8 理論的考察(Ⅱ)  [目次に戻る]

 a 低下力 [目次に戻る]

 あれこれの必要な迂回をしながら、動詞が文節中でどうふるまうかを考えます。重要なところです。
 まず、〝低下力〟なる概念を紹介します。概念と申しても、概略、「後続の拍を低めようとする力」という意味の、すこぶる素朴なるものです。例えば岩紀の次の四例における、下線の引かれた〈上平〉は、ということは二拍のなす下降調は、後続の拍を低めようとする力を持っていて、じっさい後続の拍のアクセントはその力に屈して低まっています。

 米(こめ)だにも〈平平上平平〉(岩紀107。こめンにも LLHLL。二つあるうちの一つ目)

 かくしもがも〈上平平上平東〉(同102。こうだったらなあ。くしンがお HLLHLF。第四拍の上声点は原文では東点。どちらでもここの論旨には影響しません)

 つかはすらしき〈上上上平平平東〉(同103。とぅかふぁしゅらしい HHHLLLF)

 説明にさきだって改めて一言。以下も、ひきつづき、ひらがなとアルファベットとによってアクセントを示しご参考に供しますが、その際、多くの場合、例えば、鎌倉後期成立の『訓』(古今訓点抄)16の「家居(いへ)しせれば」〈平平平上上平平〉に続いて、「いいぇいしぇれンば LLLF・HLL」とではなく、「いふぇうぃしぇれンば LLLF・HLL」と記す、というようなことをします。つまり、古典的と考えられる発音を記します。「家居しせれば」に対する訓の〈平平平上上平平〉は、それが西暦千年ごろ「いふぇうぃしぇれンば LLLF・HLL」と発音されただろうことを、示すとは言えなくても示唆するのであり、そういうものとして訓なら訓の注記を援用しているのです。アナクロニズムの廉で告発なされませんように。古典的なアクセントと考えられるもののありようを、のちの時代の文献なども参考にして考えてみようというのが、そしてそれを実際に発音してみようというのが、このサイトの趣旨なのでした。
 さて上の四例において、下線で示した〈上平〉の次に位置する助詞「も」「し」、助動詞「らし」の初拍は、いずれも低平調をとっていますけれども、それらはもともと低いのではありません。
 一つずつ見ておくと、まず、現代京都では助詞「も」は常に低く言われますが、平安時代の京ことばではそうではなくて、例えば岩紀107に二度あらわれる「米(こめ)だにも」の二つ目には〈平平上平東〉(こめンお LLHLF)が差されますし(末拍を東点と見るのは、鈴木さんの「岩崎本『日本書紀』声点の認定をめぐる問題点」〔web〕に拠ったのです)、前紀45(の原本)も「畏(かしこ)くとも我(あれ)養はむ」に〈平平上平平東・平上・上上上上上〉(かしくとお あれ やしなふぁム)を差します。常に低いのではない助詞「も」が、岩紀107の一つ目の「米だにも」〈平平上平平〉(こめンにも LLHLL)では低まっているのは、あるいは写し違いかもしれませんけれど、実際にそうも発音できたことは確かでそれが記されている、と考えることもできます。そして、低くも言えるとしたらそれは、先立つ二拍の〈上平〉がそれを可能にしているのです。少しさきまわりをしますが、今、FとHLとをまとめて「下降形式」と呼ぶことにすれば、平安時代の京ことばにおいて下降形式は、同一文節内にある後続の拍が低平調でない場合、それを低平調にする力を持っているようなのです。そのような力を素朴を恐れず「低下力」と呼ぶことにすると、平安時代の京ことばでは、低くない拍は、同一文節内において下降形式を先立てる時、その低下力によって低く言われうるようなのです。岩紀の「米だにも」〈平平上平平〉(こめンにも LLHLL)が誤点でないならば、先行する〈上平〉の低下力によって「も」の低まったさまがそこには記されているということになります。
 二つ目の「かくしもがも」は「こうあってほしいよ」といった意味であり、副詞「かく」(く HL)が強調の助詞「し」を従えていますけれども、この「かくしもがも」は、のちにも見るとおり、例えば〈上平上平上平〉(もンも HLHLHL)なども言いうる言い方で、岩紀102の〈上平平上平東〉ではその「し」が「かく」の低下力に屈しています。念のために申せばこの「し」がもともと低いのでないことは、前紀42などからも知られます。

 ちはや人(びと)宇治の渡りに棹取りに早(はや)けむ人し我が対人(もこ)に来む(てぃふぁやンびと うンでぃいの わたりに しゃうぉ とりに ふぁやふぃい わあンがあ もここおムう HHHHL・LFLHHHH・LLLHH・LLHLHLF・LHLLHLH。宇治川で溺れさせられている大山守皇子(おおやまもりのみこ)の歌で、皇子はそうして操舵のうまい人に援助を求めたのでした(but in vain)。

 最後の「つかはすらしき」〈上上上平平平東〉(とぅかふぁしゅらしい HHHLLLF)は、のちに見るとおり〈上上上平上平東〉(とぅかふぁしゅい HHHLHLF)がもともとの言い方と見られます。
 こうして、「こめだにも」〈平平上平東〉、「かくしもがも」〈上平上平上平〉、「つかはすらしき」〈上上上平上平東〉とも言える一方、これらにおいて東点や上声点を差されている「も」「し」「ら」を低くも言えるのは、さきだつ〈上平〉に低下力があって、それが後続の助詞や助動詞の一部を低めたのだと申せます。
 岩紀には平安初中期の京ことばのアクセントが記されていると見られるのでしたけれども、改めて申しますと、当時の京ことばにおいて、助詞・助動詞は一般にそれらに先行する自立語からアクセント上は独立していたとする、なかば定説化しているらしい見方があります(例えば「て」は先だつ動詞に連用形を要求しますから文法的には動詞と「て」とは切り離せませんが、アクセントについては同断でないとするわけです)。しかしながら、上に申した岩紀の三例において付属語や付属語の一部の低まっていたことを見るだけでも、先行する自立語からの付属語のアクセント上の独立という一般的なテーゼの成り立たないことは明らかです。
 このことは図名からも分かるので、そこに見られる、

 あたかも〈平上平平〉(あかも LHLL。元来「あたか」が「も」を従えた言い方です)

 おもふらむ〈(平)平上平平〉(おもらム LLHLL)

といった注記にも、低下力の働いたあとが認められます。のちにも見るとおり、「おもふらむ」は〈平平上平東〉(おもう LLHLF)が古典的な形(「らむ」は終止形と見ておきます。連体形ならば「ら LH」)がもともとの言い方ですから、これらの言い方では、助詞「も」、助動詞「らむ」の終止形(ないし連体形)の末拍という、もともと低平調をとるのではないものが、二拍のなす下降調の持つ低下力に負けています。
 ただ平安初期には、そして中期にも、「米だにも〈平平上平東〉(こめンお LLHLF)」のような、付属語やその一部などが低下力に屈さずに卓立する言い方のほうが、屈して卓立しない言い方よりも多かったようです。すなわち、低下力に屈しない言い方を「古典的」と呼び、低下力に屈する言い方をそこからの変形として理解してよいようです。
 さて「に」や「て」のような助詞についても、基本的には「も」や「し」のような助詞などと同じことが申せます。
 ちがいがないのではありません。「に」や「て」のような助詞は、先覚の見るとおり、「も」や「し」とは異なり本来的に高平調をとるといってよいのですが、この「に」や「て」に終わる言い方はと申せば、岩紀には「飯(いひ)にゑて」〈平平上東上〉(104。「飯に飢(う)ゑて」〔いふぃうぇて LLHLHH〕の省略的な言い方です〔後述〕)や、「をろがみて」〈平平上平上〉(102。うぉろン LLHLH)のような言い方しか見えず、前紀でも、多く見られるのは「並べて」〈上上平上〉(46。ならンべ)、「あがもふ(=あがおもふ)妻に」〈平上平上上平上〉(51。ああンがあふ とぅ LH・LHHLH)のような言い方であり、図名でも、多く見られるのは、「つひに」〈平東上〉(とぅふぃ LFH)、「おほきにす」〈平平東上東〉(おふぉに しゅう LLFHF。大きくする)、「着て」〈東上〉( FH)、「あやまちて」〈平平上平上〉(あやてぃ LLHLH)のような言い方であって、これらでは、「に」や「て」といった助詞は先だつ拍の低下力に抗してその本来の高さを保っています。それらの助詞には、「も」や「し」とは異なる、低下力に屈しない力強さが認められます。反対に申せば、低下力はまだ「に」「て」のような助詞に対して、十分強くはありません。
 しかし、古くは「に」「て」は低下力にまったく屈しなかったというようには申せません。例えば、

 おほきに〈平平上平〉(図名。おふぉいに LLFL。「大きく」という意味でしょう)

において「に」の低いのは、第三拍の低下力によると考えられます。古典的には「おほきに」は〈平平東上〉(おふぉ LLFH)と言われたと考えられます。じっさい「おほきうみ」に図名は〈平平東平上〉(おふぉいう LLFLH)を差していました。しかるに図名の「おほきに」〈平平上平〉において「に」は低い。この「おほきに」の第三拍は東点を用いる流儀における短い下降調か、用いない流儀における長短不明の下降調であり、その低下力によって「に」が低まっていると見るべきだと思います。
 また、「は」のような助詞も「に」や「て」と同じく本来的に高いのですが、

 汝(な)こそは〈上上平平〉(前紀62〔二ところとも〕。なあこしょふぁ RHLL)

 汝(な)が形(かた)は〈上上上平平〉(前紀75。なあンがあ かたふぁ RHHLL)

 早くはめでず〈平上平平平上平〉(図紀67。ふぁくふぁ めンンじゅ)

ではその「は」に平声点が差されています。先行する〈上平〉の低下力によって低まったのだと見られます。
 こうして、すでに前紀、図名、図紀のような文献にも、「に」「て」「は」のような助詞が低下力に負ける例はあると見なくてはなりません。岩紀のようなものににそうした例の見えないのは、岩紀が資料として小規模なものであるからに過ぎないと思います。「に」「て」「は」のような助詞と「も」「し」のような助詞とのあいだにあるのは、程度の差に過ぎません。この時代、低下力は、「も」「し」などはもとより、「に」「て」「は」なども時には屈服させることがあるくらい強かったのでした。
 さて古今集声点本は、下降調の持つ低下力が総体に強まったこと、ただし、付属語を常になぎ倒すまでに強まったのではないことを教えます。
 じっさい初期古今集声点本――『問答』や顕昭本(『顕天平』『顕府』など)を初期古今集声点本とするのでした――には、『研究』研究篇下が丹念に採集した一部を引けば、「方(かた)も」〈(上)平平〉(伏片1024。たも HLL)のような言い方はもとより、「岡谷(をかたに)に」〈上上平平平〉(顕府(6)。うぉかたにに HHLLL)や「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕。とぅンぎて HLL)のような言い方も見られるものの、むしろ、

 惜(を)しけくもなし〈平平上平上平上〉(顕天平568注〔補1〕〔万葉3082〕。うぉしお ない LLHLFLF)

 けながくしあれば〈(平)平上平上(平上平)〉(顕府(36)注〔万葉940〕。けなンい あンば LLHLFLHL)

 楫(かぢ)に〈上平上〉(伏片・家457。ンでぃ HLH)

 置きて〈上平上〉(問答470。 HLH)

 行きは別れて〈上平上平平上上〉(顕天平568注〔万葉2790〕。ふぁ わかれて HLHLLHH。行き別れて。『顕天平』の注記はこうですけれども、「行きは別れで」〈上平上平平上平〉〔ふぁ わかンで HLHLLHL。行き別れることはなく〕、ないし、現行の読み「行きは別れず」〈上平上平平上平〉〔ふぁ わかンじゅ HLHLLHL〕でなくてはなりません)

のような例が多く見られます。一口に古今集声点本と言っても、初期のそれのありようはむしろ図名などに近いのであって、例えば『研究』研究篇下は「児(こ)ろが」〈上平上〉(袖中抄K)に見られるような「助詞本来のアクセントを主張した」アクセントを「古めかしい」と形容するのですが(p.134)、それは具体的にはそういう意味だと申せます。低下力の強まったことは確かですけれども、まだきわめて強いわけではありません。変化はその程度のものです。
 そののちも、時とともに低下力はさらに強まったとは申せ、鎌倉後期に至っても〈上平〉の持つ低下力は後続の付属語をすべて屈服させるほど強いものではなかったことが、『訓』のような鎌倉後期の文献における注記から知られます。

 むべも〈上平上〉(訓(22)〔仮名序の22番目の文〕。ンべお HLF)

 起きてし行けば〈平上平上上平平〉(訓375。おけンば LHLFHLL。古典的には「起きてし」は「おきてし LHHL」ですけれども、〈平上平上〉における「し」の卓立そのものは古典的です)

 畝野(うねのの)に〈上上上平上〉(訓1071。うねの HHHLH)

 今しはと〈平上平上平〉(訓773。いふぁと LHLHL)

 手折りても〈上上平上平〉(訓54。たうぉも HHLHL。「手」は「て L」なので「手折り」への注記は不審なのでした)

 結局のところ、平安初中期から〈上平〉は多かれ少なかれ後続の拍を低める力を持っていて、それははじめのうちは弱く、時とともに強まったものの、鎌倉後期に至ってもすこぶる強大なものではなかったのです。
 一拍からなる下降拍では、事情はどうなっているでしょう。古今集声点本の注記からも一拍からなる下降拍が低下力をもったことがうかがえるのは無論ですけれども、そのありようは二拍のなす下降調とは少しだけ異なります。
 すなわち古今集声点本では、初期のものを含めて、岩紀や図名においては多数派だった「つひに」〈平東上〉(とぅふぃ LFH)のような言い方ではなく、「つひに」〈平上平〉(顕天平568注〔万葉2800〕。とぅふぃいに/とぅふぃぃに LFL)のような言い方、ということは、「に」のような助詞が一拍の下降調の持つ低下力に負ける言い方が多数派になります。『寂』302(中期古今集声点本でした)が「秋をば」に〈(平上)上上〉(あうぉンば LFHH)を差すのなどは、図名の「つひに」〈平東上〉(とぅふぃ LFH)などと同趣の言い方と考えられますけれど、『研究』研究篇下の説くとおり、こうした言い方は初期古今集声点本の時代においてもすでに少数派に属します。
 この変化は、「つひ」(とぅふぃい LF)や「秋」(あい LF)のような二拍五類名詞の末拍における下降が、院政末期には短くも言われるようになっていたことを意味すると思われます。前(さき)に申したとおり、古くはそれはもっぱら長く言われ、伝統的な現代京ことばではそれは短いのですから、どこかで短縮化したのです。すでに院政末期、それは短く言われることも多かったと考えられます。初期古今集声点本には「楫(かぢ)に」〈上平上〉(伏片・家457。ンでぃ HLH)にような言い方も少なからず見られたのですから、二拍五類名詞の末拍における下降は基本的に引かれたのだとしたら、「に」のような助詞の高く付く例はもっと多く見出されるのでなくてはならないでしょう。
 ただ、当時はすでに「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕。とぅンぎて HLL)のような言い方もできたのですから、「つひに」〈平上平〉(とぅふぃいに LFL)の第二拍のようなものは短い下降調でしか言われ得ないとは申せません。長くも短くも言われたのだと思われます。つまり二拍五類名詞の末拍などにおける下降調の短縮化は、全面的なものだったとは思われません。じっさい「秋をば」〈(平上)上上〉(あうぉンば LFHH)のような注記もあったわけで、この言い方における第二拍などは長く言われたでしょう。短い下降調のほうが、長いそれよりも低下力は強いでしょうから、「秋をば」〈平上上上〉の第二拍を短い下降調で言うのは自然なこととは思われません。
 それから、一拍語では短縮化は進んでいなかったでしょう。図名に見られる一拍二類名詞が引かれたこと、控えめに申すならば引かれ得たことは、図名の「諱(ないふ)」〈東(上平)〉(ふ FHL)などから明らかでしたけれども、現代の伝統的な京阪式アクセントにおいても一拍二類名詞はさかんに引かれるのですから、院政末から鎌倉時代にかけて引かれなかったとは考えられません。例えば『問答』は「名には」に〈上平上〉(あにふぁ FLH)を差しますが、当時この「名」は、ごく控えめに申して引かれることが多かったでしょう。
 すると、『研究』研究篇下の説くとおり、当時「に」のような助詞は一拍二類名詞に低く付くことが多くなっていたようですから、一拍のなす下降調の持つ低下力も、院政末から鎌倉はじめにかけてやはり強まっていたのです。顕昭の『袖中抄』三本(K、京、前)が「名に」に〈上上〉( FH)を差すのなどは、前代ならば〈東上〉と書かれたアクセントを示しているでしょう。この「名に」〈上上〉のような言い方は、当時としては少数派に属するものだったと見られます。
 一拍動詞の場合も同じ。初期古今集声点本には、「しては」〈上平上〉(顕府(7)。いてふぁ FLH)、「寝ての」〈上平(平)〉(顕天片・顕大1072など。えての FLL)のような言い方が見られます。少し先で証明するとおり、これらにおける動詞は高平調でなく下降調、それも基本的に長い下降調をとったでしょう。すなわち、「して」〈上平〉(いて FL)、「寝て」〈上平〉(えて FL)は、「て」が一拍の下降調の持つ低下力に負けた言い方で、古今集声点本ではこうした言い方が多数派になります。『乾元本日本書紀所引 日本紀私記』が「つらくして」に〈上上平上上〉(とぅら HHLFH)を差し、『御巫(みかなぎ )私記』(『研究』研究篇下〔p.173〕)が「(異ならむ)として」に〈平上上〉(と LFH)を差すのなどは(『研究』研究篇下p.173)、すでに少数派に属します。ただ少数派に属するものの、鎌倉時代にも、「て」が一拍動詞の低下力に抗して卓立する言い方はあったと見られます。
 このことに関して、「して」〈上平〉(いて FL)や「寝て」〈上平〉(えて FL)では動詞が短縮化=一拍化しているから助詞が低く付いている、とする見方があるのですが、しかし当時は、繰り返すと、すでに「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉3005〕。とぅンぎて HLL)のような言い方ができたので、「して」〈上平〉、「寝て」〈上平〉において助詞の低いことからただちに一拍動詞の短縮化を結論することはできません。ちなみに相変わらず『京ア』によれば、現代京都では、サ変「する」の連用形「し」や上一段「着る」の連用形「着(き)」は、文節末に位置する時は一般に引かれた下降調(ー、ー)をとります。「て」を従える時は引かれない一拍の高平調をとりますけれど(て、て)、ここから平安時代の京ことばのアクセントを類推することはできません。
 前(さき)に、「何をして身のいたづらに老いぬらむ年の思はむことぞやさしき」(古今・誹諧1063)は、はやく平安時代初中期から、

 なにうぉ して みいのお いたンどぅらにいぬ としの おもふぁ ことンじょやしゃしき

とも、

 なにうぉ しいて みいのお いたンどぅらにいぬらム としの おもふぁ ことンじょやしゃしき

とも言いえたのであり、このありようは鎌倉時代になっても基本的には同じだと申しましたけれども、それは以上のような訳合によるのでした。


 b 「連用形一般(ロ)」 [目次に戻る]

 未然形は文節中にしかあらわれません。命令形は文節末に(文末も無論文節末の一つです)あらわれることが多いとは言え、「かし」のような付属語を従えうるので(詳細後述)、時には文節中に位置します。連用形、終止形、連体形、已然形は文節中にも文節末にもさかんにあらわれます。さて連用形については、付属語を従える時と従えない時とで時にアクセントを異にすることは周知ですけれども(『研究』研究篇下が、そしてそれより早く金田一春彦〔歴史的人物ゆえ敬称略〕の『四座講式の研究』が二つを区別しています)、後述するとおり、終止形、連体形、已然形、そして命令形も、付属語を従える時と従えない時とで時にアクセントが異なります。
 時にどう異なるのでしょう。何と言っても用例豊富なのは連用形ですから、この活用形から考えます。
 平安時代の京ことばにおける動詞の連用形のアクセントは、文節末と文節中とで異なるばかりでなく、文節中でも二通りのアクセントを持ちます。例えば図名は下二段動詞「誨(をし)ふ」(=教ふ。うぉしふ HHL)が過去の助動詞「き」の連体形「し」を従えた「誨(をし)へし」に〈上上上上〉(うぉしふぇし HHHH)を差しますけれども(末拍を東点と見る向きもありまが、声点の位置は東点と見るにはあまりに上にあります)、もし岩紀や図名が「誨へき」や「教へき」に声(しょう)を差すことがあったとしたら〈上上東〉(うぉしふぇい HHLF)や〈上上上〉(うぉしふぇぃ HHLF)のような注記になったでしょう。金田一の『四座講式の研究』の用語では、下二段動詞「をしふ」の「連用形第二種」はHHL、「特殊形」はHHHということになり、『研究』研究篇下の用語で言えば、下二段動詞「をしふ」の「連用形一般(ロ)」はHHL、「連用形特殊」はHHHということになります。金田一のいう「連用形一種」、秋永のいう「連用形一般(イ)」は連用形が文節末に位置する時のアクセント、金田一のいう「連用形二種」、秋永のいう「連用形一般(ロ)」は連用形が助詞「て」、完了の助動詞「ぬ」、過去の助動詞「き」の終止形、気づき・発見の助動詞「けり」そのほかを従える時のアクセント、金田一春彦のいう「特殊形」(の連用形)、秋永のいう「連用形特殊」は過去の助動詞「き」の連体形「し」や已然形「しか」などを従える時のアクセントです。過去の助動詞「き」の終止形「き」と、その連体形「し」および已然形「しか」とは、語形としては同じ活用形を先立てるものの、その活用形のアクセントは大抵の場合異なります。なお以下は『研究』研究篇下の用語法に拠りますけれども、誤解を防ぐため、「連用形一般」は「連用形(一般)」と表記し、これに合わせて「連用形特殊」は「連用形(特殊)」とします。また以下、単に「連用形」ということもあって、これは「連用形一般」を意味するとご承知ください。ここまでもそうでした。
 連用形(特殊)のアクセント、高起動詞の連用形(一般)のアクセントについては、諸家のあいだで見解の相違はありません。すなわち連用形(特殊)は通例、動詞の式に応じて高平連続調、低平連続調をとり(例えば「教へし」は「うぉしふぇし HHHH」、「思ひし」は「おもふぃ LLLH」)、連用形(一般)(イ)は前(さき)に示したとおりであり(例えば「教へ、…」は「うぉしふぇ HHL」、「思ひ、…」は「おもふぃい LLF」)、また高起動詞の場合、連用形(一般)(ロ)は連用形(一般)(イ)と同じです(例えば「教へけり」は「うぉしふぇり HHLHL」と言われます)。
 しかし、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の「連用形一般(ロ)」がいかなるアクセントだったかについては、諸家の見方は一致していません。
 先覚の中には、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形の末拍は文節中においても文節末におけると同じく下降調をとると見る向きもあります。これは例えば、岩紀107の「食(た)げて通(とほ)らせ」〈平上上平平平東〉を、「たン とふぉらしぇえ LFH・LLLF」と見るということで、論者のなかには、六声体系において上声点は高平調をのみ意味するとしながら、岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉は(なぜか)「たン LFH」と言われたと見る向きもあるようです。
 金田一春彦はそうは考えませんでした。碩学は、鎌倉前期に成立した明恵(1173~1232)の『四座講式』において、文節中の低起二拍動詞の連用形(一般)の末拍――例えば「成りて」の「り」のようなもの――は下降調をとったと推定してよさそうだと一旦はした上で、しかし、実際には助動詞「つ」「ぬ」、そして特に助詞「て」が低起二拍動詞の連用形に高く付く以上――「成りて」で言えば〈平上上〉のような注記しかない以上ということです――、「はなはだ不本意ではあるが」「一往」文節中の低起二拍動詞の連用形の末拍は高平調をとったか「ということにして、先に進むことに」しました(『四座講式の研究』〔十三・十五・四〕。『著作集』第五巻)。例えば「成りて」は「なりて LHH」と言われたと考えることにして先に進んだのでしたが、そう考えたのは、動詞と助動詞「つ」「ぬ」とは「よく融合した形」(十三・十五・三)を作る、特に動詞と助詞「て」とは「よく融合した形」(十三・十五・三)を作るばかりでなく、「一語のように発音されやす」く(十六・二十・四)、「音便(原文、音便形)を起こすほど動詞と『て』との結合が密接である」(同)ことを重視したからでした。
 碩学の直観はまったく妥当なものであり、逡巡は無用だったと考えます。事情は平安時代についても同じで、例えば岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉は「たンげて LHH」と発音されたと見るよりほかにないと思います。以下このことを論証します。あいにく長くなります。


 c 完了の「ぬ」の教えること [目次に戻る]

 岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉(たンげて LHH)――論旨を先取りしてこう書いてしまいますけれども、お疑いの向きは論証の終わるまで無視なさってください。循環論法になっていないことをお断りしておきます――や、図名における同趣の「あがいて」〈平平上上〉(あンがいて LLHH)から「ゑがいて」〈平平上上〉(うぇンがいて LLHH)に至る十二ほどの言い方において、助詞「て」を従えた低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形の末拍には上声点が差されていて、助詞「て」はそれに高く付いています。岩紀にも図名にも、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形が「て」を従える言い方において動詞の末拍に東点の差された例はありません。「着て」〈東上〉(図名)のような注記はあっても「食(た)げて」〈平東上〉のような注記はありません。
 繰り返しになりますけれど、上声点は高平調をのみ意味すると見る向きには、それらは「たンげて LHH」「あンがいて LLHH」のように言われたことは自明のはずです。しかし、総合索引などもそうするように、いわゆる六声体系における上声点にも多義性を認める立場に立つならば(申したとおり事実そうなっているのでした)、これはそう考える根拠を示さなくてはならない種類のことです。
 低下力についての知見を援用しつつ、動詞が完了の助動詞「ぬ」を従える時の、この助動詞の付き方を観察してみます。この助動詞を選んだのは、用例が豊富なので精緻な検討ができるからです(この種の検討では「大局的に」見ることは大雑把に見ることです)。なお、ここまで同様ここからも「完了の助動詞『ぬ』」という言い方をしますが、現代語におけるアスペクト論では「てしまう」「てしまった」は「実現相」を示すという言い方をするようです。「『完了』の『ぬ』」も、「実現の助動詞『ぬ』」「現実的生起(actual occurrence)の助動詞『ぬ』」など言うほうが実態に即すると思いますけれども、慣用に従っておきます。
 古今集声点本における注記から。『研究』をつぶさに見ると、古今集声点本では完了の助動詞「ぬ」は、先立つ拍の低下力に抗して卓立することも、反対にそれに屈して低まることもあることが分かります。例えば、純粋な二拍からなる下降調には、この助動詞の未然形「な」、連用形「に」、終止形「ぬ」、命令形「ね」は、ということは一拍からなる活用形は、

 離(か)れなで〈上平上平〉(毘・訓623。ンで HLHL)

 たなびきにけり〈上上上平上(上平)〉(伏片708。たなンびにけり HHHLHHL)

 泣きぬべき〈上平上(上上)〉(毘・高貞498。ぬンべきい)

のように高く付くことも、

 たなびきにけり〈上上上平平(上平)〉(毘・高貞708。たなンびきにり HHHLLHL)

 散りぬべみ〈上平平上平〉(訓281。てぃりぬンみ HLLHL)

のように低く付くことも、ともども多いと言えます。
 他方、古今集声点本は、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞、ということは末拍に上声点を差される動詞が完了の「ぬ」のさまざまな活用形を従える言い方を、初期古今集声点本の、

 久しく成りぬ〈平平上平平上上〉(顕天平568注〔万葉3082〕。ふぃしゃく なりぬう LLHLLHF)

 ありぬやと〈平上上上(平)〉(顕天片1025。ありぬやあと LHHFL)

といった注記から、後期古今集声点本の、

 なりななむ〈平上上上平〉(訓520。なりななム)

 いろづきにけり〈(平平)平上上上平〉(訓256、1077。いろンどぅきにけり LLLHHHL)

といった注記に至るまで、つごう六十近く持っていますけれども――根は一つであるらしい『毘』と『高貞』とは一つとも二つとも数えうるという具合で、数値を確定させたところで大した意味はありません。注目すべきはオーダーです――、そのほとんどにおいてこの助動詞は、上に引いた例がそうであるように動詞に高く付くのであって、低く付く例は、わずかに、

 帰りね〈平平上平〉(寂・訓389詞書。かふぇね LLHL)

 帰りね〈平上上平〉(毘389詞書。かふぇりね LHHL。この『毘』の第二拍は誤点で、前者がそうであるように平声点でなくてはなりません)

しかありません。
 完了の「ぬ」の一拍からなる活用形の、高起動詞への付き方と低起動詞への付き方とは、明らかに大きく異なりますけれども、動詞がこの助動詞の連体形「ぬる」や已然形「ぬれ」を従える時にも、同じことが申せます。すなわち古今集声点本では、「ぬる」の初拍も「ぬれ」のそれも、例えば、

 成りぬる〈(平上)上上〉(訓(60)。なりぬる LHHH)

 色づきぬれば〈(平平)平上上平平〉(訓198。いろンどぅきぬれンば LLLHHLL)

 来ぬる〈上上上〉(訓620。きいぬる RHH)

 来ぬれど〈上上平平〉(毘338。きいぬれンど RHLL)

がそうであるように、十例すべてにおいて、上声点に終わる低起多拍動詞や、上昇調をとる一拍動詞に高く付きますが、これとは対照的に、二拍の下降調を先立てる場合には、

 知りぬる〈上平平上〉(毘438。りぬ HLLH)

 知りぬる〈上平平平〉(訓438。りぬる HLLL)

 散りぬれば〈上平平上(平)〉(伏片64。てぃりぬンば HLLHL)

 わびぬれば〈上平平上(平)〉(毘・高貞938。ンびぬンば HLLHL)

がそうであるように、七例すべてにおいて、動詞に低く付きます。
 完了の「ぬ」が動詞に付くその付き方はこうしたものなのであってみれば、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)が完了の「ぬ」を従える時、動詞の末拍は、高平調をとるとしか考えられません。仮にそれが下降調をとるのだとしたら、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞が完了の「ぬ」を従える数十の例のなかで「ぬ」の低く付く例がわずかに寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉、『毘』同の「帰りね」〈平上上平〉だけだということはありえません。助動詞の低く付く言い方がもっともっと沢山あるのでなくてはなりません。
 完了の「ぬ」の連体形や已然形の付き方にしぼって見ても、同じことが分かります。それらは先だつ動詞の低下力にきわめて屈しやすいのでした。もし低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍が文節中で下降調をとるのだとしたら、それらの動詞は「ぬる」「ぬれ」を軒並み低く付けるのでなくてはなりません。しかし実際には十例すべてにおいて、例えば「成りぬる」〈(平上)上上〉(訓60)がそうだったように、助動詞は高く付きます。
 寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉のような言い方で完了の「ぬ」の命令形が動詞に低く付いていたのは、例えば岩紀102の「千代にも」〈平東上平〉における「も」と同じく、高い拍の次で勝手に低まったのであって――詳細は以下において縷々申します――、先立つ拍が下降拍でその低下力に屈して低まったのではありません。
 さて、前紀や図紀、図名、改名における「ぬ」のふるまいも、以上ながながと見た古今集声点本におけるそれと同趣です。
 すなわち、岩紀は残念ながら完了の「ぬ」に注記しませんけれども、前紀・図紀96には「明けにけり」〈上平上上平〉(にけり HLHHL)という注記が見えていて、これは『伏片』708の「たなびきにけり」〈上上上平上(上平)〉(たなンびにけり HHHLHHL)と同じ言い方です。図紀72の「落ちにきと」〈平上上平平〉(おてぃにきと LHHLL)――こうも言えたでしょうが、原本は〈平上上東平〉(おてぃにきいと LHHFL)だった可能性が低くありません――は「成りぬ」〈平上上〉(顕天平568注〔万葉3082〕。なりぬう LHF)と同じ言い方、ないしそれからの変化として理解できる言い方であり、図紀71の「知りぬべみ」〈上平平上平〉(りぬンみ HLLHL)は『訓』281の「散りぬべみ」〈上平平上平〉(てぃりぬンみ HLLHL)と同じ言い方です。
 図名にはこの助動詞は四つしか登場しません。

i おとろへんだる〈平平上平平平上〉(おとふぇんだ LLHLLLH)。これは「おとろへにたる」の撥音便形で、この「おとろへにたる」は元来「おとふぇ LLHLHLH)と発音され、それからの変化として「おとふぇにた LLHLLLH)とも発音されえたと考えられます。ただ、図名の音便形「おとろへんだる」〈平平上平平平上〉における「ん」〈平〉は。先立つ二拍の低下力によって低まったのかもしれませんが、そうだったと断ずることはできません。前(さき)に「いかにて」(にて HLHH)のつづまった「いかで」に図名が〈上平上〉(かン HLH)を差していることを申したところで確認したとおり、撥音便形は必ずしももとの言い方とアクセントを同じくするとは限らず、もとの言い方が高くても低まるか低まることもあったと思われるからです。図名の「おとろへんだる」〈平平上平平平上〉において「ん」の低いのは、先立つ二拍の低下力によるのかもしれませんけれども、たんに撥音便形だからなのかもしれません。

ⅱ 縊(くび)れぬ〈上上平上〉(くンびう HHLF)。「ぬ」が先立つ二拍の低下力に屈しない言い方です。

ⅲ 絶えんだる〈平上平平上〉(たいぇんだ LHLLH)。「絶ゆ」(たう LF)が完了の「ぬ」を従えた「絶えぬ」は〈平上上〉(たいぇぬう LHF)、「絶えにたる」は〈平上上平上〉(たいぇに LHHLH)が古典的な言い方です。「絶えんだる」はその撥音便形ですから、図名がこれに差す〈平上平平上〉は、寂・訓389詞書の「帰りね」〈平平上平〉と同趣の言い方の撥音便形かもしれませんけれども、三拍目が低いのはそれがたんに撥音だからかもしれません。

ⅳ 訖(を)はぬ〈上東上〉(うぉふぁう HFF)。「訖はりぬ(=終はりぬ)」〈上上平上〉(うぉふぁう HHLF)の撥音便形「訖はんぬ」(うぉふぁう HHLF)の撥音無表記形。〈上東東〉と読まれることが多いのですけれども、望月さんの『集成』の本文では二か所(第一部〔自立語編〕、第二部〔付属語編〕)とも〈上東上〉と見えます。『集成』の「付論」で望月さんご本人が〈上東東〉と読まれていますが(p.673)、本文を見る限り声点は、例えば同じ図名の「泥(ぬ)る(=塗る)」〈上平〉(る HL)や「縊(くび)れぬ」〈上上平上〉(くンびう HHLF)の「ぬ」と同じ高さ、東点と見るには高すぎる高さにあると見られます。酒井さんのデジタルコレクションの図名の「ぬ」の項では〈上平東〉ないし〈上平上〉、「を」の項では〈上上上〉とあるようです。

 最後に、時代くだって、改名に見えているのは、「明けぬ」〈上平上〉(う HLF)のような、「ぬ」が低下力に屈しない言い方と、〈平上上〉と注記される「断(た)えぬ(=絶えぬ)」(たいぇぬう LHF)のような、上声点に終わる動詞に完了の「ぬ」の高く付く例だけです。
 こうして、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形の末拍が下降調をとるとしたら、諸書の注記における完了の「ぬ」の付き方はまったく不可解です。高平調をとるとすればそれらはごく自然なものです。
 低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞が助詞「て」や、過去の助動詞「き」(の終止形「き」)や、気づき・発見の助動詞「けり」を従える時も、動詞の末拍のアクセントは高平調をとると見られます。すなわち、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は、金田一春彦が直観したとおり、文節中において高さを保つと考えられます。
 完了の「ぬ」の付き方は、高起一拍動詞の連用形(一般)の文節中におけるありようも教えます。それは二拍以上の動詞のそれとは、明らかに異なります。
 高起一拍動詞には完了の「ぬ」は、古今集声点本では、例えば、

 寝ななむ〈上上上平〉(永632。なム FHHL)

 消(け)ぬ〈上上〉(顕天平551。うFF。「消えぬ」〔う HLF〕のつづまったもの。「消(け)ぬ」の「消(け)」はつづまったことで一つの高起一拍動詞に相当します)

においてそうであるように、高く付くことも少なくありませんけれども、より多く、

 寝なまし〈上平上平〉(伏片238。えなし FLHL)

 消(け)ぬ〈上平〉(永・毘・高貞551、毘・訓222。えぬう FL)

に見られるように低く付きます。そして低く付くことは時代のくだるとともに一層多くなり、『毘』では十例中九例が低く付きます。純粋な二拍からなる下降調の持つ低下力には、完了の「ぬ」は負けることも負けないことも、ともども多いのでしたが、一拍からなる下降調の持つ低下力にはこの助動詞は、負けないことも多いが、負けることの方が多く、時代の進むとともにこの傾向が強まります。
 次に、完了の「ぬ」の連体形「ぬる」の初拍は、高起一拍動詞には、

 為(し)ぬる〈上平上〉(梅〔58〕。いぬ FLH。のちに歌全体を引きます)

 為(し)ぬる〈上平平〉(高貞・寂・毘899、寂〔58〕。いぬる FLL)

 寝ぬる〈上平上〉(伏片〔47〕、高貞644。えぬ FLH)

 寝ぬる〈上平○〉(寂644。えぬ FLH、ないし、えぬる FLL)

においてそうであるように、八例すべてにおいて低く付きます。
 すると、高起一拍動詞の連用形(一般)は文節中でも下降調をとるとしか考え得ないでしょう。文節中でも下降調をとるゆえ、「たなびきにけり」が〈上上上平上(上平)〉(たなンびにけり HHHLHHL)とも〈上上上平平(上平)〉(たなンびきにり HHHLLHL)とも発音されるように、「消(け)ぬ」が〈上上〉(う FF)とも〈上平〉(えぬう FL)とも発音されるのであり、また連体形「ぬる」の初拍を低めるのです。もし高起一拍動詞の連用形(一般)が文節中で高平調をとるとしたら、「ぬ」の各活用形はもっぱら高く付くのではなくてはなりません。
 高起一拍動詞に完了の「ぬ」の高く付く時の動詞のアクセントを推定しにくいとする見方もありますけれど(『研究』研究篇下p.212)、ありようは明らかだと思われます。
 完了の「ぬ」の付き方は、文節中における高起一拍動詞の長さについても教えてくれます。初期古今集声点本の時代、文節中で高起一拍動詞の連用形(一般)のとる下降調がもっぱら短いものだったとしたら、完了の「ぬ」が、「寝ななむ」〈上上上平〉(永632。ななム FHHL)や「消(け)ぬ」〈上上〉(顕天平551。う FF)のように高く付くことも多いということの説明がつきません。院政末期から鎌倉はじめにかけて、高起一拍動詞の連用形(一般)は文節中でも下降調をとり、その下降調は引かれることも多かったと考えられます。常に引かれたかどうかは分かりませんけれども、前代の、例えば岩紀の「飯(いひ)にゑて」〈平平上東上〉(104。いふぃに うぇLLHFH)における動詞と同じように引いて言うことのできたことは、確かでしょう。


 d 駄目を押す [目次に戻る]

 完了の「ぬ」の付き方は、低起二拍動詞、多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍が文節中において高平調をとることを教えました。この知見を踏まえて、動詞が「て」を従える言い方を一瞥します。
 低起二拍、多数派低起三拍動詞の連用形が「て」を従えるところの、岩紀107の「食(た)げて」〈平上上〉や、図名の「あがいて」〈平平上上〉から「ゑがいて」〈平平上上〉に至る十二ほどの言い方において、動詞の末拍には上声点が差され、助詞「て」は動詞に高く付くのでしたけれども、初期から中期にかけての古今集声点本でも、ありようは基本的に同じです。すなわち『研究』研究篇下によれば、『問答』『顕』『伏片』『永』では同趣の24例のうち23例において、「起きて」〈平上上〉(問答470、顕天片1030、顕府(19)、伏片・家(19)および354など。おきて LHH)式の注記がなされます。
 ただ「ありて」〈平上平〉(『顕天平』568注〔万葉763〕。あて LHL)という注記があります。この「ありて」〈平上平〉は「在手」に差されたもので(「手」は万葉仮名としてのそれ)、『研究』は名詞「手」が当時平声で言われたのに引かれて差し間違った可能性を考えていますけれども、『顕天平』の成立時期を考えると(奥書に「文治元年」〔1185〕とあります)、これはもっともなことです。と申すのも「立てて」〈平上平〉(毘・高貞581。たて LHL)のような言い方がある程度さかんになるのは後代のことだからです(金田一春彦によれば『四座講式』にはそうした言い方はないのでした)。具体的に申せば、『研究』研究篇下p.178の表によれば――これはじつに多くを教えてくれる表です――、『毘・高貞』は上声点に終わる動詞が「て」を従える言い方を三十持っていて、そのうち「逢ひて」〈平上平〉(756。あふぃて LHL〔申したとおり、ハ行転呼していない古めかしい発音を記します〕)のように「て」の低まるのは4例、『訓』では上声点に終わる動詞が「て」を従える言い方が10例あって、そのうち「起きてし」〈平上平上〉(375)のように「て」の低まるのは4例です)。院政末期から鎌倉初期にかけては「て」は上声点に終わる多拍動詞に通例高く付いたのであり、くだって後期の『訓』においても、10例中6例は同趣の「逢ひて」〈平上上〉(756)式の言い方です。
 他方、古今集声点本ではこの助詞は、顕昭本の「しては」〈上平上〉(顕府(7)。いてふぁ FLH)、「寝ての」〈上平(平)〉(顕天片・顕大1072など。えての FLL)に見られた通り、もともと高起一拍動詞の連用形(一般)の低下力に負けることが多いのですけれども、時代の下るとともに、純粋な二拍のなす下降調にも負けるようになります。『研究』研究篇下p.178の表によれば、助詞「て」は、例えば『伏片』では純粋な二拍のなす下降調に8例中2例だけ低く付きますが(例えば「鳴きて」〈上平平〉〔385。きて HLL〕)、『毘』では30例中16例で低く付き(例えば「言ひて」〈上平平〉〔771。ふぃて HLL〕)、『訓』では11例中10例で低く付きます(例えば「あげて」〈上平平〉〔212。ンげて HLL〕)。『訓』の時代にはこの助詞は、一拍の引かれた下降調にばかりでなく、純粋な二拍のなす下降調にすら基本的には負けます。すると、『訓』において「起きてし」〈平上平上〉(375)のような「て」の低まる言い方が10例中4例に過ぎず、10例中6例は「逢ひて」〈平上上〉(756)のような言い方をするということは、「て」を従える時の低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は下降調とは考えにくいということです。岩紀の「食(た)げて」〈平上上〉から、図名の「あがいて」〈平平上上〉以下の十あまりの言い方を通って『訓』の「逢ひて」〈平上上〉のような言い方に至るまで、ありようは同じです。それらにおける動詞の末拍は高平調をとったとしか考え得ません。
 「ありて」〈平上平〉のような言い方では、助詞は、先立つ拍の低下力によるのではなく、高い拍の次で言わば勝手に低まったと思われます。もうすぐ考えるとおり、「も」や「し」のような助詞では同じことがいくらも起こるのであり、またのちに見るように、「は」のような助詞でも時に同じことが起こります。
 低起二拍や多数派低起三拍動詞の末拍は文節中でも下降調をとると見る向きもあるのでしたけれども、そう見る向きは、特にその根拠をお示しにならないようです。それらの動詞が文節の最後において下降調をとると考える根拠は諸書に記されています。そしてそれらは十分説得的です。しかし、それらが文節中でも下降調をとると見るべき説得的な根拠を拝見したことはありません。文節末で下降する以上文節中でも下降すると見なくてはならない理由はありません。文節末で下降するからといって文節中でも下降すると見なくてはならないわけではなく、実際下降しないと考えられるのでした。
 このことに関して、改めて申しますと、論者の中には、「院政期にはすでに『て』のような助詞は先だつ自立語にアクセント上従属する傾向を見せているので、その時代の注記については低下力を使った議論は有効だが、それより以前は、この助詞はアクセント上、先立つ自立語から独立していたので、〝低下力〟を援用した議論は無効である」というように見る向きもあります。このことについては平安時代の京ことばにおける個々の付属語のアクセントのありようをつぶさに見てから申すこととして、今はただ、付属語の、おのれに先立つ自立語などとの関係における独立・従属のありようは平安初中期から鎌倉時代末期に至るまで基本的には変わっていないと考えられることを繰り返させていただきます。確かに、例えば図名では、「没(い)れて(=入れて)」〈上平上〉がそうであるように、低平調に終わる高起動詞には「て」はもっぱら高く付くのに対して、古今集声点本には「継ぎて」〈上平平〉(顕天平487注〔万葉2992〕)のような言い方も少なくないのであり、これは図名と初期古今集声点本とのあいだに差異のあることを物語ります。しかし、例えば、平安初中期から「米(こめ)だにも」〈平平上平平〉(岩紀107。こめンにも LLHLL)や「汝(な)こそは」〈上上平平〉(前紀62〔二つとも〕。なあこしょふぁ RHLL)のような、「も」や「は」が先行する部分との関係で低まる言い方があり、鎌倉時代にも「むべも」〈上平上〉(訓(22)。ンべお HLF)や「如(ごと)は」〈上平上〉(梅・京中・高嘉・伊・寂・毘402。ふぁ HLH)のような、同じ助詞が低まらない言い方があった、というような具合なのであってみれば、図名の成立した十一世紀はじめと、初期古今集声点本の成立した十一世紀末の間に、付属語の独立・従属に関してラディカルな断絶を見るというようなことはできないと申さなくてはなりません。実際にあったのは下降形式の持つ低起力の強まりだったと思います。


 e 柔らかい拍 [目次に戻る]

 平安初中期から、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)は、付属語を従える時、ということは文節中に位置する時、高平調に終わると考えられるのでした。他方、先覚の見たとおり、それらの動詞の連用形(一般)は、文節末に位置する時は、下降調に終わると考えられます。文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍を、固有のアクセントを持たず、環境に応じて自分の姿を柔軟に変える拍という意味で「柔らかい拍」と言うことにすると、低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連用形(一般)の末拍は柔らかい、ということになります。
 さて動詞の連用形(一般)のアクセントを考える際それが文節中に位置するか文節末に位置するかを問題にすることは、付属語を従えるか否かという視点から既になされてきましたけれども、申したとおり、動詞のほかの活用形、さらには助動詞についても同じことを問題にしなくてはなりません。
 例えば低起二拍動詞の終止形(一般)や已然形の末拍、完了の助動詞「ぬ」「つ」の終止形(一般)、意志・推量の助動詞「む」の終止形(一般)や已然形などもまた、次の諸例の示すとおり、柔らかいようです。「終止形(一般)」は、例えば助詞「や」や現在推量の助動詞「らむ」のような言葉を従える時の動詞のアクセントです(「や」は時に已然形にも付きます)。ひきつづき、参考としてひらがなやアルファベットでアクセントを記しますが、それらは論点を先取りしたものですから(繰り返しますと、循環論法にはなっていません)、お疑いの向きは論証が終わるまで無視なさってください。例によって、例えばハ行転呼完了後の文献のものでも、古めかしい発音を記します。

 飽くや〈平上上〉(訓468。あくやあ LHF)

 駒なれや〈上上平上上〉(伏片1045。こまれやあ HHLHF。「駒にあれや」〔こまにれやあ HHHLHF〕の単純な縮約形です)

 ありぬやと〈平上上上(平)〉(顕天片1025。ありぬやあと LHHFL)

 思うつや〈平平上上上〉(図名。おもうとぅやあ LLHHF。「思ひつや」〔おもふぃとぅやあ LLHHF〕の音便形でした)

 やすからむや〈平上平平上上〉(図名。やしゅからムやあ LHLLHF。「やすくあらむや」〔やしゅく あらムやあ LHLLLHF〕のつづまった言い方です)

 つつまめや〈平平平上上〉(伏片・家425。とぅとぅまめやあ LLLHF)

 助詞「や」が、低起二拍動詞の終止形(一般)や已然形、「ぬ」「つ」「む」のような助動詞の終止形や已然形に高く付いています。低く付く例はありません。「春や」〈平上平〉(訓47。ふぁうや LFL)においてそうであるように、古今集声点本ではこの助詞は降(くだ)り拍には低く付くことが多いので――「秋をば」〈(平上)上上〉(寂302。あうぉンば LFHH)のような言い方は古今集声点本では少数派の言い方でした――、その古今集声点本から引いた上の四例において動詞や助動詞に「や」がいずれも高く付き、低く付く例は見えないということは、それらにおける動詞の末拍や助動詞はいずれも高平調をとると見るのが自然だということです。図名の「思うつや」〈平平上上上〉(おもうとぅやあ LLHHF)と「やすからむや」〈平上平平上上〉(やしゅからムやあ LHLLHF)とについて言えば、それらは東点を用いる流儀による注記である可能性が高い以上、また、短い下降調に「や」が高く付くとは考えにくい以上、「つ」「む」は高平調をとると見るのが自然です(注)。一方、多くの先覚の説くとおりそれらの動詞や助動詞の終止形(一般)や已然形は文節末において下降調に終わると見られます。するとそれらの末拍は柔らかいのです。

 注 東点を用いない流儀による注記である可能性も低いながらあります。その場合、「つ」「む」が高平調である可能性のほかに、それらが長い下降調でありそれに「や」が高く付いている可能性もあるということになりますけれど、古今集声点本の四例も含めて「や」の低く付く例が一つもないことを考えると、その可能性はごく低いものにとどまります。

 平安時代の京ことばに「柔らかい拍」と呼べる拍の存在することは疑いないと思います。平安時代の京ことばをなす拍は、まず大きく、おのれのアクセントを変えないことを基本とする拍と柔らかい拍とに分けられます。
 例えば低起動詞「悔ゆ」(くう LF)の初拍のようなものはすべての活用形を通じて常に低さを保ちます。それは本来的に低い拍です。
 次に、例えばその「悔ゆ」の連体形(一般)(詳細後述)である「悔ゆる」(くゆ LLH)の末拍のようなものは、先覚の見るとおり、文節中・文節末の別を問わず基本的に高さを保ちます。それは本来的に高い拍です。ただ本来的に高い拍は常に高いわけではありません。例えばそれは先立つ拍の持つ低下力に負けることがあります。例えば「は」のような助詞は本来的に高いのですけれども、この助詞は早くから先立つ拍の低下力に負けることがあり、時代の下るとともに負けることが多くなってゆくのでした。低起二拍動詞や多数派低起三拍動詞の連体形(一般)の末拍なども、後期古今集声点本の時代には時に低下力に負けるようになります。例えば訓442が「踏みしたく鳥(=踏みしだく鳥)」に〈(上平)平平平(上上)〉(み したく とり HLLLLHH)を差すのは、複合動詞「踏みしたく」(み したう HLLLF)の連体形(一般)「踏みしたく」〈上平平平上〉(み した HLLLH)の後部成素が付属語化し、その末拍が、先だつ下降形式の持つ低下力に負けたのです。複合動詞のことはのちに詳しく考えます。
 次に、例えば高起動詞の一拍からなる連用形(一般)や一拍二類名詞は、すでに見たとおり文節中でも文節末でも常に下降します。それは本来的に下降する拍、本来的な下降拍です。
 最後に、例えば形容詞「なし」の連用形「なく」(なく RL)の初拍は概略平安時代には本来的な上昇拍であり、また「歯」(「ふぁあ ℓf」)のような名詞は本来的な上昇下降拍だったと見られます。 
 柔らかい拍は、これらの拍とは異なり、固有のアクセント、本来的なアクセントを持ちません。そうしたものとしての柔らかい拍の性格を見さだめるために、「も」「し」「ぞ」「や」のような、一般には固有のアクセントとして下降調を持つとされる助詞のことを考えます。それらもまた、柔らかいようです。
 例えば「ぞ」(上代には「そ」と言われることが多かったようですが、以下「ぞ」で代表させます)や「や」が文節末で下降調をとることは、「ことそ聞こゆる」〈平平東上上上上〉(岩紀109。ことしょきこゆる LLFHHHH)、「さぞ」〈平東〉(図名。しゃンじょお LF)、「取らすもや」〈平平上平東〉(岩紀108。とらしゅあ LLHLF)のような例から知られること言うまでもありませんけれども、それらの助詞が文節中に位置する時は、ありようは異なります。例えば、

 何(なに)そは〈平上上上〉(顕天片・伏片・家・永・毘1052〔『毘』は「何」に点なし。『高貞』は「何ぞは」〈(平上)上上〉〕、伏片・寂382、梅・寂・永615。なにしょふぁ LHHH)

 むすめぞや〈上上平上上〉(御巫私記〔『研究』研究篇下p.145〕。むしゅめンじょやあ HHLHF)

 おくらさむやは〈上上上上(上)上上〉(伏片367。おくらしゃムやふぁ)

 実(み)やは〈上上上〉(毘・訓463。みいやふぁ HHH)

においてそれぞれの末拍「は」「や」の低まっていないのは、それらに先立つ「ぞ」「や」が高平調だからだと考えられます。
 このことに関しては、「何そは」〈平上上平〉(毘382。なにしょふぁ LHHL)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704。あふぁンじゃらめやふぁ LHLLHHL)のような注記のあることに申し及ばなくてはなりません。申したように、『研究』によれば『毘』と『高貞』とは今は失われた或る同一の片仮名本からの移声によって成るものらしいので(研究篇下p.484)、実質的に二例でしょうが、こうした言い方のあることを根拠に「ぞ」「や」は文節中で下降しているとすることはできません。かりに「ぞ」「や」が文節中で下降する拍だとすると、「ぞは」「やは」において「は」の低い例が古今集声点本にもっと多く見られるのでなくてはなりません。『毘』自身、1052では「何そは」に〈(平上)上上〉を差し、463では「実(み)やは」に〈上上上〉を差し、高貞も1052では「何ぞは」〈(平上)上上〉を差します。
 「は」のような助詞は本来的に高いものの、中後期の古今集声点本では、高い拍の次で、時たま、みずから低まります。今しがた引いた「何そは」〈平上上平〉、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉のほかに、訓938詞書の「あがたみには」〈平平平上上平〉(あンがたみにふぁ LLLHHL)や同454の「こころばせをば」〈○○○上平上平〉、さらには、のちにも言い及ぶ「消えずは」〈上上上平〉(伏片・家63。きいぇンじゅふぁ HHHL)などでもこの現象が見られます。収集できたのはこれら五つで、上声点に「は」の高く付く例は容易に五十例ほどを数えることができますから、確かに時たま低まるに過ぎないと言ってよいと思います(いずれもほかの付属語を先立てているのは、注目すべきことなのでしょう)。「は」と同じく本来的に高い「て」のような助詞にも、同じ現象が見られました。しかし、岩紀や図名では「は」「て」のような助詞が高い拍の次でみずから低まることはなく、初期古今集声点本でもそうしたことは、少なくとも稀にしか起きません。また、やはり本来的に高い「に」「を」「が」のような助詞は、後期古今集声点本の時代に至っても勝手に低まることはないようです。このうち「に」については、のちに詳しく見ますけれども、古今・恋五756に「あひにあひて」という言い方が見えていて、この「あひに」に訓が〈平上平〉を差すのをその例と見ることが可能といえば可能です(毘・高貞は〈平上○〉)。しかしむしろ〈平上上〉とすべきところをまちがったのだと見るほうが自然ではないかと思います。
 「何そは」〈平上上平〉(毘382)、「逢はざらめやは」〈(平上平平上)上平〉(毘・高貞704)のような言い方は、顕天平568注(万葉763)の「ありて」〈平上平〉などと同じく、高い拍の次で助詞が勝手に低まったのだと考えられるのであって、これらの例から文節中の「ぞ」「や」の下降性を結論することはできません。
 「何(なに)そは」〈平上上上〉のような言い方における「そ」(「ぞ」)は、高平調をとったのでしょう。岩紀108の「裂手(さきで)そもや」〈平平平上平東〉(しゃきンでしょあ LLLHLF)における「そ」についても同じ。上声点は高平調をのみ意味し助詞「そ」は固有のアクセントとして下降調をとると見る論者は、この「そ」に差された上声点を誤点とするよりほかにありませんけれども、小論の見るところでは、この「そ」は文節中にある柔らかい拍として高平調をとります。
 ところで、「も」「し」「ぞ」「や」のような助詞は、文節中で高平調をとるとは限らず、また文節末で下降調をとるとは限りません。すでに申したとおり、それらは、「こめだにも」〈平平上平平〉(岩紀107。二つあるうちの一つ)に見られたように、先立つ拍の低下力に負けることも多いばかりでなく(負けないことも多いが負けることも多いばかりでなく)、いくつかは改めて引けば、

 千代にも〈平東上平〉(岩紀102。てぃも LFHL)

 さきでそもや〈平平平上平東〉(岩紀108。しゃきンでしょあ LLLHLF)

 わが手とらすもや〈平上平平平上平東〉(岩紀108。わあンがあ てえ とらしゅあ LHL・LLHLF)

 にくみするをも〈平上平上上上平〉(図名。に しゅるうぉも LHLHHHL)

 鼻も〈上上平〉(梅1043。ふぁなも HHL)

 うべしかも〈上上平上東〉(岩紀103。うンべかもお HHLHF)

 中(なか)し〈平上平〉(伏片・梅・京中など465。なし LHL)

 風ぞ貸しける〈上上平上平上平〉(伏片362。かンじぇンじょ る HHLHLHL)

 みまさかや〈上上上上平〉(顕天片・顕大1083。みましゃかや)

に見られるように、高い拍の次でみずから低平化することが多いからです。岩紀の「うべしかも」〈上上平上東〉では「も」のほうは高い拍の次で低まっていませんし、古今集声点本にも、「鼻も」〈上上上〉(伏片1043。ふぁなもお HHF)、「中し」〈平上上〉(京秘465。なかしい LHF)、「梅(むめ)ぞも」〈(上上)上平〉(寂・毘33。ムめじょも)、「しなてるや」〈上上上上上〉(顕府〔53〕補1。しなてるやあ HHHHF)のような低まらない言い方が見られます。しかしすでに岩紀において、低まる言い方のほうが多いようです。古今集声点本では、すると当然ながら、低まる言い方のほうがずっとたくさん見られます。
 すると、拍の柔らかさは再定義されなくてはなりません。前(さき)の定義では柔らかい拍とは、文節中では高平調、文節末では下降調をとる拍なのですから、この定義を維持するかぎり、例えば「も」は「千代にも」〈平東上平〉のようにも言うから柔らかい拍でない、ということになってしまいます。事のありように即した概念を求めるならば、柔らかい拍を、「固有のアクセントを持たない拍」と定義したうえで、

ⅰ 文節中では高平調、文節末では下降調をとる。
ⅱ ただし低下力に負ける時、および高い拍の次で低まる時はその限りでない。

という性質を持つとするのがよいと考えられます。
 柔らかい拍がこういう性質をもつことを利用して、個々の付属語の性格を見定めることができます。例えば、常に低いのではない助詞が高い拍の次でしばしば低まるならば、その助詞は柔らかいと判断してさしつかえないでしょう。例えば禁止の「な」は、「濡らすな」〈上上平上〉(顕天片・顕大1094。ぬらしゅあ HHLF)のようなアクセントをとる一方、「出(い)づな」〈平上平〉(訓652。いンどぅな LHL)や、「みだるな」〈平平上平〉(顕天片568注〔万葉2788〕。みンだるな LLHL。ただし現行の万葉のテクストは「みだれな」で〔この「な」は願望を示します〕、確かにこうでないと意味が通りません)のように、高い拍の次ではもっぱら低まるところから、柔らかいと判断できます。
 他方、常に低いのではない助詞が高い拍の次でしばしば低まるようなことがないならば、それは本来的に高いと判断できます。助詞全体を概観することは後(のち)の課題ですけれども、「に」「を」「が」「は」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして高平調をとると見る拍はやはりおおむね本来的に高く、「も」「し」「ぞ」「や」そのほかの、『研究』が固有のアクセントとして下降調をとると見る拍はおおむね柔らかいということができます。
 ただ助詞「か」は、古今集声点本の時代に下降調から高平調に変わったかとする見方もありますけれど(『研究』研究篇下pp.148,193)、一貫して柔らかかったと見てよいと思われます。その常に低いのでないことは、

 あふものか〈平上平平上〉(顕天平568注〔万葉2448〕。あ ものあ LHLLF。通行のテクストは「あふものを」〔あ ものうぉ LHLLH〕)

などが示し、

 誰(たれ)か〈上上平〉(図名。たれか HHL)

 いかでか〈上平上平〉(図名。か HLHL)

 おくらぬか〈上上上上平〉(図名。おくらぬか HHHHL。打消の「ぬ」は本来的に高いと見られます。詳細後述)

 みちびかぬか〈上上上(上)上平〉(図名。みてぃンびかぬか HHHHHL)

 いかにか〈上平上平〉(顕天平509注〔索引篇による〕。か HLHL)

 誰(たれ)をかも〈平上上平平〉(訓909。「誰」の初拍の平声点は存疑。たれうぉかもお HHHLL。「かも」は二語と見ることができます)

 嚏(ひ)ぬかな〈上上平平〉(伏片・訓1043。ふぃぬかな HHLL。「かな」も二語と見ることができます)

 思ひぬるかな〈平(平上)上上平上〉(訓842。おもふぃぬるあ LLHHHLF)

は、この助詞が古今集声点本の時代にも柔らかいことを示すでしょう。高い拍の次で低まるとは限らないことは、「すずしくもあるか」〈平平上平上平上上〉(毘170。しゅンじゅお あるかあ LLHLFLHF)、「成り行くか」〈(平上)上上上〉(訓784。な ゆくかあ LFHHF)のような注記が示します。高い拍の次の「か」が文節末にあるとき低まらず下降調をとることも多いことは、この助詞の「も」「し」のような助詞とは少し異なるところだと申せます。

 雨雲のよそにも人のなりゆくかさすがに目には見ゆるものから 古今・恋五784、伊勢物語19。あまンぐもの しょふぃとの なゆくかあ しゃしゅンがに めえにふぁ みゆ ものら LLLLL・HLHLHLL・LFHHF・LHHHLHH・LLHLLHL。詞書によれば、かの業平がさる女人のもとに通うようになったが、「恨むることありて、しばしのあひだ昼は来て夕(ゆふ)さりは帰りのみしければ」(うらむ こと ありて、しンしの あふぃンだ ふぃふぁいて ゆふしゃりふぁ かふぇれンば LLLHLL・LHH・LHLLHHL・HLHRH・HHHHH・LLHLFFHLL)、女の詠んだ歌。「雨雲の」(=雨雲のように)は、ここでは「よそ」を導く枕詞。来てはくださるものの、だんだんあなたと他人の関係になってゆくのですね、と言っています。「帰りのみしければ」のアクセントのことは、後(のち)に。

 なお、古今集声点本においてこの助詞「か」が下降拍に高く付く例の複数見られることをこの助詞の特異な性格と見る向きもありますけれど(『研究』研究篇下p.148)、

 春かは〈(平上)上上〉(寂131。ふぁかふぁ LFHH)

 蔭(かげ)かは〈(平上)上上〉(寂134。かンかふぁ LFHH)

 影かも〈(平上)上平〉(寂・毘102。かンも LFHL)

のような言い方、大半が『寂』のものである言い方は、その『寂』302が「秋をば」に〈(平上)上上〉を差したのなどと同じことで、名詞の末拍を引いた時の発音が記されているのだと思います。
 柔らかい拍のふるまい方の見本として、もう一つ、いずれも柔らかい助詞である「し」「か」「も」がこの順で並んだ「何(なに)しかも」への注記、古今1001の長歌の一部ですがそれを、その解釈とともに示します。

  (平)上平平上 伏片 なしかお LHLLF
  平上平上平  寂  なも  LHLHL
  (平上)上上平 梅  なにしかも  LHHHL

 『伏片』の「何しかも」〈平上平平上〉では「し」が高い拍の次でみずから低まり、「か」は先立つ純粋な二拍のなす下降調の低下力に負け、「も」は卓立し、文節末ゆえ拍内下降します。どうやら、鎌倉時代のある時期までは、この「も」も低めて「なしかも LHLLL」と発音するようなことはなかったと思われます。鎌倉後期には、例えば訓442の「踏みしたく鳥」〈(上平)平平平(上上)〉(み したく とり HLLLLHH)のような例があったわけですけれども、それ以前は、「なにしか」をLHLLと発音したら、最後の「も」は義務的に卓立した(卓立し下降した)模様です。LHLLのようなアクセントは下降形式を持つとは言えず、むしろ低平連続調に準ずるものとしてあったのでしょう。それゆえ「も」のような柔らかい拍は義務的に卓立したのだと考えられます。
 『寂』の「何しかも」〈平上平上平〉で「し」の低いのは高い拍の次でみずから低平化したのであり、その次の「か」は純粋な二拍のなす下降調の低下力に抗して卓立し、文節中なので高さを保ちます。「も」はその卓立した高い「か」の次でみずから身を低めています。
 最後に『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉では、「し」は高い拍の次で身を低めず、文節中ゆえ高さを保ち、「か」は、その高い「し」にやはり高く付き、やはり文節中ゆえ高さを保ち、「も」はそれに低く付いています。
 「も」のような柔らかい拍が、古くから、高い拍の次で下降調をとることも低まることも多かったことは、岩紀が一方で「うべしかも」〈上上平上東〉(うンべかもお HHLHF)のような注記を、他方で「千代にも」〈平東上平〉(てぃも LFHL)、「さきでそもや」〈平平平上平東〉(しゃきンでしょあ LLLHLF)のような注記を与えることから明らかなのでした。すると「何しかも」は、上の言い方のほかにも、さらに、古い流儀で記せば、「なにしかもお」〈平上平上東〉(なかもお LHLHF)、「なにしかもお」〈平上上上東〉(なにしかもお LHLHF)なども言えたわけです。複雑なようですが、慣れればむつかしいことはありません。
 さまざまな言い方がある場合、おのずと相対的に好まれる言い方とそうでない言い方とがあるということも多いでしょう。古今集声点本に限らず、岩紀のような古い文献を含めて、さまざまな例を見あつめてみると、まず、柔らかい助詞が連続する時それに〈上上〉が差されることは少ないようです。つまり今しがた見た『梅』の「何しかも」〈平上上上平〉は少数派に属する言い方です(もしかしたら『梅』の注記は『寂』と同じ〈平上平上平〉という言い方を書き誤まったものかもしれません)。それから、柔らかい拍の連続する時は、文節をLFというアクセントで終えることが好まれたようです。のちにも確認しますけれど、すでに引いた、

 かくしもがも〈上平平東(ママ)平東〉(岩紀102。くしおンがお HLLFLF)
 裂手(さきで)そもや〈平平平上平東〉(岩紀108。しゃきンでしょあ LLLHLF)
 わが手とらすもや〈平上平平平上平東〉(岩紀108。わあンがあ てえ とらしゅあ LHL・LLHLF)
 畏(かしこ)きろかも〈平平平東平平東〉(前紀47。かしこいろかお LLLFLLF)

といった例がそうだったわけで、「うべしかも」〈上上平上東〉(岩紀103。うンべかもお HHLHF)など、そうでない言い方も無論あるものの、LFで終えることが相対的に好まれたということは言えるようです。ちなみにこの「うべしかも」に、図紀は〈上上平平東〉を差すようです(「か」への注記は平声点と見られます。東点の位置、上声点の位置には何もなく、平声点の位置には小円の一部と思しきものがあります)。
 さて柔らかい拍の性質として、もう一つ加えなくてはならないものがあります。「式を保存するために上昇調にはじまることがある」という性質です。「来(く)」の連用形(一般)、終止形(一般)、命令形(「来(こ)」なのでした)、「見る」「干(ひ)る」の連用形(一般)、「得(う)」「経(ふ)」の連用形(一般)、終止形(一般)のような、低起動詞の一拍からなる活用形は、例えば低起二拍動詞「成る」の連用形(一般)の末拍などと同じく柔らかいと考えられます。すなわち、文節中では上昇調で言わるものの(例えば「来て」は「きいて RH」)、文節末では下降調に終わります(例えば「来(き)、」は「きい ℓf」)。
 かくて、こうまとめられます。

 古代から中世前期にかけての中央語では、拍はまず、固有のアクセントを持つものと持たないものとに分類できる。前者には、本来的に低い拍、本来的に高い拍、本来的に下降する拍、本来的に上昇し下降する拍が属し、後者には柔らかい拍が属す。柔らかい拍は次の性質を持つ。
ⅰ 文節中では高平調、文節末では下降調をとる。
ⅱ ただし低下力に屈して低平調をとったり、高平拍の次でみずから低平調をとることがある。
ⅲ また、式を保存するために上昇調にはじまることがある。

 柔らかい拍は、そのつど、低平調、下降調、高平調、上昇調、上昇下降調のいずれかとして発音されるのですから、つまり当時の中央語としてとりうるすべてのアクセントをとりうるのですから、一つの潜在的な存在だと申せます。以下、柔らかい拍を意味する記号として記号Sとℓsとを採用します。Sおよびsはsoftの略です。例えば「成る」の連用形(一般)はLSと書けます。これによって、文節中にある時はLH、文節末にある時はLFと言われることを示せます。また例えば「風も」はHHSと書けます。これによって、文節中にある時はHHHまたはHHL、文節末にある時はHHFまたはHHLと言われることを示せます。また例えば「来(く)」の連用形(一般)はℓsと書けます。これによって文節のはじめではℓh=R、文節の終わりではℓfと言われることを示せます。
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