『源氏物語』の現代語訳の文体について
 ――敬語の観点から――
[トップページに戻る]

紹介文はこちら

1 はじめに
2 改まりかしこまる
3 今昔の差
4 同輩
5 応用問題
6 語りの文体

1 はじめに  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 何という帝(みかど)の御代(みよ)のことでしたか、女御(にょうご)や更衣が大勢伺候(しこう)していました中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がありました。『源氏』の劈頭(へきとう)を飾る文を、谷崎潤一郎はこんなふうに敬体で現代語訳しましたけれども(『新々訳』)、近現代におけるこの物語の現代語訳の多くは、何という帝の御代のことだったか、女御や更衣が大勢伺候していた中に、たいして重い身分ではなくて、誰よりも時めいている方がいた、という調子の、常体(非「です・ます」体)に拠ります(常体は「だ・である」体とも呼ばれますけれど、「あった。」「嫉んだりする。」といった言い方を「だ・である」体と言うのは少し奇妙でしょう)。これは原文が、「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬがすぐれて時めきたまふありけり」というような、 いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」を使わないものである以上――例えば「時めきたまふはべりけり」のような言い方でない以上――、 それを現代語における丁寧語「です・ます」を使った文体で翻訳するのは原文への裏切りである、と考える向きが多いからで、げんにさる著名な源氏学者が、さような論拠に立って文豪の流儀を批判しています。
 しかし、地の文が丁寧語を使わないものである以上敬体で翻訳すべきでないとする多数派も、会話文を翻訳する際には、原文に丁寧語がなくてもたいへんしばしば敬体に拠ります。『源氏』の地の文が語り手による語り、ということは一種の会話文であることを思えば、これはおかしなことです。この物語の現代語訳における多数派の流儀は、問題含みです。
 平安時代の都の紳士淑女は、同輩どうしの会話においておおむね敬語を使いあった。すると同輩どうしの会話は基本的に敬体に拠って現代語訳されるのが適切である。ところで『源氏』は、草子地の敬語法を見れば明らかなとおり、基本的に同輩に向けて語られる趣のものである。ゆえにそれは敬体に拠って現代語訳せらるべきである。――骨子はこうしたものです。以下これをゆっくりとたどり直します。
 なお以下、平安時代の京ことばには平安中期の発音・アクセントと考えられるものを記します。例えば成立当時『源氏』は、太字を高く言われるところとして、「いンどぅれの おふぉムときにかあ、にようンごお、かいい、あまた しゃンぶらふぃ たまふぃける なかにやむことない きふぁにふぁ あらぬンが しゅンぐときき たまりけり」といったように発音されたと考えられます。詳細は御面倒でも「『源氏物語』を成立当時の…」を御覧ください。 [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]


2 改まりかしこまる  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 平安時代の京ことばにおけるいわゆる丁寧語の「はべり」(ふぁい)、「さぶらふ」(しゃンぶらふ)と、現代語の「あります」「います」「です」「ます」とは、一般にほぼ同一視されます。しかし、目新しい指摘ではありませんけれど、いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」は、たんに物の言い方を丁寧なものにするというよりもむしろ、ものの言い方を改まりかしこまったものにする働きを持つのであり、この点でそれらは、「ございます」「おります」「いたします」「させていただきます」のような現代語に類します。例えば源氏・夕顔(ゆふンがふぉ。末二拍推定)の一節で、惟光が光る源氏に「(オ尋ネノ家ハ)揚名(やうめい)の介(すけ)なる人の家になむはべりける」(やうめいの しゅける ふぃとの いふぇう ふぁりける)と言っているのは、 「揚名の介をしている人の家でございました」といった調子の台詞なので、以下に見る通りこれは「(…)人の家でした」とは語調をおおきに異にします。
 いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」と、現代語「ございます」「おります」「いたします」「させていただきます」とは、現代語「あります」「います」「です」「ます」の持たない次のような顕著な性質を共有しています。
 まず、「あります」「います」「です」「ます」は同輩――目上でも目下でもない人を以下こう呼びます――や目下の人に対しても使いますけれども、いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」も、「ございます」以下の四語も、もっぱら目上の人に使い、同輩以下にはふつう使いません。同輩に「おやおや、そのおにぎりはわたくしの昼飯だったのでございますけれども」と言う人は、同輩を臨時に目上の人として遇しているのです。
 次に、いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」や、「ございます」「おります」「いたします」「させていただきます」といった言葉は、話し手や話し手の身内のことを言う時や(「私はそう思うのでございます」「家内もその場におりました」)、空模様、世相といった一般的な事象について言う時に使うのが基本で(「いやな雨〔世の中〕でございますね」)、相手や相手側の人を主語とする時にはふつう使いません。一方「です」「ます」には主語に関する制約はなく、例えば何らの問題なく「あなたは(あなたの奥さまは)どうお考えですか」と言えます。
 いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」は、それが可能ならば、「ございます」「おります」「いたします」「させていただきます」のような言葉を使って訳されるのが適切です。ただそれが不可能な時もあります。例えば源氏・帚木(ふぁふぁきンぎ)で小君(こぎみ)と呼ばれる少年が光る源氏に「格子には几帳添えてはべり」(かうしいにふぁ きいてぃやう しょふぇ ふぁい)と言うのなども、「格子には几帳が添えてあります」などするしか手がありません。「添えてございます」では、年配の商人や高級官僚のようです。いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」は時に「あります」「…ます」と訳すよりほかにありませんけれども、しかしそれは、それらが原文のニュアンスをよく生かした訳語であることを意味しません。なお「です」は、いわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」の訳語の一つとするに及びません。一般に「です」を使えるならば「でございます」も使えるからです(昼飯です/昼飯でございます)。
 事情は以上のようです。すると、「揚名の介なる人の家になむはべりける」の「はべり」のようなものを「丁寧語」と呼ぶのは適切を欠くでしょう。改まりかしこまる言い方であるそれを、以下「かしこまり語」と呼ぶことにします。
 「かしこまり語」は敬語の五分類(尊敬、謙譲、丁寧、丁重、美化)における「丁重語」に近いものの、「ございます」は現時点での敬語の五分類では不当にも「丁重語」ではなく「丁寧語」とされるといった事情もあるので、混乱を避ける意味で「かしこまり語」と呼ぶことにします。下二段活用の「たまふ」も無論、かしこまり語です。現代語の「です・ます」は丁寧語と呼ばれてよく、かしこまり語とは呼べません。丁寧語もかしこまり語も聞き手敬語には違いありませんけれど、しかし性格はずいぶん異なります。平安時代の中央語では、聞き手敬語はかしこまり語であり丁寧語ではありません。平安時代の京ことばには丁寧語はありません。

   ある・いる    あり  
  あります・います
 ございます・おります    はべり  

 すると、聞き手敬語を伴わない言い方を現代語訳する際、常に一つのことに注意しなくてはなりません。例えば現代語の「ある・いる」は、丁寧な「あります・います」、改まりかしこまる「ございます・おります」、この二種(ふたくさ)と役割を分けあっていますけれども、平安時代の京ことばとしての「あり」(あい)は、ただ「はべり・さぶらふ」という、丁寧だという以上に改まりかしこまる言い方と役割を分けあうだけです。すると、「はべり・さぶらふ」と「ございます・おります」とは敬意のレヴェルがほぼ等しいと見てよいので、改まりかしこまるのではない言い方としての「あり」の意味領域に対応する現代語は、「ある・いる」および「あります・います」だと申せます。「あり」は、改まりかしこまる言い方でこそなけれ、丁寧な言い方ではありえます。すると、「あり」は文脈によっては「あります・います」と訳されなくてはなりません。原文に敬語がない以上訳文に敬語は置けない、という判断は当を得ません。

  詠む    詠む  
 詠みます   
 詠みはべり 

 「あり」よりほかの言い方についても事情は同じ。例えば現代語「詠む」は「詠みます」のような丁寧な言い方と役割を分けあうのに対して、平安時代の京ことばとしての「詠む」(よう)は、「詠みはべり」(よい ふぁい)、「詠みさぶらふ」(よしゃンぶらふ)のような、改まりかしこまった言い方であるものと役割を分けあいます。つまり古くは「詠む」は丁寧な言い方ではありうるので、文脈によってはそれは「詠む」ではなく「詠みます」と現代語訳されなくてはなりません。
 こうして、例えば『源氏』冒頭の「…すぐれて時めきたまふありけり」(しゅンぐ ときき たまりけり)は、文法的には、しかじかの「お方がいた」とも、しかじかの「お方がいました」とも訳せることになります。ではそれはいずれの文体に拠って訳されるのがよいのでしょう。このことをきちんと言うためには、いわゆる尊敬語や謙譲語についてふりかえる必要があります。
 [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]


3 今昔の差  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 現代語では、例えば聞き手に向かって言う「そう思うか?」を聞き手への敬意を示した言い方にする時には、「そう思いますか?」「そうお思いになりますか?」など言うのが一般的で、「そうお思いになるか?」とは普通言いません。「あなた、そうお思いになる?」など言うのは、ほぼ年配の婦人に限られそうです。現代語では、一般に聞き手でもあり主格(nominative)に立ってもいる人に敬意を示す時には、さしあたり「です」「ます」を添え、それよりも一段(ひときざみ)強い敬意を示したい時には、その「です」「ます」を添えた言い方を主格敬語(いわゆる尊敬語)にするのが一般的です。
 他方、例はのちほど引きますけれど、平安中期の京ことばでは、聞き手を主語とする文において、聞き手でもあり主格に立ってもいる人への敬意を、ただちに主格敬語を使うことによって示しました。要するに、「そうお思いになるか?」式の言い方で示しました。それを敬体にした「そうお思いになりますか?」は現代語としてまったく問題のない言い方ですが、「さ思ひたまひはべりや」(しゃあ おもふぃい たまふぃい ふぁりやあ)、「さおぼしはべりや」(しゃあ おンぼい ふぁりやあ)というような言い方は、皆無と断ずることはできないものの(実際、平安後期のものには散見されます)、まったく一般的でありません。
 事情は聞き手を斜格(oblique。主格以外の格をこう呼ぶことにします)に置く場合でも同じ。そのような場合、平安時代の京ことばでは、聞き手でもあり斜格に立ってもいる人への敬意を、ただちに斜格敬語(いわゆる謙譲語)を使うことによって示しました。例えば、目の前の人に向かって「(あなたに)見せましょう」と言うとします。平安時代の京ことばでこれに当たるのは、「見せはべらむ」(みしぇえ ふぁべらう)のような言い方ではなく、「見せ奉らむ」(みしぇえ たまとぅらムう)のような言い方です。「見せはべらむ」は、今ここにいない誰かに「見せることにいたしましょう」といった意味の言い方です。
 聞き手が主格にも斜格にもあらわれない場合のことや、聞き手ならぬ人に敬意を示す場合のことも含めて、平安中期の京ことばにおける敬意の示し方一般、敬意を示す際の敬語の種類の選び方一般を定式化するならば、次のようになるでしょう。

1 聞き手に敬意を示すには、

ⅰ.その人が主格に置かれている場合、主格敬語形にし、その人が斜格に置かれている場合、斜格敬語形にする。後者の場合、特に改まりかしこまった言い方をする時には、さらに聞き手敬語「はべり」(時に「さぶらふ」)を添える。主格敬語形には少なくとも普通聞き手敬語を添えない。
ⅱ.文や発話の中に聞き手のあらわれない場合は、特に改まりかしこまった言い方をする場合に限り、聞き手敬語「はべり」(時に「さぶらふ」)を添える。

2 聞き手でない人に敬意を示すには、その人が主格(斜格)に置かれている場合、主格(斜格)敬語形にする。

 参考として、現代語における敬意の示し方の原則をまとめておきます。2は平安時代の京ことばの場合と同じ。

1 聞き手に敬意を示すには、

ⅰ.その人が主格に置かれている場合も、斜格に置かれている場合も、まず敬体にする(「〔あなたは〕見ますか?」「〔あなたに〕見せましょうか?」)。敬意を強めたいならば、一般には敬体に主格敬語や斜格敬語を添える(「〔あなたは〕御覧になりますか?」「〔あなたに〕お見せしましょうか?」「〔あなたに〕お見せいたしましょうか?」)。ただ時に、常体を主格敬語形、斜格敬語形にすることがある(「〔あなたは〕御覧になる?」「〔あなたに〕お見せしようか?」)。
ⅱ.文や発話の中に聞き手があらわれない場合は、敬体にする(「よいお天気ですね」「よいお天気でございますね」)。

2 聞き手でない人に敬意を示すには、その人が主格(斜格)に置かれている場合、主格(斜格)敬語形にする。

 具体的なありようを見るまえに、用語のことを申しておきます。やはり目新しい主張ではありませんけれども、「尊敬語」という名も「謙譲語」という名も体をよくあらわしていません。と申して、それらをそれぞれ「動作主への敬意を示す言葉」「動作の受け手への敬意を示す言葉」と定義するのも、やはり同じく適切でありません。
 例えば源氏・夕顔の一節「(光ル源氏ハ)とかく助けられたまひてなむ、二条の院へ帰りたまひける」(とお く たしゅけらえ たまふぃてう、にいンでううの うぃんふぇえ かふぇい たまふぃける)におけるはじめの「たまひ」を、「『助けられる』という動作の主(ぬし)である光る源氏への敬意を示す言葉」とするのは、適切なことではありません。「助けられる」という動作、とは何でしょう。また、「甲が乙に助けられる」における甲を、「『助けられる』という動作の主」と呼べるでしょうか。甲が乙に助けられる場合、甲は気絶していてもよい道理です。甲が乙に助けられる場合、動作主は乙でしょう。
 また例えば源氏・浮舟(うきふね)の一節「かの人にうとまれたてまつらむ、なほいみじかるべし」(あのお ふぃに うとまれ たまとぅらム、なふぉお いみンかるンべい。あのお方に〝おうとまれしたら〟〔ないし〝うとまれ申しあげたら〟〕、やはりつらいに決まっている)における「たてまつらむ」を、「『うとまれる』という動作の受け手である『かの人』への敬意を示す言葉」とするのは適切なことではありません。「甲が乙にうとまれる」における乙を、「『うとまれる』という動作の受け手」と呼べるでしょうか。甲が何らのこともしない場合でも、甲は乙にうとまれ得ます。甲が乙にうとまれる場合、動作の受け手は甲でしょう。
 いわゆる尊敬語は、主格に立つ人物への敬意を示し、いわゆる謙譲語は、斜格に立つ人物への敬意を示します。動作主と主格に立つ人物とは異なります。受動態の場合ばかりではありません。例えば「彼女が事故に遭った」の「彼女」、「彼女が出来た」の「彼女」、「雨が降る」の「雨」のようなものは、主語だが動作主ではありません。また動作の受け手と斜格に立つ人物とは異なります。受動態の場合ばかりではありません。例えば「甲は乙に似ている」における乙は、斜格に立つ人なりものなりですけれども、「『似ている』という動作(とは何か?)の受け手」ではありません。
 「尊敬語」と呼ばれるものと「謙譲語」と呼ばれるものとの差は、ひとえに、敬意の対象が主格に立つ人物なのか斜格に立つ人物なのかというところにあるのであってみれば、さようの関係にある二つの言い方の一方に「尊敬」、他方に「謙譲」の名を与えるのは不適切です。
 こんなことも申せます。例えば不特定の読者に向かって「みなさんはご存じだろうか」と書く書き手は、主格敬語を使って読み手に敬意を表していますけれど、その書き手は、敬語を使うことで未知の読み手を尊敬する気持ちを示しているのではありません。また、例えば「これは先生がくださった辞書だ」と言う人は、「これは先生にいただいた辞書だ」と言う人と同じく、敬語を使うことで師に対する謙譲の気持ちを示しているといえますけれど、「いただく」は謙譲語と呼ばれる一方、「くださる」は謙譲語ではなく尊敬語とされます。また、平安時代の敬語法では、例えば貴人ならぬ甲が貴人なる乙に似ている場合、多く、甲、乙に「似たてまつれり」(い たまとぅい)というような言い方をしましたが、誰かがこの言い方をする際、誰かが誰かに対してへりくだった態度をとるといった出来事は生じていません。
  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]


4 同輩  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 平安中期の都の紳士淑女は、日常どんなふうに敬語を用いたでしょう。まず、典型的な例として、源氏・若菜下(わかな げえ)における光る源氏と紫の上との対話を引きます。源氏が紫の上を相手に来(き)し方をふりかえり、紫の上がときどき言葉を挟むところにあらわれるやりとりです。

 「それにつけてはいとど加ふるこころざしのほどを、みづからのうへなればおぼし知らずやあらむ。ものの心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞こえたまへば、「のたまふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心に耐へぬもの嘆かしさのみ打ち添ふや、さは、みづからの祈りなりける」とて、残り多げなるけはひ、はづかしげなり。「まめやかには、いと行く先少なき心地するを、今年もかく知らず顔にて過ぐすはいとうしろめたくこそ。さきざきも聞こゆること、いかで御許しあらば」と聞こえたまふ。
 (「しょれに とぅけてふぁ いとンど くふぁふ こころンじゃしの ふぉンどうぉみンどぅからの うふぇれンば おンぼしらンじゅあ あら。ものの ここも ふり たまふめれンば、 しゃいとおとム おも」と きこいぇ たまふぇンば、「たま やう、もの ふぁかなみいにふぁ しゅぎにる よしょの おンぼいぇふぁ あらンど、こころに たふぇ もの なンげかししゃのみ うてぃしょふやあ、しゃあふぁあみンどぅからの いのりる」と、のこり おふぉげる けふぁふぃ、ふぁンどぅかしンげり。 「まめにふぁゆくしゃき しゅくない ここてぃ しゅるうぉことししらンじゅンがふぉにて しゅンぐしゅふぁ いと うしろめしょ。しゃきンじゃききこゆる こと、 ンで おふぉムゆるしンば」と きこいぇ たまう)

 光る源氏が紫の上に、「それ(=女三ノ宮ノコトデ迷惑ヲカケタコト)につけては、私はあなたにますます強い愛情を感じるのですが、あなたは、――灯台もと暗しで――自分のことだからかえってお分かりにならないかもしれません。とは言えあなたは物をよくお分かりの人のようですから、きっと大丈夫だと思います」と言うのに対して、紫の上が、「おっしゃるように、人さまからは、私のような大したことのない人間には過ぎた評判をいただいているのでしょうけれども、そうしますと、耐えがたい悲しみばかり加わる、そのことが幸いして、何とか生きていられるということだったのですね」と答え、さらに、「ほんとうに私、もう先がない心持がしていますので、今年もこんなふうに呑気に過ごすのは何とも心配です。以前から申し上げていること、何とかお許しいただきたいのですが」と改めて出家の希望を表明しています。ちなみに紫の上の言う「祈り」(いのり。三拍とも低い)は「幸福を増進させる(ないし、不幸を食いとめる)効果を持つもの」というような意味で、『大鏡』の師輔(もろすけ)伝に、 似た意味の「祈り」が見えています(「かやうなる御心おもむけのありがたくおはしませば、〔ソレガ〕御祈りともなりて長く栄えおはしますにこそあべかめれ」〔かやう おふぉムこころおもむけの ありンがく おふぁしぇンば、おふぉムいのりお なりて なンしゃかいぇ おふぁ ましゅにこしょ あンべかンれ〕)。 難解とされることもありますけれど、そうでもありません。
 さて二人のやりとりを、「ご自身のお身の上のことだから、ひょっとしておわかりでないかも知れないね」のような、常体に拠る言い方で現代語訳する向きもありますが(『新古典大系』)、源氏も紫の上も、聞き手を主語とした言い方において主格敬語を使って敬意を示しあうのですから、聞き手敬語の「はべり」「さぶらふ」のような言葉がなくても敬体によって翻訳すべきだと考えられます。かしこまり語がないことは改まりかしこまる言い方をしていないことを意味するばかりであり、丁寧な言い方をしていないことを意味しないのでした。
 他方、二人のやりとりを「そんなに長くない気がいたします」といった改まりかしこまる口調で現代語訳する向きもありますけれど(『新編日本古典文学全集』)、源氏は「さりともとなむ思ふ」と言って「思ひはべる」(おもふぃい ふぁ)、「思うたまふる」(おもう たまふ)などは言わず、紫の上も「よそのおぼえはあらめど」「みづからの祈りなりける」と言って、「よそのおぼえははべらめど」(しょの おンぼいぇふぁ ふぁべらンど)、「みづからの祈りにはべりける」(みンどぅからの いのり ふぁりける)などは言わないのですから、ということは聞き手敬語の「はべり」「さぶらふ」のような言葉を使えるところで使わないのですから、やはり当を得ないでしょう。二人の台詞は日常的な「です・ます」体に拠って現代語訳されるのが適切だと思います。
 現代では、夫に「です・ます」体で物を言う妻はいても、妻に向かって日常的に「(私は)そう思いますけれど、(あなたは)どう思います?」など言う奥ゆかしい夫は、多くはないでしょう。昔の夫婦というと、家父長としての夫が、家来としての妻に「おい、ちょっと来い」など言い、妻が「あなた、何でございましょう」など答える、というようなものだったように想像する向きもあるかもしれませんが、しかし事を平安時代の都の紳士淑女に限るならば、総じて夫婦は日常、敬語を使いあいました。夫婦に限りません。平安時代の都の紳士淑女は、同輩どうし、つまり、友人どうし、きょうだいどうし、恋人どうし、夫婦どうし、ご近所どうしの日常会話において、おおむね敬語を使いあいました。激しい口論まで敬語つきの言い方をしたとは申せません。例えば源氏・帚木において左の馬の頭(かみ)の語るところの、頭(かみ)と「指喰(く)いの女」との口論は、 基本的には「(ソコモトガモウ)限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ」(かンぎりと おもふぁンば わりい ものうンがふぃふぁ しぇお)といった、敬語抜きの言い方でなされたようですし、源氏・夕霧(ゆふンぎり)で夕霧と雲居の雁とが夫婦喧嘩をするところでも、 妻が夫に「なにごと言ふぞ」(なにンごと いふンじょ)と言います。もっとも、夕霧と雲居の雁との口論はこの一か所を除けばお互いに敬語を使ってなされますから、それだけにこの「なにごと言ふぞ」は耳に残ります。雲居の雁はここで、普通ならば使う敬語を使わないのですから、この「なにごと言ふぞ」は、「何を言うんです」よりも「何を言うんだ」に近い言い方でしょう。夫はこの言葉づかいにギクリとしたはずです。
 話を進めます。同輩どうしは普通、敬語を使いあったという言い方に間違いはありませんけれども、言い方がかなり粗いことも確かです。少し精緻化します。
 周知のことですが、主格敬語には敬意の強弱の異なる複数の種類がありました。平安時代の都の紳士淑女たちにあっては、同輩どうしの会話において聞き手を主語とする際、弱い主格敬語を使うことが多かった、と申せます。ここで「弱い主格敬語」と呼ぶのは、四段活用の「たまふ」を添えた言い方や、敬意のレヴェルにおいてそれと並ぶところの、「おはす」(おふぁしゅ)、「おぼす」(おンぼしゅう)のような言い方です。さきの光る源氏と紫の上との対話がそうだったように、同輩どうしは普通、弱い主格敬語を使いあいました。
 同輩どうしは弱い主格敬語を使いあうのが普通だったということは、弱い主格敬語を使ったのでは相手を目上の人として遇していることを示せない、ということです。となれば、相手を目上の人として遇していることを示す主格敬語がなくてはなりません。「詠ませたまふ」(よましぇえ たまう)、「おはします」(おふぁしゅ)、「おぼしめす」(おンぼいめしゅう)のような敬語がそれです。相手を目上の人として遇する時には強い主格敬語を使います。聞き手に対して強い主格敬語を使うことは、聞き手を目上の人として遇することです。ここで「目上の人」というのは、自分よりも立場が上の人というような意味に限定されません。同輩に対する物の言い方をしては失礼に当たるような人は、目上の人です。例えば、親しくない人と話す時には、のちに例を見ますけれど、強い敬語や改まりかしこまる言い方が使われやすいと申せます。
 ちなみに、強い主格敬語は一般には「最高敬語」と呼ばれます。強い主格敬語が、物語の地の文では、帝(上皇・法皇を含む)、后、皇太子のような人々を主格に置く時にほぼ限って使われるところに注目してそう呼ばれるようですけれども、しかしそうだとすると、この命名は強い主格敬語の基本的な性格を捕らえそこねています。帝、后、皇太子といった人々ではない人への敬意を示すために強い主格敬語を使うのは、何ら例外的なことでないからです。
 弱い主格敬語はまた、「微弱な主格敬語」に対するものでもあります。例えば光る源氏は幼い紫の上に仕える女房に、今からご主人様を私のところにお連れするから、「人ひとり参られよかし」(ふぃと ふぃり まうぃらい。誰か一人お供として参られたらよい)と言っています(「若紫」〔わかむしゃき〕)。敬語なしの言い方では礼を失するものの、同輩として遇するのも事のさまに違(たが)うというような時に使われるのが、主格敬語の「る」「らる」です。
 ちなみに、自分の家来には敬語抜きで物を言ったようです。例えば光る源氏は、家来の惟光に、夕顔のことでさんざん世話になっておきながら、敬語抜きで「さらに事なくしなせ」(しゃ こと ない なしぇえ。絶対、問題が起こらないようにしろ)と言っています(「夕顔」)。「しなされよ」(い なしゃよ)ですらありません。ついでに申せば、清少納言は下級の役人に敬語なしの「往(い)ね」(いねえ)という言い方をしています(枕草子・頭の中将の、すずろなるそらごとを…・第78段〔角川文庫本の段数(以下同じ)。とうの てぃうンじやうの しゅじゅろ しょらンごとうぉ〕)
 斜格敬語においても敬意の強弱はあります。例えば「思ふ」(おもう)の斜格敬語形として好まれるのは「思ひきこゆ」(おもふぃきこゆ)と「思ひきこえさす」(おもふぃきこいぇしゃしゅ)とで、前者は弱い斜格敬語、後者は強い斜格敬語と申せます。「思ふ」の斜格敬語形として「思ひたてまつる」(おもふぃい たまとぅる)、「思ひ申す」(おもふぃい まうしゅう)、「思ひ参らす」(おもふぃい まうぃらしゅ)も少数ながら使われますけれども、これらは同輩にも目上の人にも使えるようです。
 改めて申せば、平安時代の都の紳士淑女は、日常同輩と話す際、相手を主格に置く時には弱い主格敬語を、斜格に置く時は(弱い)斜格敬語を用いることで敬意を示すのが標準的な行き方だったと思われますが、状況しだいでは敬語なしの「なにごと言ふぞ」のような言い方もされるくらいですから、同輩どうしが標準的なそれとは異なる仕方で敬語を使うことは無論あります。
 二つ例を引きます。はじめは源氏・浮舟に見えている、匂う宮が浮舟と惑溺の時を過ごした折のやり取りの一部。匂う宮が光る源氏の孫にして帝の子という、貴公子の中の貴公子であるのに対して、浮舟は、帝の孫とは言え父に認知されなかった人で、匂う宮とは身分上格段の差があります。その浮舟に匂う宮は、「いとをかしげなる男、女、もろともに添ひ臥したる絵(かた)」(と うぉかしンげる うぉとこ、うぉムな、もろともに しょふぃ ふる かた)を描いて見せつつ、

 心よりほかにえざらむほどは、これを見たまへよ。(ここより ふぉかに いぇえ みンじゃらム ふぉンどふぁこれうぉい たまふぇよ。心ならずも逢えないあいだは、これを見ていてくださいね)

と言い、浮舟も、女としてすらすらと答えるわけに行かないようなことを匂う宮があれこれと聞くのに対して、

 え言はぬことを、かうのたまふこそ。(いぇいふぁぬ ことうぉ かたまふこしょ。言えるわけのないことを、言えとおっしゃるなんて)

と答えています。二人とも相手を主格に置く文で弱い主格敬語を使いますけれども、相手を斜格に置く言い方において斜格敬語を使って「え見奉らざらむほどは」(いぇえ みい たまとぅらンじゃらム ふぉンどふぁ)、「え聞こえぬことを」(いぇきこいぇぬ ことうぉ)と言ったりはしていません。標準的な言い方よりも一段(ひときざみ)くだけた言い方をしていると言えますが、主格敬語を使いあっている以上、現代語訳は常体にではなく「です・ます」体に拠るのでなくてはなりません。現代ならば大概、事ここに至ってそうした言葉づかいをしあうのは、水くさいこと、不自然なこととされるでしょう。
 反対に、弱い主格敬語や斜格敬語を使って敬意を示す相手に、時としてかしこまり改まる言い方をすることもあるようで、例えば源氏・柏木(かしふぁンぎ)で夕霧は、死期の迫った柏木にこう言います。

 久しうわづらひたまへるほどよりは、ことにいたうもそこなはれたまはざりけり。常の御かたちよりもなかなかまさりてなむ見えたまふ。(…)(私ハ貴君ニ)おくれ先だつ隔てなくとこそ契りきこえしか。いみじうもあるかな。この御心地のさまを、何事にて重りたまふとだに、え聞きわきはべらず。
 (ふぃしゃわンどぅらふぃ たまふぇふぉンどふぁ、こお しょこなふぁえ たまふぁンじゃりけり。とぅえの おふぉムかたてぃよりお なか ましゃう みいぇえ たま。(…) おくしゃきンだとぅ ふぇンだて なくとしょ てぃンぎきこいぇしか。いみンお ああ。 こおのお みここてぃの しゃまうぉ、なにンごとにて おもり たまとンに いぇき わい ふぁンじゅ)

 語り手の言い方を借りれば、二人は「はやうよりいささか隔てたまふことなう睦(むつ)びかはしたまふ御仲」(ふぁり いしゃしゃか ふぇンだえ たま こと なむとぅび かふぁい たま おふぉムなか)ですが(同性愛ということではない)、状況が切迫していることを知っているせいもあるのでしょう、夕霧は柏木に、かしこまり語なども使って、少し厚めの敬意を示します。もっとも夕霧は「いみじうもあるかな」とも言っているわけで、律義にかしこまり語を使うわけではありません。
 他方、柏木はと申せば、夕霧に対して「このことはさらに御心よりほかに漏らしたまふまじ。さるべきついではべらむ折にはご用意加へたまへとて聞こえおくになむ」(こおのお ことふぁ しゃに みこころより ふぉかにし たまふまンい。しゃるンべとぅいンで ふぁべら うぉりにふぁ ごよい くふぁふぇえ たまふぇえとて きこいぇ おくにう)のように、弱い敬語も使いますけれど、改まりかしこまる「はべり」を基調とする物の言い方をし(「いとくちをしう、 その人にもあらずなりにてはべりや」〔と くてぃうぉう、しょおのお ふぃも あンじゅ なりにて ふぁりやあ〕)、 相手を主格に置く言い方では強い主格敬語も使います(「入(い)せたまへ」〔いらしぇ たまふぇえ〕、「よろしう明(あき)らめ申させたまへ」 〔よろしあきらめ まうしゃしぇえ たまふぇえ〕、 「出(い)させたまへ」〔いンでしゃしぇえ たまふぇえ〕)。 柏木は夕霧の父親(光る源氏)の不興を買ったことを気に病んでこうして臥せっているわけで、 そのせいもあるでしょうが、ともかく夕霧にほとんど目上の人に対するような物の言い方をしています。この七年ほど前には、柏木は夕霧に、「帝の並びなくならはしたてまつりたまへるに、さしもあらで屈したまひにたらむこそ心苦しけれ」 (みかンどの ならンびく ならふぁし たまとぅり たまふぇ、しゃあも あンで くっしい たまふぃにたらムこしょ ここ くるしれ)と言い、 また「いで、あなかま、たまへ。みな聞きてはべり。いといとほしげなる折々あなるをや。さるは、世におしなべたらぬ人の御おぼえを。ありがたきわざなりや」(いンえ、 あなかま、たまふぇえ。 ふぁい。 と いとふぉしンげる うぉうぉンなうぉやあ。しゃるふぁ よおにい おしなンたらぬ ふぃとの おふぉムおぼいぇうぉ。 ありンがたンじゃあ)と言っていました(若菜上〔わかな じやう〕)。 「みな聞きてはべり」のような言い方もするものの、「心苦しくはべれ」(ここ くるく ふぁえ)などではなく「心苦しけれ」(ここ くるしれ)と言い、「はべなるをや」 (ふぁンなうぉやあ)ではなく「あなるをや」(あンなうぉやあ)と言い、「ありがたきわざにはべりや」 (ありンがたンじゃふぁりやあ)ではなく「ありがたきわざなりや」 (ありンがたンじゃあ)と言うのですから、七年後の言い方に比べれば言い方がざっくばらんです。
 聞き手を主格に置く時の主格敬語の強弱と、かしこまり語の有無とは、必ずしも平行しません。ただ、聞き手を主格に置く言い方で強い主格敬語を使うような場合には、聞き手を主格にも斜格にも置かない言い方をする時、かしこまり語によって敬意を示すのが普通だ、ということはできるようです。そのことも含めて、今度は源氏・橋姫(ふぁしふぃめ)において薫が大君(おおいきみ)にはじめて物を言う時の言葉づかいを見てみます。

 かつ知りながら、憂きを知らず顔なるも世のさがと思うたまへ知るを、一(ひと)ところしも、あまりおぼめかせたまふらむこそ、口惜しかるべけれ。ありがたう、よろづを思ひ澄ましたる御住まひなどにたぐひきこえさせたまふ御心のうちは、何ごとも涼しく推し量られはべれば、なほ、かく忍びあまりはべる深さ浅さのほども分かせたまはむこそ、かひははべらめ。
 (かとぅしりなンがら、ううぉ しらンじゅンがふぉよおのお しゃンがと おもう たまふぇしるうぉ、ふぃととも あまり おンぼめかしぇえ たまムこしょ、くてぃうぉかるンべれ。ありンがう、よろンどぅうぉ おもふぃい しゅま おふぉムしゅまふぃ たンぐふぃきこいぇしゃしぇ たまふ みこころの うてぃふぁ、なにンごとも しゅンじゅし ふぁからえ ふぁンば、なふぉお、しのンび あまい ふぁかしゃ あしゃしゃの ふぉンどお わかしぇえ たまふぁムこしょ、かふぃふぁ ふぁべらえ。 相手がつらい思いをしているのを知りながら知らない顔をするのが世の習いと存じておりますが、よりにもよってあなたがあまりにもそらぞらしい態度をおとりになっていらっしゃるらしいことを、私は今後いつまでも情けなく思うにちがいありません。類(たぐい)まれなくらい何もかも悟っていらっしゃる宮〔大君の父、八の宮〕のお暮しに寄り添っていらっしゃるあなたは、お心のうちでは何ごともお見とおしだろうと推察されますから、やはりこうして隠し切れずにおります私の心の深さ浅さのほども、お分かりいただけるでしょう。そうでなくては、参った甲斐がございません。最後のところは「裏返し」に訳しています〔「名歌新釈」1をご覧ください〕)

 親しくないどうしはしばしばこんなふうにお互いを目上の人として遇しあいます。ということは、そののち二人が親しくなってゆく場合、ある段階で敬語のレヴェルが一段(ひときざみ)下がることが期待されるということで、実際、薫と大君との対話にその実例が見られます。今引いたとおり、薫ははじめは大君に強い主格敬語を使いますけれど、その時の対話の最後のあたりからは、「世の人めいてもてなしたまふべくは」(よおのおふぃとめい たまふンふぁ。私を世間並みの男に見なして応対なさるおつもりならば)といった具合に弱い敬語がまじるようになり、「総角」に読まれる大君との最後の対話では、もっぱらこの薄幸の人に弱い敬語を使います。その薄幸の人の方はというと、当時の淑女のつねとして、はじめは返事らしい返事をしませんけれども、しばらくしてからは、やはり例えば「けさはまだ、聞こゆるに従ひたまへかし」 (けしゃふぁ まンあ、きこゆるに したンがふぃ たまふぇい。 けさはまだ、私の申しあげるとおりにしてくださいね)というように、相手に弱い敬語を使いつつ語ります。疑いなく相手との心理的なへだたりがちぢまっています。 現代日本語の「あなた」「誰々さん」「誰々君」から「君」なり「おまえ」なり呼び捨ての言い方なりへの、あるいはドイツ語の Sie(ズィー)からdu(ドゥー)への、あるいは フランス語の vous(ヴー)からtu(テュ)への切り替えと似たことが、そこには認められると言ってよいでしょうけれども、ただ、心理的なへだたりをちぢめてもなお、平安時代の紳士淑女は、通例、弱い程度のではあっても敬語を使いあうのでした。
  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]


5 応用問題 [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 応用問題として、本題からしばらく離れ、平安時代の言葉で「あなたを愛しています」と告白するとしたらどんな言い方になるか考えてみます。
 直訳的に「我、なんぢを愛したり」(わなムでぃうぉいしいたい)、「我、なんぢを愛せり」(わなムでぃうぉいしぇり)などすることはできません。それはせいぜい、「わたしは汝と愛の行為をなしている」「私は汝に執着している」といった意味しかもちません。また、「愛しています」に近い意味の古風な現代語として「お慕いしています」という言い方がありますけれども、平安時代には「慕ふ」(したふ)は、「思慕しつつあとを追う」「恋しく思う」というような意味で使われたので、目下の課題にはこの言葉は使えません。
 「あなたを愛しています」という場合の「愛する」を意味するものとして使えるのは、「思ふ」(おもう)です。例えば『枕草子』の「たとしへなきもの」の段(第68段)に、「夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と」(とぅと ふ。よると ふぃ。あえ ふる ふぃる ふぃ)などに混じって、「思ふ人と憎む人と」(おもふ ふぃ にくむ ふぃ)とあります。すると直訳的には「愛している」は「思ひたり」(おもふぃい)、「思へり」(おもふぇり)だということになりますけれども、これでは所期の意味になりません。
 「思ひたり」「思へり」は、平安仮名文ではもっぱら「(かくかくしかじかと)思っている様子だ」を意味するからです。例えば『枕草子』の「殿などのおはしまさでのち…」(との なンどの おふぁましゃンで のてぃ)の段(第138段)において清少納言は「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえはべりしかば」(いしゃあ、ふぃとの にくいと おもふぃたりしンがた にく おンぼいぇえ ふぁべりかンば)と言っています。あるとき清少納言はあらぬ嫌疑を受け、同僚の女房たちから仲間はずれにされてしまい、抗議の里さがりをしました。ある貴紳がそのもとを訪れ、宮中にもどるよううながします。「いさ、人の…」は、その時の清少納言の返答です。でも、女房たちが私のことを癪(しゃく)にさわる奴だと思っている様子だったのが、私としても癪にさわりましたから。
 敬語なしの「(あなたを、お前を)愛している」に当たるのは、「思ふ」(おもう)です。例えば後撰和歌集・恋920に、「思ふてふことこそ憂けれくれたけの世にふる人の言はぬなければ」(おもう て ことしょ うくれたけの よおにいる ふぃとの いふぁぬれンば)という歌が見えています。世の男性は何かといえば「思ふ」(あなたを愛している)という言葉を使いたがるので、この言葉を聞いても悲しくなるばかりだ。
 「あなたを愛しています」は聞き手を斜格に置く言い方ですから、その古文版は「思ふ」に斜格敬語を添えたものか、さらにそれに「はべり」のような言葉を添えたものです。「思ふ」の斜格敬語形として一般的なのは「思ひきこゆ」(おもふぃきこゆ)、「思ひきこえさす」(おもふぃきこいぇしゃしゅ)でした。
 こうして、同輩に「あなたを愛しています」と言う時のもっとも一般的な言い方は「思ひきこゆ」です。「あなたを」を明示するとすれば「君を思ひきこゆ」(きみうぉ おもふぃきこゆ)のような言い方になりますけれども(「汝(なむぢ)を」〔なムでぃうぉ〕も「汝(なれ)を」〔なれうぉ〕も「御身(おんみ・おほむみ)を」〔おふぉムみいうぉ〕も、詳説しませんが適切でないようです)、現代語「お慕いしています」と同様、「思ひきこゆ」とだけ言えば十分です。目上の人に告白するのならば「思ひきこえさす」ないし「思ひきこえさせはべり」(おもふぃきこいぇしゃしぇ ふぁい)ということになります。
 この「(アナタヲ)思ひきこゆ」を使った例が、『落窪物語』巻二の一節に見えています。

 「思ひきこゆ」と聞こえばこそ「あやふし」とものたまはめ、ただ「つらき目見せ奉らじ」ときこゆれば、心ざしのあるかは。
 (「おもふぃきこゆ」と きこいぇンばしょ 「あやふしい」とたまふぁえ、たンあ「とぅらきい めえ みしぇえ たまとぅらンじい」と きこゆれンば、こころンじゃしの あるかふぁ)

 複雑な文脈で言われた台詞です。落窪の君は秘密裏ながらすでに道頼の妻ですが、道頼が右大臣の娘との縁談を承知した模様だといううわさを聞いて、道頼に隔意を持っています。事実は乳母が勝手に話を進めてしまっただけで、道頼にそんなつもりはないのですけれども、そのことをまだ姫君は知りません。落窪の君の心事を知って、道頼が、私はお付き合いのはじめからあなたに薄情だと思われないようにしようと常に思ってきました、女性にとって何よりつらいのは、男が二心(ふたごころ)を持つことだと聞いているので、私はそんなことはしないようにしてます、外野があれこれ言っても「よもあらじとおぼせ」(も あらンいと おンぼしぇえ。この人は決して浮気などしないだろうとお考え下さい)、と言うと、ヒロインは「さ思はむも、下崩(したくづ)れたるにや」(しゃあ おもふぁも、したくンどぅれたるにやあ)と言います。これは「あだ人は下崩れゆく岸なれや思ふと言へどたのまれずして」(古今六帖・第五・雑思・思ひわづらふ〔おもふぃわンどぅらふ〕。 あンだンびとふぁ したくンどぅゆく きしあ おもうと ふぇンど たのまンじゅ)を踏まえた言い方で、この歌は、浮気な男というものは下が崩れてゆく岸のようなもの、いくら「思う」と言っても信用できない、と言っていますから、彼女の言う「さ思はむも、下崩(したくづ)れたるにや」は、「『よもあらじ』と思おうにも、すでに下が崩れているのではありませんか。歌の言うように『思ふといへどたのまれずして』で、優しい言葉を掛けてくださっても信用できません」というのです。
 はじめに引いた道頼の台詞、「『思ひきこゆ』と聞こえばこそ『あやふし』とものたはまめ、ただ『つらき目見せ奉らじ』ときこゆれば、心ざしのあるかは」は、これへの応答です。あなたに「思ひきこゆ」(愛しています)と申し上げたら、あなたが「したくづれたる岸」の歌を引いて「さあどうだか」とおっしゃるのももっともですけれど、私はただ「つらい思いをさせまい」とだけ申し上げているのですから、あなたへの愛情があるということではありません。道頼は落窪の君に、あなたへの思いはさほどのものでないと本気で言っているのではなさそうです。自分はあなたに愛情など感じないと言いなすことで、「下崩れゆく岸」の歌を持ち出す根拠はないと言おうとしているのでしょう。落窪の君の反応が書かれないままに場面は唐突に変ってしまいますけれど、姫君の誤解は、岩間の氷の、めでたく解消したのだと読めます。道頼は「思ひきこゆ」と申し上げたならば、と言っているだけですが、相手に対する愛情を表明する言葉として「思ひきこゆ」を使えることは、この台詞からも明らかです。
  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]


5 語りの文体 [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る]

 閑話休題。『落窪』巻二で語り手は、

 御産養(うぶやしなひ)、我も我もとしたまへれど、くはしく書かず。思ひやるべし(ゴ想像クダサイ)。(おふぉムうンぶやしなふぃ、わも わもと い たまふぇれンど、くふぁく かンじゅ。おもふぃやるンべしい)

と言い、巻三では、

 くはしくは、うるさければ書かず。(くふぁふぁ、うるしゃれンば かンじゅ)

と言います。『源氏』の語り手も、

 こまかなることどもあれど、うるさければ書かず。(夕顔。こる ことンも あンど、うるしゃれンば かンじゅ)

 そのついでに、いと多かれど(歌ガ多数詠マレマシタケレド)、さのみ書き続くべきことかは。(賢木(さかき)しゃかき〕。しぉおのお とぅいンでにと おふぉンど、しゃあみ かとぅンどぅくンべきい ことかふぁ)

といった言い方をします。「書かず」「書き続くべきことかは」と書く人は語り手ではない、とは言えません。例えば「今日(きょう)は或る不思議な出来事をお話ししましょう」と書き起こす人は、一人の語り手にほかなりません。
 源氏・蓬生(よもぎふ)(よもンぎふ〔推定〕)に「かぐや姫の物語」(かンぐやふぃめ〔末拍推定〕の ものンがり)という言い方が見え、『浜松中納言物語』に「うつほの物語」(うとぅふぉの ものンがり)という言い方が見え、『更級日記』や『建礼門院の右京大夫の集』に「源氏の物語」(ぐうぇんじいの ものンがり)という言い方が見えています。『竹取』も『うつほ』も『源氏』も、当時から「物語」というジャンルに属するものと見られていたことは確かで、語り手が語るのが物語であることも明らかですが、それは必ずしも語り手は話す人だということを意味しません。むしろ平安時代の物語として知られている諸作品は、架空の語り手が、伝え聞いたことを、あるいは何かしらの資料によって知ったことを、話すのではなく、書きしるす形式を基本としたと思われます。
 もっともその場合でも、その語り口は、音声言語による語りの調子を写した趣のものだったでしょう。では例えば『源氏物語』の語りはどのような調子のものだったでしょう。
 例えば『坊っちゃん』を読む人は語り手について多くを知ることができますけれども、『源氏物語』を読む人はその語り手についてほとんど何も知ることができません。そもそも誰が語っているのかすら、分かりません(注)。しかしいま考うべきは、その語りは誰に向けてのものなのかです。

注 「竹河」(たけかふぁ)の巻のそれを含めてです。この巻の冒頭には「これは、源氏の御族(ぞう)にも離れたまへりし後(のち)の大殿(おほいとの)わたりにありける悪御達(わるごたち)の落ちとまり残れるが問はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど(…)」(これふぁ、ぐうぇんじいの おふぉムじょうにも ふぁなえ たまふぇ のてぃの おふぉいとのわたり〔この三拍のアクセント、 あやふやな推定〕りける わるンごてぃの おてぃとまり のこるンが とふぁンじゅンがたきたるふぁ、むらしゃきの ゆかりににいンじゃンめれンど)とありますけれども、これはこの巻の語り手は悪御達の問わず語りを聞いた何者かだということです。

 目下の者に向けての語りとは考えにくいでしょう。例えば『枕草子』に、中宮が清女らにみずからの伝承する未生(みしょう)以前の出来事を語るところがありますけれども(「清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の…」〔第20段。しぇいりやうンでんの うしとらの しゅの…〕)、これは典型的な状況とは思われません。他方語り手が、「こちたき御仲らひのことどもは、えぞ数へあへはべらぬや」(源氏・若菜上。こてぃたい おふぉムなからふぃの ことンふぁ いぇえンじょお かンじょふぇえ あふぇえ ふぁべらぬやあ。『大成』によれば有力なヴァリアントはありません)というような改まりかしこまった 言い方をするところも稀ながらありますが(多めに言って三例か)、こうした例をもとに、『源氏物語』の巻まきの語りは総体に目上の人に向けてのもの、例えば女房によるその主人に向けてのものとするのは、まったく不当です。
 例えば、いま引いた「こちたき御仲らひ…」に先だつのは「古き世の一(いち)の物と名ある限りは、皆つどひ参る御賀になむあめる。昔物語にも、もの得させたるをかしこきことには数へつづけためれど、いとうるさくて」(ふるよおのお いてぃの ものと あ あ かンぎりふぁな とぅンどふぃい まうぃる おふぉムがあにう あンめる。むかしものンがたり(末二拍推定) も もの いぇしゃしぇるうぉ かしこい ことにふぁ かンじょふぇとぅンどぅけたンめれンど、と うるしゃ)であり、 「古き世の一の物と名ある限りは、皆つどひ参る御賀になむはべめる。昔物語にも、もの得させたるをかしこきことには数へつづけてはべめれど、 いとうるさくて」(ふぁンめる、ふぁンめれンど)のようなものではありません。「若菜」上下の地の文に聞き手敬語が一つあることよりも、一つしかないことが重視されなくてはなりません。
 『源氏』全体を見ても、その巻まきの語り手たちは、

 このほどのこと、くだくだしければ、例のはぶきつ。(夕顔。こおのお ふぉンどの こと、くンだくンだしれンば、れふぁンぶとぅう)

 こまかなることどもあれど、うるさければ書かず。(同上。こる ことンも あンど、うるしゃれンば かンじゅ)

 よろこびきこえたまふさま、書き続けむもうるさし。(須磨〔しゅま〕。よろンび きこいぇ たまふ しゃま、かとぅンどぅけムも うるしゃい)

 そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし。(真木柱〔まきンばしら〕。しょおのお ふぉンどの ありしゃま、いふぁンじゅとお おもふぃとぅンべきい ことンじょい)

 物語の姫君の人に盗まれたらむあしたのやうなれば、くはしくも言ひつづけず。(蜻蛉〔かンげふ〕。ものンがりの ふぃめンぎみ(後半のアクセント推定)の ふぃ ぬしゅまたら あしたの やうれンば、くふぁふぃ とぅンどぅけンじゅ)

といった例の示すとおり、少なくともほとんどの場合、改まりかしこまる言い方のできるところでそうした言い方をしません。これらの言い方における聞き手敬語の欠如は、それらが目上の人に向けてのものでないことを示します。

 くはしくは聞こえじ。いとほしう、ものいひさがなきやうなり。(蓬生〔よもンぎふ〕。くふぁふぁ きこいぇンじい。いとふぉう、ものいふぃ しゃンが ない やうり)

における斜格敬語も目上の人に対するものでないこと、すでに見たとおりです。
 なお、係助詞「なむ」にかしこまり語の「はべり」に似た機能があるとする向きもありますけれど、少し前に引いた若菜上の一節にもしかじかの「御賀になむあめる」とありました。係助詞「なむ」が「ある」「あめる」「あるべき」のような結びをとる例は枚挙にいとまがない以上、例えば源氏・桐壺(きりとぅンぼ)の地の文に「なかなか限りもなくいかめしうなむ。」(な かンぎりお なく いかめム)、「あらまほしき御あはひどもになむ。」(あらまふぉしい おふぉムあふぁふぃンどう)といった言い方があることからこの巻を目上の人に対する語りと見る、といったことはできません。
 『源氏』の地の文における敬語を、というよりも敬語の欠如を検討するならば、この物語の巻まきにおける語りは、少なくともほとんどの場合、同輩に向けてのものだと見なくてはなりません。同輩に向けての語りといっても、例えば同輩に手紙を書く時のように特定の相手を念頭に置きその相手に向かって語る趣のものとは限りません。まだ見ぬ同輩に向けて語る趣のものであってもよい道理です。
 平安時代の紳士淑女は通例、日常、同輩に語るとき敬語を使ったのでした。ただし、通例、改まりかしこまる言い方をしたのではなく、敬意に強弱をつけられる場合は弱い敬語を使うことで、相手への敬意を示したのでした。すると、『源氏』の巻まきの地の文は、少なくともほとんどの場合、日常的な「です・ます」体に拠って訳されるのが適切です。
 繰り返しになりますけれど、地の文にいわゆる丁寧語の「はべり」「さぶらふ」のないことを理由として常体に拠るのが、現在の多数派の流儀です。しかしこの流儀は、現代語における聞き手敬語と平安時代の京ことばにおけるそれとを素朴に同一視する流儀であり、また、敬意を示すに際していかなる種類の敬語を使うかにつき今昔で無視できない差のあることを無視する流儀なのでした。『源氏物語』の地の文を常体で訳し通すことは、この物語の語り口をあまりにもモノローギッシュなものにしてしまいます。『源氏』に限らず、王朝物語全体の地の文の訳し方に関して、大方のアカデミシャンに閑却せられているらしい谷崎の流儀の正当性が、再評価されなくてはなりません。
 『源氏』の冒頭の一文のことを言っておしまいにします。その末尾「すぐれて時めきたまふありけり」(しゅンぐ ときき たまりけり)は、「誰よりも帝のご寵愛をお受けになる方がありました(ないし、いました)」など訳されてもよいのですけれど、現代語としては、「誰よりも帝のご寵愛をお受けになる方がいらっしゃいました」、ないし「誰よりも帝のご寵愛を受ける方がいらっしゃいました」とする方がやや自然でしょう。
 この「ありけり」について、「おはしけり」(おふぁり)といった言い方でない以上、それは人を主語とするものでない、「時代」を主語とするものだ、と見る向きが確かありましたが、この一文は、

 にくみたまふ人、多かり(=多くあり)。(桐壺。にくい たまふ ふぃと、おふぉい)

 われ人に劣らむとおぼしたるやはある。(同上。われ ふぃ おとらうと おンぼるやふぁ)

といった文と同趣のもので、「ありけり」の主語は人と見るのが妥当です。「今は昔(モウ昔ノコト)、中納言なる人の、むすめあまた持たまへる、おはしき」(落窪・冒頭。いまふぁ むかし、てぃうなあごんる ふぃとの、むしゅめ あま もたまふぇる、おふぁい)のように敬語を重ねる言い方もできたましたけれど、直前に主格敬語があるならば文末は常体でもよかったと見られます。なお、原文が「ありけり」だから「いました」と翻訳せらるべきであり「いらっしゃいました」などすべきではない、とするのは悪しき直訳主義でしょう。

後記 小論は2010年頃に書き上げられたものを原形としています。2015年、中野幸一氏が敬体に拠った『源氏』の現代語訳を発表しはじめられる前のことでした。

  [「『源氏物語』の…」冒頭に戻る] [トップページに戻る]
ご意見・ご感想は modus@nifty.com へ。(高梨俊)