上声点の解釈学

紹介文はこちら

1 下降拍の長短
2 アクセント単位
3 低下力
4 完了の「ぬ」は多くを教える
5 柔らかい拍
6 用言における下降拍
7 付属語における下降拍
8 上声点の解釈規則
9 おわりに

1.下降拍の長短 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 諸先覚の見るとおり、図書寮(ずしょりょう)本『類聚名義抄(るいじゅうみょうぎしょう)』(以下『図名』と略す)に類聚された声点注記のすべてを東点(平声軽点)を用いる流儀のもの(いわゆる「六声体系」――実際にはもっぱら平声点、東点、上声点、去声点の四つが使われる――の注記)と断ずることはできない。例えば「にくみす」〈平上平上〉、「よいかな」〈平上平上〉などは(注1)、東点を用いない流儀による注記(いわゆる「四声体系」――実際にはもっぱら平声点と上声点との二つが使われる――の注記)である可能性がある。しかし図名に収められた二十あまりのサ変動詞「す」の終止形(注2)や十(とお)あまりの低起形容詞の連体形の最終拍のうちで上声点が差されるのは今引いた「にくみす」〈平上平上〉と「よいかな」〈平上平上〉とだけであり、それら以外にはいずれも東点が差されることを思えば、図名に類聚された注記のほとんどは、東点を用いる流儀に拠ると見られる。

注1 以下、『名義抄』の声点は望月郁子『類聚名義抄四種声点付和訓集成』(以下『集成』と略す)に拠る。表記は適宜変更する。
注2 秋永一枝『古今和歌集声点本の研究』(以下『研究』と略す。資料篇〔1972〕、索引篇〔1974〕、研究篇上下〔1980、1991〕)の言う「終止形一般」のことである。当面のあいだ、ほかの活用形も含めて特殊形は問題にしない。この小論ではアクセントに関する用語はおおむね『研究』に倣う。ただ『研究』は「終止形一般」「連用形一般」といった書き方をするけれども、ミスリーディングゆえ「終止形(一般)」「連用形(一般)」など表記する。これに合わせて「終止形特殊」なども「終止形(特殊)」などする。

 すると、図名における「飽く」〈平上〉以下の低起二拍動詞の最終拍や「あがく」〈平平上〉以下の多数派低起三拍動詞の最終拍に差された上声点――あわせて百数十ある――の少なくともほとんどは、東点を用いる流儀における上声点である。それらをいずれも終止形の最終拍への注記と見てよいことは、「浴(あ)む」以下の低起二拍の二段動詞、「崇(あが)む」以下の多数派の低起三拍の二段動詞における注記が終止形へのそれであることから明らかである。

 それらの上声点は、先覚の説くとおり、下降調で言われただろう。言うまでもなく現代語の終止形は古代語の連体形の末裔なので、そこから往時の終止形のアクセントのありようを探ることはできないが、古代において一つの動詞の連用形と終止形とは(連用形(一般)と終止形(一般)とは、また連用形(特殊)と終止形(特殊)とは)基本的にアクセントを同じくするようであること、そして現代の京阪式アクセントにおいていわゆる連用中止法(注1)で用いられた低起二拍動詞の連用形の最終拍は下降調をとること(注2)とを考え合わせるだけでも、先覚の説いたとおりらしいことは知られる。岩崎本『日本書紀』(以下『岩紀』と略す)は「出(い)で立たす」に〈平上平平上〉を(102。数字は歌謡番号)、「打ち鞫(きた)ますも」に〈平上平平平平東〉を差すが(112)、これらにおける広義の複合動詞の前部成素の最終拍に差された上声点は、図名の「飽く」〈平上〉の最終拍などと同じ性格のものである可能性がある。

注1 むしろ「委託法」など呼ぶべきだと考えられるが、しばらく慣用に従う(「委託法、および、状態命題」の冒頭をご覧ください)。
注2 中井幸比古『京阪系アクセント辞典』(以下『京ア』と略す)pp.295-296。以下現代京阪系諸語のアクセントは主として同書やそのデータCD-ROMに拠る。

 岩紀や図名に見られるあまたの東点が下降調を意味することは明らかだから、図名の「飽く」〈平上〉のような言い方における上声点が下降調を意味するとしたら、その下降調は東点の示す下降調とは別の下降調を示すと考えなくてはならない。例えば図名は二(ふた)ところで「おほきなり」に〈平平東平上〉を差す。「おほきなり」は「おほきにあり」の単純な縮約形なので、その最終拍の上声点は「あり」の終止形の最終拍に差されたに等しい。「おほきなり」の三つ目の拍に或る下降を聞き取った差声者は、最終拍には別の音調を聞き取った。そしてその最終拍は下降調をとったと考えられる。

 すると、当時、下降調には二種(ふたくさ)があったと見るのが自然である。そうだとすれば、長いそれと短いそれとがあったと見るのが自然であろう。そしてそうだとすれば、東点は〈上平〉と等価の長い下降調、ゆるやかな下降調、完全に下降する下降調、引かれた下降調を示し、上声点は、下降調を意味する時は、短い下降調、急激な下降調、完全に下降するとは限らない下降調、引かれない下降調を示したと考えるのが自然であろう。字音語では東点は、平声点や上声点とは異なりもっぱら二拍(ふたはく)のものに差されることを考えても、また、「名(な)」のような一拍二類名詞――伝統的な現代京阪式アクセントにおいて文節末にあるとき通例引かれる――に図名が東点を差すことなどを考えても(「諱(ないふ)」の項)、逆ではありえない。

 東点を用いる流儀において、東点は長い下降調を意味し、上声点は高平調のほか短い下降調も意味したと考えられる。上声点は多義的だった。ちなみに、図名は「下降拍を平声軽点と上声点の両方で注記する」資料であるとする『日本語アクセント史総合資料』研究篇が、かねて上声点に多義性を認めていた(p.36)。

 しかし、上声点はいかなる意味において多義的なのか。

 「名(な)」HLと「汝(な)」LHないしHH(『研究』研究篇上p.28。Hは高平調、Lは低平調を意味する)とは、「音(ね)」HLと「根」LLとは、そして「日(ひ)」HLと「檜(ひ)」LHとは区別されなくてはならず、実際通例区別されただろう。のちに観智院本『名義抄』僧中が「輻(やあ)」に〈上平〉を差しなどするだろうことを引くまでもなく、岩紀の差声者や、のちに図名に類聚されることになる声(しょう)を差した古人たちには、長い下降調を長い下降調として聞き取りそれに東点を差すことは容易だっただろう。

 他方、例えば現代の京阪式アクセントの話し手が、いわゆる連用中止法で使われた「飽き」LF(Fは拍内下降する拍であることを意味する)と連用命令「飽き」LHとをげんにきちんと発音しわけていながら、二つのアクセントを同一のものとして内省する、といった事態は、十分考えうる。アクセントというものにさしたる興味をおぼえない大方の話し手においては、むしろ二つの差に気づかないのが当然かもしれない。文節末の終止形の「飽く」に〈平上〉を差した古人も、その最終拍が下降することを内省した上で上声点を差したのではないかもしれない。

 しかしながら、長い下降調をさようなものとして把握しそれに東点を差した人びとは、みな例外なく、あまたの文節末の低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍には、その下降に気づくことなく上声点を差した、と断ずるのもまた、不当ではないか。古人は例えば、「飽く」の終止形の最終拍が文節末で下降調をとることを知覚しつつも、東点は長い下降調を示す記号であり、短い下降調を示すには上声点の方がまだしもよいと考えたのかもしれない。長い降(くだ)り拍と短いそれとを同じ記号で示すよりは、高平拍と短い下降拍とを同じ記号で示す方が適切である、と考えられたとしてもおかしくない。

 とはいえ、重要なのはこの問題に決着をつけることではない。重要なのは、例えば文節末の終止形「飽く」に〈平上〉を差した古人は、仮にその最終拍における下降を意識しなかったとしても、それを短い下降調で言ったと考えられる、というこの一事である。先覚の説くとおり、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連体形の最終拍は、終止形のそれとは異なり、もともと高平調をとったと見られる。すると当時の都びとは、例えば文節末の終止形の「飽く」と、係り結びの結びとしての文節末の連体形の「飽く」とを、きちんと発音しわけただろう。

 岩紀の時代や図名の時代――「のちに図名に類聚されることになる声(しょう)の差された時代」という意味で「図名の時代」と言うことにする――、上声点はいかなるものとして了解されていたかを考えることと、岩紀や図名において上声点を差された拍が当時いかなるアクセントで言われていたかを考えることとは、別のことである。この小論が主として考えようとするのは後者である。当時の都びとは、岩紀や図名が東点を差した拍を長い下降調で発音し、それらが上声点を差した拍を時に短い下降調で発音したと考えられる。東点を用いる流儀における上声点は、高平調を意味するばかりでなく、時に短い下降調を意味する。その意味で上声点は多義的であり、解釈を要する。

 和語に対する注記では東点を用いない流儀をとるところの、初期から後期にいたる古今集声点本においては、上声点は一層多義性の度合いを増す(注)。長短両様の下降調は、すでに前代にあり現代の伝統的な京阪式アクセントにもあるのだから、古今集声点本の時代にもあることは明らかで、したがって古今集声点本における上声点は高平調のほかに長短両様の下降調も意味しただろうが、そこでは上声点は、さらに上昇調や上昇下降調も意味したと考えられるからである。

注 院政末・鎌倉初に成立したとおぼしい『問答』(古今集声点本の略称は『研究』に倣う)や顕昭本を初期、鎌倉末期に成立したとおぼしい『訓』を後期古今集声点本とする。

 院政期やその前後においても上昇調の健在だったことは、当時の諸資料に去声点の見られることから知られる。例えば『問答』422は「憂く」に〈去平〉を差すけれども、顕昭本などは、真名序では字音への注記に去声点を用いるにもかかわらず、そのほかのところでは上昇調を上声点によって示したようである。例えば『顕天平』485*(万葉257。万葉集の歌番号は『研究』とは異なり『新編国歌大観』のそれ)は、「飼飯(けひ)の海の庭(には)よくあらし」の「あらし」に〈上平平〉を差す。この「あらし」は「あるらし」――〈平上平平〉と発音されたと考えられる――のつづまった言い方だが(注)、するとそれは当時、『問答』の「憂く」〈去平〉がそうであるように、式を保存する形で発音されたのではないだろうか。とすればその初拍は上昇調をとっただろう。上の「飼飯(けひ)の海の庭(には)よくあらし」の「よく」に差された〈上平〉の初拍や、『伏片』『梅』239の「来て」〈上上〉や、同55、351の「見て」〈上上〉の初拍などもまた、式を保存すべく上昇調をとったと考えられる。上の「来て」〈上上〉で動詞に差された上声点のようなものに関しては、すでに『研究』が、「院政期にはたとえ上声注記であっても音価は上昇調のものが多かったと思われる」とする(研究篇下p.45)。『研究』もまた、上声点を解釈を要するものと見ているのである。去声点の差されなくなることをもってただちに上昇調の消滅を結論するのは、すこし性急だろう。

注 『毘・高貞』488は「満ちぬらし」に〈平上上平平〉を差す。なお「あるらし」は〈平上上平〉とも言われただろう。『伏片』319は「消(け)ぬらし」に〈上平上平〉を差す。

 上昇調はある時期に高平化するけれども――その結果、今でも周辺部で聞かれる「来て」「見て」HHのような言い方が成立する(『京ア』p.298。上昇調そのものは今でも例えば「手」のような一拍三類名詞に残っている)――、去声点が用いられなくなったことは、『研究』の一節の言っていたとおり必ずしも上昇調の高平化を意味しないのだから、上昇調は鎌倉時代初期に消滅したと断ずべきではないだろう。鎌倉時代のある時期まで、というよりも、もっと大胆に言って、南北朝期に大きな変化が起きるまで、「来て」「憂く」などは低起式で発音されたのではないだろうか。例えば「松」のような二拍四類名詞と、それを前部成素とする「松笠」「松原」のような複合名詞とが式を異にするというようなことは、鎌倉時代末期になってもまだない。とまれ以下、「来て」「憂く」などはかなりの長きにわたって低起式で発音されたという見方をとる。主として「来て」「憂く」などが低起式で発音された時代のことを考える、という言い方もできる。

 上昇調は、その時期は不明ながら最終的には高平化するけれども、高平化に先立って短縮化、同じことだが一拍化が起こったと見られる。長い上昇調は高平調に移行する理由が見当たらず(二拍四類語は長いあいだアクセントを変えていない)、短い上昇調と高平調とは、アルカイックに言えば「聞き耳」が近いから、ある時期に前者が後者に移行したとしても不思議でない。
 この短縮化はいつ起こったのだろうか。周知のことながら図名には「沼(ぬ)」〈去〉と「沼(ぬう)」〈平上〉とが見られる。また字音語では去声点は二拍のものに差されることが多いのだった。古くは上昇調は引かれるのが普通で、去声点は本来、引かれた上昇調、〈平上〉と等価な長い上昇調、東点の示す長い下降調の反転形(ないし、音楽用語を借りれば、反行形)を意味したのではないか。そして、初期古今集声点本の時代には、上昇調は短縮化していたのではないか。『問答』は「憂く」に〈去平〉を差す一方、「あな憂(う)」には〈平平上〉を差す(426)。この「憂(う)」も、後述するように当時上昇調をとっただろうが、『問答』はそれに上声点を差す。『問答』は上昇調を常に去声点によって示したのではなく、顕昭本は一貫して上昇調を上声点によって示す。初期古今集声点本に見られるこの揺れは、当時すでに上昇調が短縮化していたことを示すのではないだろうか。最適な記述方法があればもっぱらそれが採用されただろう。それがないために、短い上昇調を示すのに、近似的な表記として、本来は長い上昇調を示す去声点と、多義的な上声点とが、ともども用いられたのではないか。古今集声点本の時代には「よく」や「来て」の初拍は短い上昇調で言われたと推定するのが妥当だと考える。

 初期古今集声点本の流儀では上声点はまた、拍内上昇し拍内下降する拍をも意味できたと思われる。例えば、これも周知のことながら、『和名抄』そのほかが去声点を差す「歯」は、実際には〈平上平〉をつづめたアクセントで言われたと推定されているけれども、顕昭本などの流儀では、この名詞に上声点を差すよりほかになかっただろう。こうして東点を用いない流儀では、上声点は低平調以外のすべてのアクセントを意味できる。

 東点を用いる流儀においても、東点を用いない流儀においても、上声点は常に多義的だった。往時の都びとがいかなるアクセントで話したかを想像するためには、上声点を差された拍が実際にいかなるアクセントで発音されたかを考えなくてはならない。その意味で、上声点の意味解釈がなされなくてはならない。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


2.アクセント単位 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 上声点の意味解釈の手はじめとして、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)が付属語を従える時の、動詞の最終拍の音調を考える。岩紀や図名はそれに例外なく上声点を差す。すなわち岩紀では、「生(な)りけめや」〈平上平平上〉(104)、「食(た)げて」〈平上上〉(107)において、図名では、「あがいて」〈平平上上〉から「ゑがいて」〈平平上上〉に至る同趣の十二ほどの言い方、および「絶えんだる」〈平上平平上〉(「絶えにたる」の音便形)、「思うつや」〈平平上上上〉(「思ひつや」の音便形)において、動詞は上声拍に終わる。

 これらの言い方における動詞の最終拍の上声点は、高平調を意味すると考えられる。仮に東点を用いる流儀における上声点は通説どおり高平調をのみ意味したのだとすれば、上の諸例における動詞の最終拍(のほとんど)は下降しないということになるが、上声点に多義性を認めるならば、その高平調をとることは、証明されなくてはならない。

 金田一春彦は、鎌倉前期において低起二拍動詞の連用形第二種の最終拍は下降調をとったと推定してよさそうだと一旦はした上で、しかし、実際には助動詞「つ」「ぬ」、そして特に助詞「て」が低起二拍動詞の連用形に高く付く以上、「はなはだ不本意ではあるが」「一往」低起二拍動詞の連用形第二種の最終拍は高平調をとったか「ということにして、先に進むことに」した(『著作集』第五巻pp.450-451〔十三・十五・四〕)。先覚がそう考えたのは、動詞と助動詞「つ」「ぬ」とは、そして特に動詞と助詞「て」とは、「よく融合した形」(十三・十五・三)を作り、「一語のように発音されやす」く(十六・二十・四)、「音便(原文、音便形)を起こすほど動詞と『て』との結合が密接である」(同)ことを重視したからである。この直観はまったく妥当なものであり、逡巡は無用だったと考える。

 図名の「おほきに」〈平平上平〉のような言い方で助詞「に」(注)の低いのはそれに先立つ拍が下降調をとっているからである。例えば岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉において動詞の最終拍が下降調をとっているとしたら、助詞は同じように低く付くのでなくてはならない。しかるに実際には助詞は高く付いている。つまり動詞の最終拍は下降していない。こう考えてよいと思われるが、このことに関して、まず、ありうべき反論をとりあげる。

注 「おほきに」を形容動詞の連用形と見ないこと、副詞と見ることについては「委託法、および、状態命題」3を、また、副詞「おほきに」の末尾の「に」を副詞の一部とも助詞とも見うることについても同節をご覧ください。

 図名の「おほきに」〈平平上平〉のような言い方で助詞の低いのはそれに先立つ拍の効果だが、さればとて、岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉において助詞が高く付いている以上動詞の最終拍は下降調をとらないとするのは不当である、院政期よりも前には、助詞はおのれに先立つ自立語とは別のアクセント単位をなした、岩紀の「食げて」〈平上上〉において動詞と助詞とは別のアクセント単位をなすので、「食げて」〈平上上〉において動詞が下降調に終わることと助詞の低まらないこととは両立できる、という見方が、そのありうべき反論である。

 「食(た)げて」〈平上上〉を二単位と見るということは、動詞のアクセントと助詞のそれとは個別に考うべきだということなのだから、二単位ゆえ動詞の最終拍は下降するということは言えない。動詞の最終拍を下降調と見る見方に根拠があるとしたらそれは、「食(た)げ」の連用形の最終拍は文節末で下降調をとったと考えられるということ以外にないけれども(そして実際下降調をとったと考えられるけれども)、しかし文節末で下降調をとる以上文節中でも下降調をとると見なくてはならないわけではない。

 そもそも、院政期より前には助詞はおのれに先立つ自立語とは別のアクセント単位を構成していたという見方は、問題ぶくみだと思われる。例えば、周知のとおり岩紀は、「岩(いは)の」(107)に〈上平平〉、「天(あま)の」(102)に〈平平平〉、「蘇我の」(103)に〈平上平〉を差す一方、「大君(おほきみ)の」(103)に〈平平上上上〉、「呉(くれ)の」(103)に〈上上上〉を差す。つまり「の」は〈上上〉には高くつくが、それ以外には低く付く。ということはこの助詞のアクセントはおのれに先立つ自立語のアクセントの影響下にある。ということは、先覚の見るとおり、この助詞はおのれに先立つ自立語とともに一つのアクセント単位をなすということだが、これはこの助詞に限ったことではない。

 例えば岩紀107の「こめだにも」には二通りの注記が見え、一つには〈平平上平東〉が差されるけれども(最終拍に差された声点の認定は鈴木豊「岩崎本『日本書紀』声点の認定をめぐる問題点」〔2008〕に拠る)、いま一つには〈平平上平平〉が差され、図名でも「あたかも」に〈平上平平〉が差される。「千代にも」〈平東上平〉(岩紀102)や「さきでそもや」〈平平平上平東〉(岩紀108)でも助詞「も」は低まっており、「うべしかも」〈上上平上東〉(岩紀103)では助詞「し」が低まっている。「も」や「し」のような助詞は、のちにも確認するとおり、いつでも勝手に低まってよいわけではない。例えば「家も」〈平平東〉(岩紀111)の第三拍は低まりえない(この「家も」に対する岩紀111のもう一つの注記〈平平平〉は誤点としか考え得ない)。「も」や「し」のような助詞は先立つ拍のアクセントとの関係において低まりうる時でなければ低まらない。つまり上の諸例において「も」や「し」は、単独で一つのアクセント単位をなしてはいない。

 自立語と助詞とあいだにアクセント上の影響関係が認められる場合、自立語と助詞とは同じアクセント単位をなすと言ってよいことは自明だが、さらに一歩進めて、影響関係が認められないから二単位であるということは言えない。例えば「みそらを」〈上上上上〉(岩紀102)のような言い方では影響関係は認められないけれども、それを根拠に「みそらを」を二単位とすべきだろうか。「呉(くれ)の」〈上上上〉を一単位とするなら「みそらを」〈上上上上〉もそうだというべきである。「食(た)げて」〈平上上〉を二単位と見るべき積極的な理由はない。「うべしかも」〈上上平上東〉などは二単位とも見うるが、これすら、現代語におけるアクセント単位の定義をそのまま古代語に及ぼせばそうなるというに過ぎず、現代語のアクセント単位の定義をそのまま古代語に及ぼしてよいかについては、議論の余地がある。

 このことに関連して、古くは助詞は一般にそれに先立つ自立語とは別のアクセント単位をなした、しかしほぼ院政期において助詞はアクセント上の独立性を失って順接化した結果、アクセント単位がほぼ文節の長さにまで伸張した、と見る見方がある。ほぼ院政期において「に」のような助詞が二拍名詞で言えば二類と五類とに多くのばあい低く付くようになった、という事実に対する理論的な考察として、それは言われている。しかし、二拍二類名詞や二拍五類名詞のようなものに起こったことに対する考察だということは、自立語一般と助詞一般との関係にかかわる包括的な変化のようなものが起こったと見なくてはならないわけではない、ということである。実際「に」のような助詞は、早く岩紀104の「かたをかやまに」〈平平平平平平上〉にも、下(くだ)って『訓』962詞の「事に」〈平平上〉にも見られるとおり、低平連続調をとる自立語の次では順接化しないのだから――『訓』の成立からそう遠くない時期に周知のとおり低平連続調そのものが消滅するから、低平連続調の次で「に」のような助詞の順接化することは遂になかった――、アクセント単位の伸張という観点は事のありように即したものとは思われない。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


3.低下力 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 ここで、岩紀や図名の時代から後期古今集声点本の時代までにおける、自立語末尾の下降拍とその従える付属語とのかかわりを概観する。

 改めて確認すれば、例えば図名の「おほきに」〈平平上平〉において助詞「に」の低まっているのは、「おほき」の最終拍が下降調であり、この下降調が後続の助詞を低めたからだと言ってよい。岩紀107の「こめだにも」〈平平上平平〉や図名の「あたかも」〈平上平平〉で助詞「も」の低まっていたのは、純粋な二拍のなす下降調が後続の助詞を低めたのである。今、F、HL、HLL(…)のような言い方を総称して「下降形式」と呼ぶことにすると、下降形式は同一文節内にある後続の拍を低める力を持っていると考えられる。そのような力を素朴を恐れず「低下力」と呼ぶことにすると、図名の「おほきに」〈平平上平〉の三つ目の拍は低下力を持っていてそれゆえ助詞が低く付くのであり、同じ図名の「おほきに」〈平平東上〉では三つ目の拍が低下力を発揮しないから助詞が本来の高さを保ち、「かたをかやまに」〈平平平平平平上〉(岩紀104)ではそもそも自立語が低下力を持たないので助詞が低まらない、ということができる。

 岩紀の時代、すでに長い下降調がいくつかの付属語に対して低下力を持っていたことは、今しがた引いた「こめだにも」〈平平上平平〉(107)のほか、前(さき)にも引いた「生(な)りけめや」〈平上平平上〉(104)が示す(「生(な)りけめや」は〈平上平上〉がもともとの言い方であること、例えば「経にけむ」〈上上平上〉〔訓273〕の示すとおりである)。根拠はのちに示すけれども、この「生(な)りけめや」〈平上平上上〉の第四拍は高平調をとる。岩紀の言い方では、その高平拍が、純粋な二拍のなす下降調の持つ低下力に負けている。

 図名にも、「あたかも」〈平上平平〉のほか、「おもふらむ」〈(平)平上平〉(括弧内は推定。以下同じ)、「おとろへんだる」〈平平上平平上〉のような注記が見えている。「おもふらむ」は〈平平上平〉が、「おとろへんだる(おとろへにたる)」は〈平平上平平上〉がもともとの言い方だから(『顕天片』1003が「問はるらむ」に〈上上平平上〉を差している。完了の「ぬ」のことは後述。なお、のちにも見るとおり音便化はアクセントに影響を及ぼさない)、図名の言い方では、「らむ」の終止形ないし連体形の最終拍、完了の「ぬ」の連用形が純粋な二拍のなす下降調の持つ低下力に負けているけれども、図名はこれらのほかに、「おほきなり」〈平平東平上〉という注目すべき言い方を収める。ここでは一拍の引かれた下降調が低下力を発揮している。

 図名には「おほきに」〈平平上平〉も見られた。これは東点を用いる流儀の注記として見れば、三つ目の拍における短い下降調が低下力を発揮したものということになり、東点を用いない流儀の注記としてみれば、長短不明の下降調が低下力を発揮したものということになる。

 とは言え、周知のとおり、岩紀や図名の時代には「に」や「て」のような助詞は、小論の言い方を使えば長い下降調の低下力に負けないことが多かった。念のために確認すると、岩紀には、「万世(よろづよ)に」〈平平平東上〉(102。四つ目の拍の認定は鈴木豊上掲論文に拠る)、「千代にも」〈平東上平〉(102)、「飢(ゑ)て」〈東上〉(104)、「をろがみて」〈平平上平上〉(102)のような言い方しか見えず、図名でも多数派は、「おほきにす」〈平平東上東〉、「つねに」〈平東上〉、「つひに」(平東上)、「着て」〈東上〉、「終(を)はぬ」〈上東上〉(注)、「あやまちて」〈平平上平上〉のような言い方である。

注 この「終(を)はぬ」(=「終(を)はんぬ」)は〈上東東〉と読まれることが多いけれども、『集成』本文では二か所とも〈上東上〉と見える。『集成』の「付論」は〈上東東〉と読んでいるが(p.673)、本文を見る限り、例えば同じ図名の「泥(ぬ)る」〈上平〉や「くびれぬ」〈上上平上〉の最終拍と同じ高さ、東点と見るには高すぎる高さにあるように思われる。

 ところが、これまた周知のことながら、初期古今集声点本では、岩紀や図名においては完全な多数派だった「つひに」(平東上)のような言い方ではなく、「名には」〈上平平〉(問答696)、「つひに」〈平上平〉(顕天平568*〔万葉2800〕)、「して」〈上平〉(顕府(7))、「寝て」〈上平〉(永190・1099、顕天片1072など)のような言い方、「に」や「て」が自立語(の最終拍)の発揮する低下力に負ける言い方が多数派になる。『袖』三本が「名に」に〈上上〉を(『研究』研究篇下p.132)、『寂』302が「秋をば」に〈(平上)上上〉を(『研究』によれば『寂』には古い声点本からの移声が見られる〔研究篇下p.5、pp.367-380など〕)、『乾元本日本書紀所引 日本紀私記』が「つらくして」に〈上上平上上〉を、『御巫(みかなぎ)私記』が「(異ならむ)として」に〈平上上〉を差すが(『研究』研究篇下p.173)、これらの言い方は、自立語(の最終拍)が長い下降調をとりそれに助詞の高く付いた言い方、図名の「つひに」〈平東上〉などと同趣の言い方と考えられる。しかし初期古今集声点本の時代にあっては、すでにこのような言い方は少数派に属する。何かが変化している。

 上の「して」〈上平〉や「寝て」〈上平〉において、かつては長かった高起一拍動詞の連用形(一般)の下降調が短縮化=一拍化し、それゆえ助詞が低く付くようになったと見る見方がある(『研究』研究篇下p.173)。しかし、当時はすでに「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487*〔万葉3005〕)のような言い方ができたので、「して」〈上平〉、「寝て」〈上平〉において助詞の低いことからただちに一拍動詞の短縮化を結論するのは当を得ないだろう(注)。

注 図名の「にくみす」〈平上平上〉の最終拍は、東点を用いる流儀の注記として見るならば高起一拍動詞の終止形が院政初期に短縮化していたことを示すだろうが、東点を用いない流儀のそれと見ることもできるので、下降拍の長短について多くを教えない。

 実際、例えば『問答』の「名には」〈上平平〉の「名」は、当時長い下降調で言われることが多かっただろう。図名の時代、一拍二類名詞の引かれたことは、図名の「諱(ないふ)」〈東(上平)〉などから明らかだけれども、現代の伝統的な京阪式アクセントにおいても一拍二類名詞はさかんに引かれるから、初期古今集声点本の時代に一拍二類名詞が文節中で引かれなくなっていたとは考えられない。常に引かれたかどうかは分からない。しかし引かれることが多かっただろう。すると、それにもかかわらず当時、「に」のような助詞が一拍二類名詞に低く付くことが多かったということは、引かれた降(くだ)り拍の持つ低下力が前代と比べて強まったということである。

 高起一拍動詞の連用形(一般)についても同じことが言えるだろう。現代京都では、サ変「する」の連用形「し」や上一段「着る」の連用形「着(き)」は、文節末に位置する時は一般に引かれた下降調をとる(『京ア』p.295)。「て」を従える時は引かれない一拍の高平調をとるが(同pp.297-298。その際「て」は低い)、顕昭本などの「して」〈上平〉や「寝て」〈上平〉における動詞は下降調をとっただろう。『問答』の「名には」〈上平平〉におけると同じく、「して」〈上平〉、「寝て」〈上平〉において「て」は先立つ拍の低下力によって低まったとしか考えられないからである。そしてその下降調は、少し先で完了の「ぬ」に言い及んだ時に明らかになるだろうが、引かれることも多かったと見られる。やはり引かれた降(くだ)り拍の持つ低下力が強まったのである(注)。

注 下降拍に終わる二拍以上の自立語のその末尾の下降拍の長短について確実に言えることは、一層すくない。例えば図名が〈平東〉を差す「声(こゑ)」の最終拍は、現代の京阪式アクセントでは引かれないから、ある時期に短縮化=一拍化の起こったことは確かだけれども、その時期は分からない。少なくとも初期古今集声点本の時代には、前代に引きつづき引かれることも多かったのではないか。『寂』302が「秋をば」に〈(平上)上上〉を差すのは、二拍五類名詞の末尾が引かれ得たことを示すと考える。短い下降拍には「を」は低く付いただろう。すると短縮化はもっと後(のち)の時代に起こった公算が大きい。
 ついでながら、品詞や活用形によって下降拍の短縮化に遅速のあったことは疑いない。のちに見るとおり、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍においても短縮化のあった可能性が高いと思われるが、それは図名の時代にほぼ完了している。他方、図名において形容詞の終止形の最終拍に上声点と東点とがほぼ同数見られるのは、どちらでもよかった期間が長く続いたのかもしれないけれども――例えば現下の東京方言においては、「甘い」のような元来平板型だった形容詞の終止形に対してLHHとLHLとが共存している――、形容詞の終止形の最終拍における下降拍の短縮化が進みつつあったことを意味するとも解せる(図名の成立当時最終拍は高平化していた、とは考えにくい。古今集声点本においてそれは下降調をとる)。他方、形容詞の連体形の最終拍の短縮化は、図名の時代、進んでいない(当時それが高平化していないことは、古今集声点本における「恋しきが」〈平平平上平〉〔毘・高貞・寂1024〕、「楽しきを」〈平平平上平〉〔顕天片・顕大1069〕などが示す)。
 図名の「よいかな」〈平上平上〉の二つ目の拍は、東点を用いる流儀の注記として見るならば形容詞の連体形の最終拍が短縮化したことを示す例ということになるが、東点を用いない流儀の注記として見るならばその長短は分からない。なお、古代における形容詞の連体形の最終拍の短縮化が遅いのは、図名の「たけき人」〈平平東上平〉や「久しき怒り」〈平平平東上上上〉がそうであるように、連体形の最終拍は高い頻度で高起名詞に先立つことに起因するかもしれない。

 初期古今集声点本の時代に、引かれた下降調が「に」や「て」のような助詞に対してかなりの程度低下力を強めたことは疑いない。ただこの時代ではまだ、例えば「楫(かぢ)に」〈上平上〉(伏片・家457)や「置きて」〈上平上〉(問答470)がそうであるように、二拍二類名詞や高起二拍動詞の連用形(一般)のようなものには、それらの助詞は高く付くことが多かった。「このたびは」〈(上上)上平平〉(伏片420)や「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487)のような言い方もできたが、少数派に属した。中後期の古今集声点本においてこの「たびは」〈上平平〉や「継ぎて」〈上平平〉式の言い方が主流になるのは周知である。

 より長い下降調の次の拍を卓立させる時と、より短い下降調の次の拍を卓立させる時との発音上の負担の差は明らかだから、一般的に言って、純粋な二拍のなす下降調の持つ低下力よりも一拍の引かれた下降調の持つ低下力の方が、そしてそれよりも一拍の短い下降調の持つ低下力の方が、強いだろう。初期古今集声点本の時代には、一拍の引かれた下降拍には「に」のような助詞は低く付くことが多いが、純粋な二拍のなす下降調には高く付くことが多かった。これはこの不等式から見て当然のことである。岩紀や図名の時代には、「も」のような助詞は純粋な二拍のなす下降調の低下力にも負けることがあったのだから、一拍の引かれた下降拍のそれにはまして負けることがあっただろう。そして当時、短い下降調が「も」のような助詞を従えることがあったとしたら、その助詞は当然に低まったと思われる。

 以上から、長い下降調の持つ低下力については、こうまとめられる。岩紀や図名の時代には、長い下降調は弱い低下力しか持っておらず、「も」や「し」のような助詞がそれに負けることはあったが、「に」や「て」のような助詞はそのような低下力には負けないことが多かった。しかし初期古今集声点本の時代には長い下降調は低下力を強め、「に」や「て」のような助詞も、一拍の引かれた下降調の低下力に負けることが多くなった。ただ、純粋な二拍のなす長い下降調の持つ低下力はまだ弱かった。その純粋な二拍のなす下降調も、中後期の古今集声点本の時代には強い低下力を持つようになってゆく。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


4.完了の「ぬ」は多くを教える [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 ここで改めて、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)が文節中にある時の、動詞の最終拍のアクセントを考える。それをほかの何よりもよく教えるのは、動詞が完了の助動詞「ぬ」を従える時の、この助動詞のふるまいである。

 古今集声点本は、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞、ということは上声点に終わる多拍動詞が完了の「ぬ」のさまざまな活用形を従える言い方を六十近く持っているけれども、そのほとんどにおいてこの助動詞は、例えば「なりななむ」〈平上上平〉(訓520)がそうであるように、動詞に高く付く。低く付く例は、「帰りね」〈平平上〉(寂・訓389詞)一例に過ぎない。

 図名は、上声点に終わる多拍動詞がこの助動詞を従える言い方をただ一つ収めていて、それは前(さき)にも引いた「絶えんだる」〈平上平上〉という、助動詞の低く付く言い方である(岩紀にはそもそも完了の「ぬ」は登場しない)。図名の「思うつや」〈平平上上上〉、「約(こ)むで」〈平上上〉、「ねむごろなり」〈平上平平(上平)〉、「ねむごろに」〈平上平平(上)〉などを参照すると、「絶えんだる」〈平上平平上〉は撥音便形ゆえ特別なアクセントをとっているとは考えにくい。時代くだって、改編本『名義抄』に見えているのは、〈平上〉と注記される「断(た)えぬ」「晏(た)けぬ」「遂(と)けぬ(『け』は原文のまま)」「痛(や)みぬ」のような、上声点に終わる動詞に完了の「ぬ」の高く付く例だけである。結局のところ、図名の「絶えんだる」〈平上平平上〉や古今集声点本の「帰りね」〈平平上平〉のような言い方はまったくの少数派に属する。

 他方この助動詞は、高起動詞には、たいへん違った付き方をする。例えば古今集声点本では、純粋な二拍からなる下降調には、この助動詞の未然形(一般)、連用形(一般)、終止形(一般)は、つまり一拍からなる活用形は、「たなびきにけり」〈上上上平(上平)〉(伏片708)のように高く付くことも、「たなびきにけり」、〈上上上平(上平)〉(毘・高貞708)のように低く付くことも、ともども多い。高起一拍動詞に付く場合もこれと似ていて、「寝ななむ」〈上上平〉(永632)や「消(け)ぬ」〈上〉(顕天平551)においてそうであるように完了の「ぬ」は高く付くことも少なくないが、「寝なまし」〈上上平〉(伏片238)や「消(け)ぬ」〈上〉(永・毘・高貞551、毘・訓222)のように低く付くことの方が多い。そして低く付くことは時代のくだるとともに一層多くなり、『毘』では十例中九例が低く付く。

 これはつまり、完了の「ぬ」の一拍からなる活用形は動詞末尾の下降調の持つ低下力に負けることも負けないこともある、ということである。いま少し具体的に言えば、動詞の末尾が純粋な二拍からなる場合、その下降調の持つ低下力には負けることも負けないことも多く、一拍動詞が下降調をなす場合、その下降調の持つ低下力には負けないことも多いが負けることの方が多い、ということである。

 上声点に終わる動詞に付く時との差は歴然としているけれども、このことは、高起動詞がこの助動詞の連体形「ぬる」や已然形「ぬれ」を従える時にはもっと際(きわ)立つ。すなわち、「ぬる」の初拍も「ぬれ」のそれも、

成りぬる〈(平上)上〉(訓60)
色づきぬれば〈(平平)平上平平〉(訓198)
来ぬる〈上上〉(訓620)
来ぬれど〈上平平〉(毘338)

をはじめとする十例すべてにおいて、上声点に終わる低起多拍動詞や、式が保存されるならば上昇調をとる一拍動詞に高く付くけれども、高起一拍動詞の連用形(一般)にはというと、「ぬる」の初拍の低く付く例が七つ見える一方(例えば『梅』〔58〕は「為(し)ぬる」に〈上上〉を差す)、高く付く例は見えない。またそこには、

知りぬる〈上平上〉(毘438)
散りぬれば〈上平上(平)〉(伏片64)

のような、純粋な二拍のなす下降調に「ぬる」「ぬれ」の初拍の低く付く例がやはり七つ見えている一方、高く付く例は見えない。「ぬる」「ぬれ」の初拍は純粋な二拍のなす下降調にすら負けるのだから、一拍の引かれた下降調に負けるのは当然である。

 要約すると、完了の「ぬ」は、上声点に終わる動詞にはほとんどの場合、高く付く。完了の「ぬ」の一拍からなる活用形は、純粋な二拍からなる下降調の持つ低下力に負けることも負けないことも多い。一拍からなる下降調の持つ低下力には、負けないことも多いが、負けることの方が多い。そして完了の「ぬ」の二拍からなる活用形の初拍は先だつ動詞の持つ低下力にきわめて屈しやすく、一拍からなる下降調にはさらなり、純粋な二拍からなる下降調にも通例負ける。

 すると、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍は、やはり文節中で高さを保つとしか考えられない。仮にそれらが文節中で下降調をとるのだとしたら、それらが完了の「ぬ」を従える六十近くの例のなかで助動詞の低く付く例がわずかに図名の「絶えんだる」〈平上平平上〉と『寂』『訓』389詞の「帰りね」〈平平上平〉とだけだということはありえない。助動詞の低く付く言い方がもっともっと沢山あるのでなくてはならない。さらに強く言うこともできる。低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍が文節中で下降調をとるとしたら、それはすでに岩紀や図名の時代に短い以上、古今集声点本の時代にも短いと考えられるが、そうであれば完了の「ぬ」は、少なくともほとんどが低く付くのでなくてはならない。しかるに実際にはほとんどが高く付く。

 完了の「ぬ」の連体形や已然形の付き方にしぼって見ても、同じことが分かる。それらは先だつ動詞の低下力にきわめて屈しやすいのだった。もし低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍が文節中で下降調をとるのだとしたら、それらの動詞は「ぬる」「ぬれ」を軒並み低く付けるのでなくてはならない。しかし実際には十例すべてにおいて、例えば「成りぬる」〈(平上)上上〉(訓60)がそうであるように、助動詞は高く付く。

 ついでながら、完了の「ぬ」の付き方は、文節中における高起一拍動詞の連用形(一般)のアクセントのありようについて、特にその長短のありようについて、一つのことを教える。

 繰り返しになるけれども、古今集声点本では、完了の「ぬる」の初拍は、高起一拍動詞の連用形(一般)に、例えば『梅』(58)の「為(し)ぬる」〈上平上〉がそうであるように、低く付く。かりに高起一拍動詞の連用形(一般)が文節中で高平調をとるのだとしたら、完了の「ぬる」の初拍は少なくともほとんどが高く付くのでなくてはならない。助詞「て」の付き方からも知られたことながら、高起一拍動詞の連用形(一般)はやはり、後期古今集声点本の時代にいたるまで、文節中で下降調をとるとしか考えられないが、完了の「ぬ」の付き方から分かることはまだある。

 初期古今集声点本の時代、文節中で高起一拍動詞の連用形(一般)のとる下降調がもっぱら短いものだったとしたら、完了の「ぬ」が、「寝ななむ」〈上上上平〉(永632)や「消(け)ぬ」〈上上〉(顕天平551)のように高く付くことも多いということの説明がつかない。初期古今集声点本の時代、高起一拍動詞の連用形(一般)は文節中でも下降調をとり、その下降調は引かれることも多かった。高起一拍動詞に完了の「ぬ」の高く付く時の動詞のアクセントを推定しにくいとする見方もあるけれども(『研究』研究篇下p.212)、初期古今集声点本の時代については、ありようは明らかだと思われる。

 事情がこのようなものなのであってみれば、上声点に終わる多拍動詞が助詞「て」を従える時のその上声点もまた、高平調を意味するだろう。岩紀や図名の時代には、「食(た)げて」〈平上上〉がそうであるように、助詞「て」は上声点に終わる動詞に例外なく高く付いた。初期から中期にかけての古今集声点本の時代にもありようは基本的に同じである。すなわち『研究』によれば(研究篇下pp.175-178)、『問答』『顕』『伏片』『永』では24例中23例において、「起きて」〈平上上〉(問答470、顕天片1030、顕府(19)、伏片・家(19)および354など)式の注記がなされる。

 他方、古今集声点本ではこの助詞は、顕昭本そのほかの「して」〈上平〉や「寝て」〈上平〉(永190・1099、顕天片1072など)に見られた通り、高起一拍動詞の連用形(一般)の低下力に負けることが多いけれども、そればかりでなくこの助詞は、時代の下るとともに、純粋な二拍のなす下降調にも負けることが多くなってゆく。『研究』によれば(研究篇下p.178)、助詞「て」は、例えば『伏片』では純粋な二拍のなす下降調に8例中2例だけ低く付くが、『毘』では30例中16例で低く付き、『訓』では11例中10例で低く付く。『訓』の時代にはこの助詞は、一拍の引かれた下降調にばかりでなく、純粋な二拍のなす下降調にすら基本的に負ける。すると、『訓』において「起きてし」〈平上平上〉(375)のような「て」の低まる言い方が10例中4例に過ぎず、10例中6例は「逢ひて」〈平上上〉(756)のような言い方をするということは、「て」を従える時の低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍は下降調とは考えにくいということである。岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉や図名の「あがいて」〈平平上上〉以下の十あまりの言い方においても、事情が異なったとは思われない。それは高平調をとった。

 ではなぜ、「ありて」〈平上平〉(『顕天平』568*〔万葉766〕)のような言い方があるのか。この「ありて」〈平上平〉は誤点の可能性もあるけれども(『研究』研究篇下p.177)、『毘・高貞』では30例中4例が、『訓』では10例中4例が同趣の言い方をするから(同p.178)、後代に広まる言い方の走りとも見うる。しかし誤点でないとしても、初期古今集声点本の時代には「て」は上声点に終わる多拍動詞に基本的に高く付いたのであり、くだって『訓』においても、10例中6例は「逢ひて」〈平上上〉(756)式の言い方である。「ありて」〈平上平〉のような言い方では、助詞は、先立つ拍の低下力によるのではなく、高い拍の次で言わば勝手に低まるのだと考えられる。次の節で見るとおり、「も」や「し」のような助詞では同じことがいくらも起こり、時に「は」のような助詞でも同じことが起こる。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


5.柔らかい拍 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 岩紀の昔から、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)は、付属語を従える時、ということは文節中に位置する時、高平調に終わったと考えられる。完了の助動詞「ぬ」や助詞「て」の付き方はそれを教えるものだった。他方、先覚の見たとおり、それらの動詞の連用形(一般)は、文節末に位置する時は、下降調に終わったと考えられる。文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍を、固有のアクセントを持たず、環境に応じて自分の姿を柔軟に変える拍という意味で「柔らかい拍」と言うことにすると、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍は柔らかい、ということになる。

 動詞の連用形(一般)のアクセントを考える際それが文節中に位置するか文節末に位置するかを問題にすることは、主として付属語を従えるか否かという視点から既に先覚によってなされてきたが、動詞のほかの活用形、さらには助動詞についても同じことを問題にしなくてはならない。例えば低起二拍動詞の終止形(一般)や已然形の最終拍、完了の「ぬ」「つ」の終止形(一般)、意志・推量の「む」の終止形(一般)や已然形などもまた、柔らかいようである。

飽くや〈平上上〉(訓468)
駒なれや〈上上平上上〉(伏片1045。「駒にあれや」の単純な縮約形である)
ありぬやと〈平上上上(平)〉(顕天片1025)
つつまめや〈平平平上上〉(伏片・家425)
思うつや〈平平上上上〉(図名)
やすからむや〈平上平平上上〉(図名)

 終止形(一般)や已然形を先立てる助詞「や」が、多拍動詞や「ぬ」「つ」「む」のような助動詞の終止形(一般)や已然形に高く付いている。低く付く例はない。「春や」〈平上平〉(訓47)においてそうであるように、古今集声点本ではこの助詞は降(くだ)り拍には低く付くことが多いから、その古今集声点本から引いた上の四例において動詞や助動詞に「や」がいずれも高く付き、低く付く例は見えないということは、それらにおける動詞の最終拍や助動詞はいずれも高平調をとると見るのが自然だということである。最後に引いた図名の「思うつや」〈平平上上上〉と「やすからむや」〈平上平平上上〉とについて言えば、それらは東点を用いる流儀による注記である可能性が高い以上、また、短い下降調に「や」が高く付くとは考えにくい以上、「つ」「む」は高平調をとるとするのがもっとも自然である(注)。一方、多くの先覚の説くとおりそれらの動詞や助動詞の終止形(一般)や已然形は文節末において下降調に終わると見られる。するとそれらの最終拍は柔らかい。

注 東点を用いない流儀による注記である可能性も、低いとは言えゼロではない。その場合、「つ」「む」が高平調である可能性のほかに、それらが長い下降調でありそれに「や」が高く付いている可能性もあるということになるが、古今集声点本の四例も含めて「や」の低く付く例が一つもないことを考えると、その可能性はごく低いものにとどまる。

 柔らかい拍は、おのれのアクセントを変えないことを基本とする拍と対をなすものとしてある。

 例えば低起動詞「飽く」の初拍のようなものはすべての活用形を通じて常に低い。それは本来的に低い拍である。

 また例えばその「飽く」の連体形(一般)(この言い方に関しては後述)の最終拍のようなものは、先覚の見るとおり、文節中・文節末の別を問わず基本的に高い。それは本来的に高い拍である。ただ本来的に高い拍は常に高いわけではない。例えばそれは先立つ拍の持つ低下力に負けることがある。一例を示すと、先取り的に言えば「に」のような助詞も本来的に高いけれども、この助詞は時代のくだるにしたがって先立つ拍の低下力に負けやすくなってゆくのだった。低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連体形(一般)の最終拍なども、後期古今集声点本の時代には時に低下力に負けるようになる。例えば『訓』442が「踏みしたく鳥(=踏みしだく鳥)」に〈(上平)平平平(上上)〉を差すのは、複合動詞「踏みしたく」の連体形(一般)「踏みしたく」〈上平平平上〉の後部成素が付属語化し、その最終拍が前部成素のなす低下力に負けたのである。

 また例えば、高起動詞の一拍からなる連用形(一般)や一拍二類名詞は、見たとおり文節中でも文節末でも常に下降する。それは本来的に下降する拍、本来的な下降拍である。

 柔らかい拍は、これらとは異なり、固有のアクセント、本来的なアクセントを持たない。平安時代中期から鎌倉時代にかけての中央語では、拍のはじめにおける上昇をしばらく考えに入れなければ、ということは拍の終わり方に着目するならば、拍は、本来的に低い拍、本来的に高い拍、本来的に下降する拍、そして柔らかい拍の四つに分類される。

 柔らかい拍の性格を見さだめるために、「も」「し」「ぞ」「や」のような、一般には固有のアクセントとして下降調を持つとされる助詞のことを考える。それらもまた、柔らかいようである。例えば「ぞ」(古形「そ」。以下は「ぞ」で代表させる)や「や」が文節末で下降調をとることは、「ことそ聞こゆる」〈平平東上上上上〉(岩紀109)、「さぞ」〈平東〉(図名)、「取らすもや」〈平平上平東〉(岩紀108)のような例から知られること言うまでもないが、それらの助詞が文節中に位置する時は、ありようは異なる。例えば、

 何(なに)そは〈平上上上〉(顕天片・伏片・家・永・毘1052〔『毘』は「何」に点なし。『高貞』は「何ぞは」〈(平上)上上〉〕、伏片・寂382、梅・寂・永615)
 むすめぞや〈上上平上上〉(御巫私記〔『研究』研究篇下p.145〕)
 おくらさむやは〈上上上上(上)上上〉(伏片367)
 実(み)やは〈上上上〉(毘・訓463)

においてそれぞれの最終拍の「は」「や」の低まっていないのは、それらに先立つ「ぞ」「や」が高平調だからだと考えられる。

 このことに関して、「何そは」〈平上上平〉(毘382)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704)のような注記のあることに言い及んでおく必要がある。『研究』によれば『毘』と『高貞』とは今は失われた或る同一の片仮名本からの移声によって成るものらしいから(研究篇下p.484。『毘・高貞』と表記してきたのはそのためである)、実質的に二例だが、こうした言い方のあることを根拠に「ぞ」「や」を本来的な下降拍とすることはできない。かりに「ぞ」「や」は本来的な下降拍であるとすると、「ぞは」「やは」において「は」の低い例が古今集声点本にもっと多く見られるのでなくてはならない。『毘』自身、1052では「何そは」に〈(平上)上上〉を差し、463では「実(み)やは」に〈上上上〉を差す。『高貞』も1052では「何ぞは」〈(平上)上上〉を差す。「何そは」〈平上上平〉(毘382)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704)のような言い方は、『顕天平』568*(万葉766)の「ありて」〈平上平〉などと同じく、高い拍の次で助詞が勝手に低まるのだと考えられる。

 「何(なに)そは」〈平上上上〉のような言い方における「そ」(「ぞ」)は、高平調をとると考えられる。岩紀108の「裂手(さきで)そもや」〈平平平上平東〉における「そ」(「ぞ」)についても同じ。上声点は高平調をのみ意味し助詞「そ」は固有のアクセントとして下降調をとると見る論者は、この「そ」に差された上声点を誤点とするよりほかにないけれども、小論の見るところでは、この「そ」は文節中にある柔らかい拍として高平調をとる。

 ところで、「も」「し」「ぞ」「や」のような助詞は、文節中で高平調をとるとは限らず、また文節末で下降調をとるとは限らない。周知のとおりそれらは、「こめだにも」〈平平上平平〉(岩紀107。二つあるうちの一つ)に見られたように、先立つ拍の低下力に負けることも多いばかりでなく(負けないことも多いが負けることも多い)、いくつかは改めて引けば、

千代にも〈平東上〉(岩紀102)
さきでそもや〈平平平上東〉(岩紀108)
鼻も〈上上〉(梅1043)
うべしかも〈上上上東〉(岩紀103)
(なか)し〈平上〉(伏片・梅・京中など465)
風ぞ貸しける〈上上上平上平〉(伏片362)
みまさかや〈上上上上〉(顕天片・顕大1083)

に見られるように高い拍の次でみずから低平化することもしばしばだからである。「鼻も」〈上上〉(伏片1043)、「中し」〈平上〉(京秘465)、「梅(むめ)ぞも」〈(上上)平〉(寂・毘33)、「しなてるや」〈上上上上〉(顕府〔53〕補1)のように低まらない言い方もできる。しかし古今集声点本においては、低まることの方が多い。

 すると、拍の柔らかさは再定義されなくてはならない。前(さき)の定義では柔らかい拍とは、文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍なのだから、この定義を維持するかぎり、例えば「も」は「千代にも」〈平東上平〉のようにも言うから柔らかい拍でないということになる。事のありように即した概念を求めるならば、柔らかい拍を、「固有のアクセントを持たない拍」と定義したうえで、その性質として、

ⅰ 文節中では高平調、文節末では下降調をとる。
ⅱ ただし低下力に負ける時、および高い拍の次で低まる時はその限りでない。

とするのがよい。不格好を厭わなければ、「低下力に負けたり、高い拍の次で低まったりすることもあるけれども、そのようなことのない限りは文節中で高平調、文節末で下降調をとる拍」と定義することもできる。
 古代の中央語では、固有のアクセントを持つ拍と持たない拍とを区別でき、前者はさらに、本来的に低い拍、本来的に高い拍、本来的に下降する拍などに分類できる。さまざまな品詞においてそれらがどう分布するかを、以下に見る。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


6.用言における下降拍 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 まず動詞。例えばサ変動詞「す」の連用形(一般)も、低起二拍動詞の連用形(一般)の最終拍も、文節末で下降調をとるけれども(時代が進んで低起二拍動詞が複合動詞の後部成素をなしそれが付属語化する場合などはこの限りでない)、サ変動詞「す」の連用形(一般)は文節中でも下降調をとる一方、低起二拍動詞の連用形(一般)の最終拍は文節中では高平調をとる。両者には性質の差がある。前者は本来的な下降拍であり、後者は柔らかい拍である。

 単純動詞では、本来的な下降拍をなすのは、さしあたりサ変「す」や下二段「寝(ぬ)」の連用形(一般)、終止形(一般)、命令形の初拍、「着る」「似る」のような高起一段動詞の連用形(一般)、命令形の初拍だけだが、「消ゆ」の連用形(一般)の「消え」〈上平〉のつづまった「消(け)」(「消(け)ぬ」〈上上〉〔顕天平551〕)も、つづまったことによって高起一拍動詞の性質を帯びる。

 これらを除けば、単純動詞において一般に固有のアクセントとして下降調をとるとされる拍は、実際には柔らかい拍かそれに準ずる拍だと思われる。低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形は、柔らかい拍に終わる。二つのナ変動詞(〈上上〉)や少数派低起四拍動詞「にぎはふ」(〈平平上上〉)のようなごく少数の単純動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形も、詳説しないけれども、柔らかい拍に終わる。

 「来(く)」のような低起動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、命令形(「来(こ)」)、「得(う)」「経(ふ)」のような低起動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、「見る」「干(ひ)る」「蹴(くゑ)る」のような低起動詞の連用形(一般)は、――要するに低起動詞の一拍からなる連用形(一般)、終止形(一般)、命令形は――、柔らかい拍に準ずる。それらは一般に、文節末で下降調に終わるものとはされないけれども、次のような訳合いによって、式が保たれた時代にはまず式を保つべく上昇調にはじまったのち、文節中では高さを保ち、文節末では下降調に終わったと考えられる。

 『研究』研究篇下に見られる(単純)動詞のアクセントの表(pp.48,52,74,112)の連用形一般(イ)、終止形(一般)、已然形の部分、および命令形一覧(pp.113-114)は、低起動詞の一拍からなる連用形(一般)、終止形(一般)、命令形を除けば、すべて、下降形式(F、HL、HLL、…)に終わる。論点を先取りすることになるが、助動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形もまた、文節末において下降形式を持つ。文末に、ということは文節末に位置しうる終助詞も、一般に下降形式に終わる。

 現代語の終止形はかつての連体形――その最終拍は下降しない――の末裔であり、またかつての已然形とは異なりその末裔である仮定形は基本的に文節末に来ない、といったさまざまな経緯から、現代の京阪式アクセントでは、文節末における下降形式は文節末の好む音調とは言えない。しかし往古の中央語が文節末で下降形式を好んだことは明らかで、低起動詞の一拍からなる連用形(一般)、終止形(一般)、命令形がこの点で例外をなしたとは考えにくい。例えばカ変動詞「来(く)」の終止形(一般)「来(く)」や連用形(一般)「来(き)」は文節末で下降形式をとったと、つまり、式が保たれた時代にはLHLをつづめたアクセントをとったと見るのが自然である。
 図名は「飢(ゑ)て」に〈東上〉を差す。この「飢(ゑ)」は無論、低起動詞「飢う」〈平上〉の連用形「飢ゑ」〈平上〉のつづまったものにほかならない。この「飢(ゑ)て」もまた式を保って言われたのではないか。とすれば、図名の「飢(ゑ)て」〈東上〉における東点は、『和名抄』そのほかで「歯」に差された去声点と同じく、〈平上平〉をつづめたものと解釈しなくてはならない。
 これらの観察を除けば、単純動詞のアクセントのありようは、『研究』研究篇の見るとおりだと思われる。すると単純動詞における柔らかい拍のありように関して、次が言える。

 単純動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形の最終拍は、本来的な下降拍であるか、柔らかいか、常に低い。柔らかい拍は単純動詞の連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形の最終拍にのみあらわれうる。ただし、低起動詞の一拍からなる連用形(一般)、終止形(一般)、命令形は、式を保存するために上昇調に始まり、そののち柔らかい拍と同じようにふるまう。

 この命題から、動詞において下降拍がいつどこにあらわれるかに関する次の命題が得られる。

 動詞では、本来的な下降拍か、文節末にある動詞の連用形、終止形、已然形、命令形の最終拍だけが、下降調をとりうる。

 「単純動詞では」云々としないのは、この命題はのちに見るとおり複合動詞にもあてはまるからである。「柔らかい拍」という言葉が消えているのは、その内容を具体的に言い直してあるからである。「連用形(一般)」「終止形(一般)」としないのは、特殊形は決して文節末に位置せず、文節末に位置する連用形、終止形は必ず連用形(一般)、終止形(一般)のアクセントをとるからである。

 ここで、「連体形(一般)」「連体形(特殊)」という用語を導入する。「あり」のような動詞については、「連体形(一般)」と「連体形(特殊)」とを区別しなくてはならない。例えば「あるらむ」〈平上平上〉における「ある」は連体形(一般)であり、「あるべし」〈平平平上〉の「ある」は連体形(特殊)である。ラ変以外の動詞には連体形(特殊)は存在しないけれども、これは「あり」のようなラ変動詞には終止形(特殊)は存在しないのと見合うことである。

 動詞のさまざまな活用形のうち文節末に位置できるのは、この連体形(一般)と、さきに列挙した連用形(一般)、終止形(一般)、已然形、命令形とだけである。連体形(一般)の最終拍は、大抵の動詞では本来的に高く、ラ変「居(を)り」のような動詞では常に低い。すると、さきの「動詞では、本来的な下降拍か、文節末にある動詞の連用形、終止形、已然形、命令形の最終拍だけが、下降調をとりうる」という命題は次と同値である。

 動詞では、本来的な下降拍を別とすれば、文節末の、連体形以外の活用形の最終拍だけが下降調をとりうる。

 このことは複合動詞についても言える。複合動詞について、ここで一つのことを確認する。一般には複合動詞の各成素は、アクセント上は、後部成素が低平化する場合を別とすれば、それぞれが独立した文節をなすとされる。確かに、例えば複合動詞「待ち出(い)づ」が、〈平平上平〉という多数派低起四拍動詞のアクセントではなく〈平上平上〉というアクセントをとるのは(『毘・高貞』691が「待ち出(い)でつるかな」に〈平上平上平上(平上)〉を差す)、この複合動詞のアクセントが低起二拍動詞「待つ」の連用形(一般)、「出(い)づ」の終止形(一般)のアクセントを反映しているからだが、しかしこの「待ち出(い)づ」〈平上平上〉が、「待ち、出(い)づ。」(待って出る、ないし、待ったり出たりする)のアクセントLFLFと同じアクセントをとるかどうかは自明でない。複合動詞「待ち出(い)づ」〈平上平上〉の前部成素の最終拍の上声点は、高平調をとりえたのではないだろうか。高平調をとったとは言えないがとりえたとは言えるのではないだろうか。

 例えば「急ぎ参る」(急いで参上する)のような言い方は二つの単純動詞が意味の複合ないし化合といったことなくただ連続しただけのものなので、そのようなものを複合動詞と言うことはできない。例えばそれは辞書に立項すべき性格のものでない。「泣き恋ふ」(泣いて恋しがる)や「咲き散る」(咲いて散る、ないし、咲いたり散ったりする)についても同断である。「急ぎ参る」の「急ぎ」には〈平平上〉が差されるだろうが、この末尾の上声拍は、文節末の柔らかい拍として下降調をとっただろう(注)。

注 「急ぎ参る」や「泣き恋ふ」における「急ぎ」「泣き」はそれぞれ「参る」「恋ふ」を修飾している。ということは、それらはいわゆる連用中止法で使われたものではないということである。それらはまた複合動詞の前部成素とは言えない。すると、「連用形一般(イ)」を活用語が連用中止法で使われた時や複合動詞の前部成素をなす時のアクセントとして定義すると(『研究』研究篇下p.43)、「急ぎ参る」や「泣き恋ふ」における「急ぎ」「泣き」のようなものは名づけられないままになってしまう。「連用形一般(イ)」は、端的に、連用形が文節末にある時のアクセントとして定義されてよい。

 しかし、例えば「出(い)でたまふ」のような言い方における前部成素は――動詞がいわゆる補助動詞を従える言い方もアクセント上複合動詞として扱えることは周知である――、「急ぎ参る」や「咲き散る」における「急ぎ」や「咲き」と同列には論じられない。複合動詞のなかには、「思ひ出(い)づ」や「うち置く」のように助詞を介入させられるものも多いが(「思ひも出(い)でず」「うちも置かず」)、「たてまつる」や「おぼしめす」は、そして動詞が補助動詞を従える「出(い)でたまふ」のような言い方も、助詞の介入をまったく許さない。

 助詞が介入できないということはそれだけ成素間のつながりが密だということである。その意味で、「たてまつる」「おぼしめす」「出(い)でたまふ」のような言い方における各成素間のつながりは、例えば「出(い)でて」〈平上上〉や「出(い)でけり」〈平上上平〉における動詞と付属語とのつながりの強さに近いと言える(ちなみに『岩波古語』は一般には補助動詞とされる「たまふ」を助動詞とする)。「出(い)でたまふ」〈平上平平上〉における前部成素の最終拍の上声点は文節末の柔らかい拍として当然に下降調でも言いうると思われるけれども、「出(い)でて」や「出(い)でけり」と同じく、「出(い)でたまふ」を一文節として言うこともできるのではないか。そうだとすれば、前部成素の最終拍は文節中の柔らかい拍として、高く平らに言ってもよい。

 「思ひ出(い)づ」〈平平上平上〉や「うち置く」〈平上上平〉のような助詞の介入を許す複合動詞は、それだけ「急ぎ参る」や「咲き散る」のような言い方に近いけれども、それでもやはり、各成素をそれぞれ一文節と見ることもでき、また、各成素のアクセントは生かしつつも全体で一文節をなすものと見ることもできるのではないか。想像をたくましゅうしすぎていると見る向きもあるだろうが、岩紀は「出(い)で立たす」に〈平平平上〉を(102)、「打ち鞫(きた)ますも」に〈平平平平平東〉を差していた(112)。これらにおける複合動詞の前部成素の最終拍は、高平調でも言い得たのではないか。それゆえ上声点が差されているのではないか。なお、「たてまつる」〈平上上上平〉をLHHHLのように言われたと断ずる見方があるけれども(『研究』研究篇下p.108)、LFHHLとは言われなかったとするのもまた当を得ないと思われる。

 「寝(い)ぞ寝(ね)かねつる」〈平上上上平(平上)〉(梅1022)の「寝(ね)」に差された上声点のようなものは、文節中の拍と見るにせよ文節末の拍と見るにせよ、本来的な下降拍として下降調をとっただろう。こうして複合動詞についても、「動詞では、本来的な下降拍を別とすれば、文節末の、連体形以外の活用形の最終拍だけが下降調をとりうる」ということができる。

 ついでながら、「出(い)でたまふ」〈平上平平上〉、「待ち出(い)づ」〈平上平上〉のような言い方における前部成素の最終拍がもし下降調でも高平調でも言い得たとすれば、それを上声点で示す差声方式は、その限りではむしろ合理的である。

 動詞について、最後に、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍の長短のことを言っておく。岩紀の時代には、「飽く」〈平上〉、「思ふ」〈平平上〉のような動詞の最終拍は長い下降調で言い得たと考えられる。岩紀107の「通らせ」〈平平平東〉がそれを示唆する。言うまでもなくこの「通らせ」は一般に助動詞とされる尊敬・親愛の「す」の命令形が動詞を先立てる言い方だが、音調論的にはこれは一語の少数派低起四拍動詞の命令形と見なすべきである。すなわちこの「通らせ」〈平平平東〉は、岩紀の時代における少数派低起四拍動詞の一般的な音調を示していると見られる。すると、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍も長い下降調で言い得たと考えるのが自然である。『金光明最勝王経音義』にただ一つ見られる「恥づ」〈平東〉は、誤点かもしれないが、古態をとどめたものとも見うる。

 岩紀の時代に低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍を短い下降調で言い得たかどうかは、分からない。岩紀の「出(い)で立たす」〈平上平平上〉(102)、「打ち鞫(きた)ますも」〈平上平平平平東〉(112)の含む複合動詞「出(い)で立つ」「打ち鞫(きた)む」の各成素をそれぞれ一文節と見るならば、それぞれの前部成素の最終拍は短い下降調で言われたことになるが、そう見ないこともできるのだった。

 いずれにしても、図名では低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍にはもっぱら上声点が差されるのだから、岩紀の時代から図名の時代にかけて、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の終止形の最終拍は短縮化したと見られる。


 形容詞については多言を要しない。ここに言う「形容詞」はいわゆる「カリ活用」を含まない。つとに先覚の説くとおり、統語論的に見ても音調論的に見ても、例えば「よからむ」は、「よく」と「あらむ」との縮約した言い方であって、実質的に動詞に終わる「よから」のような言い方を形容詞(の「カリ活用」)の一部分とする見方は理不尽である(「委託法、および、状態命題」3をご覧ください)。

 形容詞のアクセントは周知である。前(さき)にも引いた「ふるきを」〈平平東上〉(図名)、「楽しきを」〈平平平上平〉(永・顕天片・顕大1069)のような例から、連体形の最終拍が本来的な下降拍であることは明らかで、終止形についても同断と見られる。「憂く」のような低起形容詞の二拍からなる連用形の初拍は上昇調をとること、活用語尾を伴わない時の語幹のアクセントは連用形における語幹のそれと等しいことも、周知のとおりである。すると次が言える。

 形容詞をなす拍は、終止形および連体形の最終拍を別とすれば、本来的に高いか、常に低い。ただし、低起形容詞の二拍からなる連用形の初拍、活用語尾なしに使われる時の一拍からなる語幹は上昇調をとる。

 ここから「形容詞では終止形および連体形の最終拍だけが下降調をとる」を導けるが、これを一段(ひときざみ)抽象化した次も言える。

形容詞では本来的な下降拍だけが下降調をとる。

 形容詞のすべての活用形が、文節末で下降形式をとることは容易に確認できる。ただ、文節が形容詞の語幹で終わる時は下降形式はとらない。形容詞の語幹は上に言ったとおり連用形から「く」を取り去ることで、しかるべき語形とアクセントとが得られる。例えば「あな憂」〈平平上〉(問答・伏片など426)の最終拍は上昇下降調ではなく上昇調をとり、「あなわびし」〈平平上上上〉(「わびし」は高起式)の最終拍は高平調をとって言われただろう。「わびし」の終止形の最終拍は常に下降調をとるから(低平化するのは後代である)、「あなわびし。」の最終拍は終止形「わびし。」のそれとはアクセントを異にする。なお、学校文法が例えばシク活用の形容詞「わびし」の語幹を「わび」とするのは、鹿を指して馬と為(な)すことである。

 用言における降(くだ)り拍の検討は以上である。いわゆる形容動詞は副詞と動詞「あり」との縮約形と見るべきものだったので――例えば「しづかなり」〈平上平上平〉は副詞「しづかに」〈平上平上〉と動詞「あり」〈平上〉との単純な縮約形に過ぎなかったので――、すでに検討したことになる。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


7.付属語における下降拍 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 「は」のような助詞は本来的に高いけれども、時に高い拍の次でみずから低まる。例えば『毘』382は「何そは」に〈平上上平〉を、『毘・高貞』704は「逢はざらめやは」に〈(平上平平上)上平〉を差した。『訓』938詞の「あがたみには」〈平平平上上平〉や同454の「こころばせをば」〈(平平上)上平上平〉、さらには、のちにも言い及ぶ「消えずは」〈上上上平〉(伏片・家63)などでもこの現象が見られる。「は」と同じく本来的に高い「て」のような助詞にも、同じ現象が見られた。

 しかし、岩紀や図名では「は」「て」のような助詞が高い拍の次でみずから低まることはなく、初期古今集声点本でもそうしたことは稀にしか起きない。また、やはり本来的に高い「に」「を」「が」のような助詞は、後期古今集声点本の時代に至っても勝手に低まることはない。

 すると、岩紀や図名や古今集声点本において、常に低いのではない助詞が高い拍の次でしばしば低まるならば、その助詞は柔らかいと判断できる。例えば禁止の「な」は、「ぬらすな」〈上上平上〉(顕天片・顕大1094)のような言い方から常に低いのではないことが知られ、「みだるな」〈平平上平〉(顕天片568*〔万葉2798〕)のような言い方から高い拍の次で低まりうることが知られるので、柔らかいと推定できる。

 この方法によって個々の助詞のふるまいを見ると、「に」「を」「が」「は」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして高平調をとると見る拍はやはりおおむね本来的に高く、「も」「し」「ぞ」「や」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして下降調をとると見る拍はおおむね柔らかい。『研究』によれば(研究篇p.158)、例えば『袖』は助詞「こそ」に五か所で〈上平〉、二か所で〈上上〉を差すから、この助詞の最終拍なども柔らかく(初拍は本来的に高い)、また例えば「より」の初拍などは、「御垣(みかき)より」〈上上平上平〉(顕天片1003)、「徒歩(かち)より」〈平上平平〉(図名)などから見て柔らかいと考えられる(第二拍は常に低い)。「より」の初拍は柔らかいとはいえ、文節末には位置しないから、高平調か低平調しかとらない。

 ただ助詞「か」は、古今集声点本の時代に下降調から高平調に変わったかとする見方もあるが(『研究』研究篇下pp.148,193)、一貫して柔らかかったと見てよいと思われる。その常に低いのでないことは「あふものか」〈平上平平上〉(顕天平568*〔万葉2452〕)などが示すけれども、

 誰(たれ)か〈上上平〉(図名)
 いかでか〈上平上平〉(図名)
 おくらぬか〈上上上上平〉(図名。打消の「ぬ」は本来的に高いと見られる。詳細後述)
 みちびかぬか〈上上上(上)上平〉(図名)
 いかにか〈上平上平〉(顕天平509*〔索引篇による〕)
 誰(たれ)をかも〈平上上平平〉(訓909。「誰」の初拍の平声点は存疑。「かも」は二語と見うる)
 嚏(ひ)ぬかな〈上上平平〉(伏片・訓1043。「かな」も二語と見うる)
 思ひぬるかな〈平(平上)上上平上〉(訓842)

は、この助詞が古今集声点本の時代にも柔らかいことを示すだろう。

 なお、この助詞が下降拍に高く付く例の複数見られることをこの助詞の特異な性格と見る見方もあるけれども(『研究』研究篇下p.148)、

春かは〈(平上)上上〉(寂131)
(かげ)かは〈(平上)上上〉(寂134)
影かも〈(平上)上平〉(寂・毘102)

のような言い方は、『寂』302が「秋をば」に〈平上上上〉を差すのなどと同じことで、名詞の最終拍を引いた時の発音が記されているのだと思われる。

 柔らかい拍のふるまい方の見本として、いずれも柔らかい助詞である「し」「か」「も」がこの順で並んだ「何(なに)しかも」への注記を、その解釈とともに示す。

 平上平上平 寂1001  LHLHL
(平)上平平上 伏片1001 LHLLF
(平上)上上平 梅1001  LHHHL

 『寂』の「何しかも」〈平上平上平〉で「し」の低いのは高い拍の次でみずから低平化したのであり、その次の「か」は純粋な二拍のなす下降調の低下力に抗して卓立し、文節中なので高さを保つ。「も」はその卓立した高い「か」に低く付いている。『伏片』の「何しかも」〈平上平平上〉では「し」が高い拍の次でみずから低まり、「か」は先立つ純粋な二拍のなす下降調の低下力に負け、「も」は先だつ〈上平平〉の低下力に負けず卓立し、文節末ゆえ拍内下降する。最後に『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉では「し」は高い拍の次で身を低めず、文節中ゆえ高さを保ち、「か」は、その高い「し」にやはり高く付き、やはり文節中ゆえ高さを保ち、「も」はそれに低く付いている。総じて、柔らかい助詞は高い拍の次でみずから身を低めることが多く(ただ「や」などは低まりにくい)、この『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉における「し」「か」のような行き方は少数派に属する。実際、この「何しかも」〈平上上上平〉は『寂』と同じ〈平上上平〉の誤記かもしれない。

 高平連続調に高く付く以外は通例低いという特異な助詞であった「の」と、先立つ名詞のアクセントをその式に応じて高平化ないし低平化した上でそれに順接的に付くという一層特異な「つ」――例えば「下(しも)」は〈上平〉だが「下(しも)つ方(かた)」は〈上上上上平〉(改編本名義)――とをしばらく除けば、次が言える。

 助詞をなす拍は、本来的に高いか、常に低いか、柔らかい。助詞は本来的な下降拍を持たない。

 柔らかい助詞は、低下力に負けたり高い拍の次で低まる時は下降形式の一部をなし、そうでない時は文節末でみずから下降調をとって下降形式を作る。接続助詞「ば」「ど」「で」のような常に低い助詞は、詳説しないが、必ず下降形式の一部をなす。本来的に高い助詞は単独で下降形式をなすことはないけれども、先立つ拍の低下力に負けた時などは下降形式の一部をなす。


 次に、助動詞について。一口に助動詞と言っても、周知のとおり、動詞を作る接辞と言うべき「る」「らる」の類、形容詞を作る接辞と言うべき「べし」「まじ」の類、実質的にラ変動詞「あり」そのものに終わる、本質的に縮約形をなすと言うべき断定の「なり」「たり」や存続の「たり」「り」の類、これら三種(みくさ)のアクセントは動詞や形容詞に準ずるから(いわゆる断定の「なり」については後述)、新たに考うべきは〝純粋助動詞〟と呼びうる一群の助動詞、「き」「けり」「ぬ」「つ」「む」「らむ」「けむ」「まし」「じ」「(伝聞推定の)なり」「めり」「らし」「ず」のような助動詞だけである。これらのうち「けり」、伝聞・推定の「なり」、「めり」は末尾に「あり」を含むけれども、すでに単純な縮約形ではない。また「らし」「まし」は、外見に反して形容詞を作る接辞ではない。

 純粋助動詞については、まず、それらは特定の特殊形を持たないことを確認する必要がある。

 例えば完了の「ぬ」の特殊形を高平調と見る見方もあるけれども(『研究』研究篇下p.214)、完了の「ぬ」の特殊形として特定のアクセントを指定することはできない。例えば「らむ」「らし」などはおのれに先立つラ変以外の動詞には終止形(一般)を、ラ変には連体形(一般)を要求するが、「べし」「まじ」は、おのれに先立つラ変以外の動詞には終止形(特殊)を、ラ変には連体形(特殊)を要求する。例えば「成るべし」「あるべし」はいずれも〈平平平上〉というアクセントで言われるけれども、これらにおける動詞のアクセントが「成る」の終止形(一般)や「あり」の連体形(一般)の持つ〈平上〉と異なるのは、動詞が言わば「べし」からの要求を呑んだからである。
 しかし、「べし」は例えばおのれに先だつ助動詞「ぬ」には特定のアクセントを求めない。「消(け)ぬべく」〈上上上平〉(寂1001)も「消ぬべく」〈上平上平〉(梅・毘・訓1001。『梅』『訓』は「べく」に注記なし)も言いうる言い方である。
 「べし」はおのれに先立つ完了の「ぬ」に対して特定のアクセントを指定せず、また「まじ」は完了の「ぬ」を先立てず、また先だつ動詞に終止形(特殊)、連体形(特殊)を要求する付属語はほかにない。すると、完了の「ぬ」の終止形(特殊)はこれであるという特定のアクセントは存在しない。「べし」の先立てるアクセントを終止形(特殊)と定義するならば完了の「ぬ」の終止形(特殊)には高平調、低平調の二つがあるということになるけれども、「べし」はおのれに先立つ完了の「ぬ」には特定のアクセントを求めないという意味では、完了の「ぬ」は終止形(特殊)を持たない。完了の「ぬ」は、例えば高起一拍動詞を先立て自分は「べし」に先だつ時、動詞の低下力に負けて低まるか、動詞の低下力に抗して卓立するかを自分で決める。それゆえ、古い流儀で注記すれば「消(け)ぬべく」は〈東上上平〉とも〈東平上平〉も言える。ちなみに、「消(け)ぬべく」は〈東上上平〉とも〈東平上平〉も言えるということは、「消(け)ぬべ」は〈東上上東〉とも〈東平平東〉とも言えるということで、ここでは「べし」が「ぬ」のアクセントを決めるのではなく、却って「ぬ」が「べし」のアクセントを決めている。

 おのれに先立つ動詞に特殊形を求める付属語のうち、純粋助動詞も先立てうるのは、「む」「まし」、過去の「し」(および已然形「しか」)、「べし」、および終助詞「しか(しが)」「なむ」だけであり(例えば打消の「ぬ」は動詞に未然形特殊を要求するが純粋助動詞を先だてない)、これらの付属語が先立てうる純粋助動詞は、完了の「ぬ」「つ」、伝聞・推定の「なり」、推量の「めり」に限られる。つまりさらに検討すべきは、「咲きむ」「咲きまし」「咲きし」「咲きしかな(咲きにしがな)」「咲きなむ」「見む」「見まし」「見し」「見べし」「見しかな(見てしがな)」「あなりし(「あんなりし」の撥音無表記形)」「あめりし(「あんめりし」の撥音無表記形)」といった言い方における下線を付した助動詞のアクセントだが、これらにおいて下線を付した助動詞のあとにある付属語は、下線を付した助動詞に特定のアクセントを求めないと見られる。例えば「咲きなむ」は〈上平平上〉とも〈上平上上〉とも発音することができる。また「あなりし」は古典的には〈去上平上〉のように言われただろうが(cf.「鳴くなる声の」〈上平上平(平上平)〉〔伏片423〕、「親(した)しかりし」〈(平平上)平平上〉〔伏片・家(28)〕)、この「なる」は伝聞推定の「なり」の連体形のもともとのアクセントなので、過去の「し」が特別なアクセントを求めた結果こうなっているのではない。

 すると、上に言った意味において、完了の「ぬ」「つ」の未然形(特殊)、連用形(特殊)、終止形(特殊)は存在せず、伝聞・推定の「なり」や推量の「めり」の連用形(特殊)は存在しない。純粋助動詞の場合、未然形(一般)とは異なる未然形(特殊)、連用形(一般)とは異なる連用形(特殊)、終止形(一般)とは異なる終止形(特殊)があるわけではない。その意味で純粋助動詞は特殊形を持たない。

 純粋助動詞のうち、「き」(の終止形)、完了の「ぬ」の連用形、終止形、已然形の最終拍、命令形、「つ」の連用形、終止形、已然形の最終拍、命令形の二つの拍、「む」「じ」の終止形および已然形、「らむ」「けむ」の終止形の最終拍、已然形の最終拍、「らし」の第一拍、「ず」の連用形、終止形は、柔らかいと考えられる(「む」、完了の「ぬ」、打消しの「ぬ」、「ず」については、以下に概要を見る)。それらは柔らかい助詞と同じく高い拍の次でみずから低まりうるけれども、諸例を通覧すると、「も」「し」「ぞ」のような柔らかい助詞が高い拍の次で低まりやすいのとは対照的に、むしろ低まらないことが多い(つまり完了の「ぬ」について言えたことはほかの多くの純粋助動詞についても言える)。そしてそれ以外の拍、つまり例えば過去の「き」の連体形や已然形、完了の「ぬ」の未然形、連体形をなす二拍、已然形の一つ目の拍そのほかは、本来的に高いか、本来的に低い。つまり、本来的な下降拍を持つ純粋助動詞はない。

 意志・推量の「む」の已然形は、「我が手を取らめ」〈平上平上平平東〉(岩紀108)のような注記から下降調をとりうることがわかるが、「ありなめど」〈平上上平平〉(訓97。『伏片』も〈(平上)上平平〉とする。『問答』『伊』『寂』『梅』などは〈平上上上平〉とする)なども言えることから、本来的な下降拍ではなく、柔らかいと考えられる。「む」は四段動詞型の助動詞だから、その已然形が柔らかいのであってみれば、終止形も柔らかく、連体形は本来的に高いと見られる。

 すでに見たとおり、完了の「ぬ」の終止形が常に低くはないこと、「絶えんだる」〈平上平平上〉(図名)、「帰りね」〈平平上平〉(寂・訓389詞)のような言い方もできること、また、ナ変動詞とこの助動詞との浅からぬ因縁、これらから、この助動詞の連用形、終止形、命令形が柔らかいことは明らかである(注)。

注 完了の「ぬ」の終止形や連用形の固有のアクセントを下降調とする見方もあるけれども(『研究』研究篇p.214)、古今集声点本に七つ見えている「…にけり」において「けり」の初拍が例外なく高さを保つのは(例えば『訓』847は「なりにけり」に〈平上上上平〉を差す)、完了の「ぬ」の連用形が柔らかい拍として文節中で高さを保つからである。「ありぬや」〈平上上上〉(顕天片1025)のような例で「や」の低まらないのも同じ理由によるのだった。

 未然形「な」は本来的に高い拍であろう。連体形「ぬる」および已然形「ぬれ」の初拍は、連用形「に」や終止形「ぬ」などと同じく柔らかい拍、高い拍の次で低まりにくい柔らかい拍と見られる。低下力に極めて弱いことは既に言った。

 連体形「ぬる」の最終拍は本来的に高いようである。時代のくだるとともに例えば「為(し)ぬる」〈上平上〉(梅(58))よりも「為(し)ぬる」〈上平平〉(寂(58)、寂・毘・高貞899)のような言い方の好まれるようになるのは、ほかの諸例と一般である。他方、已然形「ぬれ」の最終拍は柔らかい。それは「ぬ」が高いならば通例ひくまり(「色づきぬれば」〈(平平)平上上平平〉〔訓198〕)、「ぬ」が低いならば古典的には卓立する(「散りぬれば」〈上平平上(平)〉〔伏片64〕)。

 打消の「ぬ」は本来的に高く、已然形「ね」は柔らかいと思われる。しばしば言われるように、四段動詞と同じ「な・に・〇・ぬ・ね」という活用の型を持つ古い助動詞を想定してよいのであってみれば、そう見るのが自然である。降(くだ)り拍と見て、図名の「おくらぬか」〈上上上上平〉のような注記で「か」の低まっているのをその低下力によるとする見方もあるけれども(『研究』研究篇p.147。cf.同pp.156,236-237)、柔らかい助詞である「か」がみずから低まったと考えるのが妥当ではないか。観本名義・法下は「せぬか」に〈上東平〉を差すが、四段動詞との類似をこそ重んずべきだと考える。

 最後に、打消の「ず」の連用形および終止形は常に低かったと見る見方もあるけれども(『研究』研究篇下pp.203-205)、柔らかかったと見るべきであろう。現代京阪式アクセントではそれらは常に低いが、古くは柔らかかった「も」なども、今は常に低い。

 おもはずに〈平平平上〇〉(図名。ただし三つ目の拍の平声点は不審。何らかの理由で「思はぬに」〈平平平上上〉と混淆したか)
 あらずなりにたり〈平上上(平上上平上)〉(伏片(23)。『家』は「あらず」〈平上平〉)
 あはざらめやも〈平上上平上上平〉(顕天平568*〔万葉766〕。「あはずあらめやも」〈平上上平平上上平〉の縮約形)
 消えずは〈上上上平〉(伏方・家63)

では「ず」の連用形に上声点が差され、

 ありきあらずは知らねども〈平上平平上上上(上上上平平)〉(訓353。「『ありきあらず』は知らねども」とも表記しうる言い方であろう)
 酔(ゑ)ひもせず〈平平上上上〉(『金光明最勝王経音義』前書き。この「酔(ゑ)ひ」は、「酔ひ加はりぬ」〔源氏・松風〕における「酔ひ」などと同じく、連用形(一般)ではなく派生名詞〔転成名詞〕と見れば誤点でない)

では「ず」の終止形に上声点が差されている。これらにおいて「ず」に差された上声点のことごとくを誤点とするのは不当だろう。打消の「ず」は柔らかい拍、「も」「し」「ぞ」のような助詞と同じく低まりやすいタイプの柔らかい拍だったのではないか(がんらい助詞〔不変詞〕だったのかもしれない)。動詞の未然形(一般)は大抵高平調に終わるので、「ず」が多くの場合低いのは当然である。「居(を)らず」は古くは〈上平上〉と発音されたと思われるけれども、遺憾ながら実例がない。「ず」が常に低いとすれば、あまたの助動詞のなかでこれだけが常に低いことになる。

 『伏片』『家』63の「消えずは」〈上上上平〉では、助詞「は」が、高平調をとる第三拍に低く付いている。前(さき)に触れたとおりこれは、「あがたみには」〈平平平上上平〉(訓938詞)、「こころばせをば」〈(平平上)上平上平〉(同454)なども言えたのと同じことで、「消えずは」〈上上平上〉が多数派の言い方なのだろうが(伏片63が「来ずは」に〈上平上〉を差す)、〈上上上上〉〈上上上平〉なども言い得たと考えられる。

 最後に、過去の「し」のアクセントは、本来的に高いと思われる。

 せし人の〈上上上平平〉(岩紀111)

 あつくをしへし〈上上平上上上上〉(図名)
 いとなむじとき〈平平平平上平平〉(図名。「いとなみし時」の音便形。原文「とぎ」を私意により改めた)
 のぞむしに〈上上上上○〉(図名。「望みしに」の音便形)
 むすびしにより〈上上上上上上平〉(顕天片568*〔万葉2452〕。この「より」は四段動詞「因(よ)る」の連用形。「に」は低まっていない)
 来(こ)しを〈平上上〉(永・伏片・家・毘441。「を」は低まっていない)

において過去の「し」にいずれも上声点の差されていることは、ただちにその高平調であることを意味しはしないものの、それを強く示唆する。

 なお、図名の「あつくをしへし」への注記を〈上上平上上上東〉と読んで、古くはそれは下降調をとり後(のち)に高平調に転じたと見る見方もあるけれども(『研究』研究篇下pp.199,236-237)、『集成』を見る限り、最終拍の「し」に差された点は、ほかならぬ「あつくをしへし」〈上上平上上上上〉の一つ目の「し」の高さにあると見られる。『集成』は問題の「し」の認定を避け(p.671)、小松英雄『日本声調史論考』は問題の「し」に差された声点を東点と見ない(p.537)。

 岩紀の時代、文節末の下降調は、

 生(な)りけめや〈平上平平〉104
 君はや無き〈上上上平東〉104(明らかに東点を用いる流儀による注記である)
 つかへまつらむ〈上上平上上上〉102

のように引かれないこともあったものの(ただし102の「つかへまつらむ」の最終拍は連体形と見ることもでき、その場合、最終拍は高平調を意味する)、

 かくしもがも〈上平平東平〉102(はじめの東点は存疑とする)
 まそがよ〈上上上〉103
 米(こめ)だにも〈平平上平〉107
 裂手(さきで)そもや〈平平平上平〉108
 人そとよもす〈上平平平平上〉110
 取らめ〈平平〉108

のように引かれることの方が多かったようである。

 「せし人の」〈上上上平平〉(岩紀111)において過去の「し」に差された上声点はただちにその高平調であることを意味しないが、しかし岩紀の時代、文節末の下降拍は引かれることの方が多かったのであってみれば、ここで過去の「し」に差されているのが東点でないことは、それを高いと見る見方に有利である。図名において「あつくをしへし」〈上上平上上上上〉、「いとなむじとき」〈平平平平上平平〉、「のぞむしに」〈上上上上〇〉の三つが上声点を差す一方、東点を差すもののないことも、過去の「し」を高いと見る見方に有利である。古今集声点本の「むすびしにより〈上上上上上上平〉(顕天片568*〔万葉2452〕)と「来(こ)しを」〈平上上〉(永・伏片・家・毘441)において「に」「を」の低まっていないことも、過去の「し」を高いと見る見方に有利である。

 他方、観本名義・法下は「夢(いめ)見しに」に〈平平平上平〉を差すけれども、観本名義・法下の信頼度はあまり高くないだろう。また古今集声点本には、「思ひそめてじ」〈(平平上)上平上平〉(毘・高貞471)のような、過去の「し」が柔らかいことを示すあかしとも解しうる例が見られるが、「…にし」(「し」は濁らない)はというと、「なりにし」〈(平上)上上〉(伏片・訓90)など七例すべてに〈上上〉が差され、「鳴きふるしてじ」〈(上平平平上)上上〉(梅159)、「見てじ」〈上上上〉(訓479)のような言い方もあることを考えると、「…てじ」に対する〈上平〉注記は「…てし」の古い時代のアクセントを考える上で示唆を与えるものとは思われない。岩紀の一例、図名の三例、古今集声点本の二例の示唆を重んずべきであろう。

 まとめると、

 純粋助動詞では、連用形、終止形、已然形、命令形(のそれぞれ最終拍)は柔らかいか低く、それ以外の活用形(の最終拍)は本来的に高いか低い。純粋助動詞は本来的な下降拍を持たない。

と言うことができる。例えば完了の「ぬ」の連用形「に」、終止形「ぬ」、已然形「ぬれ」の最終拍、命令形「ね」は柔らかかった。

 ここから、下降調はいつどこにあらわれるかに関して次を導ける。

 純粋助動詞では、文節末の、連体形以外の活用形の最終拍だけが下降調をとりうる。

 「とる」ではなく「とりうる」と言ったのは、例えば文節末における完了の「ぬ」の終止形は「消(け)ぬ」〈上上〉(顕天平551)においてそうであるように下降調でも言われうるが、「消(け)ぬ」〈上平〉(永・毘・高貞551、毘・訓222)のように低平調でも言われうるからである。

 純粋助動詞の連用形、終止形、已然形、命令形(のそれぞれ最終拍)は柔らかいか低い。柔らかい場合それは、助詞の場合と同じく、文節末においてみずから、あるいは先立つ拍とともに、下降調をなす。低い場合も、詳説しないが、先立つ拍とともに下降形式を作る。

 断定の「なり」について一言。この「なり」が本質的に「にあり」〈上平上〉の縮約であること、「なり」の第一拍が総じて低い拍に高く、高い拍に低く付くことは周知である。これはこの「なり」の第一拍が柔らかい拍、低まりやすい柔らかい拍であることを意味する。そうであってみれば、

 如(ごと)ならば〈上平上平平〉(問答82)
 駒なれや〈上上平上上〉(伏片1045)

のような多数派の言い方のほかに、「知らぬなるべし」〈(上上上)上平(平上)〉(寂(59))のような少数派に属する言い方の散見されるのを特別視する必要はない。それは、例えば「鼻も」〈上上上〉(伏片1043)の「も」の低まっていないのと同じことで、むしろより古風な言い方だと考えられる。断定の「なり」の第一拍に上声点が差される時のその上声点を降り拍を意味するものと見る見方もあるけれども(『研究』研究篇下p.233)、文節中の柔らかい拍ゆえ高平調をとるであろう。なお、「なり」の「り」も柔らかい。ただこちらは、低い「な」に古典的には高く付くことも多いのは当然として、高い「な」にはもっぱら低く付く。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


8.上声点の解釈規則 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 「動詞では、本来的な下降拍を別とすれば、文節末の、連体形以外の活用形の最終拍だけが下降調をとりうる」と言うことができ、また「低起動詞の一拍からなる連用形(一般)、終止形(一般)、命令形は、式を保存するために上昇調に始まり、そののち柔らかい拍と同じようにふるまう」と言うことができた。すると、東点を用いない流儀における動詞に差された上声点の解釈規則として、次が得られる。

 動詞に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし、それが本来的な下降拍である場合、および文節末の、連体形以外の活用形の最終拍である場合は、下降調を意味する。低起動詞の初拍に差された上声点は上昇調にはじまる。

 例えば、「寝て」〈上平〉(永190・1099、顕天片1072など)において動詞に差された上声点は本来的な下降拍に差されたそれなので、下降調を意味する。「見ゆ」〈平上〉(京秘833。「寝ても見ゆ寝でも見えけり」云々)における上声点は文節末の非連体形(ここでは終止形)に差された上声点なので、下降調を意味する。「逢ふ日の」〈平上上平〉(伏片433)において動詞の最終拍に差された上声点は文節末の連体形に差された上声点なので、高平調を意味する。「来て」〈上上〉(伏片・梅・寂239)や「干(ひ)ず」〈上平〉(梅・京中・伊…422)において文節中の動詞に差された上声点は、当時おそらく式は保存されたろうから上昇調を意味し、「来鳴き」〈上上平〉(梅・寂141)の「来」は、やはり式は保存されたろうから上昇調にはじまり、文節末の連用形ゆえ下降するので(「来鳴く」は複合動詞ではない)、上昇下降調を意味する。

 次に形容詞については、「本来的な下降拍だけが下降調をとる」と言うことができ、また「低起形容詞の二拍からなる連用形の初拍、活用語尾なしに使われる時の一拍からなる語幹は上昇調をとる」と言うことができた。すると、東点を用いない流儀における形容詞に差された上声点の解釈規則として、次が得られる。

 形容詞に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし本来的な下降拍はこの限りでない。低起形容詞の初拍に差された上声点は上昇調にはじまる。

 例えば、「暗き」〈上上上〉(伏片154)のはじめの二(ふた)拍は高く平らに言われるけれども、最終拍は本来的な降(くだ)り拍ゆえ下降調をとる。「あな憂」〈平平上〉(問答・伏片など426)の最終拍は、「憂し」は低起形容詞でありまたその語幹は本来的な降り拍ではないから、上昇調をとる。

 純粋助動詞については、「文節末の、連体形以外の活用形の最終拍だけが下降調をとりうる」と言えた。ここから東点を用いない流儀における純粋助動詞に差された上声点の解釈規則として、次が得られる。

 純粋助動詞に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし、それが文節末の、連体形以外の活用形の最終拍である場合は、下降調を意味する。

 例えば、「(枕のみこそ知らば)知るらめ」〈(上平)平上〉(毘・高貞504)の第四拍は文節末の非連体形(ここでは已然形)なので下降調を、「知るらめや」〈上平平上平〉(訓485)の第四拍は文節中の上声点なので高平調を意味する。

 いわゆる形容動詞は副詞と動詞「あり」との単純な縮約形に過ぎず、また、純粋でない助動詞には動詞または形容詞の解釈規則が適用されるのだったから、動詞、形容詞、純粋助動詞に関する上の三命題をまとめた次が、活用語全体についてのまとめということになる。

 活用語に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし、それが本来的な下降拍である場合、および文節末の、連体形以外の活用形の最終拍である場合、下降調を意味する。低起動詞および低起形容詞の初拍に差された上声点は、上昇調にはじまる。

 次に不変化詞について。助詞以外の不変化詞、ほぼ同じことだが活用しない自立語については、次が言える。

 活用しない自立語に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし、本来的な下降拍、本来的な上昇拍、本来的な上昇下降拍に差された上声点はこの限りでない。

 次に、「の」「つ」を除く助詞については「本来的に高いか、常に低いか、柔らかい」と言えるのだったが、ここから、「の」「つ」を含めた助詞全体について、東点を用いない流儀における上声点の解釈規則が得られる。

 助詞に差された上声点は一般に高平調を意味する。ただし、文節末の柔らかい拍に差された上声点は下降調を意味する。

 以上のすべてをまとめると、東点を用いない流儀における上声点の包括的な解釈規則として次が得られる。

 東点を用いない流儀における上声点は一般に高平調を意味する。ただし、本来的な下降拍、本来的な上昇拍、本来的な上昇下降拍に差された上声点はその本来的な音調を意味し、また、文節末の連体形以外の活用形の最終拍に差された上声点、および、文節末の或る種の助詞(の最終拍)に差された上声点は、下降調を意味する。低起動詞および低起形容詞の初拍に差された上声点は、上昇調にはじまる。

 動詞のなかには例えばサ変「す」の連用形(一般)、終止形(一般)のような本来的な下降拍からなるものがあり、また形容詞の終止形や連体形は本来的な下降拍に終わるのだった。名詞のなかには本来的なものとして下降拍、上昇拍、上昇下降拍を持つものがあった。「或る種の助詞」とは無論柔らかい拍を持つ助詞のことであり、「或る種の助詞の最終拍」とは例えば係助詞「なむ」「こそ」、終助詞「なむ」の最終拍のような柔らかい拍のことである。

 東点を用いない流儀に拠る注記には去声点も限定的にであれ登場する。去声点もまた解釈を要する。その解釈規則は次のようなものである。

 去声点は一般に上昇調を意味する。ただし、本来的な上昇下降拍に差された去声点はこの限りでない。また、文節末の、連体形以外の活用形に差された去声点は上昇下降調を意味する。

 例えば「来つどひぬ」〈去平平上上〉(『乾元本日本書紀所引 日本紀私記』)における去声点は、文節末の連用形に差された去声点として上昇下降調を意味するだろう。

 東点を用いる流儀をとる声点本は去声点の使用を嫌わないので上声点が上昇調や上昇下降調を意味することはないけれども、上声点は高平調のほかに短い下降調を意味しうるから、やはり意味解釈を要する。東点を用いる流儀における上声点の解釈規則は、東点を用いない流儀での上声点の解釈規則における長短を問わない「下降調」という言い方を「短い下降調」に換え、かつ上昇調および上昇下降調に関する記述を省けば得られる。

 東点を用いる流儀における上声点は一般に高平調を意味する。ただし、(i.)本来的な下降拍、(ⅱ.)文節末の、連体形以外の活用形の最終拍、(ⅲ.)ある種の助詞の最終拍に差された上声点は、短い下降調を意味する。

 例えば、図名は基本的には東点を用いる流儀によるのだったから、その図名において「あかし」〈平平上〉から「よし」〈平上〉に至る五十前後に及ぶ形容詞の終止形の最終拍に差される上声点は、基本的に本来的な下降拍として短い下降調をとる。岩紀102の「出(い)で立たす」〈平上平平上〉、同112の「打ち鞫(きた)ますも」〈平上平平平平東〉のそれぞれ第二拍に差された上声点は、文節末の連用形(一般)の最終拍として短い下降調で言い得ただろう。「生(な)りけめや」〈平上平平上〉(同104)の最終拍、および「君はや無き」〈上上上上平東〉(同上)の第四拍の「や」は、文節末の柔らかい拍として短い下降調で言われただろう。 [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]


9.おわりに [「上声点の解釈学」冒頭に戻る]

 上声拍は実際にいかなるアクセントで言われたと考えられるかを問うならば、その多義的であることは明らかである。ではその多義性は具体的にどのようなあり方を示すのか。それを記述するには、固有のアクセントを持たない拍、本来的に低いのでも高いのでも下降するのでもない拍、「柔らかい拍」と呼びうる第四の拍の存在を考慮する必要があるだろう。柔らかい拍と本来的な下降拍との性質の差が、例えば低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の最終拍と高起一拍動詞の連用形(一般)との性質の差が考慮されない限り、動詞のアクセントの記述は十全たりえない。それにつけて思い出されるのは、『研究』がすでに、助詞「て」や完了の助動詞「ぬ」のアクセントを記述するに際して、一拍動詞と多拍動詞とを区別していたことである。この区別は、自立語と付属語との複合の程度の差にではなく、本来的な下降拍と柔らかい拍との性質の差に由来すると思われる。柔らかい拍と本来的な下降拍との区別は、『研究』の所説の延長線上にある。あえて言えば、その論理的な帰結としてある。



引用文献
秋永一枝『古今和歌集声点本の研究』資料篇(1972)・索引篇(1974)・研究篇(1980、1991) 校倉書房
秋永一枝ほか『日本語アクセント史総合資料』索引篇 東京堂出版1997
金田一春彦『著作集』第五巻 玉川大学出版部2005
小松英雄『日本声調史論考』 風間書房1971
鈴木豊「岩崎本『日本書紀』声点の認定をめぐる問題点」(web)2008
同『乾元本日本書紀所引 日本紀私記』アクセント史資料研究会1986
高橋宏幸『倭名類聚抄(十巻本系諸本)の語彙と声点』上下(web)
築島裕ほか 東洋文庫蔵岩崎本『日本書紀』貴重本刊行会1978
中井幸比古『京阪系アクセント辞典』 勉誠出版2002
望月郁子『類聚名義抄四種声点付和訓集成』 笠間書院1974

[トップページに戻る]

e-mail:modus@nifty.com