v 高起二拍の下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHHというアクセントで言われる次の下二段動詞は平安時代の京ことばでは高起式であり、終止形はHLと発音されます。この中にはそのまま四段動詞の終止形にもなるものがあります。例えば現代語の「開(あ)く」も「開(あ)ける」も、古くは終止形として同じ「開(あ)く」(あく HL)を持つわけで、こういうとき四段の「あく」と下二段の「あく」とが式を異にすることはありません。
あく【開・空・明】(あく HL)
明けばまた秋のなかばも過ぎぬべしかたぶく月の惜しきのみかは 新勅撰・秋上261・定家。あけンば また あきいの なかンばも しゅンぎぬンべしい かたンぶく とぅきの うぉしきいのみかふぁ。HHLHL・LFLLLHL・LHHHF・LLLHLLL・LLFHLHH。夜が明けたら、今年もまた秋が半分過ぎてしまう。西の山に入ろうとする月が惜しいばかりではない。上は古典的な言い方で、鎌倉時代には第五句は「うぉしきぃのみかわ」など言われることが多かったでしょう。
あぐ【上・挙】(あンぐ HL)
あつ【当】(あとぅ HL)
ある【荒】(ある HL) 文字で書かれた「あるべし」は「有るべし・在るべし」とも「荒るべし」とも解せるわけですけれども、前者は「あるンべしい LLLF」、後者は「あるンべしい HHHF」で、アクセントは異なります。同様に、平安仮名文や王朝の和歌に見られる「あるまじ」「あるらむ」「あるらし」のなかには、本当は「荒るまじ」(あるまンじい HHHF)、「荒るらむ」(あるらムう HLLF」、「荒るらし」(あるらし HLHL)であるにもかかわらず、うっかり(「有」で代表させれば)「有るまじ」(あるまンじい LLLF)、「有るらむ」(あるらムう LHLF)、「有るらし」(あるらし LHHL)に解されているものがあるかもしれません。
いる【入】(いる HL)
惟喬の親王(みこ)の狩しける供にまかりて、やどりにかへりて、夜ひとよ、酒を飲み、ものがたり(雑談)をしけるに、十一日(じふいちにち)の月もかくれなむとしけるをりに、親王、ゑひて、うちへ入りなむとしければ詠みはべりける
あかなくにまだきも月のかくるるか山の端にげて入れずもあらなむ 古今・雑上884・業平(毘が「仲平」を〈平平上平〉〔なかふぃら LLHL〕とするところなどから「なりふぃら LLHL」と推定されます)
これたかの みこの かり しいける ともに まかりて、やンどりに かふぇりて、よお ふぃとよ、しゃけうぉ のみい、ものンがたりを
しいけるに、じふいてぃにてぃの とぅきもお かくれなムうと しいける うぉりに、みこ、うぇふぃて、うてぃふぇえ いりなムうと しいけれンば よみい ふぁンべりける HHHHHHHH・LHFHLHLH・LHLH、LLLHLLHH、LLLL、HHHLF、LLLHLH・FHLH、LLLLLLL・LLF・LHLHFL・FHLLHH、HH、LHH、HLF・HLHFL・FHLL、LFRLHHL / あかなくに まンだきいもお とぅきの かくるるかあ やまのふぁあ にンげて いれンじゅもお あらなム LLHHH・LLFFLLL・LHHHF・LLLFLHH・HHLFLLHL
うう【植】(うう HL)
今よりは植ゑてだに見じ花すすき穂にいづる秋はわびしかりけり 古今・秋上242。いまよりふぁ ううぇてンだに みいンじい ふぁなしゅしゅき ふぉおにい いンどぅる あきいふぁ わンびしかりけり LHLLH・HLHHLLF・LLLHL・LHLLHLFH・HHHLHHL。この「だに」は「せめて…」のほうの意味でしょう。「植えて見ることさえすまい、まして野辺のすすきは見まい」と取る向きもありますけれど、すすきは昔は、いたるところで見かけられたでしょう。宣長すら…、と書こうとして『遠鏡』を見たところ、こうありました(表記は適宜変更します)。「スヽキハドコニモタクサンニアル物ヂヤガ、ソレヤドウモセウコトガナイヂヤガ、今カラセメテハコチノ庭ニナリトモ植ヱテハ見ヌヤウニセウゾ。アノヤウニ薄ノ穂ガデテ、秋ノケシキガ見エレバ、キツウ物ガナシウテナンギナワイ」
うく【浮】(うく HL) 今は「浮ける」とは言いませんけれども、昔は下二段の「浮く」がありました。今の「浮かべる」に当たる言葉で、例えば「涙を浮けて」(なみンだうぉ うけて LLHH・HLH)など使います。下二段の「浮かぶ」もありましたが(後述)、『源氏』ではもっぱら涙は「浮くる」(うくる)ものです。なお名詞「浮け」(うけ HH)は「浮かべるもの」、すなわち今は「浮子(うき)」といわれるところのものを意味します。
伊勢の海に釣りする海士(あま)のうけなれや心ひとつをさだめかねつる 古今・恋一509。いしぇの うみに とぅりしゅる あまの うけなれやあ こころ ふぃととぅうぉ しゃンだめえ かねとぅる HLLLHH・HHHHLLL・HHLHF・LLHLHLH・LLFHLLH。私は浮子なのか? そうではないはずだが落ち着かない、と言っています。こうした「かぬ」のことは後述。なお「尼」は「あま LH」です。
かく【欠】(かく HL) 四段の「書く」は「かくう LF」でした。道長(「みてぃなンが HHHH」だったと考えてよいようです)が詠んだという次の歌はよく知られています。
この世をば我が世とぞ思ふ望月の虧(か)けたることもなしと思へば こおのお よおうぉンば わあンがあ よおとンじょお おもふ もてぃンどぅきの かけたる こともお なしいと おもふぇンば HHHHH・LHHLFLLH・LLLHL・HLLHLLF・LFLLLHL
かふ【替・代・変】(かふ HL)
いのちやは何ぞは露のあだものを逢ふにしかへば惜しからなくに 古今・恋二615。いのてぃやふぁ なにンじょふぁ とぅゆうの あンだものうぉ あふにし かふぇンば うぉしからなくに LLHHH・LHHH・LFLHHHHH・LHHLHHL・LHLLHHH。命が何だ。思う人と逢えたらそんなもの惜しくない。
かる【枯・涸】(かる HL)
きす【着】(きしゅ HL) 「着る」(きる HL)に対する他動詞です。現代語でも「着せる」と「着させる」とは異なるように(子供に服を着せる/子供に服を着させる)、「着す」(きしゅ HL)と「着さす」(きしゃしゅ HHL)とは異なるのでしょう。
きゆ【消】(きゆ HL) 四段の「消(け)つ」(けとぅ HL)に対する自動詞です。
宮より、露おきたる唐ぎぬ参らせよ、経の表紙にせむ、と召したるに結びつけたる
置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人を何にたとへむ 新古今・哀傷775・和泉式部。みやより とぅゆう おきたる からンぎぬ まうぃらしぇよお、きやうの ふぇうしい(推定。呉音と見ておきます。現代京都HLL)に しぇえムうと めしたるに むしゅンび とぅけたる HHLL・LFHLLHLLLH・LHHLF、LHHH・LLLHHFL・LHLHH・HHLLHLH / おくと みいしい とぅゆうもお ありけり ふぁかなあくて きいぇにし ふぃとうぉ なにに たとふぇム HLLLH・LFFLHHL・LLRLH・HLHHHLH・LHHLLLH。娘・小式部の内侍を失ってまもない和泉式部のもとに、主君・中宮彰子から、追善供養の写経の表紙にするので内侍の着ていた露の模様の着物を送るようにという依頼があったので送ったとき添えたという歌。はかなさの象徴である露すら消えずにあるのであってみれば、娘を何にたとえたらよいのかと言っています。この「ありけり」の「あり」は、前(さき)の「干さぬ袖だにあるものを」の「ある」とよく似ています。
くる【暮・暗】(くる HL) 「暗(くら)し」は「くらしい HHF」。天動説で生きていた人々にとって「暮れる」とは世界が「暗く」(くらく)なることだったでしょう。「目の前が暗くなる」という意味の「目くる」(めえ くる LHL)という言い方があって、例えば『栄花』の「浦々の別れ」(うらうらの わかれ LLLLLLLL)の巻にも「目もくれ、心もまどひて」(めえもお くれ 、こころも まンどふぃて LFHL、LLHLLLHH)とあります。名詞「暮れ」は「くれ HH」。なお「黒(くろ)し」は、東京の「くろい」から推察されるとおり旧都では「くろしい LLF」で、「暮る」などとは式が異なります。
紀友則がみまかりにける時よめる
あす知らぬ我が身と思へど暮れぬまのけふは人こそ悲しかりけれ 古今・哀傷838・貫之。きいのお とものりンが みい まかりし とき よめる LLHHHLH・HLHHHLL・LHL / あしゅ しらぬ わあンがあ みいとお おもふぇンど くれぬ まあのお けふふぁ ふぃとこしょ かなしかりけれ LLHHH・LHHLLLHL・HHHHH・LHHHLHL・HHHLHHL。なお、「みまかる」はもともと「身」がかの世に「罷(まか)る」(後述)ことであり、近世の資料に拠らずとも、毘412詞書が「みまかりにければ」に〈上平上平(上上平平)〉(みい まかりにけれンば)を差していることから、ありようは明らかです。すなわちそれは一語の動詞として熟していないようです。「誰々(ガ)、身(ガ)まかる」という言い方は奇妙なようですけれども、現代語でも例えば「何が鼻が長い?」に対して「象が鼻が長い」など答えたりします。次に引くのはこの「あす知らぬ」歌を踏まえて詠まれたらしい、紫式部(おそらく、「むらしゃきしきンぶ LHHHHHL」。「紫」は「むらしゃき LHHL」でした)の歌。
うせにける(ナクナッタ)人の文の(書状ガ)もののなかなるを(何カノ中ニアルノヲ)を見いでて、そのゆかりなる人のもとにつかはしける
暮れぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき 新古今・哀傷856。うしぇにける ふぃとの ふみの ものの なかなるうぉ みいい いンでて、しょおのお ゆかり(推定。近世これとか)なるふぃとの もとおに とぅかふぁしける HLHHLHLLHLL・LLLLHLHH・ℓfLHH・HHHHLHLHLL・LFH・HHHLHL / くれぬ まあのお みいうぉンば おもふぁンで ふぃとの よおのお あふぁれえうぉ しるンじょかとぅうふぁ ふぁかなきい HHHHH・HHHLLHL・HLLHH・LLFHHHL・LFHLLLF
くる【呉】(くる HL) 『土左』(としゃ LL)や『宇津保』(うとぅふぉ HHH)に見えています。
こゆ【越】(こゆ HL) 「越す」は「こしゅ HL」でした。「肥ゆ」は「こゆう LF」。
すう【据】(しゅう HL) ワ行下二段であり(「ウーウースー」〔ウウ(植)・ウウウ(飢)・シュウ〕の三番目)、例えば「据ゑて」は「しゅうぇて HLH」と言われました。『源氏』は次のように終わるのでした。
いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰りきたれば、すさましく、なかなかなりとおぼすことさまざまにて、人の隠しすゑたるにやあらむと、わが御心(みこころ)の、おもひよらぬくまなく落としおきたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。源氏・夢の浮橋(ゆめの うきふぁし LLLHHHH)
いとぅしかあと まてぃい おふぁしゅるに、かく たンどたンどしくて かふぇりい きいたれンば、しゅしゃましく、なかなかなりいと おンぼしゅ こと しゃまンじゃまにて、ふぃとの かくし しゅうぇたるにやあ あらムと、わあンがあ みこころの、おもふぃい よらぬ くま なあく おとしい おき たまふぇりし ならふぃに、とンじょお ふぉんに ふぁンべんめる。LHLFL・LFLHHHH、HL・LLLLHLH・LLFRLHL・LLLHL・LHLHLFL・LLHLL・HHHHHH、HLL・LHLHLLHHHLLHL・LHHHHHH、LLFHHH・HHRL・LLFHLLLHLH・LLLH、LF・LLH・RLHHL。言いさしているのは構わないとして、ずいぶん通りの悪い文とすべきでしょう。誤写の類を考うべきだと思います。「なかなか」のような畳語のことは後にまとめて考えなくてはなりません。今はさしあたり『研究』研究篇上(p.405)に、「恐らく畳語が発生した初めの時期はそうした[「つらつら
HLHL」のような〔表記は変更しました〕]二語連続のアクセントであったろう」とあるのを引いておきます。「御心」を「みこころ」と読んだのは、『源氏』の「賢木」(しゃかき
LLL)、「夕霧」(ゆふンぎり〔後半二拍推定〕)、「東屋」(あンどぅまや LLLL)、「浮舟」(うきふね HHHL)に、新大系本が「み心」とするところがあるのに拠りました。
すぐ【挿】(しゅンぐ HL)
すつ【捨】(しゅとぅ HL)
世を捨てて山に入る人やまにてもなほ憂きときはいづちゆくらむ 古今・雑下956。よおうぉお しゅてて やまに いる ふぃと やまにても なふぉお うきい ときふぁ いンどぅてぃ ゆくらム HHHLH・LLHHHHL・LLHHL・LFLFLLH・LHLHLLH。「いづち」は「どちらの方に」を意味する副詞です。語形としては現代語「こっち」「そっち」のもとの言い方である「こち」「そち」についても同じことが申せて、平安中期の京ことばでは「に」のような助詞を従えません。この二語のアクセントは、「いづち」のそれから、「こてぃ HL」「しょてぃ HL」だろうと考えられます。「いづこ」は「いンどぅこ LHH」、「ここ」は「ここ LH」、「そこ」は「しょこ LH」で、これらは古文献にその旨の注記があります。
そふ【添】(しょふ HL)
人におくれて(先立タレテ)なげきける人につかはしける
なきあとの面影をのみ身にそへてさこそは(サゾカシ)人の恋しかるらめ 新古今・哀傷837・西行(聞書集にも)。
ふぃとに おくれて なンげきける ふぃとに とぅかふぁしける HLHHHLH・LLHHLHLH・HHHLHL / なきい あとの おもかンげえうぉのみい みいにい しょふぇて しゃあこしょふぁ ふぃとの こふぃしかるらめえ LFLHL・LLLFHLF・HHHLH・LHLHHLL・LLHLHLF
そむ【染・初】(しょむ HL) 庶務。「見初(そ)める」など言う時の「初(そ)める」は現代語として普通単独では使わないので、下二の「初(そ)む」のアクセントを現代語から推定することはできません。しかし同じ下二段の「染(そ)む」と「初(そ)む」とは同根とも言われ(十分ありうることでしょう)、じっさい毘・高貞471、553、毘453が「初(そ)む」を高起式とします。
こころざし深く染めてし折りければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ 古今・春上7。こころンじゃし ふかく しょめてし うぉりけれンば きいぇあふぇぬ ゆうきの ふぁなと みゆらム LLLLL・LHLHLHL・LHHLL・HLLLHRLL・LLLLHLH。この「む」は、主格の「の」に終わる「雪の」に対応する述部をしめくくるものなので、連体形です。
吉野川岩波たかくゆく水のはやくぞ人を思ひそめてし 古今・恋一471。『毘』が「そめてし」を「そめてじ」とした上で〈上平平平〉を差します。以下は古典的なアクセントです。よしのンがふぁ いふぁなみ たかく ゆく みンどぅの ふぁやくンじょお ふぃとうぉ おもふぃい しょめてし LLHHH・HHHHLHL・HHHHH・LHLFHLH・LLFHLHH。「岩波」の後半二拍は推定。低くも言われ得たと見られます(「焼きそばパン」)。「岩」は「いふぁ HL」、「波」は「なみ LL」、「藤波」を――「藤」は「ふンでぃ HH」――袖中抄が「ふンでぃなみ HHHH」とし、伏片699が「ふンでぃなみ HHLL」とします。二拍名詞を前部成素とする複合名詞のアクセントを考える際、その二拍名詞の末拍のアクセントは基本的に非関与的です。
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき 古今・恋二553。うたたねに こふぃしきい ふぃとうぉ みいてしより ゆめてふ ものふぁ たのみい しょめてきい HHHHH・LLLFHLH・RHHLL・LLLHLLH・LLFHLHF。毘・高貞が第五句を「たのみそめてぎ」とした上で〈平平上上平上平〉を差しています。これが「たのみい しょめてきい LLFHLHF」からの変化であることは、後の論述から明らかでしょう。
みちのくのしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 伊勢物語初段。みてぃのくの しのンぶ もンでぃンじゅり たれゆうぇに みンだれえ しょめにし われならなくに HHLHL・LHLLLLL・HHHLH・LLFHLHH・LHLLHHH。古今・恋四724は第四句を「乱れむと思ふ」(みンだれムうと おもふ LLLFL・LLH)とします。毘・高貞・訓724が「しのぶ」に〈平上平〉を差すのは植物の「忍(しのぶ)」への注記です。「忍草」も「しのンぶンぐしゃ LHHHL」ですけれども、動詞「忍ぶ」は高起式で「しのンぶ HHL」と言われましたから、シノブに「忍」を当てるのはまさに当て字ではないでしょうか。
たむ【溜】(たむ HL)
つぐ【告】(とぅンぐ HL)
隠岐の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて京なる人のもとにつかはしける
わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよあまのつりぶね 古今・羇旅407・小野篁(うぉのの たかむら HHHHHHH)。おきの くにに なンがしゃれける ときに、ふねに のりて いンでえ たとぅうとて きやうなる ふぃとの もとおに とぅかふぁしける LLLHHH・LLLHHLLLH・LHHHLH・LFLFLH・LLLHL・HLLLFH・HHHLHL / わたの ふぁら やしょしま かけて こンぎい いンでぬうと ふぃとにふぁ とぅンげよお あまの とぅりンぶね HLLLH・HHHHLHH・LFLHFL・HLHHHLF・LLLHHHL。「京」のアクセントは推定。「きやうなる LLHLH」かもしれません。
「やそしま」(やしょしま HHHH)は袖中抄や浄弁本拾遺が〈上上上上〉を差すのによりましたけれども、毘が〈上平平平〉(やしょしま HLLL)、訓が〈上上平平〉(やしょしま HHLL)を差します。「八十」は単独では「やしょ HL」で、「島」は「しま LL」。こういうばあい複合名詞はHHHHで言われることが多くて、例えば「あだもの【徒物】」(あンだもの)、「いはむろ【岩室】」(いふぁむろ)、「くらぼね【鞍骨】」(くらンぼね)、「したくさ【下草】」(したくしゃ)、「なつやま【夏山】」(なとぅやま)、「ならさか【奈良坂】」(ならしゃか)、「ならやま【奈良山】」(ならやま)、「はたほこ【幡鉾】」(ふぁたふぉこ)、「はたもの【機物】」(ふぁたもの)、「ひとくさ【人草】(ふぃとくしゃ)、「ひとごと【人言・人事】(ふぃとンごと)」、「ひらさか【平坂】」(ふぃらしゃか)、「みつまた【三叉】」(みとぅまた)、「むらきく【叢菊】」(むらきく)、「むらくも【叢雲】」(むらくも)がそのいうアクセントをとります。しかし当然ながら必ずそうなるということはなくて、例えば「ふゆくさ【冬草】」には毘338と訓1005とが〈上上上平〉(ふゆくしゃ HHHL)を差していますし、「したぐつ【下沓】」の変化した「したうづ」に図名が〈上上平平〉(したうンどぅ HHLL)を差しています(図名は「之太久豆」〔四拍目濁音〕とするのですが、この「久」は「う」の誤写ではないでしょうか。そう見てはじめて四拍目の濁っていることが理解できます。すなわち「ちうじ【乳牛】」〔てぃうンじ
LLL〕、「あめうじ【黄牛】」〔あめうンじ LLLL〕において末拍が濁っているのと同じことが起こっているのだと思います。ちなみに「牛」は「うし HH」)。訓の〈上上平平〉(やしょしま HHLL)はこの「したうづ」などと同趣ということになります。それから毘の〈上平平平〉(やしょしま HLLL)も、数詞を先立てる言い方では複合が弱いことがあるのは周知であり、何ら奇異なものではありません。実際「みそもじ【三十文字】には、
梅(9) 上上上平(みしょもンじ HHHL)
毘(9) 上上平平(みしょもンじ HHLL)
訓(9) 上平上平(みしょもンじ HLRL)
寂(9) 上平平平(みしょもンじ HHHL)
顕府(9) ○平平平(寂と同じでしょう)
という注記が見られるのですが(「みそ」は「みしょ HL」、「文字」は「もンじ RL」)、梅は「ふゆくさ」と、毘は「したうづ」と同趣のアクセントを与える一方、訓は複合しない言い方を、寂と顕府はその変化した言い方をしているようです。
内容について少しだけ。まあ、自分で漕いだとは考えられないわけですけれども、それはともかくとして、詠み手はここで釣り船に乗っている海人に呼びかけるのではなく、海人の乗っている釣り船に呼びかけています(hypallactic
apostrophe〔代換法的頓呼法〕)。人は日常そういうことをしません。その意味でこの歌は一つの非日常的な言語表現、ないし一つの詩的表現として解され味わわれること求めています。
月夜よし夜よしと人に告げやらば来(こ)てふに似たり待たずしもあらず 古今・恋四692 「月夜」は毘・高貞が〈○○上〉を差すのによります。「てふ」は前(さき)にそうしたように「てふ LH」としておきます。じっさい梅が〈上平上上〉としています。とぅきよ よしい よお よしいと ふぃとに とぅンげ やらンば こおお てふに にいたりい またンじゅしも あらンじゅ LLHLF・LLFLHLH・HLHHL・ℓfLHHFLF・LHLHLLHL
つる【連】(とぅる HL) 現代語では「誰々を連れてゆく」というような他動詞の用法しかありませんけれども、平安時代には「連(つら)なる」「連れだつ」といった意味の自動詞の用法しかなかったようで(「ひきつる」〔ふぃき とぅる HLHL〕のような複合動詞はこの限りでありません)、源氏・松風(おそらく、まとぅかンじぇ LLLH)に「殿上人、四五人ばかり連れて参れり」(てんじやうンびと、しい ごおにんばかり とぅれて まうぃれりい LHHHHHL、LLLHHHL・HLH・LHLF)とあるのも、誰かが殿上人を四五人連れて参上しましたというのではなく(そう見る古語辞典もあります)、殿上人が四五人つれだって参上しました、と言っていると見られます。
とむ【止・泊】(とむ HL) Tom。四段の「富む」も「とむ HL」で(東京アクセントHLは罠なのでした)、終止形は同じ。定家の名高い、
駒とめて袖うちはらふ蔭もなし佐野のわたりの雪の夕暮 新古今・冬671
は、古典的には「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらふ かンげえもお なしい しゃのの わたりの ゆうきの ゆふンぐれ HHHLH・HHLFLLH・LFFLF・HHHHHHH・RLLHHHH」のように言われたでしょう。「佐野」は「しゃの HH」としましたが、「しゃの HL」かもしれません。「狭野」とも書かれた地名のようで、すると「狭(さ)し」という形容詞があってこれは高起式で「しゃしい HF」と言われましたから、「佐野」は高起式でしょう(「野」は「のお L」)。ちなみに「紫野」は「むらゃしゃきの LHHHH」(「紫」は「むらしゃき LHHL」)、「飛火野」は「とンぶふぃの HHHH」(「飛ぶ」は「とぶ HL」、「火」は「ふぃい L」)ですけれども、「交野」は伏片・家462が〈上上平〉、毘・寂462が〈平上平〉とします(かたの HHL、かたの LHL)。
ちなみにこの歌は、鎌倉時代には、「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらう かンげえも なしい しゃのの わたりの ゆきの ゆうンぐれ HHHLL・HHLFLLH・LFLLF・HHHHHHH・HLLHHHH」など言われることが多かったでしょう。するとさきほどのアクセントで言うことはアナクロニックな、おかしなことなのでしょうか? しかし、改めて確認すれば、後に申すとおり、古典的なアクセントは定家の時代にも行われ得たと見られます。他方、発音は、特にハ行音を転呼させないで言う言い方は、古風なものとして聞きなされたかもしれず、あるいはまた、聞き慣れないものとして受け止められたかもしれません。しかし後者の場合でも、例えば二百年前はそのようだったと知ったら、忌避するのではなく、反対に珍重されたのではないでしょうか。ともあれかくもあれ、新古今時代の歌人たちが「こま とめて そで うちはらう かげも なし」式の発音をすることは、近現代の東京にあらわれて現代日本語(近代の日本語も「現代日本語」とされることが多いようです)を学びでもしないかぎりありえませんけれど、例えば二百年前には「こま とめて しょンで うてぃい ふぁらふ かンげえもお なしい」など言われたということを知ることは彼ら彼女らには原理的には可能でした。それにしても、例えば仮名づかいのことを考えれば、定家よりも現代人のほうが、平安中期の京ことばのありようについて相対的に詳しく知っているところがある、といえるわけです。思えば不思議です。
にす【似】(にしゅ HL) 「似る」(にる HL)に対する他動詞です。
ぬく【抜】(ぬく HL) 現代語では「抜けている」はいい意味になりませんけれども、平安時代の京ことばに「人に抜けたり」(ふぃとに ぬけたりい HLHHLLF)という言い方があって、これはほかの人よりも優れている、抜きんでている、といった意味です。「ずばぬける」はこれを強めた言い方なのでしょう。
ぬる【濡】(ぬる HL)
音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ 金葉・恋下469。おとに きく たかしの ふぁまの あンだなみふぁ かけンじやあ しょンでの ぬれもこしょ しゅれ HLHHH・LHHHLLL・HHHHH・LLHFHHH・HLHHLHL。泣くことになるかもしれないので、名うての浮気者とはお付き合いいたしません、ということをアレゴリカルに言っています。伏片・家・梅・毘・京秘915が「高師」に〈平上上〉を差しています。「あだ花」は「あンだンばな HHHH」と言われたようで、また「藤波」に袖中抄が〈上上上上〉を、伏片699が〈○○平平〉を差しています。「藤」は「ふンでぃ HH」、「藤波」は「ふンでぃなみ HHHH」とも「ふンでぃなみ HHLL」とも言われたと見られます。「あだ波」も「あンだなみ HHHH」「あンだンばな HHLL」両様で言われたかもしれません。なお、「もこそ」が多く「…したら困る」といった意味になることはよく知られていますけれども、必ずそういう意味になるわけでもないので、例えば拾遺集(恋一646)に、「いかにしてしばし忘れむ命だにあらば逢ふよのありもこそすれ」(いかに しいて しンばし わしゅれム いのてぃンだに あらンば あふ よおのお ありもこしょ しゅれ HLHFH・LHLHHHH・LLHHL・LHLLHHH・LHLHLHL)という歌があります。何とかしてしばらくのあいだあの人のことを忘れたい。そうでないとしんでしまう。命さえあればまた逢える世が、そして夜が、あるかもしれないのだ。「命さえあったら逢う世が(夜が)あったら困る」は、奇妙な日本語であり、そもそも誤訳です。後に見るとおり、「もぞ」についても同じことが申せます。
のく【退】(のく HL) 四段の「退(の)く」に対する他動詞です。
のす【乗】(のしゅ HL) 「乗る」(のる HL)に対する他動詞です。
はむ【嵌】(ふぁむ HL) 平安時代には「嵌(はま)る」という自動詞はなかったようです。大いにちなみますと、そうした意味は例えば「おちいる」(おてぃい いる LFHL)で出せたでしょう。「陥る」はすなわち「落ち入る」です。例えば今昔物語集の或る説話(25-6)に、胸を射られた狐(きとぅね LHH)が「かしらを立てて、さかさまに池に落ち入りぬ」(かしらうぉ たてて、しゃかしゃまに いけに おてぃい いりぬう LLLHLHH、HHHHH・LLH・LFHLF)とあります。こういう文脈では今は「おちいる」とはまず言わないのですから(言ってもいいのですが)、「おちいる」も古今異義ということになります。
はる【腫】(ふぁる HL) 平安時代には「腫らす」という他動詞はなかったようです。
ほる【惚】(ふぉる HL) 「ぼんやりする」といった意味。「誰々に惚れる」という使い方は平安時代にはありませんでした。
まく【負】(まく HL)
まぐ【曲】(まンぐ HL)
むく【向】(むく HL)
むす【咽】(むしゅ HL) 「むせぶ【咽】」(むしぇンぶ HHL)と式を同じくします。
もゆ【燃】(もゆ HL)
かくとだにえやは伊吹のさしもぐささしも知らじな燃ゆる思ひを 後拾遺・恋一612。かくとだに いぇええやふぁ いンぶきの しゃしもンぐしゃ しゃあしも しらンじな もゆる おもふぃうぉ HLLHL・ℓfHHLLLL・LLLHL・LHLHHFL・HHHLLLH。「いふき(伊吹)」の「いふ」は「言ふ」(連体形なので「いふ」)を兼ねています。「さしもぐさ」には袖中抄の京都大学図書館蔵平松家旧蔵本が〈平上上○○〉を差し、高松宮本の室町期書写部分が〈平上○○○〉を差しています。「さしもぐさ」はお灸に使う「もぐさ」(もンぐしゃ HHH。「燃え草」〔もいぇくしゃ HHHH〕からなのだとか。「よもぎ」〔よもンぎ LHH〕といっても同じ)のことです。広辞苑によれば「灸を点(さ)す」という言い方があるそうで、すると「さしもぐさ」はお灸として点(さ)すモグサということでしょう。「差す」とも書ける「点(さ)す」は低起式です(「しゃしゅう LF」)。それから派生した「差し」が「狩り」などと同様LHで言われたとすれば、「さしもぐさ」が「しゃしもンぐしゃ LHHHL」と言われてもまったくおかしくありません(HHLという終わり方のことは後述)。低起四段動詞「生く」(いくう LF)に由来する成素を冠する、ベンケイソウの異称という「いきくさ【活草】」が「いきくしゃ LHLL」と言われたことも思いあわされます(「草」は「くしゃ LL」)。
やく【焼】(やく HL)
やす【痩】(やしゅ HL)
やむ【止】(やむ HL) 今の「やめる」とは異なり、「やめさせる」「やむようにする」を意味します。四段の「やむ」(やむ HL)は「やめる」を意味しうるのでしたから、一つずつずれる格好です。源氏・帚木の「雨夜の品さだめ」(あまよの〔ないし、あまよの 〕しなしゃンだめ LHLL〔ないしLLLL〕HHHHL。「品」は「しな HH」)において、交際中の女性の嫉妬深さを不快に思う馬の頭(ムまの かみ LLLLH)が、
かうあながちに従ひおぢたる人なめり。いかで懲るばかりのわざしておどして、この方もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ。
かう あなンがてぃに したンがふぃ おンでぃたる ふぃとなんめり。いかンで こるンばかりの わンじゃ しいて おンどして、こおのお かたもお しゅこし よろしくもお なりい、しゃンがなあしゃも やめム。HL・HHLLH・HHHL・HLLH・HLHLHL。HRH・LLLHLL・HLFH・HHLH、HHHLF・LHLHHHLFLF・LLRHLHHH。
と思って、ということは要するに、そういう態度を改めないと別れるぞと言っておどかしてやきもちやきをやめさせようと思って実行してみたところが、案に相違して…という話を、光る源氏たちに向かってしています。後にも実朝が、
時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ
と詠むでしょう。ときに より しゅンぐれンば たみの なンげきなり ふぁてぃンだいりうわう(ないし、りうわう LHHH。当時は「りゆう」としなかったようです) あめえ やめ たまふぇえ LLHHL・LLHLLLL・LLLHL・LLLLLHLL・LFHLLLF。
よす【寄】(よしゅ HL) 「寄るHL」の他動詞形でもありますけれども、自動詞としても使い、例えば現代語でも「波が寄る」と同じ意味で「波が寄せる」というのと同じく、「波、寄す」(なみ、よしゅ LLHL)という言い方をすることができました。波が何を寄せるのかと問うべきではないわけです。
よするなみうちもよせなむわがこふるひとわすれがひおりてひろはむ 土左・二月四日。よしゅる なみ うてぃも よしぇなムう わあンがあ こふる ふぃと わしゅれンがふぃ(ないし、わしゅれンがふぃ) おりて ふぃろふぁムう HHHLL・LHLHHLF・LHLLH・HLHHHHL(ないしHHHHH)・LHHHHHF。波がうち寄せてくれないかな。そうすれば、拾うと人を恋うる苦しさを忘れられるという貝を拾えるだろう。
わる【割】(わる HL) 崇徳院の「瀬を早み岩にせかるる滝川の割れても末に逢はむとぞ思ふ」(詞花・恋上229)は、古典的には、「しぇえうぉお ふぁやみ いふぁに しぇかるる たきンがふぁの われても しゅうぇに あふぁムうとンじょお おもふ HHLHL・HLHLLLH・HHHHH・HLHLHHH・LLFLFLLH」のように言われたでしょう。古くは「滝」(たき HH)は、水の垂直に落ちる滝のほかに、急流も指しました。「たぎつ」(たンぎとぅ HHL)という、現代語「煮えたぎる」の「たぎる」に近い言葉があって、「滝」はこれに由来する言葉と言います。すると清濁が問題になりますけれども、詳細は未詳のようです。とまれ院の歌における「滝川」(たきンがふぁ HHHH)は急流のことでしょう。「滝川」の末拍は「冬川」(ふゆンがふぁ)などに倣った推定です。
をふ【終】(うぉふ HL) 須磨にいる光る源氏の夢に今は亡き父帝があらわれてさまざまなことをいう中に、次のような一節があります。巻はすでに「明石」(あかし HLL)です。
我は位にありし時あやまつことなかりしかど、おのづから犯(をか)しありければ、その罪ををふるほど、暇(いとま)なくて、この世をかへりみざりつれど、(アナタガ)いみじきうれへに沈むを見るにたへがたくて、海に入り、なぎさにのぼり、いたく困じにたれど(困憊シテシマッテイルガ)、かかるついで(機会)に内裏(だいり)に奏すべきことのあるによりなむ、いそぎ上りぬる。
われふぁ くらうぃに ありし とき あやまとぅ こと なあかりしかンど、おのンどぅから うぉかし ありけれンば、しょおのお とぅみうぉ うぉふる ふぉンど、いとま なあくて、こおのお よおうぉお かふぇりい みいンじゃりとぅれンど、いみンじきい うれふぇに しンどぅむうぉ みるに たふぇンがたくて、うみに いり、なンぎしゃに のンぼり、いたく こんじいにたれンど、かかる とぅいンでに だいりに しょうしゅンべきい ことの あるに よりなム、いしょンぎい のンぼりぬる。LHH・HHHH・LLHLL・LLLHLL・RLLHLL、HHHHH・HHH・LHHLL、HHLHH・HHHHL、LLLRLH、HHHH・LLFRLHLHL、LLLFLLLH・HHHHLHH・LLLHLH、LHHHL、LLLHHHL、LHL・LFHLHL、HLHHHHH・LLHH・RHHFLLL・LHHHLHL・LLFHHLLH。サ変「困ず」は呉音と見て「こんじゅう LF」としましたけれども、漢音かもしれなくて、その場合は「こんじゅう RF」です。
ⅵ 低起二拍の下二段動詞 [目次に戻る]
現代東京では終止形がLHLというアクセントで言われる次の下二段動詞は平安時代の京ことばでは低起式であり、終止形はLFと発音されます。
あふ【敢】(あふう LF) 現在、「あえて何々しない」など言ったり、「とりあえず」など言ったりするのに含まれている、現代語で言えば「あえる」は、もともとは下二段の「敢(あ)ふ」という動詞です。東京で「あえて」と言わず「あえて」と言うのは、平安時代の京ことばではこの動詞が低起式だった名残です。
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)もみぢのにしき神のまにまに 古今・羇旅420。こおのお たンびふぁ ぬしゃもお とりい あふぇンじゅ たむけやま もみンでぃの にしき かみの まにまに HHHLH・LLFLFLHL・LLLHL・LLLLLLH・LLLHHLH。この「とりあへず」は「用意できていません」といった意味。「まにまに」(まにまに HHLH)は寂・毘129が〈上上平平〉を差すのを古い〈上上平上〉からの変化と見ました。「手向け山」の最後の二拍は推定。「たむけやま LLLLL」などかもしれません。「手向け」単体は「たむけ LLL」という低平連続の言い方で言われますから、「山」がついてもそのアクセントは変わりようがありません。三拍名詞に「山」が付くものへの注記としては、顕府(27)の「つくはやま(筑波山)」〈上上上上平〉(とぅくふぁやま HHHHL)、寂(27)、訓(61)の「つくばやま(筑波山)」〈上上上上平〉(とぅくンばやま HHHHL)があるくらいのようです。なお、しばしば言われるとおり「たうげ(峠)」は「たむけ」の変化したもので、室町時代までは峠のことも「たむけ」と言っていたようです。「手向け」は神仏などにものを供えることで、峠では手向けをする習いだったところから手向けをする場所もメトニミックに「たむけ」と言われるようになりました。「たむけ」はまず「たムげ」に変化して、それが「たうげ」になったのではないでしょうか。三拍目が濁っているのは二拍目がもとは鼻音だったからだと思います。
あふ【和・韲】(あふう LF) 「今は昔」(いまふぁ むかし LHHHHH。もう昔のこと)、物売りの女が、商売の途中でしたが、またひどく酔っている最中でもあって、売り物を入れた桶の傍らで眠りこけていました。しばらくしてその女ははっと目をさまし、間、髪を容れず売り物を入れた桶に首を突っ込んで、食べたものを吐き入れてしまいます。その一部始終をある男が見ていて、「あな汚(きたな)」(あなきたな LLLLH。何と汚い)と思って近寄って桶のなかを見てみますと、売り物は鮨鮎(すしあゆ)(しゅしあゆう LLLF) でした。鮎(あゆう LF)の馴鮨(なれずし)、鮎と飯とを乳酸発酵させた、強烈なにおいのするものです(飯は食さず捨てるのが普通だったのだそうです)。男がなおも見ていると、
ひさき女(め)、「あやまちしつ」(ヘマヲシタ)と思ひて、いそぎて手を以てその吐(つ)きたるものを鮨鮎にこそ和(あ)へたりけれ。これを思ふに(コノコトヲ考エテミルト)、すしあゆ、もとよりさやうだちたるものなれば(アアイウモノナノデ)、何とも見えじ(何ガカカッテイルカ分カラナイダロウ)。さだめて(サダメシ)その鮨鮎売りけむに人食はぬやうあらじ。
ふぃしゃきめ、あやまてぃ しいとぅうと おもふぃて、いしょンぎて てえうぉお もて しょおのお とぅきたる ものうぉ しゅしあゆうにこしょ あふぇたりけれ。これうぉ おもふに、しゅしあゆう、もとより しゃやうンだてぃたるものなれンば、なにともお みいぇンじい。しゃンだめて しょおのお しゅしあゆう うりけムに、ふぃと くふぁぬ やう あらンじい HHHH・LLLLFFL・LLHH・LLHH・LHLH・HHHLLHLLH・LLLFHHL・LHLHHL・HHHLLHH・LLLF・LLHL・LLLLHLHLLHLL・LHLFLLF・LLHH・HHLLLF・HLLHH・HLLLHLL・LLF。
人の胃から出た酸っぱいものが振りかけられていても食する人はそのことに気づかないだろう、というところに、馴れずしというもののすごさがよく出ています。語り手によれば、男は恐怖に駆られて逃げ去り、そののち人にも「な食ひそ」(なあ くふぃしょ HLHL。食べてはいけない)と言い、みずからなどは、「鮨鮎を見てはものくるはしきまで唾(つはき)を吐(は)きてなむ、立ちて逃げける」(しゅしあゆううぉ みいてふぁ、ものくるふぁしきいまンで とぅふぁきうぉ ふぁきてなムう、たてぃて にンげける LLLFH・RHH・LLLLLLFLH・LLLHLHHLF・LHHLHHL)というありさまだったそうです。『今昔』(31-32)に見えているお話でした。
いく【生】(いくう LF) 現代語で「花を生ける」などいう、その「生ける」の古い言い方です。自動詞「生きる」の古い言い方である四段の「生く」に対する他動詞形であり、「生きさせる」「生かす」を意味します。現代語では「生けて捕る」と言いませんが「生け捕りにする」とは言います。これは無論「生けて」(いけて。生かして)捕ることです。この「生く」には「しんだものを生き返らせる」という意味があるとし、その例として、源氏・浮舟(うきふね HHHL)の、横川の僧都の妹さんが浮舟を「生け果てて見まほしう」(いけえ ふぁてて みいまふぉしう LFLHH・LLLHL)思うところを引く辞書もありますけれど、これは誤解で、ここで僧都の妹さんは正体不明の若い人を生き延びさせてみたく思っているのに過ぎません。
いゆ【癒】(いゆう LF) 漢文脈で使う固い言い方のようで、和文では、のちに申すとおり「おこたる」(おこたる HHHL)、「おこたり果つ」(おこたり ふぁとぅう HHHLLF)といった言い方をしたようです。
いづ【出】(いンどぅう LF) 英語 undo に倣って言えばindo ですが、こんな英語はありません。
うく【受】(うくう LF)
恋せじと御手洗川にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな 伊勢物語65。こふぃ しぇンじいと みたらしンがふぁに しぇえしい みしょンぎ かみふぁ うけンじゅもお なりにけるかなあ LLHFL・HHHHHLH・HHHHL・LLHLHLF・LHHHLLF。第五句は「なりにけるかな LHHHLHL」ともできます(詳細後述)。「御手洗川」のアクセントは推測ですけれども、「紙屋川」は「かみやンがふぁ HHHHL」、「最上川」は「もンがみンがふぁ HHHHL」、接辞「御(み)」にはじまる言葉は高起式なので、これら二つと同趣と考えてよいと思います。古今集(恋一501)には「うけずもなりにけらしも」「うけずぞなりにけらしも」として収めますけれども、後者は文法的に問題があるかもしれません(「ぞ」の結びの連体形が「も」を従えることは一般的でないようです)。前者における「も」の重複は特に奇妙なものでありません。昔は神さまに何かをお願いする時にもみそぎということをしたようで、ここでは、「恋せじ」というお願いをするためにそうしたのを、神さまは受け入れてくれなかったようだよ、と言っています。「恋せじ」は「もう誰かを好きになんかならない」という悲しい決意ではなく、すでに関係の生じている天皇ご寵愛のお后への恋心がどうかなくなりますように、露見したら身の破滅ですから、というお願いです。
うう【飢】(ううう LF) ワ行下二段であり、例えば「飢ゑず」は「ううぇンじゅ LHL」のように言われました。こちらは低起、「植う」は高起(うう HL)。
かく【掛・懸】(かくう LF)
かぬ【兼】(かぬう LF) canoe[kənúː] に近いようです。
新しき年のはじめにかくしこそ(コンナフウニ)千歳をかねて(千年先マデモ祝シテ)楽しきを積め 古今・大歌所(おふぉうたンどころ LLLLHHH)の御歌1069。毘が「かねて」に〈平上上〉を差しています。あたらしきい としの ふぁンじめに かくしこしょ てぃとしぇうぉ かねて たのしきいうぉ とぅめ LLLLF・LLLHHHH・HLHHL・LLLHLHH・LLLFHHL。「楽しき」の「き」は「木」(きい L)を兼ねていて、「御薪」とも「御竈木」とも書く「みかまぎ」と呼ばれるたきぎを積もう、積み上げよう、と言っているのだそうです。
ただ同じ下二段の「かぬ」でも、「何々しかねる」など言う時の「かねる」に当たる「かぬ」は高起式(かぬ HL)だったと思います。『梅』が次の歌の「寝(い)ぞ寝(ね)かねつる」に〈(平上)上上平(平上)〉を差しています。
石上(いそのかみ)古(ふ)りにし恋の神(かみ)さびてたたるに我は寝(い)ぞ寝かねつる 古今・誹諧1022。いしょの かみ ふりにし こふぃの かみしゃンびて たたるに われふぁ いいンじょお ねえ かねとぅる HLLLH・LHHHLLL・LLHLH・LLHHLHH・LFFHLLH。恋が付喪神(つくもがみ)めいたものになって祟るので寝られないと言っています。
こむ【籠・込】(こむう LF)
花の色はかすみにこめて見せずとも香をだにぬすめ春の山かぜ 古今・春下91。ふぁなの いろふぁ かしゅみに こめて みしぇンじゅともお かあうぉンだに ぬしゅめえ ふぁるうの やまかンじぇ LLLLLH・HHHHLHH・LHLLF・HHHLLLF・LFLLLLH。
こゆ【肥】(こゆう LF) 「越える」に当たる「越ゆ」は「こゆ HL」でした。
さく【裂】(しゃくう LF) 名詞「裂け」は「しゃけ LL」でしょう。「鮭」も「しゃけ LL」。平安びとは「サケ」と「シャケ」とを区別しなかったわけです。ちなみに伝統的な現代京ことばでは「鮭」は「さけぇ」のようです。「鮭」と「裂け」と。『宇治拾遺』の第十五話が思い出されます。
さぐ【下】(しゃンぐう LF)
さゆ【冴】(しゃゆう LF) 「凍(こほ)る」(こふぉる HHL)の同義語です。
天の原空さへ冴えやわたるらむ氷と見ゆる冬の夜の月 拾遺・冬242・恵慶。あまの ふぁら しょらしゃふぇ しゃいぇやあ わたるらム こふぉりと みゆる ふゆの よおのお とぅき LLLLH・LHHHLHF・HHLLH・HHHLLLH・HLLLLLL
空はなほかすみもやらず風さえて雪げにくもる春の夜の月 新古今・春上23・良経。しょらふぁ なふぉお かしゅみもお やらンじゅ かンじぇ しゃいぇて ゆきンげに くもる ふぁるうの よおのお とぅき LHHLF・HHLFHHL・HHLHH・LLLHLLH・LFLLLLL。「雪げ」は「雪気」で、雪の降りそうな様子。「雪」は古典的には「ゆうき RL」、後に「ゆき HH」でした。「気(け)」は「けえ L」(呉音)。「雪気」のアクセントは推定です。
さむ【覚・冷】(しゃむう LF)
子におくれてはべりける頃、夢に見てよみはべりける
うたたねのこの世の夢のはかなきに覚めぬやがての命ともがな 後拾遺・哀傷564・実方(しゃねかた LLHL。「実(さね)」は「しゃね LL」、人名「元方」は「もとかた LLHL」(「元(もと)」は「もと LL」)などから、こう推定されます)。こおにい おくれて ふぁンべりける ころ、ゆめに みいて よみい ふぁンべりける HH・HHLH・RLHHLHL・LLHRH・LFRLHHL / うたたねの こおのお よおのお ゆめの ふぁかなきいに しゃめぬ やンがての(あるいは、やンがての)いのてぃともンがなあ HHHHH・HHHHLLL・LLLFH・LLHHHHH(あるいは、HHLL)・LLHLHLF。「この」は「此の」と「子の」とを兼ねます(アクセントも同じ)。「やがて」(ソノママ)の末拍のアクセントは不明。亡児の夢を見てはかなく(=あっけなく)覚め、この世のはかなさを思うにつけ、覚めずにそのまま生きられたらよいと思う、といったことでしょう。新大系の『平安私家集』に収める『実方集』には「さめぬやがてのうつつともがな」とあります。「うつつ」のアクセントは、「いのち」と同じくLLHです(「うとぅとぅ LLH」)。
ここで「寝さむ」のことを。現代語で「寝ざめる」というから古くは一語の「ねンじゃむ HHL」という動詞があったろうと予想してもおかしくはないわけですけれども、実際にはあったのは二語の「寝さむ」(ねえ しゃむう FLF)だったと思います。と申すのは寂1002が「ねさめて」に〈上平○○〉を差しているからです。第二拍が清んでいるうえに
〈上上平○〉のような注記ではないのです。「寝て覚める」といった意味で「ねえ しゃむう FLF」と言えたことは無論ですけれども、寂1002(長歌)の「寝さめて」は「小夜ふけて山ほととぎす鳴くごとに誰(たれ)も寝さめて」(しゃよ ふけて やまふぉととンぎしゅ
なくンごとおに たれも ねえしゃめて HHLHH・ LLLLLHL・HHLFH・HHLHLHH)という文脈にあらわれるもので、これは申すまでもなく夜が更けて不如帰が鳴くたびに寝て覚めたと言っているのではありません。こういう「寝さむ」は逐語的には「寝ることが覚める」「眠りが覚める」といった意味であり、それは「ねえ しゃむう HLF」と発音せらるべきものだと思われます(「寝」はさしあたり引いておきます)。ちなみに一語の名詞「寝覚」は連濁した「ねンじゃめ HHH」でよいかもしれません。「蚕(こ)」(こお H)と「飼ふ」(かふう LF)とからなる「蚕飼(こがひ)」(こンがふぃ HHH)という名詞があります。
次の歌にもこの「寝さむ」があらわれます。
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜ねさめぬ須磨の関守 金葉・冬288 あふぁンでぃしま かよふ てぃンどりの なく こうぇえに いくよ ねえ しゃめぬう しゅまの しぇきもり LHHHH・HHHLHLL・HHLFH・LHLHLHF・HLLLLLH。「淡路島」は伏片や寂そのほかの古今集声点本が高起式としますけれども、書紀の乾元本が「淡路」に〈平上平〉(あふぁンでぃ LHL」を差しています。形容詞「淡し」は低起式です(「あふぁしい LLF」)。式のちがいからただちに誤点とすることはできませんが、低起形容詞の二拍の語幹と一拍名詞とからなる言い方には、「くろき【黒木】」(くろき
LLL)、多数派は「わかぎ【若木】」(わかンぎ LLL)のような言い方だとはいえ、「くさぎ【臭木】」(くしゃンぎ LHH。「木」は「きい L」)、「たかな【高菜】」(たかな LHH。「菜」のアクセントは諸説あり)、「たかね【高嶺】」(たかね LHL。「嶺は「ねえ H」)、「ながえ【長江】」(なンがいぇえ LHF。「江」は「いぇえ F」)、「ながて【長手】」(なンがて LHH。「手」は「てえ L」)、「にがな【苦菜】」(にンがな LHH)、「ふるえ【古枝】」(ふるいぇえ LHF。「江」は「いぇえ F)のようなものもあることを踏まえ、「あふぁンでぃ LHL」をヨリ古い言い方と見ておきます。その場合でも「淡路島」は、「あやめぐさ」(あやめンぐしゃ LHHHL」(単独では「あやめ LHH」「くしゃ LL」)などと同じく「あふぁンでぃしま LHHHL」と言われたとも、「たつたがは」(たとぅたンがふぁ LHHHH」(単独では「たとぅた LHL」「かふぁ HL」)と同じく「あふぁンでぃしま LHHHH」と言われたとも考えられます。
「幾夜(いくよ)」のはじめの二拍は、「いくそばく」〈平上上平平〉(いくしょンばく LHHLL。梅・毘・訓464)、「いくばく」〈平上平平〉(いくンばく LHLL。梅1013)、「幾世」〈平上上(いくよ LHH。梅934)から明らかですが、これに「夜(よ)」(よお L)はどう付いたでしょう。「臭木」(くしゃンぎ LHH)のように付いたかも知れず、「藁火(わらび)」(わらンび LHL。「藁」は「わら LH」、「火」は「ふぃい L」)のように付いたかも知れません。
さて、あるいは少数派に属する解なのかもしれませんけれど、この歌において「須磨の関守」は呼びかけととるのが自然です。須磨の関守よ、淡路島通いの千鳥の鳴く(泣く)声に幾夜も幾夜も寝覚めたか。例えば、
夏の夜の月待つほどの手すさびに岩もる清水幾むすびしつ 金葉・夏154。「水に対して月を待つ」(みンどぅに たいしいて とぅきうぉ まとぅう)という題で詠まれたもの。なとぅの よおのお とぅき まとぅ ふぉンどの てしゅしゃンびに いふぁ もる しみンどぅ いくむしゅンび しいとぅう HLLLL・LLLHHLL・LLHLH・HLLHLHH・LHHHHFF。
は、私は幾たびも幾たびもも掬(すく)ったといっていて、これは数を特定したいと思って発した疑問文ではありませんし、
いくとせの春に心を尽くしきぬあはれと思へ(私ヲイトオシンデクレ)みよしのの花 新古今・春下100・俊成。いくとしぇの ふぁるうに こころうぉ とぅくし きいぬう あふぁれえと おもふぇえ みよしのの ふぁな LHLLL・LFHLLHH・HHLRF・LLFLLLF・HHHHHLL。「心を尽くす」は古今異義で「物思いの限りを尽くす」というのです。「心づくしの愛妻弁当」なども古今で大いに意味が異なります。
も、私は来る年も来る年も一つことを繰り返してきたというのですが、次の歌ではそうではなくて、「淡路島かよふ千鳥」の歌はこれなどと同趣の言い方をしていると見られます。
年へたる宇治の橋守こととはむ幾世になりぬ水の水上(みなかみ) 新古今・賀743。とし ふぇえたるうンでぃいの ふぁしもり こと とふぁムう いくよに なりぬう みンどぅの みなかみ LLRLH・LFLHHHL・LLHHF・LHHHLHF・HHHHHHH。「橋守」(ふぁしもり HHHL。「橋」は「ふぁし HL」)は「門守」(かンどもり HHHL。「門(かど)」は「かンど HL」)、「防人=崎守」(しゃきもり HHHL。「崎」は「しゃき HH」)そのほかに倣った推定です。
なお、「淡路島かよふ千鳥」の歌に関して、疑問詞を伴う言い方であるにもかかわらず「ねさめぬ」の「ぬ」(完了の「ぬ」)が終止形であるのをとがめる向きもありますけれど、「幾(いく)なになに」という言い方ではむしろこうあるべきことは今引いた三つの歌を見ても明らかです。ついでながら、「らむ」のような言葉が省かれていると見るのは恣意的に過ぎます。
長くなりついでに、この最後の歌の本歌も引いておきましょう。
ちはやふる宇治の橋守汝(なれ)をしぞあはれとは思ふ(知リ合ッテカラ)年のへぬれば 古今・雑上904。てぃふぁや ふる うンでぃいの ふぁしもり なれうぉしンじょお あふぁれえとふぁ おもふ としの ふぇえぬれンば HHHLH・LFLHHHL・LHHLF・LLFLHLLH・LLLRHLL
しむ【占】(しむう LF) 現代語「占める」は占有することを意味しますけれども、もともとは、占有しているという標(しるし)を付けることで、そこから「占有する」という意味でも使うようになったのだそうです。占有しているという標(しるし)を「しめ」(しめ LL)と言います。「標縄(しめなは)」――おそらく「しめなは LLLL」――の「しめ」はこれですが、「しめ」は「標縄」に限られません。
しむ【締】(しむう LF)
すゆ【饐】(しゅゆう LF) 今でも飲食物が腐って酸っぱくなるという意味て「すえる」と言います(「すえた匂い」)。すなわち「すゆ」の「す」は「酢」で、「酢」は確かに昔の都では「しゅう L」と言われました。「酸っぱい」を意味する「酸(す)し」(しゅしい LF)という形容詞があり――今でも「酸いも甘いも噛みわけた」など言います――、この形容詞がそのまま名詞になったのが「鮨(すし)」です。この名詞は平安時代には「しゅし LL」と発音されたようです。
せむ【攻・責】(しぇむう LF) 名詞「せめ」(しぇめ LL)は「攻」ではなく「責」を当てた方がよいようで、「非難すること」「催促すること」などを意味したようです。
たく【闌・長】(たくう LF) 現代語では「この人は何々に長けている」といった言い方は時に聞く一方「日が闌ける」「年が闌ける」などはあまり聞きませんけれども、元来「高くなる」(たかく なる LHLLH)ことですから、「日、闌く」(ふぃい たくう F・LF)「年、闌く」(とし たくう LL・LF)のような言い方がもともとのものであり、「高し」(たかしい LLF)と式を同じくするのは当然ということになります。
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山 新古今・羇旅987・西行(『西行法師歌集』にも)。とし たけて また こゆンべしいとおもふぃきやあ いのてぃなりけり しゃやの(ないし、しゃやの)なかやま LLLHH・HLHHHFL・LLHHF・LLHLHHL・LHL(ないしHHH)LLLL。
たつ【立・建】(たとぅう LF) 「横」(よこ HH)と対になる「縦」(たてえ LF)も、「矛・鉾」(ふぉこ LL)と対になる「盾」(たてえ LF)も、この低起動詞に由来するようです。
たぶ(たンぶう LF) 「たまふ」(たまふう LLF)のつづまったもの。語形から申せば現代語「食べる」の前身ですけれども――アクセントもこの現代語が参考になります――、「たぶ」は、現代語の「いただく」と同じく、「食ふ」(くふう LF)や「飲む」(のむう LF)のかしこまりへりくだった言い方ですから、「食べる」と同一視はできません。
たむ【矯】(たむう LF)
たふ【堪・耐】(たふう LF)
思ひわびさても(ソレデモ)命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり 千載・恋三818。おもふぃい わンび しゃても いのてぃふぁ ある ものうぉ うきいに たふぇぬふぁ なみンだなりけり LLFHL・LHLLLHH・LHLLH・LFHLLHH・LLHLHHL
たゆ【絶】(たゆう LF) 現代語「絶える」には「何々が絶える」という自動詞の用法しかありません。平安時代の京ことばの「絶ゆ」も一般に同断とされるようですけれども、こちらには「絶やす」「絶えるにまかせる」といった意味が、ということは他動詞としての用法があるようです。ちなみに平安時代には「絶やす」という動詞はなかったと見られます。
文屋康秀が三河の掾(じよう)になりて「あがた見には(田舎ヲ見ニハ)え出でたたじや」と言ひやれりける返りことに詠める
わびぬれば身をうきくさの根を絶えてさそふ水あらば往なむとぞおもふ 古今・雑下938・小野小町(うぉのの こまてぃ HHHHHL、ないし、うぉのの こまてぃ HHHHHH)。
ふムやの やしゅふぃンでンが みかふぁの じやうに なりて「あンがた みいにふぁ いぇええ いンでえ たたンじやあ」と いふぃ やれりける かふぇりことに よめる HHHHLLHHH・HHHH・LHHHLHH・「LLLRHH・ℓfLFLLHF」L・HLHLHHL・LLLLLH・LHL / わンびぬれンば みいうぉお うきくしゃの ねえうぉお たいぇえて しゃしょふ みンどぅ あらンば いなムうとンじょお おもふ HLLHL・HHHHHLL・LHLHH・HHHHHLHL・HHFLFLLH。私は浮草。ここ都で途方に暮れていますから、もしどこかに誘う水があったならば、根を絶やして行ってしまおうと思います。しかしあなたは「誘う水」ではありません。事実上誘っているのに「あらば」と言うのですから、本気かどうかは別として「おことわりします」と言っていると見るべきでしょう。「うきくしゃ HHHL」としたのは、「いはくさ【岩草】」(いふぁくしゃ)、「うしくさ【牛草】」(うしくしゃ)、「ふゆくさ【冬草】」(ふゆくしゃ)がそのアクセントであることからの推定です(「草」は「くしゃ LL」。「岩」は「いふぁ HL」、「牛」は「うし HH」「冬」は「ふゆ HL」)。
友達の久しくまうで来ざりけるもとに詠みてつかはしける
水の面(おも)に生(お)ふる五月の浮草の憂きことあれや根をたえて来ぬ 古今・雑下976。
ともンだてぃの ふぃしゃしく まうンで こおンじゃりける もとおに よみて とぅかふぁしける HHHHH・LLHL・LHLRLHHL・LFH・LHHHHHLHL / みンどぅの おもに おふる しゃとぅきの うきくしゃの うきい こと あれやあ ねえうぉお たいぇて こおぬう HHHLLH・LLHHHHH・HHHLL・LFLLLHF・LHLHHLH。上の句は「憂き」と言おうとして置いたもの。何かがいやになってしまったかして全然来てくれないのですか。「絶えて」は「(根を)絶やして」という意味の「絶えて」と「全然」というほどの意味のイディオム「絶えて」とを兼ねています。
人の国にも、事うつり世の中さだまらぬ折はふかき山に跡を絶えたる人だにも、をさまれる世には白髪(しろかみ)をも恥ぢず出でつかふるたぐひをこそ、まことの聖(ひじり)(聖賢)にはしけれ。源氏・澪標。ふぃとの くににも、こと うとぅりい よおのお なか しゃンだまらぬ うぉりにふぁ ふかきい やまに あとうぉ たいぇたる ふぃとンだにもお、うぉしゃまれる よおにふぁ しろかみ(後半二拍推定) うぉも ふぁンでぃンじゅ いンでえ とぅかふる たンぐふぃこしょ、まことの ふぃンじりにふぁ しいけれ。HLLHHHL、LLLLF・HHLH・ LLLLH・LHH・LLFLLH・LHHLHLH・HLHLF・LLHLHHHH・LLLLHLLHL・LF・HHHHLLLHL・HHHH・LHLHH・FHL。も
こういうことであってみれば、次の歌における「絶え」もまた他動詞でしょう。
由良の門(と)を渡る船びと楫緒(かぢを)絶えゆくへも知らぬ恋の道かも 新古今・恋一1071。ゆらの とおうぉお わたる ふなンびと かンでぃうぉ たいぇえ ゆくふぇもお しらぬ こふぃの みてぃかもお HHHHH・HHHLLLH・HHHLF・HHLFHHH・LLLHHLF。「由良」は現代京都でHHなのを、旧都以来のものと見ておきます。小倉百人一首では第五句「恋の道かな」(こふぃの みてぃかなあ LLLHHLF)。「ふなびと(舟人)」を「ふなンびと」としたのは、「あきびと【商人】」「あまびと【海人】」「かちびと【徒人】」「よみびと【詠み人】」がLLLHだと見られること(あきンびと、あまンびと、かてぃンびと〔図名がこの変化した「かちむど」に〈平平平上〉を差しています〕、よみンびと)などからの推定です(「海人(あま)」は「あま LL」、「徒(かち)」は「かてぃ LH」)。
その上で、この歌の「かぢを」は「楫を」ではなく「楫緒」でしょう。この「楫」は、私は長いあいだ誤解していましたけれども、船の方向を変えるためのものではなく(それは「舵(かじ)」。この成立は室町時代か)、船を進ませるのに必要な櫂(かい。オール)や櫓のことを言います。さて舟とオールとが綱でつながっていなくても舟は行方も知らぬ状態にはならないでしょうけれど、舟と櫓とをつなぐ綱、広く申せば「楫緒」ですが特定すれば「早緒(はやを)」と呼ばれるものは、そのおかげで少ない力でも舟を進ませられるところのものであり、それがないと櫓というものがすこぶる操作しにくくなる、そのようなもののようです(この「早」は「手っ取り早い」「能率的な」といった意味なのでしょう)。昔の舟にもこの「早緒」のあったことが次の引用から知られます。
おもへば、舟に乗りてありく(動キ回ル)人ばかりあさましうゆゆしき(恐ルベキ)者こそなけれ。よろしき(マアマアノ)深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて漕ぎ出づべきものにもあらぬや。まして底ひも知らず、千尋(ちひろ)などもあらむに物をいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、下衆(げす)(庶民)どものいささかおそろしとも思ひたらで(思ワナイ様子デ)走りありき、つゆあしうもせば(下手ヲシタラ)沈みやせむと思ふに、おほきなる松の木などの二三尺ばかりにてまろなる、五つ六つほうほうと投げ入れなどするこそいみじけれ。
やかたといふものの方(かた)にて(船屋形(ふなやかた)ノアル後方デ櫓ヲ)押す。されど(何ダカンダ言ッテモ)奥なるはいささか頼もし(安心シテ見テイラレル)。端(はた)に立てる者こそ(見テイルコッチガ)目くるる心地すれ。「早緒」と付けて櫓とかにすげたるものの弱げさよ。かれ(アレ)が絶えなば何にかはならむ。ふと落ち入りなむを、それだに太くなどもあらず。枕・うちとくまじきもの(290。うてぃい とくまンじきい もの LFLLLLFLL)
おもふぇンば、ふねに のりて ありく ふぃとンばかり あさましう ゆゆしきい ものこしょ なけれ。よろしきい ふかしゃ なンどにてンだに しゃる ふぁかなきい ものに のりて こンぎい いンどぅンべきい ものにも あらぬやあ LLHL、LHHHLH・LHH・HLLHL・HHHHL・LLLFLLHL・LHL。HHHF・LHHRLHHHL、LH・LLLFLLH・HLH・LFLLLFLLHL・LLHF。まして しょこふぃも しらンじゅ、てぃふぃろ なンどもお あらムに ものうぉ いと おふぉく とぅみ いれたれンば、みンどぅンぎふぁふぁ たンだあ いっしゃくンばかりンだに なきいに HLH・HHHLHHL、HHHRLF・LLHH・LLHHLLHL・HLHLLHL、HHHHH・LF・LLLLLHLHL・LFH、げしゅンどもの いしゃしゃか おしょろしいともお おもふぃたらンで ふぁしりい ありき、とぅゆう あしうもお しぇンば、しンどぅみやあ しぇえムうと おもふに、おふぉきいなる まとぅの きい なンどの にいしゃむじゃくンばかりにて まろなる、いとぅとぅ むとぅ ぽんぽんと(多くの言語がp音を持つようなので、平安時代の京ことばも持ったのではないかと考えます。アクセントは適当です)なンげえ いれ なンど しゅるこしょ、いみンじけれ。LHHLL・LLHL・LLLFLF・LLHLHL・LLFLHL、LF・LHLFHL・HHLFHHL・LLHH、LLFHL・LHLLRLL・LLLLLLHLHH・HHLH、LLL・HL・HLHLL・LFHLRLHHHL・LLLHL。
やかたと いふ ものの かたにて おしゅ。しゃれンど おくなるふぁ いしゃしゃか たのもしい。ふぁたに たてる ものこしょ めえ くるる ここてぃ しゅれ。「ふぁやうぉ」と とぅけて ろおとかあに しゅンげたる ものの よわンげしゃよ。かれンが たいぇなンば、なににかふぁ ならム。ふと(推定) おてぃい いりなムうぉ、しょれンだに ふとく なンどもお あらンじゅ LLHL・HHLLLHLHH・HL。LHL・LHLHH・LLHLLLLF。HHHLHLLLHL・LHHHLLLHL。「LLL」LLHH、HLFH・HLLHLLL・LLLHL。HLHLHHL・LHHHH・LLH。LL・LFHLHHH、HHHL・LHLRLFLHL。「はやを」を「ふぁやうぉ
LLL」としたのは、同趣のパタンの複合名詞では低平連続調が多数派を占めるようだからです。例えば「早し」「黒し」「長し」「若し」はLLF(ふぁやしい、くろしい、なンがしい、わかしい)、「緒」「戸」「柄」「血」はH(うぉお、とお、いぇえ、てぃい)、「くろど(黒戸)」「ながえ(轅=長柄)」「ながち(長血)」「わかご・わくご(若子)」はいずれもLLL(くろンど 、なンがいぇ 、なンがてぃ 、わかンご・わくンご )と発音されます。なお「『早緒』と付けて」は「『早緒』と付けたる(呼バレテイル)」ということだと思います。「委託法」に関する小論をご覧ください。
たる【垂】(たるう LF) 「よだれを垂れる」という言い方は現代語としておかしい、「よだれが垂れる」か「よだれを垂らす」だ、とお思いの向きもあるでしょうけれども、現代語として「よだれを垂れる」は、「よだれを垂らす」と同じ意味の、言う言い方です。ただ一般的ではないかもしれません。さて平安時代の京ことばでは下二段の「垂る」は他動詞でもあって、「よだれを垂れる」を直訳したのに近い「よたりを垂る」(よたりを たるう HHHH・LF)は言う言い方でした。当時は「垂らす」という言い方はなく、この下二段の「垂る」を使いました。注意すべきことに、下二段の「垂る」には、現代語「垂れる」とは異なり自動詞の用法はありませんでした。「何々が垂れる」という時の「垂れる」に当たるのは四段の「垂る」で、例えば水が垂直に落ちる「滝」を意味する「たるみ【垂水】」の「たる」はこれです。たる みンどぅなれンば、たるみなり(LHHHLHL、LLLHL)。「たるみ」が低平連続なのは熟しているからです。伊豆(いンどぅ HH)の名所「河津七滝」(かわづななだる)において「滝」が「たる」と読まれる理由はすでに明らかです。
いま一例。「よだれが垂れない」に当たるのは「よたり、垂らず」(よたり、たらンじゅ HHH、LHL)です。「よたり」の「たり」は、もとはと申せば四段の「垂る」の連用形で、すると「よたり、たる」(よたり、たるう HHH、LF)は元来は畳語なのでしょう。さて現代語に「よよと泣く」という言い方がありますけれど、この言い方は平安時代にもありました。「さくりもよよと泣く」とも言いました(「さくり」はさしあたり「しゃくり
LLL」ですけれども、擬音でしょうから、促音無表記と見て現代語と同じく「しゃっくり」と発音すべきかもしれません。「さくりもよよと」における「さくり」の性格はよく分かりません)。さて古語辞典は、この「よよと」がよだれや水のしたたるさま、酒などをしたたらせながら飲むさまなども言うことを教えます。すると「よだり」の「よ」はこの擬音「よよと」に由来するのではないでしょうか。例えばよだれのことを「だらだら」と呼ぶ地域があってもおかしくないわけです(英語でも何と〔saliva、slaverのほかに〕droolと言うそうです)。よよと垂れるので、よだり。こう決めてしまうと、「よよと」のアクセントは文献に注記がありませんけれども、「よたり」が「よたり HHH」なのだから「よよと HLL」だろうと考えてよいだろうと思えてきます。高起一拍語の反復は、「瀬々」(しぇンじぇ HL)や「世々」(よよ HL)から一般にHLではないかと見られるからです。次の引用は『蜻蛉の日記』の天禄元年のある日の記事。夫婦生活の思わしくない道綱の母が十六歳の息子に話しかけます。
「いかがはせむ(モウドウシヨウモナイワ)。形をかへて(出家シテ)世をおもひ離るやとこころみむ」と(息子ニ)かたらへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、「さなりたまはば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは世にもまじらはむ」とていみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさに(オオゴトニナッタノデ)、たはぶれに言ひなさむとて「さて鷹飼はではいかがしたまはむずる」と言ひたれば、やをら(オモムロニ)立ちはしりて、しすゑたる鷹を握りはなちつ。
「いかンがふぁ しぇえムう。かたてぃうぉ かふぇて よおうぉお おもふぃい ふぁなるやあと こころみムう」と かたらふぇンば、まンだあ ふかくもお あらぬなれンど、いみンじう しゃくりもお よよと なきて、「しゃあ なりい たまふぁンば、まろも ふぉふしいに なりてこしょ あらめえ。なに しぇえムにかふぁ よおにも まンじらふぁム」とて いみンじく よよと なけンば、われも いぇええ しぇきい あふぇねンど、いみンじしゃに、たふぁンぶれに いふぃ なしゃムうとて、「しゃあてえ たか かふぁンでふぁ いかンがあ しい たまふぁムうじゅる」と いふぃたれンば、やうぉら たてぃい ふぁしりて、しいしゅうぇたる たかうぉ にンぎり ふぁなてぃとぅう 「HRHHHH。HHHHHLH・HH・LLFLLHFL・LLLLF」L・HHHLL、LFLHLFLLHLHL・LLHL・LLLFHLLHLH、「LLFLLHL、LHLLLHH・LHHHLLLF。LHHHHHH・HHLLLLLH」LH・LLHLHLLHLL・LHLℓfLFLLHL・LLHHH・HHHHHHLLLFLH、「LHHHLHLH・HLFFLLLFHH」LHLLHL、HHHLFLLHH・FHLLHHHH・HHLLLHF。「したまはむずる」は「したまはむとする〔しい たまふぁムうと しゅる FLLLFLHH〕のつづまったものです)
つく【付】(とぅくう LF) 『源氏』には、桐壺の巻(きりとぅンぼの まき HHHLLHL)の「それにつけても世のそしりのみおほかれど」(しょれに とぅけても よおのお しょしりのみい おふぉかれンど HHHLHHL・HHHHHLF・LHLHL)以下、六(む)ところに、「それにつけても」という言い方があらわれます。何となく現代語っぽいような気がしますけれども、事実は古くからあるのでした。
つむ【詰】(とぅむう LF)
とく【解・溶】(とくう LF)
思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結ふ手もたゆく解くる下紐 古今・恋一507。おもふともお こふともお あふぁム ものなれやあ ゆふ てえもお たゆく とくる したふぃも LLHLF・LHLFLLH・LLHLF・HHLFLHL・LLHHHLL。「下紐」――古くは「したびも」だったとも言いますけれど、毘・高貞・寂では第三拍は清みます。「下(した)」は「した HL」、「紐(ひも)」は「ふぃも HH」――は要するに下着の紐で、これが自然に解けると逢える、という俗信があったそうです。「思ふとも…」は、そういう俗信があり、我が下紐が自然に何度も何度も解けて結ぶのに手の疲れるくらいであり、かつあの人を思い恋しがっているのにもかかわらず、まったく逢えない、と嘆く歌です。
とぐ【遂】(とンぐう LF)
なぐ【投】(なンぐう LF)
なづ【撫】(なンどぅう LF)
あな恋し今も見てしかやまがつのかきほに咲けるやまとなでしこ 古今・恋四695。あな こふぃし いまも みいてしかあ やまンがとぅの かきふぉに しゃける やまとなンでしこ LLLLH・LHLRHLF・LLLLL・HHHHHLH・LLHHHLL。「今も」は「今この時も」ということではなく「すぐにでも」ということでしょう。現代語の感覚から推すと「…にても」と言いそうなところをたんに「…も」ということは、平安時代のものにはいくらも見られます。詠み手の眼前にはやまとなでしこがあって、それによって「撫でし子」(なンでし こお LLHH。恋の歌なれば含意は明らか)に逢いたいという気持ちが呼びさまされた趣です。「やまがつ」のアクセントはLLLL、LLLF、LLLH、LLHL、LLHHのどれかだろうということしか分かりません。かりにLLLLとしておきます。
「大和(やまと)」は「やまと LLH」、花の「撫子(なでしこ)」は「なンでしこ LHLL」で、ここから、「やまとなでしこ」は「やまとなンでしこ LLHHHLL」と言えばよいのではないかという推測が成り立ちます。LLHというアクセントの三拍名詞を前部成素とする複合名詞は、例外も少なくないのですが、
やまと歌 やまとうた LLHLL(「うた HL」〔御子左家の読みでした〕)
あぶら綿 あンぶらわた LLHHL(「あンぶら LLH」、「わた LL」)
なみだ川 なみンだンがふぁ LLHHL(「なみンだ LLH」、「かふぁ HL」)
飛鳥川 あしゅかンがふぁ LLHHHH(「あしゅか LLH」)
吉野川 よしのンがふぁ LLHHH(「よしの LLH」)
のようにLLHというアクセントを保つことが多く、また、複合名詞の後部成素が四拍の場合、その式によらず、
湯かたびら ゆかたンびら LLHLL(「ゆ L」、「かたンびら LLLL」
片孤(かたみなしご)(父母のいずれかをなくした子) かたみなしンご LLLHLL(「片恋(かたこひ)」〔かたこふぃ LLLL。片思いのこと〕、「片端(かたはし)」〔かたふぁし LLLL〕などに見られるとおり、複合名詞の先頭の「片」は「かた LL」、「みなしご」は「みなしンご HHHL」)
妹姑(いもしうとめ)(妻の姉妹) いもしうとめ LLLHLL(「いも LH」、「しうとめ HHHH」)
女友達(をむなともだち) うぉムなともンだてぃ HHHHHLL(「うぉムな HHL」、「ともンだてぃ HHHH」)
女はらから(をむなはらから) うぉムなふぁらから HHHHHLL(「ふぁらから LLLL」)
のように最後の二拍だけを低く言うことが多いからです。
いま少し。古くは山椒(さんしょう)――「さんしょ」はそのつづまった言い方――を「はじかみ」(ふぁンじかみ HHHH)と言いました。「山椒魚」が「はじかみいを」(ふぁンじかみいうぉ HHHHHL」であることも文献から知られますけれど、中国から生姜(しょうが)が伝来すると、この生姜を「呉(くれ)のはじかみ」(くれのふぁンじかみ HHHHHHH)とか、「あなはじかみ」(あなふぁンじかみ LLLHLL)など言い、山椒を特に「草はじかみ」(くしゃふぁンじかみLLLHLL)、「房はじかみ」(ふしゃふぁンじかみ LLLHLL)など言うようになったそうです。「あなはじかみ」の「あな」は「穴」(あな LL)しか考えられず、「草」は「くしゃ LL」、「房」は「ふしゃ LL」です。
なむ【舐・嘗】(なむう LF)
なる【慣・馴】(なるう LF)
なゆ【萎】(なゆう LF) 対応する他動詞に「なやす」(なやしゅう LLF)があって、『蜻蛉の日記』(かンげろふのにっき LLHLLLLL)の安和元年(968)の記事に、同じ着物を何日も着てクタクタになったさまを言うらしい「着なやす」(きいなやしゅうFLLF)という言い方が見えています。旅先で、自分の着物を、牛車のすだれも下すだれもすべて開け放ち外光のもとで見るという、当時の貴族の女性としては珍しかっただろうことをしてみると、「着なやしたるものの色もあらぬやうに(別ノモノノヨウニ)見ゆ」(きい なやしたる ものの いろもお あらぬやうに みゆう FLLHLH・LLLLLF・LLHLLHLF)というのです。なお、金属を鍛錬してなえさせること、「粘りやしなやかさを出す」(岩波古語)ことなども言うそうです。
にぐ【逃】(にンぐう LF) 「逃がす」は「にンがしゅう LLF)です。
のぶ【伸・延・述】(のンぶう LF) 上二段の「のぶ」(今の「のびる」)に対する他動詞としては今は「のばす」が好まれますが、平安時代には下二段の「のぶ」が使われました。今は「のべる」は、「金の延べ棒」「日延べ」「救いの手を差し伸べる」など、特定の言い方で使われることが多いでしょう。「述べる」は「延べる」や「伸べる」と同根ですが、「のばす」という意味合いは薄く、すでに別語というべきかもしれません。
はぐ【剥・禿】(ふぁンぐう LF) 「剥ぐ」の例としては、『落窪物語』の巻一に、あるうるし塗りの箱(うるしぬりの ふぁこ HHHHHHHH)についてそのうるしが「ところどころ剥げたる」(ところンどころ ふぁンげたる HHHHHLLHLH)という言い方をしている一節があります。「ところどころ」は、しばしば誤訳されてしまうのですが、現代語の「ところどころ」ではなく「あちこち」に当たる言い方です。アクセントは、高起六拍名詞のたいへん好んでとる言い方がここでもとられる、と見ての推定です。『京ア』によれば今でも京都からみた周辺部の複数地域ではこのアクセントだそうです。
次に、「禿ぐ」の早い例としては、鎌倉時代初期の成立と言われる『宇治拾遺物語』に四つほど出て来るのを挙げることができます。その一つ目は「頂(いただき)禿げたる大童子(だいどうじ)」(第15話。いたンだき ふぁンげたる だいンどうンじ HHHHLHLH・LLLHL。「大童子」は呉音と見て、中古音から推定しておきます)というもので、頭頂部が禿げているという今と同じ言い方をしていますけれども、残りの三つは少し異なります。すなわち、一つは「髪もはげて」(かみもお ふぁンげて LLFLHH。第136話)という言い方、いま一つは「鬢(びん)はげたる男(をのこ)」(第77話。びん ふぁンげたる うぉのこ LHLHLHHHL。「鬢」のアクセントは推定。近世においてこれであり、二拍四類のアクセントは平安時代から基本的には変わりません)という言い方、三つ目は「ゆゆしく大(おほ)きなるむささびの年ふり毛なども禿げ、しぶとげなる」(第159話。ゆゆしく おふぉきいなる むしゃしゃンびの とし ふりい けええ なんどもお ふぁンげえ、しンぶとンげなる LLHLLLFHL・HHLLL・LLLF・ℓfLHLF・LF、LLLLHL。「しンぶとンげ」はHHHLかもしれません)という言い方です。つまり、髪の毛やひげや体毛が禿げるのです。それらが薄くなって地肌が見えるのです。現代語ではあたまが禿げるのであって、「私、御覧のとおり髪がだいぶんはげました」とはまず言わないでしょう。しかし現代語でも「(表面の)ペンキが剥げる」という言い方をするのでしたから、「髪が禿げる」は言える言い方ではあるのでしょう。。
最後に、平安時代のものには髪のはげた人を「はげ」と言う例はないようです。現代東京ではこの意味での「はげ」は①で言われますが、『26』には「主ニ第一上(=①)」とあるので、明治時代には②の言い方、「はげが」「はげを」といった言い方もできたと想像されます。
ばく【化】(ばくう LF) 「ばけ」(ばけ LL)という名詞があって「術」という漢字を当てます。あなたは「必ず良き術(ばけ)あらむ」(かならンじゅ よきい ばけ あらムう HHHL・LFLL・LLF)、それを用いて私の命を「救ひたまへ」(しゅくふぃ たまふぇえ HHLLLF)という台詞が『書紀』にあるそうです(「かならず」は「仮ならず」〔かりならンじゅ HHLHL〕のつづまったものです)。識者の見るところ、この「術(じゅつ)」といった意味の「術(ばけ)」が転じて「化けること」を意味する「化(ば)け」という言い方が生まれ(「妖術」のような言葉を想起してよいのでしょう)、それを動詞にしたものが下二段の「化(ば)く」(ばくう LF)なのだそうです。つまり動詞から名詞が派生したのではなく、その逆ということのようです。四段の「化かす」(ばかしゅう LLF)は鎌倉初期より古いものには見えないようですけれど、古くからあったと見ていけないこともないのでしょう。
はす【馳】(ふぁしゅう LF)
はつ【果】(ふぁとぅう LF) 名詞「果て」は「ふぁて LL」です。
あづま路(ぢ)の道のはてよりもなほ奥つ方に生(お)ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあなるをいかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、よひゐなどに、姉、ままははなどやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままにそらにいかでかおぼえ語らむ。更級日記・発端
あンどぅまンでぃいの みてぃの ふぁてよりもお なふぉお おくとぅかたに おふぃい いンでたる ふぃと、いかンばかりかふぁ あやしかりけムうぉ、いかに おもふぃい ふぁンじめける ことにかあ、よおのお なかに ものンがたりと いふ ものの あんなるうぉ いかンで みいンばやあと おもふぃとぅとぅ LLLFL・HHHLLHLF・LFLLLHLH・LFLHLHHL、HLLHLHH・LLHLHLHH、HLH・LLFHHLLHLLHF、HHLHH・LLLHLL・HHLLL・LHHLH・HRHRLFL・LLHHH、とぅれンどぅれなる ふぃるま、よふぃうぃ なンどに、あね、ままふぁふぁ なンど やうの ふぃとンびとの、しょおのお ものンがたり、かあのお ものンがたり、ふぃかる ぐうぇんじいのお あるやう なンど、ところンどころ かたるうぉ
きくに、いとンど ゆかししゃ ましゃれンど、わあンがあ おもふ ままに
しょらに いかンでかあ おンぼいぇえ かたらム HHLLHL・HHH・HHHRLH、HH、HHHHRLLLL・HHLLL、HHLLLHL、FLLLLHL、LLHLLLHH・LHLLRL、HHHHHL・HHHHHHH、HHH・HHHHHHLL、LHLLHHHH・LHH・HLHFLLFHHHH。「つれづれ」(とぅれンどぅれ HHLL)は、図名の「しなじな」(しなンじな HHLL)や「ますます」(ましゅましゅ HHLL)を参考にした推定です。「品(しな)」は「しな HH」。「増す」は「ます HL」。「つれづれ」が高起式であることは後述します。「ぐゑんじ【源氏】」(漢音)のアクセントも推定で、近世も現代京都も高平連続調ですけれども、「漢字音資料庫」によると中古音は、一漢字一記号としてLFないしLR。仮に「ぐうぇんじい LLLH」と見ておきます。「いとど」(マスマス)はもとはと申せば「いといと」(いと いと HLHL)のつづまったもので、『梅』や『伏片』のような古今集声点本が〈上上上〉を差します。
はゆ【生・映・栄】(ふぁゆう LF) 名詞「はえ」は「ふぁいぇ LL」です。「はやす」は「ふぁやしゅう LLF」。
はる【晴】(ふぁるう LF) 芽が膨らむことを「張る」と言ったので、「春」の語源は「張る」だとする向きもありますけれど、「春」は「ふぁるう LF」、「張る」は「ふぁる HL」です。「春」の語源を「晴(は)る」(ふぁるう LF) と結びつける方が、冬も晴れるとはいえ、まだ自然です。なお「腫(は)る」は「ふぁる HL」でした。なお当時は「晴らす」という動詞は使わなかったようです。「恨みを晴らす」など言うときの「晴らす」は「やる HL」で示せました。
ひゆ【冷】(ふぃゆう LF) 「冷やす」は「ふぃやしゅう LLF」です。
ふく【更】(ふくう LF) 「日が闌(た)ける」とは日が高くなることだったように、「夜が更(ふ)ける」(夜、更(ふ)く〔よお、ふくう LLF〕)とは夜が深くなることです。「深し」は「ふかしい LLF」と言われました。ちなみに「夜更け」という名詞は当時はなかったようです。
ふす【伏・臥】(ふしゅう LF)
ほく【惚・耄・呆】(ふぉくう LF) 今の「ぼける」です。
ほゆ【吠】(ふぉゆう LF) かなりなまった "for you"。『枕』の「すさましきもの」(しゅしゃましきい もの LLLLFLL。興ざめなもの)の段に、「昼ほゆる犬。春のあじろ」(ふぃる ふぉゆる いぬ。ふぁるうの あンじろ)などあります。
ほむ【誉】(ふぉむう LF) 語形上はむろん現代語の「誉める」に当たりますけれども、例えば「生徒が教師を誉める」には立場が逆転したかのようなニュアンスがあるのではないでしょうか。平安時代の京ことばにおける「誉(ほ)む」(ふぉむう LF)では事情はちがっていて、これは「そしる」(しょしる HHL)といった言葉の反対語であり――「誉めたりそしったりする」という意味で「誉めそしる」という言い方をするところが『枕』の「説教の講師は」の段(30)に見えています――、「誉める」のほか、「賞賛する」「(高く)評価する」「すごいと言う」といった意味で使える言葉だったようです。ちなみに「誉(ほまれ)」(ふぉまれ LLL)はこの動詞の受け身形「誉めらる」(ふぉめらるう LLLF)」の名詞化した「誉められ」(ふぉめられ LLLL)のつづまったもののようです。「言ふ」(いふ HL)と「謂(いは)れ」(いふぁれ HHH)との関係と同趣です。
まず【混・交】(まンじゅう LF) 東京アクセントの「饅頭」(③)に少しだけ似ています。
みす【見】(みしゅう LF)
君ならで誰(たれ)にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る 古今・春上38。きみならンで たれにかあ みしぇム ムめの ふぁな いろうぉも かあうぉも しる ふぃとンじょお しる HHLHL・HHHFLLH・HHHLL・LLHLHHL・HHHLFHH。現代語で「知る人ぞ知る名店」など言うのはもとをたどればこの歌に由来するのでしょうけれども、「ぞ」とあって「知る」と結ぶので、この「知る」が連体修飾語として体言を修飾することは、きちんとした平安時代の京ことばの語法としてはあり得ません。
みゆ【見】(みゆう LF) 「見栄を張る」の「見栄」はこの動詞の連用形から派生した言い方ですけれども、平安時代にはまだ成立していないようです。
秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどかれぬる 古今・秋上169。あきい きいぬうと めえにふぁ しゃやかに みいぇねンどもお かンじぇの おとにンじょ おンどろかれぬる LFRFL・LHHLHLH・LLHLF・HHHHLHL・LLLLHHH
めづ【愛】(めンどぅう LF)
昔、男ありけり。いと若きにはあらぬこれかれ友達ども集まりて、月を見で[脱文アルカ]、それが中に一人、
おほかたは月をもめでじこれぞこの(コレガアノ)積もれば人の老いとなるもの (伊勢物語88。むかし、うぉとこ ありけり。いと わかきいにふぁ あらぬ これ かれ ともンだてぃンども あとぅまりて、とぅきうぉ みいンで(…)、しょれンが なかに ふぃとり HHH・LLLLHHL。HLLLFHHLLH・HHHL・HHHHHL・LLHLH・LLHRL(…)、HHHLHH・LHL、/ おふぉかたふぁ とぅきうぉも めンでンじい これじょ こおのお とぅもれンば ふぃとの おいと なる もの LLHLH・LLHLLLF・HHLHH・HHLLHLL・LLLLHLL。「おほかた」のアクセントは推定。「大(おほ)~」の「おほ」は「おふぉ LL」であり、それに続く「~」はもともとのアクセントを保つことも多く、例えば総合索引によれば「大石」は「おふぉいし LLHL」のようです(「石(いし)」も「方(かた)」もHL)。大方は「月を見て」とするところを、ここでは「月を見で」だろうと考えてました。あまり若くはない男どもが集まって、まあお酒でも飲んでいて、みなさん月はめでない。それで業平が、大方の人は月なんでめでないでしょうねえ、これが積もり積もって人は老いる、そういうものですからね、と、めでない理由を正当化してみせつつ、無風流を皮肉っている趣と見るのです。
ゆづ【茹】(ゆンどぅう LF)
わく【分】(わくう LF) 「区別する」「わきまえる」「見分ける」といった意味の四段の「分く」も低起式で、この「わきまえる」の「わき」は元来その連用形に由来する名詞「わき」(わき LL)なのでしょう。似た語構成の動詞に「数まふ」(かンじゅまふ LLHL)があります。「数」は「かンじゅ LH」。
早(はや)うよりわらは友だちなりし人に年頃へてゆきあひたるが(偶然出会ッタガ、ソノ人ガ)、ほのかにて、七月十日のほどに月にきほひて(沈ム月ト競ウヨウニ)帰りにければ
めぐりあひて見しやそれとも分かぬ間にくもがくれにし夜半の月かな 紫式部集
ふぁやうより わらふぁともンだてぃなりし ふぃとに としンごろ ふぇえて ゆき あふぃたるンが、ふぉのかにて ふンどぅき とうぉかの ふぉンどに とぅきに きふぉふぃて かふぇりにけれンば LHLHL・LLHHHLLHLH・HLH・LLLLRH・HLLHLHH、LHLHH、HHHHHHH・HLH・LLHLLHH・LLHHHLL/ めンぐり あふぃて みいしいやあ しょれともお わかぬ まあにい くもンがくれにし よふぁあの とぅきかなあ HHLLHH・LHFHHLF・LLHHH・LLLHLHH・LFLLLLF。新潮古典集成によります。新古今・雑上1499や小倉百人一首は「夜半の月影」(よふぁあの とぅきかンげえ LFLLLLF)。「わらはともだち(童友達)」を「わらふぁともだてぃ LLHHHLL」としたのは推定です。「わらは」は「わらふぁ LLH」で、後に申すとおり「わらはともだち」の前部成素「わらは」はこのアクセントを保つと考えられます。後部成素のアクセントについては「女友達」(うぉムなともンだてぃ HHHHHLL)が参考になります。「女」は「うぉムな HHL」、「友達」は「ともンだてぃ HHHH」。「年ごろ」も、「月ごろ」(とぅきンごろ LLLL。「年」も「月」もLL。「頃」は「ころ HL」。近世資料HHHL)などを参考にした推定。再会したと思ったらあわただしく帰ってしまったおさな友達に後日贈った歌なのでしょう。この歌で直接歌われているのは月ですけれども、平安時代の京ことばでは「それ」(しょれ HH)はごく普通に「その人」(しょおのお ふぃと HHHL)も意味し得たので、その分、見たのは確かに「それ」なのかが分からないうちに「それ」が見えなくなってしまった、という意味を持たせやすいと申せます。ちなみに、現代語には「誰なのか分からない」といった言い方がありますけれども、古くは「誰なるか知らず」「誰か知らず」などは言いません。そういう意味のことは「誰とも知らず」(たれともお しらンじゅ HHLFHHL)とか、「その人とも知らず」(しょおのおふぃとともお しらンじゅ HHHLLFHHL)とか、「それとも知らず」(しょれともお しらンじゅ HHLFHHL)など言いました。