意味でも使われました。
人もなきむなしき家はくさまくら旅にまさりて苦しくありけり 万葉集451。ふぃともお なきい むなしきい いふぇふぁ くしゃまくら たンびに ましゃりて くるしく ありけり HLFLF・HHHFLLH・LLLHL・HLHHHLH・LLHLLHHL。大伴旅人(おふぉともの たンびと LLHHH・HHH)の歌で、冒頭の「人」は、大宰帥(だざいのそち)として太宰府に下る夫に同道し、かの地でなくなった妻・大伴郎女(おふぉともの いらとぅめえ LLHHH・LLLR)のこと。「むなしき」は詠み手の気持ちでもありましょうけれど、直接的には誰も住んでいない家のありさまを言っています。
よろし【宜】(よろしい HHF) 「よろしい」は『26』も『43』も『58』も⓪とします。『89』では③④⓪ですから、東京で「それでよろしい。」と言わなくなったのは割合最近のことのようです。平安時代の京ことばではこの形容詞は、周知のとおり「まあまあだ」「普通だ」といった意味で使われました。高起四段の「寄る」(よる HL)から派生した言葉で、当初は「近寄りたくなる感じだ」といった意味だったということかもしれません。それが本義だとしても平安時代にはすでに完全なる転義において使われていますけれども、これとかれとは別問題です。
をぐらし【小暗】(うぉンぐらし HHHF) 「おぐらい」は、『89』が「『薄暗い』意の雅語的表現」とする言葉です。その『89』はこの形容詞を③④とし、『43』も③としますが(『58』は立項せず)、『26』は⓪とします。「おぐらい」だったのです。
長月のつごもりの日、大井にて詠める
夕月夜(ゆふづくよ)小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ 古今・秋下312。
なンがとぅきの とぅンごもりの ふぃい、おふぉうぃにて よめる LLHLL・LLLLLF・LLHHH・LHL / ゆふンどぅくよ うぉンぐらの やまに なく しかの こうぇえの うてぃにやあ あきいふぁ くるらム HHHHL・HHHHLLH・HHLLL・LFLHLHF・LFHHLLH。おぐらい小倉の山に鳴く鹿の声の聞こえる中、秋は暮れてゆくようだ。秋の終わりの日に詠んだと詞書にあるので、月は出ていません。すなわち「夕月夜」は実景ではなく、地名の「小倉」、というよりもむしろ「小暗し」を起こす枕詞です。ちなみに、「鹿」は往時の都では「しか
LL」ですが、こういうアクセントの言葉は東京では②になりやすい。現代東京では「鹿」は⓪で言われることが多いわけですけれども、古くは②だったのではないか?
――果たして『26』も『43』も「鹿」を②とします。『58』も「②、(新は⓪)」とします。
かうばし【香・芳】(かうンばしい HHHF) 「かぐはし」の音便形ですが、平安仮名文ではもっぱら「かうばし」が使われます。「かぐはし」は「香」(かあ H)と、「細」のほか「美」「麗」なども当てられる「くはし」(くふぁしい LLF)――平安時代には既に「詳しい」の意味でしか使われなくなります――からなる言葉です。『26』は「かうばし」を⓪とし(「かうばしい」は立項せず)、『43』は「こうばしい」を⓪とします。その「こうばしい」を『58』は⓪④とし、『89』は④とします。昔は「こうばしい」だったのです。そうそう、現代語では「こうばしい」と「かんばしい」とは別のことばであり交換できませんけれど、いずれも「かうばし」(かうンばしい HHHF)から分かれたものなのでした。
むつかし(むとうかしい HHHF)。現代語「むずかしい」の古形で、古くは「困難だ」は意味しませんでした。現代語で「子供がむずかる」と言いますが、これは「不機嫌になる」といった意味の「むつかる」(むとぅかる HHHL)の後身です。「むつかし」はこの高起動詞と関係があって、古くは「不機嫌である」「不快だ」「いやだ」といった意味で使われました。『26』は「むづかし」および「むづかしい」を⓪、『43』は「むずかしい」を⓪、「むつかしい」を④、『58』は「むずかしい」および「むつかしい」を⓪、『89』は「むずかしい」および「むつかしい」を④⑤⓪とします。
わづらはし【煩】(わンどぅらふぁしい HHHHF) 「煩ふ」は「わづらふ HHHL」でした。『26』は「わづらはし」も「わづらはしい」も⓪とし、「わずらわしい」は『43』が⑤、『58』は⓪⑤、『89』は⑤とします。
人妻はあなわづらし東屋の真屋のあまりも馴れじとぞ思ふ 源氏・もみぢの賀。ふぃとンどぅまふぁ あな わンどぅらふぁし あンどぅまやの まやの あまりもお なれンじいとンじょお おもふ HHLLH・LLHHHHH・LLLLL・HHHLLLF・LLFLFLLH
d 昔の東京のアクセントも参考にならない高起形容詞 [目次に戻る]
昔の東京のアクセントからも高起式であることを類推できない形容詞を並べます。二十足らずあります。高起式の形容詞はこれでだいたい全部で、高起式のものを高起式だと知れば、あとは低起式と思ってよいようです。
まず、三拍ク活用のもの。うとし【疎】(うとしい HHF) 「うとむず」(うとムじゅう HHLF) や「うとむ HHL」のところで見ました。「うとまし」(うとましい HHHF)も高起式でした。「うとし」の高起性を「身」(みい H)のそれと結びつける向きもありますけれど、動詞「うとむ」が高いから高い、と見ておけばよいのではないでしょうか。
さとし【聡】(しゃとしい HHF) 動詞「諭す」は「しゃとしゅ HHL」、名詞は「諭し」は「しゃとし HHH」でした。
しるし【著】(しるしい HHF) 「記す」(しるしゅ HHL)や「印・験」(しるし HHH)と同根の言葉で、「はっきりしている」といった意味で使うほかに、例えば「…と思ひしもしるく」で「…と思ったとおり」といった意味が出ます。
のたまひしもしるく、いさよひの月をかしき程に(光ル源氏ハ末摘ム花ノ屋敷ニ)おはしたり。源氏・末摘む花。
のたまふぃしも しるく、いしゃよふぃの とぅきの うぉかしきい ふぉンどに おふぁしたりい。HLLLHL・HHL・LLLLLLLL・LLLFHLH・LHLLF。
すごし【凄】(しゅンごしい HHF) 名高い古今異義語。平安時代には「寒く冷たく、荒涼としていて、ぞくっとする感じだ」といった意味で使われました。動詞からの派生ではないかと思って候補を探しても、「挿げる」の古形「しゅンぐ HL」くらいしか見当たりません。つまりは分からないということです。
忘れずは思ひおこせよ夕暮に見ゆればすごき遠(をち)の山影 和泉式部集。わしゅれンじゅふぁ おもふぃい おこしぇよお ゆふンぐれに みゆれンば しゅンごきい うぉてぃの やまかンげえ HHHLH・LLFHHLF・HHHHH・LLHLHHF・HLLLLLF。「山影」のアクセントは同趣の「唐琴(からこと)」などに倣った推定です。「山」は「やま LL」、「影」(=姿)は「かンげえ LF」。ちなみに歌は、名高い「帥宮(そちのみや)挽歌群」の一つ。第一二句は、私のことをお忘れになっていないならば、今あなたのいらっしゃるところからこちらに思いを送ってください、というのでしょう。すると、夕暮に姿をあらわす何とも荒涼とした印象を与える山影とは何なのでしょう。和泉式部が宮と並んで眺めた景色なのでしょうか。そうでもあるのでしょうけれど、今、和泉は亡き宮に思いをはせているわけですから、「うぉてぃの やまかンげえ HLLLLLF」は、その向こうに亡き宮のいるところのものとして見るべきでしょう。
次に三拍シク活用のもの。
あつし【篤】(あとぅしい HHF) 「あづし」という言い方は平安中期にはまだなかったようです。源氏・桐壺のはじめ近くの次の一節(一部はすでに引きました)を思い出される向きも少なくないでしょう。
あさゆふの宮づかへにつけても人(=諸先輩ヤ同僚)の心をのみ動かし恨みを負ふつもりにやありけむ、(桐壺ノ更衣ハ)いとあつしくなりゆき、もの心ぼそげに里がちなるを、(帝ハ)いよいよあかずあはれなるものにおぼして
あしゃゆふの みやンどぅかふぇに とぅけても ふぃとの こころうぉのみい うンごかし うらみうぉ おふ とぅもりにやあ ありけム、いと あとぅしく なりい ゆき、ものこころンぼしょンげに しゃとンがてぃなるうぉ、いよいよ あかンじゅ あふぁれえなる ものに おンぼして LL、HHH・HHHHLH・LHHL・HLLLLHHLF・LLHL・LLLHLH・HHHHF・LHLH、HLHHHL・LFHL、LLLLLLLLH・HHHHLHH、HHLL・LHLLLFHLLLH・LLHH。冒頭の「あさ、ゆふ」について一言。例えば「天および地」という意味の「あめつち」に諸書が〈平上平平〉を差していて(総合索引)、同書はこの注記について「古くはLFLLか」と説きます(あめえ とぅてぃ)。古くは名詞を並列させるのに「と」のような助詞を置かない言い方も頻繁になされたことは周知です。例えば『土左』の一月五日の記事に「かぜ、なみ、やまねば、なほおなじところにあり」(かンじぇ、なみ、やまねンば、なふぉお おなンじ ところに ありい HH、LL、HHHL、LF・LLHHHHHLF)とありますけれども(この「おなじ」は語幹ゆえLLH)、現代語では「風、波がやまないので」とはあまり言いません。図名の「あめつち」も、一つの四拍語というよりもむしろ二拍語の連続した言い方です。上の「あさゆふ」も、①で言われる現代東京の「あさゆう」とは異なり、平安時代の京ことばとしては単なる二語の連続として言われたでしょう。
ゆかし(ゆかしい HHF) 「行きたい」「見たい」「聞きたい」といった意味の古今異義語。「行く」(ゆく HL)から式は明らかです。
わびし(わンびしい HHF) 「詫ぶ」(わンぶHL)に由来します。
次は四拍ク活用のもの。
たふとし【尊】(たふとしい HHHF) この「た」は言及済みの接辞で、残った「ふとし」は、「太敷(ふとし)く」「太占(ふとまに)」などにあらわれる美称の接辞と関連のある「太し」(ふとしい LLF)のようですから、ハ行転呼の完了後も「たふとし」と言われたかもしれません。
つたなし【拙】(とぅたなしい HHHF)
次は四拍シク活用のもの。
あたらし【惜・可惜】(あたらしい HHHF) 「新(あたら)し」は「あたらしい LLLF」。「惜(あたら)し」「可惜し」は「あたらしい HHHF」で、「もったいない」「惜しい」を意味します。古風な現代語として「あたら若い命を」といった言い方をするその「あたら」に由来するようです。
あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや 後撰・春下103。あたら よおのお とぅきと ふぁなとうぉ おなンじくふぁ あふぁれえ しれらム ふぃとに みしぇンばやあ HHHLL・LLHLLHH・LLHLH・LLFHLLH・HLHLHLF。折角の月と花とを、どうせならものの情趣のわかる人に見せたい。「あたらよ」を一語と見る向きもあって、その場合「あたらよ HHHH」の可能性が高いと申せますけれど、「あたら」を一語の連体詞と見る向きもあって、こちらに拠りました。
四拍シク活用の高起形容詞の中には、次のように動詞由来のものもあります。
あさまし(あしゃましい HHHF) 「驚きあきれるばかりだ」といった意味の、名にし負ふ(なあにし おふ)古今異義語です。源氏・東屋(あンどぅまや LLLL)で、匂ふ宮(にふぉふ みや LLHHH)は、浮舟をごく間近で見つつ、「あさましきまで貴(あて)にをかしき人かな」(あしゃましきいまンで あてに うぉかしきい ふぃとかなあ HHHHFLH・HHH・LLLF・HLLF。あきれるくらい上品で美しい人だな)と思っています。この形容詞にこうした意味のあるのは、動詞「あさむ」(あしゃむ HHL)に「驚きあきれる」といった意味があるからですけれども、対象を肯定的に評価する時にも使うこの「あさむ」や「あさまし」が「浅し」(あしゃしい HHF)に由来するのは面白いことです。転義は本義に還元できないのでした。
むつまし(むとぅましい HHHF) 「むつまじい」の古形。平安時代には動詞は「むつぶ」(むとぅンぶ HHL)、形容詞は「むつまし」(むとぅましい HHHF)なのでした。
今度は五拍シク活用のもの。
おぼおぼし【朧々】(おンぼおンぼしい HHHHF) 「はっきりしない」といった意味の言葉で、「記憶がおぼろだ」など言う時の「おぼろ」(おンぼろ HHL)と同根です。かかやかし【輝】(かかやかしい HHHHF) 今と同じ意味のほかに、「顔から火が出る感じだ」といった意味もあります。「輝(かがや)く」の古形「かかやく」(かかやく HHHL)が「顔から火が出る」を意味できたので当然、ということになります。
さうざうし(しゃうンじゃうしい HHHHF) 高起式と推定されるのでここに置きます。現代語の「騒々しい」とは別の、「物足りない」「寂しい」といった意味の言葉で、識者の見るところ、「索々(さくさく)」という熟語を形容詞化したもののようです。それならばこの「索」は「興味索然とする」など言う時の「索」と思えばよいのでしょう。さて「索」を「さく」と訓むということはこれは漢音だということで、詳細は省きますが、例の「漢字古今音資料庫」によれば全清ですから(入声であることは自明)、平安時代の日本の都では、アカデミックには「shak H」、一般には「しゃく HH 」と言われたでしょう。すると「さうざうし」は「しゃうンじゃうしい HHHHF」と発音されたと考えられます。
はなはだし(ふぁなふぁンだしい HHHHF) 副詞「はなはだ」(ふぁなふぁンだ HHHL)は固い言い方で、平安仮名文にはあまりあらわれません。『土左』の二月四日の記事にあらわれますけれども、梶取の男が言うのです。
かぢとり、「けふ、かぜ、くものけしき、はなはだあし」といひて、ふねいださずなりぬ。しかれどもひねもすになみかぜたたず。かンでぃとり、「けふ、かンじぇ、くもの けしき、ふぁなふぁンだ あしい」と いふぃて、ふね いンだしゃンじゅ なりぬう。しかれンどもお ふぃねもしゅに なみかンじぇ たたンじゅ HHHL「LH、HH、LLLLLL、HHHLLF」L・HLH、LH・LLHLLHF。LLHLF・HHLLH・LLHHLHL。
まがまがし【禍々】(まンがまンがしい HHHHF) 「曲がる」(まンがる HHL)と同根ともされます。確かに式は同じです。
をこがまし【烏滸】(うぉこンがましい HHHHF) 「馬鹿みたいだ」といった意味の古今異義語。名詞「をこ【烏滸】」(うぉこ HH)に由来します。
最後に、六拍ク活用の言葉を一つ。
かたじけなし【忝】(かたンじけなしい HHHHHF) 「型」(かた HL)、「形」(かたてぃ HHH)などと関係ありとされることもあるようです。確かに式は共通しますけれども。
e 低起三拍形容詞 [目次に戻る]
繰り返しになりますけれども、高起形容詞にだけ慣れてしまってはいけません。ここで現代語にもある低起三拍形容詞を並べます。いずれも東京において②で言われる言葉です。高起形容詞よりもずっとたくさんあることが如実に分かります。あつし【暑・熱】(あとぅしい LLF)
あはし【淡】(あふぁしい LLF)
あをし【青】(あうぉしい LLF)
いたし【痛・甚】(いたしい LLF)
うまし・むまし【旨・美】(ムましい LLF) どちらを書いても初拍は「梅」(ムめ HH)のそれなどと同じく「ム」です。
かゆし【痒】(かゆしい LLF) 『宇治拾遺物語』106「滝口道則、術(=妖術)を習ふこと」に、「男、前(まへ)のかゆきやうなりければ、さぐりてみるに、もの、なし」(うぉとこ、まふぇえの かゆきい やうなりけれンば、しゃンぐりて みるに、もの、なしい。LLL、LFL・LLFLLHLHLL、HHLHLHH、LL、LF)とあります。昔も「もの」という言葉をこう使うことができたのでした。面白い話なので、未読の殿方はご一読を。
からし【辛】(からしい LLF) 「辛子」は「からし LHL」でした。
きよし【清】(きよしい LLF) 部屋にごみがない、というような物理的な意味でもこの言葉を使えるのでした。「きれいに忘れる」という意味で「きよく忘る」(きよく わしゅる LHLHHL)と言うこともできます。。
くさし【臭】(くしゃしい LLF) 「腐(くさ)る」は「くしゃるう LLF」、「糞(くそ)」は「くしょ LL」でした。いずれも同根でしょう。
くろし【黒】(くろしい LLF)
こはし【強】(こふぁしい LLF) この「こは」は、「こわばる」「ごわごわする」の「こわ」「ごわ」です。「御強」と書いて「おこわ」と読みますけれども、平安時代にはこれは「強飯(こはいひ)」と言われ、「こふぁいふぃ LLLL」など発音されました。ちなみに普通のご飯は「姫飯(ひめいひ)」と呼ばれたようです。「姫」は「ふぃめ HL」、「飯(いひ)」は「いふぃ LL」ですけれども、「ひめいひ」は生憎、「ふぃめいふぃ HHHH」か「ふぃめいふぃ HHHL」か「ふぃめいふぃ HHLL」かだろうという以上のことは分かりません。
さむし【寒】(しゃむしい LLF)
しろし【白】(しろしい LLF)
せばし【狭】(しぇンばしい LLF) 「せまし」の古形で、「狭(せ)し」(しぇしい HF)とは式が異なるのでした。
たかし【高】(たかしい LLF) 「高くなる」を意味する「闌ける」は「たくう LF」なのでした。
ちかし【近】(てぃかしい LLF) 平安仮名文には「近寄る」という動詞は出てきません。「近づく」はあって、これは「てぃかンどぅく LLHL」と言われたでしょう。漢語「近隣」を砕いたらしい「ちかどなり」という名詞もあって、『宇津保』や『源氏』や『今昔』に出てきます。おそらくそれは「てぃかンどなり LLLHL」と言われたでしょう。「隣」は「となり HHH」です。
つよし【強】(とぅよしい LLF)
ながし【長】(なンがしい LLF)
にがし【苦】(にンがしい LLF)
にくし【憎】(にくしい LLF) 「にくむ」(にくむう LLF)が「不快感をあらわにする」「いやな顔をする」といった意味でも使われたのと平行して、「腹立たしい」「頭にくる」「むかつく」といった意味でもよく使われました。『枕』では、「急ぐことある折に来て、長言する客人(まらうと)」(いしょンぐ こと ある うぉりに きいて、なンがこと しゅる まらうと LLHLL・LHLHHRH・LLHLHH・HHLL)や、「硯に髪の入りてすられたる」(しゅンじゅりに かみの いりて しゅられたる LLLH・LLL・HLH・LLHLH)などが「にくきもの」(にくきいもの LLFLL」なのでした。
にぶい【鈍】(にンぶしい LLF)
ぬるし【温】(ぬるしい LLF) 次の歌の「ぬるけれど」は、水の温度を言うばかりでなく、私はだめな人間だが、という意味でもあるようで、「ぬるし」は今よりも多様に使われました。
いにしへの野中の清水ぬるけれどもとの心を知る人ぞくむ 古今・雑上887。いにしふぇの のなかの しみンどぅ ぬるけれンど もとの こころうぉ しる ふぃとンじょお くむ HHHLL・LHLLLHH・LLHLL・LLLLLHH・HHHLFHH
なお、古文献に注記がないので動詞のところで申しませんでしたけれども、同族の「温(ぬる)む」は「ぬるむう LLF」と言われたと考えてよいのでしょう。この動詞には「発熱する」という意味もあって、その発熱の程度は、現代語「ぬるむ」のイメージには反して、微熱程度のものとは限らないようです。源氏・若菜下に、紫の上が「御身もぬるみて、御心地もいとあしけれど」(おふぉムみいも ぬるみて、みここてぃも いと あしけれンど LLHHL・LLHH、HHHHL・HLLLHLL)とあるのにおける「ぬるみ」などもそうで、秋山さんはこれを「お体も熱くほてって」と訳していらっしゃいます。
ねたし【妬】(ねたしい LLF) 「妬む」は「ねたむう LLF」でした。
はやし【早】(ふぁやしい LLF)
ひろし【広】(ふぃろしい LLF) 下二「広む」は「ふぃろむう LLF」ですけれども、下二「ひろぐ」は「ふぃろぐ HHL」、今の「ひろがる」に当たる「ひろごる」は「ふぃろンごる HHHL」でした。
ふかし【深】(ふかしい LLF) 下二段「更く」は「ふくう LF」なのでした。
ふとし【太】(ふとしい LLF)
ふるし【古】(ふるしい LLF) 上二段の「古る」は「ふるう LF」でした。
ほそし【細】(ふぉしょしい LLF)
やすし【安・易】(やしゅしい LLF)
ゆるし【緩】(ゆるしい LLF)
風は あらし。こがらし。三月ばかりのゆふぐれにゆるく吹きたる雨風(あまかぜ)。枕・風は(190)。かンじぇふぁ あらし。こンがらし。しゃムぐわてぃンばかりの ゆふンぐれに ゆるく ふきたる あまかンじぇ。HHH LLL。LLHL。LHLLLLHLL・HHHHH・LHL・LHLH・LLLH。「木枯らし」は、「木(き)」が「き L」、「枯らす」が「からしゅ HHL」で、「野遊び」(のあしょンび LLHL)と成素のアクセントが同じですから、「こンがらし LLHL」と言われたと考えておきます。「雨風(あまかぜ)」は、「雨(あま)」が「あま LL」、「風」が「かンじぇ HH」で、「山風」(やまかンじぇ LLLH)や「神風」(かみかンじぇ LLLH)と成素のアクセントが同じですから、「あまかンじぇ LLLH」と言われたと考えておきます。「雨や風」という意味で「雨風(あめかぜ)」という時は、そのまま「あめえ、かンじぇ LFHH」と言われたでしょう。
よわし【弱】(よわしい LLF) 「よはし」ではありません。
わかし【若】(わかしい LLF)
わろし【悪】(わろしい LLF) 平安仮名文では「わるし」は使わないということはありませんが、好まれたのは「わろし」です。
次に、現代語にはない低起形容詞を八つ並べます。
いかし【厳】(いかしい LLF) この「いか」は現代語「厳(いか)つい」や「厳(いか)めしい」に現れる「いか」です。「いかし」と言えば、『源氏』をお読みの方のなかには次を思い出される方も少なくないでしょう。
少しうちまどろみたまふ夢には、かの姫君とおぼしき人のいときよらにてあるところにゆきて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず(似ナイ〔委託法〕)たけくいかきひたぶる心いで来て、うちかなぐる、など見えたまふこと、度(たび)かさなりにけり。源氏・葵(あふふぃ HHH)。
しゅこし うてぃい まンどろみ たまふ ゆめにふぁ、かあの ふぃめンぎみと おンぼしきい ふぃとの いと きよらにて ある ところに
ゆきて とお かく ふぃき ましゃンぐり、うとぅとぅにも にいンじゅう たけく いかきい ふぃたンぶるンごころ いンでえ きいて うてぃい かなンぐる、なンど みいぇえ たまふ こと たンび かさなりにけり。LHL・LFLLHLLLH・LLHH、FLHHHHL・LLLFHLL・HL・LHLHH・LHHHHH・HLH・LHL・HLHHHL、LLHHLHL・LHLLLF・LLLLLHL・LFRH・LFLLLH、RL・LFLLHLL・HL・HHHLHHL。「姫」は「ふぃめ HL」、「君」は「きみ HH」ですが、複合名詞「姫君」は「ふぃめンぎみ HHHH」か「ふぃめンぎみ HHHL」か「ふぃめンぎみ HHLL」か、確定できません。「ひたぶる」は「ふぃたンぶる LLHL」でいいようなので、「ひたぶる心」は「ふぃたンぶるンごころ LLLLLHL」でよいと思われます。最後に「かなぐる」は、近世の資料にHHLL、HHHH両様があるようなので(総合索引)、ここから単純に逆算すると、連体形は「かなンぐる LLLH」とも「かなンぐる HHHH」とも言われた、終止形は「かなンぐる LLHL」とも「かなンぐる HHHL」とも言われたということになります。上は仮に低起式と見たのです。
おぞし【悍】(おンじょしい LLF) 「おぞまし」(おンじょましい LLLF)と同根の、「おぞましい」を意味す言葉です。「おずし」(おンじゅしい LLF)とも。
しげし【繁】(しンげしい LLF) 「しがらむ」(しンがらむ LLHL)のところで見ました。「繁(しげ)る」(しンげるう LLF)と同根。今でも「足繁(しげ)く通う」といった言い方はしますけれど、「この庭は草がしげいね(繁ッテイルネ)」「最近は行事がしげくてね(立テ込ンデイテネ)」などは言いません。平安仮名文では「しげく通ふ」(しげく かよふLHLHHL)などは言いますが「足しげく通ふ」とは言わないようです。ただ「雨の脚しげし」(あめえの あし しンげしい LFLLLLLF)とは言います。
たけし【猛・武】(たけしい LLF)
たゆし【弛】(たゆしい LLF) 「弛む」(たゆむう LLF)と同根。「だるい」「にぶい」といった意味です。
みるめなき我が身をうらと知らねばや離(か)れなで海士の足たゆく来る 古今・恋三623・小野小町。
みるめ なきい わあンがあ みいうぉお うらと しらねンばやあ かれなンで あまの あし たゆく くる LHLLF・LHHHLLL・HHHLF・HLHLLLL・LLLHLLH。私は見た目の悪い自分をいやに思っていますけれど、そうともご存じなく、殿方は足を棒にして拙宅にお出でになります、この浦には海松布はないと知らないからやって来る海士のように。
なほし【直】(なふぉしい LLF) 「まっすぐだ」「整っている」といった意味です。
なめし【無礼】(なめしい LLF) 「なめる」に当たる「舐む」(なむう LF)という動詞は古くからありました。無礼とは人を〝なめる〟ことだと言えるわけですけれども、動詞「なむ」から「無礼だ」を意味する形容詞「なめし」が出来たのではなく、鎌倉時代ごろ、形容詞「なめし」の影響のもと、動詞「なむ」に「あなどる」というような語義が加わったということのようです。
はゆし【映】(ふぁゆしい LLF) 「映える」の古形「映ゆ」は「ふぁゆう LF」でした。「はゆし」は「恥ずかしい」「見ていられない」といった意味の言葉で、今でも「おもはゆい」と言いますけれども(この成立は鎌倉ごろ)、これは顔(「面」〔おも LL〕)がはゆいということであり、また「まばゆし」(まンばゆしい LLLF)は「目(め)はゆし」(めえ ふぁゆしい LLLF)の一語化したものです(こちらは平安仮名文にたくさん見えています)。現代語「かわいい」(旧かなでは「かはいい」)は、「かはゆし」の変化したものですが(成立は平安末期ごろ)、これは「かははゆし」を通って「かほはゆし」にさかのぼるところの、「心がとがめて顔が赤らむようだ」「痛ましくて、見るにしのびない」(小学館古語大辞典)といった意味の言葉です。すると「顔」は「かふぉ HH」ですから、「かはゆし」はハ行非転呼音で言えば「かふぁゆしい HHHF」というアクセントだったでしょう。
次にシク活用。これもたくさんあります。
あやし【怪】(あやしい LLF) 便宜的に「怪」を当てましたが、周知のとおり「変だ」「不思議だ」といった気持でも使います。 心をばとどめてこそは帰りつれあやしや何の暮を待つらむ 詞花・恋下・藤原顕広(すなわち俊成。八代集への初入撰歌です)236。
こころうぉンば とンどめてこしょふぁ かふぇりとぅれえ あやしいやあ なにの くれを まとぅらム LLHHH・HHLHHLH・LLHLF・LLFFLHL・HHHLHLH。心は愛する人のもとにとどめた、すると不思議だ、いかなる主体が、ここで今、そこに行く時を待っているのだろう。これは古典的なアクセントのつもりで、後に見るとおり院政期には「あやしいや LLFL」など言われることが多かったかもしれません。「何の」を「なにの LHH」としないことについても詳細は後述します。
いみじ(いみンじい LLF) 「忌む」(いむう LF)に由来しますけれども、平安時代には、意味論的にはすでに起源に還元できない使われ方がなされています。
いやし【卑】(いやしい LLF)
うつし【顕】(うとぅしい LLF) 「うつつ」(うとぅとぅ LLH)」と関連のある言葉です。「うつしごころ」はおそらく「うとぅしンごころ LLLLHL」でしょう。
うれし【嬉】(うれしい LLF)
おだし【穏】(おンだしい LLF) 「おだやか」と関連のある言葉です。
おぼし【思】(おンぼしい LLF)
きびし【厳】(きンびしい LLF)
くすし【奇】(くすしい LLF) 堀内敬三作詞の文部省唱歌「冬の星座」に「くすしき光」という言い方が見えています。
くはし【細・詳】(くふぁしい LLF)
くやし【悔】(くやしい LLF) 「悔ゆ」は「くゆう LF」でした。
くるし【苦】(くるしい LLF) 「くるふ」(くるふう LLF)と関連があるのだそうです。
けはし【険】(けふぁしい LLF)
こひし【恋】(こふぃしい LLF) 「恋ふ」は「こふう LF」でした。
さかし【賢】(しゃかしい LLF) 現代語「小賢しい」にあらわれます。
さがし【峻・険】(しゃンがしい LLF) 「けわしい」「危険である」といった意味の言葉です。
さびし【寂】(しゃンびしい LLF) 「錆ぶ」(しゃンぶう LF)と関連のある言葉です。
したし【親】(したしい LLF)
すずし【涼】(しゅンじゅしい LLF)
ただし【正】(たンだしい LLF)
たのし【楽】(たのしい LLF)
ともし【羨・乏】(ともしい LLF) 現代語の「乏(とぼ)しい」はこの「ともし」の変化したものにほかなりません。「尋ねる」「尋ね求める」といった意味の「尋(と)む」(とむう LF)に由来する言葉だそうで、文脈に応じて「ゆかし」(ゆかしい HHF)、「うらやまし」(うらやましい LLLLF)、「めづらし」(めンどぅらしい LLLF)、「すくなし」(しゅくなしい LLLF)、「まづし」(まンどぅしい LLF)などに近い意味で使われたようです。
はげし【激】(ふぁンげしい LLF) 「禿げる」の古形「禿ぐ」は「ふぁンぐう LF」ですが…。
ひさし【久】(ふぃしゃしい LLF)
ひとし【等】(ふぃとしい LLF)
まさし【正】(ましゃしい LLF) 現代語の辞書は「まさしく」を副詞としますけれども、これは現代語ではこの語形しか使わないという理由によるのでしょう。古い形容詞「まさし」の連用形としてもいいわけです。
まづし【貧】(まンどぅしい LLF)
ゆゆし(ゆゆしい LLF)
をかし(うぉかしい LLF) 「招く」といった意味の「招(を)く」(うぉくう LF)と関連づけるのは、それほど説得的とは思えません。
ををし【雄雄】(うぉうぉしい LLF) 「男(をとこ)」は「うぉとこ LLL」ですが、なぜか「男(を)の子」は「うぉのこ HHL」(分析的に発音するならば「うぉおのお こお HHH」ですが、すでに一つの三拍語なのでしょう)、「男(を)の童(わらは)」は「うぉのわらふぁ HHHHL」(「童(わらは)」は「わらふぁ LLH」なのでやはり熟しているのでしょう)です。
節の最後に、「同じ」および「あだし」のことを考えます。
「同じ」は、古くは「おやじ」と言ったそうです。つい笑ってしまいますけれども(ちなみに「親爺」は「おやぢ」で、近世に成立した言葉のようです)、それはともかく、低起式であることは図名の「同じう」〈平平上平〉(おなンじう LLHL)などから明らかで、顕天平568注〔万葉2800〕の「おなじ」〈上平平〉は誤点と見られます。さて「同じ」(おなンじい LLF)には少し変わったところがあります。辞書の言うとおり、平安仮名文ではこの形容詞の連体形「同じき」は、使われないわけではないものの少なくて、代わりに語幹「同じ」(おなンじ LLH)が好んで使われます。
色も香も同じ昔に咲くらめど年ふる人ぞあらたまりける 古今・春上57。
いろもお かあもお おなンじ むかしに しゃくらめンど とし ふる ふぃとじょお あらたまりける LLFHL・LLHHHHH・HLLHL・LLLHHLF・LLLHLHL
さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮 後拾遺・秋上333。
しゃンびししゃに やンどうぉ たてぃい いンでて なンがむれンば いンどぅくも おなンじ あきいの ゆふンぐれ LLHHH・LHHLFLHH・LLLHL・LHHLLLH・LFLHHHH
次に、「別である」を意味する「あだし」。これは「同じ」の反意語といってよく(「虚しい」といった意味でも使われるようになるのは後世のこと)、「同じ」と同じく、よのつねの形容詞ならば連体形を使うところで語幹「あだし」を使うと考えてよいようです。「ほかの人への愛情」「浮気心」を意味する「あだし心」における「あだし」はこれでしょう。さて厄介なのは式です。「あだしごころ」には伏片1093が〈平平平〇〇〇〉、袖中抄が〈平平平平平上〉を与える一方、永1093は〈上上上〇〇〇〉を、訓1093は〈上上上上上平〉を、京秘1093もおそらく訓と同じ注記を与えます。「あだし」単体への注記にも、総合索引によれば、〈上上上〉〈上上東〉〈上平平〉〈平平平〉などが見られます。折衷的かつ妥協的に、終止形として「あンだしい HHF」「あンだしい LLF」の両方、語幹として「あンだし HHH」「あンだし LLH」の両方がともども使われたと見ておきます。なお、「不誠実だ」を意味する「あだなり」は「あンだなり HLHL」と言われたようで、すると「あだあだし」も「あンだあンだしい HHHHF」と言われたと見られます。
形容詞のことでは、複合形容詞やそれに類した言い方について考えることが残っていますけれども、あとまわしとして、ここで再び、ないしようやく、平安時代の京ことばのアクセントの根幹にかかわることを考えます。
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8 理論的考察(Ⅱ) [目次に戻る]
a 低下力 [目次に戻る]
あれこれの必要な迂回をしながら、動詞が文節中でどうふるまうかを考えます。重要なところです。
まず、〝低下力〟なる概念を紹介します。概念と申しても、概略、「後続の拍を低めようとする力」という意味の、すこぶる素朴なるものです。例えば岩紀の次の四例における、下線の引かれた〈上平〉は、ということは二拍のなす下降調は、後続の拍を低めようとする力を持っていて、じっさい後続の拍のアクセントはその力に屈して低まっています。
米(こめ)だにも〈平平上平平〉(岩紀107。こめンだにも LLHLL。二つあるうちの一つ目)
かくしもがも〈上平平上平東〉(同102。こうだったらなあ。かくしもンがもお HLLHLF。第四拍の上声点は原文では東点。どちらでもここの論旨には影響しません)
つかはすらしき〈上上上平平平東〉(同103。とぅかふぁしゅらしきい HHHLLLF)
説明にさきだって改めて一言。以下も、ひきつづき、ひらがなとアルファベットとによってアクセントを示しご参考に供しますが、その際、多くの場合、例えば、鎌倉後期成立の『訓』(古今訓点抄)16の「家居(いへ)しせれば」〈平平平上上平平〉に続いて、「いいぇいしい しぇれンば LLLF・HLL」とではなく、「いふぇうぃしい しぇれンば LLLF・HLL」と記す、というようなことをします。つまり、古典的と考えられる発音を記します。「家居しせれば」に対する訓の〈平平平上上平平〉は、それが西暦千年ごろ「いふぇうぃしい しぇれンば LLLF・HLL」と発音されただろうことを、示すとは言えなくても示唆するのであり、そういうものとして訓なら訓の注記を援用しているのです。アナクロニズムの廉で告発なされませんように。古典的なアクセントと考えられるもののありようを、のちの時代の文献なども参考にして考えてみようというのが、そしてそれを実際に発音してみようというのが、このサイトの趣旨なのでした。
さて上の四例において、下線で示した〈上平〉の次に位置する助詞「も」「し」、助動詞「らし」の初拍は、いずれも低平調をとっていますけれども、それらはもともと低いのではありません。
一つずつ見ておくと、まず、現代京都では助詞「も」は常に低く言われますが、平安時代の京ことばではそうではなくて、例えば岩紀107に二度あらわれる「米(こめ)だにも」の二つ目には〈平平上平東〉(こめンだにもお LLHLF)が差されますし(末拍を東点と見るのは、鈴木さんの「岩崎本『日本書紀』声点の認定をめぐる問題点」〔web〕に拠ったのです)、前紀45(の原本)も「畏(かしこ)くとも我(あれ)養はむ」に〈平平上平平東・平上・上上上上上〉(かしこくともお あれ やしなふぁム)を差します。常に低いのではない助詞「も」が、岩紀107の一つ目の「米だにも」〈平平上平平〉(こめンだにも LLHLL)では低まっているのは、あるいは写し違いかもしれませんけれど、実際にそうも発音できたことは確かでそれが記されている、と考えることもできます。そして、低くも言えるとしたらそれは、先立つ二拍の〈上平〉がそれを可能にしているのです。少しさきまわりをしますが、今、FとHLとをまとめて「下降形式」と呼ぶことにすれば、平安時代の京ことばにおいて下降形式は、同一文節内にある後続の拍が低平調でない場合、それを低平調にする力を持っているようなのです。そのような力を素朴を恐れず「低下力」と呼ぶことにすると、平安時代の京ことばでは、低くない拍は、同一文節内において下降形式を先立てる時、その低下力によって低く言われうるようなのです。岩紀の「米だにも」〈平平上平平〉(こめンだにも LLHLL)が誤点でないならば、先行する〈上平〉の低下力によって「も」の低まったさまがそこには記されているということになります。
二つ目の「かくしもがも」は「こうあってほしいよ」といった意味であり、副詞「かく」(かく HL)が強調の助詞「し」を従えていますけれども、この「かくしもがも」は、のちにも見るとおり、例えば〈上平上平上平〉(かくしもンがも HLHLHL)なども言いうる言い方で、岩紀102の〈上平平上平東〉ではその「し」が「かく」の低下力に屈しています。念のために申せばこの「し」がもともと低いのでないことは、前紀42などからも知られます。
ちはや人(びと)宇治の渡りに棹取りに早(はや)けむ人し我が対人(もこ)に来む(てぃふぁやンびと うンでぃいの わたりに しゃうぉ とりに ふぁやけム ふぃとしい わあンがあ もこに こおムう HHHHL・LFLHHHH・LLLHH・LLHLHLF・LHLLHLH。宇治川で溺れさせられている大山守皇子(おおやまもりのみこ)の歌で、皇子はそうして操舵のうまい人に援助を求めたのでした(but in vain)。
最後の「つかはすらしき」〈上上上平平平東〉(とぅかふぁしゅらしきい HHHLLLF)は、のちに見るとおり〈上上上平上平東〉(とぅかふぁしゅらしきい HHHLHLF)がもともとの言い方と見られます。
こうして、「こめだにも」〈平平上平東〉、「かくしもがも」〈上平上平上平〉、「つかはすらしき」〈上上上平上平東〉とも言える一方、これらにおいて東点や上声点を差されている「も」「し」「ら」を低くも言えるのは、さきだつ〈上平〉に低下力があって、それが後続の助詞や助動詞の一部を低めたのだと申せます。
岩紀には平安初中期の京ことばのアクセントが記されていると見られるのでしたけれども、改めて申しますと、当時の京ことばにおいて、助詞・助動詞は一般にそれらに先行する自立語からアクセント上は独立していたとする、なかば定説化しているらしい見方があります(例えば「て」は先だつ動詞に連用形を要求しますから文法的には動詞と「て」とは切り離せませんが、アクセントについては同断でないとするわけです)。しかしながら、上に申した岩紀の三例において付属語や付属語の一部の低まっていたことを見るだけでも、先行する自立語からの付属語のアクセント上の独立という一般的なテーゼの成り立たないことは明らかです。
このことは図名からも分かるので、そこに見られる、
あたかも〈平上平平〉(あたかも LHLL。元来「あたか」が「も」を従えた言い方です)
おもふらむ〈(平)平上平平〉(おもふらム LLHLL)
といった注記にも、低下力の働いたあとが認められます。のちにも見るとおり、「おもふらむ」は〈平平上平東〉(おもふらムう LLHLF)が古典的な形(「らむ」は終止形と見ておきます。連体形ならば「らム LH」)がもともとの言い方ですから、これらの言い方では、助詞「も」、助動詞「らむ」の終止形(ないし連体形)の末拍という、もともと低平調をとるのではないものが、二拍のなす下降調の持つ低下力に負けています。
ただ平安初期には、そして中期にも、「米だにも〈平平上平東〉(こめンだにもお LLHLF)」のような、付属語やその一部などが低下力に屈さずに卓立する言い方のほうが、屈して卓立しない言い方よりも多かったようです。すなわち、低下力に屈しない言い方を「古典的」と呼び、低下力に屈する言い方をそこからの変形として理解してよいようです。
さて「に」や「て」のような助詞についても、基本的には「も」や「し」のような助詞などと同じことが申せます。
ちがいがないのではありません。「に」や「て」のような助詞は、先覚の見るとおり、「も」や「し」とは異なり本来的に高平調をとるといってよいのですが、この「に」や「て」に終わる言い方はと申せば、岩紀には「飯(いひ)にゑて」〈平平上東上〉(104。「飯に飢(う)ゑて」〔いふぃに ううぇて LLHLHH〕の省略的な言い方です〔後述〕)や、「をろがみて」〈平平上平上〉(102。うぉろンがみて LLHLH)のような言い方しか見えず、前紀でも、多く見られるのは「並べて」〈上上平上〉(46。ならンべて)、「あがもふ(=あがおもふ)妻に」〈平上平上上平上〉(51。ああンがあ もふ とぅまに LH・LHHLH)のような言い方であり、図名でも、多く見られるのは、「つひに」〈平東上〉(とぅふぃいに LFH)、「おほきにす」〈平平東上東〉(おふぉきいに しゅう LLFHF。大きくする)、「着て」〈東上〉(きいて FH)、「あやまちて」〈平平上平上〉(あやまてぃて LLHLH)のような言い方であって、これらでは、「に」や「て」といった助詞は先だつ拍の低下力に抗してその本来の高さを保っています。それらの助詞には、「も」や「し」とは異なる、低下力に屈しない力強さが認められます。反対に申せば、低下力はまだ「に」「て」のような助詞に対して、十分強くはありません。
しかし、古くは「に」「て」は低下力にまったく屈しなかったというようには申せません。例えば、
おほきに〈平平上平〉(図名。おふぉきいに LLFL。「大きく」という意味でしょう)
において「に」の低いのは、第三拍の低下力によると考えられます。古典的には「おほきに」は〈平平東上〉(おふぉきいに LLFH)と言われたと考えられます。じっさい「おほきうみ」に図名は〈平平東平上〉(おふぉきいうみ LLFLH)を差していました。しかるに図名の「おほきに」〈平平上平〉において「に」は低い。この「おほきに」の第三拍は東点を用いる流儀における短い下降調か、用いない流儀における長短不明の下降調であり、その低下力によって「に」が低まっていると見るべきだと思います。
また、「は」のような助詞も「に」や「て」と同じく本来的に高いのですが、
汝(な)こそは〈上上平平〉(前紀62〔二ところとも〕。なあこしょふぁ RHLL)
汝(な)が形(かた)は〈上上上平平〉(前紀75。なあンがあ かたふぁ RHHLL)
早くはめでず〈平上平平平上平〉(図紀67。ふぁやくふぁ めンでンじゅ)
ではその「は」に平声点が差されています。先行する〈上平〉の低下力によって低まったのだと見られます。
こうして、すでに前紀、図名、図紀のような文献にも、「に」「て」「は」のような助詞が低下力に負ける例はあると見なくてはなりません。岩紀のようなものににそうした例の見えないのは、岩紀が資料として小規模なものであるからに過ぎないと思います。「に」「て」「は」のような助詞と「も」「し」のような助詞とのあいだにあるのは、程度の差に過ぎません。この時代、低下力は、「も」「し」などはもとより、「に」「て」「は」なども時には屈服させることがあるくらい強かったのでした。
さて古今集声点本は、下降調の持つ低下力が総体に強まったこと、ただし、付属語を常になぎ倒すまでに強まったのではないことを教えます。
じっさい初期古今集声点本――『問答』や顕昭本(『顕天平』『顕府』など)を初期古今集声点本とするのでした――には、『研究』研究篇下が丹念に採集した一部を引けば、「方(かた)も」〈(上)平平〉(伏片1024。かたも HLL)のような言い方はもとより、「岡谷(をかたに)に」〈上上平平平〉(顕府(6)。うぉかたにに HHLLL)や「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕。とぅンぎて HLL)のような言い方も見られるものの、むしろ、
惜(を)しけくもなし〈平平上平上平上〉(顕天平568注〔補1〕〔万葉3082〕。うぉしけくもお なしい LLHLFLF)
けながくしあれば〈(平)平上平上(平上平)〉(顕府(36)注〔万葉940〕。けなンがくしい あれンば LLHLFLHL)
楫(かぢ)に〈上平上〉(伏片・家457。かンでぃに HLH)
置きて〈上平上〉(問答470。おきて HLH)
行きは別れて〈上平上平平上上〉(顕天平568注〔万葉2790〕。ゆきふぁ わかれて HLHLLHH。行き別れて。『顕天平』の注記はこうですけれども、「行きは別れで」〈上平上平平上平〉〔ゆきふぁ わかれンで HLHLLHL。行き別れることはなく〕、ないし、現行の読み「行きは別れず」〈上平上平平上平〉〔ゆきふぁ わかれンじゅ HLHLLHL〕でなくてはなりません)
のような例が多く見られます。一口に古今集声点本と言っても、初期のそれのありようはむしろ図名などに近いのであって、例えば『研究』研究篇下は「児(こ)ろが」〈上平上〉(袖中抄K)に見られるような「助詞本来のアクセントを主張した」アクセントを「古めかしい」と形容するのですが(p.134)、それは具体的にはそういう意味だと申せます。低下力の強まったことは確かですけれども、まだきわめて強いわけではありません。変化はその程度のものです。
そののちも、時とともに低下力はさらに強まったとは申せ、鎌倉後期に至っても〈上平〉の持つ低下力は後続の付属語をすべて屈服させるほど強いものではなかったことが、『訓』のような鎌倉後期の文献における注記から知られます。
むべも〈上平上〉(訓(22)〔仮名序の22番目の文〕。むンべもお HLF)
起きてし行けば〈平上平上上平平〉(訓375。おきてしい ゆけンば LHLFHLL。古典的には「起きてし」は「おきてし LHHL」ですけれども、〈平上平上〉における「し」の卓立そのものは古典的です)
畝野(うねのの)に〈上上上平上〉(訓1071。うねののに HHHLH)
今しはと〈平上平上平〉(訓773。いましふぁと LHLHL)
手折りても〈上上平上平〉(訓54。たうぉりても HHLHL。「手」は「て L」なので「手折り」への注記は不審なのでした)
結局のところ、平安初中期から〈上平〉は多かれ少なかれ後続の拍を低める力を持っていて、それははじめのうちは弱く、時とともに強まったものの、鎌倉後期に至ってもすこぶる強大なものではなかったのです。
一拍からなる下降拍では、事情はどうなっているでしょう。古今集声点本の注記からも一拍からなる下降拍が低下力をもったことがうかがえるのは無論ですけれども、そのありようは二拍のなす下降調とは少しだけ異なります。
すなわち古今集声点本では、初期のものを含めて、岩紀や図名においては多数派だった「つひに」〈平東上〉(とぅふぃいに LFH)のような言い方ではなく、「つひに」〈平上平〉(顕天平568注〔万葉2800〕。とぅふぃいに/とぅふぃぃに LFL)のような言い方、ということは、「に」のような助詞が一拍の下降調の持つ低下力に負ける言い方が多数派になります。『寂』302(中期古今集声点本でした)が「秋をば」に〈(平上)上上〉(あきいうぉンば LFHH)を差すのなどは、図名の「つひに」〈平東上〉(とぅふぃいに LFH)などと同趣の言い方と考えられますけれど、『研究』研究篇下の説くとおり、こうした言い方は初期古今集声点本の時代においてもすでに少数派に属します。
この変化は、「つひ」(とぅふぃい LF)や「秋」(あきい LF)のような二拍五類名詞の末拍における下降が、院政末期には短くも言われるようになっていたことを意味すると思われます。前(さき)に申したとおり、古くはそれはもっぱら長く言われ、伝統的な現代京ことばではそれは短いのですから、どこかで短縮化したのです。すでに院政末期、それは短く言われることも多かったと考えられます。初期古今集声点本には「楫(かぢ)に」〈上平上〉(伏片・家457。かンでぃに HLH)にような言い方も少なからず見られたのですから、二拍五類名詞の末拍における下降は基本的に引かれたのだとしたら、「に」のような助詞の高く付く例はもっと多く見出されるのでなくてはならないでしょう。
ただ、当時はすでに「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕。とぅンぎて HLL)のような言い方もできたのですから、「つひに」〈平上平〉(とぅふぃいに LFL)の第二拍のようなものは短い下降調でしか言われ得ないとは申せません。長くも短くも言われたのだと思われます。つまり二拍五類名詞の末拍などにおける下降調の短縮化は、全面的なものだったとは思われません。じっさい「秋をば」〈(平上)上上〉(あきいうぉンば LFHH)のような注記もあったわけで、この言い方における第二拍などは長く言われたでしょう。短い下降調のほうが、長いそれよりも低下力は強いでしょうから、「秋をば」〈平上上上〉の第二拍を短い下降調で言うのは自然なこととは思われません。
それから、一拍語では短縮化は進んでいなかったでしょう。図名に見られる一拍二類名詞が引かれたこと、控えめに申すならば引かれ得たことは、図名の「諱(ないふ)」〈東(上平)〉(なあ いふ FHL)などから明らかでしたけれども、現代の伝統的な京阪式アクセントにおいても一拍二類名詞はさかんに引かれるのですから、院政末から鎌倉時代にかけて引かれなかったとは考えられません。例えば『問答』は「名には」に〈上平上〉(なあにふぁ FLH)を差しますが、当時この「名」は、ごく控えめに申して引かれることが多かったでしょう。
すると、『研究』研究篇下の説くとおり、当時「に」のような助詞は一拍二類名詞に低く付くことが多くなっていたようですから、一拍のなす下降調の持つ低下力も、院政末から鎌倉はじめにかけてやはり強まっていたのです。顕昭の『袖中抄』三本(K、京、前)が「名に」に〈上上〉(なあに FH)を差すのなどは、前代ならば〈東上〉と書かれたアクセントを示しているでしょう。この「名に」〈上上〉のような言い方は、当時としては少数派に属するものだったと見られます。
一拍動詞の場合も同じ。初期古今集声点本には、「しては」〈上平上〉(顕府(7)。しいてふぁ FLH)、「寝ての」〈上平(平)〉(顕天片・顕大1072など。ねえての FLL)のような言い方が見られます。少し先で証明するとおり、これらにおける動詞は高平調でなく下降調、それも基本的に長い下降調をとったでしょう。すなわち、「して」〈上平〉(しいて FL)、「寝て」〈上平〉(ねえて FL)は、「て」が一拍の下降調の持つ低下力に負けた言い方で、古今集声点本ではこうした言い方が多数派になります。『乾元本日本書紀所引 日本紀私記』が「つらくして」に〈上上平上上〉(とぅらくしいて HHLFH)を差し、『御巫(みかなぎ
)私記』(『研究』研究篇下〔p.173〕)が「(異ならむ)として」に〈平上上〉(としいて LFH)を差すのなどは(『研究』研究篇下p.173)、すでに少数派に属します。ただ少数派に属するものの、鎌倉時代にも、「て」が一拍動詞の低下力に抗して卓立する言い方はあったと見られます。
このことに関して、「して」〈上平〉(しいて FL)や「寝て」〈上平〉(ねえて FL)では動詞が短縮化=一拍化しているから助詞が低く付いている、とする見方があるのですが、しかし当時は、繰り返すと、すでに「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉3005〕。とぅンぎて HLL)のような言い方ができたので、「して」〈上平〉、「寝て」〈上平〉において助詞の低いことからただちに一拍動詞の短縮化を結論することはできません。ちなみに相変わらず『京ア』によれば、現代京都では、サ変「する」の連用形「し」や上一段「着る」の連用形「着(き)」は、文節末に位置する時は一般に引かれた下降調(しー、きー)をとります。「て」を従える時は引かれない一拍の高平調をとりますけれど(して、きて)、ここから平安時代の京ことばのアクセントを類推することはできません。
前(さき)に、「何をして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむことぞやさしき」(古今・誹諧1063)は、はやく平安時代初中期から、
なにうぉ しいて みいのお いたンどぅらに おいぬらム としの おもふぁム ことンじょお やしゃしきい
とも、
なにうぉ しいて みいのお いたンどぅらに おいぬらム としの おもふぁム ことンじょお やしゃしきい
とも言いえたのであり、このありようは鎌倉時代になっても基本的には同じだと申しましたけれども、それは以上のような訳合によるのでした。
b 「連用形一般(ロ)」 [目次に戻る]
未然形は文節中にしかあらわれません。命令形は文節末に(文末も無論文節末の一つです)あらわれることが多いとは言え、「かし」のような付属語を従えうるので(詳細後述)、時には文節中に位置します。連用形、終止形、連体形、已然形は文節中にも文節末にもさかんにあらわれます。さて連用形については、付属語を従える時と従えない時とで時にアクセントを異にすることは周知ですけれども(『研究』研究篇下が、そしてそれより早く金田一春彦〔歴史的人物ゆえ敬称略〕の『四座講式の研究』が二つを区別しています)、後述するとおり、終止形、連体形、已然形、そして命令形も、付属語を従える時と従えない時とで時にアクセントが異なります。
時にどう異なるのでしょう。何と言っても用例豊富なのは連用形ですから、この活用形から考えます。
平安時代の京ことばにおける動詞の連用形のアクセントは、文節末と文節中とで異なるばかりでなく、文節中でも二通りのアクセントを持ちます。例えば図名は下二段動詞「誨(をし)ふ」(=教ふ。うぉしふ HHL)が過去の助動詞「き」の連体形「し」を従えた「誨(をし)へし」に〈上上上上〉(うぉしふぇし HHHH)を差しますけれども(末拍を東点と見る向きもありまが、声点の位置は東点と見るにはあまりに上にあります)、もし岩紀や図名が「誨へき」や「教へき」に声(しょう)を差すことがあったとしたら〈上上平東〉(うぉしふぇきい HHLF)や〈上上平上〉(うぉしふぇきぃ HHLF)のような注記になったでしょう。金田一の『四座講式の研究』の用語では、下二段動詞「をしふ」の「連用形第二種」はHHL、「特殊形」はHHHということになり、『研究』研究篇下の用語で言えば、下二段動詞「をしふ」の「連用形一般(ロ)」はHHL、「連用形特殊」はHHHということになります。金田一のいう「連用形一種」、秋永のいう「連用形一般(イ)」は連用形が文節末に位置する時のアクセント、金田一のいう「連用形二種」、秋永のいう「連用形一般(ロ)」は連用形が助詞「て」、完了の助動詞「ぬ」、過去の助動詞「き」の終止形、気づき・発見の助動詞「けり」そのほかを従える時のアクセント、金田一春彦のいう「特殊形」(の連用形)、秋永のいう「連用形特殊」は過去の助動詞「き」の連体形「し」や已然形「しか」などを従える時のアクセントです。過去の助動詞「き」の終止形「き」と、その連体形「し」および已然形「しか」とは、語形としては同じ活用形を先立てるものの、その活用形のアクセントは大抵の場合異なります。なお以下は『研究』研究篇下の用語法に拠りますけれども、誤解を防ぐため、「連用形一般」は「連用形(一般)」と表記し、これに合わせて「連用形特殊」は「連用形(特殊)」とします。また以下、単に「連用形」ということもあって、これは「連用形一般」を意味するとご承知ください。ここまでもそうでした。
連用形(特殊)のアクセント、高起動詞の連用形(一般)のアクセントについては、諸家のあいだで見解の相違はありません。すなわち連用形(特殊)は通例、動詞の式に応じて高平連続調、低平連続調をとり(例えば「教へし」は「うぉしふぇし HHHH」、「思ひし」は「おもふぃし LLLH」)、連用形(一般)(イ)は前(さき)に示したとおりであり(例えば「教へ、…」は「うぉしふぇ HHL」、「思ひ、…」は「おもふぃい LLF」)、また高起動詞の場合、連用形(一般)(ロ)は連用形(一般)(イ)と同じです(例えば「教へけり」は「うぉしふぇけり HHLHL」と言われます)。
しかし、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の「連用形一般(ロ)」がいかなるアクセントだったかについては、諸家の見方は一致していません。
先覚の中には、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形の末拍は文節中においても文節末におけると同じく下降調をとると見る向きもあります。これは例えば、岩紀107の「食(た)げて通(とほ)らせ」〈平上上平平平東〉を、「たンげえて とふぉらしぇえ LFH・LLLF」と見るということで、論者のなかには、六声体系において上声点は高平調をのみ意味するとしながら、岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉は(なぜか)「たンげえて LFH」と言われたと見る向きもあるようです。
金田一春彦はそうは考えませんでした。碩学は、鎌倉前期に成立した明恵(1173~1232)の『四座講式』において、文節中の低起二拍動詞の連用形(一般)の末拍――例えば「成りて」の「り」のようなもの――は下降調をとったと推定してよさそうだと一旦はした上で、しかし、実際には助動詞「つ」「ぬ」、そして特に助詞「て」が低起二拍動詞の連用形に高く付く以上――「成りて」で言えば〈平上上〉のような注記しかない以上ということです――、「はなはだ不本意ではあるが」「一往」文節中の低起二拍動詞の連用形の末拍は高平調をとったか「ということにして、先に進むことに」しました(『四座講式の研究』〔十三・十五・四〕。『著作集』第五巻)。例えば「成りて」は「なりて LHH」と言われたと考えることにして先に進んだのでしたが、そう考えたのは、動詞と助動詞「つ」「ぬ」とは「よく融合した形」(十三・十五・三)を作る、特に動詞と助詞「て」とは「よく融合した形」(十三・十五・三)を作るばかりでなく、「一語のように発音されやす」く(十六・二十・四)、「音便(原文、音便形)を起こすほど動詞と『て』との結合が密接である」(同)ことを重視したからでした。
碩学の直観はまったく妥当なものであり、逡巡は無用だったと考えます。事情は平安時代についても同じで、例えば岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉は「たンげて LHH」と発音されたと見るよりほかにないと思います。以下このことを論証します。あいにく長くなります。
c 完了の「ぬ」の教えること [目次に戻る]
岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉(たンげて LHH)――論旨を先取りしてこう書いてしまいますけれども、お疑いの向きは論証の終わるまで無視なさってください。循環論法になっていないことをお断りしておきます――や、図名における同趣の「あがいて」〈平平上上〉(あンがいて LLHH)から「ゑがいて」〈平平上上〉(うぇンがいて LLHH)に至る十二ほどの言い方において、助詞「て」を従えた低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形の末拍には上声点が差されていて、助詞「て」はそれに高く付いています。岩紀にも図名にも、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形が「て」を従える言い方において動詞の末拍に東点の差された例はありません。「着て」〈東上〉(図名)のような注記はあっても「食(た)げて」〈平東上〉のような注記はありません。
繰り返しになりますけれど、上声点は高平調をのみ意味すると見る向きには、それらは「たンげて LHH」「あンがいて LLHH」のように言われたことは自明のはずです。しかし、総合索引などもそうするように、いわゆる六声体系における上声点にも多義性を認める立場に立つならば(申したとおり事実そうなっているのでした)、これはそう考える根拠を示さなくてはならない種類のことです。
低下力についての知見を援用しつつ、動詞が完了の助動詞「ぬ」を従える時の、この助動詞の付き方を観察してみます。この助動詞を選んだのは、用例が豊富なので精緻な検討ができるからです(この種の検討では「大局的に」見ることは大雑把に見ることです)。なお、ここまで同様ここからも「完了の助動詞『ぬ』」という言い方をしますが、現代語におけるアスペクト論では「てしまう」「てしまった」は「実現相」を示すという言い方をするようです。「『完了』の『ぬ』」も、「実現の助動詞『ぬ』」「現実的生起(actual
occurrence)の助動詞『ぬ』」など言うほうが実態に即すると思いますけれども、慣用に従っておきます。
古今集声点本における注記から。『研究』をつぶさに見ると、古今集声点本では完了の助動詞「ぬ」は、先立つ拍の低下力に抗して卓立することも、反対にそれに屈して低まることもあることが分かります。例えば、純粋な二拍からなる下降調には、この助動詞の未然形「な」、連用形「に」、終止形「ぬ」、命令形「ね」は、ということは一拍からなる活用形は、
離(か)れなで〈上平上平〉(毘・訓623。かれなンで HLHL)
たなびきにけり〈上上上平上(上平)〉(伏片708。たなンびきにけり HHHLHHL)
泣きぬべき〈上平上(上上)〉(毘・高貞498。なきぬンべきい)
のように高く付くことも、
たなびきにけり〈上上上平平(上平)〉(毘・高貞708。たなンびきにけり HHHLLHL)
散りぬべみ〈上平平上平〉(訓281。てぃりぬンべみ HLLHL)
のように低く付くことも、ともども多いと言えます。
他方、古今集声点本は、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞、ということは末拍に上声点を差される動詞が完了の「ぬ」のさまざまな活用形を従える言い方を、初期古今集声点本の、
久しく成りぬ〈平平上平平上上〉(顕天平568注〔万葉3082〕。ふぃしゃしく なりぬう LLHLLHF)
ありぬやと〈平上上上(平)〉(顕天片1025。ありぬやあと LHHFL)
といった注記から、後期古今集声点本の、
なりななむ〈平上上上平〉(訓520。なりななム)
いろづきにけり〈(平平)平上上上平〉(訓256、1077。いろンどぅきにけり LLLHHHL)
といった注記に至るまで、つごう六十近く持っていますけれども――根は一つであるらしい『毘』と『高貞』とは一つとも二つとも数えうるという具合で、数値を確定させたところで大した意味はありません。注目すべきはオーダーです――、そのほとんどにおいてこの助動詞は、上に引いた例がそうであるように動詞に高く付くのであって、低く付く例は、わずかに、
帰りね〈平平上平〉(寂・訓389詞書。かふぇりね LLHL)
帰りね〈平上上平〉(毘389詞書。かふぇりね LHHL。この『毘』の第二拍は誤点で、前者がそうであるように平声点でなくてはなりません)
しかありません。
完了の「ぬ」の一拍からなる活用形の、高起動詞への付き方と低起動詞への付き方とは、明らかに大きく異なりますけれども、動詞がこの助動詞の連体形「ぬる」や已然形「ぬれ」を従える時にも、同じことが申せます。すなわち古今集声点本では、「ぬる」の初拍も「ぬれ」のそれも、例えば、
成りぬる〈(平上)上上〉(訓(60)。なりぬる LHHH)
色づきぬれば〈(平平)平上上平平〉(訓198。いろンどぅきぬれンば LLLHHLL)
来ぬる〈上上上〉(訓620。きいぬる RHH)
来ぬれど〈上上平平〉(毘338。きいぬれンど RHLL)
がそうであるように、十例すべてにおいて、上声点に終わる低起多拍動詞や、上昇調をとる一拍動詞に高く付きますが、これとは対照的に、二拍の下降調を先立てる場合には、
知りぬる〈上平平上〉(毘438。しりぬる HLLH)
知りぬる〈上平平平〉(訓438。しりぬる HLLL)
散りぬれば〈上平平上(平)〉(伏片64。てぃりぬれンば HLLHL)
わびぬれば〈上平平上(平)〉(毘・高貞938。わンびぬれンば HLLHL)
がそうであるように、七例すべてにおいて、動詞に低く付きます。
完了の「ぬ」が動詞に付くその付き方はこうしたものなのであってみれば、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)が完了の「ぬ」を従える時、動詞の末拍は、高平調をとるとしか考えられません。仮にそれが下降調をとるのだとしたら、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞が完了の「ぬ」を従える数十の例のなかで「ぬ」の低く付く例がわずかに寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉、『毘』同の「帰りね」〈平上上平〉だけだということはありえません。助動詞の低く付く言い方がもっともっと沢山あるのでなくてはなりません。
完了の「ぬ」の連体形や已然形の付き方にしぼって見ても、同じことが分かります。それらは先だつ動詞の低下力にきわめて屈しやすいのでした。もし低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍が文節中で下降調をとるのだとしたら、それらの動詞は「ぬる」「ぬれ」を軒並み低く付けるのでなくてはなりません。しかし実際には十例すべてにおいて、例えば「成りぬる」〈(平上)上上〉(訓60)がそうだったように、助動詞は高く付きます。
寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉のような言い方で完了の「ぬ」の命令形が動詞に低く付いていたのは、例えば岩紀102の「千代にも」〈平東上平〉における「も」と同じく、高い拍の次で勝手に低まったのであって――詳細は以下において縷々申します――、先立つ拍が下降拍でその低下力に屈して低まったのではありません。
さて、前紀や図紀、図名、改名における「ぬ」のふるまいも、以上ながながと見た古今集声点本におけるそれと同趣です。
すなわち、岩紀は残念ながら完了の「ぬ」に注記しませんけれども、前紀・図紀96には「明けにけり」〈上平上上平〉(あけにけり HLHHL)という注記が見えていて、これは『伏片』708の「たなびきにけり」〈上上上平上(上平)〉(たなンびきにけり HHHLHHL)と同じ言い方です。図紀72の「落ちにきと」〈平上上平平〉(おてぃにきと LHHLL)――こうも言えたでしょうが、原本は〈平上上東平〉(おてぃにきいと LHHFL)だった可能性が低くありません――は「成りぬ」〈平上上〉(顕天平568注〔万葉3082〕。なりぬう LHF)と同じ言い方、ないしそれからの変化として理解できる言い方であり、図紀71の「知りぬべみ」〈上平平上平〉(しりぬンべみ HLLHL)は『訓』281の「散りぬべみ」〈上平平上平〉(てぃりぬンべみ HLLHL)と同じ言い方です。
図名にはこの助動詞は四つしか登場しません。
i おとろへんだる〈平平上平平平上〉(おとろふぇんだる LLHLLLH)。これは「おとろへにたる」の撥音便形で、この「おとろへにたる」は元来「おとろふぇにたる LLHLHLH)と発音され、それからの変化として「おとろふぇにたる LLHLLLH)とも発音されえたと考えられます。ただ、図名の音便形「おとろへんだる」〈平平上平平平上〉における「ん」〈平〉は。先立つ二拍の低下力によって低まったのかもしれませんが、そうだったと断ずることはできません。前(さき)に「いかにて」(いかにて HLHH)のつづまった「いかで」に図名が〈上平上〉(いかンで HLH)を差していることを申したところで確認したとおり、撥音便形は必ずしももとの言い方とアクセントを同じくするとは限らず、もとの言い方が高くても低まるか低まることもあったと思われるからです。図名の「おとろへんだる」〈平平上平平平上〉において「ん」の低いのは、先立つ二拍の低下力によるのかもしれませんけれども、たんに撥音便形だからなのかもしれません。
ⅱ 縊(くび)れぬ〈上上平上〉(くンびれぬう HHLF)。「ぬ」が先立つ二拍の低下力に屈しない言い方です。
ⅲ 絶えんだる〈平上平平上〉(たいぇんだる LHLLH)。「絶ゆ」(たゆう LF)が完了の「ぬ」を従えた「絶えぬ」は〈平上上〉(たいぇぬう LHF)、「絶えにたる」は〈平上上平上〉(たいぇにたる LHHLH)が古典的な言い方です。「絶えんだる」はその撥音便形ですから、図名がこれに差す〈平上平平上〉は、寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉と同趣の言い方の撥音便形かもしれませんけれども、三拍目が低いのはそれがたんに撥音だからかもしれません。
ⅳ 訖(を)はぬ〈上東上〉(うぉふぁンぬう HFF)。「訖はりぬ(=終はりぬ)」〈上上平上〉(うぉふぁりぬう HHLF)の撥音便形「訖はんぬ」(うぉふぁンぬう HHLF)の撥音無表記形。〈上東東〉と読まれることが多いのですけれども、望月さんの『集成』の本文では二か所(第一部〔自立語編〕、第二部〔付属語編〕)とも〈上東上〉と見えます。『集成』の「付論」で望月さんご本人が〈上東東〉と読まれていますが(p.673)、本文を見る限り声点は、例えば同じ図名の「泥(ぬ)る(=塗る)」〈上平〉(ぬる HL)や「縊(くび)れぬ」〈上上平上〉(くンびれぬう HHLF)の「ぬ」と同じ高さ、東点と見るには高すぎる高さにあると見られます。酒井さんのデジタルコレクションの図名の「ぬ」の項では〈上平東〉ないし〈上平上〉、「を」の項では〈上上上〉とあるようです。
最後に、時代くだって、改名に見えているのは、「明けぬ」〈上平上〉(あけぬう HLF)のような、「ぬ」が低下力に屈しない言い方と、〈平上上〉と注記される「断(た)えぬ(=絶えぬ)」(たいぇぬう LHF)のような、上声点に終わる動詞に完了の「ぬ」の高く付く例だけです。
こうして、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形の末拍が下降調をとるとしたら、諸書の注記における完了の「ぬ」の付き方はまったく不可解です。高平調をとるとすればそれらはごく自然なものです。
低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞が助詞「て」や、過去の助動詞「き」(の終止形「き」)や、気づき・発見の助動詞「けり」を従える時も、動詞の末拍のアクセントは高平調をとると見られます。すなわち、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は、金田一春彦が直観したとおり、文節中において高さを保つと考えられます。
完了の「ぬ」の付き方は、高起一拍動詞の連用形(一般)の文節中におけるありようも教えます。それは二拍以上の動詞のそれとは、明らかに異なります。
高起一拍動詞には完了の「ぬ」は、古今集声点本では、例えば、
寝ななむ〈上上上平〉(永632。ねえななム FHHL)
消(け)ぬ〈上上〉(顕天平551。けえぬうFF。「消えぬ」〔きえぬう HLF〕のつづまったもの。「消(け)ぬ」の「消(け)」はつづまったことで一つの高起一拍動詞に相当します)
においてそうであるように、高く付くことも少なくありませんけれども、より多く、
寝なまし〈上平上平〉(伏片238。ねえなまし FLHL)
消(け)ぬ〈上平〉(永・毘・高貞551、毘・訓222。けえぬう FL)
に見られるように低く付きます。そして低く付くことは時代のくだるとともに一層多くなり、『毘』では十例中九例が低く付きます。純粋な二拍からなる下降調の持つ低下力には、完了の「ぬ」は負けることも負けないことも、ともども多いのでしたが、一拍からなる下降調の持つ低下力にはこの助動詞は、負けないことも多いが、負けることの方が多く、時代の進むとともにこの傾向が強まります。
次に、完了の「ぬ」の連体形「ぬる」の初拍は、高起一拍動詞には、
為(し)ぬる〈上平上〉(梅〔58〕。しいぬる FLH。のちに歌全体を引きます)
為(し)ぬる〈上平平〉(高貞・寂・毘899、寂〔58〕。しいぬる FLL)
寝ぬる〈上平上〉(伏片〔47〕、高貞644。ねえぬる FLH)
寝ぬる〈上平○〉(寂644。ねえぬる FLH、ないし、ねえぬる FLL)
においてそうであるように、八例すべてにおいて低く付きます。
すると、高起一拍動詞の連用形(一般)は文節中でも下降調をとるとしか考え得ないでしょう。文節中でも下降調をとるゆえ、「たなびきにけり」が〈上上上平上(上平)〉(たなンびきにけり HHHLHHL)とも〈上上上平平(上平)〉(たなンびきにけり HHHLLHL)とも発音されるように、「消(け)ぬ」が〈上上〉(けえぬう FF)とも〈上平〉(けえぬう FL)とも発音されるのであり、また連体形「ぬる」の初拍を低めるのです。もし高起一拍動詞の連用形(一般)が文節中で高平調をとるとしたら、「ぬ」の各活用形はもっぱら高く付くのではなくてはなりません。
高起一拍動詞に完了の「ぬ」の高く付く時の動詞のアクセントを推定しにくいとする見方もありますけれど(『研究』研究篇下p.212)、ありようは明らかだと思われます。
完了の「ぬ」の付き方は、文節中における高起一拍動詞の長さについても教えてくれます。初期古今集声点本の時代、文節中で高起一拍動詞の連用形(一般)のとる下降調がもっぱら短いものだったとしたら、完了の「ぬ」が、「寝ななむ」〈上上上平〉(永632。ねえななム FHHL)や「消(け)ぬ」〈上上〉(顕天平551。けえぬう FF)のように高く付くことも多いということの説明がつきません。院政末期から鎌倉はじめにかけて、高起一拍動詞の連用形(一般)は文節中でも下降調をとり、その下降調は引かれることも多かったと考えられます。常に引かれたかどうかは分かりませんけれども、前代の、例えば岩紀の「飯(いひ)にゑて」〈平平上東上〉(104。いふぃに うぇえて LLHFH)における動詞と同じように引いて言うことのできたことは、確かでしょう。
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完了の「ぬ」の付き方は、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍が文節中において高平調をとることを教えました。この知見を踏まえて、動詞が「て」を従える言い方を一瞥します。
低起二拍、多数派低起三拍動詞の連用形が「て」を従えるところの、岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉や、図名の「あがいて」〈平平上上〉から「ゑがいて」〈平平上上〉に至る十二ほどの言い方において、動詞の末拍には上声点が差され、助詞「て」は動詞に高く付くのでしたけれども、初期から中期にかけての古今集声点本でも、ありようは基本的に同じです。すなわち『研究』研究篇下によれば、『問答』『顕』『伏片』『永』では同趣の24例のうち23例において、「起きて」〈平上上〉(問答470、顕天片1030、顕府(19)、伏片・家(19)および354など。おきて LHH)式の注記がなされます。
ただ「ありて」〈平上平〉(『顕天平』568注〔万葉763〕。ありて LHL)という注記があります。この「ありて」〈平上平〉は「在手」に差されたもので(「手」は万葉仮名としてのそれ)、『研究』は名詞「手」が当時平声で言われたのに引かれて差し間違った可能性を考えていますけれども、『顕天平』の成立時期を考えると(奥書に「文治元年」〔1185〕とあります)、これはもっともなことです。と申すのも「立てて」〈平上平〉(毘・高貞581。たてて LHL)のような言い方がある程度さかんになるのは後代のことだからです(金田一春彦によれば『四座講式』にはそうした言い方はないのでした)。具体的に申せば、『研究』研究篇下p.178の表によれば――これはじつに多くを教えてくれる表です――、『毘・高貞』は上声点に終わる動詞が「て」を従える言い方を三十持っていて、そのうち「逢ひて」〈平上平〉(756。あふぃて LHL〔申したとおり、ハ行転呼していない古めかしい発音を記します〕)のように「て」の低まるのは4例、『訓』では上声点に終わる動詞が「て」を従える言い方が10例あって、そのうち「起きてし」〈平上平上〉(375)のように「て」の低まるのは4例です)。院政末期から鎌倉初期にかけては「て」は上声点に終わる多拍動詞に通例高く付いたのであり、くだって後期の『訓』においても、10例中6例は同趣の「逢ひて」〈平上上〉(756)式の言い方です。
他方、古今集声点本ではこの助詞は、顕昭本の「しては」〈上平上〉(顕府(7)。しいてふぁ FLH)、「寝ての」〈上平(平)〉(顕天片・顕大1072など。ねえての FLL)に見られた通り、もともと高起一拍動詞の連用形(一般)の低下力に負けることが多いのですけれども、時代の下るとともに、純粋な二拍のなす下降調にも負けるようになります。『研究』研究篇下p.178の表によれば、助詞「て」は、例えば『伏片』では純粋な二拍のなす下降調に8例中2例だけ低く付きますが(例えば「鳴きて」〈上平平〉〔385。なきて HLL〕)、『毘』では30例中16例で低く付き(例えば「言ひて」〈上平平〉〔771。いふぃて HLL〕)、『訓』では11例中10例で低く付きます(例えば「あげて」〈上平平〉〔212。あンげて HLL〕)。『訓』の時代にはこの助詞は、一拍の引かれた下降調にばかりでなく、純粋な二拍のなす下降調にすら基本的には負けます。すると、『訓』において「起きてし」〈平上平上〉(375)のような「て」の低まる言い方が10例中4例に過ぎず、10例中6例は「逢ひて」〈平上上〉(756)のような言い方をするということは、「て」を従える時の低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は下降調とは考えにくいということです。岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉から、図名の「あがいて」〈平平上上〉以下の十あまりの言い方を通って『訓』の「逢ひて」〈平上上〉のような言い方に至るまで、ありようは同じです。それらにおける動詞の末拍は高平調をとったとしか考え得ません。
「ありて」〈平上平〉のような言い方では、助詞は、先立つ拍の低下力によるのではなく、高い拍の次で言わば勝手に低まったと思われます。もうすぐ考えるとおり、「も」や「し」のような助詞では同じことがいくらも起こるのであり、またのちに見るように、「は」のような助詞でも時に同じことが起こります。
低起二拍や多数派低起三拍動詞の末拍は文節中でも下降調をとると見る向きもあるのでしたけれども、そう見る向きは、特にその根拠をお示しにならないようです。それらの動詞が文節の最後において下降調をとると考える根拠は諸書に記されています。そしてそれらは十分説得的です。しかし、それらが文節中でも下降調をとると見るべき説得的な根拠を拝見したことはありません。文節末で下降する以上文節中でも下降すると見なくてはならない理由はありません。文節末で下降するからといって文節中でも下降すると見なくてはならないわけではなく、実際下降しないと考えられるのでした。
このことに関して、改めて申しますと、論者の中には、「院政期にはすでに『て』のような助詞は先だつ自立語にアクセント上従属する傾向を見せているので、その時代の注記については低下力を使った議論は有効だが、それより以前は、この助詞はアクセント上、先立つ自立語から独立していたので、〝低下力〟を援用した議論は無効である」というように見る向きもあります。このことについては平安時代の京ことばにおける個々の付属語のアクセントのありようをつぶさに見てから申すこととして、今はただ、付属語の、おのれに先立つ自立語などとの関係における独立・従属のありようは平安初中期から鎌倉時代末期に至るまで基本的には変わっていないと考えられることを繰り返させていただきます。確かに、例えば図名では、「没(い)れて(=入れて)」〈上平上〉がそうであるように、低平調に終わる高起動詞には「て」はもっぱら高く付くのに対して、古今集声点本には「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕)のような言い方も少なくないのであり、これは図名と初期古今集声点本とのあいだに差異のあることを物語ります。しかし、例えば、平安初中期から「米(こめ)だにも」〈平平上平平〉(岩紀107。こめンだにも LLHLL)や「汝(な)こそは」〈上上平平〉(前紀62〔二つとも〕。なあこしょふぁ RHLL)のような、「も」や「は」が先行する部分との関係で低まる言い方があり、鎌倉時代にも「むべも」〈上平上〉(訓(22)。むンべもお HLF)や「如(ごと)は」〈上平上〉(梅・京中・高嘉・伊・寂・毘402。ごとふぁ HLH)のような、同じ助詞が低まらない言い方があった、というような具合なのであってみれば、図名の成立した十一世紀はじめと、初期古今集声点本の成立した十一世紀末の間に、付属語の独立・従属に関してラディカルな断絶を見るというようなことはできないと申さなくてはなりません。実際にあったのは下降形式の持つ低起力の強まりだったと思います。
e 柔らかい拍 [目次に戻る]
平安初中期から、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)は、付属語を従える時、ということは文節中に位置する時、高平調に終わると考えられるのでした。他方、先覚の見たとおり、それらの動詞の連用形(一般)は、文節末に位置する時は、下降調に終わると考えられます。文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍を、固有のアクセントを持たず、環境に応じて自分の姿を柔軟に変える拍という意味で「柔らかい拍」と言うことにすると、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は柔らかい、ということになります。
さて動詞の連用形(一般)のアクセントを考える際それが文節中に位置するか文節末に位置するかを問題にすることは、付属語を従えるか否かという視点から既になされてきましたけれども、申したとおり、動詞のほかの活用形、さらには助動詞についても同じことを問題にしなくてはなりません。
例えば低起二拍動詞の終止形(一般)や已然形の末拍、完了の助動詞「ぬ」「つ」の終止形(一般)、意志・推量の助動詞「む」の終止形(一般)や已然形などもまた、次の諸例の示すとおり、柔らかいようです。「終止形(一般)」は、例えば助詞「や」や現在推量の助動詞「らむ」のような言葉を従える時の動詞のアクセントです(「や」は時に已然形にも付きます)。ひきつづき、参考としてひらがなやアルファベットでアクセントを記しますが、それらは論点を先取りしたものですから(繰り返しますと、循環論法にはなっていません)、お疑いの向きは論証が終わるまで無視なさってください。例によって、例えばハ行転呼完了後の文献のものでも、古めかしい発音を記します。
飽くや〈平上上〉(訓468。あくやあ LHF)
駒なれや〈上上平上上〉(伏片1045。こまなれやあ HHLHF。「駒にあれや」〔こまに あれやあ HHHLHF〕の単純な縮約形です)
ありぬやと〈平上上上(平)〉(顕天片1025。ありぬやあと LHHFL)
思うつや〈平平上上上〉(図名。おもうとぅやあ LLHHF。「思ひつや」〔おもふぃとぅやあ LLHHF〕の音便形でした)
やすからむや〈平上平平上上〉(図名。やしゅからムやあ LHLLHF。「やすくあらむや」〔やしゅく あらムやあ LHLLLHF〕のつづまった言い方です)
つつまめや〈平平平上上〉(伏片・家425。とぅとぅまめやあ LLLHF)
助詞「や」が、低起二拍動詞の終止形(一般)や已然形、「ぬ」「つ」「む」のような助動詞の終止形や已然形に高く付いています。低く付く例はありません。「春や」〈平上平〉(訓47。ふぁるうや LFL)においてそうであるように、古今集声点本ではこの助詞は降(くだ)り拍には低く付くことが多いので――「秋をば」〈(平上)上上〉(寂302。あきいうぉンば LFHH)のような言い方は古今集声点本では少数派の言い方でした――、その古今集声点本から引いた上の四例において動詞や助動詞に「や」がいずれも高く付き、低く付く例は見えないということは、それらにおける動詞の末拍や助動詞はいずれも高平調をとると見るのが自然だということです。図名の「思うつや」〈平平上上上〉(おもうとぅやあ LLHHF)と「やすからむや」〈平上平平上上〉(やしゅからムやあ LHLLHF)とについて言えば、それらは東点を用いる流儀による注記である可能性が高い以上、また、短い下降調に「や」が高く付くとは考えにくい以上、「つ」「む」は高平調をとると見るのが自然です(注)。一方、多くの先覚の説くとおりそれらの動詞や助動詞の終止形(一般)や已然形は文節末において下降調に終わると見られます。するとそれらの末拍は柔らかいのです。
注 東点を用いない流儀による注記である可能性も低いながらあります。その場合、「つ」「む」が高平調である可能性のほかに、それらが長い下降調でありそれに「や」が高く付いている可能性もあるということになりますけれど、古今集声点本の四例も含めて「や」の低く付く例が一つもないことを考えると、その可能性はごく低いものにとどまります。
平安時代の京ことばに「柔らかい拍」と呼べる拍の存在することは疑いないと思います。平安時代の京ことばをなす拍は、まず大きく、おのれのアクセントを変えないことを基本とする拍と柔らかい拍とに分けられます。何(なに)そは〈平上上上〉(顕天片・伏片・家・永・毘1052〔『毘』は「何」に点なし。『高貞』は「何ぞは」〈(平上)上上〉〕、伏片・寂382、梅・寂・永615。なにしょふぁ LHHH)
むすめぞや〈上上平上上〉(御巫私記〔『研究』研究篇下p.145〕。むしゅめンじょやあ HHLHF)
おくらさむやは〈上上上上(上)上上〉(伏片367。おくらしゃムやふぁ)
実(み)やは〈上上上〉(毘・訓463。みいやふぁ HHH)
においてそれぞれの末拍「は」「や」の低まっていないのは、それらに先立つ「ぞ」「や」が高平調だからだと考えられます。
このことに関しては、「何そは」〈平上上平〉(毘382。なにしょふぁ LHHL)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704。あふぁンじゃらめやふぁ LHLLHHL)のような注記のあることに申し及ばなくてはなりません。申したように、『研究』によれば『毘』と『高貞』とは今は失われた或る同一の片仮名本からの移声によって成るものらしいので(研究篇下p.484)、実質的に二例でしょうが、こうした言い方のあることを根拠に「ぞ」「や」は文節中で下降しているとすることはできません。かりに「ぞ」「や」が文節中で下降する拍だとすると、「ぞは」「やは」において「は」の低い例が古今集声点本にもっと多く見られるのでなくてはなりません。『毘』自身、1052では「何そは」に〈(平上)上上〉を差し、463では「実(み)やは」に〈上上上〉を差し、高貞も1052では「何ぞは」〈(平上)上上〉を差します。
「は」のような助詞は本来的に高いものの、中後期の古今集声点本では、高い拍の次で、時たま、みずから低まります。今しがた引いた「何そは」〈平上上平〉、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉のほかに、訓938詞書の「あがたみには」〈平平平上上平〉(あンがたみにふぁ LLLHHL)や同454の「こころばせをば」〈○○○上平上平〉、さらには、のちにも言い及ぶ「消えずは」〈上上上平〉(伏片・家63。きいぇンじゅふぁ HHHL)などでもこの現象が見られます。収集できたのはこれら五つで、上声点に「は」の高く付く例は容易に五十例ほどを数えることができますから、確かに時たま低まるに過ぎないと言ってよいと思います(いずれもほかの付属語を先立てているのは、注目すべきことなのでしょう)。「は」と同じく本来的に高い「て」のような助詞にも、同じ現象が見られました。しかし、岩紀や図名では「は」「て」のような助詞が高い拍の次でみずから低まることはなく、初期古今集声点本でもそうしたことは、少なくとも稀にしか起きません。また、やはり本来的に高い「に」「を」「が」のような助詞は、後期古今集声点本の時代に至っても勝手に低まることはないようです。このうち「に」については、のちに詳しく見ますけれども、古今・恋五756に「あひにあひて」という言い方が見えていて、この「あひに」に訓が〈平上平〉を差すのをその例と見ることが可能といえば可能です(毘・高貞は〈平上○〉)。しかしむしろ〈平上上〉とすべきところをまちがったのだと見るほうが自然ではないかと思います。
「何そは」〈平上上平〉(毘382)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704)のような言い方は、顕天平568注(万葉763)の「ありて」〈平上平〉などと同じく、高い拍の次で助詞が勝手に低まったのだと考えられるのであって、これらの例から文節中の「ぞ」「や」の下降性を結論することはできません。
「何(なに)そは」〈平上上上〉のような言い方における「そ」(「ぞ」)は、高平調をとったのでしょう。岩紀108の「裂手(さきで)そもや」〈平平平上平東〉(しゃきンでしょもやあ LLLHLF)における「そ」についても同じ。上声点は高平調をのみ意味し助詞「そ」は固有のアクセントとして下降調をとると見る論者は、この「そ」に差された上声点を誤点とするよりほかにありませんけれども、小論の見るところでは、この「そ」は文節中にある柔らかい拍として高平調をとります。
ところで、「も」「し」「ぞ」「や」のような助詞は、文節中で高平調をとるとは限らず、また文節末で下降調をとるとは限りません。すでに申したとおり、それらは、「こめだにも」〈平平上平平〉(岩紀107。二つあるうちの一つ)に見られたように、先立つ拍の低下力に負けることも多いばかりでなく(負けないことも多いが負けることも多いばかりでなく)、いくつかは改めて引けば、
千代にも〈平東上平〉(岩紀102。てぃよおにも LFHL)
さきでそもや〈平平平上平東〉(岩紀108。しゃきンでしょもやあ LLLHLF)
わが手とらすもや〈平上平平平上平東〉(岩紀108。わあンがあ てえ とらしゅもやあ LHL・LLHLF)
にくみするをも〈平上平上上上平〉(図名。にくみ しゅるうぉも LHLHHHL)
鼻も〈上上平〉(梅1043。ふぁなも HHL)
うべしかも〈上上平上東〉(岩紀103。うンべしかもお HHLHF)
中(なか)し〈平上平〉(伏片・梅・京中など465。なかし LHL)
風ぞ貸しける〈上上平上平上平〉(伏片362。かンじぇンじょ かしける HHLHLHL)
みまさかや〈上上上上平〉(顕天片・顕大1083。みましゃかや)
に見られるように、高い拍の次でみずから低平化することが多いからです。岩紀の「うべしかも」〈上上平上東〉では「も」のほうは高い拍の次で低まっていませんし、古今集声点本にも、「鼻も」〈上上上〉(伏片1043。ふぁなもお HHF)、「中し」〈平上上〉(京秘465。なかしい LHF)、「梅(むめ)ぞも」〈(上上)上平〉(寂・毘33。ムめじょも)、「しなてるや」〈上上上上上〉(顕府〔53〕補1。しなてるやあ HHHHF)のような低まらない言い方が見られます。しかしすでに岩紀において、低まる言い方のほうが多いようです。古今集声点本では、すると当然ながら、低まる言い方のほうがずっとたくさん見られます。
すると、拍の柔らかさは再定義されなくてはなりません。前(さき)の定義では柔らかい拍とは、文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍なのですから、この定義を維持するかぎり、例えば「も」は「千代にも」〈平東上平〉のようにも言うから柔らかい拍でない、ということになってしまいます。事のありように即した概念を求めるならば、柔らかい拍を、「固有のアクセントを持たない拍」と定義したうえで、
ⅰ 文節中では高平調、文節末では下降調をとる。
ⅱ ただし低下力に負ける時、および高い拍の次で低まる時はその限りでない。
という性質を持つとするのがよいと考えられます。
柔らかい拍がこういう性質をもつことを利用して、個々の付属語の性格を見定めることができます。例えば、常に低いのではない助詞が高い拍の次でしばしば低まるならば、その助詞は柔らかいと判断してさしつかえないでしょう。例えば禁止の「な」は、「濡らすな」〈上上平上〉(顕天片・顕大1094。ぬらしゅなあ HHLF)のようなアクセントをとる一方、「出(い)づな」〈平上平〉(訓652。いンどぅな LHL)や、「みだるな」〈平平上平〉(顕天片568注〔万葉2788〕。みンだるな LLHL。ただし現行の万葉のテクストは「みだれな」で〔この「な」は願望を示します〕、確かにこうでないと意味が通りません)のように、高い拍の次ではもっぱら低まるところから、柔らかいと判断できます。
他方、常に低いのではない助詞が高い拍の次でしばしば低まるようなことがないならば、それは本来的に高いと判断できます。助詞全体を概観することは後(のち)の課題ですけれども、「に」「を」「が」「は」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして高平調をとると見る拍はやはりおおむね本来的に高く、「も」「し」「ぞ」「や」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして下降調をとると見る拍はおおむね柔らかいということができます。
ただ助詞「か」は、古今集声点本の時代に下降調から高平調に変わったかとする見方もありますけれど(『研究』研究篇下pp.148,193)、一貫して柔らかかったと見てよいと思われます。その常に低いのでないことは、
あふものか〈平上平平上〉(顕天平568注〔万葉2448〕。あふ ものかあ LHLLF。通行のテクストは「あふものを」〔あふ ものうぉ LHLLH〕)
などが示し、誰(たれ)か〈上上平〉(図名。たれか HHL)
いかでか〈上平上平〉(図名。いかでか HLHL)
おくらぬか〈上上上上平〉(図名。おくらぬか HHHHL。打消の「ぬ」は本来的に高いと見られます。詳細後述)
みちびかぬか〈上上上(上)上平〉(図名。みてぃンびかぬか HHHHHL)
いかにか〈上平上平〉(顕天平509注〔索引篇による〕。いかにか HLHL)
誰(たれ)をかも〈平上上平平〉(訓909。「誰」の初拍の平声点は存疑。たれうぉかもお HHHLL。「かも」は二語と見ることができます)
嚏(ひ)ぬかな〈上上平平〉(伏片・訓1043。ふぃぬかな HHLL。「かな」も二語と見ることができます)
思ひぬるかな〈平(平上)上上平上〉(訓842。おもふぃぬるかなあ LLHHHLF)
は、この助詞が古今集声点本の時代にも柔らかいことを示すでしょう。高い拍の次で低まるとは限らないことは、「すずしくもあるか」〈平平上平上平上上〉(毘170。しゅンじゅしくもお あるかあ LLHLFLHF)、「成り行くか」〈(平上)上上上〉(訓784。なりい ゆくかあ LFHHF)のような注記が示します。高い拍の次の「か」が文節末にあるとき低まらず下降調をとることも多いことは、この助詞の「も」「し」のような助詞とは少し異なるところだと申せます。
雨雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから 古今・恋五784、伊勢物語19。あまンぐもの よしょにも ふぃとの なりい ゆくかあ しゃしゅンがに めえにふぁ みゆる ものから LLLLL・HLHLHLL・LFHHF・LHHHLHH・LLHLLHL。詞書によれば、かの業平がさる女人のもとに通うようになったが、「恨むることありて、しばしのあひだ昼は来て夕(ゆふ)さりは帰りのみしければ」(うらむる こと ありて、しンばしの あふぃンだ ふぃるふぁ きいて ゆふしゃりふぁ かふぇりのみい しいけれンば LLLHLL・LHH・LHLLHHL・HLHRH・HHHHH・LLHLFFHLL)、女の詠んだ歌。「雨雲の」(=雨雲のように)は、ここでは「よそ」を導く枕詞。来てはくださるものの、だんだんあなたと他人の関係になってゆくのですね、と言っています。「帰りのみしければ」のアクセントのことは、後(のち)に。
なお、古今集声点本においてこの助詞「か」が下降拍に高く付く例の複数見られることをこの助詞の特異な性格と見る向きもありますけれど(『研究』研究篇下p.148)、
春かは〈(平上)上上〉(寂131。ふぁるうかふぁ LFHH)
蔭(かげ)かは〈(平上)上上〉(寂134。かンげえかふぁ LFHH)
影かも〈(平上)上平〉(寂・毘102。かンげえかも LFHL)
のような言い方、大半が『寂』のものである言い方は、その『寂』302が「秋をば」に〈(平上)上上〉を差したのなどと同じことで、名詞の末拍を引いた時の発音が記されているのだと思います。
柔らかい拍のふるまい方の見本として、もう一つ、いずれも柔らかい助詞である「し」「か」「も」がこの順で並んだ「何(なに)しかも」への注記、古今1001の長歌の一部ですがそれを、その解釈とともに示します。
(平)上平平上 伏片 なにしかもお LHLLF
平上平上平 寂 なにしかも LHLHL
(平上)上上平 梅 なにしかも LHHHL
『伏片』の「何しかも」〈平上平平上〉では「し」が高い拍の次でみずから低まり、「か」は先立つ純粋な二拍のなす下降調の低下力に負け、「も」は卓立し、文節末ゆえ拍内下降します。どうやら、鎌倉時代のある時期までは、この「も」も低めて「なにしかも LHLLL」と発音するようなことはなかったと思われます。鎌倉後期には、例えば訓442の「踏みしたく鳥」〈(上平)平平平(上上)〉(ふみ したく とり HLLLLHH)のような例があったわけですけれども、それ以前は、「なにしか」をLHLLと発音したら、最後の「も」は義務的に卓立した(卓立し下降した)模様です。LHLLのようなアクセントは下降形式を持つとは言えず、むしろ低平連続調に準ずるものとしてあったのでしょう。それゆえ「も」のような柔らかい拍は義務的に卓立したのだと考えられます。
『寂』の「何しかも」〈平上平上平〉で「し」の低いのは高い拍の次でみずから低平化したのであり、その次の「か」は純粋な二拍のなす下降調の低下力に抗して卓立し、文節中なので高さを保ちます。「も」はその卓立した高い「か」の次でみずから身を低めています。
最後に『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉では、「し」は高い拍の次で身を低めず、文節中ゆえ高さを保ち、「か」は、その高い「し」にやはり高く付き、やはり文節中ゆえ高さを保ち、「も」はそれに低く付いています。
「も」のような柔らかい拍が、古くから、高い拍の次で下降調をとることも低まることも多かったことは、岩紀が一方で「うべしかも」〈上上平上東〉(うンべしかもお HHLHF)のような注記を、他方で「千代にも」〈平東上平〉(てぃよおにも LFHL)、「さきでそもや」〈平平平上平東〉(しゃきンでしょもやあ LLLHLF)のような注記を与えることから明らかなのでした。すると「何しかも」は、上の言い方のほかにも、さらに、古い流儀で記せば、「なにしかもお」〈平上平上東〉(なにしかもお LHLHF)、「なにしかもお」〈平上上上東〉(なにしかもお LHLHF)なども言えたわけです。複雑なようですが、慣れればむつかしいことはありません。
さまざまな言い方がある場合、おのずと相対的に好まれる言い方とそうでない言い方とがあるということも多いでしょう。古今集声点本に限らず、岩紀のような古い文献を含めて、さまざまな例を見あつめてみると、まず、柔らかい助詞が連続する時それに〈上上〉が差されることは少ないようです。つまり今しがた見た『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉は少数派に属する言い方です(もしかしたら『梅』の注記は『寂』と同じ〈平上平上平〉という言い方を書き誤まったものかもしれません)。それから、柔らかい拍の連続する時は、文節をLFというアクセントで終えることが好まれたようです。のちにも確認しますけれど、すでに引いた、
かくしもがも〈上平平東(ママ)平東〉(岩紀102。かくしもおンがもお HLLFLF)
裂手(さきで)そもや〈平平平上平東〉(岩紀108。しゃきンでしょもやあ LLLHLF)
わが手とらすもや〈平上平平平上平東〉(岩紀108。わあンがあ てえ とらしゅもやあ LHL・LLHLF)
畏(かしこ)きろかも〈平平平東平平東〉(前紀47。かしこきいろかもお LLLFLLF)
といった例がそうだったわけで、「うべしかも」〈上上平上東〉(岩紀103。うンべしかもお HHLHF)など、そうでない言い方も無論あるものの、LFで終えることが相対的に好まれたということは言えるようです。ちなみにこの「うべしかも」に、図紀は〈上上平平東〉を差すようです(「か」への注記は平声点と見られます。東点の位置、上声点の位置には何もなく、平声点の位置には小円の一部と思しきものがあります)。
さて柔らかい拍の性質として、もう一つ加えなくてはならないものがあります。「式を保存するために上昇調にはじまることがある」という性質です。「来(く)」の連用形(一般)、終止形(一般)、命令形(「来(こ)」なのでした)、「見る」「干(ひ)る」の連用形(一般)、「得(う)」「経(ふ)」の連用形(一般)、終止形(一般)のような、低起動詞の一拍からなる活用形は、例えば低起二拍動詞「成る」の連用形(一般)の末拍などと同じく柔らかいと考えられます。すなわち、文節中では上昇調で言わるものの(例えば「来て」は「きいて RH」)、文節末では下降調に終わります(例えば「来(き)、」は「きいい ℓf」)。
かくて、こうまとめられます。
古代から中世前期にかけての中央語では、拍はまず、固有のアクセントを持つものと持たないものとに分類できる。前者には、本来的に低い拍、本来的に高い拍、本来的に下降する拍、本来的に上昇し下降する拍が属し、後者には柔らかい拍が属す。柔らかい拍は次の性質を持つ。
ⅰ 文節中では高平調、文節末では下降調をとる。
ⅱ ただし低下力に屈して低平調をとったり、高平拍の次でみずから低平調をとることがある。
ⅲ また、式を保存するために上昇調にはじまることがある。
柔らかい拍は、そのつど、低平調、下降調、高平調、上昇調、上昇下降調のいずれかとして発音されるのですから、つまり当時の中央語としてとりうるすべてのアクセントをとりうるのですから、一つの潜在的な存在だと申せます。以下、柔らかい拍を意味する記号として記号Sとℓsとを採用します。Sおよびsはsoftの略です。例えば「成る」の連用形(一般)はLSと書けます。これによって、文節中にある時はLH、文節末にある時はLFと言われることを示せます。また例えば「風も」はHHSと書けます。これによって、文節中にある時はHHHまたはHHL、文節末にある時はHHFまたはHHLと言われることを示せます。また例えば「来(く)」の連用形(一般)はℓsと書けます。これによって文節のはじめではℓh=R、文節の終わりではℓfと言われることを示せます。
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9 動詞のアクセント(Ⅱ) [目次に戻る]
a 単純動詞についてのまとめ [目次に戻る]
長いみちのりでした。例えば低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は柔らかい拍であって、それゆえそれは文節中では高平調をとり、文節末では下降調をとるのでした。以前記した低起二拍、多数派低起三拍動詞のアクセントの表は、申したとおり、未然形以外は文節末におけるアクセントを示したものでした。今、二拍動詞の古典的なアクセントを、文節中におけるそれも含めて記すならば、次のようになります。S、およびℓsにおけるsは、繰り返すと柔らかい(soft)拍を意味します。なお以下における「連用」「終止」「連体」はそれぞれ「連用形(一般)」「終止形(一般)」「連体形(一般)」を意味します。「蹴る」の各活用形は、申したとおり表に記した以上に長く言われたかもしれません。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
咲く HH HL HL HH HL HL
成る LH LS LS LH LS LS
告ぐ HH HL HL HHH HHL HLF
起く LH LS LS LLH LLS LHL
来 R ℓs ℓs LH LS ℓs
得 R ℓs ℓs LH LS RL
見る R ℓs LS LH LS RL
蹴る R ℓs LS LH LS RL
他方、サ変動詞「す」の連用形(一般)などは、文節中でも下降調をとるのですから、本来的な下降拍です。『研究』が助詞「て」や完了の助動詞「ぬ」の記述において一拍動詞とそれ以外とを区別したのは、かれとこれとに性質の差のあることに応じた、極めて理にかなったものだったと思います。
単純動詞では、本来的な下降拍をなすのは、さしあたりサ変「す」や下二段「寝(ぬ)」の連用形(一般)(しい F、ねえ F)、終止形(一般)(しゅう F、ぬう F)、命令形(古典的には「しぇえよお FF」「ねえよお FF」)の初拍(末拍は低下力で低まり得ます)、「着る」「似る」のような高起一段動詞の連用形(一般)(きい F、にい F)、命令形(古典的には「きいよお FF」「にいよお FF」)の初拍だけですけれども、「消ゆ」(きゆ HL)の連用形(一般)「消え」(きえ HL)の
つづまった「消(け)」(けえ F)――例えば『顕天平』551は「消(け)ぬ」に〈上上〉(けえぬう)を差していました――も、つづまったことによって高起一拍動詞の性質を帯びます。
それから、図名が「飢(ゑ)て」に〈東上〉を差しています。この「飢(ゑ)」は、低起二拍の「飢う」(ううう LF)の連用形「飢ゑ」(ううぇえ LF)が一拍につづまったもので、つづまったことにより高起一拍動詞として長い下降調をとったでしょうけれども、同時に、式を保つために低くはじまったでしょう。図名の「飢(ゑ)て」〈東上〉の初拍の東点は上昇下降調の略表記と解釈せらるべきものであり(手持ちの手段でやりくりしているのです)、全体は「ううぇえて ℓfH」と発音されたのではないでしょうか。図名はまた「さもあらばあれ」(しゃあもお あらンば あれえ LFLHLLF)のつづまった「さまらばれ」に
〈平東上平東〉(しゃあまあらンばれえ LFHLF)を差すのでしたけれども、この末拍の東点などは、「れえ F」と見ても、「あれえ ℓf」と見ても実質的に変わりません。
こうした一拍動詞かそれに準ずるものを除けば、動詞では、文節末において下降調か上昇下降調をとる拍は柔らかい拍であって、それらの拍は文節中では高平調をとるか、式を保つために上昇調をとるかする、というのが、平安時代の京ことばにおける動詞のアクセントの概要です。単純動詞に関してはまだナ変動詞とされる「往ぬ」「しぬ」、さらには少数派低起三拍動詞のことを考えておらず、また複合動詞のことも残っていますけれども、それらを含めて、そういうことになると思います。ここで、平安時代の京ことばにおける動詞の、アクセントを考えに入れた全活用形を概観します。助詞・助動詞自体についての詳細は、のちに縷々書き連ねます。
アクセントを考慮するならば、活用形は、未然形・連用形・終止形・連体形において「一般(形)」と「特殊(形)」とがありますから、それらに已然形、命令形を併せた、つごう十種(とくさ)を区別しなくてはなりません。以下それぞれを、あれこれと尾ひれをつけながら概観します。
i 未然形(一般)
これは、打消の助動詞「ず」(じゅ S〔詳細後述〕)の連用形と終止形、打消の助詞「で」(で L)、仮定を意味する「ば」(ば L)を従える時に動詞のとるアクセントです。
未然形(一般)は、高起動詞のばあい基本的には高平調。のちに記すとおり例外もありますけれど、ここでは基本となる言い方だけを記します(以下においてほかの活用形を紹介する時も同じ)。低起動詞のばあい、基本的にはR、LH、LLH、LLLH(…)というアクセントをとります。つまりその末尾は本来的に高いと申せます。
知らず〈上上平〉(岩紀111。しらンじゅ HHL。下に全体を引きます。以下同じ)
響(とよも)さず〈平平平上平〉(岩紀110。とよもしゃンじゅ LLLHL)
摘まで〈上上平〉(毘・高貞1017。とぅまンで HHL)
見えで〈平上平〉(毘797。みいぇンで LHL)
拾はば〈上上上平〉(毘424。ふぃろふぁンば HHHL)
恋ひば〈平上平〉(伏片653。こふぃンば LHL)
小林(をばやし)に 我を引きいれてせし人の面(おもて)も知らず家も知らずも〈上上上平上/平上上上平上平上/上上上平平/平平平東上上平/平平東上上平東〉(岩紀111〔二とおりの注記のあるのを統合しました〕。うぉンばやしに われうぉ ふぃき いれて しぇえしい ふぃとの おもてもお しらンじゅ いふぇもお しらンじゅもお HHHLH・LHHHLHLH・HHHLL・LLLFHHL・LLFHHLF。意味はよく分かりません)
遠方(をちかた)の浅野の雉(きぎし)響(とよも)さず我は寝しかど人そ響(とよも)す〈上上上上上・平平上平上上上・平平平上平・平上上上上平平・上平東平平平上〉(岩紀110。二つあるうちの二つ目。うぉてぃかたの あしゃのの きンぎし とよもしゃンじゅ われふぁ ねえしかンど ふぃとしょお とよもしゅ HHHHH・LLHLHHH・LLLHL・LHHHHLL・HLFLLLH。この「ず」は連用形。妻を求めて鋭く鳴く雉とはちがって、私はけどられないよう注意しながらこのご婦人とごいっしょしたのだが、このかたの旦那さんが雉のような声をだしている、とはどういうことでしょう)
秋来れば野辺にたはるる女郎花(をみなへし)いづれの人か摘まで見るべき 古今・誹諧1017。あきい くれンば のンべえに たふぁるる うぉみなふぇし いンどぅれの ふぃとかあ とぅまンで みるンべきい LFLHL・LFHHHHH・HHHHL・LHHHHLF・HHLLLLF。女郎花という字を当てる花を、誰が摘まずに見ていられよう、と言っています。
色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける 古今・恋五797・小野小町。いろ みいぇンで うとぅろふ ものふぁ よおのお なかの ふぃとの こころの ふぁなにンじょ ありける LLLHL・LLLHLLH・HHLHL・HLLLLHL・LLHLLHHL
波の打つ瀬見れば玉ぞ乱れける拾はば袖にはかなからむや 古今・物の名・うつせみ(うとぅしぇみ HHHL〔後述〕)424。なみの うとぅ しぇえ みれンば たまンじょお みンだれける ふぃろふぁンば しょンでに ふぁか なあからムやあ LLLLH・HLHLLLF・LLHHL・HHHLHHH・LLRLLHF。波打ち際を見ると白玉が散り乱れているではないか。しかしこの白玉、拾って袖につつもうとしたら消えてしまいそうだ。
花すすきほにいでて恋ひば名を惜しみ下ゆふ紐のむすぼほれつつ 古今・恋三653。ふぁなしゅしゅき ふぉおにい いンでて こふぃンば なあうぉお うぉしみ したゆふ ふぃもの むしゅンぼふぉれとぅとぅ LLLHL・FHLHHLHL・FHLHL・HHHHHHH・HHHHLHH。人目につくような 恋しがりかたをしたら困ったうわさが立ちそうなのでこのところ気が晴れないでいる。「ほに」のアクセントについては後述。
ⅱ 未然形(特殊)
これは、打消の「ず」の連体形「ぬ」(H)ならびに已然形「ね」(S)、意志・推量の「む」(S)、打消意志・打消推量の「じ」(S)、反実仮想の「まし」(HF)、それから、自然発生・受け身・可能・主格敬語の「る」「らる」、使役や(「敬意の」ではなく)敬意を強める「す」「さす」「しむ」、敬意ないし親愛の情を示す「す」を従える時の動詞のアクセントです。未然形(特殊)は、基本的には式に応じて高平連続調、低平 連続調をとります。
避らぬ別れ〈上上上(平平平)〉(梅・京中・伊・高嘉・寂・毘・高貞900、伏片901。しゃらぬ わかれ HHHLLL。歌全体は下に引きます)
つかへまつらむ〈上上平上上上上〉(岩紀102。とぅかふぇ まとぅらムぅ HHLHHHF。時代劇などで聞く「つかまつる」の原形は「つかうまつる」(とぅかう まとぅる HHLHHL)で、これは「仕へ奉(まつ)る」〔とぅかふぇ まとぅる HHLHHL〕の音便形です。岩紀の「つかへまつらむ」〈上上平上上上上〉の末拍はさしあたり終止形と見るべきで、するとこれは短い下降調です。〈上上平上上上東〉〔とぅかふぇまとぅらムう HHLHHHF〕と言ってもよいのでしょう)
懲りぬ心〈平平上(平平上)〉(毘・高貞614。こりぬ こころ LLHLLH)
分かねば〈平平上平〉(毘・高貞・訓870。わかねンば LLHL)
やすからむや〈平上平平上上〉(図名。再掲。やしゅからムやあ LHLLHF。「やすくあらむや」〔やしゅく あらムやあ LHLLLHF〕のつづまった言い方でした)
我が手をとらめ〈平上平上平平東〉(岩紀108。わあンがあ てえうぉお とらめえ LHLHLLF)
老いぬれば避らぬ別れもありといへばいよいよ見まくほしき君かな 古今・雑上900。おいぬれンば しゃらぬ わかれもお ありいと いふぇンば いよいよ みいまく ふぉしきい きみかなあ LHHLL・HHHLLLF・LFLHLL・HHLLLHH・LLFHHLF。「見まく」は『伏片』が〈平上平〉としますけれども、古くは〈平上上〉(みいまく LHH )でしょう(後述)。業平の老母が業平に贈った名高い歌。次が業平の返歌です。
世の中に避らぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため(よおのお なかに しゃらぬ わかれの なあくもンがなあ てぃよおもおと いのる ふぃとの こおのお ため HHLHH・HHHLLLL・RLHLF・LFFLLLH・HLLHHHL)
頼めつつ逢はで年ふるいつはりに懲りぬ心を人は知らなむ 古今・恋二614。たのめとぅとぅ あふぁンで とし ふる いとぅふぁりに こりぬ こころうぉ ふぃとふぁ しらなムう LLHHH・LHLLLLH・LLHHH・LLHLLHH・HLHHHLF。逢いに行く逢いに行くと言って逢いに来ないで何年も経つというあなたのでたらめぶりに懲りていないということを、ご承知おきください。
日の光藪(やぶ)し分かねばいそのかみ古(ふ)りにし里に花も咲きけり 古今・雑上870。ふぃいの ふぃかり やンぶし わかねンば いしょの かみ ふりにし しゃとに ふぁなもお しゃきけり FLLLL・HHLLLHL・HLLLH・LHHHHHH・LLFHLHL。日の光は藪にも差してくれるので、田舎にも花が咲くのでした。帝のおめぐみで五位に叙せられた嬉しさを言ったアレゴリー。
向(むか)つ峰(を)に立てる夫(せ)らが柔手(にこで)こそ 我が手をとらめ 誰(た)が裂手(さきで) さきでそもや わが手 とらすもや〈上上上平上・平上平上平上・上上平上平・平上平上平平東・上上平平平・平平平上平東・平上平平平上平東〉(岩紀108。むかとぅ うぉおにい たてる しぇらンが にこンでこしょ わあンがあ てえうぉお とらめえ たあンがあ しゃきンで しゃきンでしょもやあ わあンがあ てえ とらしゅもやあ HHHLH・LHLHLH・HHLHL・LHLHLLF・HHLLL・LLLHLF・LHL・LLHLF。向こうの岡に立っている男子の柔らかい手なら私の手をとってもよいけれど、いったい全体、誰のごそごそした手が私の手をとるんです。猿が詠んだのだそうです)
ここで、「る」「らる」、「す」「さす」「しむ」、敬意や親愛の情を示す四段活用の「す」のことを見てしまいます。申したとおり、これらも先立つ動詞に未然形(特殊)を要求します。これら六つは一般には多く助動詞とされます。それを間違いということはできませんけれども、識者はしばしばそれらを動詞(ないし動詞相当語句)を作る接辞(詳しく言えば接尾辞)とします。実際それらは、「き」「けり」「ぬ」「つ」「む」のような典型的な助動詞とはありようを異にします。例えば動詞が「る」「らる」以下と主格敬語の「たまふ」とを従える場合、「思はれたまふ」(おもふぁれえたまふう LLLFLLF)、「思はせたまふ」(おもふぁしぇえたまふう LLLFLLF)という語順がとられるのに対して、動詞が「き」「けり」以下と主格敬語の「たまふ」とを従える場合、「思ひたまひぬ」(おもふぃいたまふぃぬう LLFLLHF)、「思ひたまひけり」(おもふぃいたまふぃけり LLFLLHHL)のような語順がとられるという、性質の違いがあるからですけれども、アクセントの観点から見ても、両者には差があります。動詞が「る」「らる」以下の六つを従える場合、全体が新しい一つの動詞であるかのようなアクセントをとります。例えば「問ふ」(とふ HL)が主格敬語の「る」を従えた「問はる」は「とふぁる HHL」という、高起三拍動詞と同じアクセントで言われます。「問はる」は辞書に載すべきものではないという意味で、「問ふ」などと並ぶ一つの動詞だとは言いにくいわけですけれども、しかしアクセント上は一つの動詞としてのアクセントをとります。
問はるらむ〈上上平平上〉(顕天片1003。とふぁるらム HHLLH。長歌で、引きませんけれど、この「らむ」は係助詞「や」の結びなので連体形です。「問はれず」は「とふぁれンじゅ HHHL」、「問はれて」は「とふぁれて HHLH」というように、全活用形においてその活用は高起三拍動詞と同じと見られます)
ただ低起動詞では一つの注意が必要で、例えば改名(高山寺本・観智院本)に、
いざなふ〈平平上平〉
いざなはる〈〇〇〇上平〉
という注記があり(表記は変更しました)、これは鎌倉時代ごろ「いざなふ」(いンじゃなふ LLHL)が接辞「る」を従えた「いざなはる」は「いンじゃなふぁる LLLHL」というアクセントで言われ得たことを意味しますけれども、家620に、
いざなはれつつ〈平平平平上上上〉(いンじゃなふぁれとぅとぅ LLLLHHH)
という注記があり、伏片620も同じ個所に〈平平平平上〇〇〉を差します。古いのはこちらの言い方であることは、岩紀107に、
食(た)げて通(とほ)らせ〈平上上平平平東〉(たンげて とふぉらしぇえ LHHLLLF。「通る」〔とふぉるう LLF〕が四段活用の「す」の命令形を従えています。全体は下に引きます)
という注記のあったのからも、また図名の、
にくまる〈平平平上〉(にくまるう LLLF。「憝」に対する訓み。「憎まる」と同じこと)
後手(しりへで)に縛(しば)らる〈平平平平上平平平上〉(しりふぇンでに しンばらるう。何度見ても穏やかでありません)
かうぶらしむ〈平平平平平上〉(「被」に対する訓み。かうンぶらしむう LLLLLF)
のような注記からも明らかです。
終止形が四拍以上になる低起動詞では「あらはる」(あらふぁる LLHL)、「いざなふ」(いンじゃなふ LLHL)式の言い方が基本なのですから、「通らす」(とふぉらしゅう LLLF)、「憎まる」(にくまるう LLLF)のような言い方は奇妙ということになりそうですけれども、低起二拍、多数派低起三拍動詞の延長上で了解できるのですから、確かに一つの動詞のようなアクセントで言われると申せます。
岩の上(へ)に子猿(こさる)米(こめ)焼く米だにも食(た)げて通(とほ)らせ山羊(かましし)の老翁(をぢ) 〈上平平平上・上上上平平上平・平平上平東・平上上平平平東・平平平平平上上〉(岩紀107〔二とおりの注記のあるのを統合しました〕。いふぁの ふぇえにい こしゃる こめ やく こめンだにもお たンげて とふぉらしぇえ かまししの うぉンでぃ HLLLH・HHHLLHL・LLHLF・LHHLLLF・LLLLLHH。岩の上で小猿が米を焼いていますよ。それでも食べてお行きなさいな、羚羊(かもしか)のじいさん)
使役の「す」の例としては、古今集の仮名序の一節「あはれと思はせ」に『家』が〈(平平上平平平)平上〉(あふぁれえと おもふぁしぇえ LLFLLLLF)を差しているのを引いておきます。参考までに冒頭から引きます。
やまと歌は人の心を種としてよろづのことの葉とぞなれりける。世の中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり。花に鳴くうぐひす、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずしてあめ、つちを動かし、目に見えぬ鬼、神をもあはれと思はせ、をとこ、をむなの仲をもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、歌なり。
やまとうたふぁ ふぃとの こころうぉ たねと しいて よろンどぅの ことのふぁあとンじょお なれりける。よおのお なかに ある ふぃと、こと、わンじゃ、しンげきい ものなれンば、こころに おもふ ことうぉ、みる もの、きく ものに とぅけて
いふぃ いンだしぇるなり。LLHLLH・HLLLLHH・LHLFH・LLHL・LLLFLF・LHLHL。HHLHH・LHHL、LL、HL、LLFLLHLL、LLHHLLHLLH、LHLL・HHLLHLHH・HLLLHLHL。ふぁなに なく うンぐふぃしゅ、みンどぅに しゅむ かふぁンどぅの こうぇえうぉ きけンば、いきと
しい いける もの、いンどぅれかあ うたうぉ よまンじゃりける。てぃからうぉも いれンじゅしいて あ
めえ、とぅてぃうぉ うンごかし、めえにい みいぇぬ おに、かみうぉも あふぁれえと おもふぁしぇえ、うぉとこ、うぉムなの
なかうぉも やふぁらンげ、たけきい もののふの こころうぉも
なンぐしゃむるふぁ、うたなり。LLHHH・LLHL、HHHLH・HHHH・LFHHLL、LHLFLHLLL、LHHF・HLH・LHLHHL。HLLHL・HHLFH・LF、LLH・LLHL、LHLLH・LL、LLHL・LLFLLLLF・LLL、HHLL・LHHL・HHHL、LLF・LLLLL・LLHHL・HHHHHH、HLHL。
起源論を少々。「あらはる」(あらふぁる LLHL)、「いざなふ」(いンじゃなふ LLHL)のような低起多拍動詞の終止形は、元来「あらはる」(あらふぁるう LLLF)、「いざなふ」(いンじゃなふう LLLF)のようなもので、その下がり目が前にずれて「あらはる」(あらふぁる LLHL)、「いざなふ」(いンじゃなふ LLHL)のような言い方になったのではないか。岩紀の「通らせ」(とふぉらしぇえ LLLF)や図名の「にくまる」(にくまるう LLLF)、『家』の「思はせ」(おもふぁしぇえ LLLF)のような言い方は、そんな想像をさせます。とすればその動機は、例によって、発音する際の労力の軽減にあるのかもしれません。LLLFよりもLLHLの方が、拍内下降のない分、少し楽ではないでしょうか。そう変化しても式は十分保たれるわけで、不都合はありません。
低起二拍動詞においてこの変化の起こらなかったのは、式のことがあるからでしょう。すなわち、「成る」(なるう LF)、「あり」(ありい LF)のような二拍動詞の場合、たんに下がり目が前にずれると低起性が確保できません。「成る」(なある RL)、「あり」(ああり RL)とすれば式は何とか確保できますが、すると拍内下降がなくなったかわりに拍内上昇が起きて、労力軽減になりません。のちに詳説する少数派低起三拍動詞も、もともとは多数派低起三拍動詞に属していたのではないかと思います。
ちなみに、高起動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形も、古くは文節末において末拍に柔らかい拍を持ったと考えられます。つまり古くは例えば「咲く」は、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
咲く HH HS HS HH HS HS
のようなアクセントで言われたが、すでに古典的なアクセントとしては、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
咲く HH HL HL HH HL HL
のようになっていると考えてよいと思われます。HFではなくHLと言っても下降形式は維持されます。
ⅲ 連用形(特殊)
特殊形をさきに見ます。これは、過去の「き」の連体形「しH」・已然形「しかHL」、反実仮想の「せばHL」などを従える時のアクセントで、申したとおり、基本的には式に応じて高平連続調、低平連続調をとります。
為(せ)し人〈上上上平〉(岩紀111。しぇえしい ふぃと HHHL)
あつくをしへし〈上上平上上上上〉 図名(あとぅく うぉしふぇし。最後の「し」は上声点と見られます〔後述〕)
我は寝しかど〈平上上上上平平〉(岩紀110。われふぁ ねえしかンど LHHHHLL)
小鍬(こくは)持ち打ちし大根(おほね)〈平平平平上・平平上平上平〉(前紀58。こくふぁ もてぃい うてぃし おふぉね LLLLF・LLHLHL)
思ふにはしのぶることぞ負けにける色にはいでじと思ひしものを 古今・恋一503。『寂』が「おもひし」に〈〇〇平上〉を差しています。おもふにふぁ しのンぶる ことンじょお まけにける いろにふぁ いンでンじいと おもふぃし ものうぉ LLHHH・HHHHLLF・HLHHL・LLHHLLFL・LLLHLLH
ⅳ 連用形(一般)
連用形(特殊)以外の連用形です。「て」を従える時にこのアクセントをとることは見たとおりですけれども、ほかにも、完了の「ぬ」「つ」(いずれもS)、過去の「き」の終止形(H)、存続の「たり」(LS)、気づきの「けり」(HL)、過去推量の「けむ」(SS)などを従える時にはこのアクセントをとります。基本的には、高起動詞は、F、HL、HHL(…)、連用形が一拍になる低起動詞はℓs(文節中ならばℓh=R、文節末ならばℓf)、そうでない低起動詞は基本的にはLS、LLS、LLHL、LLLHL(…)というアクセントで言われます。四拍以上のものは、二拍、三拍のそれを単純に延長した言い方にならないのでした。連用形(一般)の末尾は、文節中では高いか低く、文節末では低いか下降します。
着て〈東上〉(図名。きいて FH)
懼(お)ぢて(=怖ぢて)〈上平上〉(図名。おンでぃて HLH)
すぐれたる〈上上平平上〉(図名。「絶」――例えば「絶景」の「絶」はこの意味――に対する訓。しゅンぐれたる HHLLH)
縊(くび)れぬ〈上上平上〉(図名。くンびれぬう HHLF)。
やらひき〈上上平上〉(御巫私記〔『研究』研究篇下〕。やらふぃきい HHLF)
かかやいて(=かがやいて)〈上上上平上〉(図名。「玲瓏」に対する訓。かかやいて HHHLH)
得たり〈去平上〉(字鏡。いぇえたりい RLF)
食(た)げて〈平上上〉(岩紀107。たンげて LHH)
あがいて〈平平上上〉(図名。あンがいて LLHH)
をろがみて〈平平上平上〉(岩紀102。うぉろンがみて LLHLH)
あやまちて〈(平)平上平上〉(図名。あやまてぃて LLHLH)
連用形(一般)はまた、「忘れもせず」のような言い方にもあらわれます。
忘れしもせむ〈上上平平平上上〉(訓547。古典的には例えば「わしゅれしも しぇえムう HHLHLLH」。歌全体は下に引きます)
みだれやしなむ〈平平上上上平平〉(顕天平568注〔補1。万葉2791〕。古典的には例えば「みンだれやあ しいなム LLHFFHH」)
行(い)きやしにけむ〈上平平○○○○〉(毘977。高貞は「ゆきやしにけむ」。古典的には例えば「いきやあ しいにけム HLFFHLH」)
まどひこそすれ〈平平上上平上平〉(訓1029。まンどふぃこしょ しゅれ LLHHLHL)
連用形(一般)を使う言い方が例がこれだけあるのですから、最後から二つ目の「いきやしにけむ」に対する伏片977の〈上上上○○○○〉のような注記を誤点を見るのは強引なことではないでしょう。なおこの「いき」に対する〈上上〉は、派生名詞「行き」(ゆき・いき HH)へのそれかもしれません。
磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)、天皇(すめらみこと)を偲ひて作らす歌(いふぁの ふぃめの おふぉきしゃき、しゅめらみことうぉ しのふぃて とぅくらしゅ うた〔…〕 HLLHLL・LLLHL、HHHHHHH・HHLH・LLLHHL)
君が行(ゆ)き日(け)長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ 万葉85。きみンが ゆき けなンがく なりぬう やま たンどぅねえ むかふぇかあ ゆかム まてぃにかあ またム HHHHH・LLHLLHF・LLLLF・HHLFHHH・LHHFLLH。平安時代の語法では「迎へや」(むかふぇやあ)、「待ちにや」(まてぃにやあ)となるところです。
それにしても、「忘れもせず」(わしゅれもお しぇえンじゅう HHLFHL)のような言い方における「忘れ」は、どういう性質の言い方でしょう。さしあたりそれは「忘却する」に近い意味の「忘れす」というサ変動詞が「も」を介入させ「ず」を従えたものですけれども、この「忘れ」は動詞から派生した名詞として存在を確立しているわけではありません。それは自由に「に」なり「を」なりの助詞を添えて使うような、いかにも名詞らしい名詞ではありません。高平連続調をとらないのは、このことと無縁ではないでしょう。現代語でも「行きは楽だが帰りはつらい」の「行き」(⓪)と「行きはしない」の「行き」(②)とが区別されます。「忘れもせず」における「忘れ」は臨時の名詞であり、「忘れす」は臨時のサ変動詞です。伊勢物語第十九段の「昼は来て夕さりは帰りのみしければ」を、いつぞや「ふぃるふぁ きいて ゆふしゃりふぁ かふぇりのみい しいけれンば HLHRH・HHHHH・LLHLFFHLL」としたのは、こんなふうに考えられるからでした。秋の田のほにこそ人を恋ひざらめなどか心に忘れしもせむ 古今・恋一547。あきいの たあのお ふぉおにこしょ ふぃとうぉ こふぃンじゃらめえ なンどかあ こころに わしゅれしも しぇえムう LFLLL・FHHLHLH・LHLLF・RLFLLHH・HHLHLHH。あらわに恋うることこそないが、どうして心中忘れようか。「ほに」は「穂に」(ふぉおにい LH)と「秀に」(ふぉおにい FH)とを兼ねています。「秀」は高平調と見る向きもありますけれど、ほかならぬこの547の「ほに」に毘・高貞が、序(23)の「ほに」に寂が、549の「ほに」に毘・高貞が、いずれも〈上平〉を差しますから、初拍は下降調と見られます。
片糸もて貫きたる玉の緒を弱みみだれやしなむ人の知るべく 万葉2801。顕天平568注(補1)が「みだれやしなむ」に〈平平上上上平平〉を差しているのでしたが、以下は古典的なアクセント。かたいと もて ぬきたる たまの うぉおうぉお よわみ みンだれやあ しいなム ふぃとの しるンべく LLLHLH・HLLHLLL・HHLHL・LLHFFLH・HLLHHHL。たくさんの宝玉を連ねるための糸が弱いと乱れる(=ばらばらになる)、それと同じように私の心も乱れてしまいそうだ、人が気づくくらいに。
身を捨ててゆきやしにけむ思ふよりほかなるものは心なりけり 古今・雑下977。みいうぉお しゅてて ゆきやあ しいにけム おもふより ふぉかなる ものふぁ こころなりけり HHHLH・HLFFHLH・LLHLL・LHLHLLH・LLHLHHL。哲学的な内容のようですけれども、詞書によれば、ずいぶんご無沙汰ではないかと恨みごとを言って寄越した人への返答なので、私の心は私を捨ててどこかに行ってしまったようだ、心というものはどうもこちらの思いどおりにならないものだ、とうそぶいている趣です。
あひ見まくほしは数なくありながら人につきなみまどひこそすれ 古今・誹諧1029。あふぃい みいまく ふぉしふぁ かンじゅ なあく ありなンがら ふぃとに とぅき なあみ まンどふぃこしょ しゅれ LFLHH・HHHLHRL・LLHHH・HLHLLRL・LLHHLHL。星は無数にあるが月がない、といった意味に重ねて、逢いたい気持ちはすこぶる強いものの、「つき」(手だて)がなくて困っている、と言っています。「ほし」は「星」(ふぉし HH)と「欲し」(ふぉしい LF)とを兼ねていますけれど、毘・高貞・訓はこの「ほし」に〈上上〉を、ということは「星」のほうのアクセントを記しています。
「何々しに行く」「何々を買いに来た」といった言い方でも、連用形(一般)が臨時の名詞になるようです。
となりより常夏の花を乞(こ)ひにおこせたりければ、惜しみてこの歌をよみてつかはしける
塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝(ぬ)る常夏の花 古今・夏167。訓が「乞ひに」に〈平上上〉を差しています。となりより とこなとぅの ふぁなうぉ こふぃに おこしぇたりけれンば、うぉしみて こおのお うたうぉ よみて とぅかふぁしける HHHLL・HHHHHLLH・LHH・HHLLHHLL、LLHH・HHHLHLHH・HHHLHL/てぃりうぉンだに しゅうぇンじいとじょお おもふ しゃきしより いもと わあンがあ ぬる とこなとぅの ふぁな HHHHL・HHFLFLLH・HHHLL・LHHLHHH・HHHHHLL。我が家の常夏の花は言わば私が妻と寝る床(とこ)(とこ HH)であり、大切にしているのです。
毘406が「阿倍仲麻呂」に〈上上平平平平上〉を差しています。訓406も「あべの」に〈上上平〉を差していて、後述の理由により二拍目は下降拍と見られます(あンべえの HFL)。訓406は名には〈平上上上〉を差しますが、毘の〈平平平上〉(なかまろ LLLH)の方が、LH+LH→LLLHという一般的なありようから見て妥当のようです。「いとすぢ【糸筋】(いとしゅンでぃ LLLH)」「からうす【唐臼】(からうしゅ LLLH)」「からうり【胡瓜=唐瓜】(からうり LLLH。キュウリのこと)」「からぎぬ【唐衣】(からンぎぬ LLLH)」「かりぎぬ【狩衣】(かりンぎぬ LLLH)」「きぬいた【絹板】(きぬいた LLLH。きぬたLLL」「きぬがさ【絹笠】(きぬンがしゃ LLLH)」「そばうり【胡瓜=稜瓜】(しょンばうり LLLH。これもキュウリのこと。とげとげのある瓜)」「そばむぎ(しょンばむンぎ LLLH)」「まつかさ【松笠】(まとぅかしゃ LLLH)」などと同趣と見られます。
さてそのあンべえのなかまろの名高い「天の原ふりさけみれば」の歌(羇旅406)の左注に見えている「唐土(もろこし)にものならはしにつかはしたりければ」の「ならはしに」に伏片が〈平平上平上〉を差しています。これは四段の「ならはす」(ならふぁしゅ LLHL)の連用形(一般)が格助詞を従えた言い方で、伏片はここの「ものならはしに」を「もの(を)ならはしに」(もの〔うぉ〕 ならふぁしに LL〔H〕LLHLH)と見ていることが知られます。「ものを習わすこと」という意味の「ものならはし」という名詞はあったでしょうけれども、この名詞は、LLLLHLではなく「ものならふぁし LLLHLL」と言われたでしょう。例えば「ひたおもむきに」(一直線に)に改名が〈平平平上平平(上)〉(ふぃたおもむきに LLLHLLH)を差しています。「ものがたり」(ものンがたり LLLHL」とは拍数が違うので同趣ではないようです。
もろこしにて月を見てよみける
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
この歌は、昔、仲麻呂を唐土にものならはしにつかはしたりけるに、あまたの年をへてえ帰りまうでこざりけるを、この国よりまた使ひまかりいたりけるにたぐひてまうできなむとていでたりけるに、明州といふところの海辺にてかの国の人むまのはなむけしけり(コレハ挿入句)、夜になりて月のいとおもしろくさしいでたりけるを見て、よめる、となむ語りつたふる。
もろこしにて とぅきうぉ みいて よみける LLLLHH・LLHRHLHHL/あまの ふぁら ふり しゃけ みれンば かしゅンがなる みかしゃの やまに いンでし とぅきかも LLLLH・HLHLLHL・HLLHL・HHHHLLH・LLHLLHL /
こおのお うたふぁ、むかし、なかまろうぉ もろこしに もの ならふぁしに とぅかふぁしたりけるに、あまたの としうぉ ふぇえて いぇええ かふぇりい まうンで こおンじゃりけるうぉ、こおのお くにより また とぅかふぃ まかり いたりけるに たンぐふぃて
まうンで きいなムうとて いンでたりけるに HHHLH、HHH、LLLHH・LLLLH・LL・LLHLH・HHHLLHHLH、LLHLLLHRH・ℓfLLFLHLRLHHLH、HHHHLL・HLHHH・LHLHHLHLH・LLHH・LHLRHFLH・LHLHHLH、めいしゆうと いふ ところの うみンべえにて
かあのお くにの ふぃと ムまの ふぁなむけ しいけり、よるに なりて とぅきの いと おもしろく しゃしい いンでたりけるうぉ みいて、よめるとなむ、かたり とぅたふる。/LLLHHL・HHHHHH・LHFHH・FLHHHHL・LLLHHHHFHL、LHHLHH・
LLL・HLLLLHL・LFLHLHHLHRH、LHL、LHL・HHL・HHHH。「ふりさけみれば」の「さけ」は「離」や「放」を当てる高起下二段動詞で(しゃく HL)、現代語「とおざける」に
あひにあひて物思ふころの我が袖に宿る月さへ濡るる顔なる 古今・恋五756。あふぃに あふぃて もの おもふ ころの わあンがあ しょンでに やンどる とぅきしゃふぇ ぬるる かふぉなる LHHLHH・LLLLHHLL・LHHHH・LLHLLHH・HHHHHLH。初句は「逢ひに逢ひて」でもあり、「合ひに合ひて」でもあるのでしょう。恋人と逢いに逢って、しかし今は物をおもふ日々。見れば、袖に宿る月までも濡れている、と読んできた人は、そうか「あひにあひて」は「合ひに合って」でもあったのかと気づく、という作りだと思います。
見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず 千載・恋四886。みしぇンばやな うぉンじまの あまの しょンでンだにもお ぬれにンじょ ぬれし いろふぁ かふぁらンじゅ LHLHL・HHHHLLL・HHHLF・HLHLHHH・LLHHHHL
「すべし」
連用形 すべく しゅンべく HHL
終止形 すべし しゅンべしい HHF
連体形 すべき しゅンべきい HHF
已然形 すべけれ しゅンべけれ HHHL
「すまじ」
連用形 すまじく しゅまンじく HHHL
終止形 すまじ しゅまンじい HHF
連体形 すまじき しゅまンじきい HHHF
已然形 すまじけれ しゅまンじけれ HHHHL
秋の野に宿りはすべしをみなへし名をむつましみ旅ならなくに 古今・秋上228。訓が「すべし」に〈上上上〉を差しています。あきいの のおにい やンどりふぁ しゅンべしい うぉみなふぇし なあうぉ むとぅましみ たンびならなくに LFLLH・LLLHHHF・HHHHL・FHHHHHL・HLHLHHH。野宿は秋に限る。「女郎花」という女人と寝るなんて楽しそうで、旅といっても不安な感じはしないから。
夕暮のまがきは山と見えななむ夜は越えじとやどりとるべく 古今・離別392。伏片・訓392が「とるべく」に〈平平上平〉を差しています。ゆふンぐれの まンがきふぁ やまと みいぇななム よるふぁ こいぇンじいと やンどり とるンべく HHHHH・LHLHLLL・LHHHL・LHHHHFL・LLLLLHL。夕暮の垣根があの方には山と見えてここに泊まってくれる、なんていうことになったらいいのに。
あはれともいふべき人はおもほえで身のいたづらになりぬべきかな 拾遺・恋五950。あふぁれえともお いふンべきい ふぃとふぁ おもふぉいぇンで みいのお いたンどぅらに なりぬンべきいかなあ LLFLF・HHHFHLH・LLLHL・HHHHHHH・LHHHFLF。そうなっても誰も傷んでくれそうにないまま、私はこの世と別れることになってしまいそうだよ。
「まじ」については、その古形「ましじ」を使った「寄るましじき」に前紀56が〈上上上上上平〉を差しています(よるましンじき HHHHHL)。この末拍は東点の移し誤りと思われます。『研究』研究篇下の見るとおり、形容詞の終止形や連体形の末拍が下降拍ではなく低平拍をとるようになるのは、まだまだ先のことです。それから、『研究』研究篇下によると、『顕天片』1028注が「消すまじき」に〈上上上上上〉を差すそうです。和歌や和文では「消つ」を使うわけで、本文に少し不安がありますけれども、「まじ」が終止形(特殊)を要求することは確認できます。
ⅶ 終止形(一般) これは「べし」「まじ」を従えない時に終止形のとるアクセントです。連用形(一般)と同じで、一拍になる高起動詞はF、そうでない高起動詞は基本的にはHL、HHL(…)、連用形が一拍になる低起動詞はℓs、そうでない低起動詞は基本的にはLS、LLS、LLHL、LLLHL(…)というアクセントで言われます。つまり末尾は文節中では高いか低く、文節末では低いか下降します。
鳴くらむ〈上平平上〉(訓203。なくらム HLLH。全体は下に引きます)
鳴くなる声は〈上平上平(平上上)〉(寂16。なくなる こうぅえふぁ HLHLLFH)
おもふらむ〈(平)平上平平〉(図名。おもふらむ LLHLL)
作るめり〈平平上上平〉(訓1051。とぅくるめり LLHHL)
もみぢ葉の散りてつもれる我が宿にたれをまつ虫ここら鳴くらむ 古今・秋上203。もみでぃンばあの てぃりて とぅもれる わあンがあ やンどに たれうぉ まとぅむし ここら なくらム LLLFL・HLHHHLH・LHLHH・HHHLLHL・LHLHLLH。「まつ」は「松虫」(まとぅむし LLHL)の「松」と「待つ」(連体形は「まとぅ LH」)とを兼ねていています。疑問詞があるので「らむ」は連体形です。訪れる人もない我が家に、鈴虫は誰を待ってこうさかんに鳴いているのであろう。「もみぢ」は「もみンでぃ LLL」、「葉」は「ふぁあ F」、「もみぢ葉」は「もみンでぃばあ LLLF」であるのは、例えば「あさひ【朝日】」が「あしゃふぃい LLF」だったのと同趣と申せます。
野辺ちかく家居(いへゐ)しせればうぐひすの鳴くなる声は朝な朝な聞く 古今・春上16。のンべえ てぃかく いふぇうぃしい しぇえれンば うンぐふぃしゅの なくなる こうぇえふぁ あしゃな あしゃな きく LFLHL・LLLFHLL・LLHLL・HLHLLFH・LLHLLHHL。梅・寂・訓が「いへゐし」に〈平平平上〉を差しています。
難波なる長柄の橋も作るめり今は我が身を何にたとへむ 古今・誹諧1051。なにふぁなる なンがらの ふぁしもお とぅくるめり いまふぁ わあンがあ みいうぉお なにに たとふぇム LHHLH・LHLLHLF・LLHHL・LHHLHHH・LHHLLLH。諸本は「つくるなり」としますけれども、『訓』は「つくるめり」。本来は「つくるなり」でしょう。いずれにしても「つくる」は終止形であり、従って「尽くる」でないこと、周知のとおりです。
ⅷ 連体形(一般)
「連体形(特殊)」以外の連体形はこのアクセントをとります。基本的には、高起動詞は高平連続調、低起動詞は最後の拍が高い以外は低平連続調をとります。終止形と連体形とは、語形が同じになることはあっても、少数の例外を除けば(詳細後述)、アクセントを同じくすることはありません。
降(ふ)るは〈平上上〉(伏片88。ふるふぁ LHH。名詞相当語句として助詞「は」を従えています。下に歌全体を引きます)
あるか〈平上上〉(毘170。あるかあ LHF。下に歌全体を引きます)
春雨の降るは涙ぞさくら花散るを惜しまぬ人しなければ 古今・春下88。ふぁるしゃめえの ふるふぁ なみンだンじょ しゃくらンばな てぃるうぉ うぉしまぬ ふぃとしい なけれンば LLLFL・LHHLLHL・HHHHH・HHHLLLH・HLFLHLL。「涙ぞ」は諸本「涙か」(なみンだかあ LLHF)で、「涙ぞ」は伏片独自のヴァリアントです。
川風の涼しくもあるかうち寄する波とともにや秋は立つらむ 古今・秋上170。かふぁかンじぇの しゅンじゅしくもお あるかあ うてぃい よしゅる なみと ともにやあ あきいふぁ たとぅらム HHLLL・LLHLFLHF・LFHHH・LLHHHHF・LFHLHLH。「川風」の後半二拍は推定。「涼しくもあるか」は「涼しいなあ」といった意味。
ⅸ 已然形
連用形(一般)、終止形(一般)と同じく、高起動詞は基本的にはHL、HHL(…)、低起動詞は基本的にはLS、LLS、LLHL、LLLHLと発音されます。
我がのぼれば〈平上上上平平〉(前紀54。わあンがあ のンぼれンば LHHHLL。「のぼらば」は「のンぼらンば HHHL」、「のぼれば」は「のンぼれンば HHLL」で、動詞の末拍の高さが異なります)
久方の月の桂も秋はなほもみぢすればや照りまさるらむ 古今・秋上194。伏片が「すればや」に〈上平平上〉を差しています。ふぃしゃかたの とぅきの かとぅらも あきいふぁ なふぉお もみンでぃしゅれンばやあ てりい ましゃるらム HHHLL・LLLHHHL・LFHLF・LLLHLLF・LFHHLLH。ちなみに、学校文法はこういう「らむ」を「原因の現在推量」など呼びますけれども、これは出鱈目もいいところで、「~ばや~らむ」(~なので~ているのだろうか)において「原因」を担っているのは「ば」であり「らむ」ではありません。この「らむ」は普通の「現在推量」なので、わざわざ特別扱いする理由など何らありません。
みそらを見れば〈上上上上平上平〉(岩紀102。みしょらうぉ みれンば HHHHLHL)
心はもへど〈平平上上平上平〉(前紀43。こころふぁ もふぇンど LLHHLHL。「心は思へど」〔こころふぁ おもふぇンど LLHHLLHL〕のつづまった言い方です)
咲け。(さけ HL)
拾へ。(ふぃろふぇ HHL)
かかやけ。(かかやけ HHHL)
こ。(こおお ℓf)
待て。(まてえ LF)
思へ。(おもふぇえ LLF)
いざなへ。(いンじゃなふぇ LLHL)
せよ。(しぇえよお FF)
告げよ。(とぅンげよお HLF)
忘れよ。(わしゅれよお HHLF)
やはらげよ。(やふぁらンげよお HHHLF)
見よ。(みいよ RL)
起きよ。(おきよ LHL)
さだめよ。(しゃンだめよ LLHL)
あたためよ。(あたためよお) LLHLF
総体に連用形(一般)に近いところのあることが明らかです。以下に個々の言い方の実例を引いておきます。まず、「咲け」(しゃけ HL)、「拾へ」(ふぃろふぇ HHL)、「かかやけ」(かかやけ HHHL)のような言い方については、顕昭の『後拾遺抄注』17が「在(ま)せ」に〈上平〉(ましぇ HL)を差し、顕天平・毘・高貞996が「偲べ」に〈上上平〉(しのンべ HHL)を差し、ふたたび顕昭の『後拾遺抄注』の今度は160が「さへづれ」に〈上上上平〉(しゃふぇンどぅれ HHHL)を差すことが参考になります。
君ませ(オ越シクダサイト)と遣(や)りつる使ひ来にけらし(モテナスタメノ)野辺の雉(きぎす)はとりやしつらむ 後拾遺・春上17。きみ ましぇと やりとぅる とぅかふぃ きいにけらし のンべえの きンぎしゅふぁ とりやあ しいとぅらム HHHLL・HLLHHHH・RHHLL・LFLHHHH・LHFFHLH。道長の詠んだ歌なのだそうです。
忘られむ時しのべとぞ浜千鳥ゆくへも知らぬあとをとどむる 古今・雑下996。わしゅられム とき しのンべとンじょお ふぁまてぃンどり ゆくふぇもお しらぬ あとうぉ とンどむる HHHHH・LLHHLLF・LLLHL・HHLFHHH・LHHHHHH
声絶えずさへづれ野辺の百千鳥のこり少なき春にやはあらぬ(春デハナイカ) 後拾遺・春下160。こうぇえ たいぇンじゅ しゃふぇンどぅれ のンべえの ももてぃンどり のこり しゅくなきい ふぁるうにやあ あらぬ LFLHL・HHHLLFL・LLLHL・LLLLLLF・LFHFLLH
次に「待て」(まてえ LF)、「思へ」(おもふぇえ LLF)、「いざなへ」(いンじゃなふぇ LLHL)のような言い方については、三度目になりますけれど図名が「さもあらばあれ」(しゃあもお あらンば あれえ LFLHLLF)のつづまった「さまらばれ」に図名が〈平東上平東〉(しゃまあらンばれえ LFHLF)を差し、次の歌の「移せ」に伏片・家・毘・京秘・訓425が〈平平上〉(うとぅしぇえ LLF)を差し、袖中抄が「いざなへ」に〈平平上平〉(いンじゃなふぇ LLHL)を差すことが参考になります。
たもとより離れて玉をつつまめやこれなむそれと移せ見むかし 古今・物の名・うつせみ425。たもとより ふぁなれて たまうぉ とぅとぅまめやあ これなムう しょれと うとぅしぇえ みいムかしい LLLHL・LLHHLLH・LLLHF・HHLFHHL・LLFLHLF。前(さき)に引いた「波の打つ瀬みれば玉ぞ乱れける拾はば袖にはかなからむや」(なみの うとぅ しぇえ みれンば たまンじょお みンだれける ふぃろふぁンば しょンでに ふぁか なあからムやあ LLLLH・HLHLLLF・LLHHL・HHHLHHH・LLRLLHF)に対する返歌。あなたは白玉は袖につつめないとおっしゃるが、袖以外に白玉をつつむところはありませんから、きっとあなたの袖の下には白玉があるのでしょう。これがその、波打ち際で拾った白玉だといって、私の袖に移してください、拝見いたしますよ。
すると、カ変「来(く)」の命令形「こ」は、古典的には「こおお ℓf」と言われたと考えられます。注記としては梅・高貞・訓692や顕天片・顕大1078に〈上〉の差されるのが見られるだけですけれども、この上声点はそう解釈せらるべきだと思います。なお、後代の中央語ではこの動詞の命令形は「来(こ)よ」だ言わなくてはならなくなりますけれども、平安中期には「こ」です。当時も、次に引くように、「来(こ)よ」という言い方はありました。しかしこれは今でも「来いよ」という言い方ができるのと同趣なので、現代語の「来いよ」が「来る」の命令形でないのと同じく、平安中期には「来(こ)よ」は、「来」の命令形が助詞「よ」を従えたものです。古くは「こ」だけで立派に命令形の役割を果たせました。
声をだに聞けば名草(なぐさ)の浜ちどり古巣わすれず常に問ひ来(こ)よ 古今六帖・第三・千鳥1929。こうぇえうぉンだに きけンば なンぐしゃの ふぁまてぃンどり ふるしゅ わしゅれンじゅ とぅねえに とふぃ こおおよお LFHHL・HLLHHLL・LLLHL・LLLHHHL・LFHHLℓfF。紀の国(きいのお くに LLHH)の歌枕「名草」(なぐさ)は、好んで「なぐさむ」(なンぐしゃむ HHHL)の一部を兼ねて使われます。HHLは推定で、HHHかもしれませんけれども、「紫参」とも「乳葉草」とも書かれる「ちちのはぐさ」(=春虎尾(ハルトラノオ))が「てぃてぃのふぁンぐしゃ LHLHHL」のようです。
「古巣」を「ふるしゅ LLL」としたのも推定で、これは「ふるしゅ LHL」などだったかもしれません。「古し」は「ふるしい LLF」、「巣」は「しゅう R」です。高起形容詞の二拍の語幹が低平調の一拍語を従えるタイプの複合名詞のアクセントは、「あまな【甘菜】(あまな HHH)」「あらき【荒木】(あらき HHH)」「あらと【荒砥】(あらと HHH)」がそうであるように高平連続調をとるのが一般です。低平調でない一拍語を従える例は多くを知りませんけれど、「浅瀬」(浅き瀬〔あしゃきい しぇえ HHFH〕)はやはり高平連続調の「あしゃしぇ HHH」です。他方「古巣」のような、低起形容詞の二拍の語幹が一拍語を従える時のアクセントは面倒で、例えば低平調の一拍語を従える例では、「ちかめ【近目】(てぃかめ
LLL)」、「くろき【黒木】(くろき LLL)」「わかぎ【若木】(わかンぎ LLL)」「ながい【長寝】(なンがい LLL)」「ながよ【長夜】(なンがよ
LLL)」のような低平連続調が多いとはいえ、図名が「青砥(あをと)」に〈平平東〉(あうぉとお LLF)を差します。こうなると、例えば御巫私記(総合資料)が「長田(ながた)」に〈平平上〉を差すのはLLHなのかLLFなのか、これだけだは判断できません。厄介なことにも、さらに、「ながて【長手】」に諸書が〈平上上〉を差し、『袖中抄』が「にがな【苦菜】」にやはり〈平上上〉を差します。語幹がもともとのアクセントを保つ言い方もあるのです。これら二つはLHFではなく「なンがて LHH」「にンがな LHH」と
言われたでしょうけれども、『研究』索引によれば地名の「長江(ながえ)」に毘が〈平上上〉を差します。この第三拍は、「江」は「いぇえ F」なので、「なンがいぇえ LHF」と言われたと思います。
高起一拍語を従える場合も、「くろど【黒戸】(くろンど LLL)」「ながえ【轅=長柄】(なンがいぇ LLL)」「ながち【長血】(なンがてぃ LLL)」のような低平連続調の言い方が多いのですけれども、「わかご【若子】」には〈平平平〉〈平平上〉両様の注記があるようです(わかンご
LLL、わかンご LLH〔LLFとは言わなかったと思います〕)。
この「わかご」に限らず、今問題にしているタイプの三拍語ではしばしば注記に揺れがあるので、「古巣」のアクセントについても、さすがに「ふるしゅう LHR」などは言わないでしょうけれど、おおかた「ふるしゅ LLL」「ふるしゅ LHL」のようなものだったろうという以上のことは申せません。
残りの「せよ」以下の命令形は、元来は助詞である「よ」を命令形の欠かせない一部として取り込んでいます。この「よ」は元来は、岩紀103の「真蘇我よ」〈上上上東〉(ましょンがよお HHHF)の「よ」(よお F)のような一語の、明らかに柔らかい助詞ですけれども、例えば「せ」だけではサ変「す」の命令形にならないのですから、「せよ」で一語です。『研究』研究篇下(pp.111,113)は、この「せよ」はもともとは(それぞれ引かれて)HLHLのように言われたろうとします(表記は変更しました)。実際そのとおりだったでしょう。時代の進むとともに、全般的な傾向どおり、その変化した「しぇえよお FL」が好まれるようになったと見られます。実際袖中抄の一本が「うるはしみせよ」に〈平平平上平上平〉(うるふぁしみ しぇえよお LLLHLHL)をさしています。
あづさ弓ま弓つき弓年を経て我がせしがごとうるはしみせよ 伊勢物語24。あンどぅしゃゆみ まゆみ とぅきゆみ としうぉ ふぇえて わンがあ しぇえしンがンごと うるふぁしみ しぇえよお LLLHL・HHHHHHH・LLHRH・LHHHHHL・LLLHLFF。初句のアクセントは伏片127が〈○平○上○〉を差すのにによります。
「告げよ」(とぅンげよお HLF)や「忘れよ」(わしゅれよお HHLF)のような言い方については、同趣の言い方に〈上平上〉〈上上平上〉を差すものはもとより、〈上平平〉〈上上平平〉を差すものも見当たりませんけれども、「せよ」(しぇえよお FF)に準じてよいと思われます。伏片・家・毘が「這ひまつはれよ」に〈平上上上上上平〉を差すのは、〈平上上上上平平〉を写し誤ったのでしょう。三つの注記はたがいに独立したものとは思われません。伏片と家とがごく近い関係にあることは『研究』の説くとおりのようです。伏片385が〈上上○○〉を差す「とどめよ」は、古典的には「とンどめよお HHLF」と言われたでしょう。
もろともになきてとどめよきりぎりす(コオロギ)秋の(秋トノ)別れは惜しくやはあらぬ 古今・離別385。もろともに なきて とンどめよお きりンぎりしゅ(ないし、きりンぎりしゅ) あきいの わかれふぁ うぉしくやふぁ あらぬ HHHHH・HLHHHLF・HHHHL(ないしLHHHL)・LFLLLLH・LHLHHLLH
例えば伏片99が「避(よ)きよ」に〈平上平〉(よきよ LHL)を差すのでは、「よ」が高い拍の次で低まっています。平安初中期などには「避(よ)きよ」〈平上東〉(よきよお LHF)のような言い方もありえたでしょうけれども、すでにその岩紀においても柔らかい拍は高い拍の次でさかんに低まったことは既に見たとおりであり、また以下にもたくさん見るであろうとおりです。
吹く風にあつらへつくるものならばこの一本(ひともと)は避(よ)きよといはまし 古今・春下99。ふく かンじぇに あとぅらふぇ とぅくる ものならンば こおのお ふぃともとふぁ よきよと いふぁましい LHHHH・LLHLLLH・LLHLL・HHLLHHH・LHLLHHHF。この「あつらへつくる」も前(さき)に申し及んだ「可能態」で、「注文できるものならば」というのです。
b 上声点の解釈学 [目次に戻る]
アクセントを考慮するならば、動詞では十種(とくさ)の活用形を区別しなくてはならないのでした。まだ動詞の全体を見たわけではありませんけれども、ここまでのところでは、動詞における下降拍の分布ということに関して、次が申せます。
動詞では、本来的な下降拍をなすものをのぞけば、文節末にある動詞の連用形、終止形、已然形、命令形の末拍だけが下降調をとりうる。
サ変「す」や下二段「寝(ぬ)」の連用形(一般)、終止形(一般)、命令形の初拍のようなものは本来的な下降拍で、文節中でも文節末でも下降調をとるのでした。また「思ふ」(おもふう LLF)のような動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形の末拍は柔らかい拍で、文節末では下降調をとるのでしたけれども、文節末の連用形や終止形は必ず一般形ですから、たんに、「思ふ」(おもふう LLF)のような動詞の連用形、終止形、已然形、命令形の末拍は文節末では下降調をとると申せます。他方、「咲く」(しゃく HL)の連用形「咲き」(しゃき HL)のようなものは文節末で低平調をとりますから、まとめると、「動詞では、本来的な下降拍をなすものを除けば、文節末にある動詞の連用形、終止形、已然形、命令形の末拍だけが下降調をとりうる」という命題が成り立ちます。この命題は、「文節中では本来的な下降拍をなすものだけが下降調をとる」を含意しています。
ところで、動詞の十種の活用形のうちで文節末に位置できるのは、連用形(一般)、終止形(一般)、連体形(一般)、已然形、命令形です。そして連体形(一般)の末拍は、そして連体形(特殊)の末拍も、下降調をとりません。すると、今しがた確認した命題は次と同値です。
動詞では、本来的な下降拍をなすものを除けば、文節末の、連体形以外の活用形の末拍だけが下降調をとりうる。
さて、図名の注記の大半は岩紀と同じいわゆる六声体系によるものと考えられました。そこでは低起二拍、多数派低起三拍動詞の終止形の末拍には上声点が差されるのでしたけれども、前紀にも、
(お)もひ(=思ひ)〈(平)平上〉(43〔二か所〕。もふぃぃ LF。表記は下降拍の長短を反映しています)
小鍬(こくは)持ち〈平平平平上〉(57。こくふぁもてぃぃ LLLLF)
逃げ〈平上〉(76。にンげぇ LF)
押しひらき〈上平平平上〉(96。おし ふぃらきぃ LF)
など、文節末の低起二拍、多数派低起三拍動詞の連用形の末拍に上声点の差される言い方がたくさん見出されます。煩をいとうて引きませんけれども、図紀にも見られます。つまり、図名と同じく前紀や図紀においても、上声点は高平調と下降調(短いそれ)とを意味するわけで、その解釈がなされなくてはならないわけですが、今しがたの「動詞では、本来的な下降拍をなすものを除けば、文節末の、連体形以外の活用形の末拍だけが下降調をとりうる」という命題から、ただちに次の解釈規則が得られます。
動詞に差された上声点は第一義的には高平調を意味するが、ただし、本来的な下降拍、および、文節末の、連体形以外の活用形の末拍に差された上声点は、短い下降調を意味する。
岩紀についてもこのことが言えます。例えば「天(あま)の八十蔭(やそかげ)出で立たす御空(みそら)を見れば」〈平平平上上上上・平上平平上・上上上上平上平〉(岩紀102。あまの やしょかンげ いンでぇ たたしゅ みしょらうぉ みれンば LLLHHHH・LFLLH・HHHHLHL)における「いでたたす」〈平上平平上〉は、「出て、お立ちになる(御空)」ということですから、「いで」〈平上〉の末拍に差された上声点は文節末にある連用形(非連体形)の末拍に差されたそれであり、それゆえ下降調を意味します。他方「立たす」(一語の動詞として扱えるのでした)の末拍に差されたそれは、連体形の末拍に差された上声点ゆえ高平調を意味します。また「食(た)げて」〈平上上〉(岩紀107。たンげて LHH)の第二拍は、文節中にある上声点ゆえ高平調を意味します。
古今集声点本の採るようないわゆる四声体系による注記においても似たことが言えますけれど、ただこちらの流儀では上声点は上昇調も意味しえることを考慮する必要がありますから、解釈規則は次のようなものになります。
動詞に差された上声点は第一義的には高平調を意味するが、ただし、本来的な下降拍、および、文節末の、連体形以外の活用形の末拍に差された上声点は下降調を意味する。低起動詞の初拍に差された上声点は上昇調にはじまる。
例えば、「寝て」〈上平〉(顕天片1072など。ねえて FL)において動詞に差された上声点は本来的な下降拍に差されたそれなので、下降調を意味します。「見ゆ。」〈平上〉(京秘833。みゆう LF。下に歌全体を引きます)における上声点は文節末の非連体形(ここでは終止形)に差された上声点なので、下降調を意味します。「逢ふ日の」〈平上上平〉(伏片433。あふ ふぃいの LHFL)において動詞の末拍に差された上声点は連体形の末拍に差された上声点なので、高平調を意味します。
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける 古今・哀傷833。ねえても みゆう ねえンでもお みいぇけり おふぉかたふぁ うとぅしぇみの よおンじょお ゆめにふぁ ありける FHLLF・HLFLHHL・LLHLH・HHHLLHL・LLHHLHHL
かくばかり逢ふ日のまれになる人をいかがつらしと思はざるべき 古今・物の名・葵(あふひ)(あふふぃ HHH)、桂(かとぅら HHH)433。かくンばかり あふ ふぃいの まれに なる ふぃとうぉ いかンがあ とぅらしいと おもふぁンじゃるンべきい HLLHL・LHFLHHH・LHHLH・HRFHHFL・LLHLLLF
次に、低起動詞が二拍以上からなる場合、初拍には上声点は差され得ません。低起動詞の初拍に上声点が差されるとすればそれは一拍動詞です。古今集声点本でもある時期までは式は保存されたと見られるので、その限りで申せば、例えば「来て」〈上上〉(伏片・梅・寂239。きいて RH)や「干(ひ)ず」〈上平〉(梅・京中・伊など422。ふぃいンじゅ RL)において文節のはじめの低起動詞に差された上声点は上昇調を意味し、「来鳴き」〈上上平〉(梅・寂141。きいい なき ℓfHL)におけるカ変「来」の連用形は、上昇調にはじまり、文節末の連用形ゆえ下降するので、上昇下降調を意味します。
まだ見ていないタイプの動詞にも、いま申したことは妥当するようです。以下そのことを確認しがてら、そのまだ見ていない動詞のことを考えます。
c 複合動詞 [目次に戻る]
「思ひ出(い)づ」〈平平上平上〉の第三拍をどう解するか。これが少し悩ましいというお話です。
例えば『枕草子』のはじめの段の途中に「火など急ぎ起こして」(ふぃい なンど いしょンぎい おこして LRL・LLF・LLHH)とあるのにおける「急ぎ起こす」(急いで起こす)のような言い方は、二つの単純動詞が意味の高度な複合ないし化合といったことなくただ連続しただけのもので、そうしたものを複合動詞と言うことはできません。例えばそれは辞書に立項すべき性格のものではありません。「泣き恋ふ」(泣いて恋しがる。なき こふう HLLF)や「咲き散る」(咲いて散る、ないし、咲いたり散ったりする。しゃき てぃる HLHL)などについても同断です。むろん載せてはいけないということはなく、じっさい例えば精選版『日本国語大辞典』は「泣き恋ふ」も「咲き散る」も立項していますけれど、これはまったくの親切からなので、二つとも、載せないと国語辞典として不完全なものになってしまう種類の言い方ではありません。
梶にあたる波のしづくを春なればいかがさき散る花と見ざらむ 古今・物の名・いかがさき(いかンがしゃき HHHHH。地名)457。これこれのものを、春だから、どうして咲いては散る花と見ないであろうか。かンでぃに あたる なみの しンどぅくうぉ ふぁるうなれンば いかンがあ しゃき てぃる ふぁなと みいンじゃらム HLHHHH・LLLLLLH・LFHLL・HRFHLHH・LLLRLLH。「泣き恋ふ」の用例は後に引きます。
ちなみに、「どんなふうに火を起こすのか」に対する「急ぎ起こす」や、「どんなふうに恋しがるのか」に対する「泣き恋ふ」における「急ぎ」「泣き」は、それぞれ「起こす」「恋ふ」を修飾しています。ということは、それらはいわゆる連用中止法で使われたものではないということです。それらはまた、複合動詞の前部成素ではありません。すると、『研究』研究篇下の言うところの「連用形一般(イ)」は、活用語が連用中止法で使われた時や複合動詞の前部成素をなす時のアクセントとしてではなく、端的に、連用形が文節末にある時のアクセントとして定義せらるべきでしょう。
他方、「想起する」という意味の「思ひ出(い)づ」(おもふぃい いンどぅう LLFLF。こう発音できるという意味で、参考として記します。こう申す意味は後述)は、同義の現代語「思い出す」と同じく典型的な複合動詞です(「思い始める」という意味の現代語「思い出す」は今は問題にしません)。古語「思ひ出づ」は「(何かを)思って、(何かが)出る」こと全般を言うのではなく、「想起する」を意味する現代語「思い出す」は「(何かを)思って、(何かを)出す」こと全般を言うのではではありません。つまり複合動詞「思ひ出づ」「思い出す」の意味は、その成素であるそれぞれ二つの単純動詞の意味の単純な和ではありません。「思ひ出づ」や「思い出す」がそれぞれ全体で「想起する」というひとまとまりの意味を持つということはそこに意味の高度な複合ないし化合があるということで、そういうものとして古語辞典は「思ひ出づ」を、現代国語辞典は「思い出す」を項目に立てなくてはなりません。
動詞がいわゆる補助動詞を従えた言い方にも、意味の高度な複合ないし化合が見られます。例えば敬意の表現としての「思ひきこゆ」(おもふぃい きこゆ LLFHHL)は思って聞こえることではなく、「花、咲きわたる」(ふぁな、しゃき わたる LL、HLHHL)は花が咲いて渡ることではありません。
それから、現代語ではロケットを打たなくても「ロケットを打ちあげる」と言いますし、何を「掻く」(ひっかく)でもないにかかわらず「一天にわかに掻きくもる」など言いますけれど、動詞が、こうした「うち」「かき」のような、動詞の連用形に由来する接辞を先立てた言い方、昔の中央語の例で申せば「うちおどろく」(うてぃい おンどろく LFLLHL)、「かき暗(くら)す」(かきい くらしゅ LFHHL)のような言い方も、各成素の意味の単純和として了解できるものではありません。
以下ではこうした言い方も複合動詞に含めます。「急ぎ起こす」「咲き散る」のような言い方こそ含めね、「咲きわたる」「思ひきこゆ」、「うちおどろく」「かきくらす」のようなものは含めるのです。複合動詞をこんな風に広義に解するのは、それらにアクセントの上で共通する性質が認められるからです。
現代東京では「思い出す」は「おもいだす」、「咲きわたる」は「さきわたる」、「うちあげる」は「うちあげる」と一息で一気(いっき)に、ということは例えば「あらわれる」などと同じ、一語のアクセントで言われますけれども、よく知られているとおり、平安時代の京ことばでは複合動詞は、一語の単純動詞のようにではなく、各成素のアクセントを反映したアクセントを持ちました。今昔の言い方を混ぜた言い方で申せば、「おもいだす」「さきわたる」「うちあげる」式の言い方がなされました。「おもいだす」のような言い方を「一気言い」、「おもいだす」のような言い方を「律儀(りちぎ)言い」と
呼ぶことすると、平安時代の京ことばでは複合動詞は一気言いはなされず、もっぱら律義言いがなされたということができます。
例えば図名に「おもみる」〈平去平上〉という注記がありますけれども、これは「おもひみる」(おもふぃい みるう LLFLF)の撥音便形「おもんみる」(おもん みるう LLFLF)の撥音無表記形でしょう。図名はまた、「蹂躙」に対する訓みとして「ふみにじて」〈上平平平上〉を差しますけれども、これは「ふみにじりて」〈上平平平上上〉(ふみ にンじりて HLLLHH)の促音便形「ふみにじツて」の促音無表記形でしょう。古今集の次の歌の「散りかひ」には、〈上平平上〉と〈上平上平〉とが差されるのでしたが、〈上上上平〉は差されません。
さくら花散り交(か)ひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに 古今・賀349。しゃくらンばな てぃり かふぃい〔ないし、てぃり かぃふぃ〕 くもれえ おいらくの こおムうと いふなる みてぃ まンがふンがに HHHHH・HLHL(ないしHLLF)LLF・LLHHH・LFLHLHL・HHLLHHH。桜の花よ、散り乱れて、世界を暗くせよ。「老い」のやってくるという道がわからなくなるように。
「動詞では、本来的な下降拍をなすものを除けば、文節末の、連体形以外の活用形の末拍だけが下降調をとりうる」という命題が広く成り立つことを前節で見ましたが、複合動詞においてもこれは成り立ちます。中学生は文節の終わりには 助詞を介入させられると習いますけれども、周知のとおり往時の中央語では複合動詞は容易に助詞の介入を許します。例えば、現代語では「思い出しもしない」という意味で「思いも出さない」とは普通言いませんけれど、平安時代の京ことばでは、「思ひも出(い)でず」(おもふぃも いンでンじゅ LLHLLHL) はごく普通に言われる言い方です。現代語でも「思いも寄らない」などは言いますが、助詞の介入を許す複合動詞は限られています。
知らじかし思ひも出でぬ心にはかく忘られず我なげくとも 千載・恋三781。しらンじかしい おもふぃも いンでぬ こころにふぁ かく わしゅられンじゅ われ なンげくうともお HHHLF・LLHLLLH・LLHHH・HLHHHHL・LHLLFLF
現代語「思い出す」は一文節ですが、古語「思ひ出づ」は構文論的にも二文節と見ることのできる言い方なのであり、二文節と見る時それは「おもふぃい いンどぅう LLFLF」のように言われます。この第三拍における下降は文節末におけるそれです。「べし」は形容詞を作る接辞と見られるのでしたが、「思ひ出づべし」は、「おもふぃいンどぅンべしい LLLLLLF」ではなく、「おもふぃい いンどぅンべしい LLFLLLF」と言われます。「思ひ出づべし」は文法的には複合動詞「思ひ出づ」が「べし」を従えているわけですけれども、アクセント上は「思ひ」と「出づべし」とは別の単位をなします。例えば現代語「思いも寄らない」でも同趣のことが起こっています。
さて「思ひ出づ」はアクセントの上で二文節として発音することができますが、そうとしか発音できないのでしょうか。一般にはそう見られていますし、平安時代の京ことばとしては基本的にはそうだったでしょうけれども、一文節としても言い得たかもしれません。少なくとも、鎌倉時代の後半には、例えば「思ひ出づ」は「おもいいンどぅ LLHLL」と発音しえたと考えられます。これは律義言いと一気言いとの中間形態です。
前(さき)に訓442が「踏みしたく鳥(=踏みしだく鳥)」に〈(上平)平平平(上上)〉(ふみしたく とり HLLLLHH)を差していると申しました。この言い方では、複合動詞「踏みしたく」(ふみ したくう HLLLF)の連体形「踏みしたく」〈上平平平上〉(ふみ したく HLLLH)の後部成素が付属語化し、その末拍が、先だつ〈上平〉の低下力に負けたのだと見られるのでした。するとその頃は、「思ひたまふ」(「おぼす」〔おンぼしゅう LLF、おンぼしゅ LHL〕と同じ意味で「思ひたまふ」〔おもふぃい たまふう LLFLLF〕という言い方もできます)や「思ひ出づ」も、後部成素を付属語化させた、「思ひたまふ」〈平平上平平平〉や「思ひ出づ」〈平平上平平〉のような言い方で言えたでしょう。これらの言い方において末拍の低いのは先だつ拍の低下力によるわけで、低下力は同じ文節の拍に対して働くのですから、これらにおける「思ひ」の「ひ」は、例えば「思ひけむ」(おもふぃけムう LLHLF)のそれなどと同じく、上声点を差された文節中の拍として高平調をとったと考えられます(「おもいたまう LLHLLL」「おもいいンどぅ LLHLL」〔いずれも鎌倉時代の発音〕)のような言い方で言えたでしょう。もしそれらが下降調をとるとすると後続の低平連続調の動詞が独立した一文節をなすことになりますけれども、これは往時の中央語における動詞のアクセントとして異様なことです。
さて古典的な言い方では後部成素の付属語化は起こらなかったと思われますけれども――今しがた見た図名の「ふみにじて」〈上平平平上〉は促音を含むので一見そう見えるだけだと思われます――、平安時代中期にも、例えば「思ひたまふ」は「おもふぃたまふう LLHLLF」と発音しえたかもしれません。「思ひたまふ」のアクセントに関して確実なのは、一気言い(〈平平平平上平〉)はなされないこと、律儀言い(〈平平上平平上〉)がなされることであって、この〈平平上平平上〉がLLFLLFだけを意味すると断定する根拠はありません。LLFLLFが好まれたと思いますけれども、LLHLLFと言われ得なかったとは断じ得ません。
少し振り返っておくと、もともと、動詞が主格敬語を作る「たまふ」を従えた「思ひたまふ」(おもふぃい たまふう LLFLLH)のような言い方では助詞は介入できないわけで、この点この言い方は、動詞が典型的な助動詞を従えた「思ひぬ」(おもふぃぬう LLHF)のようなものに近いと申せます。じっさい岩波古語は一般には補助動詞とされるこうした「たまふ」を助動詞とします。
主格敬語の「たまふ」は助動詞なのか補助動詞なのか。これは不毛な設問なので、仮に助動詞とするにしても、完了の「ぬ」そのほかのいわゆる助動詞のなかでそのまま動詞としても使えるものはないのですから「たまふ」は特殊な助動詞ということになりますし、補助動詞とするにしても、「わたる」のような補助動詞は「咲きやわたらむ」(しゃきやあ わたらム HLFHHHH)のようにも使えるものの「たまふ」はそうできないのですから、一口に補助動詞といってもさまざまであるわけです。ただ「たまふ」が助動詞的な性格を持つことは確かで、そうであれば、「思ふ」の主格敬語形「思ひたまふ」は「おもふぃたまふう LLHLLF」と発音し得なかったとすることはできないと思います。ちなみに、そうだとすると、「思ひたまふ」のアクセントを、上声点という、高平調も下降調も意味できるものを使って〈平平上平平上〉とするのは、合理的なもの、使い勝手のよいものだということになります。
この「思ひたまふ」のような言い方について言えることは、「承(うけたまは)る(=受け賜る)」「奉(たてまつ)る(=立て奉(まつ)る)」のような動詞についても言えるでしょう。それぞれ二つの単純動詞からなる複合動詞だとはいえ、これらにも助詞は介入させられません。「承る」には『字鏡』が〈平上平平上平〉を、「奉る」には『訓』そのほかが〈平上上上平〉を差しますから(『訓』は連用形への注記)、それぞれ、「うけえ たまふぁる LFLLHL」「たてえ まとぅる LFHHL」のほか、LHLLHL、LHHHLとも言い得たかもしれません。
「もちゐる」は、今はもっぱら「用」の一字が当てられるものの、元来「持ち率る」で、一つの複合動詞、ただし助詞の介入を許さないだろうタイプの複合動詞でした。図名がこれに〈平上上平〉を差しているのをLHHLと(のみ)解する向きもありますけれど、第一義的には「もてぃい うぃる LFHL」と言われるものであり、「もてぃうぃる LHHL」とも言われ得たと見るのがよいと思います。
「思ひ出づ」のような、助詞を介入させられるものについても同断。とは申せ、平安時代には、やはり「おもふぃい いンどぅう LLFLF」のような言い方が一般的だったと思います。前(さき)に和泉式部が春日野の雪について「生(お)ひいづる」のつづまった「生(お)ひづる」という言い方をしているのを見ましたけれども、このつづまった言い方などは、「づる」を一文節とは見にくいので、「おふぃンどぅる LHLH」と(も)言われたと考えてよいのでしょう。
今こむと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな 古今・恋四691。いま こおムうと いふぃしンばかりに なンがとぅきの ありあけの とぅきうぉ まてぃい いンでとぅるかなあ LHLFL・HHHHHLH・LLHLL・LHHHHLLH・LFLHLHLF。毘・高貞691が「待ち出(い)でつるかな」に〈平上平上平上(平上)〉を差しています。月が出るのを待つ、といった意味で、古くはなぜか「月を待ち出(い)づ」と言いました。
「寝(い)ぞ寝(ね)かねつる」〈平上上上平(平上)〉(梅1022)の「寝(ね)」に差された上声点のようなものは、文節中の拍と見るにせよ文節末の拍と見るにせよ、本来的な下降拍として下降調をとったでしょう。
石上(いそのかみ)古(ふ)りにし恋の神(かみ)さびてたたるに我は寝(い)ぞ寝(ね)かねつる 古今・誹諧1022。再掲。いしょのかみ ふりにし こふぃの かみしゃンびて たたるに われふぁ いいンじょお ねえ かねとぅる HLLLH・LHHHLLL・LLHLH・LLHHLHH・LFFHLLH
ついでながら、複合動詞の連用形から派生した名詞では、前部成素の末尾は下降しないことを確認しておきます。例えば図名は、「思ひ出(い)で」のつづまった「おもひで」に〈平平上上〉を差しています。すると名詞「おもひいで」は「おもふぃいンで LLHHH」と言われたでしょう。以下に同趣の例を並べておきます。
うちかけ〈平上上上〉(図名。武官の礼服で、「打ち掛けて」〔うてぃい かけて LFLHH〕着るのでこう言います)
君をのみ思ひ寝に寝し夢なれば我が心から見つるなりけり 古今・恋二608。「思ひ寝に寝し」に毘が〈平平上上上上上〉を差しています。きみうぉのみい おもふぃねえに ねえしい ゆめなれンば わあンがあ こころから みいとぅるなりけり HHHLF・LLHHHHH・LLHLL・LHLLHHL・RLHLHHL。あなたが私を思ってくれているからあなたが私の夢にあらわれたのではないのだ、あなたに対する私の気持ちのせいで私はあなたの夢を見たのだ、と分かりました。
秋霧の晴れてくもればをみなへし花の姿ぞ見え隠れする 古今・誹諧1018。「見えがくれする」に訓が〈平上上上上上上〉を差しています。毘・高貞は〈平上上上○○○〉、寂は〈○○上○○○○〉ですが三拍目の「か」に濁双点を差すので、これらによってもこの五拍が一つの名詞をなすことは確実です。あきンぎりの ふぁれて くもれンば うぉみなふぇし ふぁなの しゅンがたンじょ みいぇンがくれ しゅる LLLHL・LHHLLHL・HHHHL・LLLLLHL・LHHHHHH。
節の最後に、四段動詞「のりとる」および「のたまふ」、ラ変動詞「居(を)り」および「はべり」のことを申します。
今でも「規則に則(のっと)る」と言いますけれども、この「のっとる」は「のりとる」(のり とるう HLLF)の変化したもので、この「のり」は「法」(のり HL)です。「のりとる」は早くから促音便形「のっとる」を持っていたようで、図名は「法」に「のとる」〈上平上〉(『集成』による)という訓みを、そして「経」に「のとる」〈徳平上〉という訓を与えます。この〈徳平上〉は「のっとるう」とも「のっとるう」とも書けるアクセントを意味するでしょう。二つは同じことでした。ここで徳点のことを申します。
右下よりも少し上に差された声点を「入声軽点」(にっしょうのかるてん)ないし「徳点」(とくてん)と呼ぶのでした。これは元来はpやtやkといった子音を伴う高平調を意味します。右下に差される、元来はpやtやkといった子音を伴う低平調を意味する「入声点」(にっしょうてん)と対をなします。例えば「薩(さつ)」は現代中国では「サー」に近い音で言われるようですけれども、周知のとおりこれは現代の中国語ではかつては入声(軽も重も)の最後にあった子音を言わなくなってしまったからで、隋や唐の時代にはこの漢字は高平調のsatのような音で言われたようです。「薩」(さつ)の「つ」は、「薩」が古くは末尾にtを持った名残です。
ただ図名の「のとる」〈徳平上〉は、先覚の見るとおり、「not・to・ruu」ではなく、促音を含む「のっとるう=のっとるう」と意味したのでしょう。徳点はここでは単に促音を含む言い方であることを示すために使われているようです。「法」に対する訓「のとる」〈上平上〉も同じ発音・アクセントを示すと見られます。
次に、「のたまふ」(のたまふう HLLF。例によって論点をさきどりしています)が「宣(の)りたまふ」に由来すること、「宣る」は高起二拍動詞であること(のる HL)、「宣りたまふ」は「のり たまふう HLLLF」と言われたこと、これらは疑いありません。宣(の)るがゆゑに「法(のり)」とは言ふなり(のるンが ゆうぇに「のる」とふぁ いふなり)。ちなみに「海苔」は「のり LL」です。ただ「のたまふ」は、少なくとも平安中期には広く「言ふ」(いふ HL)の主格敬語であり、主語に制約のある「宣る」の主格敬語ではありません。それはすでに転義において使われています。
「のたまふ」の初拍のアクセントは下降調なのか高平調なのか。悩ましいところですけれど、高平調だったのではないかと想像します。「のたまひ」「のたまはく」の転じた「のたび」「のたうばく」に図名が〈上平上〉〈上平平上上〉を差しているからで、もし「のたまふ」の初拍が「のりたまふ」の「のり」のつづまったものとして一拍動詞化しているのならば、「着て」〈東上〉(図名)におけると同じく東点が差されてもよいからです。もっとも、図名の「のたうばく」への注記は論語からのもので、論語の一本は東点を用いない流儀をとると見られたのですから、結局「のたび」に差された、恐らくは東点を用いる流儀による〈上平上〉によって判断する限り初拍は高平調らしい、ということになります。図名の「のたび」〈上平上〉は「のたンび HLF」を、「のたうばく」〈上平平上上〉は「のたうンばく」ではなく「のたんばく」(のたんばく HLLHH)を意味すると見るほうが自然で、それぞれ、「のたまひ」(のたまふぃい HLLF)、「のたまはく」(のたまふぁく HLLHH)から変化したものと考えられます。
なお、「のたばく」は万葉集にも見られるので(4432)、「のたまふ」を「のりたまふ」の促音便形「のったまふ」に由来すると見ることはむつかしいでしょう。万葉時代には音便は未発達だったようです。
次に、ラ変「をり」は複合動詞「ゐあり(居有り)」(うぃい ありい FLF)が縮約しつつ変化したものと考えられています(「わり」でも「ゐり」でもないのですから、単純な縮約ではないわけです)。その「をり」の全活用形は、『研究』研究篇下の説くとおり、連体形(一般形ならびに特殊形)を含めてHLだとみられます。例えば『訓』1011、1023がこのラ変動詞の連体形(一般)に〈上平〉を差しています。
梅のはな見にこそ来つれうぐひすのひとくひとくと厭(いと)ひしも居(を)る 古今・誹諧1011・再掲。ムめの ふぁな みいにこしょ きいとぅれえ うンぐふぃしゅの ふぃと くうう ふぃと くううと いとふぃしもお うぉる HHHLL・RHHLRLF・LLHLL・HLℓfHLℓfL・LLHLFHL。
「をり」がこうしたアクセントをとるのは、詳しく申せば、複合動詞「ゐあり」(うぃい ありい FLF)や「ゐある」(うぃい ある FLH)がつづまる際、後部成素が付属語化し、末拍が先行する拍の低下力に屈して低まった、ということだと思います。のちに見るとおり、「けり」、「めり」、伝聞・推定の「なり」、低平拍に続く時の断定の「なり」の末拍も、全活用形を通じて低いとみられます。ラ変「居り」とこれらとは、同趣の理由によって同じアクセントを持つのだと考えられます。
次は「はべり」。「はべり」と書かれていても入り渡り鼻音が響いたはずで、じっさい図名が「はむべり」に〈平上平上〉を差しています。「はべり」は「這(は)ひあり」のつづまったものと言われます。「這ふ」は「ふぁふう LF」ですから、「這(は)ひあり」は「ふぁふぃい ありい LFLF」(ないし「ふぁふぃありい LHLF」)でしょう。これが変化して「はむべり」になる経緯はさっぱり分かりませんが、「はむべり」のアクセントは「ふぁムべりい LHLF」、この撥音を表記しない「はべり」のアクセントは「ふぁンべりい RLF」と書けるでしょう。
d ナ変のこと [目次に戻る]
こんどはいわゆるナ変動詞のことを考えます。「往(い)ぬ」や「しぬ」は、起源的には単純動詞ではなかっただろうと思います。
『集成』によれば、改名は七ところで「往(い)ぬ」(以下は「いぬ」と書きます)に〈上上〉を差しますけれども、言うまでもなくこれは一般的な高起二拍動詞の終止形ではありません。他方、「いね」〈上平〉(問答803)、「いにけり」〈上平(上平)〉(毘313)のような言い方もあって、これらでは一般的な高起二拍動詞のそれとも解せなくはないアクセントが差されています。高起式であることは確かです。
「いぬ」は、連用形、終止形、命令形が〈上上〉のようにも〈上平〉のようにも言われる言い方です。一般の単純動詞ではこうしたことは起こりません。「いぬ」はまた、一般の単純動詞とは異なり、例えば意志・推量の「む」は従えられても打消の「ず」は従えられず(「行かず」〔ゆかぁンじゅ HHL〕など言うしかありません。なお現代京ことばにおいて「いなん」〔帰らない〕と言えるのは、すでに五段動詞化しているからです)、助動詞「けり」は従えられても主格敬語の「たまふ」は従えられません(通例「おはしぬ」〔おふぁしぬう LHLF〕、「おはしましぬ」〔おふぁし ましぬう LHLLHF〕など言いますが、「行きたまひぬ」〔ゆき たまふぃぬう HLLLHF〕は言えない言い方ではありません)。それから「いぬ」はいわゆる連用中止法で使えません。
打消の「ず」も主格敬語の「たまふ」も従えられず、いわゆる連用中止法で使えない動詞というものがあるでしょうか。およそ動詞とは考え得ないとは申しませんけれども、動詞として見るとすれば極めて特殊な動詞とするほかないとは申せます。
完了の助動詞「ぬ」はしばしばこの「いぬ」に由来するとされますが、これは解(げ)せません。完了の「ぬ」を「いぬ」にひきもどすと了解しやすい例があるでしょうか。例えば「春になりぬ」(ふぁるうに なりぬう LFHLHF。〔とうとう〕春になった。〔もう〕春になる。春になってしまった。春になってしまう)は、「春になりいぬ」(春になって、行った。春になって、行ってしまった。春になって、行く。春になって、行ってしまう)に還元すべきものではないでしょう。
いわゆるナ変動詞「いぬ」は「行(い)きぬ」(いきぬう HLF)の変化したものだと思います。「のたまふ」(のたまふう HLLF)は「のりたまふ」(のり たまふう HLLLF)の第二拍の脱落したものと考えられるのでした。同じように「行(い)きぬ」(いきぬう HLF)の第二拍の落ちたものが「いぬう HF」なのではないでしょうか。「行(い)きぬ」(いきぬう HLF)は「いきぬ HLL」とも言えるのですから、「いぬ」に〈上上〉と〈上平〉との差されるのは当然です。
ちなみに「いきぬう HLF」が「いいぬう FF」に変化しそれが〈上上〉と書かれた可能性は低いでしょう。連体形「いぬる」に改名が〈上上上〉を差すからで、「いぬる」の初拍が下降するならばその連体形は〈上平上〉(いいぬる FLH)でなくてはなりません。「いぬる」〈上上上〉は「いぬる HHH」だと考えられます。完了の「ぬ」もまた、打消の「ず」や主格敬語の「たまふ」を従えられません。例えば「成りなむ」(なりなムう LHHF)とは言えても「成りなず」とは言えず、「成りにけり」(なりにけり LHHHL)とは言えても「成りにたまふ」とは言えません。完了の「ぬ」のこうした性格が「いぬ」に受けつがれたのでしょう。
ところで、「行(い)く」とも「行(ゆ)く」とも言いますけれども、「いぬ」とは言っても「ゆぬ」とは言いません。「行(い)く」と「行(ゆ)く」とでは、前者は口語的な言い方、後者はフォーマルな言い方という差があるようですが、「いぬ」にも口語的な性格が認められるようです。例えば漢文訓読は重々しい言い方を好むわけですけれども、「いぬ」が一般に漢文訓読に用いられないようであるのは(「往」は「ゆく」と訓まれることが多いでしょう)、そのためだと思われます。もっとも「古」は「いにしへ」(いにしふぇ HHHL)と訓まれます。姑息なようですが、これは熟した言い方として別に扱ってよいと思います。
「行(い)きぬ」は、平安仮名文や王朝和歌にはまずあらわれない言い方です。言えない言い方というわけではなく、じっさい例えば『落窪』の巻二の、清水寺で中将がヒロインの継母に意地悪をするところに、諸本「からうして局に歩み行(い)きぬ」(からうしいて とぅンぼねに あゆみ いきぬう LHLFH・HHLH・LHLHLF)とするところがあり(といって誤写のたぐいでない保証があるわけではありませんけれど)、また時代くだって『今昔』にはいくつか見られるようですが、「行(ゆ)きぬ」が「行(ゆ)きにけり」「行(ゆ)きなむ」なども含めて『今昔』や『宇治拾遺』に
たいへんたくさん見つかるのに比べれば、まったくまれだと申せます。「行(ゆ)きぬ」は、はやく『源氏』にも、花を主語とした「ひらけゆきにけり」(胡蝶。ふぃらけえ ゆきにけり LLFHLHHL)という言い方や、今も言う「心ゆく」と同趣の「御心ゆく」が完了の「ぬ」を従えた「御心ゆきぬ」(椎がもと。みこころ ゆきぬう HHHHHLF)という言い方では見えています。次は伊勢物語の第二十四段にあらわれる「行(ゆ)きぬ」の例です。
昔、男、片田舎に住みけり。男、宮づかへしにとて別れ惜しみて行きにけるままに三年来ざりければ、(女ハ)待ちわびたりけるに、いとねむごろに言ひける人に今宵逢はむとちぎりたりけるに、この男来けり。「この戸あけたまへ」とたたきけれど、あけで、歌をなむ詠みていだしたりける。
あらたまの年の三年をまちわびてただ今宵こそ新(にひ)まくらすれ
むかし、うぉとこ、かたうぃなかに しゅみけり。うぉとこ、みやどぅかふぇ しいにとて わかれ うぉしみて ゆきにけるままに みとしぇ こおンじゃりけれンば、まてぃい わンびたりけるに、いと ねムごろに いふぃける ふぃとに こよふぃ あふぁムうと てぃンぎりたりけるに、こおのお うぉとこ きいけり。「こおのお とお あけ たまふぇえ」と たたきけれンど、あけンで、うたうぉなムう よみて いンだしたりける HHH、LLL、LLLHLHLHHL。LLL、HHHHLFHLH・LLLLLHH・HLHHLHHH・HHH・RLHHLL、LFHLLHHLH、HLLHLLH・HLHLHLH・HHHLLFL・HHLLHHLH、HHLLL・RHL。「HHH・HLLLF」L・LLHHLL、HHL・HLHLF・LHH・LLHLHHL/あらたまの としの みとしぇうぉ まてぃい わンびて たンだあ こよふぃこしょ にふぃまくら しゅれ LLHLL・LLLHHHH・LFHLH・LFHHHHL・HHHHLHL。現行の『伊勢』の本文では「ゆきぬ」はこにあらわれるだけのようです。
こうして「いぬ」は、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
HH HS HS HHH HHS HS
のようなアクセントで言われたでしょう。はじめの三つの特殊形はHHと見られます。
昔、男、初冠(うひかうぶり)して、奈良の京、春日の里に、領(し)るよしして狩にいにけり。その里にいとなまめいたる(若クテ美シイ)女はらから住みけり。この男、かいまみてけり。おもほえず古里にいとはしたなくて(見ル側ガトマドウヨウナ様子デ)ありければ、心地まどひにけり。伊勢物語初段。
むかし、うぉとこ、うふぃかンぶり(ないし、うふぃかンぶり)しいて、ならの きやう(ないし、きやう)、かしゅンがの しゃとに、しる よし しいて かりに いにけり(ないし、いにけり)。しょおのお しゃとに いと なまめいたる うぉムなふぁらから しゅみけり。こおのお うぉとこ、かいまみてけり。おもふぉいぇンじゅ ふるしゃとに いと ふぁしたなあくて ありけれンば、ここてぃ まンどふぃにけり。HHH、LLL、HHHHHL(ないし、HHHHHH)・FH、HLLLLL(ないし、LLH)・HLLLHHH・HHHHFH・LHHHHHL(ないし、HLHL)。HHHHH、HLLLHLLH・HHHHHLL・LHHL。HHLLL、HHHLHHL。LLLHL・LLHHH・HLLLLRLH・LHHLL、LLLLLHHHL。袖中抄が「かいまみけり」に〈上上上平上平〉を差しています。「古里」の後半のアクセントも、「心地」の末拍のアクセントも推定です。
立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふるまつとし聞かば今かへり来む 古今・離別365。たてぃい わかれえ いなンばの やまの みねに おふる まとぅとしい きかンば いま かふぇりい こおムう LFLLF・LHLLLLL・HHHLLH・LHLFHHL・LHLLFLF。「いなば」に伏片・顕大・毘・訓が〈平上平〉を差すのは「稲葉」への注記、寂が〈上上平〉を差すのは「往なば」への注記です。「まつ」を「まとぅ LH」としたのは「松」への注記で、「待つ」は「まとぅう LF」。
次は「死ぬ」(以下ひらがな表記)です。結論から申してしまえば、「しぬ」のアクセントは、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
HH HS HS HHH HHS HS
のようなものだと思われます。未然形(特殊)もこれ、連用形(特殊)、終止形(特殊)はHH。「いぬ」とは連用形(一般)が異なるだけです。
「しぬ」の「し」の語源としては、「息」という意味の「し」が想定されたり、サ変「す」の連用形が当てられたりしますけれども、これは定説はないということです。他方、活用から見て、「しぬ」の「ぬ」が完了の「ぬ」ないしナ変動詞「いぬ」と深いかかわりのあることは疑いありません。アクセントを見ても、改名は六つの「しぬ」〈上上〉と、十の「しぬ」〈上平〉とを持ちます。古今集声点本にも、「しに(たらば)」〈上上(平上平)〉(京秘654注〔索引篇、研究篇下〕。しにたらンば)のような注記と、「恋ひしね」〈平上上平〉(毘・高貞・訓526。『訓』は「恋ひ」に注記なし。こふぃい しね LFHL)のような注記とが見えています。また前紀・図紀81は「しなまし」に〈上上上上〉(しなましい HHHF)を差します。「しぬ」は完了の「ぬ」やナ変「いぬ」とアクセントのありようを同じくするように見えます。
しかし、「しぬ」と「往(い)ぬ」との、あるいは「しぬ」と完了の「ぬ」との関係は、単純ではありません。
例えば、「しぬ」は打消の助動詞「ず」(の各活用形)を従えることができます。梅1003は「しなずの薬」に〈上上平(平平上平)〉(しなンじゅの くしゅり)を差しますし、『竹取』でも帝が、
逢ふこともなみだにうかぶ我が身にはしなぬ薬(不老不死ノ薬)も何にかはせむ あふ こともお なみンだに うかンぶ わあンがあ みいにふぁ しなぬ くしゅりもお なににかふぁ しぇえムう LHLLF・LLHHHHH・LHHHH・HHHLHLF・LHHHHHH。「なみだ」の「なみ」は「涙」(なみンだ LLH)の「なみ」と「無み」(なあみ RL)とを兼ねます。
と詠みましたけれども、完了の「ぬ」や動詞「いぬ」にはこんなことはできません。主格敬語「たまふ」を従えた「しにたまふ」という言い方も、下にも引くように問題なくできます。動詞「しぬ」の連用形は文節末に位置できますが(「しに入(い)る」〔しにい いる HFHL〕、「しにかへる」〔しにい かふぇるう HFLLF〕なども言います)、こういうことも、動詞「いぬ」の連用形や完了の「ぬ」の連用形にはできないのでした。人の身もならはしものを逢はずしていざ試みむ恋ひやしぬると 古今・恋一518。ふぃとの みいもお ならふぁしものうぉ あふぁンじゅしいて いンじゃあ こころみムう こふぃやあ しぬると HLLHL・LLLLLLH・LHLFH・LFLLLLF・LHFHHHL。「試みる」はもともと「心見る」で(この「こころ」は「様子」といった意味)、「こころ」はLLH、訓568が「試みむ」に〈平平上○○〉を差しますけれども、図名は「こころみる」に〈平平平平上〉を差しますし、毘518も「こころみむ」に〈平平平平上〉を差します。「恋ひやしぬると」では「恋ひしぬ」(複合動詞というほどのものではありません)に係助詞が介入しています。この介入により「恋ひ」は完全に文節中のものになるので、その末拍は高平調をとると考えられます。
e 少数派低起三拍動詞のこと [目次に戻る]
少数派低起三拍動詞のことを考えて、動詞のことはすっかり終わりにします。少数派低起三拍動詞の各活用形のアクセントには、実例の少なさが災いして、詰めきれないところがあります。少なからぬ動詞が少数派低起三拍のそれと見られるアクセントをとったり多数派低起三拍のそれと見られるアクセントをとったりするので、なおさら厄介です。そろりそろりと進みます。
まずは下二段の「詣(まう)づ」。例えば図名の「詣(まう)でて」〈平上平上〉(まうンでて LHLH)から、「まうづ」の連用形(一般)は「まうンで LHL」、従って終止形(一般)は「まうンどぅ LHL」と考えられます。この動詞のような、終止形として〈平上平〉を持つ低起動詞は、終止形として〈平平上〉を持つ低起動詞に比べて、ごく少ししかありません。鎌倉時代になると、少数派低起三拍動詞のなかに、多数派低起三拍動詞として発音されるものも出て来ることが知られていますけれども(『研究』研究篇下)、「まうづ」は多数派になびいた形跡はありません。
少数派低起三拍動詞のなかには、複合動詞に由来するものがたくさんあります。複合動詞に由来するものが、少数派低起三拍の中での多数派です。
例えば「参る」の終止形(一般)は〈平上平〉(まうぃる LHL)と発音されましたが、この動詞は複合動詞「まゐいる」(参ゐ入る)〈平上上平〉の縮約されたものと考えられています。この「まゐ」は、この「まゐ」という連用形の語形のみ知られているところの、「参る」と同じ意味の、上二段とも四段ともされる動詞の連用形とされます。するとそれは文節末ではLFというアクセントで言われると考えられますけれども、四段動詞「まゐる」の終止形はLFLではなくLHLと言われたと見てよいでしょう。「のたまふ」やラ変の「をり」やナ変の「いぬ」の初拍は高さを保つと見られたのでした。
一つ戻って、「詣(まう)づ」(まうンどぅ LHL)もまた複合動詞に由来するようです。この動詞は複合動詞「まゐいづ」(参ゐ出づ)〈平上平上〉の縮約形「まゐづ」の音便形とされることが多いようで、この「まゐ」は今しがた見た「まゐ」なのだそうです。ラ変「居(を)り」について確認したのと同じく、「まゐいづ」〈平上平上〉が縮約する時に後半の二拍が付属語化し、末拍が低まって「まうづ」(まうンどぅ LHL)というアクセントになったと見られます。
「まうづ」の終止形(一般)以外の活用形のありようは、寂986詞書の「まうづる」〈平上上上〉(まうンどぅる)と、毘42詞書の「まうづる」〈平上平平〉(まうンどぅる)とが示唆します。どちらも誤点の類ではないと思われますけれども、ただ後者の「まうづる」〈平上平平〉は、古典的には「まうンどぅる LHLH」で、その末拍が先だつ二拍の低下力に負けたのが『毘』の言い方だと見るのが自然でしょう。ラ変動詞「居(を)り」のような二拍のものにおいて第二拍が全活用形を通じて低いのは異とするに足りませんけれども、「まうづる」〈平上平平〉のような言い方は古典的なアクセントとは言いがたいと思います。
「まうづ」の連体形が「まうンどぅる LHHH」とも「まうンどぅる LHLH」とも言えるとすると、この動詞のアクセントは次のようなものだと考えるのが自然でしょう。
LHH LHHH LHHL
LHL LHL LHLF
LHL LHLH LHLS
少数派低起三拍動詞を、低くはじまるものの、第二拍からは高起二拍(例えば「明ける」にあたる下二「明く」)と同じアクセントをとるものと見ると、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LHH LHL LHL LHHH LHHL LHLFという系列が得られ、低くはじまるものの、第二拍からの二拍はラ変「をり」と似たところのあるアクセントをとるものと見ると、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LHL LHL LHL LHLH LHLS LHLF
という系列が得られます。特殊形は未然形、連用形、終止形、いずれもLHHないしLHLだと考えられます。
このことに関して、「隠れぬ」〈平平平上〉(訓918。かくれぬ LLLH)や「そむかれなくに」〈平平平上上上(上)〉(梅936。しょむかれなくに LLLHHHH)といった注記が反例にならないことを申しておきます。下二段動詞「隠る」には図名そのほかが、四段動詞「そむく」には顕府〔39〕注(『研究』索引篇、研究篇下)が〈平上平〉を差しますが(「かくる LHL」「しょむく LHL」)、これらは多数派低起三拍としてのアクセントも持つので、「隠れぬ」〈平平平上〉や「そむかれなくに」〈平平平上上上上〉はそういう動詞としてのアクセントかもしれませんし、また、次に確認するとおり少数派低起三拍動詞はその成り立ちによって
アクセントに多少の異同のあることも考慮しなくてはなりません。「まうづ」のような、複合動詞に由来するタイプの少数派低起三拍動詞のアクセントについては、「思ひ出(い)づ」の特殊形は〈平平平平平〉ではなく〈平平上平平〉だといった事実が参照されなくてはなりません。複合動詞由来の「居り」の特殊形を〈上平〉と見ておいて、少数派低起三拍動詞のそれを低平連続調と見るのは不整合です。
参考までに、「まうづ」の全活用形を例文とともに書きつけておきましょう。
未然形(一般) まうで LHH・LHL 例えば「まうでで」は「まうンでンで LHHL」ないし「まうンでンで LHLL」と言われたでしょう。後者は「居(を)らで」(うぉらンで HLL」) や「花ならで」(ふぁななンで LLHLL」) を参照すれば奇妙な言い方とは感じられないでしょう。
未然形(特殊) まうで LHH・LHL 例えば「まうでぬ」は「まうンでぬ LHHH」ないし「まうンでぬ LHLH」と言われたでしょう。
連用形(一般) まうで LHL 例えば「まうでけり」は「まうンでけり LHLHL」と言われたでしょう。
連用形(特殊) まうで LHH・LHL 例えば「まうでし」は「まうンでし LHHH」ないし「まうンでし LHLH」と言われたでしょう。
終止形(一般) まうづ LHL 伝聞推定の「なり」を従えた「まうづなり」は「まうンどぅなり LHLHL」と言われたでしょう。
終止形(特殊) まうづ LHH・LHL 例えば「まうづべし」は「まうンどぅべしい LHHHF」ないし「まうンどぅンべしい LHLLF」と言われたでしょう。
連体形 まうづる LHHH・LHLH 例えば「まうづるなり」は「まうンどぅるなりい LHHHLF」ないし「まうンどぅるなりい LHLHLF」と言われたでしょう。
已然形 まうづれ LHHL・LHLS 例えば「まうづれども」は「まうンどぅれンどもお LHHLLF」ないし「まうンどぅれンどもお LHLHLF」など言われたでしょう。
命令形 まうでよ LHLF 例えば「まうでよかし」(詣でたらよいではないか)は「まうンでよかしい LHLHLF」など言われたでしょう。「かし」のことは後述。
次に「参る」のアクセントは次のようだと思われます。「まうづ」とは後半が当然に異なるわけですけれども、むしろ「まうづ」より単純です。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LHH LHH
LHL LHL LHL LHL
LHL LHL
特殊形は未然形、連用形、終止形、いずれもLHHないしLHLだと考えられます。一般形、特殊形の別を問わずすべての活用形をLHLで言うことができ(「居り」は何形でもHLでした)、未然形、連体形は一般形、特殊形の別を問わずLHHとも言ってもよい、ということになります。
さて少数派低起三拍動詞のなかには、複合動詞に由来しないものもあります。端的なのは「拝(をが)む」のような動詞です。改名はこの動詞に〈平上平〉を差します(観本名義・仏下本、法下、僧中。うぉンがむ LHL)。これは単純動詞「をろがむ」(うぉろンがむ LLHL)のつづまったもので(例えば岩紀102が「をろがみて」に〈平平上平上〉を差しています)、例えば「をがまず」は「をろがまず」(うぉろンがまンじゅ LLLHL)のつづまった「うぉンがまンじゅ LLHL」、連体形「をがむ」は「をろがむ」(うぉろンがむ LLLH)のつづまった「うぉンがむ LLH」のようなアクセントで言われたと思います。もっとも、少数派のなかの多数派になびいて、未然形(一般)や連体形(一般)として〈平上上〉と(も)言われた可能性がありますけれど、〈平上平〉とは言われなかったでしょう。もともとが〈平上平上〉である場合などとは異なり、縮約に際して末拍に対して低下力の働く余地はないわけです。
まとめますと、「をろがむ」のアクセントは、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LLLH LLHL LLHL LLLH LLHL LLHL
のようなものなので、「をがむ」のそれは、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LLH LHL LHL LLH LHL LHL
のようなものだったと考えられます。特殊形はいずれもLLLでしょう。
「葬(はぶ)る」(ふぁンぶる LHL)はこの「をがむ」と同趣でしょう。「はぶる」は現代語「ほうむる」の古形「はうぶる」(ふぁうンぶる LLHL。図名が〈平平上平〉を与えるのでした)のつづまったもので(多くの辞書の説くところとは逆ですけれども、こう見た方がアクセントからは自然です)、改名が〈平上平〉を差しますけれども、ただ総合索引によれば『倶舎論音義』は〈平平上〉を差すようです。連体形への注記だとしたら別ですが、時とともにこちらでも言えるようになったのでしょう。
それから、「退(しぞ)く」は「しりぞく」は「しりンじょく LLHL」のつづまったものなので、「しンじょく LHL」と言われたと考えられます。
いま一つ、下二段動詞「調(とな)ふ」のことを。「唱(とな)ふ」と同根とする向きもあって、そうならば高起式ですけれども(となふ HHL)、下二段の「ととのふ」(ととのふ LLHL)の変化したものとする向きもあって、そうならば「となふ LHL」で、しばらくこちらを採れば、「心を調(とな)へ祈り申したまふ」(栄花・玉飾〔おそらく、たまかンじゃり LLLHL〕)は「こころうぉ となふぇ いのりい まうしい たまふう LLHHLHL・LLFLLFLLF。一心に〔心を一つに集中させて〕祈り申し上げなさる」と言われ、「耳を調(とな)へて(耳ヲ澄マシテ)聞くに」(枕・殿上の名対面こそ〔53。てんじやうの なあンだいめんこしょ LHHHHH・HHHLLHL〕)は「みみうぉ となふぇて きくに LLHLHLH・HHH」と言われたでしょう。ちなみに平安時代には「耳を澄まして」とは(「耳を澄ませて」とはまして)言わなかったかもしれません。「心(を)澄ます」(こころうぉ しゅましゅう LLHHLLF)とは言うのでした。
現代語「きずく(築く)」に当たる「きつく(築く)」は、また以上とは異なるかもしれません。図名は「築」を「きづく」ではなく「きつく」と訓み〈平上平〉を差しますが、辞書によればこの動詞は「城(き)」――今でも「宮城」「城崎(きのさき)」などに残っている――を「築(つ)く」(築造する)ことで、「城(き)」は「き L」、「築(つ)く」は「とぅく HL」ですから、実質的に三拍動詞ではありません。はっきり「きい とぅく L・HL」と二語として言うものではなかったとすれば、また、少数派のなかの多数派になびくといった事情がなかったとすれば、この動詞の一般形のアクセントは、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
LHH LHL LHL LHH LHL LHL
のようにのみ言われたと考えてよいと思います。特殊形はいずれもLHHでしょう。
「背(そむ)く」はこの「きつく」と同趣の言い方だと見られます。じっさい顕府〔39〕注(『研究』索引篇、研究篇下)や改名がこの動詞に〈平上平〉を差します(しょむく LHL)。「背」は平安時代の京ことばでは「しぇえ L」と言われ得たでしょうから(「向く」は「むく HL」)、「そむく」は「きつく」(築)と同趣のアクセント〈平上平〉で言われておかしくありません。改名には〈平平上〉注記も見られますけれど(しょむくう LLF)、これもふしぎではありません。ただ「背」のアクセントは少々厄介で、〈上上平〉(しょむく HHL)も可能かもしれません。名詞「背(せ)」のアクセントは複数あったようなのです。
「しぇえ H」と言われ得たことは改名がこの名詞に上声点を差すことから知られますけれど、「しぇえ L」とも言えたでしょう。「背柄(せつか)」という言葉があって、「馬などの背筋」を意味するそうですが(広辞苑。「柄(つか)」は単独では「とぅか LL」)、和名抄(総合索引)や改名はこの名詞に〈上上平〉を差し、色葉字類集は〈平上平〉を差します。「背中の肉」のことを「背肉(そしし)」と言いますけれども、改名はこれに〈平上上〉を差します(「肉(しし)」〔「宍」とも〕は「しし LL」)。ついでながら、「兄」「夫」を当てる「せ」――「背」も当てられる――も複数のアクセントで言われたようです。前(さき)に見た岩紀108の「向(むか)つ峰(を)に立てる夫(せ)らが柔手(にこで)こそ」
〈上上上平上・平上平上平上・上上平上平〉(むかとぅうぉおに たてる しぇらンが にこンでこしょ)云々では この一拍語に上声点が差されていましたけれども、総合索引によればこの言葉にはLやRと解せる注記もあるそうです。この名詞を初拍に持つ「せこ」(兄子・夫子・背子)には、梅・京秘25、梅171、訓1089が〈上上〉(しぇこ HH)、毘・高貞1089、訓25が〈平上〉(しぇこ LH)、毘・京秘25が〈平平〉(しぇこ LL)を与えます。京秘25には、『研究』資料篇などによれば、「我がせこが」〈平上上上上〉は「あきすけのりう」(顕輔〔顕昭の養父〕の流)、「我がせこが」
〈平上平平上〉は「ひてよしにうたうによくわんよりそうてんのよみ」(秀能入道〔藤原秀能(1184~1240)〕女官より相伝の読み)とあるそうです。この「せ」が「背」とも書かれるのは、アクセントのありようが同じだからではないでしょうか。
しかりとてそむかれなくに事しあればまづ嘆かれぬあな憂(う)世の中 古今・雑下936。しかりいとて しょむかれなくに ことしい あれンば まあンどぅ なンげかれぬう あな うう よおのお なか LLFLH・LHHHHHH・LLFLHL・RLLLLHF・LLRHHLH。「そむかれなくに」は、『梅』の〈平平平上上上上〉によれば「しょむかれなくに LLLHHHH」ということになります。これは多数派低起三拍としての「そむく」のアクセントです。だからと言って世を背くわけにもゆかないのだが、何かあるとまずため息がでてしまう。いやだね、世の中というものは。
少数派低起三拍動詞のなかにはこうした成り立ちのものもあるとは申せ、多くは複合動詞に由来するものと見られます。以下、このタイプのものを並べてみます。
まちづ【待出】 問答691が例の「待ちいでつるかな」(まてぃい いンでとぅるかなあ LFLHLHLF)のつづまった「待ちでつるかな」に〈平上平(平上平上)〉を差しています。「待ち出(い)づ」(まてぃい いンどぅう LFLF)のつづまった「待ちづ」にさされた〈平上平〉は、複合動詞がつづまった時のアクセントのありようをはっきりと教えてくれます。
まかづ【罷出】(まかンどぅ LHL) 資料を欠きますけれども、「まかりいづ」(まかりいンどぅう LHLLF)のつづまったもののようですから、これでいいのでしょう。
まかる【罷】(まかる LHL) 「まかる」自身もこうしたアクセントなのはどうしてでしょう。LHLの「まかる」は、元来LLFの「まかる」と「入る」(いる HL)との融合したものだったと考えればよいのではないでしょうか。退出することは、申さば、この場を去りいずこかに入ること、引っ込むことです。「まかりいる」(まかり いる LHLHL)という言い方もあるのは、この「まかる」の起源が忘れられてから成立した言い方だと考えればよいと思います。
かかぐ【掲】(かかンぐ LHL) 「かきあぐ」(かきい あンぐ LFHL)のつづまったもの。図名が〈平上平〉を差しています。
ささぐ【捧】(しゃしゃンぐ LHL) 「さしあぐ」(しゃしい あンぐ LFHL)のつづまったもの。改名に九つ見えているうちの六つがこれで、残りは〈平平平〉(誤点なるべし)と、不分明のものと、〈平平○〉とです。
もたぐ【擡】(もたンぐ LHL) 「もちあぐ」(もてぃい あンぐ LFHL)のつづまったもの。改名と『浄拾』(浄弁本拾遺和歌集)とが〈平上平〉を差しています。
かくる【隠】(かくる LHL)
かくす【隠】(かくしゅ LHL) 図名が、そして古今集声点本の複数の箇所が「隠る」に〈平上平〉を差します。ただ、例えば梅(20)が「隠れたる」に〈平平上(平上)〉を差しなどするので、多数派低起三拍としても言われたと見られます。対応する他動詞「隠す」も同趣で、こちらも「かくしゅ LHL」「かくしゅう LLF」両様の言い方があったと見られます。
うぐひすの笠に縫ふてふ梅の花折りてかざさむ老い隠るやと 古今・春上36。「隠るやと」に毘が〈平上平上平〉、訓が〈平上〇上平〉を差しています。うンぐふぃしゅの かしゃに ぬふうてふ ムめの ふぁな うぉりて かンじゃしゃムう おい かくるやあと LLHLL・LHHLFLH・HHHLL・LHHLLLF・LLLHLFL。「といふ」(といふ LHH)のつづまった「てふ」には複数の異なるアクセントが差されますけれども、梅692、毘・高貞553、伏片・毘381がもともとのアクセントに近い〈平上〉を差します。鶯は梅の花を青柳で縫い合わせて笠にするというけれども、私も梅の花を折って髪に挿そう、老醜が隠れるかと。梅の花をかざせるだけの髪の毛はあるようです。
なお、訓918が「隠れぬ」(隠レナイ)に〈平平平上〉を差しますが、ここから少数派低起三拍動詞の未然形(特殊)がLLLであることを結論することはできません。梅(20)と同じく「隠る」を多数派低起三拍と見ているとも解せるからです。
さてこの動詞をここに置いたのは、もしかしたらこれは「掻き暗(く)る」(現代語「かきくれる」の古形)のつづまったものかもしれないからです。
(…)とのたまふに、にはかに風ふきいでて、空もかきくれぬ。源氏・須磨。(…)とのたまふに、にふぁかに かンじぇ ふきい いンでて、しょらも かきい くれぬう L・HLLHH、LHLH・HH・LFLHH、LHL・LFHLF。
「空がかきくれる」ことは「空が隠れる」ことだ、とは申しませんけれど、下二段の「かきくる」において「かき」は強意の接辞であり、意味の主体は下二段の「暗(く)る」にあります。「隠れる」ことは「跡を暗く(冥く)する」ことでしょう。隠れることと暗くなること、見えなくなることとは、無縁ではありません。たっぷりと唾を眉につけていただく必要がありますが、こんなストーリーを考えておけば、「隠る」が少数派低起三拍のアクセントを持つことを記憶にとどめやすいことは確かです。
ありく【歩】(ありく LHL) 「あるく」の古形。文献に見えているのは〈平上平〉注記だけのようです。この動詞がこういうアクセントを持つのは複合動詞起源だからではないかと考えると、候補になるのは「在り行く」――「存在したり、進んだりする」を意味できます――くらいしかありません。実際そう見る向きもあります。「在り行く」のつづまった言い方が「あちこち移動する」といった意味になるのはそう自然なことではありませんけれども、ほかに候補が見あたらないのも事実です。 次に、接辞「ふ」に終わるものを並べます。接辞「ふ」には四段動詞を作るものと下二段動詞を作るものとが区別されます。
まずは例として「えらふ」をとります。これは現代語「選ぶ」の古形で、末拍は古くは清みました。何より図名が「えらふ」に〈平上平〉(いぇらふ LHL)を差しています。「選(え)る」(いぇるう LF)が反復・継続を意味する未然形接続の接辞「ふ」を従えた格好の言い方です。この接辞は四段動詞「合ふ」(あふう LF)に由来すると見られるので、「えらふ」は「選(え)り合ふ」(いぇりい あふう LFLF)の縮約形だとも申せます。実際、補助動詞としての「合ふ」には主語が複数であることを示す用法がありますけれども、広辞苑によれば「えらふ」ももともとは主語が複数の時に使ったといいます(相互的行為を意味するわけでないことに注意すべきでしょう)。ただ早くからこの制約はなくなったと見られますから、複合動詞の縮約と見るにしても反復・継続の「ふ」を
従えたものと見るにしても大差はありません。後者と見る場合でもそれは飽くまで形態論の水準でのことであり、一回的な選択は意味しえないというようなことではありません。なお「住まふ」(しゅまふう LLF)、「慣らふ」(ならふう LLF)も接辞「ふ」を従えますが、これらは多数派のアクセントで言われます。
ねがふ【願】『古今』の仮名序の「筑波山(つくはやま)に掛けて君を願ひ」(筑波山にちなんだ言い方で主君に対し恩顧を願い)の「願ひ」、ということは文節末に位置する連用形の「願ひ」に、『問答』が〈平上平〉(ねンがふぃ LHL)を差し、『訓』が〈平平上〉(ねンがふぃい LLF)を差しています(全体は「とぅくふぁやまに かけて きみうぉ ねンがふぃ HHHHLHLHH・HHHLHL」など)。名義抄にもこの動詞への注記がたくさんありますけれど、そこでは〈平上平〉〈平平上〉あいなかばするようです。この動詞は古くは少数派の言い方がなされ、のちに多数派の言い方もできるようになったと考えられます。ここまではよいとして、不思議なことが一つ。この動詞が、「請」「労」「祈」などの字を当てる「ねぐ」――現代でも「ねぎらふ」などに残っている――に例の「ふ」の付いたものであることは 辞書の説くとおりでしょうけれども、この「ねぐ」は複数の資料から明らかに高起式と見られ(「ねンぐ HL」)、名詞「ねぎこと」(ないし「ねぎごと」)にも毘・寂・訓1055が〈上上上上〉を差します(ねンぎこと HHHH)。
ねぎことをさのみ聞きけむ社(やしろ)こそ果(は)てはなげきの森となるらめ 古今・誹諧1055。ねンぎことうぉ しゃあのみ ききけム やしろこしょ ふぁてふぁ なンげきの もりと なるらめえ HHHHH・LHLHLLH・LLLHL・LLHLLLL・HHLLHLF。『遠鏡』における宣長の解釈が面白いので引きます。「ソノヤウニメツタニ〔=めったやたらに〕人ノ云フコトヲ聞キ入レテ タレニモカレニモ逢フ人ガサ シマイニハナゲキガシゲウナルデアラウワイ」というもので、「ねぎごと」を特定の内容のものに限定し、「社」を特定のタイプの女人の隠喩とみているようです。碩学の見るとおり、「なげきの」の「の」は主格を示すものでしょう。
はらふ【払・掃】(はらふ LHL) 図名が〈平上平〉を差すのでここに置きます。訓416などは「はらひつつ」に〈平平上平平〉を差しますけれども、「つつ」が低く付くのなども含めてこれは後代のアクセントであって、古典的には「はらひつつ」は〈平上平上上〉(ふぁらふぃとぅとぅ LHLHH)だと見られます。低起二拍の「はる」(ふぁるう LF)と申せば、「晴れる」の古形である下二段の「晴る」と、「開墾する」という意味の四段の「墾(は)る」とがあります。どちらも意味的に「はらふ」と関係ありとしても、こじつけにはならないでしょう。
夜を寒み置く初霜を払ひつつ草の枕にあまたたび寝ぬ 古今・羇旅416。よおうぉお しゃむみ おく ふぁとうしもうぉ ふぁらふぃとぅとぅ くしゃの まくらに あまたたンび ねえぬう LHLHL・HHHHLLH・LHLHH・LLLLLHH・LLHLLFF
低起二拍動詞が未然形接続の接辞「ふ」を従えた格好の動詞のなかには、下二段動詞もあります。例えば「抱(かか)える」の古形「抱(かか)ふ」は「かかふ LHL」と発音されましたけれども(改名、俱舎論音義、漢籍資料〔総合索引〕)、これは「掻きあふ」(かきい あふう LFLF)のつづまったものと考えられます。この下二段の「あふ」(合ふ・和ふ・虀ふ)は、いつぞや『今昔』の鮨鮎の説話にあらわれたところの、自動詞である四段の「合ふ」に対応する、「合わせる」を意味する他動詞で、下二段動詞「かかふ」にはこの下二段の「合ふ」が、形の上で申さば溶け込んでいます。
ちなみに今では例えば「パスタをマヨネーズであえる」など言いますけれども、『今昔』の鮨鮎(すしあゆ)の説話には「手を以てその吐(つ)きたるものを鮨鮎にこそあへたりけれ」(てえうぉお もて しょおのお とぅきたる ものうぉ しゅしあゆうにこしょ あふぇたりけれ LHLH・HHHLLHLLH・LLLFHHL・LHLHHL)とあるので、この語法によれば、「パスタをマヨネーズであえる」のではなく、「パスタにマヨネーズをあえる」「マヨネーズをパスタにあえる」のです。下二段の「あふ」は「合わす」という意味なので、昔の言葉づかいとしては確かにそういうことになるのでしょう。
くはふ【銜】(くふぁふ LHL) 「食ひあふ」(くふぃい あふう LFLF)のつづまったものです。
ささふ【支】(しゃしゃふ LHL) 広辞苑は「指し合ふ」(しゃしい あふう LFLF)のつづまったものとします。
とらふ【捕】(とらふ LHL) 「取り合う」(とりい あふう LFLF)のつづまったものでしょう。
はらふ【祓】(ふぁらふ LHL、ふぁらふう LLF) いずれも言うようです。四段の「はらふ」と同じく「晴る」(ふぁるう LF)などとのつながりを考えてよいようです。ちなみに名詞「祓(はら)へ」――「おはらい」は訛った言い方で、元来は「おはらえ」だったようです――にも、「ふぁらふぇ LHL」「ふぁらふぇ LLL」両様のアクセントがあります。
今度は、他動詞化形式素 aʃ をもつものを並べます。
もらす【漏・泄】(もらしゅ LHL) 図名が〈平上平〉を差しています。四段の自動詞「漏る」(もるう LF)の未然形が接辞「す」を従えて他動詞になったものという言い方もできます。「漏らす」は複合動詞でこそなけれ、低起二拍動詞「漏る」のアクセント〈平上〉がそのまま保持されているという点では「参る」や「詣づ」のような言い方に似ます。
こやす【肥】(こやしゅ LHL) 図名が〈平上○〉とするのでここに置きます。改名には〈平平〇〉とあります。下二段動詞「肥ゆ」(こゆう LF)に形式素 aʃ の付いたものです。現代語「こやし」は肥やすものにほかなりませんけれども、古くは「肥え」(こいぇ LL。それによって地味のよくなるところのもの)と言われたようです。そういえば、現代語でも「こえだめ」と言います。「こやしだめ」という現代語もあるにはあるそうですけれど、まず耳にしません。
こやす【臥】(こやしゅ LHL) 推古天皇の二十一年冬、聖徳太子が片岡(奈良県北葛城郡)というところに遊行したおり、飢えた人が路傍に伏していたので姓名を問うたが返答がありません。太子は、食べ物、飲み物を与え、着ていた衣を脱いで掛け、「やすく伏せよ」(やしゅく ふしぇよ LHLLHL)と言い、こう詠んだ、と岩紀および図紀にあります(104)。
しなてる 片岡山に 飯(いひ)にゑて 臥(こ)やせるその旅人(たびと) あはれ 親なしに 汝(なれ)生(な)りけめや さすたけの 君はやなき 飯にゑてこやせる その旅人あはれ
〈上上上上(岩紀、平上上上)・平平平平平平上・平平上東上(岩紀、上上上東上)・平上平上・上上上上上・平平上・平平上上上・平上平上平上上(岩紀、平上平上平平上、図紀、平上平上平上平〔平上平上平上東〕)・上上平平平・上上上上平東・平平上東上・平上平上・上上上上上平平上〉
しなてる かたうぉかやまに いふぃに ううぇえて こやしぇる しょおのお たンびと あふぁれぇ おやなしに なれ なりけめやあ しゃしゅたけの きみふぁやあ なきい いひに ううぇえて こやしぇる しょおのお たンびと あふぁれぇ HHHH・LLLLLLH・LLHℓfH・LHLH・HHHHH・LLF・ LLHHH・LHLHLHF・HHLLL・HHHFLF・LLHℓfH・LHLH・HHHHHLLF。「しなてる」は「片」を起こす枕詞。「しな」は「品・階」で(しな HH)、「坂」のことを言います。するとそのアクセントは図紀の〈上上上上〉が正しいでしょう(「照る」は単独では「てるう LF」ですから「しなてる」で一語)。「さすたけの」は「君」(主君)を起こす枕詞。「刺す竹の」のことだそうで、すると〈平上上上上〉とあるのでなくてはなりません。〈上上平平平〉は岩紀のもので、図紀も〈平上平平平〉です。「茸」は「たけ
LL」ですけれども、こちらではないでしょう。さてこの「臥(こ)やせる」〈平上平上〉(こやしぇる LHLH)からは四段動詞「臥(こ)やす」(こやしゅ LHL)を取り出せます(「る」は存続の「り」の連体形)。この四段動詞は、「臥(ふ)す」を意味する上二段動詞「臥(こ)ゆ」(こゆう LF)が尊敬・親愛の「す」を従えた「こいす」(こいしゅう LLF)の変化したものらしく、一つの三拍動詞として成立した時、「漏らす」(もらしゅ LHL)などと同じく、成素である低起二拍動詞のアクセントを保持する形で言われたものと思われます。
この「臥(こ)やす」もまた、「こやしゅう LLF」という多数派のアクセントを持っていました。『顕府』〔53〕注〔補1〕はほかならぬこの「臥(こ)やせる」に〈平平上平〉を差します。ちなみにそこでは「しなてる」は「しなてるや」〈上上上上上〉(しなてるやあ HHHHF)、「かたをかやまに」は岩紀や図紀とほぼ同じく〈平平平平平平〇〉、「いひにゑて」は「いひにうゑて」(声点なし)、「たびと」は「たびびと」(声点なし)、「さすたけの」は〈平平平上〇〉です。「きみはやなき」は「きみはやなきも」(声点なし)となっています。
ちなみにこの歌は、拾遺集・哀傷1350では次のような三十一文字にしたてられています。
しなてるや片岡山にいひに飢ゑて臥(ふ)せる旅人(たびびと)あはれ親なし(しなてるやあ かたうぉかやまに いふぃに ううぇて ふしぇる たンびンびと あふぁれえ おや なしい HHHHF・LLLLLLH・LLHLHH・LHLHHHH・LLFLLLF)
ついでにその飢えた人の「かへし」(かふぇし LLL)も引いておきましょう。拾遺集の最後の歌です。
いかるがや富緒川(とみのをがは)の絶えばこそ我が大君の御名は忘れめ 拾遺・哀傷1351。いかるンがやあ とみの うぉンがふぁの たいぇンばこしょ わあンがあ おふぉきみの みなふぁ わしゅれめえ LLHLF・HHHHHHH・LHLHL・LHLLHHH・HHHHHHF。顕府〔53〕注が「いかるがや」に〈平平上平上〉(原文は四拍目清ます)を、「とみのをがは」に〈上上上上上上〉を差しています。ここでは「我が大君」は太子のこと。
のがる【逃】(のンがる LHL) ついでにこれも見ておきます。『集成』によれば、改名は「逃(の)がる」に八か所で〈平上平〉を、一か所で〈平上〇〉、一か所で〈平平上〉を与えます。『倶舎論音義』は〈平平上〉を差すそうですけれども(総合索引)、全体としては少数派が多数派を占めるわけです。この「逃(のが)る」(のンがる LHL)のはじめの二拍は「逃(に)ぐ」(にンぐう LF)のアクセントを保持しているのでしょう。さて「のがる」がLHLなのは、「のがす」(のンがしゅ LHL)がそうであるのに対応するのでしょう。辞書によれば「のがす」の初出は鎌倉時代よりも前にさかのぼらないようですけれども、古くもあることはあったと見ておきます。
以上の動詞はLHLというアクセントで言われたことが、ないし言われ得たことが明らかですけれども、例えば改名の一つである観智院本名義の「仏下末」というところに、「照らす」に対する〈平上平〉という注記が見られます。しかしこの「仏下末」のほかのところではこの動詞に〈平平平〉が差されたり、平声点とも上声点ともつかないところに点が打たれたりしていて、「仏下末」の注記は総体にそうだとされるのですけれども、信は置けません。そもそも、低起二拍動詞に他動詞化形式素 aʃ の付いた言い方は、「出(い)だす」(いンだしゅう LLF)、「癒す」(いやしゅう LLF)などなど、通例LHLではなくLLFと言われました。「照らす」も「てらしゅう LLF」でよいのだと思います。
なぜLHLというアクセントをとるのかはっきりしないものもあります。以下に並べてみます。
けがる【汚】(けンがる LHL)
けがす【汚】(けンがしゅ LHL)
前者には図名が〈平上平〉を差し、後者には改名の多くの箇所が〈平上平〉を差しています。あまり説得的な語源説はないようですけれども、参考までに記せば、あまり説得的はでない語源説にあらわれる「気(け)」は「けえ L」と見られ、「枯る」も「離(か)る」も「かる HL」ではあります。古代における「褻(け)」のアクセントは分かりません。もしこの「けがる」と結びつけてよいのなら、「けえ L」ということになりそうです。
以下はいずれも〈平上平〉とも〈平平上〉とも注記されるものです。
あぶる【焙・炙】(あンぶる LHL、あンぶるう LLF) 言われるとおり「油」(あンぶら LLH)と無縁ではないのでしょう。
いつく【斎】(いとぅく LHL、いとぅくう LLF) 袖中抄そのほかが「斎(いつき)」を「いとぅき LHL」、「斎宮(いつきのみや)」を「いとぅきの みや LHLLHH」とします。「厳」や「稜威」を当てる「いつ」と関連ありとされることが多い動詞で、確かに「厳(いつ)」「稜威(いつ)」は「いとぅ LL」、形容詞「いつくし」「いつかし」も「いとぅくしい LLLF」「いとぅかしい LLLF」のようです。
かづく【潜・被】(かンどぅく LHL、かンどぅくう LLF) 「もぐる」「もぐって貝や海藻をとる」を意味する四段動詞も、「もぐらせる」「もぐって貝や海藻をとらせる」を意味する下二段動詞も、LHLで言い得ます。
伊勢の海士のあさなゆふなにかづくてふ(モグッテ採ルトイウ)みるめに人を飽くよしもがな 古今・恋四683。いしぇの あまの あしゃな ゆふなに かンどぅくてふ みるめに ふぃとうぉ あく よしもンがな HHHLLL・LLHHHHH・LHLLH・LHLHHLH・LHHHLHL。もうこの人は見飽きた、なんていうことになってみたいものだ。上の句は「みるめ」と言おうとして置かれていて、その「みるめ」は海藻の「海松布(みるめ)」(みるめ LHL)と「見る目」(みるめえ LHL)とを兼ねています。「海松(みる)」は総合索引がLHかLFかとするものであり(みる、みるう)、「海布(め)」は「めえ F」でしょう。「藻」は「もお F」で、「海布(め)」はこの転じたものと言われます。
せめく【鬩】(しぇめく LHL、しぇめくう LLF) 現代語「せめぎ合う」に見られる「せめぐ」の古形ですけれども、次の歌では「恨む」といったほどの意味で用いられています。老いぬとてなどか我が身をせめきけむ老いずは今日にあはましものか 古今・雑上903。おいぬうとて なンどかあ わあンがあ みいうぉお しぇめきけム おいンじゅふぁ けふに あふぁましい ものかあ LHFLH・RLFLHHH・LHLLH・LHLHLHH・LLHFLLF。老いてしまったといってなぜ我が身を恨んだのだろうか。老いなかったら今日こんなに楽しい思いをすることができたであろうか。
つかる【疲】(とぅかる LHL) 袖中抄が「行き疲れ」に〈上平平平上〉(ゆき とぅかれえ HLLLF)を差しなどしますから多数派の言い方もできるのでしょうけれど、図名は少数派の言い方を記しています。上二段「尽く」とかかわりのある動詞ともされますが、この動詞には「つか」という語形はありませんし、何より「尽く」(とぅく HL)は高起式です。いっそ、ものに「憑(つ)かれる」から「疲れる」のだと見るのはどうでしょう。「憑(つ)かれる」の古形は「憑かる」(とぅかるう LLF)ですけれども、意味が分化して「疲る」(とぅかる LHL)が成立したと見るのです。
めぐむ【恵】(めンぐむ LHL、めンぐむう LLF) 図名が〈平上平〉を差していますけれども、総合索引によれば〈平平上〉とも言われたようです。現代語では多く「あわれんでものを与える」という意味で使われますけれども、古くは広く人に恩恵を与えること一般を言いました。現代語でも「恵まれた環境」などいう時の「恵む」はこの広い意味での「恵む」に近いでしょう(ちなみに「恵まれた環境」の「恵まれた」は⓪の「めぐまれた」で言われ、③の「めぐまれた」というアクセントはとられにくそうです)。さてこの動詞は低起形容詞「愛(めぐ)し」(めンぐしい LLF)と同根で、「愛(めぐ)し」は「目苦(く)し」なのだそうです。もし「めぐむ」がこの形容詞と無縁でないならば、「めぐむ」の低起性は「目」(めえ L)から説明できますけれども、なぜ少数低起三拍の言い方になるのかは依然として分かりません。ちなみに「芽ぐむ」への注記を知りませんけれども、「芽」は「目」と同じく「めえ
L」で、諸書の示唆するように「芽ぐむ」の「ぐむ」が「含む」(ふくむう LLF)ならば、「芽ぐむ」は「めンぐむう LLF」でしょう。「角(つの)ぐむ」は「とぅのンぐむ LLHL」(総合資料。「角(つの)」は「とぅの LL」)であり、「なみだぐむ」は「なみンだンぐむ LLLHL)でよさそうです(「なみだ」は「なみンだ LLH)。「瑞歯(みづは)ぐむ」は、「瑞(みづ)」が低起式なのは確かなようで(総合資料)、「瑞穂(みづほ)」は「みンどぅふぉ LLL」のようですから(同上)、「みンどぅふぁンぐむ LLLHL)と見て問題ないと思います。
最後に主格敬語を四つほど見ます。
まずは「思ふ」の主格敬語「おぼす」。総合索引によるとこれは「おンぼしゅう LLF」とも「おンぼしゅ LHL」とも言われたようです。元来、「思ふ」(おもふう LLF)が未然形接続、四段活用の「す」を従えた言い方「思はす」は「おもふぁしゅう LLLF」と言われたでしょう。その変化した「おもほす」もまた「おもふぉしゅう LLLF」と言えたでしょうけれど、一語の単純動詞として「おもふぉしゅ LLHL」とも言えたでしょう。それらがつづまって「おンぼしゅう LLF」とも「おンぼしゅLHL」とも言われたと考えられます。
次に、この動詞と「召す」との複合したのが「おぼしめす」です。「召す」は「めしゅう LF」。近世においてLHLLLのようだったこと(総合索引)も考え併せて、平安時代「おぼしめす」は、「おンぼしい めしゅう LLFLF」、「おンぼしめしゅう LLHLF」、「おンぼし めしゅう LHLLF」など言えたと見ておきます。
次は「おはす」。これはサ変動詞なので、「ここにおはすを誰と…」といった言い方は平安時代の京ことばとしては変で、「ここにおはするを…」でなくてはなりません。この「おはす」の終止形は、改名などから「おふぁしゅ LHL」だと知られます。連体形「おはする」は、さしあたり「おふぁしゅる LHHH」だったと見ておきます(近世の資料は「おはする」をLLHHとするようです)。「ここにおはするを…」は平安時代には「ここに おふぁしゅるうぉ LHH・LHHHH」など言われたでしょう。
次に四段「おはします」は、「おはしいます」のつづまったもので、「います」は「いましゅう LLF」とも「いましゅ HHL」とも言われたようですから、「おはします」は「おふぁしましゅう LHLLF」か「おふぁしましゅ LHLHL」と言われたでしょう。近世の資料にはLHLLLとあるそうです(総合索引)。
動詞のことは今はこれで終わり。扱っていないものも少なくありませんけれど(特に古今異義のもの)、機会を改めます。
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10 形容詞のアクセント(Ⅱ) [目次に戻る]
「人にくし」という言い方があります。毘・高貞・訓631が「人にくからぬ」に〈○○上上平平上〉を、寂631が同じ言い方に〈○○平上○○○〉を差しています。「人」は「ふぃと HL」、「にくし」は「にくしい LLF」ですから、毘・高貞・訓の注記は「ふぃとにくからぬ HHHHLLH」、寂の注記は「ふぃとにくからぬ HLLHLLH」を意味すると見られ、これらからは、「人にくし」を「ふぃとにくしい HHHHF」とも、「ふぃとにくしい HLLLF」とも言えることが知られます。複合動詞のところで使い始めた言い方を用いれば、「ふぃとにくしい HHHHF」と発音することは「人にくし」を一語の高起形容詞として一気言いすることであり、「ふぃと にくしい HLLLF」と発音することは、「人にくし」を、名詞「人」と形容詞「にくし」とからなる一つの連語として律儀言いすることです。
「人にくし」は「不愛想だ」「そっけない」といった意味合いの言い方で、男が思いをせつせつと訴えているのにそれに応えようとせず、木で鼻を括ったような態度を取る女性は典型的な「人にくき人」である、ということになるようです。
朝顔の姫君は、いかで人に似じと(光ル源氏ニナビイテ不幸ナ思イヲスルコトナドナイヨウニシヨウト)深うおぼせば、はかなきさまなりし御かへり(ソレマデハ形バカリトハイエアッタ、光ル源氏ヘノ返事)などもをさをさなし。さりとて人にくくはしたなくはもてなしたまはぬ御けしきを(不愛想ナ礼儀知ラズナ態度ハオ取リニナラナイ御様子ヲ)、君も、なほ異なり(優レテイル)とおぼしわたる。源氏・葵。
あしゃンがふぉの ふぃめンぎみふぁ、いかンで ふぃとに にンじいと ふかう おンぼしぇンば、ふぁかなきい しゃまなりし おふぉムかふぇり なンどもお うぉしゃうぉしゃ なしい。しゃりいとて ふぃと にくく(ないし、ふぃとにくく) ふぁしたなくふぁ もて なしい たまふぁぬ
みけしきうぉ、きみも なふぉお ことおなりと おンぼし わたる。LLHLLHHHHH、HRH・HLHHHL・LHLLLHL、LLLFHHLLH・LLHHHLRLF・LHLHLF。LFLH・HLLHL(ないしHHHHL)・LLLHLH・LHLFLLLH・HHHHH、HHL・LFLFHLL・LHLHHL。
いま一つ引きます。
こりずまにまたも無き名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば 古今・恋三631。こりンじゅまに またもお なきい なあふぁ たてぃぬンべしい ふぃと にくからぬ(ないし、ふぃとにくからぬ) よおにし しゅまふぇンば LHHHH・HLFLFFH・LHHHF・HLLHLLH(ないしHHHHLLH)・HHLLLHL。初句のアクセントは推定。梅・訓は〈平平上上上〉(梅は末拍に注記なし)、毘・高貞は〈平平上平平〉(高貞は第四拍に注記なし)を差しますけれども、「懲る」は「こるう LF」、「懲りず」は「こりンじゅ LHL」ですから、二拍目の低いのは解(げ)せません。現代は「人にくからぬ世」である。つまり、かつては殿方からのお誘いを厳しくはねつけるのがよいとされたようだが、昨今はそのようにはしないのがよいとされる時勢である。それで、またもや、性懲りもなく私は愛想よくふるまってしまったけれども、そのことでまた、軽い女だという、事実とは異なる噂が立ってしまいそうだ。浮薄な女人が、これも時勢のせいだ、私は本当はそんな女じゃないとうそぶく歌と解しておきます。
いま一つ。
惜しとのみ思ふ心に人にくく散りのみまさる花にもあるかな 躬恒(みつね)集。うぉしいとのみ おもふ こころに ふぃと にくく(ないし、ふぃとにくく) てぃりのみ ましゃる ふぁなにも あるかなあ LFLHL・LLHLLHH・HLLHL(ないしHHHHL)・HLHLHHH・LLHLLHLF。桜の花が、その散るのを惜しむ私の心に応えることなく、ますます散るよ。
ちなみに、これらの「人にくし」における「人」は、「主語」と「対象語」とを区別する時枝誠記の用語法によれば「主語」です。例えば「いや私ではなく
彼がコーヒーが好きなんだ(=コーヒーを好きなんだ)」では「彼」が主語(subject)で「コーヒー」は対象語(object)です。ある女性がある男性に対して冷たい態度をとり男性が腹立たしく思う場合その女性は「男性が腹立たしい」女性(ある男性がある女性を腹立たしく思うそのある女性)です。例えば現代語「人恋しい」における「人」は対象語であるのに対して(人を恋しく思うわけです)、古語「人にくし」における人は主語です。多くの辞書が「人憎し」を「人からみて腹立たしい」といった意味と説きますけれども、「相手が腹立たしい(=相手が腹立たしいと思うような態度をとる)」というような意味と見るべきでしょう。
こうした意味あいの言い方としての「人にくし」では、一つの名詞と一つの形容詞とのあいだに意味の化合ないし複合が起こっていますから、これが意味論的に一つの複合形容詞であることは明らかで、毘・高貞・訓631の「人にくからぬ」〈○○上上平平上〉から取り出せる「人憎し」(ふぃとにくしい HHHHF)はその一つの複合形容詞をそういうものとして一気に発音したものです。他方、寂631が同じ言い方に〈○○平上○○○〉を差していたのは、「人憎し」(ふぃと にくしい HLLLF)を、一つの名詞と一つの形容詞とからなる連語として律儀に発音しています。複合形容詞「人憎し」は、発音上、一気言いも律儀言いもできると考えられます。
ところで、複合形容詞とそれに類したものとの区別は原理的に確定できません。現代語を例にとれば、「きょうみぶかいさくひん」が一般的であるものの、「きょうみふかいさくひん」とも言えます。「きょうみぶかい」は、アクセントからも、また連濁していることからも明らかに一語ですけれど、「きょうみふかい」は、アクセントから見て二語です(連濁していませんが、連濁すべくして連濁していないから二語だとは言い切れません。「いとこんにゃく【糸蒟蒻】」も「しろしょうーゆ【白醤油】」も連濁していませんが、アクセントから見て一語です)。「きょうみふかい」よりも「きょうみぶかい」のほうが一般的であることは確かですが、前者はたんにあまり言わない言い方なのであり、許容度の落ちる言い方ではありません。「止(や)むを得ないこと」は、現代語として「やむをえないこと」と発音されますが、「やむをえないこと」(やめることが出来ないこと)と発音してはならないというわけではありません。
平安時代の京ことばでは「味はひ深し」という言い方はしないと思われますが、こういう式の言い方はたくさんあります。現代語では「味わいの深い作品」「味わいが深い作品」とも言えるわけですけれども、古い日本語ではこうしたところで「の」「が」は置かないことも加わって、名詞と形容詞とがぢかに(旧仮名を遣います)接するこうした言い方は、古文には現代文よりもずっと頻繁にあらわれます。参考までに四つほど引きます。
いとけはひをかしく物語などしたまひつつ 源氏・若菜上。いと けふぁふぃ うぉかしく ものンがたり なンど しい たまふぃとぅとぅ HL・LLLLLHL・LLLHLRL・FLLHHH。たいそう明るい雰囲気でお話をなさりなどして。現代語では「雰囲気明るくお話をする」といった言い方は好まれません。もっとも、石川淳はつねにこうした言い方をしましたし、石川を好んだらしい黒田恭一はラジオ番組の最後に「お気持ちさわやかにお過ごしくださいますように」と言っていましたけれど)
もとの品高く生まれながら、身は沈み、位みじかくて人げなき 源氏・帚木。もとの しな たかく ムまれなンがら、みいふぁあ しンどぅみ、くらうぃ みンじかくて ふぃとンげ なきい LLLHH・LHL・HHHHHH、HHHHL・HHHLLHLH・HHHLF。もともと高い家柄に生まれながら、零落し、官位が低くて、人並みとはいえない人。「もとの・品高く」ではなく「もとの品・高く」と言っていること、申すまでもありません。
春の野山、霞もたどたどしけれど、こころざし深く掘り出でさせてはべる、しるしばかりになむ。源氏・横笛(よこンぶいぇ)。ふぁるうの のお やま、かしゅみも たンどたンどしけれンど、こころンじゃし ふかく ふぉりい いンでしゃしぇて ふぁンべる、しるしンばかりになムう。LFLLLL、HHHLLLLLLHLL、LLLLLLHL・LFLLLHH・RLH、HHHHHLHLF。朱雀院が娘・女三の宮に筍(たかムな LHHL)や野老(ところ LLL。ヤマノイモ科)というささやかな贈り物をしたことを言っています。「こころざし深く」は「あなたへの深い思いから」「思いを込めて」といった意味。
夜もすがらいみじうののしりつる(火葬ノ)儀式なれど、いともはかなき(葵ノ上ノ)御かばねばかりを御なごりにて、あかつき深く(マダ夜ノ明ケル前ニ)帰りたまふ。 源氏・葵。よおもお しゅンがら いみンじう ののしりとぅる ぎいしきなれンど、いともお ふぁかなきい おふぉムかンばねンばかりうぉ おふぉムなンごりにて、あかとぅき ふかく かふぇりい たまふう LFLLH・LLHL・HHHLLH・RLLHLL、HLFLLLF・LLHHHHHHLH・LLHHHLHH、HHHHLHL・LLFLLF。「儀式(ぎしき)」は呉音。「漢字古今音資料庫」〔web〕からRLLと推定されますが、京都で近世以来もHLLらしいことは、この推定を支持してくれます。
これらから取り出せるところの、「けはひをかし」(けふぁふぃ うぉかしい LLLLLF)、「もとの品高し」(もとの しな たかしい LLLHHLLF)、「こころざし深し」(こころンじゃし ふかしい LLLLLLLF)、「あかつき深し」(あかとぅき ふかしい HHHHLLF)といった言い方は、いずれも、一つまたは複数の名詞と一つの形容詞とからなる言い方と見るべきものでしょう。あとの三つにおける一つの「高し」と二つ「深し」とは、連濁させようと思えばさせられます。しかし連濁した言い方で言われたとは思われません。それらはいずれも一語の形容詞とは考えられません。
それならば、古語辞典が一語の形容詞として(も)立項する、「心をかし」「心たかし」「心ふかし」「夜深し」のような言葉は、いずれも二語からなる言い方とも解せるでしょう。「夜深し」「心深し」はは絶対的に一語だとする根拠があるとは考えられません。
アクセントのことを考えるならば、これはどちらでもよいことではありません。「ものさびし」(ものしゃンびしい LLLLF)、「たけたかし」(たけたかしい LLLLF)のような言い方ならば、「もの」も「たけ」もLL、「さびし」も「たかし」も低起式なので、一語と見ても二語と見ても同じことですけれど、「心をかし」「心高し」「心深し」「夜深し」は、それぞれ一語と見るならば「こころうぉかしい LLLLLF」「こころたかしい(ないし、こころだかしい) LLLLLF」「こころふかしい(ないし、こころぶかしい) LLLLLF」「よふかしい(ないし、よンぶかしい) LLLF」と言われ、二語と見るならば「こころ うぉかしい LLHLLF」「こころ たかしい LLHLLF」「こころ ふかしい LLHLLF」「よお ふかしい LLLF」と言われることになります。
ちなみに、「心高し」は辞書により、「こころたかし」とされたり、「こころだかし」とされたり、どちらも言うとされたりします。「心深し」は連濁させない辞書が多いようですけれども、精選版日本国語大辞典は「こころぶかし」とも言うとします。「夜深し」は多くが「よぶかし」としますが、精選版日本国語大辞典は「古くは『よふかし』」とします。どのくらい古い時代のこととしているのかは分かりませんけれども、平安時代の京ことばとして「夜深し」が、そして「心をかし」「心高し」「心深し」が、連濁しない言い方でも言われ得たことは確かだと思われます。多くの辞書が「夜ぶかし」はこの言い方で項目を立て、「心ふかし」はこの言い方で項目を立てるのは、そう古くない時期に成立した読み癖によるのでしょう。
「心高し」や「心深し」を一気言いできたことは明らかです。例えば図名は「快」を「こころよし」〈平平平平上〉(こころよしぃ LLLLF)と訓んでいて、これは明らかに一語としてのアクセントです。しかし例えば、次の引用にあらわれる「こころよく」などは、「こころよく LLLHL」とも「こころよおく LLHRL」とも言えたでしょう。
ほととぎすの声も聞かず。もの思はしき人は寝(い)こそ寝られざなれ、あやしう心よう寝らるるけなるべし。蜻蛉の日記・天禄三年(972)。ふぉととンぎしゅの こうぇえもお きかンじゅ。もの おもふぁしきい ふぃとふぁ いいこしょ ねられンじゃんなれ、あやしう こころよう(ないし、こころ よおう)ねらるる けえなるンべしい。LLLHLLLFF・HHL。LLLLLLFHLH・LHLHHHLHL、LLHL・LLLHL(ないしLLHRL)・HHHHLHLLF。心配事のある人は寝られないというけれど、私は心配事があるにもかかわらず不思議なことにぐっすりと寝られるせいか、夜深く鳴く不如帰の声を聞かない、と言っています。「寝らるるけ」の「け」は「ゆえ」といった意味の一拍語ですが、「気(け)」説(岩波古語。呉音)によっても、「験(げむ)」説(小学館古語大辞典。やはり呉音)によっても、「け L」と見られます。
ただ、同じ「こころよし」でも次のようなそれは二語として言うべきものでしょう。
おほかた、心よき人のまことに才(かど)なからぬは、男も女もありがたきことなめり。また、さる人もおほかるべし。枕・よろづのことよりも、情あるこそ(254。よろンどぅの ことよりもお、なしゃけ あるこしょ LLHL・LLHLF・LLHLHHL)。おふぉかた、こころ よきい ふぃとの まことに かンど なあからぬふぁ、うぉとこもお うぉムなもお ありンがたきい ことなんめり。また、しゃる ふぃともお おふぉかるべしい。LLHL、LLHLFHLL・HHHH・LHRLLHH、LLLFHHLF・LLLLFLLFHL。HL、LHHLF・LHLLLF。「大方」のアクセントは推定。いったい、性格のよい人がまことに才能にあふれているということは、男でも女でも、めったにないことだ。まあ、そういう人も多いにちがいない。最後の一文は前言をただちに翻したのでしょう。
周知のとおり、ただ「よき人」(よきい ふぃと LFHL)と言うと「教養ある貴族」といった意味になるので、現代語に言う「よい人」、「性格のよい人」「人柄のよい人」といった意味は「心よき人」などによって示したと思われます。この「こころよし」と彼(か)の「こころよし」とは区別すべきでしょう。
「心よし」におぼえず手間取りましたけれども、「心よし」も、「心高し」「心深し」も、一気言い、律儀言い、いずれもが可能なのだと考えられます。「うら悲し」のような言い方についても同じでしょう。狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)の歌の一つに次があります。
春の日のうら悲しきに後(おく)れ居て君に恋ひつつうつしけめやも 万葉3752。ふぁるうの ふぃいの うらンがなしきいに おくれ うぃいて きみに こふぃとぅとぅ うとぅしけめやも LFLFL・LLLLLFH・HHLFH・HHHLHHH・LLLHLHL
うら悲しい春の日、愛する人が流罪に処されたせいでここに取り残されている私は、正気ではいられない、と言っています。末句は「うつしからめやも」(うとぅしからめやも LLHLLHHL)と同じことで、「うつしけ」は「正気である」を意味するシク活用の形容詞「うつし」(うとぅしい LLF)の古い未然形――といっても已然形と同形だったらしい――です。前紀42が「早けむ人し」に〈平平上平上平東〉(ふぁやけム ふぃとしい LLHLHLF)を差すのに倣って、上のようだったと見ておきます。已然形はのちに「はやけれ」〈平平上平〉、「うつしけれ」〈平平平上平〉として確立するわけですから、古い未然形=已然形として「はやけ」〈平平上〉、「うつしけ」〈平平平上〉を考えるのは自然なことでしょう。ということは、「しげからむ」と同義の「しげけむ」に毘・高貞702が〈平上上平〉(しンげけム LHHL)を差し、訓702が〈平上平平〉(しンげけム LHLL)を差すのは、古態を存したものではないのだろうということです。
この絶唱の第二句の原文は、wikisourceの『万葉集』によれば「宇良我奈之伎尓」というもので、「我」は濁音専用字のようですから、これは連濁した言い方であり、従って「うらがなしき」は一語としてあり、全体で「うらンがなしきいに LLLLLFH」と言いえたと見られます。しかしまた、「裏」(うら LL)と同根の「心(うら)」は「うらもなし」(うらもお なしい LLFLF。無心だ。無邪気だ)といった言い方でも使える名詞なのであってみれば、「うら悲し」は二語として「うら かなしい LLHHF」のようにも言えたと思います。
ちなみに、同じく万葉集に「峰高み」を「弥祢太可美」と表記したところがあって(4003)、「太」を濁音専用字と見る向きはこれを「みねだかし」と読みますけれども(角川文庫本も濁らしています)、同4113に「任(ま)きたまふ」(まきい たまふ LFLLH)を「末支太末不」と表記したところがありなどしますから、「太」は清音も示しうるのではないでしょうか。「弥祢太可美」を「みね たかみ HHLHL」と読んではいけないという道理はないと思われます。
「もの悲し」「ものさわがし」などにあらわれる接辞「もの」を先立てた形容詞は古くもありましたけれども、それらもまた、律儀言いできるでしょう。この接辞は「何とはなしに」といった意味とされますが、明らかに名詞「もの」に由来するわけで、例えば「何もない」に当たるのは「ものもなし」(ものもお なしい LLFLF)、「何かあるか」に当たるのは「ものやある」(ものやあ ある LLFLH)であることを思えば、「もの悲し」は時に「何かが悲しい」という気持ちで言われたと見るべきです。
寂970詞書に「ものがなしくて」〈○○平○○○○〉という注記があり、毘・高貞も同じところに〈〇〇平平〇〇〇〉を差します。「悲し」は単独では「かなしい HHF」と言われたので、連濁の見られる、そして第三拍に平声点の差される寂、毘・高貞の注記は、「ものがなし」(ものンがなしい LLLLF)という一語の形容詞のあったことを示しています。ただ、「ものや悲しき」といった言い方のできることを考えると、「ものかなしい LLHHF」もまた言いうる言い方だったと思われます。
我がごとくものや悲しきほととぎす時ぞともなく夜たた(夜モスガラ)なくらむ 古今・恋二578
わあンがあンごとく ものやあ かなしきい ふぉととぎしゅ ときンじょおともお なあく よたた なくらム LHHLL・LLFHHHF・LLLHL・LLFLFRL・LHHHLLH。「久方の光のどけき」歌などと同趣の言い方なので「らむ」は連体形と見られます。
風の音(おと)、虫の音(ね)につけて、もののみ悲しうおぼさるるに 源氏・桐壺。かンじぇの おと、むしの ねえに とぅけて、もののみ かなしう おンぼしゃるるに HHHHL、HHHFHLHH、LLHL・HHHL・LLLLHH。
「小島」(こンじま HHH)の「小」(こ)のような〝ただの〟接辞は助詞を従えられないでしょうから、「もの悲し」の「もの」のようなものは、やはり声調論的にはもとの名詞としての性格を失っていないのです。「うち驚く」(うてぃい おンどろく LFLLHL)の「うち」のような接辞が声調論的にはもとの動詞としての性格を失っていないようであるのと同じです。
「わびし」(わンびしい HHF)に由来する、「わびしげに」と似た意味の「わびしらに」という言い方があって、「わンびしらに HHHHH」「わンびしらに HHHLH」など言われますけれども、これが接辞「もの」を冠した「ものわびしらに」という言い方もあって、この「わびしらに」に京秘451が〈上上上平○〉を差しています。伏片・家451が〈平平平平上〉を差しなどするのは、「ものわびしらに」を「ものわンびしらに LLLLLLH」とすることですが、京秘451の〈上上上平○〉は、それとは異なり、「ものわびしらに」を「もの わンびしらに LLHHHLL」とすることです。
わびしらにましらな鳴きそあしひきの山のかひある今日にやはあらぬ 古今・誹諧1067。わびしらに ましら なあ なきしょ あしふぃきの やまの かふぃ ある けふにやふぁ あらぬ HHHLH・LLHHHHL・HHHHH・LLLHHLH・LHHHHLLH。猿よ、わびしげに鳴いてはいけないよ。めでたい日ではないか。
命とて露を頼むに難ければものわびしらになく野辺の虫 古今・物の名・苦竹(にンがたけ HHHH)451。いのてぃとて とぅゆううぉ たのむに かたけれンば もの わンびしらに なく のンべえの むし LLHLH・LFHLLHH・HHHLL・LLHHHLH・HHLFLHH。はかない露は命の綱として頼みがたいので、呑兵衛の虫がわびしそうに鳴いて(泣いて)いる。
次に、「由(よし)なし」のような、名詞が「無し」を従える言い方について考えます。
よしなし〈上上平上〉(図名。よし なしい HHLF。名詞「由」は「よし HH」です)
せむかたなみぞ〈上上上平上平平〉(訓・梅・寂1023。梅・寂は末拍に点無し。古典的には、「しぇえムう かた なあみンじょお HHHLRLF」でしょう)
すべなし〈平上平上〉(図名。訓・顕天片・顕大・毘・高貞1087。顕天片以下の四つは「なし」への注記なし。この「すべ」がLH、LF、いずれなのかはわかりません。以下では仮に「しゅンべ LH」とします)
のような注記は、一般にこのタイプの言い方において名詞のアクセントと「なし」のアクセントとをそれぞれ生かした言い方をしてよかったことを教えるでしょう。現代語でも例えば「無理ない」「わけない」などをHLHLと言ってさしつかえないのですし、「無理もない」「わけもない」と言えるのですから、各成素の独立性は高いと言えます。
このことに関して、「かひなし」や「わりなし」をそれぞれ一語の高起形容詞と見る向きのあることを申さなくてはなりません。毘・高貞1057が「かひなく」に〈上上上平〉を、毘・高貞・訓570が「わりなく」に〈上上上平〉を差していて、それらだけを根拠にそう見る向きもあるのですけれども、これは問題なしとしません。近世の資料によれば「かひなき」「わりなき」はHHLLと言われたそうです(総合資料)。これがHHLFからの変化であることは明らかです。「かひなし」(かふぃなしい HHLF)、「わりなし」(わりなしい HHLF)の連用形「かひなく」「わりなく」は元来「かふぃなあく HHRL」、「わりなあく HHRL」で、古今集声点本の〈上上上平〉は、言わば〈上上去平〉の略表記か、あるいは鎌倉時代ごろ上昇調が高平調に変化したことを示すのに過ぎません。後者だったとしても連体形は依然として「かひなき」(かふぃ なきい HHLF)、「わりなき」(わり なきい HHLF)だったと考えなくては、近世におけるありようが説明できません。
なげきをば樵(こ)りのみ積みてあしひきの山のかひなくなりぬべらなり 古今・誹諧1057。なンげきうぉンば こりのみい とぅみて あしふぃきの やまの かふぃ なあく なりぬンべらなり LLLHH・LHLFHLH・HHHHH・LLLHHRL・LHHHLHL。「木」を切っては積み切っては積みして谷(「峡(かひ)HH」)が埋まりそうだ、という内容と、「嘆き」(という「木」)が積もり積もってしんでしまいそうだ、という内容とが重なっています。
わりなくも寝てもさめても恋しきか心をいづちやらば忘れむ 古今・恋二570。わり なあくもお ねえても しゃめても こふぃしきいかあ こころうぉ いンどぅてぃ やらンば わしゅれム HHRLF・FHLLHHL・LLLFF・LLHHLHL・HHLHHHH。苦しい気持ちを晴らすという意味の「心を遣(や)る」(こころうぉ やる LLHHHL。心を行かせる・気持ちを進ませる)という言い方があるけれども、全体どちらに行かせたらあの人のことを忘れられるだろう。なお周知のとおり、「わりなし」の「わり」は、「事割」に由来する「理(ことわり)」〔ことわり LLLL〕の「わり」と同じものでしょう。「割る」は「わる HL」です。
となれば、例えば「どうしようもない」といった意味の「せむすべなし」(為(せ)む術(すべ)無(な)し)なども、「しぇえムう しゅンべ なしい HHLHLF」など言われたと見るのが自然だと思います。「せむすべなみ」に、
〈○○上上上平〉(寂1001)
〈上上○上上平〉(毘・高貞1001)
〈上上平平上平〉(訓1001。四拍目は誤点か)
〈○○平上上上〉(梅1001。末拍は誤点か)
のような注記があって、寂の注記は「せむすべなし」を一語の高起形容詞として言いうることを示すでしょうけれども、それは「せむすべなし」を「しぇえムう しゅンべ なしい HHLHLF」とも言いえたと考えることを妨げません。同義の「せむかたなし」が接辞「み」を従えた「せむかたなみ」に、梅・寂・訓1023が〈上上上平上平〉(しぇえムう かた なあみ HHHLRL)を差しています。
以下、同趣のいくつかの例を見ておきます。
まず「あやなし」(文無し・綾無し)。多く、現実に起こっている事態に対して違和感を持っていることを表明する時に使われます。図名が「文(あや)」を〈平平〉とし、寂41が「あやなし」に〈平平平上〉(あや なしい LLLF)を差します。「あやもなし」という言い方も、枕草子(「なほめでたきこと…」〔137。なふぉお めンでたきい こと LFLLLFLL〕)の引く駿河舞の一節などに見えていますから、連用形「あやなく」は、少なくとも古くは「あやなく LLHL」よりも「あやなあく LLRL」と言われたと考えられます。
春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる 古今・春上41。ふぁるうの よおのお やみふぁ あやなしい ムめの ふぁな いろこしょ みいぇねえ かあやふぁ かくるる LFLLL・LLHLLLF・HHHLL・LLHLLLF・HHHLHHH
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくはあやなくけふやながめ暮らさむ 古今・恋一476、伊勢物語99。みいンじゅもお あらンじゅ みいもお しぇえぬう ふぃとの こふぃしくふぁ あや なあく けふやあ なンがめえ くらしゃム RLFLHL・RLHHHLL・LLHLH・LLRLLHF・LLFHHHH。見なかったのでもなく、見たとも言えない人を恋しく思って、わけもわからず一日中物思いにふけることになりそうです。
人目もる我かはあやな花すすきなどかほに出でて恋ひずしもあらむ 古今・恋一549。ふぃとめ もる われかふぁ あやなあ ふぁなしゅしゅき なンどかあ ふぉおにい いンでて こふぃじゅしも あらム HHHLH・LHHHLLR・LLLHL・RLFFHLHH・LHLHLLLH。人目を気にする私ではない、私は恋心をあらわにしないでいることはできない、と言っています。「あやな」はここではどういう事態に対する違和感を示したものなのでしょう。まさにその恋しがられている当人が、秘密にしてほしいと言ったのかもしれせん。どうしてそんなできもしないことを要求なさるのです。おかしいではありませんか。
ここにおいて悩ましいのは、「山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君がこよひ来(こ)なくに」(古今・春下123)の「あやな」に、伏片・梅・寂・訓123が〈上上上〉を差すことです。諸注の説くとおり「あやなし」の語幹と見られるので、〈平平上〉とあるのでなくてはなりません。「あやふし」(あやふしい HHHF)、「あやにく」(あやにく HHHH)といった高起式の言葉との混同のあった可能性を考える向きもありますけれど、この混同は考えにくいと思います。混同があるとすれば、感動詞の「あや」、ないし、感動詞の「あ」(ああ R)が終助詞「や」(S)を従えたものが、さらに終助詞の「な」(S)を従えた言い方とのそれです。実際「山吹はあやな」の歌では「あやな」は、佐伯さん(岩波文庫)の注を引くまでもなく、挿入句的な性格をもっています。伏片・梅・寂・訓123の「あやな」〈上上上〉は、「ああやなあ RHF」を意味すると思います。以下は古典的な、そうして「あやな」を「あやなし」の語幹とみたアクセントです。
山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君がこよひ来なくに 古今・春下123。やまンぶきふぁ あや なあ なあ しゃきしょ ふぁな みいムうと ううぇけム きみンが こよふぃ こおなくに LLHLH・LLRHHHL・LLLFL・HLLHHHH・HHHLHHH。山吹は、おかしいよ、今宵は咲かないでおくれ。見ようと思って植えたというあのお方が来ないのだから。
次は「つれなし」です。「平然としている」「変化がない」といった意味の「つれなし」は、「連れなし」に由来するとされますが、真偽のほどは分かりません。ただ、「連れる」に当たる下二段動詞「連る」は確かに「とぅる HL」です。「つれもなし」と言えることから見て「つれ」の名詞性は十分高く、じっさい近世の資料によれば「つれなき」はHHLL、現代京都でも「つれない」はHHLLだそうです。「つれなし」は古くは「とぅれなしい HHLF」と言われたでしょう。
ついでながら、「つれづれ」――前(さき)に「とぅれンどぅれ HHLL」と推定しました――の「つれ」もこれでしょう。近世の資料が「つれづれげ」をHHHHHとしていて(総合資料)、これは「つれづれ」の前半二拍が元来高かったことを保証するでしょう。ただ後半はその限りでないこと、例えば「柏木」は「かしふぁンぎ HHHH」だがこれは「柏」が高平連続であることを保証しないのと一般です(実際には「かしふぁ HHL」)。
伝統的な現代京ことばでは「つれづれ」はLHLLと言われますが(近年の京都ではHHHHと言われることが多いようです)、高起式ということは動かないとすれば、LHLLは古くHHLLだったことを示唆するのかもしれません。現代東京の⓪は、『26』が②、『43』『58』が「⓪、②」とするので、あまり参考にならなそうです。図名が「品(しな)」(しな HH)を繰り返す「しなじな」に〈上上平平〉を差していて(しなンじな HHLL)、「とぅれンどぅれ HHLL」という推定はこうした例を参照してのものです。
有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし 古今・恋三625。ありあけの とぅれ なあく みいぇし わかれより あかとぅきンばかり うきい ものふぁ なしい LHHHH・HHRLLLH・LLLHL・HHHHHHL・LFLLHLF
今度は、『源氏』冒頭にもあらわれる「やむことなし」。元来「止(や)む事無し」だったことは諸書の見るとおりと思われ(『26』もそう見ています)、そうであるならばそれは元来「やむ こと なしい HHLLLF」と言われたと考えられます。近世の資料は「やんごとなき」をHHHHLLとするようですから(総合索引)、古くから「なし」が独立して発音されただろうことは明らかですけれども、西暦千年ごろにおける第三拍の清濁や三四拍目の高低について、確かなことは分かりません。天草版平家にYagotonaiとあるそうですから、十六世紀末に連濁していたことは明らかでしょうが、それをどこまでさかのぼれるかについて、諸辞典にも言及はありません。
ただ、ひるがえって考えてみれば、私たちは「やんごとない」という言い方にすっかり慣れてしまっているわけですけれども、「やむごと」という言い方は、「やむ」と「こと」とが熟し「む」が音便化したことによって「こ」が濁るという経緯で成立したものでしょう。平安時代の京ことばとして、これは少なくとも珍しいことです。やはり当時は「やむ こと なしい HHLLLF」と言われていた、少なくとも言われ得たと見るのが自然だと思います。そしてそうだとすればそれは一語の形容詞というよりもむしろ、三語からなる連語です。
ちなみに『26』は「やんごとなし」を、なんと①とします。「やんごとなし」といったのです(「たゆたう」なども①でした)。もっともこのアクセントは長続きはしなかったようで、『43』は「やんごとなき」を⑤、『58』は「やんごとなし」を⑤とします。
語義について少々。辞書を引けば明らかなとおり「やむごとなし=身分が高い」という理解は不十分で、そうした語義は「このままにしておけない」「放ってはおけない」「重要だ」といった意味から派生したもののようです(英語〔やフランス語の〕のimportantがよい参考になります)。例えば『うつほ』(うとぅふぉ HHH)の「忠こそ」(たンだあこしょ LFHL。推定)の巻で、帝が千蔭(「てぃかンげえ LLF」でしょう。帝に近侍する忠こそ少年の父親である右大臣)にこう言います。
ここにも見えでさばかりになりぬ。せちに暇(いとま)を請ひしかば、わらはべもなき折なるを、しばしはなものせそと言ひしかば、そこに悩みたまふとあり、とぶらひにものせむと言ひしかば、やむことなきことにこそあなれとて、あからさまにまかでてただ今ものせよと言ひしままになむ見えぬ。
ここにも みいぇンで しゃンばかりに なりぬう。しぇてぃに いとまうぉ こふぃしかンば、わらふぁんべも なきい うぉりなるうぉ、しンばしふぁ なあ ものしぇしょと いふぃしかンば、しょこに なやみい たまふうと ありい、とンぶらふぃに もの しぇムうと いふぃしかンんば、やむ こと なきい ことにこしょ あんなれとて、あからしゃまに まかンでて たンだあ いま ものしぇえよおと いふぃしままになムう みいぇぬ。LHHLLHL・LLHLHLHF。LLH・LLLHLLHLL、LLHHL・LFLHLHH、LHLH・HLLHLL・HHHLL、LHH・LLFLLFLLF、HHHLH・LLHFL・HHHLL・HHLLLFLLHHL・LHLLH、HHHHHH・LHLH・LFLH・LLFFL・HHHHHHLF・LLH。
(あなたの息子さんは)私のところにも姿を見せなくなってそのくらい(前文によれば二十日くらい)になってしまいました。(二十日ほど前彼は)何日かお休みをいただきたいと言いましたが、ほかに殿上童もいないのでしばらくここにいてほしいと言ったところ、あなたが病気でいらっしゃるというのでお見舞いに行きたいのですと言ったので、「やむことなきこと」(よんどころないこと。放ってはおけないこと。重要なこと)のようだと思い、ちょっと退出してすぐ帰るようにと言って許可したまま、帰って来ません。
なお「そこに悩みたまふ」は「あなたがご病気だ」という意味です。「そこに」は現代語「あなたにおかれては」が主格を意味できるように「あなたが」を意味できます。この「そこになやみたまふ」は「と」で受けられていますけれど、忠こその発言(「父が病気なのです」のようなもの)がそのまま引かれているのではないので、引用符でかこみにくいと申せます。平安仮名文ではよくあることで、本当は、その昔寺田透が声明したとおり(『枕草子』)、『枕』でも『源氏』などでも引用符は一切つけないのがよいのです。
「やむことなし」はもともとそういう意味のもので、するとこの「やむ」は、この四段動詞には「終わりにする」「ある状態にとどめる」という他動詞としての意味があると以前申したまさにその意味で使われているのだと思います。例えば源氏・玉鬘に「負けじだましひに怒(いか)りなば、せぬことどももしてむ」(まけンじだましふぃに いかりなンば、しぇえぬう ことンどもも しいてムう HHHHHLLH・LLHHL、HHLLLHL・FHF)とあり、うつほ・忠こそにも「せぬわざわざをしたまへど」(しぇえぬう わンじゃわンじゃうぉ しい たまふぇンど HH・HLHLH・FLLHL)とあります。これらの「せぬ」は単に「しない」という意味ではなく、「普通(人は)しない」というような意味です。「やむ」に「終わりにする」「或る状態であるままにする・或る状態にとどめる」といった意味がある以上、「やむことなし」が時に「普通それで終わりにするということがない」「普通そのままにするということがない」といった意味を持つとしても不思議ではありません。なお、この説明において「やむことなし=やむといふことなし」と考えていることについて、『竹取』の「この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをす」(こおのお よおのお ふぃとふぁ、うぉとこふぁ うぉムなに あふ ことうぉ しゅう。うぉムぉなふぁ うぉとこに あふ ことうぉ しゅう HHHHHLH・LLLH・HHLH・LHLLHF。HHLH・LLLH・LHLLHF)を引いておきます。
形容詞のことでは最後に、「ありがたし」、「問ひがたし」、「書きにくし」、「あなづりにくし」(アナドリガタイ)のような、単純な形容詞が動詞の連用形を先立てる形式の言い方、および、願望の「まほし」に終わる言い方を見ます。結論的に申してしまえば、これらのタイプの言い方は基本的にはいずれも一語の形容詞と見なさるべきもののようです。「めったにない」を意味する「ありがたし」のようなものを一語の形容詞と見てよいことは自明として、任意の動詞が「かたし」「にくし」「憂し」などを従えた言い方は、いずれも一語の形容詞のアクセントで言われたと見られます。一気言いだけが可能なようです。そのさい式はむろん動詞のそれに一致しますから、上の四つはそれぞれ、「ありンがたしい LLLLF」「とふぃンがたしい HHHHF」「かきにくしい LLLLF」「あなンどぅりにくしい HHHHHHF」と言われたでしょう。分(わ)きがたかりけらし〈○○平上○○上平平〉(伏片・家(8)。判然としないようである、といった意味です。「分く」〔わくう LF〕は低起四段動詞でした)
干(ひ)がたき〈平平平上〉(梅・毘545。ふぃンがたきい LLLF。「干(ひ)る」〔ふぃるう LF〕は低起上一段動詞でした)
逢ひがたみ〈平平平上平〉(毘・高貞665。あふぃンがたみ LLLHL。「逢ふ」〔あふう LF〕は低起四段動詞でした)
問ひがたみ〈上上上上平〉(梅・寂・京中・伊・705。とふぃンがたみ HHHHL。京中・伊ははじめの二拍に点なし。「問ふ」〔とふ HL〕は高起四段動詞でした)
のような例があります。「難(かた)し」は高起形容詞(「かたし HHF」)であることを考えると、これらの注記は多くを教えます。例えば伏片・家の「分きがたかりけらし」〈○○平上○○上平平〉(<わきがたくありけらし)からは、「分きがたく」〈平平平上平〉を、ということは一語の低起形容詞「わきがたし」(わきンがたしい LLLLF)を取り出せます。一語の形容詞の一成素になったことで、「かたし」の高起性は失われています。その次の二つからも低起形容詞「干(ひ)がたし」「逢ひがたし」を、また最後の「問ひがたみ」〈上上上上平〉からは高起形容詞「問ひがたし」を取り出せます。「かたし」が動詞の連用形を先立てた言い方の大半は、このような、動詞の式と一致する一語の形容詞を作ります。これが基本の型だと考えられます。
ただ古今集声点本には、次のような、今申したのと異なる言い方もあります。
分きがたかりげらし〈平平上○平上上平○〉(顕府(8)。わきンがたかりンげらし LLHHLHHLL)
問ひかたみ〈上上上平平〉(毘・高貞705。とふぃかたみ HHHLL。連濁しない言い方)
干(ひ)がたき〈上平平上〉(高貞545)
逢ひがだみ〈平平平上平〉(訓665)
いずれも少しずつ妙なところがありますけれども、ただ、はじめの二つは単に誤点として見捨つべきではないのかもしれません。すなわち、まず顕府の「分きがたかりげらし」において第三拍の濁っているのは、「分きがたし」が一語とされているということですけれども、それにもかかわらず「がたし」の高起性が反映されています。誤点でないとすればこれは、「分きがたし」は「わきンがたしい LLLLF」のほか、「わきンがたしい LLHHF」という言い方もできたということかもしれません。とすれば、「分きかたし」(わきかたしい LLHHF)という、二語としての性格を強めた言い方ができた可能性もあります。ただ、可能だとしても少数派に属したでしょう。
次に、「問ひかたみ」〈上上上平平〉の第三拍以下は〈上平平〉ではなく〈上上平〉でなくてはならないので、この注記の信頼度は高くありませんけれど、それはそれとして、連濁しない言い方もあったことを示すものと見ることもできます。しかしそうだとしても、そうした例の少ないのは、多数派に属する言い方ではないからでしょう。
次の高貞の「干(ひ)がたき」〈上平平上〉は、端的に誤点だと思います。毘は〈平平平上〉であり、すでに申したとおり高貞の独自注記にはあまり信が置けません。「干(ひ)る」の連用形(一般)の文節中におけるアクセント「ふぃい R」に上声点が差されている可能性もないと思われます。
最後に、訓の「逢ひがだみ」〈平平平上平〉の第四拍の「だ」は単純な誤点でしょう。
こうして、「かたし」が動詞の連用形を先立てた言い方の大半は、動詞の式と一致するところの、連濁させた一語の形容詞として言うのが普通だった考えられ、従って前(さき)に引いた万葉集4011の「許礼乎於伎氐麻多波安里我多之」は、基本的に「これうぉ おきて またふぁ ありンがたしい HHHHLH・HLH・LLLLF」と言われたと思いますけれども、ほかのアクセントは考え得ないというわけでもないだろう、ということになります。
じつは今考えているようなタイプの複合形容詞について、古くは二語として言われたとする見方があります。訓388が「行き憂し」に〈上上上上〉を差していますが、これは新しい言い方で、古くは〈上上平上〉だったろうとする向きがあるのです(『研究』研究篇下)。しかし、古くから、基本的には「ゆきうしい HHHF」と言われてきたと考うべきだと思います。もともと、「ありがたし」や「行き憂し」のような言い方には助詞を介入させられません。「ありがたし」「行き憂し」のような言い方では二つの成素の結びつきは強固です。
願望の「まほし」に終わる言い方も、アクセント上一つの形容詞を作ると見られます。まずはいわゆる「ク語法」のことから。
今でも(旧かなで書けば)「誰々いはく」といった言い方をしますけれども、この「いはく」は、「言ふこと」というほどの意味の「言ふあく」のつづまったものと考えられています。「あく」の露出した言い方は確認できないというべきでしょうが(「あくがる」の「あく」をそれと見ることはむつかしいと思います)、ク語法を「あく」によって説明することは十分合理的です。この「あく」が古くは「あく HH」と言われたことを、図名の次のような注記が示します。
いたまくは【愴】〈平平上上上〉(いたまくふぁ LLHHH。「痛」「傷」「悼」なども当てる多数派低起四段動詞「いたむ」の連体形「いたむ」〔いたむ LLH〕が「あく」「は」を従えたものの集約形)
かたらく【語】〈上上上上〉(かたらく HHHH。「語る」は「かたる HHL」です)
のたうばく〈上平平上上〉(のたんばく HLLHH。「のたまはく」〔のたまふぁく HLLHH〕の変化したもの)
和歌に使われる「…なくに」は、周知のとおり打消の「ぬ」がこの「あく」を従えたものに助詞のついたもので、例えば図紀93が「あひ思はなくに」に〈平上平平平上上上〉(あふぃい おもふぁなくに LFLLLHHH)を差すのなどからアクセントが知られます。
春雨ににほへる色もあかなくに香さへなつかし山吹の花 古今・春下122。再掲。梅・毘122、毘・高貞884が「飽かなくに」に〈平平上上上〉を差します。ふぁるしゃめえに にふぉふぇる いろもお あかなくに かあしゃふぇ なとぅかしい やまンぶきの ふぁな LLLFH・LLHLLLF・LLHHH・HHHLLLF・LLHLLLL
世の中の憂けくに飽きぬ奥山の木の葉に降れるゆきや消(け)なまし 古今・雑下954。よおのお なかの うけくに あきぬう おくやまの こおのお ふぁにい ふれる ゆうきやあ けえなましい HHLHL・LHLHLHF・LLHLL・LLFHLHL・RLFFHHF。憂き世がいやになってしまった。奥山の木の葉に降る「雪」ではないが奥山に「行き」、跡を暗くしてしまおうかしらん。
いま二例ほど。まず次の歌。
桜ばな散り交(か)ひ曇れ老いらくの来むと言ふなる道まがふがに 古今・賀349。しゃくらンばな てぃり かふぃい くもれえ おいらくの こおムうと いふなる みてぃ まンがふンがに HHHHH・HLLFLLF・LLHHH・LFLHLHL・HHLLHHH。再掲。「老いらく」は「老ゆるあく」(おゆる あく LLHHH)のつづまった「老ゆらく」の変化したもので、伏片349は〈平上上平〉を差しますけれども、毘349には〈○○上上〉とあります。毘はまた「まがふがに」に〈平平上上上〉を差しています。
次に、図名がなぜか「純」を「おもへらく」〈平上上平平〉と訓んでいます。「思へらく」に差されたのと同じことのようです。それなら第二拍は平声点でなくてはならないので注記の信憑性は必ずしも高くありませんけれども、「思へるあく」(おもふぇる あく LLHLHH)の縮約した「思へらく」(おもふぇらく LLHLH)の末拍が先立つ二拍の低下力に負けた「思へらく」(おもふぇらく LLHLL)は十分ありうる言い方で、図名の〈平上上平平〉をそれからのズレと見てよいなら、それは「思へらく」(おもふぇらく LLHLH)を正当化してくれるでしょう。
さて願望の「まほし」への注記は、あいにく諸書に見えないようです。もともとの言い方「…まくほし」(…む・あく・ほし)は「何々することが欲しい」という言い方にほかなりません(こういう「む」のことは後述)。
見てもまたまたも見まくの欲しければなるるを人はいとふべらなり 古今・恋五752。寂が「見まく」に〈平上上〉を差しています。みいても また またもお みいまくの ふぉしけれンば なるるうぉ ふぃとふぁ いとふンべらなり RHLHL・HLFLHHH・LLHLL・LLHHHLH・LLLHLHL。愛する人は一度まぢかで見てもまた見たくなる。これはもう、きりのないことであり、つらいことである。それゆえ、あの人はそういう間柄になることを嫌がっているようだ。「相手が親しくなりたがらない理由をこう考えてなぐさめた」という佐伯さんの解に拠ります。
この歌においてそうであるように、「…まく欲し」の「…まく」は格助詞「の」を従えることができるくらいなのですから、「欲し」(ふぉしい LF)は一語として、先行部分とは独立に言われたと見られます。こうして「見まくほし」は「みいまく ふぉしい LHHLF」と言われたと考えられますが、すると「見まほし」も「みいま ふぉしい LHLF」と言ってよかったのかもしれません。しかし他方、願望の「まほし」は、「まくほし」とは異なり助詞の介入をまったく許さず、この点「ありがたし」「問ひがたし」のような言い方に近いと申せますから、「見まほし」は「みいまふぉしい LLLF」と言えたと思います。近世の資料によれば「あらまほしき」はHHHHLLと言われました。ということはそのもともとの言い方はLLLLLF(あらまふぉしきい)だったろうということです。
万葉集に「見杲石山(ミガヲシヤマ)」(382)、「在杲石(アリガヲシ)」(1063)、「杲鳥(カヲドリ)」(1823)のような例があって、これらは元来「見が欲し山」「在りが欲し」「貌鳥(かほどり)」に対するくだけた発音を表音的に表記したものと考えられるのでした。「…が欲し」は「まほし」の直接の起源ではありませんけれども、「…が欲し」の「欲し」が「うぉしい」と言われる場合、その「欲し」の初拍は文節中のものと見るべきで、「…が欲し」の「欲し」さえそうした性格のものだとすれば、「見まほし」の「ほ」などはまして文節のはじめに位置するとは考えにくいでしょぅ。「見まほし」(みいまふぉしい LLLF)は、「見まほし」(みいまふぉしい LHLF)と言えなくもないものの普通はそうは言わないもの、くだけた発音としては「みいまうぉしい LLLF」とも発音できるようなものだったと思います。
散り散らず聞かまほしきを古里の花見て帰る人も遭はなむ 拾遺・春49。てぃり てぃらンず きかまふぉしきいうぉ ふるしゃとの ふぁな みいて かふぇる ふぃともお あふぁなむ HLHHL・HHHHHFH・LLHHH・LLRHLLH・HLFLLHL。私の住みなれた土地の花が散ったかどうか聞きたいよ。そこから帰る人でも、ひょっくりあらわれないかなあ。
ともかくも言はばなべてになりぬべし音(ね)に泣きてこそ見せまほしけれ 和泉式部集。とおもお かくもお いふぁンば なンべてに なりぬンべしい ねえに なきてこしょ みしぇまふぉしけれ LFHLF・HHLLHHH・LHHHF・FHHLHHL・LLLLLHL。ああだこうだと口で申したら、何ということもないこと、ということになってしまいそうです。わあわあ泣いてお見せしたいと存じます。ですからお越しください。ちなみにこの「なべて」は「並べて」(なンべて HLH)ではなく「靡べて」(なンべて LHH)であろうこと、いつぞや申したとおりです。
まだ見ていない形容詞もたくさんありますけれども、それらは、少なくとも大抵、低起式でしょう。中には声調論的には律儀言いをすべきものもありますけれど、割愛します。形容詞では、本来的な下降拍である終止形および連体形の末拍だけが下降調をとります。形容詞は柔らかい拍を持ちません。
動詞と形容詞とを見たので、用言のことはこれで終わりです。一般には動詞と形容詞と形容動詞とを総称して用言としますが、いわゆる形容動詞は、平安時代の京ことばとしては、副詞と動詞「あり」との縮約形と見るべきものだと思います。「委託法、および、状態命題」3の一部を要約すれば、例えば「しづかなり」(しンどぅかなり LHLHL)は副詞「しづかに」(しンどぅかに LHLH)と動詞「あり」(ありい LF)との単純な縮約形と見るべきものだと思います。もっとも、「しづかに」は名詞が助詞「に」を従えたものとも見うるので、「しづかなり」は名詞が断定の「なり」(助詞「に」と動詞「あり」との縮約形)を従えたものと見ることもできます。いつぞやも申したとおり、素因数分解ではないのですから、一意的でなくてかまいません。
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11 助動詞のアクセント [目次に戻る]
a 助動詞に特殊形なし [目次に戻る]
個々の助動詞のことを考えます。と申しても、動詞を作る接辞と言えるのだった「る」「らる」「す」「さす」「しむ」、四段活用の「す」、それから、形容詞を作る接辞と言えるのだった「べし」「まじ」のことはすでに見ましたから、以下では、〝純粋助動詞〟と呼びうる一群の助動詞、「き」「けり」「ぬ」「つ」「む」「らむ」「けむ」「まし」「じ」「めり」「(伝聞推定の)なり」「らし」「ず」のことや、実質的にラ変動詞「あり」そのものに終わる、本質的に縮約形をなすと言うべき断定の「なり」「たり」や存続の「たり」「り」の類のことなどを考えます。「けり」、「めり」、伝聞・推定の「なり」は末尾に「あり」を含みますけれども、すでに単純な縮約形ではありません。なお「らし」「まし」は、外見に反して形容詞を作る接辞ではありません。
さて純粋助動詞については、まず、それらは特定の特殊形を持たないことを確認する必要があります。
動詞には特殊形がありました。例えば「べし」「まじ」は、おのれに先立つラ変以外の動詞に終止形(特殊)を、ラ変には連体形(特殊)を要求するのでしたけれども、おのれに先だつ完了の「ぬ」には特定のアクセントを求めないようで、その証拠に、
鳴きぬべき〈上平上(上上)〉(毘・高貞498。なきぬンべきい HLHHF)
消(け)ぬべく〈上上上平〉(寂1001。けえぬンべく)
立ちぬべし〈平上上上上〉(訓642。たてぃぬンべしい LHHHF。『訓』の独自本文。諸本「立ちぬべみ」)
のような注記も、
知りぬべみ〈上平平上平〉(図紀71。しりぬンべみ HLLHL)
散りぬべみ〈上平平上平〉(訓281。てぃりぬンべみ HLLHL)
消ぬべく〈上平上平〉(梅・毘・訓1001。梅・訓は「べく」に注記なし。けえぬンべく)
消ぬべきものを〈上平平上(平平上)〉(伏片375。けえぬンべきい ものうぉ FLLFLLH。のちに歌と左注とを引きます)
のような注記も見られます。
「べし」はおのれに先立つ完了の「ぬ」に対して特定のアクセントを求めず、「まじ」はそもそも完了の「ぬ」を先立てず、先だつ動詞に終止形(特殊)、連体形(特殊)を要求する付属語は「べし」「まじ」のほかにありません。つまり、完了の「ぬ」の終止形(特殊)はこれであるという特定のアクセントは存在しません。もし「べし」の先立てるアクセントを終止形(特殊)と定義するならば完了の「ぬ」の終止形(特殊)には高平調、低平調の二つがあるということになりますけれども、「べし」はおのれに先立つ完了の「ぬ」には特定のアクセントを求めないという意味では、完了の「ぬ」は終止形(特殊)を持ちません。
完了の「ぬ」は、例えば「鳴き」(なき HL)のような動詞の連用形を先立て自分は「べし」に先だつ時、動詞の低下力に負けて低まるか、動詞の低下力に抗して卓立するかを、後続の「べし」からの要求によってではなく、自分で決めます。そして前者ならば「鳴きぬべし」は「なきぬンべしい HLLLF」のように言われ、後者ならば「鳴きぬべし」は「なきぬンべしい HLHHF」のように言われます。これらではそれぞれ、「ぬべし」(ぬンべしい LLF)〉という低起形容詞、「ぬべし」(ぬンべしい HHF)という高起形容詞があるかのようだと申せます。ということは、ここでは「べし」が「ぬ」のアクセントを決めているのではなく、却って「ぬ」が「べし」のアクセントを決めています。動詞が「べし」を従える時は、「べし」が動詞のアクセントを決めるのでした。やはり完了の「ぬ」は終止形(特殊)を持たないとすべきでしょう。
先立つ動詞に特殊形を求める付属語のうち、純粋助動詞も先立てうるのは、「む」「まし」、過去の「し」(および已然形「しか」)、「べし」、および終助詞「しか(しが)」「なむ」だけであり――例えば打消の「ぬ」は動詞に未然形特殊を要求しますけれども純粋助動詞は先立てません――、これらの付属語が先立てうる純粋助動詞は、完了の「ぬ」「つ」、推量の「めり」、伝聞・推定の「なり」に限られます。つまりさらに検討すべきは、「咲きなむ」「咲きなまし」「咲きにし」「咲きにしかな(咲きにしがな)」「咲きななむ」のような言い方における完了の「ぬ」、「見てむ」「見てまし」「見てし」「見つべし」「見てしかな(見てしがな)」のような言い方における完了の「つ」、「あめりし」「あなりし」といった言い方における過去の「し」ですが(助詞はあとまわしにします)、これらにおける「ぬ」「つ」「し」は、詳細は後述しますけれども、高くも低くも言われ得ました。
咲きなむ (しゃきなムう HLHF、しゃきなムう HLLF)
咲きなまし (しゃきなましい HLHHF、しゃきなましい HLLHF)
咲きにし (しゃきにし HLHH、しゃきにし HLLH)
見てむ (みいてムう RHF、みいてムう RLF)
見てまし (みいてましい RHHF、みいてましい RLHF)
見てし (みいてし RHH、みいてし RLH)
見つべし (みいとぅンべしい RHHF、みいとぅンべしい RLLF)
それから、「あなりし」「あめりし」は、
あめりし (あんめりし LHHLH、あんめりし LLHLH)
あなりし (あんなりし LHHLH、あんなりし LLHLH)
のように言われたでしょうけれども、これらにおける「めり」「なり」はもともとこのアクセントで言われるので、過去の「し」が特別なアクセントを求めた結果こうなっているのではありません。
すると、後続の助動詞から特定のアクセントをとるよう求められないという意味で、完了の「ぬ」「つ」の未然形(特殊)、連用形(特殊)、終止形(特殊)は存在せず、推量の「めり」や伝聞・推定の「なり」の連用形(特殊)は存在しません。
b 助動詞のアクセントの実際 [目次に戻る]
個々の助動詞のアクセントを見ます。まずは連用形(一般)を先立てるもののうち、完了の「ぬ」「つ」、過去の「き」から。
i 完了の「ぬ」 [目次に戻る]
改めて申せばこの助動詞は先だつ動詞に連用形(一般)を要求します。各活用形そのものについてまとめておきますと、例えば「帰る」(かふぇるう LLF)には完了の「ぬ」は、「帰りぬ。」(かふぇりぬ LLHL)のように低くも付きうるものの、大抵「帰りぬ。」(かふぇりぬう LLHF)のように高く付くと考えられるのでした。これは、実例は下に引きますが、終止形(一般)ばかりでなく、未然形(一般)、連用形(一般)、命令形についても言えます。つまり完了の「ぬ」の一拍からなる活用形は柔らかいが、高い拍の次では基本的には低まりません。総じて柔らかい拍からなる純粋助動詞は、柔らかい助詞とは異なり、高い拍の次で低まりにくいようです。
他方、連体形「ぬる」、已然形「ぬれ」の初拍は、例えば「帰りぬる。」(かふぇりぬる LLHHH)、「帰りぬれ。」(かふぇりぬれ LLHHL)、そして「咲きぬる。」(しゃきぬる HLLH)、「咲きぬれ。」(しゃきぬれえ HLLF)のように、高い拍には高く、低い拍には低く付くという、平安時代の京ことばとしては少し変わった付き方をするのでした。
こうして完了の「ぬ」のアクセントは、ラフに申せば次のとおりです。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
S S S HH/LH HL/LS S
未然形「な」、連用形「に」は、柔らかいとは申せ、文節中で高さを保つか、高い拍の次でまれに低まるかであり、文節末にはあらわれないので下降調をとることはありませんから、Hであると思っても、ということは本来的に高いと思ってもよいくらいです。「ラフ」と申したのは、上の言い方では連体形や已然形の初拍がいつ高くいつ低いのか示されないからです。
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことはいのちなりけり 古今・春下97。「ありなめど」に『梅』が〈平上上上平〉を、『問答』『寂』が〈〇〇上上平〉を差しています。ふぁるうンごとおに ふぁなの しゃかりふぁ ありなめンど あふぃい みいムう ことふぁ いのてぃなりけり LFLFH・LLLHHHH・LHHHL・LFLHLLH・LLHLHHL。
年を経て住みこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ 古今・雑下971、伊勢物語104。毘・高貞が「野とやなりなむ」に〈平平上平上上上〉を差しています。としうぉ ふぇえて しゅみい こおしい しゃとうぉ いンでて いなンば いとンど ふかくしゃ のおとやあ なりなム LLHRH・LFLHHHH・LHHHHL・HHHLLHL・LLFLHHH。「深草」のアクセントは「青草」(あうぉくしゃ LLHL)や「若草」(わかくしゃ LLHL)と同趣でしょう。
昔、男、ねむごろに言ひちぎりける女の、異(こと)ざまになりにければ
須磨の海人(あま)の塩やくけぶり風をいたみ思はぬかたにたなびきにけり 伊勢物語112(古今・恋四708)。「たなびきにけり」に伏片708が〈上上上平上(上平)〉を、毘・高貞708が〈上上上平平(上平)〉を差しています。むかし、うぉとこ、ねムごろに いふぃ てぃンぎりける うぉムなの、ことンじゃまに なりにけれンば HHH・LLL・LHLLH・HLHHLHL・HHLL・LLLLH・LHHHLL / しゅまの あまの しふぉ やく けンぶり かンじぇうぉ いたみ おもふぁぬ かたに たなンびきにけり HLLLLL・LLHHHHH・HHHLHL・LLLHHLH・HHHLHHL。「異ざま」の後半のアクセントは推定。歌は一つのアレゴリーで、風がたなびくように女の気持ちがほかの男に動いたと言っています。
ありぬやと試みがてらあひ見ねばたはぶれにくきまでぞ恋しき 古今・雑1025。顕天片が「ありぬやと」に〈平上上上平〉を差しています。ありぬやあと こころみンがてら あふぃい みいねンば たふぁンぶれにくきいまンでンじょ こふぃしきい LHHFL・LLLLLHL・LFLHL・HHHHHHF・LHLLLLF。逢わなくてもいられるかやってみようと思って逢わないでいると、冗談にできないくらい恋しい。「たはぶれにくし」は「冗談にできない」「洒落にならない」といった意味です。
鏡山いざ立ちよりて見てゆかむ年経ぬる身は老いやしぬると 古今・仮名序、雑899。「しぬると」に『梅』が〈上平上平〉を差しています〔『寂』は〈上平平〇〉〕。かンがみやま いンじゃあ たてぃい よりて みいて ゆかム う とし ふぇえぬる みいふぁあ おいやあ しいぬると LLLLL・LFLFHLH・RHHHF・LLRHHHH・LHFFLHL。「鏡山」は推定。「鏡」は「かンがみ LLL」、「山」は「やま LL」で、こういう時は複合するとLLLHLになるか、出現率はそれに劣るがLLLLLになるようだ、ということくらいしか申せません。歌枕「さやの中山」は「しゃやの(ないし、しゃやの なかやま LHL(ないし、HHH)LLLL」でしたが(「中」は「なか LH」)、「神山」は顕昭の『後拾遺抄注』によれば「かみやま LLLL」でした(「神」は「かみ LL」)。
唐ころもたつ日は聞かじ朝露のおきてしゆけば消(け)ぬべきものを 古今・離別375。伏片375が「消ぬべき」に〈上平平上〉(けえぬンべきい FLLF)を差すのでした。以下は〈上上上上〉(〈東上上東〉)としてのアクセントです。からころも たとぅ ふぃいふぁ きかンじい あしゃとぅゆうの おきてし ゆけンば けえぬンべきい ものを LLLHL・LHFHHHF・LLLFL・LHHLHLL・FHHFLLH。「からころも」は推定。「から」はLL、「ころも」はHHHで、こういうときは複合するとたいていLLLHLで、例えば後部成素を同じくする「皮ごろも」も「かふぁンごろも LLLHL」です(「皮」も「かふぁ LL」)。この歌は次の左注を持ちます。「この歌は、ある人、司(つかさ)をたまはりて、新しき妻(め)につきて、年へて住みける人を捨てて、ただ『あすなむ立つ』とばかりいへりける時、ともかうも言はで詠みてつかはしける」 こおのお うたふぁ、ある ふぃと、とぅかしゃうぉ たまふぁりて 、あたらしきい めえに とぅきて 、とし ふぇえて しゅみける ふぃとうぉ しゅてて 、たンだあ
「あしゅなム たとぅう」とンばかり いふぇりける とき、とおもお かうもお いふぁンで よみて とぅかふぁしける。HHHLH、LHHL、HHHHLLHLH、LLLLF・RHLHH 、LLRH・LHHLHLH・HLH、LF「LLHLLF」LLHL・HLHHLLL、LFHLFHHL・LHHHHHLHL。もとからの奥さんが夫の出立日を聞かないのは、聞いたらすぐにしんでしまいそうだから聞くには及ばない、ということのようです。
ⅱ 完了・近接過去の「つ」 [目次に戻る]
語義について一言。助動詞「つ」は時に「完了」を意味し、時に「近接過去」を意味します。すなわち「つ」には、「何々してしまう」「何々してしまった」といった意味の、アスペクトにかかわる用法のほかに、「ついさきほど何々した」といった意味の、時にかかわる用法があって、こちらの「つ」は、アスペクトの「つ」とは異なり自動詞も平気で先立てること、例えば「今しがたの」といった意味のイディオム「ありつる」(ありとぅる LHLH)などからも知られるとおりです。「近接過去」など呼べるこの「つ」は過去の「き」と役割を分けあい――例えば「ありし」(ありし LLH)は「昔の」「以前の」を意味できます――、物理的にはおおむね昨晩以前のことは「き」、それよりこちらは「つ」を使います(心理的な理由からこの区別によらない時もあります)。二つを区別できることは統語論的にもはっきりしていて、「つべし」や「てまほし」における「つ」はアスペクトの、「べかりつ」「まほしかりつ」における「つ」は時の助動詞です。
折りてめ〈平上上平〉(訓64。うぉりてめ LHHL。全体は下に引きます)
折りてめ〈平上平平〉(毘64。うぉりてめ LHLL)
折りてめ〈(平上)平上〉(寂64。うぉりてめえ LHLF)
図名の「思うつや」〈平平上上上〉(おもうとぅやあ LLHHF)でもそうでしたけれど、完了・近接過去の「つ」の未然形(一般)、連用形(一般)、終止形(一般)、命令形の初拍は、高い拍には高く付くことが多いものの、上の三例で申せばあとの二つがそうであるように低く付くことも少なくないので、柔らかいことが明らかです。
散りぬれば恋ふれど験(しるし)なきものを今日こそ桜折らば折りてめ 古今・春上64。てぃりぬれンば こふれンど しるし なきい ものうぉ けふこしょ しゃくら うぉらンば うぉりてめえ HLLHL・LLHLHHH・LFLLH・LHHLHHH・LHLLHHF。散ってしまったらいくら恋しがってもその甲斐はないので、いっそ今日折ってしまおう。
君が名も我が名も立てじ難波なるみつとも言ふな逢ひきとも言はじ 古今・恋三649。きみンが なあもお わあンがあ なあもお たてンじい なにふぁなる みいとぅうともお いふなあ あふぃきいともお いふぁンじい HHHFF・LHFFLLF・LHHLH・RFLFHLF・LHFLFHHF。「名」は悪評。おたがい悪評が立たないようにしましょう、というのです。毘・高貞・訓が「みつ」に〈上上〉を差しています。これは「見つ」と「御津」(大阪の地名)とを兼ねていて、「見つ」は古い流儀なら〈去東〉を差される言い方(Me too.に近いがそっくりではない)、「御津」は高平連続調です。
連体形「つる」、已然形「つれ」の初拍は常に低いようで、毘・高貞691は「待ち出でつるかな」に〈平上平上平上〇〇〉を差していましたし、次の歌の「鳴きつる」「見つれば」にも、毘が〈〇〇平上〉〈上平上平〉を差しています。
蜩(ひぐらし)の鳴きつるなへに(鳴イタ途端ニ)日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける 古今・秋上204。ふぃンぐらしの なきとぅるなふぇに ふぃいふぁ くれぬうと おもふふぁ やまの かンげえにンじょ ありける HHHHH・HLLHLHH・FHHLF・LLLHHLLL・LFHLLHHL。「なへに」は毘が二ところで〈上上上〉、訓が〈上平平〉を差していますけれども、伏片と「成簣堂本 顕昭『拾遺抄注』」とが〈平上○〉を差していて、これを採ります(毘が「に」を高く付けているのでLHと見ておきます)。第三句は「日は暮れぬ」までと見るのが面白いでしょう。「暮れた。と思ったら」云々という運びで、申さば例外的に「と」だけで一文節をなす趣です。引用の助詞「と」は元来、あらゆる品詞、あらゆる活用形を先立てうるわけで、「と」は助詞ゆえ「暮れぬと」は一文節であり「ぬ」は文節中にある、ゆえに高平調、というように見ることはできません。
散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は今は限りの色と見つれば 古今・秋下264。てぃらねンどもお かねてンじょ うぉしきい もみンでぃンばあふぁ いまふぁ かンぎりの いろと みいとぅれンば HHHLF・LHHLLLF・LLLFH・LHHLLLL・LLLRLHL。
命令形「てよ」は二拍とも柔らかいと見られます。古今・秋上174の、
久方の天(あま)の河原の渡し守君わたりなば梶(かぢ)かくしてよ
の末句に毘が〈平平上平上〉を差しています。この歌は織姫の気持ちで詠まれていて、「君」は呼びかけられている「渡し守」ではなく、「あのお方」、彦星を差します。「天の川」(あまのかふぁ LLLHL〔後述〕)の渡し守さん、彦星が帰れないようにしちゃってください。歌は例えば「ふぃしゃかたの あまの かふぁらの わたしもり きみ わたりなンば かンでぃ かくしてよ HHHLL・LLLHHLL・HHHHL・HHHHLHL・HLLLHHL」と言えますけれども、「隠してよ」は複数の言い方があります。すなわち「隠す」は少数派低起三拍としても言え、多数派のそれとしても言え、「つ」の命令形「てよ」の二拍はいずれも柔らかいようなので、「隠してよ」は、代表的な「かくしてよ LHLHL」「かくしてよお LHLLF」のほか、「かくしてよお LLHHF」「かくしてよ LLHHL」「かくしてよお LLHLF」「かくしてよ LLHLL」など発音できたでしょう。
完了・近接過去の「つ」のアクセントは次のとおりです。
未然 連用 終止 連体 已然 命令
S S S LH LS SS
ⅲ 過去の「き」の終止形 [目次に戻る]
古今集声点本には、「ありき」〈平上平〉(梅・訓353。ありき LHL)のように高い拍に低く付く例に混じって、「堕ちにき」〈(平上)上上〉(訓226。おてぃにきい LHHF)という、高い拍に高く付く例が一つだけですが見えています。御巫私記の「去(い)にき」〈上平上〉(いにきい HLF)、「やらひき」〈上上平上〉(やらふぃきい HHLF)もかねて知られていて(『研究』研究篇下)、過去の「き」の終止形が、連用形(一般)を要求する柔らかい拍であることは明らかです。
ということは、「落ちにき」は古典的には「おてぃにきい LHHF」と言われただろうということで、図紀73が「落ちにき」に〈平上上平〉を差していますが、申したとおりこれは〈平上上東〉の誤写である可能性が低くありません。
名にめでて折れるばかりぞ女郎花われ堕ちにきと(堕落シテシマッタト)と人に語るな 古今・秋上226。なあに めンでて うぉれるンばかりンじょお うぉみなふぇし われ おてぃにきいと ふぃとに かたるなあ FHLHH・LHLLHLF・HHHHL・LHLHHFL・HLHHHLF。
宮人の足結(あゆひ)の小鈴落ちにきと宮人響(とよ)む里人もゆめ 古事記にも見えている歌で(83)、図紀73が〈上上上平平・平上平平上上上・平上上平平・上上上平平平上・上上上平平平平〉を差しています。以下は第三句を〈平上上東平〉、末句を〈上上上平東平東〉の誤写と見てのものです。「ゆめ」は「斎(い)め」と同義の「ゆめ」と見ても、「努」「謹」などを当てる副詞の「ゆめ」と見ても、LFが期待されるところです(毘・高貞652〔次に引きます〕が副詞の「ゆめ」に〈平上〉を差しています)。みやンびとの あゆふぃの こしゅンじゅ おてぃにきいと みやンびと とよむう しゃとンびともお ゆめえ HHHLL・LHLLHHH・LHHFL・HHHLLLF・HHHLFLF
恋しくは下にを思へ紫のねずりのころも色に出づなゆめ 古今・恋三652。こふぃしくふぁ したにうぉ おもふぇえ むらしゃきの ねンじゅりの ころも いろに いンどぅな ゆめえ LLHLH・HLHHLLF・LHHLL・LLLLHHH・LLHLHLLF。第三四句は「色」と言おうとして置かれています。なおこの「恋しくは」は「(私のことが)恋しいならば」という意味には解せません。あなたのことが恋しい恋しいと言ってよこし、またその気持ちを公然と示す人に、お気持ちはありがたいがそのようにではなく「下に」(秘かに)恋しくは思ってください、と言っているので、こういう「は」、省くこともできる「は」は現代語ではあまり使わないかもしれませんが、言わないわけでもないと思います。ついでながら「下にを」の「を」は、平叙文ならば「ぞ」「なむ」「こそ」といった係助詞で示すところの、「焦点」を示すためのもので――命令形ではそれらの係助詞は使えないわけです――、命令文にはよくあらわれます。
ⅳ 過去の「し」「しか」 [目次に戻る]
過去の「し」のアクセントは、本来的に高いと思われます。図名が「惇誨」(「厚教」に近い)に与える訓「あつくをしへし」への注記を〈上上平上上上東〉と見て、下降調だったがのちに高平調に転じたと見る向きもありますけれど、『集成』は問題の「し」の認定を避け(p.671)、小松さんの『日本声調史論考』は問題の「し」に差された声点を東点と見ません(p.537)。図名の注記は〈上上平上上上上〉(あとぅく うぉしふぇし)と見るよりほかにないようです。
過去の「し」が高さを保つことは、次の諸例からも知られます。すなわち、
せし人の〈上上上平平〉(岩紀111。しぇえしい ふぃとの HHHLL)
打ちし大根〈平平上平上平〉(前紀57、58。うてぃし おふぉね LLHLHL)
我が逃げのぼりしあり丘(を)の上の〈平上・平上上上上上・平平平平・上平平〉(前紀・図紀76。わあンがあ にンげえ のンぼりし ありうぉの うふぇの LHLFHHHH・LLLLHLL)
いとなむじとき〈平平平平上平平〉(図名。「いとなみし時」の音便形。原文はなぜか「とぎ」。いとなムじとき LLLLHLL)
のぞむしに〈上上上上○〉(図名。「望みしに」の音便形。のンじょムしに HHHHH)
といった例のある一方、「し」に東点を差すものの一つもないのは、それを下降調と見ることはむつかしいということです。
むすびしにより〈上上上上上上平〉(顕天片568注〔万葉2452〕。むしゅンびしに より HHHHHHL。この「より」は四段動詞「因(よ)る」の連用形。「に」の低まっていないのは「し」が高く平らな拍で低下力が働かないからでしょう)
来(こ)しを〈平上上〉(永・伏片・家・毘441。こおしうぉ LHH。ここでも「を」は低まっていません)
も同じことを示唆します。改名の一つである観本名義の法下に「夢(いめ)見しに」〈平平平上平〉という注記がありますけれども、この信頼性は高くありません。なお、「打ちし大根」「いとなむじとき」「こしを」への注記は、過去の「し」が連用形(特殊)を要求することを示します。サ変「す」、カ変「来(く)」は過去の「き」の終止形を従えないこと、過去の「し」は従えること、その場合未然形接続のことが多いことはよく知られているとおりで、上の引用でもそうなのでした。ただ、これも知られているとおり「来(こ)し方」とも「来(き)し方」とも言ったようで、これらは「こおしい かた LHHL」「きいしい かた LHHL」と言われたでしょう。
ふりはへて(ワザワザ)いざ古里の花見むと来(こ)しをにほひぞうつろひにける 古今・物の名・しをに(紫苑。しうぉに HHH)441。ふりふぁふぇて いンじゃあ ふるしゃとの ふぁな みいムうと こおしうぉ にふぉふぃンじょお うととぅろふぃにける HLLHH・LFLLHHH・LLLFL・LHHLLLF・LLHLHHL
なお古今集声点本には、「思ひそめてじ」〈(平平上)上平上平〉(毘・高貞471。古典的には「思ひそめてし」〔おもふぃい しょめてし LLFHLHH〕)のような、過去の「し」が柔らかいことを示すかのような例が見られますが(この「じ」は読み癖)、「…にし」(「し」は濁らない)はというと、「なりにし」〈(平上)上上〉(伏片・訓90。なりにし LHHH)など七例すべてに〈上上〉が差され、同じ「てじ」でも「鳴きふるしてじ」〈(上平平平上)上上〉(梅159)、「見てじ」〈上上上〉(訓479)では「じ」は高いことを考えると、「…てじ」に対する〈上平〉注記は「…てし」の古い時代のアクセントを考える上で示唆を与えるものとは思われません。
古里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり 古今・春下90。ふるしゃとと なりにし ならの みやこにも いろふぁ かふぁらンじゅ ふぁなふぁ しゃきけり LLHHL・LHHHHLL・HHHHL・LLHHHHL・LLHHLHL
こぞの夏鳴きふるしてしほととぎすそれかあらぬか声のかはらぬ 古今・夏159。こンじょの なとぅ なき ふるしてし ふぉととンぎしゅ しょれかあ あらぬかあ こうぇえの かふぁらぬ LHLHL・HLLLHHH・LLLHL・HHFLLHF・LFLHHHH
山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ 古今・恋一479。やまンじゃくら かしゅみの まあより ふぉのかにも みいてし ふぃとこしょ こふぃしかりけれ LLLHL・HHHHHLL・LHLHL・RHHHLHL・LLHLHHL。「山ざくら」は推定。「やま」は「やま LL」、「さくら」は「しゃくら HHH」。「あしがなへ【足鼎】」「かたゐなか【片田舎】」「かはごろも【皮衣】」「くさもちひ【草餅】」「はなざかり【花盛】」がそうであるように、このパタンの複合名詞は大抵LLLHLと言われます(あしンがなふぇ、かたうぃなか、かふぁンごろも、くしゃもてぃふぃ、ふぁなンじゃかり)。一般に低起二拍が三拍のものを従える時は多くがこれなのでした。
過去の「し」に対応する已然形「しか」は「しか HL」で、接続は「し」に同じ。岩紀110が「我は寝しかど」に〈平上上上上平平〉(われふぁ ねえしかンど LHHHHLL)を差していました。寂973も「ありしかば」に〈平平上平平〉(ありしかンば LLHLL)を差しています。
我を君難波の浦にありしかばうきめをみつの海士(あま)となりにき 古今・雑下973。われうぉ きみ なにふぁの うらに ありしかンば うきめうぉ みとぅの あまと なりにきい LHHHH・LHHHLLH・LLHLL・HHHHHHH・LLLLHHF。「うきめ」は「浮海布」(おそらく、うきめ HHH)と「憂き目」(うきい めえ LFL)とを兼ねています。「みつ」は「君が名も我が名も」の歌におけると同じく地名の「御津」と「見つ」とを兼ねています。宣長によれば歌はこう言っています。「オマヘ(あなた)ガ私ヲナンデモナイモノニナサツテ 憂イ目ニアウタユヱニ ソレデ私ハコノ難波ノ三津寺ヘ参ツテ 尼ニナリマシタ」(『遠鏡』)
v む・じ [目次に戻る]
「〇・〇・む・む・め・〇」という活用のパタンから四段動詞の活用と同趣のアクセントを持つと考えられること、および、前(さき)に引いた岩紀108の「柔手(にこで)こそ我が手を取らめ」〈上上平上平・平上平上・平平東〉(にこンでこしょ わあンがあ てえうぉお とらめえ HHLHL・LHLHLLF)などから已然形は下降調をとること、これらから、「む」アクセントのありようは、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
○ ○ S H S ○
だと考えられます。岩紀の例は未然形(特殊)を先立てることも教えます。
山たかみ人もすさめぬさくら花いたくなわびそ我見はやさむ 古今・春上50。「見はやさむ」に伏片と毘とが〈上平平平上〉をさしています。やま たかみ ふぃともお しゅしゃめぬ(ないし、しゅしゃめぬ) しゃくらンばな いたく なあ わンびしょ われ みいい ふぁやしゃムう LLLHL・HLFHHHH(ないしLLLH)・HHHHH・LHLHHHL・LHℓfLLLF。人目につかないゆえ愛でてもらえない桜に、そう悲しむなといっています。はげまされる歌です。
やすからむや〈平上平平上上〉図名。やしゅからムやあ LHLLHF。「やすくあらむや」(やしゅく あらムやあ LHLLLHF)のつづまった言い方で、「む」(ここでは終止形)は文節中に位置しますから下降せず高さを保ちます。
ありなめど 古今・春下97(春ごとに花の盛りは…。「完了の『ぬ』」のところで引きました)。ありなめンど LHHHL。訓97は〈平上上平平〉、伏片97は〈(平上)上平平〉としますが、梅97は〈平上上上平〉とし、問答97は〈(平上)上上平〉とします。それぞれ高い拍の次で低まる例、低まらず文節中ゆえ高さを保つ例です。
流れいづる方だに見えぬ涙がは沖干む時やそこは知られむ 古今・物の名・熾火(おきンび HHH)・466。なンがれえ いンどぅる かたンだに みいぇぬ なみンだンがふぁ おき ふぃいムう ときやあ しょこふぁ しられム LLFLLH・HLHLLLH・LLHHL・LLLHLLF・HHHHHHH。梅・寂・毘466が「ひむ」に〈平上〉を差しています。涙川というものは、水量あまりに多く、どこから流れだしているのか分からない。はるかかなたまで乾くかどうか分からないが、もし乾いたら「底」が見えて、「其処」が、つまり源泉が分かるかもしれない。
枕よりあと(アシモト)より恋の攻めくればせむかたなみぞ床なかにをる 古今・誹諧1023。訓・梅・寂が第四句に〈上上上平上平平〉を差しています〔梅・寂は末拍に点無し〕。以下は古典的な言い方。まくらより あとより こふぃの しぇめえ くれンば しぇえムう かた なあみンじょお とこなかに うぉる LLHLL・LHLLLLL・LFLHL・HHHLRLF・HHHHHHL。こういう「~む」は、フランス語やスペイン語などにおける動詞の接続法と呼ばれる法(mood)によく似ています(「仮定」も「仮想」も、ほかにせむかたがないので採用された苦しまぎれの言い方以上のものではありません)。現代日本語はこういう「む」に対応する訳語を持ちません。「まほし」は「む・あく・ほし」のつづまったものでしたが、この「む」も〝接続法の「む」〟です。こういう「む」を持っているところなど、平安時代の京ことばはなかなか緻密だと申せます。
春や疾き花やおそきと聞きわかむ鶯だにも鳴かずもあるかな 古今・春上10。ふぁるうやあ ときい ふぁなやあ おしょきいと きき わかンム うンぐふぃしゅンだにもお なかンじゅもお あるかなあ LFFLF・LLFHHFL・HLLLF・LLHLHLF・HHLFLHLF。春が早いのか花が遅いのか、鳴けば判断できるだろうその鶯すら鳴かないなあ。「わかむ」を可能態と見ています。三島由紀夫の「日本文学少史」は面白い論ですが、二句目を「春や遅きと」として引いています。
次に、「じ」は「む」と同趣の言い方です。京秘879が「(月をも)めでじ」に〈(平平上平)平平上〉(とぅきうぉも めンでンじい LLHLLLF)を差していました。
春きぬと人はいへどもうぐひすの鳴かぬかぎりはあらじ(チガウダロウ)とぞ思ふ 古今・春上11。伏片が「あらじ」に〈平平上〉を差しています。ふぁるう きいぬうと ふぃとふぁ いふぇンどもお うンぐふぃしゅの なかぬ かンぎりふぁ あらンじいとンじょお おもふ LFRFL・HLHHLLF・LLHLL・HHHLLLH・LLFLFLLH
ⅵ まし [目次に戻る]
いわゆる反実仮想の「まし」。現代日本語と異なり、そして英語などと同じく、現実的な仮定と非現実的なそれとを端的に区別できたこともまた、平安時代の京ことばの緻密なところだと申せます。さて非現実的な仮定に使われる「まし」は「む」と同じく特殊形を要求します。これは当然のことで、形態論的には例えば動詞「行く」(ゆく HL)に形容詞「ゆかし」(ゆかしい HHF)が対応するように、「行かむ」(ゆかムう HHF)に「行かまし」(ゆかましい HHHF)が対応します。実際「まし」の終止形「まし」の末拍は、元来、形容詞のそれと同じく下降調をとります。例えば前紀・図紀81の「命しなまし」〈平平上上上上上〉は、諸家の見るとおり下降拍に終わると解されます。
ぬばたまの甲斐の黒駒鞍着せば命しなまし甲斐の黒駒〈上上上上上・上上上平平上上・上平上上平・平平上上上上上・上上上平平上上〉(前紀・図紀81。ぬンばたまの かふぃの くろこま くら きしぇンば いのてぃ しなましい かふぃの くろこま HHHHH・HHHLLHH・HLHHL・LLHHHHF・HHHLLHH。もし馬に鞍をつけていたら、ある匠(たくみ)を救いに行くのがそれだけ遅れて、その匠はしんでいただろう、というのです)
ただ、「まし」の連体形は「まし」、已然形は「ましか」ですから、形容詞との平行性は限定的です。一方において形容詞と類似することも確かなのですから、已然形は「ましくあれHHLLF>ましかれHHLF>ましか(ましか HHL)」、条件節を作る「ましかば」は「ましくあらばHHLLHL>ましからばHHLHL>ましかば(ましかンば HHLL)」のような経緯で成立したもの、連体形「まし」は「ましかる」ないし「ましき」のすりへったものと想像しておきます(「まし HH」)。已然形「ましか」は「ましか HHL」。
「まし」のアクセントを考える際、院政末期、連体形がもっぱらHLで言われるようになっていることは無視できません。
待てと言ふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし 古今・春下70。伏片・家が「まさまし」に〈上上上平〉を差しています。「何を」とあるので「まし」は連体形です。以下は古典的なアクセント(このこと以下略)。まてえと いふに てぃらンでしい とまる ものならンば なにうぉ しゃくらに おもふぃ ましゃまし LFLHHH・HHLF HHH・LLHLL・LHHHHHH・LLLHHHH
兼見王(かねみのおほきみ)にはじめて物語して別れける時に詠める
別るれどうれしくもあるかこよひより逢ひ見ぬさきに何を恋ひまし 古今・離別399・躬恒(みとぅね〔推定〕)。きぬぎぬの歌ではないのでした。伏片が「恋ひまし」に〈平平上平〉を差しています。「何を」とあるので「まし」は連体形。かねみの おふぉきみに ふぁンじめて ものンがたり しいて わかれける ときに よめる/わかるれンど うれしくもお あるかあ こよふぃより あふぃい みいぬう しゃきに なにうぉ こふぃまし LLHLLLHHH・HHLH・LLLHLFH・LLHHLLLH・LHL/LLLHL・LLHLFLHF・HHHLL・LFLHHHH・LHHLLHH。第三句は倒置されています。
うぐひすの谷より出づる声なくは(ナカッタラ)春くることを誰(たれ)か知らまし 古今・春上14。毘が「知らまし」に〈上上上平〉を差しています。うンぐふぃしゅの たにより いンどぅる こうぇえ なあくふぁ ふぁるう くる ことうぉ たれかあ しらまし LLHLL・LLHLLLH・LFRLH・LFLHLLH・HHFHHHH
いつはりの涙なりせば唐衣(からころも)しのびに袖はしぼらざらまし 古今・恋二576。毘・高貞が「しぼらざらまし」に〈平平上平平上平〉を差しています。この「まし」は終止形。いとぅふぁりの なみンだなりしぇンば からころも しのンびに しょンでふぁ しンぼらンじゃらましい LLHHH・LLHLLHL・LLLHL・HHHHHHH・LLHLLHF。うそ泣きならばこうしてこっそり袖をしぼるなんてこと、しません。「唐衣」は「袖」を起こす枕詞で、実際に唐衣を着ていたのではないようです。
「まし」に終わる帰結節を持つ言い方における条件節も見ておきます。まずは「ましかば」。「ましかば」を「ましくあらば」のつづまった「ましからば」のさらにつづまったものと見たのは、"If I were rich" 式の条件節はやはり何かの未然形が「ば」を従える言い方だろうと考えられるからでした。
人知れず絶えなましかばわびつつも無き名ぞとだにいはましものを 古今・恋五810・伊勢。ふぃとしれンじゅ たいぇなましかンば わンびとぅとぅも なきい なあンじょおとンだに いふぁまし ものうぉ HHHHL・LHHHHLL・HLHHL・LFFFLHL・HHHHLLH。初句のアクセントは推定。一首は、「実際にはこれこれなので、『なき名』(身に覚えのないうわさ)だとも言えない」と言っていますけれども、どんな状況でも、うそをついてよいのなら「なき名」と言えるので、詠み手は、実際にはこれこれなので、胸を張って「なき名」とは言えない、と言っているようです。さて英語などでは仮定法過去と仮定法過去完了とを区別しますけれども、この区別に当たるものは平安時代の京ことばにはありません。つまり「人知れず絶えなましかば」は、文法上「現実には人知れず終わってしまうことはありえないが、もしそうなったら」も「人知れず終わってしまうことはなかったけれども、もしそうだったとしたら」も意味できます。それから、伊勢集ではこの歌は「人のつらく(冷淡ニ)なるころ」(ふぃとの とぅらく なる ころ HLLHHLLHHL)という詞書を持っています(末句は「いふべきものを」〔いふンべきい ものうぉ HHHFLLH〕ですがほぼ同義)。かれこれ考えると、歌は、「もし片思いで終わってしまったならば、誰かから『ひょっとしてあなた、誰々と…』と言われても、胸を張って『そんなことありません』と言えたでしょうけれども、実際にはあなたは私の思いに応えてくれて、片思いでは終わらなかったので、誰かから『ひょっとしてあなた、誰々と…』と言われたら、せっぱつまって『そんなことありません』とうそをつかなくてはならない状況にあります、と言っているのだと思います。今になって冷淡なのはひどい。いっそ、はじめから振ってくれればよかったのです。
「ましかば」への注記は、この歌の「絶えなましかば」にさされた『毘・高貞』の〈上上上上平○○〉と『訓』の〈平上上上平平上〉しかないようです。「絶ゆ」は低起動詞なので前者は誤点を含むことが明らかです。後者においても「ば」の高いのは無論問題ですけれども、現代語で例えば「もしそうならば」「もしそうなら」など言うわけで、この「ば」への上声点注記はプロミネンスを示したものではないかと思います。とまれ「絶えなましかば」は古典的には「たいぇなましかンば LHHHHLL」と言われたのであり、そこからの変化として「たいぇなましかンば LHHHLLL」とも言われた、と考えておきます。
次に「せば」および「ませば」。例えば「ありせば」(「ありしぇンば LLHL」でしょう)と「あらませば」(「あらましぇンば LLHHL」でしょう)とは同義ですけれども、どうしてこういうことが可能なのでしょう。思うに「ありせば」の「あり」は動詞から派生した臨時の名詞と見なせるところのものであり、また「あらませば」は「あらむ・あく・せば」(あらむ・あく・しぇンば LLH・HH・HL)だからではないでしょうか。「あらむあく」は「ありせば」の「あり」と同じく名詞相当語句を作るゆえに、「ありせば」と「あらませば」は同義たりうるのだ、と考えるのです。とすればこれらにおける「せ」はサ変動詞「す」の未然形です。
わたつみに人をみるめの生(お)ひませばいづれの浦の海士(あま)とならまし 和泉式部集90。わたとぅみに ふぃとうぉ みるめの おふぃましぇンば いンどぅれの うらの あまと ならまし HHHLH・HLHLHLL・LLHHL・LHHHLLL・LLLLLHH。この「わたつみ」は「海」(詳細後述)。「みるめおふ」(みるめ おふう LHLLF)は、海藻が生えるという意味に重ねて人と逢うことを意味します。「ましかば」が飽くまで実現しえないことを仮定する言い方であることを考えると、一首は、「もし海の底にもぐれば好きな人に逢えるのなら、どこかの浦の海女になってもぐるだろうけれど」というのでしょう。「いづれの」云々とありますが、この歌は疑問文ではなく(それでは意味が通らない)、「疑問的推量」をする文です。「名歌新釈」4をご覧ください。
『研究』研究篇下pp.200-201のまとめによれば「せば」は特殊形を先立てるのが多数派で、するとその限りでは、この「せ」を過去の「き」、というよりも過去の「し」と結びつける向きのあるのももっともと申せますけれど、しかし、未然形が「せ」、連体形が「し」、已然形が「しか」の言葉なんて随分変わっています。派生名詞(転成名詞)は連用形(特殊)と同じく基本的には式に応じて高平連続調、低平連続調をとるわけで、その限りでは問題の「せ」を過去の「き」の未然形とするのとサ変動詞の未然形とするのとは甲乙つけがたいと申せます。その上で、「ありせば」と「あらませば=あらまくせば」との近さを合理的に説明できる点では「ありせば」の「せ」をサ変動詞とする見方がまさると思います。
もっとも、いずれの見方においても「せば」は一つのイディオムであり、「せ」はその一部としてすでに純然たる動詞や助動詞ではありえません。例えば現代語で「もしそんなことがありもしたら」と言えるように古くも「ありもせば」と言えて、これは「ありも しぇえンばあ LHLHL」と言われたと考えられるのでした。この「ありもせば」は実現可能な仮定を意味するところの、イディオマティックでない言い方ですけれども、これに対して「ありせば」(ありしぇンば LLHL)は反実仮想の言い方であり、こちらの「せば」は一つのイディオムとして存在します。なお、例えば反実仮想の言い方としての例えば「狩りせば」は「かりしぇンば LLHL」と言われたと思います。純然たる派生名詞としての「狩り」は「かり LL」ではなく「かり LH」で、実現可能な仮定としての「狩り(を)せば」は「かり(うぉ)しぇえンばあ LH(H)HL」など言われたでしょう。実現不可能な仮定としての「狩りせば」(かりしぇンば LLHL)における「狩り」は飽くまで臨時の派生名詞です。
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを 古今・恋二552・小野小町。毘・高貞552が「知りせば」に〈上上上平〉を差しています。おもふぃとぅとぅ ぬれンばやあ ふぃとの みいぇとぅらム ゆめと しりしぇンば しゃめンじゃらましうぉ LLHHH・HLLFHLL・LHHLH・LLL・HHHL・LHLLHHH。夢だと分かったら覚めずにいることもできたかもしれないのに。「夢だとわかったら覚めなかったのに」は奇妙でしょう。例の可能態です。
もの思ひける頃、ものへまかりける道に野火の燃えけるを見て詠める
冬枯れの野辺と我が身を思ひせば燃えても春を待たましものを 古今・恋五791。毘が「思ひせば」に〈平平平上平〉を差しています。高貞は〈平平上上上〉を差しますが、誤点と見られます。もの おもふぃける ころ、ものふぇえ まかりける みてぃに のンびの もいぇけるうぉ みいて よめる LLLLHHLHL・LLFLHLHLHHH・LHL・HLHLHRH・LHL/ふゆンがれの のンべえと わあンがあ みいうぉお おもふぃしぇンば もいぇても ふぁるううぉ またまし ものうぉ HHHHH・LFLLHHH・LLLHL・HLHLLFH・LLHHLLH。初句のアクセントは推定。「冬」は「ふゆ HL」、「枯る」は「かる HL」、同趣の例えば「下消え」(したンぎいぇ)、「下染め」(したンじょめ)、「夏引」(なとぅンびき)などはいずれも高平連続調です。「もえても」には「萌えても」も響きますが、こちらは「もえても LHHL」です。
春かすみ中しかよひ路(ぢ)なかりせば秋くる雁はかへらざらまし 古今・物の名・すみながし(しゅみなンがし LLLHL)465。伏片が「なかりせば」(<なく・ありせば)に〈上平平上平〉を差しています。ふぁるうかしゅみ なかし かよふぃンでぃ なあかりしぇンば あきい くる かりふぁ かふぇらンじゃらましい LFLLL・LHLHHHL・RLLHL・LFLHLHH・LLHLLHF。「中し」は「中にし」。副助詞や係助詞に先だつ格助詞の、例の省かれたもの。
だいぶ長くなりますけれど、今一首。紫式部が、
世の中を何なげかまし山桜花見るほどの心なりせば
と詠んでいます。私家集にも見え、また後拾遺(春上104)にも収められています。よおのお なかうぉ なに なンげかまし やまンじゃくら ふぁな みる ふぉンどの こころなりしぇンば HHLHH・LHLLLHH・LLLHL・LLLHHLL・LLHLLHL。山桜、その花を見られる期間が私の思いどおりになるならば、私は世の中をどうして嘆くであろうか。「花見るほどの」の「の」は「ほど」が主格であることを示し――現代語の感覚では「ほどの」の「の」はそうはとりにくいわけですが――、また、「心なり」は「(私の、あるいは文脈により誰かの)思いどおりである、思うがままである、気持しだいである」というような意味のイディオムと見られるので、一首が、もし桜の花を私の思いどおりになるならば――つまりいつまでも賞美できるのならば――、私は世の中を嘆かない、という意味、つらいことがあってもそのつど桜を見ることさえできれば私は何とかしのげるだろうが、という意味であることは明らかだと思いますけれど、三人の碩学がこの歌では「花見るほどの心」が一つの意味のかたまりをなすとし、その「花見るほどの心」を「花の美しさに心を奪われて見る時のような物思いのない心」「あの山桜の花を見ている時のような、物思いのない心」「花を見る時のような忘我の境地」と解しています。しかし、後拾遺の撰者はこれを春の歌と見ています。いま詠み手は花を見ているのでしょう。その人が「(実際には『花見るほどの心』ではないが、仮に)『花見るほどの心』なりせば」と言うとしたら、「実際には無理だが もし常に『花見るほどの心』ならば」という意味に解すしかないでしょう。そんなふうに筋が多少とも通るように言葉を補うならば筋が通りますけれども、これは筋が多少とも通るように言葉を足したので筋が多少とも通るのです。「多少とも」と申すのは、桜の花を見るとき人は、きわめてしばしば、その美しさをめでるとともに、早々に散ってしまうことを思って少し悲しいからです。次の歌は周知です。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 古今・春上53・業平 よおのお なかに たいぇて しゃくらの なあかりしぇンば ふぁるうの こころふぁ のンどけからましい HHLHH・LHHHHHH・RLLHL・LFLLLHH・LLHLLHF。そういえばここにも主格の「の」が見られます。
桜があってもそれがいつまでも散らないのならば春を過ごす人の心はのどけきものでしょうから、業平のこの歌と式部のかの歌とはそう違ったことを言っていないとも申せます。とまれ、言葉を足さなくても明快に解けるのならばそれに越したことはないはずです。「名歌新釈」に記した式部の別の歌について言えることが、ここでも言えます。
ちなみに、「心なり」が「思いどおりである」といった意味を持ったことは、さしあたり現代語「心ならず」が参考になります。「不本意に」といった意味のこのイディオムはイディオム「心なり」の否定形でしょう。「心なり」の用例として、源氏・若紫の次の一節を引いておきます。
少納言、「なほいと夢のここちしはべるを、いかにしはべるべきことにか」とやすらへば(タメラウト)、「そは心なり(ソレハアナタノオ気持次第デス。ソレハアナタノ好キニナサッテ結構デス)。御みづからは(御本人ハ)渡したてまつりつれば、(アナタガ)帰りなむとあらば、送りせむかし」とのたまふに、わりなくて(是非ニ及バズデ、牛車カラ)下(お)りぬ。 しぇうなあごん、「なふぉお いと ゆめの ここてぃ しい ふぁンべるうぉ、いかに しい ふぁンべるンべきい ことにかあ」と やしゅらふぇンば、「しょおふぁあ こころなりい。おふぉムみンどぅからふぁ わたし たてえ まとぅりとぅれンば、かふぇりなムうと あらンば、おくり しぇえムかしい」と のたまふに わりなあくて おりぬう。LLLHH、「LF・HL・LLLLLL・FRLHH、HLH・FRLLLF・LLHF」L・HHHLL、「HH・LLHLF。LLHHHLLH・HHLLFHHLLHL、LLHHFLLHL、HHHHHLF」L・HLLHH、HHRLHLHF。「心なり」は河内本などの言い方で、青表紙本の大勢は「心ななり」(こころなんなり LLHLHHL)。これは「あなたのお気持ち次第と聞こえます」と言った意味の言い方と解せますけれども、誤写かもしれません。「わりなくて」は明融本や河内本の言い方で、大島本などは「わらひて」。苦笑としても少し疑わしいと思います。
順番が前後しますけれども、「世の中を何なげかまし」の歌の「ほど」に近い「ほど」を持つ歌も引いておきましょう。
さびしさも月見るほどはなぐさみぬ入りなむのちを問ふ人もがな 千載・雑上。しゃンびししゃも とぅき みる ふぉンどふぁ なンぐしゃみ
ぬう いりなム のてぃうぉ とふ ふぃともンがなあ LLHHL・LLLHHLH・HHHLF・HLHHLLH・HHHLHLF
ⅶ らむ [目次に戻る]
未然 連用 終止 連体 已然 命令
○ ○ LS LH LS ○
現在推量の「らむ」の初拍は常に低く、末拍のアクセントは「む」に同じ。ただ「む」とは異なりこの助動詞は、ラ変以外の動詞の終止形(一般)、ラ変動詞の連体形(一般)を先立てます。例えば古今・秋上203の「誰(たれ)をまつ虫ここら鳴くらむ」(たれうぉ まとぅむし ここら なくらム LHHLLHL・LHLHLLH)の「鳴くらむ」に訓が〈上平平上〉を差していました。この「らむ」は疑問詞を先立てているので連体形、したがって末拍「ム」は高く平らに言われます。
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く 古今・春上6。ふぁるう たてンば ふぁなとやあ みいらム しらゆきの かかれる いぇンだに うンぐふぃしゅの なく LFLHL・LLLFRLH・LLLHL・LLHLHHH・LLHLLHH
寂・伊・梅6そのほかがこの「見らむ」に〈上平上〉を差しています。これは「見るらむ」(みるらム LHLH)のつづまったもので、初拍は元来、式を保存するために上昇調をとったでしょう(みいらム RLH)。
千々の色にうつろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば 古今・恋四726。「うつろふらめど」に寂726が〈平平上平平上平〉を差しています。てぃンでぃの いろに うとぅろふらめンど しらなくに こころし あきいの もみンでぃならねンば LHLLLH・LLHLLHL・HHHHH・LLHLLFL・LLLHLHL。あの人はもう心変わりしているようだけれど、はっきりとは分からないよ。心は秋の紅葉とは違って目に見えるものではないから。
ⅷ けむ [目次に戻る]
この助動詞には〈平上〉と〈上平〉とが差され、いずれも誤りとは考えられません。また一般形を先立てることは以下から明らかです。まず袖中抄は、
海原(うなはら)の沖ゆく舟を(舟ニ対シテ)帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫 万葉878。うなふぁらの おき ゆく ふねうぉ かふぇれえとかあ ふぃれ ふらしけム まとぅらしゃよふぃめ LLLHL・LLHHLHH・LLFLF・HHHHLLH・LHHHHHL
の「領巾(ひれ)振らしけむ」に〈(上上)上上平平上〉(ふぃれ ふらしけム HHHHLLH)を差し(〈上上上上上平上〉を差す本もあれど誤点ならむ)、また、
山鳥の峰(を)ろの初麻(はつを)に鏡かけ唱ふべみこそ汝に寄そりけめ 万葉3468
の末句には、〈上上平平上〉と〈上上平上上〉とを差しています(前者によれば全体は「やまンどりの うぉろの ふぁとぅうぉに かンがみ かけえ となふンべみ こしょ なあに よしょりけめえ LLHLL・LLLHHLH・LLLLF・HHHHLHL・RHHHLLF」)。また、
生(な)りけめや〈平上上平上〉(図紀104。なりけめやあ LHHLF)
ありけめ〈平上上平〉(前紀48。ありけめ LHHL)
のような注記の見られる一方、「経にけむ」〈上上平上〉(訓273)のような注記も見られます。
ぬれて干す山路の菊の露の間にいつか千歳を我は経にけむ 古今・秋下273。ぬれて ふぉしゅ やまンでぃいの きくの とぅゆうの まあにい いとぅかあ てぃとしぇうぉ われふぁ ふぇえにけム HLHLH・LLFLLLL・LFLHH・LHFLLLH・LHHRHLH。長命をもたらすという菊水の故事を踏まえた歌で、菊の露に濡れたのを干すわずかなうちに、いつの間にか千年経ってしまったようだ、と言っています。「疑問的推量」です(cf.「名歌新釈」4)。
すると「けむ」の終止形や已然形は初拍も末拍も柔らかいと見られます。ということは、
生(な)りけめや〈平上平平上〉(岩紀104。なりけめやあ LHLLF)
は、図紀104の「なりけめやあ LHHLF」の「け」の低まった言い方とも、「なりけめやあ LHLHF」の「め」の低まった言い方とも見ることができ、
籠(こも)らせりけむ〈平平平上平平平〉(図紀105。こもらしぇりけム LLLHLLL。全体は下に引きます)
は、「こもらしぇりけム LLLHLHL」の「け」の低まったものとも、「こもらしぇりけムう LLLHLLF」の「む」の低まったものとも見ることができる、ということでしょう。
畝傍山木立薄けど頼みかも毛津の若子の籠(こも)らせりけむ〈上上上上上・○上○・上上平平・平平上平東〔図紀、平平上平平〕・上上上平平平平・平平平上平平上〔図紀、平平平上平平平〕〉(図紀105。うねンびやま こンだてぃ うしゅけンど たのみかもお けとぅの わくンごの こもらしぇりけム HHHHH・LHLHHLL・LLHLF・HHHLLLL・LLLHLLH。畝傍山の木立はまばらだがそれを頼りにして毛津の若様はおこもりになっていたらしい。末尾の「けむ」は「か」の結びであり、主格の「の」付きの主語の修飾先でもあるので、連体形です)
こうしてこの助動詞はラフに申せば、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
○ ○ SS SH SS ○
のようなアクセントで言われたと考えられます。
ⅸ らし [目次に戻る]
連体形は「らし・らしき」、已然形は「らし」とされますけれども、もともとは連体形は「らしき」、已然形は「らしけれ」といったものだったのが、時とともにすりへって、すべて「らし」に落ち着いたとみてよいのでしょう。一般形を先立てます。
消(け)ぬらし〈上平上平〉(伏片319。けえぬらし FLHL)
つかはすらしき〈上上上平平平東〉(岩紀103。とぅかふぁしゅらしきい HHHLLLF)
あやまりならし〈平平平平上平平〉(図名。あやまりならし LLLLHLL。「あやまりなるらし LLLLHLHL」から変化した「あやまりなるらし」〔あやまりなるらし LLLLHLLL〕の促音便形でしょう)
満ち来らし〈平上上上平〉(梅913。みてぃい くうらし LFRHL)
来らしも〈去平平平〉(図紀85。くうらしも RLLL。原本は〈去平平東〉〔くうらしもお RLLF〕だったでしょう)
といった例から推すと、「らし」の初拍は柔らかい拍で、『伏片』の「消ぬらし」〈上平上平〉(けえぬらし FLHL)のような言い方における「らし」の初拍が低下力に負けたのが岩紀の「つかはすらしき」〈上上上平平平東〉(とぅかふぁしゅらしきい HHHLLLF)のような言い方でしょうし、『梅』の「来らし」〈上上平〉(くうらし RHL)のような言い方における「らし」の初拍が高い拍の次で低まったのが図紀の原本の「来らしも」〈去平平東)〉(くうらしもお RLLF〕)のような言い方でしょう。岩紀や図名には「らし」の初拍が先だつ拍の低下力に屈する例が、そして古今集声点本には反対にそうでない例が見られるわけです。
他方、「らし」の「し」は低いのではないでしょうか。形容詞に類似すると見る向きは終止形「らし」の末拍も下降するとしますけれども、結局は形容詞とは異なる活用を持つのですし、形容詞とは異なり連用形がありません。形容詞型だとすると、例えば連体形「つかはすらしき」〈上上上平平平東〉に対応する終止形は「つかはすらし」〈上上上平平東〉(とぅかふぁしゅらしい HHHLLF)のようなものということになりますけれども、そう言われた形跡はありません。「らし」は形容詞相当語句を作る接辞ではないと思われます。この助動詞は、
未然 連用 終止 連体 已然 命令
○ ○ らし らし・らしき らし ○
SL SL・SLF SL
のようなアクセントで言われたでしょう。
x ず・ぬ・ね [目次に戻る]
打消の「ず」の連用形・終止形は未然形(一般)、「ぬ」「ね」は未然形(特殊)を先立てるのでした。さて、打消の「ず」の連用形および終止形は常に低かったと見る見方もありますけれど(『研究』研究篇下pp.203-205)、柔らかかったと見るべきではないでしょうか。今は東京でも京都でも「ず」は常に低く言われますが、古くは柔らかかった「も」なども今は常に低いので、現代語からの類推は当てになりません。じっさい次のような注記があります。
あらずなりにたり〈平上上(平上上平上)〉(伏片(23)。『家』はこの「あらず」に〈平上平〉を差します)
消えずは〈上上上平〉(伏方・家63)
あはざらめやも〈平上上平上上平〉(顕天平568注〔万葉766〕。「あはずあらめやも」〈平上上平平上上平〉の縮約形)
はじめの二つでは「ず」の連用形に上声点が差され、三つ目では実質的にそうなっています。これらにおける「ず」への上声点注記のなかには、識者が誤点だろうとするものもありますけれど、必ずしもそう見なくてはならないわけではありません。打消の「ず」は柔らかい拍、「も」「し」「ぞ」のような助詞と同じく低まりやすいタイプの柔らかい拍だった可能性があるからです。岩紀111の「面も知らず」〈平平平東上上平〉(おもてもお しらンじゅ LLLFHHL)や「家も知らずも」〈平平東上上平東〉(いふぇもお しらンじゅもお)でも、図名の「能(あた)はず」〈上上上平〉(あたふぁンじゅ HHHL)や「忌(い)まず」〈平上平〉(いまンじゅ LHL)などでも「ず」は低まっていますけれども、「ず」が低まりやすいタイプの柔らかい拍だとすれば、動詞の未然形(一般)はほとんどのばあい高平調に終わるので、大抵低いのは当然です。上の三つも、それぞれ「消えずは」(きいぇンじゅふぁ HHLH)、「あはざらめやも」(あふぁじゃらめやもLHLLHHL)、「あらずなりにたり」(あらンじゅ なりにたりい LHLLHHLF」)といった言い方が一般的だがほかの言い方もできた、と見ておきます。
なお、伏片・家63の「消えずは」〈上上上平〉では、助詞「は」が、高平調をとる第三拍に低く付いています。前(さき)に触れたとおりこれは、非古典的な言い方としては「あがたみには」〈平平平上上平〉(訓938詞書)、「こころばせをば」〈(平平上)上平上平〉(同454)なども言えたのと同じことです。
「ず」を含むいま二つの言い方について申しておきます。
一つ目は、いろは歌の最後の「酔(ゑ)ひもせず」に『金光明最勝王経音義』の前書きの差す〈平平上上上〉です。この「酔(ゑ)ひ」は、仮に「酔ひ加はりぬ」(源氏・松風。うぇふぃ くふぁふぁりぬう LL・LLHLF)における「酔ひ」などと同じく連用形(一般)ではなく派生名詞であると見れば誤点ではありませんけれども、複合動詞のところで見たとおり、「酔(ゑ)ひもせず」は「うぇふぃもしぇえンじゅう LHLHL」と言われたと見るのが自然です。『音義』前書きの「以呂波」では文節末の「ず」が高平調をとっていますが、もともとこのいろは歌への注記は明らかな誤点も多く、「酔ひ」への注記なども考え併せると、この「ず」への注記も誤点と見るのは特に恣意的なことととは思われません。しかしまた、この「せず」〈上上〉は「しぇえンじゅう HF」を意味する正しい点と見ることもできないではありません。
次は、図名や「成簣堂本 顕昭『拾遺抄注』」が「思はずに」に差す〈平平平上〇〉です。「思はずなり」は「意外である」「心外である」を意味するイディオムですから、図名の「思はずに」は「意外で」「心外で」ないし「意外に」といった意味の言い方でしょう。出典は『遊仙窟』とありますが、高橋宏幸さんの「『図書寮本類聚名義抄』所引『遊仙窟』のテキストと和訓について」(web)によれば、現行の『遊仙窟』には見えない言い方のようです。さて「思はずなり」はなぜ「意外である」「心外である」を意味できるのでしょう。平安時代の京ことばでは、「…したことがない」は単に「…ず」という言い方で示すのでした。「見たことがない」は「見ず」(みいンじゅう RL)、「思ったことがない」「考えたことがない」は「思はず」(おもふぁンじゅ LLHL)。現代語を直訳すると「見しことなし」「思ひしことなし」などなりますけれども、こんな言い方しませんでした。イディオムとしての「思はずなり」は、「『思はず』なり」であり、「『思ったことがない』という状態だ」「『考えたことがない』という状態だ」といった趣の言い方ではないでしょうか。「思はずなり」の「ず」は単なる終止形や連用形ではありえず、図名の「思はずに」〈平平平上〇〉から普通の「ず」の要求するアクセントをうかがうことはできません。
さて次に、連体形「ぬ」は本来的に高く、已然形「ね」は柔らかいと考えられます。しばしば言われるとおり、四段動詞と同じ「な・に・〇・ぬ・ね」という活用の型を持つ古い助動詞を想定してよさそうですから、そう見るのが自然です。「ぬ」を下降拍と見て、図名の「おくらぬか」〈上上上上平〉のような注記で「か」の低まっているのをその低下力によるとする向きもありますけれど(『研究』研究篇p.147。cf.同pp.156,236-237)、この例で「ぬ」が低いのは「か」がみずから低まったのです。顕天平547注(『研究』索引篇)が「言はねど」に〈上上上平〉(いふぁねンど HHHL)を差しているのは文節中の柔らかい拍が高い拍の次で低まらない例で、助動詞ではこういうことが多いのでした。
秋ならであふことかたき女郎花天の河原に生(お)ひぬものゆゑ 古今・秋上231。伏片が「おひぬ」に〈平平上〉を差しています。あきいならンで あふ こと かたきい うぉみなふぇし あまの かふぁらに おふぃぬ もの ゆうぇ LFHLL・LHLLHHF・HHHHL・LLLHHLH・LLHLLHL。女郎花は天の川の河原にあるわけではないのに秋にしか逢えない、と言っています。「ものゆゑ」は助詞とされますけれども、アクセントのこととして言えば二つの名詞からなるイディオムです。この「もの」に『寂』『訓』がなぜか〈上上〉を差します。〈平平〉と言えない理由はないと思います。
日の光藪(やぶ)し分かねばいそのかみ古(ふ)りにし里に花も咲きけり 古今・雑上870。再掲。「わかねば」に毘・高貞・訓が〈平平上平〉を差していました。ふぃいの ふぃかり やンぶし わかねンば いしょの かみ ふりにし しゃとに ふぁなもお しゃきけり FLLLL・HHLLLHL・HLLLH・LHHHHHH・LLFHLHL
月見れば千々にものこそ悲しけれ我が身一つの秋にはあらねど 古今・秋上193。とぅき みれンば てぃンでぃに ものこしょ かなしけれ わあンがあ みい ふぃととぅの あきいにふぁ あらねンど LLLHL・LHHLLHL・HHHHL・LHHLHLL・LFHHLLHL。詠み手は「おふぉいぇの てぃしゃと LLHLLHH」と言われたと見られるのでした。
ⅺ けり [目次に戻る]
ここからはラ変動詞と同じ活用のものです。
助動詞「けり」は、しばしば「来有り」に由来するとされますけれども、仮にそれが正しいとしても(確度は低いと思います)、この言葉の意味をその〝本義〟からこじつけめかずに説明することはできません。
「○・○・けり・ける・けれ・○」という活用のありようから見て、この助動詞が語形上末尾に「あり」を持つことは確かで、そうした言葉は、たいてい、連体形を含めたすべての活用形において低平拍に終わるようです。例えばラ変動詞「居(を)り」がそうでした。助動詞「けり」のすべての活用形においても末拍は低いと見られます。「らし」のそれなどとは異なり、「けり」の初拍は本来的に高いようです。カ変動詞「来(を)」は低起式でした。
霞たち木(こ)の芽も春の雪ふれば花なき里も花ぞ散りける 古今・春上9。寂が「散りける」に〈上平上平〉を差しています。かしゅみ たてぃい こおのお めえもお ふぁるうの ゆうき ふれンば ふぁな なきい しゃとも ふぁなンじょお てぃりける HHHLF・LLLFLFL・RLLHL・LLLFHHL・LLFHLHL。「春の」は「張るも」(ふぁるも HHL)を兼ねています。寂は「春の」のほうのアクセント〈平上平〉を差しています。
例えば訓479の詞書に「しける」〈上平平〉という注記がありますけれども、これは「ける」の初拍がサ変「す」の連用形(一般)の低下力に負けて低まったのです(しいける FLL)。古典的には上の「散りける」と同趣の「しいける」というアクセントで言われたでしょう。この例においてそうであるように、古今集声点本では「けり」の初拍は先だつ拍の低下力にしばしば屈しますけれども、例えば、
成りにけり〈平上上上平〉(訓528。なりにけり LHHHL)
がそうであるように、古今集声点本では完了の「ぬ」が「けり」を従える言い方では「けり」の初拍は絶えて低まりません。「なりにけり」〈平上上平平〉のような言い方はしないのです。これは完了の「ぬ」の連用形(一般)が文節中では下降調をとらないことを意味するでしょう。やはり完了の「ぬ」は柔らかいのです。
恋すれば我が身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ 古今・恋一528。こふぃしゅれンば わあンがあ みいふぁあ かンげえと なりにけり しゃりいとて ふぃとに しょふぁぬ もの ゆゑ LLHLL・LHHHLFL・LHHHL・LFLHHLH・HHHLLHL。恋ゆえ影のようにやせ細ってしまった。だからといって思う相手に添えるわけではないが。
ⅻ 「めり」、伝聞・推定の「なり」 [目次に戻る]
平安時代の京ことばとしては、いずれもラ変動詞以外の動詞の終止形(一般)、ないしラ変動詞の連体形(一般)――ただし通例撥音便形をとる――を先立て、動詞「居り」や助動詞「けり」と同じく全活用形(といっても未然形、命令形はありません)が古典的にはHLで言われたようです。この「めり」「なり」の初拍は、「けり」のそれと同じく、本来的に高いと見られます。
知りにけむ聞きても厭(いと)へ世の中は波の騒ぎに風ぞ頻(し)くめる 古今・雑下946。毘・高貞・梅が「しくめる」に〈上平上平〉を差しています。しりにけムう ききても いとふぇえ よおのお なかふぁ なみの しゃわンぎに かンじぇンじょ しくめる HLHLF・HLHLLLF・HHLHH・LLLLLLH・HHLHLHL。もうお分かりになったでしょう。そうでないなら私の言うことを聞いてでも、出家なさい。世の中は波が騒ぐところに風が吹きしきってますます収まらない、そんなもののようです。
波の花沖から咲きて散り来めり水の春とは風やなるらむ 古今・物の名・からさき(地名)459。毘が「散り来めり」に〈上平上上平〉を差しています。訓がこれに〈上平上平○〉を差すのは誤点と見ます。訓はいつぞや引いた「難波なる長柄の橋」の歌(古今1051)の「作るめり」には〈平平上上平〉を差していました。なみの ふぁな おきから しゃきて てぃり くうめり みンどぅの ふぁるうとふぁ かンじぇやあ なるらム LLLLL・LLHHHLH・HLRHL・HHHLFLH・HHFLHLH。「水の春」とは「水にとっての春」というような意味です。風が波を花のように見せる。すると、春とは花をもたらすところのものだとすれば、風が「水の春」なのかもしれないである、ということのようです。
鶏(かけ)は鳴くなり〈平上上上平上平〉(前紀・図紀96。かけふぁ なくなり LHHHLHL)
降る雪はかつぞ消(け)ぬらしあしひきのやまのたぎつ瀬音まさるなり 古今・冬319。「まさるなり」に毘が〈上上平上平〉を差しています。ふる ゆうきふぁ かとぅうンじょお けえぬらし あしふぃきの やまの たンぎとぅしぇえ おと ましゃるなり LHRLH・LFLFHHL・HHHHH・LLLHHHH・HLHHLHL。「たぎつ」は現代語「煮えたぎる」の「たぎる」に近い動詞でした。「瀬」は浅瀬。『問答』や『伏片』が「き」を濁(にご)していますから、「滝つ瀬」ではありません。
来べきほど時すぎぬれや(=過ぎぬればや)待ちわびてなくなる声の人をとよむる 古今・物の名・ほととぎす(ふぉととンぎしゅ LLLHL)423。毘が「鳴くなる」に〈上平上平〉を差しています。くンべきい ふぉンど とき しゅンぎぬれやあ まてぃい わンびて なくなる こうぇえの ふぃとうぉ とよむる LLFHL・LLLHHLF・LFHLH・HLHLLFL・HLHLLLH。「待ちわびて」の主語を「人」とする向きが多いようですけれども、賀茂真淵(『古今和歌集打聴(うちぎき)』)はほととぎすが主語だと見ています。妻の来るはずの時が過ぎたので待ちわびてほととぎすが鳴く(泣く)、その声が、聞く人をざわつかせるのか。従うべきだと思います。
わがいほは都の巽(たつみ)しかぞ住む世をうぢやまと人はいふなり 古今・雑下983。わあンがあ いふぉふぁ みやこの たとぅみ しかンじょお しゅむ よおうぉお うンでぃやまと ふぃとふぁ いふなり LHLLH・HHHHHHH・LLFLH・HHLLHLL・HLHHLHL。「しか」(ソンナフウニ)とはどんなふうにということなのでしょう。珍説を披露させていただくと、都の巽(東南)に、そして「風のように」、ということだと思います。この「巽」は八卦――乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)――の五番目の「巽」にほかなりません。それは方角としては「巽=辰巳=東南」を意味しますけれど、「乾」が「天」、「坤」が「地」に対応するように――それゆえ「乾坤」は「天地」を意味する――「巽」は「風」を意味するのだそうです。ならばこの歌は、喜撰は仙人になったという伝説――「喜撰隠居宇治山持密呪食松葉得仙道云々」(『花鳥余情』)――と結び付けてよいのではないでしょうか。私は宇治山に、ということは都の巽(東南)に、その名の示すとおり風のごとく、自由自在に空を飛べるような自由な存在として住んでいる。しかし人びとは私が「世を憂」く思って宇治山に住んでいると噂するようだ。生前から当人、我は仙なりなど言っていたと解するのです。
待たれつるいりあひの鐘の音すなりあすもやあらば聞かむとすらむ 新古今・雑下・1808・西行。またれとぅる いりあふぃの かねの おと しゅうなり あしゅもやあ あらンば きかムうと しゅうらム LLHLH・HHHHHHHH・HLFHL・LLHFLHL・HHFLFLH。明日も生きていたら聞くかもしれない、というので、多少とも逐語的に「聞こうとしているだろうか」「聞こうとするのだろうか」などすべきではありません。「むとすらむ」はしばしば要するに「む」と同義で、また「や…む」はしばしば「…かもしれない」を意味します(「名歌新釈」1を御覧ください)。
ラ変動詞がこれらの助動詞を先立てる時、その末拍が撥音便化すること、例えば「あるめり」は実際には撥音便形「あんめり」(撥音無表記形では「あめり」)をとることは周知です。この「あんめり」が「あんめり LHHL」とも「あんめり LLHL」とも言われただろう、「あめり」ならば「あんめり RHL」ないし「あんめり LHL」と表記される言い方で言われただろうといつぞや申しましたが、これは繰り返せば、図名が「なだらかす」に〈平平上去上〉(なンだらかんしゅぅ LLHRF)と〈平平上平上〉(なンだらかん しゅぅ LLHLF)とを差していたからで、どうやら撥音便形における撥音は必ずしももとの言い方とアクセントを同じくするとは限らず、もとの言い方では高くても低まり得たようだと考えたからでした。同じように「あなり」は「あんなり LHHL」ないし「あんなり LLHL」と言われたでしょう。
「はべり」は「ふぁンべりい RLF」と言われるのでしたから、「はべめり」「はべなり」はそれぞれ、「ふぁンべんめり RLHHL」ないし「ふぁンべんめり RLLHL」、「ふぁンべんなり RLHHL」ないし「ふぁンべんなり RLLHL」と言われたでしょう。
xⅲ 断定の「なり」「たり」 [目次に戻る]
例えば「食べちゃう」の「ちゃう」は「てしまう」の縮約形であり、諸書、特に助動詞とはしません。それならば、学校文法が「断定の助動詞『なり』」と呼ぶところのものは本質的に「にあり」(に ありい HLF)の縮約形、ということは一語の助詞と一語の動詞とのつづまったものなのですから、一語の助動詞とすべきではないでしょう(「委託法、および、状態命題」4「場所と様態と」をご覧ください)。ここでは単に「断定の『なり』」と言います。もっとも、「断定の『なり』の連体形『なる』」といった言い方は便利で、このように言う時「なり」を助動詞に準ずるものと見ているということはあります。一語の助動詞とは似ても似つかないものだと申したいのではありません。なお、「しづかなり」(しンどぅかなり LHLHL)の「なり」と特に区別することもしません。
断定の「なり」の初拍は、高い拍に低く、低い拍に高く付くというように紹介されることがあります。確かにそうしたアクセントで言われることが多いということは言えます。まず、高い拍に低く付く例。
宵なり〈上上平上〉(図紀65。よふぃなりい HHLF。「宵にあり」〔よふぃに ありい HHHLF〕のつづまったものですけれども、「に」のアクセントは反映されず、反対に「あり」のアクセントはそのまま反映されます。歌全体は下に引きます)
駒なれや〈上上平上上〉(伏片1045。こまなれやあ HHLHF。「駒にあれや」〔こまに あれやあ HHHLHF〕のつづまったもので、「れ」は柔らかいので文節中では高さを保ちます)
我が夫子(せこ)が来べき宵なりささがねの蜘蛛のおこなひ今宵しるしも 図紀65は「来べき」に〈平平平〉を差しますけれども、原本は〈平平東〉だったでしょう。なお古今1110では「ささがにの蜘蛛のふるまひ予(かね)て著(しる)しも」。「ささがね」は「ささがに」(しゃしゃンがに HHLL。細蟹、すなわち蜘蛛)の古形と言います。図紀はその「ささがね」に〈上上平平〉を差します。ということは、これを「笹が根」(しゃしゃンが ねえ HHHL)とは解せないということでしょう。以下は古今の言い方への注記。わあンがあ しぇこンがあ くンべきい よふぃなりい しゃしゃンがにの くもおの ふるまふぃ かねて しるしいもお LHHHH・LLFHHLF・HHLLL・LFLHHHH・LHHHHFF
次は、低い拍に高く付く例。
馬ならば〈平平上平平〉(岩紀103。ムまならンば LLHLL。ここから「馬なり」〔ムまなり LLHL〕を取り出せますけれども、これともとの「馬にあり」〔ムまに ありい LLHLF〕とを比べると、「ムまに LLH」と「ありい LF」とが縮約する際後者が付属語化し、「あり」の「り」が低下力に屈していることが観察されます。この場合「に」のアクセントは保存され、反対に「あり」のアクセントは保存されません。次も同趣です)
太刀ならば〈平平上平平〉(同上。たてぃならンば LLHLL)
如(ごと)ならば咲かずやはあらぬ桜ばな見る我さへにしづ心なし 古今・春下82。『問答』が初句に〈上平上平平〉を差しています。ごとならンば しゃかンじゅやふぁ あらぬ しゃくらンばな みる われしゃふぇに しンどぅンごころ なしい HLHLL・HHLHHLLH・HHHHH・LHLHHHH・LLLHLLF。初句は「どうせなら」「同じことならば」といった意味の、現在は「ことならば」(ことならンば LLHLL)とされることの多いイディオムですけれども、古今集声点本では初拍は濁音で読まれています(こちらの方がよくはないでしょうか)。この「なら」を四段動詞と見る向きもありますが、「同じくは」(おなンじくふぁ)が同義の言い方になることを考えると、やはり断定の「なり」なのでしょう。桜花にいっそ咲かずにいないかと提案する歌です。
声ならなくに〈平上上平上平平〉(訓359。こうぇえならなくに LFHLHLL。断定の「なり」が二拍五類名詞「声」に、ということは下降拍に高く付く例です。古今集声点本では「声」のような二拍五類名詞には助詞は低くつくことが多いわけですけれども、鎌倉後期においても、図名の「つひに」〈平東上〉(とぅふぃいに LFH)、『寂』302の「秋をば」〈(平上)上上〉(あきいうぉンば LFHH)などと同様、「声に」は「こうぇえに LFH」と発音され得たのでしょう。それゆえ「声なり」を「こうぇえなり LFHL」と言いうるのだと考えられます。訓のこの注記では「声」の末拍は引かれたのではないでしょうか。これは図名(の原本)が二ところで「おほきなり」に〈平平東平上〉を差すのよりも古いアクセントです。もっとも最後の「なくに」は、申したとおり古くは「なくに HHH」と言われた言い方です。
ところが、以上の例とは反対に、高い拍に高く付くことも、低い拍に低く付く言い方も、少数ながら見られます。
知らぬなるべし〈(上上上)上平(平上)〉(寂(59)。しらぬなるンべしい HHHHLLF)
浮(うけ)なれや〈上上上平上〉(毘・高貞509。うけなれやあ HHHLF)
貴(あて)なり〈上上上平〉(前田本『色葉字類抄』〔『集成』、『研究』研究篇下p.234〕。あてなり HHHL)
如ならば〈上平平上平〉(訓854。ごとならンば HLLHL。問答82は〈上平上平平〉を差していました)
こうした言い方もできたことは、断定の「なり」が二つの柔らかい拍からなることを意味するのだと思います。するとこの「なり」の初拍に上声点が差される時、それは高く平らに言われたと考えられます。降り拍とする向きもありますけれども(『研究』研究篇下pp.233-234)、断定の「なり」が「にあり」HLFの縮約であることから直ちにそれが帰結するわけではありません。岩紀は「馬ならば」「太刀ならば」に〈平平東平平〉ではなく〈平平上平平〉を差すのでした。同趣の縮約を含むと考えられる「のたまふ」や「居り」の初拍も高平調だと見られます。断定の「なり」の初拍は柔らかく、されば、例えば「鼻も」〈上上上〉(伏片1043。ふぁなもお HHF)の「も」と同じく、高い拍の次で時に低まらないのだと思います。ただ、たいていの場合高い拍の次で低まりますから、低まりやすいタイプの柔らかい拍と申せます。
また、低い拍に付く時は、断定の「なり」の初拍はたいていのばあい卓立するようで、「馬なり」(ムまなりい LLLF)とは言い得ないということではないのでしょうけれども――訓は「如ならば」に〈上平平上平〉(ごとならンば HLLHL)を差していました――、「馬なり」(ムまなり LLHL)のような言い方、問答82がそうするような「如ならば」〈上平上平平〉(ごとならンば HLHLL)のような言い方が一般的だったと考えられます。
なお断定の「なり」の初拍が高い場合、末拍は低まるのが普通のようで、書紀の古写本にも「馬なり」(ムまなりい LLHF)のような言い方は見えません。柔らかい助詞が連続する時それに〈上上〉が差されることは希だったことが思い合わされます。
断定の「なり」のさまざまな活用形が助動詞を従える時のアクセントを見ましょう。
塵ならぬ〈上上平平上〉(毘・高貞676。てぃりならぬ HHLLH。「あらぬ」〔あらぬ LLH〕のアクセントが保存されています)
ものならなくに〈(平平)上平上上上〉(毘・高貞629、毘415。ものならなくに LLHLHHH。「ものならぬ」〔ものならぬ LLHLH〕を取り出せます。打消の「ぬ」のような、さきだつ動詞に高平連続調か低平連続調を要求する助動詞がここではHLというアクセントを先立てています。「居(を)らぬ」も「うぉらぬ HLH」だったと考えられるのでした。
知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名のそらに立つらむ 古今・恋三676。しると いふぇンば まくらンだに しぇえンでえ ねえしい ものうぉ てぃりならぬ なあのお しょらに たとぅらム HLLHLL・LLHHLHL・HHLLH・HHLLHFL・LHHLHLH。枕はすべてを知るというから使わずに寝たのに、噂が、塵でもないのに空に舞っている。
糸に縒るものならなくに(モノデハナイノニ)別れ路の心ほそくもおもほゆるかな 古今・羇旅415。いとに よる ものならなくに わかれンでぃいの こころ ふぉしょくもお おもふぉゆるかなあ LHHLH・LLHLHHH・LLLFL・LLHLHLF・LLLLHLF。「心細し」はさしあたり律儀言いをしておきます。古くから連濁していたことが確認できるわけではないようです。
こうした言い方になるのですから、同じ特殊形を要求する過去の「し」や推量の「べし」を従える場合には、
塵なりし(てぃりなりし HHLLH)
塵なるべし(てぃりなるべしい HHLLLF)
ものなりし(ものなりし LLHLH)
ものなるべし(ものなるべしい LLHLLF)
のような言い方になると思われます。一般的な助動詞には、例えば次のように付くでしょう。
塵ならず(てぃりならンじゅ HHLHL)
塵なりけり(てぃりなりけり HHLHHL)
ものならず(ものならンじゅう LLHLF、ないし、ものならンじゅ LLHLL。「ず」を卓立させる言い方が可能だと思われます)
ものなりけり(ものなりけり LLHLHL)
断定の「たり」については多言を要しません。今でも「教師たる者は」云々など言う時の「たる」はこれの連体形です。この「たり」へのアクセント注記は寡聞にして知りませんけれども、つねに低平調をとる助詞「と」と「あり」との単純な縮約形であることに疑いはないので、低起二拍動詞と同じアクセントをとると考えられます。xⅳ 存続の「たり」 [目次に戻る]
存続の「たり」は「てあり」〈上平上〉(てありい HLF)の単純な縮約ですけれども(それだけに「も」のような助詞の介入を容易に許します)、実例によって見るに、初拍の「た」は常に低く言われるようです。
吹く風をなきてうらみよ鶯は我やは花に手だに触れたる 古今・春下106。伏片が「触れたる」に〈平上平○〉を差しています。ふく かンじぇうぉ なきて うらみよ うンぐふぃしゅふぁ われやふぁ ふぁなに てえンだに ふれたる LHHHH・HLHLLHL・LLHLH・LHHHLLH・LHLLHLH。断定の「なり」も高い拍の次で低まることが多いのでした。存続の「たり」は高い拍の次では決して高さを保たないようです。完了の「つ」が二拍からなる場合その初拍は常に低いことも思い合わされます。
優れたる〈上上平平上〉(図名。しゅンぐれたる HHLLH。断定の「なり」の初拍は低い拍の次で通例卓立しましたけれど、存続の「たり」の初拍は低い拍の次でも低いままです。時代のくだるとともにこの「る」のようなものは低く言われることが多くなってゆきます)
うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにうつろひにけり 古今・春下73。伏片73が「似たるか」に〈上平上〇〉を差しています。うとぅしぇみの よおにも にいたるかあ ふぁなンじゃくら しゃくと みいしい まあにい うとぅろふぃにけり HHHLL・HHLFLHF・LLLHL・HLLLHHH・LLHLHHL。なお、語源の如何にかかわらず(詳細略)、鎌倉時代には(おそらく平安時代にも)「うつせみ」は「空蝉」(せみのぬけがら)であるという了解があったようで、じっさい毘73が「うつせみ」に〈上上上平〉を差しています(うとぅしぇみ HHHL)。この「うつ」〈上上〉は図名などの「うつほ」〈上上上〉(うとぅふぉ HHH)と同じであり、「蝉」は「しぇみ HL」ですから、複合名詞「空蝉」は確かに「うとぅしぇみ HHHL」と言われたと考えられます。
xv 存続の「り」 [目次に戻る]
最後に存続の「り」のことを。よく知られているとおり例えば「咲けり」は「咲きあり」の縮約形で、「咲けり」の「咲け」が何形(なにけい)かを問うことは、「食べちゃいます」の「ちゃい」は何形(なにけい)かを問うようなもので、あまり意味はありません。存続の「り」を便宜的に「サ未四已」に付く助動詞としておいても実害はありませんけれど、その場合でも「完了の助動詞」という言い方は不適切で、「存続」といった言葉が選ばれなくてはなりません。
せり〈上平〉(図名。しぇえりい HL。サ変の未然形「せ」は高さを保つのでした)
家居(いへゐ)しせれば〈平平平上上平平〉(家・毘・寂16が「せれ」に〈上平〉を、訓16が「せれば」に〈上平平〉を差しています。いふぇうぃしい しぇえれンば LLLFHLL)
まされり〈上上平上〉(図名。ましゃれりい HHLH。低起動詞の末拍と同じく上声点が差されています)
臥(こ)やせる〈平上平上〉〈平平上平〉(岩紀104は前者、『顕府』〔53〕注〔補1〕は後者を与えるのでした。こやしぇる LHLH。こやしぇる LLHL)
立てる夫らが〈平上平上平上〉(岩紀108。たてるしぇらンが)
懸かれり〈平平上平〉(図名。かかれり LLHL)
認(なや)めり〈平平上平〉(図名。なやめり LLHL)
立てり〈平上平〉(図名。たてり LHL。図名の「立てり」への二つの注記を〈平上東〉と見などする向きも多いのですが、酒井さんの図名ではいずれも〈平上平〉に見えます。「あり」由来の拍を末尾に持つ「けり」「めり」、伝聞推定の「なり」の末拍は低いのでしたし、断定の「なり」の末拍は初拍が高い場合低く平らに言われるのでした。「立てり」〈平上東〉のような言い方は原理的にありえないとは思いませんけれど、通例そう言われたとは考え得ません)
とどまれらば〈(上上上)平上平〉(伏片(68)。とンどまれらンば HHHLHL。「とどまりたらば」〔とンどまりたらンば HHHLLHL〕)と同義です。
雪のうちに春は来にけりうぐひすのこほれる涙いまやとくらむ 古今・春上4。家が「こほれる」に〈上上平上〉を差しています。ゆうきのうてぃに ふぁるうふぁ きいにけり うンぐふぃしゅの こふぉれる なみだ いまやあ とくらム RLLHLH・LFHRHHL・LLHLL・HHLHLLH・LHFLHLH
袖ひちてむすびし水のこほれるを春たつけふの風やとくらむ 古今・春上2。再掲。しょンで ふぃてぃて むしゅンびし
みンどぅの こふぉれるうぉ ふぁるう たとぅ けふの かンじぇやあ とくらム。HHLHH・HHHHHHH・HHLHH・LFLHLHL・HHFLHLH
秋の夜(よ)の長きをかこてれば 古今・仮名序。「かこてれば」に毘(65)が〈上上平上平〉を、伏片が〈○○平上平〉を差しています。あきいの よおのお なンがきいうぉ かこてれンば LFLLL・LLFH・HHLHL
いで、ただおのれにあづけたまへれ。栄花・見果てぬ夢(みいい ふぁてぬ ゆめ ℓfLLHLL)。いンで、たンだあ おのれに あンどぅけえ たまふぇれ HL、LF・HHHH・LLFLLHL。いやもう是非とも私に任せておいてください。
古典的には「咲けらず」(しゃけらンじゅ HLHL)、「咲けらぬ」(しゃけらぬ HLLL)、「咲けりき」(しゃけりきい HLHF)、「咲けりし」(しゃけりし HLLH)、「咲けるらむ」(しゃけるらムう HLHLF)、「咲けるべし」(しゃけるンべしい HLLLF)のようだったろうことは「咲け」を「咲きあ」に戻してみれば明らかでしょうし、「成れらず」(なれらンじゅう LHLF、なれらンじゅ LHLL)、「成れらぬ」(なれらぬ LHLH)、「成れりき」(なれりきい LHLF)、「成れりし」(なれりし LHLH)、「成れるらむ」(なれるらムう LHLLF)、「成れるべし」(なれるンべしい LHLLF)のようだったことは「成れり」(なれり LHL)の三拍目は常に低いことから明らかでしょう。かくて、存続の「り」の未然形と連体形とは高いか低く、連用形、終止形、已然形、命令形は柔らかい拍であり、低い拍の次では古典的には卓立し、高い拍には低く付きます。
助動詞のことはこれで終わりですけれども、つけたりで「ごとし」のことを手みじかに。学校文法はこれを助動詞としますけれど、「の」「が」のような助詞を先だてたりするものを、動詞に添うのを本性(ほんじょう)とする助動詞とするのは奇妙です。同義の「やうなり」も明らかに名詞と断定の「なり」とに分けて悪い理由はなく、これを積極的に一語の助動詞とすることに意味はありません。さて「ごとし」は古典的には「ごとしい HLF」でしょう。語形上は形容詞にほかならず、形容詞の語幹と同一視してよい「ごと」には伏片そのほかの古今集声点本が〈上平〉を差していて、また改名が終止形「ごとし」および連体形「ごとき」に〈上平平〉を差しているのは、それらが古典的には〈上平東〉を差さるべきもの(ごとしい、ごときい HLF)であることを意味すると見られます。すると連用形「ごとく」は「ごとく HLL」でしょう。
語形の上では形容詞ですけれども、アクセントの上では「ごとし」はそうは申せません。
二月一日 あしたのま、あめふる。むまのときばかりにやみぬれば、いづみのなだといふところよりいでてこぎゆく。うみのうへ、きのふのごとくに、かぜ、なみ、みえず。きしゃらンぎ とぅいたてぃ あしたの まあ、あめえ ふるう。ムまの ときンばかりに やみぬれンば、いンどぅみの なンだと いふ ところより いンでて こンぎい ゆく。うみの うふぇ、きのふのンごとくに、かンじぇ、なみ、みいぇじゅ LLHLLLLL LLLLH、LFLF。LLLLLLHLH・HLLHL、LLLLLHL・ HHHHHLL・LHH・LFHL。LHLHL、HHLLHLLH、HH、LL、LHL。「ごと」や「ごとく」とは異なり「ごとくに」は固い言い方で、一般に女性は使わなかったようです。しかし『土左』の
書き手がここでそういう言い方を使っているのは貫之のケアレス・ミスなどではないと思います。貫之は『土左』の書き手に彼女があまり使い慣れない固い言い方をさせたのではないでしょうか。
実際、というべきか、この「きのふのように風や波が見えない」を意味する言い方では、「きのうと同じく」ということなのか「きのうと異なり」ということなのか分かりません。
つまりこれは不文です。前日の記事の一節「けふ、うみになみににたるものなし」(けふ、うみに なみに にいたる もの なしい LH、LHH・LLHFLHLL・LF)――これも変わった言い方です――から前者と知られますけれど、ということはここは「海の上、けふも(けふも LHL)風、波、見えず」といった言い方で十分なはずです。 [「助動詞の…」冒頭に戻る]
12 助詞のアクセント [目次に戻る]
a 柔らかくない一拍の助詞 [目次に戻る]
助詞全体を概観します。平安時代の京ことばにおいては助詞は基本的には本来的に高いか、本来的に低いか、柔らかいようです。本来的な上昇拍や下降拍を持つ助詞はないようです。
i に・を・が・は・て [目次に戻る]
これらの助詞は本来的に高いのでした。時代が下ると、先行する拍の低下力に負けることが多くなり、また中には時たまながら高い拍の次で低まるものもあるようになりますけれど、元来はこれらは下降拍の次でさえ高さを保つのでした。以下に、確認を兼ねて岩紀の一部をまとめて引きます。再掲のものもあります。
やすみしし我が大君(おほきみ)の 隠(かく)ります 天(あま)の八十陰(やそかげ) 出で立たす 御空(みそら)を見れば よろづ世に かくしもがも 千代にも かくしもがも かしこみて 仕へまつらむ をろがみて 仕へまつらむ うたづきまつる〈平平平上上・平上平平上上上(原文平声点)・平上平平上・平平平上上上上・平上平平上・上上上上平上平・平平平東上・上平平上(原文東点)平東・平東上平・上平平上(原文東点)平東・平平上平上(図紀102の言い方。岩紀は〈上平上平上〉)・上上平上上上上・平平上平上・上上平上上上上・上上上平上上平〉(岩紀102。やしゅみしし わあンがあ おふぉきみの かくり ましゅ あまの やしょかンげ いンでえ たたしゅ みしょらうぉ みれンば よろンどぅよおに かくしもンがもお てぃよおにもお かくしもンがもお かしこみて つかふぇ まとぅらム うぉろンがみて とぅかふぇ まとぅらム うたンどぅき まとぅる LLLHH・LHLLHHH・LHLLH・LLLHHHH・ LFLLH・HHHHLHL・LLLFH・HLLHLF・LFHL・HLLHLF・LLHLH・HHLHHHH・LLHLH・HHLHHHH・HHHLHHL)
真蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば日向(ひむか)の駒 太刀ならば呉(くれ)の真刀(まさひ) 諾(うべ)しかも 蘇我の子らを 大君(おほきみ)の使はすらしき〈上上上東・平上平上上上・平平上平平・東平平平上上・平平上平平・上上上平平東・上上平上東・平上平上上上・平平上上上・上上上平上(原文は平声点)平東〉(岩紀103。ましょンがよお しょンがの こおらふぁ ムまならンば ふぃいむかの こま たてぃならンば くれの ましゃふぃい ムべしかもお しょンがの こおらうぉ おふぉきみの とぅかふぁしゅらしきい HHHF・LHLHHH・LLHLL・FLLLHH・LLHLL・HHHLLF・HHLHF・LHLHHH・LLHHH・HHHLHLF)
岩の上(へ)に子猿(こさる)米(こめ)焼く米だにも食(た)げて通(とほ)らせ山羊(かましし)の老翁(をぢ) 〈上平平平上・上上上平平上平・平平上平東・平上上平平平東・平平平平平上上〉(岩紀107〔二とおりの注記のあるのを統合しました〕。再掲。いふぁの ふぇえにい こしゃる こめ やく こめンだにもお たンげて とふぉらしぇえ かまししの うぉンでぃ HLLLH・HHHLLHL・LLHLF・LHHLLLF・LLLLLHH)
向(むか)つ峰(を)に立てる夫(せ)らが柔手(にこで)こそ 我が手をとらめ 誰(た)が裂手(さきで) さきでそもや 我が手 とらすもや〈上上上平上・平上平上平上・上上平上平・平上平上平平東・上上平平平・平平平上平東・平上平平平上平東〉(岩紀108。再掲。むかとぅ うぉおにい たてる しぇらンが にこンでこしょ わあンがあ てえうぉお とらめえ たあンがあ しゃきンで しゃきンでしょもやあ わあンがあ てえ とらしゅもやあ HHHLH・LHLHLH・HHLHL・LHLHLLF・HHLLL・LLLHLF・LHL・LLHLF)
遠方(をちかた)の浅野の雉(きぎし)響(とよも)さず我は寝しかど人そ響(とよも)す〈上上上上上・平平上平上上上・平平平上平・平上上上上平平・上平東平平平上〉(岩紀110。二つあるうちの二つ目。再掲。うぉてぃかたの あしゃのの きンぎし とよもしゃンじゅ われふぁ ねえしかンど ふぃとしょお とよもしゅ HHHHH・LLHLHHH・LLLHL・LHHHHLL・HLFLLLH)
ⅱ ば・ど・で [目次に戻る]
次に、接続助詞に分類される「ば」「ど」及び打消の「で」は常に低さを保ちます。
未然形や已然形に付く「ば」、已然形に付く「ど」については、すでに多くの用例を見ていて、特に付け加うべきことはありません。岩紀102の「みそらをみれば」〈上上上上平上平〉(みしょらうぉ みれンば HHHHLHL)や同103の「馬ならば」〈平平上平平〉(ムまならンば LLHLL)、「太刀ならば」〈平平上平平〉(たてぃならンば LLHLL)、図名の「見れば」〈平上平〉(みれンば LHL)、岩紀110の「我は寝しかど」〈平上上上上平平〉(われふぁ ねえしかンど LHHHHLL)などなどからそう知られます。
春かすみたなびく山の桜ばな(ソノヨウニ)見れども(イクラ見テモ)飽かぬ君にもあるかな 古今・恋四。ふぁるうかしゅみ たなンびく やまの しゃくらンばな みれンどもお あかぬ きみにも あるかなあ LFLLL・HHHHLLL・HHHHH・LHLFLLH・HHHLLHLF
次に「で」。「何々せずに」を意味する接続助詞の「で」が打消の「ず」と同じく未然形(一般)を先だてることは、次のような注記の示すとおりです。
君に逢はで久しくなりぬ玉の緒(を)の長き命の惜(を)しけくもなし〈上上上平上平・平平上平平上上・平平平上平・平平上平平上平・平平上平上平上〉(顕天平568注〔万葉3096〕。現行の万葉のテクストは初句を「君に逢はず」とします。きみに あふぁンで ふぃしゃしく なりぬう たまのうぉの なンがきい いのてぃの うぉしけくもお なしい HHHLHL・LLHLLHF・LLLHL・LLFLLHL・LLHLFLF
みるめなき我が身を浦と知らねばや離(か)れなで海士(あま)の足たゆく来る 古今・恋三・小野小町623・再掲。毘・訓が「離れなで」に〈上平上平〉を差しています。みるめ なきい わあンがあ みいうぉお うらと しらねンばやあ かれなンで あまの あし たゆく くる LHLLF・LHHHLLL・HHHLF・HLHLLLL・LLLHLLH。
ⅲ 二種(ふたくさ)の「と」 [目次に戻る]
続いて「と」のことを考えます。この助詞は意味によって、本来的に高い時と、常に低い時とがあります。
まず、平安時代には普通「AとB」とは言わず、「AとBと」「A、Bと」「A、B」という言い方をしましたけれども、このはじめの二つにあらわれる三つの「と」――「並列の『と』」と呼べます――、それから「…とともに」という意味で使われる「と」――「『ともに』(ともに HHH)の『と』」と呼べます――は、本来的に高かったようです。
吹く風と谷の水としなかりせば深山がくれの花を見ましや 古今・春下118。「水とし」に伏片が〈上上上平〉を、毘・寂が〈○○上平〉を差しています。ふく かンじぇと たにの みンどぅとし なあかりしぇンば みやまンがくれの ふぁなうぉ みいましいやあ LHHHH・LLLHHHL・RLLHL・HHHHHLL・LLHLHFF
みづくきの岡(をか)の屋形に妹(いも)と我(あれ)と寝ての朝明(あさけ)の霜の降(ふ)りはも 古今・大歌所御歌1072。梅・顕天片・顕大・訓が「妹と」に〈平上上〉を、伏片・梅・顕天片・顕大・訓が「我と」に〈平上上〉を差しています。みンどぅくきの うぉかの やかたに いもと あれと ねえての あしゃけの しもの ふりふぁも HHHLL・HHHLLHH・LHHLHH・FHLLLHL・LLLLLHL。岡(地名とも)の粗末な家――「やかた」は元来こうした意味でした――に妻と私とが寝た、その明け方の霜の置きようといったら。
女と住みたまはむとて 古今・仮名序。伏片・家が「女と」に〈上上平上〉を差しています。うぉムなと しゅみい たまふぁむうとて HHLH・LFLLLFLH。こうした「と」は先だつ拍の低下力に負けうるのでしょうけれども、元来はこのように高さを保ちます。
世とともに流れてぞゆく涙川冬もこほらぬ水泡(みなわ)なりけり 古今573。毘・高貞が「世とともに」に〈上上上上上〉を差しています。よおとお ともに なンがれてンじょ ゆく なみンだンがふぁ ふゆもお こふぉらぬ みなわなりけり HHHHH・LLHHLHH・LLHHL・HLFHHHH・HHHLHHL。いつまでも流れてゆく。何が? 涙の川が。それは冬も凍らない水の泡だったのだ。そう見ない識者もいますけれど、いつぞや「知る人ぞ知る」に関して申したとおり、「ぞ」と言って「行く」と結んであるのですから、ここで文が終わると見られます。
他方、何々と言う、何々と思う、などいう時の「と」、「引用の『と』」と呼べるものは、すでに多くの例を見てきたとおり、常に低く言われたようです。
「何々になる」と同じ意味の「何々となる」の「と」も、低く言われたようです。「年を経て住みこし里をいでていなばいとど深草野とやなりなむ」(古今・雑下971、伊勢物語104。としうぉ ふぇえて しゅみい こおしい しゃとうぉ いンでて いなンば いとンど ふかくしゃ〔推定〕のおとやあ なりなム LLHRH・LFLHHHH・LHHHHL・HHHLLHL・LLFLHHH)の末句に毘・高貞が〈平平上平上上上〉(のおとおやあ なりなム LLFLHHH)を差していました。次はこれに対する返歌。
野とならばうづらとなりて年は経むかりにだにやは君は来ざらむ 古今・雑下972。毘・高貞が「野と」に〈平平〉を差しています。のおとお ならンば うンどぅらと なりて としふぁ ふぇえムう かりにンだにやふぁ きみふぁ こおンじゃらム LLLHL・LLLLLHH・LLHRF・HHHHLHH・HHHRLLH。伊勢物語123では第三句「なきをらむ」(なき うぉらムう HLHLF)。ここが野原になったら私は鶉となって暮らしましょう〔ないていましょう〕、そうすればあなたは狩に/「仮に」(ふらっと)いらっしゃるのじゃないでしょうか。「かりに」には寂が〈上上(上)〉を差していて、これは「仮に」の方のアクセントです。「狩に」ならばLHH。
こうなればほとんど自明ですけれど、「見立ての『と』」と呼べる「と」、今でも「しずくが花と散る」などいう時の「と」も、常に低いようです。
人恋ふることを重荷とになひもてあふごなきこそわびしかりけれ 古今・誹諧1058。ふぃと こふる ことうぉ おもにと になふぃい もて あふンご なきいこしょ わンびしかりけれ HLLLH・LLHHHHL・LLFLH・LHLLFHL・HHHLHHL。「あふご」は「朸(あふこ・あふご)」(あふこ・あふンご LLL。天秤棒)と「逢ふ期(ご)」(あふ ごお LHL)とを兼ねていて、歌は、重荷を運ぶのに「あふご」がないのはつらいということと、恋しく思う人と逢えないのはつらいということとを重ねて言っています。「重荷と」を「おもにと HHHL」としたのは訓が〈上上上平〉を差すからで、伏片は〈平上上平〉を差しますけれど、これもありうる言い方でしょう。「重し」は「おもしい HHF」ですが(「荷」は「にい L」)、形容詞の語幹を先立てる複合名詞では式は保存されないこともあるからで、例えば「浅し」は「あしゃしい HHF」であり「浅瀬」は「あしゃしぇ HHH」ですけれど(「瀬」は「「しぇえ H」)、「浅茅(あさぢ)」は「あしゃンでぃ LLH」、「浅茅生(あさぢふ)」は「あしゃンでぃふ LLHL」とも言えたようです。「浅し」が高起式なのだから「浅茅」「浅茅生」を高起式で言っていけない理由はないと思われ、実際「浅緑」には伏片・家(45)、家27が〈平平平上平〉(あしゃみンどり LLLHL)を差す一方、梅(45)、毘27が〈上上上上平〉(あしゃみンどり HHHHL)を差しますけれども、「浅茅」「浅茅生」は低起式でも言いえたようなのです。こうして「重荷」は「おもに LHH」とも言ったのかもしれません。
いつぞや『枕』に「(公任卿タチガ)いかに見たまふらむとわびし。」(いかに みいい たまふらムと わンびしい HLH・ℓfLLHLHL・HHF)とあるのを引きましたけれども、前田家本ではここは「いかが見たまふらむと思ふにわびし。」(いかンがあ みいい たまふらムと おもふに わンびしい HRF・ℓfLLHLHL・LLHHHHF)となっています。現代語に直訳して分かりやすいのはこういう言い方や「いかに見たまふらむとわびしく思ふ。」のような言い方で、現代語では「どうご覧になっているだろうとつらい」といった言い方は少し言葉たらずということになるでしょうけれども、平安時代の京ことばではこうした言い方は珍しくありません。
さしすぐいたりと心おかれて 源氏・帚木 しゃしい しゅンぐいたりいと こころ おかれて LFLLHLFL・LLHHHLH
のような言い方も、み吉野の山辺に咲ける桜ばな雪かとのみぞあやまたれける 古今・春上60・友則。みよしのの やまンべえに しゃける しゃくらンばな ゆうきかあとのみンじょお あやまたれける HHHHH・LLFHHLH・HHHHH・RLFLHLF・LLLLHHL
のような言い方も平安時代の京ことばとしてごく普通のものですが、「(この女は)出しゃばりだと(私の側に)自然隔意が生じて」も、「ただただ雪かと間違えてしまった」も、現代語としては一般的なものではありません。
君待つと庭のみ(ないし、庭にし)をればうちなびく我が黒髪に霜ぞ置きにける 万葉3044。きみ まとぅうと にふぁのみい(ないし、にふぁにし) うぉれンば うてぃい なンびく わあンがあ くろかみに しもじょお おきにける HHLFL・HHLF(ないし、HHHL)HLL・LFLLH・LHLLLLH・LLFHLHL
君待つと寝屋へも入らぬ真木の戸にいたくな更(ふ)けそ山の端の月 新古今・恋三・式子内親王 きみ まとぅうと ねやふぇもお いらぬ まきの とに いたく な ふけしょ やまの ふぁあの とぅき HHLFL・HHLFHHH・HHHHH・LHLHLHL・LLLFLLL
これらの歌における「君待つと」は「あなたを待とうとして」といった意味の言い方であり、
さみだれはいこそ寝られねほととぎす夜ふかく鳴かむ声を待つとて 拾遺・夏118。しゃンみだれふぁ いいこしょ ねられねえ ふぉととンぎしゅ よお ふかく なかム こうぇえうぉまとぅうとて HHHHH・LHLHHHF・LLLHL・LLHLHHH・LFHLFLH
のような例を引くまでもなく、「君を待つとて」(きみうぉ まとぅうとて HHH・LFLH)と言いかえうる言い方です。ちなみに平安時代の京ことばでは現代語よりずっと頻繁に「とて」が使われたと申せて、長くなりますが、その意味範囲は「と言って」「と思って」では覆いきれず、「ということで」「という理由で」「として」「からといって」「時に・際に」「という名で」くらいの訳語を用意しないと具合が悪いようです。
桜ばな散らば散らなむ散らずとて古里びとの来てもみなくに 古今・春下74。しゃくらンばな てぃらンば てぃらなムう てぃらンじゅとて ふるしゃとンびとの きいても みいなくに HHHHH・HHLHHLF・HHLLH・LLHHHLL・RHLLHHH。桜の花なんて、どうせ散るものなら散ってしまえばいいのです。散らないからといって、古くからのなじみの人が見に来るなどいうこともないのですから。惟喬親王が僧正遍昭に詠んで贈った歌という詞書によれば、この歌は僧正に、すねたような言い方によって、遠回しに、今日お越しくださいと言っているので、桜の花に向かって注文しているのではありません。「古里びと」のアクセントはいつぞや見た「ゆみづるぶくろ」(ゆみンどぅるンぶくろ LLHHHHL)などに倣っての推定です。「とて」が「だからといって」に相当することは、イディオム「さりとて」(しゃりいとて LFLH。そうであるからといって。だからといって)などからも知られます。
秋はゆふぐれ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの、ねどころへゆくとて、三つ四つふたつなど飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるがいとちひさくみゆるはいとをかし。日いりはてて、風のおと、虫の音など、はたいふべきにあらず。枕・初段。あきいふぁ ゆふンぐれ 。ゆふふぃの しゃして やまの ふぁあ いと てぃかく なりたるに、からしゅの、ねンどころふぇえ ゆくとて みとぅ よとぅ ふたとぅ なンど とンび いしょンぐしゃふぇ あふぁれえなり。まいて かり なンどの つらねたるンが いと てぃふぃしゃく みゆるふぁ いと うぉかしい。ふぃい いり ふぁ てて、かンじぇの おと むしの ねえ なンど、ふぁあた いふンべきいに あらンじゅ。LFH・HHHH。HHLL・LHH・LLLF・HLLHLLHLHH、LHHH、HHHLFHLLH、HLHLHHLRL・HLLLHHH・LLFHL。HLH・LHRLL・HHLLHH・HLLLHLLLHH・HLLLF。FHLLHH、HHHHL・HHHFRL、RH・HHHFHLHL。「夕日」(ゆふふぃ HHL)の末拍のアクセントは、「入江」(いりいぇ HHL)、「初音」(ふぁとぅね HHL)などに倣った推定です(「江」「音(ね)」は「日」と同じく下降拍。例えば『土左』の冒頭「をとこもすなるにきといふものををむなもしてみむとてするなり」(うぉとこもお しゅうなる にっきと いふ ものうぉ うぉムなもお しいて みいムうとて しゅるなりい LLLFFHL・LLLLHHLLH・HHLF・FHLFLH・HHLF。仮名遣いを正した言い方)では「とて」は 助動詞「む」を先立ていましたけれども、「ねどころへ行くとて」のような動詞を先立てる例もたくさんあります。次も。
八月つごもり、太秦にまうづとてみれば、穂にいでたる田を人いとおほく見さわぐは(見テ騒イデイルガソレハ)、稲かるなりけり。 枕・八月つごもり213。ふぁとぅき とぅンごもり、うンどぅましゃに まうンどぅとて みれンば、ふぉおにい いンでたる たあうぉお ふぃンと いと おふぉく みいい しゃわンぐふぁ、いね かるなりけり。HHHLLLL、HHHHH・LHLLH・LHL、LHLHLHLH・HLHLLHL・ℓfLLHH、LHHHLHHL。
「とて」にこうした用法があるとなれば、次の二首の初句にあらわれる「と」も「とて」に言い換えうると考えられます。もの思ふと過ぐる月日もしらぬまに今年もけふに果てぬとか聞く 後撰506・敦忠。もの おもふうと しゅンぐる とぅき ふぃいもお しらぬ まあにい ことしも けふに ふぁてぬうとかあ きく LLLLFL・LLHLLFF・HHHHH・HHHLLHH・LHFLFHH。
もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世もけふや尽きぬる 源氏・幻。もの おもふうと しゅンぐる とぅき ふぃいもお しらぬ まあにい としもお わあンがあ よおもお けふやあ とぅきぬる LLLLFL・LLHLLFF・HHHHH・LLFLHHL・LHFHLLH。『源氏』で光る源氏の詠む最後の歌。
これらの「もの思ふと」は、「もの思いをして」「もの思いをしながら」「物思いに」など訳されることが多いようですけれど、ニュアンスは少しずれると思います。古風な現代日本語ということになるでしょうが、「ものを思うとて」としておけばよいのではないでしょうか。『枕』の、「賀茂へ参る道に」の段(212)に、「賀茂へ参る道に、田植うとて、女の、新しき折敷(をしき)のやうなるものを笠に着ていと多う立ちて歌を歌ふ」(かもおふぇえ まうぃる みてぃに、たあ ううとて、うぉムなの あたらしきい うぉしきの やうなる ものうぉ かしゃに きいて いと おふぉう たてぃて うたうぉ うたふ LFF・LHHHHH、LHLLH、HHLL、LLLLF・LHHH・LLHLLLH・LHHFH・HLLHLLHH・HLHHHL。「折敷(をしき)」は名詞「折り敷き」〔うぉりしき LHHH。「折る」は「うぉるうLF」、「敷く」は「しく HL」〕のつづまったものですから「うぉしき LHH」と言われたでしょう)云々とあるのを、石田穣二さんが「賀茂へおまいりする途中で、田を植えるとて、女たちが新しい折敷のようなものを笠にかぶって、たくさん立って歌を歌っている」と訳していらっしゃいます。
長くなりました。「たとい何々であっても」を意味するところの、接続助詞とされることの多い「とも」の「と」も、要するにいま考えている「と」で、これも常に低いようです。
けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや 古今・春上63。伏片が「ありとも」に〈平上平○〉を差しています。けふ こおンじゅふぁ あしゅふぁ ゆうきとンじょお ふりなましい きいぇンじゅふぁ ありともお ふぁなと みいましいやあ LHRLH・LLHRLLF・LHHHF・HHLHLHLF・LLLLHFF。見立ての「と」も、引用の「と」も登場します。「あったとしても」を意味する「ありとも」は、「『あり』とも言はず」(「ありい」ともお いふぁンじゅ 「LF」LFHHL)などいう時の「ありとも」とは異なるわけで、そこでは「あり」の末拍は純粋に文節中にあるゆえ高さを保って言われたと見ておきます。
結局のところ、列挙の「と」及び「ともに」の「と」だけが高く、それ以外の「と」は低いと思われますが、では、次の歌の初句にあらわれる二つの「と」は、いずれの「と」でしょう。
暮ると明くと目離(か)れぬものを梅の花いつの人間(ひとま)に(人ノ見ナイ間ニ)うつろひぬらむ 古今・春上45
初句「暮ると明くと」が現代語の「明けても暮れても」に近い意味のイディオマティックな言い方であることは文脈から推して明らかです。伏片が初句に〈上平上上平上〉を、家・訓が〈上平上上平○〉を差していて、これらは二つの「と」を並列のそれとしていると見られますけれど、しかし並列の「と」は名詞かそれに準ずるものしか先立てられないはずで、いつぞや申した「『忘れじ』の行く末」といった言い方に似たものでもないようですし、終止形は先立てられないと思われます。寂の〈上平平上平平〉、京秘の〈上平平上平(平)〉に拠るべきでしょう。くると あくと めえ かれぬ ものうぉ ムめの ふぁな いとぅの ふぃとまに うとぅろふぃぬらム HLLHLL・LHHHLLH・HHHLL・LHLHHHH・LLHLHLH。「目離(か)る」は「目」(めえ L)と高起下二段の「離(か)る」(かる HL)とに分けましたが、伏片が「めがれぬ」〈平平平上〉としていて、平安末ごろには「めがる」という一語の低起三拍動詞があったようです。
「と」のことを申したついでに、ここで「など」のことを。現代語で「何々などと言う」など言う時の二拍語「など」は、諸家の見るところ、「何(なに)と」(なにと LHL)の転じた「なんど」の更に転じた言い方です。従って「何々などと言う」など言う時の「などと」は本来は冗語であり、実際平安時代には「何々などと言ふ」などは言わず、たんに「何々など言ふ」と言いました(小論は御覧とおりこの言い方を使ってきたのでした)。この「など」は多く助詞とされますけれども、「何か」は一文節をなすのですから、それ同じく一文節をなすところの連語としてもよいわけです(小論はそうしてきたのでした)。『研究』研究篇下の示唆するとおり、古くはこの「など」は「何と」LHLのアクセントを受け継いで「なんど」LHLと言われたでしょう。古今397詞書の「大御酒(おほみき)などたうべて」に伏片が〈平平上上上平(平平上上)〉を差していますけれども、この「など」のアクセントは〈去平〉とも書けるでしょう。おふぉみき なンど たうンべて LLHHRL・LLHH。
ⅳ の [目次に戻る]
おほきみの〈平平上上上〉(岩紀103。おふぉきみの LLHHH)
身の〈上上〉(顕天片1003。みいのお HH)
あまのやそかげ〈平平平上上上上〉(岩紀102。あまの やしょかンげ LLLHHHH)
蘇我の子らは〈平上平上上上〉(岩紀103。しょンがの こおらふぁ LHLHHH
岩の上(へ)に〈上平平平上〉(岩紀107。いふぁの ふぇえにい HLLLH)
といった例の示すとおり、この助詞は、先立つ二拍が高い時、および、「身の」(みいのお HH)が示すとおり一拍の高平拍が引かれる時は高さを保ちますけれども、そうでない時には低さを保ちます。HHを先立てる時に本来的に高く、それ以外を先立てる時には常に低いという言い方をすることもできます。
君に逢はで久しくなりぬ玉の緒(を)の長き命の惜(を)しけくもなし〈上上上平上平・平平上平平上上・平平平上平・平平上平平上平・平平上平上平上〉(顕天平568注〔万葉3082〕。現行の万葉のテクストは初句を「君に逢はず」とします。きみに あふぁンで ふぃしゃしく なりぬう たまのうぉの なンがきい いのてぃの うぉしけくもお なしい HHHLHL・LLHLLHF・LLLHL・LLFLLHL・LLHLFLF。顕天平568注〔万葉2790。後に引きます〕が「玉の緒の」に〈平平平上平〉を差しています。「緒」は一拍語としては「うぉお H」ですが(図名)、「玉の緒」はすでに一語なのでそこでは「緒」は引かれず、それゆえ「玉の緒の」〈平平平上平〉において末拍が低いのだと考えられます。
このことに関連して、漢語に付く「の」について申さなくてはなりません。例えば、
ていじのゐん【亭子の院】〈平平上上(平平)〉(毘68詞書、89詞書。ていンじいのお うぃん LLHH・LL〔論点先取りのアクセントです。以下同じ〕)
にうのかゆ【乳酪】〈平上上上上〉(改名。にううのお かゆ LHH・HH)
ぢのやまひ【痔病】〈去上平上平〉(改名。でぃいいのお やまふぃ LHH・LHL)
のような注記において「の」の高いのは、しばしばそう説かれる通り、「ていじ」の「じ」〈上〉、「にう」の「う」〈上〉、「ぢい」〈去=平上〉の「い」〈上〉が二拍に引かれるからでしょう。すでに何度か申したとおり、古くは一般に一拍の漢字は二拍に、二拍の漢字は四拍に引かれたと見られます。例えば『古今』の真名序の「風(ふう)」に伏片が〈東〉を差していますけれども、これが「ふう HL」と発音されたのは当然として、やはり伏片が「賦(ふ)」に差す〈上〉は「ふう HH」を示すと見るべきでしょう。もっとも、同じところに毘は〈去〉を差しています。「賦」の中古音は上昇調のようなので、ここは毘がよいのかも知れません。
次に、先ほど見た「暮ると明くと」の歌の「いつの人間(ひとま)に」の「いつの」に伏片45が〈平上上〉を差しています。同趣の注記はほかにもあるのですけれども、「の」の一般的な付き方に反したこうしたアクセントは、『研究』研究篇下(p.63)の見るとおり、鎌倉時代になって時にとられるようになったのだと見られます。前(さき)に「きのふこそ早苗とりしか」の歌の「いつのまに」を「いとぅの まあにい LHLHH」とし、「心をばとどめてこそは」の歌の「何の(何ガ)暮を待つらむ」を「なにの くれを まとぅらム LHL・HHHLHLH」としたのは、こう考えてのことでした。
「の」に関しては、まだ申したいことがあります。
いつぞや「天の川」を「あまのかふぁ LLLHL」としましたけれども、これは図名が「銀河」を「阿麻乃賀波」と訓み〈平平平上平〉(四拍目単点)を与えるのによりました。「賀」は清音の「か」を示すのにもさかんに使われました(呉音「が」、漢音「か」。そういえば「甲賀」は〔旧かなでは〕「かふか」、「雑賀」は「さいか」)。「あま」やその転じた「あめ」はLLで言われ(「雨」はLF)、「川」は「かふぁ HL」ですから、ここでは律義言いがなされていて、「あまのかは」〈平平平上平〉は三つの言葉からなる連語です。現代語では「あまのがわ」は、東京では「あまのがわ」(③)と言われ、京都では「あまのがわ」「あまのがわ」両様で言われるところの、アクセントからも連濁していることからも一語であることの明らかなものとしてあります。それにしてもこの連濁は思えば奇妙です。
ちなみに、『26』には「あまのいはと」(①とあります)、「あまのはごろも」(これも①)、「あまのはら」(これは何と⓪)など、「あまの」何々が二十くらい並んでいますけれど、「あまのがは」も「あまのかは」も立項されていません。ただ、「あま(天)」の項に「あめ(天)ノ転訛」とあり、例文として「あまノ川」とあります。美妙斎は「天の川」を一語と見ていないのかもしれません。もしかしたら明治時代の東京では「あまのかわ(が)」と発音されたのかもしれません。
ここで、一気言いと律義言いとの関係を考えてみます。「あまのがわ」は一語言い、「あまのかわ」は律儀言いです。現在「天の川」を律義に「あまのかわ」と言う人はまずいないでしょうけれども、「『あまのがわ』とは『あまのかわ』のことだ」は何ら奇異な言い方でないわけで、「天の川」を律義言いすることは、聞き慣れない言い方をすることだとしても、誤ったアクセントで言うことではありません。
「縁(えん)の下(した)」についても同じ。現在では東京では「えんのした(に)」と言われ、京都では「えんのした(に)」と言われるようですけれども、東京ならば「えんのした(に)」と言うこと、京都ならば「えんのした(に)」と言うことは、間違った言い方をすることではありません。ちなみに『43』にも『58』にも①③とありますから、東京では戦争を挟んで「えんのした(に)」とも言われる時期があったのでしょう(『26』はこの五拍の言い方を立項しません。当時は「えんのした(に)」と発音したのかもしれません)。ちなみにこの「縁側」という意味の「縁」(「椽」とも書く)は例えば枕草子に何度も登場する言葉で、平安時代には「いぇん
LL」と言われたようです(仏教用語としての「えに」と訓まれる「縁」は袖中抄によれば「いぇに HH」)。
ふつうは東京では③で言われる「髪の毛」なども、「『かみのけがのびる』とは『かみのけがのびる』ということだ」という言い方は奇妙なものではありませんから(「毛」は⓪)、「髪の毛」を律義言いすることは可能だと申せます。
もっとも、普通「おんなのこ(女の子)(が)」「おとこのこ(男の子)(が)」と言うところのものを「おんなのこ(が)」「おとこのこ(が)」と発音すると、たいてい、ある女性が産んだ子供、ある男性が誰かに産ませた子供、といった意味に解されてしまいます。しかし、これらについてすらも、「男の子」は「男性である子供」、「女の子」は「女性である子」にちがいなく、「『おんなのこがいる』とは『おんなのこがいる』ということだ」「『おとこのこがいる』とは『おとこのこがいる』ということだ」は間違った言い方ではありません。
要するに現代語では、「AのB」という言い方が普通一語として一気言いされる場合でも、それを律儀言いすることは可能なようです。律儀言いをするとまぎらわしい言い方になってしまうこともあるが、誤った言い方にはならないことが多いと思います。他方、「春の嵐」なり「今日の出来事」なりといった任意の「AのB」は、一般に一語としては言われないわけで(〝はるのあらし〟、〝きょーのできごと〟)、つまりふつう律儀言いされるもの一気言いすることはむつかしいでしょう。
現代では一気言いされる「天の川」は、平安時代の京ことばでは律義言いがなされました。「陸奥(みちのく)」は現代東京では一息にLHHHと言われ、現代京都もHHHHと言われるようですけれども、顕天片・顕大1088は「道の奥」(みてぃの おく HHHLH)をそのままつづめた〈上上平上〉(みてぃのく HHLH)を差します。「世の中」は近世の資料にはHHLLとあるようで(総合索引)、「世」は「よお H」、「中」は「なか LH」ですから、このHHLLはLLLHからの変化ではありえません。平安時代の京ことばでは「世の中」は「よおのお なか HHLH」と言われ、それが後にHHLLになったのだと思います。現代語よりも平安時代の京ことばの方が律義言いを好み、平安時代の京ことばよりも現代語の方が一気言いを好むでしょう。その現代語でも一気言いされる言い方を律義言いで言いうるのであってみれば、まして平安時代の京ことばとしては、律儀言いをしておけば問題は、ない、とは申さないまでも、少なくとも少ないと思われます。例えば、「紫の上」などは、現代では「むらさきのうえ」など言う向きもありますけれども――現代語としても「むらさきのうえ」でよいと思うのですが現代の源氏読みは
一気言いを好むようです――、平安時代には「むらしゃきの うふぇ LHHLLHL」という律儀な言い方がなされたと思われます。
v つ [目次に戻る]
最後に「つ」について。これは特異な助詞とも、助詞ではなく一つの造語成分だとも考え得ます。例えば「睫(まつげ)」の「つ」は「の」という意味で、「まつげ」はすなわち「目の毛」(古くは、「めえのお けええLLℓf」)です。「の」を意味する「つ」は助詞とされることが多いものの、特定の語にしか付かず、先立つ名詞とともに一つの連体修飾句を作る働きしかありません。この意味で「つ」は、例えば「みなと【港=水(み)な門(と)】」(みなと HHH)における「の」の変化した「な」や、「けだもの【獣=毛だ物】」〈上上上上〉(後述)や「くだもの【果物=木だもの】」(くンだもの LLLL。酒の肴になるナッツ類も言いました)におけるその「な」の変化した「だ」と同趣のもので、「まつげ」「みなと」「けだもの」「くだもの」はそれぞれ一つの名詞といえますから(「まつげ」には連濁が見られます)、これらにおける「つ」「な」「だ」は造語成分だと申し得ます。ただ、以下に見るとおり、元来「AつB」は全体で一語をなす言い方ではありませんでした。
下(しも)つ方(かた)〈上上上上平〉(改名。しもとぅ かた HHHHL)
上(かみ)つ枝(えだ)〈平平平上上〉(浄弁本拾遺。かみとぅ いぇンだ LLLHH)
「下(しも)」は単独では「しも HL」ですが(「霜」は「しも LL」)、「つ」を従えるに当たって全体が高平化し、「つ」はそれに高く付き、「方(かた)」はもともとのアクセントを保っています。連濁もしていません。また「上(かみ)」は単独では「かみ LH」ですけれども――「神」「髪」は「かみ LL」、「紙」は「かみ HL」、「上(かみ)なる(高イ所ニイル)紙の神の髪」は「かみなる かみの かみの かみ LHLHHLLLLLLL」です――、「つ」を従えるに当たって全体が低平化し、「つ」はそれに低く付き、「枝(えだ)」はもともとのアクセントを保っています。「AつB」は元来「Aつ」とBとの連続した言い方であり、「Aつ」はAの式に従って高平連続調、低平連続調をとり、Bはもともとのアクセントで言われます。「つ」を一つの助詞と見るならば、それは時に高く時に低く言われるという意味で「の」と同趣の、アクセント上特異な助詞ということになります。助詞かどうかは助詞の定義次第です。
この「AつB」という言い方は、しばしば一語として言われます。例えば、
あまつかみ【天神】〈平平平上平〉(顕府〔40〕。あまとぅかみ LLLHL)
はそのようなものです。「天(あま)」も「神」もLLでしたから、連濁していないとはいえこの「天つ神」は全体で一語のアクセントで言われていることになりますけれども――例えば「梓弓(あづさゆみ)」は「あンどぅしゃゆみ LLLHL」と言われました(伏片127が〈○平○上平〉を差しています。「弓」は「ゆみ LL」)――、しかし、顕府がこの注記を与えるということは、ほかの言い方はできないということではありません。実際次のような例を勘案すると、「天つ神」は律義に「あまとぅかみ LLLLL」とも言えたと考えられます。ただその場合でも、「天つ神」は任意の三語の連続ではない以上、一語としての性格を失っていはいないと思います。
やまつみ【山神・山祇】〈平平平平〉(改名。やまとぅみい LLLL)
わたつみ【海神・海祇】〈上上上平〉(顕府〔41〕。わたとぅみ HHHL)
「山」は「やま LL」、「海(わた)」は「わた HL」。「み」(みい L)は「神」とか「霊」ということなのだそうです。すると上の二つは原則通りのアクセントで言われていて、これらは、
やまつみ〈平平平上〉(鴨脚二23など〔『日本書紀神代巻諸本 声点付語彙索引』〕。「やまづみ」かもしれません。LLLHかLLLFかも不明です)
やまづみ〈平平上平〉(御巫私記〔総合索引〕。こちらは連濁しています)
わたつみ(わたづみ)〈上上平平〉(改名・巫私・延喜式神名帳吉田家本〔総合索引〕。清濁不明)
わたつみ(わたづみ)〈上上上上〉(延喜式神名帳吉田家本〔総合索引〕。清濁不明)
といった注記よりも古いものなのだと考えられます。
なお、「海」(うみ LH)という意味らしい「わたつうみ」(わたとぅうみ HHHLH)という言い方もあって(「づ」とするものもあれど伏片344は「つ」)、ここでは「海」のアクセントが保持されています。毘1001が「海」を意味するらしい「わだつみ」に〈上上平上〉(わンだとぅみ HHLH)を差しているのは、五拍の「わたつうみ」〈上上上平上〉のつづまった言い方なのかもしれません。
平安時代の京ことばとしては、総じて「AつB」は律儀言いで言いうると考えられます。これは、平安仮名文を当時のアクセントで読もうとする時に役立つ知識です。例えば『源氏物語大成』によれば(一部修正しました)、『源氏』にあらわれる「AつB」式の言い方の中には、すでに見た「下つ方」のほか、
片つ方〈平平平上平〉(改名。かたとぅかた LLLHL。連濁していません)
さいつころ〈上上上上平〉(改名の「さいつごろ」への注記。「前(さき)つ頃(ころ)」の音便形で、古くは「しゃいとぅころ HHHHL」だったでしょう。ちなみに平安びとは「さきごろ」という言い方はしなかったようです。また、現代東京では⓪の「さき」(先)と①の「さき」(前)とが区別されますけれども、往時の都ではどちらも「しゃき HH」です)
のように諸文献に注記のあるもののほかに、以下の十四があります。これらも律義に言ってよいのでしょう。
秋つ方(あきとぅかた LLLHL) 「秋」は「あきい LF」でした。
暮つ方(くれとぅかた HHHHL) 「暮」は「くれ HH」でした。
裾つ方(しゅしょとぅ かた HHHHL) 「裾」は「しゅしょ HH」です。
末つ方(しゅうぇとぅかた HHHHL) 「末」は「しゅうぇ HH」でした。
端つ方(ふぁしとぅかた HHHHL) 「端」は「ふぁし HH」です。
はじめつ方(ふぁンじめとぅかた HHHHHL) 「はじめ」は「ふぁンじめ HHH」でした。
一つ方(ふぃととぅかた LLLHL) 「ひとつ」は「ふぃととぅ LHL」でした。
昼つ方(ふぃるとぅかた HHHHL) 「昼」は「ふぃる HL」でした。
夕つ方(ゆふとぅかた HHHHL) 「夕」は「ゆふ HH」でした。
天つ袖(あまとぅしょンで LLLHH)
天つ空(あまとぅしょら LLLLH)
国つ神(くにとぅかみ HHHLL) 「国」は「くに HH」でした。
国つ御神(くにとぅみかみ HHHHHH)
本(もと)つ香(もととぅか LLLH) 「もと」は「もと LL」です。
本つ人(もととぅふぃと LLLHL)
「まつげ」のことを申して「つ」のことは終わりにします。改名(高山寺本)は連濁した「まつげ」に〈平○上〉を差します。〈平平上〉でしょう。現代京都のHLLはこれからの正規変化と見られます。改名(観仏中)も「まつげ」としますがこちらは〈上上平〉で、これは信頼できません。また早く和名抄には「麻都毛」の項がありますが、第三拍の清濁は分かりません。私たちは「まつげ」という言い方にすっかり慣れていますけれども、この言い方における連濁は「あまのがわ」におけるそれと同趣です。袖中抄が「兎の毛」に連濁のない〈平平上〉を差すことでもあり、もともとは「まつけ」だったと考えておきますが、その場合でも三拍目の〈上〉をどう解釈するかという問題があります。「けだもの」に〈上上上上〉が差される一方、「けもの」には〈平平平〉が差されるからで、おまけに現代京都では「毛」は「歯」などと同じく下降調をとりますから、古くはその「歯」と同じく「毛」は上昇下降調をとり(けええ ℓf)、「けだもの」への〈上上上上〉はもしかしたらRHHH(けえンだもの)とでも解するほうがよいのかもしれません。とすれば「まつけ」は「まとぅけええ LLℓf」だったということになります。
大蔵卿ばかり耳疾(と)き人なし。まことに蚊のまつけの落つるをも聞きつけたまひつべくこそありしか。枕・大蔵卿ばかり…(260)。おふぉくらきやうンばかり みみ ときい ふぃと なしい。まことに かあのお まとぅけええの おとぅるうぉも きき とぅけえ たまふぃとぅンべくこしょ ありしか LLLLLHHHHL・LLLFHLLF。HHHH・HHLLℓfL・LLHHL・HLLFLLHHHLHL・LLHL。
b 柔らかい拍を含まない二拍の助詞 [目次に戻る]
i さへ [目次に戻る]
『研究』研究篇下の説くとおり、ふた拍とも本来的に高いようです。現代語とは異なりもっぱら「添加」(…マデ)を意味する「さへ」は、しばしば「添へ」に由来するとされます。下二段の「添ふ」は高起式で(しょふ HL)、これは多いにありそうなことです。その場合「添ふ」の連用形「添へ」(しょふぇ HL)に由来する名詞「しょふぇ HH」を経由しているのかもしれません。
玉笥(たまけ)には飯(いひ)さへ盛り玉もひに水さへ盛り〈平平平上(原文、平)上・平平(原文、上)上上上平・平平平平上・上上上上上平〉(図紀94。さる姫君の歌った哀歌の一節。立派な器に飯や水を盛ることまでして。ほかのものも盛るが飯や水までも盛るというのではありません。今昔で助詞の scope が異なるので逐語的に訳すとやや奇妙なことになります。たまけにふぁ いふぃしゃふぇ もり たまもふぃに みンどぅしゃふぇ もり LLLHH・LLHHHL・LLLLH・HHHHHL)
植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや 古今・秋下268。伏片・毘が「根さへ」に〈平上上〉を差しています。ううぇしい ううぇンば あきい なきい ときやあ しゃかンじゃらム ふぁなこしょ てぃらめえ ねえしゃふぇ かれめやあ HLFHHL・LFLFLLF・HHLLH・LLHLHHF・LHHHHHF。きちんと植えましたら、――秋がない時は咲かないかもしれませんが、実際にはそんなことはないわけで――花の散ることは仕方ないとして、根まで枯れることはありません。「植えに植う」(ううぇに うう HLHHL)に強調の副助詞「し」を介入させた「植ゑにし植う」(ううぇにし うう HLHLHL)の格助詞を省いた言い方です。
住の江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目避(よ)くらむ 古今・恋二559。しゅみの いぇえの きしに よる なみ よるしゃふぇやあ ゆめの かよふぃンでぃ ふぃとめ よくらム LLLFL・LLHHHLL・LHHHF・LLLHHHL・HHHLHLH 。「夜」は「よる LH」。伝統的な現代京ことばでは「よるぅ LF」のようです。
ⅱ つつ [目次に戻る]
これも二拍とも本来的に高く、古典的には、初拍は接続助詞「て」と同じようにふるまい、末拍は初拍と同じ高さで言われます。
春かすみ立てるやいづこみ吉野の吉野の山に雪は降りつつ 古今・春上3。寂が「ふりつつ」に〈○○上上〉を差しています。ふぁるうかしゅみ たてるやあ いンどぅこ みよしのの よしのの やまに ゆうきふぁ ふりとぅとぅ LFLLL・LHLFLHH・HHHHH・LLHLLLH・RLHLHHH
いたづらに行きては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ 古今・恋三620。『家』が「いざなはれつつ」に〈平平平平上上上〉を差しています。いたンどぅらに ゆきてふぁ きいぬる ものゆうぇに みいまく ふぉししゃに いンじゃなふぁれとぅとぅ HHHHH・HLHHRHH・LLHLH・LHHLHHH・LLLLHHH。そのかいもなく出向いては帰ってきてしまうだけなのに、逢いたい気持ちにただただ誘われて…。
玉の緒のくくり寄せつつ末つひに行きは別れで同じ緒にあらむ 顕天平568注〔万葉2790〕〈平平平上平・上上平上平上上・上上平上平・上平上平平上平(原文、上)・平平上(原文、上平平)上上平平上〉 顕昭は四句目を「行きは別れて」と解しているようですが、「行きは別れで」(行き別れることなく)と見るべきものでしょう。現行のテクストは「行きは別れず」とします。「つひに」への〈平上平〉は古典的な「とぅふぃいに LFH」からの変化です。たまのうぉの くくり よしぇとぅとぅ しゅうぇ とぅふぃいに ゆきふぁ わかれンで おなンじ うぉおにい あらムう LLLHL・HHLHLHH・HHLFH・HLHLLHL・LLHHHLLF。
からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 古今・羇旅410、伊勢物語9。伏片が「着つつ」に〈上平平〉を差すのは初拍の低下力に「つ」の初拍が屈したからで、古典的にはそれは、上の歌の「寄せつつ」(よしぇとぅとぅ HLHH)と同じように「きいとぅとぅ HLHH)と言われたでしょう。からころも きいとぅとぅ なれにし とぅましい あれンば ふぁるンばる きいぬる たンびうぉしンじょお おもふ LLLHL・FHHLHHH・HLFLHL・LHLHRHH・HLHLFLLH。
ⅲ から [目次に戻る]
この助詞は「と」と同じく意味によってアクセントを異にすることが知られています。起点や経由場所を示す「から」は「から HH」と言われたがそれ以外の場合は「から HL」と言われたと考えてよいようです。
「今日から禁酒しよう」「東京から京都まで行く」などいう時の「から」は起点を示し、「窓から陽が差す」などいう時の「から」は経由場所を示します(経由地点とは申さば新たな起点です)。平安時代の京ことばでは起点や経由場所は多く「より」で示されましたけれども(現代語では例えば「今日(きょう)より」の「より」はfromよりthanを意味することが多いでしょう)、しかしそれらを「から」で示すこともあって、例えば歌において、地名の「唐崎・辛崎(からさき)」(からしゃき LLHH〔伏片458に拠ります〕)や楽器の「唐琴(からこと)」(からことお LLLF)に懸ける時など、そうした「から」があらわれます。それはHHで言われました。
波の音のけさからことに(特別ニ)聞こゆるは春のしらべやあらたまるらむ 古今・物の名・からこと(地名でもあるそうです)456。伏片・家・訓が「けさから」に〈平上上上〉を、寂・毘が〈○○上上〉を差しています。なみの おとの けしゃから ことおに きこゆるふぁ ふぁるうの しらンべやあ あらたまるらム LLLHLL・LHHHLFH・HHHHH・LFLLLLF・LLLHLLH。「唐(から)」は低起式なので(単独では「から LL」。「もろこし」も「もろこし LLLL」)、「から」への〈上上〉注記は助詞へのそれです。
かの方にいつからさきに渡りけむ波路は(波路ニハ)あとも残らざりけり 古今・物の名・からさき458。「いつから」に梅・寂が〈○○上上〉を、毘・訓が〈平上上上〉を差しています。かあの かたに いとぅから しゃきに わたりけム なみンでぃいふぁ あとも のこらンじゃりけり FLHLH・LHHHHHH・HHLLH・LLFHLHL・LLHLHHL。「辛(から)し」は「からしい LLF」と言われたので「から」への〈上上〉注記は助詞へのそれです。
もみぢ葉に衣の色は染(し)みにけり秋の山からめぐりこし間に 拾遺・物の名・やまがらめ(やまンがらめ LLLHL〔浄弁本拾遺が〈平平平上平〉を差しています〕402。浄弁本拾遺が「から」に〈上上〉を差しています。もみンでぃンばあに ころもの いろふぁ しみにけり あきいの やまから めンぐり こおしい まあにい LLLFH・HHHHLLH・HLHHL・LFLLLHH・HHLLHHH。「やまがらめ」は現代語では「ヤマガラ(山雀)」と呼ばれる鳥。「やまがらめ」の「め」は「すずめ」(しゅンじゅめ LHH)、「かもめ」(かもめ LHH)、「つばくらめ」(つンばくらめLHHHL>「つばめ」〔つンばめLHL〕)などにも見られる、鳥の名に付く接辞だそうです)
他方、さまざまな意味合いの「から」がHLというアクセントで言われます。
まずは、古今集の、一部を何度か引いた次の歌の初句に見られる「から」。
心から花のしづくにそほちつつ憂く干ずとのみ鳥のなくらむ 古今・物の名・うぐひす422。訓が「心から」に〈○○○上平〉を差しています。こころから ふぁなの しンどぅくに しょふぉてぃとぅとぅ ううく ふぃいンじゅとのみ とりの なくらム LLHHL・LLLLLLH・HHLHH・RLRLLHL・HHHHLLH。みずから進んで花に近づいてしずくに濡れておきながら、つらいことにも乾かないと鳥がないている(どうしてそんなことをするのかねえ)。「憂く干ず」(ううく ふぃいンじゅ RLRL)に「うぐひす」(うンぐふぃしゅ LLHL)が隠れています。現代語では「心から」は、「心の底から」といった意味で使いますけれども、古くは「心から」は「自分の気持ちから」「自分がそう望んで」「みずから進んで」を意味しました。「我が心から」(わあンがあ こころから LHLLHHL)なども使います。こうした「から」は「由来・原因」を示すと言えます。
海人の刈る藻に住む虫のわれからと音をこそ泣かめ世をばうらみじ 古今・恋五934。あまの かる もおに しゅむ むしの われからと ねえうぉこしょ なかめえ よおうぉンば うらみンじい LLLHH・FHLHHHH・LHHLL・FHHLHHF・HHHLLLF。「われから」は「割殻」という甲殻類と「我から」(自分のせいで)とを兼ねています。つまり、初句と第二句とは「我から」と言うためのもの。「割る」は「わる HL」ですから「割殻」も高起式のはずで(たぶん「われから HHHL」)、顕昭の『拾遺抄注』が「われから」に〈平上上平〉を差すのは、「我から」のアクセントです。
逢ふからもものはなほこそ悲しけれ別れむことをかねて思へば 古今・物の名・からももの花429。伏片・家が「あふからも」に〈平上○平上〉を差しています。あふからもお ものふぁ なふぉおこしょ かなしけれ わかれム ことうぉ かねて おもふぇンば LHHLF・LLHLFHL・HHHHL・LLLHLLH・LHHLLHL。古くはアンズのことを「唐桃」(からもも HHHH)と言ったそうで、それを隠し題とした歌です。二人きりになれたらもう、逢えなかった時よりも一層悲しい、お別れすることをかねて考えると。
こういう「から」は「即時の『から』」と呼べるものです。次の名高い歌に登場する「からに」も即時を意味します。「さへ」「まで」と言っても「さへに」「までに」と言っても同じであるように「から」には時に「に」が付きます。
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 古今・秋下249。ふくからに あきいの くしゃ きいのお しうぉるれンば ムべえ やまかンじぇうぉ あらしと いふらムう LHHLH・LFLLLLL・LLLHL・HFLLLHH・LLLLHLLF。吹きはじめたらもう秋の草木がしおれるので、なるほど山風を嵐というのだろう。「草木」は「草や木」というほどの意味であり三拍の複合名詞をなすわけでありません。古くはこうした対立語ないし並立語のペアはたんにそれぞれのアクセントを保持しつつ言われただろうこと、『研究』研究篇上の説くとおりです。
こういう「からに」が古典的にはHLHと言われたことは、
おほかたの秋来るからに我が身こそ悲しきものと思ひ知りぬれ 古今・秋上185。おふぉかたの あきい くるからに わあンがあ みいこしょ かなしきい ものと おもふぃい しりぬれえ LLHLL・LFLHHLH・LHHHL・HHHFLLL・LLFHLLF。みんなにとってのものである秋が来ただけでもう、わが身をこそ悲しいものだとつくづく思ってしまう。
の「くるからに」に『梅』が〈○○上平平〉を差していることなどから知られます
逆接を意味する「ものから」の「から」も、HLで言われたようです。「ものから」は一語の助詞とするよりは、名詞と助詞とからなる連語と見るほうがよいと思います。少なくともそう見ることができます。
かがり火にあらぬものからなぞもかく涙の川に浮きて燃ゆらむ 古今・恋一529。通行のテクストは第二句を「あらぬ我が身の」としますが、『訓』は「あらぬものから」とし、その「ものから」に〈平平上平〉を差しています。かがりンびに あらぬ ものから なンじょもお かく なみンだの かふぁに うきて もゆらム HHHHH・LLHLLHL・RLFHL・LLHLHLH・HLHHLLH。私は魚とりに使うかがり火ではないのに、どうして涙の川に浮いて燃えているのだろう。「なぞ」は諸本〈上平〉を差しますけれども、「なにぞ」(なにンじょ LHL)のつづまったものなので「なンじょ RL」と言われたと見られます。
ⅳ だに [目次に戻る]
岩紀107の「米(こめ)だにも」〈平平上平東〉は何度も引きました。「だに」のはじめの拍は本来的に高いようです。古今集声点本においてこの助詞は高い拍の次で低まらず、見られるのは、「植ゑてだに」〈上平上上平〉(伏片242。いつぞや引きました)、「香をだに」〈上上上平〉(毘91。これもいつぞや引きました)のような例ばかりです。「だに」の「に」は本来的に低いと見られます。
v まで [目次に戻る]
前紀・図紀78の「其(し)が尽くるまでに」〈上上上上上平上上〉以来、「まで」には〈平上〉か、それからの変化である〈平平〉が差されます。伝統的な現代京言葉では、例えば通例HHLLと言われる「庭まで」をHHLFとも言えるようですけれど、「よろづよまでに」〈(平平上上)平上上〉(毘1083。括弧内は図名に拠ります)などでも「に」が低まっていないところを見ると、「まで」の第二拍は昔は本来的に高かったと思われます。
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 古今・冬332。あしゃンぼらけ ありあけの とぅきと みるまンでに よしのの しゃとに ふれる しらゆき LLLHL・LHHHHLLL・LHLHH・LLHLHHH・LHLLLLH
ⅵ こそ [目次に戻る]
古くはHFだったと見る向きもありますけれど(『研究』研究篇下)、そうだとしても、岩紀108はすでに「にこでこそ」〈上上平上平〉と注記していました。「こそ」の初拍は本来的に高いと見られ、「秋こそ」〈平上平平〉(訓214)のように先だつ拍の低下力に負ける例は見えるものの(古典的にはこれもLFHLでしょう)、前紀47の「衣こそ」〈上上上上平〉(ころもこしょ HHHHL)、同62の「汝(な)こそは」〈上上平平〉(なあこしょふぁ RHLL)などがそうであるように、高い音程の次でも高さを保つようです。そして「こそ」の末拍は早くからその高い拍の次で常に低まるようになったと見られます。
c 三拍の助詞 [目次に戻る]
i ばかり [目次に戻る]
三拍の助詞はいずれも柔らかい拍を含みません。まず「ばかり」。アクセントの面ではこの言葉は少し変わっています。高い拍にはHHLというアクセントで付き、低い拍にはLHLというアクセントで付くほか、先行する言葉が下降形式に終わる場合、それをたいらに均(なら)してからHHLで付きます。
万葉集はいつばかり作れるぞ。古今997詞書。万葉集はだいたいいつ作ったとあるか(「(記録によると)彼は幕末に生まれている」式の言い方と見ておきます)。訓が「いつばかりつくれるぞ」に〈平上上上平・平平上平上〉を差しています(「まんえふしふ」にも訓(38)が〈○○○平平平〉を差しています。「万(まん)」〔呉音〕も低平連続調のようです)。まんいぇふしふふぁ いとぅンばかり とぅくれるンじょお LLLLLLH・LHHHL・LLHLF。疑問詞「いつ」(いとぅ LH)に「ばかり」の初拍が高く付いています。
ありはてぬ命まつ間の程ばかり憂きことしげく思はずもがな 古今・雑下965。ありい ふぁてぬ いのてぃ まとぅ まあのお ふぉンどンばかり うきい こと しンげく おもふぁンじゅもンがなあ LFLLH・LLHLHHH・HLLHL・LFLLLHL・LLHLHLF。梅が「ほどばかり」に〈上平平上平〉を差しています。「ほど」は単独では「ふぉンど HL」ですが、「ほどばかり」を「ふぉンどンばかり HHHHL」とも言い得たことを、例えば次が示します。
かくばかり惜しと思ふ夜をいたづらに寝で明かすらむ人さへぞ憂き 古今・秋上190。家・毘が「かくばかり」に〈上上上○○〉を差します。「かく」は単独では「かく HL」。かくンばかり うぉしいと おもふ よおうぉお いたンどぅらに ねえンでえ あかしゅらム ふぃとしゃふぇンじょ うきい HHHHL・LFLLLHLH・HHHHH・HLLLHLH・HLHHLLF。こんなにもいつまでも愛でていたいと思う夜をただ寝ないで明かすような人までもが、私はきらいだ。
「かくばかり」に対する〈上上上上平〉注記は古今集声点本や改名にたくさんあって、疑義はありません。「かくばかり」はつづまって「かばかり」(「かンばかり HHHL」と言われたと見ておきます)とも言われなどするイディオマティックな言い方ですけれども、イディオムゆえ変則的なアクセントをとるということではないようで、例えば「しばし」は「しンばし LHL」、「いささか」は「いしゃしゃか LLHL」と発音されましたが、改名に「しばしばかり」〈平上上上上平〉(しンばしンばかり LHHHHL)、『岩本字鏡』に「いささかばかり」〈平平上上上上平〉(いしゃしゃかンばかり LLHHHHL」)といった言い方が見られます。
「ばかり」が時に先行する言葉のアクセントを変えるのは、『研究』研究篇下の言うとおり、これが動詞「はかる」からの派生名詞「はかり」に由来するからでしょう。すなわち複合名詞ではこういうことは常にあって、例えば「橋づくり」(ふぁしンどぅくり HHHHL)、「人だまひ」(ふぃとンだまふぃ HHHHL)、「冬ごもり」(ふゆンごもり HHHHL)は、いずれも二拍二類名詞が多数派低起三拍動詞から派生した名詞を従えたものですから、「かくンばかり HHHHL」に近い言い方ですし、「しばしばかり」〈平上上上上平〉(しンばしンばかり LHHHHL」は「あやめぐさ」(あやめンぐしゃ LHHHL。「あやめ」は「あやめ LHH」、「草」は「くしゃ LL」)や「ゆばりぶくろ」(ゆンばりンぶくろ LHHHHL。「ゆばり」は「ゆンばり LHH」、「袋」は「ふくろ LLL」)に近い言い方です。ただ、例えば「かくンばかり HLLHL」と「かくンばかり HHHHL」とでは、律儀なはじめの言い方のほうが古いのかもしれません。
動詞が「ばかり」を従える言い方も見なくてはなりません。これは少し悩ましい。そろそろと申すことにして、まず和泉式部集の次の歌を引きます。
数ふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかり悲しきはなし かンじょふれンば としの のこりもお なあかりけり おいぬるンばかり かなしきいふぁ なしい LLLHL・LLLLLLF・RLHHL・LHHHHHL・HHHFHLF
この「老いぬる」の「ぬる」が連体形なのは名詞相当のものとして当然ですし、また、
露をなどはかなきものと思ひけむ我が身も草に置かぬばかりを 古今・哀傷860。とぅゆううぉ なンど ふぁかなきい ものと おもふぃけム わあンがあ みいもお くしゃに おかぬンばかりうぉ LFHRL・LLLFLLL・LLHLH・LHHLLLH・HHHHHLH。どうして高みに立って露は果敢ないなんて思ったのだろう。我が身も草に降りないだけだよ。
において「ばかり」が「ず」の連体形を先立てるのも、
深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け 古今・哀傷832。ふかくしゃの のンべえの しゃくらし こころ あらンば ことしンばかりふぁ しゅみンじょめに しゃけ LLHLL・LFLHHHL・LLHLHL・HHHHHLH・LLLHHHL
における「今年ばかりは」のような言い方との平行性を考えれば当然だと思います。
ところが「ばかり」は、しばしば動詞の終止形を先立てます。これは事実そうなのでそういうものなのだと思うしかないのですけれども、例えば「ず」の終止形は「ばかり」を従えないこと、例えば「我が身も草に置かずばかりを」のような言い方はしないことを考えると、少し不思議です。それから、その動詞の終止形のアクセントとして一般形をとるものと特殊形をとるものとがあって、これも悩ましいといえば悩ましいのですけれども、さしあたりどちらも可能だったと見ておきます。
よそながら我が身にいとのよると言へばただいつはりに過ぐばかりなり 古今・雑1054。よしょなンがら わあンがあ みいにい いとの よると いふぇンば たンだあ いとぅふぁりに しゅンぐンばかりなり HLHHH・LHHHLHL・HHLHLL・LFLLHHH・LLLHLHL。従弟(いとこ LLL)との仲を疑われたさる女性の歌で、「糸」「縒(よ)る」「五針」「挿ぐ(=スゲル)」と縁語を連ねつつ、そんな噂は事実でないと言い続けるだけです、と言っています(梅・毘・高貞が「よる」に〈上上〉を差していて、これは「寄る」の連体形です〔「の」の〝結び〟〕。「縒る」は低起式)。訓が「すぐばかりなり」に〈平平平上平上平〉を差していて、上のアクセントはそれに沿っていますけれども、毘は〈平上上上平上平〉を差しています。高い拍には高く、低い拍には低くところは上に見たありようと同じ。
雲居にも通ふ心のおくれねば別ると人に見ゆばかりなり 古今・離別378。くもうぃにも かよふ こころの おくれねンば わかるうと ふぃとに みゆンばかりなり LLLHL・HHHLLHL・HHHHL・LLFLHLH・LLLHLHL。東下(とうか)する人に向けた歌で、私の心はあなたについてゆくので人にはお別れと見えるだけです、と言っています。「みゆばかり」に訓が〈平平平上平(上平)〉を、毘が〈平平上上平上平〉を差しますけれども、後者は〈平平平上平上平〉か〈平上上上平上平〉が期待されるところなので、信頼度は落ちます)
秋吹くはいかなる色の風なれば身に染むばかりあはれなるらむ 和泉式部集。あきい ふくふぁ いかなる いろの かンじぇなれンば みいにい しむンばかり あはれえなるらム LFLHH・HLHLLLL・HHLHL・HHHLLHL・LLFHLLH。「何々するくらい」という意味の「何すばかり」との例として挙げました。「染むばかり」は「しむンばかり HHHHL」とも言えると思います。こういう「ばかり」が連体形接続でないのは不思議ではありませんが、さきの二つの歌の「ばかり」は「くらい」ではなく「だけ」の方なので、終止形を先立てるのが不思議なのです。
次の例では「くらい」の方の「ばかり」が完了の「ぬ」の終止形を先立てています。
などかくほどもなくしなしつる身ならむ(ナゼコンナフウニモウスグシンデシマウヨウナコトニナッテシマッタノダロウ)、とかきくらし思ひみだれて、枕も浮ぬばかり人やりならず(涙ヲ)流しそへつつ、いささかひまあり(柏木サマハ少シ持チ直シタヨウダ)とて人々たち去りたまへるほどに、かしこに御ふみたてまつれたまふ。源氏・柏木(かしふぁンぎ HHHH)。なンど かく ふぉンどもお なあく しい なしとぅる みいならム、と かきい くらし おもふぃい みンだれて、まくらも うきぬンばかり ふぃとやりならンじゅ なンがしい しょふぇとぅとぅ、いしゃしゃか ふぃま ありいとて ふぃとンびと たてぃい しゃり たまふぇる ふぉンどに、かしこに おふぉムふみ たてえ まとぅれ たまふう。RLHL・HLFRLFLHLH・HLLH、L・LFHHLLLFLLHH、・LLHLHLHHHL・HHHHLHL・LLFHLHH・LLHL・HHLFLH・HHLL・LFHLLLHLHLH、HLLH・LLHHL・LFHHLLLF。
ということは、同・須磨の一節「涙おつともおぼえぬに枕浮くばかりになりにけり」における「浮く」も終止形として言われなくてはならないということです。なみンだ おとぅうともお おンぼいぇぬに まくら うくンばかりに(ないし、うくンばかりに) なりにけり LLHLFLF・LLLHH・LLH・HLLHLH(ないし、HHHHLH)LHHHL。
ⅱ がてら [目次に戻る]
『研究』研究篇下の説くとおり、「がてら」は動詞の連用形を先立てる時その動詞に特殊形を要求し、低平連続調にはLHLというアクセントで付き、高平連続調にはHHLというアクセントで付きます。ということはアクセント上「ばかり」に似ているところがあるということです。時に「に」を従えるのは、「から」「さへ」「まで」などと同様です。
桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける人に詠みておくりける
我が宿の花見がてらに来る人は散りなむのちぞ恋しかるべき 梅・陽が「みがてら」に〈平平上平〉を、京中・高嘉が〈平平上○〉を差しています(「かてら」とするものもありますけれども、採りません)。古今・春上67。しゃくらの ふぁなの しゃけりけるうぉ みいに まうンで きいたりける ふぃとに よみて おくりける HHHHLLL・HLHHLHRH・LHLRLHHL・HLH・LHH・HHLHL / わあンがあ やンどの ふぁな みいンがてらに くる ふぃとふぁ てぃりなム のてぃンじょお こふぃしかるンべきい LHLHL・LLLLHLH・LHHLH・HLHHLLF・LLHLLLF。桜の花をお目あてに我が家を訪れた人は、花が散ってしまってから、私に会いたいと思うでしょう。私に会うべきだったのにそうしなかったあなたは、今後それを悔やむであろう、と高飛車な態度をとって見せつつ、その「あなた」に会いたいという気持ちを伝えている歌だと思います。諸注あやまる、と申したいところですけれども、『古今』の注釈者は古来たくさんいるので、なかにはこの解の人もいる(いた)かもしれません。なお、この歌の「花見」を一語の名詞として例文にかかげる辞書もあります。「花見」(ふぁなみ LLL)という名詞はありましたし、昔も名詞「花見」に「がてら」を添えられたこと、例えば源氏・行幸の「御とぶらひがてら」(おふぉムとンぶらふぃンがてら LHHHHHHHL)という言い方などの示すとおりですけれど、この歌は「我が宿の花を見がてらに」といっていると解するよりほかにないでしょう。古今集声点本もみな「みがてら」「みかてら」に注記します。
次の贈答は、おおやけにできない恋をしている二人によるもの。女が問い、男が答えます。
思ふどち一人ひとりが恋ひしなば誰(たれ)によそへて藤ごろも着む / 泣き恋ふる涙に袖のそほちなば脱ぎかへがてら夜こそは着め 古今・恋三654、655。訓が「ぬぎかへがてら」に〈平上上上上上平〉を差しています。おもふンどてぃ ふぃとり ふぃとりンが こふぃい しなンば たれに よしょふぇて ふンでぃンごろも きいムう LLHHL・LHLLHLH・LFHHL・HHHHHLH・HHHHLHH / なき こふる なみンだに しょンでの しょふぉてぃなンば ぬンぎい かふぇンがてら よるこしょふぁ きいめえ HLLLH・LLHHHHH・HHLHL・LFHHHHL・LHHLHHF。愛し合う私たちのどちらか一方が愛に苦しみしんでしまったら、誰がなくなったことにして喪服を着ましょう、と女が問い、男は、涙で着物がぐしょぐしょになるでしょうから、そうなったら脱ぎ替えがてら、夜、着たらよいでしょう、と答えています。この女性は誰とも分かりませんけれど、例えば夜、なぜか我が妻が喪服を着て泣いているのをたまたま夫が見つけたらとしたら、あるいは、夜、なぜか我が娘が喪服を着て泣いているのを、たまたま親が見つけたらとしたら、と考えてしまいます。
ⅲ ながら [目次に戻る]
三拍とも本来的に高いと見てよいようです。
神(かみ)ながら〈平平上上上〉顕府(33)注(万葉38)。かみなンがら LLHHH。今でも使われる「かんながら」は、この言い方の音便形「かむながら」の変化したものです。「神(かみ)ながら」は「神として」「神としての性質のままに」といった意味だそうです。「ながら」の「な」は格助詞「の」に由来するとされますけれども、「かみながら」の「な」は元来「の」だといった感覚が残っているのならば〈平平平上上〉のような注記が期待されます。
別れてはほどをへだつと思へばやかつ見ながらにかねて恋しき 古今・離別372。「見ながらに」に梅が〈平上上上○〉、寂が〈平上○○○〉、毘が〈平上上上上〉を差しています。「ながら」は連用形(特殊)を要求することが知られます。わかれてふぁ ふぉンどうぉ ふぇンだとぅうと おもふぇンばやあ かとぅう みいなンがらに かねて こふぃしきい LLHHH・HLHLLFL・LLHLF・LFLHHHH・LHHLLLF。別れたら遠く離れてしまうと思うので、一方ではこうして姿を見ていながら、すでに恋しい気分なのか。
うきながら消(け)ぬる泡ともなりななむ流れてとだに頼まれぬ身は 古今・恋五827。うきなンがら けえぬる あわともお なりななム なンがれてとンだに たのまれぬ みいふぁあ LHHHH・FLHLLLF・LHHHL・LLHHLHL・LLLLHHH。こうして浮いたまま、そしてこうして憂(うれ)わしい状態のまま、消えてしまう泡になってしまったらいいのに。今はこうだがせめて時が経てば、と将来を当てにすることのできない私は。毘・高貞・寂が「うきながら」に〈平上上上上〉を差しています。これは「憂きながら」への注記で、これと掛詞になっている「浮きながら」は、「浮く」は高起式なので〈上上上上上〉と言われたでしょう。「憂きながら」への〈平上上上上〉の二拍目は「憂き」単独ではLFですけれども、「ばかり」について言えたようにここでは「ながら」と言わば複合しているのですからむしろLHと見る方がよいと思います。
「浮きながら」は「浮いたまま」という意味ですが、今はこの意味で「浮きながら」とはまず言いません。古くは、例えば「馬に乗りながら」(ムまに のりなンがら LLHHHHHH)は「馬に乗ったまま」を意味できましたが、現代語では「馬に乗りながら」は、「馬に乗るという動作をしながら」を意味できても、「馬に乗ったまま」は意味できないでしょう。
山川の音にのみ聞くももしきを身を早(はや)ながら見るよしもがな 古今・雑下1000。「早ながら」に毘・高貞が〈平平上○○〉、訓が〈平平上上上〉を差しています。やまンがふぁの おとにのみい きく ももしきうぉ みいうぉお ふぁやなンがら みる よしもンがな LLLHL・HLHLFHH・LLHLH・HHLLHHH・LHHHLHL。今はうわさにお聞きするだけの宮中を以前と同じく拝見しとうございます。「山川の」は「音」にかかる枕詞。「早ながら」は「早し」(時代ガ古イ)の語幹が「ながら」を従えた言い方で、「みを」には「水脈(みを)」(みうぉ HH、ないし、みうぉ HL)が響いています。
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ 古今・夏166。なとぅの よおふぁあ まンだあ よふぃなンがら あけぬるうぉ くもの いンどぅこに つき やンどるらム HLLLH・LFHHHHH・HLLHH・LLLLHHH・LLLLHLH。「まだ」を「まんだあ LF」と見るのは『研究』研究上(p.374)に拠りました。
冬ながら空より花の散り来るは雲のあなたは春にやあるらむ 古今・冬330。ふゆなンがら しょらより ふぁなの てぃり くるふぁ くもの あなたふぁ ふぁるうにやあ あるらム HLHHH・LHLLLLL・HLLHH・LLLHHLH・LFHFLHLH。冬なのに空から花が散ってくるところを見ると、雲のかなたは春なのかもしれない。
身は卑しながら母なむ宮なりける。伊勢物語84。みいふぁあ いやしなンがら ふぁふぁなムう みやなりける。HHLLHHHH・LHLF・HHLHHL。この「いやし」は終止形でなく形容詞の語幹でしょうから、LLHというアクセントで言われたと考えられます。
d 柔らかい一拍の助詞 [目次に戻る]
i も [目次に戻る]
この助詞のことはさんざん見ました。それは柔らかく、高い拍の次では、「鼻も」〈上上上〉(伏片1043。ふぁなもお HHF)のように時代くだっても低まらない例がないではないものの、岩紀の「千代にも」〈平東上平〉(102。てぃよおにも LFHL)、「さきでそもや」〈平平平上平東〉(108。しゃきンでしょもやあ LLLHLF)、「わが手とらすもや」〈平上平平平上平東〉(108。わあンがあ てえ とらしゅもやあ LHLLLHLF)や図名の「にくみするをも」〈平上平上上上平〉(にくみ しゅるうぉも LHLHHHL)がそうであるように早くから低まることも多かった、と申すよりも、柔らかい助詞のつねとして低まることが多かったと思われます。他方、古い時代にはまだ、「米だにも」〈平平上平東〉(岩紀107。こめンだにもお LLHLF)がそうであるように低下力に屈せず卓立する言い方が多かったのでした。また文節のはじめから低い拍が続く時には、時代が下っても卓立します。この助詞に上声点が差される場合、文節中では高平調、文節末では下降調をとったと見られること、改めて申すまでもありません。
三輪山をしかも(ソンナフウニモ)隠すか春かすみ人に知られぬ花や咲くらむ 古今・春下94。「しかも」に伏片・梅・京中・高嘉・伊・寂・毘が〈平平上〉を差しています。みわやまうぉ しかもお かくしゅかあ ふぁるうかしゅみ ふぃとに しられぬ ふぁなやあ しゃくらム HHHLH・LLFLHHF・LFLLL・HLHHHHH・LLFHLLH。「三輪山」は寂が〈上上上平〉を差すのに拠りました。毘は〈上上上上〉。
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも(心ガアッテホシイ)隠さふべしや 万葉18。みわやまうぉ しかもお かくしゅかあ くもンだにもお こころ あらなも かくしゃふンべしいやあ HHHLH・LLFLHHF・LLHLF・LLHLLHL・LLLLLFF
ⅱ し [目次に戻る]
この助詞も、例えば「家居(いへゐ)しせれば」(古今・春上16。いふぇうぃしい しぇえれンば LLLFHLL。梅・寂・訓が「いへゐし」に〈平平平上〉を差していました)に見られたとおり、常に低くはなく、「うべしかも」〈上上平上東〉(岩紀103)以下、高い拍の次では多く低まったのですから、柔らかいと見られるのでした。次の歌でも「し」が高い拍の次で低まっています。
ほのほのと明石の浦の朝霧にしまがくれゆく舟をしぞ思ふ 古今・羇旅409。訓(36)が「ふねをしぞ」に〈平上上平平〉を、寂(36)が〈(平上)上平平〉を差しています。ふぉのふぉのと あかしの うらの あしゃンぎりに しまンがくれ ゆく ふねうぉしンじょお おもふ HLHLL・HLLLLLL・LLLLH・LLLHLHH・LHHLFLLH。初句は京秘が〈上平平平〉、毘が〈上平平○〉(三拍目が濁音であることを示すための注記ならむ)、寂が〈上平○○〉を差します。古くは〈上平〉が律義に繰り返されたと見ておきます。
「しも」は、意味の上では二つの助詞「し」「も」に還元されないので一語の助詞とされるのはもっともですけれども、アクセントの上ではそうする理由がありません。
夜や暗き道やまどへるほととぎす我が宿をしも過ぎがてに鳴く 古今・夏154。「宿をしも」に毘が〈(平上上)平上〉を差しています。よおやあ くらきい みてぃやあ まンどふぇる ふぉととンぎしゅ わあがあ やンどうぉしもお しゅンぎンがてに なく LFHHF・HHFLLHL・LLLHL・LHLHHLF・LLLHHHL。夜が暗いのか。道がわからないのか。ほととぎすが、家はたくさんあるのにそのなかで特に我が家を過ぎかねて鳴いている。「がてに」のアクセントは『研究』研究篇下(pp.390-394)が古形と見なすそれ――高起動詞には「消えがてに」(きいぇンがてに HHHHH)のようなそれ、低起動詞には「過ぎがてに」(しゅンぎンがてに LLLHH)のようなそれ。じっさい寂154がここを〈平平平上○〉とします――をとっておきます。
時しもあれ秋やは人の別るべきあるを見るだに恋しきものを 古今・哀傷839。紀友則(きいのお とものり LLHHHL)の逝去を悼む壬生忠岑(みンぶの たンだみね HHHLLHH)の歌。訓が初句に〈平平平上平上〉を差しています。〈平平上平〉とも言えるでしょう。ときしもお あれえ あきいやふぁ ふぃとの わかるンべきい あるうぉ みるンだに こふぃしきい ものうぉ LLLFLF・LFHHHLL・LLLLF・LHHLHHL・LLLFLLH。ほかに時もあろうに、よりにもよって秋、こういう別れがあってよいものか。生きている人を見ているだけでも恋しいのに。
ⅲ ぞ [目次に戻る]
柔らかいことはすでにみた通りです。上代(「言(こと)そ聞こゆる〈平平東上上上上〉(岩紀109。ことしょおきこゆる LLFHHHH〕)とは異なり平安時代にはたいてい濁ったのでしたけれども――図名は「如此」に「さぞ」という訓を与え〈平東〉(しゃあンじょお LF)を差します――、化石的に「誰(た)そ」(たあしょお HL)のような古い言い方もなされたことは周知です。
のこりなく散るぞめでたき桜花ありて世の中果ての憂ければ 古今・春下71。伏片が「散るぞ」に〈(上上)平〉を差しています。のこり なあく てぃるンじょ めンでたきい しゃくらンばな ありて よおのお なか ふぁての うけれンば LLLRL・HHLLLLF・HHHHH・LHHHHLH・LLLLHLL。宣長の同時代語訳を引いておきます(表記は一部変更しました)。「ワルウナツテ ウザウザト[むざむざと]残ツテアラウヨリ サツパリト残リナシニ早ウ散ツテシマウノガサ アアア ケツカウナ[結構な]コトヂヤ 桜花ハ 世ノ中ト云フモノハ ソウタイ[総体]何ンデモ 長ウアレバカナラズ シマイクチガ ワルイ物ナレバサ」
色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも 古今・春上33。寂・毘が「梅ぞも」に〈(上上)上平〉を差すのは「ムめンじょも HHHL」ということで、無論こうも言えますけれど、「ムめンじょもお HHLF」とも言えたでしょう。いろよりもお かあこしょ あふぁれえと おもふぉゆれえ たあンがあ しょンで ふれし やどの ムめじょもお LLHLF・HHLLLFL・LLLLF・HHHHLLH・LHLHHLF。詠み手は誰かの袖にたきしめた香りが梅に移ったのだろうと想像している、ということだそうです。
ⅳ 禁止「な」、詠嘆の「な」 [目次に戻る]
次は禁止の「な」。「濡らすな」〈上上平上〉(顕天片・顕大1094。ぬらしゅなあ HHLF)のような言い方、「出(い)づな」〈平上平〉(訓652。いンどぅな LHL)のような言い方から柔らかいと推定できるのでしたけれども、これらは、この助詞が終止形(一般)を先立てることも教えます。訓649の「言ふな」〈上上平〉は、『研究』研究篇下の説くとおり連体形についたものと見られますから(すでに連体形が終止形の地位を奪っていたでしょう)、もともとの言い方ではありません。「するな」ではなく「すな」(しゅうなあ FF)、「来るな」ではなく「来(く)な」(くうな RL)が古典的な言い方です。
こよろぎの磯たちならし磯菜つむめさし濡らすな沖に居(を)れ波 古今・東歌1094。こよろンぎの いしょ たてぃい ならしい いしょな とぅむ めしゃし ぬらしゅなあ おきに うぉれ なみ LLHHH・HHLFLLF・HHHHH・LHLHHLF・LLHHLLL。目を刺すくらいの長さの前髪を「目刺(さ)し」と言い、転じてそうした髪の幼い女の子のこともそう言うそうです。辞書には「めざし」とありますけれども、顕天片から訓に至る九つの古今集声点本はいずれも「めさし」とします。「ころよぎ」は今は「こゆるぎ」と言って、神奈川県は大磯付近の地名。歌は、波よ沖に居れ、女の子を濡らすな、といっています。
君が名も我が名も立てじ難波なるみつとも言ふな逢ひきとも言はじ 古今・恋三649。再掲。きみンが なあもお わあンがあ なあもお たてンじい なにふぁなる みいとぅうともお いふなあ あふぃきいともお いふぁンじい HHHFF・LHFFLLF・LHHLH・RFLFHLF・LHFLFHHF
次に、詠嘆の「な」も柔らかいと見られます。注記は少ないとは申せ、常に低いのでないことは、花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 古今・春下・小野小町113。第二句に毘が「○○○○上平上」を差しています。ふぁなの いろふぁ うとぅりにけりなあ いたンどぅらに わあンがあ みい よおにい ふる ながンめ しぇえしい まあにい LLLLLH・LLHHHLF・HHHHH・LHHHHLH・LLLHHHH
などから知られ、高い拍の次で低まることは、
散りぬれば後(のち)は芥(あくた)になる花を思ひ知らずもまどふ蝶(てふ)かな 古今・物の名・くたに435。末句に家・伏片が〈平平上平平上平〉を、毘が〈平平上○○上平〉を差しています。てぃりぬれンば のてぃふぁ あくたに なる ふぁなうぉ おもふぃい しらンじゅもお まンどふ てふかな HLLHL・LLHHHHH・LHLLH・LLFHHLF・LLHLLHL。散ってしまえば屑(くず)になってしまう花なのに、そういうことも分からずに蝶はその周りをしきりに飛んでいるよ。
のような例が示します。「かな」はアクセント上は「か」「な」に分解できます。
v や [目次に戻る]
これも柔らかいことは確認した通りです。古典的には低い拍の次で通例卓立することは言うまでもないとして(「裂手(さきで)そもや」に〈平平平上平東〉〔岩紀108〕)、高い拍の次における振る舞いには、「も」「し」「ぞ」とは少し異なるところがあります。すなわち、古くは「君はや無き」〈上上上上平東〉(岩紀104。きみふぁやあ なきい HHHFLF。下降拍の長短は反映させません。以下同じ)から、初期古今集声点本の「ありぬやと」〈平上上上(平)〉(顕天片1025。ありぬやあと LHHFL)を通って、後期古今集声点本の「飽くや」〈平上上〉(訓468。あくやあ)に至るまで、低まらないことが多いようです。「否や」〈平上平〉(顕天片1040。いなや LHL)、「美作(みまさか)や」〈上上上上平〉(顕天片・顕大1083。みましゃかや HHHHL)、「大原(おほはら)や」〈平平平上平〉(訓871。おふぉふぁらや LLLHL)のような言い方も見られますけれども、低まらない言い方が顕著に多いと申せます。
「は」をはじめ、「る」を果てにて、「ながめ」を掛けて時の歌詠め、と人の言ひければ詠みける
花のなか目に飽くやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらなる 古今・物の名468。「ふぁあ」うぉお ふぁンじめ、「るう」うぉお ふぁてにて、「なンがめ」うぉ かけて ときの うた よめえと ふぃとの いふぃけれンば よみける 「H」HHHH、「H」HLLHH、「LLL」HLHH・LLLHLLF、LHLL・HLHLL・LHHL / ふぁなの なか めえにい あくやあとて わけえ ゆけンば こころンじょ ともに てぃりぬンべらなる LLLLH・LHLHFLH・LFHLL・LLHLHHH・HLHHLHL。訓が「『は』をはじめ」に〈上上上上平〉を差しますけれども、末拍は動詞と見誤ったと思われます。
我をのみ思ふと言はばあるべきをいなや心は大幣(おほぬさ)にして 古今・雑体1040。諸本「いでや」とするところを、顕天片は「いなや」〈平上平〉とします。「否(いな)」はLFと見る向きもありますけれども、図名が「いなとならば」の「いな」に〈平上〉を差しています。以下は古典的なアクセント。われうぉのみい おもふうと いふぁンば あるンべきいうぉ いなやあ こころふぁ おふぉぬしゃに しいて LHHLF・LLFLHLL・LLLFH・LHFLLHH・LLHLHFH。「君だけを愛する」と言ってくれたらいいのに、いやもう、あの人は引く手あまたで。原文は「と」を持ちながらも間接話法です。訳文は直接話法。
美作や久米の佐良山さらさらに我が名は立てじ万世(よろづよ)までに 古今・神遊びの歌1083。みましゃかやあ くめの しゃらやま しゃらあしゃらあに わあンがあ なあふぁ たてンじい よろンどぅよまンでに HHHHF・LHLLLLL・LFLFH・LHFHLLF・LLLHLHH。「よろづよ」は岩紀は〈平平平東〉を差しますが、図名の〈平平上上〉に拠ります。「よろづ」は「よろンどぅ LLH」で、こうしたアクセントの名詞を前部成素とする複合名詞においては、「浅茅生」(あしゃンでぃふ LLHL)、「涙川」(なみンだンがふぁ LLHHL)に見られるように、そのアクセントが保持されやすいようです。
大原や小塩(をしほ)の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ 古今871・雑上・業平。おふぉふぁらやあ うぉしふぉの やまもお けふこしょふぁ かみよの こともお おもふぃい いンどぅらめえ LLLHF・HHHHLLF・LHHLH・LLHLLLF・LLFLHLF
なお、願望の終助詞とされることの多い未然形接続の「ばや」は、要するに「何々できたならなあ」といった意味なのですから(「可能態」)、「ば」と「や」とからなるイディオムであり、別して一語の助詞とするには及びません。
さつき来(こ)ばなきも古(ふ)りなむほとときすまだしきほどの声をきかばや 古今・夏138 しゃとぅき こおンば なきもお ふりなムう ふぉととンぎしゅ まンだしきい ふぉンどの こうぇえうぉ きかンばやあ HHHRL・HLFLHHF・LLLHL・LLLFHLL・LFHHHLF
はるかなる岩のはさまにひとりゐて人目おもはで物おもはばや 新古今・恋二1099・西行。ふぁるかなる いふぁの ふぁしゃまに ふぃとり うぃいて ふぃとめ おもふぁンで もの おもふぁンばやあ LHLHL・HLLLLLH・LHLFH・HHHLLHL・LLLLHLF。現代語「はざま」の第二拍は平安時代には清んだようです。
ⅵ か [目次に戻る]
この助詞そのものについては、すでに申しつくしています。それは「や」と同趣の、高い拍の次で低まりにくいタイプの柔らかい拍です。
君や来し我やゆきけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか 古今・恋三645、伊勢物語69。きみやあ こおしい われやあ ゆきけム おもふぉいぇンじゅ ゆめかあ うとぅとぅかあ ねえてかあ しゃめてかあ HHFLH・LHFHLLH・LLLHL・LLFLLHF・FHFLHHF
桜ばな夢かうつつかしらくもの絶えて常なき峰の春風 新古今・春下139・家隆。しゃくらンばな ゆめかあ うとぅとぅかあ しらくもの たいぇて とぅねえ なきい みねの ふぁるかじぇ HHHHH・LLFLLHF・LLLLL・LHHLFLF・HHHLLLH。「しらくも」(しらくも LLLL)の「しら」は「知らず」(しらンじゅ)の「しら」を兼ねます。
「かも」「かは」「かし」の例も引いておきます。
たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに 古今・雑上909。初句に梅が〈上上上上平〉を、寂が〈(上上上)上平〉を差します。〈上上上平上〉も差しうると見られ、訓の〈平上上平平〉はこれからの変化と見られます(初拍は誤点でしょう)。以下は一例。たれうぉかもお しる ふぃとに しぇえムう たかしゃンごの まとぅも むかしの ともならなくに HHHLF・HHHLHHH・LLLLL・LHLHHHH・HHLLHHH。「高砂」の後半二拍はあまり根拠のない推定で、LLHLかもしれず、LLLHかもしれません。「たかすなご」のつづまったものと言い、「高し」は低起式、「砂子」は「しゅなンご LLL」です。
亭子の院の歌合の春の果ての歌
けふのみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花の陰かは 古今・春下。「陰かは」に寂が〈○○上上〉を、毘が〈平上○○〉を差しています。ていンじいのお うぃんの うたあふぁしぇの ふぁるうの ふぁての うた LLHHLLL・HHHHLL・LFLLLLHL / けふのみいと ふぁるううぉ おもふぁぬ ときンだにもお たとぅ こと やしゅきい ふぁなの かンげえかふぁ LHLFL・LFHLLLH・LLHLF・LHLLLLF・LLLLFHH
ちぎりけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは 古今・秋上178。毘が末句に〈平上上平上上上〉を差しています。てぃンぎりけム こころンじょ とぅらきい たなンばたの としに ふぃとたンび あふふぁ あふかふぁ HHLLH・LLHLHHF・HHHHH・LLHLLHL・LHHLHHH。織姫は年に一度逢いましょうと約束したというが、薄情もいいところだ。そんなのは逢ううちに入らない。
「よ」「ね」「なあ」といった気持ちで使われる終助詞の「かし」は、詠嘆の助詞「か」と強意の助詞「し」との複合したものですけれども、例えば動詞の命令形は助詞「か」は従えないが「かし」は従えるというように、独自の意味・用法を持ちます。とはいえその二つの拍はいずれも柔らかいようで、そう見れば、古今集声点本におけるすべての注記、
言ふかし〈上上上平〉(顕天平526注〔『研究』索引篇pp.55-56〕。いふかし HHHL)
見むかし〈平上上○〉(伏片・家425。みいムかしい LHHF、ないしその変化した、みいムかし LHHL)
見むかし〈平上平平〉(京秘・訓425。みいムかし LHLL。「みいムかしいLHLF」からの変化)
見むかし〈平平平上〉(毘425。〈平上平上〉の誤写と思われます)
における「かし」の挙動はすべて説明がつきます。つまりアクセントの面では「かし」は助詞「か」と助詞「し」とに還元されます。
例えば源氏・帚木に、光る源氏が「ねたう。心とどめても問ひ聞けかし」(ねたう。こころ とンどめても とふぃ きけかしい LHL。LLHHHLHL・HLHLLF)と思うところがあります。小君が空蝉に光る源氏のことを言うが空蝉は光る源氏に関心がないようなので、しゃくだな、私のことをもっと熱心に(小君に)聞いてくださいよ、と思っています。実際に命令するつもりはなく、ただ聞いてくれたらいいのに、と思っているだけです。「命令形+かし」にはこんな用法もあります。
よそながらあやしとだにも思へかし恋せぬ人の袖の色かは 新古今・恋二1121。よしょなンがら あやしいとンだにもお おもふぇかしい こふぃ しぇえぬう ふぃとの しょンでの いろかふぁ HLHHH・LLFLHLF・LLHLF・LLHHHLL・HHHLLHH。せめて、どうでもよいが変だとくらいは思ってくださったらいいではありませんか。紅涙に染まったこの袖は、恋をしていない人のものでしょうか。高松院の衛門の佐(すけ)という人の歌で、詠まれたのは1195年のことだそうですが、上は古典的な言い方です。
寝し床(とこ)に魂(たま)なき骸(から)をとめたらばなげのあはれと人も見よかし 和泉式部集。ねし とこに たま なきい からうぉ とめたらンば なンげの あふぁれえと ふぃともお みいよかし HHHHH・LLLFLHH・HLLHL・LLLLLFL・HLFRLHL。私たちが寝た床に私が遺骸をとどめておいたら、心のこもらないなさけをかけ、ああ気の毒と思って見てあげてくださいね。『源氏』に二度あらわれる「なげのあはれ」(なおざりのなさけ)はいずれも「…をかく」(…をかける)という言い方で使われています。和泉式部集のもう一つの歌では「…を言ふ」という言い方で使われています。「寝し床」の歌では「なげのあはれ(をかく)」と「『あはれ』と見る」とが掛けられていると思います。
ⅶ よ [目次に戻る]
これも柔らかい。この助詞のアクセントは、岩紀103の「真蘇我(まそが)よ」〈上上上東〉などから知られます。サ変「す」の命令形「せよ」などにあらわれる「よ」も、元来はこれなのでした。
やよや待てやまほととぎすことつてむ我世の中に住みわびぬとよ (古今・夏152。再掲。「やよや」には伏片・家・梅・寂・毘そのほかが〈上平上〉を、最後の「とよ」には伏片・毘が〈平上〉を差しています。やよやあ まてえ やまほととンぎしゅ こと とぅてムう われ よおのお なかに しゅみい わンびぬうとよお HLFLF・LLLLLHL・LLHHF・LHHHLHH・LFHLFLF
ⅷ へ [目次に戻る]
場所ではなく方向を示したとされることも多いのですけれども、場所を示す用法がないわけではありません。
今更に山へ帰るなほととぎす声のかぎりは我が宿に鳴け 古今・夏151。毘が「山へ」に〈平平上〉を差しています。いま しゃらあに やまふぇえ かふぇるな ふぉととンぎしゅ こうぇえの かンぎりふぁ わあンがあ やンどに なけ LHLFH・LLFLLHL・LLLHL・LFLLLLH・LHLHHHL
のような言い方がなされる一方、顕府(13)が「道の奥へつかはしたりけるに」に〈上上上平上平(上上上平平上上平上)〉(みてぃの おくふぇ とぅかふぁしたりけるに HHHLHL・HHHLLHHLH)を差しなどしますから、やはり柔らかいと見られます。 北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来(こ)し数は足らでぞ帰るべらなる 古今・羇旅412。伏片は「北へ」に〈上平平〉を差しますけれども、古典的には〈上平上〉と言われたでしょう。きたふぇえ ゆく かりンじょ なくなる とぅれて こおしい かンじゅふぁ たらンでンじょお かふぇるンべらなる HLFHH・LHLHLHL・HLHLH・LHHHHLF・LLLHLHL。左注によれば、ある男女が地方に下ったが、到着早々男がなくなり、女は京に戻る、その途次(とじ)における嘱目(しょくもく)、という説があるそうです。伏片は第二句の「雁」に〈上上〉を差しますが(伏片935は〈平平〉)、前紀62でも、顕天平・梅・寂585などでも「雁」は〈平上〉です。現代京都ではHHないしHLだそうです。
ⅸ (な…)そ [目次に戻る]
一拍の柔らかい助詞の最後は、副詞「な」と呼応する「そ」です。「な…そ」は、「何々しないでおくれ」「何々しないでいただけませんか」といった意味合いの、ということは禁止というよりはむしろ否定的な懇願を意味するイディオムです。この「な」は本来的に高く、「そ」は柔らかいと見られます。サ変「す」、カ変「く」を先立てる時はそれらに未然形を要求し(「なせそ」「なこそ」)、それ以外の動詞を先だてる時はそれらに連用形を要求すること(「な言ひそ」)は周知ですけれど、問題はその未然形や連用形は特殊形なのか一般形なのかです。識者の中には、この「そ」はもともとは常に低く言われたのであり、
なとどめそ〈上上上上上〉(訓368。なあ とンどめしょお HHHHF。止(と)めないでおくれ)
な咲きそ〈○上上上〉(伏片123。なあ しゃきしょお HHHF)
な咲きそ〈上上平上〉(梅123。なあ しゃきしょお HHLF)
な鳴きそ〈上上平上〉(毘・高貞1067。なあ なきしょお HHLF)
のような言い方は、係助詞「ぞ」との混同によって後世生じたものとする向きもあるのですが、「明けぞしにける」(古今・秋上177など。あけンじょお しいにける HLFFHHL)のような、動詞の連用形が係助詞「ぞ」を従える言い方と、「な」とペアで使う「な明けそ」のような言い方との混同は考えにくいというべきでしょう。
な言ひそ〈上上上平〉(毘・高貞811。なあ いふぃしょ HHHL)
な詰(つ)めそ〈上上上平〉(伏片455。なあ とぅめしょ HHHL)
といった言い方で「そ」の低いのは高い拍の次だからであり、
な焼きそ〈上上平平〉(訓17。なあ やきしょ HHLL。少し先で全体を引きます)
のような言い方は、引きつる、
な咲きそ〈上上平上〉(梅123。なあ しゃきしょお HHLF)
な鳴きそ〈上上平上〉(毘・高貞1067。なあ なきしょお HHLF)
などと同じ言い方「なあ やきしょお HHLF」からの変化と見るのが自然だと思います。
そこで、特殊形か一般形かの問題ですけれども、「な…そ」の「そ」は、低起動詞には一般形を要求すると見られます。低起動詞の連用形(一般)が「そ」を従える例は、『研究』研究篇下に示されているとおり、
な集(つ)めそ〈上平上平〉(寂・訓455。なあ とぅめしょ HLHL)
なとがめそ〈(上)平平上平〉(毘508。なあ とンがめしょ HLLHL)
など、少なからず採集できる一方、確実に低起動詞の連用形(特殊)が「そ」を従えているという例は見らないからです。『研究』研究下(p.169)は、『前本・図本紀』(巻14)に「莫預」を「ナクハラシメソ」と訓み〈上平平平平平平〉を差すところがあるとします。これは「加」を当てうる「なくははらしめそ」のつづまった言い方のようで、〈上平平平平平上平〉「なあ くふぁふぁらしめしょ HLLLLLHL」からのズレと解しうるほかに、〈上平平平平平平東〉「なあ くふぁふぁらしめしょお HLLLLLHL」からのそれなども解し得ますけれど、原本はこちらの言い方だったとしても、多数派たりえません。文節が付属語で終わる時、通例の下降形式を持たない「くははらしめそ」〈平平平平平平平〉のような言い方がとられるのは異様だと申せましょう。
とすれば、「そ」はもともとは高起動詞にも一般形を要求すると見たほうが自然だ、と申したいところですけれども、『研究』研究下の採集した例によると高起動詞が特殊形をとる例はずいぶん多くて、すべてを誤点と見ることはできません。「そ」は元来は高起動詞には特殊形を要求したが(『研究』もそう見ています)、後に、「言ひき」(いふぃき HLL)、「言ひて」(いふぃて HLL)といった言い方の影響で変化したと見ておきます。この「そ」は、同じ柔らかい拍とはいえ「も」や「し」のような付属語とは異なり低平連続調を先立てないので、ありようにちがいが見られます。
山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君がこよひ来(こ)なくに 古今・春下123。再掲。やまンぶきふぁ あや なあ なあ しゃきしょ ふぁな みいむうと ううぇけム きみンが こよふぃ こおなくに LLHLH・LLRHHHL・LLLFL・HLLHHHH・HHHLHHH
春日野は今日はな焼きそ若草の妻もこもれり我もこもれり 古今・春上17。かしゅンがのふぁ けふふぁ なあ やきしょ わかくしゃの とぅまもお こもれり われも こもれり HHHHH・LHHHHHL・LLHLL・HLFLLHL・LHLLLHL
それをだに思ふこととて我が宿を見きとな言ひそ人の聞かくに 古今・恋五811、大和物語26。しょれうぉンだに おもふ こととて わあンがあ やンどうぉ みいきいと なあ いふぃしょ ふぃとの きかくに HHHHL・LLHLLLH・LHLHH・RFLHHHL・HLLHHHH。私のことを思ってくださるのなら、せめてそのしるしとして、私の家を見たなんて口をすべらせないでください。人が耳にするので。
高起動詞の未然形は一般形、特殊形の差がないので、「なせそ」は「なあ しぇえしょお HHL」など言われたことに疑義はありません。他方「なこそ」は、「なあ こおしょお HRL」という、未然形(一般)に付く言い方がなされたと見られます。
「な来そ」といえば「勿来(なこそ)の関」。この歌枕のアクセントはあいにく諸書に注記がないようですけれども(「関」は「しぇき LL」でした)、遠慮なく引かせてもらえば、ウィキペディアには、「勿来」は「名古曾」「名社」なども表記されたとあります。「名」は「なあ F」、「古曾」も「社」も係助詞「こそ」の当て字ですから、「名古曾」「名社」は「なあ こしょ FHL」、あるいはそこからの変化として「なあこしょ FLL」と言われたでしょう。「勿来」もこう、ないしこれらに近く言われたかもしれませんが、やはりウィキペディアによれば「なこその関」という言い方は和歌のような文学作品にしかあらわれないそうです。「勿来の関」の「なこそ」はもともと「な来そ」だった、ということは例えば「見るなの座敷」のそれと似た語構成だったのかもしれません。さしあたりこれによることにします。
春は東(ひむがし)よりきたるといふこころを詠みはべりける
あづま路はなこその関もあるものをいかでか春の越えて来つらむ 後拾遺・春上3。ふぁるうふぁ ふぃムがしより きいたると いふ こころうぉ よみい ふぁンべりける LFH・HHHLHL・RHLL・HHLLHH・LFRLHHL / あンどぅまンでぃいふぁ なあ こおしょの しぇきもお ある ものうぉ いかンでかあ ふぁるうの こいぇて きいとぅらム LLLFH・HRLLLLF・LHLLH・HRHFLFL・HLHRHLH。詞書の「きたる」は「来至る」(きいい いたる ℓfHHL)に由来する一語の四段動詞です。総合索引によると諸書に〈上上平〉の注記が見られるとのことで、これは「きいたる RHL」の略表記だったと、ないし古くはこう言われたと思います。
吹く風をなこその関と思へども道も狭(せ)に(道一杯ニ)散る桜花かな 千載・春下103。ふく かンじぇうぉ なあ こおしょの しぇきと おもふぇンどもお みてぃも しぇえに てぃる しゃくらンばなかなあ LHHHH・HRLLLLL・LLHLF・HHLHHHH・HHHHHLF。「狭(せ)に」は「狭(せ)し」(しぇしい HF)と同根でしょうから(「狭し」〔しぇンばしい LLF〕とは異なるのでした)、HHないしFHと見られます。
e 柔らかい拍を含む二拍の助詞 [目次に戻る]
i より [目次に戻る]
見られるのは、
あすよりは〈平平上平上〉(図紀86。あしゅよりふぁ LLHLH)
かちよりゆく〈平上平平上平〉(図名。かてぃよりゆく)
のようなものだけなので、初拍は柔らかく、第二拍は常に低いと見られます。
あづさゆみ春立ちしより年月の射るがごとくもおもほゆるかな 古今・春下127。寂が「立ちしより」に〈平平上平平〉を差しています。あどぅしゃゆみ ふぁるう たてぃしより とし とぅきの いるンがンごとくもお おもふぉゆるかなあ LLLHL・LFLLHLL・LLLLL・HHHHLLF・LLLLHLF。
梅の花たちよるばかりありしより人のとがむる香にぞしみぬる 古今・春上35。腰の句に寂が〈平平上平平〉を差しています。ムめの ふぁな たてぃい よるンばかり ありしより ふぃとの とンがむる かあにンじょ しみぬる HHHLL・LFHHHHL・LLHLL・HLLLLLH・HHLHLLH。立ち寄った程度なのに、人が「だれの移り香かと思うような」(佐伯さんの言い方)香りが染みついてしまった、ということのようです。「…ばかりあり」が「…程度である」を意味できることについては「委託法」に関する小論をご参照ください。
ⅱ のみ [目次に戻る]
「より」とは少し異なり、いずれの拍も柔らかいと考えられます。初拍の柔らかいこと、それも、高い拍の次で低まりやすいタイプの柔らかい拍であることは、
憂く干ずとのみ〈上平上平平上平〉(毘422。再掲。ううく ふぃいンじゅとのみ RLRLLHL)
雲かとのみなむ〈(平平上平)上平(上平)〉(寂(33)。くもかあとのみなム LLFLHLHL)
などに見られるとおり低い拍の次で卓立し、
然(しか)あるのみにあらず〈(平平平上)上平(上平上平)〉(寂(27)。しか あるのみに あらンじゅ LLLHHLHLHL)
などに見られるとおり高い拍の次で低まらないこともあるものの、
過ぎがてにのみ〈平平上上上平平〉(毘120。しゅンぎンがてにのみ LLHHHLL。下に全体を引きます)
見てのみや〈上上平平上〉(伏片55。みいてのみやあ RHLLF。下に全体を引きます)
離(か)れやうにのみなりゆきけり〈上上上上上平平(平上上平上平)〉(毘・高貞・訓994詞書。かれやうにのみ なりい ゆきけり HHHHHLL・LFHLHL)
などに見られるように低まることの多いことが示します。「より」のそれとは異なり末拍も柔らかいことは、上の諸例に加えて、斯(か)くのみと〈上平平上平〉(前紀・図紀75。かくのみいと HLLFL)
泣くのみ〈上上平上〉(『御巫私記』〔『研究』研究篇下(p.160)〕。なくのみい HHLF)
といった言い方に見られるとおり、低い拍の次で卓立する例の少なくないことが示します。「過ぎがてにのみ〈平平上上上平平〉(毘120。しゅンぎンがてにのみ LLHHHLL)のような言い方は、古典的な〈平平上上上平上〉(しゅンぎンがてにのみい LLHHHLF)からの変化と見るべきでしょう。断定の「なり」がそうだったのと同じように、「のみ」は古典的には通例〈平上〉か〈上平〉のアクセントをとるようで、〈上上〉で言われることはないと見られます。
この助詞を「の身」に由来すると見る向きもありますが、『研究』もそう見るとおり、アクセントはこの語源説を支持しません。早くから由来が忘れ去られた? むしろそもそも「の身」説はこじつけではないかと思います。
我が宿に咲ける藤なみ立ちかへり過ぎがてに(通リ過ギガタク)のみ人の見るらむ 古今・春下120。わあンがあ やンどに しゃける ふンでぃなみ たてぃい かふぇりい しゅンぎンがてにのみい ふぃとの みるらム LHLHH・HLHHHLL・LFLLF・LLHHHLF・HLLLHLH
見てのみや人に語らむ桜ばな手ごとに折りて家づと(家ヘノ土産)にせむ 古今・春上55。みいてのみやあ ふぃとに かたらムう しゃくらンばな てえンごとおに うぉりて いふぇンどぅとに しぇえムう RHLHF・HLHHHHF・HHHHH・LLFHLHH・LLLHHHF。土産ばなしにするだけではなく、みなさん、一人一本でも二本でも折って、ほんものの土産としておうちに持って帰りましょう、といった趣です。「家づと」への注記は知りませんけれども、「家」は「いふぇ LL」、「苞(つと)」は「とぅと LH」なので、「いへづと」はその単純和でよいと見られます。次がそうであるように、「LL+LH」の複合名詞はたいていLLLHというアクセントをとります。
あまぶね【海人舟】(あまンぶね)
かはぎぬ【皮衣】(かふぁンぎぬ)
かむだち【神館】(かムだてぃ) 「かみだち」から。
たまぎぬ【玉衣】(たまンぎぬ)
つらづゑ【面杖】(とぅらンどぅうぇ) 頬杖のこと。「つら」には「頬」も当てます。
はながさ【花笠】(ふぁなンがしゃ)
はらおび【腹帯】(ふぁらおンび)
むまぎぬ【馬衣】(ムまンぎぬ)
「LH+LH」も通例LLLHと言われるので、ついでに少し並べておきます。
いとすぢ【糸筋】(いとしゅンでぃ) 要するに糸のことです。「すぢ」(しゅンでぃ LH)は線や線状のものでした。
いなぶね【稲舟】(いなぶね) 「稲(いね)」は「いね LH」です。
からうす【唐臼】(からうしゅ) 源氏・夕顔にこの音が響いています。
からうり【唐瓜】(からうり) 胡瓜のことだそうです。
からかさ【唐傘】(からかしゃ) 近世資料HHLLからの推定。
からぎぬ【唐衣】(からンぎぬ)
かりぎぬ【狩衣】(かりンぎぬ)
きぬいた【絹板】(きぬいた) 「砧(きぬた)」はこのつづまったものですけれども、アクセントは「きぬた LLL」のようです。
きぬがさ【絹笠】(きぬンがしゃ)
そばむぎ【稜麦】(しょンばむンぎ) ものの角(かど)や尖った所を「稜(そば)」(しょンば LH)といったそうで、かどばっていることを言う「そばそばし」(しょンばしょンばしい LLLLF)という形容詞もあります。人間関係に関して「かどがある」「円滑でない」さまも言い、『紫式部日記』や『源氏』にはこちらの意味の「そばそばし」があらわれます。「そばむぎ」は「そばそばしき麦」(しょンばしょンばしきい むンぎ LLLLLFLH)のことで、食べ物の蕎麦(そば)はこの「そばむぎ」の略です。「そばうり【稜瓜】」(しょンばうり)という言葉もあって、これは「唐瓜」と同じく胡瓜のことだそうです。胡瓜のとげも「稜(そば) LH」なのでしょう。しょンばしょンばしきいこしょ あンじゃらかなれ。
なかぞら【中空】(なかンじょら)
まつかさ【松笠】(まとぅかしゃ)
ⅲ もが [目次に戻る]
今度は願望の「もが」。岩紀102の「かくしもがも」は何度も引きましたけれど、この言い方が願望を示すのは何よりも「もが」があるからで、最後の「も」はおまけです。おまけとして「も」でなく「な」を添えることもあるのは周知。現代語に「なくもがなの何々」という言い方がありますが、平安時代には「なくてよい何々」といった意味で「なくもがなの何々」ということはありませんでした。ただ「『忘れじ』のゆくすゑまでは難ければ」などと同趣の言い方としては「の」を従えられます。並べてもがも〈上上平上平上平〉(紀前46。ならンべてもンがも HHLHLHL。並べておきたいのだ)
わが命も長くもがと〈平上平平上平平上平平上平〉(前紀・図紀78。わあンがあ いのてぃも なンがくもンがあと LHLLHL・LHLLFL)
なくもが〈去平上平〉(改名。観智院本の仏下末という信頼度の低いところに見られる注記で、いま一つ「なくもか」〈去平上上〉という清濁も異なる注記の見られることで信頼度はさらに低まりますけれども、はなから疑ってかかる必要もありません。次の二つなども考え合わせると、上の前紀・図紀の言い方に倣って「なあくもンがあ RLLF」とも言える一方、改名の注記のとおり「なあくもンが RLHL」とも言えるでしょう)
成る時もがな〈平上平平○平上〉(毘445。なる ときもンがなあ LHLLHLF。五拍目が無点ですけれども、「が」が低いことから、「なる ときもンがな」とは異なる言い方もできたことが知られます。その場合、「なる ときもンがなあ LHLLLLF」という、卓立しうる「も」「が」が卓立せずに持ち越されて最後の「な」だけが卓立し下降するという言い方も可能だったかもしれませんけれども、これは「なる ときもンがなあ LHLLHLF」からの変化として理解すべきもので、古くはこちらの起伏の多い言い方しかしなかったのではないでしょうか。毘の注記はいずれとも解せると思います。
なくもがな〈上平○平上〉(梅54が「なく」に〈上平〉、毘54が「がな」に〈平上〉を差しています。やはり三拍目は低くも言われうるにしても、それは「なあくもンがなあ RLHLF」からの変形と見てよいと思います。
岩紀102の、すでに何度か引いた「かくしもがも」〈上平平東平東〉の四拍目に東点の差されているのは、原文に差されていた上声点を末拍の東点に引かれて移し誤ったのだと思います。
花の木にあらざらめども咲きにけり旧(ふ)りにしこのみ成る時もがな 古今・物の名・めど(未詳)。ふぁなの きいにい あらンじゃらめどもお しゃきにけり ふりにし こおのお みい なる ときもンがなあ LLLLH・LHLLHLF・HLHHL・LHHHLLH・LHLLHLF。「木の実、成る」と「この身、成る(成リアガル)」との掛詞で、毘が「このみ」に〈平平上〉を差すのは「木の実」のアクセントです。
いしはしる滝なくもがな桜ばなたをりても来む見ぬ人のため 古今・春上54。いし ふぁしる たき なあくもンがなあ しゃくらンばな たうぉりても こおムう みいぬう ふぃとの ため HLLLH・HHRLHLF・HHHHH・LLHHLLF・LHHLLHL。「滝」は急流も意味できるのでした。「いしはしる」は水が石の上を走るさまをいうようです。伏片は「いははしる」〈上平平平上〉(いふぁ ふぁしる HLLLH。三拍目清音)とします。
思ふてふ人の心のくまごとに立ちかくれつつ見るよしもがな 古今・誹諧1038。おもふうてふ ふぃとの こころの くまンごとおに たてぃい かくれとぅとぅ みる よしもがな LLFLH・HLLLLHL・HHLFH・LFLHLHH・LHHHLHL。「あなたを愛する」と言う人の心のひだひだに立ち隠れて、確かめてみたいよ。末句に寂が〈○○○平上〉を差しています。「よし【由】」は「よし HH」で、寂の注記は「よしもンがなあ HHHLF」とも、「よしもンがなあ HHLLF」とも解せます。「も」は早くから高い拍の次で好んで低まるのですから、古くから後者でも言われたと考えられます。好まれたのはこちら言い方と、「よしもンがな HHLHL」との二つでしょう。
今はただ思ひ絶えなむ(アナタノコトハアキラメマス)とばかりを人づてならでいふよしもがな 後拾遺・恋三750。いまふぁ たンだあ おもふぃい たいぇなムうとンばかりうぉ ふぃとンどぅてならンで いふ よしもがな LHHLF・LLFLHHF・LLHLH・HHHHLHL・HHHHLHL。「絶ゆ」は他動詞としても使われると申しましたけれども、この「絶え」なども他動詞と見るべきだと思います。
ⅳ しか [目次に戻る]
続いて願望の「しか」。完了の「ぬ」「つ」の連用形を先立てたり、詠嘆の助詞「な」を従えたりしますけれども、核心部分は「しか」です。
願望の「しか」は二つの柔らかい拍からなり、先立つ動詞に連用形(特殊)を要求するようです。助動詞「つ」「ぬ」を先立てる場合それらに特定のアクセントを求めないこと、「べし」などの場合と同様です。この「しか」は平安時代には「しが」と言われるようになったという記述を色々なところで見かけますが、古今集声点本に見られる十五例ほどは、
見しか〈平上上〉(顕天片・顕大・訓1097。みいしかあ LHF)
見しか〈平上平〉(寂1097。みいしか LHL)
してしか〈上平上平〉(家・梅126。しいてしか FLHL)
してしか〈上平平上〉(毘126。しいてしかあ FLLF)
のような言い方か、
見てじか〈上上平平〉(寂1097。みいてンじか RHLL)
見てじか〈上平平平〉(訓1097。みいてンじか RLLL。疑義あり。三拍目か四拍目は上声点が期待されます)
得てじがな〈上上平平上〉(毘・高貞1026。いぇえてンじンがなあ RHLLF)
なり見てじがな〈○○上平平平上〉(毘1031。なりい みいてンじンがなあ LFRLLLF。「じ」への平声点は怪しい)
のように「じか」ないし「じが」とする言い方だけであって、「しが」という言い方をするものはありません。「し」にしても「か」にしても濁るのは時代が下ってからで、元来は清んだと思われます。以下は「しか」「てしかな」と表記します。「しか」の二つの拍の柔らかいことは上の諸例から明らかでしょう。
甲斐が嶺(ね)をさやにも見しかけけれなく横ほりふせるさやの中山 古今・東歌1097。かふぃンが ねえうぉお しゃやあにも みいしかあ けけれ(ないし、けけれ) なあく よこふぉり ふしぇる しゃやの(ないし、しゃやの )なかやま HHHHH・LFHLLHF・LLL(ないしHHH)RL・HHHLLHL・LHL(ないしHHH)LLLL。
思ふどち春の山辺にうち群れてそこともいはぬ旅寝してしか 古今・春下126。おもふンどてぃ ふぁるうの やまンべえに うてぃい むれて そこともお いふぁぬ たンびね しいてしか LLHHL・LFLLLFH・LFHLH・LHLFHHH・HHHFLHL
v 終助詞および係助詞の「なむ」 [目次に戻る]
未然形を先立てる終助詞の「なむ」は、「何々してくれないかなあ」「何々してくれたらよいのに」といった意味合いの、他者に対する希求を示す辞(ことば)です。しばしば「あつらえ」を意味するとされますけれども、「注文」を意味するこの古風な言い方は、終助詞「なむ」の意味合いを特によく言い当ててはいません。
上代には「な」だけでもこの意味を出せたこと、また上代には「なも」と言われたことなどを考えると、この「なむ」もやはり、柔らかい「な」と、同じく柔らかい「む」とからなると見られます。古今集声点本におけるこの「なむ」に、『研究』研究篇下の説くとおり、〈上上〉〈上平〉〈平上〉〈平平〉いずれのアクセントも注記されるのはそのためでしょう。
匂はなむ〈平平平上上〉(毘395。にふぉふぁなムう LLLHF)
解けなむ〈平平上平〉(永542。とけなム LLHL)
置かなむ〈上上平上〉(訓801。おかなムう HHLF)
借らなむ〈上上平平〉(訓141。からなム HHLL。「からなムう HHLF」からの変化と見るのが自然です)
未然形(一般)を先立てる例が少数ながら見られますけれども、未然形(特殊)を先立てる多数派の言い方が本来的なものだと思います。如(ごと)ならば君とまるべく匂はなむ帰すは花の憂きにやはあらぬ 古今・離別395。ごとならンば きみ とまるンべく にふぉふぁなム かふぇしゅふぁ ふぁなの うきいにやふぁ あらぬ HLHLL・HHHHHHL・LLLHL・LLHHLLL・LFHHHLLH。咲くというのなら、あのかたが立ち止まるように見事に咲きほこったらいいのに。あのかたを立ち止まらせないとしたら、それは花が悪いということではないか。
春立てば消ゆる氷の残りなく君が心は我にとけなむ 古今・恋一542。ふぁるう たてンば きゆる こふぉりの のこり なあく きみンが こころふぁ われに とけなム LFLHL・HHHHHHH・LLLRL・HHHLLHH・LHHLLHL。第二句までは「残りなく」というためのもの。春になると消える氷のように、あなたの私に対する気持ちが残りなく解けたらいいのだけれど。この歌における序のようなものは一般に「比喩による」序(序詞)とされますけれども、私に対するあなたの気持ちが春を迎えた氷のように残りなくとける、という言い方における「残りなく」は、実際には比喩とは言いにくいものでしょう。例えば「東京の物価はスカイツリーのように高い」は一見比喩(直喩〔simile〕)のようですが、二つは明らかに異なる意味において高いのであり、比喩(直喩)という、性質の類似性(similarity)をもととした文彩とは異なるものと言うべきです。「気持ちが春の氷のように残りなく解ける」における「残りなく」や、「物価がスカイツリーのように高い」における「高い」に、西洋の修辞学はsyllepsis(兼用法)という名を与えています。
忘れ草枯れもやするとつれもなき人の心に霜は置かなむ 古今・恋五801。わしゅれンぐしゃ かれもやあ しゅると とぅれも なきい ふぃとの こころに しもふぁ おかなムう HHHHL・HLHFHHL・HHLLF・HLLLLHH・LLHHHLF。霜は冷淡なあの人の心に降りたらいいのに。そうすれば忘れ草が枯れるのではないかと思うから。
けさ来鳴きいまだ旅なるほととぎす花たちばなに宿は借らなむ 古今・夏141。けしゃ きいい なき いまンだあ たンびなる ふぉととンぎしゅ ふぁなたてぃンばなに やンどふぁ からなムう LHℓfHL・LLFHLHL・LLLHL・LLLHHLH・LHHHHLF。今朝やって来て鳴く、いまだ居所さだまらぬほととぎすは、我が家の橘の花を借りて住めばいいのに。「いまだ」のアクセントは『研究』研究篇上が五類と見ていた「まだ」のそれと同趣と思われます。
あひ知れりける人のまうで来て帰りにけるのちに、詠みて花に挿してつかはしける
一目見し君もや来ると桜ばな今日は待ち見て散らば散らなむ 古今・春下78。あふぃい しれりける ふぃとの まうンで きいて かふぇりにける のてぃに、よみて ふぁなに しゃして とぅかふぁしける LFHLHHLHLL・LHLRH・LLHHHLLLH、LHH・LLHLHH・HHHLHL / ふぃとめ みいしい きみもやあ くると しゃくらンばな けふふぁ まてぃい みいて てぃらンば てぃらなムう LLHLH・HHLFLHL・HHHHH・LHHLFRH・HHLHHLF。伏片は「散らなむ」に〈○○上上〉(「てぃらなムう HHHF」でしょうか)を差していて、こちらも言える言い方です。桜の花に向かって注文していると見る向きもありますけれど、知人の訪問を受けてしばらくしてから花とともにこの歌を贈った、という意味の詞書がある以上、そういうことではないでしょう。拙宅の桜の花は、自分を一目見て帰ったお方が再びいらっしゃるかと考えて今日は散るのをやめて、そのあと、散るのなら散ってくれませんかねえ。しかし実際にはそうそう花は待ってくれないでしょうから、是非すぐにでもいらしてください。こう言っているのだと思います。ちなみにこの歌には乳酸菌飲料が詠みこまれています。
小倉山峰のもみぢ葉こころあらば今ひとたびのみゆき待たなむ 拾遺・雑秋1128。うぉンぐらやま みねの もみンでぃンばあ こころ あらンば いま ふぃとたンびの みゆき またなム HHHHL・HHHLLLF・LLHLHL・LHLLHLL・HHHLLHL。宇多上皇の御幸(みゆき)に際して、紅葉が醍醐天皇の行幸(みゆき)を待ってくれたらよいのだがと言っています。「小倉の山」に伏片312が〈上上上(上平平)〉(うぉンぐらの やま HHHHLL)を差していて、また「筑波山」に顕府(27)が〈上上上上平〉(とぅくふぁやま HHHHL)を差しなどしていましたから、「小倉山」は「うぉンぐらやま HHHHL」でよいと思います。
高砂の尾の上のさくら咲きにけり外山のかすみ立たずもあらなむ 後拾遺・春上120 たかしゃンごの うぉのふぇの しゃくら しゃきにけり とやまの かしゅみ たたンじゅもお あらなム LLLLL・LLLLHHH・HLHHL・HLLLHHH・LHLFLLHL。「高砂」の後半二拍はあまり根拠のない推定です。「尾の上」は「峰(を)の上」のつづまったものと言われます。この「峰(を)」のアクセントは、「岡(をか)」(をか HH)と関連付けるならば高平調だと考えられますけれども、早くから「尾(の)上」と表記されるようなので、「尾」と同じアクセントと見るべきでしょう。するとそれは「うぉお L」であり、その次の「の」も低くなくてはなりません。すると「尾(の)上」が純然たる三拍名詞ならばそれは後世HLに始まらなくてはなりませんが、実際には現代京都では「尾(の)上」はLLHと言われます。「尾(の)上」は複合の度合の低い言い方であり、もとの「尾の上」(うぉおのお うふぇ LLHL)と大きくは隔たらないアクセントで言われたでしょう。それは蓋然的にはLLFよりもLLLと見るべきものではないかと思います。
最後は係助詞の「なむ」。古形は「なも」で、この「な」はがんらい諸家の説くとおり詠嘆のそれでしょうし、「も」も一般に係助詞とされる「も」でしょうから、係助詞「なむ」の二つの拍はいずれも柔らかいと見られ、実際次のような言い方はいずれもそう見ることで無理なく説明されます。
さなむ〈(平)上平〉(寂874詞書。しゃあなム LHL)
明日なむ〈(平平)上平〉(寂375左注。あしゅなム LLHL)
さなむ〈平上上〉(訓874詞書。しゃあなムう LHF。「なむ」の末拍が高い「な」の次で低まらない言い方。少数派に属します)
これなむ〈上上平平〉(毘425。これなム HHLL。「これなムう HHLF」からの変化と見られます)
これなむ〈(上上)上平〉(寂411詞書、寂425。これなム HHHL。高い拍の次に「なむ」の初拍の高く付く例。少数派に属します)
なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中にいとおほきなる川あり、それを隅田川といふ、その川のほとりに群れゐて、「思ひやればかぎりなく遠くも来にけるかな」とわびあへるに、渡し守「はや、舟に乗れ。日も暮れぬ」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず、さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫のおほきさなる、水の上にあそびつつ魚(いを)を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡り守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
名にし負はばいざこと問はむ都どり我が思ふ人はありやなしやと
と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。
なふぉお
ゆき ゆきて、むしゃしの くにと しもとぅ ふしゃの くにとの なかに いと おふぉきい
なる
かふぁ ありい、しょれうぉ しゅみンだンがふぁと
いふ、しぉおのお かふぁの ふぉとりに むれ
うぃいて、「おもふぃい やれンば かンぎり なあく とふぉくもお きいにけるかなあ」と わンび あふぇるに LF・HLHLH、LHLLHHH・HHHLLLHHHH・LHH・HLLLFHL・HLLF、HHH・LLLHLLHL、HHHLLLHLH・HLFH、「LLFHLL
LLLRLHHLF・RHHLLF」L・HLLHLH、わたしもり「ふぁやあ、ふねに のれ。ふぃいもお くれぬう」と いふに、のりて わたらムうと しゅるに、みなふぃと もの わンびしくて、きやうに おもふ ふぃと なきいにしもお あらンじゅ、しゃる うぉりしもお、しろきい とりの、ふぁしと あしと あかきい、しンぎいの おふぉきしゃなる、みンどぅの うふぇに あしょンびとぅとぅ いうぉうぉ くふう。HHHHL「LF、LHHHL。FFHLF」L・HHH、HLHHHHFLHHH、HHHH・LLHHHLH、LHHH・LLHHL・LFHLFLHL、LHLHLF、LLFHHH、HHHLLHHHF、LFLLLHHLH、HHHHLHHHLHH、HHHLF。きやうにふぁ みいぇぬ とりなれンば、みなふぃと みいい しらンじゅ。わたしもりに とふぃけれンば、「これなムう みやこンどり」と いふうぉ ききて、/
なあにし おふぁンば いンじゃあ こと とふぁムう
みやこンどり わあンがあ おもふ ふぃとふぁ ありやあ
なしいやあ/と よめりけれンば、ふね こンじょりて なきにけり。LHHHH・LLHHHLHL、HHHHℓfHHL。HHHHLHHLHLL、「HHLFHHHHL」LHHHHLH、/FHLLHL・LFLLHHF・HHHHL・LHLLHHLH・LHFLFFL/L・LHLHLL、LH・HHLHHLHL。少し注釈を。「これなむ都どり」は、「あなたがた、都鳥っていうのを知っているでしょう? これがね、それさ」といった趣の言い方です。主語に付く「なむ」は「は」ではなく「が」を意味するのでした。その「都どり」ですけれども、「都」(みやこ HHH)と「鳥」(とり HH)との複合ゆえ、おそらく「みやこンどり HHHHL」と言われたでしょう。そうでなければ「みやこンどり HHHHH」です。と申すのも、高起二拍名詞を前部成素とし、「鳥」を後部成素とする場合ならば、「はつとり【初鳥】」(ふぁとぅとり HHLL)、「をしどり【鴛鴦】」(うぉしンどり HHLL)のようなアクセントになることが多いようですけれども――もっとも、例えば「にほどり」は毘・高貞・寂・訓662が「にふぉンどり HHHL」とします――、総合索引を見ますと、前部成素が三拍以上の場合は、
おすめどり【護田鳥】(おしゅめンどり HHHHL)
ゆふつけどり【木綿付鳥】(ゆふとぅけンどり HHHHHL)
よぶこどり【呼子鳥】(よンぶこンどり HHHHL。「よンぶこンどり HHHHH」とするものもあります)
とつぎをしへどり【嫁教鳥】(ととぅンぎうぉしふぇンどり HHHHHHHL。「ととぅンぎうぉしふぇンどり HHHHHHLL」とするものもあります。意味は各自お調べを。それはともかく、オシリカジリムシを思い出させる語構成です)
のように、末拍だけ低いものが多いからです。そもそも、高起五拍名詞ではHHHHH、HHHHLは多いが、HHHLLは少なく、高起六拍名詞ではHHHHHLは多いがHHHHHH、HHHHLLは少ないようです。
13 単位を定義する [目次に戻る]
例えば「環境庁長官」は東京では、まず「環境庁」を③で言ってから「長官」を⓪で言うので(かんきょーちょーちょーかん)、アクセント上は二つの部分からなると申せます(京都では「かんきょーちょーちょーかん」〔④+⓪〕か「かんきょーちょーちょーかん」〔⑦〕だそうです)。「あなたは環境庁長官ですよ」は東京では、アクセント上、「あなたは/環境庁/長官ですよ」という三つの部分からなります。この文は二つの文節からなりますから(「あなたは/環境庁長官ですよ」)、今考えようとしている単位、アクセント上の単位は文節とは別のものですけれども、例えば「あなたは長官ですよ」では両者の区分は一致するわけで、現代語において、文のアクセント上の切れ目と意味上の切れ目とが多くの場合重なることは容易に想像できます。以下、平安時代の京ことばでは何をアクセント上の単位とするか、考えてみます。
「あなたは/環境庁/長官ですよ」において各部分のアクセントは、隣接する部分を眼中に置かなくても了解できます。隣接する部分どうしの間に影響関係は見られません。この意味で各部分は独立していて、この独立しているということが、一つの単位を一つの単位たらしめています。
このことに関しては、例えば東京における「音調句」のことを申しておかなくてはなりません。ずうーっと前のほうで、「この柿」は通常「このかき」と言われ、これは一つの音調句をなすと申しました。ここで「柿」の初拍の高いのは「この」を先立ててるいるからで、その意味でこの言い方において「この」と「柿」との間には影響関係が認められます。
それから、現代京都などにおける「遅あがり」。よく知られているとおり、例えば「海」は単独では「うみ」ですけれども、「海に」は「うみに」ではなく概略「うみに」、「海に行く」ではさらに概略「うみにゆく」というように、上がり目が後ろにずれてゆきます。「うみにゆく」における「うみに」のアクセントは、それだけを見つめてもそのようである理由を了解できません。
こんなふうに、文節より大きいまとまりを考えないとアクセントのありようを理解できないということが現代語では起こるわけですけれども、平安時代の京ことはでは、さしあたりは文節より長い部分を考慮する必要はないようです。平安時代の京ことばに遅上がりという現象のなかったことは先覚の説くとおりですし、低起式の名詞が「この」なら「この」を先立てると高起式になるというようなことは今も昔も京都では起こるべくもありません。平安時代の京ことばのアクセントにおいて文節より長いまとまりを考慮する必要があると見るべき理由はないようです。
さて例えば現代東京において「花が」の「が」は低く、「鼻が」の「が」は高いのは、「花」(②)と「鼻」(⓪)とのアクセント上の性質の差に由来しているわけで、「花が」「鼻が」における「が」のアクセントは先だつ名詞のことを考えに入れなければ了解できないのですから、「花が」の「花」と「が」とを、そして「鼻が」の「鼻」と「が」とをアクセント上別単位とすることはできません。「花が」で一単位、「鼻が」で一単位です。
ここで注意すべきは、「花が」において「が」の低いのは名詞が末拍にアクセントの下がり目をもっていて「が」がそれに応じて下がるからだ、ということは名詞と助詞とのあいだに影響関係があるからだ、と申せるのに対して、「鼻が」の「鼻」は「が」に何も求めず、そのため「が」が本来の高さを維持していると言いうる、という点です。平安時代の京ことばでも「鼻が」(ふぁなンが HHH)は言いうる言い方であり、東京の「鼻が」にはその面影が認められます。しかしそれでも、東京における「鼻が」は、「花が」と同様、アクセント上、一つのまとまりを、ということは一単位をなすと考えることができますし、またそう考うべきだと思われます。例えば、東京で複合名詞「たぬきそば」が④で言われるのは、つまりそこでは「たぬき」が①ではなく⓪で言われるのは、この「たぬき」と「そば」とがアクセント上切り離せない関係にあるからで、すると「たぬきそば」は一単位です。では「きつねそば」(④)はどうでしょう。この言い方では「きつね」(⓪)も「そば」(①)ももともとのアクセントを保っていますから、定義によっては二単位とすることもできますけれど、これもまた一単位とするのが実際のありように即しているでしょう。「たぬきそば」「にしんそば」「おかめそば」のような、明らかに複合名詞としてのアクセントを持つものと並べてみるならば、それらを複合名詞と呼んで「きつねそば」をそう呼ばないのは整合的でありません。「きつねそば」は各成素のアクセントを保ったまま複合名詞としての標準的なアクセントをとれるのでげんにそうしたアクセントをとっている、と見るのが自然です。『日本語アクセント入門』(三省堂)も「アボカドヨーグルト」のような例を示して、これを一単位の複合名詞とします。
一般に助詞は先だつ自立語からの要請を受けうる場所に位置していて、「花が」のような言い方では実際そうした要請があって助詞は低まりますけれども、「鼻が」ではそうした要請はないので低まりません。低まりませんが、そうした要請を受けうる場所に位置していることに変わりはないので、そうしたものとして「鼻が」もまた一単位をなす。こういう言い方をすることもできそうです。
平安時代の京ことばのアクセントを考える時にも、「単位」をこうした意味で使うのが、ことのありように即するでしょう。まず、隣り合う二つの言葉の間にアクセント上の影響関係が認められるならば(遠隔作用は存在しないようです)、その隣り合う二つの言葉は同じ単位に属します。すでに引いた例ばかりですけれども、次のものらにおける下線部は、明白に一単位、ないしその一部をなします。
はじめに、付属語や付属語の一部が先立つ部分の低下力によって低まる例。
米(こめ)だにも〈平平上平平〉(岩紀107。こめンだにも LLHLL)
かくしもがも〈上平平上[原文、東点]平東〉(同102。かくしもンがもお HLLHLF)
つかはすらしき〈上上上平平平東〉(同103。とぅかふぁしゅらしきい HHHLLLF)
生りけめや 〈平上平平上〉(同104。なりけめやあ LHLLF。「なりけめやあ LHLHF」からの変化と見る場合)
おもふらむ〈(平)平上平平〉(図名。おもふらム LLHLL)
に見られるように柔らかい拍が低まるばかりでなく、汝(な)が形は〈上上上平平〉(前紀75。なあンがあ かたふぁRHHLH)
早くはめでず〈平上平平平上平〉(図紀67。ふぁやくふぁ めンでンじゅ)
汝(な)こそは〈上上平平〉(前紀62。なあこしょふぁ RHLL)
おほきに〈平平上平〉(図名。おふぉきいに LLFL)
に見られるように、本来的に高い拍も、早くから低下力に屈することがあるのでした。
次に、柔らかい拍が高い拍の次で低まる例。これらにおいて柔らかい拍が低まっているのは先だつ部分が高いからなので、先立つ部分が低く低下力も働かない場合、柔らかい拍は勝手に低まることができません。
千代にも〈平東上平〉(岩紀102。てぃよおにも LFHL)
生りけめや 〈平上平平上〉(同104。なりけめやあ LHLLF。「なりけめやあ LHHLF」からの変化と見る場合)
さきでそもや〈平平平上平東〉(同108。しゃきンでしょもやあ LLLHLF)
にくみするをも〈平上平上上上平〉(図名。にくみ しゅるうぉも LHLHHHL)
それから、「の」は先立つ拍によって高さを変えるのでしたから、「の」だけで一単位をなすことはできません。おほきみの〈平平上上上〉(岩紀103。おふぉきみの LLHHH)
岩の上(へ)に〈上平平平上〉(岩紀107。いふぁの ふぇえにい HLLLH)
さしあたり最後に、
我が手をとらめ〈平上平上平平東〉(岩紀108。わあンがあ てえうぉお とらめえ LHLHLLF)
に見られるような、動詞が、その動詞に特殊形を要求する付属語を従える場合、動詞と付属語とは一単位をなします。この言い方において動詞のとるアクセントは、付属語のことを考えなくては了解できません。今までの例とは主従が逆ですけれども、影響関係があるという意味では変わりがありません。
確かに、例えば「あすよりは」〈平平上平上〉(図紀86。あしゅよりふぁ LLHLH)において「は」の高いのは先立つ部分の低下力に屈しないからですが、しかし、これは低下力を受けつつもそれに屈せずに卓立しているのであって、屈しうる以上、屈していないから影響はないとすることはできません。「あすよりは」〈平平上平平〉は一単位をなすが「あすよりは」〈平平上平上〉は二単位だとするのは整合的でありません。
岩紀104の「飯(いひ)に」〈平平上〉(いふぃに LLH)も同断です。この「に」などはもともとのアクセントで言われているわけですけれども、この「に」は低まることができません。先立つ拍が低平連続調なので、ということは先立つ部分との関係において、低まることができないのです。
「単位」を、例えば「あすよりは」〈平平上平上〉の「は」、「飯(いひ)に」〈平平上〉の「に」はもともとのアクセントを保持している以上独立の単位をなす、というように定義するならば、それらは現代東京の「きつねそば」と同様二単位だということになりますが、しかし「単位」をそのように定義するのは、ことのありように即しません。
岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉(たンげて LHH)もまた、一単位をなすでしょう。例えば「食(た)げし」(たンげし LLH)は一単位だが、「食(た)げて」〈平上上〉は二単位だとすべき理由があるとは考えられません。「食(た)げて」〈平上上〉において動詞の末拍は(東点ではなく上声点が差されているものの)下降するが、二単位ゆえ低下力が働かないのだ、とする向きもありますけれど、そもそも二単位だと見るべき根拠はありません。ちなみに、仮に二単位だとしても、それと動詞末拍は高平調だという命題とは両立し得ます。
なお、文節末で下降調をとるから文節中でもそうだということは言えません。「食(た)げて」〈平上上〉において動詞の末拍は下降すると見る説得的な根拠はないと思います。金田一春彦の直観は正しかったと思います。
平安時代の京ことばにおいても、これら「あすよりは」〈平平上平上〉、「飯(いひ)に」〈平平上〉、「食げて」〈平上上〉のような、自立語も付属語も本来のアクセントを保つ場合も含めて、自立語と付属語とはアクセント上一単位をなすと見なくてはなりません。平安時代のある時期以降においてそうであることはつとに諸先覚の見る通りですけれども(例えば鈴木さんの「平声軽点の消滅過程について
―六声体系から四声体系への移行―」〔web〕)、それ以前からありようは同じだったと見られます。くり返しになりますが、早くから、「あすよりは」〈平平上平上〉(図紀86。あしゅよりふぁ LLHLH)のような言い方がある一方、「汝(な)が形(かた)は」〈上上上平平〉(前紀75。なあンがあ かたふぁ RHHLL)や「早くはめでず」〈平上平平平上平〉(図紀67。ふぁやくふぁ めンでンじゅ)のような言い方があり、反対に鎌倉時代にも、「むべも」〈上平上〉(訓(22)。むンべもお HLF)、「如(ごと)は」〈上平上〉(梅・京中・高嘉・伊・寂・毘402。ごとふぁ HLH)のような言い方がなされたのであってみれば、平安時代のある時期、アクセントにおける自立語と付属語との関係に劇的な変化があったとは思われません。平安初中期において、すでに付属語は自立語と同じ単位に属しました。平安初中期から鎌倉時代にかけて変化がなかったわけではありません。しかしそれは、長期にわたって徐々に下降形式の持つ低下力が強まってゆくという変化でした。
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14 まとめに代えて [目次に戻る]
もうあとは、名詞そのほかのアクセントを羅列的に紹介すれば、『源氏』を成立当時の発音・アクセントで読むための知識をまとめたサイトはさしあたり完成、というところまでこぎつけました。唐突ですが、ここで一旦おいとまを頂戴したいと存じます。とりあえずのまとめがてら、ばらばらに紹介してきた小倉百人一首の歌うたを、西暦千年ごろの発音・アクセントと考えられるもので並べておきます。説明は貼り付けません。あやふやな推定しかできない部分には下線を付します。下線を付したのは十三種、つごう十五か所だけで、そのうち七種、つごう八か所は固有名詞です。この数値は、広く王朝和歌のアクセントが現在どのくらいの精度で分かるかを大雑把に示していると申せます。
平安末期から鎌倉にかけてのアクセントは西暦千年ごろとは大きくは異なりませんでしたけれども、この間発音はかなりの変化を見たのでした。しかしこれは例えば定家の歌を西暦千年ごろの発音で読むことをナンセンスとするものではありません。例えば中世に書かれたラテン語の文を古典期(概略紀元一世紀前後)のラテン語の発音で、ということはルネサンス期に復元された発音(中世人には耳慣れなかっただろう発音)で朗読するのはナンセンスでないのと、それは一般です。そういえば定家は自分の発音・アクセントが、例えば長保年間(999~1004)のそれと異なることに関して自覚的ではなかったと考えられるのでした。しかし言葉において「古きを慕ひ」(ふるきいうぉ したふぃ LLFHHHL。『近代秀歌』)ということを言った定家は、もしそれを知ったとしたら、古い発音を珍重しこそすれ、奇妙なものとして退けることはしなかったでしょう。
1 あきいの たあのお かりふぉの いふぉの とまうぉ あらみ わあンがあ ころもンでふぁ とぅゆうに ぬれとぅとぅ
LFLLL・HHHHLLL・HHHHHL・LHHHHHH・LFHHLHH
2 ふぁるう しゅンぎて なとぅ きいにけらし しろたふぇの ころも ふぉしゅうてふ あまの かンぐやま LFLHH・HLRHHLL・LLHHH・HHHLFLH・LLLHHHH
3 あしふぃきの やまンどりの うぉおのお しンだりうぉの なンがなンがし よおうぉお ふぃとりかも ねえムう HHHHH・LLHLLLL・LLLLL・LLLLHLH・LHLHLHH
4 たンごの うらに うてぃい いンでて みれンば しろたふぇの ふンじの たかねに ゆうきふぁ ふりとぅとぅ LLLLLH・LFLHHLHL・LLHHH・LLLLHLH・RLHLHHH
5 おくやまに もみンでぃ ふみ わけえ なく しかの こうぇえ きく ときンじょお あきいふぁ かなしきい LLHLH・LLLHLLF・HHLLL・LFHHLLF・LFHHHHF
6 かしゃしゃンぎの わたしぇる ふぁしに おく しもの しろきいうぉ みれンば よおンじょお ふけにける LHLLL・HHLHHLH・HHLLL・LLFHLHL・LFLHHHL
7 あまのふぁら ふり しゃけ みれンば かしゅンがなる みかしゃの やまに いンでし とぅきかも LLLLH・HLHLLHL・HLLHL・HHHHLLH・LLHLLHL
8 わあンがあ いふぉふぁ みやこの たとぅみ しかンじょお しゅむ よおうぉお うンでぃやまと ふぃとふぁ いふなり LHLLH・HHHHHHH・LLFLH・HHLLHLL・HLHHLHL
9 ふぁなの いろふぁ うとぅりにけりなあ いたンどぅらに わあンがあ みい よおにい ふる ながンめ しぇえしい まあにい LLLLLH・LLHHHLF・HHHHH・LHHHHLH・LLLHHHH
10 これやあ こおのお ゆくも かふぇるも わかれてふぁ しるも しらぬも あふしゃかの しぇき HHFHH・HHLLLHL・LLHHH・HHLHHHL・LLLLLLL
11 わたの ふぁら やしょしま かけて こンぎい いンでぬうと ふぃとにふぁ とぅンげよお あまの とぅりンぶね HLLLH・HHHHLHH・LFLHFL・HLHHHLF・LLLHHHL
12 あまとぅかンじぇ くもの かよふぃンでぃ ふきい とンでぃよ うぉとめの しゅンがた しばし とンどめムう LLLHH・LLLHHHL・LFLHL・LHHHLLH・LHLHHHF
13 とぅくふぁねの みねより おとぅる みなのンがふぁ こふぃンじょお とぅもりて ふてぃと なりぬる HHHHH・HHLLLLH・HHHHL・LLFHHLH・LHLLHHH
14 みてぃのくの しのンぶ もンでぃンじゅり たれゆうぇに みンだれえ しょめにし われならなくに HHLHL・LHLLLLL・HHHLH・LLFHLHH・LHLLHHH
15 きみンが ため ふぁるうの のおにい いンでて わかな とぅむ わあンがあ ころもンでに ゆうきふぁ ふりとぅとぅ HHHHL・LFLLHLHH・LLLHH・LHHHHHH・RLHLHHH
16 たてぃい わかれえ いなンばの やまの みねに おふる まとぅとしい きかンば いま かふぇりい こおムう LFLLF・LHLLLLL・HHHLLH・LHLFHHL・LHLLFLF
17 てぃふぁや ふる かみよも きかンじゅ たとぅたンがふぁ からくれなうぃに みンどぅ くくるとふぁ HHHLH・LLHLHHL・LHHHH・LLLHLLH・HHHHLLH
18 しゅみの いぇえの きしに よる なみ よるしゃふぇやあ ゆめの かよふぃンでぃ ふぃとめ よくらム LLLFL・LLHHHLL・LHHHF・LLLHHHL・HHHLHLH
19 なにふぁンがた みンじかきい あしの ふしの まあもお あふぁンで こおのお よおうぉお しゅンぐしてよとやあ LHHHL・LLLFHHH・LLLHL・LHLHHHH・LLHHLLF
20 わンびぬれンば いま ふぁあた おなンじい なにふぁなる みいうぉお とぅくしても あふぁムうとじょお おもふ HLLHL・LHRHLLF・LHHLH・HHHHLHL・LLFLFLLH
21 いま こおムうと いふぃしンばかりに なンがとぅきの ありあけの とぅきうぉ まてぃい いンでとぅるかなあ LHLFL・HHHHHLH・LLHLL・LHHHHLLH・LFLHLHLF
22 ふくからに あきいの くしゃ きいのお しうぉるれンば むンべえ やまかンじぇうぉ あらしと いふらムう LHHLH・LFLLLLL・LLLHL・HFLLLHH・LLLLHLLF
23 とぅき みれンば てぃンでぃに ものこしょ かなしけれ わあンがあ みい ふぃととぅの あきいにふぁ あらねンど LLLHL・LHHLLHL・HHHHL・LHHLHLL・LFHHLLHL
24 こおのお たンびふぁ ぬしゃもお とりい あふぇンじゅ たむけやま もみンでぃの にしき かみの まにまに HHHLH・LLFLFLHL・LLLHL・LLLLLLH・LLLHHLH
25 なあにし おふぁンば あふしゃかやまの しゃねかンどぅら ふぃとに しられンで くる よしもンがな FHLLHL・LLLLHLL・HHHHL・HLHHHHL・LHHHLHL
26 うぉンぐらやま みねの もみンでぃンばあ こころ あらンば いま ふぃとたンびの みゆき またなム HHHHL・HHHLLLF・LLHLHL・LHLLHLL・HHHLLHL
27 みかの ふぁら わきて なンがるる いンどぅみンがふぁ いとぅ みいきいとてかあ こふぃしかるらム HHHLH・HLHLLLH・LLLHL・LHRFLHF・LLHLHLH
28 やまンじゃとふぁ ふゆンじょお しゃンびししゃ ましゃりける ふぃとめも くしゃもお かれぬうと おもふぇンば LLLHH・HLFLLHH・HHLHL・HHHLLLF・HLFLLLHL
29 こころあてに うぉらンばやあ うぉらム ふぁとぅしもの おき まンどふぁしぇる しらきくの ふぁな LLLLLH・LHLFLLH・HHLLL・HLLLHLH・LLLHLLL
30 ありあけの とぅれなあく みいぇし わかれより あかとぅきンばかり うきい ものふぁ なしい LHHHH・HHRLLLH・LLLHL・HHHHHHL・LFLLHLF
31 あしゃンぼらけ ありあけの とぅきと みるまンでに よしのの しゃとに ふれる しらゆき LLLHL・LHHHHLLL・LHLHH・LLHLHHH・LHLLLLH
32 やまンがふぁに かンじぇの かけたる しンがらみふぁ なンがれも あふぇぬ もみンでぃなりけり LLLHH・HHHLHLH・LLLHH・LLHLLLH・LLLHLHL
33 ふぃしゃかたの ふぃかり のンどけきい ふぁるうの ふぃいに しンどぅンごころ なあく ふぁなの てぃるらム HHHLL・LLLLLLF・LFLFH・LLLHLRL・LLLHLLH
34 たれうぉかもお しる ふぃとに しぇえムう たかしゃンごの まとぅも むかしの ともならなくに HHHLF・HHHLHHH・LLLLL・LHLHHHH・HHLLHHH
35 ふぃとふぁ いしゃあ こころも しらンじゅ ふるしゃとふぁ ふぁなンじょお むかしの かあにい にふぉふぃける HLHLF・LLHLHHL・LLHH・LLFHHHH・HHLLHHL
36 なとぅの よおふぁあ まンだあ よふぃなンがら あけぬるうぉ くもの いンどぅこに つき やンどるらム HLLLH・LFHHHHH・HLLHH・LLLLHHH・LLLLHLH
37 しらとぅゆうに かンじぇの ふきい しく あきいの のおふぁあ とぅらぬき とめぬ たまンじょお てぃりける LLLFH・HHHLFHH・LFLLH・HHHLHHH・LLFHLHL
38 わしゅらるる みいうぉンば おもふぁンじゅ てぃかふぃてし ふぃとの いのてぃの うぉしくもお あるかなあ HHHHH・HHHLLHL・HHLHH・HLLLLHL・LHLFLHLF
39 あしゃンでぃふの うぉのの しのふぁら しのンぶれンど あまりて なンどかあ ふぃとの こふぃしきい LLHLL・HHHLLLH・HHHLL・LLHHRLF・HLLLLLF
40 しのンぶれンど いろに いンでにけり わあンがあ こふぃふぁ ものやあ おもふと ふぃとの とふまンで HHHLL・LLHLHHHL・LHLLH・LLFLLHL・HLLHHLH
41 こふぃ しゅうてふ わあンがあ なあふぁ まンだきい たてぃにけり ふぃとしれンじゅこしょ おもふぃい しょめしか LLFLH・LHFHLLF・LHHHL・HHHHLHL・LLFHHHL
42 てぃンぎりきな かたみに しょンでうぉ しンぼりとぅとぅ しゅうぇの まとぅやま なみ こしゃンじいとふぁ HHLHL・LLHHHHH・LLHHH・HHHLLHL・LLHHFLH
43 あふぃい みいての のてぃの こころに くらンぶれンば むかしふぁ ものうぉ おもふぁンじゃりけり LFRHH・LLLLLHH・HHHLL・HHHHLLH・LLHLHHL
44 あふ ことの たいぇてし なあくふぁ なかなかに ふぃとうぉも みいうぉも うらみンじゃらましい LHLLL・LHHLRLH・LHLHH・HLHLHHL・LLHLLHF
45 あふぁれえともお いふンべきい ふぃとふぁ おもふぉいぇンで みいのお いたンどぅらに なりぬンべきいかなあ LLFLF・HHHFHLH・LLLHL・HHHHHHH・LHHHFLF
46 ゆらの とおうぉお わたる ふなンびと かンでぃうぉ たいぇえ ゆくふぇもお しらぬ こふぃの みてぃかなあ HHHHH・HHHLLLH・HHHLF・HHLFHHH・LLLHHLF
47 やふぇむンぐら しンげれる やンどの しゃンびしきいに ふぃとこしょ みいぇねえ あきいふぁ きいにけり HHHHL・LLHLLHL・LLLLFH・HLHLLLF・LFHRHHL
48 かンじぇうぉ いたみ いふぁ うとぅ なみの おのれのみい くンだけて ものうぉ おもふ ころかなあ HHHLHL・HLLHLLL・HHHLF・LLHHLLH・LLHHLLF
49 みかきもり うぇえンじいの たく ふぃいのお よるふぁ もいぇ ふぃるふぁ きいぇとぅとぅ ものうぉこしょ おもふぇえ HHHHL・LLLHHLL・LHHHL・HLHHLHH・LLHHLLLF
50 きみンが ため うぉしからンじゃりし いのてぃしゃふぇ なンがくもンがなあと おもふぃけるかなあ HHHHL・LHLHLLH・LLHHH・LHLHLFL・LLHHLLF
51 かくとだに いぇええやふぁ いンぶきの しゃしもンぐしゃ しゃあしも しらンじいなあ もゆる おもふぃうぉ HLLHL・ℓfHHLLLL・LHHHL・LHLHHFF・HHHLLLH
52 あけぬれンば くるる ものとふぁ しりなンがら なふぉお うらめしきい あしゃンぼらけかなあ HLLHL・HHHLLLH・HHHHH・LFLLLLF・LLLHLLF
53 なンげきとぅとぅ ふぃとり ぬる よおのお あくる まあふぁあ いかに ふぃしゃしきい ものとかふぁ しる LLHHH・LHLHHLL・HHHHH・HLHLLLF・LLLHHHH
54 わしゅれンじいの ゆくしゅうぇまンでふぁ かたけれンば けふうぉ かンぎりの いのてぃともンがなあ HHHFL・HHHHLHH・HHHLL・LHHLLLL・LLHLHLF
55 たきの おとふぁ たいぇて ふぃしゃしく なりぬれンど なあこしょ なンがれて なふぉお きこいぇけれ HHHHLH・LHHLLHL・LHHLL・FHLLLHH・LFHHLHL
56 あらンじゃらム こおのお よおのお ふぉかの おもふぃいンでに いま ふぃとたンびの あふ こともンがなあ LHLLH・HHHHLHL・LLHHHH・LHLLHLL・LHLLHLF
57 めンぐり あふぃて みいしいやあ しょれともお わかぬ まあにい くもンがくれにし よふぁあの とぅきかンげえ HHLLHH・LHFHHLF・LLHHH・LLLHLHH・LFLLLLF
58 ありまやま うぃなの しゃしゃふぁら かンじぇ ふけンば いンで しょおよお ふぃとうぉ わしゅれやふぁ しゅる LLLHL・HHHHHHL・HHLHL・HLHLHLH・HHLHHHH
59 やしゅらふぁンで ねえなましい ものうぉ しゃよ ふけて かたンぶくまンでの とぅきうぉ みいしかなあ HHHHL・FHHFLLH・HHLHH・LLLHLHL・LLHLHLF
60 おふぉいぇやま いくのの みてぃの とふぉけれンば まンだあ ふみもお みいンじゅ あまの ふぁしたて LLHHL・LHLLHHH・HHHLL・LFHLFRL・LLLHHHH
61 いにしふぇの ならの みやこの やふぇンじゃくら けふ ここのふぇに にふぉふぃぬるかなあ HHHLL・HLLHHHH・HHHHL・LHLLHLH・LLHHHLF
62 よおうぉお こめて とりの しょらねふぁ ふぁかるともお よおにい あふしゃかの しぇきふぁ ゆるしゃンじい LHLHH・HHHLHLH・LLHLF・HHLLLLL・LLHLLLF
63 いまふぁ たンだあ おもふぃい たいぇなムうとンばかりうぉ ふぃとンどぅてならンで いふ よしもがな LHHLF・LLFLHHF・LLHLH・HHHHLHL・HHHHLHL
64 あしゃンぼらけ うンでぃいの かふぁンぎり たいぇンだいぇに あらふぁれ わたる しぇンじぇの あンじろンぎ LLLHL・LFLHHHL・LLLLH・LLHLHHH・HLLHHHH
65 うらみい わンび ふぉしゃぬ しょンでンだに ある ものうぉ こふぃに くてぃなム なあこしょ うぉしけれ LLFHL・LLHHHHL・LHLLH・LLHLHHH・FHLLLHL
66 もろともに あふぁれえと おもふぇえ やまンじゃくら ふぁなより ふぉかに しる ふぃともお なしい HHHHH・LLFLLLF・LLLHL・LLHLLHH・HHHLFLF
67 ふぁるうの よおのお ゆめンばかりなる たまくらに かふぃ なあく たたム なあこしょ うぉしけれ LFLLL・LLLHLHL・LLLHH・HHRLLLH・FHLLLHL
68 こころにも あらンで こおのお よおにい なンがらふぇンば こふぃしかるンべきい よふぁあの とぅきかなあ LLHHL・LHLHHHH・LLLHL・LLHLLLF・LFLLLLF
69 あらし ふく みむろの やまの もみでぃンばあふぁ たとぅたの かふぁの にしきなりけり LLLLH・HHHHLLL・LLLFH・LHLLHLL・LLHLHHL
70 しゃンびししゃに やンどうぉ たてぃい いンでて なンがむれンば いンどぅくも おなンじ あきいの ゆふンぐれ LLHHH・LHHLFLHH・LLLHL・LHHLLLH・LFLHHHH
71 ゆふ しゃれンば かンどたの いなンば おとンどぅれて あしの まろやに あきかンじぇンじょ ふく HHHLL・HHHHLHL・HHHLH・HHHHHHH・LLLHLLH
72 おとに きく たかしの ふぁまの あンだなみふぁ かけンじやあ しょンでの ぬれもこしょ しゅれ HLHHH・LHHHLLL・HHHHH・LLHFHHH・HLHHLHL
73 たかしゃンごの うぉのふぇの しゃくら しゃきにけり とやまの かしゅみ たたンじゅもお あらなム LLLLL・LLLLHHH・HLHHL・HLLLHHH・LHLFLLHL
74 ううかりける ふぃとうぉ ふぁとぅしぇの やまおろしよお ふぁンげしかれえとふぁ いのらぬ ものうぉ
RLHHL・HLHHHHH・LLLHLF・LLHLFLH・LLLHLLH
75 てぃンぎり おきし しゃしぇもンが とぅゆううぉ いのてぃにて あふぁれえ ことしの あきいもお いぬめり HHLHHH・LHHHLFH・LLHHH・LLFHHHH・LFFHHHL
76 わたの ふぁら こンぎい いンでて みれンば ふぃしゃかたの くもうぃに まンがふ おきとぅ しらなみ HLLLH・LFLHHLHL・HHHLL・LLLHLLH・LLLLLLL
77 しぇえうぉお ふぁやみ いふぁに しぇかるる たきンがふぁの われても しゅうぇに あふぁムうとンじょお おもふ HHLHL・HLHLLLH・HHHH・HLHLHHH・LLFLFLLH
78 あふぁンでぃしま かよふ てぃンどりの なく こうぇえに いくよ ねえ しゃめぬう しゅまの しぇきもり LHHHH・HHHLHLL・HHLFH・LHLHLHF・HLLLLLH
79 あきかンじぇに たなンびく くもの たいぇまより もりい[原文「もれえ」] いンどぅる とぅきの かンげえの しゃやけしゃ LLLHH・HHHHLLL・LHLHL・LFLLHLLL・LFLLLHH
80 なンがからム こころも しらンじゅ くろかみの みンだれて けしゃふぁ ものうぉこしょ おもふぇえ LHLLH・LLHLHHL・LLLLL・LLHHLHH・LLHHLLLF
81 ふぉととンぎしゅ なきとぅる かたうぉ なンがむれンば たンだあ ありあけの とぅきンじょお のこれる LLLHL・HLLHHLH・LLLHL・LFLHHHH・LLFLLHL
82 おもふぃい わンび しゃても いのてぃふぁ ある ものうぉ うきいに たふぇぬふぁ なみンだなりけり LLFHL・LHLLLHH・LHLLH・LFHLLHH・LLHLHHL
83 よおのお なかよ みてぃこしょ なけれ おもふぃい いる やまの おくにも しかンじょお なくなる HHLHL・HHHLLHL・LLFHH・LLLLHHL・LLFHLHL
84 なンがらふぇンば また こおのお ころやあ しのンばれム うしいと みいしい よおンじょお いまふぁ こふぃしきい LLLHL・HLHHHLF・HHHHH・LFLLHHL・LHHLLLF
85 よおもお しゅンがら もの おもふ ころふぁ あけ やらぬ ねやの ふぃましゃふぇ とぅれ なあかりけり LFLLH・LLLLHHLH・HLHHH・HHHHHHH・HHRLHHL
86 なンげけえとて とぅきやふぁ ものうぉ おもふぁしゅる かこてぃンがふぉなる わあンがあ なみンだかなあ LLFLH・LLHHLLH・LLLLH・HHHLLHL・LHLLHLF
87 むらしゃめの とぅゆうもお まンだあ ふぃいぬう まきの ふぁあに きり たてぃい のンぼる あきいの ゆふンぐれ HHHHH・LFFLFLH・HHHFH・HHLFHHH・LFLHHHH
88 なにふぁいぇの あしの かりねの ふぃとよゆうぇ みいうぉお とぅくしてやあ こふぃい わたるンべきい LHHHH・HHHHHHH・LLLHL・HHHHLHF・LFHHHHF
89 たまの うぉおよお たいぇなンば たいぇねえ なンがらふぇンば しのンぶる ことの よわりもンじょお しゅる LLLHL・LHHLLHF・LLLHL・HHHHLLL・LLHLFHH
90 みしぇンばやな うぉンじまの あまの しょンでンだにもお ぬれにンじょ ぬれし いろふぁ かふぁらンじゅ LHLHL・HHHHLLL・HHHLF・HLHLHHH・LLHHHHL
91 きりンぎりしゅ なくやあ しもよの しゃむしろに ころも かたしき ふぃとりかもお ねえムう HHHHL・HHFLLLL・HHHLH・HHHLLHL・LHLLFHH
92 わあンがあ しょンでふぁ しふぉふぃに みいぇぬ おきの いしの ふぃとこしょ しらねえ かわく まあもお なしい LHHHH・LLLHLLH・LLLHLL・HLHLHHF・LLHHLLF
93 よおのお なかふぁ とぅねえにもンがもなあ なンぎしゃ こンぐ あまの うぉンぶねの とぅなンで かなしいもお HHLHH・LFHLHLF・LLLLH・LLLHHHH・LLLHHFF
94 みよしのの やまの あきかンじぇ しゃよ ふけて ふるしゃと しゃむく ころも うとぅなり HHHHH・LLLLLLH・HHLHH・LLHHLHL・HHHLHHL
95 おふぉけなあく うきい よおのお たみに おふぉふかなあ わあンがあ たとぅ しょまに しゅみンじょめの しょンで LLLRL・LFHHLLH・LLHLF・LHLHHHH・LLLHLHH
96 ふぁな しゃしょふ あらしの にふぁの ゆうきならンで ふりい ゆく ものふぁ わあンがあ みいなりけり LLHHH・LLLLHHH・RLHLL・LFHHLLH・LHHLHHL
97 こおぬう ふぃとうぉ まとぅふぉの うらの ゆふなンぎに やくやあ もしふぉの みいもお こンがれとぅとぅ LHHLH・LLLLLLL・HHHHH・HHFHHHH・HLLLHHH
98 かンじぇ しょよンぐ ならの うぉンがふぁの ゆふンぐれふぁ みしょンぎンじょお なとぅの しるしなりける HHLLH・LLLHHHH・HHHHH・HHLFHLL・HHHLHHL
99 ふぃともお うぉしい ふぃともお うらめしい あンでぃきなあく よおうぉお おもふ ゆうぇに もの おもふ みいふぁあ HLFLF・HLFLLLF・LLLRL・HHLLHHLH・LLLLHHH
100 ももしきやあ ふるきい のきンばの しのンぶにも なふぉお あまり ある むかしなりけり LLLHF・LLFHHHH・LHLHL・LFLLLLH・HHHLHHL
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